*本作は『おぺれーしょん・かうんとだうん』(作品集22~)のエピローグにあたります。
10月19日 10:43
「まあ、『アフター・ゼロ』なんて言っても、ロケットが帰ってくるまでは、特に何もないんだけど」
「むしろアフター・カーニバルって感じだな。祭りの後。……後の祭り?」
紅魔館の大図書館。パチュリーと魔理沙は閲覧用テーブルを挟んでいた。
あの戦いが終わってからずっと、魔理沙は紅魔館に逗留していた。箒が壊れてて飛べないし、飛べなきゃ湖を越せないじゃないか――というのが彼女の主張だったが、実際のところは、剣呑な連中がいなくなった紅魔館でのんびり過ごしたいだけだったのだろう。箒の修理もそこそこに、図書館に入り浸っているのだから、周囲からもバレバレだった。
お構いなしに、今日も魔理沙は蔵書を漁っている。
その向かい側でパチュリーが広げているのは、文々。新聞だった。一昨日の昼に館の窓をぶち破って届けられたものだ。二日かけてメイドたちの間で回し読みされ、今日になってやっと図書館まで到達したのである。
一面記事を飾るのは、あの夜の出来事だった。ロケットの打ち上げ成功と、それにまつわる戦闘のことが、ほぼ同じ割合で紙面を分けている。
別面に関連記事もあり、そこには上白沢慧音の短いコメントや、なぜか頭から布団をかぶって震えている戦災難民みたいな姿の霊夢の写真などが載せられていた。
ひと渡り目を通すと、パチュリーは何の感動もない表情で新聞をたたみ、テーブルの中央へ放った。それから書架の林の奥へ呼びかける。
「いま何時かしら?」
「四十五分だな」
答えたのは目の前の魔理沙だった。
パチュリーは瞬きし、そして不意に頬を薄い紅に染めた。小悪魔がいないことを思い出したのだ。
魔理沙が本の向こうで含み笑いを漏らす。
「まだ慣れないんだな。ま、私も早いところ戻ってきてほしいんだが」
ぽりぽりと、魔理沙は頭を掻く。金色の髪に、トレードマークである黒い帽子は載っていない。小悪魔に預けておいたところ、そのまま月へと連れて行かれてしまったのだ。
これを知ったとき、魔理沙は腹を立てたりはしなかった。むしろ愉快げに肩をすくめ、気が利くと小悪魔を褒めた。
「月へ行った帽子なんて、それをかぶって寝たら、スケールのでかい夢を見られそうじゃないか」
妙なことを考えるものだと、パチュリーなどは思う。でも、そういう発想は嫌いじゃない。
思い出し笑いを隠しながら席を立つ。
「そろそろお出かけか? できれば私もついていってやりたいところなんだが、いやあ残念だ」
「護衛なら美鈴で十分よ。それより別の理由で、あなたを残していくのは不安なんだけど」
半眼で、テーブルの上に積み上げられた本の山を見渡す。
「私が戻るまでには、ちゃんと片付けておくのよ?」
「おーけー、まかせな」
とても任せる気にはなれない生返事だった。
パチュリーは力いっぱい後ろ髪を引かれながらも、やむなく図書館を後にした。
『 “捕虜交換、滞りなく終わる”
10月19日、先の紅魔館・永遠亭間で起きた大規模な紛争(通称「十六夜事変」)の戦後処理の一環として、両陣営間で捕虜交換協定が結ばれ、即日、交換が行われた。
調印は紅魔館臨時代表のパチュリー・ノーレッジ氏と永遠亭の軍政担当、八意永琳氏の間で行われ、調印式及び捕虜交換には上白沢慧音氏が調停役として立ち会った。場所は博麗神社。
当初、調停役は博麗神社の巫女・博麗霊夢氏に依頼されるはずであったが、同氏が風邪で出席できなかったため、紛争にも関わることなく中立的立場をとっていた上白沢氏に急遽バトンが渡されることとなった次第。
引き渡された捕虜は紅魔館側が16名、永遠亭側が22名。いずれにも死者、重傷者や病人はないという。
我が家へと帰った少女たちは、
「いやあ、向こうではのんびりさせてもらってました。鬼のメイド長もいないし」(紅魔館所属メイド)
「あっちの食事って、ちょっと脂っこいのが多かったけど。とても美味しかったですよー。また行きたいなぁ」(永遠亭所属兎)
と、意外にも敵陣営に対して好意的な感想を持っていた。外の世界で言うストックホルム症候群に似た心理現象であろうか。違うか。
しかし、やはり捕虜となった紅魔館のメイド、キッチン3さん(仮名)などは、
「向こうでレシピをいくつか教えてあげたんです。あ、私、紅魔館では調理担当なんで。そしたらお土産に搗きたての餅をくれたんですよ」
と交流の度合いを具体的にアピールしている。このことから両陣営の間にわだかまりは少ないと見られ、懸念されている紛争の再発は杞憂に終わるかもしれない。 (射命丸 文)』
10月20日 04:32
「着陸予定地点に障害発見。距離五〇〇〇」
「排除する。主砲発射用意。弾種、徹甲」
「装填完了……って、あの、ほんとにやるんですか?」
「当然。咲夜、脱出の手はずはいいわね」
「完璧ですわ」
「アームストロング砲改、照準よろし。セーフティ解除」
大きく息を吸って、
「てーっ!」
砲声。
『 “未明の衝撃、月ロケット帰還”
10月20日4時33分、紅魔館の月往還船「ディープパープル2号」が永遠亭そばの竹林に不時着した。
これにより同船は大破、また衝撃と飛散した破片によるものか、永遠亭の母屋が半壊した。搭乗員は全員無事の模様で、永遠亭側にも死傷者などは確認されていない。
紅魔館月旅行計画委員会が発表した当初の予定では、ロケットは帰還時、紅魔館南の湖に着水するものとなっていた。それが大きく針路をはずれた原因について、委員会は調査中とのみコメントしている。
17日に起きた、このロケット打ち上げを巡っての大攻防戦は記憶に新しい。永遠亭に損害を与えるような着陸方法について恣意的なものがあったのではないかという疑惑に対し、帰還した紅魔館の主、レミリア・スカーレット氏は疲労を理由に取材を拒否した。後日、あらためて会見の場を設けるという。 (射命丸 文)』
同日 07:23
「レミリアたちが帰ってきたって?」
ベッドの上で目をこすりつつ、魔理沙は起き抜けにもたらされた情報をオウム返しに言った。
彼女はまだ紅魔館にとどまっていた。曲がりなりにもあの空戦のエースである。ロイヤルスイート並の客室と豪華な食事を与えられ、好きなときに読書三昧、懸念といえば体重がちょっと増えるかもというそれだけの、霊夢が聞けば羨望のあまり山姥と化してしまいかねない贅沢な日々を送っていた。
どうやらそれも、今日で終わりらしい。
天蓋付きのベッドで上半身を起こした魔理沙を見守るのは、幼いメイド――あの夜のチェンバー4だった。
