1日目
部屋の扉が開かないということに気が付いた。この扉には鍵が付いているわけではないので外から何かによって押さえつけられているのだと思う。
しかし、何で私を閉じ込めているのかさっぱり見当が付かない。特に私を閉じ込めたところで利益も何も無いと思うのだが、一体誰がこんなことをしているのだろう。
とりあえず分かったことは私の部屋の中身は依然として変わった様子もなく、水も電気も問題無く供給されている。当面の間は困らなさそうで安心した。
ひとまず扉の下から外に向かって助けを求める内容の紙を送ってみる。お燐やお空、ないし他の動物たちがこれを見つければ、外に出られる様になるだろう。
今日の所は昨日までの十徹で少し頭痛がするため寝ることとする。
これが夢であるかもしれないし。
2日目
久しぶりに睡眠を摂ったからか時計によると十九時間眠っていたらしい。体が重い。
起きてすぐに扉を開けに行ってみたが、やはり開かなかった。それと、昨日は気が付かなかったが取っ手は問題無く回っている。つまり扉自体が押さえつけられているということだろう。もしかしたら力任せに押せば開くかもしれない。試してみる。
開かなかった。木製のはずなのに金属の様に硬くてびくともしなかった。私も力の強い方ではないが、流石にあれくらいの扉を壊せない程ではないはずだ。何かがおかしいような気がする。
とは言え、結局現状ではどうしようもないことが分かったため、大人しく本でも読んでいよう。
独りでいるのは慣れている。どうということはない。
アガサクリスQ先生のシリーズを読み終わった。
やっぱり先生の話は面白い。心情描写や犯人の動機はあまりにも幻想的すぎて冷めるが、それでも犯行トリックやそれを導き出す探偵の論理的思考力には舌を巻く。でも心情描写は私の方が絶対に上手い。惜しむらくは私に出版の人脈がないことだろうか。お燐に印刷屋に持ち込ませるのもありかもしれない。私の小説が人目に触れるようになれば、きっと文学界は革命が起きたように沸き立つはずだ。それを想起すると笑いが込み上げてくる。
今日はいい気分で寝ることが出来そうだ。
3日目
今朝も扉は開かなかった。
そういえば一日目に送り出した紙がどうなっているか気になって何とか無理矢理扉の下から廊下を覗き込んでみた所、紙がなくなっていた。
これは地霊殿にいる誰かが見つけてくれたということだろう。希望が見えてきた。この部屋に閉じ込められる生活も終わりが近い。
特にこれといって不便があったわけでもないが、やはりこう限定された空間に押し込められるというのは何とも居心地が悪い。部屋から出たらまずは庭に行こう。庭に行って薔薇の匂いを嗅ぎながらローズヒップを飲もう。そう思うと心が弾む。早く部屋から出たい。まあ今日の所も本を読んで時間を潰すことにする。
何を読もうか本棚を物色していたら随分前にお燐が買ってきた幻想郷縁起が出てきた。たいして興味も無かったから本棚の肥やしにしていたものだが、どうせこの際だからと開いてみた。というよりも私について書かれているということだから、一体どう書かれているのか見てやろうと思って開いた。
結果から言えば酷いものだ。旧地獄の妖怪の中でも群を抜いて嫌われているとまで書かれていた。全く腹立たしいことこの上ない。危険度なんて極高とまで言われている。阿礼乙女は全くもって見る目がない。
私はこの旧地獄の中では一番と言っても良いほどの温厚な妖怪だし、旧地獄の妖怪からも嫌われてはいない。旧地獄の妖怪が私を嫌っているのではなくて、私が旧地獄の妖怪を嫌っているというのも分からないとはほとほと呆れる。それに私にだってごく普通の社交性と言うものがある。そもそも社交性がなければ以前行われていた弾幕評価にだって呼ばれなかっただろう。
