春風は暖かく、空は爛々と青く輝いている。
こんなぽかぽかとした日和に路頭に迷うというのは、精神的にダメージが大きかった。
あるいは寒空の下で同じ状況下に置かれた方が、いっそこの情けなさが紛れて、少しかマシかもしれない。
「どこもかしこも禁煙、ねえ……」
そう、ひとりごちる私──新聞記者の射命丸文はというと、ルポライター風の衣服を身にまとい、喫茶店で文花帖の内容を整理しながら次の記事への作業を進めようと人里に降りてきたはずなのだけれど。
いつも仕事場代わりにしている行き着けの喫茶店を訪ねたところ、全席禁煙という残酷なお触れが出されており、落ち着かない様子でコーヒーを一杯飲んだ後、すごすごと店を出てきた次第である。もちろん、作業なんてまるで進んでいるわけがない。
外の世界で禁煙志向が高まっているのは知っていた。しかし、その波がここ幻想郷にもやって来ているとは。全くもって不覚だった。
そもそも新聞記者と言えば煙草を吸うものなのだ。私は少なくともそういう光景を見て育ってきた。編集部の灰皿に溜まる山盛りの吸い殻こそ、その忙しさの象徴とされていたのだ。私もそれに憧れて、煙草を吸い始めたのだから。
ところが、いざ世間から禁煙だと言われてしまった時のやるせなさはなかなかどうして情けなさを感じさせてくるものである。分かってくれとは言わないが、そんなに喫煙者が悪いのか。まあ、確かに体には悪いかもしれないが。
「帰るか……」
私はそんな悲哀に包まれながら、とぼとぼと帰路に着く事にしたのだった。
◆◆◆
「ただいま」
「お、おかえりー。早かったね」
私ががらがらと玄関の戸を開けるや否や、家の中から聞き慣れた同居人の声で挨拶が返ってくる。
靴を脱いで、居間へと転がり込むと、その同居人──姫海棠はたては、ソファーベッドの上でごろごろとケータイをいじりながら、のんびりと寛いでいる様子だった。
「それが行きつけの喫茶店が全席禁煙になっててね」
「あー、そゆこと。文、結構吸うもんね」
私がソファーベッドの前まで来ると、はたても足を縮めて私が座れるように場所を空けてくれた。そのままありがたく座らせてもらう。いや、ありがたくも何も、ここ私の部屋なんだけど。
すると、はたてはもぞもぞと起き上がり、私と横並びになるように座ってくる。
「大変だったねー。頭を撫でてあげよう、よしよし」
「大変ってほどでもないけどね。ありがと」
わしゃわしゃと失意の私を慰めるように頭を撫でてくれる。断じて嫌いじゃない。付き合い始めてからのはたての行動は、なんだか恋人って感じがするアクションが多めな気がする。こいつは多分、私よりも恋愛ってものが上手いのかもしれない。
「じゃ、折角帰ってきたんだし一服してきましょーよ」
「それもそうね。そうするわ」
帽子を脱いでテーブルの上に置き、私はコートのポケットに入っているセブンスターの箱とライターを確認した。すっくと立ち上がると、縁側へと向かっていく。はたてもとことこと私に付いてきている様子だった。
縁側に座り、空を見上げる。
五月晴れとはよく言ったものだ、と感服したくなるような清々しい空模様の午後。
私はそっと咥えた煙草に火を点けた。
そのまま咥えた煙草からゆっくりと煙を吸い込む。口から煙草を外して、もう一度外気と一緒に煙を肺に吸い込むようにして、それからふうっと大きく吐き出していく。
はあ、落ち着く。少しスパイシーな煙の残り香が鼻腔をくすぐった。
「折角だし、私も吸おっかな」
「はたても吸うの? あんまり見ないから知らなかった」
「文の前だとあんまり吸わないからねー。受動喫煙で十分だなーってなっちゃって」
そう言ってはたてはスカートのポケットの中からキャスターの箱を取り出した。
「あれ、あんたライターは?」
「そりゃもう火はありますから」
ニヤニヤ笑いながら、はたては一本の煙草を取り出すと、口に咥えて私に突き出す。
「何? え、シガーキスしたいの?」
「んー」
煙草を咥えたままのはたてがキスを待つかのように目を瞑ってみせる。やれやれ、仕方ないな。仕方なくですよ。ライター使う気が無いっていうんだから、仕方なく。そう言い聞かせながら、私は火を点けたばかりの煙草を口元で抑えながら、その炎心を、はたての咥える煙草の先へと押し付ける。
じゅっと炎が燃える音。
煙草越しに、はたてが私の炎を吸っているのが何とはなしに分かる。
炎が、じわりじわりとはたての咥える煙草へと燃え広がっていく。
