私は他の岩よりも一回り大きかった。それだけが周りとの違いで、特に秀でるものはなく、ごつごつとした肌や、地面を捉える重さは何ら変わりない。いつからここに在ったのか見当もつかない。おそらく地の底をどろりと揺蕩う溶岩の時代もあったのだろうが、記憶は不明瞭である。考えてみたところで答えは出そうにないが、私は口を持たないので他の岩たちに尋ねることもできない。読心術を持つ動物がいるらしいが、私の思考も読めるのだろうか。もしそうならば興味深いので、一度会ってみたいものだ。今、私の岩肌に掌を当て、にこりと微笑んでいる緑髪の少女に対して、心の中で問いかけてみる。私の声が聞こえるかと。
「私はこいしよ、あなたは?」
少女が名乗ったのでもしやと思った。再度、私の声が届いているかと問いかける。
「寡黙な岩ね。当たり前だけど」
どうやら違うらしい。こちらの意図は伝わらず、勝手に話しているだけのようだ。この少女のように、私に話しかけてくる者はまれにあった。小さな童はその筆頭で、私の気持ちなどまるでわからないのに、好き勝手に代弁して応答する遊びをすることがある。童だけではなく、ある程度成熟した者が物言わぬ私に愚痴を聞かせてくることもある。喧嘩で負けたとか、痴情のもつれがどうだとか、私には縁もゆかりもない話だ。私は岩だから、その心情を理解することはできなかった。だが、話を聞くのは楽しい。特に色恋沙汰の話題は私の中心部をどうにも熱くする。吐き出す言葉ひとつひとつに熱がこもっていて、もしかすると私はその熱をため込んでいるのかもしれない。金鉱石の蠱惑的な輝きはその熱により性質が変化したものによると私は睨んでいる。そのくらい彼らは情熱的であった。
その感情が羨ましくて、私も真似事をしてみたいのだが、どうにもうまくいかないのだ。周囲の岩を眺めてもまったく心は揺れ動かない。ごつごつとした私より数寸小さい岩も、つるんと丸い小さな石も、まだらな石英がきらりと光る白い岩も、ほとんど同じに見える。岩は岩でしかないのだ。
さて、この少女はどちらかというと童のそれに近く、勝手に私に話しかけているだけだが、不思議なことに、私に意思があることを理解したような台詞を時折吐く。
「あなたは何を考えているの。何のために生きているの。私はねぇ、わかんない」
考えているのはこの少女についてだ。何のために生きているのか、それはわからない。何か使命のようなものを持って生まれてきたような気がするが、その正体は闇の中である。その二本の足が羨ましい。使命とやらがあるとして、それを探しに行けるのだから。けれども、この少女もその生きる意味はわかっていないようだったから、案外あの足は無意味なものなのかもしれない。どちらにせよ私は動けない。動けるような気はするのだが、どうにも重い。 この場所は地上からの風がいつも吹いているが、私を運べるほど強くはなかった。
「じゃあね」
私の岩肌をポンポンと叩いて、少女はどこかへ行ってしまった。
私はよく目印にされる。それは私がこのあたりで一番大きな岩だからだ。一番目立つから、誰かが集まってくる。それが自然の理だ。何か疑問を感じたこともなければ、それが素晴らしいと思ったこともない。だが、あの岩が来てからはその考えも変わった。
「おお、これが宙から来たっていう」
「派手に凹んでる割には小せぇな。落ちてきたら受け止められっかな」
「俺らの糸じゃ無理じゃないかね。鬼ならできそうなもんだが」
私から十間ほどの距離のところにそいつは佇んでいた。つい三日前、星の降る夜に天から産み落とされた岩だ。その岩の周りは三間ほど陥没していて、まるで己の場所だと言わんばかりに存在を主張していた。私よりも断然小さく、色が少し独特な鈍色なところ以外は他と大差ないが、どの岩よりも目立っていた。奴は隕石と呼ばれていた。
