Coolier - 新生・東方創想話

スシも回れば某に当たる

2021/12/31 23:00:43
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 この日、畜生界に偉大なる歴史が刻まれた。
 なぜならスシが回りだしたからである。

 もはや聞き飽きた事とは思われるが、幻想郷に海は無い。故にごくたまに外部から海の幸が持ち込まれるのを除けば、食卓に上がる魚の九割九分が渓流や湖で捕れた淡水魚だ。
 生食には向かない川魚しか無ければ、当然刺身を酢飯の上に乗せた料理が流行るはずもない。幻想郷で寿司と言えば、それはちらし寿司なのである。
 さて、それでは畜生界だ。三途の川を越えた先、朱に染まった空の果てに存在する地獄の世界で、海鮮など普通に考えればあるはずがない。しかし、事実としてそこにスシがあったのだ。

『SUSHI・YUMA』

 剛欲同盟長・饕餮尤魔の名前を掲げたスシ屋の看板が、畜生界のメトロポリスで妖しい光を放っていた。


「饕餮の奴が裏でこそこそしてるのはいつもの事だが、まさか寿司屋を開くとはな……」
『馬鹿もここまで来れば天晴れ、ですかね……』
 頸牙組長のブラックペガサス・驪駒早鬼と、そのお供のイヌ型霊。剛欲同盟とは日頃熾烈なナワバリ争いを繰り広げ、普段は饕餮を前線に出てこない臆病者と見下している。そんな彼女もこれには驚きを隠せなかった。
「くっくっく。まずは開店祝いに来てくれて感謝するぜ、驪駒ァ……」
 開店祝いで同盟幹部から贈呈されたらしい大量の花輪を眺める驪駒にかけられた声。声質こそ幼いが老獪な雰囲気を醸し出すこれは、紛れもなく奴だ。聞くのは随分と久しぶりだが、長年争い続けた仇敵の声を忘れようはずもなかった。
「饕餮か。お前が私の前に堂々と出てくるなんて、今日は血の雨でも降るん、じゃ……」
 皮肉を言い終える前に驪駒の舌が止まった。彼女の知る饕餮とは大きく違う点を見付けてしまったからである。
「お前、分裂とか出来たんだっけ?」
「出来たら良いよなあ。そうしたらお前らを鏖にするのも楽だろうさ」
 どうやら饕餮に分身を生み出す能力は無いようだが、彼女は二人居たのである。単純馬鹿で通っている驪駒であるから本気で言ったのだろうか。今喋ったばかりの饕餮とは違うもう一人の饕餮が口元を隠して嘲笑する。
『嫌ですねえ。ホンモノを見分ける目も無い奴が組長じゃ、そこの犬もさぞや苦労してるんでしょうねえ』
『驪駒様には影武者では出せないオーラがある。お子様に代役が務まるようでは饕餮も高が知れているのですよ』
 その饕餮はまだ変声期も迎えていない少年の声だった。つまりこちらが偽者ということだが口の悪さは本物に引けを取らない。頸牙幹部のイヌ霊と冷たい火花を散らし合った。
「……はっは! 半々で助かるにしてもガキに女装させるとはな。実に饕餮らしくて安心したぞ」
「こちらもお前がおめでたい頭で嬉しいよ。私を影武者と一緒に出てくれば助かる馬鹿だと本気で思ってるんだからなぁ」
 驪駒と饕餮も部下に負けじと舌戦を交わす。この程度のやり取りは畜生界の日常茶飯事だ。上を取った者が全てを支配する、それがこの世界で絶対の掟なのである。
「……フッ。こいつの名はジン・イマナリ。私が不在だった間の代役さ。実際マヌケなお前達は違いに気付かなんだ。なんだが……まさか私の服まで着ているとは思わなかったがな」
『あ、ハイ。ボクは乗り気じゃ無かったんですけど、オオワシさんがちょっと着てみろって……その方が士気も上がるからって』
 先の石油事件で同盟長不在の期間が長かった剛欲同盟。しかし構成員は同盟長に影響されてか独立独歩の気質が強く、各々が組織、饕餮様の為にと行動していた。とは言え饕餮不在とバレては都合が悪いので、白羽の矢を立てられたのが一匹の子羊霊なのであった。本人と違ってオドオドとして大人しいので目の保養にありがたい存在だったようである。
「まあいい。重要なのはスシ屋を開くって提案をしたのがこいつって所でな。準備も早かったからこの店の責任者を任せてやったよ。お前の所と違って部下が優秀で羨ましかろう?」
「えへへ……」
 ニセ饕餮からスシ屋の店長に就任した子羊霊。本人同様に巻き癖が強めなふわふわの頭を、本物の饕餮がわしゃわしゃと撫で回した。
「こんな悪趣味な看板を出すだけならサルでも出来る。重要なのはまともな寿司が出てくるかだろう。なあ、セツ」
『ええ、全く驪駒様の仰る通りです』
 互いが相手を無視して身内同士で話を完結させたが実際に驪駒の言う通りである。料理の質に反して札束も吹き飛びそうなぼったくり価格というのはいかがわしい店でよくある事だ。むしろ畜生界ではそうでない店の方が稀だったりする。
「クク、とにかくさっさと入るんだな。もうお前以外の奴らは揃っている。積もる話はスシでも喰いながらゆっくりやろうじゃねえか」
 饕餮が首を振って促した扉を、子羊が小さい体全体を使って豪快に開ける。見栄っ張りが多い剛欲同盟らしい、大げさな鐘の音が驪駒達を出迎えた。

