朝餉
合成のパンを一枚、もさもさと頬張り、水分を奪いながら咽を通った後、牛乳味の水で渇きを潤した。牛乳味の水というのは皮肉。天然牛乳なんて売り文句があったから買ったのはいいものの、栄養素の欠片もなさそうな薄味で、怒っている人に対して、カルシウム足りてないんじゃないの、なんて茶化す人がいるけど、蒸し風呂の焼け石に水をぶっかけて余計発汗を促すように、ほんのわずかなカルシウムは、むしろ怒りを助長するのではなかろうか、そんな風に思うほどである。怒り心頭の人には静脈から打たないと効果ない気がする。
朝から苛立ちをかみ殺す不毛さを共有するべく、私は掌くらいのエア・ディスプレイを立ち上げ、蓮子にメールを送った。ありがたいことに今日は休日であり、十分に睡眠をとったおかげで体力があり余り、さしあたり趣のある不思議探訪に赴こうと思い至った次第である。やることはいつもと大差ないのだけれども、行き当たりばったりというのも芸がないので、足掛かりとして、蓮子に目的地を決めてもらおうと思ったのだ。
「今日どこ行く? 追伸 昨日の牛乳めっちゃ味薄かった。最近は牛乳も謙虚なのね」
一分もしないうちに返信が来た。
「ここにしましょ。 追伸 濃いめのコーヒーに入れるといい感じに飲めるよ。共存共栄を願っている優しい牛乳なのよ、たぶん」
なんて前向きなんでしょう。蓮子はおそらくメシアなのだ。聖書とか経典の類はついこの間ちょっと齧ったくらいだけど、聖者と呼ばれる人物に同じメールを送れば、きっと皆こう返すに違いない。それはさておき、「ここ」の字が青くなっていたので、そこに触れると、ぶわりと地図が浮かびあがった。目的地は平成町にあるラーメン屋だった。平成町はバスで行けば一時間くらいのところにある田舎風の地域で、古臭いものと新しいものが入り混じっており、過去の時代を表現したというなかなかに面白いコンセプトの町である。昭和町と同じで、日本各地にいくつか点在しているが、京都の平成町はその中でもクオリティが高いと評判で、私たちも何回か行ったことがある。勿論レプリカだから、本物の不思議に出会えるわけじゃないけど、博物館と同じで結構面白いのだ。以前行った時も結構楽しかった。
さて、そのラーメン屋は天然の食材のみをふんだんに使用しているそうで、つまりは総天然食というわけである。さしずめ我々が普段食べているこのパンとかの合成製品が養食といったところか。天然ものなんてめったにお目にかかれないから、きっと貴重で素敵な体験になるに違いない。
私は期待に胸を躍らせながら、残りの天然牛乳を飲み下した。やっぱり微妙だ。貧相な乳しやがって、子供育てるつもりないんだ。酷い親だ。今の私みたいな口が悪い子になっちゃうぞ。
昼餉
平成町に着いたのはちょうど十二時頃で、黄色い太陽が猛威を振るっていた。光が雪に反射しているせいでまぶしい。アスファルトに施された淡い雪化粧は子供のいたずらみたいな完成度で、手入れの行き届いていないぼこぼこの肌が見え隠れしていた。木造建築と鉄筋コンクリートの家々が建ち並び、もこもこの格好をしたおじさんたちが旧時代の携帯電話を使っているのを見て、別の時代に迷い込んだという錯覚をより強固にした。この町はアミューズメント施設のようなものだが、過去からタイムスリップしてきたような住民が居て、彼らはプロフェッショナルであるから、決して景観を損なったり、時代にそぐわない道具を使ったりしない。以前来た時のガイドの説明によると、役割に徹しているというより、ここに順応するうちに、科学世紀への戻り方を忘れたというのが正しいらしい。
「ついたー」
蓮子がそう言ったので私も「ついたねー」と返した。午前中の割に、今日の蓮子はずいぶんと活動的である。きっと昨日はたっぷり寝れたに違いない。
「で、どこにあるんだっけ、そのラーメン屋」
「ええと確か。あれ同じ店が三つもある……おかしいなぁ」
ディスプレイで検索する様は、なんというか此処では不自然であるのだけれど、別に住民が咎めるわけでもないので、その辺はなあなあになっているんだと思う。
「あった。たぶんこっちだ」
「見つかった?」
「うん、チェーン店と同じ名前してるみたい。ええと、あそこを真っ直ぐ行くと良いらしいね」
蓮子はスタスタと歩き出した。目的を見つけると早いのが蓮子の長所である。ちなみに短所は、目的に辿り着けない言い訳を見つけるのが抜群に上手いことである。今回は無事に達成できることを願って、私は蓮子についていった。
