今年の夏は、太陽が馬鹿になったのかと思うくらいに熱い。なんかもう暑いとかそういう次元じゃなくて、触れる物の全てが熱い。高所の白玉楼でさえ俗界の熱気に晒されるなんて異常事態は、幽々子様も初めてだと言っていた。太陽はきっと地球上の命をきつね色になるまで焼き上げるつもりなんだろう。冗談じゃない。
でも、だからこそ、相応しいのだとも思えた。
幻想郷で、夏フェスが始まる──
人里内の酒場で、白い髪の蓬莱人がちょっと燃えている。髪の先っぽの方からじりじりと捻じれて異臭が漂っているのだけど、当のその人はまるで意に介していなかった。
知っている人だ。面識ならあったと思うけど、今の私にとっては、プリリバのライブの時、いつも後ろの方で腕を組んで何やらボソボソと呟いていた気持ち悪い人でしかない。
夏フェスを控える今日は、プリリバの小規模なライブがあった。最高だった。ライブを楽しむ頭の片隅の片隅くらいの場所で、いつも後方にいた気持ち悪い人が、今日からは最前列の人になっていた、という変化には気付いていた。
その変化をもたらしたのは、何やら満足そうにしている、小太りのおじさんなのだろう。
「ありがとう。プリリバおじさん。ライブというのは参加してこそだと、貴方のおかげで分かったよ」
「礼を言うには及ばんで御座るよ。こういう時には、祝辞一つあれば良いので御座る。もこたん氏の覚醒を祝って──乾杯」
「ああ、乾杯」
私は、その地獄みたいな光景からスッと目を逸らした。
夏の暑さで弱った主人をすげなく放置してライブに行って、その帰りに冷たい飲み物を求めた不忠者への罰として、この裁きの重さが妥当なのかどうか問い質したい。
「へいっ。スポドリお待ちどー」
「あ。ありがとう。店員さんこっち……」
バイトの氷精が、私ではなく私の隣にいた紅いリボンの金髪の前にスポドリのジョッキを置いた。
「やあ、働いているね」
「恥ずいから来んなって言ったじゃんかー」
「丁度ライブの帰りでね。偶然立ち寄っただけ」
「ライブ? だから混んでるの? スポドリと麦茶がやべーくらい売れてて店長がやべーって言ってたよ。……む? さては裏切り者か? 鳥獣伎楽はどうした?」
「まさか。私は等しく、音楽を志す者たちをリスペクトしているよ」
この赤リボン滅茶苦茶テキトーなこと言うんですね。
「あの、店員さん……」
私、喉が渇いて死にそうなんですけど。何だったらもう半分死んでますけど。
「貴方もライブに行ったの?」
最高に美味しそうにスボドリを飲み干しながら、赤リボンが馴れ馴れしく声を掛けてきた。私の分のスポドリが来るまでこいつとは口をきかないと決めたけど、固い決意に反して、緑色の妖精が私の分を運んで来た。
「プリリバ良いよね」
「うん」
赤リボンにプリリバの本当の良さが分かるとは思わなかったけど、敢えて指摘するほど意地悪ではない。
「プリリバは一見して、キャッチーなリズムの音楽に感じられますな。しかしその実──」
「そうなんだよ。プリリバは『深い』んだよ。それが分かるとは、やはり中々の強者」
プリリバおじさんともこたんの声は、騒がしい店内の中にもよく通った。
「ホリリバ以降は、更に深みが出ましたな。いや、もちろんホリリバ以前ありきで」
「プリリバかホリリバか、難しい問題だな。一ファンとしては、どちらとも至高、と言いたい所だけど」
「どちらも至高、と言ってファン心理を停滞させたくない、という思いもあるわけですな」
「そうなのさ」
プリリバおじさんともこたんがめっちゃ意気投合している。
「貴方はどう?」
と、赤リボンが話を振ってきた。
やれやれ。プリリバかホリリバか。そんなのプリリバに決まっているじゃないか。いやもちろんホリリバも最高だけど。やっぱりプリリバが原点にして頂点なわけよ。
とまあ、そう言い切るほど話の読めない私ではない。
「どっちも良いよね」
「ふーん」
赤リボンは、元々さしたる興味も無かったんだろう。怖いものほど見ちゃうタイプなのか、プリリバおじさんともこたんのいる席の方をチラ見している。
話題は、次なる地獄へと移っていた。
「しちゃいますか。推しメンの話」
「おいおい良いのかい? そりゃあ、軽々しく触れる話題じゃないだろうよ、プリリバおじさん」
「無論、良し、と見做してのことで御座るよ」
「そうか」
と、もこたんは声を潜めた。
何故か、店内が同時に静まり返る。この場の全員、聞き耳を立てていたらしかった。その静寂の中で、もこたんはどこか恥じらいがちに言った。
「実はここだけの話、ルナ姉は、私の実の姉なんだよ」
「……」
プリリバおじさんでさえ、言葉を失った。「そ、そうで御座るか?」と、何か誤魔化すように口にする。
「ルナ姉は────いつだって孤独、なのさ」
「…………」
「ルナ姉の孤独を癒すことができるのは音楽だけで、だからルナ姉は誰よりも音楽に誠実なんだ」
「分かる……」
いや分かるんかいっ!
