※全部他人の空似です。
鬱蒼と茂る森の中を彼女は一人歩いていた。
日はとうに落ち、夜の静けさが辺りを包んでいる。
じわり、じわり。
歩くたびに開いた腹の傷から血が染み出してくる。
彼女は傷を押さえていたが、それがもう何の役にも立たないことはわかっていた。かといって傷を押さえている手を離してしまえば、そこから内臓やらが飛び出してそれはもういろいろと酷いことになるだろうから、やはり少しは役に立っていると思う。
痛みはもう感じない。
傷を負った時には気を失いそうなほど痛んだけれど、時間が経ちすぎた。
多くの血が流れ出してしまったから、感覚がほとんど麻痺してしまったのだ。
「あーあ、ドジ踏んだなあ……」
ぽつりと呟く。
今日退治した妖怪は手強い奴だった。陰陽玉の力を借りてようやく倒すことができたけれど、代わりにこっちは腹を深く抉られた。だから結果は五分五分、痛み分け。どっちも助からないという点においては。
こんなことになるくらいなら力の出し惜しみなどしないで最初から全力で当たればよかったと後悔している。
いい加減歩くのも辛くなってきたので、木に寄りかかるように体を預けてずるずると地面に座り込んだ。
手を離すと、傷口からどろりとした血があふれ出た。その血が巫女服の白い部分を赤く染めていく。
せっかくのめでたい紅白が台無しだと思う。どちらか一色ではだめ。両方揃って初めておめでたい色なのにと。
こんなこと考えるなんて余裕だなぁ。自分で自分の能天気さに呆れてしまう。お迎えがもうそこまで来ているのに何を考えているのやら。
「……そうそう、死ぬ前にこれだけはやっておかないとね。……おいで」
差し出された手の上に陰陽玉が乗る。
淡い光を放つそれを胸に抱き、自分の命を注ぎ込む。誰に習ったわけではないが、不思議なことにやり方は昔から知っていた。
彼女の命が空になると、陰陽玉は博麗神社の方角へ一直線に飛んでいった。
◇
私は“生まれてから”十年以上は生きた。周りから見れば早死にかもしれないが、先代は幼くして亡くなったというからそれに比べれば私は長生きしたのだと思う。それが幸せなことかと聞かれれば首を傾げてしまうところだけど。
私は先代に似て責任感の強いところがあるらしく、妖怪が村を苦しめていると聞けば遠くの村でもすぐに駆けつけた。
自分ではそれが普通だと思っていたけれど、噂では私は妖怪退治が三度の飯より好きというとんでもない扱いをされたこともあるようで。……まぁ、一年のうちのほとんどを妖怪退治に西へ東へ駆けずり回っていたから、客観的に見れば私はそういうものなのかもしれなかった。
でもって一つの仕事が終われば次の村、それが終わればまた次の村……よくこの歳まで生きていられたと思わないでもない。
振り返ってみれば妖怪退治、妖怪退治、妖怪退治。私の生涯はひたすら妖怪退治に費されたと言える。
精一杯やったから後悔はない、と言えばそれは嘘だ。
西へ東へ移動する合間に立ち寄った村で婚礼の儀が行われていると、ついつい余所見をしてしまうことがある。一応、私も女だからね。綺麗な服を着たり、誰かと結婚して子供を作って幸せな生活を……とそんな年頃の娘みたいな夢を見ることだってある。知り合いの妖怪に話したら腹を抱えて笑われたけど。
ま、現実は甘くないし、そんな甘い現実に浸っている暇があったら困っている誰かを助けに走るのが私だ。
というかね。
私の近くにいる男なんてあいつくらいしかいない。
あれが相手じゃどう考えても幸せな家庭なんて望めそうもないし、そもそもそんな気だって起きやしない。亭主の道楽に付き合わされる女房なんてきっと私の柄じゃないだろうし。