唇を重ね合わせるよりも、少し特別な時間。
お互いの熱が共有される、不思議な時間。
やがてはたての煙草に完全に火が点くと、彼女は私の煙草から離れていく。
「たまにはこういうキスもいーね」
くしゃりと笑ったはたてを見て、思わず私も笑ってしまう。可愛いな、私の恋人。
「最近は外の世界ではキャスターじゃなくてウィンストンって言うのよ」
「え、マジで? 名前変わったんだ。知らなかった」
「念写とかで調べれば分かるんじゃないの?」
「うーん、別に煙草の写真撮ってもなー」
それもそうね、と笑って返す。置いてあった灰皿に、とんとんと灰を落として、私はもう一度煙を吸い直した。
ぷは、と私の口から吐かれた煙が、はたての口から吐かれた煙と混ざり合って、空へと溶けてゆく。
「茶屋があるところの通りにある喫茶店はまだ喫煙可能だったはずだよ」
「ありゃ、そうなの? 知らなかった。あんた結構詳しいのね。外では吸うの?」
「うーん、まあそんな感じかな」
はたては少し照れ臭そうにはぐらかす。なんだろう、私の前ではあまり吸ってるところを見せたくないのだろうか。
「別に、一緒に住んでるんだし、気を遣わないで家で吸ってもいいのよ?」
私がそう聞くと、はたてはほんの少しだけ頬を赤らめて、くしゃりと笑った。
「出先でさ、文が恋しくなった時に、思い出しながら吸ってるの」
その答えに、思わず私まで恥ずかしくなってくる。そうか、煙草の香りって、はたてにとっては私の香りなのか。頬が熱くなるのを感じる。うう、なんでだ。
「吸い終わったらキスしていい?」
「お、文から誘ってくれるなんて珍しいじゃん。もちろんいーよ」
にへへ、と嬉しそうに笑う目の前の彼女が、とっても愛おしくて。きゅんと来る胸の鼓動を抑えながら、今は煙の味をもう少し味わっていよう。次の記事の作業は、ちょっとだけ後にして。
溶け合って交わり合った二人の煙が、やがて透明になって青く広がる空へと溶けていくのを、私達は並んでぼんやりと眺めていた。
こんなぽかぽかとした日和に路頭に迷うというのは、精神的にダメージが大きかった。
あるいは寒空の下で同じ状況下に置かれた方が、いっそこの情けなさが紛れて、少しかマシかもしれない。
「どこもかしこも禁煙、ねえ……」
そう、ひとりごちる私──新聞記者の射命丸文はというと、ルポライター風の衣服を身にまとい、喫茶店で文花帖の内容を整理しながら次の記事への作業を進めようと人里に降りてきたはずなのだけれど。
いつも仕事場代わりにしている行き着けの喫茶店を訪ねたところ、全席禁煙という残酷なお触れが出されており、落ち着かない様子でコーヒーを一杯飲んだ後、すごすごと店を出てきた次第である。もちろん、作業なんてまるで進んでいるわけがない。
外の世界で禁煙志向が高まっているのは知っていた。しかし、その波がここ幻想郷にもやって来ているとは。全くもって不覚だった。
そもそも新聞記者と言えば煙草を吸うものなのだ。私は少なくともそういう光景を見て育ってきた。編集部の灰皿に溜まる山盛りの吸い殻こそ、その忙しさの象徴とされていたのだ。私もそれに憧れて、煙草を吸い始めたのだから。
ところが、いざ世間から禁煙だと言われてしまった時のやるせなさはなかなかどうして情けなさを感じさせてくるものである。分かってくれとは言わないが、そんなに喫煙者が悪いのか。まあ、確かに体には悪いかもしれないが。
「帰るか……」
私はそんな悲哀に包まれながら、とぼとぼと帰路に着く事にしたのだった。
◆◆◆
「ただいま」
「お、おかえりー。早かったね」
私ががらがらと玄関の戸を開けるや否や、家の中から聞き慣れた同居人の声で挨拶が返ってくる。
靴を脱いで、居間へと転がり込むと、その同居人──姫海棠はたては、ソファーベッドの上でごろごろとケータイをいじりながら、のんびりと寛いでいる様子だった。
「それが行きつけの喫茶店が全席禁煙になっててね」
「あー、そゆこと。文、結構吸うもんね」
私がソファーベッドの前まで来ると、はたても足を縮めて私が座れるように場所を空けてくれた。そのままありがたく座らせてもらう。いや、ありがたくも何も、ここ私の部屋なんだけど。
すると、はたてはもぞもぞと起き上がり、私と横並びになるように座ってくる。
「大変だったねー。頭を撫でてあげよう、よしよし」
「大変ってほどでもないけどね。ありがと」
