[注意]
・オリキャラが割と。
レミリアが少女に対して「ありがとう」と言った日から、幾日も経っていた。
外は、満月だ。
普通は有り得ない。
有り得てはいけない、とパチュリーは思う。
妖怪の中でも人間と共存する者の多い魔女に自らは分類されるが、それでも有り得てはいけない事だと。
……妖怪が、人間に気を許すなどという事は。
妖怪の中でも人間により恐れられる吸血鬼がそれではいけないと。
吸血鬼というのは人間が恐れ、しかし限りなく不老不死に近いがために人間はそれを求める。
そんな存在でなくてはいけないはずなのだ。
それが人間に気を許すなどと。
――全く、馬鹿みたいね。
レミリアに話した儀式の準備のため、魔法陣を描きながらそんな事を思い、自嘲する。
そんなものは先入観に過ぎず、これは嫉妬なのだと、わかっていた。
まるで仲の良い友人を取られたかのような、そんな感じ。
でもそれも、別にそういうわけではないともわかってはいる。
だから。
これはほんのおせっかいでもあった。
人間の癖に従者としてレミリアに近づいた少女への嫉妬と、少女に対して必死に『お前は食料のようなもの』という態度をするレミリアへのおせっかいだ。
――さて。
「小悪魔、そっちは出来た?」
「はい、バッチリです。パチュリー様」
「さすが私の使い魔ね」
「えへへ」
小悪魔の頭を撫でてやる。
綺麗な赤毛が自らの指に絡むのを見ながら、パチュリーはひとつ大きく息を吐いた。
「さ、レミリアとあの人間を呼んできて頂戴」
「……パチュリー様。本当に、やるんですか?」
「えぇ」
目を閉じて顔を伏せ、静かに頷く。
「結果がどうなろうといいじゃない。人間と私たちはもともと相成れない存在なのだし」
「でも……」
まだ今から行う事に躊躇いを見せる小悪魔に微笑みかけてから、パチュリーは続ける。
「それに……いつまでもあなただけでここの整理をするのは、大変でしょう?」
*
満月は否応なくこの世に生きるものの血を昂ぶらせる。
それは感情の高揚に繋がり、満月の日は注意力散漫による交通事故や、はたまた殺人事件が起こりやすいと言われる事もある。
つまりは人間も強い影響を受けると、そういうことだ。
だが、妖怪どもが受ける影響は人間の比ではない。
夜は妖怪のテリトリーだ。
集団ならいざ知れず、人間が1人で妖怪に刃向かう事など出来ぬ時。
それが今夜のような満月の夜なら尚更である。集団ですら刃向かう事など難しい。
だと言うのに、悪魔の棲む紅き館の周りを囲む森には幾百の人間が身を潜めていた。
「あの門番とどこかの部屋に閉じ篭っているらしい魔女は他で何とかしろ。
……あぁ、恐らく1匹につき30人では足りないくらいだ。遊軍から回せるだけ回せ」
「行けますか? 今夜で、あれを」
「あぁ、行けるさ。狩って見せよう」
そう言った後、初老の男は魔法による交信を続ける。
月明かりが照らす悪魔の棲む紅き館は既に袋の鼠同然だ。
逃げ道など、どこにもありはしない。
そもそもスカーレットデビルが逃げるなどという行為をしない事は、この場にいる誰もがわかっている事だが。
『き、気付かれました! 例の門番に……!』
突然の叫び。
何かが貫かれる音の後、耳障りな血を吐くような音と大きな何かが倒れる音がした。
「……早いが、止むを得ないか」
告げる。
今夜で強大な吸血鬼の全てを終わらせるために。
自分たちの全てが終わる可能性もある。
それでも吸血鬼の、スカーレットデビルの終わりへとならん事を願い。
永くなるであろう夜の始まりを。
「全て事前の計画通りに。……進撃っ!」
*
「……パチェ」
「何かしら、レミィ」
「私に、嘘をついたの?」
「さぁ、何の事かしら」
聳え立つ本棚に囲まれた、広い空間には4つの人影があった。
レミリア、パチュリー、小悪魔。
……そして、描かれた魔法陣の中心に、手首を縛られている少女。
空気ははっきり言って最悪だった。
パチュリーを睨むレミリア。
並の妖怪なら物怖じして言のひとつも言えなくなるであろうその紅い瞳を見ながら、しかしパチュリーは平然としていた。
パチュリーがレミリアを相手にしてもそう簡単にやられるような者ではないという事、そして何より親友という存在であるからだろう。
「これはどう見たって……」
「悪魔召喚のための、準備よ。下級の悪魔を呼び出すだけのものだから、生贄に使う人間は1人で十分足りるわ」
「そういう事を言ってるんじゃない!」
「――――!」
レミリアが声を荒らげた瞬間だ。
パチュリーが呪文を唱え、
「あっ、……ぐっ!?」
巻き起こるのは光の奔流。
その流れは一瞬でひとつに纏まり、逃げる隙すら与えず。
……レミリアの動きを、封じた。
「……何をするつもりなの」
「……この人間の、能力を試すのよ」
「どうやって?」
「ちょっと特殊な物でね、これ。引き換えとする人間の魂の質が高すぎれば、悪魔を召喚出来ないようになっているの」
そういう事か、と理解し、レミリアは口元を歪ませる。
確かに正しい。
場合によってはだが、少女の能力の資質が高ければこれによって発現する可能性も低くはないだろう。
そして少女の能力の資質が低ければ、確実に死ぬ。
「それよりも……こんなもので、私の動きを封じたつもり?」
「満月の夜、私の力もそれなりには上がっているわ。……まぁ、それでも持って10分かしらね」
……10分もあれば呪文を唱え終わるには十分だろう。
「どうせ殺す存在よ。使える能力かどうかを確かめた上で、召喚にも利用するだけの事」
「…………っ」
「まぁ、見ているといいわ。その能力がどんなものか分かれば殺すのだし。わからなくても殺すのなら有効利用させて頂戴」
「何を……っ!」
レミリアの視線にパチュリーは無表情で返し、魔法陣の方へ体を向ける。
そして、
「我、今ここに魔界への扉を開かんとす」
魔法陣が光を発する。
発された光は散り、まるで何かを、魂を求めるかのように揺ら揺らとそこに滞留する。
視線の先、魔法陣の中央に居る少女の顔はに浮かぶのは諦め。
これがわかっていた終わりなのだと。
「我、求めるは忠実に従いし僕なる悪魔」
「あっ……かっ、いあぁぁああっ!」
滞留した光は頂点を作り、安定を見せ始める。
同時に少女の叫び声が響く。
殺人鬼の魂を求め、安定の中においてもざわめきを見せる。
止まらぬ、止められぬ。
通常の人間よりは確実に高い力を持った殺人鬼たる人間の魂を。
魔女が求める使い魔となる悪魔の代わりに求める。
「我、拒むは強大な力を持ちし偉大なる悪魔」
「うああああああぁぁぁああっ!!」
「パチェ!」
光が広がっていく。
同時に響くのはただただ少女の叫び。
身体に痛みを与えるのは少女に入り込もうとする光。
「我、汝をこの世の現とすべく七曜の力の片鱗を与える」
「……ぁ……ぅぁ……」
「止めて……」
少女からは力のない声が漏れるだけ。
もはや光は表現出来ぬ物となり、儀式の終わりが近い事を告げている。
「いいから止めなさい、パチェ!」
レミリアのその叫びと共にパチュリーは指を鳴らす。
「……小悪魔。しばらく維持して。同じ悪魔のあなたなら、出来るでしょ?」
「あ、はい」
光は小さくなり、開きかけた扉が姿を現す。
「……? パチュリー様、これは……」
「黙ってなさい」
「は、はいっ」
小悪魔を叱りつける様にした後で、パチュリーはレミリアを見る。
「……これじゃあ10分は持たないわね」
「あたり……まえよっ」
レミリアは必死に動きを取り戻そうとする。
否、もう取り戻したに近い。
「……何がしたいの、レミィ。能力が高ければ下級の悪魔を呼び出すに事は逆に出来ないのよ?
つまり、召喚が成功すれば彼女の能力は低かったという事。それがわかるだけでもいいじゃない」
「あいつを殺すのは、私だ」
バキンッ、と。
何かが折れるような音がしてレミリアは動きを取り戻す。
しかしすぐにはパチュリーに掴みかからず、睨み付けた。
「あの人間の死は運命なんでしょう? あなたはそれを操って変える気はない。なら誰が殺そうと同じ事」
「……違う」
「それとも、あの人間があなたの側につくようになってから、血を吸ってから、殺したくなくなった?」
「……違う、あいつは殺す。私が」
瞬間、レミリアを襲うのは妙な感情。
……今まで、偶然迷い込んできた人間を似たような形で仕えさせる事はあった。
その中でも少女は珍しすぎる人間だ。
自らの狙った獲物を殺され、腹いせに追い、殺そうとし、取り逃がし、興味を持ってここに連れてきた。
……最初は馬鹿みたいに強気だったのに、従者として仕えろと言った途端、今度は馬鹿みたいに大人しくなった。
使える従者だ。妖怪を仕えさせても、あの少女ほど立派な者はいるまい。
……だからと言って、殺したくなくなったのではない。
側にいる少女を余計に殺したくなったのだ。
「あいつは私の従者だ。こき使って、血を吸って、いつかは私が殺す。
病気でも、他の誰かが殺すのでもない。価値がなくなった瞬間に私が殺すのよ」
運命を操るなど……曖昧な力で、嫌気が差してくる。
だがそれが自らの力だというのなら、レミリアは運命を操る。
行き着く先だけを変えず、ただ過程を操る。
――なるほど。
パチュリーは頷き、指を鳴らして魔法陣を崩した。
同時に光は全て失せ、扉も消え失せた。
……少女はその場でキョトンとへたり込んでいる。
何故、生きているのだろう、と。そんな顔をしながら。
レミリアの方に視線を向け、さすがは吸血鬼だ、とパチュリーは思う。
「……正直なところ、殺さないと言うかと思っていたのだけど」
「どういうこと?」
突然陣を解いたパチュリーに、レミリアは訝しげな視線を向ける。
「運命を操ってみようなんて大仰な事、私には出来なかったみたいね」
「パチュリー様」
「……小悪魔。あなたが説明して。レミィ、まだ冷静になり切れてないみたいだから」
「はい。……お嬢様。あれは、召喚のためのものではありません」
「……なんですって?」
「恐らくそれに似た事を起こすため、パチュリー様が作ったものです」
目を凝らし、魔法陣をよく見る。
……確かに、パチュリーが以前小悪魔を呼び出した時に使ったものとは、明らかに違っていた。
殺すまでの間だけ血を吸ってやると思った。
人間ごときを殺すのに、少しも躊躇いはないと思い込んでいた。
だと言うのに、いざとなった時、レミリアは既に冷静ではなかったのだ。
あはは、と。
レミリアが乾いた笑みを漏らした。
「私があいつを気に入っていると読んで、こんな事をしたのね」
「えぇ。それでも頑なに能力について分かれば殺す、なんて言っていたから」
「…………パチェ」
「何かしら」
ゆっくりと手を差し出し、言う。
「最高の友人よ、あなたは」
「ありがとう。私にとっても、あなたは最高の友人だから、嬉しいわ」
だからこそ嫉妬も抱いていた事は、言わないで置く。
あまりにも滑稽な気がしたから。
「あの……これは、どういう事なのかしら」
握手を交わした2人に、少女が呆然としながら話しかけた。
「私に仕えなさい」
「え?」
「私があなたを必要のないクズと判断して殺すその時まで、あなたは私に仕えなさい」
「……」
「わからないのかしら?」
「……いえ」
「わかったのなら、返事をしなさい。私の最高の従者」
「はい、お嬢様」
少女に笑顔を向けたレミリアに、少女もまた笑顔を向ける。
深い感情など必要あるまい。
最初は遊び半分で、生きるために仕える事に応じた少女は、そのまま忠実なる従者として主に使える事にした。
主は運命を見、しかし従者としての少女を気に入り、少女を殺す頃合を変えた。
ただそれだけの事だ。
レミリアが少女の手首を縛った縄を、爪で切って解いた。
ここでやっと訪れたレミリアと少女の、主と従者としての日々の始まりは。
ドォン、と言う破砕音により。
すぐさま騒がしく、血生臭いものとなる。
「なに……!?」
レミリアは状況を理解しかねる。
その音を響かせた……恐らく敵であろう者たちの気配を感じなかった、否、今この瞬間まで感じる余裕がなかった。
「……人間、ヴァンパイアハンターかしらね」
そう呟くと、パチュリーは水によってスクリーンのようなものを展開し、外の様子を映し出す。
「だいたい50から100……場合によっては200ってとこかしら。随分と多いわね」
――数攻め……いかにも人間らしいじゃない。
パチュリーはそんな事を思い、しかし言葉にはしない。
レミリアも……小悪魔でも同じ事を思っているだろうから。
「……今やられたのは裏口か」
門番は1人じゃ足りないわねぇ、などと呑気な事を考えながらレミリアはそう呟く。
「……まぁ、いい。3分の1くらいは多分美鈴が何とかするでしょう。
私は残りの3分の2と遊んでくるわ。遊ばせてくれるだけの実力を持った人間が居るかわからないけど」
「…………」
「人間」
「はい」
「あなたも殺人鬼……ジャック・ザ・リッパーだと言うのなら、ただの人間の数人くらい殺せるわね?」
「勿論。……お嬢様のためなら、数十人でも数百人でも殺して見せますよ」
「本当に最高だ、お前は」
「お褒めに預かり、光栄です」
「着いて来なさい。今外に浮かんでいる満月を、血潮で紅く染めるわよ」
そう言うとレミリアは駆け出し、少女も後を追った。
「…………じゃあ、小悪魔」
「はい。なんでしょう、パチュリー様」
「ここに入ってこられたら困るから、簡単な結界でも張りましょうか」
「……パチュリー様なら今外に居る人間が束になってかかってきても問題ないんじゃ」
「何を言ってるの」
少しだけ小悪魔を馬鹿にするような感じで溜め息を吐き、パチュリーは準備を始める。
「私だって結果的には余裕で倒せても1回で何十人も相手に出来ないわ。
……その間に手隙の奴に本を焼かれでもしたら困るじゃない」
「はぁ……」
「ついでに……人間が無傷で帰ってくるとも思えないわ。簡単な治癒魔法の準備もしましょうか」
「というかパチュリー様」
パタパタとそこらの本を机の上に上げ始めたパチュリーに対し、小悪魔が呆れた様な声で訊ねる。
「……外に出て迎撃すればここには興味を持ちそうにないですけど、人間」
「…………動くのが面倒なだけよ」
本当に引き篭もりだなぁ、なんて主に対して失礼な事を思いながら。
それでも小悪魔はその主の言う事に従う事にした。
……あの少女も然り、主従関係とはなかなかに複雑なものなのかも知れない。
*
月の光は無限に降り注ぎ、並の夜ならばその紅さをまともには確認出来ぬ紅魔館を照らし出している。
悪魔の棲む館を照らす魔性の光はまるで共鳴するかのようにその館の主を、そしてそこに棲む妖怪たちの力を増大させるものだ。
そしてその光と共鳴を後ろに、紅く細い、綺麗な髪が舞い踊っていた。
「じゅうさん……っ!」
ちぃっ、と。
美鈴は思わず舌打ちをしてしまう。
多い。恐らくまだ、少なく見積もっても50は居る。
「ふんっ!」
横からの剣撃を躱すと、その動作に先ほどつけた勢いも乗せてすぐさま右の腕でその男の心の臓を突き貫く。
腕以外が汚れぬよう、美鈴はすぐに距離をとった。
が、紅の長く綺麗な髪だけは屍から飛び散る血液を回避する事は叶わず、それを浴びる事となる。
「じゅうよん!」
――いっぺんに掛かってくればいいのに!
