唐突だが、私――ナズーリンは暇を持て余している。
無縁塚に住んでいるため、我が主も寺の者達もここに来ることは滅多にない。
つまり私は自由だ。しかし自由はいいが、何をすればいいのか困ることが間々ある。適度なしがらみというのは、妖怪にも必要なのかもしれない。
そんな事を、部屋の中で考えていると、不意に呼鈴が鳴る。来客だ。
出迎えると、来客者――小野塚小町は、挨拶もそこそこに済ませ、中に入り、当たり前のように茶を淹れ、当たり前のようにくつろぎ始める。
彼女がここに来るのは初めてでは無い。様子を見に来た等と適当な理由を述べては、ここでしょっちゅう仕事をサボっているのだ。だから彼女は、私の家の備品の場所を誰よりも知っている。全く困ったものだ。
「あ、そういえば」
「何だい」
「蜜柑はあるかい」
どうやらこの死神はお茶に飽き足らず、今度は蜜柑までたかろうとしているらしい。
「ないよ。今朝食べきった」
「ちぇっ。それは残念だねぇ……なんで私に取っておいてくれなかったんだい」
彼女は口惜しそうに口をとがらせる。
確かにあの蜜柑は甘くて美味しかったが、だからと言ってこいつに食わせる理由にはならない。あれは私の蜜柑だ。
「他に何かあるかい」
「というと」
「例えば饅頭とか」
「ない。昨日食べきったよ」
「そりゃ残念だ。じゃあチーズは」
「ない」
「ネズミなのにチーズもないのかい」
「お言葉だが、そもそもチーズがネズミの好物というのはまったくの迷信だ」
そういえば最近、恐らく、寺の連中だろうか、私に差し入れのつもりか、よくチーズを置いて行ってくれるのだが、迷惑な話だ。
「そうなのかい。じゃあ何か酒の肴になるようなものとか」
「それこそあるわけないだろう。そんなものは夜雀の店にでも行って頼め」
「そうかい。それじゃあ……」
「……いいかげんにしたまえ! ここはキミの休憩所じゃないんだぞ。茶漬け一つ、出すつもりはない。さっさと帰ってくれ!」
私の一喝もまるで意に介せず、彼女は笑顔のまま茶を啜っている。
「……まぁまぁ、そう怒りなさんなって。こういう時間ってのは大事なんだよ」
「サボる時間がかい」
「サボるだなんて心外だね。私は力を温存しているんだよ。いつも全力なのもいいが、いざというときに力を出せなかったら意味がないだろう」
「……一理あるが、そのいざというときってのはいつなんだい」
「それは私にも分からないよ。この次の瞬間かもしれないし、遠い先かもしれないし」
「それじゃ結局サボってるのと同じじゃないか」
「まあまあ、そう固いこと言わないでくれよ。こう見えても私は疲れているんだ……」
そう言うと彼女はごろりと横になる。
「……キミ。ついさっき力を温存してるって言ったばかりじゃないか」
「いや、実は映姫様のお叱りを受けてきたばかりで……」
「どうせまた何かヘマでもやったんだろう」
「そんなことないさ。私は、いつも通りに霊魂を舟に乗せて川を渡っていただけなんだ」
それであの閻魔が怒るはずない。一体、何をやったのか。と、思っていると、ばつが悪そうに彼女は告げる。
「まぁ、あえて言うなら……そう、霊魂が船から飛び降りてしまったくらいかね」
「それは大問題じゃないか」
「いや、だって防ぎようがなかったんだよ。突然、俺は死んでない! なんて言い出してさ。なんでも生前は漁師だったとかで、泳ぎには自信があったようで、私が止めるまもなく船から飛び降りてしまったんだよ」
「で、一体その人はどうなってしまったんだい」
「……川に落ちた奴は永遠と溺れ続けるだけさ。生き返ることもあの世に行くことも出来ない」
「それは怖いことだ」
考えてみると、三途の川の船頭というのもなかなか大変な仕事だと思う。霊魂だって皆、自分の死をすぐ受け入れられるような奴ばかりとは限らない。
「……それでその失態をなじられたってワケか。確かに災難だったね。話を聞く限りキミに落ち度はないようだし」
「ああ、まったくだ。分かってくれて嬉しいよ……ま、全部嘘なんだけどね」
思わずつんのめり、地面の床に額を強打する。
……あぁ、もう。こいつは、このグータラ死神は、あれこれ理由付けて、結局はここで休みたいだけじゃないか。誰かこいつをなんとかしてくれ。
と、言ったところで、ここには私しか住んでいない。私がなんとかするしかない。
「……まったく。キミに少しでも同情した私がバカだった。すまないが少し横にならせてもらう」
「おや、もうお休みかい」
「ああ、キミと話してて疲れてしまったからね。適当にくつろいで適当な頃合いで帰ってくれ」
「随分薄情じゃないか。せっかく客がいるってのに」
「そもそも私はキミを歓迎していない。それにここは私の家だ。私が何をしようと勝手だろう」
「せめて私が居る間くらいは、相手してくれてもバチは当たらないんじゃないかい」
