*1:本作は「東方冬幻郷 ~Snowful Days~/前」の続きだったりします。どうか先に前述の作品をお読みくださいませ。
*2:能力やキャラ設定、東方シリーズのシナリオを一部自己流解釈しています。
*3:オリジナルキャラっぽい奴が尚出てきます。
*4:ライトな百合っぽい部分があります。
*5:2~4が気にならない方、読んでも良いよって方、優しいピアノ曲でも聞きながらどうぞ↓
「私、雪になりたいな。それでね・・・」
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その日も前日の雪のせいで、村は朝日を浴びて一面銀世界だった。
降り積もった雪を子供たちも駆りだされて村総出で屋根から降ろし、道の脇へとのけていく。
大人たちは隣近所と笑いあいながら額に汗を浮かべて雪をかき、子供達は大人たちを手伝うのも忘れてきゃっきゃと楽しそうな笑い声を響かせながら雪にまみれていた。
その楽しそうな風景を、ぼんやりと私だけは窓の外の景色として見つめている。
「いいなぁ・・・。」
呟きには、嫉妬や憧れや諦め、もう数え切れない思いがごちゃまぜになっていて自分でもよくわからなかった。
生まれつき体が弱かった、3日と畑仕事をすれば倒れる病弱な体。
お医者様はこの歳まで生きている事が奇跡だって言う。
昔、そんな奇跡はいらないから、皆と遊ぶ事の出来る奇跡が欲しいと泣いたら父上に拳骨を貰ってさらに泣いた。
「つまんない。」
ごろんと万年床に寝転がる。こう言う時は、寝てしまうに限る。
どこかに行く事も出来ず、こうやって眠るばかりなら、死んでいる事と何が違うのだろう?
私には、違いがわからなかった。
「小雪・・・小雪。起きなさい。」
まどろみに優しい声音が聞こえる。
父上の声だ。
父上は優しい。母上も、それに兄上たちも。
私が畑仕事を手伝えないのを笑って許してくれる。
私が居る事で、生活が苦しいことを知ってるのに、それでも笑ってくれる。
正直、嬉しくて苦しい。
優しくしてくれるから愛されていることを実感できて嬉しい、だけど何も出来ない自分が畜生にも劣る最低の生き物だという現実を突きつけられて苦しい。だって鳥や魚たちはその身をもって父上たちの血となり肉となれるのに、私には父上たちに差し出すことが出来るものが何も無かった。
「小雪・・」
父上の声に、眠気がだんだん薄れ意識が覚醒していくのを感じる。
「ん・・・父上?」
目を開ければ、父上の顔が私をのぞきこんでいた。
窓から差し込んでくる光がお日様が中天にかかっていることを示している。
随分と眠ってしまっていたらしい。
「小雪、具合はどうだ?」
優しい声。
父上は、変な表情だった。
泣きたいのに無理に笑っているような。
泣きたい時は泣きなさいって言ってたのにどうしたんだろう?
「うん、今日は楽だよ。」
そう言ってごそごそと起き上がる。
ここ数日体調を崩して父上と母上、それから兄上たちに心配をかけてしまった。
ちょっと体がだるいけど、きっと大丈夫。
父上を安心させるように、笑顔を浮かべた。
そんな私の頭を父上は、そっと撫でる。
その大きくて暖かい手のひらが私は大好きだった。
「そうか。それじゃあ、俺と少し外に出るか?」
「え!?いいの?」
父上の言葉に未だ頭のどこかにわだかまっていた眠気が一瞬で消し飛ぶ。
まじまじと見つめた父上の顔は、相変わらず変な顔だった。
「小雪も家の中に篭もりきりでは、退屈だろう?なに、お医者様も適度に運動させたほうが良いと仰っていたしな。」
「やったー!ちょっとまってて。すぐ着替える!」
うきうきと小袖を取り出す。外出なんて何日ぶりだろう。
いつも体に障るからと外に出してもらえなかった、今日の朝の雪かきだってそうだったのに。
一体どういう風の吹き回しだろう?だけど、この風は間違いなく私にとって幸せを含んでいた。
兄上のお下がりの小袖にいそいそと腕を通す。
そういえば外出用のこの小袖に腕を通すのは今年に入って初めてだ。
「さ、いこ!」
着替え終わって父上の手をとり早くと急かす。
気持ちはすでに外の世界に思いを馳せていた。
どんなことをして遊ぼう?
思いついては、あれもいい、これもいいと悩んでしまう。
あれこれとしばらく悩んでいたら、父上が私をじっと見ているのに気がついた。触れた手は、少しだけ強張っている。
私はそんな父上が石像かなにかのようでおかしくて、笑いながら問いかけた。
「どうしたの父上?」
それが石化の魔法を解く言葉だったように、父上は少し寂しそうに笑って首を左右に小さく振った。
「・・・なんでもない。さぁ行こうか。」
立ち上がった父上の手は強張ったままだったけど、久しぶりの外出があまりにも嬉しくて、そんな些細な違和感を私は見て見ぬ振りをした。
「それっ。」
ぱしゃっと父上の手から放られた雪の玉が額にあたる。
「きゃっ、もう父上ったら。」
そう言いながら、先ほど作った雪玉を父上に向かって投げる。
「うぉっ。」
見事その雪玉は父上の額にあたり、父上の顔にまだらに白い化粧をほどこした。
「あははは、変な顔ー。」
「小雪だって雪だらけだぞ。」
その父上の憮然とした顔があまりに可笑しくて、自分が父上と一緒で雪まみれなことが嬉しくて、大笑いした。
村の西に広がる深い森を抜けた場所、そこに大きな湖がある。
私は父上に連れられて、この湖の辺にやってきていた。
あたり一面足跡すらない銀世界。ここは、今だけ父上と私だけの秘密の遊び場だった。
はじめて訪れた場所に私は興奮しっぱなしで、雪だるまを作り、かまくらを作り、そうして今は雪合戦と節操なく雪で遊んだ。
合戦と言っても二人だけ、これじゃあ雪一騎打ちなのかな?
雪玉を投げては笑い、雪玉に当たっては笑い、雪玉を作っている父上に雪をかぶせては笑う、ただ今はなにもかもが楽しかった。
しばらくして雪玉が無くなったところで、父上が別の遊びをしようと提案した。
私は、うきうきしていて、じゃあ何して遊ぶ?とその提案に即座に飛びついた。
日が落ちる前までに遊び倒そうと、そう思っていた。
まだ全然遊び足りない、一歩も動けなくなるまで精一杯遊びたい。
「そうだな、じゃあかくれんぼなんてどうだ?」
父上は、少し思案してからそう言った。
声が震えているのは、寒さのせいかな?
そういえば、先ほどから父上は私の投げる雪玉を一つも避けようとはしなかった。
「うん、いいよ!」
「そうか、じゃあ俺が鬼をやるから、小雪は隠れなさい。」
「うん!」
父上は、顔を腕で覆い隠すようにして、震える声で数を数え始める。
いーち、にー、さーん、しー・・・・
隠れる場所を探さなくっちゃ。
キョロキョロとあたりを見回す。そうだ、森の中なら隠れられそうな場所があるかな?
タッタッタと小走りにかけて父上が見えない程度に、森に入る。
森の奥まった方にちょうど私くらいの人間が入れそうな穴が樹の根っこにあるのを見つける。
「あそこにしよう!ふふ、きっと見つけられなくて父上困るぞー。」
クスクスと笑いながら、その穴にいそいそと潜り込む。
困った顔で私を探し回る父上の姿が脳裏に浮かぶ。
この辺りを通ったら、飛び出て父上を驚かしてやろう。
その情景を想像して、またクスクスと笑った。
楽しい、楽しいな。
「あれ?」
一陣の寒風が、背筋をなぞったことで目を覚ました。
ついつい眠ってしまったらしい。
鬱蒼と茂る森は、もう暗闇に閉ざされていた。
「・・・父上?」
暗い闇がそこかしこに広がっている。怖い。
自分の声は闇に吸い込まれて、父上に届かない気がした。
タッタと湖のあたりまで戻る。かくれんぼをしていたことなんて、既にどうでもよくなっていた。
ただ父上に会いたい。
空を見上げれば橙色と黒が半々で染め上げている。此処に来た時、日はまだ高かったからまた随分寝てしまった事になる。
もったいないことをしてしまった。たくさん遊ぼうと思っていたのに、もう帰る頃合だ。
父上はどこだろう?
湖の辺には、私以外誰もいない。
まだ辺りを探してるのかな?
悪い事をしてしまった。
もっと、簡単なところに隠れれば良かったのだ。
怒られてもいい、ただ今は父上に会いたい。
キョロキョロと辺りを見回した。
父上・・・
父上・・・・
父上っ。
声にならない声は、聞き届けられない。
あたりに父上らしき人影はもとより、人影が全く無い。
寂しさが胸に溢れる、なんだかひとりぼっちみたいだった。
父上は、どこまで探しに行ったのだろう?
辺りを再度見回し、そうして背後を見やった時、不意に奇妙な事に気付いた。
「あれ?」
森の中へ消えていく足跡と、そこから駆け足で戻ってきた足跡。
それが雪にしっかりと刻まれている。
勿論、私のつけた足跡だ。
そうだ、湖の近くには私と父上以外誰も居なかった。
だから私を見つけるのなんて、とても簡単。
あんなに得意そうに隠れて馬鹿みたい。
だって、足跡を辿ればそこに私がいるのなんてすぐわかっちゃう。
「え?あれ?」
そう簡単だよ?じゃあどうして父上は、私を見つけてくれなかったんだろう?
答えはとっくに胸の内にあった。だけど、信じられない。信じたくない。
大急ぎで今日の足跡を辿る。
そうそう、ここで雪合戦をしたよね。雪玉を作るために雪が変に抉られてる。
そうそう、ここでかまくらを作ったよね。大きな雪玉をたくさん作って手がしびれちゃった。
そうそう、ここで雪だるまを作ったよね。雪だるまさんの笑顔、手で掘って父上と笑ったもの。
そうそう、このあたりからこの遊び場にやってきたんだよね。湖が綺麗で感動しちゃった。
あれ?どうして・・・森に入っていく足跡が・・・あるんだろう?
だって、森から出てくる足跡はあっても、森に入っちゃったら家に帰っちゃうよ。
「あ・・・」
私、まだここにいるよ?
「いや・・・いやだよ・・・」
忍び寄る事実を否定するようにふるふると首を力なく振りながら呟く。
帰ったなんて嘘だよね?
木陰に隠れて私をおどかそうとしてるだけだよね?
「どこにいるの・・・父上?・・・いやだよ、かくれんぼ・・・もうお終いにしよ、父上?・・・・・ねぇ、父上?」
森の闇に投げかけたかすれた声に望む声は返ってこない。優しいあの声はどこからも聞こえない。
それが見ないようにしていた現実を目の前にさらけだす。
心が切り裂かれたみたいに痛くて、バラバラになってしまいそう。
「いや・・・・父上ぇ・・・・・いやあああああああ!」
湖に映る顔は、酷い顔だった。
目は真っ赤で、一目で大泣きしたことがわかる。
そういえば、雪うさぎだけは作っていなかった。
今から作ろうか?独りで。
独り、独りになってしまった。
「あは、捨てられちゃったよ。私。」
誰にともなく呟いたその声が酷く心に痛かった。
父上の足跡を辿れば村に戻れる。何度そうしようとしたか、わからない。
でも、自分が鬼だと腕で顔を隠した父上が、ほんとは泣いていた事を、私はもう気付いていた。
だから差し出すものは無くても、ただ居なくなる事で父上や母上、兄上たちの為になるのなら、それは受け入れるべき事だってそう何度も思い直した。私はいらない子なのではなく、居なくなる事で彼らの為になるんだと必死で思い直した。
だって、そうじゃないと辛すぎる、心が壊れそうになる。
ぽつと、うなじに冷たいものが触れる。
「あ、雪・・・」
空を見上げれば小さな雪がはらりはらりと舞い降りていた。
雪を掴んだら手の暖かさに雪は溶けて消えた。
「私も雪になりたいなぁ・・・・。」
ぼんやりと呟いて、仰向けに地面に倒れる。
雪の絨毯は冷たくて、あんなに泣いたのにまた泣いてしまいそうだった。
雪は空から際限なく降ってくる、明日もきっと村の皆は雪かきだろう。
脳裏に朝方の眩しいばかりの笑顔たちが蘇る。羨ましいと思った。
羨ましい、それは手に入らなかったものだから。
ぽろぽろと涙が頬を伝い、地面に敷かれた絨毯を溶かす。
胸が苦しくて、張り裂けそうできゅっと服の胸元を手で掴んだ。
こんな気持ちを抱くのなら、いっそ溶けて消える小さな雪のように私も雪になって消えてしまいたい。
「東方冬幻郷 ~Snowful Days~」
「ねぇ、小雪・・・?小雪!!?」
苦しそうに喘ぐ小雪。呼吸が浅く、心臓が早鐘のように打っている。
レミリアは、己を全力でぶん殴りたい気分だった。
どうして気付かなかったのか。
自責の念が胸を締め付ける、だけど、今はそれよりも小雪の体が心配だ。
「とりあえずベッドに運ばないとっ。」
己の身体に叱咤するように叫んで、小雪を抱え上げ部屋に続く扉を蹴り開ける。
眉根を寄せる小雪の額に玉のような汗が浮かんでいて、それが事態の深刻さをあらわしているようだった。
ベッドにそっと寝かせつける。暑苦しいのか、毛布をかけても小雪は弱々しい手ですぐはねのけてしまう。
額に額をくっつける、想像以上に熱が高い。
熱を下げないと、それから・・・
パニック気味の思考がぐるぐると廻る。
どうすれば、どうすれば、どうすればいい?