道行く人々はその隕石を目印にし始めた。中には隕石を見るためだけに足を運ぶ連中まであった。奴のどこがそんなにも魅力的なのか、私にはわからなかった。同じ岩ではないか。奴と私と、どこが違うというのか。奴を見ると内側に熱い何かを感じるようになっていた。
もしかしたら、これが恋心という奴かもしれない。確かにこのどうにも説明しきれない思いは、たとえ相手が反応を返してくれなくても吐き出してしまいたくなる。だけど、私に口はない。文字を描く手も足もない。思考しかできないことが、これほどまでにもどかしいとは今まで思いもよらなかった。
しかし、ある二人組の会話を聞いて、私のこの感情が恋ではないことを知った。その二人も隕石を見物しに来たようだった。片方は角の生えた金髪の女性で、もう片方も金髪ではあったが、角はなく、まるでエメラルドのような眼を持っていたのが印象的だった。
角の生えた女性が言った。
「思ったより小さいな。これなら降ってきても問題なさそうだ」
「そうね。あなたなら一撃で粉砕できそう」
「まあね。ふうん、結構硬いな。地上のもんかね」
「さあね。でもこんなに注目を集めて、妬ましいわ」
「石にも嫉妬すんのか」
「するわ。そりゃあもう熱烈に、マグマのように煮えたぎっているわ」
そう言って二人は楽しそうに笑っていた。
緑眼の女性が言った言葉が渦を巻いて、私の中に残留した。妬ましい、そうだ。これは嫉妬なのだ。私は隕石に嫉妬しているのだ。私よりも小さいくせに、今まで私が担っていた役割を奪われた。私の存在意義がなくなってしまったではないか。
そうだ、私は目印となるべくこんなにも大きく、生まれてきたのだ。今更自覚したところでもう遅い。失ってから気づいたってなんの役にも立たないではないか。ああ、私はこのまま風雨にさらされ消えてゆくのか。長い時間をかけて、延々と隕石に嫉妬しながら、佇むしかないのか。
「あなたは素敵ね。硬くて、角張っていてまるで岩みたい」
気がつくとこいしがいて、話しかけてきた。この少女も、きっとあの隕石を見に来たに違いない。私に話しかける暇があるなら、早くそちらに行けばいいのに。
「あ、岩だったわ。ねえツッコミが欲しいのだけれど。まあ喋るわけないか」
いつまでいるのだ。私に興味などないくせに。情けでもかけているのか。哀れな岩だと。そんなはずがない。私の意思を汲み取れないのに、憐れみなど覚えるはずもない。
私が不貞腐れていると、少女は今度も「じゃあね」と言って風と共に去っていった。隕石のところへは足を運ばなかったので不思議に思った。
なぜだろう。あのこいしとか言う少女は、あの隕石に興味を示さない。たまに私に触れて、話をして、時には何もせず、去っていく。私を気に入っているのかと、そう最初は思っていたが、とある日は私など気にも留めず、赤黒く丸い人の顔を手に持って、そのままどこかへ消えてしまった。
気まぐれという言葉を体現していた。彼女の感性を理解するのは難しい。法則性はまったくないのだ。ただ、他の石たちに比べて私に話しかける回数が多いように感じる。私はなんとなく、嬉しかった。こいしがここに来てくれるだけで、私の嫉妬心は薄まっていく。近頃はあの隕石を見ても、どうとも思わなくなっていた。
そんな穏やかな日々を過ごしていたのだが、ある日、突然予感がした。半導体のごとく私の芯を電気が走り抜けたかのようだった。
周りの様子がずいぶんと慌ただしい。妖怪たちが警戒したように唸り声をあげていて、異様な緊迫感があった。
「大変だ、大変だ。地上の巫女がやって来た」
「掟破りな奴が来た」
「いいじゃないか、楽しくなりそうだ」
