働いて稼いだお金で買う甘味は美味しい。右手に傘、左手は空色のアイスキャンデー。今の私は二刀流。冥界の庭師も慄く無敵モード。照りつける夏の日差しの下、口に広がるソーダ味を堪能する。ぺろぺろ。美味し。自然と軽くなる足取りで人里を歩いていると、真正面から女の子が!咄嗟に左手でその子を受け止める。女の子に怪我はなかった。お礼を言われた。嬉しかった。手を降って去っていった。私も笑顔で応えた。振り返ると私のアイスキャンデーが地面に落ちていた。仕方なく拾ってごみ箱に捨てた。泣いた。お家に帰ってふて寝した。
◇◇
気がつくと知らない場所にいた。真っ暗な空を彩るのは、怪しく笑う三日月とわざとらしく光る星。お城のような建物からカラフルな光が放たれ、愉快な音楽も聞こえてくる。大量の疑問符を浮かべ、状況を整理しようとする。ふと頭にぽつぽつと冷たい滴が当たる。雨だ。
「……ん?あれ?……あれ!?」
反射的に傘をさそうとする。傘がなかった。どこいった私!私は今どこだ!
「水も滴るいい男というのは艶っぽい色気のある人物を示す言葉であって、別に水に濡れているさまを言い表した言葉ではないそうです」
知らない場所で知らない人に声をかけられた。知らない人は柔らかい笑みを浮かべて、どうぞと言って私を傘に入れてくれた。いい人だ。でも知らない人だ。怪しい。きっとお返事しちゃいけない。傘を持っている妖怪なんて自己中心的か、サディストか、その両方に決まっている。
「ドレミーとお呼びください。少し落ち着ける場所に行きましょうか」
「私は多々良小傘!よろしくね」
知っている人になったからもう大丈夫だ。ドレミーに肩を抱かれ、導かれるままに建物の中へ。階段を登り、扉を開けて部屋に入る。白を基調としたお部屋の中心には、大きなベッドが置かれていた。何も言わずにベッドに飛び込む。ぱふっ。柔らかな音をたてて私の身体を受け止めるそれは、わざとらしいお日様の匂いがした。
「ほとんど濡れていないと思いますが、良ければどうぞ」
「うわっ」
ドレミーは私にバスタオルと缶を投げてきたので、前者を右手で、後者を左手で器用にナイスキャッチ。……。落ちたバスタオルを拾う。こほん。うん、ナイスキャッチ。バスタオルでガサゴソと頭を拭いていると、ドレミーはさらに懐から私に投げたのと同じ缶を取り出し、開けて飲んでいる。よく冷えたそれを私も飲もうと思い、ひっくり返したり叩いたり指でカリカリしてみる。開いた。何これお醤油?真っ黒だ。飲んだ。苦い。うぇっ。
「よくも騙したなぁ……!」
「おや?コーヒーはお口に合いませんでしたか?」
「私を驚かせたことを末代まで後悔させてやる」
「ではもう少し甘く」
そう言ってドレミーは指を鳴らす。すると私の持っている缶からぼふっと煙が出る。驚いて危うく落としそうになるのを何とか堪え、恐る恐る缶の中を覗き込む。真っ黒だった液体が白っぽい灰色に変わっていた。
「どうぞ」
「……」
どうぞと言われたので飲んで見る。先ほどとは違う、牛乳の柔らかい甘さがじんわりと口の中に広がっていく。
「美味しい」
「よかったです」
ごくごくと全部飲み干す。やっぱりいい人だ。
「そろそろ説明をしましょうか。ここは」
「夢の世界?」
「気づいていたのですか?」
「貴方のことを聞いたことがある。【夢の支配者】ドレミー・スイート。これでも割と顔は広いし、名前を覚えるのは得意だから」
「それは話が早い。ここでは何でも思い通り」
ドレミーが再び指を鳴らす。私の持っていた缶とタオルが消えて、代わりに私の左手には空色のアイスキャンデーが握られている。はむっと唇で咥えてみる。ソーダ味。美味しい。
アイスキャンデーに夢中になっていると、もう一度ぱちんっと指を鳴らす音が聞こえた。私は人里に立っていた。あれっ?と思う間もなく、真正面からきた女の子とぶつかった。咄嗟に右手で受け止める。女の子に怪我はなかった。お礼を言われた。嬉しかった。手を降って去っていった。手を振り返した。左手のアイスキャンデーは無事だった。
「……あれ?これって」
「そのとおり」
もう一度ぱちんっと指を鳴らす音が聞こえた。私は先程までいた部屋のベッドの上に座っていた。左手のアイスキャンデーを確認する。消えてない。味も確認。はむっ。美味しい。よかった。それどころか今度は右手にラムネがあった。増えた。
「貴方が寝る前に体験したことです」
「……」
「……開けてあげますから貸してください」
左手がアイスキャンデーで塞がっているせいで、上手くラムネの瓶を開けられない。そんな私をみたドレミーは、私からラムネを受け取ると片手で器用に開けてしまう。今のどうやって開けた?
