0
ある昼下がりの紅魔館。
「……」
外から聞こえて来る音に、館主である少女は紅茶を飲む手を止めた。
「どうかなさいましたか、お嬢様?」
「何でも無いわ。ただ……今日も魔理沙が来たみたいだから」
傍らに立つ従者……十六夜・咲夜に少女が答えると同時、轟、という音と共に、紅い屋敷に衝撃が走った。
机の上に置かれたソーサーやカップ、飾られている絵や花瓶などが小刻みに振動する。まるで地震のようなその衝撃は、しかし一瞬にして過ぎ去り……跡にはただ、何も無かったのかのような静寂だけが残された。
「……魔理沙のヤツ、マスタースパークでも放ったのかしら……」
そんな従者の呟きを耳に、少女は少しだけ位置のズレたソーサーにカップを置いた。そのまま席を立ち、
「ちょっと外の様子を見てくるわ。咲夜はアレの準備を進めて頂戴」
「あ、はい、解りました。でもお嬢様、まだ日が強いですから気をつけてくださいね」
「解ってるわ」
心配げに言う従者に苦笑を漏らしつつ、少女……レミリア・スカーレットは、机の脇に置かれた傘を手に持ち部屋を出た。
1
眼前へと迫っていた弾幕を紙一重で回避しながら、地を蹴って跳躍。
紅髪の少女は上空に浮かぶ魔法使いを睨み付け、叫ぶ。
「まだまだッ!」
少女の叫びに……相対する白黒の魔法使い、霧雨・魔理沙は楽しげに口元を歪ませる。
本来ならもうとっくに終わっているハズの勝負。しかし、門番である少女、紅・美鈴は普段以上の気迫を発しながら魔理沙と対峙していた。何故ならば今日の美鈴には負けられない事情……館主からの命令があるからだ。
だが、魔理沙がそんな事情を知るワケも無く……だからこそ、彼女は楽しげに、
「今日はしぶといんだな、とッ!」
言葉と同時。華麗に身を翻し、その身を地面へと向けて落下させ始めた。
上空から目の前を通り過ぎようとせん魔理沙……その逃避とも見える突然の行為に美鈴は内心首を傾げ、
「喰らいな! スターダストレヴァリエ!」
魔理沙の声を聞き、しまったと思った時にはもう遅い。目の前を急降下して行く箒の穂先から大量の星屑が生まれ、一瞬にして美鈴の周りを取り囲んだ。更には、生み出された星屑は弧を描き、勢いを上げながらその数を一気に増やしていく。
「ッ?!」
鈴の音を奏でながら、自身へと落下してくる星屑を打ち消すようにスペルカードを発動。弾幕が生み出す気の流れに身を任せるようにして星々の間を潜り抜け……足元から、急接近する存在に気付く。
星屑に意識、更には気の流れを惑わされ、魔理沙が目の前に迫るまで接近に気付く事が出来なかった。
舌打ちと共に、彼女の突撃をなんとか躱そうとし……それよりも先に、星々の煌めきを背後に魔法使いが呟く。
「――ブレイジングスター」
直後、美鈴は自身に何が起こったかを把握する事が出来なかった。
轟音と共に少女を襲ったのは、一条の……マスタースパークにも似た巨大な光。それは美鈴の弾幕も、魔理沙の弾幕も関係無く、ただ全てを吹き飛ばしていく。
その光の本流に揉まれ、美鈴の体が軋んだ音を上げる。
「が……!」
息が、出来ない。
反撃を行おうにも、光に飲まれた体は指一本動かす事もままならない。
……また、負けか……。
体よりも、心が痛む。
思い出されるのは昨晩の事。
『大事な用があるから、今日から数日は普段以上に警備を厳しくして』
深夜に呼び出された美鈴は、館主であるレミリアにそう釘を刺された。
しかも、
『進入を許したらどうなるか解っているわね、美鈴?』
久々に、自分の事を本名で呼んでまでの忠告だった。だから……これはもう絶対に侵入者を出す事は出来ないと意気込んだ美鈴は、普段以上の気合と共に紅魔館の警備に当たっていたのだ。
だが……そんな日に限って、強敵である魔理沙がやって来た。
門番という役職を任されている以上、美鈴の力は決して弱いワケではない。しかし、努力家だという魔法使いは、初めて逢った頃よりも数段力を上げていた。
「……」
途切れそうになる意識の中、悔しいと思ったその時だ。突然、襲い掛かって来ていた光が止んだ。
状況確認の為、無意識の内に瞑ってしまっていた目を開けば……美鈴は自身が自由落下している事に気がついた。
そして上空には、星々をバックに動きを止めた魔理沙。だが、彼女の様子がおかしい。
魔理沙の視線は美鈴ではなく紅魔館の方へと向いており……釣られるように美鈴が視線を移すと、門の近くに傘を差したレミリアが居た。
何故、こんな所にお嬢様が……心に浮かんだ問いは、レミリア本人から返ってきた。
「何をやってるの」
落下する体に、呆れたようなレミリアの声が突き刺さる。
恐らく、外の戦闘に気付き様子を見に来たのだろう。だが、目の前に広がるのは吹き飛ばされる門番の姿。厳重な警備を頼んだというのにコレでは、呆れられるのも仕方が無い。
だからだろうか。レミリアの声は今まで受けて来たどの攻撃よりも痛く、苦しく……思わず美鈴はレミリアから視線を外し、
「頑張りなさい、美鈴」
「ッ!!」
その言葉が聞こえて来た瞬間、美鈴は落下する体を止めた。
同時に全身が激しい痛みに襲われるが……それ以上に、思いもよらなかった激励の言葉に目を白黒させ、
「何を惚けているのかしら?」
「す、すみません!」
咄嗟に誤りながら、苦痛に眉を寄せつつ美鈴は体勢を立て直す。そのままレミリアを背に守るような位置へと飛び……何が起こったのか良く解っていなさそうな魔理沙に叫ぶ。
「今度は私の番!」
叫びと同時に、ボロボロになったズボンからスペルカードを取り出し、
……負けられない!
