『すべての音には、色と形と動きがある』
―――ワシリー・カンディンスキー
では、空気――『場』の空気も同じなのだろうか。
店の戸を閉め切るだけでも随分違うものだ。
外は凍えるほどの寒さのはずだが、厳重な戸締りの他に炬燵やストーブのお陰もあって小さな店の中は全くの別世界になっていた。
今日は大晦日。今年最後の月が籠り、年の生まれ変わりを知る夜でもある。
「・・・・こんな夜に、君ほど此処が場違いな者もいないと思うぞ」
「えー・・・なんでよ?」
「なんでもハンデもないだろう・・・君の職業は何だったっけ?」
「楽園の素敵な巫女」
「じゃあ分かるだろう?僕の方から君の所へ行きたいくらいだよ」
『楽園の素敵な巫女』を名乗る少女、霊夢は炬燵の一辺を占め、蜜柑とお茶を友として動こうとしない。
神社が繁盛しないと嘆く彼女だが、その理由が自分自身にある事に気付かないあたり、なるほど確かに彼女の頭の中は一年中春満開なのかも知れない。
「祓いの儀式とか、そういうのは専門外なのかい?」
「一年かけて溜まった穢れが、たった一日できれいに落ちるわけないじゃない・・・このお店だってそうでしょ?」
「・・・・・・むぅ」
「何かに憑かれたら祓ってあげるわよ。まあ、霖之助さんに限ってそんな事はないんでしょうけど」
「それはどういう意味かな」
「どういう意味かしらねぇ」
霊夢のくせになかなか分かったような事を言う。
売り物としておいてある壷も、古書も、その他雑貨の群れも、皆等しく埃を被っている。
大掃除しようとすると途方もない手間がかかるため、仕方ないので目に見える範囲だけで掃除をしているのだが・・・
いつか、一年以上かけて大掃除をしてやる必要がありそうだ。
「そういえば魔理沙は一緒じゃないのか?」
「魔理沙ねぇ・・・なんだか、薬の研究で忙しいって言ってたわ。一段落したら来るんじゃない?」
魔理沙は大抵、喧騒と共にやって来る。彼女自身が喧騒で出来ているようなものだ。
だが、いなければいないでこんなに静かな夜になってしまう。喧騒を連れて来いとは言わないが、
その身一つだけでも持って来てくれば随分賑やかな大晦日にはなっていただろうに。
・・・もっとも、賑やかなだけがいい大晦日ではないのだが。
「あー・・・・・・それにしても暇ねぇ」
「神社に帰れば巫女の務めが待ってるぞ・・・ていうか何でここに?」
「だって、神社は寒いしここなら暖かいし霖之助さんの手料理も食べれるし」
「僕は君の妻でも母でも家政婦でもないぞ」
「そりゃそうよ。霖之助さんは男じゃない」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
確かに、霊夢や魔理沙が来るかもと思って年越し蕎麦や雑煮やらを作ってはいたが。
冷えた体が温まるようにと店を暖め、お茶を多めに沸かしていたわけだが。
僕がまめったいだけなのだろうか?
・・・・いや、霊夢がズボラなだけだ。そう思いたい。
「そんな事だと、この先何年待っても貰ってくれる人なんていないぞ」
「元々そんな人いないわよ。私は私、それでいいじゃない」
「・・・・・手前味噌ですまないのだが」
「あら、霖之助さんも『大切なお友達』よ?」
「やっぱり眼中にはないんだな」
僕もお茶を一口。
『私は私』・・・実に霊夢らしく、そしてとても哀しく、しかし彼女を博麗たらしめる言葉だと思う。
彼女の前では白黒も、紅も、境界も、そして僕さえも。等しく『大切なお友達』であり、
そしていざという時は容赦なく切り捨ててしまうのだろう。笑いも、泣きも、怒りもせず。ただ非情に、淡々と。
なぜならそれが博麗なのだから・・・
一瞬、呑気にお茶をすする霊夢の姿が恐ろしく見えたのは気のせいだっただろうか?
そして、何事もなく時は過ぎていく・・・・・・・・・・・・・・・
『あーもう何よ!年の瀬だってのにあんた達静かすぎる!』
「ぶッ!?」
どこからともなく聞こえてきた声に、霊夢は盛大にお茶を噴いた。
周りを取り繕う事を忘れて見回しても、声の主は出てこない。
だが、『声の主』が出てこない事が霊夢にとって最大のヒントになったらしい。
やや上を見上げ、虚空に向かって声を張り上げる。
「・・・まぁたいつの間にか潜り込んでたのね、萃香」
『潜り込んでたなんて失礼ね。あんたが来る前から私はこの辺にいたのよ?』
「何でもいいけど出てきなさい。どっち向いたらいいのか分からないわ」
『どっちでもいいのに・・・』
「早く出てくる!」
『はいはい・・・・・霊夢って意外とせっかちなのねぇ』
シュゥゥゥゥゥ・・・・・・
空気が動いた。
売り場の、今の、厨房の、そして締め切った窓の外の空気までもが、
まるで竜巻のように渦を巻いて僕と霊夢の間に集まり積もる。
時が経つごとに濃密になる妖気。さながら生温い水の中にいるような感触を覚え、
やがてそれさえも感じなくなり妖気が小さく小さく纏まっていく・・・・・・・・・・
「おいすー。」
幻想郷の『鬼』の降臨だ。
「出たわね、妖怪十日酔い」
「・・・いやいや、呼んだの霊夢だし今の私は全然素面だし。オマケに二日酔いすらした事ないし妖怪じゃないわ。ていうかあんた達、誰も来そうにない所で二人っきりだっていうのに何もなし?」
「何を期待してるのよこの出歯亀は・・・」
「『誰も来そうにない』というのが余計だぞ」
「いやそういう問題じゃないから霖之助さん・・・萃香、あんたこそ何だってこんな誰も来そうにない所に・・・」
この鬼もそうだが、霊夢も少しばかり遠慮がない。
「あんたがここに来るのが見えたから、ちょっと先回りをしてね・・・」
「それで、出歯亀に励んでいたと・・・」
「違うわよ。本当はあんた達を笑ってやろうと思ってたの」
・・・・『達』?
