Coolier - 新生・東方創想話

妹紅演義

2006/01/16 05:44:04
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 ああ、夢を見ているんだ……と。
 妹紅はぼんやりとした頭の中で理解した。
 優しい父と無邪気な自分。
 のぞまれた子ではなかったけれど、けして冷遇されたわけでもなかった。
 もう届かない過去。
 そして、忘れてしまいそうなほど遠い過去。
 ぼんやりと、しかし、いとおしくその光景を眺めていた。
 まるで、我が子を見るかのように、無知で、それ故に幸せな昔の自分を。
 
 暗転。

 場面が切り替わる。
 その瞬間、妹紅は落胆した。
 父が何かに憑かれたように話していた。
 あの女のことだ。
 思えば、この頃からだった。
 全てが、幸せが、狂い始めたのは。
 父は、熱に浮かされたように求婚し……。
 破れた。
 言葉にすれば、たったこれだけのこと。
 けれど、たったこれだけのことで、自分の人生はこんなにも狂ってしまった。
 だから、恨んだ。
 あの女のことを、強く、強く……。

 暗転。

 また場面が変わる。
 あの女はもういない。
 月に帰ったのだと、聞かされた。
 あの女は帰ったけれど、妹紅の幸せは帰ってはこなかった。
 身分の低い女に逃げられら貴族の男に、一体何が残るというのか。
 恨んでも、憎んでも、あの女はもういない。
 だから、一矢であっても報いたいと、そう思った。
 そう思ってしまったのが、失敗だったというのか。
 壊されてしまった幸せの僅かばかりの穴埋めを求めたことが罪だというのか。
 夢の中の妹紅は山の中で息を潜めていた。

 見たくない。

 妹紅はわめいた。
 けれど、声は出てくれなかった。
 理不尽なこの夢はただ、その光景を見せ付けるだけ。
 何ひとつ届かない。
 夢の中の妹紅、その視界に映るのは帝の使いの者たちの姿。
 そして、あの女の残した、たった一つのもの。
 それは『薬の壺』

 やめて。

 妹紅は呟いた。
 使いの者たちの目を盗む自分。
 そして、その壺を盗み……。
 中身を……、一口、……、二口、……、三口……。


「やめてっ!!」
 そう叫んで、妹紅は目を覚ました。
 勢いよく上体を起こす。
 布団が勢いよく捲り上げられ、妹紅は荒く息を吐いていた。
 ぜいぜいと、呼吸するたびに肩が上下する。
 寝汗で肌にじっとりと張り付いた寝巻きが気持ち悪い。
 ゆっくりと呼吸を落ち着かせる。
 そうすると、ようやく周りが視界に入ってきた。
 そこは狭い部屋だった。
 けれど、どこか温かい。
 それを確認すると、妹紅はようやく呼吸と一緒に心も落ち着いてくるのがわかった。
「ん~~っ」
 と、大きく伸びをする。
 軽く首を回して、眠気を払う。
 あんな夢を見るのも久し振りだ。
 妹紅は頭を軽く振ると、布団を片付ける。
 何年経とうと変わらない、小さな体。
 それは不便だけれど、今は、今だけは、少し、本当に少しだけ、感謝したいものでもあった。
 本当に少しだけなのだけれど。


 服を着替えて起きていくと。
「おはよう。妹紅ちゃん」
 おばあさんが声をかけてくれた。
 台所で、せっせと朝ご飯の用意をしている。
「もう少しでおじいさんが帰ってくるから、そうしたら朝ご飯にしましょう」
 そのにこやかな表情が本当にいとおしい。
 年下の、けれど、外見は自分よりずっと上のおばあさん。
「うん。じゃあ、何か手伝うこと、ある?」
 自然と妹紅も笑顔になる。
「それじゃあ、食卓を拭いてもらおうかね」
 夢なんて気にならない、穏やかな時間。
 それは本来望んではいけないもの。
 けれど、今は、今くらいは、許して欲しい。
 妹紅は素直に頷いた。