痛みを無視し、鈴の音を響かせ、魔理沙へと向かい加速する。
「華想夢葛!」
アトランダムに展開する弾幕を放ち、魔理沙との距離を詰めていく。
だが、対する魔理沙は両腕で箒を引き上げると、後方上空へと急加速。魔方陣を展開すると同時に美鈴へと向かい光を放つ。
高速で迫る光を身を捻る事で回避しながら、更に……更に前へ。未だ残る星屑を自身の弾幕で消し去りつつ、満身創痍の身で出せる限界の速度で魔理沙の正面へと跳び、
「ハッ――!」
全力を持って、振り上げた踵を魔理沙の肩へと向かい振り落とす。
しかし、渾身の踵は、思い切り身を引いた魔理沙の肩に触れる事無く落ち……だが、美鈴はその勢いを止めずに振り落とした。
振り落とされた踵は魔理沙の右手を穿ち、更に箒へとそのベクトルを向けていく。下方向へと急激な力が掛かった箒は搭乗主の意思に反して尻を上げ、
「つ、ぁ!」
右手を穿かれた魔理沙が声を上げた時には、その体は美鈴の視線よりも上にあった。
それを目で追いながら、
「ッ!」
上空へと、魔理沙を突き上げる。
その衝撃で箒を手放した魔法使いに追い討ちを掛けるように、
「彩光乱舞!」
煌めく弾幕が魔理沙の体を射抜き……空を飛ぶ手段を失った少女は、ただ苦悶の声を上げて落下していく。
「……」
弾幕に揉まれながら、魔理沙が自身を守るかのように体を丸めた。
その姿を見、決着は付いたと美鈴は判断。何とか勝利出来た事を嬉しく思いつつ、
……流石に、手当てをするぐらいだったらお嬢様のお許しも出るよね。
美鈴の弾幕を受けきり……しかし変わらぬ体勢で湖へと落下する魔理沙を見ながら思う。
美鈴自信も満身創痍なのだ。ならば……
「一人を治療するのも二人を治療するのも変わらないハズ……って?」
突然気の流れが乱れ、美鈴は首を傾げた。同時に言いようの無い不安が広がり……痛む体を引き摺るようにしてその場から移動する。
「一体何が……」
呟いた直後、大気を振るわせる轟音が足元から響き……次の瞬間には、一拍前まで美鈴が居た空間は光の本流によって撃ち抜かれていた。
驚きと共に足元に視線を移し、光……マスタースパークを放った少女へと叫ぶ。
「まだ続ける気なの?!」
「まだまだ、やれるぜ?」
中に浮かぶ箒に再び跨りながら……歯を見せて笑い、左手にミニ八卦炉を持った魔理沙が答えた。
そして、
「……今度は、私の番だな」
言葉と共に、魔理沙が一枚のスペルカードを取り出した。
その行為に驚きを増しつつも……腹を決め、美鈴は魔理沙へと向かい意識を集中させる。
勝負はまだ、終わらない。
――――――――――――――――――――――――――――
一進一退を繰り返す門番と魔法使いを眺めながら、レミリアは小さく溜め息を吐いた。
「全く、何をやっているのやら……」
自分が美鈴のやる気に火を付けた事は棚に置きつつ、思う。
最近になって美鈴と魔理沙が争う回数は殆どゼロになっていた。結構な頻度でやってくる魔法使いに対し、皆はもう慣れて来ていたのだ。
とはいえ、魔理沙が友人である知識人、パチュリー・ノーリッジの居る図書館の本などを盗んでいく事が今でも稀にあるのだが……これといって危害を加えてくるワケでも無い為、危険視されなくなったというのが現状だった。
それに、門番である美鈴と魔理沙は逢う回数も多い。恐らくは仲良くなっているハズなのだが……売られた喧嘩は、例え知っている人物からでも買うのが魔理沙という人間なのだろう。
「……」
目の前に飛んできた流れ弾を優雅に躱しつつ、更に溜め息を吐く。
美鈴が魔理沙に喧嘩を売った理由はレミリア自身にあるのだろう。侵入者を絶対に入れるなという命令を受けた美鈴なら、どんな手を使ってでも止めに掛かるだろうし。
しかし、魔理沙だって馬鹿では無い。レミリアの命で紅魔館へと立ち入る事が禁止されていると美鈴が告げれば、こんな泥沼な弾幕ごっこを繰り広げる前に退散しただろう。
「……」
再び撃たれたマスタースパークを何とか回避し、弾幕を放つ美鈴を見つつ、
「……全く、主人の気も知らないで……」
レミリアは三度目の溜め息を吐いた。
2
結局……戦いが決着したのは、日が半ば暮れ掛けた頃だった。
草の上に倒れ込むようにして、美鈴は荒れた息を吐いた。
全身に受けた傷は数知れず、左足と右腕は感覚すらない。こんな深手を負ってしまっては、門番として警備をするのに支障が出るのは確実だった。
しかしそれは魔理沙も同じ事で……美鈴の隣に横たわりながら、同じように荒れた息を吐いていた。
「全く……諦めの、悪い……」
苦しそうに……しかし笑みへと口を歪ませながら、魔理沙が呟く。
「アンタもね……」
痛みに眉をしかめつつも、苦笑しながら美鈴は答えた。
と、そんな二人へ落ちてくる声があった。
