「私も、お供させてください」
カグヤを迎えに地上へ降りると告げたとき、弟子のレイセンはそう懇願した。
ついてくるなど思わなかった私は、その言葉に心底驚いた。
当時、月の民にすれば地上はまさに未開の地。
『賤しき民が犇めく混沌の大地』と侮蔑されていた。
現にカグヤを連れ戻す任を与えられたのは屈強な兵ばかり。
不測の事態が起きても、万全の対処ができるよう選ばれたのだ。
そんな中へ貧相な月兎が随伴を申し出るなど誰が想像できるだろう。
しかも、私は『蓬莱の薬』制作者という曰く付きの身。
随行するのはカグヤの身元確認者として仕方なく選ばれただけであって、
個人的な理由で弟子を連れていくのは、どうにも気が引けた。
それに当時の私は、カグヤと再会できる喜びと、
私だけ咎められなかった事をどう謝ればいいか、それを考えるだけで精一杯だった。
要するに彼女の事まで頭が回らなかったのだ。
けれど、幾ら断っても──彼女は執拗に食い下がってきた。
薬学以外に情熱を傾けない彼女が、この時だけはテコでも動かなかった。
カグヤを連れて月へ戻るから、そう何度言い聞かせても耳を貸さず……
結局、何度目かの詰問で仕方なくOKしてしまった。
だから今でも後悔する。
もしあの時、私が頑なに断っていれば──きっと彼女を、レイセンを────
────死なせずに済んだのに、と。
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月師想話~中編:廻る闇~
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外套を持参して来なかった事を、ひどく後悔する。
永遠亭の上空100m、
吹き付ける風は地上より一層強く、寒さも尚厳しい。
手の平を暖めようと吹き付けた吐息は、空中に拡散し白い霧となって消えた。
雲一つ無い澄み切った夜空に、満月だけが非現実的な輝きを放っている。
(────?、帰ってきた──)
ウドンゲが立ち寄りそうな場所、其処へ放った十数体のオモイカネ達が帰還する。
オモイカネは私が造った特別な使い魔。
活動範囲こそ狭いものの、通常より遙かに高度な人工知能を有し、
対象捕捉用に複数の感覚器を備えている。
そんなオモイカネ達が、何の成果も持たずに帰ってきた、ということは……
(やはり、遠出していると見て間違いないわね……)
それは予想していた事態。
ウドンゲ愛用のブレザー、マフラーとも部屋に無い。
更には護身用の拳銃も持ち出している。
彼女の習慣を考えれば、遠征している事は間違いない。
(さて、どうするか──)
行き先が判らないからといって、手を拱いているわけにもいかない。
まだ確信は持てないが、一刻を争う事態かも知れないのだ。
(うん? あれ────)
今まで気付かなかったけれど、近くの森に何かが光るのを見つけた。
それは………
(────、赤提灯よね?)