薬なんてこの屋敷には無い。そもそもレミリアが病気になるなんてありえないのだから。
薬を買いに村へ行く?いや、原因もわからず薬を与えるのは危険だ。最悪、薬が毒になりかねない。
医者のところへ小雪を連れて行く?この寒い夜空の中、小雪を連れまわしていいのだろうか?それに、私がつれていったら吸血鬼の仲間として小雪が殺されてしまうかも。
思いつく案全ての否定要素が心をがんじがらめにする。
どうすれば、どうすれば・・・誰でもいいから小雪を助けて。
神様!
だけど、そんな救いの手はどこからも差し伸べられない。
当たり前、この部屋には小雪とレミリアしかいないのだから。
だからその誰かは、レミリア自身でなければならない。
「・・・み・・・あ」
小雪がうわごとのように呟くのが聞こえる。
「小雪・・どうしたの、小雪?!」
その弱々しい声音に胸が締め付けられる。
どうにかしなければ、と思えば思うほどに思考が悪い方向に進んでいく。
最悪の事態が脳裏をかすめては、消えていく。
「あ・・・たす・・け・・て、れ・・み・・・りあ」
その声に、助けを求める小雪の声に心がやるせない怒りで染まる。
こんなにも小雪が苦しそうにしなければならない理由ってなに。
こんなにも優しい子がなんで苦しまなければならないの。
呪ってやる、神が小雪に与えたこの運命を・・・あっ!
それは、待ちに待った救いの手の様にレミリアに希望の光を差し伸べた。
「そうよ、私の能力を使えばっ」
大馬鹿だ、何も人間たちにあわせなくても、それ以上に強大な能力がレミリアにはあった。
神の如きその能力が、レミリアにはある。
小雪の運命を変更すれば、小雪を助ける事ができるっ。
「・・・ん?あれ?レミリア?」
小雪が目を覚ましてキョロキョロと辺りを見回す。
きっと自分の部屋で寝ていることやレミリアが傍に立っていることに驚いているのだろう。
そんな小雪に優しく声をかける。
「大変だったのよ?小雪、急に倒れちゃうんだから。」
「あ、そっか。ごめんね。」
ぺこっと頭を下げた小雪は、いつも通り生気に溢れた明るい声だった。
小雪にわからないようにひっそりと息をつく。
「そうね、体調が悪いなら早く言って頂戴。こんな思いは二度とごめんだわ。」
「うん、そうだね。そうする。」
こくっと頷いた小雪の頭をレミリアは撫でた。
「くすぐったいよ。」
ちょっと照れたように笑う小雪の顔をレミリアは暫く眺めた。
大切な可愛らしい小雪。
「レミリア?」
「なんでもないわ。私、少し寝るから。」
すっと、名残惜しげにレミリアは手を離した。
「え?そうなの?」
「あなた5時間近く寝込んでたのよ?そろそろ私は眠る時間だわ。」
そう言って、レミリアは少しあくびをして踵を返した。
扉の前まで歩いてから、レミリアは振り返った。
今からとても大事な事を小雪に伝えなければならない、思いを気取られないように慎重に伝えなければならない。
「小雪。」
「なぁに?」
「明日から暫く休みなさい。食事とかは私が作るわ。それから、朝起きて夜寝なさい。まずは体調を戻す事。これ命令よ?」
「えー」
あからさまに不満そうに口を尖らせる小雪に笑いかけて、
「いいから、まずは体調を戻しなさい。今度倒れたら許さないんだからね?」
そう真摯な思いをこめた言葉を伝えた。
「うん、わかった・・・。」
不満そうではあったけど、小雪はうなずく。
「じゃあ、おやすみなさい。」
ちゃんと伝わったことが嬉しくて、優しい笑顔を浮かべて言う事ができた。
「うん、おやすみ。あ、レミリア」
扉をあけたところで小雪が呼び止めた。振り返ると満面の笑顔がベッドの上に咲いていた。
「ありがと。」
「何?感謝されても何も出ないわよ。」
ぷいっと小雪から目を背けた。
その笑顔は、あまりにも眩しすぎて真っ直ぐ見つめる事ができない。
「それでも、ありがと。」
「話はそれだけ?じゃあ、おやすみなさい。」
「うん。」
急いで会話を切って扉の外に逃げた。
途端に、今まで抑えてきた何かが胸の奥から溢れてレミリアを一杯にして、レミリアに収まりきらなかったものが涙となって頬を伝った。あのまま会話していたら、何時間もかけて作った笑顔が崩れ去って今みたいに泣き喚いていたかもしれない。
ずるずると扉に縋るようにして力なく座り込む。
「なんでよぅ・・・」
嗚咽にまみれて、呪詛が漏れる。
それは誰に対してか、きっと生きとし生けるもの全てへの呪詛だろう。
呪わずには居られない、ただ誰かが生きて、
「なんで小雪が助かる運命がひとつもないのよ・・・」
小雪が死んでしまう事を。
今日も運命放送局は絶好調。
皆聞いてる?
いやいや、聞きたくなくても聞かせるよ。
「今の生活を続ければ3日後に小雪死亡。人間の生活サイクルに戻せば7日後に小雪死亡。消化の良いモノを食べさせ生活リズムを整えれば10日後に小雪死亡。・・・」
今日も運命放送局は絶好調。大ブーイングの中、強制オンエア。
望まぬ切符を握らせて、未来の彼方へ蹴っ飛ばす。
レミリアは、必死だった。運命に抗うように、手を尽くした。
朝起き夜寝る今までと真逆の生活スタイルを苦とせず、人間の身体にやさしい食事を作り、小雪の部屋の清潔さを保ち、小雪のために薬を村から少し手荒な方法で分けてもらったりした。
だけどその度に、運命放送局が伝える小雪の死亡予定時刻が多少増減するだけであることに絶望した。
一度傾いた天秤は、もう戻らないように、小雪の体調も徐々に確実に悪くなっていく。
まるでひっくり返された砂時計のよう。
残りの時間があらかじめ定められていて、落ちた時の砂は取り戻せない、そんな砂時計のよう。
あの小雪が倒れた夜から毎夜、小雪はうなされるようになった。
苦痛にのたうちまわり、眠ったと思えば、苦痛に再度たたき起こされる。
なんで?どうして?私だけ。
苦痛に苛まされるたび、小雪の口から神を、まだ見ぬ生きる人々を、そうしてレミリアを呪う言葉が激痛に漏れる喘ぎに混ざって繰り返し繰り返し漏れる。
1秒でも多く小雪と一緒にいたかったけれど、見ないでと泣き笑いの表情で呟かれてから夜は小雪の部屋に近づかない事にした。
自室のベッドで毛布にくるまりながらレミリアは、くるりと寝返りを打つ。
明日も朝起きて食事を作らなければならないのに、いっこうに眠気は訪れてくれなかった。
それは今宵も隣の部屋から小雪のむせび泣いているのが聞こえてくるからだ。
こんな時だけは、自分の耳のよさが恨めしい。
「小雪・・・苦しそう・・・。」
小雪が苦しんでいる。
そう思うと、胸が苦しくて仕方が無かった。
小雪が誰かを呪う姿を見ていたくなかった。恨み呪う言葉を吐き、その言葉に自身で驚き傷ついていく様はひどく痛々しい。
そんな苦しさを胸に抱いていた時、すっとその考えは舞い込んできた。
心の弱さにつけこむように、甘い誘惑の声音でそれは囁く。
あんなにも苦しんでいるなら、いっそ・・・
キィィィ、微かな軋みをあげて扉が開く。
小雪は、ベッドで丸くなって震えていた。きっと苦痛に耐えているのだろう。
嗚咽が断続的に漏れては空間に満ちていく。
嗚咽に含まれるあまりの悲しみに息をすることが出来ない、だからこの部屋は嗚咽の海だとレミリアは思う。
一歩一歩嗚咽をかきわけるようにして小雪に近づく。
小雪のベッドまでの短い距離、だけど今は千里を旅するように長く苦しい。
ベッドまであと数歩と言う所で、一足飛びにベッドに飛び乗る。
小雪の上に覆い被さって、決心が揺るがないように勢いをつけて毛布をはぎとった。
明り窓から差し込む月光が、驚きに目を見開く小雪を白く照らす。
そういえば、こうやって殺そうとした事が以前にもあったことをレミリアは思い出した。
あの雪の夜、小雪と出会った小さな雪の夜。
「あ・・・、れ・・み・・・りあ?」
息も絶え絶えに、小雪がレミリアのことを呼ぶ。
それに無言で応え腕を高く上げ指をそろえる。そうして小雪の喉元にその鋭い爪の狙いを定めた。
苦しまず、一瞬で。失敗は許されない。
「小雪、今楽にしてあげる。」
ぼそっと呟いた言葉は、恐ろしく冷たかった。
死刑宣告を受けた小雪の顔は、たくさんの表情を一度に浮かべようとして結局どれも浮かべきれなかったみたいに中途半端だった。
驚き、苦痛、悲しみ、諦め、恐れ・・・。ただその瞳だけは、じっとレミリアを見つめている。
レミリアは、こんなにも大切な小雪でも、殺すことにひどく興奮している己を浅ましいと思った。
それとも大切だから、大切な小雪だからこんなにも気持ちが昂ぶるのだろうか?
どちらでもいいと思った。どう思っても殺すことに違いはない。
振り下ろす手刀は、もはや小雪には見えないに違いない。神速、気付かぬ間に殺してあげる。
「・・やだよ」
ぽつりと漏れた小雪の言葉に、あと数ミリで小雪の喉に到達しようとしていた爪がピタッと止まった。
小雪のつぶやいた言葉をレミリアは意外に思った、あの出会った夜の情景を重ねていたからか小雪ならきっとあの時と同じように笑って死を受け入れるだろうと漠然と思っていたのに。
「いやだよ・・・死にたくないよ。」
ぽろぽろと、綺麗だと思ったその瞳から雫が零れ落ちる。
拒絶の言葉がゆっくりとレミリアの胸に広がっていく。
小雪が、生きたがっている。そんな当たり前の事実が心の扉を強く叩いた。
どうして?
なんで、そんなにも苦しい思いをして生きたいの?
見下ろした小雪の顔は、泣き顔でぐちゃぐちゃだった。
心に思い浮べていた雪の夜の笑顔、「妖怪さんの思いつく一番やさしい方法で殺してね?」と諦めの笑顔を浮かべた小雪が、その泣き顔に滲んで消えていく。
死を受け入れていた出会った夜の小雪と、死を拒絶する今の小雪。
一体何が彼女を変えてしまったんだろう?
レミリアの胸の内に泡のように浮かんだ疑問は、
「レミリアと一緒にいたいよっ・・・。」
小雪の唇から漏れた呟きに答えを手に入れた。
その言葉は破壊力がありすぎて、レミリアの感情がこなごなになって散ってしまうには十分すぎた。
今までの張り詰めた思いも、苦しみも、何もかもバラバラになって修復不可能なくらい。
そうして、ぽっかり空いた胸の内を溢れんばかりの悲しさと無力感が満ちていく。
「・・・っ!」
涙があふれて、小雪の頬に落ちる雨になる。
綺麗な頬にレミリアの涙と小雪の涙がまざって川のようだった。
「どうしてっ・・・どうして小雪が」
死ななければならないのっ。
言葉にならない叫びが胸の内を暴れまわる。
ただ、胸の中がいっぱいでどうしようもなくなって、小雪に抱きついてどうしてと繰り返し繰り返し呟いた。
すがりついて泣くレミリアに、小雪は泣きながら何度も謝った。ごめんなさい、と。
それは何に対してだろう。
レミリアの苦しみに?それとも生きたいと願う心に?
