これはこの世のことならず
死出の山路の裾野なる
賽の河原のものがたり
この世に生まれ甲斐もなく
親に先立つありさまは
諸事の哀れをとどめたり
二つ三つや六つや七つ
十にもたらぬ幼児
が
賽の河原に集まりて
苦しみ受くるぞ悲しけれ
娑婆
とちがいて幼児が
雨露しのぐ住家さえ
なければ涙の絶え間なし
河原に明け暮れ野宿して
西に向いて父恋し
東を見ては母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とはこと変わり
悲しき骨身を透
すなり
ここに集まる幼児は
小石小石を持ち運び
これにて回向
の塔を積む
手足石にて擦れただれ
指より出ずる血の滴
身体を朱
に染めなして
一重積んでは幼児が
紅葉
のような手を合わせ
父上菩提
と伏し拝む
二重積んでは手を合わし
母上菩提回向する
三重積んでは古里
に
残る兄弟わがためと
礼拝回向ぞしおらしや
(賽の河原地蔵和讃より)
***
賽の河原。普段は彼岸花が間隔を開けて生えている以外は生命の息吹も変化も無い、文字通り死んだ場所である。だが、今、小さな変化が起きていた。
彼岸花よりも更に間隔を開けて、植物の新芽が出ていた。石の隙間から先っぽだけ顔を覗かせている程度の、ささやかな変化である。
これに対する水子達の反応は素早かった。春の訪れに喜んだのではない。第一、賽の河原に季節など存在しない。生命無き場所に、生命を剥奪されて放り込まれた水子にとって、植物の新芽という生命の象徴は忌むべき異物だったのである。
蚊に刺された小さな傷を即座に見つけることができるように、心に痛みを与えてくる小さな膨らみを見つけることは、水子にとっては実に容易いことだった。そして、虫刺されに対して子供がそうするように、見つけた芽を掻き毟って周った。ここに来て間もない新入りの水子の中には、植物が誇らしげに成長しようとしている様を直視できず、泣き出す者もいた。
「どうしたの、そんなに大騒ぎして」
その声を聞いてか、一人の水子が集団に近づいてきた。戎瓔花という名前のその水子は、周りよりも頭一つ抜けて長身である。だが、体つきは幼い。赤子を頭身だけ調整して拡大した、と表現するのが適当だろうか。「お姉さん」という単語が似合うような大人びた雰囲気は全くもって無い。
「あーっ。駄目だよ、そんな乱暴にいじめちゃ。その草だって生きているんだよ?」
水子達は腹立たしくなって新芽を毟ったり踏み潰したりしていたが、瓔花はそれを静止した。水子であるのに、何故そこまで生を肯定することができるのだろうか。瓔花の言葉に圧のようなものを感じた水子達は植物に手を出すのを止めたが、不満は消えていなかった。
瓔花は、不満気にしている水子、特にここに来て間もない水子一人一人に声をかけて集めた。
「いつもは石積みのコンテストを開いているんだけれど、石積みに慣れていない子も増えてきたから、石積み教室を開くよ!」
集めた水子達の真ん中で、瓔花は溌剌と声を上げる。
「石積みは形の美しさも大事だけれど、高く積むことが出来なきゃ始まらないからね。丁度新しい植物が生え始めているから、それよりも高く積むことをまずは目標にしよう!」
そう言って集めた集団を散らして、石積みを始めさせた。
瓔花の指示に従って石積みをしようとした水子達だが、直ぐに首を傾げることになった。目標は芽なのだが、今のところ石を一個置くだけで追い越してしまう。これでは石「積み」では無い。
「おっ、目標達成したね。じゃあ、次は別の石でやってみようか」
瓔花が石を置き終えた水子に声をかけて回る。水子達は、瓔花は内心自分達のことを馬鹿にしているのではないかと疑念を抱きながら、言われるがまま石を拾っては置いてを繰り返した。
そして、瓔花が何故こんな指示を出したのか、その理由の一端を理解した。
石、と一言に括っても、その大きさや形は様々、一対として同じ石は存在しない。平べったく大きくて、上に石を積み易そうだとか、逆に尖っていて下にするには不向きそうだとか、まだ二個目を積んでいないのに色々考えさせられる。酷いのだと、置いた瞬間ぐらつくものすらある。そうなると、「目標は達成したけど……」という消化不良感が出て、より綺麗に置くことができる石を探す。
石積み、もとい石置きに飽きる水子もいた。だが、そんな水子も石を眺めて触っては、色や材質をまじまじと体感していたのである。無為な石積みの時間は、この日を境に有意義な時間となり、石積みに没頭している間は自分達を差し置いて生きているものが側にあるというフラストレーションを忘れることができた。
翌日――賽の河原には太陽の動きなど存在しないので、水子にとっては自分達が石積みをしてはそれに飽きて休むという一サイクルが一日になる。植物の芽は成長して、それが草では無く、木本に位置づけられるものであると分かる、一本の軸を備えた物になっていた。
石積み教室は次のレベルに上がった。植物を超えるという目標は昨日と同じだが、石一個では届かないので、何個か重ねなければならない。
だが、昨日審美眼を鍛えた大半の水子達にとっては造作もない課題だった。三個程石を積み上げて、その小さな塔を増やしていった。
成功した塔は、その形に応じて何種類かに分類することができる。石積みと同じく石を用いる競技に例えるならば、これは囲碁における定石に当たる。水子が頭で理解するには小難しすぎる概念だが、水子達は石積みにおける「定石」を、感覚的に理解した。
塔を立てるのに飽きた水子は周りを眺めていた。自分と同じように所在なさげな水子もいるが、石積みに悪戦苦闘している水子もいる。水子も人の子、そういう子を見てからかいに行く者もいるにはいるが、大半は手助けに周った。自分自身と現世に遺した親しか見えていなかった水子達は、賽の河原でプリミティブな社会を構築しつつあった。
瓔花は講習の為に賽の河原を歩き回っていたが、自分抜きでも上手くやっている小集団を見かけたときは、遠くからにこやかに眺めるだけに留めた。
***
昼はおのおの遊べども
日も入相
のそのころに
冥途
の鬼があらわれて
幼きものの傍により
やれ汝らなにをする
娑婆と思うて甘えるな
ここは冥途の旅なるぞや
娑婆に残りし父母は
今日七日
や二七日
四十九日
や百箇日
追善供養のその暇に
ただ明け暮れに汝らの
