その家には、一組の親子が住んでいました。
ある時、子供がうっかり花瓶を割ってしまい、母親に怒られてしまいます。
しかし、その子は怒られるのが嫌だったので嘘を吐きました。
ですが所詮は子供の考える嘘。大人には全然通用しません。
それを指摘すると、子供はおろおろしながら尚も言い訳を続けます。
怒った母親は言いました。嘘吐いたって、閻魔様はお見通しなんだからね、と。
それを聞いた子供は、こう思いました。
『閻魔様なんて、いる訳ないじゃないか』
そのアパートには、一組の夫婦が住んでいました。
夫は仕事もせず昼間から酒を呑み、時々妻を殴ったりしていました。
妻は涙ながらに酒を止めてくれと言いますが、男は逆に激しく怒って妻を殴ります。
壁にぶつかってずるずると倒れこむ妻に背を向けて、男は再び酒を呑み始めました。
しばらく男は酒を呑んでいましたが、その声に気が付き振り返ります。
倒れたままの妻はこう呟いていました。お前なんか地獄に落ちろ、と。
男は倒れた妻を蹴り飛ばし、こう思いました。
『地獄なんて、ある訳ないだろ』
その取調室には、一人の刑事と、一人の人殺しがいました。
刑事は尋ねます。何故、殺したのか、と。
人殺しは答えます。ムカついたからだ、と。
更に人殺しは言いました。俺はいつ出られるのか、俺は未成年だし、優秀な弁護士も付いている。精神鑑定で心神喪失状態だったと認められた筈だ。いつまで俺を、こんな所に閉じ込めておくつもりだ。早く此処から出せと、唾を飛ばして大声で叫びます。
刑事も負けじと声を張り上げます。ふざけるな、お前は全くの赤の他人を、三人も殺したんだぞ。お前には罪の意識ってものがないのかと、机をばんばん叩いて叫びます。
それを聞いた人殺しは、ふん、と鼻で笑うだけでした。
翌日、人殺しが精神病院に移行される事になりました。
にやにやと、嫌な笑みを浮かべる人殺しに向かって刑事は呟きます。貴様のような奴はいずれ地獄に落ちるぞ、と。
それを聞いた人殺しは、腹を抱えて笑いながら言いました。
『今時、地獄だって? おっさん、馬鹿じゃねーの?』
『張子の虎 ~a fictional guardian~』
ひらひらと
はらはらと
紫の桜が、風に吹かれて舞い踊る。
轟々と唸りを上げる風に、
飄々と吹き上げる旋風に
舞って舞って散り行く紫の欠片。
飽きる事なく咲き続け、尽きる事なく散り続け、この世界を淡い色彩に染めていく。
幽玄に霞み、見渡す限り桜しか存在しない、この世ならざる情景。
生命に満ち溢れ、同時に死も内包したその空気。
其は正に彼岸の顕現と言えよう。
その中に一人佇むは、やはり生命なき亡霊嬢。
その少女は淡い色の着物に身を包み、桜色の髪を風に任せ、悠然とそこに立つ。
それは立ち並ぶ桜並木の一つのように
それは悠久の時を経た楼閣のように
自然に、まるで空気のように無色で……ただ、そこにある。
少女はじっと舞い散る花びらを眺める。
その茫とした視線は一つところを見るでなく
さりとて、散り行く紫の花びらを追うでなく、
ただ視界に映る世界の全てを捉えている。
そのような達観したかの如き瞳、一体どれほどの年月を経れば得る事ができるのだろう。
十年か、百年か、千年か……
少女がそこに立って、どれほどの時間が過ぎたのか。紫の花びらが肩や頭に薄く降り積もり、少女はそれを払うでもなく、ただひたすらに紫の桜を眺めている。
そのまま、世界に溶けてしまうのではないだろうか。
降り続ける桜吹雪に、攫われるのではないだろうか。
少女の姿はどこか物哀しくて
哀れんだ桜がその姿を包み込もうとしていて
そんな幻想を打ち砕くように……それは現れた。
一際強い風が、地面に降り積もった花びらを舞い上げる。
渦巻く風が夢幻の花びらを纏い、轟々と鳴る風が静止した世界を裂き、花の嵐が視界の全てを遮った後――そこに閻魔が立っていた。
金の飾りをあしらった厳かな儀礼服。深緑色の髪に、尊き位を示す冠を被ったその姿。
幼ささえ残るその顔は同時に冬の厳しさを備え、蒼い瞳は全てを見透かす深さを持っていた。
「お待たせしましたか?」
「いいえ、ちっとも」
肩に積もった花びらを、払いもせずに少女は答える。
口元に笑みを浮かべ、おっとりとした口調で、ころころと笑いながら。
対して閻魔の表情は険しい。凛とした表情に僅かな疲れが見えるが、それを他人に悟らせないよう背筋を伸ばして立っている。厳粛な空気をその身に纏い、全てが曖昧模糊とした世界の中で、唯一確かな存在として其処にある。
桜の中に溶け込みそうな亡霊嬢。
桜の色に染まる事なく佇む閻魔。
天秤の両端のように、在り方を異とする二人。
それでも、いやそれだからこそ――向かい合う二人の姿は、一枚の名画のように美しかった。
「それで何のご用です? 私を呼びつけるなど」
不機嫌な表情を隠しもせず、閻魔はきつい口調で問い掛ける。
紫の桜が物語るように、まだまだ幻想郷中に、行き場のない幽霊たちが溢れかえっている。説教が効いたのか、近頃は死神も真面目に仕事をしているものの、とても捌ききれる量ではない。そして閻魔もまた、決して暇ではないのだ。六十年に一度の多忙さとはいえ、本来このように出歩く暇などありはしない。
