「うおぉおあああああああああああああああああああああああああああああああぁーーっ!!」
霧雨魔理沙の家に少女の咆哮が響き渡る。声の主は霧雨魔理沙その人だ。
「何なのよ。一体どうしたのよ?」
窓辺で優雅にアフタヌーンティーをお供に読書に耽っていたアリス・マーガトロイドが不機嫌そうに尋ねると、魔理沙はこの世の終わりが来たかと思えるような表情で答える。
「……ああ、聞いてくれよ。アリス。やっちまったんだ!」
「やっちまったんだって……何をよ?」
アリスは話に専念するためか、本をパタンと閉じる。このとき、きちんと栞を挟むあたり、彼女がしっかりものであることを物語っている。
「アリス! 教えてくれ! 私は何日間キノコだけを食べ続けていた!?」
「えーと……そうね。ざっとふた月くらいかしら。つまり大体六十日前後ってとこね」
「ああ、やっぱりそうか……!! なあ、聞いてくれアリス!」
「だから何よ」
魔理沙は頭を抱えてうずくまりながらアリスに告白する。
「あああ……ずっと黙っていたんだが、実は私はな。キノコを食べ続け過ぎると、ある『発作』が起きてしまう体質なんだ……!」
「何よ、発作って。まさか食い煩いでも起きるとか?」
「おお、さすが私の認めた女。いい線いってるぞ!」
「は……?」
半ば、冗談半分の当てずっぽうで言ったことが本当に近いということに思わず困惑の表情を浮かべるアリス。かまわず魔理沙は続ける。
「そうだ……! 私はキノコを食べ続け過ぎると、あるものが無性に食べたくなるんだよ! キノコを食べ続けた反動でな……!!」
「あるものって何よ?」
「勘のいいおまえならわかんだろ。キノコと正反対の高カロリーなアレだ」
「……ああ、もしかして……肉?」
「イエェエエエス!! イエス!! イエェエエエーーースッ!!」
魔理沙は耳をつんざくような大声で叫ぶ。思わずアリスは耳を塞ぐ。
「……っつぅ……急に大声出すんじゃないわよ!? 鼓膜破れたらどうするのよ……!?」
「さあ、アリス! 肉をくれ! 私に肉を!! ギブミーミート!! アイウォンチューミート! ジャストミートォオオオオ!!」
魔理沙はアリスの抗議など上の空な様子で、大声で肉を求め続けている。
「はぁ……確かにこれは発作ね」
アリスは額を抑え、呆れながら食材庫の方へ向かう。しかしあいにく生肉は切らしてしまっていた。それはアリスがミートパイの材料にしてしまったからだ。そしてそのミートパイも、もうアリスが全部食べ切ってしまっていた。
「おまたせ。こんなのしかなかったけどいいかしら?」
アリスは魔理沙に、食材庫から持ってきた、なけなしのイノシシの干し肉を見せる。
「うぉおおおおぅ! 肉ぅうう!!」
魔理沙はアリスが思わずおののくくらいの勢いで、それをむさぼりあっという間に食べ尽くしてしまう。
「……ま、満足できたかしら?」
「足りん!! 全然足りんぞ!!」
「まあ、多分そうだと思ったけど、もう家に肉はないわよ?」
「NOォオオオーーーーーーーーーーッ!!?」
よほどショックだったのか、魔理沙は思わず頭を抱えて崩れ落ちてしまう。見かねたアリスは諭すように魔理沙に伝える。
「あのねぇ、元はと言えば、あんたが『ダイエットするぜ! 私はしばらくキノコ以外は勝たん!』とか言って、キノコしか食べていなかったのが原因でしょ。やっぱり食事ってのはバランス良く食べないと、どこかで弊害が起きるもの……」
「なぁああああ、アリスぅううう……!!」
「な、何よ……。急に怖い声だして」
「ライフ・オア・ミィイーートォオオ!! 肉を差し出さないとおまえの寿命を……」
「やかましい!!」
魔理沙はアリスに家から追い出されてしまった。
▽
「……まったく、おかしいだろ? なんで私の家から私が追い出されなくちゃいけないんだ……あいつは何様のつもりだ?」