少し歩くと、商店街のような通りに出る。居酒屋やスナックが大多数を占めていて、シャッターが閉まっている店ばかりであり、昼に利用する住民が少ないせいか、活気はあまりないように思える。きっと夜が本番なのだ。太陽が目を背けた隙を見て、欲望渦巻く煌びやかな街並みに変わるに違いない。
観光客も私たちくらいしかいない。閑散とした商店街で、ぽつんと佇むお土産屋があったけど、店主と思しきおばあさんは煙草を吸いながらテレビを見ていて、一層わびしさが際立っているようで、私はそこにリアリズムを垣間見た。こんなもんだよなぁと思った。
「なんか廃れてるねー」
「そうね、長閑ってことにしときましょう」
とりとめもない話をしながらラーメン屋へ向かった。道中、蓮子が店の概要とかレビューを説明してくれた。なんでも、天然小麦と無添加にこだわった懐かしの味だとか。眉唾ものだけど、雰囲気を大事にしている店で、古い時代を感じられるのは間違いない。
昔ながらの味という謳い文句に惹かれる。伝統的なとか、歴史あるとかじゃなくて、なんか人間味のあるフレーズだ。人間の尺度で物事を見るから、昔ながらと表現しているのだ。このノスタルジックな響きは他の言葉じゃ言い表せないだろう。
期待に胸を弾ませながら、数分歩いて、お日様が真上に登ってきた頃に着いた。ぽつんと営業中の看板が出ていたのは良いが、店主が失踪したんじゃないかと思うくらい人の気配がない。店そのものが周囲の静寂に溶け込んでいて、一度素通りしてしまった。店がボロボロだとか、汚いとか、そう言うわけじゃないのだけれど、まったく周囲の活気がないのに昼間に執着して営業しているところが、なんか怨念を捨てられない地縛霊のようで、昼なのに幽霊屋敷みたいだと思った。
そんな非日常感にわくわくしながら、引き戸に手をかけ、ガラガラと開けると、奥の方から「らっしゃいやせ」という野太い声が聞こえてきた。良かった、ちゃんと人がいた。
私たち以外に客はいないようである。なんで潰れないんだろう、店主の道楽なのかしらん。私たちに気づいた店主は新聞を畳んで、吸ってた煙草を灰皿に押し付けた。あとは話しかけるわけでもなく、ぼんやりとしていた。
何か蓮子と話したかったのだけれど、寂寞が支配していて、例えるならジャックとマックという名のヤクザがぎろりと睨みつけてきたみたいな緊張感があって、どうにも委縮してしまう。店内を軽く見てから、一番近くの席に座った。ビニールが被せられたテーブルはちょっとぺとぺとしている。
壁に貼ってあるお品書きの札を見た。ラーメン、チャーシューメン、味噌ラーメン、エトセトラ、特にひねりのないメニューである。
「すみません、ラーメンください」
「同じのお願いします」
おお、蓮子と示し合わせたように意見が一致した。流石は相棒、脳細胞にチップを埋め込まれ洗脳されたわけでもない(といいなぁ)のに息ぴったり。まさに以心伝心。私に合わせただけかも、なんて考えがよぎったけど、蓮子はしっかり自分の意見を持つしたたかな女なのだ。
注文した後は、セルフの水を汲んで、健気に稼働している古いストーブを眺めながら、無言で待ち続けた。水がカルキ臭くて不味かった。なんでこの時代にこんな水が存在するんだ。特注に違いない。よっぽどこだわりの強い店主なのかもしれない。
「おまち」
十分くらいでラーメンがやってきた。早いような、お客さんがいないことを考えると遅いような、わからないけど、まあいいか。
どんぶりをのぞき込む。ほうれん草とナルト、醤油が染みているしなちく、数年に一回程度しか会わない親戚との関係性くらい薄っぺらなチャーシュー、細ちぢれ麺、完璧だ。この一杯に詰まっているのは、郷愁そのものだ。そう思った。割り箸を手に取り、いただきますという真言を唱えてから、ラーメンを口に運んだ。
「え」
思わずこぼれ出た一文字には、たぶん驚愕と落胆と切なさとその他もろもろの感情が詰まっていた。ぬるい。薄い。なんか麺がちょっと臭い気もする。ほうれん草固い、しなちくしょっぱい、チャーシュー香辛料の味がする。ナルトは普通だけど、ぬるいスープのせいで淀んでいる。美味しくない。というか不味い。しかし、きっと、そういう演出に違いない。きっとこれが平成の味、失われかけた大切な、セピア色に褪せた味わいなのだ。私は己を女優のように偽った。八百の嘘で一つの真実を塗り替えてやる。そして嘘をつきとおすには真実を織り交ぜると良いらしい。考えてみると割り箸が綺麗に割れた。おかげで麺が持ちやすい。これはいい箸だ、素晴らしい。私は手にした真実を一つだけ肯定することにした。
