Coolier - 新生・東方創想話

あなたに相応しい世界(2)

2006/01/08 20:37:55
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階段に消える姉の背に掛けてやる言葉も見付からぬ。
リリカは口を半開きにしたまま、食堂に立ち尽くしていた。
メル姉は椅子に座り、再び食事に向き合った。
テーブルクロスに、震える両手を組んで、じっと食事を睨みつけていた。
彼女はパンを千切り、口元まで持っていったが、しかし食べる事はなかった。

「ごめんなさい、リリカ。八つ当たりしちゃったわ」

怒られなきゃいけないはずの自分が、何故謝られているのか、リリカには解からなかった。
メル姉といいルナ姉といい、勝手に謝りすぎだ。
悪いのは明らかに自分じゃないか。
謝らないでよ、とリリカが言いかけたのを、メルランの言葉が遮った。

「違うの、姉さんがああなのは……私のせいだから……」

ぽつりぽつりとメルランが語りだす。
罪を告白する罪人の様に、その顔色は優れなかった。
涙をこらえるように一度大きく瞬きし、鼻をすすった。

メルランがルナサの些細な変化に気が付いたのは、一週間程前である。
最初は、何だか姉さん良く躓くようになったわね、とその程度だった。
次の日には洗濯に出しておいた服から、染みが消えていないのを発見した。
その次の日のライブでは、ヴァイオリンの音量が僅かだが小さくなっているのを感じた。
自分がテンポを上げると、ルナ姉は苦しそうな顔を見せた。
メルランは聞いた。
どうしたのかと。
ルナサは首を振った。
何でもないから。
笑って言うルナサに、調子が悪いのかなと、メルランはその身を案じた。
しかし時間が立てば、その笑顔が不気味に思えて来る。

「私、気になって白玉楼に相談に出向いたのよ」

解からない。と幽々子は言った。
メルランは自分が一番恐れている事を口に出してみた。
可能性はあるでしょうと、幽々子は答えた。
おそらく、貴方の魔力に付いて行けず、ルナサの方の消耗が激しいのだと。
それでもトランペットをコントロールしようとして、騒霊としての本分を殺して、調和だけに走ってしまっている。
その積み重ねの結果が、この世との結びつきを、騒霊としての存在価値を少しずつ削ってしまっている。
メルランは、どうしてそこまでして、姉がライブを続けているのか聞いてみた。
幽々子は少し躊躇った後に、話を続けた。

ルナサは貴方の暴走を恐れている。
三姉妹で最も高い魔力を秘める貴方が、レイラという拠り所を失い、大きく安定を欠いているのを彼女は知っている。
貴方にとって魔力のガス抜きとしてのライブは、暴走を止める為に必須なのだ。
メルランが騒霊として生きていけるように、ルナサは自分を犠牲にしているのだろう。

落雷に撃たれた思いだった。
幽々子は、消滅だと決まったわけではないし今のは全て自論である、と付け加えたが、そんなものは何の慰めにもならなかった。
自分が姉を殺しかけている事実は変わらないのだ。
真綿で嬲り殺すように、じりじりと姉の首を絞めていたのだ。
絶望に暮れて、屋敷に戻った。
二人に何も悟られぬように、夕食を過ごし、それから部屋で泣いた。

そして次の日には、朝の時計の事件が起こる。
もはや、メルランの心は決まった。
姉の負担になる演奏は絶対に止める。
自分の考え付く限りを尽くし、姉の症状の進行を止めてみせる。
今度は私が耐える番だと。

「姉さんの前では、私は何も解からぬフリをするしかなかった。姉さん自体がばれる事を一番恐れていたから」

それが私への慈悲かどうか解からないけど、とメルランは付け加え、組んだ両手を額にあて、祈るように固く眼を瞑った。
リリカはからからの喉へ水を流し込んで、小さく首を振った。
メルランの話は続いた。

「姉さんの隠し事に協力した、躓かぬように地面の物は全て片付けた。リリカの誘いが無くても、朝食は自分で作るつもりだった。出来る限り姉さんの負担を減らして……そう、もちろんトランペットは抑えた。ガス抜きは一人でやればいいと思って、朝早く墓場に出かけたの」

メル姉の身体全体が小刻みに震えていた。

「暴走しちゃった……ライブで吹けなかった分、何時もと違って加減無しで吹いたら、終わった途端に笑顔が止まらなくなった。何も楽しい事なんてないはずなのに、心の中は浮かれきっているの。自分の今の立場を、姉さんの事を必死に思い出して、やっと思い出したと思ったら一瞬で消えて、そんな躁と鬱の間を何度も行き来して、それでも笑いが止まらなくて、三十分ぐらい笑いながら森をさまよってたら、ようやく笑い声だけ止まったわ。顔の筋肉は引きつっていて戻らなくて、湖の水面に移った顔は馬鹿みたいな笑顔だった。だけど、これ以上遅くなると、皆が起きるだろうって、笑顔のまま無理やり帰宅したの。リリカに会う頃にはだいぶ落ち着いていて、戻れた事にほっとした」

長い台詞の後で、カチリと歯が鳴った。

「自分の為に姉さんを犠牲にするのは絶対に嫌。遅かれ早かれ姉さんが犠牲になれば、私も暴走するのよ。だから覚悟は出来ている。なのに……」

間があった、メル姉は見ていて可哀想なほど震えていた。

「今日の姉さんの衰えぶりは、一体何の悪夢よ……」

嫌な事を全て語り終えても、震えは少しも収まらなかった。
震えながら、石のように固まったままメルランはその場から動かない。

――違う。

リリカが考えていた姉たちが事件を隠していた動機と、メルランが語った事は大きく違っていた。
そして、その違いがお互いに解からないから、メル姉は苦しんでいる。
ルナ姉も、きっとそうだ。
全てを自分のせいにして、苦しんでいる。
やっぱり、もっと早く話し合うべきだった。

ルナサがメルランだけじゃなくてリリカにも話せない理由を、リリカはこう考えていた。
それは自分が一度消えかけているからだ、と。
末の妹のレイラが死んだ事を知り、次の妹が連鎖的に消えかけたあの恐怖をルナ姉は未だに持っている。
だから、自分には話せない。
ライブが止められないのも、メル姉の為だけじゃない。
メル姉の暴走を止めているのと同時に、リリカの消滅を予防している。
二人の魔力に乗るおかげで、リリカはより騒がしい音を伝えられる事が出来る。
三姉妹の力を合わせた騒霊ライブは、リリカにとっても必要なのだ。

あの時、ベッドの傍で握ってくれていたルナサの手の感触が、不意にリリカに蘇った。
同時に高らかに朝を告げてくれた、大好きなトランペットの音色も。

「メル姉のせいじゃない!!」

気が付けば、自分でも驚くほどに大声でリリカは叫んでいた。
目を丸くてメルランが顔を上げる。

「みんなみんな勝手に悩んじゃって、何一人で悲劇のヒロインぶってるのさ!」

リリカの言葉は、姉妹全員に向けられた言葉だった。
自分にも強く言い聞かせた。

「ライブは皆に必要だった! ライブはみんなが楽しみにしてた! これを私達が騒霊である証にしよう、レイラが死んだ時そう決めたじゃない!」
「リリカ、論点が違うわ、姉さんが消えかけてたのは私が――」
「ルナ姉だって話せなかった! 私だってライブに頼ってた! 三姉妹共同の責任だよ!」
「そんな詭弁聞きたくない!」
「詭弁なもんか! 真実だ!」

立ち上がり、リリカを睨むメルランに、震えは見られなかった。
リリカはそれを見て、唇だけで薄く笑いかけた。

「ほら、震えだって止まるでしょう? そんなのしゃっくりと同じレベルなんだって」
「……え?」
「まだ止まるんだ。現在進行形なのよ。要するにさ、問題が残ってるうちは、まだ救いがあるんだ」

腹に息を大きく吸い込む。
吐き出す言葉はこれからの誓い。

「ルナ姉は消えないよ。消させない」

言葉には責任が伴う。
だから、自分はその言葉を嘘で終わらせてはならない。
そいつを真実に変えてやる為に努力をするのだ。

「約束」

動かないメル姉の手をとり、無理やり小指を絡めて指切りをする。
その気障っぽさが、メル姉の顔を泣きから泣き笑いに変えた。

―――――

滲んだ視界のまま、部屋に入り、ルナサはクッションの上に腰を降ろした
涙のせいだと思っていたそれは、涙を拭いても付き纏った。

視界には子供が書いたような出来の悪い水彩画が広がっている。
遠近感の無い、大まかな色で仕切られた世界。
幾つかは、煙のように揺らいだりぼやけたりする。
個体差があるらしい。
ヴァイオリンが、まだはっきりしているのが救いだった。

(こんなに悪化するならば、もっと早く……)

ルナサは唇を歪めて笑った。
それを、自分は何度考えた事か。
結果として急すぎる話になったが、どうせ自分は誰にも話せなかっただろう。
姉と妹という構図が崩れ去るのが怖かった。
姉として偉ぶって、妹を指導して、演奏も私生活も纏め上げてきた、長女としての立場。
そんな姉の、困り果てて、弱り果てた姿を妹達の目に晒してしまえば、それから自分はどんな立場で彼女らと接すればいいのか解からない。
しかし、今日、ばれてしまった。
もう、姉としての顔は出来ないだろう。
こんな状態に陥っても、体裁を気にしてる自分が情けなかった。