チェンバーメイド、客室担当メイド。魔理沙がその意味を思い出したのは、初めてこの部屋に案内されたときだった。
この部屋が担当だという彼女と、この数日で親しく軽口さえ交わすくらいの間柄となりながら、未だ魔理沙はチェンバー4の本名を知らないでいた。今更、という気もする。そんな関係があったっていいじゃないか、とも。
「皆様、食堂にお集まりですよ」
「それじゃあ、朝食がてら、土産話でも聞かせてもらおうかな」
ベッドから飛び降りると、魔理沙は借り物であるシルクのネグリジェを手早く脱ぎ捨てた。
☆
「それでね、月の兎ってば、すんごいふわふわしてたのよ。触ってもいいって看板に書いてあったから、抱いてみたんだけど。これがもうふわふわのもこもこで、すぐ壊れちゃいそうだったわ」
食堂は朝から紅かった。
円卓を囲んで、スカーレット姉妹、パチュリー、魔理沙、そしてなぜかチルノが着席している。それぞれの椅子の後方には、咲夜、小悪魔、チェンバー4が控えていた。
食事もあらかた終わり、各人の前には紅茶が用意されていた。チルノのだけはストローを挿したアイスティーだ。透明なグラスに氷が浮いている様は傍から見て、ものすごく寒かったが、当のチルノは上機嫌でストローを咥えている。
茶請けの話題は、もちろん月旅行について。もっぱら話しているのはフランドールだった。
「泊まったホテルはいまいちだったけれど。なんたら花月だっけ、咲夜?」
「え……ええ、左様でございますわ」
相槌を打つ咲夜は、どことなくぼんやりとしていた。
よくよく観察すると、他の月帰りの面子も、どことなく様子がおかしい。レミリアは渋い表情であさっての方角を睨み、小悪魔は血の気に乏しい顔でさっきから俯きっぱなしだった。
ティースプーンを振り回しながら饒舌に語るフランドールを、魔理沙は紅茶をすすりながら見つめる。苦い。
「あ、そうだ。お土産があるのよ。咲夜、持ってきて」
「はい……」
なぜだか悄然と、咲夜は丁寧に包装された箱をテーブルに置いた。
高級感のにじむ浅黄色の包装紙には、「銘菓 萩○月」の文字。
魔理沙はしばしそれを見つめ、おもむろに顔を上げる。
「あのさ……ひとつ訊きたいんだが」
びくりと。フランドールを除く月帰りたちの肩が震えた。
にわかに押し寄せてくる重圧感に、しかし我らが魔理沙はへこたれない。不退転の勇気でもって続きを口にした。
「お前ら、どこに行ってきたんだ?」
08:13
「あの……師匠、いまなんと?」
鈴仙は思わず、ずいっと身を乗り出していた。
あの戦いで手ひどいダメージを受け、彼女はここ数日、布団から動けない状態だった。今朝方から体はどうにか動くようになったものの、まだ喉が痛み、耳にもあの夜の擾乱の残滓がこびりついている。
しかし、今の彼女はそんな身体の不調も忘れていた。
永遠亭奥部、八意永琳の私室。東側の壁は大きく開けていて、朝の陽射しと風とが必要以上に部屋へ侵入してくる。未明に起きたロケット不時着の影響で、壁に大穴が開いてしまったのだ。
だが鈴仙が驚いているのは、そんなことについてではない。もっと衝撃的な事実を、眼前で渋茶をすすっている永琳の口から聞かされたのだ。
「私たちが邪魔するまでもなく、ロケットの打ち上げは必ず失敗していた――そうおっしゃったのですか?」
「ちょっと違うわね。戦力を送り込み、さらに戦術的勝利を収めなくても構わなかった、そう言ったの」
「どう違うんですか?」
「紅魔館の計画を破滅に導く手は、戦端が開かれる前から既に打ってあったということよ」
永琳が説明するところはこうだ。
紅魔館のロケット計画を知ったときから、彼女はある術の準備を進めていた。俗に永夜異変と呼ばれるときに用いた、地上の密室の術、その応用である。
ひとたびそれを起動させれば、月と地上とは隔絶される。博麗大結界とはまったく異なる方式によって。仮にロケットが打ち上げられ、大結界を突破したとしても、絶対に月へ至ることはできないのだ。
決戦の夜よりずっと前に、永琳は術の布石を整え終えていた。そしていよいよという時を迎えると、彼女は鈴仙たちを先に戦場へ遣り、自らは永遠亭に残って最終起動式を組んだのであった。
「そんな……どうして、教えてくれなかったんです?」
「あなたねえ、私が無為に時を浪費していたと、本気で信じていたの? 戦力の逐次投入なんていう戦略的な愚を犯してまで行わねばならなかった私の『準備』が、どのようなものだったのか、欠片ほども察することができなかった?」
突っ込み返されて、鈴仙は言葉に詰まる。耳をややしおれさせ、それでもまだ言い募った。
「そ、それじゃ、どうして私たちが戦わなくてはならなかったんですか? 師匠だって後から出てきて下さったじゃないですか」
「それはもちろん、カムフラージュのためよ。こちらがロケット計画を感知していることは、敵も気付いていた。なのに全く動きを見せなかったら、かえって怪しまれ、ともすれば術の存在をも看破されかねないでしょ。それを隠すため、大々的に兵を動かし、こちらが力でもって阻止を図っていると思い込ませたのよ」
鈴仙はぐうの音も出なくなった。
耳をへたれさせ、畳の目を数えはじめた彼女を見下ろしながら、永琳はずずずと湯呑みを鳴らす。
「それに、武力で制圧したほうが、対外的にも分かりやすいでしょ? どっちが勝者なのか」
「はあ……」
「まあ、結局は打ち上げを許してしまったんだけど。でも却って精神的なダメージを与えられたはずよ。何しろロケットの軌道は私の思うがまま、その気になれば永遠に宇宙をさまようデブリにしてやることもできたんだから。それは本意じゃなかったから、適当な場所を選んで降ろしてあげたんだけどね。そのことを知ったとき、連中がどんな顔をしたかと思うと……ふふ、震えちゃわない?」
「…………」
「まあ、それでこんな報復手段に訴えてくることまでは予期できなかったけれど。まさか迫撃特攻とはねえ。それだけ腹に据えかねたみたいね」
「ですね……」
「兵は詭道なり、とは言うけれど。あなたたちも欺いたのは確かに悪かったわね。謝っておくわ」
「いえ……」
鈴仙は魂を抜かれたかのような力ない返事を繰り返すばかり。寝起きに聞かされるには、いささか刺激の強すぎる話だったらしい。
「疲れてるようね。戻って、また休んだらどう?」
「そうします……」
師の許可をもらい、鈴仙はふらふらと退室した。
部屋の前では、てゐが壁にもたれかかっていた。
自分を待っていたのだろうか。鈴仙はぼんやりと思い、それからある可能性を思いつく。
「てゐは、知ってたの?」
「ちょっとは引っかかるところもあったんだけどね。真相にまでは思い至らなかったよ」