相手からの攻撃が止み、自らもひとつ息を吐いて攻撃を止め、そんな事を思う。
キリがなかった。
いっぺんに掛かってくればまだかえって対処のしようもある。
が、しつこく、間をあけて1人ずつ向かってくる所為で時間だけが経って行く。
それなら、と思い自ら向かっていくために一歩を踏み出した瞬間。
喧しい破砕音が後方……恐らくは館よりも向こうから響き、美鈴は振り向く。
――裏に回られたか……元から待機していたか。
どちらにしろ裏から入られた事だけは確かのようだった。
状況を確認するのは容易く、しかしその確認した状況に対応するのは難しい。
……否、不可能だ。
1人ずつ攻撃してきたのはこのためか、と思い美鈴はまた舌打ちをする。
――群がると……本当に強いわ。人間ってのは。
だが、不可能というのも裏に向かおうとして背後をとらせれば、というわけでもない。
それが理由ならば状況を確認するために振り向く余裕もないのだから。
裏へ回れぬ理由、それは。
「門番として、正門だけは守らなくちゃねぇ!」
両側から来た2人を回し蹴りで蹴り飛ばす。
めこっ、というそんな感覚。
殺せてはいないが骨は数本折った。
もう動けまい。
普段なら追い討ちをかけて殺しておくところだが、そんな面倒な事をする気は今はなかった。
正面から、もう1人。
勢いそのままに地を蹴ってそのまま腹に拳を叩き込む。
――丈夫な人間ねぇ。
本気でやったわけではないが、貫くつもりではやった。
だが筋肉に阻まれそれをする事が出来なかったのだ。
……丈夫とは言っても、男は意識を手放し、しばらく動く事はないだろう。
「じゅうななっ」
3人続けざまに掛かってきた後で結局攻撃は止み、美鈴はちゃんと数を数えておく。
ただ詰まらないから数えているだけなのだが。
そしてその後で前方、人間たちのいる位置への距離を確認する。
4秒……いや、3秒もあれば十分詰められるだけの距離だ。
目標は10人ほど固まっている場所。
あの程度なら飛び込んで、少しばかりの弾幕を展開すれば一瞬で片付けられる。
群がった人間の強さを認めつつも、しかし美鈴ほどの妖怪からして見れば本気を出すようなレベルではない。
「あいだっ!?」
……そしてそこへ向かって突っ込もうとした美鈴から漏れたのは、間抜けで、けれど何だかやたらに可愛らしい声であった。
「あいたたたっ……。何よ一体……」
目の前の空に手を翳し……ペタペタと……何かに触れられた。
「結界……? 閉じ込めるためのものか」
そう理解すると立ち上がり、思いっきり一撃を放つ。
が、結界は破れない。
「嘘ぉ……」
そんな馬鹿な、と思う。
たかが人間の作ったものだというのに、破れなかった。
見たところそれをしているのは5、6人か。
「…………」
気を探る。
視界では確認出来ぬ人間の気配を探り、美鈴は思わず溜め息を吐いた。
「20人近くで結界なんて……やってくれるじゃないの!」
レミリアや、魔女であるパチュリーなら絶対にものともしないであろう人数だ。
きっと、部屋に入るためのドアを開けるよりも遥かに容易に、この結界を通り抜けるだろう。
だが……美鈴はもともと東洋の妖怪だ。
西洋の魔法で張られた結界に対する有効な攻撃方法や知識など持っていないに等しい。
12、3人程度なら単なる力ずくでの突破も十分に可能だが、20人程度となると話が違ってくる。
「何とか……間に合ったな」
にぃ、と血に飢えた妖怪にも劣らぬ歪んだ笑みを浮かべながらそんな事を言う人間が美鈴の視界に映った。
本当に群がると人間は強い、と美鈴は思う。それ以上に厄介だ、とも。
「出れないかー……」
そんな事を呟き、美鈴は歩き出す。
そして塀に凭れた。
結界で閉じ込めたからと言って、わざわざ攻撃して来ないだろうと判断したのだ。
狭いフィールドで妖怪相手、それも満月の夜に戦うなどと愚かにも程があるし。
少し寝ようかと、そんな事を思い美鈴は目を閉じる。
……だが、目を閉じるとどうにも耳のほうがさえて眠れそうにはなく、結局目を開ける。
そこで視界に映ったのは人間と。
「……何よアレは」
またとんでもない物を、と思う。
ガトリングガン、恐らくは最新型のとんでもない連射数と装弾数を持ったものか。
そして結界は、推測するに外からの侵入は容易いもの。
……それ以前に人間が外からも内からも抜けにくい結界をそう簡単に張る事も美鈴には考えられなかったが。
ひとつなら余裕を持って避けきれる、が。
見えるだけでも数は3。さらに……。
――魔法で威力を強化されたら……。
これまたとんでもなく厄介だ。
一発二発当たったところで深手を負う事はまずないだろうが、一点に馬鹿みたいに撃ち込まれればさすがの美鈴だってただでは済むまい。
ぎり、と。歯軋りをひとつ。
「……そっちがその気なら、こっちも少しくらいは本気でやってやろうじゃないの!」
懐からスペルカードを取り出し、準備する。
その数秒後、一斉射撃が開始された。
結界内の広さは縦横どちらも50メートルと言ったところか。
動き回るには十分だ。
「はぁっ!」
美鈴は色鮮やかで、けれどそれは圧倒的な力なのだとわかる弾幕を展開。
とりあえずは向かってくる弾丸を叩き落す形で、迎え撃った。
*
多い。多すぎる、とすらレミリアは思う。
いくら後ろを走る少女がついて来られるスピードで走っているとは言え、廊下を抜けるのに時間が掛かりすぎている。
――パチェは場合によっては200って言ってたけど……!
外で美鈴が相手にしているであろう数、周りの森に待機している者の数を考えると最大で300程度に達する可能性もあるのではないか。
大きな組織だったとしても集まるのは吸血鬼を狩ろうとする異端の者、総出であることは間違いない。
それでもレミリアにとってはたかが人間、気にする数でもないが。
さらに全員が全員魔法を使えるわけでもなく、むしろそれは少数派だ。
魔女狩りで狩る対象にもならなかった雑魚魔法使いの子孫など容易く屠れる。
己の肉体で向かってくる人間など、論外だ。
問題は倒せるか倒せないか、ではないのだ。
この数に頼った攻め方、リーダー格の連中は外に居ると推測していいだろう。
こういう時は上に立つものを倒しておくのが手っ取り早い。
そして遊べるほどの実力を持っているとすれば、良くてもそいつだ。
しかし、そこに行くまでの間にも馬鹿みたいな数の、その上遊ぶにも値しない程度の人間を相手にするのは……。
「正直面倒くさいのよっ!」
この一言に尽きた。
美鈴はよく言う事がある。
群がれば人間は強くて厄介だ、と。
だがレミリアは思う。
いくら群がっても人間は弱い、と。
その認識は美鈴とレミリアの力の差によるものだ。
レミリアにとっていくら群がろうとも人間はそう強いものとはならない。
だが、群がった人間は強くなくとも厄介ではあると、今更ながらにレミリアは思う。
弱いくせにわざわざ目の前に立ち塞がる人間どもは……。
「はっきり言って目障りなんだ!」
スペルカードを1枚取り出し、宣言する。
――必殺「ハートブレイク」――
「伏せてなさいっ!」
「っ」
後ろを走る少女に指示、少女が止まり、伏せたのを確認すると。
紅の槍を放った。
神槍には遠く至らぬ、だが人間ごときを片付けるには十分すぎる槍が廊下を突き抜ける。
同時に展開されるのはまともに回避する事など到底叶わぬ速さの弾の雨。
無数の弾によって形成された弾幕は人間の攻撃を通すはずなど勿論なく、何人、何十人もの人間を粉々にする。
ガラス、照明、壁。
それだけに及ばず、廊下にある様々な物が紅の槍と弾によって破砕される音が喧しく響いた。
人間の悲鳴も、断末魔も、骨の砕ける音も、肉の千切れる音も、全てがそれに掻き消され、存在すらも許されぬものへと成って行く。
その後で漂う血の匂いは気分を高揚させ、飛び散る血潮によって紅く染まる満月はレミリアに力を与える。
運良く弾幕の通らぬ位置に居り、僅かに生き残った人間が……良くて動けない状態になるのはそれからほんの数秒後の事だった。
「行くわよ」
「はい」
しつこく掴みかかってきた人間を引き剥がして蹴り飛ばすと、少女はすぐさまレミリアの後をついていく。
すぐ先に、裏庭へと抜ける出入り口があった。
窓からは月と僅かな星しか見えなかったが、今、空にはその月を囲むように多すぎるほどの星が輝いている。
優雅とでも表現すべき美しさを持った星の絨毯。
そして、それを背景に空に浮く人影がいくつかあった。
それのひとつが……初老の男が、言葉を発する。
レミリアに向かって、だ。
「全く……どうせ無駄だからここには素直に通せと言ったのに、結局はわざわざ死にに行くのか」
「…………お前が、この馬鹿みたいに多い雑魚どもの……親玉かしら?」
「あぁ。馬鹿みたいに多い自殺志願者どもの親玉だよ、スカーレットデビル……20年振りだな」
「20年振り? ……私は、覚えがないのだけど」
ふむ、と言いながら男は顎に手を当てる。
「老けてしまったからな。わからぬのも無理はあるまい。……君の右腕を消し飛ばした人間を覚えているかね?」
「……居たわね、確か」
「それが私だよ」
「成る程……なら、あなたはそれなりに遊べそうね」
「遊ぶなどとその程度では済まさぬさ。今度は、その存在すらも消してやる。
……20年前のように、本気で掛かって来たまえよ」
「はぁ……?」
男の言葉に、レミリアは呆れた様な声を出した。
こいつは何を言っているのかと、そんな思いを含んだ声だ。
そしてレミリアは数秒思案し、答えを導き出す。
「あっはは……あははははははっ!」
「……お嬢様?」
高らかな笑いが、夜空に響く。
少女の疑問の声などには耳も貸さず、響かせる。
無邪気な子供の声を。
面白いと思って手にとってみた玩具が、想像以上に面白かったとでも言わんばかりの、そんな笑い声を。
「これだから人間は愚か! 面白い!」
「何?」
「美鈴がよく言っていたわね。群れから離れた人間が強いはずは絶対にないと、自らが弱い事を知らないから、だから弱いと!
でもあの娘に教えてあげなくちゃいけないわね……群れの頂点に立った人間も、強いわけなどなく、弱いって事を!
驕りが過ぎるわよ、人間! 本気? 私はそんなもの出してなんていない。『殺す気』でやっただけの事!」
「なん……だと」
「それとも人間! お前は自分よりも遥かに弱い者を殺すときにわざわざ本気を出さなくちゃ出来ないのか?
20年前、私は手を抜いただけ。その気になれば簡単に踏み潰せる虫を、棒で突付いて遊んでみただけだ」
笑い声がどこまでも響いて行く。
本当に、これほどまでに楽しめる人間が他に居るだろうか。
「まぁ、お前の実力を見抜けず手を抜き過ぎた私の未熟は認めよう。
けど……お前なんて四肢のうち一本でも残れば、容易く踏み躙れるわ」
「言ってくれるな」
「私は事実を述べただけよ。ついでに、お前をわざわざ生かした理由を教えておこうか?」
「…………」
「次に大っぴらに出てくる時に……ちゃんと遊べる玩具がないと、詰まらないからよ。
人間に関しては何百年と不良品ばかりを使わされて、うんざりだったの」
ピントをずらし、レミリアは月を見る。
ただ輝く満月。
禍々しくすらあるその輝きは、他には例えようのない美しさを持っている。
今夜の月は紅くはない、だから、それを紅く染めてやろうではないかと、レミリアはそう思う。
けれど、それを紅くする前に。
「人間、あなたは下に居る連中の相手をしなさい。たかが3、4人。問題ではないでしょう?」
「はい。畏まりました、お嬢様」
「でも、そうね。もし出来るのなら私がいいと言うまで遊んであげて。
私があの玩具に厭きた時に、少しでもあの月を紅く染め上げるために」
「……同じタイミングで、殺ればいいのですね?」
「そう」
この少女に宿っているのはやはり殺人鬼などではないと、レミリアはそう確信する。
あるのは、主に忠誠を誓い、ただ従う事。完全で瀟洒な従者である事。
そのための魂が宿っているのだと、そう確信したのだ。
自らの意志で殺す事には悲しみを感じようとも、主に従うのならば悦びにすら変える事の出来る存在。
レミリアは血を蹴って空へと舞う。
――本当に最高の従者よ、あなたは!
*
レミリアや少女が割とおっかない事をやっているその頃、パチュリー・ノーレッジは優雅に紅茶なんぞ啜っていた。
小悪魔の焼いたクッキーはやはり美味しい、なんて思いながら。
本を焼かれるという心配を排除する時だけ無駄に慌ただしくなり、その後はまったり過ぎるほどまったりとしている。
そして、たまにはと本を読みながらではなく小悪魔とお喋りをしながら紅茶を飲んでいるのだが、それがまたいい。
端から見れば美少女2人が笑みを交えながらお喋りをしているのだ。
見ていて悪い光景ではない。
……薄暗い照明に聳え立つ本棚、端っこに溜まった埃と、背景があまりよろしくなかったが。
まぁ、いいものはいい。
「……それにしても、外は騒がしいですねぇ」
「そうねぇ。まぁ、レミィならあの程度の人間たち全て同時に敵にしてもわけないし、美鈴だって50人くらいなら何とかするでしょう」
「そうだとは思いますが。……やっぱり皆さんお強いですね」
「小悪魔も、そのうちそれぐらいわけのない立派な悪魔になれるわよ。あと胸の辺りも美鈴くらい立派になるはず」
「何か微妙に猥褻発言をされた気がしますが、お褒め下さったようなのでありがとうございますと言っておきますね」
「えぇ、それがいいわ」
「それでも美鈴さんほどはちょっと無理だし嫌ですねぇ。アレくらい大きくても逆に困る気もしますし」
会話の内容が微妙にアレだったりソレだったりするが、それもまたいい。
「……ねぇ、小悪魔」
「はい」
「暇だし、紅茶飲んだら一緒に寝ましょうか? 満腹になって、ぐっすり眠れるはず」
「…………パチュリー様と同じベッドで寝ようとすると眠らせて頂けないので全力で拒否させて貰っても構いませんか?」
「ダメ」
「ほら、今夜は何があるかわかりませんし」
「大丈夫よ。レミィや美鈴が人間ごときにそう簡単にやられるわけないんだから」
「ほら、もしもって事も」
「まぁ、もしも……」
否定するかと思ってたらしなかった、助かった、なんて小悪魔は思う。
今日は密かに色々と疲れたし寝たかったんですよぉ、なんて心で呟きながら顔を綻ばせて行く。
紅茶が美味い、クッキーが美味い、幸せ。
「があったとして、満月だし大事には至らないでしょうね。レミィなんて一瞬で回復しちゃうだろうし」
「……私何かしましたか」
「敢えて言うなら可愛すぎるかしら」
可愛い事は罪、なのである。
紅茶を飲み終わり食べ切れなかったクッキーを丁寧に包んで保管すると。
パチュリーは普段あれだけひ弱なのにどこにそんな力があるんだと言いたくなる勢いで小悪魔の服の襟を掴んで引き摺りながら、寝室へと向かって行く。
小悪魔は涙目をしていて、それが無駄すぎるほど可愛さを引き立てていた。
そしてそんなお楽しみの時間は、妙な感覚で見事にぶっ潰された。
頭の中で何かが張り詰めるような感覚、というのが近いか。
近いのはそれだが、パチュリーの中では確かに魔力がざわついていた。
どこかで使用した魔力が、何らかの影響を受けてパチュリーにも伝わってきたのだ。
わかる。すぐに理解した。それが何なのかを。
「……あぁもう! これだから人間は! 鉄扉を用意して結界まで張ってあるのに、何でわざわざ破ろうとするのよ!?」
「パチュリー様?」
取り乱しながらもゆっくりと襟から手を離したパチュリーに、小悪魔は疑問の声を向ける。
無理もない、小悪魔には何があったかなどわからないのだから。
キョトンとした小悪魔に、パチュリーは何があったかを、説明し始める。
「……人間が、妹様を閉じ込めてる地下への扉を開けようとしてるのよ!」
「それって、問題ですか?」
小悪魔はパチュリーの力を理解しているからこそ、そんな事を言った。
確かにレミリアの妹……フランドール・スカーレットがあそこから出てくると面倒な事になると言うのは理解出来る。
だが、人間があの厚い鉄扉だけなら兎も角、パチュリーの結界を破るなどと考えなかったのだ。
「アレは……内側を強くしてある分、若干外が脆いの」
「はぁ……それでも人間がそんな事をしようとしたら、100は数が必要なんじゃ」
ある程度は美鈴が相手をしている事を確認してるし、レミリアが倒した数も半端ではない。
さらに確実に居るであろう外での待機組……それを鑑みると50も数はないだろうと、小悪魔は簡単な推測をする。
「……破れない。破れないけど、音が漏れる。僅かな魔力や他の力が、内部に伝わる」
「はぁ……? それでどうなるんですか?」
「あの娘が、そんな物を感じ取って、黙っていると思う?」
「あっ」
「少しでも魔力が内に漏れて妹様が外に向かって攻撃を加えれば、魔力が干渉しあう。
それどころかあれに使っている私の意志を離れた私の魔力も絡まる」
気付いた小悪魔に、現状を説明する。
普通ならそんな余裕などあってはいけない。
しかし、あるのだ。
今からそれをどうにかする事など出来ないのだから。
出来るのはただ結界が破れない事を祈るだけ。
だが、わかる。どうせ無駄だと言う事は。