「話を続けても?」
「今のどうやって開けたの?」
「話を続けても?」
「あ、はい。お願いします」
「では続けますが、先ほどの出来事は実際に貴女が体験したこととほとんど一緒です」
「うん。でもその時はアイスキャンデーが死んだ」
「死んだ、いやまあいいでしょう。なぜアイスキャンデーは死んだのでしょうか?逆になぜ今は死ななかったでしょうか?」
「簡単だよ。さっきは右手が空いていたから。その右手で女の子を受け止めることができた」
「ではなぜ現実では右手が空いていなかったのでしょうか」
「傘を持っているから」
「ではその傘をお返ししましょう」
ドレミーがまた指を鳴らす。私の座っている目線よりも少し上に、突然傘が現れる。慌てて左手でキャッチする。左手のアイスキャンデーが死んだ。
「死んでいませんよ」
「えっ?」
ドレミーの言葉通り、傘を受け止めるために放り投げられたアイスキャンデーは、地面に落ちずにキャッチされていた。誰だか知らないけど親切な人ありがとう。ドレミーの手じゃない。誰だろう?私だった。私の手だった。左手には今まさにキャッチした傘、右手には既に持っているラムネ。そしていつの間にか肩甲骨辺りから生えていた3本目のお手々がアイスキャンデーをキャッチしていた。
「お手々が増えた」
「夢ですから」
夢なら仕方ない。3本目のお手々でキャッチしたアイスキャンデーをぱくっ。ちべたいっ。
「ではなぜ現実はこうならなかったのでしょうか」
「どういうこと?」
「3本目の手があればアイスキャンデーは死なずに済んだということです」
「そんな事言われたって、私のお手々が2本しかないし」
「ではなぜ2本しかないのでしょう。3本あった方が便利ではないですか?」
たしかにお手々が3本あったら便利だ。じゃんけんで同時に『ぐー』と『ちょき』と『ぱー』を出せる。つまりは無敵だ。2本だったらそうはいかない。この前2本使って早苗に負けた。お団子取られた。
「たしかに便利かもしれないけど、それは私だけの話じゃないでしょ?ドレミーだってお手々は2本しかないじゃん」
「私は構いませんよ。貴方と違って常に傘を持っているわけではないので」
ドレミーが指を鳴らす。ドレミーも私のように右手にアイスキャンデー、左手にラムネ。奇しくも同じ構え。流行っているのだろうか。
「私を含めた他の人妖とは違い、貴女は常に傘を携帯しています。それにも関わらず、私達と同じ人型を模している。他の付喪神もそうです。琵琶だったり鼓だったりの付属品があるのですから、それと共にあるのに適した姿で生まれていないのが不思議に思いまして。例えば手が3本あれば、傘を携帯していても人間と同じように2本の手が自由になります」
「そんな事言われても困ります」
「そうでしょうか?人外の多くは元を辿れば人の想像や恐れに由来する物が多い。人から生まれるゆえに人型となる。ある意味で自然なことです」
「付喪神も一緒でしょ?」
「違いますよ。あなた方は人ではなく元となった道具ありきで生まれているはず。その上で道具とは別個体を生み出すのなら、その元となる道具と共にあるのに適した姿で生まれる方が自然ではないでしょうか。人型は片手が常に傘で塞がっていることを想定して作られてはおりません」
「道具のための姿こそ人型だよ。道具は人が生み出して人が使用するものなんだから」
ドレミーは豆鉄砲を食らった鳩のような表情をして、頬をぽりぽりと指でかく。実際に鳩を驚かせようとして豆鉄砲を放った私だからわかる。結果としては外れた上に、反撃でひどい目にあった。あれ?それだと豆鉄砲を食らった表情は見てないことになるかも。
「なるほど。確かに貴方の仰る通りかもしれないですね」
「それに3本のお手々は便利かもしれないけど、ちょっと不気味だし子供が怖がって逃げちゃうよ」
「驚かれるのは本望では?」
「驚かれるのと気味悪がられるのはニュアンスが違います」
「その違いは理解できますが、両者の優劣については疑問が残りますね」
ドレミーの問に答えていると、いつの間にか自分の分のアイスキャンデーを舐め終えてしまった。それに気づいたドレミーが私の隣に座り、右手のアイスキャンデーをどうぞといって差し出してくれる。せっかくの好意を断るのは失礼なので、ここは素直に受け取ることにする。ぺろぺろ。美味しい。