ブツブツ文句を言いながら魔理沙は肉を求めて森の中をさまよう。しかし見渡せど見渡せど、辺りにあるのは極彩色のキノコばかり。カロリーのカの字もない。そもそも魔法の森に肉要素は皆無に等しい。それこそ虫でもつかまえて食うしかない。しかし、あいにく昆虫ごときのしみったれたタンパク質では、彼女の欲求はとても満たされそうもない。
今の彼女にはあふれんばかりの肉、そう例えるなら、血の滴るようなステーキを五枚も六枚も食べないと、この「肉欲」のデバフは解除できないのだ。
しかしだからと言って、霊夢の家に行ったところで肉にありつけるとは到底思えない。というのも彼女にとってステーキは肉などではなく、豆をすりつぶして焼いたもの。そんな上品で奥ゆかしい植物性のタンパク質など今は求めていない。今は、もっと荒々しい野性味あふれるギトギトの動物性のヤツを体は欲しているのだ。
彼女がふらつきながらたどり着いたのは妖怪の山。
彼女の欲求はもう限界だった。
「うぉおおおおおおおおおおおああああああにくよこせぇぁあああーーーー!!」
彼女が雄叫びを上げながら向かった先は、秋穣子と秋静葉の秋神姉妹の住処。
「なくこはいねがー! にくよこせぇえええ!!」
「ひゃああああああああ! ちょっと、お姉ちゃんなんか来たぁーーー!?」
突然の来訪者の襲撃に、二人は思わずハンズアップの構えをとる。
「にくにくにく292929292929292929ーーーーじゅうはちぃーーー!!」
「なによこれぇー!? なんか怖いんだけど!?!?」
「あれは……っ! 【妖怪肉よこせ】!」
「え、知っているの!? お姉ちゃんっ!?」
「ええ……時折、妖怪の山に出没すると言い伝えられている幻の妖怪で、肉を求めて誰彼かまわず襲ってくるという恐ろしい妖怪よ!」
「なんて恐ろしいっ! そんなのが私たちのところに来るなんて、い、一体どうすればいいの!?」
「穣子! 家にある肉をありったけ持ってくるのよ!」
「うん、わかった!」
穣子は慌てて台所へ駆け込むと、布袋を携えて戻ってくる。
「よーし、これで……!」
と、静葉が布袋に手を入れると何やらざらざらとした触感。
「……そうそう、この青々とした丸い粒一つ一つにね。農家の愛っていうのがこもっているのよ。……って違う!? 穣子! これ大豆じゃないのよ!? 肉はどうしたのよ!」
「え、だって、豆は畑のお肉って言うでしょ?」
「あれは例えなのよ。肉と同じくらい栄養があるっていう。そうじゃなくて本物の肉よ! 生き物の肉! 干し肉とかあったでしょ!?」
「ごめん。昨日椛にあげちゃったの。部屋の片付け手伝ってくれたお礼に」
「うぉおおおおおお!!!にく!! にく!! にく!!にくそんだいとうりょーーーーー!!」
「……くっ……かくなるうえは!」
静葉は荒ぶる【妖怪】をキッとにらみ、大豆をわしづかみにして投げつけ始める。
「そりゃー! 肉はー外! 肉はー外! 肉はー外ぉー!」
神様の腕力で思いっきり豆をぶつけられた彼女は「うわっ! これは辛抱たまらん!! なんてにくらしいんだ!」と、捨て台詞を残し一目散に家から逃げ出す。
こうして姉妹に平和が戻り、そして【妖怪肉よこせ】退治の伝説が生まれることになるのだが、それはまた別のお話である。
「ニクー……ニクー……」
這々の体で秋姉妹の住処から逃げ出してきた魔理沙は、すでに満身創痍だった。余計なことなどせずにおとなしく獣でも狩っていれば、今頃肉にありつけていたかもしれない。しかし、今更後悔したところで後の祭り。彼女にはもう獣を狩る体力はおろか、歩く元気すらなかった。
とうとう力尽きた彼女はその場に倒れ込んでしまう。そして「ああ、ただ肉の海に埋もれていたいだけの人生だった」と、ゆっくりと目を閉じようとしたそのときだ。