「決着は付いたかしら?」
聞きなれたその声に……地面に左手を付き、
「ッ……ぁ」
痛みに呻きながらも美鈴は上体を起こした。いくら負傷しているとしても、お嬢様の前で寝転がっているワケにはいかないからだ。
「なんとか、侵入者を止める事が、出来ました……」
「そう。良くやった……と言いたい所だけれど、貴女がそんな調子では意味が無いわね」
溜め息と共に告げられた言葉に、眉が下がる。
館主の命を受けてからまだ一日も経っていないのにこの状況なのだ。失望されても仕方が無いと言えた。
だが……
「でもまぁ、ご苦労様。さ、早く咲夜に手当てしてもらいなさい」
意外な労いの言葉に視線を上げると、柔らかな苦笑を持ったレミリアの顔があった。
問答無用で罰を下されてると思っていた美鈴はその事が意外すぎて……目を見開いたまますぐに返事を返す事が出来なかった。
「ほら、手を」
更にレミリアは、美鈴へと向かい優しく手を差し出してきた。
普段なら絶対に有り得ない状況に、美鈴の混乱は一気に最高値へと駆け上がった。
……こ、コレは夢、幻?!
しかし、夢にしろ幻にしろ、全身に走る痛みは引いていなくて、おずおずと掴んだお嬢様の手は意外な程の冷たさを持っていた。
「立てるかしら?」
「あ、は、はい!」
もう何がなんだか解らないが、取り敢えず返事を返して慌てて立ち上がり、
「ッ!」
全身を貫く痛みにレミリアの手を離してしまう。更には痛みの為、無意識に目を瞑ってしまい……
「……よっと」
耳に届いた声の意味を知る前に、足がすくわれる。このままいけば、受身を取る事無く尻から落下するだろう。
嗚呼、やっぱりこれはイジメの一つなんですね……。
そう美鈴が諦めかけた瞬間、両膝の下に何かが差し込まれる違和感を感じ……同時に、落下するハズの体が急停止した。
何事かと目を薄く開き……目の前にレミリアの顔がある事に気付いた。同時に、体に感じる違和感は両膝の下と、いつの間にか背中にある。
……つ、つまりこれは……お、お、お姫様抱っこー!?
もうこれは夢で良い。夢じゃないとおかしいだろう。そう脳内で勝手に結論付け始めた美鈴を他所に、
「じゃ、屋敷へと戻りましょうか」
可憐に微笑むお嬢様。
何か言いだそうとしても言葉が生まれず、
「は、はい……」
顔を真っ赤に染めながら、美鈴は考えるのを止めた。
……
「ちょと美鈴、大丈夫?」
「……え、あ、ハイ!」
突然の問い掛けに、夢の世界へと旅立っていた美鈴は慌てて意識を通常の状態へと戻した。
「って、何で私……」
外敵の進入を許した時……主に魔理沙に負けた時に、何度か担ぎ込まれた事のある医務室の天井を見上げながら、疑問の色を持って美鈴が呟いた。
と、その呟きに答えるように、
「良かった、大丈夫みたいね」
声に視線を移せば、心配げな色を持った咲夜の姿があった。
「あの、咲夜さん、外に居たハズの私が、何で医務室に……?」
「お嬢様が運んでくださったのだけれど……覚えてない?」
その言葉の意味を十秒程考え、
「……や、やっぱり本当に、お嬢様が私を……?」
「そうよ」
微笑んで告げる咲夜に、言葉が返せない。
言い方は悪いが……あのお嬢様がお姫様抱っこをしてくれた上に、この医務室まで運んでくれたというのだ。先程の戦闘で美鈴の体はボロボロだったし、抱きとめるだけでもお嬢様の服は汚れてしまっただろう。
完全思考停止状態に陥ってしまっていたとはいえ、自分はなんという事をしてしまったのだろうか。
「どうしよう……」
急に浮かんだ焦りは、抑えきれずに口に出てしまっていた。
「何が?」
手に包帯を持った咲夜に問いかけられ、青い顔を向けながら美鈴は答える。
「いや、あの……お嬢様、怒ってませんでしたか?」
「そんな事は無かったわよ」
言いつつ、咲夜が視界から消え、足に包帯を巻かれる感触が来た。
本来、妖怪である美鈴には、人間を凌駕する回復力がある為、致死レベルの傷を負った場合以外には治療というものは必要が無い。
だが、そうとはいっても一瞬で元に戻るワケではなく、数日の時間を有する。その際に的確な治療を施せば、傷の治りが早くなるのもまだ事実だった。
ただの空き部屋だったこの部屋にベッドを運び込み、医務室としたのは咲夜だった。度々怪我をし、しかしその度に手当てをしてくれる咲夜に対する感謝の気持ちは高い。
しかし、今思うのはお嬢様の事だ。
いくら怒っていなかったと言われても、それは咲夜の前だったからかもしれない。あの微笑みの裏には、燃え滾る怒りがあったのかも。
「……」
想像が怖い方向へと進み、美鈴は小さく首を振った。
何はともあれ、本人に直接聞いて確かめてみない事には埒があかない。
面と向かって聞けるか解らないけど、でも……!