「出来の悪い姉さんよね……」

残っていた僅かな涙が、頬で乾いて止まった。
嬉しくて流した涙は、泣き終わる頃には後悔に変わっていた。
光の中に顔を上げる。
レイラがいた。
ルナサは狂ったパースの中に、たまにレイラの姿を見る。
様々な色が集まって出来たそれは、壁の染みが顔に見えたり、流れる雲がパンに見えたりする、程度の低い錯覚なのだろう。
だろうけど……。
長い髪を揺らして、悲しそうにレイラは揺れる。
その、赤い色のワンピースに手を伸ばして、ルナサが話しかけようとすると彼女は滲んで消える。
殊更に悲しそうに揺れて消える。
結末は今日も同じだった。

――トントン

ノックの音を聞いて、扉の方に目をやる。

「ルナ姉~、お話があるんだけど」

扉の向こうから少し曇ったリリカの声が聞こえてきた。

「な……何?」

掠れた声が嫌で、唾を飲み込んで言い直した。
此処にリリカが来た理由は解かっている。
何を話せばいいのかも解かっている。
どんな顔で話せばいいのか、それが解からない。

「あのね、一緒にお茶でもどう?」
「は?」

いきなり予想を覆されて、声が裏返った。

「いやさ、さっき私のせいで満足に飲めなかったでしょ? 美味しく淹れたからさ、ああ、ご心配なく、ちゃんと冷まして来ましたから」

何を言ってるんだ、この子は。

「いや?」
「い、嫌じゃない……けれど」

扉が後ろに開いて、リリカがトレイに紅茶を二つ載せて入ってきた。
トレイをカーペットの上に置いて直ぐ、

「さっきはごめんなさい!」

両手を合わせて拝むように謝られた。

「……やけど大丈夫?」
「あ、ああ、思ったほど酷くない……」

まだ具合を確かめてもないのだけど。

「包帯巻いてあげようか?」

見ていないのを知ってか知らずか、リリカはポケットから包帯と鋏を取り出した。
準備のいい子だ、恐れ入る。
いや、紅茶の方が部屋に入れてもらうための、おまけだったのだろう。

「しかし……場所が場所だし自分で」
「太ももくらいなんてことないじゃん。私がお尻擦り剥いても姉さんが薬塗ってたくせに」
「それは立場が違うでしょう」
「同じだって、ルナ姉は自分の恥を他人に見せなさ過ぎなのよ、ほらほら」

スカートを捲り上げられて、濡れタオルを取られ、抗議する間も無く包帯がぐるぐると回っていく。
治療は直ぐに終わった。

「あ、有難う」
「水脹れなんて出来てないじゃん。皮が捲れてるとかそういうわけじゃないし、これならほっといても治るよ。念のため永遠亭の薬師に相談する?」
「あの人はちょっと……」
「あはは」

リリカは紅茶を手に取り、一口啜って、長い息を吐いた。

「あったまるねー」

こめかみにじわりと汗が浮かぶ。
切り出すなら早く本題を切り出して欲しい。
でないと間が持たない。
リリカの視線がルナサから離れた。
紅茶を飲めという催促だろうか。
白の部分がこちらに出っ張っているから、取っ手は自分に向いている。
さっきとは違う。
思い込みさえ無ければ、このくらい何でもないのだ。
大丈夫、引っくり返したりはしない……。
だけど、近づくと指が震えた。

(駄目だ、怖い)

「これが、助け合いっていうのかなー」

ルナサの指先を、リリカの手がふわりと包んだ。
白いカップが動いて、取っ手が自分の手の平に突き当たる。
そのままリリカが上から優しく指を折り曲げていく。

「握った?」
「あ、あの……ん、握った」
「離すよ?」
「ええ」

ルナサは取っ手を強く握ったまま、カップに唇を触れて、広がる赤を少しだけ吸い込んだ。
紅茶の味など解からなかった。
ひたすらに恥ずかしかった。
耳たぶまで真っ赤になって俯いた。
こんな簡単な事を、妹に手伝ってもらうなんて……。
カップを戻す時も、リリカが受け取って置いてくれた。

「リリカ。私、自分で出来るから」
「自分で出来る事だって、他人に手伝ってもらうのが駄目ってわけじゃないっしょ?」
「出来る事ならば、自分でするべきだと思うけれど」
「ルナ姉は何でもやりすぎ。ケースバイケースだよ。他人に頼りすぎても、自分に頼りすぎても良くない」
「そんなものかしら?」
「そうだよ。人に頼られると嬉しい事もあるじゃん?」
「ああ……」
「私達、妹は、少し姉を頼りすぎでした。よってこれから頼り過ぎた分のお釣りを返します。ルナ姉の調子が良くなるまでね!」

にぃと白い歯を見せて、リリカが微笑んだ。
消滅や存在の危機などではなく、調子という言葉を選んだ事に、ルナサはリリカの優しさを感じた。

「あなたは……強いわね」
「あー、とんでもない誤解ですぜ姉御、これでも私すっごい苦しんでたのよ?」
「そうだったの?」
「ずいぶんな疎外感だったね、一人で心配しまくったよ。私がガキなせいで除け者にされてるのかなぁって」
「あぁ、そうか……ごめんなさい……」
「まーた、そういう顔するー。常に優等生じゃなくてもいいじゃんか。メル姉の暴走がかかってたから仕方ない部分もあるよ」
「違う、リリカ。私は――」
「それだけじゃなくて、私の消滅もかかってたわけで」
「違うの!」

叫んだ。
それからぶちまけた。
心の中の澱みを。
自分が感じている負い目を。
体裁を気にしてるうちに、話せなくなってしまった事を。

大した話でもないのに、長い話になった。
リリカは膝に手を置いて、自分の話を黙って聞いてくれていた。
喋り終えて、少しの沈黙があって、一口の紅茶を挿んだ後に、上目遣いでリリカは話しかけたきた。

「なるほど、さすがに姉妹だ、メル姉と似てる」
「……?」
「ルナ姉はね、自分の中の小さな棘が許せなくて、勝手に一人で大きくしちゃってるんだよ」
「……どういう事?」
「悪者がいるならね、それは自分の方がマシだって考えが、そういう発想にしちゃう」
「しかし事実、私のせいで――」
「反論までメル姉と似てるよ。姉妹ってのは、しょーがないなぁ」

リリカが頬をかいて笑い、その手がルナサへと伸びた。
小指で小指を拾い上げて、魚でも釣り上げるように高く持ち上げる。

「一人はみんなの為に」

リリカはその台詞を、迷わず口にした。

「分かち合おうよ。私達はプリズムリバーの姉妹だ」

指は絡み合ったまま、二度三度振られた。

―――――

笑顔が戻ったところで、リリカはルナサの症状を委細訊き出した。
以下、本人の弁である。

身体に痛みは無い。
食欲も今はある。
視界は今朝の朝食以来、急激に悪化した。
足はかなり頼りない。
手を使わずに楽器を弾く程度の能力は、大きく衰えている。
魔力のある音が出せず、メルランに全くついていけない。
ただし、聴覚だけはむしろ前より優れている。

それがルナサ・プリズムリバーの状態らしい。

(変だな……)

リリカには真っ先に気になった事を聞いてみた。
何故、朝食以来、視界が急激に悪化したのかと。
ルナサは首をひねるばかりで、有用な答えは返って来なかった。
ただ、視界以外に、例えば足も同時に悪くなっている気がすると答えた。
朝食時に、何かあっただろうか?

腕を組み、唸り声を上げていると、少し慌てた様子のルナサの声が飛び込んできた。
メルランの姿が見えないが、何をしているのだろう? と。
今頃気付いたんかい、とリリカは思ったが『別行動してる』とだけ答えておいた。

空になった紅茶のカップが、冷たくなってきた頃にリリカは切り出した。
よし、騒霊らしく、とりあえず演奏をしてみましょう。
ルナサに異論はなかったが、一つ付け加えられた。

『私もそう思い、一人で夜中に何度も練習してみたの。でも、音は悪くなる一方なのよ』

むぅ、と今度は二人で唸る。
自分達に残されたものは音しかない。
三姉妹の根本的な存在理由であったレイラが死んでしまった以上、私達は騒霊であるという存在理由に頼るしかない。
果たして演奏でこの世との繋がりが戻るのかどうか、それは怪しいが、やはり音しか残されていない。

さあ、演奏をやろう、とリリカ達が元気良く屋敷を飛び出したのが昼前で、お疲れ様……と肩を落として帰ってきたのが正午だった。

ルナサは音を怖がってしまっていた。
上手く弾けていない自分を恥ずかしがって、踏み込めていない。
演奏が終わり『子供のお遊戯みたいでしょう?』と溜め息混じりに話しかけてきたルナサにリリカは相当怒った。
これは音楽なのだ。
弓を持ち弦を弾くからには、ルナ姉は音を楽しまなければならない。
そうでないと、この練習にも意味が無い。