「どうしたんだ。こんなとこで横なんかなって」
声に気づいた魔理沙がうっすら目を開けるとそこには、大きな鉈を持った山姥、坂田ネムノの姿があった。
「どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
「……ニク ホシイ ニク タベタイ……アアア……」
「肉? なんだおめぇ肉が欲しいのか。なら、うちさ来い。いい肉あっから」
その言葉を聞いた魔理沙は、思わず目を見開いて立ち上がる。
「なにぃ! 肉があるのかっ……!?」
「うわあっ!?」
驚いたネムノは思わずとっさに鉈を振りかざしてしまう。
「うわぁっ!?」
間一髪で魔理沙はそれをグレイズする。
「あ、すまねぇだべ……まったく、急に立ち上がらんでくれ。心臓に悪ぃべ?」
「ああ、すまん。私も肉と聞いてつい興奮してしまったんだぜ」
とにもかくにもこれでやっと肉にありつける。彼女は鉈がグレイズしてヒリヒリする肩、もとい、肉の部位で言うところの肩ロースの部分をさすりながら、期待を胸にネムノの家に向かった。
▽
▽
「さあ、家に着いたぞ! 肉だ! 肉はどこだ! どこだ!?」
「まあまあ、そう慌てんなって。よく言うべ? 慌てる乞食はもらいが少ないって」
「ア、ハイ……」
彼女の家に着くなり、家の中を物色しようとした魔理沙をネムノは鉈をちらつかせながら諫める。
「……ちょうど家の裏に、昨日仕留めた熊吊してあっから、そいつを食うベ」
「熊か! それはいい! 今の私の欲求を満たすにはうってつけの食材じゃないか!」
確かに魔理沙は肉を欲していた。しかしイノシシ肉では風味に乏しく、鹿肉ではやや脂っ気が物足りない。そんな中、熊肉は野性味が強く、脂もイノシシや鹿に比べて多い、まさに彼女が求めていた理想の肉だった。
期待を胸に家の裏へ回ると、吊された熊の姿があった。その大きさはゆうに八尺を超えるほどの大きさだ。それを見た魔理沙は思わず目を丸くする。
「こいつは……なかなかの大物じゃないか!?」
「そうだべ? こいつ仕留めるのなかなか骨折れたぞ」
そう言ってネムノは自慢げに笑う。
「皮はぎと血抜きはもうすんであるから、あとは解体するだけだべ」
「え、今から解体するのか? それって時間かかるんじゃ」
「なあにすぐだ」
「手伝うか? 一応私も心得はあるが……」
「いいからおめぇは黙って見てろ」
そう言ってネムノは鉈を熊の腹に差し込むと、慣れた手つきで捌き始める。するとみるみるうちに腕と足がバラされ、大きな熊が解体されていく。その手さばきたるや、まるで魔法を使っているようだ。
魔理沙がその様子に思わず見とれながら、ああそうだ。肉を解体する魔法とかあったら実は便利じゃないか? よし、今度研究してみるか。アリスのやつは手伝ってくれそうもないけど。などと、考えているうちに熊の解体ショーは終わってしまった。
「うおー!? すごいぜ! あの大きな熊があっという間に食材になっちまった!」
「うちにまかせりゃざっとこんなもんだ。んじゃ、早速焼くとするべ。今、焼き器用意すっからな」
得意げな様子で笑みを浮かべながらネムノは物置の方へ姿を消す。魔理沙は捌かれた熊肉を垂涎の眼差しで見つめている。
……ああ、この目が醒めるような肉の赤身。まさに新鮮な肉の証。当然だ。今この場で捌かれたばかりなのだから。それに獣臭さもほとんど感じない。しっかりと血抜きがされているようだ。熊の肉は血抜きをしっかりしないとすぐに獣臭くなるものだが。これぞ職人技というもの。そしてこの赤身と白い脂身のコントラストの美しさ。まるで芸術品のようだ。今の季節の熊は冬ほど脂身はないが、その分食べやすい。こいつを極上の炭火で焼いたらどんなに美味いことだろうか。あああああ……っ! 早く食べたいっ!