 もうどれくらいになるだろうか。
 妹紅は思い返す。
 不死の霊薬を飲んでしまってから、妹紅の体は老いることも、死ぬこともなくなった。
 本当なら望んでも手に入ることのない儚い幻想。
 けれど、手に入れてしまったものにとっては限りなく深い絶望。
 人は不死を認めない。
 幻想であるが故の希望。
 現実のそれを人は排斥する。
 妹紅はその身でそれを実感した。
 故の絶望。
 成長しない人間は同じ場所では暮らせない。
 住む場所を転々としなければならない。
 人は何年経っても子どもの姿の妹紅を恐れ、排斥するから。
 妹紅はもう数え切れないくらいの年月をそうして生きてきた。
 そして、今度こそ一人で生きようと人里離れた山奥に来て、けれどまたこうして誰かの側で生きている。
 今度はきっと、大丈夫。
 そう自分に言い聞かせながら。


 人里離れた山奥。
 街道からも離れ、人の行き来も微かなところ。
 そんなところにここはあった。
 世間を離れ、老夫婦がひっそりと営む宿。
 そこは世界から切り離され、まるで違った時間が流れているかのように穏やかだった。
 そんな穏やかなところだったからこそ、妹紅はひと時の休息を望んだ。
 そこでは、本当に穏やかな時間が流れる。
 おじいさんもおばあさんも優しい笑みを絶やさない、そんな人たちだった。
 だから、この老夫婦が老いて、亡くなるその時まで、こんな穏やかな時間が続くと、妹紅はそう思っていた。
 そう望んでいた。
 そう願っていた。
 そう祈っていた。
 けれど、不死の呪いはそれを許さない。
 そんな少女の小さな希みさえも許してはくれなかった。


 始まりはいつも唐突に、急転直下に落下する。
「邪魔するよ」
 壮年の男性がそう言って、宿に入ってきた。
 それが始まり、そして、終わり。
「いや~、助かった。道に迷ったみ……」
 男の言葉が不自然に途切れる。
 その視線の先には妹紅がいた。
 妹紅を見て、目を見開いていた。
 ああ、またか。
 妹紅の心をよぎるのは、諦念。
「あ……あんた……」
 男の震える指が妹紅を指している。
 その男のことなどおぼえてはいない。
 けれど、想像はついた。
「いや、そんなはずはないか」
 男は勝手に自分に言い聞かせている。
「もう、あれから20年は経ってるんだ」
 男の呟きに妹紅は今度は、想像ではなく、確信する。
 そして、その先にある未来を思い描き、諦観した。
 だから、
「いえ、間違ってはいないわよ」
 あっさりと男の言葉を肯定した。
「私は藤原妹紅。化け物よ」
 そう言って哂った。
 哂ってやった。
 ああ、そうだ。
 その顔だ。
 妹紅は男の顔を見る。
 心はもう痛まない。
 きっと、もう痛まない。
「あなたの言う20年以上前から、一切姿かたちを変えていない……ね」
 おじいさんとおばあさんは呆然とした顔をしている。
 きっと、何が起こっているのかわかっていない。
 それでいい。
 それがいい。
 この男の言うことを老夫婦は最初は真には受けないだろう。
 男も他人の空にと笑うだろう。
 けれど、もう元には戻らないのだ。
 老夫婦はきっと今までは気にしなかったことを気にし始める。
 そう。
 例えば、身長。
 今まで、拒んでいた柱に刻む成長のしるし。
 それを妹紅は拒めなくなる。
 拒めば老夫婦は疑惑を募らせる。
 けれど、受け入れれば、全く伸びない身長を知られることになる。
 そうして、劇的ではないが、緩やかに日常は壊れていく。
 その寒々しさ、よそよそしさは経験したものにしかわからない。
 それを、妹紅は理解していた。
 理解せざるを得ないほど、この身に体験してきた。
 小さな疑惑は、やがて不審となり、終には恐れへと変わっていく。
 それはもう推測ではなく、確定的な未来。
 だから、未練はあったけれど、三者が呆気に取られ正気に戻らぬうちに、妹紅はそっとその宿を出た。


 もう何度目だろう。
 こうして住み慣れた場所を離れるのは。
 いつの頃からだろう。
 こうして諦めることに慣れてしまったのは。
 慣れてしまって、心をすり減らして。
 それでも自分は生きている。
 そして、これからも死ぬことはない。
 なんという……。
 なんという、この絶望。
 それも全てはあの女のせい。
 
