やい哲学者。ひねもす押し黙ってはじっとして、何を考えてやがる。
にとりはいつもそういって、椛の飼っている猫をいじめた。椛が猫を飼い始めたのは二年前、立春の時期だった。それは、偶然拾ったなどといえるほど気安くはない出会いだったが、そんなことはにとりが知ることではない。にとりは猫が嫌いだった。愛玩動物が嫌いだった。ひいては、動物を飼う者全般を嫌っていた。
そんなにいじめないでくださいよ。いやがって、かわいそうじゃないですか。
ひげをちょんちょんと引っ張るにとりを、椛は仕方がなく諫める。にとりはへへと笑っては、嫌いなんだよ、と言い捨てた。
ひとさまの役にも立たずに、餌もらって、偉そうにふんぞり返りやがって。嫌いだね、猫なんて。犬ならさ、狩りを手伝うとか、そういうふうに役に立ったのかもしれないけど。だけど今の時代、犬も役立たずだ。だから犬も嫌いだ。それに、そんな役立たずをかわいがる奴らなんて、もっと、犬猫よりもずっと嫌いだね。
そういって、責めるように、はたまたあてつけるように、椛へといやらしい視線を送るにとりだったが、椛は息を吐いて縫い針を動かし続けた。無視をされてつまらないにとりは猫を弄りながら、ふてくされた調子で椛に質問をした。
なんだかな。さっきからなにを縫ってるのさ。ずいぶん熱心にやってるようだけど。
聞くと、椛はあからさまに機嫌を良くして、ちくちくと刺す針をとめて、にとりに向き直った。突き出すようにして、縫い物の断片をにとりに見せつけるも、にとりは猫のひげで遊びながら、きょとんとするのみでいる。
わかりませんか。服ですよ。猫ちゃんの服!
嬉々として語る椛に、にとりは辟易とした。けっ、と吐いて、今度は猫の両耳をぐにぐにと引っ張っては、椛の上機嫌をくさすよう、猫に語りかける。
やい。おまえの服だってさ。おまえ、服を着たいか。こんなにぼさぼさ、毛が生えてるってのにさ。ばかだな、椛も。おまえもさ。
どうしたって諧謔に努めるにとりに対し、椛はむっとして針を動かし始める。猫ちゃん、猫ちゃんと、椛は猫のことをそう呼称して可愛がっていたが、にとりはどうしても、やい、おまえ、といった具合で、愛称である猫ちゃんを発音することはなかった。椛にはそれも気に入らないが、自身が愛情をもって餌付け、撫でくりまわす猫ちゃんが、にとりのいたずらめいた手つきに身じろぎひとつしないことにも、なんだか気に入らなかった。
もう。休みのたびにやって来ては猫ちゃんのこといじめて。いじめるために来るんだったら、もうお家に入れてあげないんですよ。
ひとりごちるも、にとりは猫ちゃんをいじめ続けた。にとりが椛の家を訪ねるのは、椛が猫を飼い始める以前からの習慣であり、猫のいないころならふたりはよく将棋などを打ったものである。しかし、猫が来てからというもの、にとりは将棋盤に見向きもしなくなった。曰く、猫が盤面をぐちゃぐちゃに蹴散らすだろうから、猫の居る家では将棋などとても打てないとのことだった。にとりは心底、厭味ったらしく猫に言う。
おまえ、将棋盤を荒らすだろう。椛が長考し始めたあたりで、おまえはきっとそれをするんだ。厭な猫だな、おまえは。飼い主にばっかり良い顔して、かわいがられて、餌をもらうんだろう。
そうこうしているうちに、世界は昼まぐれになった。椛の茹でたスパゲッティに舌鼓を打つ最中でさえ、にとりは猫を一瞥しては、けっ、と吐き、やらないぞ、とそればかりを繰り言にした。
それから同じような幾日が経ち、小鳥のさえずるような昼下がりに、椛はにとりの家に訪ねて来た。椛はかごをさも申し訳なさげに提げていた。
あの。わたし、そのう。哨戒の任務でしばらくお家を開けなきゃならなくなっちゃって……。
土間を跨がぬうちに、またひどく申し訳ない、といった表情でにとりに言った。かごのなかには、件の服を着た猫ちゃんがまるでたじろぎもせず、ふてぶてしく鎮座している。
餌はこれを。朝と晩に食べさせてあげてください。あと水も……あ、受け皿忘れてきちゃった――
――にとりはそこまで聞いて、椛の言葉を遮るように、もういい、とぶっきらぼうに言った。言い方こそぶっきらぼうなものではあったが、要するに、にとりは猫を預かることを了承したのだ。椛は、ありがとうございます、などと言いながらも、少々不安そうな面持ちでいた。いつも猫をいじめてばかりの自分に、椛が“かわいい猫ちゃん”を預けるのには、自分以外に頼めない、なにかのっぴきならない理由があってのことだとにとりは察していた。
