Coolier - 新生・東方創想話

メディスン・メランコリーと人間嫌いの小説家

2022/08/18 19:00:36
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「え?君が主人公の小説を、僕に書いて欲しい?」
 先ほどまで原稿を進めていた僕の手が止まった。僕は万年筆を文机に置き、顔を左へと向ける。
 僕の視線の先では、金髪の少女が座布団の上で正座していた。彼女の躰は小さく、腹話術で使う人形ほどの大きさしか無い。
「ええ。私はそう言いましたよ」
 少女の声は幼い風貌のわりに低く、落ち着いている。
「いや、しかしなあ……」
 僕は右手で頭を掻きながら、文机の上の洋紙に視線を落とした。
 洋紙の1/3ほどは文字で埋まっているが、どうせこれも丸めて後ろの屑籠に捨ててしまうんだろう。
「僕は新作を書かなくちゃならないんだ。読者が待っているんだ。
それでも僕に書けと言うのかい、メランコリー」
 僕にメランコリーと呼ばれた少女は、1度瞬きをした後に強い調子で言った。
「それでも、です」
「なんだってそんな……」
 僕は姿勢を崩し、後ろに両手をついた。
 作務衣の袖口が手首に当たる。
「大体僕と君は、一週間前に知り合ったばかりの仲じゃないか。
僕が里の外にゴミを出しに行ったら、君が居て。
なんだかモジモジしているものだから、僕は声をかけたんだ」
 僕の右側には敷きっぱなしの布団があり、布団から半歩ほど離れたところに障子がある。
 障子の向こうには夜の闇が広がっている。
 天井から吊り下げられた傘付きの照明が、僕らを照らしていた。
「かけられました」
「うん。そしたら君は、肩をびくっと震わせて逃げ出した。
だから僕は追いかけたんだ」
「追いかけられるとは思いませんでした」
 メランコリーは躰を抱え込むようにして自身の腕を掴み、軽蔑するような眼差しで僕を見た。
「普通追いかけるだろう、逃げ出されたら」
「普通の人は追いかけませんよ。
追いかけるのは、変態か変質者です」
「そうかなあ……」
 僕は瞼を閉じ、一週間前の光景を思い返す。
 真っ昼間。
 僕ら2人は、畑の方へ向かいながら、乾いた土の上を駆けていた。
 その途中で、メランコリーは叫んだ。
『私があまりに小さくて可愛いらしいものだから、捕まえて所有するつもりでいるんだわ!
やっぱり、人間って自分勝手!こっちの気持ちなんてお構い無し!大嫌い!!』
 僕は思わず、こう叫び返した。
『僕も大嫌いだ!!人間ってやつが!!』
 そしたらメランコリーは立ち止まり、僕は彼女に追い付くとみっともなく膝に手をつき肩で息をした。
 彼女は僕に興味を持ったようだった。
『貴方と話がしたいわ』
 地面に横たわった丸太の上に僕らは並んで座り、お互いについて話した。
 彼女の名前はメディスン・メランコリー。無名の丘で暮らしているのだそうだ。
 メランコリーは、人形が人間に所有されている現状に不満を抱えており、人形を人間から解放する事を目標にしている。しかし人形の解放を叫んでも人形はついてきてくれない。
 そこで彼女は、あえて敵である人間を引き込もうと思い付いた。
 里に降りてきた彼女は、1人の人間に声をかけたが、周りに居た人間達から一斉にじろりと睨まれ、大変恐怖したのだそうだ。
『人間達の目が、向日葵の種の部分みたいだったわ。今思い返してもぞっとする』
 丸太の上で彼女は身を震わせた。
 そんな彼女を見ながら、僕は冷静にこう考えていた。
 この少女は、きっと妖怪だ。