いずれにしても小雪が謝るようなことは何もないとレミリアは思った。
一頻り泣いたあと、2人でベッドの端に腰掛けた。
少し気だるそうに、小雪はレミリアの肩に顔を預ける。
月とレミリアだけがその穏やかな顔を見つめていた。
音の無い時間が2人の間に降り積もっていく、深々と。深々と。
だけど、レミリアにはそれが苦痛ではなく、ただひたすらに愛しかった。
どうかこの時間が永遠に続きますようにと、願わずにはいられないほどに。
「私、死ぬの?」
ぼんやりと、今も苦しいだろうに安らかな笑顔を浮かべて小雪が呟いた。
「そんなことないわ。」
嘘。それは嘘。運命は小雪に残り十数日しか生きる切符を与えてくれない。
「うそつき。」
クスクスと笑うその声は耳に心地よくて、泣きそうになる。
「嘘じゃないわ。」
「嘘だよ。だってレミリア嘘つく時、いつも私の目をみないもん。」
その言葉に、はっと小雪の目を見つめる。
確かに目を逸らしていた事実にレミリアは今はじめて気付いた。
小雪の瞳は、「ほら?言ったでしょう?」と言わんばかりに優しくて少しいたずらに笑う色を浮かべていた。
「そうかしら?」
少しだけとぼけて返す、小雪は自信たっぷりに「そうだよ。」と笑った。
嬉しくて、小雪がそんな事まで見ていてくれることが嬉しくて、2人で少し笑った。
だけど、現実があまりに悲しくて、顔が上手く笑顔になってくれない。
つー、と一筋また涙が頬を伝った。
小雪が少し驚いて、すぐに優しい笑顔に変わった。
「あー、死にたくないなぁ。」
ぽふっと、ベッドに倒れこみながら小雪が呟いた。
伸びをする小雪の顔に悲しみの色は無い。
だからそれは、誰かを羨む呪詛ではなく、純粋な願いだった。
生きていたいと、たったそれだけの願い。
誰かにとっては当たり前すぎて、小雪にとってはどんなことよりも難しい。
「レミリアと一緒にしてないこと、まだいっぱいある。チェスでも勝ってないし。」
言葉を紡ぐ小雪の声は楽しそうで、
「あら、小雪じゃ私には絶対勝てないわよ?」
だからレミリアも軽い調子で応える。いつものように。
「あ、ひどい。」
頬を膨らませて拗ねる小雪に、優しい気持ちと切ない気持ちが胸一杯に広がっていく。
ただ思う、ずっと一緒にいたい。それが叶わないと知っているけれど、そう願わずにはいられない。
「してないことかぁ・・・」
真剣そうな表情で小雪が天井を見ながら呟く。
月の光を受けて揺るがないその瞳は、いつか見たそれよりも一層輝いて美しいとレミリアは思った。
その翌朝から、小雪は目に見えて変った。
「あれ?」
カランと小雪の手からスプーンが落ちる。もう、小雪は満足に何かをつかむ事が出来ない。
「もう、しょうがないわね。ほら、私が食べさせてあげるわ。」
スプーンを震える手で拾い、粥をすくう。
「はい、あーん。」
「やだ、レミリア。恥ずかしいよ。」
「あーん。」
「あ・・・あーん。」
少し照れながら、小雪がおずおずと口をあける。
「おいしい?」
「うん。」
はじけるようなこの笑みを一生覚えておこうと誓った。
ただ、日々の全てを、
「とりゃっ。」
小雪が手で雪をすくって、レミリアに向ける。粉雪は小さな礫となって、レミリアの元へ降り注いだ。
「きゃっ。ちゃんと雪玉を投げなさいよ、小雪!」
レミリアが作った雪玉が雪に埋もれている。さっきから小雪は1個も手にとっていない。
「だって、レミリア全部避けちゃいそうだもの、これくらいありだよね?」
「なら、私だって。」
小雪と同じように雪をすくって、そのまま小雪に投げる。
きっと、もう雪玉なんて持つことは出来ないのだろう。それがひどく悲しい。
「わぷっ。つめたーい。」
雪まみれの格好を2人で笑った。
この楽しそうな、そうして嬉しそうな仕草を一生覚えておこうと誓った。
やりのこしたことを埋めるために使いつづけた。
誰も寄り付かない高い山の頂き。2人の白い吐息が冷たい空気に溶けて消えていく。
「見て!流れ星!」
小雪が指差す先に、一筋の光が流れている。
「願い事しなきゃ。えーと・・」
手を組んで目をつぶり何かを必死で祈る小雪。
「・・・・」
レミリアは思った。
ただ願う、小雪が生きてくれる事を。
この輝かしい日々が続いてくれる事を、切実に願った。
「レミリアは、何をお願いしたの?」
祈り終えたのか、こちらを向いて小雪が問うた。
「勿論、小雪が長生きできますようにって。」
「あは、ありがとう。」
はにかむ笑顔が眩しい。この笑顔が、どうか絶えませんように。
「私はね、レミリアの幸せを願ったんだ。」
そう言って小雪は、笑った。
この優しい声を一生覚えておこうと誓った。
それは魔法のように綺麗な日常。幸せすぎて大切すぎて全て夢であるかのよう。
ただ小雪の命と言うチップを代価に、その魔法はまわりつづける。
「2人一緒のベッドで寝るのって、なんだかワクワクしない?」
クスッと楽しそうに笑う小雪の笑顔が、暗闇の中とても近くにあった。
「そうね。」
レミリアは、笑った。ねぇ小雪。ちゃんと私は笑えているかしら?
「ふふ、じゃあおやすみなさい。また明日ね。」
明日、本当に明日はあるの?削られていく命、無理をすればするほど小雪の時間は目減りしていく。
それでも、
「また明日。」
そう答える。
願うように、祈るように。
不安に揺れる心を塗りつぶし瞳を閉じて、隣に眠る小雪の温もりを一生覚えておこうと誓った。
止めようと何度も思った。こんな緩慢な自殺行為。
でも、小雪の決意を見て、揺るがない瞳を見て、ただ最後まで、小雪が選んだ道に付き合おうとそう思った。
そうして、2人で一緒に歩いた全ての時間を、小雪のことを一生覚えておこうと誓った。
だから、「その日」が特別なのではなくて、「その日」も特別な日々の1ページに過ぎない。
そう、「その日」は、静かな朝から始まった。
耳が痛いくらいの静寂に包まれた終わりの始まり。
ここ数日降り続いた雪も、ついに打ち止めなのか今日は朝から快晴だった。
見ることは叶わないけど、きっと外は一面銀世界だろう。
「~~~♪」
レミリアは、鼻歌を歌いながら朝食を作っていた。
朝起きて夜寝る吸血鬼。なにそれ、滑稽すぎて笑うのすら躊躇われる。
それでも、レミリアはそれでいいと思った。自分はこのままでいいと。
「出来た。さぁ小雪のところに行かないとね。」
独白をもらして、食器を手に持つ。
1秒でも多く小雪と一緒にいたい、その思いが知らず歩調を狭める。
最近、運命を見るのをやめた。見ないと言うよりも無視していると言う方が正しい。
ただ、今だけは小雪と一緒に心の底から楽しもうと思っていた。
そのためには、小雪の死亡予定時刻を綿密に報告する運命放送局は邪魔でしかない。
「小雪?入るわよ。」
両手が塞がっていたのでノックせずに足で扉をあけた。はしたない?それも別に気にならなかった。
小雪はベッドに半身だけ起し、明り窓から漏れる光をじっと眺めていた。
光に濡れるその顔は、犯しがたい絶対的な神聖を具現したかのように、優しい笑顔に彩られていた。
聖母とは、彼女のことを指すのかも知れないと、不意にレミリアは思った。
「・・・小雪?」
どこか声をかけるのが躊躇われた。今の小雪は、遠い遠いところにいる気がして心臓が締め付けられる。
ふっと、小雪がこちらを向く。そこには先ほどの神聖とかそんな何かはカケラもうかがえなくて、何時もの小雪の笑顔があった。
「あ、レミリア。」
「どうしたの?ぼーっとして。」
言い知れぬ不安が、胸の内を渦巻いている。それをごまかすようにわざと軽い調子で声をかけた。
「ううん、なんでもないの。」
小雪は、そう笑って、
「ねぇレミリア。今日はね、夜にちょっとお散歩しよっか?」
なんでもないように、そう続けた。
「そうね、小雪はどこか行きたいところがあるかしら?そういえば、東の方にとても大きな木があるって聞いたことあるわ。そこに行ってみる?」
軽い調子で続ける。
そう、今日も素晴らしい一日で、それで「また明日」で終わるはず。
そうだ、そうに違いない。
「うーん、その木も魅力的なんだけど、今日はあの湖の辺に行かない?」
小雪の言葉に、びくっと肩が何故か震えた。
「そう?でもここからだと結構遠いわよ?もっと近くのほうが・・・」
震えを押し殺して、否定的な解答を返す。
ダメだ、今日はそこには行ってはいけない気がする。
「でも行きたいんだ。ダメ?」
強い意志が篭もった瞳を向けられる。
「ダメじゃないけど・・・・。」
その意思に当てられて、目をそらした。
どうしたんだろう、今日の小雪はいつになく強行だ。
まるで・・・
「じゃあ決まりだね。楽しみ。」
楽しそうに笑う小雪の顔を見て、大丈夫と胸の内に言い聞かせた。
そうだ、ただあそこで遊びたいだけだろう。
そう、きっと大丈夫。
何が大丈夫で、何が大丈夫じゃないのか、薄っすらとわかっていた。
でも、その解答を頑なに拒んだ。
「わー見て、懐かしいね!」
夜の帳が降りるころ、レミリアと小雪は、初めて出会った湖の辺にやって来た。
そこは、生物すら寄り付かないのだろう。足跡一つ無い銀の絨毯が広がっていた。
「懐かしいって、1週間前にも雪合戦しにここに来たじゃない。」
そうなんでもないことを強調するようにレミリアは眼下から見上げる小雪に言った。
レミリアは、小雪を抱えてここまで飛んできていた。もう小雪は1人で歩くことすら満足に出来なかったから。
「うん、そうだったね。ね、降ろして?」
そっと、雪の絨毯に小雪を横たえる。
「あは、冷たい・・・。」
そう呟いて、嬉しそうにクスクスと笑い出した。
「何がおかしいの?」
レミリアの問いに、小雪はとうとう声をあげて笑った。
疑問符を頭に浮かべるレミリアに、ごめんごめんと涙混じりに小雪は謝った。
「私たち、こんな風にして出会ったって思い出して。」
その言葉に、そっと胸にしまいこんでいた夜の情景が浮かび上がる。
確かにまるで焼きなおしたように一緒だった。
銀世界に佇むレミリアと横たわる小雪を夜の静寂だけが包んでいる。
足りないのは、
「あ、雪だ。」
小雪が天に向かってぽつりと呟く。
偶然にしては出来すぎている、足りないものが自分から舞い降りてきた。
あの時と同じように、粉雪が舞い落ちては消えていく。
小さな雪の夜。たった2人だけの小さな夜。
しばらく、2人で夜の空を無言で見つめた。
「私、雪になりたいな。」
ぽつりと小さな波紋のように小雪の声が静寂に満ちる。
それは、最初に聞いた言葉だった。
2人の始まりを謳う言葉。
その言葉は数々のイメージを呼び起こす、でも一様に不吉で、小雪の死を連想させた。
「ダメよ。そんなの許さないんだから。」
あの時の情景と重なるのが怖くて、あわてて小雪の頭を雪の中から自身の膝の上に移す。
そんなレミリアの突然の行動に、一瞬驚いてから嬉しそうに頭を預け小雪は目を閉じた。
助けたい、こうして雪から救ってやれるように。小雪の生を助けてあげたい。
「私ね、あの時は死にたかった。」
「そう・・・。」
「本当に死にたくて、この世から消えたくて、でも自分を殺すのは怖くて出来なかった。だから、レミリアが来た時ね、少し嬉しかった。怖かったけど、でも死ぬ事が出来るって。」
小雪が胸の内を懐かしむように吐露していく、まるでそうしなければならないように。静静と伝えられる想い。
「でもレミリアたら、おかしくって、変なの。こんな私を拾っちゃうんだもの。」
クスッと嬉しそうに心底嬉しそうに笑った。
捨てられたばっかりで、拾うという対極の意思が存在する事がまるで奇跡であったと言うように。
きっと小雪の中では偽りの無い奇跡なのだ。
レミリアという存在が、そうして2人で歩いてきたこの1月にも満たない僅かばかりの時間が。
「馬鹿ね。妖怪は変だから妖怪なのよ?」
声の震えが止まらない、彼女の言葉に心が満ちていくのに、その裏で心がひび割れていくのを感じる。
今にも泣き出してしまいそうだった。
「そうなんだ。でもレミリアはとびっきり変で優しいね。」
そう白い吐息と共に想いをつげる小雪の笑顔こそが最も優しいとレミリアは思った。
小雪の笑顔が好きだった、小雪の仕草も、小雪の声も、なにもかも。
簡単な答え、そう、
「当たり前じゃない、私、小雪のこと気に入っているもの。」