しかし、心の問題だ。
努力で何とかなる話なら、幾らでも救いようがあったのだが……。
演奏に自信を持って楽しくやろうよ、と何度も話しかけ、ルナ姉もそれに頷いていたが、そう簡単な話じゃなかった。

「むうぅ……」

リリカは食堂の椅子に逆向きに座って、背もたれに顔を預けたまま、今日何度目か解らない唸り声を上げる。
二階からはルナサのヴァイオリンの音が、途切れ途切れ聞こえる。
演奏の件も悩ましいが、直面した問題は、また別にあった。

――私が昼食を作ってあげるから。

ああ、あんな事言うんじゃなかったと、背もたれを馬の手綱のように握り締め、椅子を前後にガタガタ揺する。
調理に動くのは自分でも、せめてルナ姉の指導が必要だった。
一体、一人で何を作る。
トマトスパゲティでもやろうかしら。

「メル姉、帰ってこないかなぁ」

トマトソースに失敗したなら、責任二人で半分こ。
常にそういう人生がいいなぁと、トマトを湯剥きしながらリリカは思った。

―――――

「すっぱい!」

別行動中のメルランが帰ってきたのは、リリカのスパゲティが出来上がった直後だった。
すっぱいという叫びはソースを摘み食いした、彼女の言葉。

「これ、トマトの味だけじゃないの」
「いいところで帰ってきて、文句だけ言うなよ~」
「トマトだけ?」
「ん?」
「ソースに入れたのトマトだけ?」
「だよ」
「えー、普通他に色々と入れるじゃないの」
「何入れるのさ?」
「甘みを出すために、玉葱とか、玉葱とか、玉葱とか」
「玉葱一色じゃん。他に無いのかよ」
「にんにく……とか?」
「にんにくは自信ないんだ」
「うるさいわね~、ところで何でリリカ一人で昼食作ってるの?」
「そんなの、ルナ姉に休んでもらう為に決まってる」
「………」
「どしたの?」
「いや……ちょっと、その考えはまずいかも」
「まずい?」
「私が勝手に思っているだけだけど、うーん」

メルランは口元に手を当てて、自分の椅子の傍を何度も往復した。
足音とパスタの水を切る音だけが食堂に響き、リリカは姉の沈黙に不安を覚える。

「リリカ。姉さんの様子はどうだった?」

気にしてないように気丈に振舞ってはいても、いざ姉の事を聞く時はメルランの声のトーンが下がった。
リリカも気持ちは解るので、それに突っ込みはしない。

「そこそこに元気かな」
「そこそこー? うーん」
「姉さん演奏も頑張ってるよ。騒霊が騒げなくなったら店仕舞いだからね」
「そうねぇ」
「気にするなっていっても気にすると思うけどさ、誰が責任とか言う話は無くなったからね」
「……解ってる。ありがと」
「で、どうだった、そっちは?」
「あ、幽々子にはOK取れたけど、頼みに行く計画は夕方に先送りになったわよ」
「何で?」
「あのスキマ妖怪。まだ寝てるんだってさ」
「うわぁ……」
「姉さんの状態の報告の方もしたわ、恐らく消滅しかけてるので間違いないとの事よ」
「さり気に、きっついなぁ」
「きっついけど、まぁ、隠し事無しにしたのリリカだし」
「はいはい」
「それと朝に出かける前、リリカとも話した通り『幽々子の死』も『生死の境界』を操るのも、騒霊にはやっぱり効果が無いってさ」
「まぁ、造物だからね、私達」

三姉妹の存在理由たるレイラをこの世に呼びつける。
私達騒霊は無理でも、人間であるレイラ相手ならば、生と死の境界が使えるのではないか。
メルランの別行動の狙いはそこにあった。
幽々子というコネクションを利用して、スキマ妖怪に話をもっていく。
親友である幽々子の頼みならば聞いてくれるかも知れないし、その幽々子を説得するには同じく妖気で暢気なメルランが適当である。

この土壇場にして、悪くない考えだと思う。
しかし、リリカはメルランの考えに賛同は出来なかった。
スキマ妖怪が騒霊如きの頼みを聞いてくれるかとか、墓の中に骨しか無いレイラがどうやって現世に戻るのかとか、そういう問題もあるだろう。
が、それ以上に、この考えは自分達の今までの在り方を否定してしまっている。
レイラが死んだ後、自分達は騒霊として頑張って生きていくと決めたじゃないか。
そこから外れては、また同じことの繰り返しにならないだろうか。

とは言え、反対理由がこんな感情論ではどうしようもない。
他に代案も一切浮かばないのだ。
騒霊としての生き方をメル姉が反対してるわけでもなし、自分が信じる方向で頑張るしかない。

「そうだ、メル姉」
「何?」
「朝食の前と後では、姉さんの症状に急激な悪化が見られたんだって。何か心当たりある?」
「やっぱり朝食で……」
「眼がそれまで以上にぼやけたり、足がもつれたり、らしいよ」
「ねぇ、リリカ。ひょっとしたら」
「あー?」

リリカはトマトソースをぼたぼたと皿の上に落としてまわりながら、メル姉の深刻そうな表情を見ていた。
自分が作ったので文句は言えないが、まずいだろうなこれ。

「……姉さんに、食事を作ってあげるのは逆効果かも」
「はぁ!?」
「姉さんにとって頼りない妹達というのは、この世に留まる歯止めになってるんじゃないかしら?」
「おいおいおい、もう料理作っちゃったじゃん! 今更かよ! 早く言えよ!」
「だって私が帰ってきた時には、既にほぼ出来てたし」
「んくっ……! それで、その考えは正しいんでしょうね!?」
「解らないわよ。ひょっとしたらって言ってるでしょう?」
「幽々子はこの件に関して何て言ってるの? 何をしたら悪化するとか聞いてないの?」
「そんなの知らないって、消滅しそうな事だけは確かだって」
「んがー! 肝心かなめで頼りにならん奴ー!」
「私が? 幽々子が?」
「どっちもー!」

リリカの絶叫空しく、メルランは何故怒るという顔をしていた。
迷わすだけ迷わせておいて、判断はリリカに任せるわ、と言ってびしっと指を突きつけた。

「はぁ……とりあえず、メル姉はルナ姉をご飯に呼んで来て」
「あら、いいの?」
「ここまで作っといて、ルナ姉のだけ無しってのも不自然でしょ」
「ふむ、一理ある」
「幸か不幸か美味しい出来とは言えないし、まだまだ私がいないと駄目だなー、ってルナ姉に思ってもらえるように会話で誘導するからさ」
「なるほどー、下手な料理も使いようねー」
「絶対、今度メル姉一人に作らすから覚えててよ……」
「ひゃー、怖い、怖い」

逃げるように食堂を出て、階段を駆け上がっていく軽やかな足音を聞いて、リリカは頬を緩めて自分の席に座った。
メル姉が、おどけてくれて助かってる部分は大きい。
深刻な話を抱えていても、しかめっ面をしていれば解決すると言う訳でもない。
だったら、食事にまでしんみりした雰囲気を引きずるなんて御免だ。

「姉さーん! ごーはーんー! リリカのまっずいスパゲティが出来たわよー!」

素だったら殺す。

―――――

昼食が無事に済んで、リリカは一息ついた。
無事という言葉を使うと、何だか元が物騒な食卓に感じられるが、そうではなく、ルナサに悪影響が無かったという事だ。
少し身体を休めた後、三姉妹揃って草原で演奏した。
ルナサの衰えは、もう誤魔化せるレベルではなかった。
今夜、一件ライブが入っていたが、中止にする事を三人で決めた。
ライブ中止の報告を持って、メルランは約束より少し早い時間に白玉楼に向けて飛び立った。

リリカは、ルナサをぬか喜びさせたくなかったから、計画の詳細までは伝えなかった。
ただ、メル姉もルナ姉を治すために頑張っているのだと伝えておいた。
メルランの背中が空に消えても、ルナサはずっと空を見つめていた。

夕方まで必死の特訓を続ける。
手を使っての演奏、騒霊の能力を使った手放し演奏、どちらもやってみたが、どちらも駄目で、衰え方に偏った変化は見られなかった。
姉は演奏方法にこだわりを見せなかったので、リリカは出来る限り騒霊としての能力を使って演奏しようと持ちかけた。
恐らく能力を使う方が消耗が激しいのだろうが、このままジリ貧を待つよりは可能性に賭けてみたかった。
残念ながら、結果は芳しくなかった。
消耗は想像以上に酷く、額に汗を浮かばせてはふらつき、倒れかけ、踏ん張り、膝を押さえてまだ演奏を続けようとするルナ姉をリリカは無理に止めた。

リリカはルナサに肩を貸して歩き、屋敷まで帰った。
ぐったりとする姉を、そっとソファーに降ろす。
赤い頬と、荒い息は、まるで熱に魘されているように見えた。
濡れタオルを額にのせて、大丈夫? と声をかけた。
ごめんなさい、と小さく返ってきた。

