最初、その稀薄な雰囲気の少女のことを、つまらないやつ、と思っていた。
実際そいつは、主人の後ろに隠れてばかりだったし、いざ話してみれば、異様に生真面目な性格で、すぐ冗談を真に受けた。
オバケは怖いものだと教われば、はぇー、そうなんですかーと、以後、オバケを怖がるようになった。そんなことある?
「ラーニング? してる最中なのよ。大目に見てあげて」
と、これは八雲紫の発言。
「リリカ、ほぇー、リリカね」
ぽかんと空いた口で、私の名を繰り返す。そんなアホっぽい声で言われると私にまでゆるい空気がうつる気がして……ああ、そうだ。何とか言うか、ダサいよ。私はそいつのことが好きじゃなかった。
よく呼ばれるお得意様の所の娘だから、話してやっていただけ。
年も近いし? はぁッ? 冗談じゃない。私の方が上でしょ。
「よろしくお願いします。リリカさん」
馬鹿正直に頭を下げるそいつに、本当にもう、うんざりしたよ。こんなのと一緒にいたら、私の感性が錆びる。
──それが今では、こうだ。
「うげ、リリカじゃん。来たんだ」
「リリカじゃん……じゃないわよ。忙しい間を縫って来てやったんだから、感謝しなさいよ」
その時季にはまだ少し早いのに、透明な桜の花が散る。
色彩の残像? 場に残留した記憶という意味での幽霊? 何だろうね?
庭の機嫌が良い時、白玉楼には桜の花弁が舞う。白玉楼なんだから桜が舞っていて当然だとも思う。特に、その場の美しさが一定値を超えた時なら、庭だって自主的に風景を彩りたくもなるだろう。例えば、静かな夜にルナサ姉が独りバイオリンを弾く時。例えば、やはり静かな夜、八雲紫がいつになく淑やかな顔で独酌している時。
そういう時と同じように、はにかむ妖夢は舞い散る桜を伴っていた。
……ふざけるなよ?
と、思う。
だって私はまだ、桜を散らせたことが無いのに。
昔は朴念仁オブ朴念仁だったくせに、何なの?
野暮の象徴みたいだったおかっぱ頭は、ちょっと小洒落たショートボブ。さらさらの白い髪が私から見ても可愛い。精々言葉に気を使って清貧だった印象は、一字を変えて清楚に。何をラーニングしたら清楚可憐になるんだ。なんて言うかこう、すごく、女の子女の子している。
極め付けには、物騒な刃物を携えていない。あの、枕の代わりに抜き身の刀を抱いて眠る妖夢がだよ?
そのことを指摘してやると、
「ああ、あれね」
と、簡単に。
「もう、そういう域に無いんだよねぇ。斬れるものは斬れるもん」
どういうことだし。よく分からん。
あの野暮ったい娘が私より可愛いとか、生意気なんですけど? ……あんなやつが、って。考えれば考えるほど、ムカついた。
ああ、そうか。
納得すれば話は早い。私は昔から、こいつのことを下に見ていたんだ。私の方が上だもん。洟垂れ小僧の面倒見てやってたんだもん。それがさ、何よ……。何なのよ……。
「……なんかあったの?」
何気ない風を装った、重い質問。
「幽々子様ならお友達と外までお出かけ。何かあるかは紫様の甲斐性次第」
「あんたのことよ。……あ、待った。やっぱやめて」
何かあったその内容を聞かされて、耐えられる気がしない。私が一曲も作れないで腐ってる間、何してたって言うのさ。
「斬ってた。仙女とか、雨とか」
「やめてって言ったでしょ。聴ーこーえーまーせーんー」
少し歩く?
そうね。
適当に言われて、突っ慳貪に返した。気を使う相手じゃないけど、苛立ちの理由まで探られたら困る。私の機微がこいつに分かるわけない。そう見くびっていたら、足元を掬われそうで怖かった。は? 一向に怖くないですが?
「今日は、桜が薫るね」
庭の機嫌が良いことを、一応は庭師のこいつはそんな風に表現した。生意気にも詩的だ。
「リリカ、何かあったの?」
私もしたのと同じ質問。
「無いわよ」
ほんと、何にも無かった。いやあったけど。あったけど、ね?