形見に残せし手遊びや
太鼓人形かざぐるま
着物を見ては泣き嘆き
達者な子どもを見るにつけ
なぜにわが子は死んだかと
酷
やあわれや不憫やと
親の嘆きは汝らの
責苦を受くる種となり
かならず我を恨むなと
言いつつ金棒振り上げて
積んだる塔を押し崩し
汝らが積むこの塔は
歪
がちにて見苦しし
かくては功徳になりがたし
とくとくこれを積み直し
成仏願えと責めかける
やれ恐ろしやと幼児は
南や北やにしひがし
こけつまろびつ逃げ回る
なおも獄卒金棒を
振りかざしつつ無慙
にも
あまたの幼児にらみつけ
すでに打たんとする陰に
幼児その場に手を合わせ
熱き涙を流しつつ
ゆるし給
えと伏し拝む
(賽の河原地蔵和讃より)
***
植物はどんどんと成長してゆき、あっという間に水子達の背丈を超えてしまった。常軌を逸した成長速度だが、おかしいと思う水子はいなかった。妊娠祝いにと庭に植えられた木が育つ様を見届けることなく亡くなった子供の集まりである。彼ら彼女らにとって、事物とは最初からそこにあるものに過ぎない。とにかく今は、自分達の技術力では超えることのできない壁の出現にひがむばかりだった。
それでも気丈夫な水子は石積みを続けたが、そこに、もう一つの障害が訪れた。
遠くから、地響きのような音が聞こえてきた。水子の低い視点では、音を響かせている者の姿は植物に隠れて殆ど見えない。ただ、音だけでもそれが威圧しようとしているというのは伝わった。
すくみあがってその場に立ち尽くす水子達の前に、音の主は植物の茂みを蹴飛ばして現れた。
赤い肌に、服の裾から縮れた濃い毛が覗く太い足。濃い藍色の生地に金色の意匠を施した、軍服と背広を足して二で割ったかのようなデザインの服を着ているが、それでもなお消しきれていない逆三角形で奥行きのある上半身の輪郭が、その筋肉量を物語っている。地響きを立てていたのは鬼だった。
「その程度では功徳とは言えぬ。一より塔を建て直せ」
足音を地響きと比喩するならば、そのドスの利いた低い声は地鳴りのようであった。地鳴りが広がりきるのを待たず、鬼は右手に持った金棒で石の塔を崩し始めた。
「何てことをするんだ! 子供達が頑張って積んだのに!」
瓔花は鬼の所業に抗議して鬼を叩き、石を投げつけた。だが、水子の力で鬼を殴ろうとも暖簾に腕押し、水子の力で石を当てようとも糠に釘。鬼は蚊に刺された程の関心すら示さずに全部の塔を崩してしまった。
赤い嵐は来たときと同じように、地鳴りを響かせながら去っていった。後には散らばった石と、呆然とする水子と……。
「酷い、酷いよ。こんなのって無いよ……」
……泣きじゃくる瓔花が残された。
水子達にとって、瓔花は神にも等しい存在だった。無論、彼女が持つ卓越した石積み技術に対する羨望という面も大いにある。だが、それ以上に、超然として賽の河原での石積みを謳歌するその様が、生きることを許されなかったことに対する悲しみや憤り、親を遺したことに対する悔悟に苛まれる水子達には余りにも輝きすぎていたのだ。
その瓔花が泣いている。あんなに大きく見えていた彼女が、賽の河原にいる誰よりも小さく見えていた。
それは断じて失望ではない。むしろ、賽の河原においてどこか浮世離れしていた彼女が、ようやく自分達の肩が触れる所にまで近づいてきてくれたように思えた。「君も泣いていいんだよ」という許しを貰った気がした。だから水子達はみんな泣いた。泣きに泣いて、そのままその日は終わった。
泣き疲れて眠りについた水子達は夢を見た。生まれてから亡くなった水子は家族の夢を見たが、少し前までは鮮明だった現世の情景は、それを撮っていたフィルムが急速に劣化していったかのようにぼやけていた。そして、水子達はその情景の主演では最早なく、一人のませた観客として、霧の向こう側を眺めていた。
目が覚めると瓔花に声をかけられた。水子達は何日か前のように、賽の河原の一角に、瓔花を囲んで集合した。
「石積み教室を開いていたけれど、みんなもう上手に石を積むことができるようになったからね。教室はおしまい! 今日からは思い思いに石積みをしよう」
昨日の事など無かったかのように溌剌とした声で、瓔花は教室の終了を宣言した。
「思い思いに、って言われても……。どうすればいいのか分からないよ……」
水子の一人がそう呟くと、それを聞いた周りの水子達も同調して頷いた。
「うーん。私が良いと思う積み方を教えることはできなくもないけれど、それはあくまで私のやり方だからなあ。私は石積みの先輩として、私じゃない他の誰かの作品を見たいんだよ」
瓔花は周りを眺めたが、それが、回答としては不適当なことに気がついて、言葉を続けた。
「とりあえず、自分が楽しいと思うやり方やペースで石を積んでみて。作品が完成しないと始まらないから。もしも、楽しくなくなったら私を呼んで。楽しいと思えるやり方くらいなら私にも教えることができるから。もしも、楽しくないことが起きたら私を呼んで。昨日みたいに、一緒に泣いてあげるから」
そう言って、水子達が納得した顔になったのを見届けて、瓔花は今日の石積みのために水子達を解散させた。
***
例の植物は左右に大きく枝を広げ、その節々に薄紫色の花をつけていた。花は甘い香りを放っている。水子にとっては未経験なものか、忘れて久しいものかのいずれかだったが、この植物がもたらす刺激としては珍しく心地が良いものだった。
植物に囲まれながら、水子達は黙々と石を積んでいた。茂みの外側からその様子は殆ど見えないが、時たま水子の頭が茂みの上に飛び出る。積んだ石に乗って遊んでいるのだろう。
そんな水子の王国に、いつぞやのように異邦人が訪れた。足跡は静かで水子達を刺激しないようにという配慮を感じる。だが、水子を見下ろすその者が着ている服は、より背広に近いとはいえ、あの鬼を想起させる制服だった。
厄災の再来かと警戒する水子達を尻目に、異邦人、閻魔の四季映姫は唯一無警戒な国王の元へと向かった。
「あ、閻魔様。お仕事お疲れさまー」
「おや、仕事に見えましたか。今日は休みですよ」
「そうなんだ。お話しない?」
「ええ、もとよりそのつもりでこちらには来ました」
「椅子用意するね」