 無名の丘は、妖怪の山とは反対側に位置する山の中腹にある、極めて毒性の強い鈴蘭で覆われた土地だ。
 そこで暮らせているなんて、まともな人間ではない。
『貴方は、何をしている人間なの?』
 メランコリーは首を傾げて言った。
『見たところ随分お若いですよね。書生さんかしら?』
 彼女は僕の頭の先から足の先までをまじまじと見た。
 今の僕は藍色の作務衣を着て、草履を履いている。
 黒く真っ直ぐな髪は他の男性よりも少し長く、前髪が目にかかっている。
 髭は生えていない。
 18歳相応の見た目をしているだろう。
 僕は彼女に答えた。
『小説家です』
『そうなの……』
 彼女の目が大きく見開かれた。
『こちらの世界は、人間が凄く少ないと聞いていたから。そういう職業でも生活していけるなんて驚きだわ』
『いやまあ、貯金を切り崩して生活しているのが現状なんだけれども』
 メランコリーは上半身を前に傾けて、両手の上に顎を乗せた。
『大変そうねえ。どうして小説家という職業を選んだんです?』
『それはね……。』
 初夏の風が吹いた。
 緑色の葉が何枚か、風に舞った。
『極力、人間と関わらないで生活したかったからだよ』
 葉が地面に落ちる。
 メランコリーは、言葉に詰まっている様子だった。
 僕は自嘲するように笑った。
『僕は元々、稗田家の使用人をしていたんだ。
仕事内容に不満は無かったし、人当たりは良い方だったと思う。新入りへの指導が丁寧で分かりやすいと評判だったよ』
 自慢話は余計だったかなと思った。頬を指でかく。
『ただねえ、僕はどうにも人間関係のごたごたというのが苦手で。
やれ誰と誰が付き合っただの、別れただの。
誰が誰を嫌いだの。耳に入る陰口だの。
僕はもうねー、仕事を早く辞めたいなと思っていたわけだよ』
 話しているうちに自然と前屈みの姿勢になっていた。
 僕は上半身を起こし、青く澄み渡る空を見上げた。
『そんなある日、主人が小説を書き始めた。
主人はお茶を部屋に運んできた僕に気づかず、紙に視線を落としひたすらに筆を走らせていた。
僕の姿に気がつくと、新しい紙を寄越すように命じた。
僕は用意しながら思った。何かに情熱を注いでいる主人を見るのは初めてだと。
ごくりと唾を飲み込んだ。
ある大きな感情が湧いた。
僕も書きたい……人間同士のくだらないいざこざから解放され、自由に文字を紡ぎたい』
『そして貴方は――使用人を辞め、小説家へと転身されたわけですね』
 メランコリーはその端正な顔を僕に向け、聴いてくれていた。
『ああ。滑り出しはなかなか良くてね。
いただいた感想は嬉しくて……人間との繋がりはこれで十分だと思った。
この生活を続けたかった。でもある日突然、書けなくなった』

 ――貴方の書く友情や恋愛は、何処か薄っぺらい気がします。

 そう書かれた一通のファンレター。
 それを読んだ瞬間から、僕は自分の作品に自信が持てなくなり、新しく書いた小説がどれも糞に思えて、屑籠に捨ててしまった。
 それを続けているうちに、丸2ヶ月が経過した。
『うーん』
 メランコリーは腕を組んで考えた。
『どうしたら書けるようになるのかしら』
『君は僕に書いて欲しいのかい?』
『ええ』
『そりゃどうも』
 会ったばかりの、新作を出せていない小説家相手に何故……とぼんやり考えていると、メランコリーはよっと声を出して丸太の前方へ跳び、着地した。
 メランコリーは僕の方に振り向くと、両手を空へと上げた。
『人間嫌いの小説家と知り合えるだなんて。
こんなラッキーな事はないわ!