魔理沙は、はやる気持ちを抑えきれず思わず唾を飲み込む。
「おまたせしたべ。さあ、こいつで焼くとするベ」
そう言ってネムノが持ってきたのは何やら金属製の機械のようなもの。思わず目が点になってしまった魔理沙は恐る恐る尋ねる。
「お、おい……それは一体?」
ネムノは笑顔で答える。
「こいつは山の沢河童からもらったとっておきの焼き器だべ。名前は『ろおすたあ』とか言ったか」
「え……?」
「こいつを使うと肉が素早く中まで火が通って美味いんだベ」
「ああ……」
「なんでも遠赤外線だかなんだかが、肉を美味くしてくれるっていう。はいからなしろもんだべ」
「……違うんだ」
「ん? どしたんだ。顔を真っ赤にして」
「違うんだよ母ちゃん!!!!」
魔理沙はとっさに熊肉を脇に抱えると、その場から飛び去ろうとする。
「あ、こら!? おめぇ! この! 待て! この肉泥棒め!!」
ネムノは鉈を次々とぶん投げなげて魔理沙を追いかけてくる。
「違うんだーーーー!!! そうじゃないんだーーー!! 私は悪くない!!」
魔理沙はなぜかホーミングしてくる鉈の群れを巧みにグレイズしながら片手で八卦炉を構える。
「滅びよ人類!!」
八卦路からマスタースパークがドォーーーンと放たれ、バァーーーンと炸裂し、ドカァーンと、鉈もろともネムノは吹っ飛んだ。
魔理沙はそのまま一目散に帰路へつき、家に着くなり玄関のドアを豪快にぶち開けると、アリスを呼び叫んだ。
「おぉーーい!! アリスぅううううう!!!」
窓際で読書の続きに勤しんでいたアリスは、突然の大声に慌てて玄関へやってくる。
「なにごとなの!? って、どうしたのよ!? そんなボロ雑巾みたいな姿で」
「いいから七輪と備長炭を用意しろ!! 今すぐだぁああああああああーーーっ!!!」
▽
▽
▽
すっかり夜闇に落ちた静寂の森の中に、パチパチと炭のはじける乾いた音が響き渡る。辺りには肉の焼けるなんとも香ばしい香りが漂う。その香りは、たとえ飯を食事を終えたばかりで満腹だったとしても、これを嗅げばたちどころに再び食欲が湧き出てくるようなそんな魔性の芳香。
魔理沙は今まさに焼き上がったばかりの熊肉に、塩をひとつまみ振りかけて一口で頬張る。しっかりとした歯ごたえのある肉を噛みしめるたびに、肉の旨みとほのかな甘みを含んだ肉汁が口いっぱいに広がり、焼けた肉の芳香が鼻腔を貫く。美味い肉というのは、赤身はもちろん、脂もまたこの上なく美味なのだ。
魔理沙は、まるでこの世の全ての贅を謳歌するかのような面持ちで、満足そうに言う。
「……ああ、これだよ。この野性味あふれる極上の肉を極上の炭火で焼き、静かにゆっくりと味わい浸る贅沢なひととき……これぞ私の求めていた理想の焼き肉だったんだよ……!」
「はいはい、よかったわね」
と、アリスはぶっきらぼうに返しながらも、ニンニク醤油をたっぷりつけた肉を口に運ぶと、これは意外といった様子で頷く。
「……へえー。熊肉ってこんなに美味しかったのね。これなら私でも食べられるわ。もっと獣臭いと思ったから、一応におい消しにニンニク多めにつけたんだけど、全然臭みなんかないし」
「だろ? いくらでも食えるぜ」
「……あんたどこでこんないい肉仕入れてきたのよ?」
「へへへ……それは企業秘密なんだぜ」
そう言って魔理沙は、ニカっと笑みを浮かべると、皿に取った肉を口に運ぶ。
昼間のけたたましさが嘘のように、夕食の時間は穏やかに流れていった。
「……あぁー食べた食べた! もう満腹だ!」
熊肉をたらふく食べた魔理沙は、そう言うとその場に横になる。
「ねえ、ちょっと! あんたも片付け手伝いなさいよ」
「食べて満足したら眠くなってしまったぜ。後は頼んだぜアリス……」
言ってるそばから彼女はすうすうと眠ってしまう。
「……まったくもう、食欲が満たされたら次は睡眠欲ってわけ? 本当、欲に忠実なことで……」