墨を流したような眼下の暗闇に、仄かな紅色の明かりが見て取れる。
そういえば、この辺で夜雀が屋台を出していると聞いたことがある。
(──よし)
考えていても仕方がない。
手掛かりを掴むために、私はその明かりの方へと足を向けた。
──────
遠目に見たより随分と大きく見える『八目鰻』の赤提灯。
流石に深夜ということもあり、お客の姿はない。
「こんばんは、ちょっといいかしら?」
暖簾を潜ると其処には夜雀の怪、ミスティア=ローレライの姿。
ハミングしながら食器を拭いていた彼女が私に気付く。
「あれ、こんな時間にお客さんなんて珍しいね」
「ごめんね、お客じゃないのよ」
「いいよ、別に。もう閉めようと思ってたからさ」
と、ミスティアは鼻歌交じりに皿を棚に戻す。
「貴女に聞きたいことがあるの。ウチのウドンゲ、此処に来なかった?」
「へ? あの耳がヘニョヘニョの兎が? う~ん、どうだったかな……」
手を休め、顎をさすりながら考え込むミスティア。
彼女の表情を見る限り本当に覚えていない様子。
「まったく、お客の顔を覚えてないなんて店主失格じゃないの……」
「そ、そんな事言ってもさ……夜雀は物覚えが悪いんだから、
しょうがないじゃんさ~」
「…………。」
彼女の頼りない返事が却って私の焦りに油を注ぐ。
私は屋台越しに身を乗り出し、ミスティアへと詰め寄る。
「別にウドンゲの事じゃなくても良いの。何か気付いたこと、無い?!」
「 えぇっ、ちょ、ちょっと待ってよ…… 」
「ほら、此処だと永遠亭の出入りが全部見えるでしょ。何か見てるはずよ」
「 でも何も……思い出せないよ…… 」
「些細なことで良いの。気付いた事なら何でも!!」
「 ………そういえばさ………… 」
「!! 何を見たの?」
「 ……誰、探してるんだっけ?」
ガシャンと盛大に焼き網へダイブする。
火が落ちていたから良いものの、一歩間違えれば大火傷だ。
大丈夫? というミスティアの声に、怒りを覚えつつ身を起こす。
それにしても、何という鳥頭だ………これ程までとは恐れ入る。
だが、此処で引き下がる私ではない。
「……そうね、気にしないで、夜雀の記憶力に期待した私がバカだったわ」
「そうよ、そうそう~~♪
それより私の歌でも聴いて機嫌直しなよ♪」
「でも、まだ方法はあるわ。───貴女の脳に直接聞けば良いだけですもの♪」
私はとびきりの笑顔で、ポケットから薬瓶を取り出した。
「さ、これ、飲んで頂戴。潜在意識から直接記憶を引き出す薬よ?」
勘だけは良いのか、真っ青な顔で後ずさる。
「な、なによ。そのあからさまに毒々しい色の錠剤はっ!!」
「貴女の爪と同じ色じゃない。大した副作用は無いから大丈夫よ」
完全に警戒態勢のミスティアは頑として断る。
「そんなの素直に飲むわけ無いじゃん!!」
「………、あ、幽々子だ」
「ヒッ」
振り返るミスティア。
「何よッ、誰も居ないじゃ……ムグ」
振り返る隙に手の平を押し当てて、ミスティアに無理矢理 錠剤を飲ませる。
作戦成功だ。
──────
結論から言うと、ミスティアはウドンゲを見ていた。
しかも、三十分前に会話までしていた。(燗のカップ酒を購入した様だ……)
更には目的地も告げていた、鈴蘭の丘だ。
こんな時間に、何故そんな場所へ?
という基本的な疑問は残るが、これで手掛かりは掴んだ。
さて早速、後を追うべきなのだが───
薬でばっちりキマッているミスティアをこのままにするのは流石に気が引ける。
──解毒剤を含ませてやる。
正気を取り戻した彼女は、都合良く私のしたことを全て忘れていた。
しまいには介抱してくれたと勘違いされ、感謝される始末。