このような独善的視点から勝手に他者の事を評価する阿礼乙女の方がよっぽど嫌われそうなものだ。こういう理屈的な人間には他者の心は分からないだろう。友人の一人もいないに違いない。哀れなり、阿礼乙女。
しかし、私の立ち居振る舞いが見事に描かれていた事は僅かながらの評価点だった。やはり知己に溢れ多くからの人望――いや、獣望か?――に恵まれた私の優雅な絵はまさに覚妖怪斯くあるべしというものを体現した姿だ。それもこれも私が心を読めるからという生まれ持っての才能によるものだろう。もしそうであるならば、私は何と罪深い存在なんだろう。こうも身分を隔たらせてしまう心を読む能力が恐ろしくて仕方がない。やはり持ちすぎるのも罪だ。持たざる者を、こうも卑屈にさせてしまうのだから。
少し早いが、この心地よい気分のまま夜を明かすことにする。明日辺りにはお燐や他の妖怪たちがこの扉を開けに来てくれるだろう。
4日目
今朝も扉は開かない。
しかし確かに手紙は外に届いているはずだから特に不安でもない。
今日も今日とて本を読んで過ごそう。
最近の本はもう読み尽くしてしまっているから、埃を被った本でも読んでみようと思って本棚の奥から引っ張り出してきた本を読んでいると地霊殿の設計図が出てきた。
特に注文もなく鬼たちに任せっぱなしにしていたからよく知らなかったが、どうやら地霊殿の扉は全て金属製であることが判明した。どうしてそう余計な事をしてくれるのだろう。これだから鬼は嫌いだ。大方鬼の力でうっかり扉を壊してしまわないようにという考えなのだろうが、そもそも鬼程の力をもった妖怪はそうそう居ないのだし、第一に住むのは私たちなのだから「うっかり」も起こるわけがない。そういう所に頭が回らないから毒を盛られても信じてしまうんだ。
それに鬼は嘘を吐くことすらできないから心を読んでも面白くない。いつも考えることといったら「酒、酒、喧嘩」だ。他に考えることはないのか。これだったら怨霊の方がまだ幾分ましだ。あぁ、もう腹が立つ。これ以上書いても仕方がない。筆記を中断する。
今日一日本を読みながら救助が来るのを待ってはみたが、一切の音沙汰がなかった。
まだ連絡等で手間取っているのだろうか。お燐は優秀であるとはいえ、元は動物であるからやはり私の手がなければ円滑に進まないというのは仕方のないことだろう。
とりあえずは、もう数日程様子を窺うこととする。
5日目
寝起きから非常に体が怠い。
扉は相変わらず開かない。
まあ大丈夫だろう、もう数日の辛抱だ。
5日も何もすることがないとなると流石に暇を持て余してくる。
本だって嫌いじゃないが、こんだけずっと読んでいると厭気がさす。
とはいえ他にやることもない。どうしたもんだろう。
こういう状況に陥ってやっぱりペット達のありがたみを実感する。
余り私の方から構いに行くことはなかったが、不定期に遊びに来るペット達のおかげで息抜きができているのだろう。
苛立ちを抑えるために刻み煙草に火をつけたが、一向に収まる気配がない。
気がつくと半分以上が灰に消えてしまっていた。貴重な息抜きの種であったのに。少しもったいないことをしてしまった。
これ以上どう過ごしてしまおうか、こんなに何もせずとも良い時間などなかったためか戸惑ってしまう。
とりあえず数年前に書いていた小説の続きを書いてみた。
だいぶ前に書いたものだから、当時は何を思って書いていたのか忘れてしまっているだろうと思っていたが、読み返してみると以外に何をしたかったのか思い出すものだ。
その草案をここに記すことにする。
『これは幻想郷という地など存在しなかった場合の世界の物語である。