そこまで言ってアリスはハッと気づく。食欲が満たされ、睡眠欲が満たされたら次にくるのは。
「……ま、別にいいけど……さ」
そう呟くと彼女は気恥ずかしくなったのか、顔を赤らめ、思わず寝ている魔理沙から目をそらす。そして再び彼女を見直してほほ笑むと、初秋の淡い月明かりに照らされながら、夕食の片付けを一人、始めるのだった。
霧雨魔理沙の家に少女の咆哮が響き渡る。声の主は霧雨魔理沙その人だ。
「何なのよ。一体どうしたのよ?」
窓辺で優雅にアフタヌーンティーをお供に読書に耽っていたアリス・マーガトロイドが不機嫌そうに尋ねると、魔理沙はこの世の終わりが来たかと思えるような表情で答える。
「……ああ、聞いてくれよ。アリス。やっちまったんだ!」
「やっちまったんだって……何をよ?」
アリスは話に専念するためか、本をパタンと閉じる。このとき、きちんと栞を挟むあたり、彼女がしっかりものであることを物語っている。
「アリス! 教えてくれ! 私は何日間キノコだけを食べ続けていた!?」
「えーと……そうね。ざっとふた月くらいかしら。つまり大体六十日前後ってとこね」
「ああ、やっぱりそうか……!! なあ、聞いてくれアリス!」
「だから何よ」
魔理沙は頭を抱えてうずくまりながらアリスに告白する。
「あああ……ずっと黙っていたんだが、実は私はな。キノコを食べ続け過ぎると、ある『発作』が起きてしまう体質なんだ……!」
「何よ、発作って。まさか食い煩いでも起きるとか?」
「おお、さすが私の認めた女。いい線いってるぞ!」
「は……?」
半ば、冗談半分の当てずっぽうで言ったことが本当に近いということに思わず困惑の表情を浮かべるアリス。かまわず魔理沙は続ける。
「そうだ……! 私はキノコを食べ続け過ぎると、あるものが無性に食べたくなるんだよ! キノコを食べ続けた反動でな……!!」
「あるものって何よ?」
「勘のいいおまえならわかんだろ。キノコと正反対の高カロリーなアレだ」
「……ああ、もしかして……肉?」
「イエェエエエス!! イエス!! イエェエエエーーースッ!!」
魔理沙は耳をつんざくような大声で叫ぶ。思わずアリスは耳を塞ぐ。
「……っつぅ……急に大声出すんじゃないわよ!? 鼓膜破れたらどうするのよ……!?」
「さあ、アリス! 肉をくれ! 私に肉を!! ギブミーミート!! アイウォンチューミート! ジャストミートォオオオオ!!」
魔理沙はアリスの抗議など上の空な様子で、大声で肉を求め続けている。
「はぁ……確かにこれは発作ね」
アリスは額を抑え、呆れながら食材庫の方へ向かう。しかしあいにく生肉は切らしてしまっていた。それはアリスがミートパイの材料にしてしまったからだ。そしてそのミートパイも、もうアリスが全部食べ切ってしまっていた。
「おまたせ。こんなのしかなかったけどいいかしら?」
アリスは魔理沙に、食材庫から持ってきた、なけなしのイノシシの干し肉を見せる。
「うぉおおおおぅ! 肉ぅうう!!」
魔理沙はアリスが思わずおののくくらいの勢いで、それをむさぼりあっという間に食べ尽くしてしまう。
「……ま、満足できたかしら?」
「足りん!! 全然足りんぞ!!」
「まあ、多分そうだと思ったけど、もう家に肉はないわよ?」
「NOォオオオーーーーーーーーーーッ!!?」
よほどショックだったのか、魔理沙は思わず頭を抱えて崩れ落ちてしまう。見かねたアリスは諭すように魔理沙に伝える。
「あのねぇ、元はと言えば、あんたが『ダイエットするぜ! 私はしばらくキノコ以外は勝たん!』とか言って、キノコしか食べていなかったのが原因でしょ。やっぱり食事ってのはバランス良く食べないと、どこかで弊害が起きるもの……」
「なぁああああ、アリスぅううう……!!」
「な、何よ……。急に怖い声だして」
「ライフ・オア・ミィイーートォオオ!! 肉を差し出さないとおまえの寿命を……」
「やかましい!!」