「貴方は傘を携帯するのに便利な姿よりも、傘を持つのに相応しい姿であるべきだと言うのですね」
「実際に私のお手々は2本しかないから、結果としてそうなるんじゃないかな」
「不思議なものです。貴方がどのような経緯で付喪神になったのかは私にはわかりません。しかしその過程は愛に溢れたものではなかったでしょう」
ドレミーは優しい手付きで私の傘を撫でつつ目を細める。よく見ると細かい傷とか付いているから、あんまりじっと見られるとちょっぴり恥ずかしい。
「貴方の基準はあくまで人間。【傘をもった妖怪】ではなく【妖怪化した傘】としての在り方を選ぶと」
「私は道具で、道具は人の役に立つことを目的として生まれてくるからね」
「せっかく生命をもって生まれてきたのですから、もっと自由に生きたいとは思わないのですか?」
「自由だよ。人型を得てできることが増えた。だから傘でしかなかった頃よりも、もっと人間の役に立つことができる。それってすごく素敵なことだと思うんだ」
ドレミーのアイスキャンデーを食べ終えると、左手に持っていたラムネを一気に飲み干す。口の中で炭酸がパチパチと音を立てて弾ける。爽やかな甘さと心地いい冷たさが喉を通り抜ける。
「貴方の在り方に興味があって夢を覗きに来たのですが、余計なお世話だったようですね」
「私としては前々から思っていた疑問が解けたから、とっても有意義な時間だったよ」
「はて?どのような疑問かお聞きしても?」
ドレミーの真似をして指をぱちんと鳴らす。鳴らない。もう一回。指の擦れる音しか出ない。だめだ、鳴らない。
「……ぱちんっ!」
「何をしたいのかはわかりませんが、例え指を鳴らせたとしても、何も起こりませんよ?」
「そうなの?」
「貴方は傘の付喪神であって、夢の支配者ではないですから。ですが貴女が一言お願いをすれば、夢の支配者は喜んでその願いを叶えるでしょう」
「じゃあ建物の外に出してほしいです」
ドレミーは首を傾げて少し考える素振りをするが、やがて左手のラムネを飲み干すと、ぱちんと指を鳴らす。いつのまにか私たちは外にいた。思った通り雨が降っていたので、すかさず傘を広げてドレミーと共に入る。
「ドレミーは傘に詳しい?」
「恥ずかしながらあまり詳しくないです」
「では傘である私が直々に教えてあげましょう」
胸を張ってえへんと言えば、ドレミーは頭を撫でてくれた。えへへ。
「傘を選ぶ上ではデザインや素材はとても大事です。しかし実用性という面において、これら以上に最も重要視されるべき点はどこでしょう?」
「……大きさでしょうか」
「では傘の大きさは何で決まるでしょう?」
「使用する人の身体のサイズ、身長でしょうか」
「正解。ドレミーは賢いね」
少し背伸びをして頭を撫でる。ドレミーはちょっと困ったように笑って頬をぽりぽりと指でかく。
「ドレミーの言った通り、傘の適正サイズは持ち主の身長で決まります。私の身長だと子供用になるので、目安として親骨の長さが身長の半分程度のものになります。でも私の傘のサイズはどう見積もってもそれ以上、というかデザインも含めて大人用です」
「……なるほど。たしかにそれは不思議ですね。人型の貴方は傘のために生まれたはず。ならばその姿は傘に合わせた背格好になるのが自然」
「でもドレミーと話して、私の在り方やその意味を考えてわかった。確かにドレミーの言う通り、傘を持って生活するのはとても不便。その理由は片手が塞がってしまうから」
「それは誰よりも貴方が日頃から感じていることでしょう」
「私だけじゃないよ」
首を傾げるドレミーに教えてあげる。
「みんなもお手々は2本しかない。傘を使う時に片手が塞がることは私だけに限ったお話じゃない。それは傘のもつ不便」
「普通の人は傘を持ちながら、同時に何かをする機会は少なくはあります。しかし確かにそれは傘の欠点といえますね」
「なので傘に女の子をつけました。これで手も塞がらないから邪魔にならない。私には大きすぎる傘も、2人で入るならちょうどいい。きっと2人で傘に入れるように私は小さく生まれたんだ。これが人に道具が合わせる、新しい付喪神の姿」
誇らしげに胸を張る。えへん。ドレミーは何も言わない。あ、あれ?何かおかしかったかな?
