「ざっけんなああああ!!暑すぎるわああああああ!!」
炎天下40度。控えめに言って太陽に殺意が湧いてくる気温。蝉の合唱祭は臨時閉会して子育てに勤しむ燕が旋律を支配し、雀蜂は蜜を運ぶよりも水分補給を優先して僅かに残った雫を舐めに訪れる。
庭に勝手に生えた昼顔は桜色の花をくたびれさせ、植えた向日葵の大輪は流石の暑さに太陽へ文句を言ってるよう。
それに加えて、更に陽炎を活発にさせる要因が身体にくっついている。
「暑いよねえ。こんなにも暑いと参っちゃうよ」
地獄鴉。体温が人間より少し高い私の友人。そいつが私の背中からぴったりと抱きついてくる。しかも今は水着だ。だから体温が接触する範囲が通常の数倍。
「暑いのはアンタのせいでもあんのよ!離れなさい!!」
「だって〜〜。天子の体温冷たくて気持ちいいんだもん」
「アンタの体温が高いだけよ!私が天人だから良いものの、常人なら倒れてるわよ!」
折角少しの風ですら体温低下に役立てるべく、縁側に風鈴と錆びた扇風機を引っ張り出してそこに陣取っているにも関わらず、地獄鴉はその努力を崩してしまう。
風鈴の音は冷涼感より五月蝿い不快感が勝り、扇風機も全く効果を感じない為に錆びながら回す音を蹴り飛ばしたくなる。
「天子の青さも関係してるよ〜〜?涼しい気分と匂いがするもん」
大層満足そうに笑みを見せるが、こちらとしたら現在進行系で暑い。暑い。
「その気分と匂いとやらが暑さで霧散する前に離れなさいよ!そもそも灼熱地獄に居ても平気ならこの暑さぐらい大丈夫でしょうが」
「あれは暑さならそうだけど、蒸し暑さとか太陽の痛い日射しは無いじゃん?空はああいうのが苦手なんだよ〜」
「じゃあ地底に引き籠もってなさいよ〜〜!!」
私は力強く引き剥がそうとするも、地獄鴉は後ろから脇を通し、肩を掌で強く強く握って許さない。
「い、や、だ〜〜〜〜!!」
「それはこっちの台詞よ〜〜!!」
勝つ未来が見えてこない攻防。別の方向からこの鴉を引き剥がすのが最善策。
そう思った私は、地獄鴉を引き摺りながら物置きに直行し、眠っていた大きな盥を起こさせる。
「何これ〜?」
「嘲笑う太陽とじわじわと生気を削ぐ太陽二号をどうにかする最終兵器よ!」
「へ〜〜?どう使うの?」
比喩は伝わらなかったらしい。まあいいけど。
「まずは私が桶で井戸から水を汲む!そしたらアンタがこの盥に水を入れる!という訳で離れなさい。今すぐ」
「え〜〜?何するの〜?」
「水浴びよ!だから手伝いなさい!」
未だに離れようとしない地獄鴉に目的を伝える。すると、理解したのか晴れやかな笑顔が綻ぶ。
「じゃあ始めるから」
私は乱雑に井戸から桶に水を汲むと、地獄鴉は盥に水を投げ入れる。その作業を陽炎を斬りたくなる程続けると、水浴び出来るくらいまでになった。
「ふう……これで良いかしらね」
「本当!?やった〜〜!!」
喜んで飛び込もうとする地獄鴉の両脇を掴んで止める。
「何で止めるの!?」
「私の服がしとどになるからに決まってんでしょうが。これから出かけんのよ」
脚を暴れさせて陽炎を蹴りまくってる地獄鴉に理由を伝えてやる。すると、疑問符が取り憑いたような表情。
「??どうして?入らないの?」
「喉が渇いてるから爽快感溢れる飲み物を買ってくるわ。アンタはそこで涼んでなさい」
こんな暑い日はあの飲み物に限る。予め予約しておいたから買えるはずだ。
「なるほど!行ってらっしゃい〜〜!」
涼んだ太陽が活発な笑顔を見せる。
「ええ、行ってくるわ」
天上から俯瞰する雲一つ無い蒼い蒼い空。大地に繁茂する緑の草原から込み上げる焦げた夏の匂い。
私はそれらに挟まれながら、炎天下で焦げる空気を貫いて目的地へと翔けた。
目的地。そこは駄菓子屋。童達がたむろって騒ぐ場所。
しかし、今日は童達に混じって仕事から抜け出した大工や赤子を背負っている主婦が溶け込んでいる。
病気になりそうな炎天下、ここに集まってきた人間の目的はただ一つ。そう、あの爽快を齎す飲み物だ。
店前には『ラムネ本日予約の方のみあり〼』と立て看板があり、文句を言って小石を蹴り上げる商人や明日の分があるかどうか周りに聞いてる魚屋の主人、辛うじて間にあって爽快を飲んでる人間を妬む輩が彷徨いていた。
そいつらが醸し出す喧騒を突っ切って駄菓子屋に入ると、少しの列が並んでいた。
そして、目の前の最後尾は列の中で一際異様な雰囲気を空気に撒き散らす、見覚えがありすぎる隙間野郎だった。
溶け込む努力は最低限しただろう、人里に僅かに居る服装をしていて、まあ贅沢な商人が見せびらかすようなもの、そう表現するのが適切か。
しかし今の私は、店内の数台の扇風機がごおごお喚きながら頑張っていても焼け石に水のこの暑さ、嫌味を言う気なんてこれっぽちも無く、話すことすら億劫だった。
出来るなら店主以外と話したくなく、奴が気づかなければ良いとすら思ったが、残念ながら私の雰囲気というか、この暑さに致命的までに似合わない僅かに甘い匂いは、炎天下では隠せるものでは到底無かった。
「……久しぶりね」
億劫そうに少し顔を見せてくる。どうやら奴も私と同じ気持ちらしい。こんなことで思考を一致させたくなかったが。
「ええ……」
最低限の応答。恐らく奴も私と会話したいなんて湯気の粒程も無いだろうが、後で何か言われるのは面倒だと思ったらしく、挨拶はしてきた。
奴が此処に来た原因は、恐らく式の式にラムネを買ってあげる為だろう。実際、此処に並んでる連中の目的はラムネのみだ。
仕事とか任務とやらを頑張ったご褒美に何か買ってあげようとしているのだろう。その行動は称賛されるに相応しい。私は絶対しないが。
炎天下に暫く無言が霧散した後、奴がラムネを三個購入して店を出て行った。別れの挨拶は目のみだったが、それで構わなかった。お互い暑さに参った瞳をしていただろうから。
私は二個購入すると、爽快が暑さで温くなる前に剛速球の弾丸のように空を貫いた。
「ほら、ラムネ」
脳が沸騰する幻覚を感じながら地獄鴉に手渡す。いや、既に湯気は出ているのかもしれない。鋭く頭痛が喚いてくる。
「ありがとう〜〜!!」
そう言ってずぶ濡れの体温が私に抱きついてくる。やはり最初より水温は少し温くなっていたが、それですら今の私には充分過ぎた。
このままで居たかったので、地獄鴉の肩の後ろに回した手でラムネを開栓する。そのすぐ後に続く音がした。
ぷしゅ、ころん
普段なら爽快を象徴する音ですら、今の私の心には響かない。私はただただ爽快を味わいたかった。
暑さに参った瞳をしながら爽快を喉に落とし込む。全細胞を貫く爽快、臓腑に染み渡る冷涼。クールダウンする脳髄。
「ああ〜〜〜〜、これよこれ!!この爽快感は堪らないわ!!」
私は狂ったように凱歌を叫ぶ。傍から見たら同居人を抱きながらラムネを称賛してるなんて、暑さにやられたのかと思うかもしれないが、そんなことは心底どうでも良かった。
「うん、良いよね〜これ!まさにこのような天気にぴったりだよ!」
ラムネ。爽やかな空が詰まったもの。これを考案した人物は偉大だろう。
それは真理らしく、現に地獄鴉もラムネが齎す爽快感に感動している。
「はあ〜〜。ずっと飲んでたいわ」
爽やかな空があっという間に尽きる。これは太陽が東から西に移動すると同じくらいどうしようもないことだが、こればっかりは真理を憎んでしまう。
「ちょっと残ってるけど飲む?」
地獄鴉からのまさかの提案。とても嬉しいけど、意外すぎて驚いてしまう。
「いいの?」
「うん、天子暑さで疲れてるだろうし」
「ありがとう、助かるわ!」
五分の一程残ったラムネには、海と空が一体化した蒼い色に、蒼が淡く染まった白い白い入道雲が貫いて、地面から黄金と日光が混ざった大きい一輪の向日葵がそれに追随しようとする、そんな風景が映っていた。
これは幻覚か、暑さにでもやられたか。しかし、味わってみたいという突き動かす衝動に抗えず、蒼い空を飲む。
その味は、美味しいとか甘いとかそんな時限じゃなくて、景色が脳裏にこびりつく味。通常のラムネよりも遥かにーー何だろう、『勝る』とか『優れる』じゃなくて、何だろう。生まれて初めての味。
「ぷはあっ」
「本当に好きだよね、ラムネ」
「ええ。こんな異常な暑さの特効薬だからね」
生まれて初めて味わう感覚に戸惑いながらも、表情は満面の笑顔が零れる。まあ、ラムネを賞賛するのは当たり前だからかな。自分でも良く分からない。
「……ねえ、空とラムネどっちが好きなの?」
何故か地獄鴉は少し頬を膨らませて訊いてくる。
「んなもん、アンタに決まってんでしょうが」
「本当!?」
「この私が、アンタよりラムネを選ぶ訳無いでしょう?」
友人より飲み物を選ぶなんて、友人にもこの世界にも失礼に値するしね。それに、あの感覚を生み出した本人を選ばない訳が無い。
「やった〜〜〜〜!!」
地獄鴉は太陽の眩しい笑顔で私に抱きついてきて、腕と翼で強く強く抱きしめてくる。ほんのりと夏の匂い。あの、不思議な味の鱗片が鼻腔から脳を突き刺す。
