Coolier - 新生・東方創想話

秋の日。見える世界

2022/02/11 01:48:14
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 何時からだろう。
 二つの脚で地を踏みしめた時か。声を発した瞬間か。眼を動かし瞼を開いた頃合いか。それとも――この世に生を授かった時点かもしれない。
 同じ種、同じ屋根の下、同じ名字、同じ瞳をした者を見たのが、最初だった。世界に根付く生きとし生けるもの全てではないにしろ、そんなものが見えるのはあり得ぬ現実。
 何が見えたのか。
 辿る"――"、それは年? 月? 日? それとも次の一瞬か。
 いずれにせよ、彼女には人の"―"する"――"が見えた。
 挨拶してくれるお隣さんも、笑顔を振り撒く農家の息子さんも、木の実を分けてくれる友達も、髪を結ってくれる母も、頭を撫でてくれる父も、手を引っ張ってくる弟も、彼女にはまるで"―――――"に見えた。
 そんな少女。名を、反古縊姫(ほうごいつき)という。

 山間にポツンと存在する小さな村。夏は山頂から吹く熱気と湿気を孕んだ風で蒸し暑く、冬は堆い白壁が村全体を隔離する程の豪雪だ。決して人が暮らすに優しい環境ではないが、知恵と工夫で日々を逞しく、人々は生きていた。
 背丈に見合わぬ籠を背負い、村のはずれ、山の入口にある苔むした地蔵に手を合わせる。社は腐って崩れ、雨ざらしのべべは色が抜けてしまっている。それでもありがたいものであるならば、手を合わせれば少しはご利益があるかもしれない。そんな子供心から来る信仰心だが、おかげか山に入って帰らなかった者はいなかった。
 ほとんど苔に隠れてしまっているが、綺麗な顔を見つつ、口に出すには恥ずかしいから、心の中でぽつりと溢す。いってきますと。
 お供え出来るほど余裕は無いし、したとしても動物達が食べてしまう。社を再建する備えは無いし、したとしても冬になれば雪の重さに耐えられない。だから、出来ることと言えば、出掛ける前に手を合わせることぐらいだ。
 別に何かを祈るわけじゃあない。
 無事に山から帰れますようにとか、今年の冬も食べていけますようにとか、願う必要がそもそも無いからだ。
 縊姫には、"そんなことを願う意味がない"。つまり、その時が来るまでは何も心配はいらないというわけだ。
 よし、と手の合わせ終わりにバチンと大きめの拍子を打つと、籠を軽く背負い直して山に入っていく。季節は秋。木々は焼けるような色に様相を変えて、動物達は冬の支度をし始める。人間はそのご相伴に預かる形で生きていく。
 その天秤の均衡さえ崩れることが無ければ、きっと、"増える"ことは無いのだろう。
 流れに逆らうことさえしなければ、何事も平穏であるのだ。
 茸に山菜、果実に魚。山を越えた先で開かれる市場まで行けば、買ったものから道中採集したものまで含め、結構な量になる。冬支度の為とは言え、一人の時に張り切りすぎてしまった。足取りは行きよりも重く、気が付けば夜の帳が降りてくる。夜目は利く方だが、この季節の山の、しかもこのような時間においては盲目である 方がいい。
 ほら、また"見える"。
 あぁ、本当に――見たくもないものが列を成している。先頭の誰か以外は皆同じ。黒く歪んで真っ赤に燃ゆる嫌な感じをただ纏い、ゆらゆらと揺れながら付いていっている。
 中にはまだ明瞭な者もいるのだろうが、そこは凝り固まった結果であるのだろう。悲しみや苦しみすら感じぬようになっていたならば、この"――"もまた幸福かもしれない。
 縊姫はなるたけ息を殺し、意識を向けられぬよう身を屈める。
 なんでもない人間であるならば、その列がどういうものかを理解した上でも特に何も感じることは無いだろう。しかし変に"見えてしまえば"、理解の上に現実という重りが乗せられる。
 これは子供が背負うには、少しばかり重い。張り切りすぎてしまった籠の方が余程マシというものである。見ようによっては幽霊にも思えたが、場合においては幽霊であってくれとすら思ってしまう。
 それほどまでに、櫃の中身が減ることを嫌った人間は残酷なのだ。
 列の先頭が踵を返したのを皮切りに、次々と纏った"嫌な感じを捨てて"は先頭の誰かについていく者達。最後に残されたのは、自ら戻る術を知らず、知っていても実行出来ぬ、呻くもの。
 奥歯を噛み締め、嫌悪感を押し潰しつつ縊姫はその場を後にする。
 一縷の希望すら無い様など、見るに忍びないのだから。