ほんの少しの怯えと、煮えたぎるような闘志が混ざり合って、ひりひりとした空気から鼻もないのに血の匂いを感じ取った。五感が研ぎ澄まされるというのはこのことか。あらゆるものが私の感覚を揺さぶってくる。湧き上がってくる衝動に身を委ねると、いつの間にか私は宙に浮いていた。
初めての体験にえもいわれぬ万能感を覚えていると、奥のほうから真一文字に飛んでくる人の影が見えた。紅白の少女がやってきた。彼女は迫りくる妖精や妖怪をなぎ倒し、風を切り裂いて猛然と迫ってきた。
理解した。私はあれに立ち向かうためにここに在ったのだ。
少女は札や針を飛ばし、見たこともない棒を振り回しながら飛んでいる。武器を手にした彼女に対して、私は己が身一つしか持たないものだから、万が一にも勝ち目はないように思える。しかし、行くべき時だと理解していた。ほとんど感覚で宙に浮き、砲弾になった心持ちで、己をぶつけに行った。
少女は驚くそぶりも見せず、迫る私に鋭い針を飛ばしてきた。針は表面を削り、芯を揺らした。末恐ろしい威力だ。粉みじんにされる予感がしたが、それでも私は止まることなどできなかった。
十数発の鋭利な攻撃を受け、いくつものひびが入り、ついには割れてしまった。砕けた欠片にも容赦なく針は襲い掛かってくる。躱すことなどできない。ただ私は重力に従って落ちるように、彼女へと向かい続けるしかなかった。
気づいた時には手のひらほどの礫になっていた。少女はもう見えない。砕けた私を退け、先のほうへ飛んで行ってしまった。
先ほどまでの力が抜けていくのを感じた。圧倒的な力によって蹂躙され、砕かれる。私の役目は終わったのだ。
しかし、いつまでたっても私の思考は続いていた。大岩から見ればほんの一欠片となった私になぜ意識が残っているのか、思考も分裂したのだろうか、それともこの小さな私が岩の意識の核だったのだろうか、わからない。砕けた私たちと連絡を取ることさえできない。無情に過ぎる時が、初めて辛いと感じた。疑問はいくつも浮かび上がるのに、決して答えが見つからないことを知っていて、それでも蒙昧さに胡坐をかいて砂を噛み続けるような、退屈な時間だった。
そんな日をいくつも重ねていると、こいしがやって来た。彼女は周りをきょろきょろと見回して、首をかしげていた。かと思うと、今度はこちらに近づいてきて、私を靴の先で蹴り上げた。
「良い石ねこれ」
私は三寸ほど宙に浮いたあと、小さく弧を描いて砂利の上に落ちた。その衝撃で表面が少しだけ削れた。どれほど小さくなったら意識が消えるのか、見当もつかないが、少なくとも今よりは楽になれる気がした。私を粉々にしてくれないだろうか、そう願っていると、こいしはもう一度私を蹴った。意思が通じたと思ったが、どうやらまた違うらしい。彼女はその後何度も私を蹴り、私が動いた分だけ歩を進めていた。
何度もそれを繰り返しているうちに、見たこともない場所へたどり着いた。石畳というのだったか、小石一つない綺麗に整えられた道、その取り繕ったような整合性に水を差すかのように散らばるたばこの吸い殻と空き瓶、視界を包み込むほどの煌びやかな光、硫黄と阿片の混じった煙、どれもが新鮮だった。ここが噂に聞く地獄街だろうか。だとすれば、なんと素敵な場所だろう。
蹴る、歩く、それを繰り返すこいしの顔は妙に楽しげだった。つられて私もだんだんと楽しくなってきた。道には人(妖怪だろうか)が大勢いるというのに、こいしは一度も立ち止まらず、器用に避けて歩いていた。話しかけられることもない。まるで私たち二人だけがこの街に取り残されているようだ。その感覚がたまらなく心地よかった。