意思を決め、無理矢理にでも起き上がる為に左手を付き……高くなった視線の先に、隣のベッドに横たわる魔理沙の姿が見えた。
眠っているらしいその姿に一瞬動きが止まり、
「あ、今日一日はゆっくり寝てないとダメよ。無理に動いて治りが遅くなったら、それだけ仕事への復帰が遅くなるんだから」
それに気が付いたのか、鋭い咲夜の声が足元から飛んできた。
仕事への復帰が遅くなる……それだけは何があっても阻止しなければならない事だ。この紅魔館の顔である門を守護しているのは、誰でもない美鈴なのだから。
「はい……」
ベッドへと再び横になり、美鈴は小さく答えた。
3
一晩が経ち……まだ痛みの残る足に負担を掛けない為、真紅の廊下をゆっくりと飛び、美鈴は自室へと戻ろうとしていた。
数の少ない窓を見れば、空はまだ紫で……夜明けにはまだもう少しといった所だ。
……少々早起きしすぎたかもしれない。
昨日はあのまま医務室で眠ってしまった為、普段以上に早い時間に目が覚めてしまっていたのだ。久々にゆっくり取れた睡眠時間の為か眠気は無く……隣に寝る魔理沙を起こすワケにも行かないため、静かに自室へと戻る事に決めたのだった。
と……廊下の一室から、淡い光が漏れているのに気が付いた。
巨大な扉を持つそこは図書室で……音を立てぬよう、美鈴はそっと中を覗き込んだ。
淡い光に照らされた図書室の中、一人の魔女が机に突っ伏していた。机の上には数冊の本が置かれており……恐らくは読書中に眠ってしまったのだろう。
音を立てぬようにドアを開くと、美鈴は図書室の中へと入った。
静かに魔女の傍らに立ち……悪いな、と思いつつも、線の細いその肩を数度揺らす。
「パチュリー様?」
「ん……」
魔女……パチュリーは小さく声を漏らすと、ゆっくりと体を起こした。眠たそうに目を擦り……
「眠ってたのね……」
広げられたままの本を閉じると、小さな伸びと共に呟いた。
「ありがとう美鈴。ちょっとした調べ物のつもりが、徹夜になってしまったわ」
「一体、何をお調べになっていたんです?」
「レミィからちょっと頼まれている事があってね、それを調べていたの。で……その傷はどうしたの?」
「あー……えっとですね……」
半日程前まで行っていた戦闘の事を、あまり大変では無かった風に話していく。しかし……そんな美鈴の話術は通用しなかったのか、パチュリーは小さく唸ると、
「まさかとは思っていたけど、あの振動は魔理沙のマスタースパークだったのね……」
「いえ、でも、そんな大事には……」
「屋敷が揺れたのは三回よ? それに貴女の怪我を見れば、戦闘が普段以上に激しかっただろう事は容易に想像が付くわ」
「う……」
全てを見抜くようなパチュリーの言葉に、二の句が継げなくなってしまう。
「魔理沙も魔理沙だけど……美鈴、貴女も引き際を考えなさい。毎回全力なのは良い事だけれど」
「はい……」
真剣なパチュリーの声に、返す声のトーンが下がる。
美鈴自身、今回はやり過ぎたと思ってはいた。レミリアの命令があったから仕方ないとも言えたが……例え紅魔館への進入を許しても、まだ屋敷には咲夜達が居るのだ。全力で戦うのは当たり前としても、意固地になってまで戦い続ける必要は無いといえた。それに……門番という役職を与えられている以上、門を守れなくなってしまっては意味が無いのだから。
しかし、今の自分はどうだろうか。怪我をし、最低でも後三日程は全力を出す事が出来ないだろう。つまりそれは、
「門番、失格……」
門を守れない門番に意味は無い。その事を今更ながらに強く実感し、胸が苦しくなる。
自分は本当に馬鹿だ……そう思うと、次第に目じりが熱くなってきてしまった。
慌ててそれを拭い……優しい色を持ったパチュリーの声が聞こえてきた。
「そう気を落とさないで。美鈴の事を攻めているワケではなのだから」
「は、い……」
「……そうね」
一体何が、そうね、なのか。涙と共に疑問視を浮かべて美鈴が顔を上げると、真剣な色を持ったパチュリーが、美鈴から見て左手方向にあるを本棚を睨んでいた。そして、
「その怪我だし……今日の仕事はお休みでしょう?」
「はい……」
「なら、新しいスペルカードでも一緒に考えましょうか」
「……え?」
意外な提案に、一瞬思考が止まる。
基本的にスペルカードというのは、自身で編み出したりアレンジしたり、受け継いだりして得ていくものだ。
美鈴のスペルは彼女自身が生み出したものであり、もう長い間使い続けている。
だが、いざ新しいスペルカードを作ろうにも……カードの作成はそう簡単にいかない物の為、今のスペルカードを使い続けているのが現状だった。
