これは23集「賢者の行く道」の時間的続きで、13集「龍の見る夢」序盤ともリンクしています。
*
僅かに欠けた月が照らす闇夜。切り立った山中にある森には、夜泣き鳥の声が響いている。分厚い魔書をバラバラと捲っていたパチュリーは、それをばたりと閉じる。納得するように魔女が軽く頷いた。
「一応確認し直すけれど。貴方の城は、何処にいても直に呼び出せるのね?」
「間違いなく、よ。フランも居るんだし、違えることはあり得ないわ」
それが一つの問題源でもあるのだが。幻想郷への経路をたどる施術は、パチュリーにしか行うことが出来ない。そしてフランドールを現状外に出すことは出来ないのである。そうすると、フランドールを中に収めたままとなるわけだが。
レミリアという他者の所有であるこの居城ごと、パチュリーが転移させるには負担が大きい。結論としては、パチュリーとレミリアの二人がまず幻想郷への道を行くべきということになる。
「結果的にはそれで良い気もするわね」
思案しながらパチュリーが述べる。幻想郷という土地の状態は、現在皆目見当も付かない。数多の妖怪といくらかの人間という、有り得ない比率の流刑地。
多くの魔物は、方法はどうあれ人間を喰らう事を好む。その存在の重きを精神に置くゆえ肉を摂取するという必要性は薄いが、レミリアなど吸血種の場合血液を奪うことが望ましい。パチュリーはそのような習慣は持っていなかったが、その名が示す通り智を貪ることも可能である。多かれ少なかれ魔というモノは「人食い」の性質を持つのだ。
それらが閉鎖された区域に、少量のエサと共に放り込まれればどうなるか。
パチュリーによる予測の殆どにおいて、幻想郷は芳しい状態を保っていない。しかし、レミリアの方は未知数とは言いつつも楽観視している様子である。
「状況を確認の出来て無いところにフランを放り込むのは、ぞっとしないしね。面白くはなりそうだけれど」
そう言い、レミリアも先行することに異論はないようだ。
「でも、なんでこんな半端な月齢にやろうって言うの? 明日まで待てば満月じゃない」
魔女のような特化した種族でなくとも、魔法やその類は普通に用いる。その常識からすれば大体この様な儀式は、満月だとか新月だとかに執り行われるものだ。それを半端な十四夜とは。更にレミリアは辺りを見回し、
「それにこんな山奥にまで」
周りは木・林・森に山ばかり。平地に巨大な魔法陣を描いたわけでもなければ、怪しげな薬品が転がる地下室での儀式でもない。
「月の力を多く受けたいのは山々なんだけれどね。満月を待って、活発化した幻想郷住人の歓迎を受けたくはないもの」
太陽を受ける昼の生き物とは対照的に、月の光は魔物の力となる。影響の大小に種族・個体差はあれども、これにはまず例外もない。レミリアが満月に大きく力を増すのは間違いないが、多数居るであろう妖怪達もその恩恵を受ける。
それだけに留まらず精神的にもかなりの高揚をすることが多い。その危険は侵すべきではないだろう、というのがパチュリーの意見だ。
「何となく無駄に終わる気がするけどねぇ」
まぁ宮廷魔術師の言葉に従いましょう、とレミリアは言った。
「宮廷魔術師として王に説明させていただくと、まぁ魔術的な類似の概念よ。山に入ったのは」
見立て、というものだ。例えばこれは魔術ではないが、子として見立てた人形を厄災の身代わりとする風習などもある。魔術であればずばりそのまま、誰かとして見立てた人形を痛めつけることにより対象を呪うものなどだ。似たような物や近しいものを魔術の媒介とすることは珍しいことではない。
幻想郷が山間の近辺にある記述や、その島国自体かなり山がちであることから出立の場を山奥の森としたのである。
「さて。始めましょうか」
魔本が口を開き、魔法が解放される。夜の空気にパチュリーの魔力が広がって行く。
博麗大結界という前代未聞の仕切りは、おそらく最強の部類となるだろう。距離を距離ともせず、ヒトを遙かに上回る魔を数十年にわたって放逐し続けている結界は脅威としか言いようがない。
しかし、だからこそ、その流れを利用することも可能となる。
「……掴んだ。これか」
パチュリーが把握したヒトではなく魔を攫う流れは、驚異的なまでの力を有していた。それが根ざしているものは、世間の奔流などと云うモノかも知れない。人間で覆い尽くされようとしている世界を方向付けるモノ。この圧倒的な流れは、いずれ世界から幻想などと云うモノを洗い流してしまいそうで。
「まぁ不特定多数から知られる必要もない、か。レミィ、すぐに行けるわよ」
パチュリーの手招きに応じてレミリアが寄ってくる。
「なんだかあっけないわねぇ。もっとバーッと光ったりとかしないの?」
大げさに手を広げて見せながら要求する魔王。
「何を期待してたのよ貴方は……」
半眼で呆れ返った視線を送るパチュリーに、レミリアは軽く上を向いて考え込む。
「退屈な日常に加える一かけのスパイス?」
「何で疑問系。もう、いいから近くに寄って。日焼けはしたくないでしょう?」
「日焼け?」
パチュリーに近付きながらレミリアは軽く思考に沈むと、
「あー、時差か」
言いながら納得したように頷く。
「そういうこと。向こうはまだ日が元気に照っているわ」
レミリアが傍に来ると、パチュリーは魔本を開き日除けの結界をまず展開した。月明かりの下では効果を為さないため外見上の変化はないが、発動を確認してパチュリーは次の行程へと進む。
『幻は夢に。現の世には現のみ。此方より彼方へと夢は儚く遷ろう』
*
バラバラと音を立てて捲れあがる魔本。夜の空気を空しく叩く音は儚く、闇の下にあまりに小さく。バタリという音が、ページの連続を絶った。
「失敗?」
魔術の構築に間違いはなく、幻想郷へと流れる方向性も把握していた筈なのだが。未だに夜のまま変化が、
「いや、違うか。成功したのね」
それもおそらくはこの上もなく。
「えぇ~。本当に何も無しで着いたの? サービス足りなく無い、パチェ?」
「その手のエンターテイメントは私の管轄外よ、レミィ。確認するから少し待っていて」
確認のために日除けの結界を解く。軽く見回した程度では辺りの光景が変化していないように映るが、よくよく見れば明らかに違う。全体的な雰囲気こそ似通っているが、生えている樹木の種類、気温と湿度、そして何よりも星の位置。
「時間がかなり進んでいるみたい」
時差の分を帳消しにするように時が進み、まるで状況を似せる意図でもあるかのようだ。それも攫われたという形には相応しい、と言えるかも知れない。神隠しにあった人間は、迷ったことにさえしばらく気付かないものなのだから。
「月も十四夜の筈が満月に、あ」
その通りに、照らす月光は満月のもの。狂気を司り魔に力を与える夜天の女王。
「やっぱり無駄に終わったでしょう?」
レミリアの声は頭上から聞こえた。彼女の瞳は紅さを増し、爛々と輝いている。流石に理性を失っているほどではないが、高揚しているのは目に明らかだった。
「ちょっとレミィ! いきなり騒ぎを起こすのは、」
「良いじゃないのパチェ。悪魔ってそんなモノよ?」
レミリアは既に心は騒ぎの方にあると見え、パチュリーの言葉を聞き入れるつもりはないようである。
「そうだ! あなた日本語なんか出来ないでしょう?」
急いで制止の言葉を考えたパチュリーが、何とか引き留めようと言う。言語圏が全く違うのだから、何とか通じ合わせるのも不可能に近いだろうと彼女は考えたのだ。
「スシ・フジヤマ・ゲイシャ・テンプラ。こんなところでしょう、日本語?」
最初に出てきた語群の怪しさはともかく、全く問題のない発音でレミリアが言う。正直パチュリーが以前に聞いたことのある、ネイティブの日本語と比べても遜色はなかった。内容は全く以てともかく。
「それじゃ案内役でもかっ攫って、じゃなくて連れてくるからおとなしく待ってなさい!」
「ちょ、レミィ! ケホッ」
速度に引きずられて波長の狂った日本語の叫びと、爆音と舞上げられた土埃が残して飛び去る紅い悪魔。しばらく咳き込んだその友人は空気の椅子に深々と座り込むと、諦めたような表情で分厚い魔本を開きため息を吐いた。
*
「うちのお嬢様が、いくらかでも自重してくれるように期待しておきましょう……」
パチュリーは淡い期待を嘆息と共に吐き出した。開いた魔本に視線を落とすと、数ページをバラバラと捲り上げる。すると、中空に円状の薄い光の膜が展開された。
「レミィの現在位置はここ、と。ずいぶんまっすぐ移動してるわね」
パチュリーが目で追う先で、紅い光点が移動していた。他にもいくつか同様の光点が膜上に点在している。多くの点は単独で光っているが、いくつかは集合して存在している。
「これは確かに多い。いや、明らかに過剰ね。この妖怪の数」
光点は妖怪、あるいはそれに準ずる者を示しているようだ。かなり広範囲に探査を広げているために光点同士は近いが、実際はもっと距離を置いているはずではある。しかし、パチュリーの基準、すなわち幻想郷外の常識では、これほどの数の魔がひしめき合っていることなどあり得ない事態だった。
「良くもまぁこれだけの数の魔が、何十年か自滅することなく居られた物だわ」
流石に疑念を抱きパチュリーは幻想郷の広さ、すなわち博麗結界の範囲を探り始めた。魔術による触覚は問題なく伸び大体の広さを把握し始める。その広さはごくごく小さな国か、大きめの行政区画程度の広さだろうか。しかし、大体、以上の情報がどうにも掴めない。
「なるほどね、大体しか解らないのか」
パチュリーは僅かに感動混じりのため息を吐く。幻想郷の「果て」が見えないのだ。果ての方に感覚を伸ばしても、何となく止まってしまう。おそらく直接行っても迷うか、下手をすれば事象の狭間にでも落ち込む可能性もある。幻想郷からの脱出は、全く不可能だった。
「これを知れただけでも、ここに来た価値はあるかも知れないわね」
幻想郷を隔離する博麗大結界を張った者は、間違いなくパチュリーの上を行く技術を持っている。理論としては掴めても実際これを展開する方法は、パチュリーの手札の中に全く存在しない。
つまりは、未知なのである。知を求める者にこれほどの至宝などあり得ない。
「っと。レミィのこと忘れるところだった。えーと対象の周りを効率的に表示する方法は、っと」
ようやく本来の目的を思い出したパチュリーが、レミリアを示す光点に視線を合わせる。表示される範囲が狭まった代わりにレミリアを中心として画像が拡大し、細かな情報が独自の方式で表示され始めた。おそらくパチュリー自身でなければ、読み解くことも難しいはずである。
「水気が多いけれど、レミィは気にする様子も無し。止まった水、湖かな?」
流水を弱点とする吸血鬼は少なくない。レミリアもまたその例外ではなく、川などを渡ることは好ましいことではないはずだ。
「止まったわね」
何か注目すべき物でも見つけたのか、レミリアの動きが見られなくなった。
「穏便に済ませてくれないかしら、あ。早」
祈るまもなく願いが潰える。レミリアの先制と思われる魔力の増大、それに対する反撃と思われる力が感知できたのだ。満月の下の紅い悪魔に自重を求めることが、そもそもの間違いであったのかも知れない。
「相手は無事かしらね……。む」
レミリアの攻撃と、地元民であろう妖怪の反撃が数度続いている。レミリアを前に数合以上も保っているだけでも、この妖怪が手練れであることは疑いようもないだろう。ただ、パチュリーの目からは疑問を持たざるを得ない事実が見て取れたのだ。
「こんな程度の力で、どうやってレミィにこれだけの手傷を負わせてるのかしら?」
先ほどからこの妖怪が放っている攻撃は、確実にレミリアへの痛烈な打撃となっている。レミリアの力の総量が大きいからこそ大事に至っていないが、肉体を粉砕されていても不思議ではない威力である。
しかしこの妖怪が攻撃を行う瞬間の出力と、吹けば飛びそうな当人の妖気ではあまりにも釣り合いが取れていない。等価交換則は広い目で見れば、おおむね必ず成り立っている。つまりこの妖怪は、足りない力を補う何らかの隠し球を持っていると見てほぼ間違いない。
「面白いわね、ここは。ついでに持ち帰ってきてくれないかしら、これ」
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「拾ってきたわよ、案内役」
パチュリーの下まで戻ってきたレミリアは、言葉の通り見知らぬ女性を連れていた。鮮烈なまでに紅く長い髪が目を引く長身の凛とした美人だが、華やかで陽気な雰囲気が近寄り難さを感じさせない。
「えっと。称好?」
大胆にスリットが入った落ち着いた緑色の旗袍を見て、パチュリーはついそんな反応が出た。龍の文字を書いた星形のプレートをあしらった同色の帽子が、そんなイメージを助長する。
「いや、通じますって。日本語。駄目ならいくつか対応できますが」
女性は苦笑いを浮かべて言う。
「それは失礼したわね。私はパチュリー・ノーレッジ。そこのレミィの友人よ」
「お気になさらず。私は紅美鈴。ついさっきレミリアお嬢様にお仕えすることになりました」
日本語で言い直すパチュリーに、赤髪の女性・紅美鈴が丁寧な礼と共に返す。良く制御された動作に、肉体を使い慣れていることが見て取れた。
「頑丈で良い感じよ、美鈴って」
「頭飛ばされても無事な人に言われるほどじゃありませんが」
「……。まぁ、お楽しみだったみたいね」
数時間も続いた殴り合いは、ずいぶんと盛況だった様子だ。二人とも傷一つ残っていないが、服の端々にどちらのものとも知れない血が付いている。
「ところで。腰を落ち着けるところに当たりはつけているのかしら? それともこれから?」
予想外に時間が過ぎていることもあり、フランドール一人になっている城を放置しておくのもあまり心臓に良くはない。出来るだけ早めに魔城の召還を行うべきだろう。
「それなら私が美鈴を拾ったところが良いわね。湖にでも建ててやればなかなかに優雅でしょ?」
レミリアとしてはフランドールのことを気にしているのだろう。普段静止している状態ならばレミリアの出入りに問題はないだろうし、いざというときは水に流れを与えてフランドールに対する防波堤にもなる筈である。パチュリーの見立てでは、彼女に無理矢理出て行く意志は薄そうではあったが。
「そうね。まずは実際に見てみましょう」
*
「意外にと言うか、想像外に落ち着いた土地ね。もっと荒れていると思ったのだけれど」
湖へと向かう空の途中、パチュリーが抱いていた疑問を美鈴へとぶつける。
「大体の話はご存じで?」
「一応ね。どこまで正しいのかは、貴方の話を聞かなければ判らないわ」
美鈴は少し考え込むようにし、
「最初は荒れそうになったし、私ももっと荒れるかと思ったんですがねぇ。若いのは暴れたがったのも多かったみたいですけど、古くて強力な連中が意外と弁えていたらしくて」
荒れた妖怪たちの標的になったのは、当然ながら人間たちである。美鈴が言うには、それを保護する形に動いた妖怪がかなり多数居たという。それも人間を守りたがるような物好きだけではなく、本来は人間を弄んで悦に浸る類の連中がである。
「自滅の可能性を考えて動いたのかしら?」
狭い範囲、しかも外部との行き来がない閉鎖系での大きな争乱はそのまま破滅へと繋がりかねない。単独で生存することに長けた妖怪であっても、である。
「普通に考えりゃ、そういう思慮があったと思いますけどね。んでも世に長じたバケモノなんてのはまあ、頭のネジが飛ぶか弛むかそもそも付いてないやつが多いもので。なんかの気紛れで血迷った可能性も否定できないと思いますよ」
私は普通ですが、と美鈴は付け加えて言った。
「ほらね、私の言うとおりだったでしょ。パチェは心配しすぎだよ」
レミリアは得意げな様子でパチュリーに言ってくる。
「何も起きなければそれが一番良いの。拍子抜けしたのは否定しないけれど」
言ってパチュリーは、本を持ったまま器用に肩を竦めた。
「ここよ。どうかしら、宮廷魔術師?」
三人の目の前に映る湖はひどく大きかった。この湖が一般の目から消えたのが幻想郷隔離の時だとすれば、それだけで不信を広げるであろうほど大きい。おそらくは永きに渡り、幻想郷の存在と共に秘匿されてきたのだろう。
「十分以上ね、魔王。魔女としての見地から見ても、すばらしいと言っていいわ」
湛えた水量に相応しく、流れるマナの量も莫大なものだ。豊かな自然界の力は、辺りからする多くの妖精の気配からも分かる。
