*オリキャラ超注意*
*褌を引き締めてからどうぞ*
永遠亭。
人里離れた竹林の奥深くに存在する、人でない者の生きる場所。
其処に迷い込んだ者は、騙され二度と出られなくなるか、はたまた怪しげな薬の実験体となるか。無事に帰った者はいないと噂される、そんな妖怪屋敷である。
「……妖怪屋敷といっても、住んでいるのは私みたいな可愛いウサギちゃんばっかだけどねー」
「誰に向かって言ってるの、サキちゃん?」
独り言言う暇あったら掃除の手を休めるんじゃねえよボケ、といった視線を向けてくる同僚に、ゴメンゴメンと愛想笑いを返しつつ、妖怪兎のサキは自分の作業に戻る。
痺れるような冷たい水に、雑巾を浸けてじゃぶじゃぶじゃぶ。
ぎゅーっと絞って板張りの廊下へ。
雑巾セット。構えもOK。
「そして私は星になる!」
どたばたどた、と全速力で雑巾がけ。
スカートの中が丸見えだけど気にしない。
雑巾がけ最速の座を、誰にも譲る気はなかったりする。
端から見たら非常にどうでもいい決意ではあるが。
それでも、サキという妖怪兎にとって、“最速”の称号は、誰にも譲りがたいものであった。
まあ。
下着を惜しげもなく晒して廊下を突き進むその姿に、
追いつこうとする者など永遠亭には存在しないかもしれないが。
「えーりん! えーりん! ひまー!」
「ウドンゲ、姫の相手をお願い」
「ちょ、師匠、私に死ねと!? あっ! こら、てゐってば、私を置いて逃げるなーっ!」
今日も今日とて、永遠亭は賑やかだった。
少し前のような陰鬱さは欠片も窺えず、開けっ広げな喧しさが、竹林を賑わせる。
月の異変からの永遠亭は、それ以前とはがらりと色を変えていた。
隠れなくても良いとわかった住人たちは、それはもうはしゃぎっぷりが尋常ではなく。
いつぞやの花の異変では、兎全体が浮かれて仕事にならなかったほどである。
結局、花の異変はうやむやに終わり、幻想教は平常に戻ったが──永遠亭のノリは結局そのままで。
今日も今日とて、永遠亭は賑やかだった。
永遠亭に住んでいるのは月の貴人とその従者たち。
蓬莱山輝夜と八意永琳、因幡てゐや鈴仙何ちゃらは、永遠亭の外にもその名が広まっているが、それ以外の妖怪兎たちは、基本的には外に出ることは殆ど無い。
単体で外に繰り出しても、どうせ妖怪として追われた挙げ句、調伏されるのがオチである。
特に最近は空飛ぶ巫女が幅をきかせているため、幻想郷の空は無法地帯と聞いている。
まあそれ以前に外に知り合いなんてほとんどいないため、外出する必要すらないわけだが。
「きょーおはたっのしいお休みだー」
よって、兎たちは永遠亭の中で余暇を過ごすのが基本である。
それはサキも例外ではない。
が。
「……追い出されたー。ウボァー」
独りとぼとぼと、竹林を歩いていた。
同室の子に、部屋を蹴り出されたわけなのだが。
「……そりゃあ永遠亭は造りがボロ──じゃなくて古式ゆかしいから、揺れやすいのはわかってるよ。
でもさー、相部屋の親友が最速目指して腿上げ運動するくらいは見逃して欲しいような気がするー」
ぐちぐち呟きながら竹林を歩く。
こうなったら外で訓練するしかないのだが、生憎竹林は走るのには向いていない。
「むー。みんなみたいに空を飛べたらなあ……」
ぽつり、とつまらない本音が漏れる。
もう諦めたはずのこと。
でも、気を抜けば口から零れてしまう。
──妖怪兎のサキは、空を飛ぶことができない。
妖怪全てが空を飛べるわけではないが、力のある妖怪はほとんど空を飛ぶことができる。
永遠亭の妖怪兎たちも、実はサキ以外の全員が飛行可能だったりする。年端もいかない子兎まで。
だからといってサキが妖怪として弱すぎるのかというとそうでもなく、腕っ節でも弾幕勝負でも、他の兎よりは一段階上である。
ただ、空を飛ぶことができないだけ。
それだけで、サキは因幡軍団では掃除係兼雑用だし、侵入者迎撃隊にも入れてもらえないしで、散々である。
べつだん、己の力を誇示したいとか、そういった気持ちはさらさらない。
しかし、それとは別に、胸の奥に言いようのないもやもやを覚えるのも事実であった。
昔は、こんなこと気にしていなかったのに。
飛べないことも、めんどくさい仕事をやらなくて済むなあ、程度にしか考えてなかった。
それがぶち壊されたときのことは、今でも鮮明に覚えている。
八意永琳が秘術を尽くし、幻想郷から本当の月を隠した夜。
七色の魔法使いに連れられて。
──彼女が、永遠亭に突入してきた。
箒に跨り、立ち塞がる兎軍団を歯牙にもかけず、ただまっすぐに突き進んでいた。
白黒の流星。そんな言葉が頭に浮かんだ。
駆け抜ける流星は、上司のてゐや鈴仙をあっさり撃破し、ついには永琳や輝夜まで撃ち落とした。
それを目の当たりにしたときの感情は、上手く言葉では言い表せない──否、ひとつだけ、明確な想いは浮かんでいた。
かっこいいなあ、と。
速いことは、それだけで綺麗なんだと知ってしまった。
流星のように宙を駆けるのはどれだけ気持ちいいのだろうかと夢想した。
自分も彼女──霧雨魔理沙のように速く在りたい、と思ってしまった。
飛べないくせに。
でも、飛べないなら飛べないで、せめて地上では最速で在りたいと思った。
だからサキはあれから毎日訓練を積み重ねてきた。
掃除は常に全速力。暇があれば体を動かす。どうすればもっと速くなれるのか常に考える。等々。
流星に憧れた飛べない兎。
サキは今日も最速を目指す。
「──さて。こんな竹林じゃランニングもできないし……とりあえず外に出ようかなあ」
久々の休日。久々の外出。
どうせなら、広い道で、全速力で走ってみるのもいいかもしれない。
人間に出会ったら、そのまま走って逃げればいい。
何事もプラス思考が一番だ。
今できることをできるだけ楽しむのもまた、最速っぽくて良いではないか。
「よーし! 気合い入ってきた!