ただ小雪が愛しいから、その声は自然に胸の内から小雪へと涙と共に零れ落ちた。
零れ落ちた言葉に小雪は目を開けて、すぐ細めた。
「嬉しいな。私もレミリアのこと好きだよ。」
小雪はレミリアの想いを受け止めて、呟いた。
そうして私たち友達だね、と嬉しそうに笑った。
涙が溢れて、もう頷く事しか出来なかったけど、そうねと何度も頷いた。
妖怪と人間が友達。なんておかしい。なんて素晴らしい。
純白の殺し屋が空から絶えることなく2人に降り注ぐ。
あの日、殺しそこねた愛しい標的をレミリアの元から奪い去っていくために。
それが悔しくて、膝の上にのせた小雪の笑顔だけは守りたくて、レミリアの背に殺し屋が降り積もっていく。
邪魔をするなと、その冷たさが胸に痛い。
「・・・・ねぇ、レミリア。」
ふぅと小雪の口から吐息にも似た声が漏れる。
今までの元気そうな小雪、その張り詰めていた何かが一緒に漏れ出したようなそんな声。
白い息、まるで小雪の命そのものであるように弱く薄くなって消えていく。
「私、もう死んじゃうわけだけれど・・・」
その言葉に、見ないようにしていたソレが眼前に立ちはだかった。小雪の死。小雪が傍から居なくなってしまうこと。
「いや・・・いやよ・・・」
自分でも子供っぽいと感じる拒絶の意思が口をついて出る。駄々をこねる子供のように涙を流して懇願する。どうか行かないで、と。
レミリアを、そうしてその上から降り積もる世界をぼんやりと眺めながら小雪は、信じられないほど穏やかな顔をしていた。
もう死の足音が聞こえてきているのに恐れも諦めも無い穏やかな笑顔。
「私、雪になるから。そしたらね、」
小雪の呼吸が弱まっていく。
それはまるでゼンマイ仕掛けの人形が動きを止めるように、ゆっくりとゆっくりと眠りに誘うように、死へと向かって歩んでいく。
「いや、いやよ!小雪、私を独りにしないで!」
独り、独りはいやだ。小雪がいない世界なんて考えられない。
「あは、大丈夫。私、雪になってね、毎年この季節にレミリアに一番に会いに来るよ。ね?」
だから大丈夫、独りじゃないよと、その優しい言葉が胸に染み渡る。
「いやよ、だって春も夏も秋も会いたいわ。」
わがままだって分かっている、それでもこの気持ちは真実レミリアの本心だった。
一緒にいたい、ずっと永遠に。
小雪は少しだけ悲しそうに首を少し左右に揺らし、
「だめだよ。だって私、今からとても遠いところに行くんだもの。冬以外の季節はそこからこっちにやってくるのに使い切っちゃうよ・・・。」
白い息が漏れては消えていく。小雪の生命が零れ落ちていく。
「いや・・・いや、ずっとこっちに居て。小雪ぃ・・。」
小雪は困ったと言う顔でレミリアを見上げて、
「あは・・・そうできればいいんだけどね・・・。」
ふぅと弱々しく息を漏らした。
「ねぇ・・・レミリア。」
声がもう聞き取る事すら難しい。
かすれて吐息と何ら変わることがない。
だけどその優しい響きだけは何一つ喪われていないとレミリアは思った。
「なに?」
「私レミリアのこと忘れないから・・・。」
その言葉に胸が熱くなる。
「えぇ、私も小雪のこと絶対忘れないから!」
叫んだ。
この思いが小雪に伝わるように。
小雪のことをどれだけ思っているか、どれほど今思っているのかが伝わるように。
強く叫んだ。
「じゃあ、きっと大丈夫。今はちょっと離れ離れになっちゃうけど、きっとまた会えるよ。」
そう言って目を細める小雪は、今までで一番優しい顔をしていた。
安心したというように。再会を確信したように。
「ほんとに?」
「本当に。」
不安になって尋ねるレミリアに小雪は即答した。
そう、大丈夫だよって。
「嘘じゃない?」
「うん、じゃあ約束。」
すっと手を、小雪は震える手を精一杯持ち上げて小指をたてる。
おずおずとレミリアは自身の小指をそれに絡めた。
「ふぅ・・・」
小雪が息を吐き出す、弱々しいのにあまりにも強い思いがつまった息。
レミリアは、この儀式がその吐息に清められて神聖で崇高な輝きを帯びていくのを感じる。
神と人の原初の約束に劣らず、この誓いは2人の間で尊いものになる予感がした。
「ゆびきりげんまん・・・」
小さな殺し屋たちが見つめるなか誓いの言葉が紡がれていく、息も絶え絶えに。
彼らを証人にゆっくりと静かに紡がれていく。
「うそついたら」
一生懸命に、時折咳き込みながら言葉を、約束を紡ぐ小雪が、とても愛しい。
「はりせんぼんのーます」
喪いたくないと思うのに、こうして喪われていくからこそ小雪は今、月光を浴びてきらめく白銀の殺し屋よりも、それを送り込む空の星々たちよりも、今この世界に在るなによりもなお一層きらめくように輝いて美しい。
「「ゆびきった!」」
パッと離れる、指。
小雪は、少し名残惜しそうにしてから、そっとレミリアを見上げた。
「約束。来年の冬に絶対会いに来るから。それまで待ってて?」
それは子供っぽい約束、無理だって、わかってる。
雪になるなんて人間にはそんな能力無いのだし。でも、
「待ってるから。約束破ったらホントに殴っちゃうわよ?しかも本気で。」
自然と口からその言葉は飛び出た。信じたいと思った、この美しすぎる約束を。
「怖いなぁ・・・。」
クスクスと笑いあった。
どうしてだろう、さっきまで小雪を失う事をあんなに恐れていたのに。
穏やかな想いが心にこんなにも満ちている。
ふぅと小雪が満足そうな息を漏らす。
その吐息に、お別れの時間がやってきたんだって、レミリアは思った。
「すっごく幸せ。どうしよう今、幸せすぎて困っちゃうよ・・・。」
小雪の唇が嬉しそうに言葉を紡ぐ。
白銀の殺し屋は、レミリアを、そうして小雪を埋めて真新しい輝く布団のようだった。
おやすみを言うように、やさしく2人を包み込む世界で最も綺麗な天上の布団。
その布団の中でゆっくりと小雪が目を閉じていく。
「また来年。」
優しい声がレミリアの唇から漏れた。
小雪の時間が終わろうとしているのに、すっと自然に出た再会の約束。
「うん、また来年。」
小雪は、嬉しそうに笑って、最期の呼気と共に約束を口にした。
「お嬢様。」
咲夜の声に、意識が現実に戻る。随分と懐かしい思い出に浸っていた。
窓の外は相変わらず雪模様。
「何かしら?咲夜。」
完璧で瀟洒なメイドに声をかける。
「お客様です。チルノと大妖精ですが。」
やはり、今日は良い事があるようだった。
「そう?じゃあ今から出向きましょう。」
「エントランスまでですか?」
少し意外そうに咲夜が問う。
確かに、誰であってもエントランスまで私自身が迎えに出ることはそうそう無い。
だけど、今日の人物は特別なのだ。
「そうよ?」
「わかりました。では、こちらをお召しになってください。」
すっと差し出される紅いセーター。
「あら?ありがとう。」
「ほんとは来たかったんだけど、大妖精がどーしても来たいって言ったから来てやったわよ!」
エントランスに出てみれば、⑨がこちらを指差しよくわからないことを叫んだ。
「チルノちゃん、文章の前後が同じ意味だよ・・・。あと、私別に来たいなんて言ってな・・」
大妖精が、チルノの隣でオロオロとつっこみを入れる。
「なっ、大妖精!あたいを裏切る気!?さっきあたいの言葉は全部本当だよって言うよって約束したじゃん!」
「え・・・チルノちゃん、あれってこのためだったの?ひどいよぅ・・。」
涙目の大妖精に見つめられては流石のチルノも敵わないのか、
「ご・・ごめん。」
目を逸らしながら素直に謝っていた。
「ううん、いいよ。もう気にしてないよ。」
大妖精がにっこり笑って瞬く間に仲直り。
なんだか熟年の漫才コンビのようだ、天然なのが恐ろしいところだけど。
「いらっしゃい。相変わらず仲が良いわね。咲夜、2人を食堂に通しなさい、昨日作ったクッキーがあるでしょう?」
「え!?うっそ、クッキーあるの!?」
チルノが音速で釣れる。
大妖精の方を見てみると、頬が緩んでいた。こっちもか。
じーっと見られていることに気付いたのか、大妖精はなんでもないような顔を取り繕った。
「たくさんあるから、何枚でも食べていいわよ?」
少し意地悪したくなって切り札を切ってみる。
「え、ほんと!?ラッキー、大妖精もそう思うよね!?」
⑨が飛び跳ねんばかりに、と言うか飛び跳ねてはしゃいでいる。
「ち、チルノちゃん、遠慮の心は大事だよ?」
しかし、大妖精の取り繕った顔は嬉しさいっぱいでもはや破綻寸前。我慢しなくてもいいのに。
「お嬢様。」
咲夜がなんとも嫌な予感に慄く顔で伺いを立てる。
「何かしら?」
言いたい事はよくわかったけどあえて尋ね返した。
「あの、昨日のクッキーを大量に作りなさいと言うご命令は・・・。」
馬鹿ね、そんな事あなたなら言わなくてもわかっているでしょうに。
「そうよ、このため。」
物凄い勢いで落ち込む咲夜。
咲夜の周りだけどんより暗くなる、プライベートスクェアかしら?
「・・・⑨のために私は・・・私は・・・あの極上のクッキーを・・・あんなにうきうきと・・・てっきりお嬢様がお食べになるのかと・・ふふ・・・それで美味しいって・・うふふ・・」
「え・・あの、よくわかりませんけどごめんなさい。」
大妖精がオロオロと咲夜に謝っている。まぁ傷を深めるだけでしょうけど。
「ほら、咲夜早く行きなさい。チルノが先に行っちゃったわよ。」
既にチルノはどこかに消えていた。待ちきれなかったらしい。
でも、チルノって食堂の場所知ってたかしら?迷子になっていなければいいのだけど。
どんよりと暗い世界に浸りながら大妖精を引きずって、いや逆に引きずられるようにしてふらふらと咲夜はチルノを探しに廊下へ消えた。
そうしてエントランスには、私独りだけが残された。
あたりは先ほどまでの喧騒と打って変わって静寂の幕が下りる。
小雪と出会う前は、当たり前だった風景を眺めながら私の周りも騒がしくなったとしみじみと感じた。
パチェや咲夜、そうして今年の夏には変な人間が2人やって来た。
本当にこんなに煩くて賑やかになるなんて、あのころは信じられなかったに違いない。
そうしてこの騒がしい世界を、悪くないとレミリアは思っていた。
ヒュウと、夜風が扉を開け放つ。
扉の向こう、暗い闇の中から寒気がなだれ込み、粉雪が舞い込む。
寒気は、これから訪れる貴婦人のための絨毯。
粉雪は、貴婦人を守護するナイトであり、先を歩く召使い。
そうして小さな純白のナイトたちにエスコートされて1人の女性がエントランスに静かに舞い降りた。
貴婦人を先導する役目を終えた小さな雪たちは、ひらひらと私と彼女の周りを舞い踊る。
まるで祝福するように、歓喜と共に舞い踊る。
相対する2人。
出会いは遥か昔、小さな雪の夜。
独りっきりだった静寂のエントランスに懐かしい空気が満ちていくのを私は感じた。
今も昔も変らず大好きな優しい雰囲気。
すっと彼女の紫色の瞳が私を捉えて微笑む。
「こんばんは。」
薄紫の髪も、その綺麗な紫の瞳も何もかも昔と違うけれど、ただ一つ、その笑みだけは変わらない。
「おかえりなさい。」
レミリアは、そう答える。今年も彼女が帰ってくる季節がやって来た、その嬉しさをこめて。
「ただいま。」
その女性は、ちょっとはにかみながら言い直した。
「遅いわよ?」
「あら、チルノが急いで飛んでいっただけよ。大妖精は、それを追っていっちゃうし~。」
「もう、何時からそんな風にはぐらかすようになったのかしら。」
2人並んで歩く。
思い出の中のいつかのように、今も変らず。
「今年は、疲れちゃったのよ~。夏は暑いし~。」
彼女がぐるぐると肩を回して、気だるそうに呟く。
おばさんっぽい仕草、なんて言ったら怒られるだろうけど綺麗だと思った。
「そうそう、心配になっちゃって霧とか出しちゃったわ。変な紅白と変な白黒に止められちゃったけど。」
「あは、ご愁傷様~。」
「こら、それ本気でいってる?」
「はいはい、ごめんなさい。ありがとね~。」
「もう、しらない!」
他愛ない会話、あまりにも大切な日常がそこにある。
クスクスとどちらともなく笑い声が漏れる。
今宵、小さな夜に暖かな笑いが満ちてゆく。
私達の幸せに彩られた声がいつものように、在りし日のように。
あの日、あの小さな雪の夜、置いてきてしまったモノがあった。
でも、寂しくなんかないのよ?
