がやがやと混じり合って個では聞き取れない雑多な音。時折起きる笑い声。風に運ばれてくるアルコールの匂い。
普段は引きこもっているパチュリー・ノーレッジはその音と匂いだけで既に二日酔いのような不快感を覚えていた。
初めに注がれた赤ワインを半分以上残したまま手持無沙汰にくるくると湯呑を回し、出来た渦を見ている。
「おや、お前がこんな所にくるなんて明日は槍の雨…いや本の雨でも降りそうだな!」
言い回しが明らかに面倒くさい酔っ払いなセリフを言いながら金髪の少女、霧雨魔理沙が近づいてくる。
その顔は案の定赤みがかっており、手には一升瓶を握っている。
「何よ、来ちゃ悪いの」
「そんなこと無いぜ。宴会なんて多いほうがいいに決まってるからな」
そう言いながら手に持っていた一升瓶をラッパ飲みする。
「あんたねぇ…そんなおっさんみたいな…」
「まあそういうなよ。ほらお前もいっぱい──」
と言いながらパチュリーの隣に座り、手に持っていた酒を注ごうとする。パチュリーは慌ててそれを避ける。
「ちょっと!日本酒じゃないのよ。これ」
「そうなのか?何飲んでるんだよ」
「ワインよ」
「お、いいね。私にもくれよ」
「残念ね。もう鬼に見つかった後よ」
「あらら、それじゃ一滴も残らんな」
「そうなのよ。しかもそいつらときたらあっという間に飲み干した挙句なんて言ったと思う?
こんなのジュースと一緒じゃないかって。そもそもワインはそういう飲み方じゃないって言うのに」
「あっはっは。まああいつらの酒好きは馬鹿騒ぎを含めてなんだろうよ」
「メチルアルコールでも喜んで飲むんじゃない?」
「あいつらくらいならもう飲んでそうだな。それに飲み方の話をするならお前だって湯呑で飲んでるじゃないか」
「これはこのオンボロ神社にワイングラスなんて上等な物無かっただけよ」
「ああ、そういうこと。今度持ってくるか」
「へえ、まるで同棲してる彼女みたいな事言うのね」
とパチュリーが冗談めかして言う。魔理沙は元々赤かった顔を更に赤くする。
「ばっ─なっ─おまっ─あっあたしはどっちかっていうと男の方いやそもそも別にそうなりたいってわけじゃ」
と狼狽する魔理沙があまりにもわかりやすくて思わず笑ってしまう。だがそれとは反対に心の奥がズキリ、と痛みだす。
「そういえばあれだな!お前最近あんまり本って──」
言ってから魔理沙はしまった、という顔をする。私は話の内容をなんとなく悟ったが、何も言わず魔理沙が話し出すのを待つ。
それを肯定と受け取ったのか魔理沙は歯切れの悪い調子で話し出す。
「いや、あれだ。お前最近、本を返せって言わないなって…」
「ああ、そんなこと…別に最近会わなかっただけでしょう?」
そう、目の前にいる金髪の少女は私の図書館に忍び込み、本を無断拝借し、返却を求めたら死んだら返すなどと言い返してきたのだ。
悪いことしてる自覚はあったのか、と変なところで感心してしまい少し可笑しくなったが顔には出さなかった。
「いや、でも前は取返しに来たり、盗まれないようにしてただろ。それも最近はあんまり無いなって…」
「そうねぇ…」
ぶっちゃけた話、パチュリーにはそこまでする価値が無かった。本に価値が無いというわけではない。
彼女は扱っている本は一般に出回っている本は勿論、魔導書と言われる世界でも数冊や一品物レベルの稀少な物さえある。
だが彼女はその万を超える蔵書を全て、一言一句違わず全て、記憶している。
つまり彼女は手間さえ考えなければ全く同じ本を複製できるのだ。そういう意味で彼女に価値があるのはあくまで本の中身であり、
資産的、物質的な価値はいざという時に複製するのが面倒、という程度の認識でしかなかった。
では何故取り返そうとしていたかというと、魔導書が問題だった。魔導書には読むと精神に異常をきたす程のいわくつきの物や、
