Coolier - 新生・東方創想話

Call the number 890, In the midnight hour.

2022/01/01 06:32:19
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――ねえ、知ってる? 夜中の12時に、 890番に電話を掛けるとどこかの誰かに繋がるんだってさ。

 

 夜分遅くにすみません。
 信じて頂けないかもしれません。そもそも電話が繋がるなんて思ってもいなかった。
 だけど電話の向こうが私の知る貴方だったら、私にはきっと何か伝えたいことがあるのです。
 私はかつて、あの場所からここへと移った者です。
 率直に申し上げて、私がここに来たのはおそらく間違いだった。そう思うんです。
 ここに来るとき、例えば多くの人たちが新天地に至る前には希望しか胸に抱かないように、私はそこには悪意なんて大して存在しない、そう無邪気に思っていた。
 悪意なんてどこにでも少なからずある、それは分かっていました。だけど私には、あの世界の緩やかな悪意に慣れた私には、この世界の強烈な悪意には耐えられなかった。
 例えばそれは肉の焼け焦げる臭いであり、例えばそれは手足を失わざるを得なかった人たちであり、例えばそれは……もう嫌です、思い出したくありません。
 それでも毎晩毎晩夢に見るのです。あの頃の記憶を、そしてあの頃の臭いを。幸いなことに、そこには音がありません。音があったら私はきっと壊れてしまう。
 ここに来たとき、私は何も知らない少女だった。だけど今は違います。 
 世の中の酸いも甘いも、いや、甘いものなんて何もなかった。
 この世界は私にとってはあまりに辛く苦いものだった。だから、もしできれば、電話の向こうの貴方が、あのとき、あの場所で私に忠告してくれた貴方だったら、一言でいいから謝りたいんです。
 悪い子でごめんなさいって。



 これ、本当に繋がるのかな? ああ、繋がった繋がった。
 こんばんは。電話の向こうのどこかの誰かさん。本当はこんなの信じていませんでしたけど、最近母が寝ているとき寝言で、12時に890番にかけたい、かけたいって言うからこっそりかけてみたんです。電話帳で探してみても890番なんて見つかりませんね。だからこうやってかかったのは正直少し驚いています。電話代はどんなものになるのか心配ですけど、あんまり長電話もなんでしょうしね。さて、うだうだと前置きを語るのもどうかと思うので、私の独白でも聞いていただけますか?
 私の母のことです。母のことは小さい頃からずっと見ていました。いや、息子なんだから当たり前なんですけど、昔の母はどこか浮世離れしたところがあるというか、この現世で育ったようには思えないところがありました。たまに遠くを見つめながら、何か目に見えないものを探している、そんな気がいつもしていたんです。私はずっと、そんな母の背中を黙って見つめてあげることしか出来ませんでした。母は時折いきなり泣き出したりして、そんなとき私は母に寄り添うことで精一杯。私には父親がいませんでしたから、母と二人で互いに支え合って生きてきたんです。
 母は私を大学にまでやってくれました。女手一つで大変だっただろうと今ではつくづく思っています。母はいわゆる戦中世代。私は戦後生まれだからあんまり大したことも言えませんが、本当に苦労したんだろうなあと感じています。母は戦時中がいかに悲惨だったか、そしてその合間合間のほんの僅かな楽しみ、そんなことは結構話してくれたんですけど、不思議なことに、それ以前のことはほとんどと言っていい程に話してくれないのです。
 正直私も知りたいという気持ちは少しぐらいあります。だけれども、そのことを母に尋ねてみることがどこか憚られるような気がするのです。ほら、だって初恋の想い出とかは自分ひとりの中で、美しいままでとっておきたいでしょう? だから私は母がどこで生まれてどこで幼少期を過ごしたのか全然知らないのです。
 昔一度だけ、そのことを尋ねてみたことがあります。お母さんの実家ってどこなの? どうして僕にはお祖父ちゃんやお祖母ちゃんがいないの? って。母は何も言わず、ひどく悲しそうな顔をして、私を強く、強く抱きしめました。子供ながらに思いました。ああ、このことはあまり触れられたくないことなんだって。私は、ごめんなさい、って母の細い腕の温もりの中で小さくつぶやいた。そのつぶやきが聞こえたのかどうかはわかりません。
 父であるはずの男性のことはごくたまに漏らしてくれました。小さいながらにそこにどういう事情があるのかは薄々感づいていました。でも祖父や祖母のことは一度たりとも聞いたことがありません。
 私は母の腕の中で安心して眠ることができる。でも母にとってそれに当たるものはなんだったのでしょうか? 穿ち過ぎかもしれませんが、母はもしかしたら自分の両親を、いや、もしかしたら自分の故郷を幼い頃に失ったのかもしれない。だとしたら母にとってこの世界とは一体どう見えているのでしょうか? この世界とは一体何なんでしょうか? 私にはわかりません。
 すみませんね、長くなりました。流石に壁に向かって喋るのは疲れるので、こうやって電話越しに話させていただきました。今日のところはこれにて失礼します。それでは。