蓮子をちらりと見ると「んー、んー?」と首をかしげながら麺を啜っていた。たぶん同じ気持ちに違いない。流石相棒、息ぴったりである。まさに拈華微笑。なんだこのデジャブ。防衛本能が働いているとでも言うのだろうか。混乱してきた。惑わしのラーメンめ。ああ、それでも食べるしかないのだ。残すなんて選択肢は、秘封倶楽部にはなかった。
麺はなんとか食べ終えたけど、スープはほとんど飲まなかった。
無感情な会計を済ませて、店を出て、二分くらい歩いて、ようやく蓮子が自我を取り戻したかのように口を開いた。
「正直あんまり美味しくなかったね」
あんまり美味しくない、それは認める。認める。認めることからすべてがはじまる。創世記だってことばがあると認めるところがはじまりだった。この前読んだ聖書に書いてあった。なんでも否定的な捉え方しかできない厭世主義者と違って私は全てを肯定する。確かに美味しくない。でもこれでいいのだ。
「そうね」
私は曖昧に同意した。怒気が混ざらないよう抑えたけど、たぶんちょっと漏れている。
ちくしょう、なんでここまで来て不味いラーメン食わにゃならんのだ。店の雰囲気なんて演出に手間暇かかるくせに、鶏油の一滴にも劣る味わいすらないじゃないか。
「ごめんね」
ああやめてほしい。謝られるとなんか自分が悪いみたいじゃないか。
「いや別に大丈夫よ。結構雰囲気出てたし、良い体験できたじゃない」
一緒に悪口を言い合いましょう。負を吐き出して大気を汚染しましょうよ。そして共に嘘偽りのない世界を目指しましょうよ。そんな頭けせらせらで赤裸々な思いを言えるわけもなく、私は言葉を飲み込んだ。正直悪口の方がラーメンなんかよりよっぽど飲み込み辛い。雄弁は銀、沈黙は金、ならばこの悪口は水銀だ。飲み下しても腹の奥底で熱を持ってふつふつと膨張し、いずれ私のすべてを蝕むだろう。こんな時、都合よく涙をこぼし、存分に洗い流せたらと思う。だけど私は理性に生きていた。
話題が欲しい。私たちがするべきなのは、ちょっと高尚でかつ下らなく、不可思議で、とりとめもなくて、それでいてほんのりと甘く酔うような、そんな会話なのだ。カフェで紅茶を嗜んで、一緒に食べたカップケーキの底から金言を見つけ出すような、そんなふわふわした時間が欲しいのだ。
それなのに無言の時は無情に過ぎて、無響の無窮を切り裂くように、バスの音が容赦なく煽ってくる。ここに居場所はないと告げているかのようだ。もう帰るしかないのだ。私たちは平成町を濁すことなくあとにした。
夕餉
家に帰ってふて寝した。日没にはまだ早いけど、黄昏が私を襲う前に眠りたかった。夕方は気が沈んでいけない。
睡魔に身を任せていると、いつの間にか私は幻想郷へ来ていた。いつもの不思議な夢だった。こちらはすでに夜のようで、辺りは暗く、空気が冷えていた。どうやら集落の近くのようで、少し離れたところに点々とあかりが見える。
一番近いあかりの前まで歩いて、虫みたいにうろうろしていた。あかりの正体はこぢんまりとしたぼろぼろの一軒家で、つがいを見つけられなかった蛍みたいに寂しそうだった。扉を叩くべきか迷う。正直、寒くて暗くて仕方がないから、暖を取りたかった。意を決したところで、その意を汲み取ったみたいに扉が開いて、中から無精ひげを存分に蓄えた筋骨隆々の男性が出てきた。驚いたような表情を浮かべてから「お嬢ちゃんどうしたんだい」と優しく言われて、私は心が温かくなった。
「迷ってしまって」
困ったようにそう言うと、男性は家の中へ入るよう促した。
言われるがままに家に入り、ぱちぱち燃える囲炉裏で暖をとった。襲われることもなく、心優しいその男性は、この辺は里の外れで、妖怪が近くをうろうろしているから、下手に出歩くのは危険だと教えてくれた。そして食事と寝床まで用意してくれた。
夕餉は粟のおかゆとたくあん、カブの葉のみそ汁だった。
「すまんな。ちょうど米を切らしていたんだ」
何気なく出された料理だったが、私は感動した。これぞ今日の私が求めていた本物の味なのだ。すべて混じりけのない天然もので、わびしさがむしろ刺激的だ。手を合わせて、ありがたく食べた。