しかし、そこは強者揃いの幻想郷でも、人の都合を考えない事では一、二を争う亡霊嬢。
いつものように、いつもの如く、
「んー妖夢から貴女の話を聞いてね。ちょっと一緒にお酒でも呑まないかなーと」
のんびり、朗らか、にこにこ笑って……袖から一升瓶を取り出した。
「……忙しいんですけど」
「そこを何とか」
「だから、暇じゃな……」
「そこを何とか」
「……」
「そこを何とか」
にこにこ笑いながら、じりじりと近づく亡霊。
経験上、この手の輩に逆らっても無駄だと悟っていた閻魔は深く溜息を付き、一杯だけですよ? と言って地面に腰を下ろした。
「ささ、まずは一献。とっときの大吟醸よ~」
亡霊はちょこんと座り閻魔の杯にとくとくと酒を注ぐ。ちなみにその杯も亡霊の袖から出てきたもの。かなりの大きさで、一体何処に隠し持っていたのか閻魔が訝しんでいると、再びごそごそと袖を漁って、にゅっと別の杯を取り出した。
閻魔が目を丸くするのも構わず、にこにこ笑って「ご返杯~」と催促してくる。苦笑しながら、閻魔は杯に酒を注いだ。溢れんばかりに注いだところで、互いに杯をこつんと合わせ、同時にきゅっと杯を傾ける。
「ふぅ……これ、良いお酒ですね」
「でしょー、やっぱり水が良いと味も違うのよねぇ」
「これはどちらのお酒ですか? 銘柄は書いてないようですが」
「紫が持って来たお土産。何でも外の世界の酒造りで、身内にしか振舞わない秘蔵の一品を、ちょろまかしたヤツらしいわ~」
「全く……あの人も相変わらずですね」
苦笑しながらも閻魔の顔が緩む。ちびちび呑んでいるが、酒を口に運ぶ時の幸せそうな顔が、隠し切れてない。亡霊はいつも通りにこにこ笑っているが、二割増しで目元が緩んでいる。美味い酒に言葉は不要。呑み干す時に零れる笑みが、その酒の全てを物語る。
「ところで、本当は何の用なんです? ただお酒を呑むためだけじゃないでしょう?」
「お酒を呑みたかっただけよ~本当に~」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃないわ~」
「嘘ばっかり」
「嘘だけどね~」
閻魔は、やれやれと肩を竦めた。
亡霊は、いつの間にか取り出した扇で口元を隠し、にこにこと笑っている。相変わらずその表情から何も読み取る事が出来ない。掴みどころがない事、霞の如しである。
「紫に教えてもらうまで思い出せなかったけど……私って、貴女と会った事があったんだって。貴女知ってた?」
「憶えてなかったんですか!?」
「えぇ、すっぱりと」
「……」
「でね、やっと貴女の事を思い出したから。まぁ折角だから一緒にお酒でも呑もうかと」
「……つまり、私は酒のツマミな訳ですね」
「あら嫌だ。そんな事ないわよ~」
閻魔は知っている、あれは嘘吐きの目だ。顔を引き攣らせながらヤケクソ気味に杯を仰ぐ。
「はぁー全く……相変わらずですね貴女は。六十年前と何も変わっていない」
やれやれと首を振りながらじろりと睨むが、亡霊は相も変わらず、にこにこへらへら笑うだけ。
暖簾に腕押し、ぬかに釘、蛙の面に……とは正にこの事である。閻魔は一升瓶を手繰り寄せると手酌でなみなみと酒を注ぐ。遠慮するだけ無駄なのだ、この天然には。亡霊はなーんにも考えていないような呑気な顔で手元の杯をぐっとあけ、ぷはーと熱い息を吐いている。太平楽々大海の如し。いや、海のない幻想郷においては西行寺の如しと言う方が通じ易かろう。
亡霊も閻魔も、手酌でぐいぐいと空けていく。呑み始めて5分と経っていないのに、すでに半升空いてしまった。二人とも頬がほんのり桜色に染まる程度、まだまだ余力を残している。二人を潰すには一斗樽でも用意せねばなるまい。
「変わってないのはお互い様でしょ。貴女もぜーんぜん変わってないわ~」
「覚えてなかったでしょうが」
「覚えてるってば~」
「嘘吐きは舌を引っこ抜きますよ?」
「すいません。私、嘘を吐いておりました~」
深々と土下座する亡霊。だがどうせ下げた頭の下で舌でも出している。見なくても判る。ホントに引っこ抜こうかしらと閻魔は物騒な事を三秒考えるが……どうせ一枚引っこ抜いても五枚、十枚残っているだろう。判決『無駄』
「……良いですよ、もう。そんな心の篭ってない謝罪など不要です」
「ホントに?」
「えぇ」
「じゃ、謝るのやーめた~」
春のような満面の笑み。これを出されては閻魔も苦笑するしかなかった。
それに宴の席で説教をする程無粋じゃない。釣られて思わず顔を綻ばせながら杯に口を付ける。これほど見事な酒を振舞われては、清廉潔白を旨とする閻魔と言えど見逃すしかなかろう。言っても無駄だという事も骨身に染みていたし。
「でも、変わってないって言ったのはホントよ~」
「そうですかね?」
「えぇ、相変わらず……無駄な事してんだなーって」
その言葉を聞いた瞬間、閻魔の表情が凍った。
表情を強張らせて、杯に残った酒に映る自分の顔を眺める。
「……どういう意味です?」
顔を伏せたまま、ただその声音だけが変わる。杯に映る深青の瞳、その色が濃さを増す。