「ルナ姉ソロのコンセプトアルバムは、もう何回聞いたか分からないよ……。私はね、プリリバ音楽の基底部分には、常にルナ姉の哲学があると思うんだ。だからプリリバのサウンドは、一見して楽しげであっても、いつだって死や孤独といった、心の暗部と向き合っている。闇を湛えた曲は、だからこそ人々の魂に響くのさ」
「おお、流石はもこたん氏……深い……」
「へへ」
もこたんは、鼻の頭を掻きながら照れた。
「ルナ姉がいるから、今のプリリバがあるってことなんだよな」
やれやれ。やれやれやれにも程がある。
「はあ~~~。お前はなあぁあぁぁんにも分かってないみょん」
私はこれ見よがしに、クソデカい溜め息を吐き出した。
「その特徴的な語尾、さては、みょん吉氏では?」
即座に、プリリバおじさんが反応した。
「知っているのか!? プリリバおじさん」
「みょん吉氏はかなり古参のプリリバーで、プリリバのお便りコーナーでその名を見ることができるので御座る」
「古参だと!? だから何だって言うんだ。プリリバーに新参も古参も無いだろう」
「確かに、それについてはもこたんの言う通りだみょん。ルナ姉もファン同士でいがみ合うことなんか望んで無いみょん。だけどそれはそれとして、お前はな~~~んにも分かってないみょん」
「……フン」
もこたんは、あくまで余裕の態度を崩さなかった。
「そこまで言うなら、お前の推しを聞かせてもらおうか」
「その質問を待っていたみょん」
店内の注目は、いつしか私に集まっていた。だけど臆することはない。私は堂々と息を吸い込み、良い放つ。
「リリカだみょん」
「何!? リリカだと!? 隠れファンが多いのは知っているが、まさか、通を気取りただけで言っているのではないだろうな」
「プリリバサウンドの本質は、等身大の純情なんだみょん。──お前は、今日のリリカボーカルを聴かなかったのかみょん?」
前までは楽器中心のプリリバも、幻想郷に次々と現れた音楽集団とその環境の変化から、ボーカルも積極的に取り入れている。
中でもリリカボーカルの楽曲は、十代女子の甘酸っぱい気持ちを歌っているのだ。私も実際に、その曲を口ずさんで見せる。
「──この曲は、話を聞いて女の子と、その気持ちが分かっていない男の子のことを歌っているみょん。あ~っ、それめっちゃ分~か~る~~~、って、私は思わず全身を震わせてしまったみょん。みょんも分かるみょん……男の子はいつだって、何も分かってくれないんだみょん……」
隣にいたルーミアが「は?」と言った。
「どの口で???」
「分かるで御座る……」
プリリバおじさんが感動的に呟いた。
「あの曲を聴くと、拙者が女子だった頃を思い出すので御座る」
「その通りだみょん。プリリバの曲は魂に素早く浸透するから、あの曲を聴いている時、誰でも十代女子になれる──いいや、なってしまうのだみょん……」
「それが、リリカ推しの理由だと?」
「実はここだけの話、リリカは、私の幼馴染みなんだみょん」
もこたんが哀れな妄想をのたまった時と同じ、哀れな生き物を見る視線が寄せられた。
「みょんは、あのひまわり畑を覚えているみょん。昔は、二人でよく一緒に遊んだみょん……。小学校の裏手の山に、二人だけの秘密基地があって、放課後になるといつも……」
それ曲の歌詞じゃねぇか。
誰ともなく、呟いた。
「曲の主人公の女の子は、いつも意地っ張りで、そのくせ頑張り屋さんで、そんな飾らない等身大の自分が、私たちの胸に響くんだみょん……」
正しくは、飾らない等身大という演出だけど。いや、リリカは可愛い子ぶる方だよ? まあ、敢えて夢を壊すようなことは言わないみょんけどね。
「分かる……」
もこたんが、悔しげに呟いた。
「リリカちゃんは、そういう素直な所が良いんだよなぁ。いつも一生懸命で可愛いんだよなぁ。あの子を見てると、見てるこっちまで頑張れちゃうんだ。あぁ、プリリバ最高過ぎか……?」
「リリカの『良さ』を分かってくれて嬉しいみょん」
まあ本当に分かっているのはみょんだけなんだけど。