たまには人里の方まで来てみるもんね』
 彼女は両手を下ろして言った。
『貴方の家に案内してくださらない?』
 僕は、彼女を里の中にある僕の家へと案内した。
 門の近く、人通りが無い道に面して、僕が1人で暮らす家は建っていた。
 僕の家は平屋で、間口は狭い。両隣には2階建ての大きな家が建っているから、日当たりが悪い。表からじゃ見えないけれど庭がある。
 引き戸の前で僕は言った。
『あまり、大層なもてなしはできないけど……』
 不思議な事に、僕は彼女を家に上げる気でいた。
 やはり人間でないというのが大きいのだろうか。
 それに危害を加えられる様子も無ければ、きちんと会話が通じる相手であるし。
『連れてきてくれて、どうもありがとう』
 メランコリーはスカートの左右を両手で持ち上げ、片足を後ろに引きお辞儀をした。西洋人形のような格好の彼女がやると、様になっていた。
 彼女は顔を上げ、両手を下げると言った。
『では一週間後、ご自宅に伺いますので』
『うん……ん?』
 僕がその言葉をよく飲み込めていない内に、メランコリーは背中をこちらに向けていた。
『おい待ってくれよ、今日上がっていくんじゃ……』
 メランコリーは振り向いた。
『礼儀というものがありますから』
『礼儀?』
『済ませておきたい事があるのです。』
 彼女はにこりと微笑んだ。
『上がって欲しかったのですか?私に』
『なっ!』
 僕の頬が熱を持った。わたわたと腕を動かし取り乱す。
『そんなんじゃないやい!
ただ、最近は仕事も進まないし暇だったから……君でも居れば退屈しのぎになるかと思って』
 彼女は口を開けて、子供らしく笑った。
 僕は彼女の掌の上で転がされている気がした。
『ああっ』
 彼女は思い出したように声を上げた。
『貴方の名前を聞いていなかったわ。
なんと呼べばいいのかしら』
『夢次だよ。夢に次って書いて、ゆめじ』
『また来ますね。夢次さん』
 彼女はそう言うと、先ほど僕に感謝した時と同じように、お辞儀をした。


 そして約束通り――一週間後の今晩、彼女は会った時と同じ姿で我が家を訪れた。
 僕は彼女を部屋に通し、ちゃぶ台の前に座らせお茶を出した。
 原稿があれば読みたいと言うので、僕は使用人時代に趣味で書いたものを数枚渡した。
 彼女が読み始めたのを見てから、僕は同じ部屋にある文机の前へと歩いていき、腰を下ろした。
 洋紙に万年筆のペン先を走らせていく。
 彼女が話したい事があると言うものだから、手を動かしたままなんだいと訊けば、僕に彼女の小説を書けと。
 ――僕は閉じていた瞼を開けた。
 眼前には、不安そうな表情を浮かべるメランコリーが居た。
「書くか、決めてくれましたか……?」
「あのねえ」
 僕はメランコリーの方に身体を向けた。
「一週間会っていなくて、いきなり書けと言われても。
僕はその間原稿に苦しめられていて……君は何してたのさ」
 僕の声には不服さが表れていた。
 メランコリーは彼女の胸に手を当て、身を乗り出した。
「私はっ!貴方の小説……『パリミンの冒険』を読んでいたんです。鈴奈庵で」
「鈴奈庵っ」
 里にある貸本屋だ。僕には製本を頼むお金が無いから、文字を書いた洋紙をそのまま鈴奈庵に置かせて貰っている。
「全部読ませていただきましたよ」
「あ、ありがとう」
 僕は素直に嬉しくて、照れ隠しに俯いた。
「しかしよく行けたね。人の目が怖かったんじゃないの。
それも長い間居座って……」
「そこはもう、うんと勇気を出しました。
丘の毒で紙が劣化するのが嫌でしたから」
 僕は顔を上げた。メランコリーが両の手を胸の辺りまで上げ、握り締めていた。
「そうかい。頑張ったね」
「えへへ」
 純朴な子供が浮かべるようなその笑顔に、僕の頬がほころぶ。
 彼女の顔に、澄ました表情が戻る。
「貴方の小説を読まずに、書いて欲しいと頼むのは、失礼ですから」