「ちょ、ちょっと苦しいわよ」
あまりに強く抱きしめてくるもんだから、肺が空気を吐き出したまま吸えない。
「えへへ、ごめんごめん」
弱まったと思ったら、頬を頬にすりすりすりすりしてきた。右と左を交互に。夏バテの蝉が陰で休む炎天下に黒い羽が地面を疎らに染める。
地獄鴉の友情表現をそのまま受けていると、ぐいっと盥の空を写した壁に押し倒された。
「なっ……!?」
バシャッと大きな水音。水が沸騰するような蒼い空に透明な水飛沫が弾ける。
「折角だし一緒に入ろ?」
蒼い背景が地獄鴉に塗り潰される。水温は予想通り大分上昇していたが、それですら心地良い。
「ええ」
起き上がると、翼がバシャバシャ水面を突き抜ける音が往復する。暫く真っ青な天上をただただ眺めていると、不意に地獄鴉の顔が私の首元のすぐ近くまで接近して来た。
「な、何よ」
何かに興味を惹かれてる顔。それは何度も見たことあるのだけど、瞳が首元を狙っているのがよく分からない。
「さっきのラムネよりも、天子の方が涼しくなると思う」
「え、え〜〜と?私って食べられないわよ……?」
言葉の真意が読み取れず、私は思わず訊いてしまう。食べちゃいたいほど好きとか、そういうのを聞いたことはあるけど。
「食べないよ〜〜。ただ、少しだけ天子の雰囲気をかぷっと味わいたいんだけど」
雰囲気って身体から直接摂取出来るものなのかしら?そんな疑問が脳に浮かんでくるが、先程味わった光景と同じ次元のようなものが再現出来るかもと、興味がふつふつと湧いてくる。
「まあ、血が出ない程度なら構わないわよ」
「ありがとう!じゃあ、いただきます♪」
地獄鴉の歯が首元を覆って弱く突き刺す。思ったよりも痛くなく、むしろくすぐったい感覚が勝っている。
「うん、思った通りラムネよりも涼しい〜〜!天子の真っ青で蒼くて甘い、天子の雰囲気はずっとずっとひんやりするよ〜〜」
とても心地良さそうな表情。何か途轍もない背徳感が脊髄を握ってくるが、太陽の笑顔の前には敵わなかった。
「あらそう。自分では良く分からないけど、そんな雰囲気を醸し出しているのねえ」
首元を甘噛みすることで、雰囲気を吟味出来ることの方が大発見だけどね。
地獄鴉が出来るなら、私だって出来るのではないか。もしそうなら、どんな雰囲気を味わえるのだろう。やっぱり真夏の炎天下かな?
「因みにその雰囲気を味わってみて、どんな風景がするの?」
「そうだねえ、呑み込まれそうな程蒼い蒼い空に」
まあ、やっぱり私のイメージカラーが全体を覆ってるのか。それは予想通りだし、当然過ぎる。
「次に、心が全部惹きつけられる美しさの赤い宝石が、こっちを見ていて」
『赤い宝石』。私の瞳から来る情景か。瞳も瑠璃のように蒼かったら、その台詞を何度言われたか。
まあ、言い分も分かる。だって、どう考えても邪魔だもの、蒼に相反する緋色の瞳は。
青空を宿したスカートを纏っているくせに、何故それを邪魔する瞳の色なんだと。天人になったときに、耳に胼胝が出来る程落胆した台詞を聞いた。父親にも心の底から残念そうに台詞を吐かれた。
私だって好きでなった訳じゃないのにね。天人になったら、いつも見上げていたあの青空のようになりたいとか馬鹿げたことを夢想してたら、瞳だけ叶わなかったという、この世界は酷く残酷だ。
だけど私は後悔してないし、むしろ透き通るような蒼い髪をくれたことに感謝してる。小言なんて聞き慣れた。
それに、この緋色の瞳も好きになった。だって、緋色は高貴な色。作るのが難しい希少な色。その色を私が宿しているのだから。
「甘い甘い空気が爽やかな風で揺れて」
桃ねえ。そんなに匂いするのかしら。帽子の桃は食べれないし。
「その景色の前で天子が眩しく笑ってるの」
「いやいや。風景に私が出てきちゃ駄目でしょ」
元々私の雰囲気なのだから、そう描いてしまうのも仕方ないかもしらないけど。
「そうかなあ?でも、空はとっても美しい景色だと思うんだよなあ」
かぷかぷと首元を甘噛みしながら、地獄鴉は微笑む。
「……そうかもしれないわね」
友達補正が大分かかっているようだが、まあ悪い気はしない。そう感じて霽日と表現化出来る真夏の空を見上げると、地獄鴉の頭が力なく、首元に向かって重力に従って垂れる。
「ちょっと!?こんな所で寝るんじゃないわよ!」
「ええ〜〜……とっても心地良く寝れそうなのに」
「じゃあ肩貸してあげるから縁側で寝なさいな。盥そっちに移動させるから」
この暑さだと足だけでも水で冷やした方がいいだろう。
「はあ〜〜い……」
熱く染まった蒼穹の下、大地を強く蹴って盥を押す。大分温くなったのと、蒸発して水が減ってしまったので、一人で井戸から水を汲み取って、地獄鴉がうとうとしてる盥に入れてやる。
十分な程に足し終わると、足を盥の水に浸し、翼をばさばさして縁側に座ってる友人の隣に腰を下ろす。井戸の冷たい水が気持ちいい。
すると、慣れきったように違和感無く肩に頭を乗せて、すやすやと眠り始めた。陽だまりのような空気が僅かに流れてくる。
寝たことを確認して天上を仰ぐと、全く変わらない蒼さと暑さ。僅かながら存在する暖かい睡眠誘致剤。これは寝るのが最善策。
そう決め込むと、すんなりと眠気がどんどん溜まっていって、私は誘われるように視界を闇に消した。
「…………い。……おい」
誰かが私を呼ぶ声がして視界の扉を開けると、目の前には寝起きで見たくない存在ランキングでめでたく殿堂入りを果たした、金髪の胡散臭い野郎が睨んでいた。酷く美しい蒼い空、茹でられているような暑さも何も変わっていない。
「やっと起きたのか、天人にの癖に随分と無防備だな」
相変わらずの態度と血腥い雰囲気。何でわざわざ不快な存在に会いに来るんだか。
「五月蝿いな。自分の家で寛いで何が悪い」
こちらの領域に口出しする許可を出した覚えは無い。嫌味でも言いに来たのか?
「まあ、それも一理あるが、幾ら何でも熟睡し過ぎじゃない?何回呼んだと思ってんのよ」
奴は呆れたを通り越して唖然とした表情をしていて、私は結構な熟睡を披露していたらしい。
「五回くらい?」
「十回。後一回起きなかったら水ぶっかけようかと思ってたから良かったじゃない」
「お前の起こしたとやらは、ただ言う、限度は少し大声を出す、それくらいだろう?熟睡してたら起きる訳無いだろう」
こいつは私のこと憎悪が凝り固まった表情で見るからな。まあ、仕方無いんだけども。
「当たり前でしょう?お前の天敵がわざわざこの炎天下の中赴いてやったのに、何でお前の身体を揺するという罰まで食らわなきゃならないのよ」
「で?こんな炎天下の中わざわざ来やがった理由は?」
「ああ、ちゃんとした一大事だから安心なさい。ラムネが一週間程販売休止だって」
「は?」
一瞬まだ夢の中だと思ってしまった。夢ならこんなにうざったるい暑さまで再現するなと、あいつに文句を言ってやるところだ。
「残念ながら、これは現実よ。ラムネの需要過多でそれを求める輩が暴動を起こして、ラムネの原料及び供給網を一時めちゃくちゃにしたの」
「ええ……?供給網はまあ分かるんだけど、原料をめちゃくちゃにするのは何でよ?困るのはやった本人でしょうに」
「さあ?暑さで狂ったんじゃないの。おかげでこんなに暑いのに苦労したわ。ねえ、何か冷えた飲み物無いの?」
「全く気がつかなかったけど、そんな短時間で収束したの?あ、井戸から汲み取ってくれば幾らでもあるわよ」
太陽の傾き具合から、寝る前から一時間ぐらいしか経ってなさそうなんだけど。
「そりゃあ、水量を間違えていきなりコップの水が溢れ出したかのような暴動だったからね。予測不可能だったし、その分早く収束出来た。あんなに暴れてりゃ腰が重い巫女もすっ飛んでくるしね。あ、コップ借りるわよ」
思ったより熟睡してたようだ。すぐに終わったのなら気づかなくても仕方無いのかもしれない。
金髪野郎は井戸水をコップに入れると、臓腑に染み渡る表情をしながら飲み干す。
「で、どうするの?この暑さ、まだまだ収まらる気配無いわよ」
太陽の日射しが痛いのか、そう言いながら縁側に座る。
「ラムネが飲めないとなると致命的よね。暴動が起きると食材の流通も不安定になるし」
この暴力的な暑さの前では、人々は皆狂暴になる。じゃあ、緋想の剣を使って雨降らせとかいう話になるけど、残念ながら目の前の奴によって禁じられている。まあ、生態系への影響を考えたら妥当っちゃ妥当なんだけど、今はそんな縛りに拘る必要無いと思うんだけどなあ。
「そう、困るでしょ?だから、ちょっと協力しなさい」
「雨降らせれば早いと思うんだけど。今日に限っては誰も文句言ってこないでしょ」
「残念ながら、そんな簡単に例外を作れないのよ。前例を作ってしまうと、後々困るし」
まあ、妖精とか神とかそういう存在のことを考えたら慎重になるのも分かるんだけど、今日はそんな悠長なこと言ってられないんじゃないの?