この季節、雪が降るころ、時の忘れ物は約束通り私の元へ舞い戻ってきてくれるから。
*2:能力やキャラ設定、東方シリーズのシナリオを一部自己流解釈しています。
*3:オリジナルキャラっぽい奴が尚出てきます。
*4:ライトな百合っぽい部分があります。
*5:2~4が気にならない方、読んでも良いよって方、優しいピアノ曲でも聞きながらどうぞ↓
「私、雪になりたいな。それでね・・・」
────────────────────────────────────────
その日も前日の雪のせいで、村は朝日を浴びて一面銀世界だった。
降り積もった雪を子供たちも駆りだされて村総出で屋根から降ろし、道の脇へとのけていく。
大人たちは隣近所と笑いあいながら額に汗を浮かべて雪をかき、子供達は大人たちを手伝うのも忘れてきゃっきゃと楽しそうな笑い声を響かせながら雪にまみれていた。
その楽しそうな風景を、ぼんやりと私だけは窓の外の景色として見つめている。
「いいなぁ・・・。」
呟きには、嫉妬や憧れや諦め、もう数え切れない思いがごちゃまぜになっていて自分でもよくわからなかった。
生まれつき体が弱かった、3日と畑仕事をすれば倒れる病弱な体。
お医者様はこの歳まで生きている事が奇跡だって言う。
昔、そんな奇跡はいらないから、皆と遊ぶ事の出来る奇跡が欲しいと泣いたら父上に拳骨を貰ってさらに泣いた。
「つまんない。」
ごろんと万年床に寝転がる。こう言う時は、寝てしまうに限る。
どこかに行く事も出来ず、こうやって眠るばかりなら、死んでいる事と何が違うのだろう?
私には、違いがわからなかった。
「小雪・・・小雪。起きなさい。」
まどろみに優しい声音が聞こえる。
父上の声だ。
父上は優しい。母上も、それに兄上たちも。
私が畑仕事を手伝えないのを笑って許してくれる。
私が居る事で、生活が苦しいことを知ってるのに、それでも笑ってくれる。
正直、嬉しくて苦しい。
優しくしてくれるから愛されていることを実感できて嬉しい、だけど何も出来ない自分が畜生にも劣る最低の生き物だという現実を突きつけられて苦しい。だって鳥や魚たちはその身をもって父上たちの血となり肉となれるのに、私には父上たちに差し出すことが出来るものが何も無かった。
「小雪・・」
父上の声に、眠気がだんだん薄れ意識が覚醒していくのを感じる。
「ん・・・父上?」
目を開ければ、父上の顔が私をのぞきこんでいた。
窓から差し込んでくる光がお日様が中天にかかっていることを示している。
随分と眠ってしまっていたらしい。
「小雪、具合はどうだ?」
優しい声。
父上は、変な表情だった。
泣きたいのに無理に笑っているような。
泣きたい時は泣きなさいって言ってたのにどうしたんだろう?
「うん、今日は楽だよ。」
そう言ってごそごそと起き上がる。
ここ数日体調を崩して父上と母上、それから兄上たちに心配をかけてしまった。
ちょっと体がだるいけど、きっと大丈夫。
父上を安心させるように、笑顔を浮かべた。
そんな私の頭を父上は、そっと撫でる。
その大きくて暖かい手のひらが私は大好きだった。
「そうか。それじゃあ、俺と少し外に出るか?」
「え!?いいの?」
父上の言葉に未だ頭のどこかにわだかまっていた眠気が一瞬で消し飛ぶ。
まじまじと見つめた父上の顔は、相変わらず変な顔だった。
「小雪も家の中に篭もりきりでは、退屈だろう?なに、お医者様も適度に運動させたほうが良いと仰っていたしな。」
「やったー!ちょっとまってて。すぐ着替える!」
うきうきと小袖を取り出す。外出なんて何日ぶりだろう。
いつも体に障るからと外に出してもらえなかった、今日の朝の雪かきだってそうだったのに。
一体どういう風の吹き回しだろう?だけど、この風は間違いなく私にとって幸せを含んでいた。
兄上のお下がりの小袖にいそいそと腕を通す。
そういえば外出用のこの小袖に腕を通すのは今年に入って初めてだ。
「さ、いこ!」
着替え終わって父上の手をとり早くと急かす。
気持ちはすでに外の世界に思いを馳せていた。
どんなことをして遊ぼう?
思いついては、あれもいい、これもいいと悩んでしまう。
あれこれとしばらく悩んでいたら、父上が私をじっと見ているのに気がついた。触れた手は、少しだけ強張っている。
私はそんな父上が石像かなにかのようでおかしくて、笑いながら問いかけた。
「どうしたの父上?」
それが石化の魔法を解く言葉だったように、父上は少し寂しそうに笑って首を左右に小さく振った。
「・・・なんでもない。さぁ行こうか。」
立ち上がった父上の手は強張ったままだったけど、久しぶりの外出があまりにも嬉しくて、そんな些細な違和感を私は見て見ぬ振りをした。
「それっ。」
ぱしゃっと父上の手から放られた雪の玉が額にあたる。
「きゃっ、もう父上ったら。」
そう言いながら、先ほど作った雪玉を父上に向かって投げる。
「うぉっ。」
見事その雪玉は父上の額にあたり、父上の顔にまだらに白い化粧をほどこした。
「あははは、変な顔ー。」
「小雪だって雪だらけだぞ。」
その父上の憮然とした顔があまりに可笑しくて、自分が父上と一緒で雪まみれなことが嬉しくて、大笑いした。
村の西に広がる深い森を抜けた場所、そこに大きな湖がある。
私は父上に連れられて、この湖の辺にやってきていた。
あたり一面足跡すらない銀世界。ここは、今だけ父上と私だけの秘密の遊び場だった。
はじめて訪れた場所に私は興奮しっぱなしで、雪だるまを作り、かまくらを作り、そうして今は雪合戦と節操なく雪で遊んだ。
合戦と言っても二人だけ、これじゃあ雪一騎打ちなのかな?
雪玉を投げては笑い、雪玉に当たっては笑い、雪玉を作っている父上に雪をかぶせては笑う、ただ今はなにもかもが楽しかった。
しばらくして雪玉が無くなったところで、父上が別の遊びをしようと提案した。
私は、うきうきしていて、じゃあ何して遊ぶ?とその提案に即座に飛びついた。
日が落ちる前までに遊び倒そうと、そう思っていた。
まだ全然遊び足りない、一歩も動けなくなるまで精一杯遊びたい。
「そうだな、じゃあかくれんぼなんてどうだ?」
父上は、少し思案してからそう言った。
声が震えているのは、寒さのせいかな?
そういえば、先ほどから父上は私の投げる雪玉を一つも避けようとはしなかった。
「うん、いいよ!」
「そうか、じゃあ俺が鬼をやるから、小雪は隠れなさい。」
「うん!」
父上は、顔を腕で覆い隠すようにして、震える声で数を数え始める。
いーち、にー、さーん、しー・・・・
隠れる場所を探さなくっちゃ。
キョロキョロとあたりを見回す。そうだ、森の中なら隠れられそうな場所があるかな?
タッタッタと小走りにかけて父上が見えない程度に、森に入る。
森の奥まった方にちょうど私くらいの人間が入れそうな穴が樹の根っこにあるのを見つける。
「あそこにしよう!ふふ、きっと見つけられなくて父上困るぞー。」
クスクスと笑いながら、その穴にいそいそと潜り込む。
困った顔で私を探し回る父上の姿が脳裏に浮かぶ。
この辺りを通ったら、飛び出て父上を驚かしてやろう。
その情景を想像して、またクスクスと笑った。
楽しい、楽しいな。
「あれ?」
一陣の寒風が、背筋をなぞったことで目を覚ました。
ついつい眠ってしまったらしい。
鬱蒼と茂る森は、もう暗闇に閉ざされていた。
「・・・父上?」
暗い闇がそこかしこに広がっている。怖い。
自分の声は闇に吸い込まれて、父上に届かない気がした。
タッタと湖のあたりまで戻る。かくれんぼをしていたことなんて、既にどうでもよくなっていた。
ただ父上に会いたい。
空を見上げれば橙色と黒が半々で染め上げている。此処に来た時、日はまだ高かったからまた随分寝てしまった事になる。
もったいないことをしてしまった。たくさん遊ぼうと思っていたのに、もう帰る頃合だ。
父上はどこだろう?
湖の辺には、私以外誰もいない。
まだ辺りを探してるのかな?
悪い事をしてしまった。
もっと、簡単なところに隠れれば良かったのだ。
怒られてもいい、ただ今は父上に会いたい。
キョロキョロと辺りを見回した。
父上・・・
父上・・・・
父上っ。
声にならない声は、聞き届けられない。
あたりに父上らしき人影はもとより、人影が全く無い。
寂しさが胸に溢れる、なんだかひとりぼっちみたいだった。
父上は、どこまで探しに行ったのだろう?
辺りを再度見回し、そうして背後を見やった時、不意に奇妙な事に気付いた。
「あれ?」
森の中へ消えていく足跡と、そこから駆け足で戻ってきた足跡。
それが雪にしっかりと刻まれている。
勿論、私のつけた足跡だ。
そうだ、湖の近くには私と父上以外誰も居なかった。
だから私を見つけるのなんて、とても簡単。
あんなに得意そうに隠れて馬鹿みたい。
だって、足跡を辿ればそこに私がいるのなんてすぐわかっちゃう。
「え?あれ?」
そう簡単だよ?じゃあどうして父上は、私を見つけてくれなかったんだろう?
答えはとっくに胸の内にあった。だけど、信じられない。信じたくない。
大急ぎで今日の足跡を辿る。
そうそう、ここで雪合戦をしたよね。雪玉を作るために雪が変に抉られてる。
そうそう、ここでかまくらを作ったよね。大きな雪玉をたくさん作って手がしびれちゃった。
そうそう、ここで雪だるまを作ったよね。雪だるまさんの笑顔、手で掘って父上と笑ったもの。
そうそう、このあたりからこの遊び場にやってきたんだよね。湖が綺麗で感動しちゃった。
あれ?どうして・・・森に入っていく足跡が・・・あるんだろう?
だって、森から出てくる足跡はあっても、森に入っちゃったら家に帰っちゃうよ。
「あ・・・」
私、まだここにいるよ?
「いや・・・いやだよ・・・」
忍び寄る事実を否定するようにふるふると首を力なく振りながら呟く。
帰ったなんて嘘だよね?
木陰に隠れて私をおどかそうとしてるだけだよね?
「どこにいるの・・・父上?・・・いやだよ、かくれんぼ・・・もうお終いにしよ、父上?・・・・・ねぇ、父上?」
森の闇に投げかけたかすれた声に望む声は返ってこない。優しいあの声はどこからも聞こえない。
それが見ないようにしていた現実を目の前にさらけだす。
心が切り裂かれたみたいに痛くて、バラバラになってしまいそう。
「いや・・・・父上ぇ・・・・・いやあああああああ!」
湖に映る顔は、酷い顔だった。
目は真っ赤で、一目で大泣きしたことがわかる。
そういえば、雪うさぎだけは作っていなかった。
今から作ろうか?独りで。
独り、独りになってしまった。
「あは、捨てられちゃったよ。私。」
誰にともなく呟いたその声が酷く心に痛かった。
父上の足跡を辿れば村に戻れる。何度そうしようとしたか、わからない。
でも、自分が鬼だと腕で顔を隠した父上が、ほんとは泣いていた事を、私はもう気付いていた。
だから差し出すものは無くても、ただ居なくなる事で父上や母上、兄上たちの為になるのなら、それは受け入れるべき事だってそう何度も思い直した。私はいらない子なのではなく、居なくなる事で彼らの為になるんだと必死で思い直した。
だって、そうじゃないと辛すぎる、心が壊れそうになる。
ぽつと、うなじに冷たいものが触れる。
「あ、雪・・・」
空を見上げれば小さな雪がはらりはらりと舞い降りていた。
雪を掴んだら手の暖かさに雪は溶けて消えた。
「私も雪になりたいなぁ・・・・。」
ぼんやりと呟いて、仰向けに地面に倒れる。
雪の絨毯は冷たくて、あんなに泣いたのにまた泣いてしまいそうだった。
雪は空から際限なく降ってくる、明日もきっと村の皆は雪かきだろう。
脳裏に朝方の眩しいばかりの笑顔たちが蘇る。羨ましいと思った。
羨ましい、それは手に入らなかったものだから。
ぽろぽろと涙が頬を伝い、地面に敷かれた絨毯を溶かす。
胸が苦しくて、張り裂けそうできゅっと服の胸元を手で掴んだ。
こんな気持ちを抱くのなら、いっそ溶けて消える小さな雪のように私も雪になって消えてしまいたい。
「東方冬幻郷 ~Snowful Days~」
「ねぇ、小雪・・・?小雪!!?」
苦しそうに喘ぐ小雪。呼吸が浅く、心臓が早鐘のように打っている。
レミリアは、己を全力でぶん殴りたい気分だった。
どうして気付かなかったのか。
自責の念が胸を締め付ける、だけど、今はそれよりも小雪の体が心配だ。
「とりあえずベッドに運ばないとっ。」
己の身体に叱咤するように叫んで、小雪を抱え上げ部屋に続く扉を蹴り開ける。
眉根を寄せる小雪の額に玉のような汗が浮かんでいて、それが事態の深刻さをあらわしているようだった。
ベッドにそっと寝かせつける。暑苦しいのか、毛布をかけても小雪は弱々しい手ですぐはねのけてしまう。
額に額をくっつける、想像以上に熱が高い。
熱を下げないと、それから・・・
パニック気味の思考がぐるぐると廻る。
どうすれば、どうすれば、どうすればいい?