「ここにはいわゆる、気脈ってやつの本流が通ってます。私はその辺の力を使うのが能なんで、ここに住んでると調子は良いですね」
「貴方の住処なの?」
「縄張りってほどに自己主張はしてませんけどね。なんだか知りませんが、意外と住み着こうとするやつも居ないんですよねぇ」
美鈴は首をかしげて不思議がる。
「それなら好都合でしょ。貴方のものも私のものよ、当然だけど」
胸を張って傲慢なことを言ってのけるレミリアに、
「へいへい」
美鈴は適当な返事を返す。顔はにこにこと笑っていたが。
「それじゃ早速」
言うが早いか、レミリアは胸の前に両手を掲げると、手の甲を正面に向ける。そのまま親指と人差し指でゆがんだ円を型作ると、辺りをレミリアの紅い魔力が覆い始めた。それは紅い霧のように広がり、浮き上がる彼女に従うように湖の上空に集まって行く。
「来い」
紅い霧が光の柱となって湖に突き立ち、その内部から染み出すように巨大な塔状の建築物が現れる。
「そういえば地下部分が結構長かったわね」
「あれがお嬢様のお住まいで?」
「そう。レミィの忠実な使い魔でもあるわ」
感心したように美鈴は眺めているが、驚きに囚われているほどではないようだ。このような特異な場所では、不思議な現象も少なくないのだろう。
「うんしょ」
ブツリ、と糸の切れる音を幻視したかのように。突然支えを失った不夜城が落下して行く。
「え?」
「は?」
水音などと言う生やさしいものではなく、大地を揺るがすような轟音が辺りを包む。否、大地を揺るがす轟音である。幸いなことに、地下塔の長さは着弾地点の水深を上回っていたようではあるが。
轟音に続いて地に立つ二人の視界を水の壁が遮る。
「ちょっとちょっと!」
パチュリーは風に乗って舞い上がり、
「あぶなー!」
美鈴は地を蹴って難を逃れた。
「貴方ねぇ……。あんなものを落っことさないでくれるかしら」
「……落とすのは良いですから、せめて事前に一言」
「良いじゃない、静かに下ろすの面倒くさいし。それに適度な刺激がないと惚けるわよ」
不満を言ってくる友人と部下に、レミリアはどこ吹く風である。その返答にパチュリーはじろりとした視線を友人に送り、一言、
「中身は?」
「あ」
*
「橋」
意外なほど小さなきしみの音と共に、主の命に従って跳ね橋が岸へと倒れてくる。地に降り立った橋が立てたのは轟音。濡れた地面は土埃を立てなかった。
「開け」
レミリアの言葉と共に巨大な扉がゆっくりと開き始める。跳ね橋と同じくきしみはごく少ない。
「構造はいかれてないみたいね」
パチュリーの見回したところどこにも損傷はない。あくまで外側の部分ではあるが。
「内装はどうですかね? うわっちゃー……」
レミリアの頭越しに中を覗き込んだ美鈴がうめき声を上げた。ぱっと見たところ、城の構造物以外の物がすべてひっくり返っているように見えた。
「ブラウニーでも呼びたいところね……」
同じく顔を顰めたパチュリーが言ったのは、おとぎ話に出てくる作業を手伝う精霊の類である。実在しないわけではないが、不夜城は広さに比べて住人が少なすぎて生活感が薄く、召還条件を満たしていない。ブラウニーは人が長らく住んだ家にしか棲まないのだ。
「ふむ。確かに人手は欲しいところね」
曰う張本人。反省の色は見えない。
「何か良い案を思いつきなさい。急いでね」
「と言っても、私たちはまだここに来たばかりだしね。妙案はないかしら、美鈴?」
視線が美鈴へと集まる。首を傾けてしばらく思案したあと、
「そーですねぇ。喧嘩でも売りますか、その辺のやつに」
美鈴は気軽にそう告げた。
*
外は既に日も昇りかけ、レミリアは外には出られない。城から出たのは美鈴とパチュリーのみである。
「もう一度聞いておくけれど、そんなに派手に動いても平気なのかしら?」
パチュリーが重ねて確認する。一応彼女は、刺激しないよう穏便に済ます気だったのだ。それがレミリアのみならず、自分まで喧嘩売りとは、である。
「まぁ、節度を持って暴れてれば大丈夫ですよ、割と。やり過ぎは駄目ですが」
「節度、ね」
暴れるのに節度も何もないとは思うが。しかし、力を見せつける程度に暴れるというのならばパチュリーにも理解が及ぶ。
「見方によってはごく単純に、力がすべて、ですよ。ただ、敵を増やしすぎれば逆に潰されるわけでして」
「幻想郷全体を敵に回すような行動さえ取らなければいい、ってところかしら?」
「そゆことですねー。何せ閉鎖された土地に妖怪だらけじゃあ、本気で潰し合いが始まったら一週間保つかどうか」
「でしょうね」
肩を竦めて言う美鈴に、パチュリーが頷き返す。パチュリーが事前に懸念していたのはまさに、幻想郷がそうなっていることだった。幸いというかなんというか、どうも妙にのんびりとした雰囲気が漂っている様子だが。
「それで、囮と交渉役。どっちが良いですかね」
もうじき人間がこの近辺を、急ぎの荷を持って通るらしい。囮が辺りを縄張りにしている妖怪を引きつけ、その間に交渉役が人間から上前をはねてしまおうと云うのである。
「そうね。私は辺りの地形を知らないのだし、交渉役を任せてもらいましょう」
「了解です。んじゃ適当に引きつけておきますんで、宜しくお願いします」
一礼した美鈴が地を蹴って姿を消す。それを見送りながらパチュリーはため息を吐き、
「やれやれ。新天地でまた夜盗の真似事とはね……」
*
明けかけの夜の下。林の中を数人の男が、荷馬車を飛ばしていた。幻想郷の夜を人間が出歩くのはあまり賢い行為ではない。獣の類も決して楽観できるものではないし、人の天敵である妖怪の時間でもある。
しかしそれでも、急ぎの荷物では仕方のないこともあるのだ。それにここらを縄張りとする妖怪とはいくらかの約束事を持っており、確実ではなくともそれなりに安心して通れる道ではあった。
突然、絡まった木が道を塞ぐまでは。
「止まれ止まれ!」
御者をしている男が、あわてて馬を止めた。気付くのが遅れれば、危うく突っ込んでいたところである。
「こんな時間に出歩くのは感心しないわね。魔物に襲われるかも知れないよ」
声を聞いて男たちが見上げた先、木々の隙間に、一人の少女が浮かんでいる。言葉を発したのは無論パチュリーであった。
「ここの妖怪たちとは話が付いてると思ったんだが。上納は滞ってないはずだが、何かの間違いかい?」
御者の男がそのまま代表するようにパチュリーに尋ねてくる。パチュリーの思っていた以上に、ここでは人と妖怪の関わりは多いようだ。
「私たちは別口。でも今日から交渉すべき相手はこちら側になるわ」
パチュリーの言葉に男たちは顔を見合わせる。彼女の言葉を疑っていると云うよりは、どちらが有利かを考えているのだろう。
「その妖怪たちとの契約には、別の妖怪からあなた達がここを通るとき守ることも入っているのでしょう? 私が目の前にいる時点で役立たずね」
パチュリーの指摘が正しかったのだろう。男たちに納得したような気配が混じる。
「あんたと約束するのも悪くないが、今は俺たちに払うもんがない。口約束になっちまうが良いのかい?」
「そうね。ところでその荷物。奥から三つ目が傷んでるようだけど」
男たちは顔を合わせると、あわててパチュリーの言った荷を確認し始める。果たしてその荷は、やはり傷んでいた。
「……このまま渡せば信用を損なうところだった。やっぱり約束はあんたとした方がいいらしいな」
男は頭を下げ、パチュリーに言ってくる。
「賢明な判断ね。報酬は、その傷んだ荷物でどう?」
「それでいいのか?」
男は不思議そうな顔でパチュリーに聞き返した。傷んだものを無駄なく処分できて彼らとしては言うところ無しなのだが、パチュリーの側に得があるように見えず訝しんだのだ。
「私は魔女をやっていてね。普通ではない役に立て方もあるものなの。まあ、今後とも御贔屓に」
*
走り去る馬車を見送ったパチュリーに、横合いから声がかかる。
「首尾はどうです? 上手く行ったみたいですけど」
「そっちも良いみたいね。ここを根城にしている連中は?」
「撒きました。後は追えるようにしつつ、お城に戻るだけですね」
息も乱していないが、妖怪を撒くとすれば余程縦横無尽に動き回ったはずである。今回の振り分けは適所であったらしい。
「ところでその木箱はなんです? 薬草っぽい匂いがしますが」
「今回の戦利品。薬草よりは毒草寄りだけれど」
空中に座ったパチュリーの横に置かれた木箱に目をやりながら二人は話す。
「ほどよく傷んできた物に、独自の使い道があるのだけれどね。知らないならば、彼らにとって腐り物にすぎないでしょう」
「ワルですねぇ」
*
「ふぁ~あ。……寝たい」
辺りを気にする様子もなく、門前で大欠伸をする美鈴。固まっても居ない体を解すかのように伸びまで始める始末である。
既に太陽がまともに姿を見せ、雀の声が似合いそうな朝である。多少寝なくても支障があるわけでもないが、夜を明かすと寝たい気分にもなるのだ。
しかし、床に就くわけにもいかない理由があった。
「てめーか、昨日巫山戯た真似してくれたのは」
怒気を滲ませて美鈴を睨み付ける女が一人、後ろに涼しい顔をした二人を連れて立っていた。怒りを露わにしている女のみ黒と金の混じった短いぼさぼさの髪で、あとの二人はどちらも長い黒髪である。
「もう今日になってたけどねぇ」
吸血鬼がそろそろ出られなくなる頃合いでは、流石に昨日と云うことはあるまい。些細なことではあるが。
「細かいこと気にしてるんじゃねえ!」
元々喧嘩っ早いのか、それとも余程腹に据えかねたのか。混じり髪の女が怒声を上げた。
「我々としても、嘗められっぱなしと云うわけには行かなくてな」
片方の黒髪が腰に履いた刀に手をやり、
「お礼参りに来たってわけですよ」
最後に少し背の低い、洋装の黒髪が告げてくる。
「おー」
聞き終えた美鈴がおざなりな拍手で迎える。
「いやいや、今ここ新装開店中だそうでねー。そういうお客は大歓迎、ってうちのお嬢様が言ってて。あ、まとめて来ても良いわよ」
「馬鹿にしてんのか、てめー……」
青筋を立てる混じり髪に、
「首魁ではないらしいな」
「番兵さんだね」
残り二人はどこ吹く風としている。
「こんなやつあたし一人で十分だ! 手ぇ出すなよ」
混じり髪は一人意気を上げ、仲間に宣言する。気勢の高さだけはこの場でダントツであった。
「いいのー?」
「どうぞー」
美鈴の気軽な確認に、洋装の少女がやはり適当に返答する。果たしてこれは信頼なのか、放置なのかは不明だったが。
「てめーをぶちのめして、とっとと張本人を引きずり出してやる」
混じり髪は握り拳を固めて奥歯を食いしばる。岩をも砕けとばかりの拳を見るに、徒手が得手なのだろう。今にも飛びかからんとする肉食獣のように美鈴を見据え、られなかった。
「あれ?」
肉のひしゃげる嫌な音が重く響き、地面を擦る音が続く。混じり髪の視界は青一色。
「何やってんの、ふーちゃん。そういう芸は宴会でやってー」
味方の少女の野次が飛ぶ。
「平仮名で呼ぶな! あと芸じゃねえ! っつーかいつの間に近付いたんだ、テメ」
ふーと呼ばれた少女は、起きあがって再び美鈴を睨み付ける。
「頑丈ねえ」
美鈴は元気そうに起きあがる少女を見て肩を竦めた。
「え? いつの間にって、目の前スタスタ歩いてたじゃない」
「はあ?」
そんな筈はなかった。彼女が気付いたのは、既に美鈴の拳が襲いかかってからなのだから。こめかみを捉えた一撃は避けるすべもなかった。
「んなわけ、!」
どすり、と拳が鳩尾に突き刺さる。小柄な少女との会話に気を取られたことを差し引いても、全く目に留まらなかった。そのまま背骨に肘が突き刺さり、今度こそは間違いなく神速で正面に回り込んだ美鈴が断頭台の如き足を振り下ろした。
「いっちょ上がりー。って、ホントに手を出さなくて良かったの?」
今度こそ倒れ伏した少女に目をやって、残りの二人に美鈴は尋ねる。
「あいつは頑固でな」
言いながら一人が刀を抜き放ち、
「その分頑丈で壊れにくいの」
もう一人が手のひらを合わせて集中を始める。
「良いんだか悪いんだか。今度は二人がかりね?」
「いいや、三人がかりだ」
美鈴は伸びているふーとやらに目をやり、
「伸びてるじゃない」
「貴方の手の内がいくらか判ったからな」
美鈴は気の毒そうな目で倒れた少女を見ると、
「鉄砲玉とは、世知辛い話ねぇ」
わざわざ嘆かわしそうに言ってみせる。本当に気の毒でもあったが。
「貴い犠牲、と言うことで一つお願いしまーす」
小柄な少女が、だめ押しにしかならない言葉を付け加える。美鈴は心の中で、聞きかじりの念仏を倒れた少女に詠じてやった。
「----!」
小柄な少女が見た目に合わぬ咆吼を上げると、その周りに妖気の弾が顕現する。すぐさま差した指に従い、弾幕が美鈴へ向けて殺到した。
「疾!」
弾の隙間を滑るようにして避ける美鈴を、刀を構えた少女が追撃する。連携に慣れているのか、背から降り注ぐ弾に気後れする様子もない。彼女は美鈴の動きを封じるように、小刻みな斬撃を繰り返す。
「あ、ホントにばれてる?」
移動範囲を狭める弾幕を美鈴は足捌きで縫い、嵐のような斬撃を上半身で避ける。間合いの広さの不利か、防戦一方であった。
「縮地だとかだろう。そんな面倒なことをする妖怪は初めて見たが」
手をゆるめずに刀遣いが言う。
まとめて言えば縮地というのは、間合いを詰める技術である。動作の短縮、相手の注意を逸らす、その他諸々を駆使して、あたかも一瞬で移動したように見せるのだ。錯覚したのならば、それは相手にとって真実に等しい。
だが、妖怪ならば本当に一瞬で移動してしまえばいいのである。手間も少なく効果も十分以上だ。搦め手の技術を研鑽する妖怪はまず居ないだろう。
しかしそれも身につけてしまえば、妖怪同士の争いに恐ろしい威力を発揮する。妖力に頼らないが故に、本当に見えない行動となるのだ。故に刀遣いは先制し、もう一人はそれに合わせたのである。
「ばれちゃあしょうがないわね」
言いながら美鈴は真っ直ぐ加速し、
「!?」
刀遣いが迎え撃った横凪ぎと共に消失する。
瞬間、あり得ないような位置からの視線と目が合う。横に凪いだ刀が過ぎたその更に下。地面に背を着くほどに仰け反った美鈴が、刀遣いを注視していた。
「ぐ!」
重い衝撃が刀遣いの後頭部を襲う。打ち付けられたのは、仰け反った体を追うようにして振り下ろされた拳である。意識が一瞬飛ぶ。
自失した視界をなんとか戻し、彼女の目に映ったのは腰溜めに構えられた貫手。刀は掴んでいるだけで、間合いは既に美鈴のもの。避けられない。
次の刹那放たれた貫手はしかし、あらぬ方向に跳び、何かと衝突して眩い光と激しい音をまき散らす。それが刀遣いの意識を引き戻したか、強く握り直した得物を凪ぐと美鈴は素早く飛び退った。
「さっちゃん貸し一よ」
「かたじけない」
軽い口調とは裏腹に硬い表情を浮かべた妖術使いに、刀遣いが礼を返す。二人ともが先ほど以上に美鈴を警戒の目で見ている。
「召喚術、かな?」
貫手で迎撃した感触を確認するように、美鈴は手を握って開くを繰り返している。少女の放った光弾は牙を備えた獣のように見えた。
「なんでアレまで効かないのよー。大して妖力が強いふうには見えないのに」
妖力を普段は抑えていたとしても、ほんの一瞬でそこまで威力を上げられるとは考え難かった。
「方法はどうあれ。向こうがこちらの妖力を上回っている、という換算でやった方が良かろう」
手段は不明だが、強大な妖力を用いてきているのは間違いない。少なくとも、見た感じの妖力は当てに出来ないだろう。
何事か思案を終えたらしい美鈴は、力を溜めるように身を低くする。引き絞られた弓矢のごとく放たれると見えた瞬間、
「復活!」
倒れていた少女の跳び蹴りが、かけ声と共に美鈴に襲いかかる。ぼさぼさの髪の隙間から猫科の耳が覘くところを見ると、虎の眷属なのだろうか。美鈴は片腕を上げて受けながら、
「黙って不意打ちした方がいいでしょうに」
呆れたように、しかし、美鈴は心地よさそうに笑みを漏らす。蹴り足を巻き込むように腕を引きながら、昇り龍のような拳を突き上げる。混じり髪の少女が慌てて逸らした頭の真横を、空気を切り裂く甲高い音と共に拳の形をした凶器が駆け抜けた。
「これで名実共に三対一か」
刀遣いが呟いた刹那、
「いいや、2on3ね」
ゾクリ、と。突然、思いの外近くに聞こえた声に刀遣いは戦慄する。
「初日からつまみ食いとはいただけないわね、門番」
「毒味ですよー、毒味」
「毒だから良いんじゃないの」