椛は結局、不安そうなその面持ちのまま、にとりに猫を託し哨戒の仕事へと向かっていった。自身の家にあの“かわいい猫ちゃん”が居る。その事実に、にとりは内心、うっすらとした愉悦のような感情を覚えていた。にやにやと笑って、にとりはテーブルの上に置いたかごのそばに顔を近づけて、愉しそうに言う。
やい。優しい飼い主様はもういないぞ。おまえ、どうする。
しかし、かごのなかのソレといえば、依然ふてぶてしい態度で、なにも興味なさげに鎮座しているものだから、にとりはつまらなかった。けっ、と吐いて、にとりは餌付けのための受け皿を食器棚に探し始めるのだった。
にとりは猫をほとんどかごに閉じ込めたままでいた。餌をやるときこそ解放するが、餌を食べ終わったのを確認するなり図太い胴体をひっつかんで、かごのなかへと猫を戻した。それでも、猫はまったくいやがらないからにとりはつまらない。ひっとらえるときに手にあたる“猫ちゃんの服”の感触も、ことさらにとりにつまらない思いをさせた。
かわいくない。ちっともかわいくないやつだ。こんな服なんか、着てたって着てなくたって、おまえ、どうでもいいんだろう。
にとりは猫を一寸かごから猫を出して、服をぐい、と脱がして、またかごへと戻した。猫は相変わらずの様子でいて、にとりは手に持った服と猫とを一瞥しては、その軽蔑を誰に表明するともなく、ふん、と鼻をならした。
猫ちゃん、わたしが居なくて、なんともありませんでしたか。あ、いえ、そのう。今回は助かりました、ありがとうございます……あれ。猫ちゃん、服……。
にとりは猫といっしょに服を突っ返して、椛のことも追っ払うみたいにして玄関を閉めた。結局、猫を預かっていた数週間にはなんの問題もなく、椛に猫を突っ返したいま、にとりはやっと普段の生活に戻れる。低いテーブルの前、にとりは座布団にあぐらを掻いて茶を啜る。部屋の隅には取り残されたかのように餌皿がちょこんとあって、にとりはそれを見るともなく眺めながら、また、苛立たしげに湯呑を傾けた。
それから幾月かのあいだ、にとりは椛の家に行くことをしなかった。ほとんど習慣であった交遊をしない理由はにとり自身判然としなかったが、椛の家にあの猫が居る、というのが、にとりはなんとなく嫌だった。猫を預かる前ならば、猫が居ようが椛の家に行って、椛とたわいもない交遊をしたり、それこそ、椛の“かわいい猫ちゃん”の髭を引っ張って、いじめるのが愉しかった。しかし、今となっては椛の家にあのふてぶてしい猫が居る、と、とにかくそれがなんとなく嫌で、それのなにが嫌なのか、にとり自身ふしぎに思わないではなかった。けれど、とにかく椛の家には行かなかった。
椛と遊べなければにとりは退屈だった。山から請け負った仕事をこなして、日がな自宅にてパッとしない時間を過ごしていた。
しかし事件が起こる。その日の午後、繰り返しのような生活を適当に営んでいたにとりの家に、見るからに焦燥を浮かべた椛が訪ねてきたのだ。がしゃんがしゃん、がしゃんと叩かれる玄関を開けるなり、椛は縋るような声をあげてはにとりに泣きついた。聞けばどうやら、椛の“かわいい猫ちゃん”が、忽然と消えてしまったとのことだった。猫なんだから散歩くらいするだろう、とにとりが言うと、猫ちゃんは家猫なんです! と声を荒げるから、にとりはたまらなかった。
にとりは猫の行きそうな場所を椛から聞かされて、半ば無理やり捜索をさせられていた。雑木林、里の路地、山のどこか。見つかるはずもない。にとりは苛々と呆れ返りながらも、雑木林のなかを歩き続けた。
くだらない。つまらない。かわいくない。そのうえ、優しい優しい飼い主様にさえ迷惑をかけやがる。最低だ、恩知らずだ。椛を心配させやがって、見つけたら、きっとただじゃ置かない……。
言いながら、にとりはなんだか泣きたくなるような思いをしていた。夕暮れ、陽が落ちるまで探し回ったが、結局、猫は見つからなかった。
三年経って、にとりと椛はすっかり元通りな将棋仲間に戻っていた。にとりは椛と遊ぶと楽しかった。椛の進歩ない攻め筋はいつだって快かったし、その都度不貞腐れる椛を茶化していじめるのも、にとりの元通りの普段通りだった。
季節はまた春だった。にとりは普段通りをやってやろうと椛の家に赴いた。ノックをして、玄関を開ける。にとりを出迎えたのは椛と、見知らぬ犬だった。犬は愉快そうに舌を出して、はっ、はっ、とにとりを見つめていた。
どうです、わたしのわんちゃん。かわいいでしょう。
椛が笑顔で言うなり、にとりはカッとなって椛の家を飛び出した。舌を出した犬の表情は笑顔にみえていやだった。自慢げな椛の笑顔もいやだった。犬がまた服なぞ着ているのが、にとりには到底堪えられなかった。
薄情者、薄情者! きらいだ、きらいだ! 動物も、動物を飼うやつも!