「それによって結界が脆くなれば……あとは妹様の能力で」
次ごうとした言葉はあまり自分には似合わず、けれどこの場では最も簡単で適切な言葉だとパチュリーはそう思う。
だから、躊躇いもなく言い放つ。
「ドカン、よ」
*
彼の人生は比較的変わったものだった。
別に吸血鬼を恨んでいるわけではないが、わざわざ狩ろうとする理由もそこにあると言っていい。
ただ少し変わっているだけで周りに忌み嫌われ、普通には生きていけないとそれを理解した。
だからその能力で人間ではないものを狩って、人間を殺したいと思う衝動を抑えたのだ。
吸血鬼も人間からそう成ったものなら幾つか狩った。
そこらに転がっている雑魚妖怪などわけもない。
数十人の人間を従えるだけの実力を持った男だった。
「もう少しだ、押せ!」
目の前の結界は破れない。
さすがは魔女のものだ、と思う。けれどこれだけの人数なら十分破れる、とも。
彼は理解していなかったがそれは驕りだ。到底叶わぬ事なのだ。
だが、結界は破れた。
内からの破壊の衝動がその場諸共吹き飛ばしたから。
抗う事など出来ない。自分たちの力で破ったと思い込んだ瞬間、結界の内から来るそれを避けられるはずもない。
ただ彼らはその力の前にひれ伏す事しか出来なかった。
否、……ひれ伏す事すら出来はしない。
それをする前に消滅するのだから。
……だが、彼だけはひれ伏す事をした。
その破壊の力を、僅かながらに防いだのだ。
「へぇ……パチュリーの結界越しだったとは言え、あれで完全に壊れてないなんて凄い人間ね。
初めて人間を見るけど、話にはとんでもなく弱くて脆いって聞いてたから、驚き」
吸血鬼だ、と彼は確信する。
きらびやかな宝石のようなものをいくつもつけた羽。
スカーレットデビルとは明らかに違うのに、それでも吸血鬼だと確信する。
本能が叫ぶ。逃げろと。逃げなければならないと。
……だが、それは不可能だった。
「うあああああぁぁぁぁああっ!!」
歩けないのだ。歩けなかったのだ。
膝から下が消し飛んでいる、否、それは左だけだ。
右は太腿から下がない、正気が吹っ飛ぶ。だからと言って向かうわけでも強くなるわけでもないが。
目を見開き、目の前の恐怖を映し、しかし向き合うことなど出来るはずもなかった。
手で身体を動かし、それに背後を向け彼は逃げようとする。
数センチ前に進むのが、やっとだった。
「でも、中途半端に壊れてるのは見てて凄く可哀相」
もはや叫びも出ない。
渇いた喉からは人間のそれとは思えぬ音が漏れるだけだ。
死はいつでも覚悟していたし、怖れはしても逃げはしなかった。
だが、この力の差は。恐怖の質は。理性や決意でもって抑えられるものではない。
本能が全てを拒絶している。この抗いようのない恐怖と力によって死を与えられる事から逃げようとしている。
彼に向けられるであろうは、スカーレットデビルをも上回る破壊力。
「だから、私がちゃんと壊してあげる!」
*
ドォン、という今日何度目か考えるのも嫌になった破砕音が聞こえて、紅美鈴は沈んでいた意識を浮上させた。
別にやられて意識を失っていたのではない。
敵を片付けて寝ていただけだ。昨日は夜ちゃんと寝て朝から門番してた。
だから普通ならもう寝てる時間なのだ。ぶっちゃけきつかった。
さらにあれだけ身体を動かしたのだから気持ちよく寝てしまうのも無理もないというもの。
「あれは……妹様かしら?」
また厄介な事になったものだ、と息を吐く。
多分そこらにまだ残ってる人間を壊して、今空に見えるレミリアの下へ向かうだろう。
だとすれば厄介な事になるのは目に見えている。
「まぁ、行けないか」
お嬢様ごめんなさい、と心の中で謝る。
美鈴は眠いくらいで主を助けないなどと、そんな事はしない。
……動けなかったのだ。
美鈴の右足首から下は今、5メートルほど先にある。
弾幕を展開して弾丸を相殺しつつ隙をついてスペルカードで結界は破壊した。
同時に次の攻撃を開始され、しかしその弾丸も防ぎきった。
だが、一気に片を付けるために2枚目のスペルカードを使おうとしたところでマズってしまう。
間抜けな話ではあるが、眠くて倒れそうになったのだ。
一瞬の隙。
その瞬間にそれだけはいけないと思っていた一点集中の攻撃を浴びせられた。
それでも余裕を持って人間たちに勝利したものの……。
「これじゃあ動けないし」
5日もあれば十分に治るであろう傷だ。
パチュリーの魔法で無理矢理繋げて、あとは自己の回復力でどうとでもなる程度の負傷。
しかしこの場にはパチュリーはいないし、一気に5日も時が流れるはずもない。
「ま、お嬢様なら多分大丈夫だろうし」
不謹慎だ、とは思う。
けれどレミリアは美鈴よりも遥かに強い。
間違いではないのだ。
だから美鈴は、
「おやすみなふぁあぁぁい」
大きく伸びをしてから、眠った。
今、紅魔館の正門の前では、静かで可愛らしい寝息が聞こえる。
*
レミリアはそれなりには楽しんでいた。
やはり20年前に殺さずにおいてよかった、とそんな事を思う。
少なくともレミリアの知る内では今相手にしている人間ほど強い者はそうはいないだろうから。
「そういえば、人間」
「……なにかね?」
返事と同時に来た攻撃を当たり前のように避け、レミリアは続ける。
「ここ最近毎日のように来ていたらしい人間は、お前たちの仲間かしら?」
「違うな。そこらでひっとらえた犯罪者どもだよ。吸血鬼を狩るための調査に、協力させただけだ。
我々の組織にいる人間を使うと、どうも殺気を垂れ流しすぎていかんのでな」
「……人間のために吸血鬼を狩る連中が、そんな事をしていたのか」
そのレミリアの言葉と同時、男が弾幕と呼ぶにふさわしいだけの弾の攻撃を開始する。
だが、弱い。隙間だらけで、遅くて、レミリアからすると本当にお遊びのレベルだ。
弾幕というのはその数を制御する必要があるが故にある程度のパターンを作る必要が出てくる。
それがレミリアらなら兎も角、目の前に居る程度の人間がやった程度で話にもならない。
強くなければ色鮮やかでも、美しくもない。
禍々しくすらありはしない。
ただただどこまでも汚らしい弾幕だとレミリアは思う。
「それは違う。私たちは人間の平穏などのために吸血鬼を狩っているわけではない。
……我々の自己満足と、異端だと叩き潰そうとする教会の連中に力を誇示するために、やっているのだよ!」
「自己満足! 力の誇示! また面白い事を言う。そんな事、ただの人間相手にしていればそれでいいのに、わざわざ吸血鬼を狩ろうとするなんて!」
「何とでも言え。貴様は今夜、ここで消える!」
弾幕に混じって、槍が飛んでくる。
そこらの銃器などわけもない、それほどの攻撃だ。
速い。あぁ速い、とレミリアはそう思う。
ただし人間にしては、だが。
躱す、だがそれだけでは済まさない。
人間なら目でとらえられぬであろう、並の妖怪なら目にとらえるので精一杯であろう速さで飛ぶそれを、レミリアはさも当然のように叩き割った。
金属片が空に舞い、落ちて行く。
「哀れね、自分が強いと思い込んでいる人間は本当に哀れ。この程度で私を消せると思っているなんて!」
それを言い終わるとレミリアは高速で移動。
男の眼前で笑いかける。
「私を消したいのならあなたにはそれは永遠に出来ない。例え死んで、地獄の淵から蘇ろうとも。
今の槍も付け焼刃のスペルカードだったようだけど……あんなものはそれにも値しないわ」
「……ぐっ!?」
見えなかった、すべてが。
レミリアが眼前に来、止まるその時まで男はそれを視界にとらえる事は出来なかった。
「『本気』で動いてあげたわ。でも、『本気』で攻撃したら簡単に死んじゃうから、もう少し遊ばせて貰うわよ」
爪で男を引き裂こうとする。
狙いは首。しかしそれはわざと格段にスピードを落とした攻撃ならその男は十分に防げると判断しての攻撃だ。
首を裂いて殺すつもりで放った一撃ではない。
獲物の服と肉の裂ける瞬間をレミリアの爪は確かに感じ取る。
防がれた。否、防がせた。通常の人間ならまず止められぬ攻撃を、しかし男はレミリアの望むとおりに止めて見せた。
左腕一本を犠牲にして、だ。
「どう? お前は本気を出しても手を抜きすぎた私の右腕一本を消し飛ばすのが精一杯だった。
でも加減さえ間違わなければ、私は遊び感覚でも本気のお前の腕を一本、切断出来るのよ?」
「くそぉ!」
男が至近からの弾の雨をレミリアに喰らわせる。
確かに手応えがあった。この至近ならさすがにレミリア言えども避けられはしない。
「驕りが過ぎるのは貴様だ! この至近なら確実に殺」
「確実に、何かしら?」
はっ、となる。
自分はこんなバケモノを相手にしていたのかと。
恐怖はない。何が何でも狩るために敵に回しているのだ。
だが、それでも圧倒的過ぎる力に呆然となる。
「殺せなんてしないわよ。その程度じゃね。前言を撤回しましょう。
……お前は四肢の全てが無くとも十分に殺せるわ。人間にしては強いけど、そんなもの」
顔面の左が、確かに血で紅く染まっていた。
頬は僅かに肉も抉れている。
だが、それも数秒だけだった。
満月の力を受け、レミリアの傷はほんの2、3秒で完全に回復してしまう。
残るのは少しでも傷を負った証明となる……月の光を反射し、美しいとも言える程の気高さを持った紅い血だけだ。
そしてそれは傷を負った証明と同時に、埋める事など未来永劫出来ぬ、レミリアと男の力の差の証明でもあった。
「そろそろさようなら。……2回も楽しませてくれたお礼に、少しは本気を見せてあげましょう」
スペルカードを宣言。
――紅符「不夜城レッド」――
「焼かれて、お前もあの月と共に紅に染まれ」
炎が迸り、十字架の形を成して男の身を焼く。
美し過ぎる紅が、血を飛び散らせずとも満月を紅く染め上げる。
血は焼ける。身と共に。
曰く、あの月にある影を兎に見立て、月には兎が住んでいると思い込んだ人間たちがこの世界にはいるらしい。
だが、今浮かぶ月にある影は紅く、美しい炎だ。
今住んでいるのは兎ではない。棲んでいるのは悪魔だ。
しかし、これすらも本気ではない。
少し本気、スペルカードを使っただけ。
さらに威力で言えばレミリアに出来うる限りの最小にしている。
この程度で簡単に死なれては、苦しまずに死なれては、詰まらないから。
人間とは言え魔法使いなら、特殊な血を持っていると言うのならこの満月の夜にこれでは死ぬまい、とレミリアは思う。
「あがっ……うおあぁぁ!」
男は全身を焼かれながらも、またもレミリアの望むとおりになった。
――人間にしては、上等な出来だ。
しかしそれすらもレミリアにとっては一興でしかない。
所詮人間、自らの役に立たぬ弱い人間でしかないのだ。
「私の最高の従者! 今からあの満月を、紅く染める!」
少女に伝える。
この夜の終わりを。
普段よりは楽しく面白く快感に満ち、けれど一興に過ぎなかったこの満月の夜の終わりを。
「全身を焼かれた痛みと敵わぬ者に歯向かった後悔を頭に叩き込んだまま、死になさい」
消えた。
男の身体はこの夜空の満月を背景に消えた。
その満月を紅く。
染める事無く。
否、消えたという表現は適切ではない。
散った、これが一番近いかもしれない。
「……お姉様の嘘つき。人間はみんな弱くて脆いって、そう言ってたのに。強い奴もいるじゃない」
満月の光を受け、その光に似た美しい色をした髪が風になびく。
手にした黒い魔杖からは明らかに異常な量の魔力が感じられる。
「フラン……? あなた、何でここに」
そのレミリアの声が聞こえぬかのように、無邪気な、混じり気のない……けれど恐怖を感じさせる笑顔でフランドールは先ほどの言葉に続ける。
「だってあの人間。私がこんなに近くから攻撃したのに……指が残ってるもの」
男が消えたという表現はやはり適切ではない。
何故なら……右手の指が3本、その空を舞って地へと落ちていったのだから。
夜はまだ、終わらない。
*
「何……あれは?」
少女は3人の人間に止めを刺した後で空を見上げ、疑問を顔に浮かべていた。
空では血潮が舞うことはなく、男は消えていた。
少女の目では舞い落ちる指も確認出来ない。
わかるのは……唖然としているレミリアと、同じくらいの背丈の金の髪をした少女だ。
背中に生えている羽のようなものを見てそれが何かを理解する。
――あれは……吸血鬼だ。
レミリアとは全く違う、だがあんなもの、そうでなければ有り得るものかと思う。
「もしかしてあれが……妹様?」
同じくらいの、けれど少し小さい背丈。
そしてあれは吸血鬼に違いないと言う直感から導き出される答えはそれだった。
だが少女はそこまでを理解してもその先を考えることは出来ない。
逃げるべきかも、逃げぬべきかも、声を発するべきかも、発さぬべきかも、わからない。
「…………」
風に揺れる長い銀の髪が疼く様な感覚を覚える。。
わかる。あの悪魔の妹は自らを知らない。だから殺されると。
そう、わかる。
――殺せ。
何かが叫ぶ。いつだったか、棲ませた悪魔だ。
――殺さなければお前が殺される。
だがまだその叫びは小さく、少女の身体を動かすほどのものとは成り得なかった。
少女はただ、空に居る吸血鬼姉妹と輝く満月を見上げることしか出来ない。
*
「でも……今日は何の騒ぎなの? お姉様」
静かに……フランドールがレミリアの目を見た。
ここに来るまでに多くの人間を壊してきておいて、何故こんなに人間がいるのかもわかっていないようだった。
ただあったから壊しただけといったところだ。
「……私を狩りに来た人間たちが騒がしくしていただけよ」
「ゔぁんぱいあはんたーってやつよね?」
「そう。……残りは私が片すから、あなたは部屋に」
静かに、優雅に、ただ平静を保ちながらフランドールに部屋に……あの地下に戻るよう言いつける。
普段なら、……外に出してやってから戻る事を多少ごねても、これでフランドールは戻っていく。
「嫌よ」
「っ!?」
だが、フランドールが行ったのは拒否だった。
ごねるわけでもなく、ただきっぱりと拒否したのだ。
「だって、壊しても構わないようなのがまだあんなにたくさんあるのに……お姉様だけ楽しむなんて、ずるい」
――本当に、子供ね。
そんな事を思った後でレミリアは苦笑する。
自らよりも弱い者を嬲って楽しんでいたのだから、自分も似たようなものだと。
結局その方法が違うだけで、レミリアとフランドールが求めるものにそう違いはないのだ。
ただ、今のレミリアには何としてもフランドールを帰さなければならない理由があった。
……あの少女だ。今、ここで説明しても気分の高まっているフランドールがそう素直に聞くとも思えなかった。
人間であれば、否、人間でなくとも自分の知っている者以外を今のフランドールは攻撃するだろう。
従者を死なせるわけにはいかないから、今この場は何としても、と思う。
「フラン、言う事を聞かないのなら」
この姉妹にそう大きな力の差はない。
それでも、余程の事がない限り強く出ればフランは姉であるレミリアの言う事に従う。
だから無理矢理に言い聞かせようとして、しかしフランドールはそれを無視して館の外の方へと飛んで行く。
「フランッ!」
静止させるために名を呼ぶが、それも無視。
というよりはもう聞こえないほどの距離にあると言った方が正しいか。
「お嬢様!」
そこで今まで黙って様子を見ていた少女がレミリアを呼んだ。
そして、呼びはしたがその後は何も言わない。
何を言うべきかわかりかねているのに、呼ばなくてはならない気がしたのだろう。
「あなたはそこらに隠れてなさい! わかった!?」
そう命令すると、返事も聞かずにレミリアはフランドールを追った。
遠く、森の中から悲鳴と爆音が聞こえる。
そこに居る人間の事など、レミリアにとっては勿論どうでもいい事だ。
だが……もしもそれで満足出来なければ、まだ館の敷地内で生きている人間を壊そうとするだろう。
そうなれば、あの少女が、レミリアが最高の従者だと認めた人間が、巻き込まれる可能性は高い。
否、高いどころの話ではない。恐らくほぼ100%、壊す対象になる。
視線の先で行われているのは凄まじいまでの自然破壊。
木々の倒れる音が喧しくて、レミリアは耳を塞ぎたい気分になる。
そしてその音の中でも聞こえるとてつもなく短い間隔で鳴り響く高音。
人間が何らかの銃器を使ってフランドールを攻撃しているのだろう。
「えいっ!」
しかしそれは、可愛らしい声と同時に振られる魔杖から発せられる力で、攻撃ごと破壊される。
レミリアがフランドールに追いつく。
そして声をかけようとした所で、フランドールが反転。
「なっ……!?」
驚愕の声を出しながらも、レミリアはすれ違いざまにしっかりとフランドールの笑顔を見た。
ここにもう生きている人間は居ないか、否、無傷の人間すらもいるだろう。
だがそれは目では確認など出来ず、ただの推測でしかない。
一部が完璧に抉れた森。それを見て、ここでは簡単に壊せて詰まらないと、フランドールはそう感じたのだ。
「お姉様、どっちが多く人間を壊せるか競争! 今までの分はカウントしちゃダメだからね!」
遠くで振り向いたフランドールが、本当に楽しそうな顔でそんな事を言う。
――数えてなんかないでしょうが!