――それに、私にはきっと一生、そんな幸せはやってこないんだって思わないと、こんな仕事なんてやっていられない。
思い出す。妖怪を退治して村に戻ったときの空気を。
喜びと畏怖とが入り混じった空気。村人たちは口では感謝の言葉を述べながら、心の奥に得体の知れないものに対する恐怖を抱えている。
ただ恐れを知らない子供たちだけが、私に触れようと親たちの手の中でもがいていた。
彼らの、大人たちの目はいつも語っていた。
「いつかこの力が自分たちに向けられるのではないか?」と。
その気持ちはわからなくもない。現に、山賊化した妖怪退治屋たちに襲われて壊滅的な被害を受けた村もあると聞く。
強すぎる力は争いの元だ。それを振りかざして幻想郷中を駆け回った私も、彼らには危険な存在に映るのだろう。
だから見返りなんて期待しない。無邪気に喜ぶ子供たちの顔が見られればそれで十分だ。
そんなことを話したらまた別の知り合いは喜んでいたっけ。
けど、そいつは難しい顔をしてこんなことも言っていた。
……お前は人間に寄りすぎている。もう少し『博麗』としての自覚を持ったほうがいい。
はて?と思った。人間大好き主義なこいつが、なんでそんなことを言うんだろうって。
顔と目を見れば冗談なんてこれっぽっちも混じっていないことはすぐにわかった。だからこそ余計にこいつの考えがわからなかった。
◇
「……貴方ならわかるかしら?」
目の前は暗い闇。とうに失せた感覚では目蓋が開いているのか閉じているのか、また見えているのかどうかもはっきりとはわからない。聞こえてくる音も風か耳鳴りか判別しづらかった。
辛うじて動いている身体に活力を与えるため吸い込んだ空気と一緒に、彼女はそんな言葉を吐き出した。
「……いるんでしょ? こんな時にまで……焦らすのは止めて頂戴」
多少の怒気を込めたつもりだったが、本当に喋っているのか、それとも自分が頭の中で思い描いているだけなのか、区別がつかなかった。
――人聞きの悪いことは言わないで欲しいわね。私だっていつもいつも聞き耳を立てているわけではないわ。
――そんなわけあるか。
彼女は今度は頭の中で突っ込みを入れる。聞き耳を立てていないならどうして私の言ったことがわかるんだ、と。
――偶然よ。妖怪にやられた退治屋ってのを見に来たら貴方がいたの。
――はは。それはいったいどんな偶然だ……ってちょっと待て、人の頭の中を勝手に覗くな頭の中に話しかけてくるな。
――何言ってるの。貴方はもうほとんど死んでるから思念が駄々漏れなのよ。私でなくても見えてしまうわ。それに、喋るよりはその方が楽でしょ?
――……まあそれもそうね。
注意するつもりが逆に丸め込まれてしまった。けど、確かにその方が理に適っているのであえて反論はしなかった。
――で? 貴方ならあいつの言った意味、わかるんでしょ?
――もちろんわかるわよ。……むしろ、貴方がわからないことが私には不思議でならないわ。
声はくすくすと笑っている。何だか馬鹿にされているみたいで腹が立つ。本調子ならここで頭の一つもひっぱたいてやるところだと彼女は思った。
――“みたい”じゃなくて馬鹿にしているし呆れているのよ。……まったく、貴方って妖怪を退治すること以外は本当に鈍いわね。いい? 貴方はこの幻想郷で唯一『規律』を持つの。言い換えれば、この幻想郷の基準は貴方なのよ。ここまで言えばわかるでしょ?
――……なるほどね。要はバランスの問題か。
――そういうこと。
それきり思念というか話しかけてくる気配がぷっつりと途切れる。
いったい何しに来たんだ、と言いたくもなったが、謎も解けてすっきりしたところでちょうど良い。
――ねえ、早く死なせてもらえないかしら?