魔理沙はアリスに家から追い出されてしまった。
▽
「……まったく、おかしいだろ? なんで私の家から私が追い出されなくちゃいけないんだ……あいつは何様のつもりだ?」
ブツブツ文句を言いながら魔理沙は肉を求めて森の中をさまよう。しかし見渡せど見渡せど、辺りにあるのは極彩色のキノコばかり。カロリーのカの字もない。そもそも魔法の森に肉要素は皆無に等しい。それこそ虫でもつかまえて食うしかない。しかし、あいにく昆虫ごときのしみったれたタンパク質では、彼女の欲求はとても満たされそうもない。
今の彼女にはあふれんばかりの肉、そう例えるなら、血の滴るようなステーキを五枚も六枚も食べないと、この「肉欲」のデバフは解除できないのだ。
しかしだからと言って、霊夢の家に行ったところで肉にありつけるとは到底思えない。というのも彼女にとってステーキは肉などではなく、豆をすりつぶして焼いたもの。そんな上品で奥ゆかしい植物性のタンパク質など今は求めていない。今は、もっと荒々しい野性味あふれるギトギトの動物性のヤツを体は欲しているのだ。
彼女がふらつきながらたどり着いたのは妖怪の山。
彼女の欲求はもう限界だった。
「うぉおおおおおおおおおおおああああああにくよこせぇぁあああーーーー!!」
彼女が雄叫びを上げながら向かった先は、秋穣子と秋静葉の秋神姉妹の住処。
「なくこはいねがー! にくよこせぇえええ!!」
「ひゃああああああああ! ちょっと、お姉ちゃんなんか来たぁーーー!?」
突然の来訪者の襲撃に、二人は思わずハンズアップの構えをとる。
「にくにくにく292929292929292929ーーーーじゅうはちぃーーー!!」
「なによこれぇー!? なんか怖いんだけど!?!?」
「あれは……っ! 【妖怪肉よこせ】!」
「え、知っているの!? お姉ちゃんっ!?」
「ええ……時折、妖怪の山に出没すると言い伝えられている幻の妖怪で、肉を求めて誰彼かまわず襲ってくるという恐ろしい妖怪よ!」
「なんて恐ろしいっ! そんなのが私たちのところに来るなんて、い、一体どうすればいいの!?」
「穣子! 家にある肉をありったけ持ってくるのよ!」
「うん、わかった!」
穣子は慌てて台所へ駆け込むと、布袋を携えて戻ってくる。
「よーし、これで……!」
と、静葉が布袋に手を入れると何やらざらざらとした触感。
「……そうそう、この青々とした丸い粒一つ一つにね。農家の愛っていうのがこもっているのよ。……って違う!? 穣子! これ大豆じゃないのよ!? 肉はどうしたのよ!」
「え、だって、豆は畑のお肉って言うでしょ?」
「あれは例えなのよ。肉と同じくらい栄養があるっていう。そうじゃなくて本物の肉よ! 生き物の肉! 干し肉とかあったでしょ!?」
「ごめん。昨日椛にあげちゃったの。部屋の片付け手伝ってくれたお礼に」
「うぉおおおおおお!!!にく!! にく!! にく!!にくそんだいとうりょーーーーー!!」
「……くっ……かくなるうえは!」
静葉は荒ぶる【妖怪】をキッとにらみ、大豆をわしづかみにして投げつけ始める。
「そりゃー! 肉はー外! 肉はー外! 肉はー外ぉー!」
神様の腕力で思いっきり豆をぶつけられた彼女は「うわっ! これは辛抱たまらん!! なんてにくらしいんだ!」と、捨て台詞を残し一目散に家から逃げ出す。
こうして姉妹に平和が戻り、そして【妖怪肉よこせ】退治の伝説が生まれることになるのだが、それはまた別のお話である。
「ニクー……ニクー……」
這々の体で秋姉妹の住処から逃げ出してきた魔理沙は、すでに満身創痍だった。余計なことなどせずにおとなしく獣でも狩っていれば、今頃肉にありつけていたかもしれない。しかし、今更後悔したところで後の祭り。彼女にはもう獣を狩る体力はおろか、歩く元気すらなかった。
とうとう力尽きた彼女はその場に倒れ込んでしまう。そして「ああ、ただ肉の海に埋もれていたいだけの人生だった」と、ゆっくりと目を閉じようとしたそのときだ。
