Coolier - 新生・東方創想話

パンドラの箱

2022/04/30 20:26:11
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「岡崎教授が失踪した!?」
 メリーは目を丸くして大声で言った。勢い余って学食のテラス席のテーブルが音を立てて揺れる。周りでブランチを食べていた人々までもが、何事かと振り向いた。
「あ、ごめんなさい蓮子、つい、」
 メリーは少し気まずそうな表情をして、乱れたスカートの裾を整えつつ軽く座り直した。そして私の方に顔を近付けて、こそこそ話をするように私に説明を求めた。

 メリーが驚くのも無理はない。私だって何も分からず困惑しているのだ。
 この春、私たちは三回生になった。と言っても学年は、形ばかりの概念でしかない。異質な存在を認めない科学世紀に、飛び級は存在しないのだ。メリーと私は二回生の頃からそれぞれ、相対性精神学と超統一物理学の研究室に出入りするようになっていた。
 新年度になり私の通う研究室は、メンバーの入れ替わりに合わせて、席替えと大掃除をする事になった。私は研究室の一部を間借りしていたので、その作業に駆り出されてしまった。作業当日は、部屋から部屋へ大量の実験機材や専門書を運び続け、皆忙しくしていた。しかしその日、岡崎教授が研究室に現れることは無かった。
 研究室のメンバーは、岡崎教授が現れない事にさほど関心を持っていないようだった。その理由は、研究室に通うようになって日が浅い私でも、よく分かっていた。岡崎教授の学説は、現代標準的とされている学説に真向から対立するものだった。その上、情熱が有り余っているのか、公の議論の場でも論理の飛躍した夢物語のような発言をするので、教授は周りから少々疎んじられがちだった。
 更に、岡崎教授が使っている居室は、主要な研究棟ではなく直ぐ隣の北棟にあった。北棟の人をわざわざ呼び出して雑用をさせるのは、それだけで気が引ける。そんな理由もあって、岡崎教授が作業に現れない事に、取り立てて文句を言う人は居なかったのだ。
 しかし私にとって、岡崎教授が現れなかった事は、とても不自然に感じられた。というのも、私の知っている岡崎教授は、別に思考の狂った人などではないし、人に面倒ごとを押し付ける程不義理な人でも無かったからだ。
 確かに教授は、周りから疎んじられがちではあった。しかし教授は自らの学説の欠陥を良く認識していたし、一方で現代の標準的な学説も熟知していた。その上で教授は標準的な学説の重大な欠陥を指摘し、問題を解消するには一度その学説を捨て去る必要があると主張していた。私が教授からその重大な欠陥の説明を聞いた時、教授は理路整然としていて、とても思考の狂った人には思えなかった。
 それに岡崎教授は、私たち学生の面倒も良く見てくれる。どのような背景の人とも分け隔てなく接してくれていたからか、学生からの人気はとても高かった。以前、メリーを研究室に連れてきた時、教授は彼女を大いに歓迎してくれた。教授とメリーは、ずっと精神学の話題で盛り上がり、帰りがけのメリーは新たな視点が得られたと満足気だった。その日以降も、教授とメリーの交流は続いた。いつしか岡崎教授は、メリーに美味しい紅茶と苺クッキーを教えてもらったと、私に自慢してくるまでになっていた。
 私たちにとっての岡崎教授は、そういうとても尊敬できる研究者だったのだ。しかし新年度の雑用の時から、教授はぱたりと大学で見かけなくなってしまった。私が偶々見かけていないだけかと思って、教授を知る人々に声を掛けてみたが、やはり誰も教授の消息は知らないようだった。

「そう、本当に誰も消息を知らないのね」
「しかももう、ひと月は経ってる。さすがにおかしいわ」
 私はもう一度昔の記憶を思い出してみたが、やはり心当たりは無かった。メリーも斜め横を向いて、何かを思い出そうとしているようだった。しばらく二人で考え込んでいたところ、メリーがはっとして手を叩いた。
「そういえば前、妙な時間に岡崎教授を見たわ」
「え、ちょっと、その話聞かせて!」
 私は思わず身を乗り出してメリーに迫った。
「えっと、確か二か月くらい前だったかしら、日曜の深夜研究室に残ってた事があってね、気晴らしに構内を散歩してたのよ。そしたら、その、北部の方でね、岡崎教授っぽい人を見た気がするのよ。暗かったし遠くから見かけたから、その時は気にしてなかったんだけど。あ、そういえば、その人は何か持ってたわ。箱のような何かを、その人は持ってた気がするわ。あの頃はちょっと忙しくて、深夜大学にいる事が多かったんだけど、何度か同じような人を見かけてたわ。もしかしたら、私の見かけた人は本当に岡崎教授で、北棟に出入りしてたのかも」
 それは確かに手がかりになりそうだ。しかし、本当に岡崎教授が深夜に北棟に出入りしてたのだとしたら、それはとても不自然だ。岡崎教授は割と朝方の生活をする人で、大抵日が沈む頃には帰宅してしまうのだ。その教授が深夜、頻繁に大学に現れるなど、到底あり得ない事なのだ。しかも何かの箱を持っていたというのは、かなり怪しい。もしかしたらその箱の中に、教授の失踪と関係する何かが入っていたのかもしれない。
「メリー、教授の部屋を調べるわよ」
「え、そんなこと、」
「大丈夫よ大丈夫。それにメリーが見たっていう箱、とんでもなく怪しいもの。ひとまずその箱とやらが残ってないかぐらいは確認しないと」
 メリーは部屋に無断で入る事を少しためらっていた。しかし岡崎教授が無事に過ごしているのか心配でならないという事もあり、私たちは今日の深夜、岡崎教授の部屋を探索することにした。