その事は理解しているのか、視線を美鈴へと戻すと、パチュリーが続ける。
「新しく生み出すには時間が掛かるけれど、改良を重ねたりするぐらいならそこまで時間は掛からないわ。もし魔理沙に一泡吹かせられるようなモノが出来れば、それが新しい切り札になりうるでしょうから」
決まりね……そう微笑むと、パチュリーが席を立った。そのまま、突然の事に目を白黒させる美鈴に苦笑し、彼女は先程視線を送っていた本棚へと歩を進め出した。
「……」
言葉が出ない状況の中……しかし、美鈴の涙は確実に止まっていた。
4
結局、部屋に戻ったのは夕方を過ぎた頃だった。
何やら難しい理論の載った本を読みながら、弾幕をどう発生させるか、どうやったら威力が上がるか、などという事をパチュリーの指導の元で学んでいった。
午後には食事を持ってきた咲夜も加わり……新しく広げて作られた空間で、今出来る範囲での弾幕を飛ばしまくったりした。
結果的にはスペルカードは完成しなかったのだが……体が本調子になったら続きをやるという約束をパチュリーと交わしていた。
「頑張ってね美鈴、かぁ……」
パチュリー、咲夜の二人から貰った声援を思い出し、頬が緩むのを感じる。
そして……ふと、昨日から、誰からも中国だ門番だほんみりんだと呼ばれていない事に気が付いた。
「……」
何故かは解らないが、皆は自分の名前を本名で読んでくれていた。当然喜ぶべき事なのだが……同時に、確実に怪しい事態だともいえた。一体、紅魔館の住人達に何があったというのか。
考える。
まず思い浮かぶのはドッキリだ。だが、名前を呼ぶぐらいだし……その類では無いだろう。
「次」
住人達が何かの魔法にでもかけられた。
「……」
人間である咲夜はまだ解らないが、レミリアやパチュリーが魔法にかけられる事は確実に無いだろう。
「そもそも私の名前を呼ぶ魔法ってなんだよって話だし……。次」
みんなが改心してくれた。
「……」
……これも無いだろう。いきなり改心するくらいなら、初めから名前で呼ばれている……ハズだ。
「……次」
……と、そんな風にして美鈴は様々な可能性を考えていった。
だが結局答えは出ず……暗くなってしまった部屋に光を灯す為、ベッドから腰を上げ、彼女は天井からぶら下がるランプに手を伸ばした。
伸ばして……アルコールが切れている事を思い出し、一つ溜め息。今からアルコールを取りに行くのも面倒な為、美鈴はベッド脇にある棚から数本の蝋燭を取り出した。
棚の上に蝋燭を並べ、マッチに火を付け――その瞬間、
「まさか……」
ゆらゆらと揺れる炎を見つつ、ある事を思い付く。
「まさか、解雇……?」
それは蝋燭が尽きる瞬間のように……美鈴が良い気持ちで辞めていけるように、皆が優しく接してくれているのではないだろうか。
そもそも失敗続きのこの身だ。今回のレミリアの命も、最後に思い残す事なく戦う事が出来るようにとけしかけたものかもしれない。それに、お嬢様は大事な用があると言っていたのに、今の所、紅魔館に何一つ動きは無いのだから。
それならば、レミリアの優しさにも説明が付く。傷付いた美鈴をわざわざ医務室に運んでくれたのも、恐らくは最後の仕事故、だったのだろう。
それは咲夜も同様で……普段以上の優しさが籠ったあの治療は、美鈴の事を気遣っての事だったのだろう。
更には、先程までのパチュリーの事も納得がいく。最後だからこそ……この紅魔館を去った後もやっていけるようにと、スペルカードの講義を行ってくれたに違いない。
「……」
一気に身体の力が抜け、美鈴はベッドに倒れ込んだ。
恐らく……認めたくはないが、今の予想で間違いないだろう。
暗い気持ちが心を被い尽くし……暫く、美鈴は枕に顔を突っ伏したまま動かなかった。
そして……ゆっくりと顔を上げ、目尻を服で拭うと、静かに深呼吸。
ベッドから上体を起こしながら瞳を開いた顔には、悲しみは張り付いていなかった。
「皆さんが私に優しくしてくれるなら、私は最後の瞬間まで、頑張りきらないと!」
赤い目をした少女は、そう自身を奮い立たせるように宣言した。
……
次の日。
自宅へと戻るという魔理沙を見送るため、美鈴は紅魔館の玄関へとやって来ていた。
美鈴と違い、人間である魔理沙は傷の治りが遅い。しかし、彼女の場合大きな傷は右手だけだった為、空を飛ぶ事には支障は無いとの事だった。
箒に跨りつつ、笑みを持って魔理沙が言う。
「次は負けないからな」
「次も負けないから」
笑みで返し……背を向け、ふわりと空に浮かんだ魔法使いを見届ける。と、その背中から言葉が来た。