楽団のファンは着実に増えてる。不死鳥の強火オタクもいる。厄介な古参ファンもいる。雷鼓さんとも色々あった。あったよ。プリズムリバーって言ったら幻想郷じゃあ知られたもんよ。
でも何だろ。
それをして『あった』と言って良いのか分からない。独りの力で何かを為してないから? いいえ、違います。私の鬱屈って、もう、そういう次元の話じゃない。
じゃあ何かって言われても、分からないけどさ。
……最近、曲作れてないな。
「ふぅん。リリカにも色々あるんだね」
「その言い方、生意気」
軽口の切れが悪い。距離感が掴めてない。さらさら流れる髪のせい。
「あったんでしょ? 無いわけないもんね」
だからさ、言い方。今度はなんだか癪に障る。
私の気も知らず、知らなくて良いけど、こいつはこいつで、子供じみた仕草で土を蹴っている。何を拗ねているんだか。
「プリズムリバー、流行ってるじゃん」
「それは別にッ!」
つい、大声が出た。
私の力じゃないと続ける程には青くない。誰かが欠けてもプリズムリバーじゃないことくらい分かってる。じゃあ逆に、まあ私のおかげですけど? と言える程の余裕が無い。どっちつかず、行き場が無い焦燥感。思春期みたい? やめてよね?
「私の力じゃない……」
結局は、そう言っていた。嘘だよ。リリカがいなきゃダメだって姉たちは言うよ。知ってるよ。うるさいよ。そうじゃないんだよ。そうじゃないって、じゃあ何なんだよ。
嫌だな。ダサいな。
「なんでもない。忘れて」
「あははっ」
急に笑うし。
「なんだ、リリカにも色々あるんだね。死ぬほどダサくて安心したよ。うけるー」
「は?」
ブチキレるタイミングすら分かりませんが?
「いやいや、だって急に遠くに行かれたらビビるもんね?」
だから、安心したよ。
もう一回そう言うと、ふと空を仰ぐ。
「なんでかな? めっちゃ降るじゃん」
本当だ。淡く暈けた色の青い空、その何も無い空から、桜の幻が降り止まない。初雪よりはやや強く、小糠雨よりは柔らかい。光が、降っているようでもあった。
頬を掠める桜の花弁は、そっと撫でるようでいて、触れている感触が無い。
陽の光は穏やかで、目が眩む程じゃない。直視していると、視界の端から白く滲んでいくような、その程度の光。
三月初旬の寒さだけが、私の足元を確かにさせる。
「桜雨、降りつる袖を、濡らさずに、久方の空、花はいずこに」
詠う調子ではなかった。訥々と区切りながら、でも、自然に流れ出たような歌ではあった。
桜の雨は、もちろん雨とは違う。和歌の世界で袖と言ったら、涙を連想するのが決まり。じゃあ、泣いてもいないってことだ。桜の花も、まだ咲いていない。あるものはただ、花弁の雨の、その残像ばかり。
悩んでたのが馬鹿らしいって言いたいのかな。
「うん、上手くはないね」
すぐにそう被せて、白い髪の少女は照れ隠しのように笑った。
そして、躊躇わずに私の手を取った。少し遠くなった距離なんて無いみたいに。……昔みたいに。
桜色の光が、さらさらの白い髪を撫でて行き過ぎる。天気雨のように降り頻る光が、私にも同じように注いでいるのだと知った。桜が彩っているのは、私達ふたりのことだった。
お節介な庭だなぁ。別に、祝福されるようなことじゃないでしょ。
「最近さ、中々ウチに来てくれないじゃん。人気出て忙しいのは分かるけど。あーあ、白玉楼はインディーズ時代から囲ってるんだけどなー」
「……厄介な古参ファンって、あんたらのことだよ。デカい顔すんな」
距離感、こんな具合だっけ?
「えー、そんなつもりは無いんだけど。まあ良いか別に」
簡単に済ますな、こら。
「うん、でもまあ、忙しいのは分かってるつもり。私のこと忘れてないのも分かってたつもり。分かってはいるってやつなんだけどね?」
「……」
言われてみれば確かに、足は遠のいていたように思う。恨みがましく言われる程かは知らないけれど。
「だからさ、今日、会いに来てくれて良かったよ」
急に、直球で言うじゃん。
別に? たまたま暇だっただけだし。
そんな感じの照れ隠しを言うこともできなくて、私は「ああ」とか「うう」とか呻いた。ダサいな、私って。
「また遊びに来てね」
と、私の幼馴染みが言った。
「そうね。また今度、暇な時で良いなら、だけど」
実際そいつは、主人の後ろに隠れてばかりだったし、いざ話してみれば、異様に生真面目な性格で、すぐ冗談を真に受けた。
オバケは怖いものだと教われば、はぇー、そうなんですかーと、以後、オバケを怖がるようになった。そんなことある?