街道に出たら、まずは軽く3分ダッシュ10本だーっ!」
そう決めたらサキは速い。
転ばないよう慎重に、しかしできるだけ急ぎながら、竹林をひょいひょい進む。
その足取りはとても軽く。
今日一日を走り抜こうという意気込みに溢れていた。
「なーにか良いネタはありませんかねーっと」
雲ひとつない晴れわたった空の一点。
黒い影が、鼻歌交じりに飛んでいる。
射命丸文は、ネタを探していた。
手巻きの写真機を首に下げ、手帳を意味なくパラパラしながら、身を切るような冷たい空を勢いよく駆け抜ける。
年も明けて、幻想郷はすっかり気が緩んでいる。
こんなたるんだ空気なら、幾らでも珍事が起こってもおかしくないはずなのに、最近は目立った事件がない。
おかげで文のネタ帳は、ここしばらく更新される気配がない。
ストックはいくらかあるものの、そろそろ底をつきそうな雰囲気である。
適当な取材でもして適当な記事を上げればいいのかもしれないが──そこは昔気質の天狗様。手抜き記事など書く気はさらさら無かったりする。
「うーん……。次の大会は来週だしなあ。
正月ネタは特に面白いこともないし、かなり苦しい状況ですねー……」
日常の一コマから上出来な記事を書き上げる──それが一番いいのかもしれないが、それだときっと他の天狗連中と同じになってしまうだろう。
前回の大会で、紅魔館の潜入ルポで奨励賞を取った文としては、他の天狗たちとはひと味違ったものを書きたいところ。
「んー。イベントがないわけじゃないんですけどね……」
特に紅魔館。
あそこは当主が博麗の巫女にやられて開放的になってから、様々なイベントが催されるようになった。
つい最近も、年越しイベントなどを大々的に開いたりした。
本来なら、大会用にはそのレポートを書くつもりだった。
だが。
「潜入ルポで不興を買って、まさか出入り禁を喰らうとは……」
天狗仲間には好評だったのに、紅魔館の面々には好まれなかったのか、記事を公開した翌日、大量の抗議と弾幕が文を襲ったりした。
そんなに怒られるようなことを書いたかなあ、と文は一人首を傾げる。
門番がサボってメイド長を模した人形を吊して遊んでいたところや、紫ピンクの引きこもりが黒白魔法使い人形に鼻血を振り掛けていたところや、メイド長が当主そっくりの人形でギャランドゥしていたところや、当主が巫女の人形を意味深なところに挟んでいたところなどをこっそり激写して幻想郷中にばらまいただけなのに。
『痛! 痛いですって咲夜さん! っていうかそれ以上ナイフ刺さりませんって痛!』
『ねえ……小悪魔。魔理沙が最近喋ってくれないの……』
『オジョウサマオジョウサマオジョウサマオジョウサマ……』
『うう……ぜったいれいむにきらわれたぁ……ぐすっ……』
何か幻聴が聞こえた気がしたが、総スルーの方向で。
「あと、ネタがありそうなのは……永遠亭かマヨヒガくらいですかねえ」
とはいっても、永遠亭は偶に宝物殿を公開したりする程度だし、マヨヒガはそもそも主が冬眠中である。
へにょり耳の兎か、八雲藍の下克上ネタでも取材するか……いやいや、大して面白くない。
博麗神社の巫女は相変わらず干涸らびているし、
魔法の森はせいぜい七色魔法使いが一人遊びに耽っている程度だろうし、
ワーハクタクと不死人は一方的な姫始め中がまだ続いているだろうし、
三途の川は死神が相変わらずサボって閻魔の胃に穴が空いたくらいだろうし。
「やばっ……!
本気でネタがありませんよ……!?」
無難に書きためておいたネタを使って、今回の大会は他人に賞を譲るしかないのだろうか。
「……それは、嫌です!」
一度上位に食い込んだのだ。
それだけで満足せずに、更なる高みを目指すのが記者魂ではなかろうか。
まだ一週間ある。
とにかく足──もとい翼を使ってネタを探す。それしかない。
「ふふふ……燃えてきましたよー!
こうなったら何が何でも、次の大会は大賞狙いで!」
まだネタすら決まってないというのに、血気盛んなことである。
そんな荒ぶる熱意を胸に秘め、射命丸文は身を切るような寒空の中、勢いよく飛んでいった。
「──おや? あれは……」
どれだけ幻想郷中を飛び回っただろうか。
カラッカラの青空は、いつのまにかとっぷり暗く闇に落ち、そろそろ今日は終わりにしようかしらん、といった頃合い。
村と村とを繋ぐ小道の傍らに、一軒の屋台が現れていた。
文の記憶が確かならば、アレは夜雀──ミスティア・ローレライが営んでいる焼き八目鰻の屋台である。
ネタを見逃すまいと、一日中目を凝らして飛んでいたため、目も結構疲れている。
このまま帰って寝るだけでは、目の疲れは癒しきれない可能性が高い。
「……お腹も空いてることですし、ちょっと焼き八目鰻でも食べていきましょうかね」
くるる、と可愛く鳴ったお腹を押さえ、文は夜闇に赤く灯る屋台へと、ゆっくり降下していった。
「ふ……ふふ…………もう走れないぞー……ガクリ」
空は既に茜色を通り越し、月に蒼く染められている。
結局一日中走り回ったサキは、乳酸バキバキの状態で、ふらふら街道を歩いていた。
今なら人間と遭遇しても走って逃げるどころかあっさり捕まって兎鍋にされる自信でイッパイである。
永遠亭に門限はないため、寝る時間さえ確保できれば、いつ戻っても問題ないのが救いである。
「……でも、今晩の夕食は逃しただろうなー」
心優しい同室の子が、自分の分をとっておいてくれる──そんな優しい幻想は丸めてポイだコンチクショウ。
きっと嬉々としてサキの分もペロリと平らげるに違いない。太ってしまえ。
「今晩は夕食抜きかなあ……。流石に人間の里でご相伴にあずかるわけにはいかないし」
よろよろカックンよろよろカックン、と力無く街道を進むサキ。
体力的にはかなりギリギリである。
こんな状態で帰って寝ても、朝までに体力は回復しないやもしれぬ。
何か元気の付くものでも食べたいところではあるが……。
「……妖怪が経営してる食事処とか……そんな夢のようなのがあればいいんだけどなあ」
とはいっても、そんな奇特な店は簡単には──
「──って、あら?」
夜闇に浮かぶ、赤提灯。
達筆とは言い難い字で『焼き八目鰻』と書かれている。
そういえば、以前永遠亭に届いた新聞に、夜雀が経営している屋台の記事が載っていた気がする。
こんな辺鄙な場所で屋台を開く人間なんていないだろう。
ということは、つまりアレは妖怪の開く屋台であり、
「……っしゃあ! 夕食げっつ!」
幸いなことに手持ちの銭は寂しくない。
お腹一杯食べることも可能だろう。
サキはつい先程までの疲労も忘れ、るんるん気分で屋台へ向かった。
そして、奇妙な光景を目にした。
「いぬ~♪ いぬ~♪ 今年は戌年~♪
私の時代は終わりそう~♪
文化帖ではカラスが活躍、同じ鳥なのにこの差は如何に~♪
ってか主役まじウゼェ」
屋台の店主が声高らかに歌っている。
そしてその正面で、下を向きながらぼそぼそと焼き串を食べている天狗の少女。
店主の歌声にこもる殺意と、肩身狭そうに食している天狗の侘びしさが、ビンビンに伝わってくる空間だった。
歌の意味はサキにはさっぱりわからなかったが、店主が天狗をいびっているというのはよくわかった。
さて。
ここでサキが取る行動はただ一つ。
「すみませーん。美味しい八目鰻をお腹一杯くださいな」
「あ、はーい。少々お待ちを~♪」
「って助けてくれないんですか!?」
天狗の少女が涙目で縋り付いてきた。
サキの腰にがばちょと抱きつき、潤んだ瞳で見上げてくる。見る者が見ればかなり“そそる”光景ではあるが、サキはそれを邪険に振り払う。
「……ひどいです!