――……何のことかしらね。
――とぼけるんじゃない。死んだはずの人間をいつまでも生かしておくなんて他に誰ができるって言うの。
束の間の無言の沈黙。
彼女自身、自分が生きていないことはもうとっくにわかっていた。
流れていた血も枯れ果て、音も聞こえず目も見えず、心臓の鼓動さえ感じられない。それ以前に命を陰陽玉に与えてしまったのだから、あの時点でよくて余命十秒といったところだろう。
どうなのよ?と再び頭の中で問いかける。
ややあって。
――ねえ、妖怪になる気はない?
と、まったく別の質問が返ってきた。
一瞬返事をするのも忘れてぽかんとしてしまう。
――どうなの?
答えを急かすように。珍しく、自分で自分の気持ちを決めかねているような声だった。
◇
それについては何度か考えたことはある。
断っておくが私は決して妖怪が嫌いなわけではない。人間全てが善い奴でないように、妖怪全てが悪い奴ではないからだ。
彼らの中には私の友人のように物好きにも人間と共存しよう、時には他の妖怪から守ってやろうという奴もいる。
逆に、人間の中にも人を襲う山賊紛いの連中もいる。彼らは往々にしてそこいらの妖怪よりも強く、かつ性質が悪い。
そんな奴らを見ているとつい考えてしまう。
――まあ、つまり、『妖怪と人間は何が違うのか?』ということ。
種族が違う、といってしまえばそれまでだけど、人の中には人を襲う奴がいて、妖怪の中には人を守ろうとする奴や無関心を決め込む奴がいる。
そして幻想郷には『妖怪は人を襲い、人は妖怪を退治する』という暗黙のルールが存在する。そのルールに乗っ取って言えば『人を襲う奴は妖怪で、妖怪を退治する奴は人間』ということにもなる。山賊紛いは妖怪で、人を守ろうとする妖怪は人間とも取れる。
……ま、一方的な解釈だっていうのはわかっているけどね。
でも、結論から言えばとても単純なこと。妖怪は妖怪で人間は人間。善い奴もいれば悪い奴もいる。どこでも同じだ。
だから例え人間でも、いや、人間だからこそ、そういう輩を見ると思ってしまうのだ。
あいつらが――私が――妖怪だったらどんなにいいか、と。
◇
――お断りするわ。
一瞬の空白の後、彼女ははっきりと言った。
――どうして?
――私は私だからよ。人間は人間、妖怪は妖怪、そして私は人間だわ。……まあ、そりゃ妖怪の方がやりやすいのかもしれないけどね。
――それならいいじゃない。
――よかないわよ。言ったでしょ、私は私だって。それを曲げる気はないわ。
――……そう。残念ね。
しばらく口論が続くであろうと予想していた彼女は、相手が嫌にあっさり引き下がるので不審に思った。が、それは相手にも伝わったらしく、苦笑するような雰囲気が伝わってきた。
――そんなに疑わなくてもいいじゃない。これはれっきとした好意からでた行動よ?
――それが一番怪しいの。で、本当は何しに来たの?
――貴方の最期を看取りに。……人知れず死ぬのはとても哀しいことよ。
気づけば彼女は言葉を失っていた。
長い付き合いの中で、この妖怪が初めて本心を聞かせてくれたから。
不覚にも涙が出そうだった。
――……ありがと。
――どういたしまして。
――……じゃ、お休み。また会えるといいわね。
――ええ、そうね。……お休みなさい。
ぷつんと。
張り詰めた糸が切れる音がして。
彼女の意識は流されていく。
その糸が、どこかとここを繋いでいた命綱だということを理解しながら、彼女の意識は二度と目覚めることのない眠りについた。
私の記憶している限りでは、陰陽玉に命を封じるってネタは無かったような。
「代々受け継がれた力云々」ってのはよく見ますけど。
面白い、興味深い、いとをかし、最後ちょっと違うけど、そんな感じ。
をどっかで見たような・・・だからどうという訳ではないのですが、逆に精を
だした巫女のお話もおもしろいと思うわけで・・・