「ラーニング? してる最中なのよ。大目に見てあげて」
と、これは八雲紫の発言。
「リリカ、ほぇー、リリカね」
ぽかんと空いた口で、私の名を繰り返す。そんなアホっぽい声で言われると私にまでゆるい空気がうつる気がして……ああ、そうだ。何とか言うか、ダサいよ。私はそいつのことが好きじゃなかった。
よく呼ばれるお得意様の所の娘だから、話してやっていただけ。
年も近いし? はぁッ? 冗談じゃない。私の方が上でしょ。
「よろしくお願いします。リリカさん」
馬鹿正直に頭を下げるそいつに、本当にもう、うんざりしたよ。こんなのと一緒にいたら、私の感性が錆びる。
──それが今では、こうだ。
「うげ、リリカじゃん。来たんだ」
「リリカじゃん……じゃないわよ。忙しい間を縫って来てやったんだから、感謝しなさいよ」
その時季にはまだ少し早いのに、透明な桜の花が散る。
色彩の残像? 場に残留した記憶という意味での幽霊? 何だろうね?
庭の機嫌が良い時、白玉楼には桜の花弁が舞う。白玉楼なんだから桜が舞っていて当然だとも思う。特に、その場の美しさが一定値を超えた時なら、庭だって自主的に風景を彩りたくもなるだろう。例えば、静かな夜にルナサ姉が独りバイオリンを弾く時。例えば、やはり静かな夜、八雲紫がいつになく淑やかな顔で独酌している時。
そういう時と同じように、はにかむ妖夢は舞い散る桜を伴っていた。
……ふざけるなよ?
と、思う。
だって私はまだ、桜を散らせたことが無いのに。
昔は朴念仁オブ朴念仁だったくせに、何なの?
野暮の象徴みたいだったおかっぱ頭は、ちょっと小洒落たショートボブ。さらさらの白い髪が私から見ても可愛い。精々言葉に気を使って清貧だった印象は、一字を変えて清楚に。何をラーニングしたら清楚可憐になるんだ。なんて言うかこう、すごく、女の子女の子している。
極め付けには、物騒な刃物を携えていない。あの、枕の代わりに抜き身の刀を抱いて眠る妖夢がだよ?
そのことを指摘してやると、
「ああ、あれね」
と、簡単に。
「もう、そういう域に無いんだよねぇ。斬れるものは斬れるもん」
どういうことだし。よく分からん。
あの野暮ったい娘が私より可愛いとか、生意気なんですけど? ……あんなやつが、って。考えれば考えるほど、ムカついた。
ああ、そうか。
納得すれば話は早い。私は昔から、こいつのことを下に見ていたんだ。私の方が上だもん。洟垂れ小僧の面倒見てやってたんだもん。それがさ、何よ……。何なのよ……。
「……なんかあったの?」
何気ない風を装った、重い質問。
「幽々子様ならお友達と外までお出かけ。何かあるかは紫様の甲斐性次第」
「あんたのことよ。……あ、待った。やっぱやめて」
何かあったその内容を聞かされて、耐えられる気がしない。私が一曲も作れないで腐ってる間、何してたって言うのさ。
「斬ってた。仙女とか、雨とか」
「やめてって言ったでしょ。聴ーこーえーまーせーんー」
少し歩く?
そうね。
適当に言われて、突っ慳貪に返した。気を使う相手じゃないけど、苛立ちの理由まで探られたら困る。私の機微がこいつに分かるわけない。そう見くびっていたら、足元を掬われそうで怖かった。は? 一向に怖くないですが?
「今日は、桜が薫るね」
庭の機嫌が良いことを、一応は庭師のこいつはそんな風に表現した。生意気にも詩的だ。
「リリカ、何かあったの?」
私もしたのと同じ質問。
「無いわよ」
ほんと、何にも無かった。いやあったけど。あったけど、ね?