着物、怒号、紫煙、罵声、赤ら顔の人、そびえたつ木造の建物、おお、あの巨大な岩には文字が彫られている。「食事処黒縄」と、意味は見当もつかないが、ともかく彼はきっとあの場所に在ることこそが生まれ持った意義なのだ。私のように砕けることはないのだろう。少しうらやましい。これほどに往来のある場所で、ぽつねんと意義を持って佇むことの甘心さたるや、苔むす岩の下に間借りした蝸牛のごとく、おそらくまどろみに近い享楽を延々と浴び続けるのだろう。しかし、うらやましいと意識では思いながら、抱いている感情は嫉妬ではなかった。おそらく私も満たされていたのだ。
なぜなら彼女が私を見つけてくれたから。それは偶然だったとしても、あまりに数奇で、ゆえに愛おしかった。
蹴られるたびに身体が砕けていく。なぜこれほどに脆いのか。靴先がこつんと当たり、砕け、宙を舞い、落ちて、下にあった石に当たって、また砕ける。
「ついたー」
こいしが足を止めた。小さく丸く削られた私は、いつの間にかひしめき合う小石の中に紛れていた。前方には屋敷があった。きっとここが彼女の家なのだ。
「あ、お姉ちゃんだ」
そう言うと、こいしはおもむろに手を振って、私を置いて駆けていった。それからいつまで経っても戻ってはこなかった。
もう二度と見つけ出してはくれないのかと思うと少し寂しい。
しかし、ようやくわかった。私が在るのは目印になるためでも、立ち向かうためでも、砕け散るためでもない。きっと流転こそが本質なのだ。現に足はないがこれほど遠くに来たではないか。あの硬い隕石にはもうできやしないだろう。奴はすでに旅を終え、留まる場所を決めてしまった。現にあの少女が来襲した時も動けなかった。あのくぼみは墓標なのだ。それに比べて私は恐ろしく脆いのだ。いずれは砕け、砂となり、こいしのようないたずらな風に乗って旅をする。そのために意思を持ったに違いない。
自ずからは動けないが、幸い待つのはつらくない。ここはかつての地獄とはいえ、灼熱もなければ阿鼻叫喚もない、ただ静かなだけだ。それならば私は恋しい恋しいと心の嘆きをひとところに留め、泡沫の思い出を薄めながら、じっと時が経つのを待とうではないか。
「私はこいしよ、あなたは?」
少女が名乗ったのでもしやと思った。再度、私の声が届いているかと問いかける。
「寡黙な岩ね。当たり前だけど」
どうやら違うらしい。こちらの意図は伝わらず、勝手に話しているだけのようだ。この少女のように、私に話しかけてくる者はまれにあった。小さな童はその筆頭で、私の気持ちなどまるでわからないのに、好き勝手に代弁して応答する遊びをすることがある。童だけではなく、ある程度成熟した者が物言わぬ私に愚痴を聞かせてくることもある。喧嘩で負けたとか、痴情のもつれがどうだとか、私には縁もゆかりもない話だ。私は岩だから、その心情を理解することはできなかった。だが、話を聞くのは楽しい。特に色恋沙汰の話題は私の中心部をどうにも熱くする。吐き出す言葉ひとつひとつに熱がこもっていて、もしかすると私はその熱をため込んでいるのかもしれない。金鉱石の蠱惑的な輝きはその熱により性質が変化したものによると私は睨んでいる。そのくらい彼らは情熱的であった。
その感情が羨ましくて、私も真似事をしてみたいのだが、どうにもうまくいかないのだ。周囲の岩を眺めてもまったく心は揺れ動かない。ごつごつとした私より数寸小さい岩も、つるんと丸い小さな石も、まだらな石英がきらりと光る白い岩も、ほとんど同じに見える。岩は岩でしかないのだ。
さて、この少女はどちらかというと童のそれに近く、勝手に私に話しかけているだけだが、不思議なことに、私に意思があることを理解したような台詞を時折吐く。
「あなたは何を考えているの。何のために生きているの。私はねぇ、わかんない」