あぁ、そうだ。
そうは思っても普段ならノってやる事だ。
そんな事はレミリアもわかっている。
だが今は、殺させたくない人間が居る。
本当に使えなくなった時に自らが直接殺したい人間が居る。
少女に隠れるように命令したとは言え、どうせ見つかるか他のもの諸共消え去るのは放っておけば時間の問題だ。
――さぁ、久々に本気で弾幕ごっこでもしましょうか、フラン。
――神槍「スピア・ザ・グングニル」――
ハートブレイクに似た、けれどそれ以上に禍々しくも美しい紅の槍。
神が扱わぬのに神槍と名乗る傲慢さ、愚かさ。
そしてそれを求める強欲さも含めてもいいのだろうか。
だと言うのに、その紅さは神槍と呼ばれても誰も疑わぬ程の美しさを十分に持っていた。
そしてそれ以上に。
その名にふさわしい破壊力を。
シュン、と。
空気の切れる音すら響くは一瞬。
それすらも封じ込むその力は限りなく無音に近い状態で背中を向けたフランドールへと突き刺さらんとしている。
気付いたフランドールは振り向き、瞬時にスペルカードを宣言。
――禁忌「レーヴァテイン」――
北欧神話に置いて登場した武器のひとつの名を冠すスペルカード。
魔杖は世界を焼き払う剣、『害をなす魔法の杖』となる。
勢いまでは殺しきれず吹っ飛び、しかし傷は負っていない。
美しき弾による遠距離からの攻撃に。
神にも触れうる武器による接近戦を交えた壮絶な姉妹喧嘩が。
満月の下で始まった。
*
瓦礫と化した裏庭に面す廊下から、少女はそれを見ていた。
弾幕は良ければ相手を仕留める程のものだが、あくまで牽制のようにも見える。
吸血鬼姉妹は、どちらも僅かしかないその間をすり抜け直接ぶつかっては離れて、似たような事を繰り返していた。
繰り返しているようには見えたが、しっかりと見れば状況はひとつひとつ違う。
どちらも本気だ。相手を殺さぬ程度に、本気を出している。
「はぁ……」
ぺたん、とその場に座り込む。
髪が床に届き汚れたが、今はわざわざ気にするような事でもない。
少女は考える。
――私、何すればいいんだろう。
……隠れているだけというのも何かアレだし、ちょっとばかり大きな問題だった。
*
弾幕ごっこ、などとレミリアは思ったが、喧嘩の始まりから10分を越えた時点で、もはやそれは形を成していなかった。
レミリアもフランドールも相手を牽制するためだけに使い、今はただ槍と剣のぶつけ合いとかしている。
投げての攻撃も可能なレミリアは距離をとろうとするが、フランドールは逆に距離を詰める。
そんなせめぎ合いをフランドールは楽しんでいた。
一方、レミリアは楽しむ暇などなかった。
早めに片を付けたかったのだ。
第一に、いつ矛先が人間に戻り、少女へと及ぶかが分からぬ事。
そして第二に……夜明けが近い。
まだ陽の明るさは目で確認出来なかったが、月の光だけは確かに弱っているようにも感じたのだ。
襲い来る炎を纏った大剣をレミリアは神槍の先で受け止める。
刃となる先の部分が切られ、その勢いもあってレミリアは吹っ飛ばされた。
「何でかわからないけど、お姉様焦ってるね」
「そうでもないわよ……!」
吹っ飛んだで開いた分の距離を一瞬で詰めたフランドールは、剣を振り上げる。
レミリアは魔力を込め、神槍の刃先を形成。
突く動作をしながらだ。
フランドールは躱す事は叶わぬ体勢、そこから無理矢理剣を下に降ろし、その剣の腹で槍の一撃を防ぐ。
紅と紅が交わり、そこから漏れるのは共に破壊の力。
月だけに及ばず、その紅は夜空の全てを染めんばかりの大きさとなっていく。
そしてそれがひとつの爆発を生み、互いに吹っ飛ばされる形で距離をとった。
離れた所で弾幕による遠距離からの攻撃。
互いに同じ瞬間に同じ事をし、しかし次の瞬間レミリアは違う動きを見せた。
「……そらっ!」
先ほどまではここから直接ぶつかりに行っていた所だ。
だがここに来て無数の弾を制御するために作られたパターンの中にある大きな穴に入り込み、神槍を投げる。
自らの弾幕も、そしてフランドールの弾幕も無き物にしてその槍は飛ぶ。
空気を穿ち、何もかもを貫かん速さで。
「あうっ」
可愛らしい声で危機感を表し、先ほどと同じように受け止めようとするが、咄嗟過ぎて出来なかった。
吹っ飛ばされる、今までレミリアが吹っ飛んだのよりも、フランドール自身が吹っ飛んだのよりも確かに、強く。
落下するという確信を抱き、しかしフランドールに出来る事はなかった。
轟音を響かせ、フランドールは土に塗れた。
「あたっ」
コンコン、と舞い上がった石が落下し、フランドールの頭を打ちつける。
「あー、負けちゃったー」
結構間の抜けた声でフランドールはそんな事を呟く。
そしてぽりぽりと頭を掻いた後でまぁ、こう、やりあった後はお姉様に抱きついてたーんと甘えようかなぁ、なんて思いながら飛翔する。
そこで、見つけた。
廊下の窓から、外を覗く人間を。
満月の光に映える銀色の髪をした少女を。
ニィ、と唇の端を吊り上げ、フランドールはその少女を壊すべく動いた。
「なっ……!?」
しまった、と思ったその時には少女の身体は既に動いていた。
先ほどまでに居た位置を通り抜けるのは破壊の力。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力をもって、フランドールは少女を壊そうとする。
「やあっ!」
その声と魔杖の一振りは広範囲を破壊する合図だ。
吸血鬼に追われる。
――あの時と、同じ。
恐怖で顔を歪ませる事はなく、けれどあの時……初めてレミリアに追われた時と同じ恐怖を抱き少女はフランドールから逃げようとする。
――逃げるな。
「うあっ!?」
叫ぶ。ココロの中で、ナニカが叫ぶ。
――貴様はダレだ。貴様は何故ここにいる。
「私は……!」
――吸血鬼に仕える? それに従う事を理由にお前はまた人を殺した。
「あっははは……!!」
遠く、声が聞こえる。
「フラン、止めなさい! フランドール!」
あの、ありとあらゆるものを破壊していく、吸血鬼を、止めようとする。
自らの主の声が少女の耳には確かに聞こえる。
「お嬢様……」
――お前の根にあるのは殺人鬼としての魂だ。
「違う」
「フラン、言う事を聞きなさい!」
轟音、地面が大きく抉れる。
だが、遠すぎる距離から放たれた神槍を避ける事など、フランドールには簡単な事だ。
止める事は出来ない。
――殺せ。
「違う!!」
悪魔が叫んでも、本能が拒んだ、血が拒んだ。
「しっつこいなぁ。早く壊れてよ!」
「止める、でも殺さない。私の仕える方の妹を殺すものか!」
もうわかる。理解ではなく確信する。
目の前の吸血鬼は自らの仕える主の妹なのだと。
その、喰らえば死ではなく消滅するであろう力を目の当たりにして。
それでも、内からの叫びは止まらない。
――コロセ殺せ殺せ殺れコロセコレロセヤ殺レヤレヤレ殺れ殺殺れヤレコロセ殺せ。
「ちがあぁあああああぁぁぁう!!!!」
悪魔と、悪魔の妹をハッとさせる程の声。
血が騒ぐ。自らの中に作った偽者の悪魔に従うなと。
その悪魔の与える名などお前に必要はないのだと。
お前は本物の悪魔に仕える人間だと。
血が騒いで、叫べと言う。
名を。
少女はそれを聞いて、自分の名ではないことを理解する。
「私にあるのは、従者としてお嬢様に仕えるための魂だ!」
――惑うな、違う、貴様はジャック・ザ・リッパーだ。そして私にその身体を委ね
「違うと言っているんだ!!」
息が乱れる。世界が揺れる。
血が騒ぐ。十五夜が終わり、十六夜の月が出る日の、朝が近づく。
少女はまだ名を思い出せない。しかし少女は自分が名乗るべき名を。
今まで少女と同じ血を持つ者たちが従者としてあったその名を、叫ぶ。
「私は……十六夜の夜に血の花を咲かす者だ!」
時が止まり、また動き始めた時。
フランドールの手首からは血が噴き出していた。
*
「うあっ……? なん、で?」
手首からは血が溢れ、しかし回復が遅い。
――満月の、はずなのに何で。
「あ、あ、」
フランドールは呆然と声を出す。
この程度で死にはしない。だが、痛い。
何故自分が人間ごときに切り裂かれたのかが、理解出来ない。
「人間……?」
今空に居るレミリアも、同じような状態だった。
何が起こったのか、ただ状況を飲み込みかねる。
少女が瞬時に数十メートルの距離を駆け、フランドールが血で染まってゆく。
「時間を……止めたのか?」
そう呟いたレミリアの右頬が。
焼けた。
ハッ、となり顔をそちらに向けると。
太陽が僅かに出てきている。
もはや満月の力は、ない。
「フランッ!」
その言葉は、届かない。
レミリアの眼下では、少女とフランドールが対峙していた。
「……お止め下さい、妹様」
少女が幾つものナイフを手に持ち、フランドールにそう言う。
「壊れろっ!」
それを聞かず力を使うフランドールにある物は恐怖。
確かに圧倒的な力を持っているはずなのに、怖がっている。
強くても指が残る程度だと思った人間が、あまつさえ自分を傷つけた。
まるで有利な立場に居るかのように自分を見た。
自分の思い通りにならないからと駄々をこねる子供のように、フランドールはただ力を振るう。
「壊れろっ! 壊れろっ! 壊れろっ!」
「くっ!」
少女は時を止め、当たらぬだけの距離を取り、時を動かすことを繰り返す。
その度に1本ずつ、フランドールの身体にはナイフが突き刺さる。
だが少女はその力の前にフランドールに近づく事は出来ず、大きな傷はない。
吸血鬼からすれば大した事のないものでしかない傷だった。
「壊れてよーっ!」
大した事のない傷だと言うのに、それでもフランドールは恐怖を抱き続ける。
より大きな破壊の力と共に、弾幕が放たれる。
錯乱、パターンを失い、ひとつひとつの隙間は大きいのに、余裕を持てるだけの隙間がそれには存在しない。
ナイフにより形成される弾幕がそれを弾き、フランドールに襲い掛かる。
「うあっ……!?」
フランドールの驚きの声。
それと同時に少女の長い髪の肩から下が弾幕によって消える。
だがそれを気にせず、少女はフランドールを止めに行った。
「なんで壊れないのっ!」
また時を止め、それを回避してフランドールに近づき、その太腿にナイフを突き刺す。
吸血鬼の身体能力をもってしても対抗し切れぬ、まさにそこは少女だけの世界。
例えばレミリアなら冷静に対処しただろうが、フランドールはこの日初めて人間を見たのだ。
弱く脆いと聞いていた、実際にそうだった人間が、自らを傷つけている。
ただそれだけでフランドールは動揺していた。
「やだっ!」
「妹様っ!」
そう喚き、フランドールは飛ぶことで空へ行き、少女から距離を取り、攻撃し続ける。
止めさせるとは言っても、少女は抵抗しないわけには行かない。
しなければまず殺されるからだ。
そして時間を止めるだけに及ばず、少女は飛んだ。
「空間操作……?」
身体を動かさねばならない、フランを止めて、少女も止めなければならない。
だと言うのに状況を理解するだけで、自分にもわからぬままレミリアは動けなかった。
少女がまた、フランドールに近づく。
「来ないでっ!」
2度目の、禁忌。
魔杖は今一度炎を纏う剣となる。
レーヴァテインが少女に向かって振り下ろされようとしている。
「なっ!?」
少女が後ろに飛んだ。
本能のようなものだった。
あれに向かって突っ込んでは、やられると。
「それはダメ、フラン!?」
「壊してやるーっ!」
フランドールは止まらない。
そして少女も止まらず後ろに動くが、もうどうやっても避けきれるようには見えない。
――夜王「ドラキュラクレイドル」――
目に映らぬなどと、その程度ではすまない高速でレミリアは飛ぶ。
少女を殺させぬために。
自らが少女を殺すために。
今は救おうと、レミリアはその炎に身を焼かれる事を選んだ。
*
パチュリー・ノーレッジはめちゃくちゃスッキリした顔で惚けながら魔法陣を描いていた。
もうどうせ止めれないならとフランドールに関して何の対処もせず、いやいやと首を振る小悪魔を連行し、まぁ、その、なんだ。
色々あったのである。
「あぁう……あんなに嫌だといったのにー」
「嫌よ嫌よも求める内よ」
なんか違うー!という小悪魔の叫びは無視し、パチュリーは魔法陣を描き終え、床に座り込む。
「朝……か。レミィもただでは済んでないでしょうねぇ」
「もしも……ありましたね」
「まぁ、妹様があそこから出る事になった時点で、ね」
「じゃあ何故私はあんな目に……」
「手短に済ませたじゃない」
そういう問題じゃ、ひっく、ひっく、……などと泣き始めた小悪魔をまたも無視し、パチュリーは立ち上がった。
そして出入り口へと歩き、扉を開け放つ。
廊下を見た、その視線の先。
転がるのは人間の屍……ついさっき、息のあった人間は一応応急処置をして、生きて帰した。
処理する死体の数が増えるのが嫌でやった事だったのだが、それでもまだ随分な数が残っていて思わず顔を伏せて溜め息を出してしまう。
顔を上げ、再び廊下を見渡し。
「……お帰りなさい、レミィ」
「ただいま……パチェ」
見つけたのは全身火傷を負い、四肢のうち右腕しか残らぬレミリアだった。
その右腕で無理矢理抱えるのは……例の、人間の少女だ。
「……また随分と、手酷くやられたものね」
「私なんてまだ良い方……フランは、ちょっとカウンセリングが必要かもしれないわね」
そう言い、レミリアは笑った。
夜なら四肢が戻らぬにせよ火傷くらいは治っただろうが、もう朝だ。
治らず、半端ではない痛みを覚えて、けれどレミリアは友人に向かって笑いかける。
「庇ったようだけど……それでもその人間はもうダメかしら」
「…………パチェ」
「治癒魔法、準備出来てるわよ」
「ふふ、ありがと」
「でも」
一瞬和み過ぎるほどに和んだ空気が、凍りつく。
「でも、どうしたの?」
「並のものじゃ無理よ。誰かの霊力と、持ち得る治癒力の一部を分け与えなければ、そのまま死ぬ」
「……」
「もうほとんど死んでるも同然なんだから、その人間」
「並じゃなければ、いけるという事か」
「……そう。レミィ、あなたの力を使うのなら、可能よ。私は人間のためにそこまでする気にはなれないから」
笑顔を作り、パチュリーは続ける。
「レミィがその人間を助けたいと言うのなら、私はレミィのために術式の発動に使う魔力くらいは、負担してあげるわ」
「……ありがとう。やっぱりあなたは、私の最高の友人よ」
「ついでにその人間に憑いてるジャック・ザ・リッパーも、完全に取り去ってしまわなきゃね」
「……気付いてたの?」
レミリアも、少女のただならぬ様子を見て、先ほど気付いた事だ。
それにパチュリーは、気付いていた。
「言い忘れたけど、昨晩のあれ、そういうのを調べるためのものでもあったのよ」
そこで。
崩れた壁の隙間から朝陽の光が射し込み。
レミリアは意識こそ保ったものの、床に伏した。
*
Two months later
epilogue...
雲ひとつなかった蒼天の空は漆黒に染まり、太陽の代わりには満月が輝いている。
そして紅魔館を照らすその月明かりを受け、お盆を持ちながら正門へ向かう人影がひとつあった。
完璧にメイド服を着こなし、完全で瀟洒であるその従者は、人間だと言うのにこの満月の中、妖怪と同じだけの影響を受けているのではないかとすら感じさせた。
その人間を見て、紅美鈴は挨拶をする。
「こんばんは」
「えぇ、こんばんは。紅茶、いるわよね?」
「勿論」
人間の少女から紅茶を受け取り、美鈴はそれでまずかじかんだ手を暖める。
紅茶の入った陶器は熱過ぎる位で、けれど吹き続ける寒風の中、それぐらいが丁度いいと思う。
「お嬢様の様子は、どうです?」
「元気も元気よ。力が戻っていないと言っても、吸血鬼なんだから」
「はは、それもそうですね」
「それにしても」
少女が紅茶を一口飲んだ後、そんな風に話を切り出した。
「最初ここに来た時は、居続けることになるなんて全く予想しなかったわ」
「……そういう話なら、私よりお嬢様にすればいいんじゃないですか?」
「お嬢様に言っても、そういう運命だったのよ、って言われて終わるだけだからあなたに話してるのよ」
「それも、そうですね」
それ以降、会話はない。
美鈴はただ意味もなく、紅茶を渡しに来たついでに少し話でもしたかっただけなのだろう、と思い笑った。
この2ヶ月で随分とあった事だが、最近はその回数も減っている。
完全で瀟洒で、けれどまだどこか抜けているが、自分なんて比べ物にならない従者になるのかな、何て思い今度は自嘲。
「私も、頑張らなきゃ」
「……何を?」
「あ、こっちの話。……です」
まだ、少女に対して敬語は使い慣れない。
「じゃあ、そろそろ行くわね。飲み終わったら、お盆とカップだけ持ってきて頂戴」
「うん。ありがとね、毎日毎日」
「どういたしまして……と言いたいところだけど、美鈴」
注意するようにそう言うと、少女は背を向けて歩き出した。
美鈴は顔を伏せ、笑顔を作り、言いなおす。
「わざわざ持ってきてくれてありがとうございます」
満月は輝く。
そしてこの十五夜の夜に、美鈴の次の声は何よりも、この館の主に負けぬくらい、美しいもののように響く。
「咲夜さん」
咲夜は、手を振ってそれに答えた。
*
「お嬢様、夜ですよ。起きて下さい」
「ん、ん~」
間延びした声を出して目を擦りながら、幼きデーモンロードは起床する。
開け放たれたカーテンの外、輝く月を見て。
「今夜も、良い夜になりそうだ」
呟いたレミリアの服は、既に変わっていた。
「本当に、大した能力ね。そして、やはり最高の従者だわ、あなたは」
「お褒め頂き、光栄です」
「さぁ、とりあえず食事にしようか」
「畏まりました。準備は出来ておりますので、食堂に参りましょう」
部屋を出、しばらく廊下を歩いたところで咲夜はレミリアに話しかける。
「お嬢様。パチュリー様から話しておいて欲しいと頼まれた事があるのですが、今よろしいですか?」
「どうしたの?」
「その……お嬢様の力の事なんですが」
非常に気まずそうに、咲夜が言う。
それでも目を逸らさないのは、さすがと言った所か。
……2ヶ月前、咲夜の治癒に使った霊力と吸血鬼に備わった治癒力の一部。
一時的にとは言えそれを大きくすり減らすことになったレミリアは、外見こそ1ヶ月で戻ったものの、力の全てはまだ戻っていなかった。
「パチェの話だと、戻るのにあと2年くらいだっけ?」
「はい」
「それが、どうしたの? 完全ではないといえ、人間が来たところで問題はないのだけど」
「えぇ、ですが心配だからとか……まぁ、結局はパチュリー様が行きたいだけなのでしょうけど」
「行きたい? どこに?」
「ここより静かで、黙っていれば力が戻るまで誰にも手出しされないようなところだそうです」
それを聞いて、レミリアは眉間に皺を寄せる。
「そんなところ、楽しい?」
「……それが、ここに居る人間とは比べ物にならないほど強い人間もいるだろうとも仰りました」
「へぇ……」
レミリアの表情が一気に変わった。
まるで、今までよりもより玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべ。
「それで、私たちだけで行くの?」
「いえ、今館ごと移す方法を探していて、もうすぐ何とかなるそうです」
「さすが、パチェね。……行きましょうか。ここらの歯向かう人間には、もううんざりだし」
トントン、と可愛らしくスキップをして、レミリアは食堂の扉の前に立つ。
そしてそれを開いた後で後ろを歩く咲夜の方を見て、訊ねた。
「それで、そこは、何と呼ばれているのかしら?」
「大結界の中にあり、この世界で失われた幻想が行き着く場所……確か呼び名は――――
or
...prologue?