「へえ。キミは勝手に人の家に上がり込んでお茶を飲んだあげくに、下らない与太話で人を不愉快にさせて、そのうえ暇だから私に相手をしろと言うのかい」
「ああ、そうさ。悪い話じゃないだろ。なんたって死神様の退屈しのぎに指名したんだ。むしろ有り難いと思ってもらいたいくらいだね」
その自信は一体どこからくるのか。伊達に死「神」じゃないってことなのかもしれないが。
思わず拍子抜けして、追い返す気が失せてしまう。
まあ、この際、少し付き合ってやるのも悪くないかもしれない。どうせ私も暇なのだから。
「……やれやれ、仕方ない。そこまで言うなら相手をしてやってもいいよ。なんだかんだ言って私も暇を持て余している身だ。で、弾幕ごっこかい。それとも宝探しかい」
彼女は首を振って告げる。
「いや、ただ私の話を聞いてくれればいい」
「それだけかい」
「そうさ」
「わかった。出来るだけ手短に頼むよ」
――その後、私は彼女の与太話を延々と聞かされ続け、気がつけば時は既に七つ下がりの刻になっていた。
「いやあ。おかげさまで良い時間を過ごすことが出来たよ。これで今日の夜勤も頑張れそうだ!」
「……ああ、そうかい。……それはよかった」
「そんじゃそろそろ帰るとするよ。ありがとさーん」
そう言って、上機嫌で帰って行く彼女を見送る私は、さぞ、やつれた表情をしていたことだろう。
と、いうか、これから仕事だったのか。ということは、私のところには、サボりではなく本当に遊びに来ただけだったということか……あるいは――
――まぁ、あまり深くは考えないようにしておこう。
あれでも彼女はれっきとした死神。ある程度距離を取っておくことに越したことはないし、必要以上に邪険にすることもない。今くらいの距離が丁度良いのだ。
そんなことを考えながら家の中に戻ると、部屋の中にいつの間にか見慣れない箱が置いてあった。
訝しげに蓋を開けると中から黄金色の穴あきチーズ――エメンタールチーズが現れる。
思わず呆然とそれを見つめてしまう。
――やれやれ
ため息交じりにそれを齧る。あっさりとした口当たりで味も薄めだが、淡泊というほどでもない。チーズフォンデュにでもしたら良さそうだ。
チーズを齧りながら私はふと思う。
そういえば彼女は『距離を操る程度の能力』を持っていたな、と。
私は思わず苦笑を浮かべた。
無縁塚に住んでいるため、我が主も寺の者達もここに来ることは滅多にない。
つまり私は自由だ。しかし自由はいいが、何をすればいいのか困ることが間々ある。適度なしがらみというのは、妖怪にも必要なのかもしれない。
そんな事を、部屋の中で考えていると、不意に呼鈴が鳴る。来客だ。
出迎えると、来客者――小野塚小町は、挨拶もそこそこに済ませ、中に入り、当たり前のように茶を淹れ、当たり前のようにくつろぎ始める。
彼女がここに来るのは初めてでは無い。様子を見に来た等と適当な理由を述べては、ここでしょっちゅう仕事をサボっているのだ。だから彼女は、私の家の備品の場所を誰よりも知っている。全く困ったものだ。
「あ、そういえば」
「何だい」
「蜜柑はあるかい」
どうやらこの死神はお茶に飽き足らず、今度は蜜柑までたかろうとしているらしい。
「ないよ。今朝食べきった」
「ちぇっ。それは残念だねぇ……なんで私に取っておいてくれなかったんだい」
彼女は口惜しそうに口をとがらせる。
確かにあの蜜柑は甘くて美味しかったが、だからと言ってこいつに食わせる理由にはならない。あれは私の蜜柑だ。
「他に何かあるかい」
「というと」
「例えば饅頭とか」
「ない。昨日食べきったよ」
「そりゃ残念だ。じゃあチーズは」
「ない」
「ネズミなのにチーズもないのかい」
「お言葉だが、そもそもチーズがネズミの好物というのはまったくの迷信だ」
そういえば最近、恐らく、寺の連中だろうか、私に差し入れのつもりか、よくチーズを置いて行ってくれるのだが、迷惑な話だ。
「そうなのかい。じゃあ何か酒の肴になるようなものとか」
「それこそあるわけないだろう。そんなものは夜雀の店にでも行って頼め」
「そうかい。それじゃあ……」
「……いいかげんにしたまえ! ここはキミの休憩所じゃないんだぞ。茶漬け一つ、出すつもりはない。さっさと帰ってくれ!」
私の一喝もまるで意に介せず、彼女は笑顔のまま茶を啜っている。
「……まぁまぁ、そう怒りなさんなって。こういう時間ってのは大事なんだよ」
「サボる時間がかい」
「サボるだなんて心外だね。私は力を温存しているんだよ。いつも全力なのもいいが、いざというときに力を出せなかったら意味がないだろう」
「……一理あるが、そのいざというときってのはいつなんだい」
「それは私にも分からないよ。この次の瞬間かもしれないし、遠い先かもしれないし」