考えているのはこの少女についてだ。何のために生きているのか、それはわからない。何か使命のようなものを持って生まれてきたような気がするが、その正体は闇の中である。その二本の足が羨ましい。使命とやらがあるとして、それを探しに行けるのだから。けれども、この少女もその生きる意味はわかっていないようだったから、案外あの足は無意味なものなのかもしれない。どちらにせよ私は動けない。動けるような気はするのだが、どうにも重い。 この場所は地上からの風がいつも吹いているが、私を運べるほど強くはなかった。
「じゃあね」
私の岩肌をポンポンと叩いて、少女はどこかへ行ってしまった。
私はよく目印にされる。それは私がこのあたりで一番大きな岩だからだ。一番目立つから、誰かが集まってくる。それが自然の理だ。何か疑問を感じたこともなければ、それが素晴らしいと思ったこともない。だが、あの岩が来てからはその考えも変わった。
「おお、これが宙から来たっていう」
「派手に凹んでる割には小せぇな。落ちてきたら受け止められっかな」
「俺らの糸じゃ無理じゃないかね。鬼ならできそうなもんだが」
私から十間ほどの距離のところにそいつは佇んでいた。つい三日前、星の降る夜に天から産み落とされた岩だ。その岩の周りは三間ほど陥没していて、まるで己の場所だと言わんばかりに存在を主張していた。私よりも断然小さく、色が少し独特な鈍色なところ以外は他と大差ないが、どの岩よりも目立っていた。奴は隕石と呼ばれていた。
道行く人々はその隕石を目印にし始めた。中には隕石を見るためだけに足を運ぶ連中まであった。奴のどこがそんなにも魅力的なのか、私にはわからなかった。同じ岩ではないか。奴と私と、どこが違うというのか。奴を見ると内側に熱い何かを感じるようになっていた。
もしかしたら、これが恋心という奴かもしれない。確かにこのどうにも説明しきれない思いは、たとえ相手が反応を返してくれなくても吐き出してしまいたくなる。だけど、私に口はない。文字を描く手も足もない。思考しかできないことが、これほどまでにもどかしいとは今まで思いもよらなかった。
しかし、ある二人組の会話を聞いて、私のこの感情が恋ではないことを知った。その二人も隕石を見物しに来たようだった。片方は角の生えた金髪の女性で、もう片方も金髪ではあったが、角はなく、まるでエメラルドのような眼を持っていたのが印象的だった。
角の生えた女性が言った。
「思ったより小さいな。これなら降ってきても問題なさそうだ」
「そうね。あなたなら一撃で粉砕できそう」
「まあね。ふうん、結構硬いな。地上のもんかね」
「さあね。でもこんなに注目を集めて、妬ましいわ」
「石にも嫉妬すんのか」
「するわ。そりゃあもう熱烈に、マグマのように煮えたぎっているわ」
そう言って二人は楽しそうに笑っていた。
緑眼の女性が言った言葉が渦を巻いて、私の中に残留した。妬ましい、そうだ。これは嫉妬なのだ。私は隕石に嫉妬しているのだ。私よりも小さいくせに、今まで私が担っていた役割を奪われた。私の存在意義がなくなってしまったではないか。
そうだ、私は目印となるべくこんなにも大きく、生まれてきたのだ。今更自覚したところでもう遅い。失ってから気づいたってなんの役にも立たないではないか。ああ、私はこのまま風雨にさらされ消えてゆくのか。長い時間をかけて、延々と隕石に嫉妬しながら、佇むしかないのか。
「あなたは素敵ね。硬くて、角張っていてまるで岩みたい」
気がつくとこいしがいて、話しかけてきた。この少女も、きっとあの隕石を見に来たに違いない。私に話しかける暇があるなら、早くそちらに行けばいいのに。
「あ、岩だったわ。ねえツッコミが欲しいのだけれど。まあ喋るわけないか」