・オリキャラが割と。
レミリアが少女に対して「ありがとう」と言った日から、幾日も経っていた。
外は、満月だ。
普通は有り得ない。
有り得てはいけない、とパチュリーは思う。
妖怪の中でも人間と共存する者の多い魔女に自らは分類されるが、それでも有り得てはいけない事だと。
……妖怪が、人間に気を許すなどという事は。
妖怪の中でも人間により恐れられる吸血鬼がそれではいけないと。
吸血鬼というのは人間が恐れ、しかし限りなく不老不死に近いがために人間はそれを求める。
そんな存在でなくてはいけないはずなのだ。
それが人間に気を許すなどと。
――全く、馬鹿みたいね。
レミリアに話した儀式の準備のため、魔法陣を描きながらそんな事を思い、自嘲する。
そんなものは先入観に過ぎず、これは嫉妬なのだと、わかっていた。
まるで仲の良い友人を取られたかのような、そんな感じ。
でもそれも、別にそういうわけではないともわかってはいる。
だから。
これはほんのおせっかいでもあった。
人間の癖に従者としてレミリアに近づいた少女への嫉妬と、少女に対して必死に『お前は食料のようなもの』という態度をするレミリアへのおせっかいだ。
――さて。
「小悪魔、そっちは出来た?」
「はい、バッチリです。パチュリー様」
「さすが私の使い魔ね」
「えへへ」
小悪魔の頭を撫でてやる。
綺麗な赤毛が自らの指に絡むのを見ながら、パチュリーはひとつ大きく息を吐いた。
「さ、レミリアとあの人間を呼んできて頂戴」
「……パチュリー様。本当に、やるんですか?」
「えぇ」
目を閉じて顔を伏せ、静かに頷く。
「結果がどうなろうといいじゃない。人間と私たちはもともと相成れない存在なのだし」
「でも……」
まだ今から行う事に躊躇いを見せる小悪魔に微笑みかけてから、パチュリーは続ける。
「それに……いつまでもあなただけでここの整理をするのは、大変でしょう?」
*
満月は否応なくこの世に生きるものの血を昂ぶらせる。
それは感情の高揚に繋がり、満月の日は注意力散漫による交通事故や、はたまた殺人事件が起こりやすいと言われる事もある。
つまりは人間も強い影響を受けると、そういうことだ。
だが、妖怪どもが受ける影響は人間の比ではない。
夜は妖怪のテリトリーだ。
集団ならいざ知れず、人間が1人で妖怪に刃向かう事など出来ぬ時。
それが今夜のような満月の夜なら尚更である。集団ですら刃向かう事など難しい。
だと言うのに、悪魔の棲む紅き館の周りを囲む森には幾百の人間が身を潜めていた。
「あの門番とどこかの部屋に閉じ篭っているらしい魔女は他で何とかしろ。
……あぁ、恐らく1匹につき30人では足りないくらいだ。遊軍から回せるだけ回せ」
「行けますか? 今夜で、あれを」
「あぁ、行けるさ。狩って見せよう」
そう言った後、初老の男は魔法による交信を続ける。
月明かりが照らす悪魔の棲む紅き館は既に袋の鼠同然だ。
逃げ道など、どこにもありはしない。
そもそもスカーレットデビルが逃げるなどという行為をしない事は、この場にいる誰もがわかっている事だが。
『き、気付かれました! 例の門番に……!』
突然の叫び。
何かが貫かれる音の後、耳障りな血を吐くような音と大きな何かが倒れる音がした。
「……早いが、止むを得ないか」
告げる。
今夜で強大な吸血鬼の全てを終わらせるために。
自分たちの全てが終わる可能性もある。
それでも吸血鬼の、スカーレットデビルの終わりへとならん事を願い。
永くなるであろう夜の始まりを。
「全て事前の計画通りに。……進撃っ!」
*
「……パチェ」
「何かしら、レミィ」
「私に、嘘をついたの?」
「さぁ、何の事かしら」
聳え立つ本棚に囲まれた、広い空間には4つの人影があった。
レミリア、パチュリー、小悪魔。
……そして、描かれた魔法陣の中心に、手首を縛られている少女。
空気ははっきり言って最悪だった。
パチュリーを睨むレミリア。
並の妖怪なら物怖じして言のひとつも言えなくなるであろうその紅い瞳を見ながら、しかしパチュリーは平然としていた。
パチュリーがレミリアを相手にしてもそう簡単にやられるような者ではないという事、そして何より親友という存在であるからだろう。
「これはどう見たって……」
「悪魔召喚のための、準備よ。下級の悪魔を呼び出すだけのものだから、生贄に使う人間は1人で十分足りるわ」
「そういう事を言ってるんじゃない!」
「――――!」
レミリアが声を荒らげた瞬間だ。
パチュリーが呪文を唱え、
「あっ、……ぐっ!?」
巻き起こるのは光の奔流。
その流れは一瞬でひとつに纏まり、逃げる隙すら与えず。
……レミリアの動きを、封じた。
「……何をするつもりなの」
「……この人間の、能力を試すのよ」
「どうやって?」
「ちょっと特殊な物でね、これ。引き換えとする人間の魂の質が高すぎれば、悪魔を召喚出来ないようになっているの」
そういう事か、と理解し、レミリアは口元を歪ませる。
確かに正しい。
場合によってはだが、少女の能力の資質が高ければこれによって発現する可能性も低くはないだろう。
そして少女の能力の資質が低ければ、確実に死ぬ。
「それよりも……こんなもので、私の動きを封じたつもり?」
「満月の夜、私の力もそれなりには上がっているわ。……まぁ、それでも持って10分かしらね」
……10分もあれば呪文を唱え終わるには十分だろう。
「どうせ殺す存在よ。使える能力かどうかを確かめた上で、召喚にも利用するだけの事」
「…………っ」
「まぁ、見ているといいわ。その能力がどんなものか分かれば殺すのだし。わからなくても殺すのなら有効利用させて頂戴」
「何を……っ!」
レミリアの視線にパチュリーは無表情で返し、魔法陣の方へ体を向ける。
そして、
「我、今ここに魔界への扉を開かんとす」
魔法陣が光を発する。
発された光は散り、まるで何かを、魂を求めるかのように揺ら揺らとそこに滞留する。
視線の先、魔法陣の中央に居る少女の顔はに浮かぶのは諦め。
これがわかっていた終わりなのだと。
「我、求めるは忠実に従いし僕なる悪魔」
「あっ……かっ、いあぁぁああっ!」
滞留した光は頂点を作り、安定を見せ始める。
同時に少女の叫び声が響く。
殺人鬼の魂を求め、安定の中においてもざわめきを見せる。
止まらぬ、止められぬ。
通常の人間よりは確実に高い力を持った殺人鬼たる人間の魂を。
魔女が求める使い魔となる悪魔の代わりに求める。
「我、拒むは強大な力を持ちし偉大なる悪魔」
「うああああああぁぁぁああっ!!」
「パチェ!」
光が広がっていく。
同時に響くのはただただ少女の叫び。
身体に痛みを与えるのは少女に入り込もうとする光。
「我、汝をこの世の現とすべく七曜の力の片鱗を与える」
「……ぁ……ぅぁ……」
「止めて……」
少女からは力のない声が漏れるだけ。
もはや光は表現出来ぬ物となり、儀式の終わりが近い事を告げている。
「いいから止めなさい、パチェ!」
レミリアのその叫びと共にパチュリーは指を鳴らす。
「……小悪魔。しばらく維持して。同じ悪魔のあなたなら、出来るでしょ?」
「あ、はい」
光は小さくなり、開きかけた扉が姿を現す。
「……? パチュリー様、これは……」
「黙ってなさい」
「は、はいっ」
小悪魔を叱りつける様にした後で、パチュリーはレミリアを見る。
「……これじゃあ10分は持たないわね」
「あたり……まえよっ」
レミリアは必死に動きを取り戻そうとする。
否、もう取り戻したに近い。
「……何がしたいの、レミィ。能力が高ければ下級の悪魔を呼び出すに事は逆に出来ないのよ?
つまり、召喚が成功すれば彼女の能力は低かったという事。それがわかるだけでもいいじゃない」
「あいつを殺すのは、私だ」
バキンッ、と。
何かが折れるような音がしてレミリアは動きを取り戻す。
しかしすぐにはパチュリーに掴みかからず、睨み付けた。
「あの人間の死は運命なんでしょう? あなたはそれを操って変える気はない。なら誰が殺そうと同じ事」
「……違う」
「それとも、あの人間があなたの側につくようになってから、血を吸ってから、殺したくなくなった?」
「……違う、あいつは殺す。私が」
瞬間、レミリアを襲うのは妙な感情。
……今まで、偶然迷い込んできた人間を似たような形で仕えさせる事はあった。
その中でも少女は珍しすぎる人間だ。
自らの狙った獲物を殺され、腹いせに追い、殺そうとし、取り逃がし、興味を持ってここに連れてきた。
……最初は馬鹿みたいに強気だったのに、従者として仕えろと言った途端、今度は馬鹿みたいに大人しくなった。
使える従者だ。妖怪を仕えさせても、あの少女ほど立派な者はいるまい。
……だからと言って、殺したくなくなったのではない。
側にいる少女を余計に殺したくなったのだ。
「あいつは私の従者だ。こき使って、血を吸って、いつかは私が殺す。
病気でも、他の誰かが殺すのでもない。価値がなくなった瞬間に私が殺すのよ」
運命を操るなど……曖昧な力で、嫌気が差してくる。
だがそれが自らの力だというのなら、レミリアは運命を操る。
行き着く先だけを変えず、ただ過程を操る。
――なるほど。
パチュリーは頷き、指を鳴らして魔法陣を崩した。
同時に光は全て失せ、扉も消え失せた。
……少女はその場でキョトンとへたり込んでいる。
何故、生きているのだろう、と。そんな顔をしながら。
レミリアの方に視線を向け、さすがは吸血鬼だ、とパチュリーは思う。
「……正直なところ、殺さないと言うかと思っていたのだけど」
「どういうこと?」
突然陣を解いたパチュリーに、レミリアは訝しげな視線を向ける。
「運命を操ってみようなんて大仰な事、私には出来なかったみたいね」
「パチュリー様」
「……小悪魔。あなたが説明して。レミィ、まだ冷静になり切れてないみたいだから」
「はい。……お嬢様。あれは、召喚のためのものではありません」
「……なんですって?」
「恐らくそれに似た事を起こすため、パチュリー様が作ったものです」
目を凝らし、魔法陣をよく見る。
……確かに、パチュリーが以前小悪魔を呼び出した時に使ったものとは、明らかに違っていた。
殺すまでの間だけ血を吸ってやると思った。
人間ごときを殺すのに、少しも躊躇いはないと思い込んでいた。
だと言うのに、いざとなった時、レミリアは既に冷静ではなかったのだ。
あはは、と。
レミリアが乾いた笑みを漏らした。
「私があいつを気に入っていると読んで、こんな事をしたのね」
「えぇ。それでも頑なに能力について分かれば殺す、なんて言っていたから」
「…………パチェ」
「何かしら」
ゆっくりと手を差し出し、言う。
「最高の友人よ、あなたは」
「ありがとう。私にとっても、あなたは最高の友人だから、嬉しいわ」
だからこそ嫉妬も抱いていた事は、言わないで置く。
あまりにも滑稽な気がしたから。
「あの……これは、どういう事なのかしら」
握手を交わした2人に、少女が呆然としながら話しかけた。
「私に仕えなさい」
「え?」
「私があなたを必要のないクズと判断して殺すその時まで、あなたは私に仕えなさい」
「……」
「わからないのかしら?」
「……いえ」
「わかったのなら、返事をしなさい。私の最高の従者」
「はい、お嬢様」
少女に笑顔を向けたレミリアに、少女もまた笑顔を向ける。
深い感情など必要あるまい。
最初は遊び半分で、生きるために仕える事に応じた少女は、そのまま忠実なる従者として主に使える事にした。
主は運命を見、しかし従者としての少女を気に入り、少女を殺す頃合を変えた。
ただそれだけの事だ。
レミリアが少女の手首を縛った縄を、爪で切って解いた。
ここでやっと訪れたレミリアと少女の、主と従者としての日々の始まりは。
ドォン、と言う破砕音により。
すぐさま騒がしく、血生臭いものとなる。
「なに……!?」
レミリアは状況を理解しかねる。
その音を響かせた……恐らく敵であろう者たちの気配を感じなかった、否、今この瞬間まで感じる余裕がなかった。
「……人間、ヴァンパイアハンターかしらね」
そう呟くと、パチュリーは水によってスクリーンのようなものを展開し、外の様子を映し出す。
「だいたい50から100……場合によっては200ってとこかしら。随分と多いわね」
――数攻め……いかにも人間らしいじゃない。
パチュリーはそんな事を思い、しかし言葉にはしない。
レミリアも……小悪魔でも同じ事を思っているだろうから。
「……今やられたのは裏口か」
門番は1人じゃ足りないわねぇ、などと呑気な事を考えながらレミリアはそう呟く。
「……まぁ、いい。3分の1くらいは多分美鈴が何とかするでしょう。
私は残りの3分の2と遊んでくるわ。遊ばせてくれるだけの実力を持った人間が居るかわからないけど」
「…………」
「人間」
「はい」
「あなたも殺人鬼……ジャック・ザ・リッパーだと言うのなら、ただの人間の数人くらい殺せるわね?」
「勿論。……お嬢様のためなら、数十人でも数百人でも殺して見せますよ」
「本当に最高だ、お前は」
「お褒めに預かり、光栄です」
「着いて来なさい。今外に浮かんでいる満月を、血潮で紅く染めるわよ」
そう言うとレミリアは駆け出し、少女も後を追った。
「…………じゃあ、小悪魔」
「はい。なんでしょう、パチュリー様」
「ここに入ってこられたら困るから、簡単な結界でも張りましょうか」
「……パチュリー様なら今外に居る人間が束になってかかってきても問題ないんじゃ」
「何を言ってるの」
少しだけ小悪魔を馬鹿にするような感じで溜め息を吐き、パチュリーは準備を始める。
「私だって結果的には余裕で倒せても1回で何十人も相手に出来ないわ。
……その間に手隙の奴に本を焼かれでもしたら困るじゃない」
「はぁ……」
「ついでに……人間が無傷で帰ってくるとも思えないわ。簡単な治癒魔法の準備もしましょうか」
「というかパチュリー様」
パタパタとそこらの本を机の上に上げ始めたパチュリーに対し、小悪魔が呆れた様な声で訊ねる。
「……外に出て迎撃すればここには興味を持ちそうにないですけど、人間」
「…………動くのが面倒なだけよ」
本当に引き篭もりだなぁ、なんて主に対して失礼な事を思いながら。
それでも小悪魔はその主の言う事に従う事にした。
……あの少女も然り、主従関係とはなかなかに複雑なものなのかも知れない。
*
月の光は無限に降り注ぎ、並の夜ならばその紅さをまともには確認出来ぬ紅魔館を照らし出している。
悪魔の棲む館を照らす魔性の光はまるで共鳴するかのようにその館の主を、そしてそこに棲む妖怪たちの力を増大させるものだ。
そしてその光と共鳴を後ろに、紅く細い、綺麗な髪が舞い踊っていた。
「じゅうさん……っ!」
ちぃっ、と。
美鈴は思わず舌打ちをしてしまう。
多い。恐らくまだ、少なく見積もっても50は居る。
「ふんっ!」
横からの剣撃を躱すと、その動作に先ほどつけた勢いも乗せてすぐさま右の腕でその男の心の臓を突き貫く。
腕以外が汚れぬよう、美鈴はすぐに距離をとった。
が、紅の長く綺麗な髪だけは屍から飛び散る血液を回避する事は叶わず、それを浴びる事となる。
「じゅうよん!」
――いっぺんに掛かってくればいいのに!
相手からの攻撃が止み、自らもひとつ息を吐いて攻撃を止め、そんな事を思う。
キリがなかった。
いっぺんに掛かってくればまだかえって対処のしようもある。
が、しつこく、間をあけて1人ずつ向かってくる所為で時間だけが経って行く。
それなら、と思い自ら向かっていくために一歩を踏み出した瞬間。
喧しい破砕音が後方……恐らくは館よりも向こうから響き、美鈴は振り向く。
――裏に回られたか……元から待機していたか。
どちらにしろ裏から入られた事だけは確かのようだった。
状況を確認するのは容易く、しかしその確認した状況に対応するのは難しい。
……否、不可能だ。
1人ずつ攻撃してきたのはこのためか、と思い美鈴はまた舌打ちをする。
――群がると……本当に強いわ。人間ってのは。
だが、不可能というのも裏に向かおうとして背後をとらせれば、というわけでもない。
それが理由ならば状況を確認するために振り向く余裕もないのだから。
裏へ回れぬ理由、それは。
「門番として、正門だけは守らなくちゃねぇ!」
両側から来た2人を回し蹴りで蹴り飛ばす。
めこっ、というそんな感覚。
殺せてはいないが骨は数本折った。
もう動けまい。
普段なら追い討ちをかけて殺しておくところだが、そんな面倒な事をする気は今はなかった。
正面から、もう1人。
勢いそのままに地を蹴ってそのまま腹に拳を叩き込む。
――丈夫な人間ねぇ。
本気でやったわけではないが、貫くつもりではやった。
だが筋肉に阻まれそれをする事が出来なかったのだ。
……丈夫とは言っても、男は意識を手放し、しばらく動く事はないだろう。
「じゅうななっ」
3人続けざまに掛かってきた後で結局攻撃は止み、美鈴はちゃんと数を数えておく。
ただ詰まらないから数えているだけなのだが。
そしてその後で前方、人間たちのいる位置への距離を確認する。
4秒……いや、3秒もあれば十分詰められるだけの距離だ。
目標は10人ほど固まっている場所。
あの程度なら飛び込んで、少しばかりの弾幕を展開すれば一瞬で片付けられる。
群がった人間の強さを認めつつも、しかし美鈴ほどの妖怪からして見れば本気を出すようなレベルではない。
「あいだっ!?」
……そしてそこへ向かって突っ込もうとした美鈴から漏れたのは、間抜けで、けれど何だかやたらに可愛らしい声であった。
「あいたたたっ……。何よ一体……」
目の前の空に手を翳し……ペタペタと……何かに触れられた。
「結界……? 閉じ込めるためのものか」
そう理解すると立ち上がり、思いっきり一撃を放つ。
が、結界は破れない。
「嘘ぉ……」
そんな馬鹿な、と思う。
たかが人間の作ったものだというのに、破れなかった。
見たところそれをしているのは5、6人か。
「…………」
気を探る。
視界では確認出来ぬ人間の気配を探り、美鈴は思わず溜め息を吐いた。
「20人近くで結界なんて……やってくれるじゃないの!」
レミリアや、魔女であるパチュリーなら絶対にものともしないであろう人数だ。
きっと、部屋に入るためのドアを開けるよりも遥かに容易に、この結界を通り抜けるだろう。
だが……美鈴はもともと東洋の妖怪だ。
西洋の魔法で張られた結界に対する有効な攻撃方法や知識など持っていないに等しい。
12、3人程度なら単なる力ずくでの突破も十分に可能だが、20人程度となると話が違ってくる。
「何とか……間に合ったな」
にぃ、と血に飢えた妖怪にも劣らぬ歪んだ笑みを浮かべながらそんな事を言う人間が美鈴の視界に映った。
本当に群がると人間は強い、と美鈴は思う。それ以上に厄介だ、とも。
「出れないかー……」
そんな事を呟き、美鈴は歩き出す。
そして塀に凭れた。
結界で閉じ込めたからと言って、わざわざ攻撃して来ないだろうと判断したのだ。
狭いフィールドで妖怪相手、それも満月の夜に戦うなどと愚かにも程があるし。
少し寝ようかと、そんな事を思い美鈴は目を閉じる。
……だが、目を閉じるとどうにも耳のほうがさえて眠れそうにはなく、結局目を開ける。
そこで視界に映ったのは人間と。
「……何よアレは」
またとんでもない物を、と思う。
ガトリングガン、恐らくは最新型のとんでもない連射数と装弾数を持ったものか。
そして結界は、推測するに外からの侵入は容易いもの。
……それ以前に人間が外からも内からも抜けにくい結界をそう簡単に張る事も美鈴には考えられなかったが。
ひとつなら余裕を持って避けきれる、が。
見えるだけでも数は3。さらに……。
――魔法で威力を強化されたら……。
これまたとんでもなく厄介だ。
一発二発当たったところで深手を負う事はまずないだろうが、一点に馬鹿みたいに撃ち込まれればさすがの美鈴だってただでは済むまい。
ぎり、と。歯軋りをひとつ。
「……そっちがその気なら、こっちも少しくらいは本気でやってやろうじゃないの!」
懐からスペルカードを取り出し、準備する。
その数秒後、一斉射撃が開始された。
結界内の広さは縦横どちらも50メートルと言ったところか。
動き回るには十分だ。
「はぁっ!」
美鈴は色鮮やかで、けれどそれは圧倒的な力なのだとわかる弾幕を展開。
とりあえずは向かってくる弾丸を叩き落す形で、迎え撃った。
*
多い。多すぎる、とすらレミリアは思う。
いくら後ろを走る少女がついて来られるスピードで走っているとは言え、廊下を抜けるのに時間が掛かりすぎている。
――パチェは場合によっては200って言ってたけど……!