楽団のファンは着実に増えてる。不死鳥の強火オタクもいる。厄介な古参ファンもいる。雷鼓さんとも色々あった。あったよ。プリズムリバーって言ったら幻想郷じゃあ知られたもんよ。
でも何だろ。
それをして『あった』と言って良いのか分からない。独りの力で何かを為してないから? いいえ、違います。私の鬱屈って、もう、そういう次元の話じゃない。
じゃあ何かって言われても、分からないけどさ。
……最近、曲作れてないな。
「ふぅん。リリカにも色々あるんだね」
「その言い方、生意気」
軽口の切れが悪い。距離感が掴めてない。さらさら流れる髪のせい。
「あったんでしょ? 無いわけないもんね」
だからさ、言い方。今度はなんだか癪に障る。
私の気も知らず、知らなくて良いけど、こいつはこいつで、子供じみた仕草で土を蹴っている。何を拗ねているんだか。
「プリズムリバー、流行ってるじゃん」
「それは別にッ!」
つい、大声が出た。
私の力じゃないと続ける程には青くない。誰かが欠けてもプリズムリバーじゃないことくらい分かってる。じゃあ逆に、まあ私のおかげですけど? と言える程の余裕が無い。どっちつかず、行き場が無い焦燥感。思春期みたい? やめてよね?
「私の力じゃない……」
結局は、そう言っていた。嘘だよ。リリカがいなきゃダメだって姉たちは言うよ。知ってるよ。うるさいよ。そうじゃないんだよ。そうじゃないって、じゃあ何なんだよ。
嫌だな。ダサいな。
「なんでもない。忘れて」
「あははっ」
急に笑うし。
「なんだ、リリカにも色々あるんだね。死ぬほどダサくて安心したよ。うけるー」
「は?」
ブチキレるタイミングすら分かりませんが?
「いやいや、だって急に遠くに行かれたらビビるもんね?」
だから、安心したよ。
もう一回そう言うと、ふと空を仰ぐ。
「なんでかな? めっちゃ降るじゃん」
本当だ。淡く暈けた色の青い空、その何も無い空から、桜の幻が降り止まない。初雪よりはやや強く、小糠雨よりは柔らかい。光が、降っているようでもあった。
頬を掠める桜の花弁は、そっと撫でるようでいて、触れている感触が無い。
陽の光は穏やかで、目が眩む程じゃない。直視していると、視界の端から白く滲んでいくような、その程度の光。
三月初旬の寒さだけが、私の足元を確かにさせる。
「桜雨、降りつる袖を、濡らさずに、久方の空、花はいずこに」
詠う調子ではなかった。訥々と区切りながら、でも、自然に流れ出たような歌ではあった。
桜の雨は、もちろん雨とは違う。和歌の世界で袖と言ったら、涙を連想するのが決まり。じゃあ、泣いてもいないってことだ。桜の花も、まだ咲いていない。あるものはただ、花弁の雨の、その残像ばかり。
悩んでたのが馬鹿らしいって言いたいのかな。
「うん、上手くはないね」
すぐにそう被せて、白い髪の少女は照れ隠しのように笑った。
そして、躊躇わずに私の手を取った。少し遠くなった距離なんて無いみたいに。……昔みたいに。
桜色の光が、さらさらの白い髪を撫でて行き過ぎる。天気雨のように降り頻る光が、私にも同じように注いでいるのだと知った。桜が彩っているのは、私達ふたりのことだった。
お節介な庭だなぁ。別に、祝福されるようなことじゃないでしょ。
「最近さ、中々ウチに来てくれないじゃん。人気出て忙しいのは分かるけど。あーあ、白玉楼はインディーズ時代から囲ってるんだけどなー」
「……厄介な古参ファンって、あんたらのことだよ。デカい顔すんな」
距離感、こんな具合だっけ?
「えー、そんなつもりは無いんだけど。まあ良いか別に」
簡単に済ますな、こら。
「うん、でもまあ、忙しいのは分かってるつもり。私のこと忘れてないのも分かってたつもり。分かってはいるってやつなんだけどね?」
「……」
言われてみれば確かに、足は遠のいていたように思う。恨みがましく言われる程かは知らないけれど。
「だからさ、今日、会いに来てくれて良かったよ」
急に、直球で言うじゃん。
別に? たまたま暇だっただけだし。
そんな感じの照れ隠しを言うこともできなくて、私は「ああ」とか「うう」とか呻いた。ダサいな、私って。
「また遊びに来てね」
と、私の幼馴染みが言った。
「そうね。また今度、暇な時で良いなら、だけど」
二人の距離感と関係がとても愛おしいお話でした。面白かったです。
伸び悩んでいるリリカがかわいらしかったです
素晴らしい強めの幻覚でした