私、メディスン・メランコリーは再思の道に来ていた。魔法の森と無縁塚とを繋ぐこの小さな道は、今の時期になると、両脇を真っ赤な彼岸花で埋め尽くされる。
頭上にある空は明るい。今は昼の2時頃だろう。
「貴方にするわ。」
私はそう言って一本の彼岸花の前に立つと、腰の高さほどの位置にある赤い花弁に向かって、右手を伸ばした。瞼を閉じ、球根から毒を吸い上げるイメージを思い描く。そうする事で、彼岸花の毒が私の躰内に移動する。
「これで先生は満足してくれるでしょうか?スーさん。」
十分な量の毒を躰に蓄えた私は、宙に向かって訊ねた。そして思い出した。彼女は無名の丘で休んでいる事を。
「そっか、今日は居ませんでしたね。」
私は、ふうとため息をついた。
「先生は私の仲間に……なってくれるのかしらねえ。」
人形の解放。それは私の悲願である。人形が人間から一方的に感情を押し付けられ、最後は捨てられる。そんな悲しい事が続いてはならない。だから、人形は人間から解放されるべきなのだ。
しかし、それを私1人で成し遂げるのは難しい。仲間が必要だ。その仲間作りの為、私は八意先生に毒を提供している。
正直、あまり効果は無い。彼女にとって、私はただの取引対象でしかないと……彼女の淡々とした態度を見れば分かる。
――毒では人の気は引けない。ならば、どうすれば……?
しゃがんだ姿勢で、彼岸花の茎を指先でいじりながらそう考えていると、草を踏む音が左から聞こえた。顔をそちらに向ける。
そこに立っていたのは、ブレザーを着た女子中学生、もしくは女子高校生だった。彼女はスクールバッグの、肩に掛けた持ち手を握り締め、額に汗を浮かべていた。
「あ……貴方は!こここに、住んでいる人ですかっ?」
制服を着た少女は、膝が内側に向けられた脚を震わせながら、私に声をかけた。私と彼女の間の距離は2メートルほどであり、そこから近づこうとはしない。
少女はその服装や動揺している様子からして、外の世界の人間だろう。私は立ち上がってスカートの表面をはたくと、彼女に向き直った。
「はい。私はこちらの世界に住んでいる者です。」
「は……?世界?」
「貴方はどこから来たんですか?」
私は興味本位で訊ねた。彼女の格好を見て、少し外の世界を懐かしく思ったのだ。
「私?私は、いつものように家を出て……学校に行こうとして。でも行ったっていじめられるから、わざと遠回りして歩いていたら、ここに着いたのよ。」
私の頭には、1つの可能性が浮かんでいた。それを口にする。
「貴方、死にたいと思ってる?」
少女は少し怯んだ様子を見せたが、返事をした。
「え、ええ。まあ……。」
――小野塚小町から聞いた話だ。
この再思の道には、外の世界から、自殺志願者が迷い込んでくる事があるという。この少女もそうなのだろう。
私は言った。
「ここの彼岸花は、貴方にとって毒ですよ。来た道を引き返してください。」
四季映姫の説教を受けてからの私は、毒による攻撃を控えるようにしていた。
「引き返してって……でもお……。」
少女が躊躇うのも無理は無い。学校でのいじめが嫌で、死にたくなって、ここに来たのだから。
「まあ、帰り辛いわよね。良かったら、うちにくる?そこで少し……。」
言いかけた私は、彼女のスクールバッグを見て黙った。
Dリング、キーホルダーやストラップを付ける輪っかの事だが、そこに結びつけられた紐の先に、何も付いていなかったのだ。私はDリングを指さしながら彼女に言う。
「それ。ストラップでしょ。付いていた物はどうしたの?」