「まあ確かにそうだけどさあ。こんな殺人級の暑さの場合は許容すべきじゃない?」
「異変じゃないし、自然現象だからそんな簡単にいかないのよ」
「はあ……。で、協力ってのは?」
「ああ、アンタ暑さとか常人よりは平気でしょ?だから打ち水して暑さ紛らわせてきなさいよ。寒色の髪してるし、少しは効果あるでしょ」
「まあ、別にいいけど。朝夕でいい?真っ昼間だと逆効果でしょ、打ち水って」
「良いわよ、暑すぎるとその蒼髪も殺意を振り撒く毒薬にしかならないし……っと」
金髪野郎はあろうことか、靴を脱いで盥に足を浸し始めた。
「何勝手に人の家の盥使ってんのよ」
「帰る前に身体冷やすくらい良いでしょ?ラムネ暴動で疲れてんのよ」
「はあ……。仕方無いわね」
まあ、私は天人だからね。いくら天敵といえど、人理に反することはしないのだ。
「そういや、首元の噛み跡どうしたの?隣の鴉の?」
「ああ、そうよ。甘噛みってやつじゃない?」
雰囲気を味わうとかそういうのは伏せておいた方が良さそうね。面倒なことになりそうだし。
「へえ、こんな暑いのに元気なことねえ」
「それは私じゃなくてそっちに言いなさいよ」
すやすやと寝ている地獄鴉の方を指さす。良くこんな暑さの中寝れるものだ。
「それに付き合ってるんだから、多少は元気あるんでしょうに。霽日って言葉が相応しい蒼い空なのに、空気がこんなに焦げているなんて」
血腥い闇が私の顔を舐めるように眺める。
「……何で私の方を見るのかしら」
「何でも何も、アンタの髪色そのままの空じゃない」
蒼穹と自分の髪を比べる。目を動かして数秒。
「…………本当だ」
暑さに囚われて蒼穹と髪を比較して無かったけど、言われてみれば確かに瓜二つだ。何で気づかなかったんだろう。
「何だ、気づいて無かったの」
「暑さでそれどころじゃなかったし」
「アンタ、今日みたいな空を擬人化したような存在なのに」
少し顔を顰めて、どう考えても称賛してない表情を見せやがる。
「それ褒めてないわよね?」
「好きなように解釈して構わないわ」
「別の解釈の余地が皆無なんだけど」
「それは、アンタの脳が凝り固まってるからよ」
「……涼しくなったら殴りに行くわ」
「なら暫くは大丈夫そうね。じゃあ、体温も少しは冷めたし帰るわ。暴動対策宜しく」
「場所は人里だけで良いでしょ?」
「ええ、構わないわ。じゃあね」
そう言って金髪野郎は消えた。血腥い闇が霧散して、蒼の絵の具を垂らした空に融けていく。
相変わらず蝉の音は聞こえない。風鈴の短冊も臨時休業。そろそろ夕方のはずなのに、涼しい風すら焦げた空気に呑み込まれている。
肩が少し湿っていたので見ると、地獄鴉が汗をかいていた。どうやら、いつの間にか盥の水が温くなってしまったようだ。
蒸される暑さで地獄鴉が少し魘されている。息が少々荒くなってしまってる。
「水を足さないと」
私に身体を預けているのを何とか自立させて倒れないことを確認すると、冷たい水を足してやる。
しかし、何故か途中で彼女が目覚めてしまった。慌ててきょろきょろして何かを探してる。もしかして私かしら。
「あ、水が温くなっちゃったから足してんのよ」
「そうなんだ。びっくりしたあ」
「アンタ、魘されてたのよ」
「嘘!?」
「覚えてないの?」
「うん。結構酷い悪夢だったのかな」
「覚えてないなら気にしないのが吉よ。それで、まだ寝る?」
「う〜ん、もういいかな。でもすることが無いんだよね」
「まあね」
「あ、手伝うよ」
「ありがとう。じゃあ盥に水を入れるの頼むわね」
「うん、分かった!」
私の髪色のくせに噎せ返る暑さで嘲笑う空を睨みながら、私達は冷たい井戸水を盥に補給した。
「……ふう、これぐらいでいいかしらね」
「うん!」
桶を大地に除けると、私達は盥に浸って臓腑を冷やしこむ。
「さて、何して暇潰そうかしらねえ」
大地が火の粉を浴びるような暑さじゃ外に行けないし。
「ねえねえ!」
「何ーーーー」
瞬間、視界の扉が閉じると同時に冷感が肩から上を覆う。そう、これは紛れもないあの液体。
「水かけで遊ぼうよ!」
空が取り憑いた蒼い蒼い髪から滴る雫の隙間。暑さを吹き飛ばすかのような笑顔で地獄鴉がはしゃぐ。
それを見ると、何だかちょっと笑っちゃって。
「いいわ!負けないわよ」
お返しとばかりに、両手で掬った水を顔に向かってぶちまける。雫が散らばって友人と空を映し出す。
「やったな〜〜〜!」
真っ赤に燃え上がる太陽と蒼い蒼い空が繰り出す、温い水と涼しい水の応酬。全身が水の衣を被って、弾けて、肌に溶け込んでいく。
水が弾け飛ぶ音が長針を半周させて、残ったのは壊れたように大声で大笑いする天人と地獄鴉。
何が面白いのか、その『何』は原因不明だけど、何故か笑っちゃうときがある。
そして、同じ瞬間、至近距離で同現象が発生してるとき、笑い声の五線譜は三次元で交わって、共鳴して爽やかな和音を勃発させる。
それは『嫣然』とか『艶やか』とはかけ離れた笑いだけど、そんなもんはどうだっていい。
理由が分からないのに、馬鹿みたいに笑っちゃう。そんなことも、たまには悪くないって思う。
「あ〜〜、楽しい!楽しいねえ、天子!」
「そうねえ、何だか楽しくって堪らないわ!」
「こういうのって、まさに夏って感じだね!」
「風物詩と言っても差し支え無いかもね」
「そうだね〜〜〜!」
そう言うと、ごろりと私の首元に顔を寄せてくる。
「……もう駄目よ」
「ええ〜〜!」
「ええって、数時間前にしたでしょうが」
「うぅ…………」
地獄鴉は、悲しい心を悲痛の純色で塗り固めた表情をみせてくる。それは初志貫徹を容易に崩壊させる効果を発揮していて。
「し、仕方無いわね。前とは別の所にしなさいよ」
「うん!ありがとう!」
その笑顔は、辺りを覆っていた夏霞が太陽の空気に霧散したかのような光景を思い浮かばせる。
「ったく……」
わたしは肩を脱力させて数秒先の刺激に備える。
しかし、訪れた未来は酷く想定外の刺激だった。数間隔の秒針を叩いてやって来たのは温い温い感触に太陽の蛭が柔らかく這っている刺激。
「〜〜〜〜〜〜!!???」
それは紛れもなく、地獄鴉の舌が勃発させた現在に違い無かったが、それに対応する言葉が言霊発生装置まで降り立って来ない。神経の司令塔がエラーを吐き出している。
「ど、どうしたの!?」
「〜〜〜!!〜〜〜〜〜!!!」
どうやら自分が発生させた事象との因果関係が掴めていないよう。文句を言ってやりたかったが、脳が過回転してそれどころじゃなかった。
「??何か天子の瞳ぐるぐるしてる。何か困ってるの?」
そう言って疑問符を身体全体で表現して私の顔を凝視してくる。
その間私は何とか撥ねる心臓を抑えこむことに成功し、臓腑に沈んだ言葉を放つ。
「な、何で舐めたのよ!」
「何でって……残ってた水が邪魔だったからだよ?天子の雰囲気を味わいたいのに、他の要素があったら取り除くでしょ」
人理の和紙を鋏で直線に貫いているかの表情。あれ?私おかしいこと言ってないよね?
「いやいや!せめて一言断ってからやりなさいよ!とても驚いたんだから!!」
「そうなの?別に空にやってもいいよ?」
「そういう問題じゃないの!いきなり普段とは違うことをやってきたら驚くでしょ?断ることの方が少ないんだから、事前に言いなさいよ」
「うん、分かった!じゃあ、お詫びに天子も何か急にしてきていいよ?これでおあいこ!」
「良いわよ別に。怒ってる訳じゃないし」
無意識に不機嫌になってしまったのだろうか。慌てて普段の雰囲気を醸し出す。軽く注意したつもりだったのに。ピリピリとした空気を出してしまっていたのか。
「ええ〜〜?」
「何よその反応」
「してくれて良いんだよ?」
「特にしたいことないからいいわ」
「む〜〜……」
地獄鴉は頬を膨らませる。何が不満なんだろう。そこは緊張が泡沫になって弾けて、中から安堵が綻びるところじゃないの?