「お嬢様にお出しして良い毒かを確かめてたんですよ」
「冷めない程度に程々にしておくのが忠臣というものよ」
気楽な会話をする二人とは裏腹に、辺りの空気は一変した。幼い少女が放つ濃密すぎる魔の気配に、人はおろか妖怪さえ中てられてしまいそうな程である。
「ところで、日光はよろしいんで?」
美鈴の指摘通り、とっくに日は昇っている。陽光は吸血鬼にとって好ましい物ではない。
「大丈夫よ、ほら」
言いながらレミリアは取っ手から伸びた先を視線で指しながら、存在を主張するようにそれを上下させる。彼女が掲げているのは日傘である。
「……。そんなんで良いんですか?」
「そんなんで良いの」
胡散臭そうに日傘を見やる美鈴だったが、果たしてレミリアが日に灼かれる様子もない。どう見ても日を完全に避けられるようには思えないが。
「割といい加減な弱点なのね、太陽って」
再び唐突な声が現れる。鬱陶しそうに太陽を見上げる視線は、レミリアよりもむしろパチュリーの方が陽光を苦手にしてるようにも見えた。
「これだけ隠蔽すれば妖怪だとかにも通じるようね。これまで人間相手が多かったから成功するか判らなかったけど」
言いながらパチュリーはバタリと魔本を閉じた。心なしか満足げな様子である。
彼女らと違い、意趣返しに来た三人は心中穏やかでは居られなかった。一体いつどのようにして現れたのかが掴めないのだから。
「れっ、れれれれ、れみりゃ様っ!?」
一番慌てているのは洋装の少女だった。ほとんど錯乱状態で、髪に隠れていた犬科の耳が逆立ち舌も回っていない。
「れみりゃ?」
「うー?」
パチュリーと美鈴が顔を見合わせ、説明を求めるようにレミリアの方を見た。
「あら、これは奇遇ですわね。ロベリアさんでよろしかったかしら? お元気そうで何よりですわ」
「っはははは、はい! お気遣い無くっ!」
突然にこやかに微笑んで丁寧に話しかけたレミリアに、ロベリアと呼ばれた少女はがくがくと頭を上下させながら返答する。血の気が引いた顔は今にも倒れそうに見えた。
「知り合い?」
「先代の頃うちに居た娘よ。別に大した関わりはなかったけど」
「その割りにはずいぶんと愉快な反応してますが」
「気に入らないやつを目の前で処刑したのが効いたのかしらね?」
レミリアはさらりと物騒な発言を漏らす。間違いなくそれが原因だろう。
「ともあれ移転後初のお客だもの。私自ら歓待しても罰は当たらないでしょ」
言いながらレミリアは楽しげに、酷薄に嗤い、
「私の分も残しておいてちょうだい。えーと、効果的に霊的構造を破壊する方法は……」
パチュリーは魔本に高速で目を通し始める。
「あ~あ。おとなしく私に負けておけば良かったのにねぇ」
哀れみながら美鈴は、軋むほどに拳を固めた。
*
「それじゃサクサクと始めるわよ!」
調度がひっくり返った広間に、レミリアの高く澄んだ声が空しく響く。
「三馬鹿の初仕事はお掃除ね。じきにもっと配下を増やすから安心なさい」
「「「は~い……」」」
心なしかボロボロになった三人が、肩を落として返答する。三対三になった後は全く一方的な展開だった。その後で動く元気があるのは、なかなか驚異的な頑丈さではある。
「パチェは、……。あー、なんか出来たっけ?」
「繊細な作業向けの魔法の用意は、……今のところ無いわね」
かと言って肉体労働は論外だった。高確率で介護要員が一人増えるだろう。
「んじゃ本でも読んでてちょうだい。美鈴は、そうね。地下でも見回って来なさい」
「力仕事とかで?」
「割とね」
レミリアは含みのある笑みを見せて言った。地下にはなにやら容易ならざるモノがある様子である。
「あーっと。地下はどっちで?」
「それなら私が案内するわ」
レミリアに訊き返す美鈴に、パチュリーが横から言った。
「パチェが?」
レミリアは怪訝そうにパチュリーを見た。そのようなことを言い出すのが意外に感じられたのだろう。
「ええ、仕事もないしね。こっちよ」
レミリアの返事も待たずに風に乗って移動し始めたパチュリーを、急いで美鈴が追って行く。
「やっぱ何かろくでもないモノがあるんですかね、地下」
美鈴は歩きながら、何でも無さそうな様子でパチュリーに尋ねる。
「判って付いてきたことに安心するべきなのかしら。それとも呆れた方がいいのかしらね」
気の抜けた阿呆か、危機管理できない間抜けか。それとも別の何かか。
「退屈なのは良くないです。とてもね」
言葉の内容はどうあれ、美鈴の声色に巫山戯た様子はない。
「退屈凌ぎに命まで賭けるの? いかれてるわよ」
「ありゃ、そこまで危険ですか」
言いながらも、美鈴はパチュリーの後をついて行く。しばらくそのまま進むと、パチュリーは一つの扉の前に静止する。彼女は美鈴の方へと振り返ると、
『土曜』
単音節の呪。
二人の間で激しい音が響いた。
「やっぱり早すぎる。マナを利用してるとは思えない」
呟くパチュリーの目の前を、砕けた土の欠片が落ちて行く。それは絨毯を汚すより早く、空気に解けるかのように消滅した。
「種明かしすると、大層なことでもないんですがねー。防御抜けなかったし」
視線を落とした美鈴の先には、あらぬ方向に捻れた五指があった。パチュリーの放った土の槍を迎撃したところまでは良かったのだが、そのまま攻撃の手として伸ばし防御結界に阻まれたのである。
「通したら危険じゃないの。喉狙ってたし」
「そっちもいきなりだったじゃないですか」
「テストよテスト、レミィとは別口の。貴方の妖力展開の早さも気になるし」
「好奇心の方が主目的に思えますけどねぇ」
美鈴は砕けた手を、異音と共に動かして行く。気を廻らせて修復しているというのはパチュリーにも予想が付くが、その総量と速さが尋常ではない。明らかに美鈴自身の妖気を上回っている。
「要は私の身体に直接気脈が入り込んでるだけなんですよ。修行でやったとかなら格好も付くんですが、元からこうなってたもんで」
手の動作を確認するように、美鈴は拳を作って広げるを繰り返している。状態に納得が行ったのか彼女は何度か頷いた。
「それじゃ再現性は薄そうね。面白そうな特異体質だけど」
言いながらパチュリーは横に退く。
「行って良いわよ。出来ればレミィの期待を裏切らないで欲しいわね」
「早速信用低下は格好付きませんしねー。それじゃ、行ってきますんで」
美鈴は扉を開くと、地下への階段へと足を踏み入れた。
「あー。こりゃ確かに嫌な淀みがあるなぁ」
扉を開けた先から来る気配は、美鈴の気を主体とした感覚にかなり反応していた。特定の何かから来るモノだけではなく、この場所に強い想念の類が染みついているのだろう。
「開けるまで感知できない、ってのは洒落にならない隠し方だけど」
隠した方の手際を恐れるべきか、ここまでして隠される方を恐れるべきか、階段を下りながら美鈴は悩む。階段を数周下りる間に考えた結果は、
「どっちもやばいわね」
どう考えても片方だけ危ない、と云うことはないだろう。
階段が尽き、魔城の底へと至る。辺りには、崩れた石壁の残骸が多数横たわっていた。これだけ見れば着弾の衝撃による災害、否、人災にも見えたが。
「落っこちてこれだけ壊れるなら、これで城ごと崩れるはずだしなぁ。となると、別口?」
ここが最下層であることから落下による被害は一番大きいはずではあるが、不可解な部分が多すぎた。内部構造への扉も歪んで開いているが、どう見ても衝撃によるものではなく融解している部分まである。
「ねぇ、いい加減入ったら?」
壊れた扉の隙間から甲高い少女の声が聞こえた。それと裏腹に気配は一切感じられない。美鈴にとっては、まるで幻聴のように脈絡のないモノに思えた。
「鬼が出るか蛇が出るか、って吸血鬼はもう出てるしねぇ。今更か」
言いながら美鈴は歩を進め、歪んだ扉の隙間をくぐる。
扉をくぐった瞬間、外との連続性が失せていた。外側から掴んだ内部は伽藍堂の筈だったが、少なめではあったが物が置いてあり、多分に漏れずひっくり返っている。
広さもかなり広いものの一人部屋の範疇で、外観とも全く一致しない。
「いらっしゃい、お掃除屋さん」
美鈴を迎えたのはレミリアとよく似た、そして正反対の印象を持つ少女だった。全体的に似た特徴を持っていながら、髪はレミリアの銀に対して金。レミリアはいかにも悪魔的な翼を持つのに対し彼女は幻想的、あるいは狂的な宝石の羽をその背から生やしている。
「言われたのは見回りですけどね。見回っただけで帰ったら怒られそうだけど」
言いながら、美鈴はいつでも動けるようにする。この相手は何となく、
「つれないなー。見回りついでに遊んで行ってよ、っと!」
いきなり仕掛けてきそうな気がしたからだった。予想は違うことなく、力任せに飛ばしてきただけの魔力塊が致命的な威力で迫っている。
「お掃除じゃなかったんで?」
地を這うように駆けながら魔弾を避けて、そのまま部屋の主へと迫る。そのまま一撃を打ち込もうと拳を固め、
「遊び終わったあとに貴方が生きてたらで良いよ!」
棒立ちのままだった少女が異様な速さで飛び退る。反応の遅さを帳消しにする速度が、詰めた間合いを無意味にした。
距離を詰め直そうと、美鈴は身体を撓めて飛び出す姿勢を作り直す。それを見て取ってか、間合いを開けた少女がいつのまにか手にした杖を振り回すと同時に、部屋の四方から美鈴を押しつぶすように魔弾が収束する。
「職場環境改善を要求します、よ!」
収束に巻き込まれないよう、美鈴はそれを飛び上がって退避する。部屋にあった調度の類は哀れにも、美鈴の眼下で穴だらけになって行く。整頓の手間は省けただろうが、処分の手間が代わりとなる。
「その手の要求はお姉様にどうぞ。私は地下で、扶養家族400年だもの」
更に振るった魔法の杖は宙に浮いたままの美鈴目掛けて、再び収束する弾丸を生み出した。速度は十分で、足場のない美鈴には致命的瞬間。跳躍から飛行に切り替えるにはしばし時が足りない。
「レミリア様の妹君でしたか、っと!」
美鈴は空中に気を固定して足場を造り、地面へ向けて跳躍をする。頭から床に突っ込むように見えた瞬間身体を回転させ、バネのように身体を縮めて衝撃を吸収する。
そしてそれは、そのまま攻撃へと転じた。力を貯め込んだ身体が弾けると見えたその刹那、美鈴の視線が横に逸れる。
「?」
その先には特に何もない。せいぜい穴の空いた絨毯と、パチュリーに借りて読んだら意外と面白かった本くらいで、
「!?」
横合いからの凄まじい衝撃が少女を吹き飛ばす。全身が砕けそうな、あるいは本当に砕けた一撃か、部屋の様々なところに衝突したような気がした。
「そうよ門番さん。私はフランドールで、レミリアお姉様の妹よ」
フランドールをなぜか呆れたような目で見る美鈴に、フランドールは先ほどの質問の答えを返す。
「えー、どうも門番に決定しそうな紅美鈴です。なんというか頑丈な姉妹ですねぇ」
身体の部品が足りないような気がしていたが、そのうち集まるかとフランドールはあまり気にしなかった。美鈴は自分の拳とフランドールを見比べ、果たして本当に殴りつけたのか自身の記憶を疑っている最中である。
「そんな事より貴方狡い。不意打ちっぽかったし」
フランドールは口を尖らせて美鈴に文句を付ける。
「いやー、そういう狡っ辛いのが売りなもんでして」
美鈴的にはこの姉妹の異様な程に高い魔力こそ、何とかして欲しいものだったが。必殺の一撃だとかを何度も打ち込まなければならないというのは、最早必殺でもなんでもなかった。
「んじゃ、こうしちゃえ。『来る星は紫に』」
フランドールの詠唱を止めようと、美鈴が殺到する。囮を交えた動きに、再びフランドールの視界から美鈴の姿が失われ、五体を粉砕するほどの一撃が突き立てられた。
『行く星は紅に』
何処が頭部かどころか、何処が口かすら判らない状態のまま詠唱が続く。その光景に表情も変えず、美鈴は何もないはずの虚空に一撃を叩き込む。
空間が震撼した。
『疾く流れる星は虹を描く』
自分の身体が何処に在るかも認識していないような状態のまま、フランドールは詠唱を続ける。同時に自分でも判らない自分の位置を把握し、打撃を加えた美鈴に少しの驚きをえていた。致命とは言えないが、間違い無しの直撃である。
更に駆けた美鈴が何処とも知れない自分に密着しているのを、フランドールは何となく感じ取る。自分案内でもさせたら便利か、などと愚にも付かないことを思い付いた。
『注げ破壊の雨!』
パチュリーの教授により驚くほどの早さで身につけた真っ当な手順は、威力を、正確さを増して無駄を省き、自身に密着したままの美鈴に向かって襲いかかった。
「はぁ!?」
美鈴が間抜けな声を上げる。フランドールが集めている魔力はどう見ても飛び道具、それも物騒な種類のもので、普通は最接近している相手に打ち込むものではない。使うにしても距離を置いてから使うはずで、いくら何でも今撃つはずがない、そう思ったのだが。
残念ながらフランドールは普通ではなかった。
「ぷ、あははははは! そりゃそうだよねぇ! この距離で撃ったら私ごと消し飛ぶかぁ!」
腹を抱えて絨毯の上を転げ回るフランドール。余程可笑しいのか目の端に涙まで浮かべ、毛足の長い絨毯をばしばしと叩いている。
実際に消し飛ばしたため、抱える腹も、絨毯を打つ手もつい先ほど元通りにしたばかりではあったが。
「撃つ前に気付いて欲しいんですけどねぇ……」
言いながらも美鈴は、気付いたままやったんだろうな、と思った。大の字に寝っ転がった頭だけを動かし、右手の方に目を遣る。
腕を動かしながら動作確認をする。虹色の流星を受けるのに消し飛んだ腕を、ようやく修復し終えたからだった。折れたり無くなったりと、今日は腕の厄日だろうか。
「いや。判っててやったんだけどさ」
やっぱりか、と何となく美鈴は頭を抱えたくなった。
「もう少しスマートな対処というものがあるでしょう、フラン」
「でも接近戦の対処はあまり考えてなかった気がするわね。アレはどうかと思うけど」
二つの声が部屋に乱入してくる。
「肉弾馬鹿のお姉様にスマートとか言われるのもねー」
「お姉様を馬鹿呼ばわりしないの」
確かにレミリア相手に接近戦をまともにするのは、あまり賢い手段ではないだろう。自分ごと薙ぎ払うよりは大分マシだろうが。
「ともあれ、もう少し真っ当なやり方して下さいよー。私の打撃よりも自爆の方が効いてるんじゃ立場がありませんて」
どう見ても美鈴が打ち込んだ攻撃よりも、フランドールが自分ごと巻き込んだ魔法の方が効いていた。流石に空しさを覚える。
「取りあえず間近で使えて、爆発しない魔法を考えましょう。特に爆発しないようなの」
パチュリーは早速本を捲って、使い勝手の良さそうな術式を探り始めた。その様子を眺めながら、レミリアは美鈴に視線を移し、
「これで紅魔館の住人は全部よ」
「紅魔館?」
聞き覚えのない単語に、パチュリーが本から顔を上げて尋ねた。
「土地に合わせて改名してあげたの。ここに来たらそうしよう、って前から決めてたんだから」
「そう」
果たしてそれは、どの程度前からなのか。
「門前であんまり偉そうにすると、私がボスと勘違いされそうな名前ですねぇ。ともあれ、改めて今後ともどうぞ宜しく」
ようやく起きあがって礼をする美鈴に、
「宜しくなくても宜しくさせるけどね。下克上したいならいつでも良いわよ?」
レミリアは屈託無く微笑んだ。
*
紅魔館に幾つかあるサロン。数組のテーブルと椅子が設えられ、多くは館で働くメイド達の休息所として利用されている。今は三人組のメイドが、丁度休息を取っていた。
「なー」
「んー?」
そのうち、ぼさぼさした金と黒の髪をした少女がかけた声に、長い黒髪の少女が気のない返事をする。髪の手入れに余念がない様子である。
「あたし等なんでここに居るんだろうな」
「ボロボロに負けたじゃない」
「完膚無きまでだったな」
先の気の無さそうだった返事とは裏腹に、間髪入れずに今度は返事が来た。もう一人のいかにもメイドらしい服装に刀を履いた少女も、間髪入れずに追撃をかける。
反論のしようがなかったのか彼女は黙ると手元の紅茶をがぶりと飲み、自分の猫舌を思い出して悶絶した。それ以外は静かな時間が過ぎる。
「~~~~! ハァハァ……。何年くらい経ったっけ?」
悶絶し終えたのか、確認するように聞く。髪を弄っていた少女が手を止めて考え込み、
「五年、かなぁ。んー十五年くらい?」
いかにもいい加減な年数が口を吐く。長命である妖怪は、大体このくらいにいい加減なのかも知れないが。
「三年だな」
刀遣いが、懐から取り出した手帳を読み返して確認しながら言う。