練習なんて消耗させるだけで、意味が無いのだろうか……。
演奏を取り戻す事が、騒がしくする能力を取り戻す事が、自分たちの存在意義に繋がるという発想は間違いなのだろうか。
額の上で温くなったタオルを、交換に走る。
リリカの消耗も激しかった。
これからは、メル姉の暴走の方も自分が止めないといけない。
何処まで体力が続くだろうか。
悪い考えばかり浮かぶ自分に腹が立って、力任せにタオルの水を絞った。

しばらくしてルナサは元気を取り戻した。
あなたがいてくれて助かったわと、屈託の見えない笑みを浮かべた。
リリカも笑い返した。
お互いにどうしようもない不安を抱えていたが、それを相手に表情で見せる事はなかった。

メルランが吉報を持って帰ってくるのを、リリカは待ち侘びた。
昼間の演奏に対して執着していた自分は何処か消えた。
練習でルナサが倒れかけたせいで、リリカにも直接的な恐怖心が芽生えていた。
騒霊の存在意義が何だなんて、悠長に構えていられない。
都合のいい変わり身だが、即効性のありそうなメルランの提案が、今は一番素晴らしく思えた。

やがて辺りは闇に包まれ、雨が屋根を叩き始めた。
もう、夕食の時間は過ぎていた。
しかしリリカの腰はソファーから離れない。
食欲よりも、心配が勝った。
一人で行かさずに、自分も行けばよかったと後悔する。
ルナ姉が立ち上がり『私が作っていい?』と訊いてきたので『手伝うよ』と歯切れ良く答えておいて、しぶしぶ立ち上がり廊下に出た。

――ガチャ

背後で扉が開く音がして、雨音が一層大きくなる。
びしょ濡れのメルランが、そこに立っていた。
あれほど待ち侘びていたのに、おかえり、とも、どうだった? とも訊けなかった。

頬が濡れているのは、どうやら雨のせいだけではないらしい。

―――――

髪の毛の先から落ちる雫というのは、思いのほか鬱陶しいものだとメルランは一つ理解した。
リリカが姉さんを呼ぶ声を耳にしながら、自分は犬のようにぶるぶると体を震わせてみた。
期待したほど、水は飛ばなくて、余計寒くなった気がする。

二人で取り組みかけてたらしい夕食の準備は、冬の雨に打たれた自分を見て、急遽中止になったようだ。
姉さんから風呂を沸かせとの命令がリリカに下ったが、その前に話す事があるの、と自分は首を振って入浴を拒否した。
ばたばたと家が騒がしくなった。
いつまでもこうして、騒がしくいられるのならば、他に何の望みも無いというのに、思うように、たった一つのことが運ばない。

リリカが毛布を取りに奥に走ったが、ルナサも同じ事を考えていたらしく、結局二倍の毛布が玄関で合流した。
メルランは幽霊みたいな格好になったまま、大きなくしゃみをして毛布を震わせた。
追加で、バスタオルが飛んできた。
順番が逆だ。
我らが三姉妹においてこれであるならば、阿吽の呼吸とはいかなる境地か。

とりあえず全員応接間に集まり、濡れ鼠のメルランに暖かい紅茶が出される。
頭からバスタオルを被ったままの格好で、何とはなくメルランはテーブルの上の紅茶をスプーンで混ぜ始めた。
時たま勢いの付き過ぎた渦の流れをスプーンで遮り、その度に中央に寄った白い泡が揺れた。
紅茶に映る自分の顔は青かった。
一層気分が悪くなる。
だからまたぐるぐると紅茶を掻き混ぜたが、いい加減話を始めないと、リリカが怒りそうだった。

「あの、さ」

向かいのソファーに座る姉さんの声に目を上げた。
メルランが話し出すより、ほんの僅かにそちらが早かった。
隣でじっと自分を見つめていたリリカも、姉さんの方に向き直った。

「とりあえず、メルランが無事に戻って来てくれて、良かったじゃない」

そう言って姉さんは、自分達に微笑んだ。
誰よりも何があったか知りたいだろうに、事情を聞くよりも、まず妹を気遣う事の方を選んだ。
そんな姉が悲しく思える。
姉は何処まで追い込まれても、姉で在り続けるものなのだろうか。

「うん、ルナ姉の言う通りだ。メル姉、一日お疲れ様」
「えぇ、疲れたけど、結果の方は」
「いいよいいよ、今日上手いかなくたってまた明日があるし、まだメル姉が話し合いを続ける気なら、今度は私も一緒に行ってあげるから」
「それが……えーと」
「どしたの?」

おどけて話すか、真面目に話すかでメルランは悩んだ。
どちらが自分らしいかといえば、考えるまでもなく前者だ。
だけど、この話、笑い話にしてしまっていいものか……。

「ごめんね、リリカ。もう話し合いは出来そうもないの」
「え? 何で? そんなにきつく断られた?」
「断られたというよりは、ちょっとばかし口論になっちゃって」
「境界を開く換わりに、とんでもない代償を求められたとか?」
「いいえ」
「じゃ、無理だってはっきり言われちゃった?」
「うーん、その前に、お腹すいてきたなぁ」
「意外と元気があるみたいだから、もっときつく取り調べようか?」
「冗談よ。会話のカンフル剤よ」
「そんなのいらないよ」
「まあ、レイラを呼ぶのは無理なんだって」
「うっ……重要な台詞を出す時は、もうちょい溜めてって。ルナ姉はその事を知らないのよ」

ルナサは眼を細めて聞くだけだった。
何一つ、会話を挟まない。
姉さんは私の顔がちゃんと認識出来ているだろうか……。
姉の動かない瞳を見て、メルランは不安に思う

「ルナ姉、そのね、レイラを呼ぼうとする計画があったんだけど」
「説明はいい。解ってるから」
「解ってる?」
「うん、大体は。色々と衰えてもね、頭の方は鈍っちゃいないのよ」
「そんなそぶり見せたかなー?」
「私を治す方法だなんて、真っ先にレイラが浮かぶでしょう」
「えー、騒霊なんだから、演奏に自分達の繋がりを求める方が先じゃない?」
「騒霊は後付の存在理由。私達がイレギュラーな存在なのを私は忘れてはいないわ」

メルランは胸にナイフでも突き立てられた思いがした。

『貴方達はイレギュラーな存在なのよ――』

同じだ。
姉さんは紫と同じ事を……。

「ま、いいや。とにかくメル姉、どうして駄目なのか理由を話してよ」

考えてみれば、当事者の姉さんが真っ先に変化に気が付いているんだ。
簡単に考え付く事なんて、自分達より先に実行しててもおかしくないじゃないの。
でも……。
だったら、どうして止めなかったんだろう。
まさか、姉さんも幽々子と同じ考えなのだろうか。
消滅は止められない、ならば残った妹達だけでも救ってあげたい。
精一杯の事をさせてやって、少しでも罪の意識を消してあげたい。
姉さんも、そんな風に考えているのではないか。
そうやって無駄だと解っている茶番劇をこれからも必死に――。

「メルラン?」

俯いている自分を覗き込もうとして、姉さんの真っ直ぐな金色の髪が傾く。
涼しい目元。
長い睫。
桜色の頬。
これが生を諦めた人の顔なものか。
自分の青ざめた顔なんかより、ずっと生きている。

「ご、ごめん、ちょっと物思いにふけっちゃって」
「大丈夫、メル姉?」
「心配ないわ。で、何処まで話したっけ?」
「だからレイラが境界では呼べない理由よ」
「うん、肉体が無いと生死の境界は使えないのよ。死体が新鮮じゃないと蘇生出来ないらしいわ」
「あー、やっぱりー……」
「でね、天界にいるレイラをピンポイントで呼ぶことも出来なくて、境界を大雑把に開いちゃうと他の者も巻き添えにしちゃうから駄目なんだって。あ、もし、強引にそれで呼んだとしても大した意味が無いのよ、何故なら生きていたレイラを守る事が、私達の存在意義であったから。霊体のレイラを目の前にしても、そんなのは墓の前で手を合わせて祈る程度の効果しかないんだって」
「むう、それ、レイラ復活説の完全否定じゃん」
「そういう事になるわねぇ」
「そうだなぁ、皆で墓参りをやってみますか。一週間ほど前にやったばかりだけど」

リリカの声に、メルランとルナサが同時に頷く。
これは例え効果が無くとも、デメリットも無さそうなので、いい案だ。

「結局ね、リリカが推すように、私達には音楽しかないのよね。明日は頑張ってライブでもやってみる?」
「あ、いや、それは……」
「ん?」

リリカがちらりとルナサの瞳を覗き見た。
ルナサはその動きに、小さく頷いた。

「ルナ姉、昼の演奏で倒れちゃったんだよ」
「え!?」
「だから、とてもライブが出来るような状態じゃ」
「倒れたって……倒れるまであなたは何やってたのよ、リリカ」
「ご、ごめん、でもルナ姉が演奏したがってたし、やるなら必死で限界に挑戦しないといけないから、仕方ない部分も……」
「もっと早く止めなさいよ。何の為に一緒だったのよ!」
「すぐにすぐ止めたら、解るものも解らないでしょうが!」
「結局、何も解らなかったのに偉そうな口を叩くわね! 姉さんの体調を最優先させるべきだって今朝も言ったでしょう!」
「はっ、体調の心配なんてしてたら、それこそ一歩も動かせないよ!」
「……ちょっと、二人とも」
「消滅がかかってんだから、慎重に動くに越した事は無いって言ってるの!」
「いいや、危険を覚悟の上で動くべきだと思う!」
「どんどん追い込んでいるだけじゃない!」
「はいはい、そこまで」