「ほら、やるんじゃないの?」
私は続きを促す。しかし。
「何かして欲しいな〜〜」
どうやらどうしても、私に何かして貰いたいようだ。陳腐から脱却を求める心理からだろうか。
「はあ……。あまり期待しないでよ」
断っても、地獄鴉の欲求である、私の髪そっくりな空に普通から離れた魅力的なインクが滲むのを見たいという、心の瑕疵は他では満たせない。
また再要求のラベルが貼られた筆を渡してくる前に、持たされた筆を活用しなければ。
「やった〜〜!!」
地獄鴉は翼をバサバサさせて、喜びと期待が膨らんだ色を顔に表す。
「本当に何なのよ……」
私は降りてきた蒼穹に描く筆で何をしようか考える。
私と地獄鴉の関係、信頼の程度、今の状況に適した未来、地獄鴉の期待にあまり逸脱しない行為。
それらの要素で構成された筆を吟味した結果、いくつかの候補が浮かび上がってきた。
抱擁、甘噛み、頭を撫でる。出てきた候補はその三つ。しかし、甘噛みは突然実行するのは友人といえど流石にどうかと思うし、頭を撫でる行為は陳腐の塊過ぎて駄目。
いや、言ってからすれば甘噛みはいけるかも。でもなあ。人間純度指数最高値を叩き出した私が、妖怪や獣のようなことをするのもなあ。
よし、決めた。抱擁にしよう。不満の声が穿ってくるだろうけど、時間を長くすれば大丈夫でしょ。
私は、そわそわワクワクの放射体の背中を引き寄せると、優しく抱擁する。水に漬かってるといえど、やっぱり体温は上昇気味。
ぬくぬくふわふわした翼が溜め込んでいるギラギラに刺された熱気の匂い、痛すぎて皮膚が絶叫して流して染み込んだ仄かな汗の匂い、そして地獄鴉特有の気持ちが和らぐ優しい日溜まりの匂いが一気に押し寄せてくる。
しかし、そのような匂いは次の瞬間、変容してしまう。
「て〜〜ん〜〜し〜〜!!!」
お気に召さなかった太陽が快晴にむかって暴れ始めたからだ。
不機嫌と失望と不満と瞋恚がくっついた顔を見せながら、あまり弾力が無い頬を強く引っ張ってくる。
「ひ、ひっはらないへよ!いはいいはい!!」
「む〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
私の頬を赤血球で浸潤させても怒りが収まらなかったのか、首元や項に数ヶ所鬱血痕を形成させてくる。
これはヤバイ。痕は消えるのに数日かかるのに。
「ちょっと!?わ、悪かったから!再チャレンジ!挽回のチャンスをちょうだい?」
「じゃあいつもとは違うことやってくれる?」
この瞬間、少し先の事象が確定したお知らせが脳から発せられた。
「え、ええ!任せて」
「やった〜!何をしてくれるのかな?」
弾ける笑顔がこの時ばかりは怖い。皮膚が焼けるどころか、耐えきれずズルズルになりそうな陽射しだというのに、冷感が身体全体にへばりついてるよう。
「……今言った方が良い?」
「信じてるから大丈夫!」
「じゃあ、やるわね」
私は、火傷するような霽日と凍傷しそうな空気が恐ろしい程に混合してしまった現状を一刻も早く打開する為に、確定事項を実行する。
柔らかい首元に優しく歯を突き刺す。味わいとかそういうことなんかより、痛く感じてないかどうかの方が遥かに脳を支配していた。
胃も心臓も脳もけたたましい合唱をしている。鼓動が五月蝿く激しく蠢いている。
「痛くない?」
「うん、全然。もっと強くしてくれてもいいぐらい」
その返答は私の万能薬となった。安堵という言葉を大幅に乗り越えた平穏が、心の扉を叩いて現れる。
「これ以上は怖いからやめとくわ」
「ええ〜〜?してくれて良いのに」
「こういうのって経験無いから、加減が分からないのよ」
「じゃあ、今練習すればいいじゃん!」
「いやいや、アンタが思ってるより怖いからね、これ。首って結構大事な血管や神経が通ってんだから」
「少しずつ慣らしていけば大丈夫だよ」
「何でそんなに強くさせたがんのよ……」
「だって、天子優しすぎて食べられてる感じしないんだもん」
「何言ってるの!?私そのつもりでやってないわよ!?」
「ああ、雰囲気の話だよ、雰囲気の。天子だって、良く味わってないでしょ?」
慌ててる様子が隠せてないぞ。これ、本当に思ってたでしょ?
「良くも何も、味わう余裕無かったわよ」
「そうなの?じゃあ今味わって!」
「え、ええ」
私は再び歯を突き刺して、肺が焼けるような熱気が支配するこの天気のなかで、僅かに漂う雰囲気を感知すべく心を明鏡止水にする。
舌神経と嗅神経が描き出したのは、元気いっぱいで活発に笑顔を振り撒く優しい太陽。
その太陽は、自分の負の感情を忸怩たる思いに変貌させる輝きを放っていて、見ると火傷しそうな程に眩しいのに、何故かどうしようもないほど縋ってしまう。
「どう?」
「……眩しくて優しい太陽が笑ってるわ」
「空ってやっぱり太陽って感じる?」
「ええ、とっても」
「ふ〜〜ん。だったら、ちょっとは傲慢でもいいよね?」
ほんのりと何かの企みを含んだ梔子色の笑顔が、天色の方を向くと薄い悪戯のベールに覆われる。
「ええ、少しならね」
何をするつもりだろう。太陽がにんまりと笑う五秒前、想像の斜め上に突き飛ばされた十秒後の未来を身構える。
「じゃあ、今日は天子の雰囲気を空が独占しちゃうから!!」
にんまりと、にんまりと、陽炎を従えた梔子色が激しく弾ける。
ゼロ距離で照らされた霽日は、傲慢な太陽に為す術もなかった。
「傲慢ね」
「えへへ」
にへらと笑う地獄鴉は、私を縛り付けるように抱き締める。柔らかい日溜まりの匂いが鼻腔を擽る。
呼吸が少し苦しくなるけど、蒼穹の嫌悪感よりも太陽の安堵感が遥かに勝る。これは光を追い求める古来からの本能だろうか。
「だから、天子の雰囲気もう一回ちょうだい?」
全盛期の太陽が牙を向ける。ただの青色はされるがままに象牙色を受け入れた。
「ああ、いつの間にか夕方になっていたわね」
天色は曙色に侵食され、茜色を目指して征こうとしていた。
蝉の合唱祭は再開し、真夏日を下回った凱歌を叫ぶ。日陰で涼んでいた蚊が渦巻きに引っかかり始める。
「そうだね。今日は楽しかったなあ」
私の雰囲気を溢れる程に味わった地獄鴉は、発赤痕と噛み跡に塗れた首を柔らかく撫でる。
「まあね、こういう日も悪くないわね」
暖かい日溜まりの柔らかさを存分に味わった私は、熱帯夜に茹でられる未来にも拘らず、上機嫌だった。
シャワシャワ、ジージーと泣き喚く背景音を流しながら、私は金髪野郎との約束を思い出す。
「悪いけど、これから打ち水をしに外を回んなきゃいけないから、ちょっと待っててくれる?」
「ええ〜〜!!独り占めの約束は〜〜??」
「悪いけど先約でね。暑すぎて暴動起きたから、再発防止の為に体感温度下げなきゃいけないのよ」
「あ〜〜。天子の雰囲気涼しいもんね」
「まあ、それは人によるとしか言えないけどね。そういうわけで、ちょっと待っててくれない?」
「じゃあ空も行く!手伝うもん」
「……まあいいけど。逆効果になるかもしれないから、出来るだけ私から離れないでよ?」
「うん!!」
茜色が太陽を隠すなか、過去になった蒼穹と太陽は、打ち水をする為に出かけた。
私は、あろうことか、首を隠すのを忘れてしまっていた。それは、翌日の新聞を蝉よりも五月蝿くした。
「……………子。………………天子!」
目を覚ますと、胡散臭い金髪の象徴が覗き込んでいた。
中途半端に聡明な私の頭は、数百年前の過去を夢で見たと瞬時に理解した。
「んあ…………何よ」
「何でも何も、墓参りの約束したでしょう?何気持ち良く寝てるのかしら」
金髪野郎は柔らかく諌める。その瞳は、少しだけ充血していた。きっと、今の私もそうだろう。
「ああ〜〜……久し振りに涼しくて寝ちゃったみたい。すまないわね」
右肩上がりに上昇する地球温暖化は、外界の人間が抑え込むのに失敗したせいで、あの夢の暑さでも現在では涼しいと認識されていた。
今日の空はあの時と同じ、私と同じ髪色をしていた。でも、隣にはあの太陽はもう居ない。それだけでも、それだけでも、私には。
気温上昇に適応した蝉が五月蝿いのが夢から覚まさせる要素になっていて、シャワシャワ、ジージーと元気に泣き喚いていた。
「……また、あの頃を思い出したの?」
「……そうみたい。まあ、今日お盆だし、そのせいかも」
記録された媒体から再生されるしかお空の声を聴く手段が無い。もう、夢でいいから恒常化から逃れた声を聴きたいと願っても、この世界はそれすらも許してはくれなかった。
だけど、頽れるなんてのは、駄目。お空も、こんな私は見たくないに決まってるから。笑顔を見せないと、心配させちゃう。
「そうねえ。私も今日あの巫女が久し振りに夢に出てきたし」
「じゃあお互い一年ぶり?」
「ええ。きっと急かしてるのね」
「あの巫女ならやりそうだし、早く行った方がいいわね」
少し嬉しそうな声色が隠せていない。そりゃあそうだ、私だって。
「早く準備しなさいよ〜〜」
「分かった〜〜」
私は、お空が遺してくれた緑のリボンを髪に結ぶ。あの日溜まりが、暖かい太陽が、掠れた記憶でも、私を未来へと進ませてくれるんだ。
梔子色の太陽が、蒼穹を覗き込んで、あの頃のように笑っていた気がしたんだ。
きっと、これは。
炎天下40度。控えめに言って太陽に殺意が湧いてくる気温。蝉の合唱祭は臨時閉会して子育てに勤しむ燕が旋律を支配し、雀蜂は蜜を運ぶよりも水分補給を優先して僅かに残った雫を舐めに訪れる。
庭に勝手に生えた昼顔は桜色の花をくたびれさせ、植えた向日葵の大輪は流石の暑さに太陽へ文句を言ってるよう。
それに加えて、更に陽炎を活発にさせる要因が身体にくっついている。
「暑いよねえ。こんなにも暑いと参っちゃうよ」
地獄鴉。体温が人間より少し高い私の友人。そいつが私の背中からぴったりと抱きついてくる。しかも今は水着だ。だから体温が接触する範囲が通常の数倍。
「暑いのはアンタのせいでもあんのよ!離れなさい!!」
「だって〜〜。天子の体温冷たくて気持ちいいんだもん」
「アンタの体温が高いだけよ!私が天人だから良いものの、常人なら倒れてるわよ!」
折角少しの風ですら体温低下に役立てるべく、縁側に風鈴と錆びた扇風機を引っ張り出してそこに陣取っているにも関わらず、地獄鴉はその努力を崩してしまう。