 店内に足を踏み入れた驪駒の目に真っ先に飛び込んだのは、これまた大げさな見た目をした客がカウンター席でスシを頬張っている光景だった。
 龍角と龍の尻尾、そして龍鱗をまとった亀の甲羅。鬼傑組の長を務める幻獣、吉弔八千慧がその一人である。そしてさらに目立つもう一人はというと、吉弔の二倍は横が広いオオカワウソの霊だ。
『旨い! 旨い……旨い!!』
 本当に味わっているのか分からない程のハイペースで、巨漢のオオカワウソがベルトコンベアー上を流れるスシを片っ端から食べ、いや丸飲みにしていると表現する方が正確か。その体ならばよく食べて当然だが、これが極道者同士の会合である事を理解しているのか疑問視する食いっぷりである。
「しばらくぶりだな、吉弔。まさかそいつを連れてとは、よっぽどここに来るのが怖かったようだな」
「私は常に最善手を打つ主義なもので。この食事代は饕餮持ちなのだから、最も損害を与えられるオオカワを選ぶに決まっているでしょう?」
 それは金銭的にも、物理的にもだ。策謀や搦手を好む吉弔の鬼傑組において、単純な武力を一人で担う男。それがオオカワウソのオオカワである。
 腕っぷしでは紛れもなく鬼傑組、いや畜生界でも最強候補に挙がるのだが、覇権だ征服だのややこしい話には一切興味が無いため吉弔の指示下で暴れる道を選んだらしい。現に挑発的な言動を取った驪駒も一切無視してまだスシを貪っている。
 だが、吉弔が一度殴れと言えば、たとえ畜生界最強を誇る驪駒でも目の色変えてぶん殴りに行くだろう。それが彼なのだ。
「つまりは店への嫌がらせか。全く吉弔らしいよ」
「ふ、褒め言葉と受け取っておきますよ」
 それだけ言うと吉弔も目の前の皿に向き直った。見た目こそ華奢な彼女だが、吉弔とは亀と龍の合の子である。つまりは雑食性でよく食べるということだ。オオカワ程ではないがワイルドな食い付き方であった。
「……ちなみに吉弔の奴な、予定より半刻も早く来やがったんだぜ。よっぽどうちのスシが喰いたかったんだな」
 驪駒の横まで来た饕餮が、鋭い歯を剥き出しにしてせせら笑った。
「ああ、道理でこいつの席だけこんなに皿が積み上がってるわけだ。どっちが剛欲なんだかわからんな」
「うるさい。お前達と話しながらではスシが不味くなるから先んじたまでです」
 吉弔はやや強めの語気で二人を睨み付けた。冷血動物の亀であるから顔が赤く染まることはないのだが、彼女は恥ずかしかったのである。

「ハロー、お馬さん。相変わらず健康だけが取り柄みたいな顔をしてるじゃない」
「……ふん、そっちから話しかけてくるとはな。その度胸は誉めてやるが、生憎とお前に喰わせてやれる物は鉛玉だけだぞ?」
 他の三人が集ったと見て、最後の一人もシート席から馴れ馴れしく手を振った。
 畜生界で鎬を削る三勢力、頸牙組・鬼傑組・剛欲同盟。そこに突如として降臨した第四勢力は、実態を持たない偶像の兵団。
「袿姫様。斬るならば、いつでも」
 黄土色の鎧を身に纏った兵士が刀剣の柄に手をかける。埴輪兵団を生み出す創造神・埴安神袿姫と、殺気立つ埴輪兵長・杖刀偶磨弓の姿がそこにあった。
「お止め、磨弓。ここは寿司屋、捌くのは魚だけで十分だわ。それに回転寿司屋でガンアクションなんて画にならない。水鉄砲にでも変えて出直してらっしゃい」
「ハハ、ここは邪神に賛同しといてやるぜ。人様の店でいきなり発砲するような馬鹿は永劫出禁だな、驪駒よお?」
「ああそうかい。入れない店に何の価値も無い。そうなったらいの一番にぶっ潰してやるさ」
「食事処で口喧嘩しかできないとは。全く、こんな連中と覇を争っているのが馬鹿馬鹿しくなりますよ」
 交差する四人の視線が十字架を描く。軽々しいのは口調だけ。四つ巴の長が全員揃った店内は息苦しくなるほどの重圧で満たされていた。