 こんばんは。こうやって夜中の12時に890番に電話をかけるのはいつ以来ですかね。
 私もちょっとだけ年を取りました。息子もだいぶ大きくなりまして。そのおかげか昔みたいな悪夢を見ることも少なくなりました。
 それでこの年になってようやく分かってきました。どちらの世界にも汚いものは存在する。だけど、どちらの世界にも美しいものは存在する。そんなすごく簡単なことがようやく、ね。
 私はあの日、あのような選択をした以上、その選択に対して責任を負わなければいけないのです。もう愚痴愚痴と多くは語るまい、そう感じます。いくら泣き言を重ねたところで私はもうあの場所へ、あの時間に、あの立場に戻ることは出来ない。今この場所で、この時間に、この立場を生きることしか出来ない。選択が自分にとって正しかったのか間違っていたのかなんて、死ぬ前にしか、いや、死んだ後でも分からない。楽土の中で他人から見れば些細とも思える嫌なことがあればきっとその楽土だってちょっとした地獄と化しうるだろうし、地獄の中で自分にとって小さいながらも良いことがあればそこが一筋の光に照らされた楽土だと思えるかもしれない。確かにあの当時、こちらに来てしばらくしてから始まったあの期間、私は文字通り炎の燃え盛る地獄の中にいました。そしてそれが終わってからの方が苦しかったかもしれない。でも私は今、小さな幸せを噛み締めています。
 電話の向こうにいる貴方が私の知る貴方だったら、神隠しの話は嫌というほど知っているでしょう? 神隠しの先の世界で何かものを食べると戻ってこれなくなる。古くは古事記の黄泉の国の話にも出てきましたし、他の国でも似たような話がありそうなものです。私にとってはその食べ物にあたるものは息子だった。
 息子を置いてあちらに戻ろうなどとは絶対に思えませんし、おそらく息子と一緒でもそうは思いません。
 私は自分の両親のことはよく覚えていません。もしかしたら幼い頃亡くなってしまったのかもしれない。だから最初、息子が生まれたときは正直どうしていいのか分からなかった。私と愛を誓い合ったはずの男性は子供ができたことを知るとどこかへと去っていってしまいました。誠に自分勝手な考えですが、私はこの世界にただ一人きりのように感じられたのです。そんなとき鮮明に脳裏によぎったのは、あの頃の光景。あの頃の自分。あの場所にいた自分。貴方は膝を屈めて、私の頭を撫でてくれていました。
 貴方の真似をして拙いながらこの間も頑張って膝を屈めて息子の頭を撫でてやりました。
 もし今でもあちらの世界にいたのならこの幸せを享受することは出来なかったのかもしれない。
 かつて、私は貴方に、悪い子でごめんなさい、って謝りたかった。自分だけが辛くて悲しくて仕方がないのだと思っていた。でも、最近になってやっと、あのときの貴方のどこか悲しそうな、だけれどもまっすぐに私を見つめてくれる顔を思い出したんです。ええ、私の自分勝手な想像に過ぎません。それに貴方の気持ちを理解できたなどと言うことはおこがましい。でも、もし電話の向こうが貴方なのだとしたら、これまでも今もこれからも変わらない貴方だとしたら、最後に一言だけ言わせてください。
 ごめんなさい、そして、ありがとう、って。
 