風鈴の音は冷涼感より五月蝿い不快感が勝り、扇風機も全く効果を感じない為に錆びながら回す音を蹴り飛ばしたくなる。
「天子の青さも関係してるよ〜〜?涼しい気分と匂いがするもん」
大層満足そうに笑みを見せるが、こちらとしたら現在進行系で暑い。暑い。
「その気分と匂いとやらが暑さで霧散する前に離れなさいよ!そもそも灼熱地獄に居ても平気ならこの暑さぐらい大丈夫でしょうが」
「あれは暑さならそうだけど、蒸し暑さとか太陽の痛い日射しは無いじゃん?空はああいうのが苦手なんだよ〜」
「じゃあ地底に引き籠もってなさいよ〜〜!!」
私は力強く引き剥がそうとするも、地獄鴉は後ろから脇を通し、肩を掌で強く強く握って許さない。
「い、や、だ〜〜〜〜!!」
「それはこっちの台詞よ〜〜!!」
勝つ未来が見えてこない攻防。別の方向からこの鴉を引き剥がすのが最善策。
そう思った私は、地獄鴉を引き摺りながら物置きに直行し、眠っていた大きな盥を起こさせる。
「何これ〜?」
「嘲笑う太陽とじわじわと生気を削ぐ太陽二号をどうにかする最終兵器よ!」
「へ〜〜?どう使うの?」
比喩は伝わらなかったらしい。まあいいけど。
「まずは私が桶で井戸から水を汲む!そしたらアンタがこの盥に水を入れる!という訳で離れなさい。今すぐ」
「え〜〜?何するの〜?」
「水浴びよ!だから手伝いなさい!」
未だに離れようとしない地獄鴉に目的を伝える。すると、理解したのか晴れやかな笑顔が綻ぶ。
「じゃあ始めるから」
私は乱雑に井戸から桶に水を汲むと、地獄鴉は盥に水を投げ入れる。その作業を陽炎を斬りたくなる程続けると、水浴び出来るくらいまでになった。
「ふう……これで良いかしらね」
「本当!?やった〜〜!!」
喜んで飛び込もうとする地獄鴉の両脇を掴んで止める。
「何で止めるの!?」
「私の服がしとどになるからに決まってんでしょうが。これから出かけんのよ」
脚を暴れさせて陽炎を蹴りまくってる地獄鴉に理由を伝えてやる。すると、疑問符が取り憑いたような表情。
「??どうして?入らないの?」
「喉が渇いてるから爽快感溢れる飲み物を買ってくるわ。アンタはそこで涼んでなさい」
こんな暑い日はあの飲み物に限る。予め予約しておいたから買えるはずだ。
「なるほど!行ってらっしゃい〜〜!」
涼んだ太陽が活発な笑顔を見せる。
「ええ、行ってくるわ」
天上から俯瞰する雲一つ無い蒼い蒼い空。大地に繁茂する緑の草原から込み上げる焦げた夏の匂い。
私はそれらに挟まれながら、炎天下で焦げる空気を貫いて目的地へと翔けた。
目的地。そこは駄菓子屋。童達がたむろって騒ぐ場所。
しかし、今日は童達に混じって仕事から抜け出した大工や赤子を背負っている主婦が溶け込んでいる。
病気になりそうな炎天下、ここに集まってきた人間の目的はただ一つ。そう、あの爽快を齎す飲み物だ。
店前には『ラムネ本日予約の方のみあり〼』と立て看板があり、文句を言って小石を蹴り上げる商人や明日の分があるかどうか周りに聞いてる魚屋の主人、辛うじて間にあって爽快を飲んでる人間を妬む輩が彷徨いていた。
そいつらが醸し出す喧騒を突っ切って駄菓子屋に入ると、少しの列が並んでいた。
そして、目の前の最後尾は列の中で一際異様な雰囲気を空気に撒き散らす、見覚えがありすぎる隙間野郎だった。
溶け込む努力は最低限しただろう、人里に僅かに居る服装をしていて、まあ贅沢な商人が見せびらかすようなもの、そう表現するのが適切か。
しかし今の私は、店内の数台の扇風機がごおごお喚きながら頑張っていても焼け石に水のこの暑さ、嫌味を言う気なんてこれっぽちも無く、話すことすら億劫だった。
出来るなら店主以外と話したくなく、奴が気づかなければ良いとすら思ったが、残念ながら私の雰囲気というか、この暑さに致命的までに似合わない僅かに甘い匂いは、炎天下では隠せるものでは到底無かった。
「……久しぶりね」
億劫そうに少し顔を見せてくる。どうやら奴も私と同じ気持ちらしい。こんなことで思考を一致させたくなかったが。
「ええ……」
最低限の応答。恐らく奴も私と会話したいなんて湯気の粒程も無いだろうが、後で何か言われるのは面倒だと思ったらしく、挨拶はしてきた。
奴が此処に来た原因は、恐らく式の式にラムネを買ってあげる為だろう。実際、此処に並んでる連中の目的はラムネのみだ。
仕事とか任務とやらを頑張ったご褒美に何か買ってあげようとしているのだろう。その行動は称賛されるに相応しい。私は絶対しないが。
炎天下に暫く無言が霧散した後、奴がラムネを三個購入して店を出て行った。別れの挨拶は目のみだったが、それで構わなかった。お互い暑さに参った瞳をしていただろうから。
私は二個購入すると、爽快が暑さで温くなる前に剛速球の弾丸のように空を貫いた。
「ほら、ラムネ」
脳が沸騰する幻覚を感じながら地獄鴉に手渡す。いや、既に湯気は出ているのかもしれない。鋭く頭痛が喚いてくる。
「ありがとう〜〜!!」
そう言ってずぶ濡れの体温が私に抱きついてくる。やはり最初より水温は少し温くなっていたが、それですら今の私には充分過ぎた。
このままで居たかったので、地獄鴉の肩の後ろに回した手でラムネを開栓する。そのすぐ後に続く音がした。
ぷしゅ、ころん
普段なら爽快を象徴する音ですら、今の私の心には響かない。私はただただ爽快を味わいたかった。
暑さに参った瞳をしながら爽快を喉に落とし込む。全細胞を貫く爽快、臓腑に染み渡る冷涼。クールダウンする脳髄。
「ああ〜〜〜〜、これよこれ!!この爽快感は堪らないわ!!」
私は狂ったように凱歌を叫ぶ。傍から見たら同居人を抱きながらラムネを称賛してるなんて、暑さにやられたのかと思うかもしれないが、そんなことは心底どうでも良かった。
「うん、良いよね〜これ!まさにこのような天気にぴったりだよ!」
ラムネ。爽やかな空が詰まったもの。これを考案した人物は偉大だろう。
それは真理らしく、現に地獄鴉もラムネが齎す爽快感に感動している。
「はあ〜〜。ずっと飲んでたいわ」
爽やかな空があっという間に尽きる。これは太陽が東から西に移動すると同じくらいどうしようもないことだが、こればっかりは真理を憎んでしまう。
「ちょっと残ってるけど飲む?」
地獄鴉からのまさかの提案。とても嬉しいけど、意外すぎて驚いてしまう。
「いいの?」
「うん、天子暑さで疲れてるだろうし」
「ありがとう、助かるわ!」
五分の一程残ったラムネには、海と空が一体化した蒼い色に、蒼が淡く染まった白い白い入道雲が貫いて、地面から黄金と日光が混ざった大きい一輪の向日葵がそれに追随しようとする、そんな風景が映っていた。
これは幻覚か、暑さにでもやられたか。しかし、味わってみたいという突き動かす衝動に抗えず、蒼い空を飲む。
その味は、美味しいとか甘いとかそんな時限じゃなくて、景色が脳裏にこびりつく味。通常のラムネよりも遥かにーー何だろう、『勝る』とか『優れる』じゃなくて、何だろう。生まれて初めての味。
「ぷはあっ」
「本当に好きだよね、ラムネ」
「ええ。こんな異常な暑さの特効薬だからね」
生まれて初めて味わう感覚に戸惑いながらも、表情は満面の笑顔が零れる。まあ、ラムネを賞賛するのは当たり前だからかな。自分でも良く分からない。
「……ねえ、空とラムネどっちが好きなの?」
何故か地獄鴉は少し頬を膨らませて訊いてくる。
「んなもん、アンタに決まってんでしょうが」
「本当!?」
「この私が、アンタよりラムネを選ぶ訳無いでしょう?」
友人より飲み物を選ぶなんて、友人にもこの世界にも失礼に値するしね。それに、あの感覚を生み出した本人を選ばない訳が無い。
「やった〜〜〜〜!!」
地獄鴉は太陽の眩しい笑顔で私に抱きついてきて、腕と翼で強く強く抱きしめてくる。ほんのりと夏の匂い。あの、不思議な味の鱗片が鼻腔から脳を突き刺す。
「ちょ、ちょっと苦しいわよ」
あまりに強く抱きしめてくるもんだから、肺が空気を吐き出したまま吸えない。
「えへへ、ごめんごめん」
弱まったと思ったら、頬を頬にすりすりすりすりしてきた。右と左を交互に。夏バテの蝉が陰で休む炎天下に黒い羽が地面を疎らに染める。
地獄鴉の友情表現をそのまま受けていると、ぐいっと盥の空を写した壁に押し倒された。
「なっ……!?」
バシャッと大きな水音。水が沸騰するような蒼い空に透明な水飛沫が弾ける。
「折角だし一緒に入ろ?」
蒼い背景が地獄鴉に塗り潰される。水温は予想通り大分上昇していたが、それですら心地良い。
「ええ」
起き上がると、翼がバシャバシャ水面を突き抜ける音が往復する。暫く真っ青な天上をただただ眺めていると、不意に地獄鴉の顔が私の首元のすぐ近くまで接近して来た。
「な、何よ」
何かに興味を惹かれてる顔。それは何度も見たことあるのだけど、瞳が首元を狙っているのがよく分からない。
「さっきのラムネよりも、天子の方が涼しくなると思う」
「え、え〜〜と?私って食べられないわよ……?」
言葉の真意が読み取れず、私は思わず訊いてしまう。食べちゃいたいほど好きとか、そういうのを聞いたことはあるけど。
「食べないよ〜〜。ただ、少しだけ天子の雰囲気をかぷっと味わいたいんだけど」
雰囲気って身体から直接摂取出来るものなのかしら?そんな疑問が脳に浮かんでくるが、先程味わった光景と同じ次元のようなものが再現出来るかもと、興味がふつふつと湧いてくる。
「まあ、血が出ない程度なら構わないわよ」
「ありがとう!じゃあ、いただきます♪」
地獄鴉の歯が首元を覆って弱く突き刺す。思ったよりも痛くなく、むしろくすぐったい感覚が勝っている。
「うん、思った通りラムネよりも涼しい〜〜!天子の真っ青で蒼くて甘い、天子の雰囲気はずっとずっとひんやりするよ〜〜」
とても心地良さそうな表情。何か途轍もない背徳感が脊髄を握ってくるが、太陽の笑顔の前には敵わなかった。
「あらそう。自分では良く分からないけど、そんな雰囲気を醸し出しているのねえ」
首元を甘噛みすることで、雰囲気を吟味出来ることの方が大発見だけどね。
地獄鴉が出来るなら、私だって出来るのではないか。もしそうなら、どんな雰囲気を味わえるのだろう。やっぱり真夏の炎天下かな?