「三年か。そろそろ下克上の時だと思わねぇか?」
秘め事のようにこそこそと呟き、
「ふーちゃんそう言って、何回も突っ込んで負けてるじゃない。猪みたいに」
「この間、負けが三桁に達したな」
一刀両断。にべも無かった。
「せめて協力してくれりゃ良いのに……」
虎髪がテーブルに突っ伏して脱力した。ちなみに、これまでの持ちかけは成功率ゼロである。
「レミリア様に逆らうなんてとんでもないわよー。せめて忠告してあげてるのが友情ってもんじゃない」
想像しただけで怖気が走り、黒髪が肩を抱えて震える。
「それに存外不満もない。手合わせ相手にも困らぬしな」
レミリアや美鈴は勿論、体調と機嫌が良ければパチュリーも相手になってくれることがある。無論、彼女らの後に来た、同類で現同僚の元犠牲者達もだ。と言うより、彼女たちが撃退した輩も少なくない。
「まぁ解るけどなぁ。群れるってのはちょっと盲点だったぜ」
虎髪が不満を交えつつも、納得して零す。
妖怪というモノは、大抵が単独である。宴会騒ぎなどで集まったりはあるものの、普段から徒党を組むことは少ない。一人一人が他者に頼らずに生き抜く強靱さを持っているため、群れを作ろうという感覚があまり無いのである。彼女たち三人が種も何もバラバラで共にいたことが、そもそも例外に近いのだ。
「私がここに来る前に居たところではいっぱい集まってたけどー。でもこんな感じじゃなかったなぁ。もっとギスギスしてたって言うか」
黒髪が幻想郷以前に居た地で魔物が集まっていたのは、概ね闘争のためである。上から見れば只の駒で、ここのような大雑把な関係ではなかった。少なくとも、トップが遊び相手をしてくれたりするような雰囲気ではなかったのである。
「そーいや前にお嬢様と会った頃って、何やってたんだ?」
「お針子。この服は会心の出来よ、会心の出来!」
そう言えば嬉々として服を縫ってたな、と自分のメイド服を見下ろしつつ思い出す。語り始めたデザインがどうの、という話を聞き流しつつ。
「せめて門番のヤツはブッ倒したいんだけどなー」
「偶には勝ってるだろう」
「一本取ったとか云うようなのじゃなくてよー。こう、思いっきりぶちのめしてガツンとだなんぷら!?」
服飾についての語りが環境音楽の如く流れる中、ガツンと人体をぶちのめした音が空しく響く。
「お仕事ご苦労様~。差し入れよ」
紅魔館の門番が片手に蒸し器を抱えて、蹴り足を宙で固めたままにこやかに立っていた。絨毯に沈んで動かなくなった物体は一顧だにしない。足を下ろして蓋を開くと、芳醇な香りが辺りに立ちこめる。
「わぁ~、美味しそー」
「かたじけない」
早速肉饅頭にかぶりつく二人を見て、美鈴の笑みが深まる。
「皮、ちょっと変えてみたんだけど。どう?」
「ふぉいひぃれふぅ」
「飲み込んでから喋らぬか」
「あたしを放って和んでんじゃねぇ!」
床に転がっていた物体が起きあがって叫ぶ。ただし叫びながらも、鼻をひくつかせていた。肉饅頭の匂いに惹かれて目覚めたのだろうか。
「てんめぇ、いきなり人の頭どやしつけてくれやがって。今日こそは……」
いきなり後頭部を蹴りつけてきた張本人を、剣呑な目で睨む。気迫十分、今にも殴りかかろうとしている。
「要らないの?」
「いえ、いただきます」
が、肉饅頭への誘惑に勝るほどではないようである。しばらく饅頭を頬張る、音にも満たないささやかな静寂が満たす。
一息吐いたところを見計らい、
「食べ終わったところでお仕事よ。地下の見回り、よろしく」
*
「この仕事、なんかスゲェ怪しくねぇか?」
うんざりするほど長い階段を下りながら、虎髪が愚痴るように言う。
「めーりんさんの最後の言葉も、気をつけてね~。だったもんねぇ」
不安げな様子を隠しきれずに黒髪が零した。
「そもそもが入ってきた扉だ。私の記憶にはないぞ、あのような扉は」
何か特徴があるわけでもない扉だったが、刀遣いの言う通り三人ともあんな扉に見覚えがなかった。そのくせ手入れされているらしい形跡があり、汚れた様子もなく、それなりに出入りしている人物が居るのは間違いない。
何が怪しいと言うよりは、最早怪しい材料しかない。
実はサプライズパーティ。遠回しな解雇。紅魔館地下深くには、妖怪をエサにする恐ろしい何かが居る。などなど、予想とも妄想とも着かない話をしながら下り続ける三人。
「お。ここが最下層か?」
階段が終わり、あったのは巨大な金属製の扉。これもまた良く磨かれていて、周囲も地下深くだからといって朽ちていたりはない。
「汝一切の希望を捨てよ、って感じじゃ無さそうね」
見た感じ危険な施設などではない様子だったことに、黒髪がほっと胸をなで下ろす。
「しかし、地下深くに何であろうな? 倉庫にしては、位置が厳重すぎるように思えるが」
まるでこの扉の先のためだけに、地下があるように感じられる。それに倉庫だとすれば見回りなどではなく、中身の整理などが普通だろう。
「まぁ、開けりゃ判るんじゃねえの?」
虎髪が気安くひょいと手を伸ばして扉を押し、
「「あ」」
意外に軽い音をたて。二人が止めるまもなく扉が開いて行く。
「うつけめ、いきなり開けるな」
「名状しがたいものでも出たらどうするのよぅ」
「いや、その。なんか無茶苦茶軽かったぞ?」
ガタンと音を響かせて扉が開ききる。しかし三人が覗く限り、何もない空っぽの堂であった。怪訝そうな顔をして、まず先に虎髪が中へと歩き始める。
「やっぱ何もねーぞ?」
周りを見て上を見上げても、広すぎること以外はただの円柱だ。何か物が置かれているわけですらない。残った二人も顔を見合わせ、中へと向かって歩き出す。
「むぅ。確かになにも、」
重い音が堂内に響く。重い金属と金属がぶつかり合った、退路を塞ぐように閉じた扉の音。
「……。雀捕りの罠ってあるじゃない?」
引きつった笑みを浮かべて黒髪が言う。
「パンくずとかに惹かれてきたところに籠とかをこう、」
「パタン、って?」
聞き覚えのない声が後を受ける。一瞬壁面にびっしりと模様が浮かんだかと思うと、直後に視界が明滅する。色のない堂と紅一色が激しく入れ替わり、やがて視界が紅一色に染まりきった。
「籠の中にようこそ、鳥さん達」
何もない空間の代わりに現れた紅い部屋には、やはり紅い少女が一人。金の髪を揺らし虹を背負う少女は、先ほどまで見えもしなかったのが嘘のような威圧感を持って三人の目の前にあった。
「歓迎の準備も、ってなんで後ずさってるわけ?」
紅い少女が心底不思議そうに、首を傾けて尋ねる。
「いえー、その。言われたの見回りだからそろそろ帰ろっかなー、なんて」
黒髪が顔を引きつらせながら後ずさる。残りの二人も及び腰だった。いくら何でもまさかレミリア以上の強大な妖力を有する者が紅魔館に居るとは、三人とも思っても見なかったのである。
「どーゆーバケモノ屋敷だよ、ここ……」
「我らもバケモノだがな」
下克上が遠のいたと嘆く虎髪に、刀遣いが間の手を入れる。
「帰るって、どこからなのさ?」
心底愉快そうな笑みを浮かべながら紅い少女が言った。どれほど愉快そうかと言えば、鼠を追いつめた猫というのが適当だろうか。
少女の言葉に三人が振り返ると、入ってきた筈だというのに扉が何処にも見当たらない。三人の背に更に冷たいものが走った。
「出口もないんだしさ。ちょっと遊んで行ってよね!」
三人を取り囲む籠のように、妖弾の群れが辺りを覆い尽くした。それらは雪崩のように倒壊し、膨大な波となって襲いかかる。
「やっぱこうなっちゃうの~?」
黒髪は嘆きながらも使い魔を召喚する。現れた4匹の丸みを帯びた小さな魔物は三人を守るように四方に散り、三角錐状の結界を張り巡らせた。妖弾の群れと結界が接触し、激しい音と光を放つ。
激しい光が辺りを包むも、結界は健在。かなりの防御力を有しているようだ。
「おーやるやるぅ。んじゃ、どんどん行こう」
「ゑ?」
嬉しそうな少女が手を振ると今し方襲いかかった妖弾の籠が、幾つも、幾つも幾つも、幾つも幾つも幾つも幾つも。部屋を籠の目で覆い尽くすように、部屋を籠目で仕切るように現れた。
「ちょっと! 無理、」
言いかけた言葉を飲み込むように、妖弾の波が津波の如く幾つも押し寄せた。儚く消えた結界の光を最後に、中が紅い少女からは見えなくなる。爆風が辺りを包んだ。
「あっれ。やりすぎ?」
ちょっと失敗したかな、程度の顔をする。その顔が何かに気付いたようにハッとしたものに変わり、間を置かず飛び退った。避けた横合いを、真空の剣閃が行き過ぎる。
「あー良かった良かった。これで終わりじゃ流石につまんないよね」
手応えに喜ぶ声を断ち切るように、
「良かった、じゃねえ!」
爆風を突き抜けて、虎髪が紅い少女に殺到する。迎撃のための妖力を必要以上にその手に抱え、紅い少女が狙いを定めた。
今にもそれが放たれる瞬間、虎髪を追い抜いて光の群れが折れ曲がりながら少女へ向けて襲いかかる。落ち着いた様子でそちらへ注意をやった少女が妖弾を振り分けようとしたその時、光の群れが突如弾けた。
「!?」
光に目の眩んだ紅い少女を虎髪の爪が切り裂く。更に爆風の中から飛びかかった刀遣いが、逆袈裟に斬りかかった。浅く凪がれながらも空中に逃れた少女の先に、黒髪の喚んだとおぼしき使い魔。
「げ」
使い魔を中心に紅い少女を巻き込んで凄まじい爆発が起こり、光と音を撒き散らす。
「やったか!?」
虎髪の快哉と不安を交えた声。それに応えるように、
『トネリコを焼く終末の火。巨人と分かたれぬ幻想の剣。三界の穢れを払う浄化の炎』
朗々とした詠唱が爆風を貫いて響く。空気を揺るがす言の葉が、魔力を帯びて空間を揺るがす。
「やっぱ接近戦ダメなのかなー、私。だからハンデを貰うことにしました」
強大な魔力を抱えたまま、紅い少女が気安げに言う。
「「「ハンデ?」」」
三人としては、むしろ自分たちに欲しいところだった。どう見ても直撃した筈だというに、目立った傷がない。無傷だったとは思いたくないが、再生に使った妖気が少女にとって微々たるものであることは想像に難くなかった。
「剣で槍に立ち向かうには、何倍かの技量が要るんだっけ?」
「一般には三倍段と謂われるな」
少女の質問に刀遣いが答える。
「んじゃこれで何倍必要? 『害を為せ魔杖!』」
少女の振り上げた杖の先から、深紅の炎が一直線に吹き出す。それは少女の背丈を数倍に超えて、まるで一本の剣のように燃え盛る。
「ほーら、避けないと燃えるよ! もしかしたら斬れるかも知れないけど」
少女は炎の剣をまるで棒きれでも扱うように、軽々と振り回した。慌てて避けた三人のいた場所を、一瞬遅れて凄まじい熱量が通過する。冷や汗とは別に、過ぎただけで汗をかきそうなほどであった。
「うっそだろおい!」
盲滅法のようでありながら、狙いは正確な剣閃を必死で避ける。目や感覚が優れているのか、明らかに素人じみた手振りながら容易な攻めではない。いつまでも避けきれるものではないだろう。
「……これでは近付くことも出来ぬな」
刀遣いは機を窺い炎の剣が復った隙をついて駆け出すが、まるで蝿でも追うように無造作に振り回される魔剣が近付くことすら妨げていた。それに、無理にかかれば機会を永久に失うことは想像に難くない。
「なんとかアレ防げねぇか?」
虎髪の要望に、いつのまにか平べったい魔物に乗って飛んでいた黒髪が首をぶんぶんと振り、
「無理よ、無理無理~。私の手札じゃ、さっきの結界で最大限だもん。あんなのの前じゃ一瞬も、あ」
何か思い出したように大きく口を開けた。
「何かあるのか?」
刀遣いの表情も真剣である。相手は遊び半分の様子だったが、あの威力は自分たちにとって死活も良いところだ。何とかしなければ後がない。
「一応あるんだけど……。一回だけで、ほんの一寸しか保たないの」
「それでもいいや。これじゃジリ貧だしな」
虎髪と刀遣いが一気に駆け出した。辺りを縦横無尽に行き交う炎の剣が見えていないかのように。
「覚悟完了? それとも玉砕? 答えはどっちかな?」
少女の魔剣が二人を纏めて薙ぎ払おうと襲いかかる。避ける様子も見せない二人を火炎が飲み込む、その瞬間。
それが嘘だったかのように、炎の剣が消え失せた。
「あれ?」
少女が掻き集めた魔力の手応えが霧散し、集め直そうとしても叶わなくなったのだ。幾ら集めてもどこかへ消えてしまう。
理由は黒髪が召喚した魔物のせいであった。魔力の類を吸収する性質を持ち、辺りにあるそれを無制限に喰うのである。ただし消耗が激しく、維持できる時間はごく僅か。
しかし、その短い時間が値千金をもたらした。あと僅かで二人は接近戦の間合いに達し、剣を再び使う間を与えるつもりもなかった。が、
「惜しいなあ」
紅い少女のその手に魔力の明かりが灯っていた。少女の目線の先では、力を使い果たした黒髪が倒れ込んでいたのである。七色に輝くそれを前にして、刀も素手も間合いに及んでいない。
「疾!」
万事休すと思われた刹那、収められた鞘から刀身が飛び出した。刀遣いは抜き手を使わず鞘を持つ手を突き出し、それを弾丸のように放ったのだ。
行き違うようにして放たれた虹色の魔弾と鉄色の刀は、互いの標的を正確に射抜いた。
「喰らえ!」
刀の柄を頭部に受けてぐらついた少女に虎髪が最接近し、その全妖力を叩き付けた。
「やったの?」
黒髪が息も絶え絶えの様子で尋ねる。
「わからねえ。生きてるか、裂」
「……なんとか」
自身が生きていることに呆れたり感謝したりしながら、刀遣いが起きあがる。
「良かった~。これで、」
「おめでとー」
「ところで」
「何が良かったの?」
三人を包むようにして聞こえた多重音声に、水を浴びせられたかの如く辺りの空気が冷えた。
虎髪の背後に紅い少女が。
刀遣いの背後に紅い少女が。
黒髪の背後に紅い少女が。
それぞれくすくすと笑っている。
「実は私達」
「四姉妹だったの!」
「っていうのは嘘だけどね」
同じ声で違うところから口にし、そして同時に笑う。囲まれた三人は声も出ない。
「でもお目出度いのは本当よ」
「だって貴方達は」
「今この時で」
何かが弾ける音がして、三方から弧を描いて何かが降り注いだ。
「「「私のお付き第1号に決定しました~」」」
ぱちぱちと鳴る拍手の音が、惚けた三人の耳を通り抜ける。
「あんなにメイドが居るんだし、頂戴」
「って言ってもお姉様がケチでなかなかくれくてさぁ」
「ようやく貴方達が来たんだけど」
「「「聞いてない?」」」と首を傾げて聞かれたが、三人とも全くそんな話は聞いてなかった。
ようやく三人の頭が回り出す。黒髪がのろのろと髪に触る何かを手で探ると、色とりどりの糸くずのようなものがまとわりついていた。硝煙の匂いが僅かにするのと併せて、さっきの音はクラッカーだったことを悟る。
「あのー、お姉様ってもしかして」
「レミリアお姉様よ」
「私はその妹で」
「フランドールって言うの」
その言葉に三人がぐったりと脱力した。
「初めに言ってくれよ~。死ぬかと思ったぜ」
「え?」
「つまんなかったら殺しちゃうつもりだったけど」
「良かったね、生きてて」
この上もなく本気の口調に三人の肝が冷える。
「それでフランドール様。我らの仕事は如何なるものに?」
刀遣いの言葉に、フランドールは予想外のことを聞かれたように黙り込む。何をさせるか考えていなかったのだろうか。
しばらく悩んで考え込み辺りを見回して、はたと気付いたように手を打つと、
「そうだ!」
「まずお掃除から!」
「それじゃサクサク始めよ!」
朗らかに言ってのけたフランドールの言葉に三人は辺りを見回し、今し方自分たち及びフランドールによって荒らされた部屋の様子を確認した。どう見ても掃除は必須である。
「「「は~い……」」」
三人は何となく、自分たちで掘った穴をまた埋めることを繰り返す囚人の話を思い出していた。
*
僅かに欠けた月が照らす闇夜。切り立った山中にある森には、夜泣き鳥の声が響いている。分厚い魔書をバラバラと捲っていたパチュリーは、それをばたりと閉じる。納得するように魔女が軽く頷いた。
「一応確認し直すけれど。貴方の城は、何処にいても直に呼び出せるのね?」
「間違いなく、よ。フランも居るんだし、違えることはあり得ないわ」
それが一つの問題源でもあるのだが。幻想郷への経路をたどる施術は、パチュリーにしか行うことが出来ない。そしてフランドールを現状外に出すことは出来ないのである。そうすると、フランドールを中に収めたままとなるわけだが。