目的語がなくてもちゃんと通じたあたり、聞き耳を立てていたのかもしれない。
「あの悪党面……このてゐちゃんを謀るなんて、なめた真似を。いつか泣かせてやるんだから」
「そういうことは思っても口にしない方がいいよ。師匠、どこで耳をそばだてているか分からないから」
苦笑気味にたしなめていると、ふとてゐがこちらをじっと見つめてきた。
「ん?」
「うん、いや、別に。元気になったみたいだなーって」
「あ、心配かけたね。ごめんね」
「心配なんてしてないけど」
ぷいっとそっぽを向くと、てゐは跳ねるように駆け出し、通路の奥、ロケット不時着で開いた穴から外へと消えていった。
入れ替わって、通路の反対側から、ちょっとぽっちゃりしたイナバが駆けてくる。
「鈴仙さん、ここだったですか」
廊下に響く馬鹿でかい声に、鈴仙は耳をぺたりと倒した。
「ど、どうしたの?」
「お客様です。白玉楼の妖夢さん」
「え……?」
「お見舞いらしいです。昨日も来てたですが、鈴仙さん、寝てたですから」
妖夢の名を聞いて、鈴仙の脳裏にあの晩の光景がまざまざとよみがえった。多くの仲間たちと共に戦った、短くも永い一夜。こんな不出来な指揮官の下で、みんなよく働いてくれた。そして敵も、皆が勇猛さをぶつけるに相応しい相手だった。
それから永琳の話を思い出し、鈴仙の気持ちは沈む。聞かされた真実は、あの戦いの意義を揺るがすものではないのかもしれない。それでもやはり、人に明かすべきことではないように思えた。
このことは自分の胸の内にとどめておこう。きっとてゐも、よそに言いふらしたりはしないだろう。あの子もその辺りはわきまえているはずだ。
いずれにせよ妖夢には礼を伝えなければ。そしてもし、いつか彼女が窮地に陥ることがあれば、必ず力を貸すと約束しよう。
そこで鈴仙は、はたと気付いた――そうとも、やはりあの戦いには大きな意味があったんだ。
背中を預けるに値する友を得たこと。それ以上に価値のあることなんて、長い人生においても滅多に見つからないだろうから。
☆
鈴仙の去った永琳の私室には、替わって輝夜が訪れていた。
永琳は姫に上座を譲り、お茶を淹れる。
「弟子を持つというのも大変そうね。何かと気を遣って」
涼風の中に立ち上る湯気を見つめ、にっこりと輝夜は言った。
「そうでもありませんよ。私は楽しんでいますから」
「そう? でもあなた、あのイナバにもうひとつ隠してるでしょ?」
「追い追い教えますよ。そのうちに」
永琳はしれっと答え、それに輝夜はまた笑った。永遠を生きる者が口にする「そのうちに」なんて、悪い冗談としか思えない。
先刻、鈴仙に明かさなかったこと。
それは、「紅魔館のロケットが月に届いたところで、永遠亭には何の不利益もない」という事実。
鈴仙を含む、おそらく全ての兎たちは、ロケットの打ち上げ阻止が至上の命題だと信じていた。もしロケットが月に着けば、向こうの住人に幻想郷に隠れ住む輝夜たちのことが知られるかもしれないから。そうなれば確実に追っ手が掛かるだろうから。
だが、それがどうしたというのだ――永琳は思う。
潜伏地点を特定されたところで、月の住人が幻想郷に入れないことは覆せないのだ。よしんば侵入できたとして――彼の者たちに成せるのは、屍の山を築くという過去の過ちを再現することのみ。
ではなぜ、手間を掛けて計画を阻止しなければならなかったのか。
問われれば、少なくとも永琳には確固たる理由があった。
むしろ政治的な理由である。
永夜異変の際、永遠亭は外部の者に殴り込みを受け、思いがけず脆弱な姿をさらしてしまった。
その汚名を雪ぎ、幻想郷における永遠亭の地位を確立する機会を、永琳はずっと窺ってきた。なにせ幻想郷の連中とは、今後永い付き合いとなるであろうから。
雌伏の時の末、とうとうやって来たその好機が、紅魔館の月ロケット計画だったのである。
紅魔館は幻想郷における一大勢力であり、これと対等以上に渡り合うことができれば、永遠亭の大きなアピールとなる。
おまけに紅魔館の主従は、かつて永遠亭で暴れた連中の片割れでもあった。これは報復の機会も同時に得たということでもある。
この絶好の機会を逃すことこそ、ありえないものだった。永琳は密かに政略を定め、それを基に辛辣極まる戦略を練り上げたのである。
「このことをあのイナバが知ったら、どうなるかしらね?」
「それはまあ、納得しかねると怒るでしょう。そんな理由でみんなを危険な目に遭わせたのかと。身体に障ることもあって、だから告げなかったんです」
「あら優しいこと。でも……怒らせて、それで終わり? 師の考えを理解、浸透させないまま? 実益のない感傷に浸ることを許しておくのかしら」
「ええ、それで構いませんとも」
きっぱりと、永琳は言う。
「成長のための材料は与えます。それを糧にどう育つかは、本人の資質次第ですからね」
「矯正はしない、と。ずいぶんと寛大になったものね」
「私に自分のコピーを残す意味なんてありませんから。弟子といっても、私が欲しいのは、私の教えから新しい道を模索してくれるタイプのものです。いっそ、いつか私の寝首を掻こうとするくらいになってくれればとさえ思っています」
「なるほど、それは面白いかもね。でも、もしそうなったら、そのときは――私があの子を殺すわよ?」
「ご随意に。それもまた結果ですから」
これもまた実験であり、鈴仙も一個の観察対象でしかない。そう受け取れる永琳の言だった。
だが、言い切った彼女の手の中で、湯呑みの表面に小さなさざなみが立ったのを、輝夜は見逃さなかった。
08:31
「じゃあ、なんだ。永琳にまんまと一杯くわされたってわけか」
それがとどめだった。
「くっ……」
「くっくっ……」
「ふっふっふっ……」
レミリア、咲夜、小悪魔、パチュリーが俯いたまま肩を揺すりはじめた。前髪がその目元を隠しているが、口の端が不気味な形に吊り上がっていることは窺える。
低く重い、地獄の底から染み出してくるかのような、亡者どもの唸りを思わせるようなおどろおどろしい笑い声が、その口から漏れ出ていた。
「奴ら……次こそは……」
「やっぱりぶち込むのは重榴弾が良かったか……」
「この恨み晴らさでおくべきものですか……」
「クーックックック……」
彼女らの豹変に、それまで話の流れについて来られないでいたチルノもさすがにびびり、咥えていたストローをぽろりと落とした。
フランドールは黄色い満月に似た形のお菓子をかじりつつ、小鳥のように首をかしげている。
爽やかな朝餉の時間は失われ、終末の晩餐へと様相を転じる。禁忌のスイッチを押した当人である魔理沙は、そそくさと席を辞した。