 山を抜け、村に戻り、水の抜かれた水田を左右に歩く。田畑より少し高さのある傾斜地には茅葺き屋根の家屋が、同じ方向に調和して並んでいる。そうすることで季節風に対して強いだけではなく、太陽が昇り、沈む方角に準じているため、降り積もった雪を効率よく解かすことが出来る。
 ただそんな理由とは関係無く、村の建物を縊姫は美しく感じる。この景観は村民として、誇りと言えた。
 その景観の内一軒、納屋を併設した大きな家が、縊姫の住まいである。納屋に灯をともし、籠の食料を片付ける。魚は腸を取ってもらってあるし、このまま吊るして乾燥させよう。
 一通りの作業を終えて、納屋を閉めてから母屋に向かう。
 ふと、すっかりと暗くなった空を眺める。明日は何をしたらいいのか、何をしてはならないのか。そんな無為な思考のみが頭には居座る。
 誰かのためではなく、自分のためでしかない行為は、なんだか空虚だ。使い切れぬ大きな家を持ち、冬支度も他の家に比べれば気楽で、常々身一つのことだけを考えているのは正しいだろうが、どうにも、張り合いが無いと思っていた。
 縊姫は、独りで暮らしている。
 家族は皆いなくなった――というわけではない。わがままな縊姫に見切りをつけ置いて出ていったわけでもない。家族で活気のある街に移り住むという話になった際に淀むこと無くこの村に一人でも残ると決断したのは、誰であろう縊姫自身である。
 両親は勿論、弟も泣きじゃくりながらその判断の再考を求めていたが、そんな泡食う肉親の様を見て、どこか冷えていく体温を覚えた。別に家族の仲には問題など無かったし、むしろ好いていたぐらいだった。"だからこそ"距離を置くことに迷いなどあろうはずが無かったのだ。
 ただ、人間一人で生きていくと少々暇をもて余すこともある。研鑽を積むでもなく、思考を廻らせるでもなく、他をおもんばかるでも無い日々は、灰色な日常と表現出来ようか。
 何か、張り合いのあることを。
 生きる意味を。
 独りでも、色彩ある日常を。

 縊姫は往来の無い田んぼ道を、息を切らせ、季節に似合わぬ汗を滴しながら歩いていた。子供が一人で運ぶには少々手間の板材と端材を背中の籠に入れて揺らがぬよう紐で固定、簡単な工具が入った袋を携えやって来たのは、日々参る地蔵の佇む山の入口だった。
 稲刈りを終え、手の空いた今時分に何もない村で出来ることは限られる。一度は放逐したが、やはり今やれることなどこれぐらいであろう。そう決心した縊姫は、村唯一の大工――と言っても大工仕事が出来るだけで本業ではないが――に使わない木材を分けてもらい、地蔵の社を作ることにした。
 慣れたものだが、己の水準を今の段階に引き留めてくれているのはきっと地蔵に祈っているから。ならばその恩義には報いなければ、死後の安寧は無さそうだ。そんな安易な理由付けをして、暇を潰そうと言うわけである。
 さっそく測量を――と思ったが、長い間風雨風雪に晒されて来たため、地蔵は勿論、周囲も荒れ放題だ。台座の基部が沈下しているのか、少し傾いているようにも見える。
 暇潰しとはいえ、やるからには徹底してやるべきだ。まずは周囲の掃除と、地蔵自体を綺麗にしてやることが先決だろう。思い立ったら即行動は、縊姫の生まれついての性格だ。それが勤務、遊興、無精に関わらず、そうと決めれば他一切を排斥する。
 この大半が、無精に費やされるのは玉に瑕であるが。
 何度かの往復の後、必要な道具を全て揃えた。まず日焼けしたべべを外し、河から汲んできた水に濡らした布巾で全体を拭いてやる。苔や土汚れは、罪悪感はあるものの、タワシで擦り落とした。
 実に半分が苔で被われていた尊顔が、何度か桶を行き来した末に現れた。地蔵本体には痛みはあまりなく、綺麗なその表情ならば手を合わせてくれる人間も増えることだろう。
 そんな人が、自分以外にいるならば。
 それから数日を掛けて掃除。台座は新しく造れれば一番だったのだが、そうも行かなかった為、沈下した分下駄を履かせるように板を地蔵の足元に挟み込むことで対処した。あまり大きくない地蔵で助かった。もし大きいものならば、一人では難しいところであったから。
 べべも色褪せと痛みが酷いため、新しく拵えた。着れなくなった着物を再利用したもので、色は赤ではないものの、ちょっと洒落た色の地蔵がいてもいいだろう。
 心なしか、地蔵は少し笑っている気がした。