逆に中には一般人にさえ扱えてしまうほど簡易な物がある。そんなものが世に出回ればどうなるかは想像に難くない。
彼女は面倒事に巻き込まれたくないという私情こそあったが、どちらかというと魔理沙や世界を守る為にやっていたのだった。
なので魔理沙が本を売って金に換えたりしている様子もなく、あくまで自分の為に使っているようなので、
世の中が混乱に陥る事が無いのであれば彼女は(自分に迷惑が掛からなければ)まあ別にいいか、とさえ思っていた。
だがさして困らないとはいえ盗まれたことで気分を害したのも事実であり、簡単に許すのも納得がいかないのでどう返答するか思案していた。
とりあえず話しながら考えるか、とパチュリーは口を開く。
「うちの本を読んだならあれが世間に出回ったらどうなるかくらい分かるわよね?。」
「あ?ああ、そりゃあな」
「まあ人の生き死になんて大して興味もないけど私の本が原因だったら流石に寝覚めが悪いし、
やってもないのに私のせいにされても困るわけよ」
「…ああ」
パチュリーの言いたいことをなんとなく察したのか魔理沙はいくらか真面目な調子で相槌を打つ。
「ただまあ本を読みたい気持ちは分からなくは無いわ」
彼女は蔵書の数から分かる通り大の読書好き、いやむしろ本を愛しているとさえ言ってもよい。
その数は人の一生を賭けても読み切れるか怪しい程の量だが彼女は魔法使い──つまり人間ではない。
少女のような見た目ではあるがその齢は優に三桁は生きており、それ故人間である魔理沙を侮っていた。
人間である為に魔理沙が本を読むことは勿論、図書館に来ることさえ快く思っていなかった。
人には扱えないと決めつけ、魔理沙が魔導書を読んでいると本を取り上げ読ませないようにしていた。
始めの方こそ魔理沙は素直に聞いていたが、段々と言い合いをするようになり、遂には盗み出すという強硬手段を取った。
そして今の所大事にはなっていないので、少なくとも魔理沙には本を読む素質くらいはあったのだろう。
それを頭ごなしに否定し、抑えつけ、魔理沙をここまで追い込んだのは他でもないパチュリー自身なので、
素直に読ませていれば違った未来もあったかもしれないと彼女は考えていた。
「だから…まあー…売ったりしてる様子もなさそうだし私に迷惑が掛からなければって感じなのよね。勿論本が返ってくるに越したことは無いけど。
それこそあんたが死んでからでもね」
と誤魔化しつつ冗談めかして言うと、魔理沙は笑いもせずああ、と気のない相槌を打つだけであった。
怪訝に思って魔理沙の顔を見ると真面目だと思っていたのがどちらかというと何か考えているような、心ここにあらず、という表情をしていた。
「何?あんたもしかして死ぬ気も無くなった?」
「いや、そういうわけじゃないんだけど…」
またもや魔理沙は歯切れの悪い返事をする。槍の雨云々はこちらのセリフだと言いたくなるくらい今日の魔理沙はらしくなかった。
「別にここの奴らは嫌いじゃないし幻想郷をどうにかするつもりも無いんだけどな。ふっと思っちまったんだよ。
もしさ、あいつを超えられる手段があって、それが皆を不幸にするとしても、そんなのがあった時あたしはどうするんだろうってな」
頬を軽く赤らめたその物憂げな横顔は1枚の絵の様で、パチュリーは思わず見とれてしまった。
ただあいつとは──その視線の先にいるのは自分では無い。胸の痛みは鋭さを増し、それが彼女を現実に引き戻す。
そういった経験が多いわけではないが彼女は聡明すぎるが故に気づいて、いや、諦めてしまっていた。自分が入り込む余地は無いのだと。
「……あんたがあいつに勝てる未来なんてあるのかしらね」
「…なんだよ、こっちは結構真剣に──」