「さてそろそろお暇するぜじゃあな」
「あ、お見送りしますっ」
「ちょ、待ってよ、置いてかないでー」
すたすた早足で出口へ向かう彼女を、チェンバー4とチルノが慌てて追った。
☆
魔理沙たちは玄関に出て、陽の光の下に立った。屋外ともなれば、紅魔館全体を包む瘴気も、若干は薄らぐ。
三人とも申し合わせていたかのように空を仰ぐ。秋の蒼穹はどこまでも高く、薄い雲たちが身軽に泳いでいる。
彼女らの視線はしばらく遠い果てへと向けられていた。今は隠れている月の姿を、それでも求めるかのように。
ややあって、魔理沙は顎を引き、小悪魔から返してもらった帽子を頭に乗せた。涼しい影が鼻の上に落ちる。
正門までは遠く、その道のりは複雑怪奇。まともに歩く気にはなれず、箒にまたがろうとしていると、門の上空から美鈴が降りてきた。
「やっと帰るのね」
「おう、お帰りだ。そっちも元気になったみたいだな」
「またあんたが押し入ってくるのに備えなくちゃいけないからね」
「いい覚悟だ」
ふたりはにやりと笑みを交わし、拳を握ると、軽くぶつけあった。
「次に来られるときは、やっぱり敵なんですか?」
チェンバー4に尋ねられ、魔理沙は帽子をかしげる。
「さて、どうだろうな。そこらへんはパチュリーに訊いてくれ」
ほれお前も、と拳を向けられて、チェンバー4はちょっと戸惑いつつも、自分の拳を重ねた。
「既に次の計画が準備中とか言ってましたね。今度は火星だとかなんとか」
「次はパチュリーも永琳のいいようにはさせんだろうな」
「そのときは私も、ろけっととやらに乗せてもらうんだから。落ちないと分かったからにはこっちのもんよ」
チルノも右手でぐーを作ると、魔理沙の拳にぶつけてきた。あまり意味は分かっていないと思う。
「銘々、また味方になるか、それとも敵になるかは分からないけどな。約束できるのは、その時にはまた、同じ空で会えるだろうってことだけだ」
「それでは、その時まで」
「しばしの解散ということで」
「また来るからねー」
ちょうど吹き付けてきた風に乗って、魔理沙とチルノは宙に浮かんだ。そのまま高々と舞い上げられていく。
高く高くどこまでも。
その彼方にふたりが去っても、チェンバー4と美鈴は、光と風にあふれる空をいつまでも見上げていた。
10月19日 10:43
「まあ、『アフター・ゼロ』なんて言っても、ロケットが帰ってくるまでは、特に何もないんだけど」
「むしろアフター・カーニバルって感じだな。祭りの後。……後の祭り?」
紅魔館の大図書館。パチュリーと魔理沙は閲覧用テーブルを挟んでいた。
あの戦いが終わってからずっと、魔理沙は紅魔館に逗留していた。箒が壊れてて飛べないし、飛べなきゃ湖を越せないじゃないか――というのが彼女の主張だったが、実際のところは、剣呑な連中がいなくなった紅魔館でのんびり過ごしたいだけだったのだろう。箒の修理もそこそこに、図書館に入り浸っているのだから、周囲からもバレバレだった。
お構いなしに、今日も魔理沙は蔵書を漁っている。
その向かい側でパチュリーが広げているのは、文々。新聞だった。一昨日の昼に館の窓をぶち破って届けられたものだ。二日かけてメイドたちの間で回し読みされ、今日になってやっと図書館まで到達したのである。
一面記事を飾るのは、あの夜の出来事だった。ロケットの打ち上げ成功と、それにまつわる戦闘のことが、ほぼ同じ割合で紙面を分けている。
別面に関連記事もあり、そこには上白沢慧音の短いコメントや、なぜか頭から布団をかぶって震えている戦災難民みたいな姿の霊夢の写真などが載せられていた。
ひと渡り目を通すと、パチュリーは何の感動もない表情で新聞をたたみ、テーブルの中央へ放った。それから書架の林の奥へ呼びかける。
「いま何時かしら?」
「四十五分だな」
答えたのは目の前の魔理沙だった。
パチュリーは瞬きし、そして不意に頬を薄い紅に染めた。小悪魔がいないことを思い出したのだ。
魔理沙が本の向こうで含み笑いを漏らす。
「まだ慣れないんだな。ま、私も早いところ戻ってきてほしいんだが」
ぽりぽりと、魔理沙は頭を掻く。金色の髪に、トレードマークである黒い帽子は載っていない。小悪魔に預けておいたところ、そのまま月へと連れて行かれてしまったのだ。
これを知ったとき、魔理沙は腹を立てたりはしなかった。むしろ愉快げに肩をすくめ、気が利くと小悪魔を褒めた。
「月へ行った帽子なんて、それをかぶって寝たら、スケールのでかい夢を見られそうじゃないか」
妙なことを考えるものだと、パチュリーなどは思う。でも、そういう発想は嫌いじゃない。
思い出し笑いを隠しながら席を立つ。
「そろそろお出かけか? できれば私もついていってやりたいところなんだが、いやあ残念だ」
「護衛なら美鈴で十分よ。それより別の理由で、あなたを残していくのは不安なんだけど」
半眼で、テーブルの上に積み上げられた本の山を見渡す。
「私が戻るまでには、ちゃんと片付けておくのよ?」
「おーけー、まかせな」
とても任せる気にはなれない生返事だった。
パチュリーは力いっぱい後ろ髪を引かれながらも、やむなく図書館を後にした。
『 “捕虜交換、滞りなく終わる”
10月19日、先の紅魔館・永遠亭間で起きた大規模な紛争(通称「十六夜事変」)の戦後処理の一環として、両陣営間で捕虜交換協定が結ばれ、即日、交換が行われた。
調印は紅魔館臨時代表のパチュリー・ノーレッジ氏と永遠亭の軍政担当、八意永琳氏の間で行われ、調印式及び捕虜交換には上白沢慧音氏が調停役として立ち会った。場所は博麗神社。
当初、調停役は博麗神社の巫女・博麗霊夢氏に依頼されるはずであったが、同氏が風邪で出席できなかったため、紛争にも関わることなく中立的立場をとっていた上白沢氏に急遽バトンが渡されることとなった次第。
引き渡された捕虜は紅魔館側が16名、永遠亭側が22名。いずれにも死者、重傷者や病人はないという。
我が家へと帰った少女たちは、
「いやあ、向こうではのんびりさせてもらってました。鬼のメイド長もいないし」(紅魔館所属メイド)
「あっちの食事って、ちょっと脂っこいのが多かったけど。とても美味しかったですよー。また行きたいなぁ」(永遠亭所属兎)
と、意外にも敵陣営に対して好意的な感想を持っていた。外の世界で言うストックホルム症候群に似た心理現象であろうか。違うか。
しかし、やはり捕虜となった紅魔館のメイド、キッチン3さん(仮名)などは、
「向こうでレシピをいくつか教えてあげたんです。あ、私、紅魔館では調理担当なんで。そしたらお土産に搗きたての餅をくれたんですよ」