『へいらっしゃい! ご注文をドーゾ!』
 そのムードをあえてぶち壊さんと、いつの間にか寿司屋お馴染みの調理衣に着替えていた子羊霊がレーンの中から声を張る。店長としての責任感か、子羊は数名の厳つい寿司職人霊を従えて堂々と立っていた。
「……フフ、剛欲同盟は私が消えても安泰だな。今日はプレオープンで邪魔も入らん。好きなだけ食って話し合おうじゃねえか」
 饕餮は四人掛けのテーブル席があるエリアに首をくいと向けた。極道の長と神が話し合う場としてはあまりにも陳腐。だがそれ故に話し易い内容も少なからずある。オーナーがどっかりと腰を下ろしたのを皮切りに、それぞれのトップも側近を伴い着席するのであった。

 ◇

「この黒いボタンは何だ?」
「ああ、そいつは自己顕示欲を満たす為のモンだぜ。それの写真を見せびらかすと皆から構って貰えるんだとよ。ついでに手も洗える」
 驪駒の対面に居る饕餮が邪悪な笑みを浮かべた。一応、彼女の言うことに嘘はない。しかし本来の用途は混じっていない。
「灼熱地獄に比べればあまりに温い湯でしたね。これではお茶か味噌汁を入れるぐらいにしか使えないでしょう」
 饕餮、驪駒とそのお供のイヌが座るテーブル席とは通路を挟んだ隣、オオカワの横でもかろうじてパーソナルスペースを確保出来ている吉弔がゆっくりと湯呑に口を付けた。
「誰から聞いたか知らないけれど、こっちはそんな嘘で騙せるほど無知じゃないのよ。こう見えて昔はインスピレーションを求めて食べ歩きしてたんだから」
 そしてさしもの袿姫も本当に手を洗った間抜けを見たのは目の前の吉弔が初めてであった。地獄の住人だから熱さに強いのか、死者だから温感がないのか、もしくは騙されたと認めたくなくて強がっているだけかもしれない。
『……そういえば埴輪よ、新曲の円盤はまだか? 照れ屋の娘が待ち遠しそうでな』
「むむ、ファンの方ですか。私の未熟ゆえ、袿姫様が納得していただける品質になかなか仕上がらないのです。今しばらくお待ちいただきたい」
 オオカワと磨弓はコンベアー側で皿取り係になっていた。主に自分の食べたい皿を取ってもらう訳にもいかないので当然の座席である。もっとも、磨弓に食事機能は付いていないので彼女の楽しみといえば食べる袿姫の姿を眺めるくらいなのだが。