亡霊は杯に酒を注ぎながら、相変わらずにこにこと笑いながら、
「言葉通りよ~ いつまでそんな、つまらないお芝居を続けるつもりかしら」
そう言って、杯に口を付けようとした時
――瞬っ、という音が走り、亡霊の首が転げ落ちた。
てん、てん、ててて……
立て膝をつくと同時に横薙ぎに振るった閻魔の笏。その一閃が、迷いも躊躇いも無く亡霊の首を斬り落とす。
ころころと転がる首。驚いたように見開かれた目。鞠のようにころころと転がって、閻魔の方を向いて動きを止める。その生命なき目が、閻魔の顔を見つめている。
表情を消したまま、無言で睨み続ける閻魔。轟っ、と風が吹き、舞い散る桜の数が増す。
吹き付ける風に顔を顰めながら、その首から視線を外さないでいると
その首が――にたりと笑った。
「怖いわねぇ」
その声は、閻魔の背後から聞こえてきた。
立ち上がり振り返った先には、扇で口元を隠し幽雅に微笑む亡霊の姿。背後に転がる死体が崩れ、光輝く無数の蝶へと変わっていく。
二人を包み込むように、色鮮やかな無数の蝶が舞い踊る。
舞い散る桜と競い合うように――ひらひらと、はらはらと。
「……貴女は、それを誰かに話しましたか?」
「話してたら、どうするのかしら?」
「……その方も不幸になるでしょう」
「あらあら、それは怖いわねぇ」
二人の周りを廻る蝶は、一周廻る毎にその数を増していく。
赤い蝶と蒼い蝶がぶつかって、紫の蝶を生み出す。
蒼い蝶と橙の蝶がぶつかって、緑の蝶を生み出す。
薄紅色の蝶が大きくはばたき、黄色の蝶がゆらゆら揺れる。
無数の彩光乱舞に包まれ、それでも閻魔は亡霊の瞳だけを見つめている。
深い蒼の瞳に……昏い炎を灯したままで。
「……戯言を取り消しなさい。今ならまだ間に合います」
その言葉に本気の剛さが込められ、空気が帯電したかのように震える。
噴き上げる激情を鋼のような意志で押さえつけ、手にした笏を血が出るほどに強く握り締めながら
「もう一度言います。取り消しなさい」
――最後の宣告を行う。
「あら、何を取り消せと言うの?」
亡霊はその声を前にしても何一つ動じる事なく。
いつものように悠然と、いつものように泰然と、手にした扇で口元を隠し幽雅に妖しく微笑みながら
「貴女が救いようもない程……愚かだと言う事かしら?」
――そう言い放った。
閻魔の姿が霞み、次の瞬間には手にした笏で横薙ぎに斬り付ける。
笏を持った右腕を、身体に巻きつけるように捻らせてからの居合いのような抜刀。踏み込みの速さといい稲妻のような剣速といい、音に聞こえた魂魄流先代も眼を剥くような神速の剣技。その笏は樹齢千年を超える霊木から削り出したものとは言え、本来ただの木片に過ぎない。しかしその剣速と込められた霊力により、ただの木片は全てを切り裂く断罪の剣と化す。
胴薙ぎに振るわれた剣。踏み込みの速度と相まって残像すらも視認できない。
しかし流石は『舞』を極めたとされる亡霊嬢。
余裕の笑みを浮かべたまま流れに逆らわず、柳のように後ろに跳び神速の一撃を躱す。
いや――躱した筈だった。
「あら?」
その右袖が中程から断ち切られ、はらはらと地に落ちた。
切り口に繊維の解れはまるでなく、その鋭さを無言で物語る。
「断っ!」
閻魔は再び気勢を発し笏を振るう。矢継ぎ早に繰り出される斬撃、無呼吸で振るわれるその剣は、一撃毎に速度を増していく。横薙ぎに振るわれた剣は留まる事なく下段からの掬い上げへ移行し、掬い上げられた剣は倍の速度で振り下ろされる。軽く短い笏である為か、その斬撃に慣性を殺す所為は不要。止まる事なく奔り続ける晦ましも緩急もないひたすら真っ直ぐな剣。ただその裂帛の意志と速度が尋常ではない。
その連撃を舞うように躱す亡霊は笑みを絶やさぬまま。しかし額に流れる汗は隠せない。
弾幕などという遊びではない本気の殺意が込められた攻撃。一度死んだ身とは言え、閻魔の霊力が込められた斬撃をその身に受ければ、いかに亡霊といえど消滅は免れぬ。
それでも口元に浮かぶ笑みを消さぬのは、西行寺としての矜持。いつ如何なる時も幽雅たれという己に科した枷。
髪を服を白き肌を、たとえ何度刻まれようと絶対に笑みを絶やしはしない。
「成っ!」
消えぬ笑みに業を煮やしたか、閻魔はその一刀に全てを賭ける。
より一層の踏み込みを、より一層の速度を、より一層の意志を込めて振るわれる一閃。落雷のような爆音を上げて、襲い掛かる断罪の剣。そこに込められた莫大な霊気ならば触れるだけで魂魄すら霧散せしむ。光を凌ぐ速度の剣は、しかし
「ふぁ!」
神速の斬撃を紙一重で躱して、大きく後ろに跳ぶ亡霊。
一瞬とはいえ笑みが剥がれる。幾重にも巻いた帯が弾け飛び、淡色の着物がはだけて白い裸身を外気に晒す。
閻魔は追撃しようと身を乗り出し――足をはたと止めた。
「ふぅ、危ない危ない……危うく貴女のペースに飲まれるところだったわ」
いつの間にか、亡霊を護る様に無数の蝶が舞っている。
着物の前をはだけたまま……戦いによる昂揚か薄紅色に染まる白い裸身を惜しげもなく晒したままに、光り輝く夢幻の蝶をその身に纏って亡霊が微笑む――妖しく、幽雅に。
閻魔は知っている。その光り輝く蝶がどういうものなのか。