と交流の度合いを具体的にアピールしている。このことから両陣営の間にわだかまりは少ないと見られ、懸念されている紛争の再発は杞憂に終わるかもしれない。 (射命丸 文)』
10月20日 04:32
「着陸予定地点に障害発見。距離五〇〇〇」
「排除する。主砲発射用意。弾種、徹甲」
「装填完了……って、あの、ほんとにやるんですか?」
「当然。咲夜、脱出の手はずはいいわね」
「完璧ですわ」
「アームストロング砲改、照準よろし。セーフティ解除」
大きく息を吸って、
「てーっ!」
砲声。
『 “未明の衝撃、月ロケット帰還”
10月20日4時33分、紅魔館の月往還船「ディープパープル2号」が永遠亭そばの竹林に不時着した。
これにより同船は大破、また衝撃と飛散した破片によるものか、永遠亭の母屋が半壊した。搭乗員は全員無事の模様で、永遠亭側にも死傷者などは確認されていない。
紅魔館月旅行計画委員会が発表した当初の予定では、ロケットは帰還時、紅魔館南の湖に着水するものとなっていた。それが大きく針路をはずれた原因について、委員会は調査中とのみコメントしている。
17日に起きた、このロケット打ち上げを巡っての大攻防戦は記憶に新しい。永遠亭に損害を与えるような着陸方法について恣意的なものがあったのではないかという疑惑に対し、帰還した紅魔館の主、レミリア・スカーレット氏は疲労を理由に取材を拒否した。後日、あらためて会見の場を設けるという。 (射命丸 文)』
同日 07:23
「レミリアたちが帰ってきたって?」
ベッドの上で目をこすりつつ、魔理沙は起き抜けにもたらされた情報をオウム返しに言った。
彼女はまだ紅魔館にとどまっていた。曲がりなりにもあの空戦のエースである。ロイヤルスイート並の客室と豪華な食事を与えられ、好きなときに読書三昧、懸念といえば体重がちょっと増えるかもというそれだけの、霊夢が聞けば羨望のあまり山姥と化してしまいかねない贅沢な日々を送っていた。
どうやらそれも、今日で終わりらしい。
天蓋付きのベッドで上半身を起こした魔理沙を見守るのは、幼いメイド――あの夜のチェンバー4だった。
チェンバーメイド、客室担当メイド。魔理沙がその意味を思い出したのは、初めてこの部屋に案内されたときだった。
この部屋が担当だという彼女と、この数日で親しく軽口さえ交わすくらいの間柄となりながら、未だ魔理沙はチェンバー4の本名を知らないでいた。今更、という気もする。そんな関係があったっていいじゃないか、とも。
「皆様、食堂にお集まりですよ」
「それじゃあ、朝食がてら、土産話でも聞かせてもらおうかな」
ベッドから飛び降りると、魔理沙は借り物であるシルクのネグリジェを手早く脱ぎ捨てた。
☆
「それでね、月の兎ってば、すんごいふわふわしてたのよ。触ってもいいって看板に書いてあったから、抱いてみたんだけど。これがもうふわふわのもこもこで、すぐ壊れちゃいそうだったわ」
食堂は朝から紅かった。
円卓を囲んで、スカーレット姉妹、パチュリー、魔理沙、そしてなぜかチルノが着席している。それぞれの椅子の後方には、咲夜、小悪魔、チェンバー4が控えていた。
食事もあらかた終わり、各人の前には紅茶が用意されていた。チルノのだけはストローを挿したアイスティーだ。透明なグラスに氷が浮いている様は傍から見て、ものすごく寒かったが、当のチルノは上機嫌でストローを咥えている。
茶請けの話題は、もちろん月旅行について。もっぱら話しているのはフランドールだった。
「泊まったホテルはいまいちだったけれど。なんたら花月だっけ、咲夜?」
「え……ええ、左様でございますわ」
相槌を打つ咲夜は、どことなくぼんやりとしていた。
よくよく観察すると、他の月帰りの面子も、どことなく様子がおかしい。レミリアは渋い表情であさっての方角を睨み、小悪魔は血の気に乏しい顔でさっきから俯きっぱなしだった。
ティースプーンを振り回しながら饒舌に語るフランドールを、魔理沙は紅茶をすすりながら見つめる。苦い。
「あ、そうだ。お土産があるのよ。咲夜、持ってきて」
「はい……」
なぜだか悄然と、咲夜は丁寧に包装された箱をテーブルに置いた。
高級感のにじむ浅黄色の包装紙には、「銘菓 萩○月」の文字。
魔理沙はしばしそれを見つめ、おもむろに顔を上げる。
「あのさ……ひとつ訊きたいんだが」
びくりと。フランドールを除く月帰りたちの肩が震えた。
にわかに押し寄せてくる重圧感に、しかし我らが魔理沙はへこたれない。不退転の勇気でもって続きを口にした。
「お前ら、どこに行ってきたんだ?」
08:13
「あの……師匠、いまなんと?」
鈴仙は思わず、ずいっと身を乗り出していた。
あの戦いで手ひどいダメージを受け、彼女はここ数日、布団から動けない状態だった。今朝方から体はどうにか動くようになったものの、まだ喉が痛み、耳にもあの夜の擾乱の残滓がこびりついている。
しかし、今の彼女はそんな身体の不調も忘れていた。
永遠亭奥部、八意永琳の私室。東側の壁は大きく開けていて、朝の陽射しと風とが必要以上に部屋へ侵入してくる。未明に起きたロケット不時着の影響で、壁に大穴が開いてしまったのだ。
だが鈴仙が驚いているのは、そんなことについてではない。もっと衝撃的な事実を、眼前で渋茶をすすっている永琳の口から聞かされたのだ。
「私たちが邪魔するまでもなく、ロケットの打ち上げは必ず失敗していた――そうおっしゃったのですか?」
「ちょっと違うわね。戦力を送り込み、さらに戦術的勝利を収めなくても構わなかった、そう言ったの」
「どう違うんですか?」
「紅魔館の計画を破滅に導く手は、戦端が開かれる前から既に打ってあったということよ」
永琳が説明するところはこうだ。
紅魔館のロケット計画を知ったときから、彼女はある術の準備を進めていた。俗に永夜異変と呼ばれるときに用いた、地上の密室の術、その応用である。
ひとたびそれを起動させれば、月と地上とは隔絶される。博麗大結界とはまったく異なる方式によって。仮にロケットが打ち上げられ、大結界を突破したとしても、絶対に月へ至ることはできないのだ。
決戦の夜よりずっと前に、永琳は術の布石を整え終えていた。そしていよいよという時を迎えると、彼女は鈴仙たちを先に戦場へ遣り、自らは永遠亭に残って最終起動式を組んだのであった。
「そんな……どうして、教えてくれなかったんです?」
「あなたねえ、私が無為に時を浪費していたと、本気で信じていたの? 戦力の逐次投入なんていう戦略的な愚を犯してまで行わねばならなかった私の『準備』が、どのようなものだったのか、欠片ほども察することができなかった?」