武士が太刀を腰に差していたことなどとうに忘れ、世には舶来品が溢れ、その技術を取り入れ、この大和が世界に冠たる大国となった時代の話である。
世界では多くの諍いが起こった。人と人との関わりが広がればそれは自明のことであった。
大和の地を越えて大陸を越えての大戦が何度も繰り返された。
そんな中で生きる一人の青年の物語。
敵地にて遭難してしまった彼と、それを発見してしまった敵国たる兵士との間に、生き残りを賭けて協力しあううちに芽生える友情の物語だ。
青年は兵士の助力を得て、他の兵士を欺いたり、協力してくれた兵士の危機に自らを省みず助けに行ったり。そんな窮地を乗り越えて、ついに青年は自国に帰還することが叶うようになる。
その時、協力してくれた兵士は……』
と、草案はこうだ。
結末はまだ考えていない。
……これを書き上げるのはしばらく考えてからにすることとする。
6日目
昨日執筆した小説を燐寸で燃やした。
理由は特にない。
ただ、してはいけないことだろうと思う理性が恨めしくなり、火をつけた。
ゆっくりと燃え広がる原稿を見て、私はしばし夢中になり、時折舞い上がる火の粉が何か神聖なもののように見えて心を弾ませた。
思うに開放感だった。
今まで「しなければならないこと」を実行することにこれまでの生命の大半を注ぎ込んできた。
それが今は「しなければならないこと」が存在していないのだ。
私にとってそれは存在意義を剥奪されることと同義である。
つまりは何をしていいのかわからなくなったのだ。
そこで私が考えたのが、「しなければならないこと」がないのであれば「してはいけないこと」をすればよいのではないか、ということである。
だから私は火をつけた。
これまでにかけた時間と、自身の想いと、その文中で生きた登場人物たちの半生と。
全てを無に帰すために火をつけた。
冒涜的なその炎は無邪気に笑う子供のように徒に揺らめいては、私の背徳感を撫で上げた。
ぞくぞくとするようなその愛撫に、得も言われぬ高揚感を覚えたのだ。
私はまだ、ここに存在している。
7日目
不思議なことが起こった。
私の思い違いかと気になって昨日の日記を読み返したが、間違いはなかった。
私の机の上に残っているはずの、昨日燃やした原稿の灰が綺麗さっぱりなくなっているのである。
考えられる可能性は三つある。
一つ目が「私が片付けてしまったことを失念してしまっている可能性」だ。
しかしそれは日記に書き記していないということから必然的に棄却される。私のことであるから、片付けたのであれば、必ず「これを片付けることとする」といった内容を残すはずである。それがないということは私は確かにそれを片付けていないのである。
二つ目は「扉が開くようになっていて、やってきた私のペットの誰かが片付けてくれた可能性」になる。
正直これであれば嬉しいのだが、先程扉を開けようとしてみても、やはりびくともしなかった。この様子では誰も私の部屋に入ってきてはいないのだろう。
そして三つ目。――これは甚だ荒唐無稽ではあるが残された可能性として「この部屋の中に私以外の誰かが存在している可能性」がある。
誰が、と言えば見当もつかないが、一つ目、二つ目の可能性が棄却をされる以上、残すはこの可能性しかないのである。
であれば必然、この珍妙な状態の犯人も自ずとこの「誰か」の仕業であると考えられる。
では目的は?
相手もわからず、交渉の余地もないのであればどうしようもない。
この不可思議な状況からいち早く脱却できることを祈るのみである。
8日目
この状況を打破する方法を考えた。
相手がこの部屋の中にいるのであれば、やはりまずは呼びかけてみる他ないのではないだろうか?