外で美鈴が相手にしているであろう数、周りの森に待機している者の数を考えると最大で300程度に達する可能性もあるのではないか。
大きな組織だったとしても集まるのは吸血鬼を狩ろうとする異端の者、総出であることは間違いない。
それでもレミリアにとってはたかが人間、気にする数でもないが。
さらに全員が全員魔法を使えるわけでもなく、むしろそれは少数派だ。
魔女狩りで狩る対象にもならなかった雑魚魔法使いの子孫など容易く屠れる。
己の肉体で向かってくる人間など、論外だ。
問題は倒せるか倒せないか、ではないのだ。
この数に頼った攻め方、リーダー格の連中は外に居ると推測していいだろう。
こういう時は上に立つものを倒しておくのが手っ取り早い。
そして遊べるほどの実力を持っているとすれば、良くてもそいつだ。
しかし、そこに行くまでの間にも馬鹿みたいな数の、その上遊ぶにも値しない程度の人間を相手にするのは……。
「正直面倒くさいのよっ!」
この一言に尽きた。
美鈴はよく言う事がある。
群がれば人間は強くて厄介だ、と。
だがレミリアは思う。
いくら群がっても人間は弱い、と。
その認識は美鈴とレミリアの力の差によるものだ。
レミリアにとっていくら群がろうとも人間はそう強いものとはならない。
だが、群がった人間は強くなくとも厄介ではあると、今更ながらにレミリアは思う。
弱いくせにわざわざ目の前に立ち塞がる人間どもは……。
「はっきり言って目障りなんだ!」
スペルカードを1枚取り出し、宣言する。
――必殺「ハートブレイク」――
「伏せてなさいっ!」
「っ」
後ろを走る少女に指示、少女が止まり、伏せたのを確認すると。
紅の槍を放った。
神槍には遠く至らぬ、だが人間ごときを片付けるには十分すぎる槍が廊下を突き抜ける。
同時に展開されるのはまともに回避する事など到底叶わぬ速さの弾の雨。
無数の弾によって形成された弾幕は人間の攻撃を通すはずなど勿論なく、何人、何十人もの人間を粉々にする。
ガラス、照明、壁。
それだけに及ばず、廊下にある様々な物が紅の槍と弾によって破砕される音が喧しく響いた。
人間の悲鳴も、断末魔も、骨の砕ける音も、肉の千切れる音も、全てがそれに掻き消され、存在すらも許されぬものへと成って行く。
その後で漂う血の匂いは気分を高揚させ、飛び散る血潮によって紅く染まる満月はレミリアに力を与える。
運良く弾幕の通らぬ位置に居り、僅かに生き残った人間が……良くて動けない状態になるのはそれからほんの数秒後の事だった。
「行くわよ」
「はい」
しつこく掴みかかってきた人間を引き剥がして蹴り飛ばすと、少女はすぐさまレミリアの後をついていく。
すぐ先に、裏庭へと抜ける出入り口があった。
窓からは月と僅かな星しか見えなかったが、今、空にはその月を囲むように多すぎるほどの星が輝いている。
優雅とでも表現すべき美しさを持った星の絨毯。
そして、それを背景に空に浮く人影がいくつかあった。
それのひとつが……初老の男が、言葉を発する。
レミリアに向かって、だ。
「全く……どうせ無駄だからここには素直に通せと言ったのに、結局はわざわざ死にに行くのか」
「…………お前が、この馬鹿みたいに多い雑魚どもの……親玉かしら?」
「あぁ。馬鹿みたいに多い自殺志願者どもの親玉だよ、スカーレットデビル……20年振りだな」
「20年振り? ……私は、覚えがないのだけど」
ふむ、と言いながら男は顎に手を当てる。
「老けてしまったからな。わからぬのも無理はあるまい。……君の右腕を消し飛ばした人間を覚えているかね?」
「……居たわね、確か」
「それが私だよ」
「成る程……なら、あなたはそれなりに遊べそうね」
「遊ぶなどとその程度では済まさぬさ。今度は、その存在すらも消してやる。
……20年前のように、本気で掛かって来たまえよ」
「はぁ……?」
男の言葉に、レミリアは呆れた様な声を出した。
こいつは何を言っているのかと、そんな思いを含んだ声だ。
そしてレミリアは数秒思案し、答えを導き出す。
「あっはは……あははははははっ!」
「……お嬢様?」
高らかな笑いが、夜空に響く。
少女の疑問の声などには耳も貸さず、響かせる。
無邪気な子供の声を。
面白いと思って手にとってみた玩具が、想像以上に面白かったとでも言わんばかりの、そんな笑い声を。
「これだから人間は愚か! 面白い!」
「何?」
「美鈴がよく言っていたわね。群れから離れた人間が強いはずは絶対にないと、自らが弱い事を知らないから、だから弱いと!
でもあの娘に教えてあげなくちゃいけないわね……群れの頂点に立った人間も、強いわけなどなく、弱いって事を!
驕りが過ぎるわよ、人間! 本気? 私はそんなもの出してなんていない。『殺す気』でやっただけの事!」
「なん……だと」
「それとも人間! お前は自分よりも遥かに弱い者を殺すときにわざわざ本気を出さなくちゃ出来ないのか?
20年前、私は手を抜いただけ。その気になれば簡単に踏み潰せる虫を、棒で突付いて遊んでみただけだ」
笑い声がどこまでも響いて行く。
本当に、これほどまでに楽しめる人間が他に居るだろうか。
「まぁ、お前の実力を見抜けず手を抜き過ぎた私の未熟は認めよう。
けど……お前なんて四肢のうち一本でも残れば、容易く踏み躙れるわ」
「言ってくれるな」
「私は事実を述べただけよ。ついでに、お前をわざわざ生かした理由を教えておこうか?」
「…………」
「次に大っぴらに出てくる時に……ちゃんと遊べる玩具がないと、詰まらないからよ。
人間に関しては何百年と不良品ばかりを使わされて、うんざりだったの」
ピントをずらし、レミリアは月を見る。
ただ輝く満月。
禍々しくすらあるその輝きは、他には例えようのない美しさを持っている。
今夜の月は紅くはない、だから、それを紅く染めてやろうではないかと、レミリアはそう思う。
けれど、それを紅くする前に。
「人間、あなたは下に居る連中の相手をしなさい。たかが3、4人。問題ではないでしょう?」
「はい。畏まりました、お嬢様」
「でも、そうね。もし出来るのなら私がいいと言うまで遊んであげて。
私があの玩具に厭きた時に、少しでもあの月を紅く染め上げるために」
「……同じタイミングで、殺ればいいのですね?」
「そう」
この少女に宿っているのはやはり殺人鬼などではないと、レミリアはそう確信する。
あるのは、主に忠誠を誓い、ただ従う事。完全で瀟洒な従者である事。
そのための魂が宿っているのだと、そう確信したのだ。
自らの意志で殺す事には悲しみを感じようとも、主に従うのならば悦びにすら変える事の出来る存在。
レミリアは血を蹴って空へと舞う。
――本当に最高の従者よ、あなたは!
*
レミリアや少女が割とおっかない事をやっているその頃、パチュリー・ノーレッジは優雅に紅茶なんぞ啜っていた。
小悪魔の焼いたクッキーはやはり美味しい、なんて思いながら。
本を焼かれるという心配を排除する時だけ無駄に慌ただしくなり、その後はまったり過ぎるほどまったりとしている。
そして、たまにはと本を読みながらではなく小悪魔とお喋りをしながら紅茶を飲んでいるのだが、それがまたいい。
端から見れば美少女2人が笑みを交えながらお喋りをしているのだ。
見ていて悪い光景ではない。
……薄暗い照明に聳え立つ本棚、端っこに溜まった埃と、背景があまりよろしくなかったが。
まぁ、いいものはいい。
「……それにしても、外は騒がしいですねぇ」
「そうねぇ。まぁ、レミィならあの程度の人間たち全て同時に敵にしてもわけないし、美鈴だって50人くらいなら何とかするでしょう」
「そうだとは思いますが。……やっぱり皆さんお強いですね」
「小悪魔も、そのうちそれぐらいわけのない立派な悪魔になれるわよ。あと胸の辺りも美鈴くらい立派になるはず」
「何か微妙に猥褻発言をされた気がしますが、お褒め下さったようなのでありがとうございますと言っておきますね」
「えぇ、それがいいわ」
「それでも美鈴さんほどはちょっと無理だし嫌ですねぇ。アレくらい大きくても逆に困る気もしますし」
会話の内容が微妙にアレだったりソレだったりするが、それもまたいい。
「……ねぇ、小悪魔」
「はい」
「暇だし、紅茶飲んだら一緒に寝ましょうか? 満腹になって、ぐっすり眠れるはず」
「…………パチュリー様と同じベッドで寝ようとすると眠らせて頂けないので全力で拒否させて貰っても構いませんか?」
「ダメ」
「ほら、今夜は何があるかわかりませんし」
「大丈夫よ。レミィや美鈴が人間ごときにそう簡単にやられるわけないんだから」
「ほら、もしもって事も」
「まぁ、もしも……」
否定するかと思ってたらしなかった、助かった、なんて小悪魔は思う。
今日は密かに色々と疲れたし寝たかったんですよぉ、なんて心で呟きながら顔を綻ばせて行く。
紅茶が美味い、クッキーが美味い、幸せ。
「があったとして、満月だし大事には至らないでしょうね。レミィなんて一瞬で回復しちゃうだろうし」
「……私何かしましたか」
「敢えて言うなら可愛すぎるかしら」
可愛い事は罪、なのである。
紅茶を飲み終わり食べ切れなかったクッキーを丁寧に包んで保管すると。
パチュリーは普段あれだけひ弱なのにどこにそんな力があるんだと言いたくなる勢いで小悪魔の服の襟を掴んで引き摺りながら、寝室へと向かって行く。
小悪魔は涙目をしていて、それが無駄すぎるほど可愛さを引き立てていた。
そしてそんなお楽しみの時間は、妙な感覚で見事にぶっ潰された。
頭の中で何かが張り詰めるような感覚、というのが近いか。
近いのはそれだが、パチュリーの中では確かに魔力がざわついていた。
どこかで使用した魔力が、何らかの影響を受けてパチュリーにも伝わってきたのだ。
わかる。すぐに理解した。それが何なのかを。
「……あぁもう! これだから人間は! 鉄扉を用意して結界まで張ってあるのに、何でわざわざ破ろうとするのよ!?」
「パチュリー様?」
取り乱しながらもゆっくりと襟から手を離したパチュリーに、小悪魔は疑問の声を向ける。
無理もない、小悪魔には何があったかなどわからないのだから。
キョトンとした小悪魔に、パチュリーは何があったかを、説明し始める。
「……人間が、妹様を閉じ込めてる地下への扉を開けようとしてるのよ!」
「それって、問題ですか?」
小悪魔はパチュリーの力を理解しているからこそ、そんな事を言った。
確かにレミリアの妹……フランドール・スカーレットがあそこから出てくると面倒な事になると言うのは理解出来る。
だが、人間があの厚い鉄扉だけなら兎も角、パチュリーの結界を破るなどと考えなかったのだ。
「アレは……内側を強くしてある分、若干外が脆いの」
「はぁ……それでも人間がそんな事をしようとしたら、100は数が必要なんじゃ」
ある程度は美鈴が相手をしている事を確認してるし、レミリアが倒した数も半端ではない。
さらに確実に居るであろう外での待機組……それを鑑みると50も数はないだろうと、小悪魔は簡単な推測をする。
「……破れない。破れないけど、音が漏れる。僅かな魔力や他の力が、内部に伝わる」
「はぁ……? それでどうなるんですか?」
「あの娘が、そんな物を感じ取って、黙っていると思う?」
「あっ」
「少しでも魔力が内に漏れて妹様が外に向かって攻撃を加えれば、魔力が干渉しあう。
それどころかあれに使っている私の意志を離れた私の魔力も絡まる」
気付いた小悪魔に、現状を説明する。
普通ならそんな余裕などあってはいけない。
しかし、あるのだ。
今からそれをどうにかする事など出来ないのだから。
出来るのはただ結界が破れない事を祈るだけ。
だが、わかる。どうせ無駄だと言う事は。
「それによって結界が脆くなれば……あとは妹様の能力で」
次ごうとした言葉はあまり自分には似合わず、けれどこの場では最も簡単で適切な言葉だとパチュリーはそう思う。
だから、躊躇いもなく言い放つ。
「ドカン、よ」
*
彼の人生は比較的変わったものだった。
別に吸血鬼を恨んでいるわけではないが、わざわざ狩ろうとする理由もそこにあると言っていい。
ただ少し変わっているだけで周りに忌み嫌われ、普通には生きていけないとそれを理解した。
だからその能力で人間ではないものを狩って、人間を殺したいと思う衝動を抑えたのだ。
吸血鬼も人間からそう成ったものなら幾つか狩った。
そこらに転がっている雑魚妖怪などわけもない。
数十人の人間を従えるだけの実力を持った男だった。
「もう少しだ、押せ!」
目の前の結界は破れない。
さすがは魔女のものだ、と思う。けれどこれだけの人数なら十分破れる、とも。
彼は理解していなかったがそれは驕りだ。到底叶わぬ事なのだ。
だが、結界は破れた。
内からの破壊の衝動がその場諸共吹き飛ばしたから。
抗う事など出来ない。自分たちの力で破ったと思い込んだ瞬間、結界の内から来るそれを避けられるはずもない。
ただ彼らはその力の前にひれ伏す事しか出来なかった。
否、……ひれ伏す事すら出来はしない。
それをする前に消滅するのだから。
……だが、彼だけはひれ伏す事をした。
その破壊の力を、僅かながらに防いだのだ。
「へぇ……パチュリーの結界越しだったとは言え、あれで完全に壊れてないなんて凄い人間ね。
初めて人間を見るけど、話にはとんでもなく弱くて脆いって聞いてたから、驚き」
吸血鬼だ、と彼は確信する。
きらびやかな宝石のようなものをいくつもつけた羽。
スカーレットデビルとは明らかに違うのに、それでも吸血鬼だと確信する。
本能が叫ぶ。逃げろと。逃げなければならないと。
……だが、それは不可能だった。
「うあああああぁぁぁぁああっ!!」
歩けないのだ。歩けなかったのだ。
膝から下が消し飛んでいる、否、それは左だけだ。
右は太腿から下がない、正気が吹っ飛ぶ。だからと言って向かうわけでも強くなるわけでもないが。
目を見開き、目の前の恐怖を映し、しかし向き合うことなど出来るはずもなかった。
手で身体を動かし、それに背後を向け彼は逃げようとする。
数センチ前に進むのが、やっとだった。
「でも、中途半端に壊れてるのは見てて凄く可哀相」
もはや叫びも出ない。
渇いた喉からは人間のそれとは思えぬ音が漏れるだけだ。
死はいつでも覚悟していたし、怖れはしても逃げはしなかった。
だが、この力の差は。恐怖の質は。理性や決意でもって抑えられるものではない。