「うむ。それはその通りだ。
……しかし君は何故、小説を書いて欲しいんだい」
「印象操作の為ですよ」
 メランコリーは両腕を左右に広げた。
「私が格好よく書かれた小説を用意して、人間達に読ませる。
心を掴まれた読者は、人形解放を叫ぶ私についてくる……そういう寸法です」
「そう上手くいくかねえ」
 僕は天井を見てため息を吐いた。
 メランコリーは人差し指を僕に向けた。
「夢次さん、既にこの手法は妖怪狸に使われているわ。
鈴奈庵に、心優しい狸が活躍するハートフルな物語の本が増えたのはご存知?」
「勿論、僕は鈴奈庵にお世話になっている物書きであるから知っているわけだけど……妖怪狸による印象操作だって?」
「ええ。良い狸の話を人間に読ませる事で、あるいは小鈴さんに読み聞かせをさせる事で、狸への好感度を高めようとしているの。
そしてそれは実際上手くいっているようだわ。
団子屋も蕎麦屋も、メニューや店内の飾りに狸の要素を積極的に取り入れるようになったでしょう」
「僕は最近じゃあまり店が並ぶ通りには行かないから知らないんだが、そうなのかい?」
「そうです。団子屋は今の時期、冷し団子を期間限定で売り始めていましたが、今年は狸団子という新商品を売り出しています」
「へえ……」
 冷し団子を、僕は一度も食べた事が無かった。
 冷たい団子なんて、不味いに決まっているからだ。
「しかし、狸が印象操作しているという話は誰から聞いたんだい」
 メランコリーは頭の後ろに片腕を回し、目を細めた。
「その妖怪狸本人からよ。
一流の妖怪に育ててやる!って狸達の宴会に連れて行かれて……私は付喪神じゃないのにさあ」
 メランコリーは俯き大きく息を吐いた。
 事情は分からないが、本当に迷惑したのだろう。
「まあ、良かったじゃないか。
その狸と知り合ったお陰で、今回の策を思い付いたんだから」
「それもそうね」
 彼女は顔を上げた。
 僕はメランコリーの計画に対して乗り気だった。
 あいつが嫌いだ、あいつと話すなという話で盛り上がるくらいなら、1人の妖怪を盲信してくれていた方が幾分ましってもんだ。
 しかし。
 僕は力になれず申し訳ないといった風に、両手を肩の辺りでヒラヒラと動かした。
 彼女の眉尻が下がった。
「ええー。駄目なの?」
「一週間前に話しただろう。僕は今、スランプ中なんだ。
そうだ、僕の元主人に頼むのはどうだろうか」
 僕はふと思いついた事を提案した。
「元主人って、稗田阿求さんよね?」
「ああ。アガサクリスQは彼女なんだ」
「ええーっ!そうなの!?」
 メランコリーは両手を口元に持っていき驚いた。
 元主人はアガサクリスQという名で、連載小説を書いている。
 その事実を元主人は隠しているのだが、僕にとってはどうでも良かった。
「彼女の作品はファンが多いし、ゲストとして登場したらきっと君の人気はうなぎ登りだ。だから……」
「やだよ!」
 メランコリーの声は力強かった。
「あの人、幻想郷縁起の中で私の事を凄く危険な妖怪のように書いてくれたもの。
人間の仲間を増やしたい私からすれば、いい迷惑だわ」
 僕はメランコリーと会った日の晩、鈴奈庵から借りていた幻想郷縁起を読み返した。
 メランコリーの項では、危険度は高、人間友好度は悪と書かれていた。
 他には、メランコリーの近くに居るだけで猛毒を浴びる。触ると爛れる。相手が誰であれ手加減をしない……と危険さを強調するような記述が並んでいた。
 メランコリーは話してみれば、理性的な妖怪であるのだが。
 まあ元主人の事だから、万が一を考えて人間を脅かすような書き方をしたのだろう。
「人気の女流作家でも、私の事を書いて欲しくはないな。
それにねえ」
 メランコリーは僕の目を真っすぐに見た。
「貴方は小説を書けるだけじゃなく、人間が嫌いだし、私を恐れないじゃない?
