その曲、懐かしいねーと声をかけてきた女は、人里においてあまり通り一遍の格好をしているとは言えず、つまり、多分人間でないか、変な人間かのどちらかであった。
そう思った私はと言えば、通りに居座り、アコースティックギターで以て弾き語りをしていたのだが、誰かが見向きをするという事象についてはとんと想定していなかったために、面食らってしまっていた。
そいつは次に、ether thunder?インディーズ時代のシングルだったよねと聞いてきた。こいつはかなり筋金入りのようだった。
「えー、あー、そう。私はずっとこの曲を聴きながら、その、生きてた。でも、こいつが、『始原のビート』を出してからは聴いてない。
その後のこともしらない。何か、魔法が溶けたような感じがした。初めて聞いた時、ああ、メジャー入りして変わってしまったんだな、みたいな、そういうよくあるしょーもない奴を感じて」
ここまで喋って、しまった、と思った。
私は自分の気分の高揚するままに喋ってしまう欠陥を抱えている。
何度後になって後悔しても治らない。
「あれにはびっくりするよね。でも、周りの論調を聞いていると、なんというか、逆だったかも。1stシングルでそんなに攻めるな、って」
「へえ。全然知らなかった。あんまり人の言うことを覚えていられる方じゃなくて。言われてもいないはずのことなら一杯思い出せるのに。
つまり、その。私は、この曲とはもうお別れだと思って、今日ここでこれを演奏してた。ここでは誰かが弾き語りをしてても誰も不審に思わないし、誰も聴いちゃいないのもわかってたから。違う。そうじゃなくて。お別れの理由の方か。
いや、興味ない?あなたは堀川雷鼓について私より詳しそう。私はライブに行ったこともない。グッズみたいな物があるのかもしれないけれど、一つも持ってない。インディーズの時のカセットを何個か手に入れて、ずっと一人で聴いてた。それだけ」
しかしこの時点で、私は己の「しまった」という感情について自覚が追いついていない。
愚かだ。
喋れば喋るほど、自分のことが嫌いになるだけなのに。
「興味あるよ。聞かせてくれる?嫌でなければだけど」
「汚れたから。汚れて、それで、最初は、私が愚かなだけだった。その汚れは、つまり、えー、私は、その日は機嫌がよかった。
私は普段は染物の仕事をしてる。そこで、一緒に働いてる子たちと、私は別に仲が良いわけでは無いけれど、たまに世間話くらいはする。
その子たちが何を話してたのかとか、前後どんな風だったとかは、覚えてない。覚えてるのは、あなたって普段は何をしているのって、聞かれたこと。
それで私は、どういうわけかそれを聞かれたことがうれしかったんだと思う。端的に言えば、私はこの曲を聴いて、依存して、それにしがみついて生きているってことに近い話をした気がする。今みたいに、早口で、無様で、空気が読めない感じで。
あたりまえだけど、微妙な空気になった。あの子たちはそれを払拭するために必死になって、いろんな言葉を使って私をからかったような気がする。
正確に何を言われたかは覚えてないけど、多分大したことは言われていないはず。でも、私の頭の中には、私が考え付く限りで一番最悪な言葉を一杯浴びせてきたあの子たちの嘲るような顔がこびりついてる。多分、言われてないし、そもそもあの子たちに人を嘲るような趣味はない。
そんな感じ。えー。勢いで、くだらないことをべらべら喋っていっぱい後悔した。だって、事前に知っていたはずだったから。
私がこの曲を愛していることとか、たった一人の作った曲に依存して生きていることとか、そいつが根暗で何を考えているのか分からないような奴だってこととか、そういうのが全部、あんまり普通でなくて反応に困るようなものであることを。ゆるやかな。仲間外れというよりは、もっとやんわりと、少なくとも同じ線の中には暮らしていない、というような。
それから、この曲を聴くたびにそのことを思い出すようになって、思い出すたびに汚れていくような心地がして段々聞かなくなったの」
「ははあ」
「でも、この曲のことが好きだったのは嘘じゃない。嘘にしたくもない。だから、お別れが欲しかった、のかな。そんな感じ。どう?全然くだらない話だったでしょう」
本当に、自分のことが嫌いになった。
いつもそうだ。
こういうのを反省して、反省して反省して反省して、そろそろ何にも思わなくなった頃に、同じことをする。
パターンだ、呪いだ、希死念慮だ。
誰しも、己の意志とは関係なく決められた渦の中に閉じ込められて、それが良い渦か悪い渦かはわからない。
そういうものなのだと、希望の無さを嘆くことで逆説的に救いを得ている。
「いいえ、ありがとう。今、あなたは他の何かを見つけれた?」
「いいえ。でも、この行為はそのためでもある」
「成程。道理かもね。ねえ、私途中からしか聞けなかったのよね。良かったら、もう一度だけ、最初から演ってくれないかしら。」
「ええ。あまり上手じゃないけれど」
この曲はアルバムにまとめられた時にアコースティック・ヴァージョンでセルフカバーされた。
隠しトラックで。
私がやっているのはそれのコピー。
メロディーはとっても単純だけれど、ギターの叩き方に重点を置いている。
原曲の主役もパーカッションなので、納得のアレンジだ。
わかってる。
この曲は汚れてない。
誰も私を憎んではいない。
それに始原のビートはいい曲だった。
昔は多少色んな行き違いがあったかもしれない。
でも、今の私は客観的に言っても恵まれているように思う。
少なくとも骨董品のアコースティックギターが買える。
川で拾ったコンポもある。
友達は居ないが、それも、あとこの曲を汚れて感じるのも、私の脳みそが腐っているのが悪いのだ。
染物屋の店主も、同僚のあの子たちもみんないい人だ。
親とか、好きだったあの男の子とかとの思い出が追いかけてくる。
それがバラバラに、ちょっとずつ砕けていって、私の他の思い出に混ざって、悪いものにしていくのだ。
言われたこととか、されたことを。
どんなにおいしい食べ物でも、毒が混ざれば食べられない。
でも私の脳みそは食べ物じゃないし、思い出は毒でも薬でもないでしょう、とも思う。
新しい言葉を見つけては、それにのっかって、暫くするとそれを否定する理屈を見つけるの繰り返し。
私はどうすれば救われるだろう?