案の定美味しくはなかった。粟は触感が頼りなくて、咀嚼の喜びを冒涜するかのように胃に流れていき、それでも口の中に少し残るのが不快だった。たくあんはそれなりだったけど、二切れしかないのに、最初に食べてしまった自分を呪うしかなかった。むしろちょっと味があったせいで、その幻影に苦しみながら粟を食べる羽目になった。みそ汁は、無償の愛を振舞う母親のようにとても優しくて、否、とても薄くて、むしろ白湯だったら割り切れたのにと、もどかしい思いを抱いてしまう味わいだった。
私が葛藤しながら食べていると、心優しい男性は一気におかゆをかきこんでから、ぽつぽつと話し始めた。
「俺にも娘がいたんだがね。もう嫁に行ってしまったから寂しくてなぁ。あんたくらいの年なんだがな、似てるんだ。髪の毛とか、顔とか、雰囲気も全然違うけど、その眼がなんとなくそっくりなんだ。面白いんだぜ、こんな小さい時にな、父ちゃん、高い灰色の搭が見えるよ、ってんだ。変な本でも読んだんだろうな、ずっと遠いところにあるんだってどっかから聞いたことはあるけどよ、それが見えるってんだから、もう妖怪に憑かれたかとひやひやしたもんさ」
語り好きの親父の話なんて大抵つまらないはずだけど、興味をひかれる話題だった。なんという巡り合わせなのだろう、本当に運が良い。求めてやまないすべての清貧がここにある。
なのに、なのに、粟のお粥の不味さに引きずられて、私の心が、それ以外を考えないように脳を縛り付けてくる。きっと、決して不味くはないのだ。ただ私が悪いのだ。昼に例えばハンバーガーをお腹いっぱい食べていれば、きっとこの素朴な味わいに感動できたはずで、だから、すべて私が悪いのだ。
ああ、スニッカーズとかが食べたい。あの由緒正しきチョコレートとヌガーの歴史ある甘味にべとべとに支配されたい。お米とか粟とか稗とか、穀物の甘みを感じ取れるような繊細な舌もってないんです。外人舐めないでいただきたい。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
慈愛を注いでくれた男性に応えるように、優しさで固めた嘘をついた。そして私は疲弊を装って寝床に入った。夢は途端に覚めるだろう。きっとこの男性は、妖怪に会ったとでも解釈するに違いない。一宿一飯の恩義は返せないけれども、せめて彼が安らかに過ごせるよう祈った。
夜食
起きてすぐ棚を漁った。スニッカーズはなかったが、カップラーメンがあったので、お湯を入れた。時刻は深夜二十五時、意識は冴えていた。一意専心、二に点心、私は時計の秒針をじっと見つめて、時が経つのを待った。
「できた」
私はカップラーメンを食べた。うますぎた。もうだめだ。
蓮子に電話した。さっき見た不思議な夢の話を切り出すふりをして、私は科学世紀的カップラーメンを啜った。魂を売るよう囁きかける悪魔の心持で、電子の世界を通じて、蓮子の耳元に芸術的なずるずるを響かせた。奏でられた音は意味を持ち、人の心に染み渡る。高らかなジャンキーポエトリーに心酔してかき乱されるが良い。
「何、ラーメン食べてるの? 昼も食べたのに」
「意趣返しよ。あーおいし」
唾を飲む音が聞こえた。
「私も食べようかな。ちょっと作ってくる」
蓮子は通話を切らず、お湯を沸かしに行ってしまった。
私はしめたと思った。これで罪悪感を共有できる。こんなに嬉しいことはない。
今日一番の幸福に浸りながら麺を啜っていると、蓮子が戻ってくる前だというのに食べきってしまった。ほうと一息ついて、鼻をかんでから残ったスープを一口飲んだ。まだ熱を持っていて、しみじみ美味しかった。
「戻ったよー」
蓮子が戻ってきたので、ラーメンの罪悪感を誤魔化すように、私たちはおしゃべりに興じた。
総天然食より相棒と食べる養食の方が断然好きだ。過去を追想し、思い出を愛でるのはきっと尊いことなんだと思うけど、やっぱり私たちは今を生きているのだ。だから一滴残らず嚥下して、この瞬間を心ゆくまで謳歌しようではないか。
決意するように、私はカップに残っていたスープを飲み干した。
合成のパンを一枚、もさもさと頬張り、水分を奪いながら咽を通った後、牛乳味の水で渇きを潤した。牛乳味の水というのは皮肉。天然牛乳なんて売り文句があったから買ったのはいいものの、栄養素の欠片もなさそうな薄味で、怒っている人に対して、カルシウム足りてないんじゃないの、なんて茶化す人がいるけど、蒸し風呂の焼け石に水をぶっかけて余計発汗を促すように、ほんのわずかなカルシウムは、むしろ怒りを助長するのではなかろうか、そんな風に思うほどである。怒り心頭の人には静脈から打たないと効果ない気がする。
