「はたてさんの好きなもの、ですか? まあ私だと思いますが」
白狼天狗の犬走椛は臆面もなくそう言い切った。いやイキったと言うべきか。
「そうですか。では貴方を犬鍋にして差し出せば、はたても喜んでくれますかね?」
烏天狗の射命丸文も表情を一切変えず、短刀の束に手を掛けた。
はたてとは、この二人共通の同胞である姫海棠はたてという烏天狗だ。曲者揃いの天狗の中では(比較的)ピュアな性格で、上からも下からも親しみやすいと評価が高い。言ってみれば狗サーの姫とも。
そのはたてのライバル新聞記者な文が今回、連続して当直番を代わってもらった礼がしたいと珍しく思い立ったのが事の始まり。
しかし普段から念写ばかりでまともな写真を撮らない引きこもりのひよっこの、(自分を棚に上げて)三流新聞記者と小馬鹿にしていた相手へのプレゼントである。いざ贈ろうと考えても何を、どんな顔をして、どのような関係になりたくて贈ればいいのか分からない。分からないったら分からない。
そんな慣れない事を考えたものだから、気の迷いでたまたま通りかかった反りの合わない相手に相談してしまったのがまた問題であった。
「……冗談はさて置きまして、はたてさんの好物ならば射命丸様の方が存じているのでは?」
「あいつに可愛がられている貴方なら意外な好みを知っているかも、とね。困った事に差し入れなら何でも喜ぶんですよ、あの天然娘」
あるいは喜んでいる振りが上手い、かもしれない。はたてだって人間の何倍も生きている妖怪だ。感情を隠して上位におべっかを使うぐらいは出来るだろう。
「ご期待に添えず申し訳ないですが、私もはたてさんから差し入れをいただいてばかりでして。事ある毎に干し肉を持ってくるのです」
ワンちゃんにはお肉。それは誰しもが考えることだ。もっともこれは組織の配給品であって、品質も最低限保証の域を出ていない。
――それでも、はたてさんから貰ったという事実だけで私には最高級の蜂蜜がかけられたように感じるのですがね。
椛は鼻息荒くそう語る。
「はいはい反吐が出そうですね。貴方も分からないとなると……望み薄ですが守矢神社か河童のアジトか」
「遠目で見ましたが、アジトは忌中と称してまた人体実験中でしたよ」
「奴らの科学信仰は欠片も理解できませんねえ……やはり風祝なら雰囲気も近いですし、彼女の奇跡に掛けてみるか……いや……」
山の頂上を眺めながらぶつぶつと自問自答する文だが、しかし思い立ったら即撮影をポリシーとする彼女にしては珍しい光景でもあった。幻想郷最速を自称する普段の文ならばその時間で守矢神社まで飛んでいけるのだから。
「……ご本人に聞くのは?」
「サプライズ感が無い。却下」
「では、射命丸様がご自分で考えたものが一番ではないかと……」
おそらくこのお局様はそう言って欲しいのだろうと、椛は声を低くして申し上げた。
「そうですよ。考えるまでもなく私が贈ればあいつは喜ぶはずなんですよ。なのに、どうして貴方に相談してしまったのか……」
そうなのである。傲岸不遜の域にまで達している自信家の文ならば、自分で適当に選んだ物をぽいと渡せばあっさり終わりのはずなのに。なのに悩んでしまった理由、それは文自身も薄々自覚はしているが認めたくない感情からであった。
「しかし、贈り物ですか。思えば私も貰ってばかりですし、何かお返しを考えるべきですね……」
それは文にとって全くもって空前絶後にぶっちゃけあり得ないほど聞き捨てならない言葉であった。
「はあ? 貴方が? はたてに? お返しを?」
「はあ、そうですが……いけませんか?」
――当たり前だ。えのころ飯にするぞ。
そう食って掛かりたいところだったがぐっと堪え。
「いや、いけない事はありませんよ? 受けた恩はお返しするのが当然でしょう」と涼しい顔をかろうじて作った。
当然なのだが、よりによって自分がお返しを考えているタイミングでそれを言うのが文的に問題なのだ。時期が近ければ比較対象にされる。自分の物よりも椛の方が喜ばれたりしたらプライドが傷付く。というかそうなる可能性が高い。本当になぜ今相談してしまったのか、文は心から後悔した。
「……大丈夫ですよね? という事でして、私も実地調査に行って参りますので失礼を」
「ま、待って。実地調査って何よ。どこに行くつもりなのよですか貴方は」
生真面目天狗の突拍子もない言葉に文の口調も若干怪しくなる。
「はたてさんの仕事場ですよ。百聞は一見に如かずと言いますし」
言われてみれば、はたてのデスクは小物やお菓子の袋やらでごちゃごちゃしている。普段はゴミ溜めにしか見えなかったが彼女の趣味嗜好を知るにはうってつけかもしれない。なにより今日のはたては休養日で絶好のチャンスでもあった。
「ああそうですか。しかし……白狼天狗の貴方が机を漁るとは感心しませんね。気になるようなら私が見てきますが?」
あくまで気の利く上司を装ったが、文の真意は重要そうな手掛かりがあったら握り潰して自分だけの物にする事だ。職権乱用である。
「いえいえ射命丸様の貴重なお時間は奪えません。大天狗様に確認して、それで駄目なようでしたら諦めますから」
大天狗は駄目だ。冷やりとした感触が文のこめかみを伝う。
あのお祭り好きで女にだらしない大天狗は、止めるどころか面白がって自ら参戦しかねない。そして大天狗が許可してしまえば文にはお手上げだ。となれば、文が取れる手は一つだった。
「いやいや大天狗様の手を煩わせるなどそれこそ言語道断ですよ。仕方ないのでこの射命丸文が監督の下でなら姫海棠はたての仕事場への立ち入りを許可します。そういう事ですから早速行きますよ。私の時間は一刻千金ですから、さあ、さあ」
「いや、ええ、まあ、はい」
来ないでいいんですけど。そう言われてしまう前に押し切った。
最近になって増築された新棟の一部屋、特務室。今どきの念写記者にしか出来ない仕事だからと、実質はたて一人に任されている場所だ。そこに向けて嫌々と、颯爽と、二人は飛び立つのであった。
「……ふんふん。これが、噂に聞くインターネットですか」
椛はブラウン管型モニターの匂いを嗅ぎながら聞きかじりの知識を披露した。画面焼けした焦げた臭いの中にほんの僅かだがはたてのエッセンスがある。彼女が使っているパソコンである事は間違いなかった。