『死に誘う程度の能力』
人も妖も関係なく、衆生一切区別なく、有象無象満遍なく――あの蝶に触れた者は死ぬ。
理由も理屈もない……ただ死ぬのだ。それは、閻魔といえど例外ではない。
「……くっ!」
閻魔は歯噛みしながら笏を構え直す。その能力を知っていればこそ、接近戦を挑んだにも関わらず、仕留め損ねた事を悔やみながら。
視線が激しく動き死蝶の流れを追う。しかし流れに切れ間などなく、今この瞬間にもその数を増していく。幾十、幾百、幾千……とても見切れる数ではない。
「んふふ、今度は私の番ね」
亡霊がついっと指差す。それを合図に彩光乱舞の数多の蝶が津波の如く襲い掛かった。
無数のはばたきが連なって風を巻き起こし、無数の輝きが視界を奪う。怒涛のように迫り来る数多の蝶は、輝ける天蓋と成りて閻魔を飲み込まんと迫り来る。
「くぁっ!」
閻魔の剣が流星のように迸り、全てを押し潰さんと迫る光の蝶を片っ端から切り刻んでいく。だが余りにも数が違いすぎた。大きく笏を振り回し迫り来る蝶を薙ぎ払うと、歯噛みしながら地面を蹴って大きく後ろへ跳ぶ。
「逃がさないわよ~」
その動きを読んでいたのか、左右から大きく迂回していた無数の蝶が退路を塞ぐ。左右と後背を阻むと、時間差を付けて四方から怒涛のように押し寄せ、閻魔の小柄な矮躯を飲み込もうと襲い掛かった。もはや退路は上しかない。だがそれも読まれているのは必至。上に飛んだ時、その時こそが本当の詰みとなる。
しかし閻魔は――亡霊の意図を純粋な力で断ち切った。
「まだです! 『衆生滅罪』!!」
怒号のような炸裂音と閃光。閻魔は迫り来る死蝶の大群に目もくれず、裂帛の気合と共に手にした笏を地面に突き立てた。大地を突き破り千を超える光の剣が噴き上がり、触れる物みな斬り捨てる。其は斬るという意志の具現化。己であれば全て斬り伏せる事が出来るという確信をもって結果のみを顕在させる剣の奥義。顕現する千の剣は万を越える死蝶の大群を、飲み込み刻み引き裂いて全てを虚無へと還していく。
白き幻影剣舞が幕を閉じる時、夢幻の蝶は跡形もなく消え去り、後に残るは閻魔と亡霊の姿のみ。
「……驚いた、凄い事できるのねぇ」
亡霊は、ぽかんと口を開けて感嘆の声を漏らした。
死蝶による決死の包囲殲滅陣。かつてこの布陣を前に生き延びた者は幻想郷に名高き博麗の巫女のみ。それでも全てを符を用いて身を護るのが精一杯だった筈。それを真逆、全て斬り落とすとは。
「貴女……妖夢に剣を教えてやってくれない?」
「……お互い生きていれば、考えておきましょう」
奥義を持って奥義を破ったとはいえ、閻魔の疲労は色濃い。先の技にどれほどの霊力が必要なのか、その表情が物語る。それでも閻魔の眼光は鋭さを損なわれていない。真っ直ぐに目の前の亡霊を貫いている。
「まぁ確かに凄いけれど……果たしていつまで持つかしらね?」
亡霊に再び笑みが戻る。はだけた着物を風になびかせふくよかな乳房を隠しもせずに。
風に煽られた着物がずり落ち白い肩が覗く。細く折れそうなうなじは緩やかな稜線を描いて細い肩に繋がり、白い裸身はそれ自体が光を放つかの如く淡く輝く。
閻魔は一瞬見蕩れてしまった自身を内心で激しく叱責し、亡霊はそれを見透かしたかの如く微笑む。扇で口元を隠し――妖しく、艶やかに。
亡霊が二本目の扇を広げる。
目を閉じて右手の扇を僅かに動かすと、扇に描かれた蝶の絵が眩い光を放ちながら顕現し始めた。扇から浮かび上がるようにその姿を顕にしていく金の蝶。蛹から成虫になるかの如く、顕になるとともにその羽根を大きく広げ――
「――させないっ!」
亡霊の姿に心奪われた自分を振り切るように閻魔は疾る。
先の二の舞となれば分が悪いと見ての疾走。今ならまだ死蝶は顕現していない、この機を置いて勝機はない。時を遡るかのような速度で迫る閻魔。亡霊は呪の詠唱に入って瞳を閉じており、閻魔の姿を視認する事すら出来ぬ。一歩毎に加速し、間合いに入ると同時に脇に笏を構え、大地を揺るがす踏み込みと裂帛の気合と共に――胴薙ぎに断ち切った。
二つに断たれた亡霊がくるくると宙を舞う。
だが閻魔は駆け抜けた速度を殺さず、大きく地面を蹴って跳ぶと空中で振り返った。笏を下段に構えた状態で大地へと降り立ち、慣性の法則により滑ろうとする身体を右足一本で踏み止める。濛々と砂埃を巻き上げ、それでも視線は亡霊から外さずに。
「幻覚なのは先刻承知っ!」
切り裂かれ宙を舞う亡霊の身体が、またも色鮮やかな蝶の群れへと変化していく。その後ろに見えるは二本の扇を構えた傷一つない亡霊の姿。ヒトガタを模していた光の蝶が、亡霊の手にした扇に煽られ、三度閻魔へ迫り来る。
閻魔は下段に構えた笏を両手で強く握り、羽音と共にその数を増す死蝶の群れを毅然と睨み、残された力の全てをそれに込め――
――得阿耨多羅三藐三菩提(とくあのくたらさんみやくさんぼだい)
輝く蝶は互いにぶつかり合ってその数を増し
――転倒夢想を遠離(おんり)して涅槃を究竟(くきょう)す。
霞の如く広がりて、閻魔の身体を包み込もうと
――衆生一切の罪過を滅し
百万を超える光の奔流が、轟々という羽音と共に
――今、此処に散華せよっ!