そう言うと、瓔花は石を手にとって、それを素早く組み始めた。程なくして完成した石組みの椅子は、瓔花が使っているような単に石を積んだだけのものではなく、石垣のように石同士を噛み合わせた丸椅子だった。頑丈な作りは、石積みの上に座ることに慣れていないであろう映姫に対しての、瓔花なりの配慮だった。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
映姫が椅子に腰掛けると、彼女の視覚の端を埋める程度だった茂みは、視界の半分程度にまで迫り上がった。小さな花の塊を眺めながら、彼女は口を開いた。
「ほぼ満開になりましたね」
「そうだね。そういや、あれ、なんて名前の木なの?」
「ムラサキハシドイ、という名前の植物です。リラ、あるいはライラックという名前の方が通りが良いでしょうか。元々低木に分類されるのですが、それにしても小さい。背が低くなるよう改良された品種なのかな」
映姫の知る限り、ライラックは大人の背丈かそれ以上にまで伸びる植物だ。だが、今賽の河原に生えているそれは、ちょうど子供の背丈を隠すくらいの大きさに留まっていた。どことなく、ライラックの側が水子達に忖度しているかのように見えた。
「物知りだね」
「こう見えて、花には詳しいのですよ」
そう言って映姫はいたずらっぽく笑ったが、直ぐに元の神妙な真顔へと戻った。
「彼岸花以外の植物が生える、というのは異常事態だと思いますが、落ち着いておられますね」
「うん。私もこんなことは初めてだけれど、彼岸花が急に増えたことは前にもあったよね?」
「ええ、六十年に一度、そういうことが起こります。覚えていましたか」
そう言われて、瓔花は首を傾げた。記憶力に自身がある方では断じてない。それなのに、なぜ六十年に一度しか起こらないことを、こうも明瞭に覚えていたのだろうか。考えられる可能性としては……。
「水子だからかな? 命の息吹には敏感なの」
「で、あるならば尚の事です。あなたも他の水子達も、もう少し神経質になっていると思っていたのですが」
「ちょっと前までは機嫌を悪くする子も多かったんだよ。でも、私が石積みのやり方を教えてあげたからね。石積みを楽しんでいたらそんなこと気にならない」
小石を右手の中で転がして、それと同期しているかのようにカラカラと笑いながら答える瓔花。だが、それに反比例するかのように映姫の顔は険しさを増していった。
「そう、そこなのですよ。賽の河原で花が咲き乱れる、それも、彼岸花ではなくライラックという全く別の種類の花という事態。それすら気にも留めず、というのは極端すぎやしませんか?」
「生きていた頃に囚われているよりはマシじゃん。それのどこがいけないのさ」
「貴方がやっていることは執着の対象を変化させることに過ぎません。確かにもう戻れない現世への未練を断ち切る、というのは大切なことですが、それは全ての未練も執着も捨てて、輪廻転生の輪へと戻るためです。一個の執着を捨てて、別の執着を得ているようでは何も前進していない」
映姫は軽く息を吸って説教を続けた。
「それに、石積みというのは、先立って死ぬことで親を悲しませていることに対する贖罪という側面もあります。正直なところ、私達はこの説を支持はしないのですが、それでも人々がそういうものとして水子を定義しているという認識は汲み取るべきです」
「おかしいと思わないの? 現世に縛られるな、と言いつつ親への罪滅ぼしを問う、石積みに執着するなと言いつつ水子がそういうものであるという認識は尊重させる。そんなの矛盾じゃん。私は、誰かの為じゃなくて、自分の為に石を積みたいんだよ」
瓔花はかぶせ気味に反駁した。石を転がす手も止めて、映姫に対して全く納得がいっていないという不満の目を向けている。その論の結末は実に子供らしいわがままなものだったが、確かな意志の強さを映姫は感じ取っていた。
「それこそ執着なのですが……。ただ、貴方の言うことも一理ありますね。私が贖罪の為に石積みを行うという水子像を許容しているのは、それに従うことが水子としての自己の安定化に繋がるからです。しかし、貴方、そして貴方の薫陶を受けた水子は、従来の水子像を問い直す存在として自己を確立し、恐らくは成功を収めている」
映姫は目を閉じた。説教モードから切り替わったことで閻魔特有の憤怒のオーラは消えて、僧侶が静かに瞑想をするかのような穏やかさがそこにはあった。
***
瓔花は映姫を置いて遊びに行くことはしなかったが、それでも退屈な時間に入ってしまったということは変わらなかった。そこで周りに落ちている石をかき集めて、暇つぶしに一作品積んだ。それを見てもらおうと映姫の肩を叩こうとしたところで、瓔花の行動を見越していたかのように映姫が先に目を開けた。
「アプローチを変えてみましょうか。貴方は慕われていると思いますか?」
「妙なことを聞くね。あ、呼ばれたから様子を見に行くね」
少し離れた茂みの中から水子の声が聞こえてきて、瓔花はそこへと向かった。映姫もそれについて行こうとしたが、先程水子達から警戒の目を向けられたことを思い出し、少し時間を置いてから、遠巻きに眺めに行くことにした。
呼んだ理由は、作品が完成したのでそれを見て欲しかったから、ということらしい。映姫は水子達に気が付かれないよう離れていたので話し声は聞こえなかったが、瓔花の表情からそれを好意的に評価しているというのは分かった。
映姫は石積みに対する審美眼は持ち合わせていない。自分が考え事をしていた間に瓔花が完成させた作品と、今瓔花が論評している作品と、どちらが優れているのかも分からない。ただ、役職柄仏師の作品も数多く見てきた身として、いずれの作品も仏教精神を意図してはいない、というのは伝わった。
水子達に対してこうあるべきだ、という理想像を強要しようとするのは石頭というものだろう。それは、利発な瓔花の受け答えを聞いて改めて気が付かされたことでもある。だが、それでも、自分達が長らく積み重ねてきた風土がいともたやすく崩されていくということに、寂しさを覚えずにはいられなかった。
映姫が感傷に浸って少し意識を離した隙に、瓔花達の周りには水子達が集結していた。瓔花は水子の中では長身なので、意識して追いかけなくてもその姿を捉え続けるのは容易い筈だ。だが、映姫は時々瓔花の姿を見失った。映姫は瓔花を水子の頂点だと認識していたが、それが誤りだということに気がついた。彼女は石積みのてっぺんで目立つ石なのではなく、石の集合体における核なのだ。