突っ込み返されて、鈴仙は言葉に詰まる。耳をややしおれさせ、それでもまだ言い募った。
「そ、それじゃ、どうして私たちが戦わなくてはならなかったんですか? 師匠だって後から出てきて下さったじゃないですか」
「それはもちろん、カムフラージュのためよ。こちらがロケット計画を感知していることは、敵も気付いていた。なのに全く動きを見せなかったら、かえって怪しまれ、ともすれば術の存在をも看破されかねないでしょ。それを隠すため、大々的に兵を動かし、こちらが力でもって阻止を図っていると思い込ませたのよ」
鈴仙はぐうの音も出なくなった。
耳をへたれさせ、畳の目を数えはじめた彼女を見下ろしながら、永琳はずずずと湯呑みを鳴らす。
「それに、武力で制圧したほうが、対外的にも分かりやすいでしょ? どっちが勝者なのか」
「はあ……」
「まあ、結局は打ち上げを許してしまったんだけど。でも却って精神的なダメージを与えられたはずよ。何しろロケットの軌道は私の思うがまま、その気になれば永遠に宇宙をさまようデブリにしてやることもできたんだから。それは本意じゃなかったから、適当な場所を選んで降ろしてあげたんだけどね。そのことを知ったとき、連中がどんな顔をしたかと思うと……ふふ、震えちゃわない?」
「…………」
「まあ、それでこんな報復手段に訴えてくることまでは予期できなかったけれど。まさか迫撃特攻とはねえ。それだけ腹に据えかねたみたいね」
「ですね……」
「兵は詭道なり、とは言うけれど。あなたたちも欺いたのは確かに悪かったわね。謝っておくわ」
「いえ……」
鈴仙は魂を抜かれたかのような力ない返事を繰り返すばかり。寝起きに聞かされるには、いささか刺激の強すぎる話だったらしい。
「疲れてるようね。戻って、また休んだらどう?」
「そうします……」
師の許可をもらい、鈴仙はふらふらと退室した。
部屋の前では、てゐが壁にもたれかかっていた。
自分を待っていたのだろうか。鈴仙はぼんやりと思い、それからある可能性を思いつく。
「てゐは、知ってたの?」
「ちょっとは引っかかるところもあったんだけどね。真相にまでは思い至らなかったよ」
目的語がなくてもちゃんと通じたあたり、聞き耳を立てていたのかもしれない。
「あの悪党面……このてゐちゃんを謀るなんて、なめた真似を。いつか泣かせてやるんだから」
「そういうことは思っても口にしない方がいいよ。師匠、どこで耳をそばだてているか分からないから」
苦笑気味にたしなめていると、ふとてゐがこちらをじっと見つめてきた。
「ん?」
「うん、いや、別に。元気になったみたいだなーって」
「あ、心配かけたね。ごめんね」
「心配なんてしてないけど」
ぷいっとそっぽを向くと、てゐは跳ねるように駆け出し、通路の奥、ロケット不時着で開いた穴から外へと消えていった。
入れ替わって、通路の反対側から、ちょっとぽっちゃりしたイナバが駆けてくる。
「鈴仙さん、ここだったですか」
廊下に響く馬鹿でかい声に、鈴仙は耳をぺたりと倒した。
「ど、どうしたの?」
「お客様です。白玉楼の妖夢さん」
「え……?」
「お見舞いらしいです。昨日も来てたですが、鈴仙さん、寝てたですから」
妖夢の名を聞いて、鈴仙の脳裏にあの晩の光景がまざまざとよみがえった。多くの仲間たちと共に戦った、短くも永い一夜。こんな不出来な指揮官の下で、みんなよく働いてくれた。そして敵も、皆が勇猛さをぶつけるに相応しい相手だった。
それから永琳の話を思い出し、鈴仙の気持ちは沈む。聞かされた真実は、あの戦いの意義を揺るがすものではないのかもしれない。それでもやはり、人に明かすべきことではないように思えた。
このことは自分の胸の内にとどめておこう。きっとてゐも、よそに言いふらしたりはしないだろう。あの子もその辺りはわきまえているはずだ。
いずれにせよ妖夢には礼を伝えなければ。そしてもし、いつか彼女が窮地に陥ることがあれば、必ず力を貸すと約束しよう。
そこで鈴仙は、はたと気付いた――そうとも、やはりあの戦いには大きな意味があったんだ。
背中を預けるに値する友を得たこと。それ以上に価値のあることなんて、長い人生においても滅多に見つからないだろうから。
☆
鈴仙の去った永琳の私室には、替わって輝夜が訪れていた。
永琳は姫に上座を譲り、お茶を淹れる。
「弟子を持つというのも大変そうね。何かと気を遣って」
涼風の中に立ち上る湯気を見つめ、にっこりと輝夜は言った。
「そうでもありませんよ。私は楽しんでいますから」
「そう? でもあなた、あのイナバにもうひとつ隠してるでしょ?」
「追い追い教えますよ。そのうちに」
永琳はしれっと答え、それに輝夜はまた笑った。永遠を生きる者が口にする「そのうちに」なんて、悪い冗談としか思えない。
先刻、鈴仙に明かさなかったこと。
それは、「紅魔館のロケットが月に届いたところで、永遠亭には何の不利益もない」という事実。
鈴仙を含む、おそらく全ての兎たちは、ロケットの打ち上げ阻止が至上の命題だと信じていた。もしロケットが月に着けば、向こうの住人に幻想郷に隠れ住む輝夜たちのことが知られるかもしれないから。そうなれば確実に追っ手が掛かるだろうから。
だが、それがどうしたというのだ――永琳は思う。
潜伏地点を特定されたところで、月の住人が幻想郷に入れないことは覆せないのだ。よしんば侵入できたとして――彼の者たちに成せるのは、屍の山を築くという過去の過ちを再現することのみ。
ではなぜ、手間を掛けて計画を阻止しなければならなかったのか。
問われれば、少なくとも永琳には確固たる理由があった。
むしろ政治的な理由である。
永夜異変の際、永遠亭は外部の者に殴り込みを受け、思いがけず脆弱な姿をさらしてしまった。
その汚名を雪ぎ、幻想郷における永遠亭の地位を確立する機会を、永琳はずっと窺ってきた。なにせ幻想郷の連中とは、今後永い付き合いとなるであろうから。
雌伏の時の末、とうとうやって来たその好機が、紅魔館の月ロケット計画だったのである。
紅魔館は幻想郷における一大勢力であり、これと対等以上に渡り合うことができれば、永遠亭の大きなアピールとなる。
おまけに紅魔館の主従は、かつて永遠亭で暴れた連中の片割れでもあった。これは報復の機会も同時に得たということでもある。
この絶好の機会を逃すことこそ、ありえないものだった。永琳は密かに政略を定め、それを基に辛辣極まる戦略を練り上げたのである。
「このことをあのイナバが知ったら、どうなるかしらね?」
「それはまあ、納得しかねると怒るでしょう。そんな理由でみんなを危険な目に遭わせたのかと。身体に障ることもあって、だから告げなかったんです」