 深夜二時、私たちは研究棟の中庭で待ち合わせた。深夜の待ち合わせだと、メリーは時々眠そうな顔をしているが、今日はいつもより目に力があるように見えた。
 私たちは北棟の裏口に回り、ちょろまかしていた電子錠を使って建物内に入った。守衛に見つかって追い出されないよう私たちは明かりを消して、古びた暗闇の廊下を進んだ。そしてついに、岡崎教授の部屋の前にたどり着いた。
「あれ、でも蓮子、ここからはどうやって入るのよ」
 こちらの建物はかなり古く、部屋の鍵はアナログなままなのだ。しかし問題はない。私は用意しておいた針金を取り出してメリーに見せた。暗闇の中、メリーはしばらく目を凝らしていたが、直ぐに意図を察したようだった。
 私は針金を鍵穴に差し込み、ピッキングを始めた。鍵穴の音を良く聞き分けられず始めは少し苦戦したが、二分程で部屋の解錠に成功した。
「やったわ」
「ちょっと泥… いや、なんでもないわ、箱を探しましょう」
 私たちは扉を開けて、部屋の中へ潜入した。部屋の中も真っ暗だが、電源の入ったままのパソコンと冷蔵庫のランプがうっすらと辺りを照らしていた。私たちは光に引き寄せられるようにパソコンの前に向かい、机の上のマウスに触れてみた。スリープから復帰した画面には大量のメール通知が溜っていた。
「ほらメリー、すごい量よ。やっぱり教授はずっと来てないんだわ」
 私は通知欄をスクロールしてメリーに見せた。確かにひと月前からのメールが未読になっていた。通知の中には私が教授に送ったものも残っていた。
「ねえ、蓮子、調べて、いいわよね」
「ええ、これはやっぱりただ事じゃないわ、調べてみましょう」
 私たちは顔を見合わせて覚悟を決め、岡崎教授のパソコンを調べてみた。しかし不自然なファイルは全く見つからなかった。見つかるのは私と岡崎教授の共同研究の資料ばかりだった。
「うそでしょ、全然何も入ってないじゃない」
「削除した痕跡とかも?」
「ええ、本当に何も無いわ、こんなにクリーンなパソコンなんてあるものかしら」
 私たちは画面から顔を離し、辺りを見回した。すると机のすぐ近くにある冷蔵庫が目に入った。私はすっと手を伸ばして冷蔵庫を開けてみた。
「いや、まさかね、」
「どうしたの蓮子?」
「いや、なんか木箱が、」
 冷蔵庫の中には立派な木箱が置かれていた。片手では持てない位には大きいものだ。私はその木箱をそっと持って、机の上に置いてみた。
「ねえ、メリーが見たのって、」
「ええ、ちょうどこれ位のサイズだわ」
「色も?」
「ええ、たぶんこれ位」
 私は木箱の蓋にそっと手を添えた。
「いい、メリー、開けるわよ?」
「ええ」
 私はごくりと息を飲み、一気に蓋を開けた。
 すると鼻がもげるような悪臭が顔面を直撃した。
「うげぇ、何よこれ!」
「ちょっと蓮子何よこれ、え、あ、苺じゃないかしらこれ、腐った苺よ!」
 私は鼻が外れてしまいそうなのを堪え、木箱に蓋を被せた。
 そしてすぐに木箱を冷蔵庫に放り込んだ。
 私はつい興奮して叫んだ。
「ああ、ひっどい。なんて禍々しい」
「んん、とんだパンドラの箱だったわね」
「どこがよ! 腐った苺がこの世界の希望だとでも?」
 私たちは鼻を押さえて悶え続けた。悪臭の刺激がまだ鼻に残る。
 しかし、ここから逃げ出す訳にもいかない。私たちは部屋に忍び込んだにも関わらず、全く岡崎教授の行方の手がかりを掴めていないのだ。
 私はメリーの方を見遣った。メリーもまだ臭いに悶えているようだった。しばらく苦しそうにしていたが、それでも私の方に向き直して力強い声で言った。
「蓮子、ごほっ、他の箱を、ん、探しましょう」
 メリーはとても必死な表情に見えた。そうだ、岡崎教授と交わっていたのは、何も同じ研究室の私ばかりではなかったのだった。メリーだって、岡崎教授と色んな談義をして、時にお茶やお菓子の話をして、楽しく過ごしていたのだ。実際に岡崎教授も楽しそうに話していたじゃないか。きっとメリーも、岡崎教授の事がとても心配なのだ。
「そうねメリー、こほっ、探しましょう」