 あいつは私の全てを壊していった。

 はじめはゆるりと歩いていた。
 宿が見えなくなると、走り出した。
 最初は軽く、徐々に速く、気付くと一心不乱に全速力で走っていた。
 わき目は振らない。
 振ることも出来ない。
 目には何か熱いものが浮かんでいる。
 けれど、これは決して涙ではない。
 もう慣れてしまったから。
 もう涙など、とうの昔に枯れてしまったのだから。


 幕が下りる。
 夜の帳が降りていく。
 けれど、人生の幕は下りてはくれない。
 あと何度……。
 あと何度、こんなことが続くのか。
 あと何度……。
 あと何度、こんなことを続ければいいのか。
 あと何度……。
 あと何度……。
 あと何度……。
 あと何度、絶望すればいいのだろうか……。

 気付くと見知らぬ山の奥。
 月の灯りも届かぬ森で、妹紅はその身を投げ出した。
 地面に強く体を打ち付ける。
 痛い…。
 痛い……。
 ココロガイタイ。
 トウニ壊レタ心ガイタイ。
 肩で息をして。

 ドウシテ

 空を見上げて。

 マタ

 暗闇の中で。

 絶望ノ

 人気のないこの森で。

 入リ口ヲ見セツケルノカ

 灯りが見えた。
 小さな、古びた家屋から、わずかばかりの灯りが見えた。
 月明かりも届かぬこの場所で、届かないからこそ見えた灯りがどうしてこんなに悲しいのだろう。
 儚い幻想のような微かな灯り。
 だというのに、どうしてそこから目を離せないのだろうか。
 どうして、温かさを求めるのだろうか。
 どうして、心まで化け物になってくれないのか。
 声が聞こえる。
 笑いあう温かい声が。
 穏やかな声達が。
 心を癒すその声が、どうして心を抉るのだろうか。
 近づくほどに心を抉られるというのに、どうしてまた近づこうと考えるのか。
 立ち上がる。
 歩く。
 近づく。
 一目だけ。
 そう。
 一目だけで終わりにしよう。
 そして、また人のいない場所を探そう。
 今度こそ、人と交わることもなく。
 心を揺らすこともなく。
 ただただ、ゆっくりと朽ちて行こう。
 もう届かない幻想をその目に焼き付けて。
 そう思って、家屋の中を盗み見た。

 黒い髪が見えた。
 黒い瞳が見えた。
 美しい顔が見えた。
 絶世の美女。
 そして、妹紅の全てを壊した女。
 蓬莱山輝夜がそこにいた。
 あの女が笑っていた。
 穏やかに笑っていた。
 全てを壊したあの女が、欲しくて欲しくて、けれどもう届かないものの中に身を置いて、静かに笑っていやがった。
「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは はははははははは」
 壊れたように哂う。
 可笑しかった。
 狂えるくらいに可笑しかった。
 だから、狂って壊れてやった。
 だから、狂って壊してやろう。
 妹紅は哂って、狂って、壊しに行った。


「ははは」
 指一本動かない。
 これでもかって言うくらいの惨敗。
 妹紅はどことも知れぬ山奥に一人で放り捨てられていた。
 全身ぼろぼろで、傷を負っていないところを探す方がむずかしい。
 そんな状態で、妹紅は一人笑っていた。
 笑って、涙を浮かべていた。
 可笑しかった。
 こんなにもなって死なない自分が。
 月に帰っていなかった輝夜のことが。
 まるで姿の変わっていなかった輝夜のことが。

 嗚呼、そうだ。
 あいつだったんだ。
 不死の霊薬を置いていったのは。
 そんな奴がどうしてそれを飲んでいないことがあるものか。
 あいつにだって、居場所があるものか。
 月であろうが、地上であろうが。
 永遠に行きゆくものに居場所があろうものか。

「あははははは」
 笑った。
 心の底から笑った。

 嗚呼、憎い。
 そうだ。
 憎い。
 こんなに心動かされたのは久し振りだ。
 憎い。
 けれど、だからこそ、生きていける。
 死ぬことはない。
 けれど、命のやり取りをして。
 そうして生きていける。
 だから、私にとって、

「此処こそ、真に蓬莱なのよ」
永夜抄のキャラ設定を見て、妹紅の心理描写を書いてみたくなったので、書いてみました。
それでは。
威鶴
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