「驪駒、お前は一応野菜以外も食えたよな?」
 饕餮が備え付けのタッチパネルを突っつく。同盟長自らのもてなし、ではなく本人が操作をしたいという理由に加えて驪駒に持たせたら壊しそうだからだ。
「まあな。この姿になってからは肉も食うことにしている。部下が肉食ばっかりな手前、示しが付かんのでね」
『驪駒様の心遣い、真に痛み入ります』
 弱肉強食が世界の掟。敗者の肉を喰らうのが勝者の権利であるから強さの誇示には必要なのだ。
「そんなお前のために当店の看板メニューを振る舞ってやろう。スシ屋の高級品と言ったらトロっとしたアレと相場は決まってるよなァ?」
『ハイ! お待たせしました!』
 子羊霊が自信満々な表情でコンベアーに皿を乗せた。緑をベースにした色とりどりの具材、それが海苔と酢飯を逆にした裏巻の形に仕上げられている。誰もがマグロの大トロを予想していたであろうに、饕餮はそこからかけ離れたスシを驪駒の前に置くのだった。
「加州巻きだ。世間知らずのお前はこんなもの知らんだろう?」
「素直にカリフォルニアロールって言え。アボカドぐらい私でも分かるわ」
「何だつまらんなァ。どうして大和生まれのお前が知ってんだ」
『アボカドとはワサビ醤油を付けて食べられるほど脂肪の豊富な果実です。それを具材に使ったアボカド巻きは、生魚を食べる習慣があまり無い米国で生まれたスシですね』
「……とまあ、こっちの物知りな相棒から借りた寿司漫画で読んだんでね」
 眼鏡をくいと直しながら流暢に語るイヌ霊の顔を、驪駒が得意げに指差した。
「ふむ、だが美味い。お前の店らしく下衆だが食える味だ」
「そいつは良かった。次はハンバーグの寿司とかどうだ? お前いかにも『ハンバァァァァグ!』って叫びそうな見た目してるもんな」
「何言ってんだ虫歯菌。まあ食ってやるから持ってこい」
 饕餮がパネルを叩いて間もなく、シャリ玉に合った小さなハンバーグの寿司が運ばれてきた。肉の上には山のように盛られたマヨネーズ、そして彩りに散らされた七味唐辛子。エドマエ人が見たら卒倒しそうな代物だ。
「蛋白質と脂質が効率的に採れて良いのではないでしょうか。私はこちらもお勧めしますよ」
 テーブルにキープしていた皿を吉弔が見せびらかす。一見するとネギトロめいた軍艦巻きであるが、それよりも赤みが濃い。
『……コンビーフ』
 イヌ霊が鼻をひくつかせる。説明するまでもないがコンビーフとは塩漬けにした牛肉の総称である。しかしそれだけなら吉弔が勧める事も、彼の眉間に皺が寄る事もない。日本のコンビーフには牛以外にも混ぜられている肉があり、そして驪駒の種族と言えば。答えは明らかであった。
「饕餮、亀か竜のスシはあるか?」
「無いが、現物なら目の前にあるなァ。この場で新メニューに加えてやってもいいぜ?」
「潰れる店にメニューがあっても無駄ではないですか。ねえオオカワ」
 吉弔横の台風親父が首を真横にゆっくりと向ける。口喧嘩でマウントを取る相手には口喧嘩で返すのがマナーだ。物理的な損害を出そうというなら形振りなど構う気は無い。
「分かった分かった。まあスッポンでも確保出来たら唐揚げにして出すとするよ。さあ、今度はちゃんと魚を食わせてやる。ジン、お任せで頼むぞ」
『ヘイ!』
 そこから店長オススメのスシが何皿も流れてきたのだが、タイのような白身、サーモンのようなピンクの切り身、アジのような光物、イカのような白い何か。どれもこれも『ような』と形容するしかない微妙に違う物ばかりであった。

「……饕餮よ、案の定とは思っていたがここにはまともな魚が無いな?」
「そうだねえ。共通点なのは赤身ってところぐらいで、この魚は到底マグロではないわ」
 隣の卓から握り寿司を片手に袿姫も参戦した。これはマグロでもないしカツオでもない。太古の時代から生きている彼女でも全く記憶にない怪魚に手を止められていた。そして吉弔とオオカワは謎のスシでもお構いなしに頬張り続けている。
「よしよし、お前達が違いの分かる奴らで安心したぜ。わざわざタダ飯を喰わせてやってるんだ。ちょっと私の話を聞いてもらうが構わないよなァ?」
「ええどうぞ。こっちは勝手にいただいてますから」
「……お前、違いは分かってるか?」
 饕餮の不安は的中していた。この中で一番の馬鹿舌はまさかの鬼傑組である。腹に入ってしまえば何でも同じ合理的思考な吉弔の下、とにかく喰いたいだけのオオカワや喰えれば何でも良いカワウソ一同で固まっているのだった。

「さて、私が旧地獄の底でドンパチやってたってのは、既にお前達も知っているな?」
「勿論把握していますよ」
「私に匹敵する神格の気配まであったものねえ。気付かない方が有り得ないわ」