次いつ貴方みたいな人に会えるか分からないから、貴方が書けるようになるまで私は待ちます」


 朝を迎えるのは、メランコリーが僕の家に来てから、これで3度目だ。
 食料の蓄えはあったので、僕はずっと家に篭っていた。メランコリーは昨日、半日ほど出掛けていた。
「朝ご飯ができたよー」
 僕は白米をよそったお茶碗と、香の物を乗せた小皿をそれぞれ2人分、ちゃぶ台の上に置いた。
 ちゃぶ台は文机からそう離れてはいない。8畳の部屋に、ちゃぶ台と文机と敷きっぱなしの布団が収まっていた。
「ありがとうございます」
 ちゃぶ台の前に正座していたメランコリーは、僕に頭を下げた。
 彼女の躰には毒があるため、食事の用意は全て僕が行っていた。
「いただきます」
 僕は箸で白米を口へと運んだ。彼女も同じようにした。
「しかし」
 僕は咀嚼し飲み込んでから言う。
「ちょっと安全過ぎる気がするよ。こうして一緒に食事をしてもなんともないし」
「まあ、抑えていますから」
 メランコリーは澄ました感じで言う。
「君の気分でどうにかできるものなのかい」
「毒で溢れた場所であっても、貴方の周りだけ毒を寄せ付けないようにするといった事はできます」
「そりゃ凄いや」
 僕は香の物をぱりぽりと食む。
「ん、そういえば。
縁起では君の隣に小さな妖精も描かれていたけど、メディスン・メランコリーってのは君1人を指していたのかい」
「うふふ。どうでしょうね」
 意味深な笑みを彼女は浮かべた。
「あの小さい子は、今は無名の丘に居るわ。
離れていると、私の毒の力が弱まるみたい」
 へー、と僕は言った。
「でもだからと言って、私に触れたらいけませんよ?」
「はいはい。爛れるかもしれないからね」

 2人共食べ終わったので、僕が食器を流しに持って行こうとすると。
「ねえ」
 メランコリーに止められた。
「いつも、こんな食事をしているんですか?」
「こんなって……」
 白米と、少量の香の物。
 ここ数週間はずっとその組み合わせだったし、メランコリーに出したのもその2種類だけだ。
「不満かい?僕は腹が膨れたらそれでいいんだけど……。
あ、お金を幾らか渡そうか。それで食事処へ行ってきなよ。いや、君は行かない方がいいか……。」
 メランコリーがちゃぶ台に両手をつき、身をこちらに乗り出した。
「白米ばかり食べていては、脚気になってしまいますよ?」
「脚気……江戸わずらいだっけ?」
 稗田家で働いていた頃に、書物で読んだような。
「どんな病気だったかな」
「脚気とは、ビタミンB1の不足により引き起こされる病気です。」
 メランコリーは真剣な表情で言った。
「脚気になると中枢神経が冒され、足元がおぼつかなくなります。さらに、重症化した場合は心不全を起こします」
「ビタミン?ああ、栄養素……」
 僕はあまり自分の健康に気を回さない質なのであった。
 メランコリーはふうとため息をつきながら、元の姿勢に戻った。
「それに貴方の布団、この2日間で畳まれているところを一度も見ていませんけど。」
 僕はメランコリーの視線の先にある、シワシワの布団を見た。
 掛布団は起きた時にいい加減に捲って、そのままだ。
「敷きっぱなしじゃないでしょうね」
 メランコリーはもの言いたげな目で僕を見ている。
「……敷きっぱなしであります」
「万年床はダニの温床です!」
 メランコリーは瞼を閉じてやや強い口調でそう言ったあと、すくりと立ち上がった。
「今日はまず布団を洗いましょう」
「ええ、でも原稿が……」
「健康あっての原稿ですっ!」



 ……約3年ぶりに洗われた布団が、昼の陽光を浴びていた。
 僕は開け放たれた障子の自室側から、庭に干された布団を見ていた。
「……洗ってしまった」
 駄々をこねて取り組むのを嫌がっていた僕だったが、メランコリーに毒を使うぞと脅され、渋々洗濯したのだった。
 僕の体は幾らか悪くなっても構わないが、精神が狂う体験はしたくない。