塊はずっとこのままかと思えたが、一瞬だけ塊から顔を出した瓔花が映姫に気がついて、申し訳無さそうに水子達を解散させたことで集会が終わった。それを見届けて映姫は椅子へと戻り、少し遅れて瓔花もやって来た。
「成程、慕われてはいるようですね。ただ、同学級か少し年上の優等生という感じだ」
「言いたいことは察するよ。私には、親として振る舞って欲しいんでしょ? でも、それは無理なんだ。私も水子の一人でしかないからね。頑張れば親を演じることはできるかもしれないけれど、それはあの子達と、何よりも私自身を騙すことになっちゃう。あるがままに振る舞って、それで慕われているのなら、それに越したことはないんじゃないかな」
「ふむ。やはり、私達と貴方達とでは価値観が違う。貴方がそのやり方をいくら続けようとも、川を渡ることすら叶わない」
言葉の選び方は説教のときのそれだが、声の抑揚や話す顔は穏やかだった。映姫に、目の前の子供を論破しようという気は最早無かった。
「とはいえ、意図こそ違えど、貴方の行動は水子にとっての救済にはなっている。それについては素直に評価しましょう」
「閻魔様、優しいね」
「これは、ヤマザナドゥとしてではなく、元地蔵の四季映姫としての意見です。貴方が水子にもたらす実利は地蔵菩薩のそれに極めてよく似ている。しかし、貴方自身を救済することはできない。だから、私が貴方の行動を肯定することによって、貴方への救済とします」
映姫は自分を「元」地蔵だと述べたが、閻魔大王とは地蔵菩薩の化身であるので、今の映姫はお地蔵様では無いが地蔵菩薩ではある。つまり、彼女が下した救済は、きちんと効力を有するものなのだ。
ただ、彼女が与えた祝福が、瓔花に対してどのように受容されるのかはまた別の問題である。映姫は彼女の様子を改めて観察したが、会話の流れで察していたように、どうとも思っていないようだ。
瓔花は我流のやり方で、既に自分を救ってしまっている。映姫から見ればそれは誤った道なのだが、無理に矯正しようとはもう思わなかった。無仏の時代はまだ億年の単位で続く。ゆっくりと、自分の足で歩いて理解してくれればそれで良いのだ。
それに。映姫は瓔花とその周りに咲いたライラックの茂みを同時に視界に収めた。ライラックのピンクに近い赤紫の色合いは、瓔花の服に侵食した赤黒い色と不思議と調和していた。瓔花の歩んでいる道は、以外と王道なのかもしれない。
「彼岸花とは異なり、ライラックは死や彼岸の象徴ではない。それなのにここに咲いている、ということこそ、貴方によって賽の河原の有り様が変化していることの証左と言えますね」
「でも、この花は一時的なものなんだよね?」
「そうですね。六十年に一度の周期で、死者の魂が増え、魂の気質に対応した花がそれぞれの場所で咲き乱れることになります。増えた死者の魂から見て、今の賽の河原はそこまで悲観的な場所では無いということなのでしょう」
「このままいったら、普段咲く花も彼岸花ではなくなるかな?」
「それはどうでしょうか。ここの情景は、我々当事者の側だけではなく、現世の人々の認識によっても大きく左右されます。当の本人達がいくら楽しんだところで、現世から見たここが別離の象徴という事実は変わらないので、彼岸花は咲き続けると思いますよ」
映姫は閻魔の顔に戻っていた。
「石積みもです。貴方がそれを楽しむことで水子を救済する、というところまでは尊重しますが、あくまで執着を捨てる為の通過点でしかない、という部分は不変です。閻魔の視点から見て、貴方は真っ黒ですからね」
「そっかー。鬼達が石積みを崩すの、止めさせてもらおうと思っていたんだけれどな」
「無理なお願いですね。ぜひとも貴方達には無常というものを覚えて頂きたいものです」
瓔花は露骨に残念そうな顔をして、抗議の意志を示すために、フグのように頬を膨らませた。
「自分で言うのもあれだけれど、私のやり方は仏教の考え方を完全に無視しているよ? そこから悟りの境地に至ることができると思う?」
「車輪は再発明され得ますから」
映姫は抽象的な言い回しで話を締めて、瓔花に一例してその場を立ち去った。聡明な瓔花もこの言葉の意味は分からずきょとんとしていたが、映姫の背中が自分の背丈よりも小さく見えるくらいまで離れると、今は理解しなくても良いかと忘却して石積みをしに戻っていった。
映姫は議論の中で、あえてある事実には触れなかった。つまり、子供とは成長するものなのだから、水子も、いつまでも石積みを楽しむことができる無垢な存在では決してない。瓔花は石積みを楽しませることで救済としていたが、鳥が巣立つように、いずれその輪から外れる水子が現れる。
瓔花も恐らくはそれを経験的に理解している。一致がとれていることをあえて蒸し返す意味は無いし、仮に水子が出ていくことすら瓔花が拒絶していたらより話はこじれただろう。
映姫は瓔花を中心とするグループから背を向けて離れ続けた。二人で話して導き出した本当の結論は、瓔花への役割委任ではなく、分業なのだ。賽の河原に送られた水子は絶望して石を積むが、瓔花という地蔵菩薩の代理人により救済される。だが、それで物語は終わらない。水子は石積みに飽きるという形で執着も未練も捨てて、瓔花の元を旅立つ。そうして再び一人ぼっちになった水子を輪廻転生の輪に戻す。それこそが我々の使命である。
映姫は石積みもせずに黄昏れる水子へと声をかけに行った。その背中に、未だ石積みを楽しみ続ける水子達の声が降り注いだ。
***
おりしも西の谷間より
能化
の地獄大菩薩
動
ぎ出でさせ給いつつ
幼きものの傍により
なにを嘆くか嬰児
よ
汝らいのち短くて
冥途の旅に来たるなり
娑婆と冥途は程遠し
いつまで親を慕うとも
娑婆の親には会えぬぞよ
今日よりのちは我をこそ
冥途の親と思うべし
幼きものを御衣
の
袖
や袂
にだき入れて
憐れの給うぞありがたや
いまだに歩まぬ嬰児を
錫杖
の柄にとりつかせ
忍辱
慈悲の御肌
に
泣く幼児を抱きあげ
助け給うぞありがたや
(賽の河原地蔵和讃より)
死出の山路の裾野なる
賽の河原のものがたり
この世に生まれ甲斐もなく
親に先立つありさまは
諸事の哀れをとどめたり
二つ三つや六つや七つ
十にもたらぬ幼児
が
賽の河原に集まりて
苦しみ受くるぞ悲しけれ
娑婆
とちがいて幼児が
雨露しのぐ住家さえ
なければ涙の絶え間なし