ああ、幻想郷に良心は存在しないのでしょうか!?」
「そんな芝居する余裕があるなら大丈夫でしょー。
っていうかアンタ天狗なんだから、夜雀程度にどうこうされるもんじゃないでしょうに」
「あれ……? お客さんー、さりげなく酷いこと言ってませんか~♪」
「うっさい、その取って付けたような音符マークはやめれ。
それより腹減ってるんだから串出せ串。早くしないとアンタに串刺すわよ」
最速を目指すサキは、気も早かった。
「な、なんか微妙な客が来た……けどまあ商売は商売っ♪
もうすぐ焼けるよ焼けたよお待たせー♪」
頬を引きつらせながらもできた焼き串をサキに渡してくる店主。
タレの香ばしい匂いが鼻を存分に刺激する。
走り通しで疲労しきったサキの口に、じゅるりと唾液が溜まってしまう。
「……お、お代は先? それとも後払い?」
「お腹空いてるんでしょ? 後で良いわよー」
「話のわかる夜雀だ! 惚れた!」
うひゃっほう、と焼き八目鰻にかぶりつくサキ。
自分の商品を美味しそうに食べてもらうのは嬉しいのか、それをにこにこ顔で眺める店主。
──と。
「そんなに強烈にかぶりつくなんて、よっぽどお腹が空いてたんですか?」
「あん? 食事の邪魔するならアンタをまず焼き鳥にするわよ天狗」
「……空腹で気が立ってるにしても、随分とまあ強気ですねー。
私が天狗で、それがどういうことかわかってるのにその態度。
普通の妖怪にしては珍しいっていうか、ある種の連中に似てるというか……」
「ごちゃごちゃうっさいわねー。
焼き鳥になるか焼き八目鰻をおごるか、どっちかを選びなさいよ」
「かといってそんなに強くはなさそうですし……。
貴方、永遠亭の兎さんですよね?」
「だったらどうだってのよ?
あ、夜雀さんおかわりー!
それと焼き鳥とおごりどっちにするの?」
「あ、じゃあおごりますよ」
「マジっすか!?」
ぐわばっ! と天狗の方に向き直るサキ。
先程までは空腹と疲労のため、半ば自動的(?)に受け答えしていたサキだったが、神のような提案と共に、相手への注意を最大レベルに変更した。
「やや、よく見れば華麗な天狗様で!
貴女様の御尊顔に私の瞳は焼き殺されそうです!
……で、おごりってマジすか?」
「いや、そんな取って付けたようなおべんちゃらは要りませんよ。
それより、色々話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?
永遠亭に貴方みたいな人がいたなんて知りませんでしたし」
「いやはや、お話だけでおごりとはなんて太っ腹な!
まるでどこぞのメイドのよう!
もう何でも話しちゃいますよー! 同室の子の寝言でもOKね!
……で、おごりって嘘じゃないでしょうね?」
「ミスティアさーん。今晩はこの屋台貸し切りでー」
「合点承知~♪」
「天狗様! 愛してます!」
わいわいがやがや、と屋台は賑やかに。
夜雀が歌い、天狗が質問や相槌を巧みに使い分け、サキはお腹一杯気分良く、色々なことを話していた。
豪快なオゴリで、天狗の話術もなかなかのものだった。
故にサキの気分は最高潮に。久しぶりの気持ちいい夜だった。
だからだろう。
気付いたときには、ぽろり、と零してしまっていた。
「いや、まあ、コンプレックスってほどでもないんだけどね。
自分だけ飛べないってのは確かに微妙な気分だけど、だからこそ頑張って、いつか霧雨魔理沙さんより速く──」
言ってしまってからハッとした。
本来なら、意識の片隅に浮かべることすら不敬罪。
憧れの存在と、いつか勝負してみたいだなんて、そんな子供じみた感情を、ついうっかり零していた。
慌てて口を塞いだ時には既に遅く。
天狗──射命丸文はニヤリと笑い、聞き逃していないことをアピールした。
誤魔化そうにも既に大量に御馳走になってしまった状態。
気付けばサキは、天狗の網に捕らわれていた。
それから全てを吐き出させられるまで、それほど時間はかからなかった。
その様子を見ていた店主のミスティア・ローレライ氏は後に語る。
『いやあ……私なんかが天狗様に楯突こうだなんて思い上がってました。もうこの屋台で細々とやっていく程度が私にお似合いですよアハハ』
そう述べるミスティア氏のこめかみには、当時の様子を思い出したためか大量の冷や汗が流れていたそうな。
「……うう。穴があったら入りたいよう」
翌日。障子の桟をちまちまと拭きながら、サキはガックリ項垂れていた。
「穴なら自分で掘ればいいじゃない」
「そりゃまあ兎ですがー。私はそれより最速を目指すのよー……ああ別に勝負したい訳じゃないのよウフフ!」
半ば虚ろな表情で、ついついと桟掃除をするサキを見て、数名の同僚たちが首を傾げるが、まあいつものことか、とすぐに自分の作業に戻っていく。
(いくら最速を目指しているのを公言してるからって、
私が霧雨魔理沙さんに勝負を挑みたいと思ってるだなんて大言、他の子たちに知られるわけにはいかない……ッ!