本能が全てを拒絶している。この抗いようのない恐怖と力によって死を与えられる事から逃げようとしている。
彼に向けられるであろうは、スカーレットデビルをも上回る破壊力。
「だから、私がちゃんと壊してあげる!」
*
ドォン、という今日何度目か考えるのも嫌になった破砕音が聞こえて、紅美鈴は沈んでいた意識を浮上させた。
別にやられて意識を失っていたのではない。
敵を片付けて寝ていただけだ。昨日は夜ちゃんと寝て朝から門番してた。
だから普通ならもう寝てる時間なのだ。ぶっちゃけきつかった。
さらにあれだけ身体を動かしたのだから気持ちよく寝てしまうのも無理もないというもの。
「あれは……妹様かしら?」
また厄介な事になったものだ、と息を吐く。
多分そこらにまだ残ってる人間を壊して、今空に見えるレミリアの下へ向かうだろう。
だとすれば厄介な事になるのは目に見えている。
「まぁ、行けないか」
お嬢様ごめんなさい、と心の中で謝る。
美鈴は眠いくらいで主を助けないなどと、そんな事はしない。
……動けなかったのだ。
美鈴の右足首から下は今、5メートルほど先にある。
弾幕を展開して弾丸を相殺しつつ隙をついてスペルカードで結界は破壊した。
同時に次の攻撃を開始され、しかしその弾丸も防ぎきった。
だが、一気に片を付けるために2枚目のスペルカードを使おうとしたところでマズってしまう。
間抜けな話ではあるが、眠くて倒れそうになったのだ。
一瞬の隙。
その瞬間にそれだけはいけないと思っていた一点集中の攻撃を浴びせられた。
それでも余裕を持って人間たちに勝利したものの……。
「これじゃあ動けないし」
5日もあれば十分に治るであろう傷だ。
パチュリーの魔法で無理矢理繋げて、あとは自己の回復力でどうとでもなる程度の負傷。
しかしこの場にはパチュリーはいないし、一気に5日も時が流れるはずもない。
「ま、お嬢様なら多分大丈夫だろうし」
不謹慎だ、とは思う。
けれどレミリアは美鈴よりも遥かに強い。
間違いではないのだ。
だから美鈴は、
「おやすみなふぁあぁぁい」
大きく伸びをしてから、眠った。
今、紅魔館の正門の前では、静かで可愛らしい寝息が聞こえる。
*
レミリアはそれなりには楽しんでいた。
やはり20年前に殺さずにおいてよかった、とそんな事を思う。
少なくともレミリアの知る内では今相手にしている人間ほど強い者はそうはいないだろうから。
「そういえば、人間」
「……なにかね?」
返事と同時に来た攻撃を当たり前のように避け、レミリアは続ける。
「ここ最近毎日のように来ていたらしい人間は、お前たちの仲間かしら?」
「違うな。そこらでひっとらえた犯罪者どもだよ。吸血鬼を狩るための調査に、協力させただけだ。
我々の組織にいる人間を使うと、どうも殺気を垂れ流しすぎていかんのでな」
「……人間のために吸血鬼を狩る連中が、そんな事をしていたのか」
そのレミリアの言葉と同時、男が弾幕と呼ぶにふさわしいだけの弾の攻撃を開始する。
だが、弱い。隙間だらけで、遅くて、レミリアからすると本当にお遊びのレベルだ。
弾幕というのはその数を制御する必要があるが故にある程度のパターンを作る必要が出てくる。
それがレミリアらなら兎も角、目の前に居る程度の人間がやった程度で話にもならない。
強くなければ色鮮やかでも、美しくもない。
禍々しくすらありはしない。
ただただどこまでも汚らしい弾幕だとレミリアは思う。
「それは違う。私たちは人間の平穏などのために吸血鬼を狩っているわけではない。
……我々の自己満足と、異端だと叩き潰そうとする教会の連中に力を誇示するために、やっているのだよ!」
「自己満足! 力の誇示! また面白い事を言う。そんな事、ただの人間相手にしていればそれでいいのに、わざわざ吸血鬼を狩ろうとするなんて!」
「何とでも言え。貴様は今夜、ここで消える!」
弾幕に混じって、槍が飛んでくる。
そこらの銃器などわけもない、それほどの攻撃だ。
速い。あぁ速い、とレミリアはそう思う。
ただし人間にしては、だが。
躱す、だがそれだけでは済まさない。
人間なら目でとらえられぬであろう、並の妖怪なら目にとらえるので精一杯であろう速さで飛ぶそれを、レミリアはさも当然のように叩き割った。
金属片が空に舞い、落ちて行く。
「哀れね、自分が強いと思い込んでいる人間は本当に哀れ。この程度で私を消せると思っているなんて!」
それを言い終わるとレミリアは高速で移動。
男の眼前で笑いかける。
「私を消したいのならあなたにはそれは永遠に出来ない。例え死んで、地獄の淵から蘇ろうとも。
今の槍も付け焼刃のスペルカードだったようだけど……あんなものはそれにも値しないわ」
「……ぐっ!?」
見えなかった、すべてが。
レミリアが眼前に来、止まるその時まで男はそれを視界にとらえる事は出来なかった。
「『本気』で動いてあげたわ。でも、『本気』で攻撃したら簡単に死んじゃうから、もう少し遊ばせて貰うわよ」
爪で男を引き裂こうとする。
狙いは首。しかしそれはわざと格段にスピードを落とした攻撃ならその男は十分に防げると判断しての攻撃だ。
首を裂いて殺すつもりで放った一撃ではない。
獲物の服と肉の裂ける瞬間をレミリアの爪は確かに感じ取る。
防がれた。否、防がせた。通常の人間ならまず止められぬ攻撃を、しかし男はレミリアの望むとおりに止めて見せた。
左腕一本を犠牲にして、だ。
「どう? お前は本気を出しても手を抜きすぎた私の右腕一本を消し飛ばすのが精一杯だった。
でも加減さえ間違わなければ、私は遊び感覚でも本気のお前の腕を一本、切断出来るのよ?」
「くそぉ!」
男が至近からの弾の雨をレミリアに喰らわせる。
確かに手応えがあった。この至近ならさすがにレミリア言えども避けられはしない。
「驕りが過ぎるのは貴様だ! この至近なら確実に殺」
「確実に、何かしら?」
はっ、となる。
自分はこんなバケモノを相手にしていたのかと。
恐怖はない。何が何でも狩るために敵に回しているのだ。
だが、それでも圧倒的過ぎる力に呆然となる。
「殺せなんてしないわよ。その程度じゃね。前言を撤回しましょう。
……お前は四肢の全てが無くとも十分に殺せるわ。人間にしては強いけど、そんなもの」
顔面の左が、確かに血で紅く染まっていた。
頬は僅かに肉も抉れている。
だが、それも数秒だけだった。
満月の力を受け、レミリアの傷はほんの2、3秒で完全に回復してしまう。
残るのは少しでも傷を負った証明となる……月の光を反射し、美しいとも言える程の気高さを持った紅い血だけだ。
そしてそれは傷を負った証明と同時に、埋める事など未来永劫出来ぬ、レミリアと男の力の差の証明でもあった。
「そろそろさようなら。……2回も楽しませてくれたお礼に、少しは本気を見せてあげましょう」
スペルカードを宣言。
――紅符「不夜城レッド」――
「焼かれて、お前もあの月と共に紅に染まれ」
炎が迸り、十字架の形を成して男の身を焼く。
美し過ぎる紅が、血を飛び散らせずとも満月を紅く染め上げる。
血は焼ける。身と共に。
曰く、あの月にある影を兎に見立て、月には兎が住んでいると思い込んだ人間たちがこの世界にはいるらしい。
だが、今浮かぶ月にある影は紅く、美しい炎だ。
今住んでいるのは兎ではない。棲んでいるのは悪魔だ。
しかし、これすらも本気ではない。
少し本気、スペルカードを使っただけ。
さらに威力で言えばレミリアに出来うる限りの最小にしている。
この程度で簡単に死なれては、苦しまずに死なれては、詰まらないから。
人間とは言え魔法使いなら、特殊な血を持っていると言うのならこの満月の夜にこれでは死ぬまい、とレミリアは思う。
「あがっ……うおあぁぁ!」
男は全身を焼かれながらも、またもレミリアの望むとおりになった。
――人間にしては、上等な出来だ。
しかしそれすらもレミリアにとっては一興でしかない。
所詮人間、自らの役に立たぬ弱い人間でしかないのだ。
「私の最高の従者! 今からあの満月を、紅く染める!」
少女に伝える。
この夜の終わりを。
普段よりは楽しく面白く快感に満ち、けれど一興に過ぎなかったこの満月の夜の終わりを。
「全身を焼かれた痛みと敵わぬ者に歯向かった後悔を頭に叩き込んだまま、死になさい」
消えた。
男の身体はこの夜空の満月を背景に消えた。
その満月を紅く。
染める事無く。
否、消えたという表現は適切ではない。
散った、これが一番近いかもしれない。
「……お姉様の嘘つき。人間はみんな弱くて脆いって、そう言ってたのに。強い奴もいるじゃない」
満月の光を受け、その光に似た美しい色をした髪が風になびく。
手にした黒い魔杖からは明らかに異常な量の魔力が感じられる。
「フラン……? あなた、何でここに」
そのレミリアの声が聞こえぬかのように、無邪気な、混じり気のない……けれど恐怖を感じさせる笑顔でフランドールは先ほどの言葉に続ける。
「だってあの人間。私がこんなに近くから攻撃したのに……指が残ってるもの」
男が消えたという表現はやはり適切ではない。
何故なら……右手の指が3本、その空を舞って地へと落ちていったのだから。
夜はまだ、終わらない。
*
「何……あれは?」
少女は3人の人間に止めを刺した後で空を見上げ、疑問を顔に浮かべていた。
空では血潮が舞うことはなく、男は消えていた。
少女の目では舞い落ちる指も確認出来ない。
わかるのは……唖然としているレミリアと、同じくらいの背丈の金の髪をした少女だ。
背中に生えている羽のようなものを見てそれが何かを理解する。
――あれは……吸血鬼だ。
レミリアとは全く違う、だがあんなもの、そうでなければ有り得るものかと思う。
「もしかしてあれが……妹様?」
同じくらいの、けれど少し小さい背丈。
そしてあれは吸血鬼に違いないと言う直感から導き出される答えはそれだった。
だが少女はそこまでを理解してもその先を考えることは出来ない。
逃げるべきかも、逃げぬべきかも、声を発するべきかも、発さぬべきかも、わからない。
「…………」
風に揺れる長い銀の髪が疼く様な感覚を覚える。。
わかる。あの悪魔の妹は自らを知らない。だから殺されると。
そう、わかる。
――殺せ。
何かが叫ぶ。いつだったか、棲ませた悪魔だ。
――殺さなければお前が殺される。
だがまだその叫びは小さく、少女の身体を動かすほどのものとは成り得なかった。
少女はただ、空に居る吸血鬼姉妹と輝く満月を見上げることしか出来ない。
*
「でも……今日は何の騒ぎなの? お姉様」
静かに……フランドールがレミリアの目を見た。
ここに来るまでに多くの人間を壊してきておいて、何故こんなに人間がいるのかもわかっていないようだった。
ただあったから壊しただけといったところだ。
「……私を狩りに来た人間たちが騒がしくしていただけよ」
「ゔぁんぱいあはんたーってやつよね?」
「そう。……残りは私が片すから、あなたは部屋に」
静かに、優雅に、ただ平静を保ちながらフランドールに部屋に……あの地下に戻るよう言いつける。
普段なら、……外に出してやってから戻る事を多少ごねても、これでフランドールは戻っていく。
「嫌よ」
「っ!?」
だが、フランドールが行ったのは拒否だった。
ごねるわけでもなく、ただきっぱりと拒否したのだ。
「だって、壊しても構わないようなのがまだあんなにたくさんあるのに……お姉様だけ楽しむなんて、ずるい」
――本当に、子供ね。
そんな事を思った後でレミリアは苦笑する。
自らよりも弱い者を嬲って楽しんでいたのだから、自分も似たようなものだと。
結局その方法が違うだけで、レミリアとフランドールが求めるものにそう違いはないのだ。
ただ、今のレミリアには何としてもフランドールを帰さなければならない理由があった。
……あの少女だ。今、ここで説明しても気分の高まっているフランドールがそう素直に聞くとも思えなかった。
人間であれば、否、人間でなくとも自分の知っている者以外を今のフランドールは攻撃するだろう。
従者を死なせるわけにはいかないから、今この場は何としても、と思う。
「フラン、言う事を聞かないのなら」
この姉妹にそう大きな力の差はない。
それでも、余程の事がない限り強く出ればフランは姉であるレミリアの言う事に従う。
だから無理矢理に言い聞かせようとして、しかしフランドールはそれを無視して館の外の方へと飛んで行く。
「フランッ!」
静止させるために名を呼ぶが、それも無視。
というよりはもう聞こえないほどの距離にあると言った方が正しいか。
「お嬢様!」
そこで今まで黙って様子を見ていた少女がレミリアを呼んだ。
そして、呼びはしたがその後は何も言わない。
何を言うべきかわかりかねているのに、呼ばなくてはならない気がしたのだろう。
「あなたはそこらに隠れてなさい! わかった!?」
そう命令すると、返事も聞かずにレミリアはフランドールを追った。
遠く、森の中から悲鳴と爆音が聞こえる。
そこに居る人間の事など、レミリアにとっては勿論どうでもいい事だ。
だが……もしもそれで満足出来なければ、まだ館の敷地内で生きている人間を壊そうとするだろう。
そうなれば、あの少女が、レミリアが最高の従者だと認めた人間が、巻き込まれる可能性は高い。
否、高いどころの話ではない。恐らくほぼ100%、壊す対象になる。
視線の先で行われているのは凄まじいまでの自然破壊。
木々の倒れる音が喧しくて、レミリアは耳を塞ぎたい気分になる。
そしてその音の中でも聞こえるとてつもなく短い間隔で鳴り響く高音。
人間が何らかの銃器を使ってフランドールを攻撃しているのだろう。
「えいっ!」
しかしそれは、可愛らしい声と同時に振られる魔杖から発せられる力で、攻撃ごと破壊される。
レミリアがフランドールに追いつく。
そして声をかけようとした所で、フランドールが反転。
「なっ……!?」
驚愕の声を出しながらも、レミリアはすれ違いざまにしっかりとフランドールの笑顔を見た。
ここにもう生きている人間は居ないか、否、無傷の人間すらもいるだろう。
だがそれは目では確認など出来ず、ただの推測でしかない。
一部が完璧に抉れた森。それを見て、ここでは簡単に壊せて詰まらないと、フランドールはそう感じたのだ。
「お姉様、どっちが多く人間を壊せるか競争! 今までの分はカウントしちゃダメだからね!」
遠くで振り向いたフランドールが、本当に楽しそうな顔でそんな事を言う。
――数えてなんかないでしょうが!