 地蔵のある山の入口で、少し錆びかけの釘を板に打ち付けていると、背後から声をかけられた。若い女の声だ。人間の声を聞くのは久方ぶりで、対処法を思い出すに苦労したが、なんとか応対する。
 なんでも、二つ程山を越えた街の方からやってきたのだそうだ。言われてみれば着ている服は上等だし、髪も整っている。しかし山を行く支度もしっかりしているのを見るに、ここを余程の難所と思っているようだ。少し苦笑する。
 "あんなもの"が来られるのだから、道中が難所であるはずがない。
 彼女は縊姫に質問してきた。先にある村のことを。何もない、でも平和な土地であると返し様、油断を極めていた己を呪った。
 ずっと地蔵ばかり見ていたからだ。綺麗な顔を見ていたからだ。癖がついてしまっていた。顔を見る癖が。そして見えた眼の色彩は、縊姫が見てはいけないと、呪詛の如く言い聞かせてきたことだった。でも忘れていた。感情を出さずに、淡々と暮らしたから忘れていた。
 口から自然と小さな嗚咽が漏れる。女は何やら心配してくれているようだが、まるで聞こえやしない。むしろ近付かれることでより強く、強く意識に入ってくる。
 気持ち悪い。
 気持ち悪い。
 気持ち悪い。
 こんなに気持ち悪いのに、どうして忘れていたのか。
 挨拶してくれるお隣さんも、笑顔を振り撒く農家の息子さんも、木の実を分けてくれる友達も、髪を結ってくれる母も、頭を撫でてくれる父も、手を引っ張ってくる弟も、彼女にはまるで"居並ぶ墓標"に見えたというのに!
 何時からかはわからない。しかし物心がついた頃からこの忌々しい眼球には見た者の"残りの寿命"と"今際の際"が見えていた。意図せずとも見える、目減りしていく命の蝋燭。いつどんな切欠でそのような"結末"を辿るのか――そう思い続けるのは、心が砕けてしまう。
 本当に"死"が見えているのか、一度確かめたことがある。
 山の中腹部は、深い森と起伏の激しい悪路となっている。慣れない者が入れば怪我では済まず、地元民も本来そこは避けて行くのだが、あるものを見にあえて足を踏み入れた。それは――捨てられた老人達。特に冬支度の季節になると、山向こうの里の者達による口減らしの姥捨山紛いな所業が後を絶たないのだ。光の当たらぬ深い谷があるのも、その行為に拍車をかけた。
 今にも息を引き取ろうとしている虚ろな眼を見れば、結末が脳裏にこびりつく。
 理解した。この力は本物だ。
 村は過疎化が進み、住人は次々といなくなった。家族が街に越そうというのは当然の帰結と言えたが、これは好機かもしれないと、当時の縊姫は考えた。
 どういう原理か、死が見える。いや、もしかしたら、"自分の近くにいることで死が近付いているのかもしれない"。
 だからこそ、別離を選んだ。
 弟は泣きじゃくった。縊姫も泣きたかった。
 母は狂乱するように怒声をぶつけてくる。ごめんなさい。
 父もはじめは反対していたが、最後にはただ俯き黙っていた。ありがとう。
 村には縊姫を除いて、余命幾ばくもない老人ばかりが住んでいる。冷血な話だが、お陰で気にならなかった。
 でも眼前の人は違う。自分と大して変わらぬ歳。意気軒昂、生命力に溢れ、夢見る瞳。そんな彼女の死の運命が今決まってしまったのだ。縊姫が見てしまったばかりに。
 あぁ、これでは殺してしまったようなものじゃあないか!
 涙が溢れる。頭痛がする。女はうずくまる縊姫に駆け寄り声を掛けて来るが、その優しさがより心を破壊する。優しい人を殺した!
自分すら気にかけてくれる素晴らしい人を殺した!
 すぐに来る、すぐに結末が迫る。
 元々この山は水捌けがよくない。小さな地面の滑落による地形変化は珍しいことではなかった。だからこの死因だって珍しくない。
 言ってしまえば、気付いてはいた。台座が斜めになる地面の沈下はその兆候。いずれ地滑りが起きる。そうすれば、勇気の無い自分でもあっさりいなくなれる。そう思っていたのに、"誰かを巻き込む"だなんて、望んでなかったのに!
 鈍い音がして、世界が動く。谷に向かって身体が引き込まれる。多くの死を見て、多くの死を確定させた――これはそんな自分への、罰なのかもしれない。