 もしもし? 誰かいますか―? 別に誰もいなくてもいいけどさ。
 でもせっかく繋がったんだから、聞いてなくても勝手に喋らせてもらうね。
ついこの間、お父さんの方のお祖母ちゃんが亡くなったんだ。私はお祖母ちゃんっ子だったからわんわん泣いた。でもお祖母ちゃん、最期の方はもう寝たきりみたいな状態だったけど、あるときに私を呼んで言った。自分が死んだ後、夜中の12時に890番にかけてそのことを伝えてくれって。だからこうやってかけたわけ。
お祖母ちゃんはたまに私に言ってたんだ。自分はここの生まれじゃないって。
 お祖母ちゃんは確かに模範的な日本人でさ、ああ、私この言葉、だいっきらいなんだけど、それで親族にも外国生まれの人は誰もいないと思う。お祖母ちゃんは戦前生まれだからそれこそ満州とかその辺で生まれたのかもしれない。でも一度、図書館の方で満州から引き揚げた人の名簿を調べてみたことがあるんだけど、そこにお祖母ちゃんの名前はなかった。だからその意味が今の今に至るまで全然分からない。
 高校の友達に宇佐見ってやつがいるんだけど、あるときそいつに聞いてみたの。存外に色々なことに詳しいやつで、授業中に寝てばかりいる割にはこれでなかなか鋭いところがある。私も結構頼りにしててね、そいつにこれってどういうことを言っているのかって尋ねてみた。宇佐見はちょっとうーん、て考えてみる。それで宇佐見は私に、それはきっとこの世界と地続きで、だけどどうやっても行くことの出来ない場所の生まれってことじゃないの?って言った。
 考えるに私にとってみればそれは例えば火星みたいなもの。お祖母ちゃんはもしかしたら火星からやってきたのかもしれないな―とか思ったり。あはは、宇宙人なんて超能力者と同じぐらいに今の時代には流行らないって。
 でもさ、私も知ってみたいんだ。お祖母ちゃんがどこで生まれ、どこで幼少期を過ごしたのか。なぜって? そりゃ私がお祖母ちゃんのことを大好きだったからに決まってるじゃない。 
 それで、お父さんに一度聞いてみたんだけど全然知らないみたいで。むしろお父さんの方が知りたいぐらいだった。こんなことならお祖母ちゃんが生きているうちに聞いておけば良かったな。
 じゃあ、今日はこの辺で切らせてもらうね。バイバーイ。
 
 