「……はあ。いいですか、これはパソコンというやつです」
ゲーム機なら何でもファミコンと言ってしまうタイプの文が、モニターの方を指差して訂正する。
パソコンにプリンター、付箋だらけのディスプレイ、散乱するお菓子の袋と書き散らかしたボツ原稿、それと明らかに仕事とは関係無い動物の置物。はたてはほぼ自分しか使わないのを良いことにごちゃごちゃと私物を置いているのだった。
何故はたてしか使わないのか、それは『これちょっとコピー取ってきて~』の係が全部はたてに回ってくるからだ。老天狗達はコピー機が怖いのである。
「柿の種に、かりんとうに、酢の物……親父臭いわね」
「いえ、ほんのりと甘い酪の匂いもしますね。ケーキとかシュークリームとか……そのような物を持ち込んだのでは?」
「そんなの……見たことないですよ。あいつ、さては独り占めしていたか」
文は自身が最もフリーダムに山を離れているのも棚に上げて奥歯を噛んだ。
「はたてさんとは普段よく休憩を取るのですか?」
「しないけど、美味しそうな物は私にも献上するのが筋ってものでしょう?」
「ああ、そうですね」
だから射命丸様は射命丸なんだよなあと、凪のようなトーンで椛が相槌を打つ。
「しかし、隠れて食べるほど好きなら贈り物はその系統で間違いないでしょう。酪を用いた洋菓子、と」
「いいや、犬走は生クリームのように甘い。食べれば消えるものは所詮一時の喜びでしかないんですよ」
「では食物以外ですか? 可愛い小物が好きなのは確かでしょうが」
椛は机の脇に目をやった。鞠と戯れるアザラシや、微妙に腹の立つ顔の河童、リラックスポーズのクマのぬいぐるみなどが綺麗に並べられている。
「大天狗の管狐の溺愛ぶりより甘い。さっきも言いましたがサプライズ感が欲しいわけ。ぬいぐるみが好きだからぬいぐるみ? スイートなのは枕だけにしなさい」
「では何だったらいいって言うんですか?」
この烏天狗、ただ私の意見に反対したいだけではないか。苛立ちで椛の口調も荒れるが、文は全く気にせずパソコンの側面をとんとんと叩いた。
「その為のこいつでしょう。人にはあまり見せられない秘密がパソコンには眠っていると聞きますから」
「そ、それは……流石にはたてさん相手でもどうかと思うのですが?」
「はたての私物じゃないんだから問題無し。見られたくないものを官物に入れるのが悪いんです」
そもそも入れているかも定かでないままパソコンの電源ボタンを押した。文だって一応、使い方ぐらいは聞いている。どうせ自分は使う気無しと、メモを取る振りで新聞の原案を書いてはいたものの。
白い無機質な文字が真っ黒な画面を流れていき、続いて見覚えのある帽子のロゴが現れた。案の定、このパソコンも河童に作らせた物らしい。
「……パスワード?」
しかし早速壁にぶち当たった。はたてのアカウントを見る為には彼女が設定した英数字を入力しなければならない。
「こんなもの……あいつだから適当に誕生日とかに設定してるでしょう。というわけで椛、よろしく」
「いえ、私もはたてさんの誕生日は知りませんが……」
「はあ? 何で貴方が知らないんですか! 何のための犬ですか!」
「自分だって知らないくせに……」
「くっ……!」
しかし妖怪とはそういうものである。寿命が長すぎて一年毎に祝う気が起きない。そもそも生まれた時代に暦の概念が無かったり、違ったり。親が存在しないからいつ生まれたかを教えてもらえなかったり。
「何かこう……ヒントとか、どこかにあるはずよきっと。あいつ鳥頭だからパスワードなんて覚えていられるわけがないわ!」
「その理屈だと射命丸様も鳥頭じゃないですか」
「あのパッパラパーと一緒にするな!」
「そのパッパラパーの為にこんな所に来てるんじゃないですか」
ぱっぱと調べて撤収すべきところを不毛な会話で浪費する二人。念のためフォローしておくが、どちらもはたてに贈り物をしたいという一心だけは本物なのである。
ひらり。
その想いが通じたのか、あるいは穣りのない会話に山の神が辟易としたのか、救いの手が二人の前に舞い降りた。正しくは、パソコンに貼っていた付箋が振動で剥がれ落ちたと言うべきだが。
「HTT11MOFUMOFU……? まさか……」
謎の英語と数字の羅列。かろうじてセキュリティ教育を受けていた文にはピンと来た。絶対やってはいけない事その1、パスワードを見える所にメモしておく、である。
「ハ、タ、テ、ワン、ワン、モ、フ、モ、フ……おっ!」
両手の人差し指だけを使い、幻想郷最速が聞いて呆れるタイピングを披露した。その甲斐あって立ちはだかる断崖絶壁をどうにか乗り越える。そしてそんな二人を歓迎したのは、神々も恋した玄武の沢の絶景(の壁紙)だった。
「おお……凄い……!」
「まあね。そんじょそこらの天狗とはデキが違うからね」
せめてこの場にはたて本人か現代のJK経験者が居れば。そう願ってもここに突っ込みは不在である。
「ふんふん、うーん……あ、これなんか怪しいんじゃない?」
デスクトップに散らかったショートカットをカチカチと遠慮なくクリックしていき、文の目に止まったのは『極秘』と名付けられたフォルダだった。
「極秘……本当に極秘だとしたらそう名付けるでしょうか。もっとこう、隠すものかと……」
「だけどねえ、これを名付けたのもはたてよ?」
「まあ、確かにはたてさんですけど……」
そのはたての為に悩んでいる文は迷うことなく極秘フォルダをクリックした。
『見ないで』のフォルダ。カチカチとクリック。
今度は『見ちゃダメ』のフォルダ。お構いなしにクリック。
『ダメです』のフォルダ。またフォルダ。
「くどいのよ!」
無駄に階層の深い極秘フォルダの中身をカチカチカチカチカチカチと連打し、そしてついにその時が訪れた。
「JPG……ジパングですか?」
「いいや、これはきっと写真だわ」
最後に出てきたのは『秘』という名前の画像ファイルだった。
「ま、まさかはたてさんのあられもない姿がこれに……!」
「貴方って意外とむっつりですか。そんなもの、撮っても消すとは思うけど、でも……」
否応なしに期待せざるを得ないが、文には途轍もなく嫌な予感もあった。だがここまで来て見ない選択肢など無い。椛からのハッハッと荒い鼻息に身を捩らせつつ、マウスを2回連打した。