下段に構えた閻魔の笏が凄まじい白光を放つ。
その眩い光は恒星の如く輝き、際限なく伸びる光の剣は二百由旬を超え――
下段から上段へと翳されたその刃は、ついに成層圏を超え星にまで達し――
――『全てを滅する(ラスト)』
――『断罪の剣(ジャッジメント)!!!』
超新星のような閃光と轟音。天空から大地に振り下ろされた巨大な光の刀身は、時空を切り裂き雲海を切り裂き大地を切り裂いて、輝ける極光が――亡霊を断つ。
百万を超える死蝶は圧倒的な熱量に溶けて蒸発し、爆風によって生じた嵐が罪の象徴たる紫の桜を根こそぎ吹き飛ばし、赤茶けた大地には永久に消えぬ亀裂が刻み込まれた。軋む時空が遠々と唸る。白い虹が空を別つ。悪夢のような虚無が其処此処に散らばっている。
地平線の彼方まで広がる荒れ果てた大地。
雲海の消え去った後には空虚な青が広がり、時空を歪められた空は遠い異国の風景を逆さまに映している。空気の蒸発により瞬間的に発生した真空は渦巻く暴風を呼び、アーク放電によるセントエルモの火が鬼火のようにちろちろと揺れている。
断罪の剣は全てを滅し、後に残るは荒涼たる大地のみ。其処に立つはただ一人。
「はぁ……はぁ……」
閻魔の荒い息が、誰もいなくなった世界に響く。
これが全ての罪を滅するという事。
残るものなど何もない。何一つ――残りはしない。
力の全てを使い果たした閻魔は、かくん、と膝を折り大地に両手を付く。
その姿はまるで誰かに謝っているみたいで
だけど詫びる相手などもう何処にもいなくて
だから閻魔は――いつまでも顔を上げる事が出来なかった。
赤い大地を見つめながら思う。本当に地獄に落ちるべきなのは自分である、と。
己の中に澱のように溜まっていた罪の意識が抑え切れずに溢れ出す。お笑い種だ。嘘を何よりも厭うべき閻魔が、誰よりも嘘を吐き続けている。人を裁く前に、まず己を裁かねばならないというのに……
飢餓に、戦に、天変地異に……理不尽に苦しめられる人々を救いたかった。
誰も見ていないところで、孤独に善行に励む人々を救いたかった。
法で裁けぬ悪行に、苦しめられる人々を救いたかった。
誰に言われたからでもない……自分がそうしたかったのだ。
だが自分のやっている事は何だ。死後の救いを信じている者を騙しているだけではないか。
舌を抜かれるのは自分の方だ。地獄の業火に炙られるのは自分の方だ。未来永劫、地獄の責め苦を受けるべきなのは自分の方なのだ。
閻魔は日に三度、自身に罰を与える。人を裁く傲慢さを戒めるために。
だが、そんなものただの欺瞞。己を偽る為のただの言い訳。
そんな程度で己の罪が消せる筈もないのに。
そんな事では自分を騙す事すら出来ぬのに。
赤い大地に涙が落ちる……ぽたぽたと、ぽたぽたと。
とめどなく流れる涙が大地に黒い染みをつくり、閻魔は声を殺して泣いた。
あの亡霊の言う通りだ、自分はいつまでこの愚かしい芝居を続けようというのか。
最早、観客などいないというのに……
最早、己など必要ないというのに……
閻魔の涙は留まる事なく流れ続ける。何百年と堪えていた涙を流し尽すように。
その涙は留まる事なく流れ続けて
何もない大地に吸い込まれ、そして消えていく。
何もない赤い大地。ただそこに、ぽつんと残された閻魔の黒い影。
乾いた風が吹き、赤い砂塵が吹き上がり、全てを朧に包み隠しても、
そこに残る黒い影だけは、取り残されたままだった。
いつまでも
いつまでも――
「あらあら、泣いてるの?」
その声に、閻魔は弾かれたように顔を上げた。
そこに立つは亡霊嬢。身に纏う着物に僅かたりと乱れなく、桜色の髪を緩やかな風に流している。
扇で口元を隠し、輝ける夢幻の蝶をその身に纏い、幽雅に優しげに微笑んでいる。
「そ、そんな……」
呆然とした閻魔の声。目を見開き涙を拭う事も忘れ、呆然とその微笑を見上げる事しか出来ない。
もう立ち上がる力もなく膝を屈している自分の姿を惨めに思いながらも、震える膝は決して己の意志に応えようとしない。
見下ろす亡霊と、見上げる閻魔の視線が交差する。
閻魔は立ち上がろうと全身に力を込める。奥歯が折れそうな程に噛み締め、震える指先で大地を掻き、目の前に立つものを睨みながら。
亡霊が涼しげに手にした扇を揺らすと、扇に描かれた一匹の金色の蝶がぼぅっと浮かび上がった。
金色の蝶は亡霊の周囲を廻る度に、一が二、二が四、四が八、八が十六……四象八卦の理に則って増す。
三十二が二百五十六、二百五十六が三千七百五十六と、ついには四象八卦を超越して出鱈目にその数を増していく。
金色に輝く蝶に照らされ、幽玄の如く霞んで見えなくなっていく亡霊の姿。時計回りで円を描く金色の軌跡は、光る繭のようにその身を徐々に包み込んでいく。自身を巨大な光球と化し、僅かに口元が覗くのみとなった時、その顔から――笑みが消えた。
「貴女は――哀しいわね。
観客のいない舞台で必死に踊り続ける道化。
概念だけの幻想を必死で守る虚構の番人。
死後も己の存在を消したくないと足掻く人々の、浅ましい願いで生み出された幻。
そんなものを後生大事に守っている……」
亡霊の言葉が閻魔を刺す。容赦なく真実を暴き出す。
閻魔は動けない、動く事が出来ない。わなわなと肩を震わせ目に涙を溜めて……
「死んで、幽霊になって……その後は?