 おっ、繋がった。この間電話した者だよー。
 最近の悩みは宇佐見にテストで勝てないこと。ほんとに悔しいんだよ。おっと、失礼。
 この前の話に進展があってね。お祖母ちゃんの日記を倉庫の中で見つけたの。本当はあまり良くないのは分かってる。本来だったら開くことなく焼却処分するのが正しい選択なんだろう。でも私はお祖母ちゃんのことをもっと知りたいという欲求にどうしても抗えなかった。だから日記を開いてみた。
 所々虫食いやら何やらで読めないところもあったけど、推察するにお祖母ちゃんは確かに日本の生まれだった。だけど奇妙なことがある。お祖母ちゃんは昔の暮らしの思い出とかそういうのを書いてたりするんだけど、それがお祖母ちゃんの生まれたはずの年代といまいち合致しない。どういうことかって? お祖母ちゃん、昭和生まれでしょう? でも伺える暮らしぶりはまるで江戸時代と明治時代が混ざったみたいなそんな感じ。確かにさ、山奥の集落とかではそんなこともあるのかもしれない。それこそ電気や水道が引いてなかったりね。まあそれは私が日本の歴史にあまり良く通じていないからってのもある。でも時折ある単語が出てくるんだ。「巫女」とか「妖怪」とかそういう単語が。「巫女」はまあ分からなくもないよ。今だって巫女さんは神社にいるしね。でも「妖怪」はどうなんだろう? お祖母ちゃんの生まれ育ったところでは妖怪がいて当たり前だったのかな? いや、実際にいるって言いたいんじゃなくて、そういう伝承の持つ意味合いが強かったんじゃないかってこと。
 だとしたら、お祖母ちゃん結構大変だっただろうな。そういう場所ってきっと色々と目に見えない縛りがキツイから。私は今都会に住んでるけど、都会はそこのところ結構楽。ネット上で付き合ってる友達がちょっとした田舎に住んでるんだけど、田舎の方は青年団だとか地区の祭りの準備だとかで色々と面倒らしい。それこそもっと以前には寄り合いとかそういうのもあったのかもしれない。隣近所の付き合いなんて言わずもがな。無論そういうのは一種の強固なコミュニティなわけだから、居心地良く感じる人もいるのかもしれない。でも残念ながらお祖母ちゃんはそうじゃなかったみたい。よくわからないけど、なんか小さいながらに巫女さんみたいな役職についていたらしくて、それもどうやら辛かったらしい。だから、便宜的に「集落」って呼ぶけど、その「集落」の外に出たがってたことが伺えた。
 そして、ある日からある日までの期間、日記が途絶えているの。そして生まれた場所にいたであろうおそらく最後の日の日記にはこう書いてあった。
「ごめんなさい、私の代わりになるであろう次の方」
 ただそれだけ。
 お祖母ちゃんがその一文を書いたときにはどんな気持ちだったんだろうか。私にはよくわからない。その選択はとても苦しくて、それでいてお祖母ちゃんにとっては一筋の希望みたいなものだったんだろうか。でもね、私は意地悪な性格だからこういうのを読む時、直接には出てこない他の人の存在をどうしても考えてしまう。例えばお祖母ちゃんの脱出を手引した人とかね。その人が本当はどういう人なのか、いくつなのかとか、そんなことなんて私にはわかりっこない。おそらくは女の人なんだろうけど。とはいっても日記にはたまに出てくるんだ。お祖母ちゃんはその人をとても信頼していたんだろうなあって記述が。例えばお仕事の手引を一から優しく教えてもらったのがすごくうれしかったとか、そういうのがね。
おそらくは「むらさき」さんで良いのだろうか? その人はそんなに大きくなかったお祖母ちゃんをいわゆる巫女さんの役職に就けたらしい。お祖母ちゃんは特に文句も言わず受け入れたみたいで。でも残念なことに、お祖母ちゃんはその役職には多分向いていなかった。お祖母ちゃんは目に見える形で優しすぎたんだと思う。だって私、お祖母ちゃんが怒ったりするところ一度も見たことないんだよ? それはきっと良いことでもあれば悪いことでもあるんだろう。うちの高校にだって色々なタイプの先生がいる。なんか声を荒げてばかりの体育の先生もいれば、肝心なときにはきっちりと締めるけどいつもはのほほんとしている教頭先生もいる。おそらくはその役職に必要だったのは私の高校の教頭先生みたいなタイプなんだろうね。
 その「集落」を出てからしばらくして、お祖母ちゃんは街の中にある旅館で働いていたみたい。住み込みで色々と雑務をこなしていたらしい。日記の記述から伺うに、その辺りの常識というものが足りなかったみたいだから随分と苦労したみたい。まあそうこうしているうちに戦争が始まったそうで。私も小学校の頃の体験学習でお年寄りにお話を聞かされたぐらいしか知らないんだけど、お祖母ちゃんがいた街中の辺りは空襲がひどかったらしい。働いていた旅館も焼けてしまったらしくて。どういう気持ちだったとかその辺のことは日記にもあまり書かれていないからよく分からない。……想像するに難くはないけど。
 ちょっと長くなった。眠いし今日はこの辺で切るよ。それじゃあね。
 


 こんばんはー、これでかけるのも三度目か。
 昨日はお祖母ちゃんの一周忌だった。一年が経つのは早いものだね。高校の方も忙しくてさ、こうやって電話をかけるのもすっかり忘れちゃった。
 宇佐見とは引き続き同じクラス。相変わらず授業中に寝てばかりいるけど、やっぱり成績は上位をキープしてる。私、あいつにテストで勝つのを目標にしてるんだ。そういえば宇佐見は秘封倶楽部とかいう変な同好会みたいなのを立ち上げているんだけど、第一に人が足りないから部として正式に認可されないだろうね。といってもあいつがのこのこと申請を出すとも思えないんだけどさ。気が向いたら入ってやっても良いかもしれない。
 まあいいや。去年、どこまで話したっけ? ああそうだ、戦争が終わった辺りだったと思う。それからお祖母ちゃんはある男の人と出会ったみたい。私はまだ恋なんてしたことないから迂闊なことは言えないけれど「集落」の中にいたお祖母ちゃんは免疫というものが全然なかったんだと思う。古臭いけど、プレイボーイとでも呼んでやれば良いのかな? そういう男に引っかかっちゃって。それで私のお父さんに当たるんだけど、赤ちゃんができたらどっかに逃げちゃって。まったく、今も昔もそれほど変わらないものだね。
 それからの苦労は逐一日記に記してある。最初は随分と戸惑いを感じていたみたい。自分がもう「少女」ではないという事実もそうだし、自分が母親になるということもそう。昔だから女性が働くのもなかなか大変だったしね。だけどお祖母ちゃんはそんなとき「むらさき」さんのことを思い出していた。「むらさき」さんも中々の苦労人だったらしくて。「集落」の中間管理職みたいな立ち位置にいたみたいだから、何かあると色々と駆り出されていたらしい。正直私は日記の記述からは「むらさき」さんの年齢をいまいち図りがたく感じている。すごくお年を召されているようにも思えるし、すごく女の子っぽくも思える。「むらさき」さんは小さい頃のお祖母ちゃんの世話を色々と焼いてくれたみたい。そして「むらさき」さんは自分の住んでたところに非常に愛着を抱いていたらしい。だからもしかしたら「むらさき」さんはお祖母ちゃんを前私が言ってた役職に就けるのを前提にそういう世話焼きをしていたのかもしれない。本当のところはどうなのかなんて私にはわかりっこない。いずれにせよ、お祖母ちゃんは「むらさき」さんからそうされたように、自分の息子に愛情を込めて接しようと努力した。たとえば泣いてしまったときに膝を屈めて頭を撫でてあげたりね。きっと女手ひとつで子供を育てることには色々と偏見の目もあっただろうけど、お祖母ちゃんは強くあろうとした。頑張って働いて、お父さんを大学にまで行かせてあげた。だからお父さんは私にいつも口うるさく勉強しなさいって言うんだけどね。
 おっと、また長くなっちゃった。じゃあ今日はこのぐらいで。またね。