レミリアという他者の所有であるこの居城ごと、パチュリーが転移させるには負担が大きい。結論としては、パチュリーとレミリアの二人がまず幻想郷への道を行くべきということになる。
「結果的にはそれで良い気もするわね」
思案しながらパチュリーが述べる。幻想郷という土地の状態は、現在皆目見当も付かない。数多の妖怪といくらかの人間という、有り得ない比率の流刑地。
多くの魔物は、方法はどうあれ人間を喰らう事を好む。その存在の重きを精神に置くゆえ肉を摂取するという必要性は薄いが、レミリアなど吸血種の場合血液を奪うことが望ましい。パチュリーはそのような習慣は持っていなかったが、その名が示す通り智を貪ることも可能である。多かれ少なかれ魔というモノは「人食い」の性質を持つのだ。
それらが閉鎖された区域に、少量のエサと共に放り込まれればどうなるか。
パチュリーによる予測の殆どにおいて、幻想郷は芳しい状態を保っていない。しかし、レミリアの方は未知数とは言いつつも楽観視している様子である。
「状況を確認の出来て無いところにフランを放り込むのは、ぞっとしないしね。面白くはなりそうだけれど」
そう言い、レミリアも先行することに異論はないようだ。
「でも、なんでこんな半端な月齢にやろうって言うの? 明日まで待てば満月じゃない」
魔女のような特化した種族でなくとも、魔法やその類は普通に用いる。その常識からすれば大体この様な儀式は、満月だとか新月だとかに執り行われるものだ。それを半端な十四夜とは。更にレミリアは辺りを見回し、
「それにこんな山奥にまで」
周りは木・林・森に山ばかり。平地に巨大な魔法陣を描いたわけでもなければ、怪しげな薬品が転がる地下室での儀式でもない。
「月の力を多く受けたいのは山々なんだけれどね。満月を待って、活発化した幻想郷住人の歓迎を受けたくはないもの」
太陽を受ける昼の生き物とは対照的に、月の光は魔物の力となる。影響の大小に種族・個体差はあれども、これにはまず例外もない。レミリアが満月に大きく力を増すのは間違いないが、多数居るであろう妖怪達もその恩恵を受ける。
それだけに留まらず精神的にもかなりの高揚をすることが多い。その危険は侵すべきではないだろう、というのがパチュリーの意見だ。
「何となく無駄に終わる気がするけどねぇ」
まぁ宮廷魔術師の言葉に従いましょう、とレミリアは言った。
「宮廷魔術師として王に説明させていただくと、まぁ魔術的な類似の概念よ。山に入ったのは」
見立て、というものだ。例えばこれは魔術ではないが、子として見立てた人形を厄災の身代わりとする風習などもある。魔術であればずばりそのまま、誰かとして見立てた人形を痛めつけることにより対象を呪うものなどだ。似たような物や近しいものを魔術の媒介とすることは珍しいことではない。
幻想郷が山間の近辺にある記述や、その島国自体かなり山がちであることから出立の場を山奥の森としたのである。
「さて。始めましょうか」
魔本が口を開き、魔法が解放される。夜の空気にパチュリーの魔力が広がって行く。
博麗大結界という前代未聞の仕切りは、おそらく最強の部類となるだろう。距離を距離ともせず、ヒトを遙かに上回る魔を数十年にわたって放逐し続けている結界は脅威としか言いようがない。
しかし、だからこそ、その流れを利用することも可能となる。
「……掴んだ。これか」
パチュリーが把握したヒトではなく魔を攫う流れは、驚異的なまでの力を有していた。それが根ざしているものは、世間の奔流などと云うモノかも知れない。人間で覆い尽くされようとしている世界を方向付けるモノ。この圧倒的な流れは、いずれ世界から幻想などと云うモノを洗い流してしまいそうで。
「まぁ不特定多数から知られる必要もない、か。レミィ、すぐに行けるわよ」
パチュリーの手招きに応じてレミリアが寄ってくる。
「なんだかあっけないわねぇ。もっとバーッと光ったりとかしないの?」
大げさに手を広げて見せながら要求する魔王。
「何を期待してたのよ貴方は……」
半眼で呆れ返った視線を送るパチュリーに、レミリアは軽く上を向いて考え込む。
「退屈な日常に加える一かけのスパイス?」
「何で疑問系。もう、いいから近くに寄って。日焼けはしたくないでしょう?」
「日焼け?」
パチュリーに近付きながらレミリアは軽く思考に沈むと、
「あー、時差か」
言いながら納得したように頷く。
「そういうこと。向こうはまだ日が元気に照っているわ」
レミリアが傍に来ると、パチュリーは魔本を開き日除けの結界をまず展開した。月明かりの下では効果を為さないため外見上の変化はないが、発動を確認してパチュリーは次の行程へと進む。
『幻は夢に。現の世には現のみ。此方より彼方へと夢は儚く遷ろう』
*
バラバラと音を立てて捲れあがる魔本。夜の空気を空しく叩く音は儚く、闇の下にあまりに小さく。バタリという音が、ページの連続を絶った。
「失敗?」
魔術の構築に間違いはなく、幻想郷へと流れる方向性も把握していた筈なのだが。未だに夜のまま変化が、
「いや、違うか。成功したのね」
それもおそらくはこの上もなく。
「えぇ~。本当に何も無しで着いたの? サービス足りなく無い、パチェ?」
「その手のエンターテイメントは私の管轄外よ、レミィ。確認するから少し待っていて」
確認のために日除けの結界を解く。軽く見回した程度では辺りの光景が変化していないように映るが、よくよく見れば明らかに違う。全体的な雰囲気こそ似通っているが、生えている樹木の種類、気温と湿度、そして何よりも星の位置。
「時間がかなり進んでいるみたい」
時差の分を帳消しにするように時が進み、まるで状況を似せる意図でもあるかのようだ。それも攫われたという形には相応しい、と言えるかも知れない。神隠しにあった人間は、迷ったことにさえしばらく気付かないものなのだから。
「月も十四夜の筈が満月に、あ」
その通りに、照らす月光は満月のもの。狂気を司り魔に力を与える夜天の女王。
「やっぱり無駄に終わったでしょう?」
レミリアの声は頭上から聞こえた。彼女の瞳は紅さを増し、爛々と輝いている。流石に理性を失っているほどではないが、高揚しているのは目に明らかだった。
「ちょっとレミィ! いきなり騒ぎを起こすのは、」
「良いじゃないのパチェ。悪魔ってそんなモノよ?」
レミリアは既に心は騒ぎの方にあると見え、パチュリーの言葉を聞き入れるつもりはないようである。
「そうだ! あなた日本語なんか出来ないでしょう?」
急いで制止の言葉を考えたパチュリーが、何とか引き留めようと言う。言語圏が全く違うのだから、何とか通じ合わせるのも不可能に近いだろうと彼女は考えたのだ。
「スシ・フジヤマ・ゲイシャ・テンプラ。こんなところでしょう、日本語?」
最初に出てきた語群の怪しさはともかく、全く問題のない発音でレミリアが言う。正直パチュリーが以前に聞いたことのある、ネイティブの日本語と比べても遜色はなかった。内容は全く以てともかく。
「それじゃ案内役でもかっ攫って、じゃなくて連れてくるからおとなしく待ってなさい!」
「ちょ、レミィ! ケホッ」
速度に引きずられて波長の狂った日本語の叫びと、爆音と舞上げられた土埃が残して飛び去る紅い悪魔。しばらく咳き込んだその友人は空気の椅子に深々と座り込むと、諦めたような表情で分厚い魔本を開きため息を吐いた。
*
「うちのお嬢様が、いくらかでも自重してくれるように期待しておきましょう……」
パチュリーは淡い期待を嘆息と共に吐き出した。開いた魔本に視線を落とすと、数ページをバラバラと捲り上げる。すると、中空に円状の薄い光の膜が展開された。
「レミィの現在位置はここ、と。ずいぶんまっすぐ移動してるわね」
パチュリーが目で追う先で、紅い光点が移動していた。他にもいくつか同様の光点が膜上に点在している。多くの点は単独で光っているが、いくつかは集合して存在している。
「これは確かに多い。いや、明らかに過剰ね。この妖怪の数」
光点は妖怪、あるいはそれに準ずる者を示しているようだ。かなり広範囲に探査を広げているために光点同士は近いが、実際はもっと距離を置いているはずではある。しかし、パチュリーの基準、すなわち幻想郷外の常識では、これほどの数の魔がひしめき合っていることなどあり得ない事態だった。
「良くもまぁこれだけの数の魔が、何十年か自滅することなく居られた物だわ」
流石に疑念を抱きパチュリーは幻想郷の広さ、すなわち博麗結界の範囲を探り始めた。魔術による触覚は問題なく伸び大体の広さを把握し始める。その広さはごくごく小さな国か、大きめの行政区画程度の広さだろうか。しかし、大体、以上の情報がどうにも掴めない。
「なるほどね、大体しか解らないのか」
パチュリーは僅かに感動混じりのため息を吐く。幻想郷の「果て」が見えないのだ。果ての方に感覚を伸ばしても、何となく止まってしまう。おそらく直接行っても迷うか、下手をすれば事象の狭間にでも落ち込む可能性もある。幻想郷からの脱出は、全く不可能だった。
「これを知れただけでも、ここに来た価値はあるかも知れないわね」
幻想郷を隔離する博麗大結界を張った者は、間違いなくパチュリーの上を行く技術を持っている。理論としては掴めても実際これを展開する方法は、パチュリーの手札の中に全く存在しない。
つまりは、未知なのである。知を求める者にこれほどの至宝などあり得ない。
「っと。レミィのこと忘れるところだった。えーと対象の周りを効率的に表示する方法は、っと」
ようやく本来の目的を思い出したパチュリーが、レミリアを示す光点に視線を合わせる。表示される範囲が狭まった代わりにレミリアを中心として画像が拡大し、細かな情報が独自の方式で表示され始めた。おそらくパチュリー自身でなければ、読み解くことも難しいはずである。
「水気が多いけれど、レミィは気にする様子も無し。止まった水、湖かな?」
流水を弱点とする吸血鬼は少なくない。レミリアもまたその例外ではなく、川などを渡ることは好ましいことではないはずだ。
「止まったわね」
何か注目すべき物でも見つけたのか、レミリアの動きが見られなくなった。
「穏便に済ませてくれないかしら、あ。早」
祈るまもなく願いが潰える。レミリアの先制と思われる魔力の増大、それに対する反撃と思われる力が感知できたのだ。満月の下の紅い悪魔に自重を求めることが、そもそもの間違いであったのかも知れない。
「相手は無事かしらね……。む」
レミリアの攻撃と、地元民であろう妖怪の反撃が数度続いている。レミリアを前に数合以上も保っているだけでも、この妖怪が手練れであることは疑いようもないだろう。ただ、パチュリーの目からは疑問を持たざるを得ない事実が見て取れたのだ。
「こんな程度の力で、どうやってレミィにこれだけの手傷を負わせてるのかしら?」
先ほどからこの妖怪が放っている攻撃は、確実にレミリアへの痛烈な打撃となっている。レミリアの力の総量が大きいからこそ大事に至っていないが、肉体を粉砕されていても不思議ではない威力である。
しかしこの妖怪が攻撃を行う瞬間の出力と、吹けば飛びそうな当人の妖気ではあまりにも釣り合いが取れていない。等価交換則は広い目で見れば、おおむね必ず成り立っている。つまりこの妖怪は、足りない力を補う何らかの隠し球を持っていると見てほぼ間違いない。
「面白いわね、ここは。ついでに持ち帰ってきてくれないかしら、これ」
*
「拾ってきたわよ、案内役」
パチュリーの下まで戻ってきたレミリアは、言葉の通り見知らぬ女性を連れていた。鮮烈なまでに紅く長い髪が目を引く長身の凛とした美人だが、華やかで陽気な雰囲気が近寄り難さを感じさせない。
「えっと。称好?」
大胆にスリットが入った落ち着いた緑色の旗袍を見て、パチュリーはついそんな反応が出た。龍の文字を書いた星形のプレートをあしらった同色の帽子が、そんなイメージを助長する。
「いや、通じますって。日本語。駄目ならいくつか対応できますが」
女性は苦笑いを浮かべて言う。
「それは失礼したわね。私はパチュリー・ノーレッジ。そこのレミィの友人よ」
「お気になさらず。私は紅美鈴。ついさっきレミリアお嬢様にお仕えすることになりました」
日本語で言い直すパチュリーに、赤髪の女性・紅美鈴が丁寧な礼と共に返す。良く制御された動作に、肉体を使い慣れていることが見て取れた。
「頑丈で良い感じよ、美鈴って」
「頭飛ばされても無事な人に言われるほどじゃありませんが」
「……。まぁ、お楽しみだったみたいね」
数時間も続いた殴り合いは、ずいぶんと盛況だった様子だ。二人とも傷一つ残っていないが、服の端々にどちらのものとも知れない血が付いている。
「ところで。腰を落ち着けるところに当たりはつけているのかしら? それともこれから?」
予想外に時間が過ぎていることもあり、フランドール一人になっている城を放置しておくのもあまり心臓に良くはない。出来るだけ早めに魔城の召還を行うべきだろう。
「それなら私が美鈴を拾ったところが良いわね。湖にでも建ててやればなかなかに優雅でしょ?」
レミリアとしてはフランドールのことを気にしているのだろう。普段静止している状態ならばレミリアの出入りに問題はないだろうし、いざというときは水に流れを与えてフランドールに対する防波堤にもなる筈である。パチュリーの見立てでは、彼女に無理矢理出て行く意志は薄そうではあったが。
「そうね。まずは実際に見てみましょう」
*
「意外にと言うか、想像外に落ち着いた土地ね。もっと荒れていると思ったのだけれど」
湖へと向かう空の途中、パチュリーが抱いていた疑問を美鈴へとぶつける。
「大体の話はご存じで?」
「一応ね。どこまで正しいのかは、貴方の話を聞かなければ判らないわ」
美鈴は少し考え込むようにし、
「最初は荒れそうになったし、私ももっと荒れるかと思ったんですがねぇ。若いのは暴れたがったのも多かったみたいですけど、古くて強力な連中が意外と弁えていたらしくて」
荒れた妖怪たちの標的になったのは、当然ながら人間たちである。美鈴が言うには、それを保護する形に動いた妖怪がかなり多数居たという。それも人間を守りたがるような物好きだけではなく、本来は人間を弄んで悦に浸る類の連中がである。
「自滅の可能性を考えて動いたのかしら?」
狭い範囲、しかも外部との行き来がない閉鎖系での大きな争乱はそのまま破滅へと繋がりかねない。単独で生存することに長けた妖怪であっても、である。
「普通に考えりゃ、そういう思慮があったと思いますけどね。んでも世に長じたバケモノなんてのはまあ、頭のネジが飛ぶか弛むかそもそも付いてないやつが多いもので。なんかの気紛れで血迷った可能性も否定できないと思いますよ」
私は普通ですが、と美鈴は付け加えて言った。
「ほらね、私の言うとおりだったでしょ。パチェは心配しすぎだよ」
レミリアは得意げな様子でパチュリーに言ってくる。
「何も起きなければそれが一番良いの。拍子抜けしたのは否定しないけれど」
言ってパチュリーは、本を持ったまま器用に肩を竦めた。
「ここよ。どうかしら、宮廷魔術師?」
三人の目の前に映る湖はひどく大きかった。この湖が一般の目から消えたのが幻想郷隔離の時だとすれば、それだけで不信を広げるであろうほど大きい。おそらくは永きに渡り、幻想郷の存在と共に秘匿されてきたのだろう。
「十分以上ね、魔王。魔女としての見地から見ても、すばらしいと言っていいわ」
湛えた水量に相応しく、流れるマナの量も莫大なものだ。豊かな自然界の力は、辺りからする多くの妖精の気配からも分かる。
「ここにはいわゆる、気脈ってやつの本流が通ってます。私はその辺の力を使うのが能なんで、ここに住んでると調子は良いですね」
「貴方の住処なの?」
「縄張りってほどに自己主張はしてませんけどね。なんだか知りませんが、意外と住み着こうとするやつも居ないんですよねぇ」
美鈴は首をかしげて不思議がる。
「それなら好都合でしょ。貴方のものも私のものよ、当然だけど」
胸を張って傲慢なことを言ってのけるレミリアに、
「へいへい」
美鈴は適当な返事を返す。顔はにこにこと笑っていたが。
「それじゃ早速」
言うが早いか、レミリアは胸の前に両手を掲げると、手の甲を正面に向ける。そのまま親指と人差し指でゆがんだ円を型作ると、辺りをレミリアの紅い魔力が覆い始めた。それは紅い霧のように広がり、浮き上がる彼女に従うように湖の上空に集まって行く。
「来い」
紅い霧が光の柱となって湖に突き立ち、その内部から染み出すように巨大な塔状の建築物が現れる。