まったく鳥頭というのも良いのか悪いのか、何とも複雑な気分だ。
手を振って送り出すミスティアに愛想笑いを返しながら、私は飛び立った。
それにしても、ウドンゲの行き先が『鈴蘭の丘』というのが気にかかる。
(……ウドンゲとレイセン、……鈴蘭の丘と……花畑……)
またも偶然の一致。
レイセンとウドンゲの幻像が重なる。
私は更に飛行速度を上げた。
(……単なる思い過ごしだと良いのだけれど……)
まったくウドンゲときたら、手の掛かる弟子だ。
遠出する時は一声かけなさいと、あれ程言い含めているというのに。
そうすれば、こんな事態に成らずに済んだというのに。
ウドンゲには自分勝手に行動し、
本人の知らぬところで周囲に迷惑を掛ける、そんな特性が有ると思う。
しかも大半が彼女の善意に基づいているのも尚更始末に悪い。
──そして、ウドンゲのそんな特性を見るたびに、
どうしても私はレイセンの姿を思い出してしまうのだ。
~ § ~ § ~ § ~
八意家の自室。
私は細心の注意を払い、試験管の薬品を交互にビーカーへと注ぐ。
タイミングを誤れば全て水の泡。指先に緊張が走る。
(…………)
注がれた液体は炭酸水の様に細かく泡立つと、やがて無色の液体へ変貌した。
しばらく様子を伺い安定を確認すると、照明に薬品を透かし状態を確認する。
(──フフ、出来た──)
世間広しといえど、ビーカーと試験管だけで、
この調合が出来るのは、私くらいのものだろう。
(──腕は、鈍ってない様ね──)
ちょっとした達成感を堪能し、己が実力を自身に誇示したあと……
私は薬品の入ったビーカーを、
────思い切り床に叩き付けた。
小気味良い音を立て四散するソレは、一瞬で無価値な硝子片に成り下がる。
あとに残るのは、独特の薬品臭と自己嫌悪の念だけ。
何もかもが嫌になり、私はテーブルに突っ伏した。
『蓬莱の薬』を制作してから、私の生活は一変した。
有罪判決こそ免れたものの、月の薬学会からは爪弾き状態。
当分は『自宅待機』という名の、軟禁生活を送る始末。
研究に打ち込もうにも、没収を免れた実験器具では
作れる薬品などタカが知れている。
実際、先程の薬品など、設備さえあれば誰でも作れるのだから。
ただ、本当はそんな事どうでも良かった。
何よりも──『カグヤ』は地上へ墜とされ、もう此処には居ない。
そもそも何故、カグヤは『蓬莱の薬』などに興味を持ったのだろう。
月の民なら、それが厳罰に値すると誰もが知っている。
敢えてその禁忌に触れた理由が、今になっても判らないままだ。
それを確かめる術もない。
カグヤが帰還を許されるまで、じっと堪え忍ぶしかない。
(…………)
結論のない思考を巡らせ、そのまま卓上で眠りに落ちる。
こんな退廃した生活を毎日の様に続けていた。
けれど私の日常は、
レイセンという名の月兎によって終わりを迎えることになる。
──────
「……しょう、……て……さい。……ってば……」
肩を揺らす振動で見開いた私の目にボンヤリと飛び込んできたのは、
面識のない月兎の笑顔だった。
「よかった。ようやく起きてくれましたね。
駄目ですよこんな不摂生してると……
でも、ご安心ください。これからは私が付いてます。
もうすぐ、朝食が出来ますからね」
私を覗き込むその月兎の顔を見ても、誰だかさっぱり思い出せなかった。
寝ぼけているせいか、脳細胞をフル回転しても彼女の顔も名前も出てこない。
私は机を離れて立ち上がると、彼女の方へと歩み寄る。
「あなた、──誰だっけ?」
キョトンとした表情で彼女は私を見返す。
「誰って、私ですよ。『レイセン』です。
叔父様からの手紙、お読みになってないんですか?」
