水の張られた田んぼに整然と並ぶ早苗……山の巫女ではなく稲の方、その真ん中のあぜ道を私は歩いていた。
目的はこの先にある水汲み水車だ。
少し高い場所にある田んぼへ水路から水を引き込むための賢い機械であるが、歳を重ねて気難しくなったのか、頻繁に整備を必要とするようになっていた。
ある時、百姓たちが額に汗を浮かべながら四苦八苦していたところに、たまたま通りがかった私がササッと直してやって以来、水車の管理はこの天才エンジニアに任されることとなったのだ。立地が人間の里から離れていて妖怪の領域に近く、百姓たちも煩わしい仕事から開放されて農作業に集中できるので、河童の私が人間の機械をいじることは問題ない、というよりは黙認されたのである。
もちろん報酬はしっかりと取ってある。水車に手を加えて小規模な発電装置を付け、実験に使う電気を蓄えさせてもらっているのだ。
私は満タンになった蓄電池に思いを馳せながら、鼻歌交じりに進んでいった。
「やっとるね」
水車の緩んだ羽を締め直していると、野太い声に作業を中断させられた。
振り向くと、日差しを防ぐために手ぬぐいを頬かむりにした人間の男が立っており、風呂敷を差し出していた。
「まだ小さいから口に合うか分からないが……」
「ああ、いつも悪いね」
「それはお互い様だ」
風呂敷の中身は私の大好物、きゅうりだった。成人よりもずっと手前、まだ尻の青い赤ん坊くらいの。そのまま齧るよりも味噌を付けて食べた方が良さそうだ。ありがたくいただいて、リュックにしまっておくことにする。
「こいつの調子はどうだい?」
「梅雨明けあたりまでは持つはずだよ。けど、油断せずに日頃から枝や草が絡まっていないか注意して欲しい」
「そうか、そうか」
男は日に焼けて赤茶けた顔を田んぼへ向けながら満足そうにうなずいた。農家の苦労は私には理解できないが、男が田畑を見つめる眼差しは、きっと私が機械に見惚れている時のものと同じなのだろう。
私は作業を終えて道具をしまい、水車に設置された蓄電池を持ってきた空の蓄電池と交換した。
「今日のところはこれでおしまいだ」
「かたじけない」
「時に盟友、このあたりで何か珍しいものは見なかったかい?」
「珍しいもの、外の世界か。ううむ……」
幻想郷には外の世界で忘れられたもの、使われなくなったものが流れ着くことが多々ある(妖怪だってそうだ)。道具や機械の場合は基本的に早い者勝ちで、見つけた者が所有権を主張できる。
河童にとって外の世界の物品は進んだ技術を学ぶことができる宝の塊であるので、先に妖精や里のはなたれ小僧どもに見つかって遊び道具にでもされていたらたまったものではない。
なので、河童たるもの普段から探索や情報収集は怠ってはいけないのだ。
「そういえば、ここから東へ行ったところにある夫婦松近くに、金物の棒が立っていたな。先週、柴刈りへ行った時はまだなかったはずだ」
「金属の棒? 具体的には?」
「最近、里の大通りや稗田のお屋敷の前にできたやつに似ていた。ほら、棒の先っちょに光る玉が付いているやつだ」
「ふむ。街灯かな」
近年になり、山の神様連中の音頭で始められた産業革命が一定の成功を収めてきたこともあって、人間の里にも電気が広く普及し始めている。文明の灯火は家の中を明るくするに飽き足らず、人通りの多い道や大金持ちの家の前をも照らし出していた。
古臭い妖怪にとっては眉をひそめるような状況だろうが、我々河童にとっては大いなる商機だった。
男が見つけた金属の棒が本当に外の世界の街灯であるなら、そのまま好事家に売っても良いし、分解して技術を学ぶ教本にしても良い。もし、同等のものを製造できるようになれば、河童の懐ははち切れんばかりになるだろう。
「情報ありがとう! お礼はまたいつか必ず!」
頭の中でそろばんを弾いた私はいても立ってもいられず、太陽を背に空へ翔け出した。
「いいってことよ。またこいつの面倒を頼む」
男は手を振ると、すぐに田んぼの方へ戻っていった。
木々の梢をかすめながら飛んでいくと、目当ての二本の松はすぐに見つかった。その横で、松たちの子どものように佇む街灯も。
私は急下降し、身体に当たる葉や枝を気にせず、街灯の周囲をぐるりと一周する。
根本からてっぺんまでまっすぐに伸びた金属の柱、先端部分にはカバー付きの電灯。人間の里の、ひょろっとした木の柱に電球を据え付けただけの手作り感あふれる街灯とは違い、周囲を照らすことに最適化し、恐らく生産性にも優れた機能美あふれる、まごうことなき外の世界の工業製品であった。
頬ずりしたくなる衝動をぐっと抑え、私が第一発見者兼所有者であることを主張するために、電灯のカバーに私の妖力をまとわせたスペルカードを貼り付けておく。これで妖気を察した妖精や木っ端妖怪は寄って来なくなるはずだ。