──ぽん、ぽん。
 何者かの手がイヌ霊の脚を叩く。
(……おい、セツ?)
(お伝えしましたよ。ですがあの時の貴方はニンジンがキマってましたので……いいですか?)
 ボソボソと十数秒間の耳打ちの後、驪駒はキリッと前を向いた。
「ああ聞いている。随分と派手にやっていたそうじゃないか」
 俗に言うアンパンやチョコのようなニュアンスだが、このニンジンは正真正銘地面に埋まっているオレンジ色の野菜である。
「ハハ、お前は相変わらず頭驪駒で嬉しいよ。それでだ、地上の奴等がクソ暑い溶岩地獄を抜けるために三途の川をぶち抜きやがったんだ。大量の水だ。そうしたらどうなる?」
「ああ、そういうワケですか」
 吉弔がタコのような吸盤が蠢く奇怪なスシをポイと口に放り込んだ。
 地の底を無限に広がる地獄。それを埋めるほどの洪水となれば、その水に住んでいたものまでが大群で流れ込むのだ。すなわち水が引いた地獄の底には、三途の川を泳ぐ古代魚がそれはもうびちびちビチビチびちびちビチビチ跳ね回っていたのである。
「何しろウチは剛欲なのでな。とりあえず組員総出で八寒地獄に隠しておいたが、有効活用するならやはりスシ屋だろうと」
「だからってねえ。何となく似てるだけの魚をツナだサーモンだ言うのは問題大アリじゃないの?」
「邪神のくせに心配性じゃないか。どうせ畜生界は馬鹿舌揃いだし言わなきゃ分かるまいよ。それにホレ、魚を使わないメニューも多いだろう?」
「既に魚が確保できなくなった時の事まで考えているわけね……」
 この時、袿姫がスプーンで突いていたのは酢飯のカレーだ。そして横では磨弓が流れる苺のケーキに手を伸ばしている。向かい側ではオオカワがラーメンをすすり、吉弔がつまむのはフライドポテトである。
「いつかはサイドメニューの方がメインになるかもしれんが、やはり客を呼び込むなら鮮魚のインパクトだな。まあ、魚とスシの理由は十分だろう。それではお待ちかねの……私の『お願い』の話になる。ご静聴願いたい」
 元々小柄に見合わない大口の饕餮が、ますます歯を剥き出しにしてにたりと笑った。極道の長の『お願い』がただのお願いで済むはずもない。一同の視線を欲しいままにした饕餮は、満たされた顔で舌を覗かせた。

「石油に手を出すな。それが私からのただ一つのお願いだ」
「ただ一つ? お前にしては随分と謙虚じゃないか」
 何だ、その程度の事か。驪駒は興の冷めた顔で湯呑に口を付けた。
「これが謙虚とは物知らずと言わざるを得ません。地上では石油を巡ってどれだけの血が流れた事か。あれは地獄を満たすに相応しい呪いの水なのですよ」
「ふむ。驪駒はどうでも良し、吉弔は反対か?」
 饕餮の淀んだ深紅の瞳がギョロギョロと二人を見比べる。
「無論。石油で得られる莫大な利益と比べれば、ここの食事代など到底釣り合う物ではない。隙を見せれば当然奪いに行きますよ」
「剄牙も鬼傑に同じくだ。欲しい物は力ずく、取られるような弱者が悪い。饕餮よ、それが畜生界のルールだろう? お前が頭を下げるほど大事な物となれば奪わずにいられるか」
「カッカッカ! 実に分かりやすくて良いぞ。やはり貴様らはそうでなくてはなあ!」
 それでこそ畜生界にのさばる悪党共だ。狂気じみた高笑いを饕餮が上げた。
「私の信仰に石油なんて物質主義は必要ないわ。埴輪の材料にもならないし。あんた達だけで仲良く喧嘩してなさい」
 偶像崇拝を糧としている袿姫にとって、民が富んでは困るのだ。何もないから無いものに縋りたくなる。満たされている人間は神など必要としない。もっとも、金にものを言わせて偶像(フィギュア)を買い漁るような者も少なからず居るのだが。
「……フフ。貴様らしいな、邪神。だがこっちの阿呆共と争うのは飽き飽きでね。だからこいつらに奪われるくらいなら私はお前の所に全てを捧げると決めているのだよ」
「何と?」
 余裕の表情だった袿姫の眉がぴくりと動いた。流石に『全てを捧げる』だけでは意図が掴めない。
「いやなに、単純な話さ。貯蓄してある膨大な石油は全部霊長園にくれてやる。まさに溢れるぐらいあるから到底収まりきらんだろうがな」
「……それで?」
「それだけさ。まあ、せいぜい不審火には気を付けるのだな。鎮火に何日かかるか分からんからなあ?」
「ふざけるな! 完全なる嫌がらせでは……!」
「落ち着きなさい、磨弓。口だけなら何とでも言えるわ。こいつがそこまでするとは思えない」
 憤慨して席を立つ磨弓の肩に、袿姫の静かだが力の籠る手が置かれる。
 饕餮の評判は常に地の底だ。臆病で前線に出てこない、プライドだけは高い卑怯者。それが無関係を貫こうとする袿姫の前で堂々と強引な脅迫に出てきては、認識を改めざるを得なかった。石油の支配権を求めて醜く争え、さもなければ焼き殺す。饕餮はそう言っているのだから。
「……霊長園は我々の共通資産です。言うまでもありませんが」
「その通りだ。それを焦土にすると?」
 現在埴安神が支配する霊長園の元々は、畜生達が大事な資源である人間奴隷を管理する為の施設であった。偶像陣営のみならず畜生界全体の最重要区画なのだ。
 石油に手を出すならそれを灰塵に帰すと宣言した饕餮は間違いなく正気ではない。だがこいつはやる。眼がそう訴えている。
「だから『お願い』と言っただろう? 私はこのたった一つのお願いが叶えばそれだけで満足するんだ……なァ?」
 饕餮の眼には炎が灯っていた。どす黒くめらめらと煙の上る、まさに石油を燃やしたような怨念漂う炎が。