「――ハァ?」
憤怒、失望、嘲笑、落胆。それがごっちゃになった文の表情は、まるでひょっとこ面のようだったという。千里眼で様々なものを見てきた椛でも、この時の射命丸の顔を超える面白いものは無かったと後に語る。
大天狗、泥酔、酒瓶、半裸。
そこには真っ赤な顔で三脚の代わりに酒瓶を担いだ飯綱丸龍が、あの決めポーズの下着姿で寝っ転がる様子が納められていた。
「……まあ、確かに見ちゃダメですよね。勝手に期待した私達が悪いんですよ。きっと」
椛は仕方なしにその場の空気を取り繕った。
おそらく、念写で撮れたはいいが記事にするほどでもなく、かといって消すには何かもったいないからこのような処置をしたのであろう。見るなと書いてあるのだから見ないのが正解だったのだ。きっと。
「いや、まだよ……まだ何か見落としている所があるはず……」
「とはいっても仕事用のパソコンですから。洋菓子やぬいぐるみがお気に入りと分かっただけで十分では……」
文の尖った耳がピクリと反応した。
「お気に入り……? それよ、それだわ!」
俄然、マウスを握る文の手にぐっと力が入る。見るべきは、インターネットブラウザーの履歴だ。幻想郷のネットワークはまだ河童のテリトリーを中心としたごく僅かにしか広がっていないが、限られた中でも物好きがいくつかのサービスを立ち上げているのだ。
「ま、まさかそんなはたてさんが、ふしだらなモノを見ているはずが! あの人は赤ちゃんも天魔様が運んでくると信じている純真無垢のはずなんだ!」
「……そうですね。ええっと、お気に入りをクリックして、その中の……」
何だかもう面倒になった文は椛の幻想郷をぶち壊してはいけないと聞き流す事にした。何だかんだ言って彼女も文のたどたどしい操作に釘付けだ。見られるものならはたてが見ているものを見たいのである。椛だって。
「……姥(うば)イーツ? 山姥のお手製料理を山中どこでもお届け? 何してるんですかネムノさんは」
しかしこれによって山から出ようとしないはたての引きこもりが加速したのも事実であった。
「ああ、坂田殿の料理は美味いですからね。私も何度か御馳走になりましたよ」
「そうですか? 私は喰らわされたのは包丁だけですよ」
「嫌われるような事をしたのでは? いつも通り」
「やれやれですよ。皆どうして被写体を拒否するのか……」
それから、一昔前ならよく見られたテキストサイトに、まとめブログ、食事処の評判をまとめた掲示板、河童の活動記録を収めた動画サイトなど。椛が期待していた耽美なお兄さんお姉さんがレスリングするサイトは、残念と言うべきか否か、とりあえず無かった。
「……あった! ヤマゾン、これだわ!」
大きなyの字に、にやけた口のような矢印のマーク。知っている者が見れば一発レッド永久出場停止級に攻めたロゴをクリックし、文はターンッと景気良くエンターを叩く。
「これは、商店ですか?」
「ええ、通信販売サイトです。カタログから選んだ物を自宅に届けてくれるとか、取材には答えていましたね。ま、山童が儲かったら癪なので詐欺が横行してるって書いておいたわ。記事は全然売れなかったけど」
お届けサービスなら幻想郷最速の天狗を頼るべきで、他が富を得るなんてもってのほか。やはり天狗はこういうところが天狗であった。
それはともかく、ブクマしているのだからはたても欲しい物があって見たはずだ。そうであればサイトには閲覧履歴が残っている。文はそこに目を付けたのだ。
「はたてが見たのは本当に欲しがっている物のはず。そこから傾向を掴めれば……」
「な、なるほど……!」
他人のプライバシーを覗き見している事はこの際忘れて、椛は素直に感嘆の声を上げた。
「ですが、これがはたての欲しい物? これってもしかして……」
「こちらも、はたてさんが……?」
文と椛はそれぞれ別の商品に対して首をひねった。ジャンルが全く違いながらもその品々には共通点があったのだ。それは何なのか、はたてが何のために購入したのか、互いの疑問視した物を見た二人はやがて理解した。
「うー……椛、一つ提案があるのですが」
「ええ、おそらく同じ考えかと」
そして長い葛藤の末、二人の贈り物は全く同じ結論に達したのである。反りの合わない二人だが、はたてを最も喜ばせるにはこれしかないと思ったのだ。
「はたて、これを受け取ってくれませんか。いや受け取りなさい」
それから数日後、妙に疲弊した烏と白狼の二人組がはたての席に押し掛けていた。
「ほえ? 貰っていいなら貰うけど、何でまた急に?」
はたてはラッピングされた袋をしげしげと見つめて小首を傾げた。
「たまには私からも贈り物をしたいと思いまして。ですがこういうのは不慣れなもので手伝っていただきました」
椛は間違ってはいないが前後を捻じ曲げて堂々と言い放った。
「ちょっと待ちなさい。私が!最初に贈り物の相談をしたんでしょうが。オプションなのは貴方の方です」
この期に及んでまだ自分だけはたての好感度を稼ぎたい二人を尻目に、はたては袋のリボンを解いて中を覗き込んだ。まさか帰るまで開けるなとは言われまい。
「あっ、可愛い! これ、もしかしなくても二人で作ったの!?」
「ええ、まあ……」と二人は気まずそうに互いから目を逸らした。
袋から広がるのは甘く香ばしい匂い。中に入っていたのは鳥や犬や猫などの顔を模した小麦粉の洋菓子、つまりは動物クッキーだ。動物と洋菓子が好きだからという、家探しまでしておいて実に安直な発想であった。
あの時、ヤマ……通販サイトではたてが探していたのは万年筆と砥石だった。それははたして原稿の執筆もデジタル派のはたてが買う物だろうか。否、これこそ文と椛がそれぞれ必要としている物だったのだ。
インクの出が悪いとボヤいていた文と、刀の切れ味を気にしていた椛の話を、はたてはしっかり覚えていた。結果として買わなかったのは品揃えの問題と、また文のゴシップ記事のせいでもある。
つまり、文・椛の両者と仲良くやっていきたいはたての意志を汲む為に、二人で協力しないと出来ない物を見せつけようと決めたのであった。これならはたてに贈れると文がやっと納得するまでに、極めて何か生命に対する侮辱を感じる物体が生まれたりと、いろいろ波乱は有ったのだがここでは割愛させていただく。