私はとりあえず、どこにいるのかわからない相手に向かってここから出してくれるように部屋中に呼びかけた。
残念ながら返事はなかった。
まあ薄々そうなるのではないかとは思っていたが、全く手応えがないことに少し落胆してしまった。
しかし、ここで諦めてしまったら何も進展はしない。
また改めて呼びかけてみることとする。
9日目
今日も姿の見えぬ誰かに呼びかけを続けた。
当然のように返事はなかった。
10日目
呼びかけに返答なし。
11日目
返答なし。
12日目
返答なし。
13日目
返答なし。
14日目
返答なし。
15日目
返答なし。
16日目
返答なし。
17日目
返答なし。
18日目
返答なし。
19日目
返答なし。
20日目
返答なし。
21日目
返答なし。
22日目
返答なし。
23日目
返答なし。
24日目
25日目
26日目
27日目
28日目
29日目
30日目
31日目
32日目
33日目
34日目
35日目
36日目
37日目
38日目
39日目
呼びかけに反応があった。
反応はドアの向こうからだった。
小さくて誰だったかは分からないが、確かに私の存在を確認する言葉だった。
私はそれに何度も返答をし、この扉を開けるよう要求をした。
だが、向こう側からも開けるのに難儀しているらしく、今日は開かなかった。
明日また来てくれるとのことなので、再び呼びかけを実施して待つこととする。
40日目
今日は別の者が扉の向こうで私に声をかけてきた。
きっと昨日の誰かが助力を乞うて連れてきたに違いない。
今日来てくれた誰かと現状の説明をして、開けてくれるよう要求した。
誰かは「今のままでは難しい、力になってくれる存在を探してくるからもうしばらく待ってほしい」というような内容を告げて去ってしまった。
出られる日も近いだろう。
41日目
誰かがまた遊びに来てくれた。
今日はあまり現状にとらわれずに単に雑談を行った。
お互いに似たような考えの持ち主だったようで、あまり私と意見のあう者は近くにいなかったことからも、大いに意気投合した。
また来てくれるだろうか。
42日目
今日は好きな本についての話で盛り上がった。
途中でアガサクリスQ先生の話になったため、本棚から一番気に入っている作品を取り出して、それについて語り合った。
43日目
他にどんな本を持っているのかという話になり、私の部屋の本棚を紹介した。
彼女はそれを殊の外称賛し、気になる作品があったらぜひ読ませてほしいと頼んできた。
私としても吝かではなかったため、快諾した。
44日目
私の本棚の中にあった『箱男』を読んだ彼女はそれはそれは多くの持論を私に提供した。
その全てに私は共感し、共に語らった。
私は素晴らしい友人に出会えたことを非常に誇らしく思う。
45日目
今日は私のおすすめする本を彼女と一緒に読んだ。
46日目
私が眠っている間、彼女は私の本棚を漁ったらしく、多くの本が床に積まれていた。
こんなにも私の蔵書を気に入ってくれた人は他にいなかった。
47日目
私は彼女におすすめしたい本を見繕っていたのだが、本棚の一番上にある本を取ろうと椅子に登ったところ、うっかりバランスを崩して落ちてしまった。
私は心配する彼女を安心させるために「大丈夫」と返答したが、彼女は心配したままだった。
48日目
今日は彼女が来なかった。
仕方がないので、昨日取った本を一人で読んだ。
49日目
彼女がいなくなってしまった。
私が一人で本を読んでしまったからだ。
どうしよう。
彼女に謝らなければ。
50日目
彼女は私のせいで死んでしまった。
べッドの上でぐったりと横たわっている。
なんということをしてしまったのだろう。
もう彼女は生き返らないのだろうか。
51日目
今日は彼女が私に読み聞かせをしてくれた。
ベッドの上の彼女の隣に腰掛けて二人で本を読んだ。
52日目
私は読み聞かせなんかしていない。
私は彼女と本を読んでなどいない。
私は彼女と言葉を交わしていない。
彼女なんかここには存在してない。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
53日目
扉が開いた。
扉の向こうに何もなかった。
黒一色だった。
黒一色だから何もなかった。
何もなかった。
誰もいなかった。
54日目
私は私じゃなかった。
私は彼女だった。
彼女は誰?