死ぬまでこうやって、自分の気持ち悪さに気持ち悪くなって生きていくのかな?
何を喋っても後悔するこの頭は、今日この女と話したのも悪い出来事だったことにしてしまうのかな?
そして、演奏は終わった。
インストゥルメンタルは歌詞がない分、最中は雑多なことを考える。
女は拍手をしてくれた。
名前を聞かれたので答えた。
せっかくなのでと女の名前を聞き返すと、踵を返して歩いて行った。
そして右手を上げながら堀川雷鼓と名乗った。
照れていたのかもしれない。
ひいき目に言っても、あの名乗りが冗談でないとするならば、今日の彼女の行為はけっこう気持ち悪いものだった。
私はその帰りに骨董屋に寄って、堀川雷鼓のメジャーデビュー後のカセットを探したけれど、見つからなかった。
私たち、今日一日だけだったね、と思った。
でも、ether thunderのカセットを捨てるのは一旦、保留にしておくことにした。
私の頭は腐っている。
いつだってそうだったけれど、今回だけは違うかもしれない。
いつもそう願っている。
そう思った私はと言えば、通りに居座り、アコースティックギターで以て弾き語りをしていたのだが、誰かが見向きをするという事象についてはとんと想定していなかったために、面食らってしまっていた。
そいつは次に、ether thunder?インディーズ時代のシングルだったよねと聞いてきた。こいつはかなり筋金入りのようだった。
「えー、あー、そう。私はずっとこの曲を聴きながら、その、生きてた。でも、こいつが、『始原のビート』を出してからは聴いてない。
その後のこともしらない。何か、魔法が溶けたような感じがした。初めて聞いた時、ああ、メジャー入りして変わってしまったんだな、みたいな、そういうよくあるしょーもない奴を感じて」
ここまで喋って、しまった、と思った。
私は自分の気分の高揚するままに喋ってしまう欠陥を抱えている。
何度後になって後悔しても治らない。
「あれにはびっくりするよね。でも、周りの論調を聞いていると、なんというか、逆だったかも。1stシングルでそんなに攻めるな、って」
「へえ。全然知らなかった。あんまり人の言うことを覚えていられる方じゃなくて。言われてもいないはずのことなら一杯思い出せるのに。
つまり、その。私は、この曲とはもうお別れだと思って、今日ここでこれを演奏してた。ここでは誰かが弾き語りをしてても誰も不審に思わないし、誰も聴いちゃいないのもわかってたから。違う。そうじゃなくて。お別れの理由の方か。
いや、興味ない?あなたは堀川雷鼓について私より詳しそう。私はライブに行ったこともない。グッズみたいな物があるのかもしれないけれど、一つも持ってない。インディーズの時のカセットを何個か手に入れて、ずっと一人で聴いてた。それだけ」
しかしこの時点で、私は己の「しまった」という感情について自覚が追いついていない。
愚かだ。
喋れば喋るほど、自分のことが嫌いになるだけなのに。
「興味あるよ。聞かせてくれる?嫌でなければだけど」
「汚れたから。汚れて、それで、最初は、私が愚かなだけだった。その汚れは、つまり、えー、私は、その日は機嫌がよかった。
私は普段は染物の仕事をしてる。そこで、一緒に働いてる子たちと、私は別に仲が良いわけでは無いけれど、たまに世間話くらいはする。
その子たちが何を話してたのかとか、前後どんな風だったとかは、覚えてない。覚えてるのは、あなたって普段は何をしているのって、聞かれたこと。
それで私は、どういうわけかそれを聞かれたことがうれしかったんだと思う。端的に言えば、私はこの曲を聴いて、依存して、それにしがみついて生きているってことに近い話をした気がする。今みたいに、早口で、無様で、空気が読めない感じで。
あたりまえだけど、微妙な空気になった。あの子たちはそれを払拭するために必死になって、いろんな言葉を使って私をからかったような気がする。
正確に何を言われたかは覚えてないけど、多分大したことは言われていないはず。でも、私の頭の中には、私が考え付く限りで一番最悪な言葉を一杯浴びせてきたあの子たちの嘲るような顔がこびりついてる。多分、言われてないし、そもそもあの子たちに人を嘲るような趣味はない。
そんな感じ。えー。勢いで、くだらないことをべらべら喋っていっぱい後悔した。だって、事前に知っていたはずだったから。