「へへ……ありがとね。それに何か安心したよ。二人って犬猿の仲だと思ってたから」
「誰が猿よ! ああいや、私もちょっとは借りがあるから、たまには、と思っただけで……」
「本当に苦労しましたよ。文さんたら凝り性で、なかなか合格を出さなくて……」
「文、さん? へー、ほほー?」
はたては椛の何気ない一語に目ざとく反応し、きょろきょろと二人の顔を見比べる。
「何よ別にいいでしょ、何度も射命丸様シャメーマルサマ言われてたらだんだん自分の名字が面倒臭くなってきたから。それにあんたが『さん』で私が『サマ』だと何か印象悪いじゃない」
ここまでを息継ぎ無しで言い切って、文は深い深呼吸をした。
「いやあ、もっと短い呼び名にしろと言うので射命丸と呼んだらヘラを振り回されましたよ。冗談でしたのに」
「お前は真顔で言うから分かんないのよ。真面目か不真面目かどっちかにして」
「分かったよ、射命丸」
椛は仮面が張り付いたような笑みを浮かべた。
「下手くそか! 笑顔も!」
「うーわ、文がキレてるー、ウケるー」
「こいつらは……!」
わなわなと拳を握りしめるが、今ここでぶん殴っては何もかもが台無しだと、文は最後の理性を働かせて何とか踏み止まった。シニカルに笑う椛と、猿のように顔を赤くする文の寸劇を、はたては心から楽しんでいる。だからこれで良いのである。
「ところではたてさん、この後のご予定は? 良いおでん屋台を見つけたので二人で一杯……」
「だーかーらー、抜け駆けするな狼が! おでんなんておじさん臭いのよりイタリアンはどう? 中有の道に出来たらしいのよ、賽是里屋とかいう店が……」
「おじさん臭くたって良いじゃないですか。無理に若者文化に染まろうとしたところで素の年齢は誤魔化せませんから」
「それは誰に対しての言葉ですかねぇえええ!?」
すっかり上司をおちょくり慣れしてしまった椛の成長に涙を浮かべつつ、モテ期到来のはたてが二人に対してお返事をしようと口を開いた、そんな時であった。
「いやあ、お待たせ姫海棠。長引いてすまんなあ」
「あっ、遅いですよ龍様ぁ~」
現れたのはお祭り大好き、麦飯大好き大天狗の飯綱丸龍だ。烏天狗を統率する立場にある彼女は、すなわち文やはたての上司に当たる。果てしなく嫌な予感しかしない文の表情が露骨に硬直した。
「おや、随分と少女趣味な小袋だな。そこの二人からか?」
「ふふふ、クッキーを貰っちゃいまして~」
「クッキーだぁあ……? おい気を付けろ、こいつの事だから変な薬を仕込んでるかもしれんぞ」
龍ははたて以外にも聞こえる露骨な声量でペラペラと耳打ちした。
「馬鹿言わないでくださいよ。やったとしたらそれは大天狗様の教育の賜物ですからね」
「私の言う事なんて聞きやしない不良天狗が何を抜かすのやら。なー姫海棠?」
はたてを挟んで文は龍とまで火花を散らしだした。つくづく身内に天敵の多い天狗である。
「おっと、こんな奴に構っている場合じゃないな。肉が待ってるから行こうじゃないか」
「はい、お供しまーす。というわけでね、龍様から先にしゃぶしゃぶ誘われててさー。今はどっちにも行けないんだよね、ごめんねー」
「あ……」
「ああ……」
これが数多の女をコマしてきた大天狗ムーヴだとでも言わんばかりに、龍ははたての肩に手を置いて見せ付ける。文と椛は寝てもないのに寝取られたような負け犬フェイスで口をあんぐりと開けるのであった。
「……あ。でもでも、よく考えなくてもみんなで食べた方が楽しいですよね、龍様?」
ところがどっこい、ここで一発逆転のボールをはたて自ら放り投げるのである。
「え? いや、今日は姫海棠と二人の気分だったんだがなー……」
「えー、ここで会ったが百年目って言うじゃないですかあ。四人で行きましょ?」
「ん、まあ、こいつらがそれでも良いと言うなら……」
ここで渋ればしみったれ大天狗に思われると危機感を抱いたか、ちらちらと文の顔に視線をやって決定権を押し付ける龍であった。
「はい? 私の意見なんかお気になさらず行きたくないならそう仰れば良いでしょうに」
「行きたくないなんて一言も言ってないが? 今日は二人のつもりだったというだけでお前たちも愛しているが?」
「まーたそういう調子の良い事を! しゃぶしゃぶとか言ってますけど本当にしゃぶるのは薄切り肉だけだったんですかねぇえ?」
「何だ? しゃぶってほしいのなら最初からそう言えば良いものを」
「聞きましたか皆さん! セクハラ、セクハラですよこれはぁ!」
言質が取れたと文は大げさに腕を振ってアピールする。しかし結露が発生しそうな程に文とそれ以外には温度差があった。
「椛はどう? 私達と一緒にご飯はイヤ?」
あっちは二人で楽しそうだからと、はたては椛の顔色を窺っていたのだった。
「嫌ではないですが、私は二人でしみじみと呑みたくて……」
「私も! たまには趣向を変えて洋食とワインで貴方と語り合おうと……」
先を越されてたまるかと、転身して二人の間に割り込む。文も自分で何がどう嫌で反対なのか分からなくなってきたのだが、とにかく椛と文に圧をかけられたはたてはぽかんと二人の顔を見比べ――。
「……ダメ?」
顔をきらきらさせて、手をぎゅっと胸の前で握りしめて、上目遣いに。これはもはや老若男女問わずの無差別破壊兵器である。
「行き……」
「ます……」
これに逆らえる者など、少なくとも天狗社会には一人も居ない。全く敵わない事を悟った二人は、自分達のこれまでの苦労を思い返して力なく微笑んでいた。
かくして大天狗様は、主に肉欲旺盛な椛のせいで予定の二倍以上の食事代を払う羽目になるのであった。
好意を伝えたいならつまらないプライドなど犬にでも食わせておくべし。文はそれを教訓として胸に刻み、一方でそんな犬の方はというと、その場のノリによっては本人の前で射命丸を射命丸と呼び捨てても良いのだと歪んだ理解をしたようである。
それはさておき、二人から愛の籠ったクッキーを貰い、思いがけず四人で食事と相成った姫海棠はたて。その満面の笑みは、鬱屈した感情を抱えた他三人を『まあこの顔が見れたからいいや』と思わせるには十分だったそうな。
白狼天狗の犬走椛は臆面もなくそう言い切った。いやイキったと言うべきか。