「……はぁ」
 吉弔は座席にどっかりと背中を預けた。
「オオカワ、このメニューの端から端まで全部食べ尽くしなさい」
『お嬢、いくら俺でも今の腹でそれは無理だ』
「無理というのは嘘付きの言葉なんですよ。お前はウソ付きではないから出来ます」
 オオカワの返事など聞く耳持たずで画面のメニューを一つ一つ押していく。子羊霊はいきなりの大量注文に慌ただしく皿を並べだした。
「饕餮、お前らしく下品ですが悪くない店でした。優待食事券などはありますか? 出来れば一年分くらい」
「クカカ、無いわそんな物。だが……お願いを聞いてくれるのならば、私の特権で発行してやっても良い。まったく、どっちが剛欲なのだか」
「良いでしょう、交渉成立です」
「ただし、貴様だけだぞ。そっちのデカブツには絶対やらんからな!」
 吉弔は満足気に笑みを浮かべた。この時点で饕餮側の出費は甚大なことだろう。しかし石油の利益と比べてしまえば蚊に刺されたようなものだ。
「ふん、話は単純だ。先にお前のチンケな同盟を潰してしまえばいい。それでお前の物は私の物」
「よろしい。お前のそういうところだけは分かりやすくて好きだぜ。じゃあそういう事でな」
「いや……待て」
 驪駒は横の席をチラリと見た。山積みの皿、イクラっぽい軍艦巻きを頬張る吉弔、クリームプリンを黙々と吸い込むオオカワの姿。同じにはなりたくない、しかしあいつだけも癪に障るのだ。
「饕餮……優待券、私にも寄越せ」
「驪駒、敬語」
「くれ……ちょうだい? いや、ください?」
「そこはお願いしますと言えんのか。まあ、無様で面白かったから特別扱いしてやるわ。感謝せぇよ?」
 驪駒は対照的に両手でゆっくりと、顔を隠すようにお茶を飲み込んだ。屈辱、と言うよりか慣れない事をよりによって饕餮相手に言ったもんだから、崩壊しそうなアイデンティティを支えるのに必死だったのである。
「ちなみに私は結構よ。寿司なら河童のお寿司屋さんに行くからね」
「なァんだ、そこまで馬鹿じゃなくて残念だぜ。つまらん奴だ」
 暢気にスシをつまんでいて忘れていたが、袿姫は畜生達が地上の人間を巻き込んでまで引きずり出さないと手も足も出ない敵なのだ。敵地に単独でのこのこ寿司を食べに来るなど有り得ない。
「そういえばお前、よくもまあこんな所に地上と同じ寿司屋を開けたわね。電力は石油だとしてもコンベアーにタッチパネルに……シャリ玉はロボットじゃないけど」
「ああ、シャリはニンゲンに握らせた方が機械より安上がりなんでな。アイツらだって死んでもスシが握れて本望だろうさ」
「そこのお爺さん、ハンバーグを出す店の顔には見えないけどねえ……」
 しかし霊魂とはいえ老体に鞭打って奴隷労働をさせられるよりかは断然マシな扱いである。どちらにしても給料など出ないのだが。
「それで、この機械はどこから? こんなテクノロジーを用意できるのは看過できないわよ」
「おおっと、それは企業秘密だ。と言いたい所だが、貴様だって工場が無い事くらい分かってるだろう。作り得るとしたら他でもない霊長園のサル共なのだからなァ」
「その通りね。だけど偶像支配に都合が悪いから過ぎた技術は作らせていないの。だから地上にも行かずにどうやって……」