どーせあの天狗が人の秘密を守る訳なんてないんだから、こうなったら最終手段よ!)
ぐぐっと雑巾を握りしめる。
(あの天狗が新聞を届けに来た瞬間、地獄突きで確実に落とす!)
大丈夫だ。自分ならやれる。何度も脳内でシミュレートした。そうぶつぶつと呟きながら、サキは桟掃除をしつつ、天狗の気配を必死に探っていた。
その様子はかなり異様に映るようで、サキに近付こうとする者は皆無だった。
結界を張ったかの如く他の兎を寄せ付けないサキは、ひたすら小声で何やら呟いていた。
しかし。
射命丸文が新聞を届けることはついぞなく。
気付けば一日が終わろうとしていた。
「……見逃してもらえた? いやいやいや。忘れるな私。あのときの天狗の表情を」
なんというか、かぶりつきだった。
絶対記事にしてやるぞ、といったオーラがひしひしと伝わってくる、そんな表情だったことを覚えている。
記事にするのが間に合わなかったのだろうか?
いやいや、あれだけ真剣だったのだ。おそらく屋台を出てから速攻で記事起こしをしたに違いない。
では、予想以上に大作となり、時間がかかっているということなのだろうか……?
だとしたらまずい。
ただでさえ、恥ずかしくて周りには知られたくないネタなのに、それを大々的に取り扱われ、万が一同僚に見られたりしたら──想像するだけで背筋が寒くなる。
ならば、来るとすれば明日か。
(来るなら来い! 空中サキチョップで絶対に沈めてやる!)
そう意気込んで、とりあえず夕食の場へ向かうことにする。
今晩は好物の牡蠣鍋だ。お腹一杯食べて、明日の戦の糧にしよう。
「……ん?」
夕食の場へと向かう途中。
何やら騒がしさが聞き取れた。侵入者だろうか?
「それにしては警報もないし……?」
半ば首を傾げつつも、てこてこと騒がしさを感じた方へ向かうサキ。
歩みを進めるにつれ、騒がしさの正体がわかってきた。
誰かと誰かが言い争っている。
どちらも聞き覚えのある声で──
「──って、この声は!?」
脳がその意味を認識した瞬間、サキは全速力で駆け出していた。
さすがは最速を目指す兎といったところか。その速度は凄まじく、まるで流星のように駆け抜ける。
ズザーッ! とブレーキングをかけながら、言い争いをしていた2人の間に到着する。
(──やっぱり! 鈴仙様と天狗だった!)
「さ、サキちゃん? どうし──」
突然現れたサキに驚きの声を上げる鈴仙。しかしそれが言い終えられるより速く、サキはもう一人──射命丸文に向かって全身全霊を込めた拳を──
「うわ、危ないですねえ」
ぱすん、と。
台詞とは裏腹に緊張感ゼロの声と同時、あっさりと文に受け止められていた。
流石天狗といったところか。しかしコレでは終わらない。更なる連撃で絶対に仕留める……ッ!
「って、なんでそんなに殺気立ってるんですか?」
ぺしん、と頭をはたかれた。
いけない。遊ばれている。ここは冷静になって体勢の立て直しを──
──って、そういやこの天狗は何をしに来たのかしらん?
新聞を配りに来たわけじゃなさそうだ。
この天狗の場合、確か新聞は投げっぱなしの方法を取っていたはず。
わざわざ上がり込んで云々は流儀ではなかったはず。
てことは、少なくとも、新聞を配りに来たわけではなさそうだ。
「落ち着きました?
いきなり殴りかかってくるなんて、やっぱり兎は凶暴ですね」
けろりとした表情でよく言うわ、とサキは思った。
何か言おうかと思ったが、それより早く、鈴仙が口を開いた。
「……それで天狗さん。いったいどういうご用件で?」
「こちらの兎さんは随分と素っ気ないですね。
この前の写真のことはちゃんと謝ったじゃないですか」
「……ちょっ! 人のぱ、ぱ、……ッ! しゃ、写真を幻想郷じゅうにばらまいておいて、その言い方って酷いんじゃない!?」
「ですからー。写っちゃったのは偶然ですってば。
だいたいそんな短いスカートはいてるのがいけないんですってば」
「……喧嘩なら買うわよ?」
「こっちの兎さんもやっぱり凶暴ですねー。
というか、今日は月の兎さんに用はありません。
そちらの飛べない兎さんに用があって来たんですよ」
「……サキちゃんに?」
文と鈴仙の視線がサキに向けられる。
用とはいったい何なのか、さっぱりわからないサキとしては、目をぱちくりさせるのみ。
「……私、に?」
「そうなのですよー。
昨日の貴重なお話を受けて、私としても是非とも素晴らしい記事のため、もとい貴方の夢を叶えるため、協力したいと思った次第なのです!」
胡散臭え。
……っていうか、協力?
「ちょ、協力って何するつもり──」
射命丸文は、誇らしげに胸を張り。
「霧雨魔理沙さんに挑みたいんですよね?
この度、文々。新聞が全面的に協力して、その望みを叶えてあげます!」
「……は?」
ちょっと待って。
脳の処理が追いつかない。
今、この天狗は何と言った?
「──文々。新聞主催!
白黒の流星 VS 地を駆ける兎
最速を賭けたエキシビジョンマッチを行わせて頂きます!
流星は手加減という言葉を知らず、兎は怠ける気が皆無! これは面白い勝負になりそうですねー!」
……え?