少女はきょとんとした後、Dリングを見た。
「あ、あれ。ほんとだ。外れて何処かに落としちゃったのかな。」
「一緒に探してあげようか?」
私は死にたい少女に対して、優しい気持ちを抱いていた。
「いや、いいですよー。」
少女は手をヒラヒラと動かし、困ったような笑顔を浮かべながら言う。
「汚れてたし。気分転換に、新しい物を買います!」
その瞬間。私の心から、少女を憐れむ気持ちが消え去った。
毒を彼女の体に送りそうになる。だが、それはしなかった。『人間に対する憎しみの念を消すこと。』四季映姫から何度も言われたその言葉が、私を止めた。
「うっ……。」
突然、少女は胸を押さえ、息苦しそうに背中を丸めた。私はその姿を見て我に返った。
「だから言ったでしょう。ここの毒は貴方が耐えられるものじゃない。帰りなさい。」
言いながら、私もそろそろ離れないといけないなと思う。鈴蘭の毒をベースとして動いている私は、彼岸花の毒を大量に浴び続けてはいけないのだ。もし浴び続ければ、私は毒の塊になってしまう。
「か、帰りますう……。」
少女は死を意識した事で、生きたいと思ったのだろう。私に背を向けると、トボトボと歩き始めた。
私も彼女に背を向けた。彼女を視界に入れていると、いつ攻撃してしまうか分からなかった。
……それから一分と経たない内だった。
「きゃーーっ!!!」
少女の叫び声。私は反射的に振り向いた。
声のした方。空を見上げる。
「なっ……。」
私は、目の前の光景を見て驚愕した。
翼開長4メートルはあるだろう。茶色の羽を持つ巨大な鳥が、異様に大きく発達した鉤爪で、少女の胴体を掴んでいた。
「は、離してー!」
少女は懸命に、スクールバッグで鉤爪を叩き抵抗しているが、鳥は離す気配が無い。やがて、少女は力尽きたのか、スクールバッグの持ち手から手を離した。
私は反射的に右腕を前に伸ばし、鳥の真下に星型のバリアを展開させた。バッグはバリアの上にふわりと落ちた。中の物は壊れていないだろう。ほっと息をつく。
……さて、問題はこの、コンドルよりも大きな羽を持つ鳥である。妖怪なのか、ただの鳥なのかは分からないが、ここで奴を止めなければ、少女は攫われてしまうだろう。
攫われて…………それで、別にいいんじゃないか?
新しいストラップを買うと、笑顔で言ってのけた少女。恨む理由はあれど、助ける理由はどこにも……。
私がぼうっと突っ立っている間にも、鳥は上昇していく。私の頭は真っ白になり、瞼は完全に閉じられようとしていた。
「助けてっ!!」
その声で覚醒した私は、空を見上げた。鉤爪に掴まれた少女が、必死の形相で、私の顔を見下ろしている。
私と少女の目が合った時――私がかつて、人形達に仲間になってくれと呼び掛けた時の記憶が、呼び起こされた。
堆肥置き場で。魔法の森の入り口で。博麗神社の周りで。呼び掛けた。しかし応える人形は誰も居なかった。人形は、自分では動けないし話せないからである。
それが判っていても……私は泣いてしまった。助けて欲しい時に、誰も助けてくれない。それはとても悲しい事だった。
――私は奥歯を噛み締め、上空の鳥をきっと睨み付けた。私と同じ悲しみを、あの少女に味わわせたくない。
「今、助けるよ!!」
私はそう叫ぶと、両手を頭上に掲げた。躰内に溜めた彼岸花の毒を、手のひらの上に集めていく。毒の量が少なければ鳥を操れるが、今は鳥の体に毒がまわるのを待つ余裕が無い。やや多めの量の毒を、鳥目掛けて放った。
