◆日々の憂いを忘れて夜。
雲と、沈積した冬の薄い空気を突き破った。
月明かりが、ながれる薄雲に溶けた。さざなむ白波のように、緩く、遅く。群青色の天蓋の下、青く光る月の下、流れる雲海に浮かぶ木舟に私たちは乗っていた。
水蜜の顔が、月に照らされて青く透けた。血潮を運ばない色の失せた葉脈が、薄く見えていた。
◆転んだ夜とその間。
「わ、いろいろありますね」
ゴザに広げられた珍品の群に、星が声を輝かせた。
命蓮寺の一室で、ナズーリンが拾いものを広げていた。どれも無縁塚で拾った外の世界の品々らしい。森の古道具屋で大方の鑑定はすんでおり、それを見せびらかしに来たのだそう。
「お気に入りの選別はすんでるんだ。あまりはお裾分けしようと思ってね」
「へー、気前いいね」
「半分はガラクタさ。まあでも、見せ物程度にはなるだろう」
ナズーリンは、大量の収穫に上機嫌らしく、細い尻尾をしきりに揺らしていた。鼻もすんすんとなっている。ダウザーの性か、収穫を自慢したいのだろう。お宝大好きな星や、興味を示したぬえも交えて、小さなのみの市にわいのわいのとはしゃいでいる。聖様はそれを朗らかな笑みで見守っていた。
「ナズーリン、これは?」
「ヨーヨー、だね。子供のおもちゃだよ」
「あ、ナズーリン、携帯電話ですよ」
「懐かしいね。ここでは電波もないし、使いようがないけど」
「ナズーリン、これはなにかしら」
「外の化粧水らしい。いつまでも若々しい肌へだってさ」
「いただくわ」
「あ、ああ」
一瞬目が据わった聖様に、ナズーリンがたじろいでいた。
「一輪、なんかいいのある?」
遠巻きに見守っていた水蜜が、声をかけてきた。私は特に気になるものはない。お酒があったら別だったのだけど。一瞬背後に殺気を感じてから、煩悩を排除した。
「水蜜は?」
「なんかいろいろあって見てるだけでおもしろい」
「そーね」
水蜜はそれなりに好奇心旺盛で、こういう会が開かれると毎回何かしらをもらっている。この間は、付け耳をもらってはしゃいでいた。ナズーリンと似たような黒い円耳で、水玉リボン付きのものと飾りなしで一そろい。私もリボン付きを勧められてつけては見たけど、どうも気恥ずかしくてすぐにはずしてしまった。雲山に渡したけど、気に入ってくれただろうか。
リボン耳付きの相棒を頭から追いやって、物色を続けた。一つ、気になるものがある。ゴザの端っこ、銀色に光る長方形の薄い箱だった。手のひらに収まるくらいのそれに、ぐるぐると黒いひものようなもの巻き付けられていた。
「ネズミ、これはなに?」
「ん? ああ、これはカセットプレーヤーだよ。音楽の再生機器だね」
「へえ、蓄音機みたいなもの?」
興味を持った水蜜が、身を乗り出した。彼女はいつか里中のカフェで聞いた音楽と、それを流す蓄音機をいたく気に入っていた。本人曰く、聞いていると波に揺蕩うように身体が揺れるのだという。
「聞いてみていい?」
「もちろんどうぞ」
「そのコードの先を耳に入れるんですよ」
星が、かせっとぷれーやーの扱い方を水蜜に説明していた。最近まで外にいたせいか、彼女とナズーリンは外来のものに詳しい。使ったこともあるようだった。
「幻想郷に来る頃にはすでに型落ちも型落ちでしたけどね」
「無縁塚に転がるわけだ」
「それで? ここを押せばいいの?」
水蜜が、かせっとぷれーやーの横の出っ張りを押し込むと、表面のガラス越しに、円が二つくるくると回り出すのが見えた。あれがレコードみたいなものだろうか。
水蜜は呆けたように、かせっとぷれーやーから流れているであろう音楽に聴き入っていた。蓄音機とは違って、これはひもの先からしか音が出ないらしい。