──私だ。

 その声は饕餮から発せられた。なのにその声は饕餮ではなかった。現に饕餮の大口は薄ら笑いを浮かべたままでぴくりとも動いていない。代わりに動いたのは眉である。笑ったまま、眉毛だけで不快感を表していた。
「このスシ屋は私の協力有ってこそだ。その事はきっちりアピールして貰わなければな」
 気付いた時には声の主が饕餮真後ろのシート席に鎮座していた。影もなく、音もなく、されど気配だけは過剰に振り撒いて。
「あら、オッキーじゃない。そっか、あんたが絡んでたってわけねえ……納得だわ」
「けーちゃん、ご無沙汰。相変わらずむっちり良い埴輪を作っているね」
「……むっちりじゃないもん」
 袿姫の口がへの字に折れ曲がる。言われてみると確かに、下半身とかちょっと太いかもしれない。一同の目が磨弓の腰回りに集まった。
「これは装甲で着ぶくれしているだけですから!」
 本人がムキになって主張するのでそういう事にして、改めて突然の乱入者へ視線が集中する。しかしながら初対面の驪駒と吉弔にも、袿姫との馴れ馴れしい会話によってその正体は概ね察しが付いた。こいつも間違いなく邪神だ。この鼻に付く感じは間違いない。
「摩多羅隠岐奈……だったか? この者は我が石油の共同管理者にして、スシ屋への設備投資にもご協力いただいたのだ。そこはまあ、感謝している」
「そして幻想郷を管理する秘神でもある、と。まずそこから紹介して欲しかったな」
 神という存在そのものがここでは完全なるアウェーなのだが、隠岐奈は傲慢な態度を崩さぬまま横に座った椅子から顔を覗かせた。
「共同管理と言いましたか。饕餮にしては随分と物分かりが良くなったもので」
「……仕方ないだろう。こちらが勝っても何度も何度も挑み直してくるんだぜ。いくら私でも満腹だわ」
「ああ、しつこかった。地上の奴らは確かにしつこかった」
 先んじて巫女に殴られた経験のある畜生界の面々はうんうんと首を縦に振った。
 結局のところ、饕餮が独占できたはずの石油は摩多羅隠岐奈の自作自演による異変で崩されたのだ。実際に殴り合った相手は強敵(とも)と呼んでもいいが、ラジコンにした小娘の後ろで座っていただけの奴を良く思っていないのは当然である。
「それにしても、プレオープンならばまず私を招くのが道理ではないのか? 誰がこのごちゃごちゃした機械を持ってきてやったと思っている」
「お生憎だが畜生界には畜生界の理があるのだ。神に奉げられる食物など、ここにあるのは下賤過ぎてとてもとても」
「下賤、下品、上等だ。そういう食事の方が美味いのよ。何でもいいから私を唸らせる程の一皿を持ってきなさい。さすれば摩多羅神がこの店を生涯護り続けよう」
 そこまで言うと隠岐奈は椅子に深く座り直して足を組んだ。腹は立つが、持て成さないわけにもいかない相手である。曲がりなりにも神なのだから様々な美食も食べ尽しているだろう。それを唸らせる一皿、饕餮は口を閉じてしばし考え込んだ。
『饕餮様、少しお話したい事が……』
 そこにである。子羊霊が相談したいと店の奥へ饕餮を呼び寄せたのだ。

『……あのう、吉弔が馬鹿みたいに頼んだせいで品切れです』
「むむぅ、あの馬鹿舌ガメゴンめ。何でもいいから美味い物は残ってないのか?」
『何でもいいというなら、実はあるんです。とても美味しいけど、ワケアリでメニューに載せてないネタが。というのも……』
 子羊霊はその『ワケ』をヒソヒソと饕餮に告げた。すると、その理由が明らかになるにつれて口角がドンドンと上がっていく。全てを知った饕餮は、とても愉快な顔で子羊の頭をもふもふと掻き回した。
「カッカッカ! お前は本当に優秀な部下だよ。全ての面倒は私が受け持ってやる。あの秘神を唸らせてやれ!」
『ハイ、饕餮様!』
 嗚呼、誰が何と言おうとも饕餮様こそが畜生界を統べる者だ。子羊霊はきらきらと希望に満ちた表情で饕餮への忠誠を新たにするのだった。