地獄で罪を清算する? 天国で優雅に暮らす? そんなものはただの幻想よ。
六道輪廻など無を怖れる人間の願いが生み出した只の虚構、地獄など罪を戒める為の只の方便。
幽霊となった後は消えるだけ。善も悪も、その業に関わらず等しく世界に溶けて消えていくだけ。
私はそれを、ずっと見送り続けてきたのよ……
白玉楼でね……」
光球に包まれ、もはや亡霊の姿は見えない。
光球は少しずつ少しずつ空へと浮かんでいく。
その輝きは、太陽のように眩しくなく……月のように朧でなく……
「……ですが! 私は!」
閻魔の悲痛な叫びが木霊する。
震える膝を拳で殴りつけ、噛み締めた唇から赤い血を流し、膝をがくがくと震わせながら、立ち上がろうと足掻く。
己の存在が張子の虎に過ぎぬ事を誰よりも知りながら、それでも閻魔の仮面を被り続けてきた。
だが今この世の中で、誰が地獄の存在など信じるというのか。
誰が死後の幸福を求めて善行を詰もうというのか。
死せる魂はその輝きの如何に関わらず、等しく生命の海へと還っていく……
ならば生前の行いなど無意味ではないか。善行も悪行も等しく無価値ではないか。
そんな事は許せない、そんな現実は許す事が出来ない。
閻魔はよろめきながらも立ち上がる。ぼろぼろと涙を流し狂ったように頭を振りかぶり、それでもなお膝を屈せずに。
残された力など何もない。だけど、それでも――
「もう終わりにしましょう? 貴女が苦しむ必要なんてないんだから……」
太陽でもなく月でもない――それは幻燈の光。死せる魂を誘う優しき光。
その光が爆ぜて巨大な扇の幻想が虚空に浮かぶ。
巨大な扇を背負った亡霊の姿は、まるで羽根を大きく広げた一匹の蝶。
慈愛に満ちた微笑を浮かべ、色鮮やかに輝く光の蝶が空一面を覆いつくして――
「お眠りなさい……もう、いいのよ……」
はばたきの音一つ聞こえないままに、全てが終わる。
金色に輝く蝶の群れに、音なく廻る光の渦に、閻魔の小さな身体が飲み込まれていく。
笏が消える、冠が消える、指先が消える、爪先が消える、紋章が消える、右手が消える、左足が消える右膝が消える右腕が消える左目が消える左肩が消える上着が消える鎖骨が消える大腿骨が消える右乳房が消える咽喉が消える肺が脾臓が小腸が髪が胃が脳が心臓が夢が願いが誇りが想いが……………………………………光に飲まれて消えていく。
「それでも……私は」
光の蝶に全身を犯され、閻魔の肉体が消えていく。
否、最早それは閻魔ではない。概念も虚構も全て剥ぎ取られた『四季映姫』というただの存在。そんなちっぽけな存在すらも、幻燈の光は無情に飲み込み消し去っていく。痛みもなく苦しみもなく――ただ死んでいく。
それは苦しみを与えぬ慈悲か、それとも痛みという名の最後の煌きすら奪う非情か。
映姫はもがきながら、すでに失われた右手を空に伸ばして――
「人を……救いたいんです!」
映姫の悲痛な叫び。
だがその声も、伸ばした指先も、込められた想いも、光の渦は無情に飲みこんでいき
そして全ては
――光と消えた。
暗く、暗く、何処までも暗く、
昏く、昏く、何処までも昏い
上もなく下もなく、西もなく東もなく、白でなく黒でなく、光でなく闇でなく、時間もなく空間もなく、男でなく女でなく、子供でなく老人でもなく、怒りでなく悲しみでなく、夢でなく現実でもなく、飢餓でなく飽食でもなく、富めるでなく貧しくもなく、戦争でもなく平和でもなく、全でもなく個でもなく、悪でなく善でもなく、勇敢でもなく臆病でもなく、殺すのでもなく殺されるのでもなく
…………………………………………………………………生きてもいなければ、死んでもいなかった。
此処には何もなく何もなく何もない。『ない』という概念すらもない。観測者がいなければ在っても無くても同じ事。
だからそこには全てが在り、そして何もなかった。
『どんな気分?』
――解らない
『楽しい?』
――解らない
『哀しい?』
――解らない
『貴女は誰?』
――解らない
『貴女は何?』
――解らない
『疲れた?』
――解らない
『もう止めたい?』
――解らない
『眠りたい?』
――解らない
『休みたい?』
――解らない
『それでも貴女は続けるの?』
――はい。
ぱちん、と扇を閉じる音が響く。
「え、あ!」
映姫は飛び起きて辺りを見渡す。
延々と連なる桜並木、どんよりとした雲、様々な雑草の生い茂る緑の大地。
きょとん、とした眼差しで空を見上げた。厚い雲を通して太陽が覗いている。
「え、私は……」
戸惑う映姫の前に、ずずいと杯が差し出された。
驚いて顔を上げると、そこには酒にべろべろに酔ってだらしなく顔を緩ませた亡霊嬢の姿。
「にゃふふ、お代わり~」
全然、呂律が回っていない。
ふと下を見ると、いつの間にやら日本酒の空き瓶がゴロゴロ転がっている。映姫はまったく状況が掴めず、呆然と亡霊の顔を見つめる事しかできない。ぽかんと口を開けたまま消え去った筈の自分の身体を、何もなくなってしまった筈の世界をきょろきょろと見渡す。そこには何一つ変わりのない日常しかなかった。
「んーお代わりだってば~」
亡霊はそんな戸惑う映姫を、まったくちっともぜーんぜん意に解せず、ぐいぐいとほっぺに杯を押し付ける。
「ちょっ、ちょっと待って下さい! なんで私、生きてるんですか!?」
「なーに言ってるのよ~たったこれっぽっちのお酒で、酔うわきゃないでしょ~」
酔っ払いがけたけたと笑いながら、しつこく映姫のほっぺに杯を押し付けてる。
どうやらほっぺの感触が気に入ったらしい。お気に入りの玩具を見つけた子供のような顔で、ぷにぷにと杯でつついて遊んでいる。
映姫は混乱しながら、亡霊にいいいように弄ばれながら……やっと我に返った。
閻魔の顔に戻って、亡霊をきっと睨む。
「……仕込みましたね、このお酒に」
「仕込むだなんて失礼ね。ちょーっと味付けしただけじゃない~」
「やっぱり何か入れたんですかっ!」
「大丈夫よ~副作用はないって言ってたから~」
「……あの薬師ですか……ある意味、あの人が一番信用できないんですが……」
「あーそういえば、動物実験しかしてないって言ってたよーなー」