「お疲れ様でした」
 背後から声がしたので振り返る。
 そこには、風呂敷包みを両手で抱えたメランコリーが立っていた。
「それは……?」
「紅魔館でいただいてきました。中に入っているのはハンバーグです」
「え?紅魔館……」
 メランコリーはちゃぶ台の方へ歩いていくと、畳の上に風呂敷包みを起き、結び目をほどいた。
 ガラスケースの中に、茶色い丸い塊が幾つか入っている。
「夢次さん。お昼ご飯にしましょう。
お皿を持ってきてください」
「あ、ああ」
 僕は台所へ引っ込んだ。

 今日の昼飯は白米と、複数の一口大のハンバーグ。
 ハンバーグは読んでいる書物に登場した事はあったが、食べるのは初めてだった。
「いただきます」
 僕らは手を合わせてそう言った。
 ハンバーグを箸で口に運ぶ。
 ほろりと柔らかい食感。冷めてはいたが、肉の旨さが中で凝縮されていた。
 数ヶ月ぶりに食べた肉の味に感動している僕を見て、メランコリーがふふと笑った。
「偏った食事は、体に毒ですよ」
「うん……これからは気を付ける」
 僕はハンバーグを飲み込むと、茶碗を左手に持ち、がっがっと白米をかきこんだ。
「よく噛んでくださいよ」
 僕は咀嚼した。
 飲み込むと、またハンバーグを口へと放り込む。
 なんて満たされる食事なんだろう。
「本当は、野菜を使った料理も持ってきたかったんだけど。
私はただ先生が作った薬を届けているだけだから。
そこまでは頼めなかったわ」
 メランコリーが昨日出掛けた先は、永遠亭と紅魔館だった。
 彼女は永遠亭で働いていて、紅魔館には定期的に毒薬や薬を届けている。
 そういう繋がりがあるので、メイド長に持ち帰れる料理を頼めたのだとメランコリーは言っていた。
 僕は食べ終わると、箸を皿の上に置いた。
「いや。
とても贅沢な食事だったよ。
僕の為にありがとう」
「いえいえ」
 メランコリーの声には全く恩着せがましさが無かった。


 その日の夜。
 妙に筆の進みがよく、僕はまた1枚洋紙を埋めてしまった。
「夢次さん!」
 メランコリーが横から声をかけてくる。
「もう深夜の2時ですよ」
「そうなのかい?気づかなかった」
 僕は原稿を書く手を止めず、そう答えた。
「徹夜は体に毒です」
「まあまあ。僕が自分の作品を書き上げてしまえば、次は君の作品を書けるんだから」
「それはそうですけど……」
 彼女の声は不満げだった。
「それに君のお陰でハンバーグを食べられたんだから。頑張るしかないだろ」
「私は別にそんなつもりじゃ……」
 ……と。
 僕の手が止まった。
「そうですよ。休みましょう?
布団は干していますから、今晩は畳の上ですね」
「ああ、寝てしまおう」
 僕は万年筆を文机に置くと、今書いていた洋紙を手に取り、くしゃくしゃと丸めた。
「なっ、何しているんですか!」
 メランコリーは驚いた声を上げる。
 僕は振り返る事もせず、丸めた紙を背後に放った。
 紙が屑籠に当たり、畳に落ちた音がした。
 紙に駆け寄るメランコリーの足音が聞こえる。
「せっかく書いた原稿なんですよ。どうして……」
「……だ。」
 僕は膝の上で両拳を握り締めた。
「僕が書く友情や恋愛は、薄っぺらいんだ」
 一通のファンレター。
 その文面を思い出す度に、僕は話の続きが書けなくなってしまう。
 僕は声を絞り出すようにして言った。
「自分の作品に自信が持てないんだよ。
偽物の感情を書いている気がして。
それを読者に見透かされるのだと想像すると、恥ずかしくて。
今みたいに。毎日――。」
 僕は言葉をそこで止めた。
 障子の向こうでは夏の虫が鳴いていた。
「――確かに」
 メランコリーが背後でぽつりと言った。
「貴方の書く友情や恋愛は、綺麗過ぎるかもしれません」
 僕の頬がかあっと熱くなった。
 振り返りながら、強い口調で彼女に言う。
「綺麗でいいじゃないか!