上昇を続けていた鳥は、木の高さを越した辺りでピタリと静止した。鳥の胴体が左右にフラフラと揺れた。羽に毒が付着したのだ。
鳥は獲物より保身を優先し、鉤爪に込める力を弛めた。少女が空から降ってくる。私はすぐさま、少女の方に向かって駆け出した。
星型のバリアは、2個同時に展開する事は出来ない。かと言って素手で少女を受け止めれば、彼女の皮膚が爛れてしまう。
私は走りながら、赤いスカートの生地を両腕で持ち上げた。少女が彼岸花の花弁に触れる前に、私はスカート越しに彼女の体を受け止めた。
急に脚を止める事は出来ず、走り続け、腰を落としつつ緩やかに減速した。地面に尻餅をつく。砂埃がもうもうと舞った。
私は空を見上げた。木々で囲まれた空に、鳥の姿は確認出来なかった。
私は次に、腕の中に居る少女を見た。彼女の頬は火照り、額には汗が浮き出て、目は潤んでいた。両手は胸の前で、固く握り締められている。
私は少女の体に外傷が無い事を確認すると、自分の手が彼女に触れないよう慎重に、彼女を地面の上に立たせた。
彼女に向かって、優しい口調で言う。
「貴方を攫おうとした鳥は去ったわ。安心して。」
放心している彼女を視界に入れつつ、私はスクールバッグに近寄り、持ち手を掴んだ。星型のバリアは消滅した。
「はい。貴方のバッグよ。」
私が渡したバッグを、彼女は両手で力無く受け取った。
「あ……あ……。」
「なに?」
目が泳いでいた少女は、ぎゅっと瞼をつむった。
「ありがとう、ございました……!私、怖くて怖くて。」
私はたじろいだ。人間から感謝された事が、今まであまり無かったからだ。
「あは、いや、どういたしまして。」
私は背中の後ろで手を組み、片方の爪先で土をいじった。
「あんな事があった後ですけど、帰れますか?」
私が少女に訊ねると、彼女はしばらくの間俯き、その後顔を上げてまっすぐに私の顔を見た。少女の口が開く。
「死にたいって気持ちは消えました。元の世界に戻ってもいいやって、思っています。でもその前に、貴方に恩返しがしたい!」
「お、恩返しい?」
私の口から、間抜けな声が出た。
「はい。貴方は私の……命の恩人ですから。」
少女の目は、きらきらと輝いていた。彼女はスクールバッグの持ち手を肩に掛ける。
「なんでも言ってください。私にできる事なら頑張ります!」
両手を握り締めて明るく言う彼女。断るのは失礼だろう。
「え、えーとねえ。それじゃあねえ。」
言葉に詰まった私は、この道に咲く彼岸花を見渡した。そもそも、ここに来た目的はなんだったか。それを思い出した私は、少女の顔を見て言った。
「私には夢があるの。それを叶える為に、貴方に協力して欲しいわ。」
「夢、ですか!協力しますよ!」
少女は快く承諾した後、自身の顔を指さした。
「あの、偶然ですけど私の名前、夢っていいます。よろしくお願いします!」
「夢さんね。私は、メディスン・メランコリーよ。よろしくね。」
「はい、メディスンさん!」
「とりあえず、この場所は離れましょうか。さっきみたいな奴がまた現れるかもしれないし。」
私は歩き出した。夢の横を通り過ぎようとした。
「あ、メディスンさん。土が……。」
夢が私のスカートに手を伸ばそうとするのを、私は制した。
「私に触らない方が良いわ。私の衣服にも。」
夢は、何故?と言いたげな目をしていた。私は努めて優しく言う。
「私は強力な能力を持っているの。さっき、貴方を捕まえた鳥に使ったようなね。その分、危険なのよ。」
夢は黙っていたが、頷いた。
「よく分からないけど、分かりました!」