「ごぶっ!」
ごほごほと咽る閻魔と、けたけた笑う亡霊。
気が付けば紫の桜は本来の桜の色を取り戻し、柔らかい春色の欠片を空に撒いている。優しい風が二人の髪を優しく撫で、小鳥の囀りが遠くに聞こえる。雲の切れ間から柔らかな陽の光が差し込み二人を暖かく包んでいた。
「ところで……何処までが夢だったんです?」
「何が~?」
ぎろりと睨む閻魔と、へらへらと受け流す亡霊。
閻魔は、はぁーっと深く嘆息し手元の杯に口を付ける。何が入っているか知らぬが、こうなったら毒を喰らわば『それまで』である。やけくそ気味に残っていた酒をがーっと一気に呑み干した。
「おーよい呑みっぷりね~惚れるわ~ひゅーひゅー」
「口笛吹けない癖に、口で言わないで下さい。恥ずかしい」
「ままま、ささ、どんどん呑みましょう。今日は無礼講よ~」
「遠慮した事なんて無いでしょうに!」
二人きりの賑やかな酒宴は続く。亡霊は袖から日本酒を取り出し閻魔は注がれた酒を全て呑み干す。隠れて一人で食べようとしていたするめを奪い取られてマジギレした亡霊が死蝶を飛ばし、酔って閻魔の服を脱がしに掛かったのを怒りの閻魔ソバットが迎え撃つ。喧々囂々、女二人でも十二分に姦しい。
子供のようにはしゃいで、ふざけて、騒ぎまくって
大声で笑いあいながら、そんな楽しい時間がいつまでも続くみたいで
だけど最後の酒を互いの杯に注いだ時――宴は終わりを迎える。
閻魔も亡霊も、無言で杯に映る自分の顔を眺めている。これを呑み干した時が本当の宴の終わり。
それが寂しくて。それが悔しくて。二人とも最後の杯に口を付けようとはしない。
手元の杯に映る自分の顔を眺めながら、ゆらゆらと揺れる水面を眺めながら。
だけど、いつまでもこのままじゃいられないから……
歩き出さないといけないから……
閻魔と亡霊は瞳を閉じて、そっと杯に口を付ける。
最後の残り火を味わうように、大切にゆっくりと、
そして最後の滴を呑み干して
二人はそっと――宴に別れを告げた。
「結局……貴女は何がしたかったんです?」
「んー?」
「貴女の言う通りですよ、私は馬鹿な事をしていると思います……人を救いたいと言ったところで、私には何にも出来ない。
本当に地獄があれば、本当に天国があれば……そう思いますよ。
それなら私は人を裁くだけで良い。ありもしない幻想を信じ込ませる為に、人を脅さずに済む……」
「……」
「……正直、辞めたいと思う時もあります。特に最近は……」
「……」
「だけど……それでも……」
「ストップ」
亡霊が人差し指で閻魔の口を塞ぐ。
驚いたように目を見開いた閻魔に、亡霊は優しく微笑んだ。
まるで母親が子供を見るような眼差しで……
「ま、少しは楽にしなさいって事よ~」
にこにこと笑う亡霊。
その言葉を聞いた閻魔は、一瞬だけ映姫の顔に戻り……
「……ありがとう」
柔らかく、そして誇らしげに微笑んだ。
映姫はこれからも閻魔であり続けるだろう。たとえ己が虚構の番人に過ぎないとしても。
そんな事は初めから解っていた事。それでも……そうする事で少しでも罪を犯す者が減るのなら。少しでも救われる魂があるのなら。
彼女は閻魔の仮面を被り続けるだろう。
地獄の恐ろしさを伝え、罪を犯さぬよう説教を続け、罪を犯した者に憎まれ疎まれながら……それでも閻魔を続けるだろう。
それが――彼女の選んだ道なのだから。
暗い裏通りを歩く、一人の若者がいました。
若者はこの世の全てが憎いという顔で夜の街を睨み、実際この世の全てを憎んでいました。
バイト先をクビになり貯金もなく三年付き合った彼女に振られ、つい先程僅かに手元に残っていた有り金を全てパチンコでスってしまい一文無しでした。
ぴゅーぴゅーと吹き付ける北風に身を縮こませながら、さっさと家に帰って寝ちまおう、そう思って家路を急ぎます。家には暖房も食べ物もありませんが、薄っぺらな布団だけはあります。それに包まって眠る以外、若者はこの寒さと飢えを凌ぐ方法を知りません。だけど明日からどうしよう、そんな不安が若者を押し潰しそうで、だからその不安を紛らわす為に……若者は足元に転がる空き缶を思い切り蹴飛ばしました。
カラーン! カランカランカラ……
思いがけず大きな音がした事にびくりとしながら周りを見渡しますが、人が寄ってくる気配はなさそうです。
若者はふぅーと胸を撫で下ろし……その声に気が付きました。
空き缶が転がった路地裏の先から何か声が聞こえてきます。
若者が、何だ? と思って覗き込んでみると、一人の酔っ払った中年がゴミに埋もれるようにして寝っ転がっていました。割と身なりの良い格好ですが、酔い潰れゴミ袋を枕に寝ている姿は酷くみっともないものでした。
こんな時期に外で寝ていては、凍死するかもしれません。若者は舌打ちしながら、この中年を起こしてやろうと近づきます。
近づいて声を掛けようとした瞬間に――中年の胸元に高級そうな革の財布が見えました。
若者はごくりと唾を飲み込みます。そっと近づいて手を伸ばすと、恐る恐る財布を抜き取りました。
中年は全然目を覚まさず、幸せそうにゴミ袋を抱き抱えて眠っています。
若者はにやりと笑って、その場から立ち去ろうとして……
『閻魔様は、お見通しなんだからね!』
幼い頃に聞いた、亡き母の言葉を思い出しました。
若者は酷く忌々しげな顔をして、ぼりぼりと頭を掻き毟り、手にした財布の厚みに畜生、畜生と呟きながら……
「おっさん、風邪引くぜ?」
財布をそっと戻すと
――そう言って、酔っ払いの肩を叩きました。
~終~
死んだ後もそんな風に『何もない』状態になるって考えると、昔の人が地獄極楽という概念を求めたのも、分かる気がしますね。
素晴らしい映姫様と作品に、乾杯。
最後の若者のくだりですこしでも映姫さまが救われますように
うちにもよめにきt(十王裁判
あと幽々子×映姫もよみたいと(ラストジャッジメント
今はただ、これからも虚構の番人として行き続けるという映姫様の覚悟にただ敬礼を。
そして映姫様だけじゃなくて、こまっちゃんもうちのお嫁さんにk(ラストj以下略
独自設定を多数盛り込んでまでやる意味があったのでしょうか?