そうして、私たちは固い握手を交わすかに思われた。けど、夏フェスを控えた今、事がそうもおとなしく収まるはずもないのだった。
何やら、酒場の外が騒がしい。めいめいがわいのわいの騒ぎ立てるには、あっちの方で何かあるらしい。ほぼ情報が無い。
「おい。あっちの方で何かやってるってよ」
もこたんが、ほぼ虚無の情報を翻訳した。
そしてあっちの方へ向かった私たちが目撃したのは、烈しいダンスを売りにした新規アイドルユニットの握手会だ。
おじさんや、明日にもおじさんになる若い男性が、笑顔を振り撒くアイドルにデレデレしている。
「いえいえ、ファンサービスは私のモットーですから」
もこたんは、慣れた態度で列を捌いている娘の方に注目した。
「……あれは、里乃ちゃんだ。うわぁ、本物は可愛いなぁ」
おじさんたちに負けず劣らず気持ち悪い顔でデレデレしている。むしろ、変に紳士を気取った気持ち悪い男の人よりも、自己抑制が無い分だけ気持ち悪さも一塩だった。でも、変に紳士を気取るその仕草自体が気持ち悪い説もあるので、気持ち悪い人は何をどうしても詰んでいるのだと思った。
「並んじゃおうかな。だって生の里乃ちゃんだよ? こんなに近くで見れる機会、もう無いかも知れないし」
「ルナ姉はもう良いみょん?」
「ッ!? そうだ。私があんな胡散臭いアイドルにかまけていたら、ルナ姉を悲しませてしまう。でもなぁ……」
もこたんは、今まさに握手をしてもらっているおじさんのことを、心底から羨ましそうに眺めていた。こんな姿を見せて悲しむのは、ルナサさんでなくて、身近な別の人だと思う。
「里乃ちゃん可愛い……。可愛いの権化かよ……。蓬莱の珠あげたい……」
「もこたんもこたん、正気に戻るみょん。自分がプリリバーだってこと思い出すんだみょん」
「はっ。私は、ルナ姉の実の妹」
「おお、正気に戻ったみょん」
正気とは?
「そうか。夏フェスが近いからか……」
夏フェス。それは幻想郷中の音楽ユニットが一同に会するイベント。鳥獣伎楽も女子二楽坊も、みんな集まる。
「おのれ……。なんて、あざといんだ……。くぅぅ、あざとい、あざと可愛い……。私は、あんな露骨な人気獲得には騙されないぞ。だが、ライバルユニットを知っておくのは悪いことじゃないからな」
最後尾に並んだもこたんのことは、そっとしておくのが優しさだと思いましたみょん。
◇
そう言えば、リリカ、前に会った時は「最近曲作れてなーい」とか情けない顔で情けないこと言ってたけど、夏フェスに間に合うのかな。
ルナサさん経由でさりげなく様子を窺った所、順調そう、とのことだったけど。
そんなこんなでフェス当日、特設野外ホールには幻想郷中のあれやこれやがたくさん集まっていた。二万匹くらいかな。知らんけど。
楽屋に差し入れを持って行こうとした所、もこたんに呼び止められた。
「おい。そこは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「その立ち入り禁止の場所周辺をうろついているお前に言われたくないみょん。それと、私はれっきとした関係者です」
「まだ、幼馴染みだとか哀れな妄想を抱き締めているのか? 夢を見るのは良いが、程々にしておけよ」
いや、私はスポンサーからお祝いの品を預かっているお使いの人なのだけど、そのあたりを説明するのも面倒だった。
そしたら、不正解の選択肢だったらしくて、面倒臭いファンが付いてきてしまった。
「おお、こうなっているのか、何と言うか、こうなっているんだな」
もこたんが、ほぼ虚無の情報を呟きながら、きょろきょろとあたりと見回している。お使いを頼まれた人に溜め息を吐かせるには十分だ。
「付いて来ちゃったものは仕方ないから、お前はおとなしくしてるみょんよ」
で、プリリバが割り当てられている楽屋の戸をノックすると、出迎えてくれたのはメルランさんだった。
「……ほ、ほんもののメルランちゃんだ……」
おめー、おとなしくしてるって約束したみょんよね?