私じゃない。
だから何もなかった。
私は黒かった。
私には何もなかった。
55日目
56日目
57日目
58日目
59日目
60日目
これで終わりです。
部屋の扉が開かないということに気が付いた。この扉には鍵が付いているわけではないので外から何かによって押さえつけられているのだと思う。
しかし、何で私を閉じ込めているのかさっぱり見当が付かない。特に私を閉じ込めたところで利益も何も無いと思うのだが、一体誰がこんなことをしているのだろう。
とりあえず分かったことは私の部屋の中身は依然として変わった様子もなく、水も電気も問題無く供給されている。当面の間は困らなさそうで安心した。
ひとまず扉の下から外に向かって助けを求める内容の紙を送ってみる。お燐やお空、ないし他の動物たちがこれを見つければ、外に出られる様になるだろう。
今日の所は昨日までの十徹で少し頭痛がするため寝ることとする。
これが夢であるかもしれないし。
2日目
久しぶりに睡眠を摂ったからか時計によると十九時間眠っていたらしい。体が重い。
起きてすぐに扉を開けに行ってみたが、やはり開かなかった。それと、昨日は気が付かなかったが取っ手は問題無く回っている。つまり扉自体が押さえつけられているということだろう。もしかしたら力任せに押せば開くかもしれない。試してみる。
開かなかった。木製のはずなのに金属の様に硬くてびくともしなかった。私も力の強い方ではないが、流石にあれくらいの扉を壊せない程ではないはずだ。何かがおかしいような気がする。
とは言え、結局現状ではどうしようもないことが分かったため、大人しく本でも読んでいよう。
独りでいるのは慣れている。どうということはない。
アガサクリスQ先生のシリーズを読み終わった。
やっぱり先生の話は面白い。心情描写や犯人の動機はあまりにも幻想的すぎて冷めるが、それでも犯行トリックやそれを導き出す探偵の論理的思考力には舌を巻く。でも心情描写は私の方が絶対に上手い。惜しむらくは私に出版の人脈がないことだろうか。お燐に印刷屋に持ち込ませるのもありかもしれない。私の小説が人目に触れるようになれば、きっと文学界は革命が起きたように沸き立つはずだ。それを想起すると笑いが込み上げてくる。
今日はいい気分で寝ることが出来そうだ。
3日目
今朝も扉は開かなかった。
そういえば一日目に送り出した紙がどうなっているか気になって何とか無理矢理扉の下から廊下を覗き込んでみた所、紙がなくなっていた。
これは地霊殿にいる誰かが見つけてくれたということだろう。希望が見えてきた。この部屋に閉じ込められる生活も終わりが近い。
特にこれといって不便があったわけでもないが、やはりこう限定された空間に押し込められるというのは何とも居心地が悪い。部屋から出たらまずは庭に行こう。庭に行って薔薇の匂いを嗅ぎながらローズヒップを飲もう。そう思うと心が弾む。早く部屋から出たい。まあ今日の所も本を読んで時間を潰すことにする。
何を読もうか本棚を物色していたら随分前にお燐が買ってきた幻想郷縁起が出てきた。たいして興味も無かったから本棚の肥やしにしていたものだが、どうせこの際だからと開いてみた。というよりも私について書かれているということだから、一体どう書かれているのか見てやろうと思って開いた。
結果から言えば酷いものだ。旧地獄の妖怪の中でも群を抜いて嫌われているとまで書かれていた。全く腹立たしいことこの上ない。危険度なんて極高とまで言われている。阿礼乙女は全くもって見る目がない。
私はこの旧地獄の中では一番と言っても良いほどの温厚な妖怪だし、旧地獄の妖怪からも嫌われてはいない。旧地獄の妖怪が私を嫌っているのではなくて、私が旧地獄の妖怪を嫌っているというのも分からないとはほとほと呆れる。それに私にだってごく普通の社交性と言うものがある。そもそも社交性がなければ以前行われていた弾幕評価にだって呼ばれなかっただろう。