「そういえば地下部分が結構長かったわね」
「あれがお嬢様のお住まいで?」
「そう。レミィの忠実な使い魔でもあるわ」
感心したように美鈴は眺めているが、驚きに囚われているほどではないようだ。このような特異な場所では、不思議な現象も少なくないのだろう。
「うんしょ」
ブツリ、と糸の切れる音を幻視したかのように。突然支えを失った不夜城が落下して行く。
「え?」
「は?」
水音などと言う生やさしいものではなく、大地を揺るがすような轟音が辺りを包む。否、大地を揺るがす轟音である。幸いなことに、地下塔の長さは着弾地点の水深を上回っていたようではあるが。
轟音に続いて地に立つ二人の視界を水の壁が遮る。
「ちょっとちょっと!」
パチュリーは風に乗って舞い上がり、
「あぶなー!」
美鈴は地を蹴って難を逃れた。
「貴方ねぇ……。あんなものを落っことさないでくれるかしら」
「……落とすのは良いですから、せめて事前に一言」
「良いじゃない、静かに下ろすの面倒くさいし。それに適度な刺激がないと惚けるわよ」
不満を言ってくる友人と部下に、レミリアはどこ吹く風である。その返答にパチュリーはじろりとした視線を友人に送り、一言、
「中身は?」
「あ」
*
「橋」
意外なほど小さなきしみの音と共に、主の命に従って跳ね橋が岸へと倒れてくる。地に降り立った橋が立てたのは轟音。濡れた地面は土埃を立てなかった。
「開け」
レミリアの言葉と共に巨大な扉がゆっくりと開き始める。跳ね橋と同じくきしみはごく少ない。
「構造はいかれてないみたいね」
パチュリーの見回したところどこにも損傷はない。あくまで外側の部分ではあるが。
「内装はどうですかね? うわっちゃー……」
レミリアの頭越しに中を覗き込んだ美鈴がうめき声を上げた。ぱっと見たところ、城の構造物以外の物がすべてひっくり返っているように見えた。
「ブラウニーでも呼びたいところね……」
同じく顔を顰めたパチュリーが言ったのは、おとぎ話に出てくる作業を手伝う精霊の類である。実在しないわけではないが、不夜城は広さに比べて住人が少なすぎて生活感が薄く、召還条件を満たしていない。ブラウニーは人が長らく住んだ家にしか棲まないのだ。
「ふむ。確かに人手は欲しいところね」
曰う張本人。反省の色は見えない。
「何か良い案を思いつきなさい。急いでね」
「と言っても、私たちはまだここに来たばかりだしね。妙案はないかしら、美鈴?」
視線が美鈴へと集まる。首を傾けてしばらく思案したあと、
「そーですねぇ。喧嘩でも売りますか、その辺のやつに」
美鈴は気軽にそう告げた。
*
外は既に日も昇りかけ、レミリアは外には出られない。城から出たのは美鈴とパチュリーのみである。
「もう一度聞いておくけれど、そんなに派手に動いても平気なのかしら?」
パチュリーが重ねて確認する。一応彼女は、刺激しないよう穏便に済ます気だったのだ。それがレミリアのみならず、自分まで喧嘩売りとは、である。
「まぁ、節度を持って暴れてれば大丈夫ですよ、割と。やり過ぎは駄目ですが」
「節度、ね」
暴れるのに節度も何もないとは思うが。しかし、力を見せつける程度に暴れるというのならばパチュリーにも理解が及ぶ。
「見方によってはごく単純に、力がすべて、ですよ。ただ、敵を増やしすぎれば逆に潰されるわけでして」
「幻想郷全体を敵に回すような行動さえ取らなければいい、ってところかしら?」
「そゆことですねー。何せ閉鎖された土地に妖怪だらけじゃあ、本気で潰し合いが始まったら一週間保つかどうか」
「でしょうね」
肩を竦めて言う美鈴に、パチュリーが頷き返す。パチュリーが事前に懸念していたのはまさに、幻想郷がそうなっていることだった。幸いというかなんというか、どうも妙にのんびりとした雰囲気が漂っている様子だが。
「それで、囮と交渉役。どっちが良いですかね」
もうじき人間がこの近辺を、急ぎの荷を持って通るらしい。囮が辺りを縄張りにしている妖怪を引きつけ、その間に交渉役が人間から上前をはねてしまおうと云うのである。
「そうね。私は辺りの地形を知らないのだし、交渉役を任せてもらいましょう」
「了解です。んじゃ適当に引きつけておきますんで、宜しくお願いします」
一礼した美鈴が地を蹴って姿を消す。それを見送りながらパチュリーはため息を吐き、
「やれやれ。新天地でまた夜盗の真似事とはね……」
*
明けかけの夜の下。林の中を数人の男が、荷馬車を飛ばしていた。幻想郷の夜を人間が出歩くのはあまり賢い行為ではない。獣の類も決して楽観できるものではないし、人の天敵である妖怪の時間でもある。
しかしそれでも、急ぎの荷物では仕方のないこともあるのだ。それにここらを縄張りとする妖怪とはいくらかの約束事を持っており、確実ではなくともそれなりに安心して通れる道ではあった。
突然、絡まった木が道を塞ぐまでは。
「止まれ止まれ!」
御者をしている男が、あわてて馬を止めた。気付くのが遅れれば、危うく突っ込んでいたところである。
「こんな時間に出歩くのは感心しないわね。魔物に襲われるかも知れないよ」
声を聞いて男たちが見上げた先、木々の隙間に、一人の少女が浮かんでいる。言葉を発したのは無論パチュリーであった。
「ここの妖怪たちとは話が付いてると思ったんだが。上納は滞ってないはずだが、何かの間違いかい?」
御者の男がそのまま代表するようにパチュリーに尋ねてくる。パチュリーの思っていた以上に、ここでは人と妖怪の関わりは多いようだ。
「私たちは別口。でも今日から交渉すべき相手はこちら側になるわ」
パチュリーの言葉に男たちは顔を見合わせる。彼女の言葉を疑っていると云うよりは、どちらが有利かを考えているのだろう。
「その妖怪たちとの契約には、別の妖怪からあなた達がここを通るとき守ることも入っているのでしょう? 私が目の前にいる時点で役立たずね」
パチュリーの指摘が正しかったのだろう。男たちに納得したような気配が混じる。
「あんたと約束するのも悪くないが、今は俺たちに払うもんがない。口約束になっちまうが良いのかい?」
「そうね。ところでその荷物。奥から三つ目が傷んでるようだけど」
男たちは顔を合わせると、あわててパチュリーの言った荷を確認し始める。果たしてその荷は、やはり傷んでいた。
「……このまま渡せば信用を損なうところだった。やっぱり約束はあんたとした方がいいらしいな」
男は頭を下げ、パチュリーに言ってくる。
「賢明な判断ね。報酬は、その傷んだ荷物でどう?」
「それでいいのか?」
男は不思議そうな顔でパチュリーに聞き返した。傷んだものを無駄なく処分できて彼らとしては言うところ無しなのだが、パチュリーの側に得があるように見えず訝しんだのだ。
「私は魔女をやっていてね。普通ではない役に立て方もあるものなの。まあ、今後とも御贔屓に」
*
走り去る馬車を見送ったパチュリーに、横合いから声がかかる。
「首尾はどうです? 上手く行ったみたいですけど」
「そっちも良いみたいね。ここを根城にしている連中は?」
「撒きました。後は追えるようにしつつ、お城に戻るだけですね」
息も乱していないが、妖怪を撒くとすれば余程縦横無尽に動き回ったはずである。今回の振り分けは適所であったらしい。
「ところでその木箱はなんです? 薬草っぽい匂いがしますが」
「今回の戦利品。薬草よりは毒草寄りだけれど」
空中に座ったパチュリーの横に置かれた木箱に目をやりながら二人は話す。
「ほどよく傷んできた物に、独自の使い道があるのだけれどね。知らないならば、彼らにとって腐り物にすぎないでしょう」
「ワルですねぇ」
*
「ふぁ~あ。……寝たい」
辺りを気にする様子もなく、門前で大欠伸をする美鈴。固まっても居ない体を解すかのように伸びまで始める始末である。
既に太陽がまともに姿を見せ、雀の声が似合いそうな朝である。多少寝なくても支障があるわけでもないが、夜を明かすと寝たい気分にもなるのだ。
しかし、床に就くわけにもいかない理由があった。
「てめーか、昨日巫山戯た真似してくれたのは」
怒気を滲ませて美鈴を睨み付ける女が一人、後ろに涼しい顔をした二人を連れて立っていた。怒りを露わにしている女のみ黒と金の混じった短いぼさぼさの髪で、あとの二人はどちらも長い黒髪である。
「もう今日になってたけどねぇ」
吸血鬼がそろそろ出られなくなる頃合いでは、流石に昨日と云うことはあるまい。些細なことではあるが。
「細かいこと気にしてるんじゃねえ!」
元々喧嘩っ早いのか、それとも余程腹に据えかねたのか。混じり髪の女が怒声を上げた。
「我々としても、嘗められっぱなしと云うわけには行かなくてな」
片方の黒髪が腰に履いた刀に手をやり、
「お礼参りに来たってわけですよ」
最後に少し背の低い、洋装の黒髪が告げてくる。
「おー」
聞き終えた美鈴がおざなりな拍手で迎える。
「いやいや、今ここ新装開店中だそうでねー。そういうお客は大歓迎、ってうちのお嬢様が言ってて。あ、まとめて来ても良いわよ」
「馬鹿にしてんのか、てめー……」
青筋を立てる混じり髪に、
「首魁ではないらしいな」
「番兵さんだね」
残り二人はどこ吹く風としている。
「こんなやつあたし一人で十分だ! 手ぇ出すなよ」
混じり髪は一人意気を上げ、仲間に宣言する。気勢の高さだけはこの場でダントツであった。
「いいのー?」
「どうぞー」
美鈴の気軽な確認に、洋装の少女がやはり適当に返答する。果たしてこれは信頼なのか、放置なのかは不明だったが。
「てめーをぶちのめして、とっとと張本人を引きずり出してやる」
混じり髪は握り拳を固めて奥歯を食いしばる。岩をも砕けとばかりの拳を見るに、徒手が得手なのだろう。今にも飛びかからんとする肉食獣のように美鈴を見据え、られなかった。
「あれ?」
肉のひしゃげる嫌な音が重く響き、地面を擦る音が続く。混じり髪の視界は青一色。
「何やってんの、ふーちゃん。そういう芸は宴会でやってー」
味方の少女の野次が飛ぶ。
「平仮名で呼ぶな! あと芸じゃねえ! っつーかいつの間に近付いたんだ、テメ」
ふーと呼ばれた少女は、起きあがって再び美鈴を睨み付ける。
「頑丈ねえ」
美鈴は元気そうに起きあがる少女を見て肩を竦めた。
「え? いつの間にって、目の前スタスタ歩いてたじゃない」
「はあ?」
そんな筈はなかった。彼女が気付いたのは、既に美鈴の拳が襲いかかってからなのだから。こめかみを捉えた一撃は避けるすべもなかった。
「んなわけ、!」
どすり、と拳が鳩尾に突き刺さる。小柄な少女との会話に気を取られたことを差し引いても、全く目に留まらなかった。そのまま背骨に肘が突き刺さり、今度こそは間違いなく神速で正面に回り込んだ美鈴が断頭台の如き足を振り下ろした。
「いっちょ上がりー。って、ホントに手を出さなくて良かったの?」
今度こそ倒れ伏した少女に目をやって、残りの二人に美鈴は尋ねる。
「あいつは頑固でな」
言いながら一人が刀を抜き放ち、
「その分頑丈で壊れにくいの」
もう一人が手のひらを合わせて集中を始める。
「良いんだか悪いんだか。今度は二人がかりね?」
「いいや、三人がかりだ」
美鈴は伸びているふーとやらに目をやり、
「伸びてるじゃない」
「貴方の手の内がいくらか判ったからな」
美鈴は気の毒そうな目で倒れた少女を見ると、
「鉄砲玉とは、世知辛い話ねぇ」
わざわざ嘆かわしそうに言ってみせる。本当に気の毒でもあったが。
「貴い犠牲、と言うことで一つお願いしまーす」
小柄な少女が、だめ押しにしかならない言葉を付け加える。美鈴は心の中で、聞きかじりの念仏を倒れた少女に詠じてやった。
「----!」
小柄な少女が見た目に合わぬ咆吼を上げると、その周りに妖気の弾が顕現する。すぐさま差した指に従い、弾幕が美鈴へ向けて殺到した。
「疾!」
弾の隙間を滑るようにして避ける美鈴を、刀を構えた少女が追撃する。連携に慣れているのか、背から降り注ぐ弾に気後れする様子もない。彼女は美鈴の動きを封じるように、小刻みな斬撃を繰り返す。
「あ、ホントにばれてる?」
移動範囲を狭める弾幕を美鈴は足捌きで縫い、嵐のような斬撃を上半身で避ける。間合いの広さの不利か、防戦一方であった。
「縮地だとかだろう。そんな面倒なことをする妖怪は初めて見たが」
手をゆるめずに刀遣いが言う。
まとめて言えば縮地というのは、間合いを詰める技術である。動作の短縮、相手の注意を逸らす、その他諸々を駆使して、あたかも一瞬で移動したように見せるのだ。錯覚したのならば、それは相手にとって真実に等しい。
だが、妖怪ならば本当に一瞬で移動してしまえばいいのである。手間も少なく効果も十分以上だ。搦め手の技術を研鑽する妖怪はまず居ないだろう。
しかしそれも身につけてしまえば、妖怪同士の争いに恐ろしい威力を発揮する。妖力に頼らないが故に、本当に見えない行動となるのだ。故に刀遣いは先制し、もう一人はそれに合わせたのである。
「ばれちゃあしょうがないわね」
言いながら美鈴は真っ直ぐ加速し、
「!?」
刀遣いが迎え撃った横凪ぎと共に消失する。
瞬間、あり得ないような位置からの視線と目が合う。横に凪いだ刀が過ぎたその更に下。地面に背を着くほどに仰け反った美鈴が、刀遣いを注視していた。
「ぐ!」
重い衝撃が刀遣いの後頭部を襲う。打ち付けられたのは、仰け反った体を追うようにして振り下ろされた拳である。意識が一瞬飛ぶ。
自失した視界をなんとか戻し、彼女の目に映ったのは腰溜めに構えられた貫手。刀は掴んでいるだけで、間合いは既に美鈴のもの。避けられない。
次の刹那放たれた貫手はしかし、あらぬ方向に跳び、何かと衝突して眩い光と激しい音をまき散らす。それが刀遣いの意識を引き戻したか、強く握り直した得物を凪ぐと美鈴は素早く飛び退った。
「さっちゃん貸し一よ」
「かたじけない」
軽い口調とは裏腹に硬い表情を浮かべた妖術使いに、刀遣いが礼を返す。二人ともが先ほど以上に美鈴を警戒の目で見ている。
「召喚術、かな?」
貫手で迎撃した感触を確認するように、美鈴は手を握って開くを繰り返している。少女の放った光弾は牙を備えた獣のように見えた。
「なんでアレまで効かないのよー。大して妖力が強いふうには見えないのに」
妖力を普段は抑えていたとしても、ほんの一瞬でそこまで威力を上げられるとは考え難かった。
「方法はどうあれ。向こうがこちらの妖力を上回っている、という換算でやった方が良かろう」
手段は不明だが、強大な妖力を用いてきているのは間違いない。少なくとも、見た感じの妖力は当てに出来ないだろう。
何事か思案を終えたらしい美鈴は、力を溜めるように身を低くする。引き絞られた弓矢のごとく放たれると見えた瞬間、
「復活!」
倒れていた少女の跳び蹴りが、かけ声と共に美鈴に襲いかかる。ぼさぼさの髪の隙間から猫科の耳が覘くところを見ると、虎の眷属なのだろうか。美鈴は片腕を上げて受けながら、
「黙って不意打ちした方がいいでしょうに」
呆れたように、しかし、美鈴は心地よさそうに笑みを漏らす。蹴り足を巻き込むように腕を引きながら、昇り龍のような拳を突き上げる。混じり髪の少女が慌てて逸らした頭の真横を、空気を切り裂く甲高い音と共に拳の形をした凶器が駆け抜けた。
「これで名実共に三対一か」
刀遣いが呟いた刹那、
「いいや、2on3ね」
ゾクリ、と。突然、思いの外近くに聞こえた声に刀遣いは戦慄する。
「初日からつまみ食いとはいただけないわね、門番」
「毒味ですよー、毒味」
「毒だから良いんじゃないの」
「お嬢様にお出しして良い毒かを確かめてたんですよ」
「冷めない程度に程々にしておくのが忠臣というものよ」
気楽な会話をする二人とは裏腹に、辺りの空気は一変した。幼い少女が放つ濃密すぎる魔の気配に、人はおろか妖怪さえ中てられてしまいそうな程である。
「ところで、日光はよろしいんで?」
美鈴の指摘通り、とっくに日は昇っている。陽光は吸血鬼にとって好ましい物ではない。
「大丈夫よ、ほら」
言いながらレミリアは取っ手から伸びた先を視線で指しながら、存在を主張するようにそれを上下させる。彼女が掲げているのは日傘である。
「……。そんなんで良いんですか?」
「そんなんで良いの」
胡散臭そうに日傘を見やる美鈴だったが、果たしてレミリアが日に灼かれる様子もない。どう見ても日を完全に避けられるようには思えないが。
「割といい加減な弱点なのね、太陽って」
再び唐突な声が現れる。鬱陶しそうに太陽を見上げる視線は、レミリアよりもむしろパチュリーの方が陽光を苦手にしてるようにも見えた。