この子はまだこちらの世界に来たばかりだ。これから知っていけばいい。私の躰の事も、幻想郷の事も。
私達は魔法の森の方面に向かって歩いていた。森は瘴気が酷いが、無縁塚よりは危険でないはずだ。夢に何かあっても、躰にある毒を薬として使えばいい。
「あ!」
森の入り口にさしかかった時、夢が声をあげてしゃがみこんだ。
「どうしたのよ。」
私は夢の前へと回り込み、彼女の手の中にある物を見た。それは、小さなテディベアだった。夢はそれを大事そうに胸の前に持っていく。
「良かった……これ、お父さんからのプレゼントで。そっか、ここで落としちゃったんだ。」
私は彼女のスクールバッグを見た。Dリングに結ばれた、飾りの無いストラップ。
「紐の先についていたのは……それだったのね。」
「はいっ!見つけられて、本当に良かったです。」
新しいストラップを買うと言った時の夢は、本当は不安で、慌てていたのだろう。
相手の言葉を真に受けるのは、良くないな。
「メディスンさん。」
夢は立ち上がりながら言う。
「どうしてあの時、助けてくれたんですか?」
「どうしてって……。」
予想外の質問に、言葉が出てこなかった。夢は地面に視線を落として言う。
「私が新しいのを買うって言った時、怒っているようでしたから。嫌われちゃったかなって。助けてって言ったけど、あまり期待はしていなくて。」
ばれていたのか。表情に出ていたのだろう。
「まあ、怒りの感情は湧いたわ。理由はおいおい話すとして。そうね、助けた理由は……。」
私は振り返り、再思の道に咲く彼岸花を見た。風が私の髪を揺らした。
「助けてって言って、助けてくれなかったら、悲しいじゃない。それだけよ。」
夢の顔を見る。呆けていた彼女だったが、次第に頬が薄紅色に染まった。
「そうですね。助けて貰えなかったら、すごく悲しかったと思います。」
夢も彼岸花へと視線を向ける。
「学校でいじめられて、助けてって友達や先生に言っても、誰も助けてくれませんでした。」
森から流れてきた瘴気が、この場の空気を重くしたように感じられた。
夢は私の顔を見る。
「でも貴方は……私と同じ悲しさを知っていて、助けてくれました。」
そう言って、夢はにこりと笑う。
――毒では人の気は引けない。ならば、どうすれば?
私はその問いへの答えを、心に深く刻み付けた。
来年は、彼岸花の毒を集めに来ないかもしれない。
頭上にある空は明るい。今は昼の2時頃だろう。
「貴方にするわ。」
私はそう言って一本の彼岸花の前に立つと、腰の高さほどの位置にある赤い花弁に向かって、右手を伸ばした。瞼を閉じ、球根から毒を吸い上げるイメージを思い描く。そうする事で、彼岸花の毒が私の躰内に移動する。
「これで先生は満足してくれるでしょうか?スーさん。」
十分な量の毒を躰に蓄えた私は、宙に向かって訊ねた。そして思い出した。彼女は無名の丘で休んでいる事を。
「そっか、今日は居ませんでしたね。」
私は、ふうとため息をついた。
「先生は私の仲間に……なってくれるのかしらねえ。」
人形の解放。それは私の悲願である。人形が人間から一方的に感情を押し付けられ、最後は捨てられる。そんな悲しい事が続いてはならない。だから、人形は人間から解放されるべきなのだ。
しかし、それを私1人で成し遂げるのは難しい。仲間が必要だ。その仲間作りの為、私は八意先生に毒を提供している。
正直、あまり効果は無い。彼女にとって、私はただの取引対象でしかないと……彼女の淡々とした態度を見れば分かる。
――毒では人の気は引けない。ならば、どうすれば……?