いつまでいるのだ。私に興味などないくせに。情けでもかけているのか。哀れな岩だと。そんなはずがない。私の意思を汲み取れないのに、憐れみなど覚えるはずもない。
私が不貞腐れていると、少女は今度も「じゃあね」と言って風と共に去っていった。隕石のところへは足を運ばなかったので不思議に思った。
なぜだろう。あのこいしとか言う少女は、あの隕石に興味を示さない。たまに私に触れて、話をして、時には何もせず、去っていく。私を気に入っているのかと、そう最初は思っていたが、とある日は私など気にも留めず、赤黒く丸い人の顔を手に持って、そのままどこかへ消えてしまった。
気まぐれという言葉を体現していた。彼女の感性を理解するのは難しい。法則性はまったくないのだ。ただ、他の石たちに比べて私に話しかける回数が多いように感じる。私はなんとなく、嬉しかった。こいしがここに来てくれるだけで、私の嫉妬心は薄まっていく。近頃はあの隕石を見ても、どうとも思わなくなっていた。
そんな穏やかな日々を過ごしていたのだが、ある日、突然予感がした。半導体のごとく私の芯を電気が走り抜けたかのようだった。
周りの様子がずいぶんと慌ただしい。妖怪たちが警戒したように唸り声をあげていて、異様な緊迫感があった。
「大変だ、大変だ。地上の巫女がやって来た」
「掟破りな奴が来た」
「いいじゃないか、楽しくなりそうだ」
ほんの少しの怯えと、煮えたぎるような闘志が混ざり合って、ひりひりとした空気から鼻もないのに血の匂いを感じ取った。五感が研ぎ澄まされるというのはこのことか。あらゆるものが私の感覚を揺さぶってくる。湧き上がってくる衝動に身を委ねると、いつの間にか私は宙に浮いていた。
初めての体験にえもいわれぬ万能感を覚えていると、奥のほうから真一文字に飛んでくる人の影が見えた。紅白の少女がやってきた。彼女は迫りくる妖精や妖怪をなぎ倒し、風を切り裂いて猛然と迫ってきた。
理解した。私はあれに立ち向かうためにここに在ったのだ。
少女は札や針を飛ばし、見たこともない棒を振り回しながら飛んでいる。武器を手にした彼女に対して、私は己が身一つしか持たないものだから、万が一にも勝ち目はないように思える。しかし、行くべき時だと理解していた。ほとんど感覚で宙に浮き、砲弾になった心持ちで、己をぶつけに行った。
少女は驚くそぶりも見せず、迫る私に鋭い針を飛ばしてきた。針は表面を削り、芯を揺らした。末恐ろしい威力だ。粉みじんにされる予感がしたが、それでも私は止まることなどできなかった。
十数発の鋭利な攻撃を受け、いくつものひびが入り、ついには割れてしまった。砕けた欠片にも容赦なく針は襲い掛かってくる。躱すことなどできない。ただ私は重力に従って落ちるように、彼女へと向かい続けるしかなかった。
気づいた時には手のひらほどの礫になっていた。少女はもう見えない。砕けた私を退け、先のほうへ飛んで行ってしまった。
先ほどまでの力が抜けていくのを感じた。圧倒的な力によって蹂躙され、砕かれる。私の役目は終わったのだ。
しかし、いつまでたっても私の思考は続いていた。大岩から見ればほんの一欠片となった私になぜ意識が残っているのか、思考も分裂したのだろうか、それともこの小さな私が岩の意識の核だったのだろうか、わからない。砕けた私たちと連絡を取ることさえできない。無情に過ぎる時が、初めて辛いと感じた。疑問はいくつも浮かび上がるのに、決して答えが見つからないことを知っていて、それでも蒙昧さに胡坐をかいて砂を噛み続けるような、退屈な時間だった。
そんな日をいくつも重ねていると、こいしがやって来た。彼女は周りをきょろきょろと見回して、首をかしげていた。かと思うと、今度はこちらに近づいてきて、私を靴の先で蹴り上げた。
「良い石ねこれ」