どんな曲が流れているのだろう。水蜜の白い耳朶に顔を寄せてみた。水面に浮かび上がってくる泡沫のように、かすかに音が漏れていた。音楽のことはよく分からないが、たぶん幻想郷では聞くことのできない種類のものだと思う。
数分してから、水蜜は出っ張り付きのひもを耳から取り外した。なんだか血色がよく見える。
「ナズーリン、これもらっていい?」
「かまわないよ。電池式だろうから、動かなくなったら河童に相談するといい」
「ありがと。一輪、またあとでね」
「ええ」
それきり水蜜は、イヤホン(というらしい)を耳に再び付けて、部屋に帰って行ってしまった。鼻歌まで残した、上機嫌な彼女の後ろ姿にしばし呆けた。
「ずいぶん上機嫌でしたね。そんなに気に入ったんでしょうか」
「まあ、趣味が少ない世界だ。いい傾向じゃないか」
「これで血の池通いをやめてくれればいいけど」
「一輪は禁酒をがんばりましょうね」
「ぐ、はい、姐さん」
釘を差されて、その日はお開きになった。
◆それとは知らずも吸い込んで。
その日から水蜜は、よく鼻歌を歌うようになった。もともと陽気な気質では合ったけれど。どうもあのカセットプレーヤーの音楽がいたく気に入ったらしい。
「なんかね、踊りたくなる」
寝る間際にも、水蜜はイヤホンを耳にしていた。そんなにいいの?という問いに、くるりと回って応えた彼女。勧めてくるので聴いてみた。なんだかだるっこいような男性の歌声に乗せて、知ってる言葉だったり知らない言葉だったりが閉じた耳の中で反響した。不思議な気分だ。
なんとなく、響子達のやっている音楽とは違う方向性であることはわかった。幽霊楽団のものとも気質が違う。なんというか、もっとこう、横揺れする感じだ。
「そう!横揺れ。縦じゃないんだよね」
それは、水草の揺れ方だという。海の底で波に揺られて、踊る水草。海底の彼女の骸が、ゆらりゆらりと踊る想像をした。気味が悪くてやめた。
「これ、なんていう曲なのかな」
「そういうのって、ラベルにかいてあったりするんじゃない?」
カフェでみたレコードには、曲名のかかれたラベルを中心に、ぐるぐると回っていた。
「そうか、あけてみればいいんだ」
水蜜が、プレーヤーのボタンを押すと、乾いた音とともに、側面がゆっくりと開いた。中身の薄い板のようなものがせり出してくる。これに音楽が入っているらしい。板の背面に張った、めくれかけたラベルにかすれた文字のカタカナ。
「ナイト、クルージン。どういう意味?」
「ナイトは夜、よね。後ろはしらない」
雲山にも一応聞いてみたが、いかめしく首を横に振るだけだった。横文字に強そうなのは、命蓮寺ではナズーリンと、
「星に聞いてみようかな」
よっぽど気になるのか、水蜜は私を置いてさっさと部屋を出てしまった。
おやすみくらい、言っていけばいいのに。
◆煙とレコード回して、さあ!
水蜜に誘われたのは、それから数日後の夕方のことだった。一日の勤行を大方すませ、夕餉の支度にばたばたしている最中、斜陽の指す渡り廊下で声をかけられた。
「夕飯のあと、中庭まで来て」
端的に言えば、逢い引きの誘い。向こう正面からとは、まあ珍しい。逢瀬をするときというのは、決まって買い出しのついでか、二人で休みを取れたときというのが、私たちの間では半ば決まっていた。こういうふうにデートを申し込まれることはまずない。
あんまりにまじめな顔をしていたものだから、急にどうしたの、と聞くにも聞けず、「ええ、わかった」と特に考えもなく了承してしまった。それを聞くや彼女はうれしそうにほほえんで、
「雲山もつれてきて。あと厚着してきてね」
言い残すと廊下の曲がり角に引っ込んでしまった。
(逢い引きなのに、雲山も?)