はて、僕は彼女に笑われるような事でもしようとしていたのだろうか。
「それなのに何よ、あんた達!こういう時は今年一年を振り返って来年の抱負を語ったりするものでしょ?」
「あんたの方からそういう話を振るとは思ってなかったけど・・・・・私を監視してたのが運の尽きだったわね、萃香」
・・・・・・ああ、なるほど。
どうやら『来年の話をすると鬼が笑う』という奴を実践したかったらしい。
そのまんまというか場当たりというか・・・・・・だが、霊夢を監視していたのは確かに彼女のミスだったかも知れない。
これが霊夢ではなく魔理沙だったら、僕達は盛大に笑われていたのかも知れないが。
「こんな年の瀬になって一年分を振り返るのって面倒でしょ?毎日毎日、布団に入る前にその日の事を振り返ればそれでいいのよ。それに、次の年の事も早いうちから考えなくていい・・・あんた達と違って人間は儚いものだから、あまり先の事を考えてもそれが空回りしてしまう事だってあるんだから」
「・・・・・ちぇー。そういう事を言ってやりたかったのに」
「残念だったわね。今から魔理沙か咲夜でも探しに行ってみる?」
「んー・・・・いいわ。誰かを笑い飛ばすのが当分できなくなるのは残念だけど、もうすぐ年が変わる。せめて暖かい所で年を越したいしね」
見れば柱時計の長針は11を越え、12で待機する短針にかなり近づいてきていた。
霊夢と過ごしていた二人きりの時間は予想以上に長かったらしい。
そろそろ蕎麦の茹で時だろう。
「あー・・・・・・これよこれ、この『年が明ける瞬間』っていうのが私はたまらなく好きなのよ」
霊夢の隣に座って、鬼が大きく伸びをする。
決して大きくない炬燵なのに、無理して霊夢の隣に割り込んでくるから狭そうだ。角も容赦なく当たる。
今度はもっと大きい炬燵にした方がいいだろう。
「無限に拡散する体を持つ私には、目に見えない想いまでもが視えてくるの。
ちょうど今は、新しい年に対する期待と不安が一杯ね。幻想郷中に同じ想いが広がってるわ」
霊夢の真似をして蜜柑に手を伸ばす。
どうやら、早く蕎麦が茹で上がってくれないと僕の食べる分の蜜柑がなくなってしまいそうだ。
「年が明ける瞬間は面白いわよ~。今まで混沌としてた所から不安がごっそり沈んで、
新たな年を迎えられた事への喜びと期待だけが残るの。この空気の清々しいの何の・・・・・・」
「・・・・・・実感湧かないけど、お味噌汁みたいなものかしら」
「そこで何でそっちに持ってくかなぁ」
「私はあんたみたいに体が拡散しないんだからしょうがないじゃない・・・お味噌汁にしか例えられないわよ」
ついて行けない、とばかりに蜜柑の最後の一切れを口に放り込む霊夢。
確かに鬼の彼女の言葉は僕にも理解しがたい物だった。だが言いたい事は分かる。
幻想郷は想いで満たされている。喜怒哀楽、期待、不安、驚き、疑念、陰謀、情愛、信念・・・・・・etc
つまり、想いがこの郷を動かしていくに違いない。初日の出は清々しいのはこれゆえに違いない。
鬼の少女は、それを文字通り肌で感じる事ができるのだろう。
それを味噌汁に例えてしまうのはどうかと思うが・・・・・・
「まあとにかく、もうすぐその瞬間がやって来るのよ。霊夢には悪いけど、思い切り味わわせてもらうわ」
「はいはい・・・・・・まあ、私はその前にお蕎麦なんだけどね。霖之助さん、まだー?」
「あ、そうだ!お蕎麦!お兄さんまだー?」
「・・・ちょうど茹で上がった所だよ。熱いから火傷しないように」
人間代表の霊夢と古参種の鬼が仲良く年を越せるうちは、幻想郷もまだまだ安泰なのだろう。
この二人を見ていると少々呑気すぎるようにも見えてくるが、生憎人と鬼の関係を決めるのは僕の仕事ではない。
とりあえず、今日の所は二人の兄でも母でも何でもやってやろう。
静かに・・・は望めそうにないが、少なくとも殺伐とした年越しにはならないだろう。
そして、幻想郷の世が明ける。
今年度最後を締めくくるSSにふさわしいものでした。
来年も良い弾幕を。
互いが互い、それらしくあってとても読みやすいものがありました。
まあ大晦日からは大分過ぎてしまいましたがっ。
さて、年も明けてしまいましたが今年も良い年になりますように。