「ご無沙汰しております。白玉楼の妖夢です」
「あら、そんなに畏まらなくたって良いのに」
「そうはいきませんよ、何しろ今日は特別な日ですから。こちら、我が主とその友人様から、お祝いの品です」
「幽々子さんから!? 嬉しい!」
「……あ、あのっ……こ、これ……」
裏返った高い声で、もこたんが花束を差し出した。ただの花束でなくて、季節外れのクリスマスツリーのオーナメントみたいな丸い飾りが添えられていた。
決まり事で言うなら、こういうの貰っても困ると思う。
でもメルランさんは朗らかに笑った。
「ありがとう! いつも来てくれる人よね!」
と、満面の笑み。
もこたんは一撃でノックアウトされた。あう、あう、と呼吸するだけの人になっている。
「妖夢が来てくれたって、リリカにも言っておくわね。今は外しているのよ。ライブ直前は一人になって集中したいとか、ルナ姉みたいなこと言い出して、ちょっと笑っちゃった」
「いや、別に良いですけど」
「またそんなこと言っちゃって、本当はリリカに会いに来たんでしょ?」
「私はお使いの者なんですけど。リリカとか、ただの幼馴染みなんですけど」
楽屋から戻る帰路、もこたんはこれ以上無いってくらいに真面目な顔で考え事をしていた。
「……なあ、これは真面目な話だから、茶化さないで聞いて欲しいんだが」
「何です?」
みょん、と語尾に付けそうになったのをこらえる。
「メルランちゃんは、私のことが好きなのかも知れん」
「おめーは何言ってるんだみょん」
「だって私のこと覚えててくれただろうが!」
「一回リザレクションした方が良いみょん」
◇
鳥獣伎楽は、あれでもう活動歴が長い。女子二楽坊は、しっとりした空気で会場を包んだ。プリリバのライブはもちろん最高で、大いに盛り上がった。
ルナサさんのバイオリンの余韻を残して、一曲が終わった。次の曲では、後ろでキーボードを弾いていたリリカが、マイクを持ってセンターに立つ。先日の小規模ライブで、この日に合わせて新曲を披露すると予告されていた。
「……これは、幼馴染みとの恋を歌った曲です」
私のことかな?
ポルターガイストの特技が発揮されて、楽器たちが意思を持ったように動き出す。曲調は思いっ切り最近のアイドル風J-POPだ。
新曲は、ずっと一緒だと思っていた幼馴染みが、知らない内に遠くへ行ってしまったような気がする、そんな、お年頃の寂しさや悔しさを、歌詞に乗せていた。これ、私のことだ……!
でもやっぱり幼馴染みは幼馴染みで、幼馴染み良いよね……。幼馴染みしか勝たん! そんな世界の真理に気付かされる。
切ない表情を演じるリリカが、
「本当はずっと好きだったの」
と、歌う。
このあたりから私のテンションは最高潮で、二刀流ペンライトをぶんぶん振り回しまくった。
やっぱりこれ私のことみょん。幼馴染み最高! 幼馴染みだけいれば良い! 幼馴染みは絶対負けない!