リリカとメルランの口に、それぞれクッションが詰め込まれた。

「もがっ……」
「むぐっ……」
「そういうところ、昔から変わらないわ」

ルナサがふっと笑った。
メルランは口に咥えたクッションを外すのも忘れて、その笑顔を見ていた。
そうしてたらリリカが外してくれた。

「それで、二人はこれからの事をどう考えているの?」
「え、ええと……幽々子にもう一度相談してみたらどうかな? 私達じゃこれ以上は何も浮かばないし」
「あ、リリカ。幽々子は、もう駄目なのよ」
「駄目って?」
「喧嘩しちゃった。だって酷いのよ幽々子」
「お得意様と唐突に喧嘩を始めるメル姉の酷さには誰も敵わないよ……と平常時なら言うところだけど」
「言ってるじゃないの」
「それで、喧嘩の理由は何なの?」
「幽々子の姉さんを救いたいという気持ちが、見せかけだけのものだってのが解っちゃったから、頭にきたのよ」
「嘘ー? そんな人だったかな?」
「そんな人だったの。紫がその事を教えてくれなかったら、えらい事になってたわ。そのせいで紫と幽々子は会ってすぐ喧嘩別れしちゃったけど」
「じゃ、じゃあスキマ妖怪は私たちの味方なんだ。そちらに頼ってみるというのはどうだろう?」
「あ、それも駄目」
「困った時のスキマ頼りってのも、恥ずかしい話で……え、駄目なの?」
「実は私、紫とも喧嘩しちゃいました」
「ちょっと何でスキマまで敵に回しちゃってるの!?」
「強いて言うならば、場の流れかな」

リリカが大きく肺に息を吸い込むのが見えて、次を予測したメルランは耳を塞いだ。
が、先程それで怒られたばかりのルナサの視線を気にしたのか、馬鹿と呟きつつ大きく息を吐く程度に留まった。

「もう、八方塞がりじゃないの……明日の予定は墓参りだけ?」
「あ~、することないなら、私の暴走予防をリリカが手伝って」
「手伝うつもりだったけど、そういう言い方されると物凄くむかつく」
「……ねぇ、やっぱりライブをやってみない?」

突然会話に入ってきたルナサの提案に、二人は言葉を失くす。
口数の少ない姉だが、その分、一言一言の影響力は大きい。
狙ってやっているのか、いや、性格なのだろうが。
ともかくこの一言も、二人にずしんと響いた。

「解るけど……でも、ルナ姉、やっぱり危険だよ。練習で倒れたのを忘れたわけじゃないよね?」
「リリカこそ忘れたの? 『危険を覚悟の上で動くべきだと思う』私は確かにそう聞いたわよ」
「いや、それは、試した事が無い事柄に対しての可能性の問題であって……」
「練習とライブは違うと思う。聴き手がいてこその騒霊なのかもしれない」

聴き手がいてこその騒霊。
ややもすれば白けるほど綺麗な言葉だったが、メルランはその言葉に深く頷いた。
やる気を出している姉の提案でもあり、その言葉に惹かれた部分もある、こうなると危険だから動かないという理由は弱い。
やってみたらどうだろうか……。
どうやら、リリカも同じ思いだったらしい。

「やって……みる?」

リリカからかかった誘いに、もちろん、とメルランは答えた。
目標がある、期待が持てる、それがどんなに僅かでも救いだと感じる。
何も出来ぬまま時間と戦うよりは、遥かにマシだろうと、心から思う。

「あなた達二人には、私の演奏で恥ずかしい思いをさせてしまう事になるわね、ごめんなさい」

ルナサの言葉に、メルランもリリカも首を全力で横に振った。

「よっし、明日は朝からゲリラライブだ!」

リリカが突き上げた右手を合図に、オー! と三人の元気良い声が揃った。
その途端、部屋がぱっと明るくなった気がした。
紅茶に映る自分の顔は相変わらず青白かったが、それが少しだけ綺麗に見えた。
それから食事を作り、風呂に入り、談笑して、夜が深くなってきたところで、メルランは部屋に戻った。

一人になると、一気に寂しさが襲ってきた。
ベッドの上の空間に、メルランは何時ものように毛布に包まって浮かんだ。
もっと狭い家ならば、皆と一緒に寝る口実になっただろうか。
音の無い静かな夜に、意識ばかりがざわめいていて、思い出したくもない言葉を拾い上げてくる。

『貴方達はイレギュラーな存在なのよ。これまで消えずに来られたのが奇跡であり、遂にそれに終わりが来たの』

やめて。

『一人欠ければ後は時間の問題でしょう。三人揃って死になさい。そうすれば、長生きした者が寂しさに苦しまずに済むわ』

嫌だ。
怖い。
何が楽しいのよ。
そんな事を口にして。

メルランはその台詞の意味が半ば解ってしまう事が一番嫌だった。
毛布を耳に押し付けて、心の声に対して抵抗を試みた。
無駄だと解ってはいる。
解っていても、抵抗しなくてはいけない。
何でもいいから。

何でもいいから……。

―――――

太陽は何一つ変わらず、毎日の始まりを告げてくれる。
あの太陽の寿命は後どのくらいだろう。
それとも、あいつは、死なないのだろうか。

カーテンを開けて、朝日に目をしかめながら、リリカはそんな事を思っていた。
その日もリリカの起床は早かった。
メルランの暴走予防に付き合うために、早起きした。

さて、あの寝ぼすけを起こそうかと、リリカが廊下に出るとメルランとばったり出くわした。
朝の挨拶というか、適当な軽口を叩き合って互いにテンションを高めた後、二人して墓場に向って飛んだ。
その道中、メルランの軽口の中に『無理しないでね』という言葉が混ざっていたのを聞いて、リリカは少しだけ気分が良かった。

リリカの頑張る気満々で挑んだデュエットだったが、それは思わしくない結果に終わった。
終始、高いトランペットにリリカは引き摺られっ放しだった。
脳が痺れる。
相当にきつい。
気を抜くと、演奏中に魂でも持っていかれそうだった。
騒霊同士、お互いの演奏に強い耐性を持っているはずなのに、この様か。
人を躁にさせる魔力とは、こんなに凄い力なのかと思い知らされる。
リリカは落胆した。
ルナ姉には頭が下がる思いだった。
こんなのをいつもコントロールしていたのかと。
『初めてだから少し抑え気味にやったけど、悪くない結果ね』とメル姉が話しかけたきた。
あれで、抑えてたんだ、とまたリリカは落ち込む。
実はやばかったです、とはとても言い出せない。

演奏は、時間を意外と食っていたようだ。
元気なメルランの背を追い掛けて、リリカは屋敷へと向った。

門の前に死神がいた。

―――――

「何だ、お前ら外にいたのか?」

赤髪の死神は挨拶も抜きに、二人に気さくに話しかけてきた。
来意も不明である。
リリカが見当をつけるならば、ルナ姉の事しか考えられないのだが。

「何やってるのそこで?」
「待ってたんだよ、家の人の許可なく勝手に敷地内に入ったらまずいだろ?」
「そんな細かい性格には見えないわよ、あなた」
「四季様がその辺り厳格でね。住居不法侵入罪とか勝手に罪を作っちゃうんだよ。守らないとやばいの。守りたくはないの」
「で、死神様のご用件は?」
「そんな怖い顔するなって、あたいが悪者みたいじゃんか」
「いや、死神って悪者じゃん」
「偏見だ、差別だ、ほんと何処行ってもあたいは扱いが悪い」
「リリカ、塩」
「ありがと、姉さん、そら、悪者は塩で溶けろっ!」
「あたいはナメクジかよ。お前は何で塩なんか常備してんだよ」
「ナメクジは害が余り無いから好きよー?」
「そりゃ、ナメクジ以下って事ですかい……」
「しっ、しっ、帰れ、帰れ」
「しかし、ま、こんな扱いを受けるって事は……当たってるらしいな、あんた達の姉さんが消えそうだってのは」

リリカの不安は当たっていた。
この死神は、ルナサ・プリズムリバーの魂を狙って来たのだ。

「ハイエナが。死臭を嗅ぎ付けて来やがって」
「死臭を嗅ぎ付けたとは言い得て妙だが、お前さん達の場合は死ではなく、消滅を嗅ぎ付けたと言うべきかな」
「サボり癖のある死神のくせに、こんな時に限って仕事熱心な事」
「何でまた私達だけを? それとも死神って幻想郷中を飛びまわっているのかしら」
「お前らは特別だ。あの子達は不安定だから注意しとけと、四季様が前に言ってたからな」
「もしかしなくても、姉さんの魂を刈取りに来たの?」
「やれやれ、こんな辺境くんだりまで、ご苦労様だ」
「あのな、二対一ってのは話しづらい。どっちか黙っててくれないか」
「そんな必要は無い。黙って帰るのはあんただ」
「あたいは敵じゃないぜ。むしろお前たちを助けに来た」

