上白糖、グラニュー糖、粉糖、黒砂糖、ワッフルシュガー・・・ect。
お菓子を作る時には何種類もお砂糖を使うらしい。混ぜ込んで甘みをつけたりするだけでなく、焦がしてカラメル状にしたり、コーティングに使ったり。用途によって使い分けたりするのだ。砂糖自体をスイーツにしてしまった和三盆というものも昔はあったらしい。結晶の大きさや色、純度が違うのだとか。味わいや舌触りにまで影響するという。私は粉砂糖が好きだ。だってかわいいんだもの。見た目も語感も。大抵の粉砂糖は固まってしまわないようにコーンスターチを混ぜて売られているが、純粉砂糖という、なにも混ざっていないものも売られている。私はコレが好きだ。だってやっぱり他のものが混ざっていない方がいいじゃない。不純は嫌いなの。純粋なものが好きなの。
私にとって「純」であるということはとっても大事なことなの。たとえ混じっているそれが、お菓子を美味しくしてくれたとしても。
「はぁ、なんか午後の授業やる気でないなぁー。メリー、甘いものとか食べたくない?」
「甘いものは食べたいけど……また今度ね」
メリーが手元の端末をいじりながら突っ伏す私に言った。
「あ、今日は例のバイトの日か。私も遊びに行こうかなぁ」
『例のバイト』とはケーキ屋バイトのことだ。先月からメリーがケーキ屋で働き始めたのだ。本当はケーキ屋じゃなくて喫茶店なのだけれど、出してるケーキが美味しくて有名なためみんなそう呼んでいる。実は私たちが学部一年の頃から通っている大切なお店でもあったりする。その店のマスターの奥さんが先月から体調が悪くなってしまったらしく、メリーが時々ヘルプに入るようになったというわけだ。
「遊びに来てどうするのよ。レポートでもする?」
「どうするって、エプロン着てるメリーが見れるじゃない。あそこのエプロン、かわいいでしょ?メリーも前にそう言ってたじゃない。だから今日はエプロンの色に合うようにそのシャツなんでしょ?」
実はメリーが働き始める時、『エプロンメリーを見れるなら』と、一緒に働こうとしたのだ。しかしマスターから『二人は雇えない』と言われてしまった。それに『蓮子ちゃんは時間守れないでしょ。いつも彼女を待たせてるじゃないか』と笑いながら追加攻撃もされてしまい、グゥの音も出なくなってしまったのを覚えている。
「そんなこと言ってないでちゃんと午後の授業も出なさい。それに私、今日はバイトじゃないわよ?」
「えっ、まさかメリー……って、そうか。今日は『重力の日』だったわね」
「そういうこと。だからお休みなの。そして私は例によって頭が痛いから帰って寝ることにするの」
「ふーん。じゃあどっちにしろ一緒にお出かけは無しだったってことね。残念」
重力の日は一時的に重力が強くなる日の事だ。といっても、歩けなくなったりする程強くなったりするわけではなく、特殊な機械を使ってようやく観測できるレベルらしい。しかしこの日は、頭痛になったりする人もいるし、危険だから乗り物の運転や激しい運動は法律で禁止されている。さらには交通機関も夕方には止まってしまう上に、大体のお店も夕方頃には閉まる。そのため重力の日は大抵、みんな自分の家で過ごすのだ。
頭痛がしたり吐き気がしたりというのは人によって大きく違う。私はなんともないが、メリーの場合はかなり酷い頭痛に襲われる。お昼だからなのか、まだ平気そうに見える。
「ていうか蓮子、この後授業あるのね。重力の日なのに」
「……って、あぁ!そういえば今日休講だったっけ……。げっ、授業無い代わりにレポート提出あるの忘れてた!しかも12時まで。もう過ぎちゃってるじゃない……」
「今日は授業もバイトも、お出かけもなかったみたいね。……レポートはあったけど」
「うぅ……留年がまた一歩近づいたわ」
「よしよし」
再び机に突っ伏す私の頭の上に、メリーが帽子をのっけて頭をなでる。直接頭をなでないのが『メリーらしいな』、と思った。
「……今夜メリーの家行ってもいい?」
「大丈夫なの?」
「それはこっちのセリフよ。体調が悪いメリーを放ってはおけないでしょ?」
「調子のいいこと言っちゃって」
突っ伏したまま話す。メリーの眼を見ながらだと、照れちゃって言えないような気がしたから。
「いいでしょ?」
「いいわよ」
「やったね」
「……ありがとう、蓮子」
そう言ってメリーがまた私の頭を少しなでた。だから私も突っ伏したまま少し笑った。メリーの方、見てなくて良かった。