「なんか無理してるように見えるが……何かあるなら相談に乗るぜ?」
一瞬、思考が停止する。
そして思うのは、何故、だ。
思えば、今日は魔理沙と会話する機会が多かった。見舞いに行った際につい話し込んでしまった為だ。
常に心の中には解雇という単語が浮かび続けていたが、美鈴自身は普段通りに魔理沙に接したハズだった。だが、魔理沙には動揺を見抜かれてしまったのだろう。
一気に膨れ上がる焦りを意思の力で押さえ込み……出来るだけ、何事も無いように答える。
「……大丈夫、だから」
「そう、か」
美鈴の言葉に小さく頷き……また来るぜ、と言い残して魔理沙は飛んでいった。
安易に頑張れと言わないのは、彼女の気遣いなのだろうか。
「……よし」
心が少し暖まるのを感じながら、美鈴は紅魔館へと戻っていった。
少々痛む足を庇いながら、紅い廊下を進む。
まだ門番の仕事に復帰するには時間が掛かりそうだが……だからといって何もしないワケにも行かなかった。
「取り敢えず、咲夜さんに相談してみよう……」
余計な手間を掛けさせてしまう事になるが……いつまでこの紅魔館で働けるか解らないのだ。どんな小さな事でも、役に立ちたいという気持ちが強かった。
「最後まで頑張るって決めたんだもの」
俯きそうになるのを堪え、前を見据えて……美鈴は紅い廊下を進んでいく。
5
夜の紅魔館。
食事を取る為に部屋を出たレミリアの視界に入って来たのは、数少ない窓を拭く美鈴の姿だった。
怪我をした右腕はまた上手く使えないのか、左手一本で作業するその姿はどう見てもぎこちない。思いもしなかったその姿に溜め息を吐きつつ、レミリアは美鈴の背後に立った。
「何をしているの、美鈴」
「え、あ、お嬢様?!」
レミリアの声に慌てて振り返ると、手に持った雑巾を背後に隠しながら美鈴が答えた。
その様子に再び溜め息を吐き、
「一体貴女はここで何をしてるの? まだ怪我は治ってないだろうに」
「いや、その……ベッドに寝たままでいるのも性に合わないので……つい」
苦笑しながら言うその姿に力が抜ける。本当に、この娘は私の思いも知らないで……そう思い出した途端、美鈴が焦りの色を持ち、
「あ、でも、この仕事は私が咲夜さんに無理を言ってやらせてもらっているものなんです。ですから、咲夜さんには何の非もありませんので」
言葉を無くしたレミリアが、怒っているものだと勘違いしたのだろうか。悪いのは自分だと言う美鈴の姿に、三度目の溜め息が出そうになる。
……全く。
しかし、その溜め息を天井を見上げる事で抑え込み、
「解ったわ。咲夜を責めない」
その言葉に安堵の表情を得た美鈴に向かい、でも、と続ける。
「何か仕事をするなら、無理はしないように。解ったわね?」
今ここで美鈴を止めても、きっと何か別の仕事を探し出すだろう。何をそんなに必死になっているのかは解らなかったが……本人がやりたいと言っているのだ。やらせておいた方が計画も上手く行くだろう。
レミリアの言葉に頷くと、失礼します、と一言告げ、美鈴は窓拭きへと戻っていった。
――――――――――――――――――――――――――――
「よし、と」
言葉と共に、雑巾をバケツの中へと放り込む。
外からは予想出来ない程に広い紅魔館。その窓を拭き終わった美鈴は、やり終えた達成感と共に一息ついた。
……次はゴミ出し、それが終わったらパチュリー様と一緒に図書館の整理、と。
咲夜から言い付けられてある仕事を脳内で反芻する。二つとも力のいる仕事ではないが……図書館の整理は時間が掛かる。休むのは後にする事にして、美鈴はバケツを手に廊下を歩き出した。
「……」
ふと、思う。
この紅い廊下を初めて歩いたあの日から、もうどのくらいの時が経っただろうかと。
……
幻想郷に住む妖怪は、人間と同じように住居を構える者が多い。その例に違わず住み処を探していた美鈴は……ある日、湖のほとりに建つ紅い屋敷を発見した。
初めて見る外観の屋敷に、美鈴は興味本位で足を踏み入れた。今よりも確実に朽ち、狭かった屋敷だった為、誰も住んでいないと思ったのだ。
だが……屋敷の奥には、一人の吸血鬼が居た。
立ち向かおうという気は起きなかった。血に濡れた紅い服を着たその吸血鬼は、美鈴の事を敵として認識すらしていなかったのだ。無闇に殺されに行く程、美鈴は愚かではなかった。
そんな美鈴を見つつ、吸血鬼……レミリアは、
『この屋敷には有能な知識人と、破壊魔が居る。出来ればメイドが欲しい所なのだけれど、ここにやって来るのは愚者ばかり』
『……』
『貴女は愚者? それともメイド?』