「どうしたんだ。こんなとこで横なんかなって」
声に気づいた魔理沙がうっすら目を開けるとそこには、大きな鉈を持った山姥、坂田ネムノの姿があった。
「どうしたんだ。具合でも悪いのか?」
「……ニク ホシイ ニク タベタイ……アアア……」
「肉? なんだおめぇ肉が欲しいのか。なら、うちさ来い。いい肉あっから」
その言葉を聞いた魔理沙は、思わず目を見開いて立ち上がる。
「なにぃ! 肉があるのかっ……!?」
「うわあっ!?」
驚いたネムノは思わずとっさに鉈を振りかざしてしまう。
「うわぁっ!?」
間一髪で魔理沙はそれをグレイズする。
「あ、すまねぇだべ……まったく、急に立ち上がらんでくれ。心臓に悪ぃべ?」
「ああ、すまん。私も肉と聞いてつい興奮してしまったんだぜ」
とにもかくにもこれでやっと肉にありつける。彼女は鉈がグレイズしてヒリヒリする肩、もとい、肉の部位で言うところの肩ロースの部分をさすりながら、期待を胸にネムノの家に向かった。
▽
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「さあ、家に着いたぞ! 肉だ! 肉はどこだ! どこだ!?」
「まあまあ、そう慌てんなって。よく言うべ? 慌てる乞食はもらいが少ないって」
「ア、ハイ……」
彼女の家に着くなり、家の中を物色しようとした魔理沙をネムノは鉈をちらつかせながら諫める。
「……ちょうど家の裏に、昨日仕留めた熊吊してあっから、そいつを食うベ」
「熊か! それはいい! 今の私の欲求を満たすにはうってつけの食材じゃないか!」
確かに魔理沙は肉を欲していた。しかしイノシシ肉では風味に乏しく、鹿肉ではやや脂っ気が物足りない。そんな中、熊肉は野性味が強く、脂もイノシシや鹿に比べて多い、まさに彼女が求めていた理想の肉だった。
期待を胸に家の裏へ回ると、吊された熊の姿があった。その大きさはゆうに八尺を超えるほどの大きさだ。それを見た魔理沙は思わず目を丸くする。
「こいつは……なかなかの大物じゃないか!?」
「そうだべ? こいつ仕留めるのなかなか骨折れたぞ」
そう言ってネムノは自慢げに笑う。
「皮はぎと血抜きはもうすんであるから、あとは解体するだけだべ」
「え、今から解体するのか? それって時間かかるんじゃ」
「なあにすぐだ」
「手伝うか? 一応私も心得はあるが……」
「いいからおめぇは黙って見てろ」
そう言ってネムノは鉈を熊の腹に差し込むと、慣れた手つきで捌き始める。するとみるみるうちに腕と足がバラされ、大きな熊が解体されていく。その手さばきたるや、まるで魔法を使っているようだ。
魔理沙がその様子に思わず見とれながら、ああそうだ。肉を解体する魔法とかあったら実は便利じゃないか? よし、今度研究してみるか。アリスのやつは手伝ってくれそうもないけど。などと、考えているうちに熊の解体ショーは終わってしまった。
「うおー!? すごいぜ! あの大きな熊があっという間に食材になっちまった!」
「うちにまかせりゃざっとこんなもんだ。んじゃ、早速焼くとするべ。今、焼き器用意すっからな」
得意げな様子で笑みを浮かべながらネムノは物置の方へ姿を消す。魔理沙は捌かれた熊肉を垂涎の眼差しで見つめている。
……ああ、この目が醒めるような肉の赤身。まさに新鮮な肉の証。当然だ。今この場で捌かれたばかりなのだから。それに獣臭さもほとんど感じない。しっかりと血抜きがされているようだ。熊の肉は血抜きをしっかりしないとすぐに獣臭くなるものだが。これぞ職人技というもの。そしてこの赤身と白い脂身のコントラストの美しさ。まるで芸術品のようだ。今の季節の熊は冬ほど脂身はないが、その分食べやすい。こいつを極上の炭火で焼いたらどんなに美味いことだろうか。あああああ……っ! 早く食べたいっ!