「あら優しいこと。でも……怒らせて、それで終わり? 師の考えを理解、浸透させないまま? 実益のない感傷に浸ることを許しておくのかしら」
「ええ、それで構いませんとも」
きっぱりと、永琳は言う。
「成長のための材料は与えます。それを糧にどう育つかは、本人の資質次第ですからね」
「矯正はしない、と。ずいぶんと寛大になったものね」
「私に自分のコピーを残す意味なんてありませんから。弟子といっても、私が欲しいのは、私の教えから新しい道を模索してくれるタイプのものです。いっそ、いつか私の寝首を掻こうとするくらいになってくれればとさえ思っています」
「なるほど、それは面白いかもね。でも、もしそうなったら、そのときは――私があの子を殺すわよ?」
「ご随意に。それもまた結果ですから」
これもまた実験であり、鈴仙も一個の観察対象でしかない。そう受け取れる永琳の言だった。
だが、言い切った彼女の手の中で、湯呑みの表面に小さなさざなみが立ったのを、輝夜は見逃さなかった。
08:31
「じゃあ、なんだ。永琳にまんまと一杯くわされたってわけか」
それがとどめだった。
「くっ……」
「くっくっ……」
「ふっふっふっ……」
レミリア、咲夜、小悪魔、パチュリーが俯いたまま肩を揺すりはじめた。前髪がその目元を隠しているが、口の端が不気味な形に吊り上がっていることは窺える。
低く重い、地獄の底から染み出してくるかのような、亡者どもの唸りを思わせるようなおどろおどろしい笑い声が、その口から漏れ出ていた。
「奴ら……次こそは……」
「やっぱりぶち込むのは重榴弾が良かったか……」
「この恨み晴らさでおくべきものですか……」
「クーックックック……」
彼女らの豹変に、それまで話の流れについて来られないでいたチルノもさすがにびびり、咥えていたストローをぽろりと落とした。
フランドールは黄色い満月に似た形のお菓子をかじりつつ、小鳥のように首をかしげている。
爽やかな朝餉の時間は失われ、終末の晩餐へと様相を転じる。禁忌のスイッチを押した当人である魔理沙は、そそくさと席を辞した。
「さてそろそろお暇するぜじゃあな」
「あ、お見送りしますっ」
「ちょ、待ってよ、置いてかないでー」
すたすた早足で出口へ向かう彼女を、チェンバー4とチルノが慌てて追った。
☆
魔理沙たちは玄関に出て、陽の光の下に立った。屋外ともなれば、紅魔館全体を包む瘴気も、若干は薄らぐ。
三人とも申し合わせていたかのように空を仰ぐ。秋の蒼穹はどこまでも高く、薄い雲たちが身軽に泳いでいる。
彼女らの視線はしばらく遠い果てへと向けられていた。今は隠れている月の姿を、それでも求めるかのように。
ややあって、魔理沙は顎を引き、小悪魔から返してもらった帽子を頭に乗せた。涼しい影が鼻の上に落ちる。
正門までは遠く、その道のりは複雑怪奇。まともに歩く気にはなれず、箒にまたがろうとしていると、門の上空から美鈴が降りてきた。
「やっと帰るのね」
「おう、お帰りだ。そっちも元気になったみたいだな」
「またあんたが押し入ってくるのに備えなくちゃいけないからね」
「いい覚悟だ」
ふたりはにやりと笑みを交わし、拳を握ると、軽くぶつけあった。
「次に来られるときは、やっぱり敵なんですか?」
チェンバー4に尋ねられ、魔理沙は帽子をかしげる。
「さて、どうだろうな。そこらへんはパチュリーに訊いてくれ」
ほれお前も、と拳を向けられて、チェンバー4はちょっと戸惑いつつも、自分の拳を重ねた。
「既に次の計画が準備中とか言ってましたね。今度は火星だとかなんとか」
「次はパチュリーも永琳のいいようにはさせんだろうな」
「そのときは私も、ろけっととやらに乗せてもらうんだから。落ちないと分かったからにはこっちのもんよ」
チルノも右手でぐーを作ると、魔理沙の拳にぶつけてきた。あまり意味は分かっていないと思う。
「銘々、また味方になるか、それとも敵になるかは分からないけどな。約束できるのは、その時にはまた、同じ空で会えるだろうってことだけだ」
「それでは、その時まで」
「しばしの解散ということで」
「また来るからねー」
ちょうど吹き付けてきた風に乗って、魔理沙とチルノは宙に浮かんだ。そのまま高々と舞い上げられていく。
高く高くどこまでも。
その彼方にふたりが去っても、チェンバー4と美鈴は、光と風にあふれる空をいつまでも見上げていた。
けれども、まさか最後にこんなオチがくるとは……さすが月の頭脳。
一夜の大空中戦。戦いの結果皆傷つきもしたけれど、後口のこの爽やかさ。これぞ幻想郷の「本気の遊び」ってやつなのかもしれませんね。
お嬢様の「ことごとく死になさい」他、各所にある名フレーズに何度もシビれさせられました。ホント面白かったです、ありがとう!
あと、今作のヒロインはやっぱりチェンバー4だと思いますがどうか。
それ故今この胸中に在る計り知れない感慨は、ただ我が身の内にて賞翫するに留め置かせて頂きます。
代わりに、そのせめてもの念を最高の点数に込めて。
本当に、大作お疲れ様でした。
……にしても、厳かな杜の都にメイドや悪魔や吸血鬼だなんて。
先程からそれに関するシュールな妄想が脳内を駆け巡っていてなんかイヤン。
しかし発射成功と思いきや永琳の策略も見事なもので……。
まさに燃える展開でした。
ここまでお疲れ様でした。
して、例の大妖精さんの胸h(ry
しかし銘菓っつーほど美味いか、○の月。
見せ場見せ場の連続で飽きさせない内容に、このオチ。
楽しませてもらいました。
――まあ落ちは読めてましたが!w
ただ、ひとつだけ確認しなければならないことがあります。
大妖精たんのおっぱいはEなんですかFなんですかそれとm(ry
連載お疲れ様でした。大いに楽しませていただきました。
てかお嬢様、仙台来てたのならなぜ教えてくれなかっt(ry
こんな格好いい空戦が読めるとは。
この作品から、忘れられない場面が何度出たことか!
敬意を点数でしか表現できない自分が悔しいです。
4とどっちに点をつけるか迷いましたこっちで。
これほどの長編を見事書き上げられたことに敬意を表して100点を。
しかし仙台か……。
もしや永琳先生だーい好きの略ですか?(考えすぎ)
戦闘に向いてないキャラもそれぞれに見せ場があり、面白かったです。
それにしてもえーりん師匠、地球側の監視網については一切考慮してないのでわ?
弾道飛行の物体の事前通告無しの飛行、時代によっては核のパイ投げになってそう。
また南ベル・・・いや幻想郷の空で。
ザ・ベルカン・ウォーがますます待ち遠しいよ!