「それじゃ結局サボってるのと同じじゃないか」
「まあまあ、そう固いこと言わないでくれよ。こう見えても私は疲れているんだ……」
そう言うと彼女はごろりと横になる。
「……キミ。ついさっき力を温存してるって言ったばかりじゃないか」
「いや、実は映姫様のお叱りを受けてきたばかりで……」
「どうせまた何かヘマでもやったんだろう」
「そんなことないさ。私は、いつも通りに霊魂を舟に乗せて川を渡っていただけなんだ」
それであの閻魔が怒るはずない。一体、何をやったのか。と、思っていると、ばつが悪そうに彼女は告げる。
「まぁ、あえて言うなら……そう、霊魂が船から飛び降りてしまったくらいかね」
「それは大問題じゃないか」
「いや、だって防ぎようがなかったんだよ。突然、俺は死んでない! なんて言い出してさ。なんでも生前は漁師だったとかで、泳ぎには自信があったようで、私が止めるまもなく船から飛び降りてしまったんだよ」
「で、一体その人はどうなってしまったんだい」
「……川に落ちた奴は永遠と溺れ続けるだけさ。生き返ることもあの世に行くことも出来ない」
「それは怖いことだ」
考えてみると、三途の川の船頭というのもなかなか大変な仕事だと思う。霊魂だって皆、自分の死をすぐ受け入れられるような奴ばかりとは限らない。
「……それでその失態をなじられたってワケか。確かに災難だったね。話を聞く限りキミに落ち度はないようだし」
「ああ、まったくだ。分かってくれて嬉しいよ……ま、全部嘘なんだけどね」
思わずつんのめり、地面の床に額を強打する。
……あぁ、もう。こいつは、このグータラ死神は、あれこれ理由付けて、結局はここで休みたいだけじゃないか。誰かこいつをなんとかしてくれ。
と、言ったところで、ここには私しか住んでいない。私がなんとかするしかない。
「……まったく。キミに少しでも同情した私がバカだった。すまないが少し横にならせてもらう」
「おや、もうお休みかい」
「ああ、キミと話してて疲れてしまったからね。適当にくつろいで適当な頃合いで帰ってくれ」
「随分薄情じゃないか。せっかく客がいるってのに」
「そもそも私はキミを歓迎していない。それにここは私の家だ。私が何をしようと勝手だろう」
「せめて私が居る間くらいは、相手してくれてもバチは当たらないんじゃないかい」
「へえ。キミは勝手に人の家に上がり込んでお茶を飲んだあげくに、下らない与太話で人を不愉快にさせて、そのうえ暇だから私に相手をしろと言うのかい」
「ああ、そうさ。悪い話じゃないだろ。なんたって死神様の退屈しのぎに指名したんだ。むしろ有り難いと思ってもらいたいくらいだね」
その自信は一体どこからくるのか。伊達に死「神」じゃないってことなのかもしれないが。
思わず拍子抜けして、追い返す気が失せてしまう。
まあ、この際、少し付き合ってやるのも悪くないかもしれない。どうせ私も暇なのだから。
「……やれやれ、仕方ない。そこまで言うなら相手をしてやってもいいよ。なんだかんだ言って私も暇を持て余している身だ。で、弾幕ごっこかい。それとも宝探しかい」
彼女は首を振って告げる。
「いや、ただ私の話を聞いてくれればいい」
「それだけかい」
「そうさ」
「わかった。出来るだけ手短に頼むよ」
――その後、私は彼女の与太話を延々と聞かされ続け、気がつけば時は既に七つ下がりの刻になっていた。
「いやあ。おかげさまで良い時間を過ごすことが出来たよ。これで今日の夜勤も頑張れそうだ!」
「……ああ、そうかい。……それはよかった」
「そんじゃそろそろ帰るとするよ。ありがとさーん」
そう言って、上機嫌で帰って行く彼女を見送る私は、さぞ、やつれた表情をしていたことだろう。
と、いうか、これから仕事だったのか。ということは、私のところには、サボりではなく本当に遊びに来ただけだったということか……あるいは――
――まぁ、あまり深くは考えないようにしておこう。
あれでも彼女はれっきとした死神。ある程度距離を取っておくことに越したことはないし、必要以上に邪険にすることもない。今くらいの距離が丁度良いのだ。
そんなことを考えながら家の中に戻ると、部屋の中にいつの間にか見慣れない箱が置いてあった。
訝しげに蓋を開けると中から黄金色の穴あきチーズ――エメンタールチーズが現れる。
思わず呆然とそれを見つめてしまう。
――やれやれ
ため息交じりにそれを齧る。あっさりとした口当たりで味も薄めだが、淡泊というほどでもない。チーズフォンデュにでもしたら良さそうだ。
チーズを齧りながら私はふと思う。
そういえば彼女は『距離を操る程度の能力』を持っていたな、と。
私は思わず苦笑を浮かべた。
珍しい組み合わせでしたがいい感じの距離感が心地よかったです