「ええええええええええええええええええええええええっっっっっ!!!!?」
《続く》
*褌を引き締めてからどうぞ*
永遠亭。
人里離れた竹林の奥深くに存在する、人でない者の生きる場所。
其処に迷い込んだ者は、騙され二度と出られなくなるか、はたまた怪しげな薬の実験体となるか。無事に帰った者はいないと噂される、そんな妖怪屋敷である。
「……妖怪屋敷といっても、住んでいるのは私みたいな可愛いウサギちゃんばっかだけどねー」
「誰に向かって言ってるの、サキちゃん?」
独り言言う暇あったら掃除の手を休めるんじゃねえよボケ、といった視線を向けてくる同僚に、ゴメンゴメンと愛想笑いを返しつつ、妖怪兎のサキは自分の作業に戻る。
痺れるような冷たい水に、雑巾を浸けてじゃぶじゃぶじゃぶ。
ぎゅーっと絞って板張りの廊下へ。
雑巾セット。構えもOK。
「そして私は星になる!」
どたばたどた、と全速力で雑巾がけ。
スカートの中が丸見えだけど気にしない。
雑巾がけ最速の座を、誰にも譲る気はなかったりする。
端から見たら非常にどうでもいい決意ではあるが。
それでも、サキという妖怪兎にとって、“最速”の称号は、誰にも譲りがたいものであった。
まあ。
下着を惜しげもなく晒して廊下を突き進むその姿に、
追いつこうとする者など永遠亭には存在しないかもしれないが。
「えーりん! えーりん! ひまー!」
「ウドンゲ、姫の相手をお願い」
「ちょ、師匠、私に死ねと!? あっ! こら、てゐってば、私を置いて逃げるなーっ!」
今日も今日とて、永遠亭は賑やかだった。
少し前のような陰鬱さは欠片も窺えず、開けっ広げな喧しさが、竹林を賑わせる。
月の異変からの永遠亭は、それ以前とはがらりと色を変えていた。
隠れなくても良いとわかった住人たちは、それはもうはしゃぎっぷりが尋常ではなく。
いつぞやの花の異変では、兎全体が浮かれて仕事にならなかったほどである。
結局、花の異変はうやむやに終わり、幻想教は平常に戻ったが──永遠亭のノリは結局そのままで。
今日も今日とて、永遠亭は賑やかだった。
永遠亭に住んでいるのは月の貴人とその従者たち。
蓬莱山輝夜と八意永琳、因幡てゐや鈴仙何ちゃらは、永遠亭の外にもその名が広まっているが、それ以外の妖怪兎たちは、基本的には外に出ることは殆ど無い。
単体で外に繰り出しても、どうせ妖怪として追われた挙げ句、調伏されるのがオチである。
特に最近は空飛ぶ巫女が幅をきかせているため、幻想郷の空は無法地帯と聞いている。
まあそれ以前に外に知り合いなんてほとんどいないため、外出する必要すらないわけだが。
「きょーおはたっのしいお休みだー」
よって、兎たちは永遠亭の中で余暇を過ごすのが基本である。
それはサキも例外ではない。
が。
「……追い出されたー。ウボァー」
独りとぼとぼと、竹林を歩いていた。
同室の子に、部屋を蹴り出されたわけなのだが。
「……そりゃあ永遠亭は造りがボロ──じゃなくて古式ゆかしいから、揺れやすいのはわかってるよ。
でもさー、相部屋の親友が最速目指して腿上げ運動するくらいは見逃して欲しいような気がするー」
ぐちぐち呟きながら竹林を歩く。
こうなったら外で訓練するしかないのだが、生憎竹林は走るのには向いていない。
「むー。みんなみたいに空を飛べたらなあ……」
ぽつり、とつまらない本音が漏れる。
もう諦めたはずのこと。
でも、気を抜けば口から零れてしまう。
──妖怪兎のサキは、空を飛ぶことができない。
妖怪全てが空を飛べるわけではないが、力のある妖怪はほとんど空を飛ぶことができる。
永遠亭の妖怪兎たちも、実はサキ以外の全員が飛行可能だったりする。年端もいかない子兎まで。
だからといってサキが妖怪として弱すぎるのかというとそうでもなく、腕っ節でも弾幕勝負でも、他の兎よりは一段階上である。
ただ、空を飛ぶことができないだけ。
それだけで、サキは因幡軍団では掃除係兼雑用だし、侵入者迎撃隊にも入れてもらえないしで、散々である。
べつだん、己の力を誇示したいとか、そういった気持ちはさらさらない。
しかし、それとは別に、胸の奥に言いようのないもやもやを覚えるのも事実であった。
昔は、こんなこと気にしていなかったのに。
飛べないことも、めんどくさい仕事をやらなくて済むなあ、程度にしか考えてなかった。
それがぶち壊されたときのことは、今でも鮮明に覚えている。
八意永琳が秘術を尽くし、幻想郷から本当の月を隠した夜。
七色の魔法使いに連れられて。
──彼女が、永遠亭に突入してきた。
箒に跨り、立ち塞がる兎軍団を歯牙にもかけず、ただまっすぐに突き進んでいた。
白黒の流星。そんな言葉が頭に浮かんだ。
駆け抜ける流星は、上司のてゐや鈴仙をあっさり撃破し、ついには永琳や輝夜まで撃ち落とした。
それを目の当たりにしたときの感情は、上手く言葉では言い表せない──否、ひとつだけ、明確な想いは浮かんでいた。
かっこいいなあ、と。
速いことは、それだけで綺麗なんだと知ってしまった。
流星のように宙を駆けるのはどれだけ気持ちいいのだろうかと夢想した。
自分も彼女──霧雨魔理沙のように速く在りたい、と思ってしまった。
飛べないくせに。
でも、飛べないなら飛べないで、せめて地上では最速で在りたいと思った。
だからサキはあれから毎日訓練を積み重ねてきた。
掃除は常に全速力。暇があれば体を動かす。どうすればもっと速くなれるのか常に考える。等々。
流星に憧れた飛べない兎。
サキは今日も最速を目指す。
「──さて。こんな竹林じゃランニングもできないし……とりあえず外に出ようかなあ」
久々の休日。久々の外出。
どうせなら、広い道で、全速力で走ってみるのもいいかもしれない。
人間に出会ったら、そのまま走って逃げればいい。
何事もプラス思考が一番だ。
今できることをできるだけ楽しむのもまた、最速っぽくて良いではないか。
「よーし! 気合い入ってきた!