バトルは、また別の機会にちゃんとしたバトルものとして書かれる事を期待しています。
新たな視点からのアプローチで、なかなか新鮮な映姫様でした。
しかし少々詰め込みすぎな感じもします。
引き立てる部分と、核となる部分の線引きを
もう少し明確にして欲しかったですね。
あと、映姫様は、嫁いだ相手にもお説教しちゃうけど
その後で膝枕しながら「さっきは言い過ぎてごめんなさい」って謝るんだって
こまっちゃんが言ってた。
腕を着実に上げておられるようで、今回の解釈も斬新で面白いです。
が、地獄が幻想という設定、魂は死後罪悪関係なくただ消え行くという設定
こうなると、閻魔という設定に限らず三途の川などの概念も揺らいできます。
六文という文字通りの身銭を切って川を渡るは何の為?
渡らずとも消え逝き、渡っても無駄な説教を受けるだけで消え逝く・・・
この設定だと、そんな無駄な手間をかけてまで彼岸へ渡る事は魂達の
意志で行われてる事なのか?それとも、仕える死神の超広範囲の霊活性化
能力を死神の手招きと曲解してそれが導き手となってるのか?
色々、細かい点ですが話に説明がもう少し欲しいと感じました。
バトルシーンの解釈は話のバランス云々は置いといて、面白く上手いと
感じました。映姫もさることながら、亡霊嬢の久しぶりなカリスマ溢れっぷりに痺れました。
BGM ~レトロスペクティブ京都に乗せて楽しませて頂きました。
ただしバトルシーンをのぞいて。とは言うもののこれがほぼ初めてでしたか。それでここまで書かれてくるその実力はやはりさすがとしか。
アプローチのよさと、それから氏の実力を買って、この点数であえてとどめさせていただきます。お見事でした。
バトルについては皆様が既におっしゃられておりますが、私は好きですよこういうのも。
いや、ゆゆ様も色っぽくて最高w
今回は(も?)好き勝手放題に書いてしまいました。
頭の中に『何もない荒野で一人跪き、涙を流す孤独な映姫の姿』を幻視して
しまい、もーそれを書きたくて書きたくてw
後からよくよく考えてみれば、某FA○Eのセ○バーさんの姿だったと判明
し、卒塔婆カリバーまで撃たせる始末。本当にありがとry
でも戦闘シーンに関しては、もっと精進します。表現力、戦術性、あるいは
戦略性などなど学ぶところが多すぎて、どっから手を付ければ良いものか…
これからも頑張りますので、宜しくお願いします。
>吟砂さま お久しぶりですw『自動人形の見る夢』で頂いたコメントは、
間違いなく今の自分の血肉となっております。三途の川に関しては、今回
の話の発端が上記のイメージだったので、正直何も考えていませんでした。orz
でも、その理由を考えているうちに、小町SSのネタが浮かんできたので、
いずれお見せできればなぁとw 真摯なコメント、ありがとうございました。
改めて、読んで下さった皆様、コメント頂いた皆様、本当にありがとうござい
ました!
中身は良いモンだと思う。
しかし詰め込みすぎかな と。
もちろんそれは保障されても確認されてもいないのですが。
だから、それを人に考えさせる為だけに存在するとなれば、
映姫ほど虚ろで悲しい存在も無いかもしれませんね。それ故に自らを
罰するとなれば尚更に。
全ての人が良く生きようと考えれば、彼女は救われるのでしょうか。
って言うか映姫さま萌え。
床間さんのような戦闘描写、心理や情景の表現がうらやましいです。
最後のシーンだけでも、彼女がし続けてきたことの意味はあったと思います。
ごちそうさまでした。
この話を考えた時、閻魔がいて地獄と極楽があるなら、白玉楼って何なの?
ってのがありまして。映姫が可愛いのはガチだけど、いやいやゆゆ様も素敵なんですよと思いながら書きました。
着物がはだけた下には、普通襦袢か何か着てるだろうけど、そこは素晴らしき
ご都合主義で。ぶっちゃけゆゆ様の裸の描写に一番苦しみましたw
でも映姫可愛いよ映姫
それでは改めて、読んで下さった皆様。ありがとうございました!
冒頭が東方と関係ない。
なのに、しっかりとまとまっている。
いやぁ、お見事です。
後書きで書かれていた、
ちょっとした引っ掛かりというのも、すごく分かります!
何がいいたいかというとえーきん萌ryあとGJ!!!!
彼女が勤めるあの世も集った幻想のひとつなのでしょうか。
でも自分は割と本気で信じてます、地獄。
幻想を信じてる人だっているもんです。
心から人を助けたいと願う少女が幸せでありますように。
己の務めを厳格に守ろうとしながらも、悩み、迷い、後悔し、それでも己の道を行く。
そんな人間臭さに感情移入してしまいました。
いいお話です。
だから。
2秒事に、「ころせー!だれかおれをころせー!」なんて言わなくてもいいんですよ。
さて、次の投稿を楽しみにしてますね。