にとりは自分が駆け足になってることも気づかなかったし、その目が潤んでいることにも気づかなかった。ただ、にとりはゆるせなくて、やりきれなくて、たまらなかった。
気づくとにとりは山の東屋にいた。ベンチに座って、苛立たしげに頭をかかえて、ゆるせない、ゆるせない、とそればかりを頭のなかで繰り返していた。緩い風が吹いて、東屋わきの草っぱらがざわざわと鳴る。
あ……。
ふいとそちらを見やると、そこにはふてぶてしい図体の猫がいた。猫はいつかの“かわいい猫ちゃん”と似た、興味なさげな居住まいで、にとりのほうをじっと見つめていた。にとりはすわ立ち上がって、近くにあった木端をつかんで、振りかぶった。
もういい! 行け、どっか行けよ! 二度と、二度と近寄るな! この薄情者、薄情者、薄情者!
猫は投げつけられた木端をひらりとかわして、そのまま木々のなかへと消えていく。ひとり残されたにとりはへなへなとベンチに座り込んで、それからしくしくと泣き出した。
にとりはいつもそういって、椛の飼っている猫をいじめた。椛が猫を飼い始めたのは二年前、立春の時期だった。それは、偶然拾ったなどといえるほど気安くはない出会いだったが、そんなことはにとりが知ることではない。にとりは猫が嫌いだった。愛玩動物が嫌いだった。ひいては、動物を飼う者全般を嫌っていた。
そんなにいじめないでくださいよ。いやがって、かわいそうじゃないですか。
ひげをちょんちょんと引っ張るにとりを、椛は仕方がなく諫める。にとりはへへと笑っては、嫌いなんだよ、と言い捨てた。
ひとさまの役にも立たずに、餌もらって、偉そうにふんぞり返りやがって。嫌いだね、猫なんて。犬ならさ、狩りを手伝うとか、そういうふうに役に立ったのかもしれないけど。だけど今の時代、犬も役立たずだ。だから犬も嫌いだ。それに、そんな役立たずをかわいがる奴らなんて、もっと、犬猫よりもずっと嫌いだね。
そういって、責めるように、はたまたあてつけるように、椛へといやらしい視線を送るにとりだったが、椛は息を吐いて縫い針を動かし続けた。無視をされてつまらないにとりは猫を弄りながら、ふてくされた調子で椛に質問をした。
なんだかな。さっきからなにを縫ってるのさ。ずいぶん熱心にやってるようだけど。
聞くと、椛はあからさまに機嫌を良くして、ちくちくと刺す針をとめて、にとりに向き直った。突き出すようにして、縫い物の断片をにとりに見せつけるも、にとりは猫のひげで遊びながら、きょとんとするのみでいる。
わかりませんか。服ですよ。猫ちゃんの服!