誰が現実の胸くそ悪い人間関係を読みたいって思うんだ!」
 屑籠の傍に座っているメランコリーは、1枚の紙を手にしていた。
 僕が丸めた洋紙。それが広げられていた。
 僕はその姿を見て、言葉を失ってしまった。
 彼女は言う。
「ですが。
キャラクターの苦悩や葛藤は……読んでいて胸に迫るものがありました」
 メランコリーは手元の洋紙に視線を落としている。
「……ここのパリミンとエドミンの会話、好きです。
周りを馬鹿にして、人と関わろうとしなかったエドミンが、頑張って距離を縮めようとしていて」
 メランコリーはくすりと笑った。
「とっても微笑ましい」
 その表情を見て、言葉を聞いた僕は、体に電流が走ったような衝撃を受けた。
 今まで、感想は手紙でしか受け取った事が無かった。
 それで十分だと思っていた。
 しかしこうして、目の前で作品の悪い部分と良い部分を言われ、僕は体と声には文字には無い力がある事を知った。
 ――ああ。そうだ僕は。
 人間を嫌いながら、その実、人間を求めていたのだな。
 それを理解した時、涙が僕の頬を伝った。 


 翌朝。
 僕は姿見の前で髪をとかしていた。
 ちゃぶ台に櫛を置くと、また姿見の前に戻り、作務衣の衿を正した。
「準備できましたか?」
 玄関の方からメランコリーが姿を現した。
 今の彼女は子供用の作務衣を着ている。永遠亭で用意したのだそうだ。
「あ、ああ!」
 そう答える僕の声は、上擦っていた。


 人里。
 店が並ぶ大きな通りは、多くの人々が行き交っていて、呼び込みの声が左右から聞こえていた。
 僕は緊張しながら、メランコリーと並んで歩いている。
 隣を歩く彼女を見てみれば、表情が強張っていた。
 僕らはお互いに何も言葉をかけなかった。
「きゃっ!」
 メランコリーの声。彼女のそばを子供が駆けて行った。
「も~……」
 子供の背中を恨めしそうな顔で見ている彼女がなんだかおかしくて、僕は笑った。
「酷いです、夢次さん」
 メランコリーは真っ赤な頬を膨らませた。
「あ……。」
 彼女は団子屋を指さした。
「あれですよ!私が言ってたの」
 店先には、夏期限定狸団子と書かれた紙が釣り下げられていた。
 僕らは店に入ると、狸団子を5個ずつ注文した。
 僕は店の前で、袋の口を開けると、団子を1つ取り出した。
 黄色くて丸い団子は、ひんやりと冷たい。
「冷し団子の色と商品名を変えたのか」
「そうみたいですね」
「満月のように見えるから、それで狸団子……」
 僕は指先の団子を口の中に放り込んだ。
 冷たいあんこが舌の上で広がる。
 もちもちとした食感の団子をよく味わった後、飲み込んだ。
「……冷たい団子もいいな」
 僕はそう呟いた。
 隣では、メランコリーも団子を食べていた。
 その顔は、なんとも幸せそうで。僕の胸が暖かくなった。
「あー!」
 知った声に、僕は肩をびくっと震わせた。
 そこに立っていたのは、稗田家で共に働いていた使用人達だった。
「夢次さん!お元気ですか」
「あ、ああ……」
「私達、夢次さんが仕事辞めちゃってから、ずっと心配で」
「心配かけて悪かったね……」
「あ、そのお団子!」
 使用人の内の1人に、狸団子の袋を指さされる。
「美味しいですよねー。私、3回も食べちゃいました」
「そうなんだ。
結構、美味しいよね」
 僕の表情はぎこちなかっただろうが、使用人達は気にしていない様子だった。
 そこからは自然に話せた。
 最近の稗田家の事。元主人のおとぼけエピソード。
「あははっ」
 僕は笑っていた。


「じゃあ僕達、行きますんで!」
「お屋敷に顔出してくださいよー」
「ああ!今度行くよ」
 使用人達に向けて振っていた手を下ろし、隣で団子を食べていたメランコリーを見た。
「ごめんよ。君の事をほったらかして」
 メランコリーが持つ袋はぺたんと潰れていた。中の団子は全て平らげたようだ。
「いいんですよ」
 メランコリーは微笑んだ。
「嬉しかったです。
楽しそうに人と話している貴方を見られて」
「メランコリー……」
 僕は彼女と見つめあった。
「あのさ」
 僕はなんだか気恥ずかしさを感じて、視線を逸らした。