後でこの時の話をリリカにしたら、
「は?」
って言われた。納得いかない。一番のファンになんて言い草をするんだみょん。
「だって、目が合ったじゃん。確実に私のこと見たじゃん」
「見てない。知らない。気付かなかった」
そんなやり取りを、無限にやった。
でも、だからこそ、相応しいのだとも思えた。
幻想郷で、夏フェスが始まる──
人里内の酒場で、白い髪の蓬莱人がちょっと燃えている。髪の先っぽの方からじりじりと捻じれて異臭が漂っているのだけど、当のその人はまるで意に介していなかった。
知っている人だ。面識ならあったと思うけど、今の私にとっては、プリリバのライブの時、いつも後ろの方で腕を組んで何やらボソボソと呟いていた気持ち悪い人でしかない。
夏フェスを控える今日は、プリリバの小規模なライブがあった。最高だった。ライブを楽しむ頭の片隅の片隅くらいの場所で、いつも後方にいた気持ち悪い人が、今日からは最前列の人になっていた、という変化には気付いていた。
その変化をもたらしたのは、何やら満足そうにしている、小太りのおじさんなのだろう。
「ありがとう。プリリバおじさん。ライブというのは参加してこそだと、貴方のおかげで分かったよ」
「礼を言うには及ばんで御座るよ。こういう時には、祝辞一つあれば良いので御座る。もこたん氏の覚醒を祝って──乾杯」
「ああ、乾杯」
私は、その地獄みたいな光景からスッと目を逸らした。
夏の暑さで弱った主人をすげなく放置してライブに行って、その帰りに冷たい飲み物を求めた不忠者への罰として、この裁きの重さが妥当なのかどうか問い質したい。
「へいっ。スポドリお待ちどー」
「あ。ありがとう。店員さんこっち……」
バイトの氷精が、私ではなく私の隣にいた紅いリボンの金髪の前にスポドリのジョッキを置いた。
「やあ、働いているね」
「恥ずいから来んなって言ったじゃんかー」
「丁度ライブの帰りでね。偶然立ち寄っただけ」
「ライブ? だから混んでるの? スポドリと麦茶がやべーくらい売れてて店長がやべーって言ってたよ。……む? さては裏切り者か? 鳥獣伎楽はどうした?」
「まさか。私は等しく、音楽を志す者たちをリスペクトしているよ」
この赤リボン滅茶苦茶テキトーなこと言うんですね。
「あの、店員さん……」
私、喉が渇いて死にそうなんですけど。何だったらもう半分死んでますけど。
「貴方もライブに行ったの?」
最高に美味しそうにスボドリを飲み干しながら、赤リボンが馴れ馴れしく声を掛けてきた。私の分のスポドリが来るまでこいつとは口をきかないと決めたけど、固い決意に反して、緑色の妖精が私の分を運んで来た。
「プリリバ良いよね」
「うん」
赤リボンにプリリバの本当の良さが分かるとは思わなかったけど、敢えて指摘するほど意地悪ではない。
「プリリバは一見して、キャッチーなリズムの音楽に感じられますな。しかしその実──」
「そうなんだよ。プリリバは『深い』んだよ。それが分かるとは、やはり中々の強者」
プリリバおじさんともこたんの声は、騒がしい店内の中にもよく通った。
「ホリリバ以降は、更に深みが出ましたな。いや、もちろんホリリバ以前ありきで」
「プリリバかホリリバか、難しい問題だな。一ファンとしては、どちらとも至高、と言いたい所だけど」
「どちらも至高、と言ってファン心理を停滞させたくない、という思いもあるわけですな」
「そうなのさ」
プリリバおじさんともこたんがめっちゃ意気投合している。
「貴方はどう?」
と、赤リボンが話を振ってきた。
やれやれ。プリリバかホリリバか。そんなのプリリバに決まっているじゃないか。いやもちろんホリリバも最高だけど。やっぱりプリリバが原点にして頂点なわけよ。
とまあ、そう言い切るほど話の読めない私ではない。
「どっちも良いよね」
「ふーん」
赤リボンは、元々さしたる興味も無かったんだろう。怖いものほど見ちゃうタイプなのか、プリリバおじさんともこたんのいる席の方をチラ見している。
話題は、次なる地獄へと移っていた。
「しちゃいますか。推しメンの話」
「おいおい良いのかい? そりゃあ、軽々しく触れる話題じゃないだろうよ、プリリバおじさん」
「無論、良し、と見做してのことで御座るよ」
「そうか」
と、もこたんは声を潜めた。
何故か、店内が同時に静まり返る。この場の全員、聞き耳を立てていたらしかった。その静寂の中で、もこたんはどこか恥じらいがちに言った。
「実はここだけの話、ルナ姉は、私の実の姉なんだよ」
「……」
プリリバおじさんでさえ、言葉を失った。「そ、そうで御座るか?」と、何か誤魔化すように口にする。
「ルナ姉は────いつだって孤独、なのさ」
「…………」
「ルナ姉の孤独を癒すことができるのは音楽だけで、だからルナ姉は誰よりも音楽に誠実なんだ」
「分かる……」
いや分かるんかいっ!