 それから私たちは手分けをして、岡崎教授の部屋を探索した。机の周りも本棚も、隅々まで手がかりを探してみた。しかし失踪の理由に関わりそうな物は、やはり見つからなかった。いくつか別の箱を見つけはしたが、どれもメリーが岡崎教授に教えたクッキーの箱で、中身は全て空だった。ひょっとして何かメモでも残っていないかと考えたが、見つかるのは岡崎教授から聞いたことのある非統一理論に関するものばかりだった。
 残念だが、どうやら今回の探索は空振りだったらしい。私は落胆した。
 しかし突然、ガチャンとけたたましい音が扉の方から聞こえた。
 え、今の音、鍵の掛かる音だったような。
 私は大急ぎで扉に向かった。すぐさま扉を開けようとしてみたが、取手が全く動かない。鍵が掛かったのではない。むしろ扉が岩の壁になってしまったようだった。
「え、どういうこと? ちょっと、メリー!」
「さっき変な音しなかった? どうしたのよ蓮子?」
「扉が開かなくなったのよ! 突然!」
「え、誰かに閉じ込められたってこと?」
「いや、え、どうなんだろ。でも、ほら取手まで動かないのよ! 単に鍵を掛けられたって訳じゃないみたい!」
 私は混乱した。状況が把握できない。
 その時だった。突然、部屋中の物が全て跳ね上げられた。
 私はその反動で、部屋の隅に跳ね飛ばされてしまった。
 メリーの方を見ると、彼女まで空中に飛ばされている。
 私を見下ろすメリーの目が、見開かれていた。
 一体何だ、地震か? いや違う。
 視界が歪んで見える。この既視感のある歪み方は…
 時空が膨らんでる!?

 目の前の現象を信じられないでいると、今度は部屋中の物が落下し始めた。
 部屋の下は深い闇となっていた。
 部屋中の机も本も、メリーも吸い込まれていった。
「メリー!!」
「蓮子!!」
 私は直ぐに闇の中へ飛び込んだ。
 そしてメリーの伸ばした手を握り、力いっぱい引き寄せた。
 私はメリーを抱きしめ、頭をしっかりと押さえた。
 一体何だこの時空の歪みは。
 ブラックホールか? いや違う。
 この特有の歪み方は、ワームホールか!?
 私たちは異空間に飛ばされようとしてる!?
「メリー! しっかりつかまって!」
 私はメリーを抱きしめ、闇の中を落ちていった。



******



「あんな仕掛けしちまって、本当に大丈夫だったのか?」
「確かにちょっと酷だったかしらね。でも二人には、別の世界も覗いてみて欲しかったから」
「別の人が入っちまう可能性もあっただろうぜ?」
「あ、それは無いわよ。部屋を空ける程の好奇心と行動力があるのは、あの二人くらい」
「ふーん、ずいぶんと買ってるんだな」
「そりゃそうよ。あの二人はとても優秀よ。それに、」
「それに?」
「それに二人はあの世界の…、いや何でも無いわ、さっさと出発の準備しなさい。私は休んでるから」
「へいへい、どうせ私はしがない助手ですよー」

 その少女は、持ってきた最後のクッキーを、とても大切に味わっていた。
たくましい蓮メリも、良いと思う。
しらゆい
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コメント



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2.100サク_ウマ削除
疾走感が素晴らしいですね……! 蓮メリの師ならそういうことするよなあという納得感がありますし腐った苺の罠っぷりが酷いですし、あとさては教授クッキー好きすぎるな??? 科学世紀観とか旧作設定拾いとかの構築も見事で、たいへんに楽しめました。お見事でした。
3.100名前が無い程度の能力削除
謎に向かってずんずん突き進んでいく様が面白かったです。
4.90ヘンプ削除
忍び込もうとする蓮子とメリーにそれでいいのかと、突っ込みたいですね
面白かったです。
5.90ヘンプ削除
忍び込もうとする蓮子とメリーにそれでいいのかと、突っ込みたいですね
面白かったです。
6.100南条削除
面白かったです
自分の失踪を調べに来る奴にドッキリしかけておく教授がお茶目でした
7.90Actadust削除
謎にぐっと踏み込んでいく蓮メリはいい。面白かったです。