重力の日はなぜかみんな忘れっぽくなる。重力が強くなるから、記憶を落としてしまいやすくなるのだとか。『それ』は大抵、粉砂糖みたいに細かくて甘い結晶になる。その結晶は風でサラサラとどこかへいってしまい、もう二度と戻ってこない。重力の日には困ったものだ。
午後の課題を忘れてしまったのも、きっとそのせいよ。
メリーと別れ、私は自分の家にお泊まりセットを取りに帰った。すぐに荷物を持って外に出る。あたりは早くも暗くなり始めていた。冬が近いからかな、最近はうんと日の入りが早くなった気がする。
空を見上げていると、キラキラとした何かが光った。風に乗っているのか、何かに導かれるように帯状になってどこかに消えてしまった。ちょっぴり綺麗だなと思いながら、『天の川みたい』と呟く。実家にいる頃はよく本物の天の川を見たなぁ。何もない田舎だったから、夜になると真っ暗で星がたくさん見えた。メリーと一緒に実家に帰省した時も、星が綺麗に見えて、メリーは目をキラキラさせてたっけ。それなのに『こんなに星があるなら、時間がたくさん視えて遅刻しなくて済むわね、蓮子』だって。なんて素直じゃない!
その頃に比べると、今のメリーはかなり素直になったなと思う。いや、素直というか、トゲが無いと言うか……。いずれにせよ重力の日が観測されるようになってから変わったのは確かだ。
重力のが変わっても私はなんともないけども、メリーはとても体調が悪くなってしまう。メリーが私の事を頼ってくれるようになってから、普段の生活でも私の前では気を張らないでいてくれるようになった気がする。
またメリーと実家で天体観測したいなぁ。そういえばメリーと一緒に帰省したのって何年前だったかしら。あれから実家に帰ってないのよね。たしかあの時はまだ一年生だったから……。
「蓮子ーー!!」
「あ、メリー!どうしたの?」
背後から名前を呼ばれたので振り向くと、メリーが小走りでこちらに向かって来ていた。
「いや、実はちょっとマスターのところに顔出してて」
「バイト先のケーキ屋?」
「ケーキ屋じゃないわ、蓮子が働けなかった『喫茶店』よ」
「マスターもこんな美少女を雇わなかったなんて、今頃後悔してるでしょうね」
「その帰りに蓮子いるかなって思って家の方に行ったらたまたま見つけたってわけ」
「タイミングバッチリね。走ったりして大丈夫だったの?」
「ちょっと頭痛がするけど、まだ大丈夫よ。ありがとね、蓮子。……じゃあ、行こっか」
そう言うとメリーが手を握ってきた。少し強めに握り返す。何度メリーに『ありがとう』と言わせてしまうのだろうか。そんなことを考えて、メリーから視線を外してしまった。
メリーの家に着いたらすぐに早めの夕食を済ませて、お風呂にも入ってしまった。メリーの体調が悪くなる前にやるべきことを済ませておきたかったのだ。
二人ともパジャマに着替えて、ソファに並んで座ってのんびりする。これがメリーの家に泊まりに来た時のお決まりになっていた。この時間はお互い特段何かを話すわけでも、話さないわけでもない。私は先週買った本を読んでいたし、メリーは端末を触っていた。このリラックスした静かさが私はとっても好きだ。静かなだけなのに、何故だかとっても優しいこの時間。
その静けさを破ったのはメリーの方だった。
「あ、思い出した!……驚きなさい、蓮子。なんとさっきバイト先に寄った時に余ったシュークリームをもらっていたのよ!」
重力の日は基本的に、ケーキ屋などお菓子屋が閉まっている。砂糖の扱いが特別難しいからだ。だから重力の日にお菓子が食べたかったら前日の作り置きか、自分で作るしか無いのだ。すなわち、重力の日におけるお菓子はとても貴重な品ということだ。
「素晴らしいね、メリー君。今日は私がコーヒーを淹れてあげよう」
仰々しく立ち上がって、メリーに向かって手を広げた。
「どうせまたインスタントでしょ?」
「そんな事言うなら砂糖入れてあげないわよ?」
メリーが笑う。私も笑う。本当にシュークリームがあって良かった。だって重力の日にメリーの笑う顔が見れたんだもの。
重力の日は二年ちょっと前から観測されるようになった。初めて観測されてから、すぐに偉い先生とかが論文を出して、ニュースで毎日解説していた気がする。最初の頃はお菓子屋が潰れちゃうかも!なんて話題になったっけ。結局その騒ぎもすぐに収まったけど。
「期末試験前に一回くらい倶楽部活動したいんだけどなぁ。なんか、こう……メリーはどう思う?」
「どうしたの?蓮子。行きたいところとかがあるならハッキリ言っていいのよ?」