渡り廊下に、疑問が残った。別に雲山の同行は特に問題ではない。ただ水蜜が彼の同行をわざわざ言及したことに、私は首をひねった。というのも、基本的に私は法輪を手放すことはなく、逢い引きの時でも彼は私の懐にいることが常なのだ。
ひっかかりを覚えながら、ひたひたと足袋をならしながら私室を目指して歩いた。
途中すれ違った星が、「一輪、今日の献立はなんですか」とのんきな声で聞いてきた。振り向いた私の顔にぎょっとしていた。たぶん、眉間のしわがすごかったのだと思う。聖譲りの柔和な笑みで、「何か悩みでも?」と聞くので、密会に第三者を混ぜることの意義について聞いてみた。星は私と水蜜の関係については了解していて、すぐにそのことだと思い至った顔をしたが、何か思い当たる節があるようだった。しばらく、ああ、とか、うんとか、虎のようにグルルと唸ったあと、
「すぐにわかると思いますよ」
困ったようにほほえむのだった。なんのことかときいても、はぐらかされるばかりで、結局らちがあかずに部屋に戻ったのがたった今。
「なにしてるの、雲山」
薄桃色の頑固おやじが、部屋をくるくると回っていた。丸太ほどもある両腕を広げて、くるくると。
見越して以来の関係で、彼にお茶目な一面があることは重々承知していたが、このような奇行は初めて眼にする。
彼はふすまを開けた私の顔を見るやぎょっとして(原因は眉間のしわだけではないと思いたい)、すぐに取り繕うように朗らかに笑った。厳つい破顔に、心がざわつく。
「雲山、何か知ってる?」
「・・・・・・」
明後日の方向を見て、相棒は鳴らない口笛を吹いた。時代おやじは嘘をごまかすのが下手だ。
「そういえば、今朝水蜜と何か話してたよね」
今朝のこと、私が読響をしている折りに、雲山と水蜜は、中庭で何かを話しこんでいた。時折こちらの顔を伺っていたのを覚えている。
「ねえ、教えてよ。あなたたちに隠しごとされるのは、いや」
たとえどのような内容であっても、千年をともに過ごした相棒たちにそういう態度をとられるのは気に障った。包み隠さずとは言わずとも、なにか安心させて欲しい。
睨んで凄んでも、雲山は困ったように眉をひそめたままだった。このまま黙りこくるつもりだろうか、それならそれでこっちにも考えがあると法輪に手を伸ばそうとした時、
「ちょ」
「・・・・・・」
雲山はそのゴツい両腕で私を抱きしめてきた。安心させるように、背中をとんとんとたたかれる。言葉はなくとも、こちらを気遣うのはわかった。
「わかった、内緒なのね」
コクリとうなずく。どのみち夕餉後に答えはわかるのだ。ゆっくり待とう。
◆パーティスタート
夕餉の後、言われたとおりに厚着をして中庭にでた。
寒空の下で待っていたのは、
「どうぞ、お乗りくださいお嬢さん」
ボロい木舟に乗った、水蜜だった。いつものセーラーにマントを羽織って、手には柄杓の代わりに櫂を握っている。
「どういうこと?」
舟は庭の砂を踏んでいた。つまり、水には浮いていない。どういうつもりなのだろう。
「いいから、ほら」
促されるまま、差し出された手を取った。舟はあまり大きくない、どこから用意したかもわからないボロい小舟だった。ところどころ穴もあいている。軋む底板におっかなびっくり足をつけると、懐の法輪がふるえた。
「雲山、じゃあお願い!」
途端、法輪からはもくもくと薄桃の雲が吐き出され、ネズミ耳をつけた雲山が出てきた。ムキムキと少し準備運動したかと思うと、彼は舟を抱え込むように腕でがっちりつかみ、
「お嬢さん、今宵はナイトクルージンへお連れします」
「ええ?」
「出航!」
水蜜が櫂を天に振り上げ、舟は勢いよく、冬の空へと上昇しだした。
◆眠らないあの夜へ
入道の力に押し出されて、舟はぐんぐんと冬の空気を破っていった。肌を刺す冷気が、頬を掠めて流れていく。緩くまとめていた髪がほどけて、風に泳いだ。水蜜は櫂は振り上げたまま、片腕で私のことをしっかりと抱いてくれていた。
生身の飛行では味わえない、重力への反駁。浮遊の速度はやがてゆるやかに収まっていき、最後の薄雲を突破して、ようやく舟は雲海へと浮上した。
満天の星空、そして月。