「そうですか。では貴方を犬鍋にして差し出せば、はたても喜んでくれますかね?」
烏天狗の射命丸文も表情を一切変えず、短刀の束に手を掛けた。
はたてとは、この二人共通の同胞である姫海棠はたてという烏天狗だ。曲者揃いの天狗の中では(比較的)ピュアな性格で、上からも下からも親しみやすいと評価が高い。言ってみれば狗サーの姫とも。
そのはたてのライバル新聞記者な文が今回、連続して当直番を代わってもらった礼がしたいと珍しく思い立ったのが事の始まり。
しかし普段から念写ばかりでまともな写真を撮らない引きこもりのひよっこの、(自分を棚に上げて)三流新聞記者と小馬鹿にしていた相手へのプレゼントである。いざ贈ろうと考えても何を、どんな顔をして、どのような関係になりたくて贈ればいいのか分からない。分からないったら分からない。
そんな慣れない事を考えたものだから、気の迷いでたまたま通りかかった反りの合わない相手に相談してしまったのがまた問題であった。
「……冗談はさて置きまして、はたてさんの好物ならば射命丸様の方が存じているのでは?」
「あいつに可愛がられている貴方なら意外な好みを知っているかも、とね。困った事に差し入れなら何でも喜ぶんですよ、あの天然娘」
あるいは喜んでいる振りが上手い、かもしれない。はたてだって人間の何倍も生きている妖怪だ。感情を隠して上位におべっかを使うぐらいは出来るだろう。
「ご期待に添えず申し訳ないですが、私もはたてさんから差し入れをいただいてばかりでして。事ある毎に干し肉を持ってくるのです」
ワンちゃんにはお肉。それは誰しもが考えることだ。もっともこれは組織の配給品であって、品質も最低限保証の域を出ていない。
――それでも、はたてさんから貰ったという事実だけで私には最高級の蜂蜜がかけられたように感じるのですがね。
椛は鼻息荒くそう語る。
「はいはい反吐が出そうですね。貴方も分からないとなると……望み薄ですが守矢神社か河童のアジトか」
「遠目で見ましたが、アジトは忌中と称してまた人体実験中でしたよ」
「奴らの科学信仰は欠片も理解できませんねえ……やはり風祝なら雰囲気も近いですし、彼女の奇跡に掛けてみるか……いや……」
山の頂上を眺めながらぶつぶつと自問自答する文だが、しかし思い立ったら即撮影をポリシーとする彼女にしては珍しい光景でもあった。幻想郷最速を自称する普段の文ならばその時間で守矢神社まで飛んでいけるのだから。
「……ご本人に聞くのは?」
「サプライズ感が無い。却下」
「では、射命丸様がご自分で考えたものが一番ではないかと……」
おそらくこのお局様はそう言って欲しいのだろうと、椛は声を低くして申し上げた。
「そうですよ。考えるまでもなく私が贈ればあいつは喜ぶはずなんですよ。なのに、どうして貴方に相談してしまったのか……」
そうなのである。傲岸不遜の域にまで達している自信家の文ならば、自分で適当に選んだ物をぽいと渡せばあっさり終わりのはずなのに。なのに悩んでしまった理由、それは文自身も薄々自覚はしているが認めたくない感情からであった。
「しかし、贈り物ですか。思えば私も貰ってばかりですし、何かお返しを考えるべきですね……」
それは文にとって全くもって空前絶後にぶっちゃけあり得ないほど聞き捨てならない言葉であった。
「はあ? 貴方が? はたてに? お返しを?」
「はあ、そうですが……いけませんか?」
――当たり前だ。えのころ飯にするぞ。
そう食って掛かりたいところだったがぐっと堪え。
「いや、いけない事はありませんよ? 受けた恩はお返しするのが当然でしょう」と涼しい顔をかろうじて作った。
当然なのだが、よりによって自分がお返しを考えているタイミングでそれを言うのが文的に問題なのだ。時期が近ければ比較対象にされる。自分の物よりも椛の方が喜ばれたりしたらプライドが傷付く。というかそうなる可能性が高い。本当になぜ今相談してしまったのか、文は心から後悔した。
「……大丈夫ですよね? という事でして、私も実地調査に行って参りますので失礼を」
「ま、待って。実地調査って何よ。どこに行くつもりなのよですか貴方は」
生真面目天狗の突拍子もない言葉に文の口調も若干怪しくなる。
「はたてさんの仕事場ですよ。百聞は一見に如かずと言いますし」
言われてみれば、はたてのデスクは小物やお菓子の袋やらでごちゃごちゃしている。普段はゴミ溜めにしか見えなかったが彼女の趣味嗜好を知るにはうってつけかもしれない。なにより今日のはたては休養日で絶好のチャンスでもあった。
「ああそうですか。しかし……白狼天狗の貴方が机を漁るとは感心しませんね。気になるようなら私が見てきますが?」
あくまで気の利く上司を装ったが、文の真意は重要そうな手掛かりがあったら握り潰して自分だけの物にする事だ。職権乱用である。
「いえいえ射命丸様の貴重なお時間は奪えません。大天狗様に確認して、それで駄目なようでしたら諦めますから」
大天狗は駄目だ。冷やりとした感触が文のこめかみを伝う。
あのお祭り好きで女にだらしない大天狗は、止めるどころか面白がって自ら参戦しかねない。そして大天狗が許可してしまえば文にはお手上げだ。となれば、文が取れる手は一つだった。
「いやいや大天狗様の手を煩わせるなどそれこそ言語道断ですよ。仕方ないのでこの射命丸文が監督の下でなら姫海棠はたての仕事場への立ち入りを許可します。そういう事ですから早速行きますよ。私の時間は一刻千金ですから、さあ、さあ」
「いや、ええ、まあ、はい」
来ないでいいんですけど。そう言われてしまう前に押し切った。
最近になって増築された新棟の一部屋、特務室。今どきの念写記者にしか出来ない仕事だからと、実質はたて一人に任されている場所だ。そこに向けて嫌々と、颯爽と、二人は飛び立つのであった。
「……ふんふん。これが、噂に聞くインターネットですか」
椛はブラウン管型モニターの匂いを嗅ぎながら聞きかじりの知識を披露した。画面焼けした焦げた臭いの中にほんの僅かだがはたてのエッセンスがある。彼女が使っているパソコンである事は間違いなかった。
「……はあ。いいですか、これはパソコンというやつです」