 痛い。痛いよ。
 痛みに瞼を開けば、土色ばかりの視界に、肌色が少し。動いてはいない。
 視界を動かす。綺麗な顔が見えた。地蔵の、綺麗な顔が。
 ごめんなさい。私を守ってくれていたんだろうけれど、私に守って貰う価値なんて無かった。最期は誰かを巻き込むような死にかたをして、本当に罰当たり。
 冷たくなるのを感じる。力が抜ける。
 でも――最期をお地蔵様に看取られるのは、閻魔様に大罪人と言われるだろう人生の終わりとしては悪くないのかもなと、そんな風に意識を手放した。

◇◇◇

 《死神の眼》。
 人の寿命を視認する魔眼。本来、人の身に備わるような代物ではないのだが、何かしらの理不尽囚われたのか、はたまた何者かの意図なのか、少女はそんな持ち得ざる代物を生まれ持ってしまった。
 《眼》はあくまで寿命を推し量るだけのもの。しかし少女は"人を殺す眼"と勘違いしていた。推量出来ぬ寿命という砂時計の粒一つまで確認出来るのは、"自分がそう無意識的に決めたから"というもの。確かに観測されることで姿形を変化させる事柄は世に多くある。しかし寿命はそこに当てはまらない。内容量に差こそあれ、外的要因さえ働かなければ、落ちる砂粒は一定だ。だが勘違いを正せる者が人間界にいるはずもなし。人を遠ざけ、自分すら殺して生きた生涯は、まさに悲劇と言えた。
 そこに落ち度など無い。ただ運が悪かっただけ。そんな運の悪さをはね除ける強さが無かっただけ。だから少女は"自分が独りであるならば、大切な人ぐらいは無事でいられるだろう"と結論を急いでしまった。
 それは俯瞰的には正しい。誰かを愛する者としては。
 しかし、一人の人間が取る選択としては下の下である。
 我欲を捨てて、自分のためでなく、誰かのために。その生き方は善行に他ならないが、まだ何者ですらない子供が自ら背負い込むには、些か以上に荷が勝ちすぎるというもの。その発端が、人間が身に付けるにはあまりに著大な異端の力を宿したが故となれば、最早そこに裁量など挟む余地すら無いだろう。
 本当に愚かな子。
 でも、優しい子。
 願わくば――我欲に生きて、誰かのためではなく、何よりも自分のために生きられるような幸せを。そして孤独でなく、多くの者に囲まれ関われる生きざまを、次の生では掴んで欲しい。そう感じるのは、きっと"地蔵を通して見てきたから"こその、過剰な移入であるのだろうが、文句など出るまい。
 だが《眼》のような特異な因果は、転生しても変わらない可能性がある。特徴が親から遺伝するように、力もまた魂そのものの色を追い掛けてしまうから。
 ならば、その力を理解し活用出来る在り方に。そして持つことに後ろ暗さの無い存在へと。
 これが苔むした地蔵を、涙を流しながら綺麗にしてくれたことへの、最大級の恩義である。
 どうか、次は涙することなく、幸せにあれ。

◇◇◇

 頭が痛くて、目が覚める。
 こめかみを押さえながら上体を起こせば、視界は揺れに揺れて、自分が二日酔いであることを嫌でも理解させられた。
 昨夜。『中有の道』にある出店を梯子すること三軒、四軒、五軒目以降は曖昧だ。酒を出す店がこんなにあるなんてと笑い上戸で次々向かったこと以外はまるで覚えていなかった。

 ――いや、誰かとなにか懐かしい話をした気がする。

 だが我ながら律儀であるなと思ってしまう。体調不良で休みますでも通りそうな酔い方をしているにも関わらず、出勤時間より早く覚醒しているのだから。
 掛け布団を蹴飛ばしつつ寝床から立ち上がる。顔を洗って、歯を磨き、着替えて、水を一杯飲み干してから、とんぼ玉の付いたゴムで髪を纏める。酷い顔は変わらないだろうが、格好ぐらいはシャンとしなければ叱られてしまう。
 一度鎌を忘れて戻ってから、家を出る。
 季節はすっかり移り変わって、空は高く、木々は朱く染まり、秋色の神々の努力が伺えた。
 こんな穏やかな日は、どうしても何かが引っ掛かる。頭の端、子供の頃遊んでいた玩具によろしく、大事にしていた筈なのに奥底に仕舞い込んでしまった何か。どうせ思い出せるわけもなし、思い出してもしょうもなし。そう見切りをつけるのが常だ。
 ぼろ船を停めている岸に着くと、珍しい先客が見えた。反射的に、口から「げっ」という声が漏れる。願わくば聞こえていませんように。そんな願い虚しく凛とした表情の先客――上司はこちらを嗜めるように睨めつけて、小さな口を開いた。