 

 こんばんは。ちゃんと繋がってくれて一安心。
 ごめんね、また一年ぶりになっちゃった。ほんと、うちの高校それなりの進学校だからさ、勉強についていくだけでも大変で。でもこの間やっと宇佐見にテストでぎりぎり勝つことが出来たんだ。しかしほんと、あいつ一体いつ勉強してるんだろうね。
 この間の、と言っても一年前ぐらいになるけど、話の続きをしようと思う。だけどもうお祖母ちゃん、日記に大したことは書いてないんだ。それこそ同じようなことばかり。例えば息子が転んで怪我をして心配だったとか、運動会で一番になって喜んでるのを見て嬉しくなったとか、そんなこと。でもその変わらない、それでいて着実に進みつつある毎日がお祖母ちゃんにとってはきっと何よりの幸せだったんだろうね。それで良かったんだ。
 これから受験のシーズンになるから、もう電話はできないかもしれない。私、医学部を志望しててね。大学でも勉強がすっごく大変なの。だからこれが最後の電話になるかもしれない。
 どこの誰に繋がっているのか、今の今に至るまで私にはついに分からなかったけど、ずっと聞いてくれて本当にありがとう。それじゃあ、さようなら。もしまた電話することがあったら、そのときはよろしくね。

 

 こんばんは。覚えてますか? 数年前にお祖母ちゃんの件で何度か電話した者。ごめんなさい、しつこく電話してしまって。
 私は無事大学に受かりました。宇佐見もちゃんと京都の大学に合格しました。でも私の方はやはり勉強がすごく大変。だから本当はこんなことしている場合でもないのですけど、一つだけ報告があって。実家に戻ったとき、お祖母ちゃんの日記を久しぶりに見たのですが、最後のページに「むらさき」さんへのお礼みたいなのが書いてあったんです。まあ電話の向こうにいるどこかの誰かさんにこれを伝えても正直仕方のないことではあります。だけど今更行き場もないですしね。
 「むらさき」さんの立場上、お祖母ちゃんを解任して「集落」の外へ出すのはあまりよろしくないことだったんですね。実際のところ、「むらさき」さんがどうしてそう決めたのか、私には窺い知ることはできない。単純にお祖母ちゃんをその職に就けていることや「集落」の中に居させておくことで何らかの不利益が及ぶと思ったのか、それともそこに何か個人的な感情があったのか。私も医学部に通っているから、医師に相応しくない人がいるというのは分かっているつもり。そういう人が医師になるのは当人にとっても患者さんにとってもきっと不幸なこと。……まあいいです。お祖母ちゃんの日記の最後の日の記述は、お父さんがお祖母ちゃんの手を離れて都会の大学に進学するときのものでした。お祖母ちゃん、すごくお父さんのことが心配だったらしいです。でもそのときになってようやく「むらさき」さんの気持ちが少しだけ分かったような気になれたって書いてありました。私も家から離れたところにある大学に通うために一人暮らししているから、お父さんとかお母さんも同じ気持ちだったのかな。おっと、ごめんなさい、ついつい私のことに話が飛んでしまって。お祖母ちゃんの日記のことですよね。お祖母ちゃん、「むらさき」さんにこう言いたかったらしいです。
 仕事がうまく出来なくて、迷惑かけて、わがまま言って、ごめんなさい、そして、わがままを聞いてもらって、ありがとう、私の次の方、引き受けてくれて、ありがとう、って。
 別に期待はしていませんが、電話の向こうの誰かさんが「むらさき」さんの知り合いだったら伝えてあげてくださいね。それじゃあ、こんどこそさようなら、そちらもお元気で。いつかまた、もしどこかで会える日があるのならそのときはよろしくお願いしますね。