薬なんてこの屋敷には無い。そもそもレミリアが病気になるなんてありえないのだから。
薬を買いに村へ行く?いや、原因もわからず薬を与えるのは危険だ。最悪、薬が毒になりかねない。
医者のところへ小雪を連れて行く?この寒い夜空の中、小雪を連れまわしていいのだろうか?それに、私がつれていったら吸血鬼の仲間として小雪が殺されてしまうかも。
思いつく案全ての否定要素が心をがんじがらめにする。
どうすれば、どうすれば・・・誰でもいいから小雪を助けて。
神様!
だけど、そんな救いの手はどこからも差し伸べられない。
当たり前、この部屋には小雪とレミリアしかいないのだから。
だからその誰かは、レミリア自身でなければならない。
「・・・み・・・あ」
小雪がうわごとのように呟くのが聞こえる。
「小雪・・どうしたの、小雪?!」
その弱々しい声音に胸が締め付けられる。
どうにかしなければ、と思えば思うほどに思考が悪い方向に進んでいく。
最悪の事態が脳裏をかすめては、消えていく。
「あ・・・たす・・け・・て、れ・・み・・・りあ」
その声に、助けを求める小雪の声に心がやるせない怒りで染まる。
こんなにも小雪が苦しそうにしなければならない理由ってなに。
こんなにも優しい子がなんで苦しまなければならないの。
呪ってやる、神が小雪に与えたこの運命を・・・あっ!
それは、待ちに待った救いの手の様にレミリアに希望の光を差し伸べた。
「そうよ、私の能力を使えばっ」
大馬鹿だ、何も人間たちにあわせなくても、それ以上に強大な能力がレミリアにはあった。
神の如きその能力が、レミリアにはある。
小雪の運命を変更すれば、小雪を助ける事ができるっ。
「・・・ん?あれ?レミリア?」
小雪が目を覚ましてキョロキョロと辺りを見回す。
きっと自分の部屋で寝ていることやレミリアが傍に立っていることに驚いているのだろう。
そんな小雪に優しく声をかける。
「大変だったのよ?小雪、急に倒れちゃうんだから。」
「あ、そっか。ごめんね。」
ぺこっと頭を下げた小雪は、いつも通り生気に溢れた明るい声だった。
小雪にわからないようにひっそりと息をつく。
「そうね、体調が悪いなら早く言って頂戴。こんな思いは二度とごめんだわ。」
「うん、そうだね。そうする。」
こくっと頷いた小雪の頭をレミリアは撫でた。
「くすぐったいよ。」
ちょっと照れたように笑う小雪の顔をレミリアは暫く眺めた。
大切な可愛らしい小雪。
「レミリア?」
「なんでもないわ。私、少し寝るから。」
すっと、名残惜しげにレミリアは手を離した。
「え?そうなの?」
「あなた5時間近く寝込んでたのよ?そろそろ私は眠る時間だわ。」
そう言って、レミリアは少しあくびをして踵を返した。
扉の前まで歩いてから、レミリアは振り返った。
今からとても大事な事を小雪に伝えなければならない、思いを気取られないように慎重に伝えなければならない。
「小雪。」
「なぁに?」
「明日から暫く休みなさい。食事とかは私が作るわ。それから、朝起きて夜寝なさい。まずは体調を戻す事。これ命令よ?」
「えー」
あからさまに不満そうに口を尖らせる小雪に笑いかけて、
「いいから、まずは体調を戻しなさい。今度倒れたら許さないんだからね?」
そう真摯な思いをこめた言葉を伝えた。
「うん、わかった・・・。」
不満そうではあったけど、小雪はうなずく。
「じゃあ、おやすみなさい。」
ちゃんと伝わったことが嬉しくて、優しい笑顔を浮かべて言う事ができた。
「うん、おやすみ。あ、レミリア」
扉をあけたところで小雪が呼び止めた。振り返ると満面の笑顔がベッドの上に咲いていた。
「ありがと。」
「何?感謝されても何も出ないわよ。」
ぷいっと小雪から目を背けた。
その笑顔は、あまりにも眩しすぎて真っ直ぐ見つめる事ができない。
「それでも、ありがと。」
「話はそれだけ?じゃあ、おやすみなさい。」
「うん。」
急いで会話を切って扉の外に逃げた。
途端に、今まで抑えてきた何かが胸の奥から溢れてレミリアを一杯にして、レミリアに収まりきらなかったものが涙となって頬を伝った。あのまま会話していたら、何時間もかけて作った笑顔が崩れ去って今みたいに泣き喚いていたかもしれない。
ずるずると扉に縋るようにして力なく座り込む。
「なんでよぅ・・・」
嗚咽にまみれて、呪詛が漏れる。
それは誰に対してか、きっと生きとし生けるもの全てへの呪詛だろう。
呪わずには居られない、ただ誰かが生きて、
「なんで小雪が助かる運命がひとつもないのよ・・・」
小雪が死んでしまう事を。
今日も運命放送局は絶好調。
皆聞いてる?
いやいや、聞きたくなくても聞かせるよ。
「今の生活を続ければ3日後に小雪死亡。人間の生活サイクルに戻せば7日後に小雪死亡。消化の良いモノを食べさせ生活リズムを整えれば10日後に小雪死亡。・・・」
今日も運命放送局は絶好調。大ブーイングの中、強制オンエア。
望まぬ切符を握らせて、未来の彼方へ蹴っ飛ばす。
レミリアは、必死だった。運命に抗うように、手を尽くした。
朝起き夜寝る今までと真逆の生活スタイルを苦とせず、人間の身体にやさしい食事を作り、小雪の部屋の清潔さを保ち、小雪のために薬を村から少し手荒な方法で分けてもらったりした。
だけどその度に、運命放送局が伝える小雪の死亡予定時刻が多少増減するだけであることに絶望した。
一度傾いた天秤は、もう戻らないように、小雪の体調も徐々に確実に悪くなっていく。
まるでひっくり返された砂時計のよう。
残りの時間があらかじめ定められていて、落ちた時の砂は取り戻せない、そんな砂時計のよう。
あの小雪が倒れた夜から毎夜、小雪はうなされるようになった。
苦痛にのたうちまわり、眠ったと思えば、苦痛に再度たたき起こされる。
なんで?どうして?私だけ。
苦痛に苛まされるたび、小雪の口から神を、まだ見ぬ生きる人々を、そうしてレミリアを呪う言葉が激痛に漏れる喘ぎに混ざって繰り返し繰り返し漏れる。
1秒でも多く小雪と一緒にいたかったけれど、見ないでと泣き笑いの表情で呟かれてから夜は小雪の部屋に近づかない事にした。
自室のベッドで毛布にくるまりながらレミリアは、くるりと寝返りを打つ。
明日も朝起きて食事を作らなければならないのに、いっこうに眠気は訪れてくれなかった。
それは今宵も隣の部屋から小雪のむせび泣いているのが聞こえてくるからだ。
こんな時だけは、自分の耳のよさが恨めしい。
「小雪・・・苦しそう・・・。」
小雪が苦しんでいる。
そう思うと、胸が苦しくて仕方が無かった。
小雪が誰かを呪う姿を見ていたくなかった。恨み呪う言葉を吐き、その言葉に自身で驚き傷ついていく様はひどく痛々しい。
そんな苦しさを胸に抱いていた時、すっとその考えは舞い込んできた。
心の弱さにつけこむように、甘い誘惑の声音でそれは囁く。
あんなにも苦しんでいるなら、いっそ・・・
キィィィ、微かな軋みをあげて扉が開く。
小雪は、ベッドで丸くなって震えていた。きっと苦痛に耐えているのだろう。
嗚咽が断続的に漏れては空間に満ちていく。
嗚咽に含まれるあまりの悲しみに息をすることが出来ない、だからこの部屋は嗚咽の海だとレミリアは思う。
一歩一歩嗚咽をかきわけるようにして小雪に近づく。
小雪のベッドまでの短い距離、だけど今は千里を旅するように長く苦しい。
ベッドまであと数歩と言う所で、一足飛びにベッドに飛び乗る。
小雪の上に覆い被さって、決心が揺るがないように勢いをつけて毛布をはぎとった。
明り窓から差し込む月光が、驚きに目を見開く小雪を白く照らす。
そういえば、こうやって殺そうとした事が以前にもあったことをレミリアは思い出した。
あの雪の夜、小雪と出会った小さな雪の夜。
「あ・・・、れ・・み・・・りあ?」
息も絶え絶えに、小雪がレミリアのことを呼ぶ。
それに無言で応え腕を高く上げ指をそろえる。そうして小雪の喉元にその鋭い爪の狙いを定めた。
苦しまず、一瞬で。失敗は許されない。
「小雪、今楽にしてあげる。」
ぼそっと呟いた言葉は、恐ろしく冷たかった。
死刑宣告を受けた小雪の顔は、たくさんの表情を一度に浮かべようとして結局どれも浮かべきれなかったみたいに中途半端だった。
驚き、苦痛、悲しみ、諦め、恐れ・・・。ただその瞳だけは、じっとレミリアを見つめている。
レミリアは、こんなにも大切な小雪でも、殺すことにひどく興奮している己を浅ましいと思った。
それとも大切だから、大切な小雪だからこんなにも気持ちが昂ぶるのだろうか?
どちらでもいいと思った。どう思っても殺すことに違いはない。
振り下ろす手刀は、もはや小雪には見えないに違いない。神速、気付かぬ間に殺してあげる。
「・・やだよ」
ぽつりと漏れた小雪の言葉に、あと数ミリで小雪の喉に到達しようとしていた爪がピタッと止まった。
小雪のつぶやいた言葉をレミリアは意外に思った、あの出会った夜の情景を重ねていたからか小雪ならきっとあの時と同じように笑って死を受け入れるだろうと漠然と思っていたのに。
「いやだよ・・・死にたくないよ。」
ぽろぽろと、綺麗だと思ったその瞳から雫が零れ落ちる。
拒絶の言葉がゆっくりとレミリアの胸に広がっていく。
小雪が、生きたがっている。そんな当たり前の事実が心の扉を強く叩いた。
どうして?
なんで、そんなにも苦しい思いをして生きたいの?
見下ろした小雪の顔は、泣き顔でぐちゃぐちゃだった。
心に思い浮べていた雪の夜の笑顔、「妖怪さんの思いつく一番やさしい方法で殺してね?」と諦めの笑顔を浮かべた小雪が、その泣き顔に滲んで消えていく。
死を受け入れていた出会った夜の小雪と、死を拒絶する今の小雪。
一体何が彼女を変えてしまったんだろう?
レミリアの胸の内に泡のように浮かんだ疑問は、
「レミリアと一緒にいたいよっ・・・。」
小雪の唇から漏れた呟きに答えを手に入れた。
その言葉は破壊力がありすぎて、レミリアの感情がこなごなになって散ってしまうには十分すぎた。
今までの張り詰めた思いも、苦しみも、何もかもバラバラになって修復不可能なくらい。
そうして、ぽっかり空いた胸の内を溢れんばかりの悲しさと無力感が満ちていく。
「・・・っ!」
涙があふれて、小雪の頬に落ちる雨になる。
綺麗な頬にレミリアの涙と小雪の涙がまざって川のようだった。
「どうしてっ・・・どうして小雪が」
死ななければならないのっ。
言葉にならない叫びが胸の内を暴れまわる。
ただ、胸の中がいっぱいでどうしようもなくなって、小雪に抱きついてどうしてと繰り返し繰り返し呟いた。
すがりついて泣くレミリアに、小雪は泣きながら何度も謝った。ごめんなさい、と。
それは何に対してだろう。
レミリアの苦しみに?それとも生きたいと願う心に?