「おはよう。随分と遅い出勤ですね。昨夜は随分と楽しく夜を謳歌していましたからこうなるだろうとは思っていました。まったく、今日は忙しくなるからいつもより早く出てきなさいと言いつけておいたというのにこれです。いいですか、あなたは少々刹那的な楽しみに興じすぎる。後先は常に考えながら――」

 二日酔いで重い頭にずっしりと効く説教がはじまってしまった。自然とその場で正座をして、頭を垂れてしまう。回避する方法はいくらでもあるのだが、はじまってしまってはどうあっても止まることは無い。
 ちらと、つらつら説教を垂れ流す上司に視線をやる。改めて見ても、本当に綺麗なお顔をしているななどと、言えば火に薪をくべるような感想を抱く。昔から、本当に昔からそう思っていたような気がした。人間基準であればともかく、妖怪、神、閻魔基準であるならば、自分などまだ新参である。
 なにを指して、昔などと――

「聞いているのですか!? まったくあなたはいつも人の話を聞いているんだかいないんだか――」

 ふと、話を聞いているのかいないのかなんて、あなたの方では無いですかと、どうにも不遜な文句が口をついて飛び出しそうになる。本格的に、身体は変調を来しているようだ。

「幼いあなたは……周りに気を遣いすぎる、素直で優しい子だったというのに」

 呆れたように呟いて、上司は踵を返してぼろ船をぽんと叩く。

「ほら、私が授けたあなたの仕事ですよ。労働は素晴らしい。誰かのためだけではなく、自分のためにもなる。奉仕は片方だけが利を得てはいけない。両者が揃ってはじめて、意味を成すのですから」

 そんなことを口ずさみながら微笑む上司に嘆息し、立ち上がってそそくさと船に乗る。
 櫂を掴み岸を叩きながら、再び綺麗な顔を見る。いかな『幻想郷』と言え、命の残り火が見えない存在はそう多くない。そういう意味で、ここにいられるのは幸福だ。

「晩酌だって、労働のあとの方が美味しいというもの。今日は私に付き合って貰いますから、仕事の配分は間違えないようにね」

 小さく「いつかのあなたのように」と付け加えた上司の労い。ならば頑張るしかあるまい。

 何時からだろう。
 気が付けばこんな河原にいた。
 妖怪、幽霊、神、果ては人間の瞳を見た。世界に根付く生きとし生けるもの、死したもの、そも生命ではないもの。全てではないにしろ、全てが現実。
 かつて、それを見た。
 辿る"結末"、それは年? 月? 日? それとも次の一瞬。
 いずれにせよ、彼女には人の"死"する"刹那"が見えた。
 だが挨拶してくれる同僚にも、笑顔を振り撒く怪しい邪仙にも、共に酒を飲みかわす仙人にも、わがままばかりの天人にも、いたずらしにくる妖精にも、共にあろうとする上司にも、今の彼女に"死する未来"は見えなかった。人間ですら、平気でその未来を蹴飛ばしてくる。
 
 あぁ、本当に――どいつもこいつもいい顔してやがる。
 
 そんな幸せな少女。名を、小野塚小町という。

悩んだ挙句、勘違いでしたってよくあると思うんですよね。
そんな話を端的にしたためました。
きさ
https://twitter.com/xisa922
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コメント



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1.無評価ラビぃ・ソー削除
自分がいると周りが不幸になるという悩み方が現代的だなぁと思いました
4.90めそふ削除
面白かったです。もう少し長さが欲しかったように思います。
5.100南条削除
面白かったです
小さな体に抱えきれないほどの苦悩が表現されていてすごかったです
最後は楽しそうに生きている小町が見れてよかったです
6.100名前が無い程度の能力削除
ううむ、困った。面白かった、以外の感想がなかなか思い浮かびません。なんというか、そんな単純な言葉では言い表せないくらいに面白かったです。
7.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。苦悩、葛藤の陰鬱さがあって、最後で救われたと思うとほっとします。