朝から苛立ちをかみ殺す不毛さを共有するべく、私は掌くらいのエア・ディスプレイを立ち上げ、蓮子にメールを送った。ありがたいことに今日は休日であり、十分に睡眠をとったおかげで体力があり余り、さしあたり趣のある不思議探訪に赴こうと思い至った次第である。やることはいつもと大差ないのだけれども、行き当たりばったりというのも芸がないので、足掛かりとして、蓮子に目的地を決めてもらおうと思ったのだ。
「今日どこ行く? 追伸 昨日の牛乳めっちゃ味薄かった。最近は牛乳も謙虚なのね」
一分もしないうちに返信が来た。
「ここにしましょ。 追伸 濃いめのコーヒーに入れるといい感じに飲めるよ。共存共栄を願っている優しい牛乳なのよ、たぶん」
なんて前向きなんでしょう。蓮子はおそらくメシアなのだ。聖書とか経典の類はついこの間ちょっと齧ったくらいだけど、聖者と呼ばれる人物に同じメールを送れば、きっと皆こう返すに違いない。それはさておき、「ここ」の字が青くなっていたので、そこに触れると、ぶわりと地図が浮かびあがった。目的地は平成町にあるラーメン屋だった。平成町はバスで行けば一時間くらいのところにある田舎風の地域で、古臭いものと新しいものが入り混じっており、過去の時代を表現したというなかなかに面白いコンセプトの町である。昭和町と同じで、日本各地にいくつか点在しているが、京都の平成町はその中でもクオリティが高いと評判で、私たちも何回か行ったことがある。勿論レプリカだから、本物の不思議に出会えるわけじゃないけど、博物館と同じで結構面白いのだ。以前行った時も結構楽しかった。
さて、そのラーメン屋は天然の食材のみをふんだんに使用しているそうで、つまりは総天然食というわけである。さしずめ我々が普段食べているこのパンとかの合成製品が養食といったところか。天然ものなんてめったにお目にかかれないから、きっと貴重で素敵な体験になるに違いない。
私は期待に胸を躍らせながら、残りの天然牛乳を飲み下した。やっぱり微妙だ。貧相な乳しやがって、子供育てるつもりないんだ。酷い親だ。今の私みたいな口が悪い子になっちゃうぞ。
昼餉
平成町に着いたのはちょうど十二時頃で、黄色い太陽が猛威を振るっていた。光が雪に反射しているせいでまぶしい。アスファルトに施された淡い雪化粧は子供のいたずらみたいな完成度で、手入れの行き届いていないぼこぼこの肌が見え隠れしていた。木造建築と鉄筋コンクリートの家々が建ち並び、もこもこの格好をしたおじさんたちが旧時代の携帯電話を使っているのを見て、別の時代に迷い込んだという錯覚をより強固にした。この町はアミューズメント施設のようなものだが、過去からタイムスリップしてきたような住民が居て、彼らはプロフェッショナルであるから、決して景観を損なったり、時代にそぐわない道具を使ったりしない。以前来た時のガイドの説明によると、役割に徹しているというより、ここに順応するうちに、科学世紀への戻り方を忘れたというのが正しいらしい。
「ついたー」
蓮子がそう言ったので私も「ついたねー」と返した。午前中の割に、今日の蓮子はずいぶんと活動的である。きっと昨日はたっぷり寝れたに違いない。
「で、どこにあるんだっけ、そのラーメン屋」
「ええと確か。あれ同じ店が三つもある……おかしいなぁ」
ディスプレイで検索する様は、なんというか此処では不自然であるのだけれど、別に住民が咎めるわけでもないので、その辺はなあなあになっているんだと思う。
「あった。たぶんこっちだ」
「見つかった?」
「うん、チェーン店と同じ名前してるみたい。ええと、あそこを真っ直ぐ行くと良いらしいね」
蓮子はスタスタと歩き出した。目的を見つけると早いのが蓮子の長所である。ちなみに短所は、目的に辿り着けない言い訳を見つけるのが抜群に上手いことである。今回は無事に達成できることを願って、私は蓮子についていった。
少し歩くと、商店街のような通りに出る。居酒屋やスナックが大多数を占めていて、シャッターが閉まっている店ばかりであり、昼に利用する住民が少ないせいか、活気はあまりないように思える。きっと夜が本番なのだ。太陽が目を背けた隙を見て、欲望渦巻く煌びやかな街並みに変わるに違いない。