――助けに来た。

何を馬鹿なと思っても、二人の口は開かない。
その言葉をリリカはどれだけ待っていたか。
藁をも縋るとは、こういう思いだろうか。

「助けに……って?」
「ルナサ・プリズムリバーはこのままじゃ消滅するだろう。それを止めに来た」
「ほ、本当に?」
「ああ」
「それで、何をどうすれば消滅は止まるの?」

リリカの気が急いた。
逸る思いをぐっと飲み込んで言葉を待つ。
何となく、死神の表情も柔らかく見える。
本当に期待していいんじゃないか。

「消滅の前に死を与えてやればいい。死神の力で魂を刈取ればそれが出来る」

半笑いのまま顔が凍りついた。
言葉の意味を理解すると同時に、全身に怒りが走った。
こんな奴を頼ろうとしていた自分に、腹が立つ。
少しでも信じてしまった自分が、情けない。

「お前らは生き方が良かった。造物ながらも長い人生できちんとした魂を作り出した。今のうちに刈取れば輪廻に乗せられる可能性が高い」

死神の解説は淡々と続いたが、続けば続くほどリリカの頭にはどんどん血が集まってくる。
こんな事で、自分達が喜ぶと思っているこの死神が、もはや、リリカには本当の悪者に見えた。

「ふざけんな……!」
「あ?」
「得意げな顔して何が助けに来ただ! ふざけるのもいい加減にしろ!」
「ふざけちゃいないさ。で、ルナサには会わせてもらえないのか?」
「あんたとルナ姉が会う必要は無い!」
「いいか? あたいは本人の意思を確認に来てるんだ。それで駄目と言うなら何も無理にやろうってわけじゃない」
「ルナ姉に訊かなくても私が言ってやるよ。死神は彼岸に帰れ!」
「……何だっていつか終わりが来る。次の始まりを作ってやる事も大切だと思うがね」
「いいから帰れって言ってるでしょう!」

自分の声が姉のいる屋敷まで届きそうな気がして、リリカはきつく目を瞑った。
畜生、どうしていつも自分だけがガキなんだ……。
心臓の鼓動を抑えるように、胸に手を当てて服を握り締める。
メル姉は剣幕に押されたのか、言葉を挟んで来なくて、成り行きをはらはらと見守る立場に回っていた。

「前々から気にしてはいたんだけどな……」

死神は赤髪を無造作にかき上げて、参ったなという苦笑を浮かべた。
リリカは死神の一挙一動を見守っていた。
少しでもこいつが屋敷に向って飛ぶ素振りを見せれば、飛びかかって抑えるつもりだった。
ルナ姉の所に行かせてはいけない。
もしも、ルナ姉が首を縦に振ったら。
そう思うと、リリカは胸が苦しくて堪らない。

「……しゃあない、出直しますか」
「もう、来ないでよ」
「安心しろ、不意打ちなんてしない。お前らの説得が出来ないうちから彼女に話すつもりは無いよ」

苛ついているわけでも、怒っているわけでもなく、死神はその平坦な口調を最後まで崩さなかった。
死神は二人に背を向けて、門から少し離れる。

「今日は悪かったな」

鎌の柄で名残惜しそうに門を軽く叩いて、それから死神は屋敷とは逆に飛び立った。
下から見上げた死神の姿は、逆光で影になった瞬間に、最初からいなかったように空から消えた。
手品みたいに、ふっと消えた。

「な、何、今の? 何処に消えたの?」
「距離を操る能力じゃないかしら? 死神と無縁塚の距離を縮めたんじゃない?」
「あー、あいつ、そんな能力があったんだっけ」

便利な能力だなと、リリカは感心した。
その途端、小骨が喉につっかえたみたいに、もどかしい気分になった。
まるで、想像もつかないのだが、その能力は何かに使える気がしたのだ。
使える……便利だとかそういう意味じゃなくて、もっと別に……。

「諦めろ、諦めろって、みんな言う事は同じなのね」
「は? 誰の事?」
「何でもないわ。ねえ、リリカ。姉さんにはこの事は言わなくてもいいのよね?」
「あ、当たり前じゃん! メル姉はあいつの意見に賛成なの!?」
「大反対よ。最後まで私達は頑張ると決めたのだから、でも……」

そこから声は続かない。
辛い沈黙の後で、リリカはメルランの気持ちを察した。
ルナ姉はどう思っているのだろう。
死後に望みをかけたいのか、少しでも長く一緒にいたいのか。
いや、いや、違う。
まるで終わったみたいな言い方をしてはいけない。

「さ、気を取り直してライブだ!」

今度はむしろ屋敷へ届けと、リリカは前を向き大きく叫んだ。
赤錆びた門を開け、メルランの背を押すと、二人一緒に屋敷へと歩き出した。

―――――

レイラが好きだった花がある。
小さくて綺麗な花だった。

三人はライブを始める前に、レイラの墓に花を持って寄った。
小高い丘の上に、木製の小さな墓標が見える。
その下にレイラの骨と、レイラの僅かな遺品が眠っている。
墓の前に置かれたスイトピーは、鮮烈な紅色を誇ったまま薄っすらと霜を降ろしていて、とても美しく見えた。
リリカは持ってきた新しいスイトピーと交換して、目を瞑りレイラに祈った。
目を瞑るとレイラの笑顔が見える。
あの子はいつも笑っていた。
何よりも家族を大事にし、死ぬまで私達の事を気にかけていてくれた。
ならば、今、三人の願いもレイラの願いも同じなのだろう。
祈りは天に届くだろうか。

ライブの成功祈願というわけでもなかったが、墓に寄った事で少しだけ皆の気持ちが上向いた。
ルナサは空を飛ぶのにも苦労していたので、リリカとメルランがそれぞれ脇から支えて、目的地に向った。

最初に、湖上の妖精達を相手にした。
集まった数はまばらだったが、初めは素直に聞いてくれていた。
そのうちに「つまんない」という声が、群れの中から小さく上がった。
瞬く間に波紋は広がり、低いブーイングへと変わった後、妖精たちは散り散りに去っていった。
演奏が終わらぬうちから、聴き手はいなくなり、三姉妹がぽつんと氷上のステージ残された。
演奏の出来が良いとは思わなかったが、これには皆一様にショックを受けた。
リリカはこの結果に慰めるか叱咤するかで迷うも、結局何も言葉にならず、唇を噛み、次の目標に向って飛んだ。

人里に下りて人間を相手にする事にした。
陽気な妖怪どもよりは、こちらの方がまだましな結果じゃないかと判断した。
南に向かい、人里に付いた頃には、物珍しさからか人間が勝手に集まってきた。
軽く二十は越えていそうだ。
好機とばかりに紹介を手早く終わらせ、演奏に入る。
始まりから終わりまで人間は黙って聴いてくれた。
これならば少しは、と期待した。
だけど、演奏が終わっても誰一人表情の変化も見られず、顔を見合わせて、ああ、終わったのか、と小さな拍手が返ってきた。
それは無感動で儀礼的な拍手。
演奏が終わったら拍手してやるのが普通だろう、というものだ。
その最中にも大きく欠伸をしているものが、何人もいた。

まだ妖精達の方が素直でましな反応を示してくれたのだと解った。
屈辱だったが、無駄に姉の力を消耗させてしまった事への後悔の方が強い。

ルナサは精神的にも限界に来ていた。
この寒さの中で、体中に汗を掻いていた。
リリカはタオルで汗を拭い、メルランは火を借りてルナサの体を温めた。
しばらく止めるか続けるかで議論があったが、ルナサの強い要望で続ける事に決まった。
二人はルナサを担ぎ上げて、低空飛行で最後の目的地に向った。

妖精、人間、駄目ならばと。
リリカ達が目指した最後の場所は蓮池だった。
演奏の相手は、氷精がよく凍らせて遊ぶので有名な蓮池の蛙達である。
馬鹿馬鹿しいとは思いつつも、昔はヒマワリ相手に大演奏したことだってあるのだ。
何より今のルナサが人目を気にせず、演奏に集中出来る環境が欲しかった。
ライブの相手が何であれ、構わないのだと信じたい。

演奏を開始すると、幾らかの蛙は音に五月蝿がって蓮の葉から飛び降り、幾らかの蛙は頬を膨らませてゲコゲコと演奏に応えた。
ほんの少しだが、ヴァイオリンの伸びが良く感じられる。
やはり人目が無い方が、プライドの高いルナ姉には有効なのかもしれないな、とリリカは思った。
演奏が終わっても、蛙どもはゲコゲコと五月蝿いままだった。
空を見上げると、雲は鉛色で、そこから雨の模様が見て取れる。
ひょっとするとこいつらは、これから来る雨を喜んでいるだけで、別に演奏を聴いていたわけではないんじゃないか。
そんな風にリリカが思っていた時だった。

「有難いわね、蛙は私の声をまだ聴いてくれる……」

ルナサはそう言った。
汗は相変わらず酷く、息も途切れ途切れだが、その顔に血色だけは戻って見えた。

―――――

トランペットの高音が墓場全体に轟いている。
疲れ果てたルナサを寝かし、メルランの暴走予防に墓場に付き合いながらも、リリカは頭では別の事をずっと考えていた。
そんな具合だから、トランペットについていける訳も無く、すぐにメルランの方から休憩を申し出てきた。