「うーん、いやーそれが、ど忘れしちゃって。思い出したらまた言うわね」
「ふーん。私は倶楽部活動じゃなくて旅行とかでもいいけど」
「月面旅行?」
「そんなお金無いわ」
「冗談よ。また一緒に海とか行きたいわよね」
「『また』?前に一緒に海に行ったことがあったかしら?」
「もうメリーったら、二年前の夏に行ったじゃない」
私は苦笑しながら言った。メリーは不思議そうな顔をしている。まぁ、仕方ないか。ずっと前のことだし。私は再び読書に戻った。しばらくすると、メリーが私に寄りかかって寝息を立て始めた。私はそっとメリーを抱きかかえてベッドまで運ぶ。いつものことなので慣れっこだ。メリーに迷惑をかけられるのが、心地良い。前まではこんなこと、あんまり無かったんだけどね。私がいつも迷惑かけちゃってたから、ちょうど釣り合いが取れてるのかしら。
そういえば結界省ができたのも、二年くらい前だった気がする。その頃はまだメリーと知り合ったばかりだったっけ。『私達の活動がバレたんだわ!』って二人で大慌てしたっけ。結局、なにもなかったけど。
メリーは最近、色んなことを忘れてしまうようになった。それに気が付き始めたのはごく最近になってからだ。しかし思い出してみると、前兆のようなものは随分前からあった。でも重力の日のせいで、私も何かを忘れちゃうこともあったし、『お互い様かな』、程度にしか考えてなかった。メリーが私との倶楽部活動の事ばかり忘れてしまうことに気が付くまでは。
ベッドの上でメリーは静かに眠っている。こうしてみると死んじゃってるみたいだ。メリーの横に自分も寝転がる。確かめるように耳をそば立てると、当然メリーの寝息が聞こえた。今日一日で疲れちゃたのかな。綺麗な金髪を撫でる。
明日は土曜日。講義もバイトも無い。ゆっくりできる。私ももう寝よう。
部屋の豆電球を消すと、背後からメリーの声がした。
「真っ暗にしちゃうの?」
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「ううん。大丈夫。色々迷惑かけちゃってごめんね」
「気にしないで」
そう言いながらメリーのいるベッドに潜り込む。メリーが目を閉じたまま笑った。
「そういえば蓮子、明るいと寝れないの?」
「メリーちゃんは真っ暗だと怖いの?」
小声で茶化すように言った。二人でクスクスと笑う。
メリーの温かい手を握る。
「手、握っててあげる」
「怖くないもん」
メリーが笑いながらいう。私も釣られて笑う。幸せ。これが私の、日常。日常で幸せ。幸せな日常。
しばらくするとメリーは本当に寝てしまった。私の手を握り返してくれていた力も徐々に弱まり、絡み合っていた手は解けていった。
真っ暗なメリーの部屋。カーテンも閉め切ってある密室。二人だけの空間。メリーの手を両手で握り直して、メリーの方を向く。ゆっくり顔を近付けて小さな声で呟く。愛しむように。悲しむように。
「真っ暗にしないと」
勿論メリーは何も応えない。窓の外も静かだ。今夜はみんな早く寝てしまっているのだろうか。
少し、呼吸を止めてみる。メリーの寝息、衣擦れの音。あとは何も聞こえない。
その静けさを確認するように、再び呟く。
「真っ暗にしないと」
続けて呟く。
「見られてるのよ、メリー」
そういえば、今日のシュークリームはあんまり甘くなかったな。明日は休みだ。メリーとケーキでも食べに行こう。
お菓子を作る時には何種類もお砂糖を使うらしい。混ぜ込んで甘みをつけたりするだけでなく、焦がしてカラメル状にしたり、コーティングに使ったり。用途によって使い分けたりするのだ。砂糖自体をスイーツにしてしまった和三盆というものも昔はあったらしい。結晶の大きさや色、純度が違うのだとか。味わいや舌触りにまで影響するという。私は粉砂糖が好きだ。だってかわいいんだもの。見た目も語感も。大抵の粉砂糖は固まってしまわないようにコーンスターチを混ぜて売られているが、純粉砂糖という、なにも混ざっていないものも売られている。私はコレが好きだ。だってやっぱり他のものが混ざっていない方がいいじゃない。不純は嫌いなの。純粋なものが好きなの。
私にとって「純」であるということはとっても大事なことなの。たとえ混じっているそれが、お菓子を美味しくしてくれたとしても。
「はぁ、なんか午後の授業やる気でないなぁー。メリー、甘いものとか食べたくない?」
「甘いものは食べたいけど……また今度ね」