しゃがんだ姿勢で、彼岸花の茎を指先でいじりながらそう考えていると、草を踏む音が左から聞こえた。顔をそちらに向ける。
そこに立っていたのは、ブレザーを着た女子中学生、もしくは女子高校生だった。彼女はスクールバッグの、肩に掛けた持ち手を握り締め、額に汗を浮かべていた。
「あ……貴方は!こここに、住んでいる人ですかっ?」
制服を着た少女は、膝が内側に向けられた脚を震わせながら、私に声をかけた。私と彼女の間の距離は2メートルほどであり、そこから近づこうとはしない。
少女はその服装や動揺している様子からして、外の世界の人間だろう。私は立ち上がってスカートの表面をはたくと、彼女に向き直った。
「はい。私はこちらの世界に住んでいる者です。」
「は……?世界?」
「貴方はどこから来たんですか?」
私は興味本位で訊ねた。彼女の格好を見て、少し外の世界を懐かしく思ったのだ。
「私?私は、いつものように家を出て……学校に行こうとして。でも行ったっていじめられるから、わざと遠回りして歩いていたら、ここに着いたのよ。」
私の頭には、1つの可能性が浮かんでいた。それを口にする。
「貴方、死にたいと思ってる?」
少女は少し怯んだ様子を見せたが、返事をした。
「え、ええ。まあ……。」
――小野塚小町から聞いた話だ。
この再思の道には、外の世界から、自殺志願者が迷い込んでくる事があるという。この少女もそうなのだろう。
私は言った。
「ここの彼岸花は、貴方にとって毒ですよ。来た道を引き返してください。」
四季映姫の説教を受けてからの私は、毒による攻撃を控えるようにしていた。
「引き返してって……でもお……。」
少女が躊躇うのも無理は無い。学校でのいじめが嫌で、死にたくなって、ここに来たのだから。
「まあ、帰り辛いわよね。良かったら、うちにくる?そこで少し……。」
言いかけた私は、彼女のスクールバッグを見て黙った。
Dリング、キーホルダーやストラップを付ける輪っかの事だが、そこに結びつけられた紐の先に、何も付いていなかったのだ。私はDリングを指さしながら彼女に言う。
「それ。ストラップでしょ。付いていた物はどうしたの?」
少女はきょとんとした後、Dリングを見た。
「あ、あれ。ほんとだ。外れて何処かに落としちゃったのかな。」
「一緒に探してあげようか?」
私は死にたい少女に対して、優しい気持ちを抱いていた。
「いや、いいですよー。」
少女は手をヒラヒラと動かし、困ったような笑顔を浮かべながら言う。
「汚れてたし。気分転換に、新しい物を買います!」
その瞬間。私の心から、少女を憐れむ気持ちが消え去った。
毒を彼女の体に送りそうになる。だが、それはしなかった。『人間に対する憎しみの念を消すこと。』四季映姫から何度も言われたその言葉が、私を止めた。
「うっ……。」
突然、少女は胸を押さえ、息苦しそうに背中を丸めた。私はその姿を見て我に返った。
「だから言ったでしょう。ここの毒は貴方が耐えられるものじゃない。帰りなさい。」
言いながら、私もそろそろ離れないといけないなと思う。鈴蘭の毒をベースとして動いている私は、彼岸花の毒を大量に浴び続けてはいけないのだ。もし浴び続ければ、私は毒の塊になってしまう。
「か、帰りますう……。」
少女は死を意識した事で、生きたいと思ったのだろう。私に背を向けると、トボトボと歩き始めた。
私も彼女に背を向けた。彼女を視界に入れていると、いつ攻撃してしまうか分からなかった。
……それから一分と経たない内だった。
「きゃーーっ!!!」
少女の叫び声。私は反射的に振り向いた。
声のした方。空を見上げる。
「なっ……。」
私は、目の前の光景を見て驚愕した。
翼開長4メートルはあるだろう。茶色の羽を持つ巨大な鳥が、異様に大きく発達した鉤爪で、少女の胴体を掴んでいた。
「は、離してー!」
少女は懸命に、スクールバッグで鉤爪を叩き抵抗しているが、鳥は離す気配が無い。やがて、少女は力尽きたのか、スクールバッグの持ち手から手を離した。
私は反射的に右腕を前に伸ばし、鳥の真下に星型のバリアを展開させた。バッグはバリアの上にふわりと落ちた。中の物は壊れていないだろう。ほっと息をつく。
……さて、問題はこの、コンドルよりも大きな羽を持つ鳥である。妖怪なのか、ただの鳥なのかは分からないが、ここで奴を止めなければ、少女は攫われてしまうだろう。
攫われて…………それで、別にいいんじゃないか?