観光客も私たちくらいしかいない。閑散とした商店街で、ぽつんと佇むお土産屋があったけど、店主と思しきおばあさんは煙草を吸いながらテレビを見ていて、一層わびしさが際立っているようで、私はそこにリアリズムを垣間見た。こんなもんだよなぁと思った。
「なんか廃れてるねー」
「そうね、長閑ってことにしときましょう」
とりとめもない話をしながらラーメン屋へ向かった。道中、蓮子が店の概要とかレビューを説明してくれた。なんでも、天然小麦と無添加にこだわった懐かしの味だとか。眉唾ものだけど、雰囲気を大事にしている店で、古い時代を感じられるのは間違いない。
昔ながらの味という謳い文句に惹かれる。伝統的なとか、歴史あるとかじゃなくて、なんか人間味のあるフレーズだ。人間の尺度で物事を見るから、昔ながらと表現しているのだ。このノスタルジックな響きは他の言葉じゃ言い表せないだろう。
期待に胸を弾ませながら、数分歩いて、お日様が真上に登ってきた頃に着いた。ぽつんと営業中の看板が出ていたのは良いが、店主が失踪したんじゃないかと思うくらい人の気配がない。店そのものが周囲の静寂に溶け込んでいて、一度素通りしてしまった。店がボロボロだとか、汚いとか、そう言うわけじゃないのだけれど、まったく周囲の活気がないのに昼間に執着して営業しているところが、なんか怨念を捨てられない地縛霊のようで、昼なのに幽霊屋敷みたいだと思った。
そんな非日常感にわくわくしながら、引き戸に手をかけ、ガラガラと開けると、奥の方から「らっしゃいやせ」という野太い声が聞こえてきた。良かった、ちゃんと人がいた。
私たち以外に客はいないようである。なんで潰れないんだろう、店主の道楽なのかしらん。私たちに気づいた店主は新聞を畳んで、吸ってた煙草を灰皿に押し付けた。あとは話しかけるわけでもなく、ぼんやりとしていた。
何か蓮子と話したかったのだけれど、寂寞が支配していて、例えるならジャックとマックという名のヤクザがぎろりと睨みつけてきたみたいな緊張感があって、どうにも委縮してしまう。店内を軽く見てから、一番近くの席に座った。ビニールが被せられたテーブルはちょっとぺとぺとしている。
壁に貼ってあるお品書きの札を見た。ラーメン、チャーシューメン、味噌ラーメン、エトセトラ、特にひねりのないメニューである。
「すみません、ラーメンください」
「同じのお願いします」
おお、蓮子と示し合わせたように意見が一致した。流石は相棒、脳細胞にチップを埋め込まれ洗脳されたわけでもない(といいなぁ)のに息ぴったり。まさに以心伝心。私に合わせただけかも、なんて考えがよぎったけど、蓮子はしっかり自分の意見を持つしたたかな女なのだ。
注文した後は、セルフの水を汲んで、健気に稼働している古いストーブを眺めながら、無言で待ち続けた。水がカルキ臭くて不味かった。なんでこの時代にこんな水が存在するんだ。特注に違いない。よっぽどこだわりの強い店主なのかもしれない。
「おまち」
十分くらいでラーメンがやってきた。早いような、お客さんがいないことを考えると遅いような、わからないけど、まあいいか。
どんぶりをのぞき込む。ほうれん草とナルト、醤油が染みているしなちく、数年に一回程度しか会わない親戚との関係性くらい薄っぺらなチャーシュー、細ちぢれ麺、完璧だ。この一杯に詰まっているのは、郷愁そのものだ。そう思った。割り箸を手に取り、いただきますという真言を唱えてから、ラーメンを口に運んだ。
「え」
思わずこぼれ出た一文字には、たぶん驚愕と落胆と切なさとその他もろもろの感情が詰まっていた。ぬるい。薄い。なんか麺がちょっと臭い気もする。ほうれん草固い、しなちくしょっぱい、チャーシュー香辛料の味がする。ナルトは普通だけど、ぬるいスープのせいで淀んでいる。美味しくない。というか不味い。しかし、きっと、そういう演出に違いない。きっとこれが平成の味、失われかけた大切な、セピア色に褪せた味わいなのだ。私は己を女優のように偽った。八百の嘘で一つの真実を塗り替えてやる。そして嘘をつきとおすには真実を織り交ぜると良いらしい。考えてみると割り箸が綺麗に割れた。おかげで麺が持ちやすい。これはいい箸だ、素晴らしい。私は手にした真実を一つだけ肯定することにした。