「ルナ姉ソロのコンセプトアルバムは、もう何回聞いたか分からないよ……。私はね、プリリバ音楽の基底部分には、常にルナ姉の哲学があると思うんだ。だからプリリバのサウンドは、一見して楽しげであっても、いつだって死や孤独といった、心の暗部と向き合っている。闇を湛えた曲は、だからこそ人々の魂に響くのさ」
「おお、流石はもこたん氏……深い……」
「へへ」
もこたんは、鼻の頭を掻きながら照れた。
「ルナ姉がいるから、今のプリリバがあるってことなんだよな」
やれやれ。やれやれやれにも程がある。
「はあ~~~。お前はなあぁあぁぁんにも分かってないみょん」
私はこれ見よがしに、クソデカい溜め息を吐き出した。
「その特徴的な語尾、さては、みょん吉氏では?」
即座に、プリリバおじさんが反応した。
「知っているのか!? プリリバおじさん」
「みょん吉氏はかなり古参のプリリバーで、プリリバのお便りコーナーでその名を見ることができるので御座る」
「古参だと!? だから何だって言うんだ。プリリバーに新参も古参も無いだろう」
「確かに、それについてはもこたんの言う通りだみょん。ルナ姉もファン同士でいがみ合うことなんか望んで無いみょん。だけどそれはそれとして、お前はな~~~んにも分かってないみょん」
「……フン」
もこたんは、あくまで余裕の態度を崩さなかった。
「そこまで言うなら、お前の推しを聞かせてもらおうか」
「その質問を待っていたみょん」
店内の注目は、いつしか私に集まっていた。だけど臆することはない。私は堂々と息を吸い込み、良い放つ。
「リリカだみょん」
「何!? リリカだと!? 隠れファンが多いのは知っているが、まさか、通を気取りただけで言っているのではないだろうな」
「プリリバサウンドの本質は、等身大の純情なんだみょん。──お前は、今日のリリカボーカルを聴かなかったのかみょん?」
前までは楽器中心のプリリバも、幻想郷に次々と現れた音楽集団とその環境の変化から、ボーカルも積極的に取り入れている。
中でもリリカボーカルの楽曲は、十代女子の甘酸っぱい気持ちを歌っているのだ。私も実際に、その曲を口ずさんで見せる。
「──この曲は、話を聞いて女の子と、その気持ちが分かっていない男の子のことを歌っているみょん。あ~っ、それめっちゃ分~か~る~~~、って、私は思わず全身を震わせてしまったみょん。みょんも分かるみょん……男の子はいつだって、何も分かってくれないんだみょん……」
隣にいたルーミアが「は?」と言った。
「どの口で???」
「分かるで御座る……」
プリリバおじさんが感動的に呟いた。
「あの曲を聴くと、拙者が女子だった頃を思い出すので御座る」
「その通りだみょん。プリリバの曲は魂に素早く浸透するから、あの曲を聴いている時、誰でも十代女子になれる──いいや、なってしまうのだみょん……」
「それが、リリカ推しの理由だと?」
「実はここだけの話、リリカは、私の幼馴染みなんだみょん」
もこたんが哀れな妄想をのたまった時と同じ、哀れな生き物を見る視線が寄せられた。
「みょんは、あのひまわり畑を覚えているみょん。昔は、二人でよく一緒に遊んだみょん……。小学校の裏手の山に、二人だけの秘密基地があって、放課後になるといつも……」
それ曲の歌詞じゃねぇか。
誰ともなく、呟いた。
「曲の主人公の女の子は、いつも意地っ張りで、そのくせ頑張り屋さんで、そんな飾らない等身大の自分が、私たちの胸に響くんだみょん……」
正しくは、飾らない等身大という演出だけど。いや、リリカは可愛い子ぶる方だよ? まあ、敢えて夢を壊すようなことは言わないみょんけどね。
「分かる……」
もこたんが、悔しげに呟いた。
「リリカちゃんは、そういう素直な所が良いんだよなぁ。いつも一生懸命で可愛いんだよなぁ。あの子を見てると、見てるこっちまで頑張れちゃうんだ。あぁ、プリリバ最高過ぎか……?」
「リリカの『良さ』を分かってくれて嬉しいみょん」