河原に明け暮れ野宿して
西に向いて父恋し
東を見ては母恋し
恋し恋しと泣く声は
この世の声とはこと変わり
悲しき骨身を透
すなり
ここに集まる幼児は
小石小石を持ち運び
これにて回向
の塔を積む
手足石にて擦れただれ
指より出ずる血の滴
身体を朱
に染めなして
一重積んでは幼児が
紅葉
のような手を合わせ
父上菩提
と伏し拝む
二重積んでは手を合わし
母上菩提回向する
三重積んでは古里
に
残る兄弟わがためと
礼拝回向ぞしおらしや
(賽の河原地蔵和讃より)
***
賽の河原。普段は彼岸花が間隔を開けて生えている以外は生命の息吹も変化も無い、文字通り死んだ場所である。だが、今、小さな変化が起きていた。
彼岸花よりも更に間隔を開けて、植物の新芽が出ていた。石の隙間から先っぽだけ顔を覗かせている程度の、ささやかな変化である。
これに対する水子達の反応は素早かった。春の訪れに喜んだのではない。第一、賽の河原に季節など存在しない。生命無き場所に、生命を剥奪されて放り込まれた水子にとって、植物の新芽という生命の象徴は忌むべき異物だったのである。
蚊に刺された小さな傷を即座に見つけることができるように、心に痛みを与えてくる小さな膨らみを見つけることは、水子にとっては実に容易いことだった。そして、虫刺されに対して子供がそうするように、見つけた芽を掻き毟って周った。ここに来て間もない新入りの水子の中には、植物が誇らしげに成長しようとしている様を直視できず、泣き出す者もいた。
「どうしたの、そんなに大騒ぎして」
その声を聞いてか、一人の水子が集団に近づいてきた。戎瓔花という名前のその水子は、周りよりも頭一つ抜けて長身である。だが、体つきは幼い。赤子を頭身だけ調整して拡大した、と表現するのが適当だろうか。「お姉さん」という単語が似合うような大人びた雰囲気は全くもって無い。
「あーっ。駄目だよ、そんな乱暴にいじめちゃ。その草だって生きているんだよ?」
水子達は腹立たしくなって新芽を毟ったり踏み潰したりしていたが、瓔花はそれを静止した。水子であるのに、何故そこまで生を肯定することができるのだろうか。瓔花の言葉に圧のようなものを感じた水子達は植物に手を出すのを止めたが、不満は消えていなかった。
瓔花は、不満気にしている水子、特にここに来て間もない水子一人一人に声をかけて集めた。
「いつもは石積みのコンテストを開いているんだけれど、石積みに慣れていない子も増えてきたから、石積み教室を開くよ!」
集めた水子達の真ん中で、瓔花は溌剌と声を上げる。
「石積みは形の美しさも大事だけれど、高く積むことが出来なきゃ始まらないからね。丁度新しい植物が生え始めているから、それよりも高く積むことをまずは目標にしよう!」
そう言って集めた集団を散らして、石積みを始めさせた。
瓔花の指示に従って石積みをしようとした水子達だが、直ぐに首を傾げることになった。目標は芽なのだが、今のところ石を一個置くだけで追い越してしまう。これでは石「積み」では無い。
「おっ、目標達成したね。じゃあ、次は別の石でやってみようか」
瓔花が石を置き終えた水子に声をかけて回る。水子達は、瓔花は内心自分達のことを馬鹿にしているのではないかと疑念を抱きながら、言われるがまま石を拾っては置いてを繰り返した。
そして、瓔花が何故こんな指示を出したのか、その理由の一端を理解した。
石、と一言に括っても、その大きさや形は様々、一対として同じ石は存在しない。平べったく大きくて、上に石を積み易そうだとか、逆に尖っていて下にするには不向きそうだとか、まだ二個目を積んでいないのに色々考えさせられる。酷いのだと、置いた瞬間ぐらつくものすらある。そうなると、「目標は達成したけど……」という消化不良感が出て、より綺麗に置くことができる石を探す。
石積み、もとい石置きに飽きる水子もいた。だが、そんな水子も石を眺めて触っては、色や材質をまじまじと体感していたのである。無為な石積みの時間は、この日を境に有意義な時間となり、石積みに没頭している間は自分達を差し置いて生きているものが側にあるというフラストレーションを忘れることができた。
翌日――賽の河原には太陽の動きなど存在しないので、水子にとっては自分達が石積みをしてはそれに飽きて休むという一サイクルが一日になる。植物の芽は成長して、それが草では無く、木本に位置づけられるものであると分かる、一本の軸を備えた物になっていた。
石積み教室は次のレベルに上がった。植物を超えるという目標は昨日と同じだが、石一個では届かないので、何個か重ねなければならない。
だが、昨日審美眼を鍛えた大半の水子達にとっては造作もない課題だった。三個程石を積み上げて、その小さな塔を増やしていった。
成功した塔は、その形に応じて何種類かに分類することができる。石積みと同じく石を用いる競技に例えるならば、これは囲碁における定石に当たる。水子が頭で理解するには小難しすぎる概念だが、水子達は石積みにおける「定石」を、感覚的に理解した。
塔を立てるのに飽きた水子は周りを眺めていた。自分と同じように所在なさげな水子もいるが、石積みに悪戦苦闘している水子もいる。水子も人の子、そういう子を見てからかいに行く者もいるにはいるが、大半は手助けに周った。自分自身と現世に遺した親しか見えていなかった水子達は、賽の河原でプリミティブな社会を構築しつつあった。
瓔花は講習の為に賽の河原を歩き回っていたが、自分抜きでも上手くやっている小集団を見かけたときは、遠くからにこやかに眺めるだけに留めた。
***
昼はおのおの遊べども
日も入相
のそのころに
冥途
の鬼があらわれて
幼きものの傍により
やれ汝らなにをする
娑婆と思うて甘えるな
ここは冥途の旅なるぞや
娑婆に残りし父母は
今日七日
や二七日
四十九日
や百箇日
追善供養のその暇に
ただ明け暮れに汝らの
形見に残せし手遊びや
太鼓人形かざぐるま
着物を見ては泣き嘆き
達者な子どもを見るにつけ
なぜにわが子は死んだかと
酷
やあわれや不憫やと
親の嘆きは汝らの
責苦を受くる種となり
かならず我を恨むなと
言いつつ金棒振り上げて
積んだる塔を押し崩し
汝らが積むこの塔は
歪
がちにて見苦しし
かくては功徳になりがたし
とくとくこれを積み直し
成仏願えと責めかける