蓮子をちらりと見ると「んー、んー?」と首をかしげながら麺を啜っていた。たぶん同じ気持ちに違いない。流石相棒、息ぴったりである。まさに拈華微笑。なんだこのデジャブ。防衛本能が働いているとでも言うのだろうか。混乱してきた。惑わしのラーメンめ。ああ、それでも食べるしかないのだ。残すなんて選択肢は、秘封倶楽部にはなかった。
麺はなんとか食べ終えたけど、スープはほとんど飲まなかった。
無感情な会計を済ませて、店を出て、二分くらい歩いて、ようやく蓮子が自我を取り戻したかのように口を開いた。
「正直あんまり美味しくなかったね」
あんまり美味しくない、それは認める。認める。認めることからすべてがはじまる。創世記だってことばがあると認めるところがはじまりだった。この前読んだ聖書に書いてあった。なんでも否定的な捉え方しかできない厭世主義者と違って私は全てを肯定する。確かに美味しくない。でもこれでいいのだ。
「そうね」
私は曖昧に同意した。怒気が混ざらないよう抑えたけど、たぶんちょっと漏れている。
ちくしょう、なんでここまで来て不味いラーメン食わにゃならんのだ。店の雰囲気なんて演出に手間暇かかるくせに、鶏油の一滴にも劣る味わいすらないじゃないか。
「ごめんね」
ああやめてほしい。謝られるとなんか自分が悪いみたいじゃないか。
「いや別に大丈夫よ。結構雰囲気出てたし、良い体験できたじゃない」
一緒に悪口を言い合いましょう。負を吐き出して大気を汚染しましょうよ。そして共に嘘偽りのない世界を目指しましょうよ。そんな頭けせらせらで赤裸々な思いを言えるわけもなく、私は言葉を飲み込んだ。正直悪口の方がラーメンなんかよりよっぽど飲み込み辛い。雄弁は銀、沈黙は金、ならばこの悪口は水銀だ。飲み下しても腹の奥底で熱を持ってふつふつと膨張し、いずれ私のすべてを蝕むだろう。こんな時、都合よく涙をこぼし、存分に洗い流せたらと思う。だけど私は理性に生きていた。
話題が欲しい。私たちがするべきなのは、ちょっと高尚でかつ下らなく、不可思議で、とりとめもなくて、それでいてほんのりと甘く酔うような、そんな会話なのだ。カフェで紅茶を嗜んで、一緒に食べたカップケーキの底から金言を見つけ出すような、そんなふわふわした時間が欲しいのだ。
それなのに無言の時は無情に過ぎて、無響の無窮を切り裂くように、バスの音が容赦なく煽ってくる。ここに居場所はないと告げているかのようだ。もう帰るしかないのだ。私たちは平成町を濁すことなくあとにした。
夕餉
家に帰ってふて寝した。日没にはまだ早いけど、黄昏が私を襲う前に眠りたかった。夕方は気が沈んでいけない。
睡魔に身を任せていると、いつの間にか私は幻想郷へ来ていた。いつもの不思議な夢だった。こちらはすでに夜のようで、辺りは暗く、空気が冷えていた。どうやら集落の近くのようで、少し離れたところに点々とあかりが見える。
一番近いあかりの前まで歩いて、虫みたいにうろうろしていた。あかりの正体はこぢんまりとしたぼろぼろの一軒家で、つがいを見つけられなかった蛍みたいに寂しそうだった。扉を叩くべきか迷う。正直、寒くて暗くて仕方がないから、暖を取りたかった。意を決したところで、その意を汲み取ったみたいに扉が開いて、中から無精ひげを存分に蓄えた筋骨隆々の男性が出てきた。驚いたような表情を浮かべてから「お嬢ちゃんどうしたんだい」と優しく言われて、私は心が温かくなった。
「迷ってしまって」
困ったようにそう言うと、男性は家の中へ入るよう促した。
言われるがままに家に入り、ぱちぱち燃える囲炉裏で暖をとった。襲われることもなく、心優しいその男性は、この辺は里の外れで、妖怪が近くをうろうろしているから、下手に出歩くのは危険だと教えてくれた。そして食事と寝床まで用意してくれた。
夕餉は粟のおかゆとたくあん、カブの葉のみそ汁だった。
「すまんな。ちょうど米を切らしていたんだ」
何気なく出された料理だったが、私は感動した。これぞ今日の私が求めていた本物の味なのだ。すべて混じりけのない天然もので、わびしさがむしろ刺激的だ。手を合わせて、ありがたく食べた。
案の定美味しくはなかった。粟は触感が頼りなくて、咀嚼の喜びを冒涜するかのように胃に流れていき、それでも口の中に少し残るのが不快だった。たくあんはそれなりだったけど、二切れしかないのに、最初に食べてしまった自分を呪うしかなかった。むしろちょっと味があったせいで、その幻影に苦しみながら粟を食べる羽目になった。みそ汁は、無償の愛を振舞う母親のようにとても優しくて、否、とても薄くて、むしろ白湯だったら割り切れたのにと、もどかしい思いを抱いてしまう味わいだった。