このような独善的視点から勝手に他者の事を評価する阿礼乙女の方がよっぽど嫌われそうなものだ。こういう理屈的な人間には他者の心は分からないだろう。友人の一人もいないに違いない。哀れなり、阿礼乙女。
しかし、私の立ち居振る舞いが見事に描かれていた事は僅かながらの評価点だった。やはり知己に溢れ多くからの人望――いや、獣望か?――に恵まれた私の優雅な絵はまさに覚妖怪斯くあるべしというものを体現した姿だ。それもこれも私が心を読めるからという生まれ持っての才能によるものだろう。もしそうであるならば、私は何と罪深い存在なんだろう。こうも身分を隔たらせてしまう心を読む能力が恐ろしくて仕方がない。やはり持ちすぎるのも罪だ。持たざる者を、こうも卑屈にさせてしまうのだから。
少し早いが、この心地よい気分のまま夜を明かすことにする。明日辺りにはお燐や他の妖怪たちがこの扉を開けに来てくれるだろう。
4日目
今朝も扉は開かない。
しかし確かに手紙は外に届いているはずだから特に不安でもない。
今日も今日とて本を読んで過ごそう。
最近の本はもう読み尽くしてしまっているから、埃を被った本でも読んでみようと思って本棚の奥から引っ張り出してきた本を読んでいると地霊殿の設計図が出てきた。
特に注文もなく鬼たちに任せっぱなしにしていたからよく知らなかったが、どうやら地霊殿の扉は全て金属製であることが判明した。どうしてそう余計な事をしてくれるのだろう。これだから鬼は嫌いだ。大方鬼の力でうっかり扉を壊してしまわないようにという考えなのだろうが、そもそも鬼程の力をもった妖怪はそうそう居ないのだし、第一に住むのは私たちなのだから「うっかり」も起こるわけがない。そういう所に頭が回らないから毒を盛られても信じてしまうんだ。
それに鬼は嘘を吐くことすらできないから心を読んでも面白くない。いつも考えることといったら「酒、酒、喧嘩」だ。他に考えることはないのか。これだったら怨霊の方がまだ幾分ましだ。あぁ、もう腹が立つ。これ以上書いても仕方がない。筆記を中断する。
今日一日本を読みながら救助が来るのを待ってはみたが、一切の音沙汰がなかった。
まだ連絡等で手間取っているのだろうか。お燐は優秀であるとはいえ、元は動物であるからやはり私の手がなければ円滑に進まないというのは仕方のないことだろう。
とりあえずは、もう数日程様子を窺うこととする。
5日目
寝起きから非常に体が怠い。
扉は相変わらず開かない。
まあ大丈夫だろう、もう数日の辛抱だ。
5日も何もすることがないとなると流石に暇を持て余してくる。
本だって嫌いじゃないが、こんだけずっと読んでいると厭気がさす。
とはいえ他にやることもない。どうしたもんだろう。
こういう状況に陥ってやっぱりペット達のありがたみを実感する。
余り私の方から構いに行くことはなかったが、不定期に遊びに来るペット達のおかげで息抜きができているのだろう。
苛立ちを抑えるために刻み煙草に火をつけたが、一向に収まる気配がない。
気がつくと半分以上が灰に消えてしまっていた。貴重な息抜きの種であったのに。少しもったいないことをしてしまった。
これ以上どう過ごしてしまおうか、こんなに何もせずとも良い時間などなかったためか戸惑ってしまう。
とりあえず数年前に書いていた小説の続きを書いてみた。
だいぶ前に書いたものだから、当時は何を思って書いていたのか忘れてしまっているだろうと思っていたが、読み返してみると以外に何をしたかったのか思い出すものだ。
その草案をここに記すことにする。