叔父様? 手紙? レイセン? 全く心当たりの無い単語を並べ立てられ、
しかも寝起きということも手伝い、私の頭は一層混乱した。
「────ちょっと待って、今思い出すから……」
けれど何度思い返しても思い当たる節がない。
ようやく一つの仮説へ帰結し、それを彼女へ投げ掛ける。
「思い出せないのも当然よ。
だって私、貴女の事、知らないもの」
「し、知らないなんて、酷いです、それは確かに……今日が初対面ですけど」
「……それじゃ知らなくて当然よ──それに貴女、何処から入ったの?」
「え? 玄関開いてましたよ? 返事がないのは入ってこいって事かと思って……」
「──そんなわけないでしょ。
どういう事なのか、キチンと説明して欲しいわね?」
眠い目を擦りつつも彼女に詰め寄る。
彼女はしばらく考えた後、ポンと手を打って、
着ているブレザーのポケットをゴソゴソやると、
中から一通の便箋を取り出した。
「すみません、直接、手渡すってこと忘れてました。うっかりしてた……」
そう言って差し出された手紙を反射的に受け取った。
「この手紙を読んで頂ければ全て判りますから♪」
自分の落ち度など微塵も感じていないように、
有無を言わせぬ笑顔を返した。
「手紙は良いんだけど────ねぇ、なんか焦げ臭くない?」
「え? ………あっ!!、ニンジンシチュー、鍋に掛けたままだったぁ!!」
真っ青な顔で台所へ駆け込んだレイセンという名の月兎。
そして聞こえてくる彼女の叫び声と、皿の割れる盛大な音。
これが私とレイセンの、最初の出会いだった。
──────
彼女の持参した手紙を一読し、更にもう一度熟読して、
内容を吟味した上、私は彼女に応えた。
「──なるほどね、『条件』付きで私の復帰を認めてもいい、そういうことね?」
「ええ、その通りです」
「それにしても、この手紙の差し出し主って、ひょっとして……」
「ええ、私の叔父様ですよ。 ご存じですよね?」
これには私も驚いた。
『彼』とは、当時、月面で知らぬ者は居ない程の実業家であり、
レイセンは彼の近縁ということだった。
その『彼』が口を聞いたのならば、私の復帰に反対する頭の固い薬学界の連中が、
首を縦に振るのも不思議ではない。
別にそれは良い。それよりも気に掛かる箇所をレイセンに質問する。
「そして──この『条件』についてだけど──私が貴女を『生徒』として迎える。
それだけで良いのかしら?」
「ええ、それだけで良いです!!
永琳様に教えを請うのが長年の夢でしたから」
レイセンはニッコリ笑って返事した。心底嬉しそうだ。
まったくもって無邪気、もしくは脳天気と言うほか無い。
どうやら彼女は気付いていないようだ。
自分が政治的な『駒』として扱われていることに。
過ちを犯したとはいえ、カグヤは未だに正当な月世界の姫君。
絶大な影響力を持つカグヤと親密な私に恩を売っておく。
『彼』は、この娘と私を通じ、カグヤとのコネクションを築こうとしている、
それは火を見るより明らかだった。けれど──
「いいわ、その『条件』、受け入れましょう」
正直、私まで『駒』として扱われるのは些か不快だったが、
カグヤが居ない今、私には薬学しか打ち込めるものが無かった。
だから、彼女の面倒を見る事を代償として支払ったとしても、
尚、有り余る魅力に溢れていた。
「宜しくね、『レイセン』──」
そう言って手を差し出し、握手を求めた。
「ハイッ、今日から宜しくお願いします。 師匠!!」
「──師匠? って、なによ、それ?」
「だから、たった今、私は永琳様の弟子になったんですから、
これからは、永琳様のこと、
師匠ってお呼びしないといけないでしょう?」
~ § ~ § ~ § ~
(………ッ!?)