メリーが手元の端末をいじりながら突っ伏す私に言った。
「あ、今日は例のバイトの日か。私も遊びに行こうかなぁ」
『例のバイト』とはケーキ屋バイトのことだ。先月からメリーがケーキ屋で働き始めたのだ。本当はケーキ屋じゃなくて喫茶店なのだけれど、出してるケーキが美味しくて有名なためみんなそう呼んでいる。実は私たちが学部一年の頃から通っている大切なお店でもあったりする。その店のマスターの奥さんが先月から体調が悪くなってしまったらしく、メリーが時々ヘルプに入るようになったというわけだ。
「遊びに来てどうするのよ。レポートでもする?」
「どうするって、エプロン着てるメリーが見れるじゃない。あそこのエプロン、かわいいでしょ?メリーも前にそう言ってたじゃない。だから今日はエプロンの色に合うようにそのシャツなんでしょ?」
実はメリーが働き始める時、『エプロンメリーを見れるなら』と、一緒に働こうとしたのだ。しかしマスターから『二人は雇えない』と言われてしまった。それに『蓮子ちゃんは時間守れないでしょ。いつも彼女を待たせてるじゃないか』と笑いながら追加攻撃もされてしまい、グゥの音も出なくなってしまったのを覚えている。
「そんなこと言ってないでちゃんと午後の授業も出なさい。それに私、今日はバイトじゃないわよ?」
「えっ、まさかメリー……って、そうか。今日は『重力の日』だったわね」
「そういうこと。だからお休みなの。そして私は例によって頭が痛いから帰って寝ることにするの」
「ふーん。じゃあどっちにしろ一緒にお出かけは無しだったってことね。残念」
重力の日は一時的に重力が強くなる日の事だ。といっても、歩けなくなったりする程強くなったりするわけではなく、特殊な機械を使ってようやく観測できるレベルらしい。しかしこの日は、頭痛になったりする人もいるし、危険だから乗り物の運転や激しい運動は法律で禁止されている。さらには交通機関も夕方には止まってしまう上に、大体のお店も夕方頃には閉まる。そのため重力の日は大抵、みんな自分の家で過ごすのだ。
頭痛がしたり吐き気がしたりというのは人によって大きく違う。私はなんともないが、メリーの場合はかなり酷い頭痛に襲われる。お昼だからなのか、まだ平気そうに見える。
「ていうか蓮子、この後授業あるのね。重力の日なのに」
「……って、あぁ!そういえば今日休講だったっけ……。げっ、授業無い代わりにレポート提出あるの忘れてた!しかも12時まで。もう過ぎちゃってるじゃない……」
「今日は授業もバイトも、お出かけもなかったみたいね。……レポートはあったけど」
「うぅ……留年がまた一歩近づいたわ」
「よしよし」
再び机に突っ伏す私の頭の上に、メリーが帽子をのっけて頭をなでる。直接頭をなでないのが『メリーらしいな』、と思った。
「……今夜メリーの家行ってもいい?」
「大丈夫なの?」
「それはこっちのセリフよ。体調が悪いメリーを放ってはおけないでしょ?」
「調子のいいこと言っちゃって」
突っ伏したまま話す。メリーの眼を見ながらだと、照れちゃって言えないような気がしたから。
「いいでしょ?」
「いいわよ」
「やったね」
「……ありがとう、蓮子」
そう言ってメリーがまた私の頭を少しなでた。だから私も突っ伏したまま少し笑った。メリーの方、見てなくて良かった。
重力の日はなぜかみんな忘れっぽくなる。重力が強くなるから、記憶を落としてしまいやすくなるのだとか。『それ』は大抵、粉砂糖みたいに細かくて甘い結晶になる。その結晶は風でサラサラとどこかへいってしまい、もう二度と戻ってこない。重力の日には困ったものだ。
午後の課題を忘れてしまったのも、きっとそのせいよ。
メリーと別れ、私は自分の家にお泊まりセットを取りに帰った。すぐに荷物を持って外に出る。あたりは早くも暗くなり始めていた。冬が近いからかな、最近はうんと日の入りが早くなった気がする。
空を見上げていると、キラキラとした何かが光った。風に乗っているのか、何かに導かれるように帯状になってどこかに消えてしまった。ちょっぴり綺麗だなと思いながら、『天の川みたい』と呟く。実家にいる頃はよく本物の天の川を見たなぁ。何もない田舎だったから、夜になると真っ暗で星がたくさん見えた。メリーと一緒に実家に帰省した時も、星が綺麗に見えて、メリーは目をキラキラさせてたっけ。それなのに『こんなに星があるなら、時間がたくさん視えて遅刻しなくて済むわね、蓮子』だって。なんて素直じゃない!