「さて……どうしたものか」
見たところ、街灯は幻想郷の大地へしっかりと突き刺さっている。恐らく、外の世界に存在していた頃と同じ姿を保っていそうだ。
すぐにでも自分の工房へ運んで点検したいところだが、いくら相撲が得意な私でもこれを引き抜いて妖怪の山まで担いでいくのは難しそうだった。さりとてそこら辺で暇をしている鬼のような力自慢に頼む訳にもいかない。街灯の価値を理解していない連中に雑に運ばれてくの字にへし折られても困るし、何より報酬に酒樽の山をせびられても困る。
移動は後で仲間の河童たちに依頼することにして、ひとまずは街灯がまだ生きているか確認することにした。
「お、これか?」
調べると、柱の中ほどに給電のためとおぼしき機構を発見した。本来であれば電線が繋がっているはずの部分は空洞になっている。経年による汚れがみられるが、機械の破損はなさそうだ。純白に塗られた柱も一部で塗装がはがれて錆が浮いているが、大した規模ではないので内部は無事だろう。電灯部分にもヒビなどは見受けられない。これなら電気を食わせさえすれば、再び灯りをともしてくれるだろう。
幸いなことに、今は電源は水車から回収してきた蓄電池がある。ケーブルもリュックの中にある。問題は変圧器がないことだ。
外の世界の電気で動く機械の厄介なところは、ただ電気を流してやれば動くというものではなく、きちんと機械の口に合うように電気を調理してやらないといけないという点だ。
工房へ行けば調理器具もとい変圧器はあるのだが、今から妖怪の山まで往復するとなると、戻る頃には傾きかけている太陽は完全に横になって山裾へ隠れようとしているだろう。街灯が付くか試すにはちょうど良い時間かもしれないが、私が不在の間に街灯にいたずらする不届き者が現れるかもしれない。
しかし、逡巡している暇はなかった。
私は地面を蹴り、気持ちだけでも天狗並の速度で工房へと向かった。
悪い予想というのは当たるものだ。
茜色の空の中を汗水たらして飛んで戻った時、街灯の傍らに足の透けた怨霊が浮かんでいた。手には大根やら酒瓶などが入った買い物かご。里へ買い出しへ行った帰りといったところだろうか。
確か、復活した聖徳太子の部下で、名は蘇我屠自古だった。天狗の新聞によると、人間寄りの勢力に属していることもあって、妖怪のことはあまり好ましく思っていない、と書いてあったっけ。
だからといって、お宝を前にすごすごと工房へ引き返す訳にもいかず、私は意を決して変圧器を抱えたまま降り立った。
噂に違わぬ非友好的な視線を向けられる。
「……河童か。私に何か用か?」
こちらも対抗してとびきりの営業スマイルを浮かべる。
「やあ、ご挨拶だね。用があるのは隣の街灯だよ」
「がいとう? この棒のことか」
「私の宝物さ」
「そんなに大事なものなら傍で守ってやりな」
「さっき見つけたばかりで、運搬や点検の算段をつけていたんだよ。ほい、横を失礼」
怨霊に近づき過ぎないようにしながら変圧器を降ろす。背中に突き刺さってくる敵対心を無視しつつ、リュックから蓄電池とケーブルを取り出して準備を進めた。
街灯とそれぞれの機器をケーブルで結んだところで、ようやくひりついた空気が緩んだ。
「何をしているんだ?」
「街灯に電気を食わせる準備をしているのさ」
「電気? これが?」
「そうだよ。こいつは電気を食べて光り輝く、まさに外の世界の技術力の結晶さ」
「河童の擬人法は良く分からないな……」
口調は相変わらず厳しいものの、怨霊は作業に興味を持ってくれたのか、私の隣へきて小刻みに震える変圧器をしげしげと覗き込んだ。怨霊は他者に取り憑いて害をなす性質上、妖怪との相性もかなり悪いのだが、今は不思議と嫌な気分にはならなかった。
「けど、電気を使う道具か……だから気になったのか」
そういえば、この怨霊、屠自古の能力は雷を起こす程度の能力だったはずだ。
これも天狗の新聞の受け売りになるが、聖徳太子の勢力は仙界と呼ばれる空間を縄張りにしていて、幻想郷に用事がある時は空間同士をつなげて直接やってくるらしい。つまり、人間の里で買い物したならすぐ仙界に帰ってしまえば良いのに、あえて里から離れた場所にいたということは、電気を扱う者として同じ気質を持つ電灯に惹かれてきたのかもしれない。
「う、ん? あれ……」
せっかく打ち解けてきた雰囲気をあざ笑うかのように、電灯は私が流した電気を受け入れてくれなかった。準備は万端のはずだが、もしかしたらどこかに齟齬が起きているのだろうか。
私が焦って手を動かすにつれて、隣から発せられる気配がまたひりついてきた。