やれ恐ろしやと幼児は
南や北やにしひがし
こけつまろびつ逃げ回る
なおも獄卒金棒を
振りかざしつつ無慙
にも
あまたの幼児にらみつけ
すでに打たんとする陰に
幼児その場に手を合わせ
熱き涙を流しつつ
ゆるし給
えと伏し拝む
(賽の河原地蔵和讃より)
***
植物はどんどんと成長してゆき、あっという間に水子達の背丈を超えてしまった。常軌を逸した成長速度だが、おかしいと思う水子はいなかった。妊娠祝いにと庭に植えられた木が育つ様を見届けることなく亡くなった子供の集まりである。彼ら彼女らにとって、事物とは最初からそこにあるものに過ぎない。とにかく今は、自分達の技術力では超えることのできない壁の出現にひがむばかりだった。
それでも気丈夫な水子は石積みを続けたが、そこに、もう一つの障害が訪れた。
遠くから、地響きのような音が聞こえてきた。水子の低い視点では、音を響かせている者の姿は植物に隠れて殆ど見えない。ただ、音だけでもそれが威圧しようとしているというのは伝わった。
すくみあがってその場に立ち尽くす水子達の前に、音の主は植物の茂みを蹴飛ばして現れた。
赤い肌に、服の裾から縮れた濃い毛が覗く太い足。濃い藍色の生地に金色の意匠を施した、軍服と背広を足して二で割ったかのようなデザインの服を着ているが、それでもなお消しきれていない逆三角形で奥行きのある上半身の輪郭が、その筋肉量を物語っている。地響きを立てていたのは鬼だった。
「その程度では功徳とは言えぬ。一より塔を建て直せ」
足音を地響きと比喩するならば、そのドスの利いた低い声は地鳴りのようであった。地鳴りが広がりきるのを待たず、鬼は右手に持った金棒で石の塔を崩し始めた。
「何てことをするんだ! 子供達が頑張って積んだのに!」
瓔花は鬼の所業に抗議して鬼を叩き、石を投げつけた。だが、水子の力で鬼を殴ろうとも暖簾に腕押し、水子の力で石を当てようとも糠に釘。鬼は蚊に刺された程の関心すら示さずに全部の塔を崩してしまった。
赤い嵐は来たときと同じように、地鳴りを響かせながら去っていった。後には散らばった石と、呆然とする水子と……。
「酷い、酷いよ。こんなのって無いよ……」
……泣きじゃくる瓔花が残された。
水子達にとって、瓔花は神にも等しい存在だった。無論、彼女が持つ卓越した石積み技術に対する羨望という面も大いにある。だが、それ以上に、超然として賽の河原での石積みを謳歌するその様が、生きることを許されなかったことに対する悲しみや憤り、親を遺したことに対する悔悟に苛まれる水子達には余りにも輝きすぎていたのだ。
その瓔花が泣いている。あんなに大きく見えていた彼女が、賽の河原にいる誰よりも小さく見えていた。
それは断じて失望ではない。むしろ、賽の河原においてどこか浮世離れしていた彼女が、ようやく自分達の肩が触れる所にまで近づいてきてくれたように思えた。「君も泣いていいんだよ」という許しを貰った気がした。だから水子達はみんな泣いた。泣きに泣いて、そのままその日は終わった。
泣き疲れて眠りについた水子達は夢を見た。生まれてから亡くなった水子は家族の夢を見たが、少し前までは鮮明だった現世の情景は、それを撮っていたフィルムが急速に劣化していったかのようにぼやけていた。そして、水子達はその情景の主演では最早なく、一人のませた観客として、霧の向こう側を眺めていた。
目が覚めると瓔花に声をかけられた。水子達は何日か前のように、賽の河原の一角に、瓔花を囲んで集合した。
「石積み教室を開いていたけれど、みんなもう上手に石を積むことができるようになったからね。教室はおしまい! 今日からは思い思いに石積みをしよう」
昨日の事など無かったかのように溌剌とした声で、瓔花は教室の終了を宣言した。
「思い思いに、って言われても……。どうすればいいのか分からないよ……」
水子の一人がそう呟くと、それを聞いた周りの水子達も同調して頷いた。
「うーん。私が良いと思う積み方を教えることはできなくもないけれど、それはあくまで私のやり方だからなあ。私は石積みの先輩として、私じゃない他の誰かの作品を見たいんだよ」
瓔花は周りを眺めたが、それが、回答としては不適当なことに気がついて、言葉を続けた。
「とりあえず、自分が楽しいと思うやり方やペースで石を積んでみて。作品が完成しないと始まらないから。もしも、楽しくなくなったら私を呼んで。楽しいと思えるやり方くらいなら私にも教えることができるから。もしも、楽しくないことが起きたら私を呼んで。昨日みたいに、一緒に泣いてあげるから」
そう言って、水子達が納得した顔になったのを見届けて、瓔花は今日の石積みのために水子達を解散させた。
***
例の植物は左右に大きく枝を広げ、その節々に薄紫色の花をつけていた。花は甘い香りを放っている。水子にとっては未経験なものか、忘れて久しいものかのいずれかだったが、この植物がもたらす刺激としては珍しく心地が良いものだった。
植物に囲まれながら、水子達は黙々と石を積んでいた。茂みの外側からその様子は殆ど見えないが、時たま水子の頭が茂みの上に飛び出る。積んだ石に乗って遊んでいるのだろう。
そんな水子の王国に、いつぞやのように異邦人が訪れた。足跡は静かで水子達を刺激しないようにという配慮を感じる。だが、水子を見下ろすその者が着ている服は、より背広に近いとはいえ、あの鬼を想起させる制服だった。
厄災の再来かと警戒する水子達を尻目に、異邦人、閻魔の四季映姫は唯一無警戒な国王の元へと向かった。
「あ、閻魔様。お仕事お疲れさまー」
「おや、仕事に見えましたか。今日は休みですよ」
「そうなんだ。お話しない?」
「ええ、もとよりそのつもりでこちらには来ました」
「椅子用意するね」
そう言うと、瓔花は石を手にとって、それを素早く組み始めた。程なくして完成した石組みの椅子は、瓔花が使っているような単に石を積んだだけのものではなく、石垣のように石同士を噛み合わせた丸椅子だった。頑丈な作りは、石積みの上に座ることに慣れていないであろう映姫に対しての、瓔花なりの配慮だった。
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
映姫が椅子に腰掛けると、彼女の視覚の端を埋める程度だった茂みは、視界の半分程度にまで迫り上がった。小さな花の塊を眺めながら、彼女は口を開いた。