……
……そうして、美鈴は紅い屋敷、紅魔館で働くようになった。
今では門番をやっているが……咲夜がやって来るまでは、屋敷の仕事は美鈴が行っていた。とはいっても、屋敷の空間が広がっていなかった為、そこまで大変だったワケではないのだが。
しかし……思い返せば、決して短くない時をこの屋敷の住人達と過ごして来た事になる。
今まで失敗続きでも目を瞑ってきてもらっていたが……もうそれも限界が来たという事だろう。
それに、まだ紅魔館が狭かった時とは違い、今は優秀なメイドである咲夜も居る。美鈴がこの紅魔館を去っても、問題と呼べる問題は起こらないだろう。
「だから仕方ない、よね……」
一瞬表情に悲しみを浮かべ……しかしすぐに引っ込めて、美鈴は長い廊下を進んでいく。
――――――――――――――――――――――――――――
食後の紅茶を飲みつつ……吸血鬼が思い出すのは、この屋敷に美鈴がやって来た日の事。
メイドは必要だとは思っていたが、実際に口に出したのは気まぐれだった。まさかメイドになるなんて答えが返って来るとは予測していなかったからだ。
しかし今になって思えば、あの時の問い掛けは無駄ではなかったのだろう。あの問い掛けがあったから、咲夜をメイドとして雇おうという気にもなったのだ。
だが、その後美鈴に門番の役職を与えたのは間違いだったかもしれない、と思う。
吸血鬼であるレミリアを恐れず、主として慕うその姿は……メイドという姿の方が相応しいだろうから。
「まぁ、今更ね……」
「? 何か仰りましたか?」
何でも無い……そう答え、レミリアは傍らに立つ従者へと視線を向けた。
「アレの準備は順調?」
「はい。予定通り今夜には。美鈴は気付いていないみたいですし、計画通り行くと思います」
「そう」
咲夜の答えに頷き、やはり思うのは美鈴の事だ。
「そういえば、咲夜が美鈴に仕事を与えたんだって?」
「は、はい……」
少々小さくなりつつ答える咲夜に苦笑しつつ、
「良いわ。咲夜を責めないって、美鈴との約束だから」
その言葉に、咲夜が意外そうな色を持ち、
「なんというか……珍しいですね。今回の事もそうですが、お嬢様が美鈴の事を気に掛けるのは」
そうかもしれない、と思う。だが、せめて今日までの数日ぐらいは、美鈴の事を気に掛けてやっても良いだろう思っていた。
それに……今日で一区切りが付くようなものなのだ。普段よりも気に掛けてやる事ぐらい、安いものだろう。
「まぁ、それも今夜までだけどね」
楽しげに答える。
傍らに立つ従者は困ったように苦笑し、
「美鈴も大変ね……」
そう、呟いた。
6
与えられた仕事を終え、部屋へと戻った美鈴は、まだ少し痛む右腕を庇うようにしながらベッドに横になった。
「なんか、疲れた……」
慣れていない仕事、上手く動かない体、そして不安……その全てが一日中体に絡み付き、余計に疲れを感じていた。
だが明日になれば、ほぼ普段通りに体が動くようになるだろう。そうすれば、門番の仕事を行えるようになり……最後まで突っ走る事が出来る。
「……」
それでも、辛い事には変わらない。
だが、どうする事も出来なくて……小さく嗚咽を漏らし、溢れてきた涙を隠すように、美鈴は枕へと突っ伏した。
それから、どのくらいの時間が経っただろうか。
部屋のドアがノックされ……美鈴はゆっくりとその身を起こした。
意識せずに眠ってしまっていたのか、ぼんやりとした表情のまま、ドアの向こうに答える。
「はい……?」
「咲夜よ。ちょっとお邪魔するわね」
声と共にドアが開かれ、普段と変わらぬ表情を持った咲夜が部屋の中へと入って来た。
一体こんな時間に咲夜さんはなんの用だろう……定まらない頭でそう考え、
「……」
解雇通告に来たのだと、頭の中で声がした。
その瞬間、緩みがちになっていた涙腺から再び涙が溢れ始め……
「ごめんなさい、ちょっと欠伸が……」
慌ててそれを拭うと、何事も無い風を偽って美鈴はベッドから降りた。
「それで……何のご用ですか?」
「ちょっとお嬢様から美鈴を呼んで来るように頼まれたの」
予想通りの答えに、動揺が一気に高まっていく。それを必死に抑えつつ、
「お、お嬢様が、私を……。一体、何故なんでしょうか……」
「私も理由は聞かされていないのよ……。ともかく、準備が出来たら一緒にお嬢様の所へと向かいましょう」
……
咲夜の後を歩きながら、紅い廊下を進んでいく。近い内に見納めとなるだろう屋敷の風景……それを目に焼き付けながらゆっくりと。
そして……窓を拭いていた時には存在しなかったハズの曲がり角へと、咲夜が曲がっていく事に気付く。