「おかしいな……」
「ええい、まどろっこしい。私が電気を食わせてやるから、離れていろ」
「あっ馬鹿! 乱暴に扱うなって、壊れる!」
私を押しのけた屠自古へ抗議の叫びをあげたが遅かった。彼女は電灯につなげていたケーブルを引き抜くと、空いた空間へ手を突っ込んで全身を青白く輝かせた。
私は二重の意味で目を覆った。
周囲から家路を急ぐ烏たちの声が消え、不気味な放電音だけが響いていた。
「どうだ。餅は餅屋に任せるべきだろう」
自慢げな、そして少し癪に障る声が聞こえてきたので、恐る恐る手をどかした。
「……めちゃくちゃなんだよ」
茜色に青が混じりかけた空を、人工的な白い光が切り取っていた。
電灯はまだ生きていたのだ。
「でも、綺麗だ」
「うん。私にはちょっと眩しいけど、こういう明かりも悪くない」
自分で灯りを付けておきながら、と思ったが、飛鳥時代から生きている(?)怨霊が言うと味わい深く感じるものだ。
私たちはその場に座り込み、光り続ける街灯を見上げた。
「なあ、河童。外の世界はこいつと同じものがたくさんあるのか?」
「数え切れないほどあるだろうね。なにせ、どこの街にも街灯があるらしいから」
「そっか。一人ぼっちで幻想郷に来て、大変なんだな」
屠自古は言動は刺々しいところがあるものの、根は案外、情にもろいようだった。
ただ、私は彼女とは少し解釈が異なる。
かつては街を照らすために光っていた街灯は、今はただ私たち二人、というよりただ光るためだけに光っていた。実用という名の仕事から解放され、ただ光るためだけに光る姿は、むしろリラックスしているように見えた。同時に、第二の機生を謳歌し始めた街灯を技術解析のために分解するのは、なんだか気が引けてしまう。
「一人ぼっちでもちゃんと光っているんだなぁ。偉いなぁ」
ぎょっとした。
隣から若干湿った声が聞こえてきて振り向くと、屠自古が買い物かごから酒瓶を取り出してラッパ飲みにしていたのだ。あまりにも豪快、それでいてしみじみとした飲みっぷりは、会ったばかりの印象しかないとはいえ、彼女にぴったりな飲み方だった。
電灯に照らされてより白が鮮明になった肌に、ほんのりと酒精の赤が差すまで半ば呆気にとられて見ていたら、彼女がこちらに気がついた。
「飲む?」
「……いただきます」
酒が欲しくて見つめていたのではないのが、断る理由もないのでありがたく頂戴することにした。聖徳王に献上するために買ったのか、酒は瓶から直に飲むのは惜しいくらいの一級品であった。
道士たちに貸しをつくるのも癪なので、こちらも百姓にもらった赤ちゃんきゅうりを差し出す。
「もろ味噌ある?」
「塩なら」
夕闇の下の、なんとも不思議な宴会ではあったが、幸いなことに眼の前の肴のおかげで明かりだけは困らなかった。
屠自古は飲みながらずっと独りごちていた。もしかすると、一人で光り続ける街灯に誰かの生き方を重ねていたのかもしれない。
私も口を開け、時たま酒を流し込みながら、首が痛くなるまで人工の光を眺めていた。機械に囲まれて飲んだり、焚き火を誰かと囲んで飲んだことはあったけど、もしかするとこんな感じに光で飲んだことは初めてだったかもしれない。
夜の帳が下り、屠自古の頬が真っ赤になる頃には、私もこの街灯がただの機械には思えなくなっていた。
ささやかな宴会が終わると、私は仲間の河童たちと街灯を工房まで運び、塗装を塗り直したり簡単な整備を施した。分解して複製品を作るのはまたの機会にすることにした。
後日、人間の里で開かれた市に売り出すと、何人かの豪商や名主が興味を持ち、最終的に里有数の米問屋の若旦那が競り落とした。彼は自身のきっぷの良さを示すため、街灯を里へ寄付することをその場で宣言した。
今、街灯は鈴奈庵の近くの橋のたもとに立って、夜になると橋を行き交う人々の足元を照らしている。再び、実用のために光る生活に戻ったのだ。
屠自古は聖徳太子にねだって仙界に街灯を置くようなことはしなかったが、それでも縁ができた街灯を気にはかけているようで、買い物や布教活動の際に橋を訪れているらしい。
私も時折、里を訪れた際に様子を見に行く。そして、あの時と変わらず光る街灯を見上げて思うのだ。
つかの間の、ただ光るために光る生活は楽しかっただろうか。
役目から解放されたという考え方が幻想郷らしくてとても素晴らしかったです
屠自古が引かれてきたのは電気の性質にか
周りよりもずっと先を生きる灯りに惹かれてか
着眼点が面白いと思いました
電灯が幻想郷の世界観にこんなに違和感なく馴染んでいるのは本当に凄いというか、作者さんの優しい手触りの文体がそうさせているのだと思います。素敵な作品をありがとうございました。