まあ本当に分かっているのはみょんだけなんだけど。
そうして、私たちは固い握手を交わすかに思われた。けど、夏フェスを控えた今、事がそうもおとなしく収まるはずもないのだった。
何やら、酒場の外が騒がしい。めいめいがわいのわいの騒ぎ立てるには、あっちの方で何かあるらしい。ほぼ情報が無い。
「おい。あっちの方で何かやってるってよ」
もこたんが、ほぼ虚無の情報を翻訳した。
そしてあっちの方へ向かった私たちが目撃したのは、烈しいダンスを売りにした新規アイドルユニットの握手会だ。
おじさんや、明日にもおじさんになる若い男性が、笑顔を振り撒くアイドルにデレデレしている。
「いえいえ、ファンサービスは私のモットーですから」
もこたんは、慣れた態度で列を捌いている娘の方に注目した。
「……あれは、里乃ちゃんだ。うわぁ、本物は可愛いなぁ」
おじさんたちに負けず劣らず気持ち悪い顔でデレデレしている。むしろ、変に紳士を気取った気持ち悪い男の人よりも、自己抑制が無い分だけ気持ち悪さも一塩だった。でも、変に紳士を気取るその仕草自体が気持ち悪い説もあるので、気持ち悪い人は何をどうしても詰んでいるのだと思った。
「並んじゃおうかな。だって生の里乃ちゃんだよ? こんなに近くで見れる機会、もう無いかも知れないし」
「ルナ姉はもう良いみょん?」
「ッ!? そうだ。私があんな胡散臭いアイドルにかまけていたら、ルナ姉を悲しませてしまう。でもなぁ……」
もこたんは、今まさに握手をしてもらっているおじさんのことを、心底から羨ましそうに眺めていた。こんな姿を見せて悲しむのは、ルナサさんでなくて、身近な別の人だと思う。
「里乃ちゃん可愛い……。可愛いの権化かよ……。蓬莱の珠あげたい……」
「もこたんもこたん、正気に戻るみょん。自分がプリリバーだってこと思い出すんだみょん」
「はっ。私は、ルナ姉の実の妹」
「おお、正気に戻ったみょん」
正気とは?
「そうか。夏フェスが近いからか……」
夏フェス。それは幻想郷中の音楽ユニットが一同に会するイベント。鳥獣伎楽も女子二楽坊も、みんな集まる。
「おのれ……。なんて、あざといんだ……。くぅぅ、あざとい、あざと可愛い……。私は、あんな露骨な人気獲得には騙されないぞ。だが、ライバルユニットを知っておくのは悪いことじゃないからな」
最後尾に並んだもこたんのことは、そっとしておくのが優しさだと思いましたみょん。
◇
そう言えば、リリカ、前に会った時は「最近曲作れてなーい」とか情けない顔で情けないこと言ってたけど、夏フェスに間に合うのかな。
ルナサさん経由でさりげなく様子を窺った所、順調そう、とのことだったけど。
そんなこんなでフェス当日、特設野外ホールには幻想郷中のあれやこれやがたくさん集まっていた。二万匹くらいかな。知らんけど。
楽屋に差し入れを持って行こうとした所、もこたんに呼び止められた。
「おい。そこは関係者以外立ち入り禁止だぞ」
「その立ち入り禁止の場所周辺をうろついているお前に言われたくないみょん。それと、私はれっきとした関係者です」
「まだ、幼馴染みだとか哀れな妄想を抱き締めているのか? 夢を見るのは良いが、程々にしておけよ」
いや、私はスポンサーからお祝いの品を預かっているお使いの人なのだけど、そのあたりを説明するのも面倒だった。
そしたら、不正解の選択肢だったらしくて、面倒臭いファンが付いてきてしまった。
「おお、こうなっているのか、何と言うか、こうなっているんだな」
もこたんが、ほぼ虚無の情報を呟きながら、きょろきょろとあたりと見回している。お使いを頼まれた人に溜め息を吐かせるには十分だ。
「付いて来ちゃったものは仕方ないから、お前はおとなしくしてるみょんよ」
で、プリリバが割り当てられている楽屋の戸をノックすると、出迎えてくれたのはメルランさんだった。
「……ほ、ほんもののメルランちゃんだ……」
おめー、おとなしくしてるって約束したみょんよね?