いずれにしても小雪が謝るようなことは何もないとレミリアは思った。
一頻り泣いたあと、2人でベッドの端に腰掛けた。
少し気だるそうに、小雪はレミリアの肩に顔を預ける。
月とレミリアだけがその穏やかな顔を見つめていた。
音の無い時間が2人の間に降り積もっていく、深々と。深々と。
だけど、レミリアにはそれが苦痛ではなく、ただひたすらに愛しかった。
どうかこの時間が永遠に続きますようにと、願わずにはいられないほどに。
「私、死ぬの?」
ぼんやりと、今も苦しいだろうに安らかな笑顔を浮かべて小雪が呟いた。
「そんなことないわ。」
嘘。それは嘘。運命は小雪に残り十数日しか生きる切符を与えてくれない。
「うそつき。」
クスクスと笑うその声は耳に心地よくて、泣きそうになる。
「嘘じゃないわ。」
「嘘だよ。だってレミリア嘘つく時、いつも私の目をみないもん。」
その言葉に、はっと小雪の目を見つめる。
確かに目を逸らしていた事実にレミリアは今はじめて気付いた。
小雪の瞳は、「ほら?言ったでしょう?」と言わんばかりに優しくて少しいたずらに笑う色を浮かべていた。
「そうかしら?」
少しだけとぼけて返す、小雪は自信たっぷりに「そうだよ。」と笑った。
嬉しくて、小雪がそんな事まで見ていてくれることが嬉しくて、2人で少し笑った。
だけど、現実があまりに悲しくて、顔が上手く笑顔になってくれない。
つー、と一筋また涙が頬を伝った。
小雪が少し驚いて、すぐに優しい笑顔に変わった。
「あー、死にたくないなぁ。」
ぽふっと、ベッドに倒れこみながら小雪が呟いた。
伸びをする小雪の顔に悲しみの色は無い。
だからそれは、誰かを羨む呪詛ではなく、純粋な願いだった。
生きていたいと、たったそれだけの願い。
誰かにとっては当たり前すぎて、小雪にとってはどんなことよりも難しい。
「レミリアと一緒にしてないこと、まだいっぱいある。チェスでも勝ってないし。」
言葉を紡ぐ小雪の声は楽しそうで、
「あら、小雪じゃ私には絶対勝てないわよ?」
だからレミリアも軽い調子で応える。いつものように。
「あ、ひどい。」
頬を膨らませて拗ねる小雪に、優しい気持ちと切ない気持ちが胸一杯に広がっていく。
ただ思う、ずっと一緒にいたい。それが叶わないと知っているけれど、そう願わずにはいられない。
「してないことかぁ・・・」
真剣そうな表情で小雪が天井を見ながら呟く。
月の光を受けて揺るがないその瞳は、いつか見たそれよりも一層輝いて美しいとレミリアは思った。
その翌朝から、小雪は目に見えて変った。
「あれ?」
カランと小雪の手からスプーンが落ちる。もう、小雪は満足に何かをつかむ事が出来ない。
「もう、しょうがないわね。ほら、私が食べさせてあげるわ。」
スプーンを震える手で拾い、粥をすくう。
「はい、あーん。」
「やだ、レミリア。恥ずかしいよ。」
「あーん。」
「あ・・・あーん。」
少し照れながら、小雪がおずおずと口をあける。
「おいしい?」
「うん。」
はじけるようなこの笑みを一生覚えておこうと誓った。
ただ、日々の全てを、
「とりゃっ。」
小雪が手で雪をすくって、レミリアに向ける。粉雪は小さな礫となって、レミリアの元へ降り注いだ。
「きゃっ。ちゃんと雪玉を投げなさいよ、小雪!」
レミリアが作った雪玉が雪に埋もれている。さっきから小雪は1個も手にとっていない。
「だって、レミリア全部避けちゃいそうだもの、これくらいありだよね?」
「なら、私だって。」
小雪と同じように雪をすくって、そのまま小雪に投げる。
きっと、もう雪玉なんて持つことは出来ないのだろう。それがひどく悲しい。
「わぷっ。つめたーい。」
雪まみれの格好を2人で笑った。
この楽しそうな、そうして嬉しそうな仕草を一生覚えておこうと誓った。
やりのこしたことを埋めるために使いつづけた。
誰も寄り付かない高い山の頂き。2人の白い吐息が冷たい空気に溶けて消えていく。
「見て!流れ星!」
小雪が指差す先に、一筋の光が流れている。
「願い事しなきゃ。えーと・・」
手を組んで目をつぶり何かを必死で祈る小雪。
「・・・・」
レミリアは思った。
ただ願う、小雪が生きてくれる事を。
この輝かしい日々が続いてくれる事を、切実に願った。
「レミリアは、何をお願いしたの?」
祈り終えたのか、こちらを向いて小雪が問うた。
「勿論、小雪が長生きできますようにって。」
「あは、ありがとう。」
はにかむ笑顔が眩しい。この笑顔が、どうか絶えませんように。
「私はね、レミリアの幸せを願ったんだ。」
そう言って小雪は、笑った。
この優しい声を一生覚えておこうと誓った。
それは魔法のように綺麗な日常。幸せすぎて大切すぎて全て夢であるかのよう。
ただ小雪の命と言うチップを代価に、その魔法はまわりつづける。
「2人一緒のベッドで寝るのって、なんだかワクワクしない?」
クスッと楽しそうに笑う小雪の笑顔が、暗闇の中とても近くにあった。
「そうね。」
レミリアは、笑った。ねぇ小雪。ちゃんと私は笑えているかしら?
「ふふ、じゃあおやすみなさい。また明日ね。」
明日、本当に明日はあるの?削られていく命、無理をすればするほど小雪の時間は目減りしていく。
それでも、
「また明日。」
そう答える。
願うように、祈るように。
不安に揺れる心を塗りつぶし瞳を閉じて、隣に眠る小雪の温もりを一生覚えておこうと誓った。
止めようと何度も思った。こんな緩慢な自殺行為。
でも、小雪の決意を見て、揺るがない瞳を見て、ただ最後まで、小雪が選んだ道に付き合おうとそう思った。
そうして、2人で一緒に歩いた全ての時間を、小雪のことを一生覚えておこうと誓った。
だから、「その日」が特別なのではなくて、「その日」も特別な日々の1ページに過ぎない。
そう、「その日」は、静かな朝から始まった。
耳が痛いくらいの静寂に包まれた終わりの始まり。
ここ数日降り続いた雪も、ついに打ち止めなのか今日は朝から快晴だった。
見ることは叶わないけど、きっと外は一面銀世界だろう。
「~~~♪」
レミリアは、鼻歌を歌いながら朝食を作っていた。
朝起きて夜寝る吸血鬼。なにそれ、滑稽すぎて笑うのすら躊躇われる。
それでも、レミリアはそれでいいと思った。自分はこのままでいいと。
「出来た。さぁ小雪のところに行かないとね。」
独白をもらして、食器を手に持つ。
1秒でも多く小雪と一緒にいたい、その思いが知らず歩調を狭める。
最近、運命を見るのをやめた。見ないと言うよりも無視していると言う方が正しい。
ただ、今だけは小雪と一緒に心の底から楽しもうと思っていた。
そのためには、小雪の死亡予定時刻を綿密に報告する運命放送局は邪魔でしかない。
「小雪?入るわよ。」
両手が塞がっていたのでノックせずに足で扉をあけた。はしたない?それも別に気にならなかった。
小雪はベッドに半身だけ起し、明り窓から漏れる光をじっと眺めていた。
光に濡れるその顔は、犯しがたい絶対的な神聖を具現したかのように、優しい笑顔に彩られていた。
聖母とは、彼女のことを指すのかも知れないと、不意にレミリアは思った。
「・・・小雪?」
どこか声をかけるのが躊躇われた。今の小雪は、遠い遠いところにいる気がして心臓が締め付けられる。
ふっと、小雪がこちらを向く。そこには先ほどの神聖とかそんな何かはカケラもうかがえなくて、何時もの小雪の笑顔があった。
「あ、レミリア。」
「どうしたの?ぼーっとして。」
言い知れぬ不安が、胸の内を渦巻いている。それをごまかすようにわざと軽い調子で声をかけた。
「ううん、なんでもないの。」
小雪は、そう笑って、
「ねぇレミリア。今日はね、夜にちょっとお散歩しよっか?」
なんでもないように、そう続けた。
「そうね、小雪はどこか行きたいところがあるかしら?そういえば、東の方にとても大きな木があるって聞いたことあるわ。そこに行ってみる?」
軽い調子で続ける。
そう、今日も素晴らしい一日で、それで「また明日」で終わるはず。
そうだ、そうに違いない。
「うーん、その木も魅力的なんだけど、今日はあの湖の辺に行かない?」
小雪の言葉に、びくっと肩が何故か震えた。
「そう?でもここからだと結構遠いわよ?もっと近くのほうが・・・」
震えを押し殺して、否定的な解答を返す。
ダメだ、今日はそこには行ってはいけない気がする。
「でも行きたいんだ。ダメ?」
強い意志が篭もった瞳を向けられる。
「ダメじゃないけど・・・・。」
その意思に当てられて、目をそらした。
どうしたんだろう、今日の小雪はいつになく強行だ。
まるで・・・
「じゃあ決まりだね。楽しみ。」
楽しそうに笑う小雪の顔を見て、大丈夫と胸の内に言い聞かせた。
そうだ、ただあそこで遊びたいだけだろう。
そう、きっと大丈夫。
何が大丈夫で、何が大丈夫じゃないのか、薄っすらとわかっていた。
でも、その解答を頑なに拒んだ。
「わー見て、懐かしいね!」
夜の帳が降りるころ、レミリアと小雪は、初めて出会った湖の辺にやって来た。
そこは、生物すら寄り付かないのだろう。足跡一つ無い銀の絨毯が広がっていた。
「懐かしいって、1週間前にも雪合戦しにここに来たじゃない。」
そうなんでもないことを強調するようにレミリアは眼下から見上げる小雪に言った。
レミリアは、小雪を抱えてここまで飛んできていた。もう小雪は1人で歩くことすら満足に出来なかったから。
「うん、そうだったね。ね、降ろして?」
そっと、雪の絨毯に小雪を横たえる。
「あは、冷たい・・・。」
そう呟いて、嬉しそうにクスクスと笑い出した。
「何がおかしいの?」
レミリアの問いに、小雪はとうとう声をあげて笑った。
疑問符を頭に浮かべるレミリアに、ごめんごめんと涙混じりに小雪は謝った。
「私たち、こんな風にして出会ったって思い出して。」
その言葉に、そっと胸にしまいこんでいた夜の情景が浮かび上がる。
確かにまるで焼きなおしたように一緒だった。
銀世界に佇むレミリアと横たわる小雪を夜の静寂だけが包んでいる。
足りないのは、
「あ、雪だ。」
小雪が天に向かってぽつりと呟く。
偶然にしては出来すぎている、足りないものが自分から舞い降りてきた。
あの時と同じように、粉雪が舞い落ちては消えていく。
小さな雪の夜。たった2人だけの小さな夜。
しばらく、2人で夜の空を無言で見つめた。
「私、雪になりたいな。」
ぽつりと小さな波紋のように小雪の声が静寂に満ちる。
それは、最初に聞いた言葉だった。
2人の始まりを謳う言葉。
その言葉は数々のイメージを呼び起こす、でも一様に不吉で、小雪の死を連想させた。
「ダメよ。そんなの許さないんだから。」
あの時の情景と重なるのが怖くて、あわてて小雪の頭を雪の中から自身の膝の上に移す。
そんなレミリアの突然の行動に、一瞬驚いてから嬉しそうに頭を預け小雪は目を閉じた。
助けたい、こうして雪から救ってやれるように。小雪の生を助けてあげたい。
「私ね、あの時は死にたかった。」
「そう・・・。」
「本当に死にたくて、この世から消えたくて、でも自分を殺すのは怖くて出来なかった。だから、レミリアが来た時ね、少し嬉しかった。怖かったけど、でも死ぬ事が出来るって。」
小雪が胸の内を懐かしむように吐露していく、まるでそうしなければならないように。静静と伝えられる想い。
「でもレミリアたら、おかしくって、変なの。こんな私を拾っちゃうんだもの。」
クスッと嬉しそうに心底嬉しそうに笑った。
捨てられたばっかりで、拾うという対極の意思が存在する事がまるで奇跡であったと言うように。
きっと小雪の中では偽りの無い奇跡なのだ。
レミリアという存在が、そうして2人で歩いてきたこの1月にも満たない僅かばかりの時間が。
「馬鹿ね。妖怪は変だから妖怪なのよ?」
声の震えが止まらない、彼女の言葉に心が満ちていくのに、その裏で心がひび割れていくのを感じる。
今にも泣き出してしまいそうだった。
「そうなんだ。でもレミリアはとびっきり変で優しいね。」
そう白い吐息と共に想いをつげる小雪の笑顔こそが最も優しいとレミリアは思った。
小雪の笑顔が好きだった、小雪の仕草も、小雪の声も、なにもかも。
簡単な答え、そう、
「当たり前じゃない、私、小雪のこと気に入っているもの。」
ただ小雪が愛しいから、その声は自然に胸の内から小雪へと涙と共に零れ落ちた。
零れ落ちた言葉に小雪は目を開けて、すぐ細めた。
「嬉しいな。私もレミリアのこと好きだよ。」
小雪はレミリアの想いを受け止めて、呟いた。
そうして私たち友達だね、と嬉しそうに笑った。
涙が溢れて、もう頷く事しか出来なかったけど、そうねと何度も頷いた。
妖怪と人間が友達。なんておかしい。なんて素晴らしい。
純白の殺し屋が空から絶えることなく2人に降り注ぐ。
あの日、殺しそこねた愛しい標的をレミリアの元から奪い去っていくために。
それが悔しくて、膝の上にのせた小雪の笑顔だけは守りたくて、レミリアの背に殺し屋が降り積もっていく。