「とうしたの、調子出ないわね?」

そんな声を耳にして、リリカは適当に頷く。
メル姉の問いかけに生返事を繰り返しながら、頭の中ではさっきから同じ考えがぐるぐると回っていた。
結果的にはライブの相手は蛙が一番良かったという事になる。
ルナ姉の症状に対してプラスかマイナスかで言えば、最後の演奏もやはりマイナスなのかも知れない。
しかし、他の場所での演奏より、明らかに消耗を抑えられた。
もしかして、ルナ姉は蛙が好きだったかしら? と考えたがそれは違うとすぐに消した。
どちらかと言うと、ルナ姉はぬめぬめが嫌いである。

小さな雨が風に流されてきて、やがて本格的に降り出した。
近くのけやきの木の下に、二人は一時的に避難する。
メルランはまるで手応えのないリリカに話しかけるのを止めて、腕組みをし、何やら思案にふけっていた。
これは幸いだと、リリカも考えを深める。

騒霊としての役目とは、存在意義とは何だろう。
それさえ満たしていれば、自分たちはこの世にいられるのだろうか。
リリカにはどうしても演奏しか思いつかない。
レイラが死んでから、今までそうする事で生き長らえてきた。
だとすれば、己の魂の音で相手を震えさせる事が出来れば、それが自分達と世界との繋がりに、生きる力になってくれていたのだろうか。
何だか尤もらしい考えの気がするが……。

鼻の頭にぽつりと冷たい不意打ちがあった。
けやきの木は、傘の代わりになってはいるが、ちょっと雨漏りをするようだ。

ああ、自分達は植物相手にでも演奏をしていたなと思い出す。
ヒマワリ、桜、鈴蘭、長い間ライブをやってきたが、実際演奏対象に拘りは無かった。
例えば、今見上げているこのけやきの木も、自分達の演奏を聴いた事があるかも知れない。
生きている相手ならば植物に聞かせたって、力が得られるのでは?
だったら……。
いや、今はもう無理か。
霊の宿らぬヒマワリ相手でも、あの頃は音で揺らす事が出来た。
今日、蛙達のいる蓮池で演奏しても、蓮の葉に自分達の震えを伝える事は出来なかった。
力が足りていない。
やはりそういう事は、自分達の力が充実していた頃だったから出来る話なのだ。

(そういえば、力って何だ?)

純粋に音の大きさだろうか。
音楽家としての個人レベルだろうか。
全体の調和だろうか。
……違うな。

リリカはもう一度空を仰いだ。

自分達が本格的に音楽を始めたのは、レイラが死んでからだ。
最初はライブも下手くそだったはずである。
音の調和なんて考えもせず、三人が好き勝手に演奏をしていた。
それでも充実していた。
演奏は上手い必要が無いのか?
それは、どうして。

リリカは少し考え方を変えてみた。
そうだ、いい例があるじゃない。
自分が消滅しかけた時に、何が力をくれたのか。
音の震えだ。
メル姉のトランペットとルナ姉の呼び声が、自分をこの世に繋ぎとめた。
おそらく、音の伝達が自分達を繋ぎとめているという考えは正しい。

一般的に騒霊とポルターガイストは同一視されているらしい。
彼らも自分達も、音による自分の存在を、生命ある相手に伝える事によって、自分達の存在を確立している。
手段が音楽である必要は無いのだから、上手下手で存在が左右されるはずもない。
そうすると、自分達が相手に伝える為に選んだ方法が、偶然音楽だったという事か。
……偶然?

「レイラ……」

思わず漏れた声に、メルランが横目でリリカを見たが、特に声はかけてこなかった。
しかし、レイラ。
彼女は全て知っていたんじゃないか。
自分の存在が消える将来を見据えて、姉達に楽器を持たせたんだ。
クリスマスプレゼントと言って、屋敷から古い楽器を幾つか引っ張り出してきてくれた事は、リリカにも懐かしい想い出として残っている。
自分達の拙い演奏でも、手を叩いて喜んでくれるレイラの存在が嬉しくて、レイラに聞かせる為に演奏を続けてきた。
あの子が楽器を持ってこなければ、自分達の演奏を誉めてくれなくては、三姉妹でのライブなどは考えつきもしなかっただろう。

存在意義だったレイラが失われてしまえば、残った騒霊は徐々に衰えて、いつか消える。
失う力は仕方ないならば、失う力に負けぬ、得る力を手に入れる必要があった。
自分達の演奏がそれだ。
魂の震えを楽器を通して音という形にし、空気を伝わせ聴き手の耳に届かせて、感情を揺さぶる。
騒がしいと逃げられてもいい、驚かれてもいい、もちろん感動でもいい、音に対しての反応が大きければ、それだけたくさんのエネルギーになる。
音で人と人を繋ぐ。
命の共鳴だ。
その時、生きているという証が、双方向性になる。
レイラという力の供給源がなくなった自分達は、他人のエネルギーを借りて命を繋いできたのだ。

「あのね、リリカ。私ちょっと考えたんだけど」
「……ん?」

唐突に思考は遮られたが、ほとんど考えは纏まっていたので、その中断はむしろいいきっかけになった。
リリカはメルランの言葉を待たず、先に自分の考えを伝えた。

「なるほどね」
「どうかな?」
「合ってたらいいわね」
「えー、何その、微妙な返事は」
「ううん。理屈としてはとても素晴らしいと思うわ。だけど、それだけが解っても、結局今までとやる事は変わらないでしょ?」
「確かに方向性は変わらないし、打つ手無しの現状も変わりはないけど……それでも、もう少しさー」
「というわけで、それを踏まえて、こんなのはどうかしら?」
「お?」
「今日、死神が来たでしょ」
「……嫌な事思い出させるね。死神がどしたの? 例の件ならお断りだよ?」
「あいつが持ってる距離を操る能力があるじゃない?」
「うん」
「どうやら今朝見た感じでは、あの技は対象以外からは距離が縮まってるように見えないのよ」
「対象?」
「二点間の距離を本当に縮めてるんじゃなくて、個体と個体の距離の概念を失くしてるのか、二つの空間を弄ってるのか、あれ? 良く解らないなぁ」
「メル姉がそれじゃ、聞いてる方はもっと解らないよ……」
「まあ、実際に縮めてるわけではないわね。今朝、死神が披露した時に、部外者の私達の視点では消えた風にしか見えなかったもの」
「そういう事か。手品みたいにぱっと消えてたね」

リリカは朝の出来事を思い出した。
あの能力には、死神独自のルールがあるのかもしれない。
実際に長い距離が伸びたり縮んだりしてたら、大変な事になってしまうわけで。

「それを音に利用できないかな。糸電話みたいな」
「は? 糸電話?」
「例えば筒と筒を用意して、それぞれ離れた場所に置いてから距離を縮めてもらうとね、一方の筒の音がもう一方から流れたりするんじゃないかしら」
「何で筒?」
「何となく筒抜けしそうだから」
「わお、理屈じゃない」
「茶化すならやめるわよ?」
「とんでもございません、お姉様」
「姉さんはね、今日の演奏で解ったけど人目が無い方が調子いいみたいでしょ?」
「うん、それは私も思う」
「だから、人気のない場所で演奏して、それを人の多い永遠亭や紅魔館に無理やり繋げてみたらどうかしら」
「ほぉ……」

思わずリリカから感嘆の声が漏れた。
これはいいじゃないの。
まず相手が驚くのがいい。
それだけで感情を揺さぶれる。
しかも、彼女らは謎の音の出所を探すために、否応なくじっくり聞く事になるだろう。
一演奏で二度美味しい作戦である。

「起死回生の策ってのには成りそうもないけど、進行を食い止めるくらいならば、もしかしたら……ね?」
「でもさ、本当に音が筒抜けになったりするの?」
「そんなの私が解るわけないじゃないの。これから確かめるのよ」
「そっか。訊きに行けばいい」

これで一つ動く事が出来た。
全て推論であり、死神に訊いてみないと本当のところは解らないが、使えそうな気はする。

(朝方、感じたもどかしい気分はこれだったのだろうか)

そう納得しかけた時、喉につっかえた何かをリリカは再び感じた。
小骨は取れていなかった。
何だか、チクチクとした痛みは、胸の辺りまで下りて来ていた。

――まだだ。

あの能力は、そんなレベルの話ではない。
もっと大きい事が出来る。
しかし、自分はどうしてその様な事を思うのか。

鈍い色の空を見上げる。
遠く北に、雲の切れ目が見えた。
晴れるまで、そう長い時間はかからないだろう。

「メル姉、ちょっと私行って来る」
「いく?」
「無縁塚だよ、早速死神に会って話をしてみたいんだ。それじゃルナ姉をよろしくっ!」
「ちょっとリリカ、私の暴走予防は!?」
「後で、後で。夕方までには戻ってくるからさ」