新しいストラップを買うと、笑顔で言ってのけた少女。恨む理由はあれど、助ける理由はどこにも……。
私がぼうっと突っ立っている間にも、鳥は上昇していく。私の頭は真っ白になり、瞼は完全に閉じられようとしていた。
「助けてっ!!」
その声で覚醒した私は、空を見上げた。鉤爪に掴まれた少女が、必死の形相で、私の顔を見下ろしている。
私と少女の目が合った時――私がかつて、人形達に仲間になってくれと呼び掛けた時の記憶が、呼び起こされた。
堆肥置き場で。魔法の森の入り口で。博麗神社の周りで。呼び掛けた。しかし応える人形は誰も居なかった。人形は、自分では動けないし話せないからである。
それが判っていても……私は泣いてしまった。助けて欲しい時に、誰も助けてくれない。それはとても悲しい事だった。
――私は奥歯を噛み締め、上空の鳥をきっと睨み付けた。私と同じ悲しみを、あの少女に味わわせたくない。
「今、助けるよ!!」
私はそう叫ぶと、両手を頭上に掲げた。躰内に溜めた彼岸花の毒を、手のひらの上に集めていく。毒の量が少なければ鳥を操れるが、今は鳥の体に毒がまわるのを待つ余裕が無い。やや多めの量の毒を、鳥目掛けて放った。
上昇を続けていた鳥は、木の高さを越した辺りでピタリと静止した。鳥の胴体が左右にフラフラと揺れた。羽に毒が付着したのだ。
鳥は獲物より保身を優先し、鉤爪に込める力を弛めた。少女が空から降ってくる。私はすぐさま、少女の方に向かって駆け出した。
星型のバリアは、2個同時に展開する事は出来ない。かと言って素手で少女を受け止めれば、彼女の皮膚が爛れてしまう。
私は走りながら、赤いスカートの生地を両腕で持ち上げた。少女が彼岸花の花弁に触れる前に、私はスカート越しに彼女の体を受け止めた。
急に脚を止める事は出来ず、走り続け、腰を落としつつ緩やかに減速した。地面に尻餅をつく。砂埃がもうもうと舞った。
私は空を見上げた。木々で囲まれた空に、鳥の姿は確認出来なかった。
私は次に、腕の中に居る少女を見た。彼女の頬は火照り、額には汗が浮き出て、目は潤んでいた。両手は胸の前で、固く握り締められている。
私は少女の体に外傷が無い事を確認すると、自分の手が彼女に触れないよう慎重に、彼女を地面の上に立たせた。
彼女に向かって、優しい口調で言う。
「貴方を攫おうとした鳥は去ったわ。安心して。」
放心している彼女を視界に入れつつ、私はスクールバッグに近寄り、持ち手を掴んだ。星型のバリアは消滅した。
「はい。貴方のバッグよ。」
私が渡したバッグを、彼女は両手で力無く受け取った。
「あ……あ……。」
「なに?」
目が泳いでいた少女は、ぎゅっと瞼をつむった。
「ありがとう、ございました……!私、怖くて怖くて。」
私はたじろいだ。人間から感謝された事が、今まであまり無かったからだ。
「あは、いや、どういたしまして。」
私は背中の後ろで手を組み、片方の爪先で土をいじった。
「あんな事があった後ですけど、帰れますか?」
私が少女に訊ねると、彼女はしばらくの間俯き、その後顔を上げてまっすぐに私の顔を見た。少女の口が開く。
「死にたいって気持ちは消えました。元の世界に戻ってもいいやって、思っています。でもその前に、貴方に恩返しがしたい!」
「お、恩返しい?」
私の口から、間抜けな声が出た。
「はい。貴方は私の……命の恩人ですから。」
少女の目は、きらきらと輝いていた。彼女はスクールバッグの持ち手を肩に掛ける。
「なんでも言ってください。私にできる事なら頑張ります!」
両手を握り締めて明るく言う彼女。断るのは失礼だろう。
「え、えーとねえ。それじゃあねえ。」
言葉に詰まった私は、この道に咲く彼岸花を見渡した。そもそも、ここに来た目的はなんだったか。それを思い出した私は、少女の顔を見て言った。