「因みにその雰囲気を味わってみて、どんな風景がするの?」
「そうだねえ、呑み込まれそうな程蒼い蒼い空に」
まあ、やっぱり私のイメージカラーが全体を覆ってるのか。それは予想通りだし、当然過ぎる。
「次に、心が全部惹きつけられる美しさの赤い宝石が、こっちを見ていて」
『赤い宝石』。私の瞳から来る情景か。瞳も瑠璃のように蒼かったら、その台詞を何度言われたか。
まあ、言い分も分かる。だって、どう考えても邪魔だもの、蒼に相反する緋色の瞳は。
青空を宿したスカートを纏っているくせに、何故それを邪魔する瞳の色なんだと。天人になったときに、耳に胼胝が出来る程落胆した台詞を聞いた。父親にも心の底から残念そうに台詞を吐かれた。
私だって好きでなった訳じゃないのにね。天人になったら、いつも見上げていたあの青空のようになりたいとか馬鹿げたことを夢想してたら、瞳だけ叶わなかったという、この世界は酷く残酷だ。
だけど私は後悔してないし、むしろ透き通るような蒼い髪をくれたことに感謝してる。小言なんて聞き慣れた。
それに、この緋色の瞳も好きになった。だって、緋色は高貴な色。作るのが難しい希少な色。その色を私が宿しているのだから。
「甘い甘い空気が爽やかな風で揺れて」
桃ねえ。そんなに匂いするのかしら。帽子の桃は食べれないし。
「その景色の前で天子が眩しく笑ってるの」
「いやいや。風景に私が出てきちゃ駄目でしょ」
元々私の雰囲気なのだから、そう描いてしまうのも仕方ないかもしらないけど。
「そうかなあ?でも、空はとっても美しい景色だと思うんだよなあ」
かぷかぷと首元を甘噛みしながら、地獄鴉は微笑む。
「……そうかもしれないわね」
友達補正が大分かかっているようだが、まあ悪い気はしない。そう感じて霽日と表現化出来る真夏の空を見上げると、地獄鴉の頭が力なく、首元に向かって重力に従って垂れる。
「ちょっと!?こんな所で寝るんじゃないわよ!」
「ええ〜〜……とっても心地良く寝れそうなのに」
「じゃあ肩貸してあげるから縁側で寝なさいな。盥そっちに移動させるから」
この暑さだと足だけでも水で冷やした方がいいだろう。
「はあ〜〜い……」
熱く染まった蒼穹の下、大地を強く蹴って盥を押す。大分温くなったのと、蒸発して水が減ってしまったので、一人で井戸から水を汲み取って、地獄鴉がうとうとしてる盥に入れてやる。
十分な程に足し終わると、足を盥の水に浸し、翼をばさばさして縁側に座ってる友人の隣に腰を下ろす。井戸の冷たい水が気持ちいい。
すると、慣れきったように違和感無く肩に頭を乗せて、すやすやと眠り始めた。陽だまりのような空気が僅かに流れてくる。
寝たことを確認して天上を仰ぐと、全く変わらない蒼さと暑さ。僅かながら存在する暖かい睡眠誘致剤。これは寝るのが最善策。
そう決め込むと、すんなりと眠気がどんどん溜まっていって、私は誘われるように視界を闇に消した。
「…………い。……おい」
誰かが私を呼ぶ声がして視界の扉を開けると、目の前には寝起きで見たくない存在ランキングでめでたく殿堂入りを果たした、金髪の胡散臭い野郎が睨んでいた。酷く美しい蒼い空、茹でられているような暑さも何も変わっていない。
「やっと起きたのか、天人にの癖に随分と無防備だな」
相変わらずの態度と血腥い雰囲気。何でわざわざ不快な存在に会いに来るんだか。
「五月蝿いな。自分の家で寛いで何が悪い」
こちらの領域に口出しする許可を出した覚えは無い。嫌味でも言いに来たのか?
「まあ、それも一理あるが、幾ら何でも熟睡し過ぎじゃない?何回呼んだと思ってんのよ」
奴は呆れたを通り越して唖然とした表情をしていて、私は結構な熟睡を披露していたらしい。
「五回くらい?」
「十回。後一回起きなかったら水ぶっかけようかと思ってたから良かったじゃない」
「お前の起こしたとやらは、ただ言う、限度は少し大声を出す、それくらいだろう?熟睡してたら起きる訳無いだろう」
こいつは私のこと憎悪が凝り固まった表情で見るからな。まあ、仕方無いんだけども。
「当たり前でしょう?お前の天敵がわざわざこの炎天下の中赴いてやったのに、何でお前の身体を揺するという罰まで食らわなきゃならないのよ」
「で?こんな炎天下の中わざわざ来やがった理由は?」
「ああ、ちゃんとした一大事だから安心なさい。ラムネが一週間程販売休止だって」
「は?」
一瞬まだ夢の中だと思ってしまった。夢ならこんなにうざったるい暑さまで再現するなと、あいつに文句を言ってやるところだ。
「残念ながら、これは現実よ。ラムネの需要過多でそれを求める輩が暴動を起こして、ラムネの原料及び供給網を一時めちゃくちゃにしたの」
「ええ……?供給網はまあ分かるんだけど、原料をめちゃくちゃにするのは何でよ?困るのはやった本人でしょうに」
「さあ?暑さで狂ったんじゃないの。おかげでこんなに暑いのに苦労したわ。ねえ、何か冷えた飲み物無いの?」
「全く気がつかなかったけど、そんな短時間で収束したの?あ、井戸から汲み取ってくれば幾らでもあるわよ」
太陽の傾き具合から、寝る前から一時間ぐらいしか経ってなさそうなんだけど。
「そりゃあ、水量を間違えていきなりコップの水が溢れ出したかのような暴動だったからね。予測不可能だったし、その分早く収束出来た。あんなに暴れてりゃ腰が重い巫女もすっ飛んでくるしね。あ、コップ借りるわよ」
思ったより熟睡してたようだ。すぐに終わったのなら気づかなくても仕方無いのかもしれない。
金髪野郎は井戸水をコップに入れると、臓腑に染み渡る表情をしながら飲み干す。
「で、どうするの?この暑さ、まだまだ収まらる気配無いわよ」
太陽の日射しが痛いのか、そう言いながら縁側に座る。
「ラムネが飲めないとなると致命的よね。暴動が起きると食材の流通も不安定になるし」
この暴力的な暑さの前では、人々は皆狂暴になる。じゃあ、緋想の剣を使って雨降らせとかいう話になるけど、残念ながら目の前の奴によって禁じられている。まあ、生態系への影響を考えたら妥当っちゃ妥当なんだけど、今はそんな縛りに拘る必要無いと思うんだけどなあ。
「そう、困るでしょ?だから、ちょっと協力しなさい」
「雨降らせれば早いと思うんだけど。今日に限っては誰も文句言ってこないでしょ」
「残念ながら、そんな簡単に例外を作れないのよ。前例を作ってしまうと、後々困るし」
まあ、妖精とか神とかそういう存在のことを考えたら慎重になるのも分かるんだけど、今日はそんな悠長なこと言ってられないんじゃないの?