ゲーム機なら何でもファミコンと言ってしまうタイプの文が、モニターの方を指差して訂正する。
パソコンにプリンター、付箋だらけのディスプレイ、散乱するお菓子の袋と書き散らかしたボツ原稿、それと明らかに仕事とは関係無い動物の置物。はたてはほぼ自分しか使わないのを良いことにごちゃごちゃと私物を置いているのだった。
何故はたてしか使わないのか、それは『これちょっとコピー取ってきて~』の係が全部はたてに回ってくるからだ。老天狗達はコピー機が怖いのである。
「柿の種に、かりんとうに、酢の物……親父臭いわね」
「いえ、ほんのりと甘い酪の匂いもしますね。ケーキとかシュークリームとか……そのような物を持ち込んだのでは?」
「そんなの……見たことないですよ。あいつ、さては独り占めしていたか」
文は自身が最もフリーダムに山を離れているのも棚に上げて奥歯を噛んだ。
「はたてさんとは普段よく休憩を取るのですか?」
「しないけど、美味しそうな物は私にも献上するのが筋ってものでしょう?」
「ああ、そうですね」
だから射命丸様は射命丸なんだよなあと、凪のようなトーンで椛が相槌を打つ。
「しかし、隠れて食べるほど好きなら贈り物はその系統で間違いないでしょう。酪を用いた洋菓子、と」
「いいや、犬走は生クリームのように甘い。食べれば消えるものは所詮一時の喜びでしかないんですよ」
「では食物以外ですか? 可愛い小物が好きなのは確かでしょうが」
椛は机の脇に目をやった。鞠と戯れるアザラシや、微妙に腹の立つ顔の河童、リラックスポーズのクマのぬいぐるみなどが綺麗に並べられている。
「大天狗の管狐の溺愛ぶりより甘い。さっきも言いましたがサプライズ感が欲しいわけ。ぬいぐるみが好きだからぬいぐるみ? スイートなのは枕だけにしなさい」
「では何だったらいいって言うんですか?」
この烏天狗、ただ私の意見に反対したいだけではないか。苛立ちで椛の口調も荒れるが、文は全く気にせずパソコンの側面をとんとんと叩いた。
「その為のこいつでしょう。人にはあまり見せられない秘密がパソコンには眠っていると聞きますから」
「そ、それは……流石にはたてさん相手でもどうかと思うのですが?」
「はたての私物じゃないんだから問題無し。見られたくないものを官物に入れるのが悪いんです」
そもそも入れているかも定かでないままパソコンの電源ボタンを押した。文だって一応、使い方ぐらいは聞いている。どうせ自分は使う気無しと、メモを取る振りで新聞の原案を書いてはいたものの。
白い無機質な文字が真っ黒な画面を流れていき、続いて見覚えのある帽子のロゴが現れた。案の定、このパソコンも河童に作らせた物らしい。
「……パスワード?」
しかし早速壁にぶち当たった。はたてのアカウントを見る為には彼女が設定した英数字を入力しなければならない。
「こんなもの……あいつだから適当に誕生日とかに設定してるでしょう。というわけで椛、よろしく」
「いえ、私もはたてさんの誕生日は知りませんが……」
「はあ? 何で貴方が知らないんですか! 何のための犬ですか!」
「自分だって知らないくせに……」
「くっ……!」
しかし妖怪とはそういうものである。寿命が長すぎて一年毎に祝う気が起きない。そもそも生まれた時代に暦の概念が無かったり、違ったり。親が存在しないからいつ生まれたかを教えてもらえなかったり。
「何かこう……ヒントとか、どこかにあるはずよきっと。あいつ鳥頭だからパスワードなんて覚えていられるわけがないわ!」
「その理屈だと射命丸様も鳥頭じゃないですか」
「あのパッパラパーと一緒にするな!」
「そのパッパラパーの為にこんな所に来てるんじゃないですか」
ぱっぱと調べて撤収すべきところを不毛な会話で浪費する二人。念のためフォローしておくが、どちらもはたてに贈り物をしたいという一心だけは本物なのである。
ひらり。
その想いが通じたのか、あるいは穣りのない会話に山の神が辟易としたのか、救いの手が二人の前に舞い降りた。正しくは、パソコンに貼っていた付箋が振動で剥がれ落ちたと言うべきだが。
「HTT11MOFUMOFU……? まさか……」
謎の英語と数字の羅列。かろうじてセキュリティ教育を受けていた文にはピンと来た。絶対やってはいけない事その1、パスワードを見える所にメモしておく、である。
「ハ、タ、テ、ワン、ワン、モ、フ、モ、フ……おっ!」
両手の人差し指だけを使い、幻想郷最速が聞いて呆れるタイピングを披露した。その甲斐あって立ちはだかる断崖絶壁をどうにか乗り越える。そしてそんな二人を歓迎したのは、神々も恋した玄武の沢の絶景(の壁紙)だった。
「おお……凄い……!」
「まあね。そんじょそこらの天狗とはデキが違うからね」
せめてこの場にはたて本人か現代のJK経験者が居れば。そう願ってもここに突っ込みは不在である。
「ふんふん、うーん……あ、これなんか怪しいんじゃない?」
デスクトップに散らかったショートカットをカチカチと遠慮なくクリックしていき、文の目に止まったのは『極秘』と名付けられたフォルダだった。
「極秘……本当に極秘だとしたらそう名付けるでしょうか。もっとこう、隠すものかと……」
「だけどねえ、これを名付けたのもはたてよ?」
「まあ、確かにはたてさんですけど……」
そのはたての為に悩んでいる文は迷うことなく極秘フォルダをクリックした。
『見ないで』のフォルダ。カチカチとクリック。
今度は『見ちゃダメ』のフォルダ。お構いなしにクリック。
『ダメです』のフォルダ。またフォルダ。
「くどいのよ!」
無駄に階層の深い極秘フォルダの中身をカチカチカチカチカチカチと連打し、そしてついにその時が訪れた。
「JPG……ジパングですか?」
「いいや、これはきっと写真だわ」
最後に出てきたのは『秘』という名前の画像ファイルだった。
「ま、まさかはたてさんのあられもない姿がこれに……!」
「貴方って意外とむっつりですか。そんなもの、撮っても消すとは思うけど、でも……」
否応なしに期待せざるを得ないが、文には途轍もなく嫌な予感もあった。だがここまで来て見ない選択肢など無い。椛からのハッハッと荒い鼻息に身を捩らせつつ、マウスを2回連打した。
「――ハァ?」