街道に出たら、まずは軽く3分ダッシュ10本だーっ!」
そう決めたらサキは速い。
転ばないよう慎重に、しかしできるだけ急ぎながら、竹林をひょいひょい進む。
その足取りはとても軽く。
今日一日を走り抜こうという意気込みに溢れていた。
「なーにか良いネタはありませんかねーっと」
雲ひとつない晴れわたった空の一点。
黒い影が、鼻歌交じりに飛んでいる。
射命丸文は、ネタを探していた。
手巻きの写真機を首に下げ、手帳を意味なくパラパラしながら、身を切るような冷たい空を勢いよく駆け抜ける。
年も明けて、幻想郷はすっかり気が緩んでいる。
こんなたるんだ空気なら、幾らでも珍事が起こってもおかしくないはずなのに、最近は目立った事件がない。
おかげで文のネタ帳は、ここしばらく更新される気配がない。
ストックはいくらかあるものの、そろそろ底をつきそうな雰囲気である。
適当な取材でもして適当な記事を上げればいいのかもしれないが──そこは昔気質の天狗様。手抜き記事など書く気はさらさら無かったりする。
「うーん……。次の大会は来週だしなあ。
正月ネタは特に面白いこともないし、かなり苦しい状況ですねー……」
日常の一コマから上出来な記事を書き上げる──それが一番いいのかもしれないが、それだときっと他の天狗連中と同じになってしまうだろう。
前回の大会で、紅魔館の潜入ルポで奨励賞を取った文としては、他の天狗たちとはひと味違ったものを書きたいところ。
「んー。イベントがないわけじゃないんですけどね……」
特に紅魔館。
あそこは当主が博麗の巫女にやられて開放的になってから、様々なイベントが催されるようになった。
つい最近も、年越しイベントなどを大々的に開いたりした。
本来なら、大会用にはそのレポートを書くつもりだった。
だが。
「潜入ルポで不興を買って、まさか出入り禁を喰らうとは……」
天狗仲間には好評だったのに、紅魔館の面々には好まれなかったのか、記事を公開した翌日、大量の抗議と弾幕が文を襲ったりした。
そんなに怒られるようなことを書いたかなあ、と文は一人首を傾げる。
門番がサボってメイド長を模した人形を吊して遊んでいたところや、紫ピンクの引きこもりが黒白魔法使い人形に鼻血を振り掛けていたところや、メイド長が当主そっくりの人形でギャランドゥしていたところや、当主が巫女の人形を意味深なところに挟んでいたところなどをこっそり激写して幻想郷中にばらまいただけなのに。
『痛! 痛いですって咲夜さん! っていうかそれ以上ナイフ刺さりませんって痛!』
『ねえ……小悪魔。魔理沙が最近喋ってくれないの……』
『オジョウサマオジョウサマオジョウサマオジョウサマ……』
『うう……ぜったいれいむにきらわれたぁ……ぐすっ……』
何か幻聴が聞こえた気がしたが、総スルーの方向で。
「あと、ネタがありそうなのは……永遠亭かマヨヒガくらいですかねえ」
とはいっても、永遠亭は偶に宝物殿を公開したりする程度だし、マヨヒガはそもそも主が冬眠中である。
へにょり耳の兎か、八雲藍の下克上ネタでも取材するか……いやいや、大して面白くない。
博麗神社の巫女は相変わらず干涸らびているし、
魔法の森はせいぜい七色魔法使いが一人遊びに耽っている程度だろうし、
ワーハクタクと不死人は一方的な姫始め中がまだ続いているだろうし、
三途の川は死神が相変わらずサボって閻魔の胃に穴が空いたくらいだろうし。
「やばっ……!
本気でネタがありませんよ……!?」
無難に書きためておいたネタを使って、今回の大会は他人に賞を譲るしかないのだろうか。
「……それは、嫌です!」
一度上位に食い込んだのだ。
それだけで満足せずに、更なる高みを目指すのが記者魂ではなかろうか。
まだ一週間ある。
とにかく足──もとい翼を使ってネタを探す。それしかない。
「ふふふ……燃えてきましたよー!
こうなったら何が何でも、次の大会は大賞狙いで!」
まだネタすら決まってないというのに、血気盛んなことである。
そんな荒ぶる熱意を胸に秘め、射命丸文は身を切るような寒空の中、勢いよく飛んでいった。
「──おや? あれは……」
どれだけ幻想郷中を飛び回っただろうか。
カラッカラの青空は、いつのまにかとっぷり暗く闇に落ち、そろそろ今日は終わりにしようかしらん、といった頃合い。
村と村とを繋ぐ小道の傍らに、一軒の屋台が現れていた。
文の記憶が確かならば、アレは夜雀──ミスティア・ローレライが営んでいる焼き八目鰻の屋台である。
ネタを見逃すまいと、一日中目を凝らして飛んでいたため、目も結構疲れている。
このまま帰って寝るだけでは、目の疲れは癒しきれない可能性が高い。
「……お腹も空いてることですし、ちょっと焼き八目鰻でも食べていきましょうかね」
くるる、と可愛く鳴ったお腹を押さえ、文は夜闇に赤く灯る屋台へと、ゆっくり降下していった。
「ふ……ふふ…………もう走れないぞー……ガクリ」
空は既に茜色を通り越し、月に蒼く染められている。
結局一日中走り回ったサキは、乳酸バキバキの状態で、ふらふら街道を歩いていた。
今なら人間と遭遇しても走って逃げるどころかあっさり捕まって兎鍋にされる自信でイッパイである。
永遠亭に門限はないため、寝る時間さえ確保できれば、いつ戻っても問題ないのが救いである。
「……でも、今晩の夕食は逃しただろうなー」
心優しい同室の子が、自分の分をとっておいてくれる──そんな優しい幻想は丸めてポイだコンチクショウ。
きっと嬉々としてサキの分もペロリと平らげるに違いない。太ってしまえ。
「今晩は夕食抜きかなあ……。流石に人間の里でご相伴にあずかるわけにはいかないし」
よろよろカックンよろよろカックン、と力無く街道を進むサキ。
体力的にはかなりギリギリである。
こんな状態で帰って寝ても、朝までに体力は回復しないやもしれぬ。
何か元気の付くものでも食べたいところではあるが……。
「……妖怪が経営してる食事処とか……そんな夢のようなのがあればいいんだけどなあ」
とはいっても、そんな奇特な店は簡単には──
「──って、あら?」
夜闇に浮かぶ、赤提灯。
達筆とは言い難い字で『焼き八目鰻』と書かれている。
そういえば、以前永遠亭に届いた新聞に、夜雀が経営している屋台の記事が載っていた気がする。
こんな辺鄙な場所で屋台を開く人間なんていないだろう。
ということは、つまりアレは妖怪の開く屋台であり、
「……っしゃあ! 夕食げっつ!」
幸いなことに手持ちの銭は寂しくない。
お腹一杯食べることも可能だろう。
サキはつい先程までの疲労も忘れ、るんるん気分で屋台へ向かった。
そして、奇妙な光景を目にした。
「いぬ~♪ いぬ~♪ 今年は戌年~♪
私の時代は終わりそう~♪
文化帖ではカラスが活躍、同じ鳥なのにこの差は如何に~♪
ってか主役まじウゼェ」
屋台の店主が声高らかに歌っている。
そしてその正面で、下を向きながらぼそぼそと焼き串を食べている天狗の少女。
店主の歌声にこもる殺意と、肩身狭そうに食している天狗の侘びしさが、ビンビンに伝わってくる空間だった。
歌の意味はサキにはさっぱりわからなかったが、店主が天狗をいびっているというのはよくわかった。
さて。
ここでサキが取る行動はただ一つ。
「すみませーん。美味しい八目鰻をお腹一杯くださいな」
「あ、はーい。少々お待ちを~♪」
「って助けてくれないんですか!?」
天狗の少女が涙目で縋り付いてきた。
サキの腰にがばちょと抱きつき、潤んだ瞳で見上げてくる。見る者が見ればかなり“そそる”光景ではあるが、サキはそれを邪険に振り払う。
「……ひどいです!