「まあ確かにそうだけどさあ。こんな殺人級の暑さの場合は許容すべきじゃない?」
「異変じゃないし、自然現象だからそんな簡単にいかないのよ」
「はあ……。で、協力ってのは?」
「ああ、アンタ暑さとか常人よりは平気でしょ?だから打ち水して暑さ紛らわせてきなさいよ。寒色の髪してるし、少しは効果あるでしょ」
「まあ、別にいいけど。朝夕でいい?真っ昼間だと逆効果でしょ、打ち水って」
「良いわよ、暑すぎるとその蒼髪も殺意を振り撒く毒薬にしかならないし……っと」
金髪野郎はあろうことか、靴を脱いで盥に足を浸し始めた。
「何勝手に人の家の盥使ってんのよ」
「帰る前に身体冷やすくらい良いでしょ?ラムネ暴動で疲れてんのよ」
「はあ……。仕方無いわね」
まあ、私は天人だからね。いくら天敵といえど、人理に反することはしないのだ。
「そういや、首元の噛み跡どうしたの?隣の鴉の?」
「ああ、そうよ。甘噛みってやつじゃない?」
雰囲気を味わうとかそういうのは伏せておいた方が良さそうね。面倒なことになりそうだし。
「へえ、こんな暑いのに元気なことねえ」
「それは私じゃなくてそっちに言いなさいよ」
すやすやと寝ている地獄鴉の方を指さす。良くこんな暑さの中寝れるものだ。
「それに付き合ってるんだから、多少は元気あるんでしょうに。霽日って言葉が相応しい蒼い空なのに、空気がこんなに焦げているなんて」
血腥い闇が私の顔を舐めるように眺める。
「……何で私の方を見るのかしら」
「何でも何も、アンタの髪色そのままの空じゃない」
蒼穹と自分の髪を比べる。目を動かして数秒。
「…………本当だ」
暑さに囚われて蒼穹と髪を比較して無かったけど、言われてみれば確かに瓜二つだ。何で気づかなかったんだろう。
「何だ、気づいて無かったの」
「暑さでそれどころじゃなかったし」
「アンタ、今日みたいな空を擬人化したような存在なのに」
少し顔を顰めて、どう考えても称賛してない表情を見せやがる。
「それ褒めてないわよね?」
「好きなように解釈して構わないわ」
「別の解釈の余地が皆無なんだけど」
「それは、アンタの脳が凝り固まってるからよ」
「……涼しくなったら殴りに行くわ」
「なら暫くは大丈夫そうね。じゃあ、体温も少しは冷めたし帰るわ。暴動対策宜しく」
「場所は人里だけで良いでしょ?」
「ええ、構わないわ。じゃあね」
そう言って金髪野郎は消えた。血腥い闇が霧散して、蒼の絵の具を垂らした空に融けていく。
相変わらず蝉の音は聞こえない。風鈴の短冊も臨時休業。そろそろ夕方のはずなのに、涼しい風すら焦げた空気に呑み込まれている。
肩が少し湿っていたので見ると、地獄鴉が汗をかいていた。どうやら、いつの間にか盥の水が温くなってしまったようだ。
蒸される暑さで地獄鴉が少し魘されている。息が少々荒くなってしまってる。
「水を足さないと」
私に身体を預けているのを何とか自立させて倒れないことを確認すると、冷たい水を足してやる。
しかし、何故か途中で彼女が目覚めてしまった。慌ててきょろきょろして何かを探してる。もしかして私かしら。
「あ、水が温くなっちゃったから足してんのよ」
「そうなんだ。びっくりしたあ」
「アンタ、魘されてたのよ」
「嘘!?」
「覚えてないの?」
「うん。結構酷い悪夢だったのかな」
「覚えてないなら気にしないのが吉よ。それで、まだ寝る?」
「う〜ん、もういいかな。でもすることが無いんだよね」
「まあね」
「あ、手伝うよ」
「ありがとう。じゃあ盥に水を入れるの頼むわね」
「うん、分かった!」
私の髪色のくせに噎せ返る暑さで嘲笑う空を睨みながら、私達は冷たい井戸水を盥に補給した。
「……ふう、これぐらいでいいかしらね」
「うん!」
桶を大地に除けると、私達は盥に浸って臓腑を冷やしこむ。
「さて、何して暇潰そうかしらねえ」
大地が火の粉を浴びるような暑さじゃ外に行けないし。
「ねえねえ!」
「何ーーーー」
瞬間、視界の扉が閉じると同時に冷感が肩から上を覆う。そう、これは紛れもないあの液体。
「水かけで遊ぼうよ!」
空が取り憑いた蒼い蒼い髪から滴る雫の隙間。暑さを吹き飛ばすかのような笑顔で地獄鴉がはしゃぐ。
それを見ると、何だかちょっと笑っちゃって。
「いいわ!負けないわよ」
お返しとばかりに、両手で掬った水を顔に向かってぶちまける。雫が散らばって友人と空を映し出す。
「やったな〜〜〜!」
真っ赤に燃え上がる太陽と蒼い蒼い空が繰り出す、温い水と涼しい水の応酬。全身が水の衣を被って、弾けて、肌に溶け込んでいく。
水が弾け飛ぶ音が長針を半周させて、残ったのは壊れたように大声で大笑いする天人と地獄鴉。
何が面白いのか、その『何』は原因不明だけど、何故か笑っちゃうときがある。
そして、同じ瞬間、至近距離で同現象が発生してるとき、笑い声の五線譜は三次元で交わって、共鳴して爽やかな和音を勃発させる。
それは『嫣然』とか『艶やか』とはかけ離れた笑いだけど、そんなもんはどうだっていい。
理由が分からないのに、馬鹿みたいに笑っちゃう。そんなことも、たまには悪くないって思う。
「あ〜〜、楽しい!楽しいねえ、天子!」
「そうねえ、何だか楽しくって堪らないわ!」
「こういうのって、まさに夏って感じだね!」
「風物詩と言っても差し支え無いかもね」
「そうだね〜〜〜!」
そう言うと、ごろりと私の首元に顔を寄せてくる。
「……もう駄目よ」
「ええ〜〜!」
「ええって、数時間前にしたでしょうが」
「うぅ…………」
地獄鴉は、悲しい心を悲痛の純色で塗り固めた表情をみせてくる。それは初志貫徹を容易に崩壊させる効果を発揮していて。
「し、仕方無いわね。前とは別の所にしなさいよ」
「うん!ありがとう!」
その笑顔は、辺りを覆っていた夏霞が太陽の空気に霧散したかのような光景を思い浮かばせる。
「ったく……」
わたしは肩を脱力させて数秒先の刺激に備える。
しかし、訪れた未来は酷く想定外の刺激だった。数間隔の秒針を叩いてやって来たのは温い温い感触に太陽の蛭が柔らかく這っている刺激。
「〜〜〜〜〜〜!!???」
それは紛れもなく、地獄鴉の舌が勃発させた現在に違い無かったが、それに対応する言葉が言霊発生装置まで降り立って来ない。神経の司令塔がエラーを吐き出している。
「ど、どうしたの!?」
「〜〜〜!!〜〜〜〜〜!!!」
どうやら自分が発生させた事象との因果関係が掴めていないよう。文句を言ってやりたかったが、脳が過回転してそれどころじゃなかった。
「??何か天子の瞳ぐるぐるしてる。何か困ってるの?」
そう言って疑問符を身体全体で表現して私の顔を凝視してくる。
その間私は何とか撥ねる心臓を抑えこむことに成功し、臓腑に沈んだ言葉を放つ。
「な、何で舐めたのよ!」
「何でって……残ってた水が邪魔だったからだよ?天子の雰囲気を味わいたいのに、他の要素があったら取り除くでしょ」
人理の和紙を鋏で直線に貫いているかの表情。あれ?私おかしいこと言ってないよね?
「いやいや!せめて一言断ってからやりなさいよ!とても驚いたんだから!!」
「そうなの?別に空にやってもいいよ?」
「そういう問題じゃないの!いきなり普段とは違うことをやってきたら驚くでしょ?断ることの方が少ないんだから、事前に言いなさいよ」
「うん、分かった!じゃあ、お詫びに天子も何か急にしてきていいよ?これでおあいこ!」
「良いわよ別に。怒ってる訳じゃないし」
無意識に不機嫌になってしまったのだろうか。慌てて普段の雰囲気を醸し出す。軽く注意したつもりだったのに。ピリピリとした空気を出してしまっていたのか。
「ええ〜〜?」
「何よその反応」
「してくれて良いんだよ?」
「特にしたいことないからいいわ」
「む〜〜……」
地獄鴉は頬を膨らませる。何が不満なんだろう。そこは緊張が泡沫になって弾けて、中から安堵が綻びるところじゃないの?