焦りだろうか、油断だろうか。
思い出に浸っていた私は、併走している存在にようやく気が付いた。
私自身、かなりの速度で飛んでいるのに、
その『黒い球体』はピタリと着いてくる。
振り切れないと判断した私は速度を緩め、その球体と対峙する。
時間のロスになるけれど、面倒事に巻き込まれたくはない。
こうした問題の芽は早期に摘んでおくのが鉄則だ。
それに相手の素性も大体予想が付いている。
私はその『黒い球体』に対して話しかけた。
「あなた────ルーミアでしょ?」
「あれ、私を知ってるんだ? 私って有名人~」
想像通りの返答が闇の中から聞こえてくる。
その声に、私はひどく奇妙な感覚を覚えた。
「──まったく。驚かせないでよ。
黙って併走するなんて、あまり行儀がよくないわね?」
そう言いつつも、私の妙な胸騒ぎは収まらない。
闇を纏っているのは昼間のみだと聞いているし。
ただ、興味はあるものの、ルーミアなんかに関わってるヒマは無い。
「ゴメンね、今、遊んでる暇はないのよ。それじゃ──ね」
そういって立ち去ろうとする。
しかし、回り込まれてしまった。
「え~ 私の話聞いてよ~ 直ぐ済むからさ~」
その無神経さに、だんだんイライラしてきた。
「それじゃ、要件をサッサと言いなさい。私は急いでるの。
──っと、その前に闇を解きなさい。そのまま話を続けるつもり?」
「……あ、そっか、どうりで暗いと思ったよ~」
闇の球体が薄らいで、中から金髪の少女が姿を現す。
その姿を見て、ようやく違和感の元凶に気が付いた。
柔らかそうな金髪に目立つ赤黒い斑点。
黒いスカートでもハッキリ判る程の液体の付着。
白いシャツの袖は肘の辺りまで真紅に染められて、
唇の周囲は赤い液体がベッタリと擦り付けられている。
彼女は全身、至るところに返り血を浴びていた。
そして、金髪に結ばれているはずのリボンが────無い。
「貴女──この辺りで、人を襲ったわね?」
「そうよ~、それがどうしたの?」
ルーミアの陽気な口調とは裏腹に、
まとわりつく嫌な殺気が急激に膨れあがっていく。
「命を奪うことを、何とも思っていないのね?」
「そーなのか? それの何が悪いんだろ~?」
彼女はそう言って両手を広げ、十字を象る。
手の平には生々しい鮮血が未だ乾かず残っていた。
「人を襲った事自体が悪いとまで言わない。本来、人間も妖怪も魂は等価だから。
でも、命を糧とする為の殺生に対して、何の罪悪も感じてないのかしら?」
「だって、食べなきゃ死んじゃうよ?
私にとって大事なのはお腹が空いたら素直に食べる、それだけよ?
それに~~~」
満月を背にしたルーミアは全身で十字を象ったまま、
口元を歪めつつ、外界の聖者の如く私へ言い放った。
「それに……私には貴女も同じに見えるよ? どうしてだろ?
返り血を浴びてて両手は血で真っ赤っか。違うかな~~?」
その言葉を聞いて瞬時にスペルカードを取り出した。
「なるほど、聞いていたルーミアとは少々違うみたいね。
……でも、もう一度言うわ。私は急いでるの。
これ以上邪魔するなら────力ずくで通らせて貰う!!」
「そう。 …………それじゃ、私の要件を言うね?
やっぱり人間一人じゃまだまだ足りないの。
お腹が空いててもっともっと食べたい。
別に月の人間でも構わない。食べるのは初めてだから、ちょっと楽しみ♪」
私達は互いに弾幕結界を展開しつつ相手の動向に目を配る。
でも私はこの時すでに、過去の記憶に想いを馳せていた。
何故、ルーミアが見抜いたのか判らないけれど、
確かに彼女の言う通り───、
あの時から私の両手は血で濡れたままなのだから。
~ § ~ § ~ § ~
それは月へ帰る前夜のこと。
カグヤの里親が開いた細やかな宴が終わった後に、
彼女は私達を自室へ呼び集め、とんでもない事を言った。
「私は月に帰りません。どうか私を見逃したと報告してくれませんか?」
私には何故、カグヤがそんな事を言うのか見当も付かなかった。
前科が有るにせよ、月世界に帰れば姫君としての生活が約束されている。