「これだけ隠蔽すれば妖怪だとかにも通じるようね。これまで人間相手が多かったから成功するか判らなかったけど」
言いながらパチュリーはバタリと魔本を閉じた。心なしか満足げな様子である。
彼女らと違い、意趣返しに来た三人は心中穏やかでは居られなかった。一体いつどのようにして現れたのかが掴めないのだから。
「れっ、れれれれ、れみりゃ様っ!?」
一番慌てているのは洋装の少女だった。ほとんど錯乱状態で、髪に隠れていた犬科の耳が逆立ち舌も回っていない。
「れみりゃ?」
「うー?」
パチュリーと美鈴が顔を見合わせ、説明を求めるようにレミリアの方を見た。
「あら、これは奇遇ですわね。ロベリアさんでよろしかったかしら? お元気そうで何よりですわ」
「っはははは、はい! お気遣い無くっ!」
突然にこやかに微笑んで丁寧に話しかけたレミリアに、ロベリアと呼ばれた少女はがくがくと頭を上下させながら返答する。血の気が引いた顔は今にも倒れそうに見えた。
「知り合い?」
「先代の頃うちに居た娘よ。別に大した関わりはなかったけど」
「その割りにはずいぶんと愉快な反応してますが」
「気に入らないやつを目の前で処刑したのが効いたのかしらね?」
レミリアはさらりと物騒な発言を漏らす。間違いなくそれが原因だろう。
「ともあれ移転後初のお客だもの。私自ら歓待しても罰は当たらないでしょ」
言いながらレミリアは楽しげに、酷薄に嗤い、
「私の分も残しておいてちょうだい。えーと、効果的に霊的構造を破壊する方法は……」
パチュリーは魔本に高速で目を通し始める。
「あ~あ。おとなしく私に負けておけば良かったのにねぇ」
哀れみながら美鈴は、軋むほどに拳を固めた。
*
「それじゃサクサクと始めるわよ!」
調度がひっくり返った広間に、レミリアの高く澄んだ声が空しく響く。
「三馬鹿の初仕事はお掃除ね。じきにもっと配下を増やすから安心なさい」
「「「は~い……」」」
心なしかボロボロになった三人が、肩を落として返答する。三対三になった後は全く一方的な展開だった。その後で動く元気があるのは、なかなか驚異的な頑丈さではある。
「パチェは、……。あー、なんか出来たっけ?」
「繊細な作業向けの魔法の用意は、……今のところ無いわね」
かと言って肉体労働は論外だった。高確率で介護要員が一人増えるだろう。
「んじゃ本でも読んでてちょうだい。美鈴は、そうね。地下でも見回って来なさい」
「力仕事とかで?」
「割とね」
レミリアは含みのある笑みを見せて言った。地下にはなにやら容易ならざるモノがある様子である。
「あーっと。地下はどっちで?」
「それなら私が案内するわ」
レミリアに訊き返す美鈴に、パチュリーが横から言った。
「パチェが?」
レミリアは怪訝そうにパチュリーを見た。そのようなことを言い出すのが意外に感じられたのだろう。
「ええ、仕事もないしね。こっちよ」
レミリアの返事も待たずに風に乗って移動し始めたパチュリーを、急いで美鈴が追って行く。
「やっぱ何かろくでもないモノがあるんですかね、地下」
美鈴は歩きながら、何でも無さそうな様子でパチュリーに尋ねる。
「判って付いてきたことに安心するべきなのかしら。それとも呆れた方がいいのかしらね」
気の抜けた阿呆か、危機管理できない間抜けか。それとも別の何かか。
「退屈なのは良くないです。とてもね」
言葉の内容はどうあれ、美鈴の声色に巫山戯た様子はない。
「退屈凌ぎに命まで賭けるの? いかれてるわよ」
「ありゃ、そこまで危険ですか」
言いながらも、美鈴はパチュリーの後をついて行く。しばらくそのまま進むと、パチュリーは一つの扉の前に静止する。彼女は美鈴の方へと振り返ると、
『土曜』
単音節の呪。
二人の間で激しい音が響いた。
「やっぱり早すぎる。マナを利用してるとは思えない」
呟くパチュリーの目の前を、砕けた土の欠片が落ちて行く。それは絨毯を汚すより早く、空気に解けるかのように消滅した。
「種明かしすると、大層なことでもないんですがねー。防御抜けなかったし」
視線を落とした美鈴の先には、あらぬ方向に捻れた五指があった。パチュリーの放った土の槍を迎撃したところまでは良かったのだが、そのまま攻撃の手として伸ばし防御結界に阻まれたのである。
「通したら危険じゃないの。喉狙ってたし」
「そっちもいきなりだったじゃないですか」
「テストよテスト、レミィとは別口の。貴方の妖力展開の早さも気になるし」
「好奇心の方が主目的に思えますけどねぇ」
美鈴は砕けた手を、異音と共に動かして行く。気を廻らせて修復しているというのはパチュリーにも予想が付くが、その総量と速さが尋常ではない。明らかに美鈴自身の妖気を上回っている。
「要は私の身体に直接気脈が入り込んでるだけなんですよ。修行でやったとかなら格好も付くんですが、元からこうなってたもんで」
手の動作を確認するように、美鈴は拳を作って広げるを繰り返している。状態に納得が行ったのか彼女は何度か頷いた。
「それじゃ再現性は薄そうね。面白そうな特異体質だけど」
言いながらパチュリーは横に退く。
「行って良いわよ。出来ればレミィの期待を裏切らないで欲しいわね」
「早速信用低下は格好付きませんしねー。それじゃ、行ってきますんで」
美鈴は扉を開くと、地下への階段へと足を踏み入れた。
「あー。こりゃ確かに嫌な淀みがあるなぁ」
扉を開けた先から来る気配は、美鈴の気を主体とした感覚にかなり反応していた。特定の何かから来るモノだけではなく、この場所に強い想念の類が染みついているのだろう。
「開けるまで感知できない、ってのは洒落にならない隠し方だけど」
隠した方の手際を恐れるべきか、ここまでして隠される方を恐れるべきか、階段を下りながら美鈴は悩む。階段を数周下りる間に考えた結果は、
「どっちもやばいわね」
どう考えても片方だけ危ない、と云うことはないだろう。
階段が尽き、魔城の底へと至る。辺りには、崩れた石壁の残骸が多数横たわっていた。これだけ見れば着弾の衝撃による災害、否、人災にも見えたが。
「落っこちてこれだけ壊れるなら、これで城ごと崩れるはずだしなぁ。となると、別口?」
ここが最下層であることから落下による被害は一番大きいはずではあるが、不可解な部分が多すぎた。内部構造への扉も歪んで開いているが、どう見ても衝撃によるものではなく融解している部分まである。
「ねぇ、いい加減入ったら?」
壊れた扉の隙間から甲高い少女の声が聞こえた。それと裏腹に気配は一切感じられない。美鈴にとっては、まるで幻聴のように脈絡のないモノに思えた。
「鬼が出るか蛇が出るか、って吸血鬼はもう出てるしねぇ。今更か」
言いながら美鈴は歩を進め、歪んだ扉の隙間をくぐる。
扉をくぐった瞬間、外との連続性が失せていた。外側から掴んだ内部は伽藍堂の筈だったが、少なめではあったが物が置いてあり、多分に漏れずひっくり返っている。
広さもかなり広いものの一人部屋の範疇で、外観とも全く一致しない。
「いらっしゃい、お掃除屋さん」
美鈴を迎えたのはレミリアとよく似た、そして正反対の印象を持つ少女だった。全体的に似た特徴を持っていながら、髪はレミリアの銀に対して金。レミリアはいかにも悪魔的な翼を持つのに対し彼女は幻想的、あるいは狂的な宝石の羽をその背から生やしている。
「言われたのは見回りですけどね。見回っただけで帰ったら怒られそうだけど」
言いながら、美鈴はいつでも動けるようにする。この相手は何となく、
「つれないなー。見回りついでに遊んで行ってよ、っと!」
いきなり仕掛けてきそうな気がしたからだった。予想は違うことなく、力任せに飛ばしてきただけの魔力塊が致命的な威力で迫っている。
「お掃除じゃなかったんで?」
地を這うように駆けながら魔弾を避けて、そのまま部屋の主へと迫る。そのまま一撃を打ち込もうと拳を固め、
「遊び終わったあとに貴方が生きてたらで良いよ!」
棒立ちのままだった少女が異様な速さで飛び退る。反応の遅さを帳消しにする速度が、詰めた間合いを無意味にした。
距離を詰め直そうと、美鈴は身体を撓めて飛び出す姿勢を作り直す。それを見て取ってか、間合いを開けた少女がいつのまにか手にした杖を振り回すと同時に、部屋の四方から美鈴を押しつぶすように魔弾が収束する。
「職場環境改善を要求します、よ!」
収束に巻き込まれないよう、美鈴はそれを飛び上がって退避する。部屋にあった調度の類は哀れにも、美鈴の眼下で穴だらけになって行く。整頓の手間は省けただろうが、処分の手間が代わりとなる。
「その手の要求はお姉様にどうぞ。私は地下で、扶養家族400年だもの」
更に振るった魔法の杖は宙に浮いたままの美鈴目掛けて、再び収束する弾丸を生み出した。速度は十分で、足場のない美鈴には致命的瞬間。跳躍から飛行に切り替えるにはしばし時が足りない。
「レミリア様の妹君でしたか、っと!」
美鈴は空中に気を固定して足場を造り、地面へ向けて跳躍をする。頭から床に突っ込むように見えた瞬間身体を回転させ、バネのように身体を縮めて衝撃を吸収する。
そしてそれは、そのまま攻撃へと転じた。力を貯め込んだ身体が弾けると見えたその刹那、美鈴の視線が横に逸れる。
「?」
その先には特に何もない。せいぜい穴の空いた絨毯と、パチュリーに借りて読んだら意外と面白かった本くらいで、
「!?」
横合いからの凄まじい衝撃が少女を吹き飛ばす。全身が砕けそうな、あるいは本当に砕けた一撃か、部屋の様々なところに衝突したような気がした。
「そうよ門番さん。私はフランドールで、レミリアお姉様の妹よ」
フランドールをなぜか呆れたような目で見る美鈴に、フランドールは先ほどの質問の答えを返す。
「えー、どうも門番に決定しそうな紅美鈴です。なんというか頑丈な姉妹ですねぇ」
身体の部品が足りないような気がしていたが、そのうち集まるかとフランドールはあまり気にしなかった。美鈴は自分の拳とフランドールを見比べ、果たして本当に殴りつけたのか自身の記憶を疑っている最中である。
「そんな事より貴方狡い。不意打ちっぽかったし」
フランドールは口を尖らせて美鈴に文句を付ける。
「いやー、そういう狡っ辛いのが売りなもんでして」
美鈴的にはこの姉妹の異様な程に高い魔力こそ、何とかして欲しいものだったが。必殺の一撃だとかを何度も打ち込まなければならないというのは、最早必殺でもなんでもなかった。
「んじゃ、こうしちゃえ。『来る星は紫に』」
フランドールの詠唱を止めようと、美鈴が殺到する。囮を交えた動きに、再びフランドールの視界から美鈴の姿が失われ、五体を粉砕するほどの一撃が突き立てられた。
『行く星は紅に』
何処が頭部かどころか、何処が口かすら判らない状態のまま詠唱が続く。その光景に表情も変えず、美鈴は何もないはずの虚空に一撃を叩き込む。
空間が震撼した。
『疾く流れる星は虹を描く』
自分の身体が何処に在るかも認識していないような状態のまま、フランドールは詠唱を続ける。同時に自分でも判らない自分の位置を把握し、打撃を加えた美鈴に少しの驚きをえていた。致命とは言えないが、間違い無しの直撃である。
更に駆けた美鈴が何処とも知れない自分に密着しているのを、フランドールは何となく感じ取る。自分案内でもさせたら便利か、などと愚にも付かないことを思い付いた。
『注げ破壊の雨!』
パチュリーの教授により驚くほどの早さで身につけた真っ当な手順は、威力を、正確さを増して無駄を省き、自身に密着したままの美鈴に向かって襲いかかった。
「はぁ!?」
美鈴が間抜けな声を上げる。フランドールが集めている魔力はどう見ても飛び道具、それも物騒な種類のもので、普通は最接近している相手に打ち込むものではない。使うにしても距離を置いてから使うはずで、いくら何でも今撃つはずがない、そう思ったのだが。
残念ながらフランドールは普通ではなかった。
「ぷ、あははははは! そりゃそうだよねぇ! この距離で撃ったら私ごと消し飛ぶかぁ!」
腹を抱えて絨毯の上を転げ回るフランドール。余程可笑しいのか目の端に涙まで浮かべ、毛足の長い絨毯をばしばしと叩いている。
実際に消し飛ばしたため、抱える腹も、絨毯を打つ手もつい先ほど元通りにしたばかりではあったが。
「撃つ前に気付いて欲しいんですけどねぇ……」
言いながらも美鈴は、気付いたままやったんだろうな、と思った。大の字に寝っ転がった頭だけを動かし、右手の方に目を遣る。
腕を動かしながら動作確認をする。虹色の流星を受けるのに消し飛んだ腕を、ようやく修復し終えたからだった。折れたり無くなったりと、今日は腕の厄日だろうか。
「いや。判っててやったんだけどさ」
やっぱりか、と何となく美鈴は頭を抱えたくなった。
「もう少しスマートな対処というものがあるでしょう、フラン」
「でも接近戦の対処はあまり考えてなかった気がするわね。アレはどうかと思うけど」
二つの声が部屋に乱入してくる。
「肉弾馬鹿のお姉様にスマートとか言われるのもねー」
「お姉様を馬鹿呼ばわりしないの」
確かにレミリア相手に接近戦をまともにするのは、あまり賢い手段ではないだろう。自分ごと薙ぎ払うよりは大分マシだろうが。
「ともあれ、もう少し真っ当なやり方して下さいよー。私の打撃よりも自爆の方が効いてるんじゃ立場がありませんて」
どう見ても美鈴が打ち込んだ攻撃よりも、フランドールが自分ごと巻き込んだ魔法の方が効いていた。流石に空しさを覚える。
「取りあえず間近で使えて、爆発しない魔法を考えましょう。特に爆発しないようなの」
パチュリーは早速本を捲って、使い勝手の良さそうな術式を探り始めた。その様子を眺めながら、レミリアは美鈴に視線を移し、
「これで紅魔館の住人は全部よ」
「紅魔館?」
聞き覚えのない単語に、パチュリーが本から顔を上げて尋ねた。
「土地に合わせて改名してあげたの。ここに来たらそうしよう、って前から決めてたんだから」
「そう」
果たしてそれは、どの程度前からなのか。
「門前であんまり偉そうにすると、私がボスと勘違いされそうな名前ですねぇ。ともあれ、改めて今後ともどうぞ宜しく」
ようやく起きあがって礼をする美鈴に、
「宜しくなくても宜しくさせるけどね。下克上したいならいつでも良いわよ?」
レミリアは屈託無く微笑んだ。
*
紅魔館に幾つかあるサロン。数組のテーブルと椅子が設えられ、多くは館で働くメイド達の休息所として利用されている。今は三人組のメイドが、丁度休息を取っていた。
「なー」
「んー?」
そのうち、ぼさぼさした金と黒の髪をした少女がかけた声に、長い黒髪の少女が気のない返事をする。髪の手入れに余念がない様子である。
「あたし等なんでここに居るんだろうな」
「ボロボロに負けたじゃない」
「完膚無きまでだったな」
先の気の無さそうだった返事とは裏腹に、間髪入れずに今度は返事が来た。もう一人のいかにもメイドらしい服装に刀を履いた少女も、間髪入れずに追撃をかける。
反論のしようがなかったのか彼女は黙ると手元の紅茶をがぶりと飲み、自分の猫舌を思い出して悶絶した。それ以外は静かな時間が過ぎる。
「~~~~! ハァハァ……。何年くらい経ったっけ?」
悶絶し終えたのか、確認するように聞く。髪を弄っていた少女が手を止めて考え込み、
「五年、かなぁ。んー十五年くらい?」
いかにもいい加減な年数が口を吐く。長命である妖怪は、大体このくらいにいい加減なのかも知れないが。
「三年だな」
刀遣いが、懐から取り出した手帳を読み返して確認しながら言う。
「三年か。そろそろ下克上の時だと思わねぇか?」
秘め事のようにこそこそと呟き、
「ふーちゃんそう言って、何回も突っ込んで負けてるじゃない。猪みたいに」
「この間、負けが三桁に達したな」
一刀両断。にべも無かった。
「せめて協力してくれりゃ良いのに……」
虎髪がテーブルに突っ伏して脱力した。ちなみに、これまでの持ちかけは成功率ゼロである。
「レミリア様に逆らうなんてとんでもないわよー。せめて忠告してあげてるのが友情ってもんじゃない」
想像しただけで怖気が走り、黒髪が肩を抱えて震える。
「それに存外不満もない。手合わせ相手にも困らぬしな」
レミリアや美鈴は勿論、体調と機嫌が良ければパチュリーも相手になってくれることがある。無論、彼女らの後に来た、同類で現同僚の元犠牲者達もだ。と言うより、彼女たちが撃退した輩も少なくない。
「まぁ解るけどなぁ。群れるってのはちょっと盲点だったぜ」