「ほら、やるんじゃないの?」
私は続きを促す。しかし。
「何かして欲しいな〜〜」
どうやらどうしても、私に何かして貰いたいようだ。陳腐から脱却を求める心理からだろうか。
「はあ……。あまり期待しないでよ」
断っても、地獄鴉の欲求である、私の髪そっくりな空に普通から離れた魅力的なインクが滲むのを見たいという、心の瑕疵は他では満たせない。
また再要求のラベルが貼られた筆を渡してくる前に、持たされた筆を活用しなければ。
「やった〜〜!!」
地獄鴉は翼をバサバサさせて、喜びと期待が膨らんだ色を顔に表す。
「本当に何なのよ……」
私は降りてきた蒼穹に描く筆で何をしようか考える。
私と地獄鴉の関係、信頼の程度、今の状況に適した未来、地獄鴉の期待にあまり逸脱しない行為。
それらの要素で構成された筆を吟味した結果、いくつかの候補が浮かび上がってきた。
抱擁、甘噛み、頭を撫でる。出てきた候補はその三つ。しかし、甘噛みは突然実行するのは友人といえど流石にどうかと思うし、頭を撫でる行為は陳腐の塊過ぎて駄目。
いや、言ってからすれば甘噛みはいけるかも。でもなあ。人間純度指数最高値を叩き出した私が、妖怪や獣のようなことをするのもなあ。
よし、決めた。抱擁にしよう。不満の声が穿ってくるだろうけど、時間を長くすれば大丈夫でしょ。
私は、そわそわワクワクの放射体の背中を引き寄せると、優しく抱擁する。水に漬かってるといえど、やっぱり体温は上昇気味。
ぬくぬくふわふわした翼が溜め込んでいるギラギラに刺された熱気の匂い、痛すぎて皮膚が絶叫して流して染み込んだ仄かな汗の匂い、そして地獄鴉特有の気持ちが和らぐ優しい日溜まりの匂いが一気に押し寄せてくる。
しかし、そのような匂いは次の瞬間、変容してしまう。
「て〜〜ん〜〜し〜〜!!!」
お気に召さなかった太陽が快晴にむかって暴れ始めたからだ。
不機嫌と失望と不満と瞋恚がくっついた顔を見せながら、あまり弾力が無い頬を強く引っ張ってくる。
「ひ、ひっはらないへよ!いはいいはい!!」
「む〜〜〜〜〜〜!!!!!!」
私の頬を赤血球で浸潤させても怒りが収まらなかったのか、首元や項に数ヶ所鬱血痕を形成させてくる。
これはヤバイ。痕は消えるのに数日かかるのに。
「ちょっと!?わ、悪かったから!再チャレンジ!挽回のチャンスをちょうだい?」
「じゃあいつもとは違うことやってくれる?」
この瞬間、少し先の事象が確定したお知らせが脳から発せられた。
「え、ええ!任せて」
「やった〜!何をしてくれるのかな?」
弾ける笑顔がこの時ばかりは怖い。皮膚が焼けるどころか、耐えきれずズルズルになりそうな陽射しだというのに、冷感が身体全体にへばりついてるよう。
「……今言った方が良い?」
「信じてるから大丈夫!」
「じゃあ、やるわね」
私は、火傷するような霽日と凍傷しそうな空気が恐ろしい程に混合してしまった現状を一刻も早く打開する為に、確定事項を実行する。
柔らかい首元に優しく歯を突き刺す。味わいとかそういうことなんかより、痛く感じてないかどうかの方が遥かに脳を支配していた。
胃も心臓も脳もけたたましい合唱をしている。鼓動が五月蝿く激しく蠢いている。
「痛くない?」
「うん、全然。もっと強くしてくれてもいいぐらい」
その返答は私の万能薬となった。安堵という言葉を大幅に乗り越えた平穏が、心の扉を叩いて現れる。
「これ以上は怖いからやめとくわ」
「ええ〜〜?してくれて良いのに」
「こういうのって経験無いから、加減が分からないのよ」
「じゃあ、今練習すればいいじゃん!」
「いやいや、アンタが思ってるより怖いからね、これ。首って結構大事な血管や神経が通ってんだから」
「少しずつ慣らしていけば大丈夫だよ」
「何でそんなに強くさせたがんのよ……」
「だって、天子優しすぎて食べられてる感じしないんだもん」
「何言ってるの!?私そのつもりでやってないわよ!?」
「ああ、雰囲気の話だよ、雰囲気の。天子だって、良く味わってないでしょ?」
慌ててる様子が隠せてないぞ。これ、本当に思ってたでしょ?
「良くも何も、味わう余裕無かったわよ」
「そうなの?じゃあ今味わって!」
「え、ええ」
私は再び歯を突き刺して、肺が焼けるような熱気が支配するこの天気のなかで、僅かに漂う雰囲気を感知すべく心を明鏡止水にする。
舌神経と嗅神経が描き出したのは、元気いっぱいで活発に笑顔を振り撒く優しい太陽。
その太陽は、自分の負の感情を忸怩たる思いに変貌させる輝きを放っていて、見ると火傷しそうな程に眩しいのに、何故かどうしようもないほど縋ってしまう。
「どう?」
「……眩しくて優しい太陽が笑ってるわ」
「空ってやっぱり太陽って感じる?」
「ええ、とっても」
「ふ〜〜ん。だったら、ちょっとは傲慢でもいいよね?」
ほんのりと何かの企みを含んだ梔子色の笑顔が、天色の方を向くと薄い悪戯のベールに覆われる。
「ええ、少しならね」
何をするつもりだろう。太陽がにんまりと笑う五秒前、想像の斜め上に突き飛ばされた十秒後の未来を身構える。
「じゃあ、今日は天子の雰囲気を空が独占しちゃうから!!」
にんまりと、にんまりと、陽炎を従えた梔子色が激しく弾ける。
ゼロ距離で照らされた霽日は、傲慢な太陽に為す術もなかった。
「傲慢ね」
「えへへ」
にへらと笑う地獄鴉は、私を縛り付けるように抱き締める。柔らかい日溜まりの匂いが鼻腔を擽る。
呼吸が少し苦しくなるけど、蒼穹の嫌悪感よりも太陽の安堵感が遥かに勝る。これは光を追い求める古来からの本能だろうか。
「だから、天子の雰囲気もう一回ちょうだい?」
全盛期の太陽が牙を向ける。ただの青色はされるがままに象牙色を受け入れた。
「ああ、いつの間にか夕方になっていたわね」
天色は曙色に侵食され、茜色を目指して征こうとしていた。
蝉の合唱祭は再開し、真夏日を下回った凱歌を叫ぶ。日陰で涼んでいた蚊が渦巻きに引っかかり始める。
「そうだね。今日は楽しかったなあ」
私の雰囲気を溢れる程に味わった地獄鴉は、発赤痕と噛み跡に塗れた首を柔らかく撫でる。
「まあね、こういう日も悪くないわね」
暖かい日溜まりの柔らかさを存分に味わった私は、熱帯夜に茹でられる未来にも拘らず、上機嫌だった。
シャワシャワ、ジージーと泣き喚く背景音を流しながら、私は金髪野郎との約束を思い出す。
「悪いけど、これから打ち水をしに外を回んなきゃいけないから、ちょっと待っててくれる?」
「ええ〜〜!!独り占めの約束は〜〜??」
「悪いけど先約でね。暑すぎて暴動起きたから、再発防止の為に体感温度下げなきゃいけないのよ」
「あ〜〜。天子の雰囲気涼しいもんね」
「まあ、それは人によるとしか言えないけどね。そういうわけで、ちょっと待っててくれない?」
「じゃあ空も行く!手伝うもん」
「……まあいいけど。逆効果になるかもしれないから、出来るだけ私から離れないでよ?」
「うん!!」
茜色が太陽を隠すなか、過去になった蒼穹と太陽は、打ち水をする為に出かけた。
私は、あろうことか、首を隠すのを忘れてしまっていた。それは、翌日の新聞を蝉よりも五月蝿くした。
「……………子。………………天子!」
目を覚ますと、胡散臭い金髪の象徴が覗き込んでいた。
中途半端に聡明な私の頭は、数百年前の過去を夢で見たと瞬時に理解した。
「んあ…………何よ」
「何でも何も、墓参りの約束したでしょう?何気持ち良く寝てるのかしら」
金髪野郎は柔らかく諌める。その瞳は、少しだけ充血していた。きっと、今の私もそうだろう。
「ああ〜〜……久し振りに涼しくて寝ちゃったみたい。すまないわね」
右肩上がりに上昇する地球温暖化は、外界の人間が抑え込むのに失敗したせいで、あの夢の暑さでも現在では涼しいと認識されていた。
今日の空はあの時と同じ、私と同じ髪色をしていた。でも、隣にはあの太陽はもう居ない。それだけでも、それだけでも、私には。
気温上昇に適応した蝉が五月蝿いのが夢から覚まさせる要素になっていて、シャワシャワ、ジージーと元気に泣き喚いていた。
「……また、あの頃を思い出したの?」
「……そうみたい。まあ、今日お盆だし、そのせいかも」
記録された媒体から再生されるしかお空の声を聴く手段が無い。もう、夢でいいから恒常化から逃れた声を聴きたいと願っても、この世界はそれすらも許してはくれなかった。
だけど、頽れるなんてのは、駄目。お空も、こんな私は見たくないに決まってるから。笑顔を見せないと、心配させちゃう。
「そうねえ。私も今日あの巫女が久し振りに夢に出てきたし」
「じゃあお互い一年ぶり?」
「ええ。きっと急かしてるのね」
「あの巫女ならやりそうだし、早く行った方がいいわね」
少し嬉しそうな声色が隠せていない。そりゃあそうだ、私だって。
「早く準備しなさいよ〜〜」
「分かった〜〜」
私は、お空が遺してくれた緑のリボンを髪に結ぶ。あの日溜まりが、暖かい太陽が、掠れた記憶でも、私を未来へと進ませてくれるんだ。
梔子色の太陽が、蒼穹を覗き込んで、あの頃のように笑っていた気がしたんだ。
きっと、これは。
珍しい組み合わせながらも微笑ましい二人でした
ラムネが恋しい季節になったものです
色っぽさも含めたイチャイチャ話でありながら、最後は切ない気持ちにさせられました。面白かったです。