「今度は洋紙を捨てずに、書ききれる気がするよ。」
 空では太陽が眩しく輝いていた。
 メランコリーに視線を戻す。
「今回の話が終わったら、君が主人公の小説を書くよ」
 彼女は少し間を置いた後、両手を背に回し、いたずらっぽく笑った。
「頼んだわよ。私の仲間を増やす為に」
 僕は彼女に片方の拳を突き出した。
「ああ!君の仲間を増やす為に」
読んでくださりありがとうございます。
脚気については農林水産省のページを参考にしました。
https://www.maff.go.jp/j/meiji150/eiyo/01.html
桜葉めディ
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コメント



0.100簡易評価
1.100東ノ目削除
途中喧嘩別れになるのでは、と読んでいて冷や冷やしましたが、思惑は違えど協力関係は続き、青年も良い方向に変わるというハッピーエンドで安堵しました。面白かったです
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.90名前が無い程度の能力削除
やりとりが微笑ましくて良かったです
4.100ヘンプ削除
夢次さんが苦悩していたことをメランコリーが気が付かせてくれたということが、小説を書くという協力しようと思ったのかもしれませんね。
とても、メディスンが仲間を増やすために頑張っている姿がとても良かったです。面白かったです。
6.100名前が無い程度の能力削除
読んでいてにやにやできました
7.100サク_ウマ削除
前向きな雰囲気が良かったです
9.100夏後冬前削除
メディスン沼にどっぷり漬かっている方の作品、堪能させていただきました。
10.100南条削除
そうか、ここが、沼か
11.90名前が無い程度の能力削除
面白かったです。
メディの人間嫌い一辺倒ではない、秘めた面が良く描かれていたように見えて良かったです。可愛いのも良いですね。
欲を言うなら小説が書き上がったところまでを見てみたかったですが、ここで終わらせるのもさっくりとした読み心地になっていてよかったと思います。
有難う御座いました。
12.100trk削除
面白かったです。
個人的にメランコリーの性格や設定は結構気に入っています。
13.90大豆まめ削除
丁寧語のメディスン、珍しいかも
基本的に人間への悪意を隠さない、不遜な態度を取っているイメージなので、裏があるんじゃないかと身構えてしまった。良かった、健全で
14.90めそふ削除
面白かったです。
文字書き特有の悩みやそれらが解決に至るまでの心理を丁寧に書いていると思います。メディスンが一読者として純粋な感想を主人公に送る事で、本来人間がそれを気付かせるべき役割ではあるものの、主人公が人との関わりを求めていた事を自覚させる場面はとても綺麗に感じました。とても綺麗なお話だったと思います。ありがとうございました。
15.100名前が無い程度の能力削除
心暖まるお話でした
16.100名前が無い程度の能力削除
よかったです!
17.100名前が無い程度の能力削除
メディとの触れ合いで青年の心が変わっていくさまがよかったです。
18.100おーどぅ削除
スランプ気味だったのでなんというか夢次さんに自己投影して読んでました
19.80福哭傀のクロ削除
メディスンに対するキャラ愛はすごく伝わった。
特に前半部分が若干説明口調というか地の分とセリフのバランスに違和感があったり
時系列周りがちょっとわかりにくかったりした気がする。
書きたかったものをメディスン中心と考えるなら(そう読み取ったので)
もう少し長くたっぷりと書いて夢次のキャラ造形とメディスンとの関りをしっかり描くか、
いっそ短く研ぎ澄まして濃度上げる方が個人的には好きかもしれません。
作者さんのキャラ愛が強すぎて登場人物がそれに引きずられて
でも読者として(こちらの趣味嗜好や未熟さ含め)若干ついていけなかったところが少し。
そこを強引に引きずり込んでくれるようなパワーでもって
作者さんの景色に連れて行ってくれることを期待します。