雲の下へと飛び上がる。
雨は小降りになっていたが、急加速すると痛いくらいに肌に刺さった。
リリカは空に見えた僅かな光明を、しかし大きな希望にして無縁塚を目指し飛んだ。

僅かに前進した。
しかし、このままでは間に合わない。
そんな事は解っているが……。

何かが見えた気がする。

―――――

小町はサボっていた。

鎌を土の上に放り出して、無縁塚にでーんと寝転がって晴れていく空を見ながら、あんころ餅を口いっぱいに頬張って、鼻でしっかり息をしていた。
ああ、忙しい、忙しい、息をするのも忙しい。
そんなこんなで、小町は今日も適度にサボっていた。

いやいや、もうすぐ毎年恒例の冬のアレが来るのだから、このくらいサボっても罰は当たるまい。
やたら忙しくなる分、気力、体力共に、今から蓄えておかないと。
色々と理由は付けるが、とどのつまり小町はサボる。

『今日出来そうな事は明日もやらない』

それが長い死神生活で悟った、小町の生き方である。
なるようになるさ、必要があれば馬鹿でも動く。
それまで楽に生きていこう。
四季様みたいな、愛と仕事だけが友達さ、なんて人生は小町には苦行にしか見えない。

まだ二つ目のあんころ餅が口に残ってるのに、無理やり三つ目を詰め込んで、小町の鼻息がますます盛んになったその時だった。

なんか降ってきた。
何かを叫びながら降ってきた。
小町の腹に。

「げぉぁ!?」

このときの小町はかなり辛かった。
まず、腹が猛烈に痛いのに腹が庇えない。
両手は口を押さえるのに使っていた。
本当言うと悲鳴は専売特許たる「きゃんっ!」でいきたかったがその余裕も無かった。

「いやぁ、すぐ見付かって良かった! 私ってラッキー!」

マウントポジションでキーボードを掻き鳴らす馬鹿に、全力で頭突きをお見舞いしてから小町は起き上がった。

「ちょっと死神さん! 今のは痛かったよ!?」
「何の嫌がらせだこれはっ!!」
「ううん、ラブソング」
「死にたいかこのやろう!」
「死神様にお話があってね。急ぎだし無礼は勘弁してよ。貴方の能力を借りに来たの」
「何?」

急ぎの話とな、なるほど、あれか。
小町は服を正し、それでは仕方ないなと、リリカに向き直る。

「解った。よく決心してくれた。死は辛い、だが忌むべきものではない。お前の姉さんはそれを知ってい――」
「何それ? あのさ、違う場所の音をね、あなたの能力で繋げられない?」
「あぁ!?」
「いやー、話すと長くなるんだけど」

小町の期待と違って、話は明後日の方向を向いていた。
音の距離を縮めてくれという事らしいが、自分がやったこともない事を言われても困る。
いや、何故そんな事を、あたいが協力してやらねばならんのだ。
向かっ腹が立つが、その辺、ガキ相手にムキになっては負けだと、小町は必死に気持ちを落ち着かせる事に集中した。

「というわけで、小町なら何とかなるっしょ?」
「何で口調がタメになってんだよ! 何時からそんなに親しくなった!」
「小町。友情に時間なんて関係ないさ」
「友達じゃね……ああっ畜生!」

馴れ馴れしく肩に置かれた両手を振り払って、小町は叫んだ。
落ち着いても、落ち着いても、瞬く間に掻き乱される。
相手のペースに持ち込む作戦なのは解っているが、元々気性の荒い小町にはこの攻撃は辛かった。

「でもね、私達本当に困ってるのよ、もしやってくれるならば、それなりに報酬は用意するから」
「音を繋ぐなんて知らないね。そんな事は意識した事もない」
「出来ないの?」
「やった事がないと言っているんだよ。出来るかどうか解るかそんなもん」
「えー、死神って大したことないなー」
「それ以上は、あたいを怒らすだけだから止めておけ」
「はい」
「……あのなー」
「今すぐ返事が無理ならさ、明日また訊きに来るから」
「あたいは面倒な事はしないんだよ」
「面倒じゃないよ。それに、きっと小町にも役に立つって」
「何だと?」
「ほら、サボってる最中にも、音で遠く離れた閻魔様の動向を窺えるようになるわけじゃん?」
「あ、それは凄くイイ」
「ま、考えといてよ。お願いします」
「報酬ってのは何だ?」
「うちの屋敷に外の世界の古い銭とかあるんだ」
「いらねえよ」
「欲しがってよ」

妙にフランクなやり取りは、十分ほど続いた。
リリカの話は引いて押してで、絶妙にコントロールされた会話といえた。
話しを続けていると、何だか昔から仲が良かったような錯覚がしてしまう。
最後に、よろしく頼みます、と深々と頭を下げて、リリカは飛び去っていった。

「まったく、何なんだありゃ……」

ちょいと興味があるから試してやるか、と小町は三途の川に歩き出した。

―――――

「ただいまー!」

全速力で帰ってきたリリカだったが、出迎えは無かった。

ぽいぽいと靴を投げ捨てると、家に上がり姉たちの姿を探す。
食堂からいい匂いが漂って来て、お腹が白旗を振って降参した。
何か口に入れてから姉達を探そうと考えて、リリカは食堂に向う。

食堂では皿の上でトウモロコシがまだ湯気を上げていた。
茹でたとうもろこしに齧り付きながら、リリカは辺りを見回した。
姉さん達の皿も無いし、食事は済ませたのだろう。
しかし、やけに静かである。
二人とも寝ているのか?

只のトウモロコシが飽きるのは早かったが、他におかずは枝豆くらいしか見当たらなかった。
昼食はメル姉が一人で担当したんだな、とリリカは思う。
ルナ姉があの状態では、文句も言えない。
しかし、外で頑張って活動してきた自分が、家に帰ってこの扱いとは寂しい事だ。
ルナ姉が治るのを楽しみにしておこう。
治る、必ず。

動くたびに尻の下が、何故かもそっとするのが気になり、リリカは自分の席から立ち上がった。
そうしたら、椅子の上に一枚の紙切れが置いてあるのを発見した。
自分へ宛てた手紙だろうか。
書置きって普通はテーブルの上に置いておくだろうと、愚痴りながらも、何かあったのかと心に不安が募る。
小さな紙を拾い上げる。

『姉さんの様子がおかしいので、医者に診てもらいに行ってきます。すぐ戻ります』

「馬鹿っ!」

紙をテーブルに叩き付ける。
医者で何とかなる話じゃない事くらい、とっくに解っているだろう。
それでもメルランが動かなければならなかった。
嫌な想像しか浮かばない。
腹も立ってくる。
せめて自分が戻るまで待てなかったのだろうか。
そんなに急を要する事か。
今、動かしても消耗するだけだと解らないのか。
どうして自分の吉報を信じて待ってくれない!

時計を見ると、二時前だった。
どうする、追い掛けるか。
妖怪だろうが、半幽霊だろうが、相手を問わず診てくれる医者といえば、永遠亭の薬師しか存在しない。
食卓の様子から見るに、出てそんなに時間は経っていないはずだ。
決心はすぐについた。

雨が上がったのに外は薄暗く、気温も冷たい。
マフラーと手袋を取り、玄関に向おうとしたところで。
突然、がくんと身体が下がった。

「うわ?」

膝が折れていた。
床に打ち付けられた膝頭の痛みを感じる間も無く、上半身が倒れ込んで来るのを両手を突き出して止めた。
眉間に大粒の汗が浮かんだ。
何だ、どうしてこけた。

「あ? ああ、足が滑ったんだよね……ちょっと疲れが溜まってるのかな」

そうであって欲しい。
これは、ちょっと洒落にならない。
笑って立ち上がろうとして、自分の足が揺らいでいるのが見えた。

(この根性無し……!)

暴走予防が負担になっている上に、ライブも満足に出来ていない。
精神的な疲れもあり、このままいけば自分にも何らかの影響が出てくるだろうと、リリカは予測していた。
だが、早過ぎる。
三姉妹で自分が一番楽な立場にいたんだ。
ここで倒れて許されるのは、姉さんだけだ。

(立てっ……!)

膝頭に両手を当て、必死に自分の形を思い出した。
手で支えるようにして立ち上がる。
まだ、少し感覚がはっきりしない。
歪んだ視界の中で、レイラの赤いワンピースがちらりと見えた気がした。

ニ、三度、足の裏で床を踏む。
もう、痺れはない。
慎重に何度か瞬きして、顔を上げた。
元の世界には、レイラはいなかった。

リリカは考えた末に、消耗を抑えることを選んだ。
姉達を追い掛けるのを諦め、踵を返して居間に向かい、ソファーに深く腰かけた。
息を肺から搾り出し、目を閉じて姉の無事を祈った。

死神はいい返事をくれるだろうか。
不安な要素はどんどん増えてくるというのに、望みはそこにしか無かった。
余りにも分が悪い。
新しい事を考えないと……。

やがて、玄関のベルが鳴った。
時計の針は三時を回っていた。
読んでいただき有難うございました。
長いですが、3に続きます。
はむすた
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コメント



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88.100名前が無い程度の能力削除
期待!
115.100名前が無い程度の能力削除
ヤバイ
ぐいぐい引き寄せられる