「約束しましょう」
「………は?」
「いえ、契約と言いましょうか。あなたが持って行った本は死んだ時に取り戻しに行くわ。そういう契約よ」
「……どういう意味だ?」
魔理沙は本当に意味が分からない様子で聞き返す。パチュリーは察しが悪い、とでも言う様にため息をついてから答える。
「だから、あんたが人でない何かになった時、消してあげるって言ってるのよ」
「……はぁ~…成程…そうか…それならまあ…いい…のか?どーせ取らぬ狸のなんとやらだ。今考えてもしょうがないか。
話したらすっきりはしたよ。んで、契約ってのはなんだ?なんか書けばいいのか?」
「そうね…これにしましょうか」
と言ってパチュリーは小指を差し出す。今まで話していたことのギャップも相まって魔理沙は思わず吹き出してしまう。
「お前、そんな…契約とか言っておいてそれか」
「いや、約束するのは私じゃないわ。あなたを、いやあなたを含めた幻想郷すべてに対して、よ」
「…それは重いな」
「そうね。でもあいつはそれを背負っているわ」
「そうか…そうだな。なら私もそんくらいしねーとな」
そう言って魔理沙も小指を差し出し、絡ませた後、数回腕を振って離す。
その後どちらも口を開かず、しばらくの沈黙が続く。その沈黙に耐えかねた様に魔理沙が話し出す。
「そうだ。せっかく来たんだし飲んでみろよ」
と、先ほど魔理沙が直接口を付けた一升瓶を差し出す。
「…いえ、いいわ。もう帰るし」
「なんだ、もうか?」
「ええ、これ以上夜風に当たると良くないから」
「そうか。ならそれ片付けておくよ」
と言ってパチュリーの湯呑を指差してきたのでお互いに立ち上がりつつパチュリーはああ、と適当な相槌を打って手渡す。
「なんだ、結構残ってるじゃねえか。いらねえのか」
「…そうね。適当に捨てておいて」
「そんなのもったいないだろ」
と、魔理沙は躊躇いもせず湯呑に口を付ける。
「おー、やっぱり紅魔館のワインは違うな。……なんだよその顔、いらないんだろ?」
「……別にいいけど。小悪魔知らない?」
「あそこ」
といって魔理沙が指を差した所は、鬼と妖精が笑い合っているど真ん中であった。
一体何の話をしてるのか興味もあったがあの中に入るのは少し躊躇われた。
「よければ私がご一緒しましょうか?」
何もなかったはずの背後に急に現れた銀髪の女性、十六夜咲夜が尋ねる。
パチュリーは別段驚くことなく、まるでいつものことのように話をする。
「あんた…もしかして見てた?」
「いえいえ、そんな。パチュリー様が指を絡め合って熱い夜を過ごしている所なんて」
「まぎらわしい言い方をすんな。まったく、誰に似たんだか」
「お嬢様は悪くありませんよ」
「誰もレミィのことなんて言ってないけど。あんたほんとにいい性格してるわね。それじゃあ──」
と別れのあいさつを言おうとして魔理沙の方を振り向くと既に誰かに引きずられる様に宴会に戻っていく姿が見えた。
パチュリーは何も言わずその場を去ろうとする。
「よろしいので?」
「いいのよ。これで」
とパチュリーは答えた後その場を後にする、咲夜はそれ以上何も言わずに後をついてきた。
そう、これでいい。ああは言ったがパチュリーが何もせずとも魔理沙に何かあればあいつがなんとかするだろう。
そうでなくても彼女は──パチュリーは軽く後ろを振り向く。魔理沙は皆に囲まれて楽しそうに笑い合っているのが見えた。
前を向き直ったパチュリーの顔は吹っ切れたような、爽やかな顔をしていた。
いいわ、見ててあげる。
あなたがどこまで行けるか。
何になれるか。
何を成すのか。
見守ってあげる。
それが私の──よ。
想いをおくびにも出さないパチュリーに気品を感じました。
とても丁寧に話が作られていて読みやすかったです。