「ご無沙汰しております。白玉楼の妖夢です」
「あら、そんなに畏まらなくたって良いのに」
「そうはいきませんよ、何しろ今日は特別な日ですから。こちら、我が主とその友人様から、お祝いの品です」
「幽々子さんから!? 嬉しい!」
「……あ、あのっ……こ、これ……」
裏返った高い声で、もこたんが花束を差し出した。ただの花束でなくて、季節外れのクリスマスツリーのオーナメントみたいな丸い飾りが添えられていた。
決まり事で言うなら、こういうの貰っても困ると思う。
でもメルランさんは朗らかに笑った。
「ありがとう! いつも来てくれる人よね!」
と、満面の笑み。
もこたんは一撃でノックアウトされた。あう、あう、と呼吸するだけの人になっている。
「妖夢が来てくれたって、リリカにも言っておくわね。今は外しているのよ。ライブ直前は一人になって集中したいとか、ルナ姉みたいなこと言い出して、ちょっと笑っちゃった」
「いや、別に良いですけど」
「またそんなこと言っちゃって、本当はリリカに会いに来たんでしょ?」
「私はお使いの者なんですけど。リリカとか、ただの幼馴染みなんですけど」
楽屋から戻る帰路、もこたんはこれ以上無いってくらいに真面目な顔で考え事をしていた。
「……なあ、これは真面目な話だから、茶化さないで聞いて欲しいんだが」
「何です?」
みょん、と語尾に付けそうになったのをこらえる。
「メルランちゃんは、私のことが好きなのかも知れん」
「おめーは何言ってるんだみょん」
「だって私のこと覚えててくれただろうが!」
「一回リザレクションした方が良いみょん」
◇
鳥獣伎楽は、あれでもう活動歴が長い。女子二楽坊は、しっとりした空気で会場を包んだ。プリリバのライブはもちろん最高で、大いに盛り上がった。
ルナサさんのバイオリンの余韻を残して、一曲が終わった。次の曲では、後ろでキーボードを弾いていたリリカが、マイクを持ってセンターに立つ。先日の小規模ライブで、この日に合わせて新曲を披露すると予告されていた。
「……これは、幼馴染みとの恋を歌った曲です」
私のことかな?
ポルターガイストの特技が発揮されて、楽器たちが意思を持ったように動き出す。曲調は思いっ切り最近のアイドル風J-POPだ。
新曲は、ずっと一緒だと思っていた幼馴染みが、知らない内に遠くへ行ってしまったような気がする、そんな、お年頃の寂しさや悔しさを、歌詞に乗せていた。これ、私のことだ……!
でもやっぱり幼馴染みは幼馴染みで、幼馴染み良いよね……。幼馴染みしか勝たん! そんな世界の真理に気付かされる。
切ない表情を演じるリリカが、
「本当はずっと好きだったの」
と、歌う。
このあたりから私のテンションは最高潮で、二刀流ペンライトをぶんぶん振り回しまくった。
やっぱりこれ私のことみょん。幼馴染み最高! 幼馴染みだけいれば良い! 幼馴染みは絶対負けない!
後でこの時の話をリリカにしたら、
「は?」
って言われた。納得いかない。一番のファンになんて言い草をするんだみょん。
「だって、目が合ったじゃん。確実に私のこと見たじゃん」
「見てない。知らない。気付かなかった」
そんなやり取りを、無限にやった。
良い
最初から最後まで完璧でした。
笑いっぱなしでした
作者さんのリリカと妖夢の絡み大好きです。