わしゃわしゃと失意の私を慰めるように頭を撫でてくれる。断じて嫌いじゃない。付き合い始めてからのはたての行動は、なんだか恋人って感じがするアクションが多めな気がする。こいつは多分、私よりも恋愛ってものが上手いのかもしれない。
「じゃ、折角帰ってきたんだし一服してきましょーよ」
「それもそうね。そうするわ」
帽子を脱いでテーブルの上に置き、私はコートのポケットに入っているセブンスターの箱とライターを確認した。すっくと立ち上がると、縁側へと向かっていく。はたてもとことこと私に付いてきている様子だった。
縁側に座り、空を見上げる。
五月晴れとはよく言ったものだ、と感服したくなるような清々しい空模様の午後。
私はそっと咥えた煙草に火を点けた。
そのまま咥えた煙草からゆっくりと煙を吸い込む。口から煙草を外して、もう一度外気と一緒に煙を肺に吸い込むようにして、それからふうっと大きく吐き出していく。
はあ、落ち着く。少しスパイシーな煙の残り香が鼻腔をくすぐった。
「折角だし、私も吸おっかな」
「はたても吸うの? あんまり見ないから知らなかった」
「文の前だとあんまり吸わないからねー。受動喫煙で十分だなーってなっちゃって」
そう言ってはたてはスカートのポケットの中からキャスターの箱を取り出した。
「あれ、あんたライターは?」
「そりゃもう火はありますから」
ニヤニヤ笑いながら、はたては一本の煙草を取り出すと、口に咥えて私に突き出す。
「何? え、シガーキスしたいの?」
「んー」
煙草を咥えたままのはたてがキスを待つかのように目を瞑ってみせる。やれやれ、仕方ないな。仕方なくですよ。ライター使う気が無いっていうんだから、仕方なく。そう言い聞かせながら、私は火を点けたばかりの煙草を口元で抑えながら、その炎心を、はたての咥える煙草の先へと押し付ける。
じゅっと炎が燃える音。
煙草越しに、はたてが私の炎を吸っているのが何とはなしに分かる。
炎が、じわりじわりとはたての咥える煙草へと燃え広がっていく。
唇を重ね合わせるよりも、少し特別な時間。
お互いの熱が共有される、不思議な時間。
やがてはたての煙草に完全に火が点くと、彼女は私の煙草から離れていく。
「たまにはこういうキスもいーね」
くしゃりと笑ったはたてを見て、思わず私も笑ってしまう。可愛いな、私の恋人。
「最近は外の世界ではキャスターじゃなくてウィンストンって言うのよ」
「え、マジで? 名前変わったんだ。知らなかった」
「念写とかで調べれば分かるんじゃないの?」
「うーん、別に煙草の写真撮ってもなー」
それもそうね、と笑って返す。置いてあった灰皿に、とんとんと灰を落として、私はもう一度煙を吸い直した。
ぷは、と私の口から吐かれた煙が、はたての口から吐かれた煙と混ざり合って、空へと溶けてゆく。
「茶屋があるところの通りにある喫茶店はまだ喫煙可能だったはずだよ」
「ありゃ、そうなの? 知らなかった。あんた結構詳しいのね。外では吸うの?」
「うーん、まあそんな感じかな」
はたては少し照れ臭そうにはぐらかす。なんだろう、私の前ではあまり吸ってるところを見せたくないのだろうか。
「別に、一緒に住んでるんだし、気を遣わないで家で吸ってもいいのよ?」
私がそう聞くと、はたてはほんの少しだけ頬を赤らめて、くしゃりと笑った。
「出先でさ、文が恋しくなった時に、思い出しながら吸ってるの」
その答えに、思わず私まで恥ずかしくなってくる。そうか、煙草の香りって、はたてにとっては私の香りなのか。頬が熱くなるのを感じる。うう、なんでだ。
「吸い終わったらキスしていい?」
「お、文から誘ってくれるなんて珍しいじゃん。もちろんいーよ」
にへへ、と嬉しそうに笑う目の前の彼女が、とっても愛おしくて。きゅんと来る胸の鼓動を抑えながら、今は煙の味をもう少し味わっていよう。次の記事の作業は、ちょっとだけ後にして。
溶け合って交わり合った二人の煙が、やがて透明になって青く広がる空へと溶けていくのを、私達は並んでぼんやりと眺めていた。
最後、煙が交わり合って青空へ消えていく描写も二人の穏やかな関係を表しているみたいで良かったです。
さらっと同棲してる文とはたてがよかったです
あやはたのはたてはどんなにかわいくてもいい。
シガーキスが刺さる人にはすごく刺さるんだろうなという文章もお見事
たばこが全くわからないからあれですが、文が恋しくて吸う割には違うタバコの種類なんだなーとはちょっと思いましたが、流石にそれは露骨すぎる気もしますね