邪魔をするなと、その冷たさが胸に痛い。
「・・・・ねぇ、レミリア。」
ふぅと小雪の口から吐息にも似た声が漏れる。
今までの元気そうな小雪、その張り詰めていた何かが一緒に漏れ出したようなそんな声。
白い息、まるで小雪の命そのものであるように弱く薄くなって消えていく。
「私、もう死んじゃうわけだけれど・・・」
その言葉に、見ないようにしていたソレが眼前に立ちはだかった。小雪の死。小雪が傍から居なくなってしまうこと。
「いや・・・いやよ・・・」
自分でも子供っぽいと感じる拒絶の意思が口をついて出る。駄々をこねる子供のように涙を流して懇願する。どうか行かないで、と。
レミリアを、そうしてその上から降り積もる世界をぼんやりと眺めながら小雪は、信じられないほど穏やかな顔をしていた。
もう死の足音が聞こえてきているのに恐れも諦めも無い穏やかな笑顔。
「私、雪になるから。そしたらね、」
小雪の呼吸が弱まっていく。
それはまるでゼンマイ仕掛けの人形が動きを止めるように、ゆっくりとゆっくりと眠りに誘うように、死へと向かって歩んでいく。
「いや、いやよ!小雪、私を独りにしないで!」
独り、独りはいやだ。小雪がいない世界なんて考えられない。
「あは、大丈夫。私、雪になってね、毎年この季節にレミリアに一番に会いに来るよ。ね?」
だから大丈夫、独りじゃないよと、その優しい言葉が胸に染み渡る。
「いやよ、だって春も夏も秋も会いたいわ。」
わがままだって分かっている、それでもこの気持ちは真実レミリアの本心だった。
一緒にいたい、ずっと永遠に。
小雪は少しだけ悲しそうに首を少し左右に揺らし、
「だめだよ。だって私、今からとても遠いところに行くんだもの。冬以外の季節はそこからこっちにやってくるのに使い切っちゃうよ・・・。」
白い息が漏れては消えていく。小雪の生命が零れ落ちていく。
「いや・・・いや、ずっとこっちに居て。小雪ぃ・・。」
小雪は困ったと言う顔でレミリアを見上げて、
「あは・・・そうできればいいんだけどね・・・。」
ふぅと弱々しく息を漏らした。
「ねぇ・・・レミリア。」
声がもう聞き取る事すら難しい。
かすれて吐息と何ら変わることがない。
だけどその優しい響きだけは何一つ喪われていないとレミリアは思った。
「なに?」
「私レミリアのこと忘れないから・・・。」
その言葉に胸が熱くなる。
「えぇ、私も小雪のこと絶対忘れないから!」
叫んだ。
この思いが小雪に伝わるように。
小雪のことをどれだけ思っているか、どれほど今思っているのかが伝わるように。
強く叫んだ。
「じゃあ、きっと大丈夫。今はちょっと離れ離れになっちゃうけど、きっとまた会えるよ。」
そう言って目を細める小雪は、今までで一番優しい顔をしていた。
安心したというように。再会を確信したように。
「ほんとに?」
「本当に。」
不安になって尋ねるレミリアに小雪は即答した。
そう、大丈夫だよって。
「嘘じゃない?」
「うん、じゃあ約束。」
すっと手を、小雪は震える手を精一杯持ち上げて小指をたてる。
おずおずとレミリアは自身の小指をそれに絡めた。
「ふぅ・・・」
小雪が息を吐き出す、弱々しいのにあまりにも強い思いがつまった息。
レミリアは、この儀式がその吐息に清められて神聖で崇高な輝きを帯びていくのを感じる。
神と人の原初の約束に劣らず、この誓いは2人の間で尊いものになる予感がした。
「ゆびきりげんまん・・・」
小さな殺し屋たちが見つめるなか誓いの言葉が紡がれていく、息も絶え絶えに。
彼らを証人にゆっくりと静かに紡がれていく。
「うそついたら」
一生懸命に、時折咳き込みながら言葉を、約束を紡ぐ小雪が、とても愛しい。
「はりせんぼんのーます」
喪いたくないと思うのに、こうして喪われていくからこそ小雪は今、月光を浴びてきらめく白銀の殺し屋よりも、それを送り込む空の星々たちよりも、今この世界に在るなによりもなお一層きらめくように輝いて美しい。
「「ゆびきった!」」
パッと離れる、指。
小雪は、少し名残惜しそうにしてから、そっとレミリアを見上げた。
「約束。来年の冬に絶対会いに来るから。それまで待ってて?」
それは子供っぽい約束、無理だって、わかってる。
雪になるなんて人間にはそんな能力無いのだし。でも、
「待ってるから。約束破ったらホントに殴っちゃうわよ?しかも本気で。」
自然と口からその言葉は飛び出た。信じたいと思った、この美しすぎる約束を。
「怖いなぁ・・・。」
クスクスと笑いあった。
どうしてだろう、さっきまで小雪を失う事をあんなに恐れていたのに。
穏やかな想いが心にこんなにも満ちている。
ふぅと小雪が満足そうな息を漏らす。
その吐息に、お別れの時間がやってきたんだって、レミリアは思った。
「すっごく幸せ。どうしよう今、幸せすぎて困っちゃうよ・・・。」
小雪の唇が嬉しそうに言葉を紡ぐ。
白銀の殺し屋は、レミリアを、そうして小雪を埋めて真新しい輝く布団のようだった。
おやすみを言うように、やさしく2人を包み込む世界で最も綺麗な天上の布団。
その布団の中でゆっくりと小雪が目を閉じていく。
「また来年。」
優しい声がレミリアの唇から漏れた。
小雪の時間が終わろうとしているのに、すっと自然に出た再会の約束。
「うん、また来年。」
小雪は、嬉しそうに笑って、最期の呼気と共に約束を口にした。
「お嬢様。」
咲夜の声に、意識が現実に戻る。随分と懐かしい思い出に浸っていた。
窓の外は相変わらず雪模様。
「何かしら?咲夜。」
完璧で瀟洒なメイドに声をかける。
「お客様です。チルノと大妖精ですが。」
やはり、今日は良い事があるようだった。
「そう?じゃあ今から出向きましょう。」
「エントランスまでですか?」
少し意外そうに咲夜が問う。
確かに、誰であってもエントランスまで私自身が迎えに出ることはそうそう無い。
だけど、今日の人物は特別なのだ。
「そうよ?」
「わかりました。では、こちらをお召しになってください。」
すっと差し出される紅いセーター。
「あら?ありがとう。」
「ほんとは来たかったんだけど、大妖精がどーしても来たいって言ったから来てやったわよ!」
エントランスに出てみれば、⑨がこちらを指差しよくわからないことを叫んだ。
「チルノちゃん、文章の前後が同じ意味だよ・・・。あと、私別に来たいなんて言ってな・・」
大妖精が、チルノの隣でオロオロとつっこみを入れる。
「なっ、大妖精!あたいを裏切る気!?さっきあたいの言葉は全部本当だよって言うよって約束したじゃん!」
「え・・・チルノちゃん、あれってこのためだったの?ひどいよぅ・・。」
涙目の大妖精に見つめられては流石のチルノも敵わないのか、
「ご・・ごめん。」
目を逸らしながら素直に謝っていた。
「ううん、いいよ。もう気にしてないよ。」
大妖精がにっこり笑って瞬く間に仲直り。
なんだか熟年の漫才コンビのようだ、天然なのが恐ろしいところだけど。
「いらっしゃい。相変わらず仲が良いわね。咲夜、2人を食堂に通しなさい、昨日作ったクッキーがあるでしょう?」
「え!?うっそ、クッキーあるの!?」
チルノが音速で釣れる。
大妖精の方を見てみると、頬が緩んでいた。こっちもか。
じーっと見られていることに気付いたのか、大妖精はなんでもないような顔を取り繕った。
「たくさんあるから、何枚でも食べていいわよ?」
少し意地悪したくなって切り札を切ってみる。
「え、ほんと!?ラッキー、大妖精もそう思うよね!?」
⑨が飛び跳ねんばかりに、と言うか飛び跳ねてはしゃいでいる。
「ち、チルノちゃん、遠慮の心は大事だよ?」
しかし、大妖精の取り繕った顔は嬉しさいっぱいでもはや破綻寸前。我慢しなくてもいいのに。
「お嬢様。」
咲夜がなんとも嫌な予感に慄く顔で伺いを立てる。
「何かしら?」
言いたい事はよくわかったけどあえて尋ね返した。
「あの、昨日のクッキーを大量に作りなさいと言うご命令は・・・。」
馬鹿ね、そんな事あなたなら言わなくてもわかっているでしょうに。
「そうよ、このため。」
物凄い勢いで落ち込む咲夜。
咲夜の周りだけどんより暗くなる、プライベートスクェアかしら?
「・・・⑨のために私は・・・私は・・・あの極上のクッキーを・・・あんなにうきうきと・・・てっきりお嬢様がお食べになるのかと・・ふふ・・・それで美味しいって・・うふふ・・」
「え・・あの、よくわかりませんけどごめんなさい。」
大妖精がオロオロと咲夜に謝っている。まぁ傷を深めるだけでしょうけど。
「ほら、咲夜早く行きなさい。チルノが先に行っちゃったわよ。」
既にチルノはどこかに消えていた。待ちきれなかったらしい。
でも、チルノって食堂の場所知ってたかしら?迷子になっていなければいいのだけど。
どんよりと暗い世界に浸りながら大妖精を引きずって、いや逆に引きずられるようにしてふらふらと咲夜はチルノを探しに廊下へ消えた。
そうしてエントランスには、私独りだけが残された。
あたりは先ほどまでの喧騒と打って変わって静寂の幕が下りる。
小雪と出会う前は、当たり前だった風景を眺めながら私の周りも騒がしくなったとしみじみと感じた。
パチェや咲夜、そうして今年の夏には変な人間が2人やって来た。
本当にこんなに煩くて賑やかになるなんて、あのころは信じられなかったに違いない。
そうしてこの騒がしい世界を、悪くないとレミリアは思っていた。
ヒュウと、夜風が扉を開け放つ。
扉の向こう、暗い闇の中から寒気がなだれ込み、粉雪が舞い込む。
寒気は、これから訪れる貴婦人のための絨毯。
粉雪は、貴婦人を守護するナイトであり、先を歩く召使い。
そうして小さな純白のナイトたちにエスコートされて1人の女性がエントランスに静かに舞い降りた。
貴婦人を先導する役目を終えた小さな雪たちは、ひらひらと私と彼女の周りを舞い踊る。
まるで祝福するように、歓喜と共に舞い踊る。
相対する2人。
出会いは遥か昔、小さな雪の夜。
独りっきりだった静寂のエントランスに懐かしい空気が満ちていくのを私は感じた。
今も昔も変らず大好きな優しい雰囲気。
すっと彼女の紫色の瞳が私を捉えて微笑む。
「こんばんは。」
薄紫の髪も、その綺麗な紫の瞳も何もかも昔と違うけれど、ただ一つ、その笑みだけは変わらない。
「おかえりなさい。」
レミリアは、そう答える。今年も彼女が帰ってくる季節がやって来た、その嬉しさをこめて。
「ただいま。」
その女性は、ちょっとはにかみながら言い直した。
「遅いわよ?」
「あら、チルノが急いで飛んでいっただけよ。大妖精は、それを追っていっちゃうし~。」
「もう、何時からそんな風にはぐらかすようになったのかしら。」
2人並んで歩く。
思い出の中のいつかのように、今も変らず。
「今年は、疲れちゃったのよ~。夏は暑いし~。」
彼女がぐるぐると肩を回して、気だるそうに呟く。
おばさんっぽい仕草、なんて言ったら怒られるだろうけど綺麗だと思った。
「そうそう、心配になっちゃって霧とか出しちゃったわ。変な紅白と変な白黒に止められちゃったけど。」
「あは、ご愁傷様~。」
「こら、それ本気でいってる?」
「はいはい、ごめんなさい。ありがとね~。」
「もう、しらない!」
他愛ない会話、あまりにも大切な日常がそこにある。
クスクスとどちらともなく笑い声が漏れる。
今宵、小さな夜に暖かな笑いが満ちてゆく。
私達の幸せに彩られた声がいつものように、在りし日のように。
あの日、あの小さな雪の夜、置いてきてしまったモノがあった。
でも、寂しくなんかないのよ?
この季節、雪が降るころ、時の忘れ物は約束通り私の元へ舞い戻ってきてくれるから。
>チルノが先に言っちゃったわよ。
>行っちゃった
ではないかと
何かが微妙に足りないようなそんな気がします。
心理描写なのか、はたまた、展開そのものの性急さ故なのか。
次回は、その「後一歩」を期待します。
最後は意表をつかれまくりましたが、ゲーム中での台詞とか考えるとあぁそれでなるほどと、感心してしまいました。楽しかったです。
正直、小雪と○○○のイメージは重ならないのですがw レミリアが変わらず幸せにしているところが絆みたいなものを感じさせて好きです。
そして娘を捨てるときの御父上の最後の気持ちたるや…
思わず涙がこぼれそうに。
こんばんは、隣近所の雪村さんです~。
感想ありがとう御座います、本当に一つ一つの感想がとても嬉しいです。
皆さんの言葉をしっかりと雪村さんの心収納ボックスの中に収めたいと思います。
誤字大変失礼しました!指摘してくださってありがとうございます。修正しました。
また、雪村さんの至らない点を指摘してくださったこと、主観のめり込み度の高い雪村さんにとって目から鱗です、ありがとうございます。この作品も、その指摘されたことを参考にして直せそうなところは出来る限り直していこうと思います。
この表記が全ての感度をぶち壊してくれましたね…。