魔理沙は、はやる気持ちを抑えきれず思わず唾を飲み込む。
「おまたせしたべ。さあ、こいつで焼くとするベ」
そう言ってネムノが持ってきたのは何やら金属製の機械のようなもの。思わず目が点になってしまった魔理沙は恐る恐る尋ねる。
「お、おい……それは一体?」
ネムノは笑顔で答える。
「こいつは山の沢河童からもらったとっておきの焼き器だべ。名前は『ろおすたあ』とか言ったか」
「え……?」
「こいつを使うと肉が素早く中まで火が通って美味いんだベ」
「ああ……」
「なんでも遠赤外線だかなんだかが、肉を美味くしてくれるっていう。はいからなしろもんだべ」
「……違うんだ」
「ん? どしたんだ。顔を真っ赤にして」
「違うんだよ母ちゃん!!!!」
魔理沙はとっさに熊肉を脇に抱えると、その場から飛び去ろうとする。
「あ、こら!? おめぇ! この! 待て! この肉泥棒め!!」
ネムノは鉈を次々とぶん投げなげて魔理沙を追いかけてくる。
「違うんだーーーー!!! そうじゃないんだーーー!! 私は悪くない!!」
魔理沙はなぜかホーミングしてくる鉈の群れを巧みにグレイズしながら片手で八卦炉を構える。
「滅びよ人類!!」
八卦路からマスタースパークがドォーーーンと放たれ、バァーーーンと炸裂し、ドカァーンと、鉈もろともネムノは吹っ飛んだ。
魔理沙はそのまま一目散に帰路へつき、家に着くなり玄関のドアを豪快にぶち開けると、アリスを呼び叫んだ。
「おぉーーい!! アリスぅううううう!!!」
窓際で読書の続きに勤しんでいたアリスは、突然の大声に慌てて玄関へやってくる。
「なにごとなの!? って、どうしたのよ!? そんなボロ雑巾みたいな姿で」
「いいから七輪と備長炭を用意しろ!! 今すぐだぁああああああああーーーっ!!!」
▽
▽
▽
すっかり夜闇に落ちた静寂の森の中に、パチパチと炭のはじける乾いた音が響き渡る。辺りには肉の焼けるなんとも香ばしい香りが漂う。その香りは、たとえ飯を食事を終えたばかりで満腹だったとしても、これを嗅げばたちどころに再び食欲が湧き出てくるようなそんな魔性の芳香。
魔理沙は今まさに焼き上がったばかりの熊肉に、塩をひとつまみ振りかけて一口で頬張る。しっかりとした歯ごたえのある肉を噛みしめるたびに、肉の旨みとほのかな甘みを含んだ肉汁が口いっぱいに広がり、焼けた肉の芳香が鼻腔を貫く。美味い肉というのは、赤身はもちろん、脂もまたこの上なく美味なのだ。
魔理沙は、まるでこの世の全ての贅を謳歌するかのような面持ちで、満足そうに言う。
「……ああ、これだよ。この野性味あふれる極上の肉を極上の炭火で焼き、静かにゆっくりと味わい浸る贅沢なひととき……これぞ私の求めていた理想の焼き肉だったんだよ……!」
「はいはい、よかったわね」
と、アリスはぶっきらぼうに返しながらも、ニンニク醤油をたっぷりつけた肉を口に運ぶと、これは意外といった様子で頷く。
「……へえー。熊肉ってこんなに美味しかったのね。これなら私でも食べられるわ。もっと獣臭いと思ったから、一応におい消しにニンニク多めにつけたんだけど、全然臭みなんかないし」
「だろ? いくらでも食えるぜ」
「……あんたどこでこんないい肉仕入れてきたのよ?」
「へへへ……それは企業秘密なんだぜ」
そう言って魔理沙は、ニカっと笑みを浮かべると、皿に取った肉を口に運ぶ。
昼間のけたたましさが嘘のように、夕食の時間は穏やかに流れていった。
「……あぁー食べた食べた! もう満腹だ!」
熊肉をたらふく食べた魔理沙は、そう言うとその場に横になる。
「ねえ、ちょっと! あんたも片付け手伝いなさいよ」
「食べて満足したら眠くなってしまったぜ。後は頼んだぜアリス……」
言ってるそばから彼女はすうすうと眠ってしまう。
「……まったくもう、食欲が満たされたら次は睡眠欲ってわけ? 本当、欲に忠実なことで……」
そこまで言ってアリスはハッと気づく。食欲が満たされ、睡眠欲が満たされたら次にくるのは。
「……ま、別にいいけど……さ」
そう呟くと彼女は気恥ずかしくなったのか、顔を赤らめ、思わず寝ている魔理沙から目をそらす。そして再び彼女を見直してほほ笑むと、初秋の淡い月明かりに照らされながら、夕食の片付けを一人、始めるのだった。
確かに伝わりました
次作も期待しています!
>鉈がグレイズしてヒリヒリする肩、もとい、肉の部位で言うところの肩ロースの部分をさすりながら
ここ言い直してるの謎過ぎて好き