嬉々として語る椛に、にとりは辟易とした。けっ、と吐いて、今度は猫の両耳をぐにぐにと引っ張っては、椛の上機嫌をくさすよう、猫に語りかける。
やい。おまえの服だってさ。おまえ、服を着たいか。こんなにぼさぼさ、毛が生えてるってのにさ。ばかだな、椛も。おまえもさ。
どうしたって諧謔に努めるにとりに対し、椛はむっとして針を動かし始める。猫ちゃん、猫ちゃんと、椛は猫のことをそう呼称して可愛がっていたが、にとりはどうしても、やい、おまえ、といった具合で、愛称である猫ちゃんを発音することはなかった。椛にはそれも気に入らないが、自身が愛情をもって餌付け、撫でくりまわす猫ちゃんが、にとりのいたずらめいた手つきに身じろぎひとつしないことにも、なんだか気に入らなかった。
もう。休みのたびにやって来ては猫ちゃんのこといじめて。いじめるために来るんだったら、もうお家に入れてあげないんですよ。
ひとりごちるも、にとりは猫ちゃんをいじめ続けた。にとりが椛の家を訪ねるのは、椛が猫を飼い始める以前からの習慣であり、猫のいないころならふたりはよく将棋などを打ったものである。しかし、猫が来てからというもの、にとりは将棋盤に見向きもしなくなった。曰く、猫が盤面をぐちゃぐちゃに蹴散らすだろうから、猫の居る家では将棋などとても打てないとのことだった。にとりは心底、厭味ったらしく猫に言う。
おまえ、将棋盤を荒らすだろう。椛が長考し始めたあたりで、おまえはきっとそれをするんだ。厭な猫だな、おまえは。飼い主にばっかり良い顔して、かわいがられて、餌をもらうんだろう。
そうこうしているうちに、世界は昼まぐれになった。椛の茹でたスパゲッティに舌鼓を打つ最中でさえ、にとりは猫を一瞥しては、けっ、と吐き、やらないぞ、とそればかりを繰り言にした。
それから同じような幾日が経ち、小鳥のさえずるような昼下がりに、椛はにとりの家に訪ねて来た。椛はかごをさも申し訳なさげに提げていた。
あの。わたし、そのう。哨戒の任務でしばらくお家を開けなきゃならなくなっちゃって……。
土間を跨がぬうちに、またひどく申し訳ない、といった表情でにとりに言った。かごのなかには、件の服を着た猫ちゃんがまるでたじろぎもせず、ふてぶてしく鎮座している。
餌はこれを。朝と晩に食べさせてあげてください。あと水も……あ、受け皿忘れてきちゃった――
――にとりはそこまで聞いて、椛の言葉を遮るように、もういい、とぶっきらぼうに言った。言い方こそぶっきらぼうなものではあったが、要するに、にとりは猫を預かることを了承したのだ。椛は、ありがとうございます、などと言いながらも、少々不安そうな面持ちでいた。いつも猫をいじめてばかりの自分に、椛が“かわいい猫ちゃん”を預けるのには、自分以外に頼めない、なにかのっぴきならない理由があってのことだとにとりは察していた。
椛は結局、不安そうなその面持ちのまま、にとりに猫を託し哨戒の仕事へと向かっていった。自身の家にあの“かわいい猫ちゃん”が居る。その事実に、にとりは内心、うっすらとした愉悦のような感情を覚えていた。にやにやと笑って、にとりはテーブルの上に置いたかごのそばに顔を近づけて、愉しそうに言う。
やい。優しい飼い主様はもういないぞ。おまえ、どうする。
しかし、かごのなかのソレといえば、依然ふてぶてしい態度で、なにも興味なさげに鎮座しているものだから、にとりはつまらなかった。けっ、と吐いて、にとりは餌付けのための受け皿を食器棚に探し始めるのだった。
にとりは猫をほとんどかごに閉じ込めたままでいた。餌をやるときこそ解放するが、餌を食べ終わったのを確認するなり図太い胴体をひっつかんで、かごのなかへと猫を戻した。それでも、猫はまったくいやがらないからにとりはつまらない。ひっとらえるときに手にあたる“猫ちゃんの服”の感触も、ことさらにとりにつまらない思いをさせた。
かわいくない。ちっともかわいくないやつだ。こんな服なんか、着てたって着てなくたって、おまえ、どうでもいいんだろう。
にとりは猫を一寸かごから猫を出して、服をぐい、と脱がして、またかごへと戻した。猫は相変わらずの様子でいて、にとりは手に持った服と猫とを一瞥しては、その軽蔑を誰に表明するともなく、ふん、と鼻をならした。
猫ちゃん、わたしが居なくて、なんともありませんでしたか。あ、いえ、そのう。今回は助かりました、ありがとうございます……あれ。猫ちゃん、服……。