ああ、幻想郷に良心は存在しないのでしょうか!?」
「そんな芝居する余裕があるなら大丈夫でしょー。
っていうかアンタ天狗なんだから、夜雀程度にどうこうされるもんじゃないでしょうに」
「あれ……? お客さんー、さりげなく酷いこと言ってませんか~♪」
「うっさい、その取って付けたような音符マークはやめれ。
それより腹減ってるんだから串出せ串。早くしないとアンタに串刺すわよ」
最速を目指すサキは、気も早かった。
「な、なんか微妙な客が来た……けどまあ商売は商売っ♪
もうすぐ焼けるよ焼けたよお待たせー♪」
頬を引きつらせながらもできた焼き串をサキに渡してくる店主。
タレの香ばしい匂いが鼻を存分に刺激する。
走り通しで疲労しきったサキの口に、じゅるりと唾液が溜まってしまう。
「……お、お代は先? それとも後払い?」
「お腹空いてるんでしょ? 後で良いわよー」
「話のわかる夜雀だ! 惚れた!」
うひゃっほう、と焼き八目鰻にかぶりつくサキ。
自分の商品を美味しそうに食べてもらうのは嬉しいのか、それをにこにこ顔で眺める店主。
──と。
「そんなに強烈にかぶりつくなんて、よっぽどお腹が空いてたんですか?」
「あん? 食事の邪魔するならアンタをまず焼き鳥にするわよ天狗」
「……空腹で気が立ってるにしても、随分とまあ強気ですねー。
私が天狗で、それがどういうことかわかってるのにその態度。
普通の妖怪にしては珍しいっていうか、ある種の連中に似てるというか……」
「ごちゃごちゃうっさいわねー。
焼き鳥になるか焼き八目鰻をおごるか、どっちかを選びなさいよ」
「かといってそんなに強くはなさそうですし……。
貴方、永遠亭の兎さんですよね?」
「だったらどうだってのよ?
あ、夜雀さんおかわりー!
それと焼き鳥とおごりどっちにするの?」
「あ、じゃあおごりますよ」
「マジっすか!?」
ぐわばっ! と天狗の方に向き直るサキ。
先程までは空腹と疲労のため、半ば自動的(?)に受け答えしていたサキだったが、神のような提案と共に、相手への注意を最大レベルに変更した。
「やや、よく見れば華麗な天狗様で!
貴女様の御尊顔に私の瞳は焼き殺されそうです!
……で、おごりってマジすか?」
「いや、そんな取って付けたようなおべんちゃらは要りませんよ。
それより、色々話を聞かせて頂いてもよろしいでしょうか?
永遠亭に貴方みたいな人がいたなんて知りませんでしたし」
「いやはや、お話だけでおごりとはなんて太っ腹な!
まるでどこぞのメイドのよう!
もう何でも話しちゃいますよー! 同室の子の寝言でもOKね!
……で、おごりって嘘じゃないでしょうね?」
「ミスティアさーん。今晩はこの屋台貸し切りでー」
「合点承知~♪」
「天狗様! 愛してます!」
わいわいがやがや、と屋台は賑やかに。
夜雀が歌い、天狗が質問や相槌を巧みに使い分け、サキはお腹一杯気分良く、色々なことを話していた。
豪快なオゴリで、天狗の話術もなかなかのものだった。
故にサキの気分は最高潮に。久しぶりの気持ちいい夜だった。
だからだろう。
気付いたときには、ぽろり、と零してしまっていた。
「いや、まあ、コンプレックスってほどでもないんだけどね。
自分だけ飛べないってのは確かに微妙な気分だけど、だからこそ頑張って、いつか霧雨魔理沙さんより速く──」
言ってしまってからハッとした。
本来なら、意識の片隅に浮かべることすら不敬罪。
憧れの存在と、いつか勝負してみたいだなんて、そんな子供じみた感情を、ついうっかり零していた。
慌てて口を塞いだ時には既に遅く。
天狗──射命丸文はニヤリと笑い、聞き逃していないことをアピールした。
誤魔化そうにも既に大量に御馳走になってしまった状態。
気付けばサキは、天狗の網に捕らわれていた。
それから全てを吐き出させられるまで、それほど時間はかからなかった。
その様子を見ていた店主のミスティア・ローレライ氏は後に語る。
『いやあ……私なんかが天狗様に楯突こうだなんて思い上がってました。もうこの屋台で細々とやっていく程度が私にお似合いですよアハハ』
そう述べるミスティア氏のこめかみには、当時の様子を思い出したためか大量の冷や汗が流れていたそうな。
「……うう。穴があったら入りたいよう」
翌日。障子の桟をちまちまと拭きながら、サキはガックリ項垂れていた。
「穴なら自分で掘ればいいじゃない」
「そりゃまあ兎ですがー。私はそれより最速を目指すのよー……ああ別に勝負したい訳じゃないのよウフフ!」
半ば虚ろな表情で、ついついと桟掃除をするサキを見て、数名の同僚たちが首を傾げるが、まあいつものことか、とすぐに自分の作業に戻っていく。
(いくら最速を目指しているのを公言してるからって、
私が霧雨魔理沙さんに勝負を挑みたいと思ってるだなんて大言、他の子たちに知られるわけにはいかない……ッ!