あぁ、そうだ。
そうは思っても普段ならノってやる事だ。
そんな事はレミリアもわかっている。
だが今は、殺させたくない人間が居る。
本当に使えなくなった時に自らが直接殺したい人間が居る。
少女に隠れるように命令したとは言え、どうせ見つかるか他のもの諸共消え去るのは放っておけば時間の問題だ。
――さぁ、久々に本気で弾幕ごっこでもしましょうか、フラン。
――神槍「スピア・ザ・グングニル」――
ハートブレイクに似た、けれどそれ以上に禍々しくも美しい紅の槍。
神が扱わぬのに神槍と名乗る傲慢さ、愚かさ。
そしてそれを求める強欲さも含めてもいいのだろうか。
だと言うのに、その紅さは神槍と呼ばれても誰も疑わぬ程の美しさを十分に持っていた。
そしてそれ以上に。
その名にふさわしい破壊力を。
シュン、と。
空気の切れる音すら響くは一瞬。
それすらも封じ込むその力は限りなく無音に近い状態で背中を向けたフランドールへと突き刺さらんとしている。
気付いたフランドールは振り向き、瞬時にスペルカードを宣言。
――禁忌「レーヴァテイン」――
北欧神話に置いて登場した武器のひとつの名を冠すスペルカード。
魔杖は世界を焼き払う剣、『害をなす魔法の杖』となる。
勢いまでは殺しきれず吹っ飛び、しかし傷は負っていない。
美しき弾による遠距離からの攻撃に。
神にも触れうる武器による接近戦を交えた壮絶な姉妹喧嘩が。
満月の下で始まった。
*
瓦礫と化した裏庭に面す廊下から、少女はそれを見ていた。
弾幕は良ければ相手を仕留める程のものだが、あくまで牽制のようにも見える。
吸血鬼姉妹は、どちらも僅かしかないその間をすり抜け直接ぶつかっては離れて、似たような事を繰り返していた。
繰り返しているようには見えたが、しっかりと見れば状況はひとつひとつ違う。
どちらも本気だ。相手を殺さぬ程度に、本気を出している。
「はぁ……」
ぺたん、とその場に座り込む。
髪が床に届き汚れたが、今はわざわざ気にするような事でもない。
少女は考える。
――私、何すればいいんだろう。
……隠れているだけというのも何かアレだし、ちょっとばかり大きな問題だった。
*
弾幕ごっこ、などとレミリアは思ったが、喧嘩の始まりから10分を越えた時点で、もはやそれは形を成していなかった。
レミリアもフランドールも相手を牽制するためだけに使い、今はただ槍と剣のぶつけ合いとかしている。
投げての攻撃も可能なレミリアは距離をとろうとするが、フランドールは逆に距離を詰める。
そんなせめぎ合いをフランドールは楽しんでいた。
一方、レミリアは楽しむ暇などなかった。
早めに片を付けたかったのだ。
第一に、いつ矛先が人間に戻り、少女へと及ぶかが分からぬ事。
そして第二に……夜明けが近い。
まだ陽の明るさは目で確認出来なかったが、月の光だけは確かに弱っているようにも感じたのだ。
襲い来る炎を纏った大剣をレミリアは神槍の先で受け止める。
刃となる先の部分が切られ、その勢いもあってレミリアは吹っ飛ばされた。
「何でかわからないけど、お姉様焦ってるね」
「そうでもないわよ……!」
吹っ飛んだで開いた分の距離を一瞬で詰めたフランドールは、剣を振り上げる。
レミリアは魔力を込め、神槍の刃先を形成。
突く動作をしながらだ。
フランドールは躱す事は叶わぬ体勢、そこから無理矢理剣を下に降ろし、その剣の腹で槍の一撃を防ぐ。
紅と紅が交わり、そこから漏れるのは共に破壊の力。
月だけに及ばず、その紅は夜空の全てを染めんばかりの大きさとなっていく。
そしてそれがひとつの爆発を生み、互いに吹っ飛ばされる形で距離をとった。
離れた所で弾幕による遠距離からの攻撃。
互いに同じ瞬間に同じ事をし、しかし次の瞬間レミリアは違う動きを見せた。
「……そらっ!」
先ほどまではここから直接ぶつかりに行っていた所だ。
だがここに来て無数の弾を制御するために作られたパターンの中にある大きな穴に入り込み、神槍を投げる。
自らの弾幕も、そしてフランドールの弾幕も無き物にしてその槍は飛ぶ。
空気を穿ち、何もかもを貫かん速さで。
「あうっ」
可愛らしい声で危機感を表し、先ほどと同じように受け止めようとするが、咄嗟過ぎて出来なかった。
吹っ飛ばされる、今までレミリアが吹っ飛んだのよりも、フランドール自身が吹っ飛んだのよりも確かに、強く。
落下するという確信を抱き、しかしフランドールに出来る事はなかった。
轟音を響かせ、フランドールは土に塗れた。
「あたっ」
コンコン、と舞い上がった石が落下し、フランドールの頭を打ちつける。
「あー、負けちゃったー」
結構間の抜けた声でフランドールはそんな事を呟く。
そしてぽりぽりと頭を掻いた後でまぁ、こう、やりあった後はお姉様に抱きついてたーんと甘えようかなぁ、なんて思いながら飛翔する。
そこで、見つけた。
廊下の窓から、外を覗く人間を。
満月の光に映える銀色の髪をした少女を。
ニィ、と唇の端を吊り上げ、フランドールはその少女を壊すべく動いた。
「なっ……!?」
しまった、と思ったその時には少女の身体は既に動いていた。
先ほどまでに居た位置を通り抜けるのは破壊の力。
ありとあらゆるものを破壊する程度の能力をもって、フランドールは少女を壊そうとする。
「やあっ!」
その声と魔杖の一振りは広範囲を破壊する合図だ。
吸血鬼に追われる。
――あの時と、同じ。
恐怖で顔を歪ませる事はなく、けれどあの時……初めてレミリアに追われた時と同じ恐怖を抱き少女はフランドールから逃げようとする。
――逃げるな。
「うあっ!?」
叫ぶ。ココロの中で、ナニカが叫ぶ。
――貴様はダレだ。貴様は何故ここにいる。
「私は……!」
――吸血鬼に仕える? それに従う事を理由にお前はまた人を殺した。
「あっははは……!!」
遠く、声が聞こえる。
「フラン、止めなさい! フランドール!」
あの、ありとあらゆるものを破壊していく、吸血鬼を、止めようとする。
自らの主の声が少女の耳には確かに聞こえる。
「お嬢様……」
――お前の根にあるのは殺人鬼としての魂だ。
「違う」
「フラン、言う事を聞きなさい!」
轟音、地面が大きく抉れる。
だが、遠すぎる距離から放たれた神槍を避ける事など、フランドールには簡単な事だ。
止める事は出来ない。
――殺せ。
「違う!!」
悪魔が叫んでも、本能が拒んだ、血が拒んだ。
「しっつこいなぁ。早く壊れてよ!」
「止める、でも殺さない。私の仕える方の妹を殺すものか!」
もうわかる。理解ではなく確信する。
目の前の吸血鬼は自らの仕える主の妹なのだと。
その、喰らえば死ではなく消滅するであろう力を目の当たりにして。
それでも、内からの叫びは止まらない。
――コロセ殺せ殺せ殺れコロセコレロセヤ殺レヤレヤレ殺れ殺殺れヤレコロセ殺せ。
「ちがあぁあああああぁぁぁう!!!!」
悪魔と、悪魔の妹をハッとさせる程の声。
血が騒ぐ。自らの中に作った偽者の悪魔に従うなと。
その悪魔の与える名などお前に必要はないのだと。
お前は本物の悪魔に仕える人間だと。
血が騒いで、叫べと言う。
名を。
少女はそれを聞いて、自分の名ではないことを理解する。
「私にあるのは、従者としてお嬢様に仕えるための魂だ!」
――惑うな、違う、貴様はジャック・ザ・リッパーだ。そして私にその身体を委ね
「違うと言っているんだ!!」
息が乱れる。世界が揺れる。
血が騒ぐ。十五夜が終わり、十六夜の月が出る日の、朝が近づく。
少女はまだ名を思い出せない。しかし少女は自分が名乗るべき名を。
今まで少女と同じ血を持つ者たちが従者としてあったその名を、叫ぶ。
「私は……十六夜の夜に血の花を咲かす者だ!」
時が止まり、また動き始めた時。
フランドールの手首からは血が噴き出していた。
*
「うあっ……? なん、で?」
手首からは血が溢れ、しかし回復が遅い。
――満月の、はずなのに何で。
「あ、あ、」
フランドールは呆然と声を出す。
この程度で死にはしない。だが、痛い。
何故自分が人間ごときに切り裂かれたのかが、理解出来ない。
「人間……?」
今空に居るレミリアも、同じような状態だった。
何が起こったのか、ただ状況を飲み込みかねる。
少女が瞬時に数十メートルの距離を駆け、フランドールが血で染まってゆく。
「時間を……止めたのか?」
そう呟いたレミリアの右頬が。
焼けた。
ハッ、となり顔をそちらに向けると。
太陽が僅かに出てきている。
もはや満月の力は、ない。
「フランッ!」
その言葉は、届かない。
レミリアの眼下では、少女とフランドールが対峙していた。
「……お止め下さい、妹様」
少女が幾つものナイフを手に持ち、フランドールにそう言う。
「壊れろっ!」
それを聞かず力を使うフランドールにある物は恐怖。
確かに圧倒的な力を持っているはずなのに、怖がっている。
強くても指が残る程度だと思った人間が、あまつさえ自分を傷つけた。
まるで有利な立場に居るかのように自分を見た。
自分の思い通りにならないからと駄々をこねる子供のように、フランドールはただ力を振るう。
「壊れろっ! 壊れろっ! 壊れろっ!」
「くっ!」
少女は時を止め、当たらぬだけの距離を取り、時を動かすことを繰り返す。
その度に1本ずつ、フランドールの身体にはナイフが突き刺さる。
だが少女はその力の前にフランドールに近づく事は出来ず、大きな傷はない。
吸血鬼からすれば大した事のないものでしかない傷だった。
「壊れてよーっ!」
大した事のない傷だと言うのに、それでもフランドールは恐怖を抱き続ける。
より大きな破壊の力と共に、弾幕が放たれる。
錯乱、パターンを失い、ひとつひとつの隙間は大きいのに、余裕を持てるだけの隙間がそれには存在しない。
ナイフにより形成される弾幕がそれを弾き、フランドールに襲い掛かる。
「うあっ……!?」
フランドールの驚きの声。
それと同時に少女の長い髪の肩から下が弾幕によって消える。
だがそれを気にせず、少女はフランドールを止めに行った。
「なんで壊れないのっ!」
また時を止め、それを回避してフランドールに近づき、その太腿にナイフを突き刺す。
吸血鬼の身体能力をもってしても対抗し切れぬ、まさにそこは少女だけの世界。
例えばレミリアなら冷静に対処しただろうが、フランドールはこの日初めて人間を見たのだ。
弱く脆いと聞いていた、実際にそうだった人間が、自らを傷つけている。
ただそれだけでフランドールは動揺していた。
「やだっ!」
「妹様っ!」
そう喚き、フランドールは飛ぶことで空へ行き、少女から距離を取り、攻撃し続ける。
止めさせるとは言っても、少女は抵抗しないわけには行かない。
しなければまず殺されるからだ。
そして時間を止めるだけに及ばず、少女は飛んだ。
「空間操作……?」
身体を動かさねばならない、フランを止めて、少女も止めなければならない。
だと言うのに状況を理解するだけで、自分にもわからぬままレミリアは動けなかった。
少女がまた、フランドールに近づく。
「来ないでっ!」
2度目の、禁忌。
魔杖は今一度炎を纏う剣となる。
レーヴァテインが少女に向かって振り下ろされようとしている。
「なっ!?」
少女が後ろに飛んだ。
本能のようなものだった。
あれに向かって突っ込んでは、やられると。
「それはダメ、フラン!?」
「壊してやるーっ!」
フランドールは止まらない。
そして少女も止まらず後ろに動くが、もうどうやっても避けきれるようには見えない。
――夜王「ドラキュラクレイドル」――
目に映らぬなどと、その程度ではすまない高速でレミリアは飛ぶ。
少女を殺させぬために。
自らが少女を殺すために。
今は救おうと、レミリアはその炎に身を焼かれる事を選んだ。
*
パチュリー・ノーレッジはめちゃくちゃスッキリした顔で惚けながら魔法陣を描いていた。
もうどうせ止めれないならとフランドールに関して何の対処もせず、いやいやと首を振る小悪魔を連行し、まぁ、その、なんだ。
色々あったのである。
「あぁう……あんなに嫌だといったのにー」
「嫌よ嫌よも求める内よ」
なんか違うー!という小悪魔の叫びは無視し、パチュリーは魔法陣を描き終え、床に座り込む。
「朝……か。レミィもただでは済んでないでしょうねぇ」
「もしも……ありましたね」
「まぁ、妹様があそこから出る事になった時点で、ね」
「じゃあ何故私はあんな目に……」
「手短に済ませたじゃない」
そういう問題じゃ、ひっく、ひっく、……などと泣き始めた小悪魔をまたも無視し、パチュリーは立ち上がった。
そして出入り口へと歩き、扉を開け放つ。
廊下を見た、その視線の先。
転がるのは人間の屍……ついさっき、息のあった人間は一応応急処置をして、生きて帰した。
処理する死体の数が増えるのが嫌でやった事だったのだが、それでもまだ随分な数が残っていて思わず顔を伏せて溜め息を出してしまう。
顔を上げ、再び廊下を見渡し。
「……お帰りなさい、レミィ」
「ただいま……パチェ」
見つけたのは全身火傷を負い、四肢のうち右腕しか残らぬレミリアだった。
その右腕で無理矢理抱えるのは……例の、人間の少女だ。
「……また随分と、手酷くやられたものね」
「私なんてまだ良い方……フランは、ちょっとカウンセリングが必要かもしれないわね」
そう言い、レミリアは笑った。
夜なら四肢が戻らぬにせよ火傷くらいは治っただろうが、もう朝だ。
治らず、半端ではない痛みを覚えて、けれどレミリアは友人に向かって笑いかける。
「庇ったようだけど……それでもその人間はもうダメかしら」
「…………パチェ」
「治癒魔法、準備出来てるわよ」
「ふふ、ありがと」
「でも」
一瞬和み過ぎるほどに和んだ空気が、凍りつく。
「でも、どうしたの?」
「並のものじゃ無理よ。誰かの霊力と、持ち得る治癒力の一部を分け与えなければ、そのまま死ぬ」
「……」
「もうほとんど死んでるも同然なんだから、その人間」
「並じゃなければ、いけるという事か」
「……そう。レミィ、あなたの力を使うのなら、可能よ。私は人間のためにそこまでする気にはなれないから」
笑顔を作り、パチュリーは続ける。
「レミィがその人間を助けたいと言うのなら、私はレミィのために術式の発動に使う魔力くらいは、負担してあげるわ」
「……ありがとう。やっぱりあなたは、私の最高の友人よ」
「ついでにその人間に憑いてるジャック・ザ・リッパーも、完全に取り去ってしまわなきゃね」
「……気付いてたの?」
レミリアも、少女のただならぬ様子を見て、先ほど気付いた事だ。
それにパチュリーは、気付いていた。
「言い忘れたけど、昨晩のあれ、そういうのを調べるためのものでもあったのよ」
そこで。
崩れた壁の隙間から朝陽の光が射し込み。
レミリアは意識こそ保ったものの、床に伏した。
*
Two months later
epilogue...
雲ひとつなかった蒼天の空は漆黒に染まり、太陽の代わりには満月が輝いている。
そして紅魔館を照らすその月明かりを受け、お盆を持ちながら正門へ向かう人影がひとつあった。
完璧にメイド服を着こなし、完全で瀟洒であるその従者は、人間だと言うのにこの満月の中、妖怪と同じだけの影響を受けているのではないかとすら感じさせた。
その人間を見て、紅美鈴は挨拶をする。
「こんばんは」
「えぇ、こんばんは。紅茶、いるわよね?」
「勿論」
人間の少女から紅茶を受け取り、美鈴はそれでまずかじかんだ手を暖める。
紅茶の入った陶器は熱過ぎる位で、けれど吹き続ける寒風の中、それぐらいが丁度いいと思う。
「お嬢様の様子は、どうです?」
「元気も元気よ。力が戻っていないと言っても、吸血鬼なんだから」
「はは、それもそうですね」
「それにしても」
少女が紅茶を一口飲んだ後、そんな風に話を切り出した。
「最初ここに来た時は、居続けることになるなんて全く予想しなかったわ」
「……そういう話なら、私よりお嬢様にすればいいんじゃないですか?」
「お嬢様に言っても、そういう運命だったのよ、って言われて終わるだけだからあなたに話してるのよ」
「それも、そうですね」
それ以降、会話はない。
美鈴はただ意味もなく、紅茶を渡しに来たついでに少し話でもしたかっただけなのだろう、と思い笑った。
この2ヶ月で随分とあった事だが、最近はその回数も減っている。
完全で瀟洒で、けれどまだどこか抜けているが、自分なんて比べ物にならない従者になるのかな、何て思い今度は自嘲。
「私も、頑張らなきゃ」
「……何を?」
「あ、こっちの話。……です」
まだ、少女に対して敬語は使い慣れない。
「じゃあ、そろそろ行くわね。飲み終わったら、お盆とカップだけ持ってきて頂戴」
「うん。ありがとね、毎日毎日」
「どういたしまして……と言いたいところだけど、美鈴」
注意するようにそう言うと、少女は背を向けて歩き出した。
美鈴は顔を伏せ、笑顔を作り、言いなおす。
「わざわざ持ってきてくれてありがとうございます」
満月は輝く。
そしてこの十五夜の夜に、美鈴の次の声は何よりも、この館の主に負けぬくらい、美しいもののように響く。
「咲夜さん」
咲夜は、手を振ってそれに答えた。
*
「お嬢様、夜ですよ。起きて下さい」
「ん、ん~」
間延びした声を出して目を擦りながら、幼きデーモンロードは起床する。
開け放たれたカーテンの外、輝く月を見て。
「今夜も、良い夜になりそうだ」
呟いたレミリアの服は、既に変わっていた。
「本当に、大した能力ね。そして、やはり最高の従者だわ、あなたは」
「お褒め頂き、光栄です」
「さぁ、とりあえず食事にしようか」
「畏まりました。準備は出来ておりますので、食堂に参りましょう」
部屋を出、しばらく廊下を歩いたところで咲夜はレミリアに話しかける。
「お嬢様。パチュリー様から話しておいて欲しいと頼まれた事があるのですが、今よろしいですか?」
「どうしたの?」
「その……お嬢様の力の事なんですが」
非常に気まずそうに、咲夜が言う。
それでも目を逸らさないのは、さすがと言った所か。
……2ヶ月前、咲夜の治癒に使った霊力と吸血鬼に備わった治癒力の一部。
一時的にとは言えそれを大きくすり減らすことになったレミリアは、外見こそ1ヶ月で戻ったものの、力の全てはまだ戻っていなかった。
「パチェの話だと、戻るのにあと2年くらいだっけ?」
「はい」
「それが、どうしたの? 完全ではないといえ、人間が来たところで問題はないのだけど」
「えぇ、ですが心配だからとか……まぁ、結局はパチュリー様が行きたいだけなのでしょうけど」
「行きたい? どこに?」
「ここより静かで、黙っていれば力が戻るまで誰にも手出しされないようなところだそうです」
それを聞いて、レミリアは眉間に皺を寄せる。
「そんなところ、楽しい?」
「……それが、ここに居る人間とは比べ物にならないほど強い人間もいるだろうとも仰りました」
「へぇ……」
レミリアの表情が一気に変わった。
まるで、今までよりもより玩具を見つけた子供のような笑みを浮かべ。
「それで、私たちだけで行くの?」
「いえ、今館ごと移す方法を探していて、もうすぐ何とかなるそうです」
「さすが、パチェね。……行きましょうか。ここらの歯向かう人間には、もううんざりだし」
トントン、と可愛らしくスキップをして、レミリアは食堂の扉の前に立つ。
そしてそれを開いた後で後ろを歩く咲夜の方を見て、訊ねた。
「それで、そこは、何と呼ばれているのかしら?」
「大結界の中にあり、この世界で失われた幻想が行き着く場所……確か呼び名は――――
or
...prologue?
プロローグ編はけっこうあったのですが、なかなか物語の骨がしっかりしてると思います。
オリキャラがちょっとあれだったので10点引かせてもらいましたがおもしろかったです。
楽しませてもらいました。
もう二度と自分を見失わず在れるのでしょうね。
素敵な物語でした。
レミリアがカリスマ溢れまくってて……ご、後光がっ!!!
暢気すぎる美鈴がツボったっ。
カリスマ駄々漏れのレミリア様が素敵過ぎ。
小悪魔可愛いよ子悪魔。美鈴も可愛いよ美鈴も。
キャラが生き生きしててもう最高です。ってこぁ食われちゃったよこぁ。
中身もしっかり、確かな満足でした。
……そう言えば最近ス○ッカーズ食ってないなぁ(ぉ
そのせいでレミ様や美鈴の戦闘シーンもごく平凡なものとなってしまい、刺激も何も感じませんでした。オリキャラも一つの形とするならば、それなりのキャラ設定とある程度の活躍の必要があると私は思っています。
それを除けばよい作品だと思います。おとぼけ咲夜さんはまさに私のイメージにピッタリでした。
上の批評は私個人の意見ですので、あくまで参考程度にしてください。
これからもがんばってください。
うーん、オリキャラじーさんのかませっぷりがなんとも。20年前の認識のズレは1でほのめかしてましたけど、レミ様と一緒に「はぁ?」って言っちゃいましたよ。思わず。
小悪魔の受けっぷりもディモールト・ベネ。パチェがいつもより健康的に見えます。つまり普通。パチェ萌え。
ただ、咲夜さんのジャック憑きはもうちょっと前半で出しといた方がよかったかも。急に二重人格になったみたいで妙な気がしました。