でも、ロケットの行き着いた先って……w
捕虜の扱いに関してっていうか捕虜って文字通り名目上ですよね。なんて和やかなんだ。でもきっと、キッチン3がもらった餅をめぐって小競り合いがあったんじゃなかろうかと。
あぁ、なんて面白いんだ。
いいオチついたなぁ・・・いやいや、楽しませていただきましたよ
やっぱ永琳最高!策謀家萌え燃え!w
メインの面々もチェンバー4も物凄いキャラ立ちで
ホントに楽しませていただきました、有難うございます。
あ、「4」のほうに得点投げたんでフリーレスで…
でもこの高得点ラッシュに嘘はないと思う!!
やべぇさすがだ;;;
新年早々、すばらしい感動をありがとう…T T(ちょっと違う)
やっぱり萌えと燃えの融合はすばらしいっ!!!!!!
いや、良いもの読ませていただきました。
まったく、幻想郷の連中は一筋縄ではいかないものですねw
GJでした。
個人同士のスペル戦も然る事ながら、他では読めない幻想郷での集団戦&謀略戦、堪能しました(礼
私個人的には美鈴の戦闘シーンがあまり無かったのが残念ですが(w
そんな訳で楽しませて頂きました、多謝(深礼
幻想卿史上稀に見る一大会戦、楽しませてもらいました。
計画が最終的に失敗に終わるのは大方予想がついたんですが、まさか成功していても永遠亭には実害無しとは・・・。
いやはや、御見逸れしました。
やっぱり永琳って策略家(戦略家)ですねぇ。
にしてもナンダこの、解っていたのにやりきれない悔しさは・・・。(オノレ永遠亭
あと、今作のヒロインはやっぱりチェンバー4だということに激しく同意します。
ショットバー『ZION』で怪気炎を上げる咲夜さんを幻視。
笹カマの試食を進められる小悪魔を幻視。
八木山動物園ではっちゃける妹様を幻視。
この物語は最高だった。
後アームストロング砲ワロチ
この熱さはもうなんかゲームになりますね。(ぉ
最終戦のカッコ良さには涙が出ました……。
本当にお疲れ様でした、ありがとうございました。
大空戦から前後の伏線その他あれこれの配置諸々全ての素晴らしさに絶賛の嵐を。
空戦シーンを読んでる間はBGMとして『Comona』を流してみたりもしました。エンゲージ、メビウス。
ついでに誰かが撃墜される瞬間は、爆音でなく被弾音を。しめには紅茶を。
では、再び極上の逸品が現れるまで。
ありがとう、あんた最高だ!
えーりんえーりんひどいやえーりん。・゚・(ノД`)・゚・。
それはそうと「かうんとだうん3」でのチェンバー4の科白
「撃て、魔砲使い!」
にしみたーっ!! シビれた 泣けた 惚れたこれだーっ!!これだみんなメモれコピれーっ !って気分なんですけどn(ファイナルスパーク(零距離
お疲れでしょうが、次の作品も期待しています~。
1話から最終話まで、もー一気に読んじゃいました。
すでに皆様おっしゃってますが、これだけの人数を出しながら誰一人として
輝きを損なう事なく、まるで予め定められていたかのようにその魅力を引き
出す。その凄まじい技量に感服致しました。
読んでて感じた事は、日間さんはこれを書いてる時、凄く楽しかっただろう
なぁって事。新たな展開を思いつく度に「これどうよ? イカすだろ?」と
にまにましながら書いてる姿を幻視しましたw
いつかは宇宙(そら)に……これは子供の頃に見た夢。大人になったら必ず
叶えられると信じて疑わなかった幼い夢。
人生80年。うん、俺もまだまだその夢を捨てず、大事にしていこう。
素晴らしい物語、本当に本当にありがとうございました!
もの凄く楽しかった。ありがとう
伏線に次ぐ伏線、どこを読んでも必ずある読みどころ、何度「キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!!!!」と叫んでしまったことか。
オチも良かったです。そこかよ、そこかよ!w
個人的に一番燃えた展開:てゐのエンシェントデューパー。
私も大妖精のおむねのサイズが気になりますw
タダ一言、面白かった!
先にも多くの方が書いていますが多数対多数を誰一人、魅力を欠かすことなく描いたのは見事としか言い様がありません。
激しい攻防でありながらも、最後には互いのいざこざは消え(所でパチュリーが最後にクルルの様な笑い方をしたのは何かの伏線なのでしょうか!?)同じ空で一夜を共にした者同士、友情が芽生えるという良い意味で矛盾しているようなオチが、すっきりしていたのも感服しました。
そして所々で散りばめられたエースコンバット、その他のネタにどれだけ吹かされた事か。
いや、本当に素晴らしいものを読ませて頂きました。
それと今作のヒロインに自分もチェンバー4に一票させていただきます。
この充実感は、もうほんとうに……たまらねぇ!!!! GJだぁー!!!
こういう名も語られぬ者達あってこそ、紅魔館や永遠亭は成り立っていると実感しました。
緒戦で壮絶な相討ちを遂げ、後半戦に出られなくなった咲夜さんと鈴仙にも、お嬢様や永琳の彼女たちに対する想いを描くことでフォローされているのが良かったです。逆上するお嬢様と、体を張って止めるチルノの描写は涙ものですし(チルノをお茶会に誘ったのは、お嬢様と咲夜さん自身だと信じています)、永琳の最後のセリフは「鈴仙は自分のような汚い奴にならないでほしい」と願っているようにも見えます……
実は紅魔館&永遠亭キャラ以上に活躍していた魔理沙&妖夢とか、とても健気なルーミアとか、当事者以外のメンツまできちんと書き込まれている丁寧さにも脱帽。
……あと、熱血スポ根マンガのような殴り合いを繰り広げる輝夜&妹紅の場違いな雰囲気に笑いましたw
相次ぐドラマに痺れっぱなしでした。が、最高をあえて選ぶならこのあふたー・ぜろを推したい。
これでこそ幻想郷。どいつもこいつも、一筋縄じゃいきませんな。
この作品を超える衝撃はそうそう無いだろう、ということで満点を献上。
……はっ、時だけじゃなく点まで盗まれた!
気づかなかったことに軽く後悔。
ともあれ素敵な時間をありがとうございました。
人里に悪影響はでなかったのだろうか?
それはともかく、いい作品でした。
私の大好きな作品です!!読ませていただいてありがとうございました!!
正直今まで読んだ東方SSの中で一番の作品だ!
でも一番萌えたのは布団に包まる霊夢だったり。
最初から最後まで一気に楽しませていただきました。
永遠亭、紅魔館どちらの魅力も最大限に引き出して、
「らしさ」も存分に醸し出したオチにはもう見事としか
言えない。
あと、魔理沙が男前過ぎるw AC5しかやっていない
オレには魔理沙がチョッパー氏とダブッてしょうがない。
ラストの墜落シーンはちょっと泣きそうになりました。
正直なところ
も っ と 評 価 さ れ る べ き
名場面はとても決めきれませんが、強いて挙げるならLW2枚のぶつかり合いで。
最高のバトルものでした。
いやいやもう凄いとしか言いようがない。あっぱれ!
凄いとしか言えないぜ
個人的MVPはやっぱり魔理沙、ですな