雨が降っていた。
小町は簡素な屋根付きの小舟のなかに座り、客を待っていた。
川岸にはナラだかクヌギだかの広葉樹の葉っぱが張り出し、バタバタと音を立てながら雨滴を受け止めては、尖った葉の先端から川面へ落としていた。
広葉樹の茂みは一部だけ切り開かれ、これから黄泉の国へと歩み入っていく人が来る道になっている。
小町の今居る浅瀬からは、道の上に靄がかかってあまり見えなかったが、やがて靄の一部の黒みが増すことで、誰か客が来たことがわかった。
小町はのそのそと立ち上がり、櫓に手をかけた。乗り込んできた客は白髪混じりの男で、背丈は小町とそれほど変わらなかった。
「あいにくの天気の中、ご苦労様。」
男はそう言いながら、小町に六文銭を手渡した。
「まいど…」
小町は櫓を漕いで舟を進めた。
舟はすでに川幅の半分ほどに差し掛かっていた。
男は胡坐をかき、舟の縁に肘をかけて、ぼうっと遠くを見ていた。
目尻は下がり、口元にはかすかに微笑みを浮かべているようだった。小町は仕事のやりやすい客だな、と思いつつ、ちょっと話しかけてみることにした。
「お客さん、そこの皿の上にある李(スモモ)、さっき上司からもらったものだけど、よく熟れていておいしいよ。おひとついかが」
男は簡単に礼を言うと、李にかぶりついた。舌で迎えにいくような食べ方の癖があるようだったが、果汁が豊富な李を食べる場合は、その癖が好都合だろう。男は器用に食べつくすと、種を川に捨てて、川の水で手を洗った。
「これはですね、大変、ジューシー。」
男は小町に向かってニッコリと笑いかけた。
舟は向こう岸に静かに着き、男は傘を広げて歩き出した。
「あっ、お客さん、ちょっと」
小町の問いかけに、男は立ち止まって振り向いた。
「お客さんは現世の親しい人に向けて、なにか言い残したことはあるかな?今なら彼らに聞かせてあげられるよ。あまり知られてないけど、三途の川の渡しにはそういうサービスがあるんだよ。」
男は数秒、顎に人差し指と親指を当てて考えたのち、こういった。
「確かに、私は公式に最期の言葉をお伝えすることはできませんでした。しかしですね、私の政治家人生というものは、いわば常在戦場、でありまして、いつこの命が絶えても後悔のないように、全力を尽くしてきたわけで、あります。私が国民の皆さんに伝えたいメッセージは、常日頃から十分にお受け取りいただいていたという自負をもっているので、あります。国民の皆さん一人一人が、私の遺志を継いでいただければ、私はもはや何も思い残すことは、ございません。皆さんと何十年後かに、笑顔で再開できることを楽しみにしている。これが私の素直な心境で、あります。チョーゼバ、イッテキマス。」
踵をクルンッと回して、男は去っていった。
これもまた、幻想郷の懐の深さを表していると思います。幻想郷は、すべてを受け入れる…