「し、しかも私はお話相手にもなれちゃいます!あと、ほら荷物とかあるなら少しはお手伝いとかもできるし、他にも色々と……」
「確かに一理ありますが、2人で入るには少し大きさが足りないのではありませんか?」
「く、くっついたら大丈夫!……だめかな?」
「素敵だと思いますよ。では折角ですし、このまま貴方の夢が覚めるまで、しばらく散歩でもしましょうか。かわいいお話相手もできたことですし」
きっと指をぱちんと鳴らしてしまえば止んでしまう雨の中、傘の中で体を寄せて歩く。そうして私たちは長く短い夢の時間を、お話しながら歩いて行く。
◇
どんな時でも甘味は美味しい。右手に傘、左手にはオレンジ味のアイスキャンデー、攻防にすきのない構え。鼻歌交じりのご機嫌モード。今日も元気いっぱいの太陽の下、冷たい甘酸っぱさを堪能する。ぺろぺろ。美味し。にこにこ笑顔で人里を歩いていると、真正面から女の子が!以前に1回、夢でもう1回、となれば今回で3度目の正直。さすがに正しい対応を導き出せる。咄嗟に頭をフル回転。傘を手放して右手で受け止める?付喪神の性質上、咄嗟に自らを手放すようには動けない。アイスキャンデーをもったまま左手で受け止める?誤ってアイスの棒が目や喉をついて怪我をさせてしまえば大変だ。知らぬ顔して避ける?女の子が泣く姿は見たくない。……なんだ、簡単じゃないか。私は初めから模範解答を導き出していたのだ。私は以前と同じ様にアイスキャンデーを手放し、その子が怪我しないように左手で受け止める。女の子に怪我はなかった。お礼を言われた。嬉しかった。手を降って去っていった。手を振り返した。今日もアイスキャンデーが死んだ。
「死んでいませんよ」
「ふぇ……?」
後ろからの声に振り返ると、女の人が私のアイスキャンデーを受け止めていてくれた。
「どうぞ」
「ありがとう!貴方は私のアイスキャンデーの命の恩人!」
「いえいえ。手が足りないようだったので」
お礼を言うと、女の人はぽりぽりと頬をかきながらアイスキャンデーを渡してくれる。再び舐めながら歩いていくと、ふんわりと雨の匂いがする。さっきまでの青空も相まって、傘を持っているのは私しかいない。急いでアイスキャンデーを舐め終え、棒をゴミ箱に捨てるころにはぽつりぽつりと冷たい滴が降ってくる。男の子が1人、傘を持っていなくて困っているのを見つけた。
「傘の手は必要ありませんか」
ためらいのない小傘が素晴らしかったです
なんだこのかわいい疾走感
「アイスキャンディーが死んだ!」の表現、コミカルな以上に人に使われる存在としての視点から出てきた言葉なんだなあと思うと深みがあってとても良い
タイトル回収たすかる
良かったです
アイスキャンディーが死んだ!傘特にかわいい。
小傘がひたすらに可愛かったです。
そんなペースに付き合ってくれるドレミーもまた良し