どーせあの天狗が人の秘密を守る訳なんてないんだから、こうなったら最終手段よ!)
ぐぐっと雑巾を握りしめる。
(あの天狗が新聞を届けに来た瞬間、地獄突きで確実に落とす!)
大丈夫だ。自分ならやれる。何度も脳内でシミュレートした。そうぶつぶつと呟きながら、サキは桟掃除をしつつ、天狗の気配を必死に探っていた。
その様子はかなり異様に映るようで、サキに近付こうとする者は皆無だった。
結界を張ったかの如く他の兎を寄せ付けないサキは、ひたすら小声で何やら呟いていた。
しかし。
射命丸文が新聞を届けることはついぞなく。
気付けば一日が終わろうとしていた。
「……見逃してもらえた? いやいやいや。忘れるな私。あのときの天狗の表情を」
なんというか、かぶりつきだった。
絶対記事にしてやるぞ、といったオーラがひしひしと伝わってくる、そんな表情だったことを覚えている。
記事にするのが間に合わなかったのだろうか?
いやいや、あれだけ真剣だったのだ。おそらく屋台を出てから速攻で記事起こしをしたに違いない。
では、予想以上に大作となり、時間がかかっているということなのだろうか……?
だとしたらまずい。
ただでさえ、恥ずかしくて周りには知られたくないネタなのに、それを大々的に取り扱われ、万が一同僚に見られたりしたら──想像するだけで背筋が寒くなる。
ならば、来るとすれば明日か。
(来るなら来い! 空中サキチョップで絶対に沈めてやる!)
そう意気込んで、とりあえず夕食の場へ向かうことにする。
今晩は好物の牡蠣鍋だ。お腹一杯食べて、明日の戦の糧にしよう。
「……ん?」
夕食の場へと向かう途中。
何やら騒がしさが聞き取れた。侵入者だろうか?
「それにしては警報もないし……?」
半ば首を傾げつつも、てこてこと騒がしさを感じた方へ向かうサキ。
歩みを進めるにつれ、騒がしさの正体がわかってきた。
誰かと誰かが言い争っている。
どちらも聞き覚えのある声で──
「──って、この声は!?」
脳がその意味を認識した瞬間、サキは全速力で駆け出していた。
さすがは最速を目指す兎といったところか。その速度は凄まじく、まるで流星のように駆け抜ける。
ズザーッ! とブレーキングをかけながら、言い争いをしていた2人の間に到着する。
(──やっぱり! 鈴仙様と天狗だった!)
「さ、サキちゃん? どうし──」
突然現れたサキに驚きの声を上げる鈴仙。しかしそれが言い終えられるより速く、サキはもう一人──射命丸文に向かって全身全霊を込めた拳を──
「うわ、危ないですねえ」
ぱすん、と。
台詞とは裏腹に緊張感ゼロの声と同時、あっさりと文に受け止められていた。
流石天狗といったところか。しかしコレでは終わらない。更なる連撃で絶対に仕留める……ッ!
「って、なんでそんなに殺気立ってるんですか?」
ぺしん、と頭をはたかれた。
いけない。遊ばれている。ここは冷静になって体勢の立て直しを──
──って、そういやこの天狗は何をしに来たのかしらん?
新聞を配りに来たわけじゃなさそうだ。
この天狗の場合、確か新聞は投げっぱなしの方法を取っていたはず。
わざわざ上がり込んで云々は流儀ではなかったはず。
てことは、少なくとも、新聞を配りに来たわけではなさそうだ。
「落ち着きました?
いきなり殴りかかってくるなんて、やっぱり兎は凶暴ですね」
けろりとした表情でよく言うわ、とサキは思った。
何か言おうかと思ったが、それより早く、鈴仙が口を開いた。
「……それで天狗さん。いったいどういうご用件で?」
「こちらの兎さんは随分と素っ気ないですね。
この前の写真のことはちゃんと謝ったじゃないですか」
「……ちょっ! 人のぱ、ぱ、……ッ! しゃ、写真を幻想郷じゅうにばらまいておいて、その言い方って酷いんじゃない!?」
「ですからー。写っちゃったのは偶然ですってば。
だいたいそんな短いスカートはいてるのがいけないんですってば」
「……喧嘩なら買うわよ?」
「こっちの兎さんもやっぱり凶暴ですねー。
というか、今日は月の兎さんに用はありません。
そちらの飛べない兎さんに用があって来たんですよ」
「……サキちゃんに?」
文と鈴仙の視線がサキに向けられる。
用とはいったい何なのか、さっぱりわからないサキとしては、目をぱちくりさせるのみ。
「……私、に?」
「そうなのですよー。
昨日の貴重なお話を受けて、私としても是非とも素晴らしい記事のため、もとい貴方の夢を叶えるため、協力したいと思った次第なのです!」
胡散臭え。
……っていうか、協力?
「ちょ、協力って何するつもり──」
射命丸文は、誇らしげに胸を張り。
「霧雨魔理沙さんに挑みたいんですよね?
この度、文々。新聞が全面的に協力して、その望みを叶えてあげます!」
「……は?」
ちょっと待って。
脳の処理が追いつかない。
今、この天狗は何と言った?
「──文々。新聞主催!
白黒の流星 VS 地を駆ける兎
最速を賭けたエキシビジョンマッチを行わせて頂きます!
流星は手加減という言葉を知らず、兎は怠ける気が皆無! これは面白い勝負になりそうですねー!」
……え?
「ええええええええええええええええええええええええっっっっっ!!!!?」
《続く》
まずは様子見。次回をお待ちしています。
追記。
サキちゃんの姉妹にく○みとか○リン○ってのはいませんか?(をい)
・・・あぁ、鋼鉄か。出てこなかった。
これなんて宗教?
そんな事で-10点つけるなんてガキか、お前は。