虎髪が不満を交えつつも、納得して零す。
妖怪というモノは、大抵が単独である。宴会騒ぎなどで集まったりはあるものの、普段から徒党を組むことは少ない。一人一人が他者に頼らずに生き抜く強靱さを持っているため、群れを作ろうという感覚があまり無いのである。彼女たち三人が種も何もバラバラで共にいたことが、そもそも例外に近いのだ。
「私がここに来る前に居たところではいっぱい集まってたけどー。でもこんな感じじゃなかったなぁ。もっとギスギスしてたって言うか」
黒髪が幻想郷以前に居た地で魔物が集まっていたのは、概ね闘争のためである。上から見れば只の駒で、ここのような大雑把な関係ではなかった。少なくとも、トップが遊び相手をしてくれたりするような雰囲気ではなかったのである。
「そーいや前にお嬢様と会った頃って、何やってたんだ?」
「お針子。この服は会心の出来よ、会心の出来!」
そう言えば嬉々として服を縫ってたな、と自分のメイド服を見下ろしつつ思い出す。語り始めたデザインがどうの、という話を聞き流しつつ。
「せめて門番のヤツはブッ倒したいんだけどなー」
「偶には勝ってるだろう」
「一本取ったとか云うようなのじゃなくてよー。こう、思いっきりぶちのめしてガツンとだなんぷら!?」
服飾についての語りが環境音楽の如く流れる中、ガツンと人体をぶちのめした音が空しく響く。
「お仕事ご苦労様~。差し入れよ」
紅魔館の門番が片手に蒸し器を抱えて、蹴り足を宙で固めたままにこやかに立っていた。絨毯に沈んで動かなくなった物体は一顧だにしない。足を下ろして蓋を開くと、芳醇な香りが辺りに立ちこめる。
「わぁ~、美味しそー」
「かたじけない」
早速肉饅頭にかぶりつく二人を見て、美鈴の笑みが深まる。
「皮、ちょっと変えてみたんだけど。どう?」
「ふぉいひぃれふぅ」
「飲み込んでから喋らぬか」
「あたしを放って和んでんじゃねぇ!」
床に転がっていた物体が起きあがって叫ぶ。ただし叫びながらも、鼻をひくつかせていた。肉饅頭の匂いに惹かれて目覚めたのだろうか。
「てんめぇ、いきなり人の頭どやしつけてくれやがって。今日こそは……」
いきなり後頭部を蹴りつけてきた張本人を、剣呑な目で睨む。気迫十分、今にも殴りかかろうとしている。
「要らないの?」
「いえ、いただきます」
が、肉饅頭への誘惑に勝るほどではないようである。しばらく饅頭を頬張る、音にも満たないささやかな静寂が満たす。
一息吐いたところを見計らい、
「食べ終わったところでお仕事よ。地下の見回り、よろしく」
*
「この仕事、なんかスゲェ怪しくねぇか?」
うんざりするほど長い階段を下りながら、虎髪が愚痴るように言う。
「めーりんさんの最後の言葉も、気をつけてね~。だったもんねぇ」
不安げな様子を隠しきれずに黒髪が零した。
「そもそもが入ってきた扉だ。私の記憶にはないぞ、あのような扉は」
何か特徴があるわけでもない扉だったが、刀遣いの言う通り三人ともあんな扉に見覚えがなかった。そのくせ手入れされているらしい形跡があり、汚れた様子もなく、それなりに出入りしている人物が居るのは間違いない。
何が怪しいと言うよりは、最早怪しい材料しかない。
実はサプライズパーティ。遠回しな解雇。紅魔館地下深くには、妖怪をエサにする恐ろしい何かが居る。などなど、予想とも妄想とも着かない話をしながら下り続ける三人。
「お。ここが最下層か?」
階段が終わり、あったのは巨大な金属製の扉。これもまた良く磨かれていて、周囲も地下深くだからといって朽ちていたりはない。
「汝一切の希望を捨てよ、って感じじゃ無さそうね」
見た感じ危険な施設などではない様子だったことに、黒髪がほっと胸をなで下ろす。
「しかし、地下深くに何であろうな? 倉庫にしては、位置が厳重すぎるように思えるが」
まるでこの扉の先のためだけに、地下があるように感じられる。それに倉庫だとすれば見回りなどではなく、中身の整理などが普通だろう。
「まぁ、開けりゃ判るんじゃねえの?」
虎髪が気安くひょいと手を伸ばして扉を押し、
「「あ」」
意外に軽い音をたて。二人が止めるまもなく扉が開いて行く。
「うつけめ、いきなり開けるな」
「名状しがたいものでも出たらどうするのよぅ」
「いや、その。なんか無茶苦茶軽かったぞ?」
ガタンと音を響かせて扉が開ききる。しかし三人が覗く限り、何もない空っぽの堂であった。怪訝そうな顔をして、まず先に虎髪が中へと歩き始める。
「やっぱ何もねーぞ?」
周りを見て上を見上げても、広すぎること以外はただの円柱だ。何か物が置かれているわけですらない。残った二人も顔を見合わせ、中へと向かって歩き出す。
「むぅ。確かになにも、」
重い音が堂内に響く。重い金属と金属がぶつかり合った、退路を塞ぐように閉じた扉の音。
「……。雀捕りの罠ってあるじゃない?」
引きつった笑みを浮かべて黒髪が言う。
「パンくずとかに惹かれてきたところに籠とかをこう、」
「パタン、って?」
聞き覚えのない声が後を受ける。一瞬壁面にびっしりと模様が浮かんだかと思うと、直後に視界が明滅する。色のない堂と紅一色が激しく入れ替わり、やがて視界が紅一色に染まりきった。
「籠の中にようこそ、鳥さん達」
何もない空間の代わりに現れた紅い部屋には、やはり紅い少女が一人。金の髪を揺らし虹を背負う少女は、先ほどまで見えもしなかったのが嘘のような威圧感を持って三人の目の前にあった。
「歓迎の準備も、ってなんで後ずさってるわけ?」
紅い少女が心底不思議そうに、首を傾けて尋ねる。
「いえー、その。言われたの見回りだからそろそろ帰ろっかなー、なんて」
黒髪が顔を引きつらせながら後ずさる。残りの二人も及び腰だった。いくら何でもまさかレミリア以上の強大な妖力を有する者が紅魔館に居るとは、三人とも思っても見なかったのである。
「どーゆーバケモノ屋敷だよ、ここ……」
「我らもバケモノだがな」
下克上が遠のいたと嘆く虎髪に、刀遣いが間の手を入れる。
「帰るって、どこからなのさ?」
心底愉快そうな笑みを浮かべながら紅い少女が言った。どれほど愉快そうかと言えば、鼠を追いつめた猫というのが適当だろうか。
少女の言葉に三人が振り返ると、入ってきた筈だというのに扉が何処にも見当たらない。三人の背に更に冷たいものが走った。
「出口もないんだしさ。ちょっと遊んで行ってよね!」
三人を取り囲む籠のように、妖弾の群れが辺りを覆い尽くした。それらは雪崩のように倒壊し、膨大な波となって襲いかかる。
「やっぱこうなっちゃうの~?」
黒髪は嘆きながらも使い魔を召喚する。現れた4匹の丸みを帯びた小さな魔物は三人を守るように四方に散り、三角錐状の結界を張り巡らせた。妖弾の群れと結界が接触し、激しい音と光を放つ。
激しい光が辺りを包むも、結界は健在。かなりの防御力を有しているようだ。
「おーやるやるぅ。んじゃ、どんどん行こう」
「ゑ?」
嬉しそうな少女が手を振ると今し方襲いかかった妖弾の籠が、幾つも、幾つも幾つも、幾つも幾つも幾つも幾つも。部屋を籠の目で覆い尽くすように、部屋を籠目で仕切るように現れた。
「ちょっと! 無理、」
言いかけた言葉を飲み込むように、妖弾の波が津波の如く幾つも押し寄せた。儚く消えた結界の光を最後に、中が紅い少女からは見えなくなる。爆風が辺りを包んだ。
「あっれ。やりすぎ?」
ちょっと失敗したかな、程度の顔をする。その顔が何かに気付いたようにハッとしたものに変わり、間を置かず飛び退った。避けた横合いを、真空の剣閃が行き過ぎる。
「あー良かった良かった。これで終わりじゃ流石につまんないよね」
手応えに喜ぶ声を断ち切るように、
「良かった、じゃねえ!」
爆風を突き抜けて、虎髪が紅い少女に殺到する。迎撃のための妖力を必要以上にその手に抱え、紅い少女が狙いを定めた。
今にもそれが放たれる瞬間、虎髪を追い抜いて光の群れが折れ曲がりながら少女へ向けて襲いかかる。落ち着いた様子でそちらへ注意をやった少女が妖弾を振り分けようとしたその時、光の群れが突如弾けた。
「!?」
光に目の眩んだ紅い少女を虎髪の爪が切り裂く。更に爆風の中から飛びかかった刀遣いが、逆袈裟に斬りかかった。浅く凪がれながらも空中に逃れた少女の先に、黒髪の喚んだとおぼしき使い魔。
「げ」
使い魔を中心に紅い少女を巻き込んで凄まじい爆発が起こり、光と音を撒き散らす。
「やったか!?」
虎髪の快哉と不安を交えた声。それに応えるように、
『トネリコを焼く終末の火。巨人と分かたれぬ幻想の剣。三界の穢れを払う浄化の炎』
朗々とした詠唱が爆風を貫いて響く。空気を揺るがす言の葉が、魔力を帯びて空間を揺るがす。
「やっぱ接近戦ダメなのかなー、私。だからハンデを貰うことにしました」
強大な魔力を抱えたまま、紅い少女が気安げに言う。
「「「ハンデ?」」」
三人としては、むしろ自分たちに欲しいところだった。どう見ても直撃した筈だというに、目立った傷がない。無傷だったとは思いたくないが、再生に使った妖気が少女にとって微々たるものであることは想像に難くなかった。
「剣で槍に立ち向かうには、何倍かの技量が要るんだっけ?」
「一般には三倍段と謂われるな」
少女の質問に刀遣いが答える。
「んじゃこれで何倍必要? 『害を為せ魔杖!』」
少女の振り上げた杖の先から、深紅の炎が一直線に吹き出す。それは少女の背丈を数倍に超えて、まるで一本の剣のように燃え盛る。
「ほーら、避けないと燃えるよ! もしかしたら斬れるかも知れないけど」
少女は炎の剣をまるで棒きれでも扱うように、軽々と振り回した。慌てて避けた三人のいた場所を、一瞬遅れて凄まじい熱量が通過する。冷や汗とは別に、過ぎただけで汗をかきそうなほどであった。
「うっそだろおい!」
盲滅法のようでありながら、狙いは正確な剣閃を必死で避ける。目や感覚が優れているのか、明らかに素人じみた手振りながら容易な攻めではない。いつまでも避けきれるものではないだろう。
「……これでは近付くことも出来ぬな」
刀遣いは機を窺い炎の剣が復った隙をついて駆け出すが、まるで蝿でも追うように無造作に振り回される魔剣が近付くことすら妨げていた。それに、無理にかかれば機会を永久に失うことは想像に難くない。
「なんとかアレ防げねぇか?」
虎髪の要望に、いつのまにか平べったい魔物に乗って飛んでいた黒髪が首をぶんぶんと振り、
「無理よ、無理無理~。私の手札じゃ、さっきの結界で最大限だもん。あんなのの前じゃ一瞬も、あ」
何か思い出したように大きく口を開けた。
「何かあるのか?」
刀遣いの表情も真剣である。相手は遊び半分の様子だったが、あの威力は自分たちにとって死活も良いところだ。何とかしなければ後がない。
「一応あるんだけど……。一回だけで、ほんの一寸しか保たないの」
「それでもいいや。これじゃジリ貧だしな」
虎髪と刀遣いが一気に駆け出した。辺りを縦横無尽に行き交う炎の剣が見えていないかのように。
「覚悟完了? それとも玉砕? 答えはどっちかな?」
少女の魔剣が二人を纏めて薙ぎ払おうと襲いかかる。避ける様子も見せない二人を火炎が飲み込む、その瞬間。
それが嘘だったかのように、炎の剣が消え失せた。
「あれ?」
少女が掻き集めた魔力の手応えが霧散し、集め直そうとしても叶わなくなったのだ。幾ら集めてもどこかへ消えてしまう。
理由は黒髪が召喚した魔物のせいであった。魔力の類を吸収する性質を持ち、辺りにあるそれを無制限に喰うのである。ただし消耗が激しく、維持できる時間はごく僅か。
しかし、その短い時間が値千金をもたらした。あと僅かで二人は接近戦の間合いに達し、剣を再び使う間を与えるつもりもなかった。が、
「惜しいなあ」
紅い少女のその手に魔力の明かりが灯っていた。少女の目線の先では、力を使い果たした黒髪が倒れ込んでいたのである。七色に輝くそれを前にして、刀も素手も間合いに及んでいない。
「疾!」
万事休すと思われた刹那、収められた鞘から刀身が飛び出した。刀遣いは抜き手を使わず鞘を持つ手を突き出し、それを弾丸のように放ったのだ。
行き違うようにして放たれた虹色の魔弾と鉄色の刀は、互いの標的を正確に射抜いた。
「喰らえ!」
刀の柄を頭部に受けてぐらついた少女に虎髪が最接近し、その全妖力を叩き付けた。
「やったの?」
黒髪が息も絶え絶えの様子で尋ねる。
「わからねえ。生きてるか、裂」
「……なんとか」
自身が生きていることに呆れたり感謝したりしながら、刀遣いが起きあがる。
「良かった~。これで、」
「おめでとー」
「ところで」
「何が良かったの?」
三人を包むようにして聞こえた多重音声に、水を浴びせられたかの如く辺りの空気が冷えた。
虎髪の背後に紅い少女が。
刀遣いの背後に紅い少女が。
黒髪の背後に紅い少女が。
それぞれくすくすと笑っている。
「実は私達」
「四姉妹だったの!」
「っていうのは嘘だけどね」
同じ声で違うところから口にし、そして同時に笑う。囲まれた三人は声も出ない。
「でもお目出度いのは本当よ」
「だって貴方達は」
「今この時で」
何かが弾ける音がして、三方から弧を描いて何かが降り注いだ。
「「「私のお付き第1号に決定しました~」」」
ぱちぱちと鳴る拍手の音が、惚けた三人の耳を通り抜ける。
「あんなにメイドが居るんだし、頂戴」
「って言ってもお姉様がケチでなかなかくれくてさぁ」
「ようやく貴方達が来たんだけど」
「「「聞いてない?」」」と首を傾げて聞かれたが、三人とも全くそんな話は聞いてなかった。
ようやく三人の頭が回り出す。黒髪がのろのろと髪に触る何かを手で探ると、色とりどりの糸くずのようなものがまとわりついていた。硝煙の匂いが僅かにするのと併せて、さっきの音はクラッカーだったことを悟る。
「あのー、お姉様ってもしかして」
「レミリアお姉様よ」
「私はその妹で」
「フランドールって言うの」
その言葉に三人がぐったりと脱力した。
「初めに言ってくれよ~。死ぬかと思ったぜ」
「え?」
「つまんなかったら殺しちゃうつもりだったけど」
「良かったね、生きてて」
この上もなく本気の口調に三人の肝が冷える。
「それでフランドール様。我らの仕事は如何なるものに?」
刀遣いの言葉に、フランドールは予想外のことを聞かれたように黙り込む。何をさせるか考えていなかったのだろうか。
しばらく悩んで考え込み辺りを見回して、はたと気付いたように手を打つと、
「そうだ!」
「まずお掃除から!」
「それじゃサクサク始めよ!」
朗らかに言ってのけたフランドールの言葉に三人は辺りを見回し、今し方自分たち及びフランドールによって荒らされた部屋の様子を確認した。どう見ても掃除は必須である。
「「「は~い……」」」
三人は何となく、自分たちで掘った穴をまた埋めることを繰り返す囚人の話を思い出していた。
次はいよいよ瀟洒なメイド登場ですかね?
今から大体95年位前。咲夜さん登場まで最短で75年かぁ。
早いもんだ。
メイドもおだてりゃ木に登る(ぷーぅ)♪
湖を巡るレミリア様御一行との熱いバトル(ざこ側視点)は?
凹んだよ……期待していただけにマジへこんだ。
だがレミリア様は変わらず超カコいいので点は入れる。
っていうか彼女ら雑魚ではないっすよ。頑張ってますよ、魔王とか破壊神とか相手に。
次で紅魔館編最後、ということはやっぱり、完璧で瀟洒なメイドさんの出番ですか。
相変わらずの丁寧な文章で一気に最後まで読むことが出来ました。
次からが最終コーナーということで息切れせずにがんばってください。
楽しみに待ってます。
どうでもいいけど、お針子メイドの召還獣が光○とか四○聖○奉還とか哭○とかに見えて仕方ないw
>私は地下で、扶養家族400年だもの
う~んステキ……。
なんとなく水戸黄門とか思いついた私はもうだめかも……
さておきいい雑魚さんでした。
いや、相手を考えると雑魚というのも憚られるかw
まあ三馬鹿その他の被害者メイドさんたちはお気の毒ですが(笑)
黒髪はきっちりロベリアと呼ばれているからいいとして、
刀遣いは「さっちゃん」と呼ばれているから裂と書いてさき、
虎髪は「ふーちゃん」と呼ばれているから、おそらく虎と書いて中国語読みでフウ、ですかね、各々の名前は。
ともあれ、次回の執筆、頑張ってください。
本拠地を決めて在野の人材を登用し、周辺に喧嘩を売って武将を捕獲、配下に。
それぞれの特性を見極めて配置につかせ・・・。
ううむ、久しぶりにSLGがやりたくなりました。
次もがんばってください。