憤怒、失望、嘲笑、落胆。それがごっちゃになった文の表情は、まるでひょっとこ面のようだったという。千里眼で様々なものを見てきた椛でも、この時の射命丸の顔を超える面白いものは無かったと後に語る。
大天狗、泥酔、酒瓶、半裸。
そこには真っ赤な顔で三脚の代わりに酒瓶を担いだ飯綱丸龍が、あの決めポーズの下着姿で寝っ転がる様子が納められていた。
「……まあ、確かに見ちゃダメですよね。勝手に期待した私達が悪いんですよ。きっと」
椛は仕方なしにその場の空気を取り繕った。
おそらく、念写で撮れたはいいが記事にするほどでもなく、かといって消すには何かもったいないからこのような処置をしたのであろう。見るなと書いてあるのだから見ないのが正解だったのだ。きっと。
「いや、まだよ……まだ何か見落としている所があるはず……」
「とはいっても仕事用のパソコンですから。洋菓子やぬいぐるみがお気に入りと分かっただけで十分では……」
文の尖った耳がピクリと反応した。
「お気に入り……? それよ、それだわ!」
俄然、マウスを握る文の手にぐっと力が入る。見るべきは、インターネットブラウザーの履歴だ。幻想郷のネットワークはまだ河童のテリトリーを中心としたごく僅かにしか広がっていないが、限られた中でも物好きがいくつかのサービスを立ち上げているのだ。
「ま、まさかそんなはたてさんが、ふしだらなモノを見ているはずが! あの人は赤ちゃんも天魔様が運んでくると信じている純真無垢のはずなんだ!」
「……そうですね。ええっと、お気に入りをクリックして、その中の……」
何だかもう面倒になった文は椛の幻想郷をぶち壊してはいけないと聞き流す事にした。何だかんだ言って彼女も文のたどたどしい操作に釘付けだ。見られるものならはたてが見ているものを見たいのである。椛だって。
「……姥(うば)イーツ? 山姥のお手製料理を山中どこでもお届け? 何してるんですかネムノさんは」
しかしこれによって山から出ようとしないはたての引きこもりが加速したのも事実であった。
「ああ、坂田殿の料理は美味いですからね。私も何度か御馳走になりましたよ」
「そうですか? 私は喰らわされたのは包丁だけですよ」
「嫌われるような事をしたのでは? いつも通り」
「やれやれですよ。皆どうして被写体を拒否するのか……」
それから、一昔前ならよく見られたテキストサイトに、まとめブログ、食事処の評判をまとめた掲示板、河童の活動記録を収めた動画サイトなど。椛が期待していた耽美なお兄さんお姉さんがレスリングするサイトは、残念と言うべきか否か、とりあえず無かった。
「……あった! ヤマゾン、これだわ!」
大きなyの字に、にやけた口のような矢印のマーク。知っている者が見れば一発レッド永久出場停止級に攻めたロゴをクリックし、文はターンッと景気良くエンターを叩く。
「これは、商店ですか?」
「ええ、通信販売サイトです。カタログから選んだ物を自宅に届けてくれるとか、取材には答えていましたね。ま、山童が儲かったら癪なので詐欺が横行してるって書いておいたわ。記事は全然売れなかったけど」
お届けサービスなら幻想郷最速の天狗を頼るべきで、他が富を得るなんてもってのほか。やはり天狗はこういうところが天狗であった。
それはともかく、ブクマしているのだからはたても欲しい物があって見たはずだ。そうであればサイトには閲覧履歴が残っている。文はそこに目を付けたのだ。
「はたてが見たのは本当に欲しがっている物のはず。そこから傾向を掴めれば……」
「な、なるほど……!」
他人のプライバシーを覗き見している事はこの際忘れて、椛は素直に感嘆の声を上げた。
「ですが、これがはたての欲しい物? これってもしかして……」
「こちらも、はたてさんが……?」
文と椛はそれぞれ別の商品に対して首をひねった。ジャンルが全く違いながらもその品々には共通点があったのだ。それは何なのか、はたてが何のために購入したのか、互いの疑問視した物を見た二人はやがて理解した。
「うー……椛、一つ提案があるのですが」
「ええ、おそらく同じ考えかと」
そして長い葛藤の末、二人の贈り物は全く同じ結論に達したのである。反りの合わない二人だが、はたてを最も喜ばせるにはこれしかないと思ったのだ。
「はたて、これを受け取ってくれませんか。いや受け取りなさい」
それから数日後、妙に疲弊した烏と白狼の二人組がはたての席に押し掛けていた。
「ほえ? 貰っていいなら貰うけど、何でまた急に?」
はたてはラッピングされた袋をしげしげと見つめて小首を傾げた。
「たまには私からも贈り物をしたいと思いまして。ですがこういうのは不慣れなもので手伝っていただきました」
椛は間違ってはいないが前後を捻じ曲げて堂々と言い放った。
「ちょっと待ちなさい。私が!最初に贈り物の相談をしたんでしょうが。オプションなのは貴方の方です」
この期に及んでまだ自分だけはたての好感度を稼ぎたい二人を尻目に、はたては袋のリボンを解いて中を覗き込んだ。まさか帰るまで開けるなとは言われまい。
「あっ、可愛い! これ、もしかしなくても二人で作ったの!?」
「ええ、まあ……」と二人は気まずそうに互いから目を逸らした。
袋から広がるのは甘く香ばしい匂い。中に入っていたのは鳥や犬や猫などの顔を模した小麦粉の洋菓子、つまりは動物クッキーだ。動物と洋菓子が好きだからという、家探しまでしておいて実に安直な発想であった。
あの時、ヤマ……通販サイトではたてが探していたのは万年筆と砥石だった。それははたして原稿の執筆もデジタル派のはたてが買う物だろうか。否、これこそ文と椛がそれぞれ必要としている物だったのだ。
インクの出が悪いとボヤいていた文と、刀の切れ味を気にしていた椛の話を、はたてはしっかり覚えていた。結果として買わなかったのは品揃えの問題と、また文のゴシップ記事のせいでもある。
つまり、文・椛の両者と仲良くやっていきたいはたての意志を汲む為に、二人で協力しないと出来ない物を見せつけようと決めたのであった。これならはたてに贈れると文がやっと納得するまでに、極めて何か生命に対する侮辱を感じる物体が生まれたりと、いろいろ波乱は有ったのだがここでは割愛させていただく。
「へへ……ありがとね。それに何か安心したよ。二人って犬猿の仲だと思ってたから」