「私には夢があるの。それを叶える為に、貴方に協力して欲しいわ。」
「夢、ですか!協力しますよ!」
少女は快く承諾した後、自身の顔を指さした。
「あの、偶然ですけど私の名前、夢っていいます。よろしくお願いします!」
「夢さんね。私は、メディスン・メランコリーよ。よろしくね。」
「はい、メディスンさん!」
「とりあえず、この場所は離れましょうか。さっきみたいな奴がまた現れるかもしれないし。」
私は歩き出した。夢の横を通り過ぎようとした。
「あ、メディスンさん。土が……。」
夢が私のスカートに手を伸ばそうとするのを、私は制した。
「私に触らない方が良いわ。私の衣服にも。」
夢は、何故?と言いたげな目をしていた。私は努めて優しく言う。
「私は強力な能力を持っているの。さっき、貴方を捕まえた鳥に使ったようなね。その分、危険なのよ。」
夢は黙っていたが、頷いた。
「よく分からないけど、分かりました!」
この子はまだこちらの世界に来たばかりだ。これから知っていけばいい。私の躰の事も、幻想郷の事も。
私達は魔法の森の方面に向かって歩いていた。森は瘴気が酷いが、無縁塚よりは危険でないはずだ。夢に何かあっても、躰にある毒を薬として使えばいい。
「あ!」
森の入り口にさしかかった時、夢が声をあげてしゃがみこんだ。
「どうしたのよ。」
私は夢の前へと回り込み、彼女の手の中にある物を見た。それは、小さなテディベアだった。夢はそれを大事そうに胸の前に持っていく。
「良かった……これ、お父さんからのプレゼントで。そっか、ここで落としちゃったんだ。」
私は彼女のスクールバッグを見た。Dリングに結ばれた、飾りの無いストラップ。
「紐の先についていたのは……それだったのね。」
「はいっ!見つけられて、本当に良かったです。」
新しいストラップを買うと言った時の夢は、本当は不安で、慌てていたのだろう。
相手の言葉を真に受けるのは、良くないな。
「メディスンさん。」
夢は立ち上がりながら言う。
「どうしてあの時、助けてくれたんですか?」
「どうしてって……。」
予想外の質問に、言葉が出てこなかった。夢は地面に視線を落として言う。
「私が新しいのを買うって言った時、怒っているようでしたから。嫌われちゃったかなって。助けてって言ったけど、あまり期待はしていなくて。」
ばれていたのか。表情に出ていたのだろう。
「まあ、怒りの感情は湧いたわ。理由はおいおい話すとして。そうね、助けた理由は……。」
私は振り返り、再思の道に咲く彼岸花を見た。風が私の髪を揺らした。
「助けてって言って、助けてくれなかったら、悲しいじゃない。それだけよ。」
夢の顔を見る。呆けていた彼女だったが、次第に頬が薄紅色に染まった。
「そうですね。助けて貰えなかったら、すごく悲しかったと思います。」
夢も彼岸花へと視線を向ける。
「学校でいじめられて、助けてって友達や先生に言っても、誰も助けてくれませんでした。」
森から流れてきた瘴気が、この場の空気を重くしたように感じられた。
夢は私の顔を見る。
「でも貴方は……私と同じ悲しさを知っていて、助けてくれました。」
そう言って、夢はにこりと笑う。
――毒では人の気は引けない。ならば、どうすれば?
私はその問いへの答えを、心に深く刻み付けた。
来年は、彼岸花の毒を集めに来ないかもしれない。
様々な思いの中で揺れ動くメディスンが魅力的でした
やりたかったことはすごくわかりやすかったので読みやすくなったように感じました。
作者さんのメディに対する愛が強いのはわかるのですが
それがやっぱり作者まで追いついて来ないのと
若干周りの舞台装置感が少し気になりました。