それに、地上に未練を残している素振りも無い。
里親である翁と媼に情が移ったのではとも思ったが、多分違う。
ならば二人に別れを言うはずがない。
カグヤの意図は判らない。
けれど、私はカグヤの望む様にしようと心に決めていた。
そして、永遠にカグヤの側に仕えようと。
──けれど兵士達のリーダーは違った。「それはできない」と。
ソレを見越していたのか、カグヤは悪戯っぽく微笑んだ。
「そうよね。貴方達の目的は私ではなく、コレでしょう?」
そう言うとカグヤは懐から『蓬莱の玉の枝』を取り出す。
リーダー格の兵士は一片の感情も見せずに言った。
「確かに。『蓬莱の玉の枝』確保が我々の第一目標です。
……しかし、それは同時に姫様の身柄を確保するのと同義。
それは姫様が一番良く知っておられる筈ではありませんか?」
「そうね。コレと私は一心同体だからね……
すると私の意志とは関係なく連れ戻す……そういう事ね?」
「……お察しの通りでございます。
だから姫様には月へお戻り頂きます。例えどんな手段を使っても……」
「……本気なのね」
「それが自分に課せられた使命なれば、当然の事」
「……そう、それじゃ仕方ない。
貴方達にも受けて貰うわ。この五つの難題を!!」
そう言うカグヤの背後に、五つの宝具が輝きながら展開していった。
──────
戦闘は熾烈を極めた。
単なる姫君とはいえ、一軍に匹敵する神宝を五つも所有するカグヤだ。
生半可な実力の者では十秒待たずに蜂の巣の筈。
けれど、相手はそれを熟知した上で選ばれた兵士なのだ。
彼らの動きを見た瞬間、強制連行を想定し作られた部隊なのだと理解した。
彼らは一糸乱れぬ連携で、次々と『難題』を打ち破っていく。
幾ら強大な力を持つカグヤでも苦戦を強いられるのは当然だった。
しかも一つの難題が解かれる度に、彼女は即死レベルの攻撃を喰らっていく。
『蓬莱の薬』の力で死にこそしないものの、文字通りの嬲り殺しだった。
私は当然、加勢に入ろうとした。
けれどその度にカグヤは私を遮った。
これは私の問題だと。貴女の出る幕ではないと。
そして、カグヤの『蓬莱の弾の枝』が敗れたとき勝敗は決した。
まるで血を拭いたボロ雑巾の様なカグヤが横たわり、
辺りはシンと静まりかえった。
リーダーは俯せ状態のカグヤに近付くと、やはり感情を見せずに言った。
「ふむ、とんだお転婆姫様ですね。が……ワガママも此処までです。
悪いがこのまま月まで連行します。それで任務完了だ」
そう言ってカグヤの艶やかな黒髪を掴み、乱暴にグイと引っ張リ上げた。
激痛でカグヤが悲鳴を上げた瞬間、それが我慢の限界だった。
私の中で何かが弾け、一瞬で──私の自我はショートした。
──────
我に返り、意識を取り戻した私が最初に目にしたもの、
それは眼前で縮こまり、小刻みに震えているレイセンの姿だった。
二、三度周囲を見回して、眼前の事態を認識する。
カグヤの部屋は凄惨な血の海へと変わり果てていた。
至る所に血溜まりが広がっている。
もちろん、それぞれの中心に横たわっている『モノ』が、
かつて何であったかなど言うに及ばない。
多分、私は『真の力』を解放したのだ。
今まで誰にも見せたことのない力。それは極めて純粋な暴力。
解放された力は振るわれる度、自らに内包する狂気に戦慄きながら
兵士達を陰惨に追いつめ、引き裂き、屠っていったのだろう。
私は両手で顔を覆った。
頬に伝わる液体の感覚。見ずとも判る血塗れの両手。
カグヤも未だに半死状態から立ち直れずにうずくまり、
その場で辛うじて、生者に見えるのは……ただ一人『レイセン』だけだった。
返り血まみれの私を見て狼狽したのだろうか、
初めて見る陰惨な光景に、ひどく取り乱していたのだろうか。
私が差し出した血塗れの手を払いのけ、私を人殺しと罵るレイセンの悲鳴が、
ゆっくりと私の脳裏に刻まれていった。
そして……私は……
《~~続く~~》
後編を早く読みたいです。
でも、そう言われては頑張らない訳にいきません。
なるべく急ピッチで作業を進めますので
しばしお待ちくださいませ。