私がこの曲を愛していることとか、たった一人の作った曲に依存して生きていることとか、そいつが根暗で何を考えているのか分からないような奴だってこととか、そういうのが全部、あんまり普通でなくて反応に困るようなものであることを。ゆるやかな。仲間外れというよりは、もっとやんわりと、少なくとも同じ線の中には暮らしていない、というような。
それから、この曲を聴くたびにそのことを思い出すようになって、思い出すたびに汚れていくような心地がして段々聞かなくなったの」
「ははあ」
「でも、この曲のことが好きだったのは嘘じゃない。嘘にしたくもない。だから、お別れが欲しかった、のかな。そんな感じ。どう?全然くだらない話だったでしょう」
本当に、自分のことが嫌いになった。
いつもそうだ。
こういうのを反省して、反省して反省して反省して、そろそろ何にも思わなくなった頃に、同じことをする。
パターンだ、呪いだ、希死念慮だ。
誰しも、己の意志とは関係なく決められた渦の中に閉じ込められて、それが良い渦か悪い渦かはわからない。
そういうものなのだと、希望の無さを嘆くことで逆説的に救いを得ている。
「いいえ、ありがとう。今、あなたは他の何かを見つけれた?」
「いいえ。でも、この行為はそのためでもある」
「成程。道理かもね。ねえ、私途中からしか聞けなかったのよね。良かったら、もう一度だけ、最初から演ってくれないかしら。」
「ええ。あまり上手じゃないけれど」
この曲はアルバムにまとめられた時にアコースティック・ヴァージョンでセルフカバーされた。
隠しトラックで。
私がやっているのはそれのコピー。
メロディーはとっても単純だけれど、ギターの叩き方に重点を置いている。
原曲の主役もパーカッションなので、納得のアレンジだ。
わかってる。
この曲は汚れてない。
誰も私を憎んではいない。
それに始原のビートはいい曲だった。
昔は多少色んな行き違いがあったかもしれない。
でも、今の私は客観的に言っても恵まれているように思う。
少なくとも骨董品のアコースティックギターが買える。
川で拾ったコンポもある。
友達は居ないが、それも、あとこの曲を汚れて感じるのも、私の脳みそが腐っているのが悪いのだ。
染物屋の店主も、同僚のあの子たちもみんないい人だ。
親とか、好きだったあの男の子とかとの思い出が追いかけてくる。
それがバラバラに、ちょっとずつ砕けていって、私の他の思い出に混ざって、悪いものにしていくのだ。
言われたこととか、されたことを。
どんなにおいしい食べ物でも、毒が混ざれば食べられない。
でも私の脳みそは食べ物じゃないし、思い出は毒でも薬でもないでしょう、とも思う。
新しい言葉を見つけては、それにのっかって、暫くするとそれを否定する理屈を見つけるの繰り返し。
私はどうすれば救われるだろう?
死ぬまでこうやって、自分の気持ち悪さに気持ち悪くなって生きていくのかな?
何を喋っても後悔するこの頭は、今日この女と話したのも悪い出来事だったことにしてしまうのかな?
そして、演奏は終わった。
インストゥルメンタルは歌詞がない分、最中は雑多なことを考える。
女は拍手をしてくれた。
名前を聞かれたので答えた。
せっかくなのでと女の名前を聞き返すと、踵を返して歩いて行った。
そして右手を上げながら堀川雷鼓と名乗った。
照れていたのかもしれない。
ひいき目に言っても、あの名乗りが冗談でないとするならば、今日の彼女の行為はけっこう気持ち悪いものだった。
私はその帰りに骨董屋に寄って、堀川雷鼓のメジャーデビュー後のカセットを探したけれど、見つからなかった。
私たち、今日一日だけだったね、と思った。
でも、ether thunderのカセットを捨てるのは一旦、保留にしておくことにした。
私の頭は腐っている。
いつだってそうだったけれど、今回だけは違うかもしれない。
いつもそう願っている。
良かったです。
自分の曲を愛してくれる人がいて雷鼓もうれしかっただろうなーと思いました
メジャー入りして萎えるっていう主人公の感性が想像しやすくて良いと思いました。
そのおかげでよりリアルに場面を想起できます。
捨てる為の禊だったはずが、汚れた部分だけを洗い流してくれて、曲を好きだった事実はそのまま残してくれたのでしょうか、そんなしんみりとした読後感。
雷鼓ともただ数言交わしただけだったけど、それが逆に文章の流れを遮らずに流々と読めたのだとも思います。雷鼓も雷鼓で良いキャラクターをしていました。
あと、曲に罪は無いと自覚出来ているのも良かったです、ありがとうございました。自分も『ether thunder』聞きたいですね。