「ありがと、雲山。ここからは私一人で大丈夫」
「・・・・・・」
船の縁から下をのぞき込んだ水蜜に、雲山が力強く頷いた。
仕事は終わったとばかりに、彼は私の手元の法輪に渦を巻いて戻っていった。薄桃の身体を金輪に納めきる直前に、水蜜に意味深な目配せを残して。「・・・・・・」目配せの後は、片目をパチリと私に瞑ってみせた。
「で?」
「うん?」
「どういうわけかきかせて」
「どうって言われてもなぁ」
月明かりに青白い肌を照らされながら、水蜜は少しずつ白状した。
「クルージンってさ、航海のことなんだってさ」
「こうかいって、舟の」
「うん。だから、ナイトクルージンは、夜の航海」
あの夜、星にクルージンの意味を聞きにいったという。そこで水蜜が教えられたのは、夜の遊覧船の体験だった。星は一度、ナズーリンと乗ったことがあるらしい。
どこかを目指す航海ではなく、誰かと楽しむための航海。夜の海を、朝が迎えに来るまで、誰かと踊ったり、食事をしたりして過ごす。
「あのとき、踊りたいって言ったじゃない?」
「ええ」
「あれ、間違いじゃなかったのかも」
群青と白とを混ぜた絵の具のような夜の雲を、小舟は滑るように進んでいく。水蜜は時折櫂を揺らして、舟にわずかな推進力を足していた。舟の穂先は月を目指しているようにも見えた。裂かれて、ほぐされた雲が、船縁を巻いて後方に消えていった。
水蜜が櫂をこぐ手を止めた。引き上げて、舟に横たえる。片膝を舟底につき、舟は僅かに揺れる。
「だからさ」
私に手をさしのべて、
「踊りたいって思ったんだ、一輪と」
取った手に体温を吸われて、身体が熱を持っていたことに自覚した。
「なにそれ」
喉を突くように、笑いが込み上げた。あの歌手のキザな歌い方が仕草に移ったのだろうか。
温度のない瞳に、どこか上擦ったような熱の色を孕ませて、彼女は私を見上げていた。
「ひとつだけ、いい?」
「うん、なに」
「一瞬雲山との浮気を疑った」
「ぶは!」
水蜜が吹き出すのと同時に、懐の法輪が細かくふるえるのがわかった。だって仕方ないじゃない。不安だったんだもの。自分の中にそういう嫉妬心がめばえたことも、意外ではあった。しかしそれももう杞憂だ。彼女の瞳は、私にばかり向いている。嫉妬といえば、
「水蜜、カセットは?」
「持ってきてるよ」
「一緒に聞いていい?」
「もちろん」
ここ数日、相方の耳を奪い続けた一そろいのイヤホンを、片耳ずつで分け合って。水蜜がスイッチを押すと、あの横揺れの音楽が流れ始めた。
心を静かに弾くような弦の音が鳴る。小舟が音楽を推進力にしているような、妙な感覚に至る。日々の憂いを忘れて、誰とは知らず寄り添って、白い明日へ。歌詞に重ねて、
「踊ろうよ、お嬢さん」
私の目を覗き込んで、水蜜が唄った。深い海底の色を、上空で覗んだ。
「踊りかたなんて知らないわよ」
「揺れるだけで、いいんだって」
水蜜が腰に手を回してきた。私は彼女の首に腕をかけた。緩い、水草のような横揺れのダンス。重心の移動にあわせて、舟が呼応するように揺れた。舟底を打つ波の音を錯覚した。ただ揺れるだけ、それだけで、空気に溶けてしまいそうになった。
「君こそ美しい僕の恋人!」
抱擁を強めて、水蜜が唄った。照れ隠しに強く押し倒した。舟が揺れて、私たちは雲海へ投げ出された。
ひやりと冷たい風と露が、私たちを包み込む。身体ごと、音に沈めるように。飛び込んだ二人を、一つにするように。
そして私たちは夜を泳いでいた。雲の中を、海の中を、まるで魚みたいなスイングで。くるくる、くるくると気の済むまで、緩いリズムに合わせながら。私の温度は彼女に吸われて、彼女の温度は雲海に溶け出して。いっそ消えてしまいそうなくらいに。
眠らないこの夜を踊る。夜明けがいつか迎えに来るまで。
知らない間に、もうイヤホンは外れていた。
それでも音楽は、鳴り続けていた。
音楽に合わせた船上の踊りはやっぱり映えると思います。たいへんに良かったです。
キザな村紗もそんな村紗の手を取る一輪もとても綺麗でした
ずっと応援していた雲山もよかったです
面白かったです
関係の長さを感じさせながらも瑞々しい二人の関係がとても良かったです。