にとりは猫といっしょに服を突っ返して、椛のことも追っ払うみたいにして玄関を閉めた。結局、猫を預かっていた数週間にはなんの問題もなく、椛に猫を突っ返したいま、にとりはやっと普段の生活に戻れる。低いテーブルの前、にとりは座布団にあぐらを掻いて茶を啜る。部屋の隅には取り残されたかのように餌皿がちょこんとあって、にとりはそれを見るともなく眺めながら、また、苛立たしげに湯呑を傾けた。
それから幾月かのあいだ、にとりは椛の家に行くことをしなかった。ほとんど習慣であった交遊をしない理由はにとり自身判然としなかったが、椛の家にあの猫が居る、というのが、にとりはなんとなく嫌だった。猫を預かる前ならば、猫が居ようが椛の家に行って、椛とたわいもない交遊をしたり、それこそ、椛の“かわいい猫ちゃん”の髭を引っ張って、いじめるのが愉しかった。しかし、今となっては椛の家にあのふてぶてしい猫が居る、と、とにかくそれがなんとなく嫌で、それのなにが嫌なのか、にとり自身ふしぎに思わないではなかった。けれど、とにかく椛の家には行かなかった。
椛と遊べなければにとりは退屈だった。山から請け負った仕事をこなして、日がな自宅にてパッとしない時間を過ごしていた。
しかし事件が起こる。その日の午後、繰り返しのような生活を適当に営んでいたにとりの家に、見るからに焦燥を浮かべた椛が訪ねてきたのだ。がしゃんがしゃん、がしゃんと叩かれる玄関を開けるなり、椛は縋るような声をあげてはにとりに泣きついた。聞けばどうやら、椛の“かわいい猫ちゃん”が、忽然と消えてしまったとのことだった。猫なんだから散歩くらいするだろう、とにとりが言うと、猫ちゃんは家猫なんです! と声を荒げるから、にとりはたまらなかった。
にとりは猫の行きそうな場所を椛から聞かされて、半ば無理やり捜索をさせられていた。雑木林、里の路地、山のどこか。見つかるはずもない。にとりは苛々と呆れ返りながらも、雑木林のなかを歩き続けた。
くだらない。つまらない。かわいくない。そのうえ、優しい優しい飼い主様にさえ迷惑をかけやがる。最低だ、恩知らずだ。椛を心配させやがって、見つけたら、きっとただじゃ置かない……。
言いながら、にとりはなんだか泣きたくなるような思いをしていた。夕暮れ、陽が落ちるまで探し回ったが、結局、猫は見つからなかった。
三年経って、にとりと椛はすっかり元通りな将棋仲間に戻っていた。にとりは椛と遊ぶと楽しかった。椛の進歩ない攻め筋はいつだって快かったし、その都度不貞腐れる椛を茶化していじめるのも、にとりの元通りの普段通りだった。
季節はまた春だった。にとりは普段通りをやってやろうと椛の家に赴いた。ノックをして、玄関を開ける。にとりを出迎えたのは椛と、見知らぬ犬だった。犬は愉快そうに舌を出して、はっ、はっ、とにとりを見つめていた。
どうです、わたしのわんちゃん。かわいいでしょう。
椛が笑顔で言うなり、にとりはカッとなって椛の家を飛び出した。舌を出した犬の表情は笑顔にみえていやだった。自慢げな椛の笑顔もいやだった。犬がまた服なぞ着ているのが、にとりには到底堪えられなかった。
薄情者、薄情者! きらいだ、きらいだ! 動物も、動物を飼うやつも!
にとりは自分が駆け足になってることも気づかなかったし、その目が潤んでいることにも気づかなかった。ただ、にとりはゆるせなくて、やりきれなくて、たまらなかった。
気づくとにとりは山の東屋にいた。ベンチに座って、苛立たしげに頭をかかえて、ゆるせない、ゆるせない、とそればかりを頭のなかで繰り返していた。緩い風が吹いて、東屋わきの草っぱらがざわざわと鳴る。
あ……。
ふいとそちらを見やると、そこにはふてぶてしい図体の猫がいた。猫はいつかの“かわいい猫ちゃん”と似た、興味なさげな居住まいで、にとりのほうをじっと見つめていた。にとりはすわ立ち上がって、近くにあった木端をつかんで、振りかぶった。
もういい! 行け、どっか行けよ! 二度と、二度と近寄るな! この薄情者、薄情者、薄情者!
猫は投げつけられた木端をひらりとかわして、そのまま木々のなかへと消えていく。ひとり残されたにとりはへなへなとベンチに座り込んで、それからしくしくと泣き出した。
数年後にはあっさり別の動物を飼い始めて、しかもにとりの気持ちを何も察してない椛。
そして椛に執着せず何も思っていないかのように振る舞う猫と、その猫と違って色々な感情に溢れているにとりとの対比。
直接言及していないにもかかわらずしっかりと伝わってきて、表現力が高かったように思います。
一方でにとりも椛もこのような嫌なことをするキャラかというと疑問が残り、話を展開するためにキャラが都合よく使われていたのかなとも思いました。
碌でもなくて良かったです
そう言う意味で、とても面白い話でした
嫉妬だよなぁ
ありがとうございました。