「誰が猿よ! ああいや、私もちょっとは借りがあるから、たまには、と思っただけで……」
「本当に苦労しましたよ。文さんたら凝り性で、なかなか合格を出さなくて……」
「文、さん? へー、ほほー?」
はたては椛の何気ない一語に目ざとく反応し、きょろきょろと二人の顔を見比べる。
「何よ別にいいでしょ、何度も射命丸様シャメーマルサマ言われてたらだんだん自分の名字が面倒臭くなってきたから。それにあんたが『さん』で私が『サマ』だと何か印象悪いじゃない」
ここまでを息継ぎ無しで言い切って、文は深い深呼吸をした。
「いやあ、もっと短い呼び名にしろと言うので射命丸と呼んだらヘラを振り回されましたよ。冗談でしたのに」
「お前は真顔で言うから分かんないのよ。真面目か不真面目かどっちかにして」
「分かったよ、射命丸」
椛は仮面が張り付いたような笑みを浮かべた。
「下手くそか! 笑顔も!」
「うーわ、文がキレてるー、ウケるー」
「こいつらは……!」
わなわなと拳を握りしめるが、今ここでぶん殴っては何もかもが台無しだと、文は最後の理性を働かせて何とか踏み止まった。シニカルに笑う椛と、猿のように顔を赤くする文の寸劇を、はたては心から楽しんでいる。だからこれで良いのである。
「ところではたてさん、この後のご予定は? 良いおでん屋台を見つけたので二人で一杯……」
「だーかーらー、抜け駆けするな狼が! おでんなんておじさん臭いのよりイタリアンはどう? 中有の道に出来たらしいのよ、賽是里屋とかいう店が……」
「おじさん臭くたって良いじゃないですか。無理に若者文化に染まろうとしたところで素の年齢は誤魔化せませんから」
「それは誰に対しての言葉ですかねぇえええ!?」
すっかり上司をおちょくり慣れしてしまった椛の成長に涙を浮かべつつ、モテ期到来のはたてが二人に対してお返事をしようと口を開いた、そんな時であった。
「いやあ、お待たせ姫海棠。長引いてすまんなあ」
「あっ、遅いですよ龍様ぁ~」
現れたのはお祭り大好き、麦飯大好き大天狗の飯綱丸龍だ。烏天狗を統率する立場にある彼女は、すなわち文やはたての上司に当たる。果てしなく嫌な予感しかしない文の表情が露骨に硬直した。
「おや、随分と少女趣味な小袋だな。そこの二人からか?」
「ふふふ、クッキーを貰っちゃいまして~」
「クッキーだぁあ……? おい気を付けろ、こいつの事だから変な薬を仕込んでるかもしれんぞ」
龍ははたて以外にも聞こえる露骨な声量でペラペラと耳打ちした。
「馬鹿言わないでくださいよ。やったとしたらそれは大天狗様の教育の賜物ですからね」
「私の言う事なんて聞きやしない不良天狗が何を抜かすのやら。なー姫海棠?」
はたてを挟んで文は龍とまで火花を散らしだした。つくづく身内に天敵の多い天狗である。
「おっと、こんな奴に構っている場合じゃないな。肉が待ってるから行こうじゃないか」
「はい、お供しまーす。というわけでね、龍様から先にしゃぶしゃぶ誘われててさー。今はどっちにも行けないんだよね、ごめんねー」
「あ……」
「ああ……」
これが数多の女をコマしてきた大天狗ムーヴだとでも言わんばかりに、龍ははたての肩に手を置いて見せ付ける。文と椛は寝てもないのに寝取られたような負け犬フェイスで口をあんぐりと開けるのであった。
「……あ。でもでも、よく考えなくてもみんなで食べた方が楽しいですよね、龍様?」
ところがどっこい、ここで一発逆転のボールをはたて自ら放り投げるのである。
「え? いや、今日は姫海棠と二人の気分だったんだがなー……」
「えー、ここで会ったが百年目って言うじゃないですかあ。四人で行きましょ?」
「ん、まあ、こいつらがそれでも良いと言うなら……」
ここで渋ればしみったれ大天狗に思われると危機感を抱いたか、ちらちらと文の顔に視線をやって決定権を押し付ける龍であった。
「はい? 私の意見なんかお気になさらず行きたくないならそう仰れば良いでしょうに」
「行きたくないなんて一言も言ってないが? 今日は二人のつもりだったというだけでお前たちも愛しているが?」
「まーたそういう調子の良い事を! しゃぶしゃぶとか言ってますけど本当にしゃぶるのは薄切り肉だけだったんですかねぇえ?」
「何だ? しゃぶってほしいのなら最初からそう言えば良いものを」
「聞きましたか皆さん! セクハラ、セクハラですよこれはぁ!」
言質が取れたと文は大げさに腕を振ってアピールする。しかし結露が発生しそうな程に文とそれ以外には温度差があった。
「椛はどう? 私達と一緒にご飯はイヤ?」
あっちは二人で楽しそうだからと、はたては椛の顔色を窺っていたのだった。
「嫌ではないですが、私は二人でしみじみと呑みたくて……」
「私も! たまには趣向を変えて洋食とワインで貴方と語り合おうと……」
先を越されてたまるかと、転身して二人の間に割り込む。文も自分で何がどう嫌で反対なのか分からなくなってきたのだが、とにかく椛と文に圧をかけられたはたてはぽかんと二人の顔を見比べ――。
「……ダメ?」
顔をきらきらさせて、手をぎゅっと胸の前で握りしめて、上目遣いに。これはもはや老若男女問わずの無差別破壊兵器である。
「行き……」
「ます……」
これに逆らえる者など、少なくとも天狗社会には一人も居ない。全く敵わない事を悟った二人は、自分達のこれまでの苦労を思い返して力なく微笑んでいた。
かくして大天狗様は、主に肉欲旺盛な椛のせいで予定の二倍以上の食事代を払う羽目になるのであった。
好意を伝えたいならつまらないプライドなど犬にでも食わせておくべし。文はそれを教訓として胸に刻み、一方でそんな犬の方はというと、その場のノリによっては本人の前で射命丸を射命丸と呼び捨てても良いのだと歪んだ理解をしたようである。
それはさておき、二人から愛の籠ったクッキーを貰い、思いがけず四人で食事と相成った姫海棠はたて。その満面の笑みは、鬱屈した感情を抱えた他三人を『まあこの顔が見れたからいいや』と思わせるには十分だったそうな。
あなたの書く天狗組好きです!
めんどくさい奴らが本当にめんどくさくて最高でした
特に射命丸のムーブが最低過ぎてよかったです
文・椛・龍も三者三様にアクが強くて面白かったです。