その頃に比べると、今のメリーはかなり素直になったなと思う。いや、素直というか、トゲが無いと言うか……。いずれにせよ重力の日が観測されるようになってから変わったのは確かだ。
重力のが変わっても私はなんともないけども、メリーはとても体調が悪くなってしまう。メリーが私の事を頼ってくれるようになってから、普段の生活でも私の前では気を張らないでいてくれるようになった気がする。
またメリーと実家で天体観測したいなぁ。そういえばメリーと一緒に帰省したのって何年前だったかしら。あれから実家に帰ってないのよね。たしかあの時はまだ一年生だったから……。
「蓮子ーー!!」
「あ、メリー!どうしたの?」
背後から名前を呼ばれたので振り向くと、メリーが小走りでこちらに向かって来ていた。
「いや、実はちょっとマスターのところに顔出してて」
「バイト先のケーキ屋?」
「ケーキ屋じゃないわ、蓮子が働けなかった『喫茶店』よ」
「マスターもこんな美少女を雇わなかったなんて、今頃後悔してるでしょうね」
「その帰りに蓮子いるかなって思って家の方に行ったらたまたま見つけたってわけ」
「タイミングバッチリね。走ったりして大丈夫だったの?」
「ちょっと頭痛がするけど、まだ大丈夫よ。ありがとね、蓮子。……じゃあ、行こっか」
そう言うとメリーが手を握ってきた。少し強めに握り返す。何度メリーに『ありがとう』と言わせてしまうのだろうか。そんなことを考えて、メリーから視線を外してしまった。
メリーの家に着いたらすぐに早めの夕食を済ませて、お風呂にも入ってしまった。メリーの体調が悪くなる前にやるべきことを済ませておきたかったのだ。
二人ともパジャマに着替えて、ソファに並んで座ってのんびりする。これがメリーの家に泊まりに来た時のお決まりになっていた。この時間はお互い特段何かを話すわけでも、話さないわけでもない。私は先週買った本を読んでいたし、メリーは端末を触っていた。このリラックスした静かさが私はとっても好きだ。静かなだけなのに、何故だかとっても優しいこの時間。
その静けさを破ったのはメリーの方だった。
「あ、思い出した!……驚きなさい、蓮子。なんとさっきバイト先に寄った時に余ったシュークリームをもらっていたのよ!」
重力の日は基本的に、ケーキ屋などお菓子屋が閉まっている。砂糖の扱いが特別難しいからだ。だから重力の日にお菓子が食べたかったら前日の作り置きか、自分で作るしか無いのだ。すなわち、重力の日におけるお菓子はとても貴重な品ということだ。
「素晴らしいね、メリー君。今日は私がコーヒーを淹れてあげよう」
仰々しく立ち上がって、メリーに向かって手を広げた。
「どうせまたインスタントでしょ?」
「そんな事言うなら砂糖入れてあげないわよ?」
メリーが笑う。私も笑う。本当にシュークリームがあって良かった。だって重力の日にメリーの笑う顔が見れたんだもの。
重力の日は二年ちょっと前から観測されるようになった。初めて観測されてから、すぐに偉い先生とかが論文を出して、ニュースで毎日解説していた気がする。最初の頃はお菓子屋が潰れちゃうかも!なんて話題になったっけ。結局その騒ぎもすぐに収まったけど。
「期末試験前に一回くらい倶楽部活動したいんだけどなぁ。なんか、こう……メリーはどう思う?」
「どうしたの?蓮子。行きたいところとかがあるならハッキリ言っていいのよ?」
「うーん、いやーそれが、ど忘れしちゃって。思い出したらまた言うわね」
「ふーん。私は倶楽部活動じゃなくて旅行とかでもいいけど」
「月面旅行?」
「そんなお金無いわ」