「あの、咲夜さん、この通路……」
「あー……ごめん、美鈴には言ってなかったわね。新しく部屋を作る為に、この空間を広げたのよ」
微笑みながら説明をしてくれるメイド長の力は、時間を操作するというもの。しかし……その力でどうやって空間まで操るのかは、美鈴には解らなかった。
多分ずっと解らず終いかな……そんな事を思いながら咲夜の後を付いて行くと、正面に大きな観音開きのドアが現れた。
恐らく外開きだろうその扉の正面に咲夜が立ち、
「自分で開ける?」
その問い掛けに、咄嗟に答える事が出来ない。
だが……なんとか頷きを返し、美鈴は真新しいドアの前に立った。
心臓は早鐘を打ち、逃げ出したい程に緊張が高まる。
そして……意を決して、美鈴は扉を開いた。
7
扉を開いた美鈴へと向かい、何かが弾ける音が何度も貫いた。
音と共に弾けたソレは、扇状に広がりながら美鈴へと襲い掛かり――
8
「あ、れ……?」
思わず瞑ってしまっていた目を開くと、目の前に広がるのは煌びやかな飾りと明かり。そして、テーブルの上に並べられた豪勢な料理。
音と共に降り注いだ長く細い色紙が頭から垂れ落ち……そして、テーブルを挟んだ先に立つお嬢様が微笑んで告げる。
「誕生日おめでとう、美鈴」
「え? へ? ……えぇ?!」
高まっていた緊張が一気に混乱へと変換され……情けない声を上げてしまう。
誕生日……そう、誕生日。
確かに今日は美鈴の誕生日だ。だが、その事を告げたのは……もう何時の事かはハッキリしないが……一度きりしかない。何度も告げる必要は無いと思っていたし、今までも誕生日など祝う事なくやって来た。
だから、誕生日を祝われる事など初めての経験で、
「って、そうじゃなくて……だから、何で?!」
今日は解雇通告をされるのでは無かったのか。それとも、これは何かのドッキリですか?! そう問いかけようとした言葉は、背後から届いた声に打ち消された。
「祝い事に理由は必要かしら?」
楽しげに言う声に振り返れば、笑顔を持った咲夜の姿。彼女は美鈴の手を引くと、歩き出しながら説明を始めた。
「この前、里に行った時に誕生日を祝ってもらってる子供が居てね。その時に、私はお嬢様達の誕生日を知らない事を思い出したの」
咲夜に手を引かれたまま歩き……レミリアの隣、普段なら絶対に有り得ない上座に通され、混乱した頭のまま美鈴は席に着いた。
そのまま料理の切り分けに入りながら、咲夜は説明を続けていく。
「で、その日はお料理を奮発しよう、ぐらいにしか考えていなかったんだけど……美鈴の誕生日だけは解らなかったのよ」
「その上誰も覚えていなかった」
咲夜の言葉を引き継ぎながらパチュリーが口を開く。
「確かに聞いたハズなのに、調べてもすぐには出てこなくてね。そんな時、咲夜が提案したのよ」
「こうなったら本人の知らない内に調べあげて……今までお祝いをしてこなかった分を取り消す為にもパーティーを開き、美鈴を驚かせてあげようって」
微笑んで告げる両名に、これは夢じゃないかと思う。いや、夢だ。夢に違いない……混乱しっぱなしの頭でそう思い込もうとし、
「大丈夫、夢じゃ無いわ」
頬を、右隣に座る少女に軽く抓られた。
「でも、でも……!」
手を離し、レミリアは言う。
「今日は貴女が主役。一年に一度の事なんだから、何も考えずに楽しみなさい。明日からは、またいつもの日常に戻ってしまうんだから」
「私が、主役……」
小さく呟きを返し……これは夢では無く、現実なんだと受け入れる。
しかし、聞かねばならない。重要な、悩み続けてきた事を。
「でも、私、解雇されるんじゃないんですか……?」
美鈴の言葉に、その場にいる全員が動きを止めた。だが、それは怪訝な色を持っており、
「何か勘違いしているようだけど……」
困ったような笑みと共に、お嬢様が言う。
「貴女が居なかったら、誰がこの紅魔館の門を守るのかしら?」
その瞬間、抑え切れない量の涙が溢れ出してきて……微笑むレミリアに、美鈴は大きく、何度も頷いた。
ここに来るまでに考えていた解雇という予想は、全て美鈴の杞憂だったのだ。
……こんなにも優しい方々に囲まれているのに……私はなんて酷い事を考えていたんだろう。
嬉しさと同時に自責の念が溢れてきて、溢れ出す涙が止まらない。それでも何とか視線を上げ、服で強引に涙を拭い、笑みを作ると……美鈴は告げた。
「ありがとう、ございます……!!」
9
ある昼下がりの紅魔館。
今日もまた、紅髪の少女は侵入者を迎え撃つ。
大切な場所と、大切な人達を守る為に。
end
心が温まる