『これは幻想郷という地など存在しなかった場合の世界の物語である。
武士が太刀を腰に差していたことなどとうに忘れ、世には舶来品が溢れ、その技術を取り入れ、この大和が世界に冠たる大国となった時代の話である。
世界では多くの諍いが起こった。人と人との関わりが広がればそれは自明のことであった。
大和の地を越えて大陸を越えての大戦が何度も繰り返された。
そんな中で生きる一人の青年の物語。
敵地にて遭難してしまった彼と、それを発見してしまった敵国たる兵士との間に、生き残りを賭けて協力しあううちに芽生える友情の物語だ。
青年は兵士の助力を得て、他の兵士を欺いたり、協力してくれた兵士の危機に自らを省みず助けに行ったり。そんな窮地を乗り越えて、ついに青年は自国に帰還することが叶うようになる。
その時、協力してくれた兵士は……』
と、草案はこうだ。
結末はまだ考えていない。
……これを書き上げるのはしばらく考えてからにすることとする。
6日目
昨日執筆した小説を燐寸で燃やした。
理由は特にない。
ただ、してはいけないことだろうと思う理性が恨めしくなり、火をつけた。
ゆっくりと燃え広がる原稿を見て、私はしばし夢中になり、時折舞い上がる火の粉が何か神聖なもののように見えて心を弾ませた。
思うに開放感だった。
今まで「しなければならないこと」を実行することにこれまでの生命の大半を注ぎ込んできた。
それが今は「しなければならないこと」が存在していないのだ。
私にとってそれは存在意義を剥奪されることと同義である。
つまりは何をしていいのかわからなくなったのだ。
そこで私が考えたのが、「しなければならないこと」がないのであれば「してはいけないこと」をすればよいのではないか、ということである。
だから私は火をつけた。
これまでにかけた時間と、自身の想いと、その文中で生きた登場人物たちの半生と。
全てを無に帰すために火をつけた。
冒涜的なその炎は無邪気に笑う子供のように徒に揺らめいては、私の背徳感を撫で上げた。
ぞくぞくとするようなその愛撫に、得も言われぬ高揚感を覚えたのだ。
私はまだ、ここに存在している。
7日目
不思議なことが起こった。
私の思い違いかと気になって昨日の日記を読み返したが、間違いはなかった。
私の机の上に残っているはずの、昨日燃やした原稿の灰が綺麗さっぱりなくなっているのである。
考えられる可能性は三つある。
一つ目が「私が片付けてしまったことを失念してしまっている可能性」だ。
しかしそれは日記に書き記していないということから必然的に棄却される。私のことであるから、片付けたのであれば、必ず「これを片付けることとする」といった内容を残すはずである。それがないということは私は確かにそれを片付けていないのである。
二つ目は「扉が開くようになっていて、やってきた私のペットの誰かが片付けてくれた可能性」になる。
正直これであれば嬉しいのだが、先程扉を開けようとしてみても、やはりびくともしなかった。この様子では誰も私の部屋に入ってきてはいないのだろう。
そして三つ目。――これは甚だ荒唐無稽ではあるが残された可能性として「この部屋の中に私以外の誰かが存在している可能性」がある。
誰が、と言えば見当もつかないが、一つ目、二つ目の可能性が棄却をされる以上、残すはこの可能性しかないのである。
であれば必然、この珍妙な状態の犯人も自ずとこの「誰か」の仕業であると考えられる。
では目的は?
相手もわからず、交渉の余地もないのであればどうしようもない。
この不可思議な状況からいち早く脱却できることを祈るのみである。
8日目
この状況を打破する方法を考えた。
相手がこの部屋の中にいるのであれば、やはりまずは呼びかけてみる他ないのではないだろうか?