「冗談よ。また一緒に海とか行きたいわよね」
「『また』?前に一緒に海に行ったことがあったかしら?」
「もうメリーったら、二年前の夏に行ったじゃない」
私は苦笑しながら言った。メリーは不思議そうな顔をしている。まぁ、仕方ないか。ずっと前のことだし。私は再び読書に戻った。しばらくすると、メリーが私に寄りかかって寝息を立て始めた。私はそっとメリーを抱きかかえてベッドまで運ぶ。いつものことなので慣れっこだ。メリーに迷惑をかけられるのが、心地良い。前まではこんなこと、あんまり無かったんだけどね。私がいつも迷惑かけちゃってたから、ちょうど釣り合いが取れてるのかしら。
そういえば結界省ができたのも、二年くらい前だった気がする。その頃はまだメリーと知り合ったばかりだったっけ。『私達の活動がバレたんだわ!』って二人で大慌てしたっけ。結局、なにもなかったけど。
メリーは最近、色んなことを忘れてしまうようになった。それに気が付き始めたのはごく最近になってからだ。しかし思い出してみると、前兆のようなものは随分前からあった。でも重力の日のせいで、私も何かを忘れちゃうこともあったし、『お互い様かな』、程度にしか考えてなかった。メリーが私との倶楽部活動の事ばかり忘れてしまうことに気が付くまでは。
ベッドの上でメリーは静かに眠っている。こうしてみると死んじゃってるみたいだ。メリーの横に自分も寝転がる。確かめるように耳をそば立てると、当然メリーの寝息が聞こえた。今日一日で疲れちゃたのかな。綺麗な金髪を撫でる。
明日は土曜日。講義もバイトも無い。ゆっくりできる。私ももう寝よう。
部屋の豆電球を消すと、背後からメリーの声がした。
「真っ暗にしちゃうの?」
「あ、ごめんね。起こしちゃった?」
「ううん。大丈夫。色々迷惑かけちゃってごめんね」
「気にしないで」
そう言いながらメリーのいるベッドに潜り込む。メリーが目を閉じたまま笑った。
「そういえば蓮子、明るいと寝れないの?」
「メリーちゃんは真っ暗だと怖いの?」
小声で茶化すように言った。二人でクスクスと笑う。
メリーの温かい手を握る。
「手、握っててあげる」
「怖くないもん」
メリーが笑いながらいう。私も釣られて笑う。幸せ。これが私の、日常。日常で幸せ。幸せな日常。
しばらくするとメリーは本当に寝てしまった。私の手を握り返してくれていた力も徐々に弱まり、絡み合っていた手は解けていった。
真っ暗なメリーの部屋。カーテンも閉め切ってある密室。二人だけの空間。メリーの手を両手で握り直して、メリーの方を向く。ゆっくり顔を近付けて小さな声で呟く。愛しむように。悲しむように。
「真っ暗にしないと」
勿論メリーは何も応えない。窓の外も静かだ。今夜はみんな早く寝てしまっているのだろうか。
少し、呼吸を止めてみる。メリーの寝息、衣擦れの音。あとは何も聞こえない。
その静けさを確認するように、再び呟く。
「真っ暗にしないと」
続けて呟く。
「見られてるのよ、メリー」
そういえば、今日のシュークリームはあんまり甘くなかったな。明日は休みだ。メリーとケーキでも食べに行こう。
“重力の日”や“記憶が結晶化し欠落する”という独自の設定にこれを軸にした思考実験SF来るか!? と勝手に身構えましたが、読者に想像させるところで終わっていたのがこの独特の触感を生んでいるのかもしれませんね。
ごく個人的には、これを導入にした長編を見てみたい気もいたします。
お見事でした。良かったです。
お互いを気遣う秘封がよかったです
重力の日というのもSF感があってよかったです