「ほぼ満開になりましたね」
「そうだね。そういや、あれ、なんて名前の木なの?」
「ムラサキハシドイ、という名前の植物です。リラ、あるいはライラックという名前の方が通りが良いでしょうか。元々低木に分類されるのですが、それにしても小さい。背が低くなるよう改良された品種なのかな」
映姫の知る限り、ライラックは大人の背丈かそれ以上にまで伸びる植物だ。だが、今賽の河原に生えているそれは、ちょうど子供の背丈を隠すくらいの大きさに留まっていた。どことなく、ライラックの側が水子達に忖度しているかのように見えた。
「物知りだね」
「こう見えて、花には詳しいのですよ」
そう言って映姫はいたずらっぽく笑ったが、直ぐに元の神妙な真顔へと戻った。
「彼岸花以外の植物が生える、というのは異常事態だと思いますが、落ち着いておられますね」
「うん。私もこんなことは初めてだけれど、彼岸花が急に増えたことは前にもあったよね?」
「ええ、六十年に一度、そういうことが起こります。覚えていましたか」
そう言われて、瓔花は首を傾げた。記憶力に自身がある方では断じてない。それなのに、なぜ六十年に一度しか起こらないことを、こうも明瞭に覚えていたのだろうか。考えられる可能性としては……。
「水子だからかな? 命の息吹には敏感なの」
「で、あるならば尚の事です。あなたも他の水子達も、もう少し神経質になっていると思っていたのですが」
「ちょっと前までは機嫌を悪くする子も多かったんだよ。でも、私が石積みのやり方を教えてあげたからね。石積みを楽しんでいたらそんなこと気にならない」
小石を右手の中で転がして、それと同期しているかのようにカラカラと笑いながら答える瓔花。だが、それに反比例するかのように映姫の顔は険しさを増していった。
「そう、そこなのですよ。賽の河原で花が咲き乱れる、それも、彼岸花ではなくライラックという全く別の種類の花という事態。それすら気にも留めず、というのは極端すぎやしませんか?」
「生きていた頃に囚われているよりはマシじゃん。それのどこがいけないのさ」
「貴方がやっていることは執着の対象を変化させることに過ぎません。確かにもう戻れない現世への未練を断ち切る、というのは大切なことですが、それは全ての未練も執着も捨てて、輪廻転生の輪へと戻るためです。一個の執着を捨てて、別の執着を得ているようでは何も前進していない」
映姫は軽く息を吸って説教を続けた。
「それに、石積みというのは、先立って死ぬことで親を悲しませていることに対する贖罪という側面もあります。正直なところ、私達はこの説を支持はしないのですが、それでも人々がそういうものとして水子を定義しているという認識は汲み取るべきです」
「おかしいと思わないの? 現世に縛られるな、と言いつつ親への罪滅ぼしを問う、石積みに執着するなと言いつつ水子がそういうものであるという認識は尊重させる。そんなの矛盾じゃん。私は、誰かの為じゃなくて、自分の為に石を積みたいんだよ」
瓔花はかぶせ気味に反駁した。石を転がす手も止めて、映姫に対して全く納得がいっていないという不満の目を向けている。その論の結末は実に子供らしいわがままなものだったが、確かな意志の強さを映姫は感じ取っていた。
「それこそ執着なのですが……。ただ、貴方の言うことも一理ありますね。私が贖罪の為に石積みを行うという水子像を許容しているのは、それに従うことが水子としての自己の安定化に繋がるからです。しかし、貴方、そして貴方の薫陶を受けた水子は、従来の水子像を問い直す存在として自己を確立し、恐らくは成功を収めている」
映姫は目を閉じた。説教モードから切り替わったことで閻魔特有の憤怒のオーラは消えて、僧侶が静かに瞑想をするかのような穏やかさがそこにはあった。
***
瓔花は映姫を置いて遊びに行くことはしなかったが、それでも退屈な時間に入ってしまったということは変わらなかった。そこで周りに落ちている石をかき集めて、暇つぶしに一作品積んだ。それを見てもらおうと映姫の肩を叩こうとしたところで、瓔花の行動を見越していたかのように映姫が先に目を開けた。
「アプローチを変えてみましょうか。貴方は慕われていると思いますか?」
「妙なことを聞くね。あ、呼ばれたから様子を見に行くね」
少し離れた茂みの中から水子の声が聞こえてきて、瓔花はそこへと向かった。映姫もそれについて行こうとしたが、先程水子達から警戒の目を向けられたことを思い出し、少し時間を置いてから、遠巻きに眺めに行くことにした。
呼んだ理由は、作品が完成したのでそれを見て欲しかったから、ということらしい。映姫は水子達に気が付かれないよう離れていたので話し声は聞こえなかったが、瓔花の表情からそれを好意的に評価しているというのは分かった。
映姫は石積みに対する審美眼は持ち合わせていない。自分が考え事をしていた間に瓔花が完成させた作品と、今瓔花が論評している作品と、どちらが優れているのかも分からない。ただ、役職柄仏師の作品も数多く見てきた身として、いずれの作品も仏教精神を意図してはいない、というのは伝わった。
水子達に対してこうあるべきだ、という理想像を強要しようとするのは石頭というものだろう。それは、利発な瓔花の受け答えを聞いて改めて気が付かされたことでもある。だが、それでも、自分達が長らく積み重ねてきた風土がいともたやすく崩されていくということに、寂しさを覚えずにはいられなかった。
映姫が感傷に浸って少し意識を離した隙に、瓔花達の周りには水子達が集結していた。瓔花は水子の中では長身なので、意識して追いかけなくてもその姿を捉え続けるのは容易い筈だ。だが、映姫は時々瓔花の姿を見失った。映姫は瓔花を水子の頂点だと認識していたが、それが誤りだということに気がついた。彼女は石積みのてっぺんで目立つ石なのではなく、石の集合体における核なのだ。
塊はずっとこのままかと思えたが、一瞬だけ塊から顔を出した瓔花が映姫に気がついて、申し訳無さそうに水子達を解散させたことで集会が終わった。それを見届けて映姫は椅子へと戻り、少し遅れて瓔花もやって来た。
「成程、慕われてはいるようですね。ただ、同学級か少し年上の優等生という感じだ」