私は三寸ほど宙に浮いたあと、小さく弧を描いて砂利の上に落ちた。その衝撃で表面が少しだけ削れた。どれほど小さくなったら意識が消えるのか、見当もつかないが、少なくとも今よりは楽になれる気がした。私を粉々にしてくれないだろうか、そう願っていると、こいしはもう一度私を蹴った。意思が通じたと思ったが、どうやらまた違うらしい。彼女はその後何度も私を蹴り、私が動いた分だけ歩を進めていた。
何度もそれを繰り返しているうちに、見たこともない場所へたどり着いた。石畳というのだったか、小石一つない綺麗に整えられた道、その取り繕ったような整合性に水を差すかのように散らばるたばこの吸い殻と空き瓶、視界を包み込むほどの煌びやかな光、硫黄と阿片の混じった煙、どれもが新鮮だった。ここが噂に聞く地獄街だろうか。だとすれば、なんと素敵な場所だろう。
蹴る、歩く、それを繰り返すこいしの顔は妙に楽しげだった。つられて私もだんだんと楽しくなってきた。道には人(妖怪だろうか)が大勢いるというのに、こいしは一度も立ち止まらず、器用に避けて歩いていた。話しかけられることもない。まるで私たち二人だけがこの街に取り残されているようだ。その感覚がたまらなく心地よかった。
着物、怒号、紫煙、罵声、赤ら顔の人、そびえたつ木造の建物、おお、あの巨大な岩には文字が彫られている。「食事処黒縄」と、意味は見当もつかないが、ともかく彼はきっとあの場所に在ることこそが生まれ持った意義なのだ。私のように砕けることはないのだろう。少しうらやましい。これほどに往来のある場所で、ぽつねんと意義を持って佇むことの甘心さたるや、苔むす岩の下に間借りした蝸牛のごとく、おそらくまどろみに近い享楽を延々と浴び続けるのだろう。しかし、うらやましいと意識では思いながら、抱いている感情は嫉妬ではなかった。おそらく私も満たされていたのだ。
なぜなら彼女が私を見つけてくれたから。それは偶然だったとしても、あまりに数奇で、ゆえに愛おしかった。
蹴られるたびに身体が砕けていく。なぜこれほどに脆いのか。靴先がこつんと当たり、砕け、宙を舞い、落ちて、下にあった石に当たって、また砕ける。
「ついたー」
こいしが足を止めた。小さく丸く削られた私は、いつの間にかひしめき合う小石の中に紛れていた。前方には屋敷があった。きっとここが彼女の家なのだ。
「あ、お姉ちゃんだ」
そう言うと、こいしはおもむろに手を振って、私を置いて駆けていった。それからいつまで経っても戻ってはこなかった。
もう二度と見つけ出してはくれないのかと思うと少し寂しい。
しかし、ようやくわかった。私が在るのは目印になるためでも、立ち向かうためでも、砕け散るためでもない。きっと流転こそが本質なのだ。現に足はないがこれほど遠くに来たではないか。あの硬い隕石にはもうできやしないだろう。奴はすでに旅を終え、留まる場所を決めてしまった。現にあの少女が来襲した時も動けなかった。あのくぼみは墓標なのだ。それに比べて私は恐ろしく脆いのだ。いずれは砕け、砂となり、こいしのようないたずらな風に乗って旅をする。そのために意思を持ったに違いない。
自ずからは動けないが、幸い待つのはつらくない。ここはかつての地獄とはいえ、灼熱もなければ阿鼻叫喚もない、ただ静かなだけだ。それならば私は恋しい恋しいと心の嘆きをひとところに留め、泡沫の思い出を薄めながら、じっと時が経つのを待とうではないか。
岩の心情が沢山されていてとても良かったです。
げしげし
岩の苦悩、嫉妬、淡い誇り、そのどれもがダイヤモンドよりも輝いていました
この岩がこいしちゃんに出会えて本当によかった
一面道中岩……お前そんな味わい深いやつだったのか……岩の気持ちが深く沁みるお話でした。