私が葛藤しながら食べていると、心優しい男性は一気におかゆをかきこんでから、ぽつぽつと話し始めた。
「俺にも娘がいたんだがね。もう嫁に行ってしまったから寂しくてなぁ。あんたくらいの年なんだがな、似てるんだ。髪の毛とか、顔とか、雰囲気も全然違うけど、その眼がなんとなくそっくりなんだ。面白いんだぜ、こんな小さい時にな、父ちゃん、高い灰色の搭が見えるよ、ってんだ。変な本でも読んだんだろうな、ずっと遠いところにあるんだってどっかから聞いたことはあるけどよ、それが見えるってんだから、もう妖怪に憑かれたかとひやひやしたもんさ」
語り好きの親父の話なんて大抵つまらないはずだけど、興味をひかれる話題だった。なんという巡り合わせなのだろう、本当に運が良い。求めてやまないすべての清貧がここにある。
なのに、なのに、粟のお粥の不味さに引きずられて、私の心が、それ以外を考えないように脳を縛り付けてくる。きっと、決して不味くはないのだ。ただ私が悪いのだ。昼に例えばハンバーガーをお腹いっぱい食べていれば、きっとこの素朴な味わいに感動できたはずで、だから、すべて私が悪いのだ。
ああ、スニッカーズとかが食べたい。あの由緒正しきチョコレートとヌガーの歴史ある甘味にべとべとに支配されたい。お米とか粟とか稗とか、穀物の甘みを感じ取れるような繊細な舌もってないんです。外人舐めないでいただきたい。
「ごちそうさまでした。とても美味しかったです」
慈愛を注いでくれた男性に応えるように、優しさで固めた嘘をついた。そして私は疲弊を装って寝床に入った。夢は途端に覚めるだろう。きっとこの男性は、妖怪に会ったとでも解釈するに違いない。一宿一飯の恩義は返せないけれども、せめて彼が安らかに過ごせるよう祈った。
夜食
起きてすぐ棚を漁った。スニッカーズはなかったが、カップラーメンがあったので、お湯を入れた。時刻は深夜二十五時、意識は冴えていた。一意専心、二に点心、私は時計の秒針をじっと見つめて、時が経つのを待った。
「できた」
私はカップラーメンを食べた。うますぎた。もうだめだ。
蓮子に電話した。さっき見た不思議な夢の話を切り出すふりをして、私は科学世紀的カップラーメンを啜った。魂を売るよう囁きかける悪魔の心持で、電子の世界を通じて、蓮子の耳元に芸術的なずるずるを響かせた。奏でられた音は意味を持ち、人の心に染み渡る。高らかなジャンキーポエトリーに心酔してかき乱されるが良い。
「何、ラーメン食べてるの? 昼も食べたのに」
「意趣返しよ。あーおいし」
唾を飲む音が聞こえた。
「私も食べようかな。ちょっと作ってくる」
蓮子は通話を切らず、お湯を沸かしに行ってしまった。
私はしめたと思った。これで罪悪感を共有できる。こんなに嬉しいことはない。
今日一番の幸福に浸りながら麺を啜っていると、蓮子が戻ってくる前だというのに食べきってしまった。ほうと一息ついて、鼻をかんでから残ったスープを一口飲んだ。まだ熱を持っていて、しみじみ美味しかった。
「戻ったよー」
蓮子が戻ってきたので、ラーメンの罪悪感を誤魔化すように、私たちはおしゃべりに興じた。
総天然食より相棒と食べる養食の方が断然好きだ。過去を追想し、思い出を愛でるのはきっと尊いことなんだと思うけど、やっぱり私たちは今を生きているのだ。だから一滴残らず嚥下して、この瞬間を心ゆくまで謳歌しようではないか。
決意するように、私はカップに残っていたスープを飲み干した。
>>蓮子の耳元に芸術的なずるずるを響かせた。
この表現好きw
ラーメン啜る時はマイク上に向けないとスープが飛ぶぞメリーさんやw
平成町での気分の下降を、幻想郷に場面を移して更に天然食で畳み掛けてくる様も素晴らしく。御馳走様です、面白かったです。
ラーメンを食べてるメリーがポリアンナ症候群を発症していて笑いました。
やっぱり地の文が面白く読んでいて楽しく、小気味よく読了できました。
秘封のこういう非日常ながらなんてことはないお話し良いですね。
あなたの作品には、得体の知れない魅力があります
逆に言えば丁寧にスムーズに話が進んでいって心地良いお話。
相変わらず作者さんの感性と表現が素敵でとても心地よかったです。
ただなんとなく他の作品に比べて少しだけ読みにくくも感じたような
でもそれを踏まえてもこの点数です