私はとりあえず、どこにいるのかわからない相手に向かってここから出してくれるように部屋中に呼びかけた。
残念ながら返事はなかった。
まあ薄々そうなるのではないかとは思っていたが、全く手応えがないことに少し落胆してしまった。
しかし、ここで諦めてしまったら何も進展はしない。
また改めて呼びかけてみることとする。
9日目
今日も姿の見えぬ誰かに呼びかけを続けた。
当然のように返事はなかった。
10日目
呼びかけに返答なし。
11日目
返答なし。
12日目
返答なし。
13日目
返答なし。
14日目
返答なし。
15日目
返答なし。
16日目
返答なし。
17日目
返答なし。
18日目
返答なし。
19日目
返答なし。
20日目
返答なし。
21日目
返答なし。
22日目
返答なし。
23日目
返答なし。
24日目
25日目
26日目
27日目
28日目
29日目
30日目
31日目
32日目
33日目
34日目
35日目
36日目
37日目
38日目
39日目
呼びかけに反応があった。
反応はドアの向こうからだった。
小さくて誰だったかは分からないが、確かに私の存在を確認する言葉だった。
私はそれに何度も返答をし、この扉を開けるよう要求をした。
だが、向こう側からも開けるのに難儀しているらしく、今日は開かなかった。
明日また来てくれるとのことなので、再び呼びかけを実施して待つこととする。
40日目
今日は別の者が扉の向こうで私に声をかけてきた。
きっと昨日の誰かが助力を乞うて連れてきたに違いない。
今日来てくれた誰かと現状の説明をして、開けてくれるよう要求した。
誰かは「今のままでは難しい、力になってくれる存在を探してくるからもうしばらく待ってほしい」というような内容を告げて去ってしまった。
出られる日も近いだろう。
41日目
誰かがまた遊びに来てくれた。
今日はあまり現状にとらわれずに単に雑談を行った。
お互いに似たような考えの持ち主だったようで、あまり私と意見のあう者は近くにいなかったことからも、大いに意気投合した。
また来てくれるだろうか。
42日目
今日は好きな本についての話で盛り上がった。
途中でアガサクリスQ先生の話になったため、本棚から一番気に入っている作品を取り出して、それについて語り合った。
43日目
他にどんな本を持っているのかという話になり、私の部屋の本棚を紹介した。
彼女はそれを殊の外称賛し、気になる作品があったらぜひ読ませてほしいと頼んできた。
私としても吝かではなかったため、快諾した。
44日目
私の本棚の中にあった『箱男』を読んだ彼女はそれはそれは多くの持論を私に提供した。
その全てに私は共感し、共に語らった。
私は素晴らしい友人に出会えたことを非常に誇らしく思う。
45日目
今日は私のおすすめする本を彼女と一緒に読んだ。
46日目
私が眠っている間、彼女は私の本棚を漁ったらしく、多くの本が床に積まれていた。
こんなにも私の蔵書を気に入ってくれた人は他にいなかった。
47日目
私は彼女におすすめしたい本を見繕っていたのだが、本棚の一番上にある本を取ろうと椅子に登ったところ、うっかりバランスを崩して落ちてしまった。
私は心配する彼女を安心させるために「大丈夫」と返答したが、彼女は心配したままだった。
48日目
今日は彼女が来なかった。
仕方がないので、昨日取った本を一人で読んだ。
49日目
彼女がいなくなってしまった。
私が一人で本を読んでしまったからだ。
どうしよう。
彼女に謝らなければ。
50日目
彼女は私のせいで死んでしまった。
べッドの上でぐったりと横たわっている。
なんということをしてしまったのだろう。
もう彼女は生き返らないのだろうか。
51日目
今日は彼女が私に読み聞かせをしてくれた。
ベッドの上の彼女の隣に腰掛けて二人で本を読んだ。
52日目
私は読み聞かせなんかしていない。
私は彼女と本を読んでなどいない。
私は彼女と言葉を交わしていない。
彼女なんかここには存在してない。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
お前は誰だ。
53日目
扉が開いた。
扉の向こうに何もなかった。
黒一色だった。
黒一色だから何もなかった。
何もなかった。
誰もいなかった。
54日目
私は私じゃなかった。
私は彼女だった。
彼女は誰?
私じゃない。
だから何もなかった。
私は黒かった。
私には何もなかった。
55日目
56日目
57日目
58日目
59日目
60日目
これで終わりです。