「言いたいことは察するよ。私には、親として振る舞って欲しいんでしょ? でも、それは無理なんだ。私も水子の一人でしかないからね。頑張れば親を演じることはできるかもしれないけれど、それはあの子達と、何よりも私自身を騙すことになっちゃう。あるがままに振る舞って、それで慕われているのなら、それに越したことはないんじゃないかな」
「ふむ。やはり、私達と貴方達とでは価値観が違う。貴方がそのやり方をいくら続けようとも、川を渡ることすら叶わない」
言葉の選び方は説教のときのそれだが、声の抑揚や話す顔は穏やかだった。映姫に、目の前の子供を論破しようという気は最早無かった。
「とはいえ、意図こそ違えど、貴方の行動は水子にとっての救済にはなっている。それについては素直に評価しましょう」
「閻魔様、優しいね」
「これは、ヤマザナドゥとしてではなく、元地蔵の四季映姫としての意見です。貴方が水子にもたらす実利は地蔵菩薩のそれに極めてよく似ている。しかし、貴方自身を救済することはできない。だから、私が貴方の行動を肯定することによって、貴方への救済とします」
映姫は自分を「元」地蔵だと述べたが、閻魔大王とは地蔵菩薩の化身であるので、今の映姫はお地蔵様では無いが地蔵菩薩ではある。つまり、彼女が下した救済は、きちんと効力を有するものなのだ。
ただ、彼女が与えた祝福が、瓔花に対してどのように受容されるのかはまた別の問題である。映姫は彼女の様子を改めて観察したが、会話の流れで察していたように、どうとも思っていないようだ。
瓔花は我流のやり方で、既に自分を救ってしまっている。映姫から見ればそれは誤った道なのだが、無理に矯正しようとはもう思わなかった。無仏の時代はまだ億年の単位で続く。ゆっくりと、自分の足で歩いて理解してくれればそれで良いのだ。
それに。映姫は瓔花とその周りに咲いたライラックの茂みを同時に視界に収めた。ライラックのピンクに近い赤紫の色合いは、瓔花の服に侵食した赤黒い色と不思議と調和していた。瓔花の歩んでいる道は、以外と王道なのかもしれない。
「彼岸花とは異なり、ライラックは死や彼岸の象徴ではない。それなのにここに咲いている、ということこそ、貴方によって賽の河原の有り様が変化していることの証左と言えますね」
「でも、この花は一時的なものなんだよね?」
「そうですね。六十年に一度の周期で、死者の魂が増え、魂の気質に対応した花がそれぞれの場所で咲き乱れることになります。増えた死者の魂から見て、今の賽の河原はそこまで悲観的な場所では無いということなのでしょう」
「このままいったら、普段咲く花も彼岸花ではなくなるかな?」
「それはどうでしょうか。ここの情景は、我々当事者の側だけではなく、現世の人々の認識によっても大きく左右されます。当の本人達がいくら楽しんだところで、現世から見たここが別離の象徴という事実は変わらないので、彼岸花は咲き続けると思いますよ」
映姫は閻魔の顔に戻っていた。
「石積みもです。貴方がそれを楽しむことで水子を救済する、というところまでは尊重しますが、あくまで執着を捨てる為の通過点でしかない、という部分は不変です。閻魔の視点から見て、貴方は真っ黒ですからね」
「そっかー。鬼達が石積みを崩すの、止めさせてもらおうと思っていたんだけれどな」
「無理なお願いですね。ぜひとも貴方達には無常というものを覚えて頂きたいものです」
瓔花は露骨に残念そうな顔をして、抗議の意志を示すために、フグのように頬を膨らませた。
「自分で言うのもあれだけれど、私のやり方は仏教の考え方を完全に無視しているよ? そこから悟りの境地に至ることができると思う?」
「車輪は再発明され得ますから」
映姫は抽象的な言い回しで話を締めて、瓔花に一例してその場を立ち去った。聡明な瓔花もこの言葉の意味は分からずきょとんとしていたが、映姫の背中が自分の背丈よりも小さく見えるくらいまで離れると、今は理解しなくても良いかと忘却して石積みをしに戻っていった。
映姫は議論の中で、あえてある事実には触れなかった。つまり、子供とは成長するものなのだから、水子も、いつまでも石積みを楽しむことができる無垢な存在では決してない。瓔花は石積みを楽しませることで救済としていたが、鳥が巣立つように、いずれその輪から外れる水子が現れる。
瓔花も恐らくはそれを経験的に理解している。一致がとれていることをあえて蒸し返す意味は無いし、仮に水子が出ていくことすら瓔花が拒絶していたらより話はこじれただろう。
映姫は瓔花を中心とするグループから背を向けて離れ続けた。二人で話して導き出した本当の結論は、瓔花への役割委任ではなく、分業なのだ。賽の河原に送られた水子は絶望して石を積むが、瓔花という地蔵菩薩の代理人により救済される。だが、それで物語は終わらない。水子は石積みに飽きるという形で執着も未練も捨てて、瓔花の元を旅立つ。そうして再び一人ぼっちになった水子を輪廻転生の輪に戻す。それこそが我々の使命である。
映姫は石積みもせずに黄昏れる水子へと声をかけに行った。その背中に、未だ石積みを楽しみ続ける水子達の声が降り注いだ。
***
おりしも西の谷間より
能化
の地獄大菩薩
動
ぎ出でさせ給いつつ
幼きものの傍により
なにを嘆くか嬰児
よ
汝らいのち短くて
冥途の旅に来たるなり
娑婆と冥途は程遠し
いつまで親を慕うとも
娑婆の親には会えぬぞよ
今日よりのちは我をこそ
冥途の親と思うべし
幼きものを御衣
の
袖
や袂
にだき入れて
憐れの給うぞありがたや
いまだに歩まぬ嬰児を
錫杖
の柄にとりつかせ
忍辱
慈悲の御肌
に
泣く幼児を抱きあげ
助け給うぞありがたや
(賽の河原地蔵和讃より)
良かったです。
面白かったです。ありがとうございます。
瓔花が救いを振りまいていても地獄は問題なく回るというのは、一見残酷なように見えて懐の広さも感じさせるなあと思いました。
良かったです。
現状の救済を目的とする瓔花と水子の輪廻への復帰など大局的な見方をする映姫との話は興味深かったです。水子としてのあり方に矛盾しつつも水子を水子のまま救おうとする瓔花の在り方が非常に魅力的に思えました。
瓔花の前向きな思考と映姫のどうしたもんかなこいつらと頭を抱えてそうな雰囲気がよかったです
とはいえゆっくりと読み解けば
瓔花の目指すところと映姫の目指すところがわかり
その結論による救済としてきれいにまとまっていると思いました。