 

 お元気ですか? こうやって夜中の12時に890番に電話するのもおよそ10年ぶりでしょうか。
 私は無事研修を終えまして、そして数年前に結婚しました。今では一児の母です。随分と報告は遅くなりました。でも未だに繋がるなんて少し驚きです。宇佐見とは今なお連絡を取り合っています。彼女、大学院の方で色々と頑張ってるみたいですね。
 今日は一つ、お礼を言おうと電話をかけたんです。私は今まで父からも母からも、そして母方の祖父母からも、もちろん父方の祖母からも愛情はたっぷりと受けてきました。今、私は思うんです。その愛情の原点の一つはお祖母ちゃんが「むらさき」さんから受けたものなんじゃないだろうかって。私もこの間「むらさき」さんがずっと昔にお祖母ちゃんにしてあげたように、そしてそれに習ってお祖母ちゃんが父にしてあげたように、膝を屈めて娘の頭をそっと撫でてやりました。娘の名前ですか? 「ゆかり」っていうんです。「紫」を別の読み方で読むと「ゆかり」になるでしょう? 字は違うんですけどね。
 子供を育てていると色々な苦労があります。でもその苦労の中には喜びもたくさんあるのです。もしかしたらそのような気持ちを「むらさき」さんは知っていたのかもしれません。「むらさき」さんはお祖母ちゃんの任を解き、外へと解き放つときはやはり悲しかったのでしょうし、そして何より心配だったのでしょう。でもお祖母ちゃんのことをちゃんと信じていた。
 娘はまだ小さいですけど、私の手を離れることになったらきっと私も父方の祖母、母方の祖父母や両親、そして「むらさき」さんと同じような感情を抱くことになるのでしょう。
私がこの電話が通じているであろう場所へと行くことはこれからも決してないのでしょう。でも案外私の近くには行ったことのある人もいるのかもしれませんね。それはともかく。おそらくもうこのように電話をかけることもないはずです。ですから最後に。もし電話の向こう側にいる貴方が「むらさき」さんだったら。本当に簡単ですが一言お礼を言わせてください。
 ありがとう、って。
元ネタは1970年辺りのアナログ回線だった時代、夜中に117にかけると混線が発生してどこかのだれかと通話できたというお話です。どこまでを東方の二次創作と言えばよいのかは私の中の一つの謎。別の謎は妖々夢時点で霊夢と紫にどれほどの面識があったかということです。
植物図鑑
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コメント



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1.100サク_ウマ削除
幻想と現実のすれ違ったような、静かできれいなお話でした。良かったです。
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100ぽち削除
とても面白かったです。
直接的な描写がないのにかつての巫女と紫の間の思いが感じられました。
幻想郷から外に行ったときの難しさもあまり描かれない観点だけど、真に迫ってるように思えました。
4.90名前が無い程度の能力削除
不思議な話でした。面白かったです!
5.100名前が無い程度の能力削除
こういった半ば伝聞形式で一個のストーリーの輪郭を語らせていく構成も中々に乙なものでしたね。
6.100名前が無い程度の能力削除
面白かった
7.100名前が無い程度の能力削除
電話でつながるアプローチの仕方が興味深かったです。外の世界の切なさが、しんみりと伝わってきました
8.100Actadust削除
世代を越えて語り語られる。幻想小説していて凄くいいですね。世代の移り変わりと物寂しさ、そして行間で語られる壮絶な幻想郷の世界。電話越しの二人称で語られる特徴的な書き方と世界設定がマッチしていて、素晴らしい作品でした。
9.100めそふ削除
とても良かったです。人間の一生を聴き続けるという没入感がとても好きでしたね。
10.100南条削除
面白かったです
電話を通して少しずつ明らかになっていく背景にワクワクしました