『ヘイ、お持ちしました!』
 隠岐奈の前に一皿が置かれた。それは、一見するとタイのようにピンクがかった白身の握り寿司だ。しかし光が当たるとてらてら輝く身肉は、明らかにタイよりも脂が乗っている。霜降り肉という言葉があるが、この魚は霜そのものと言ってもいい。
「ふむ、初めて見る魚だな。これはいったい何だ?」
「名前は分からんが、スタッフだけで食っている魚だ。あまりに美味すぎて客に出すのは勿体無いとな」
「それは面白い。早速いただくとしよう」
 小皿の醤油に白身をちょんちょんと浸す。脂の輪っかが表面にぱっと広がる様は、これが紛れもなく極上のネタだと物語っていた。
「……美味い!」
 ネタと、隠岐奈の顔。内と外が一度に蕩けた。皿には二貫が乗っていたのだが、隠岐奈は感想も言わずに残りの一貫を放り込んで両目を閉じた。
「刹那の体験だった……おかわりは出来るだろうか?」
「ククク、スタッフの数少ない楽しみなのでそれは困るなあ。そんなに食いたいか?」
「ああ、頼む。この店の事は今後私が保証してやるから追加してくれ」
「クク、仕方がない。ジン、追加注文だ!」
『ヘイ!』
 脂身の寿司が次々とテーブルに流れてくる。いらないなら通常通りスタッフが美味しくいただくから無理しなくていいと饕餮は言ったが、隠岐奈は十皿二十貫を残すことなく完食し、恍惚の表情で天井を眺めるのだった。
「……饕餮、私達の分は無いのですか?」
 吉弔がそわそわした顔で米粒一つ残っていない隠岐奈の皿を見ていた。
「お前達はさんざん食っただろうが。どうしても食いたいなら、次回もぜひご来店くださいだ!」
「くっ、卑怯者の饕餮め……」
 メニューは品切れ、秘神が唸るほどの極上の皿を出し、石油に関しての不可侵協定も結べた。スシ代の出費こそ痛かったものの、概ね饕餮の目論見通りに事は運び、此度の会談は大成果だったと言えるだろう。
 食欲を大いに満たした組長達は饕餮から受け取った優待券を大事そうにしまい込み、悪趣味なネオン街を後にするのだった。

 ◇

 さて、その翌日だ。
「くぅぅ、う……おぉぉおおおおおお……」
 隠岐奈は再び唸り声を上げていた。ただし、それは狭い個室の中でである。
「お師匠様~、早く済ませてくださいよー」
 秘神の弟子、二童子の丁礼田舞が隠岐奈の籠るドアをコンコンとノックする。
「と、扉は他にいくらでもあるだろうが! 別の所を使え!」
「えー! 僕のお尻はもうお水がピューって出るのがないとすっきりしないんです!」
「私もお尻が冷たいのにはもう耐えられません……温かいのがいいんです」
「こ、この贅沢者めが……数百年前まで地面に穴掘って埋めていた分際で……」
 もう一人の弟子、爾子田里乃も舞の横で隠岐奈を急かしていた。待てども待てども出てこない。本来ならとっくに決壊しているほど時間が経っているのだが、実は二人とも別の場所で済ませたうえでドアを叩いている。つまるところ、面白いからやっているのだ。
 いったい隠岐奈の体に何があったのだろうか。ここで一旦前日に時を戻し、ある二人の会話を聞いてみたいと思う。

「……袿姫様、摩多羅神が食べていた魚は結局何だったのでしょうか?」
「ああアレ? バラムツよ。もしくはバラムツに近い何かでしょうね」
「ほう、いったいそれはどのような魚なのですか?」
「んー……見た通りとっても脂が乗ってて美味しい魚なんだけどねえ。その脂にちょっと問題があって……お食事中に言う話じゃないのよね」
「ああ、お腹が下るとかそういう魚なのですね……では止めるべきだったのでは?」
「だってあいつ、磨弓を侮辱したでしょう? ちょっとは痛い目見た方がいいのよ。ふふ……」

 バラムツは通称白マグロと呼ばれるほど脂の多い魚だが、問題はその脂がワックスエステルと呼ばれるものである点だ。
 物凄く簡単に言ってしまうと、人体では消化吸収できずに脂が上から下へ素通りしてしまうのである。日本では販売が禁止されているほどの魚なのだが、生憎とここは畜生界だった。
(参考文献:東方バラムツ合同)

「はっハハハハ……! この私をここまで唸らせるとはなあ……!」
 強がっているが今の隠岐奈に神の威厳は皆無であった。
 何しろ生食だったら二、三切れぐらいが限度とされているバラムツの刺身を二十枚平らげてしまったのである。彼女のダムは放水されっぱなしだ。尊厳を取り戻すまでの間、秘神はしばらく秘せられたままとなるだろう。

「人に爆発するリンゴなんか食わせやがった仕返しだ。クカーッカッカッカ……!」
 畜生界に饕餮の高笑いが響き渡る。
 その後、組長達が夢中になり、秘神も唸るほど美味の店という前評判を掲げ、饕餮のスシ屋は大行列のグランドオープンを迎えたのであった。
良いお年を。
石転
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
2.100名前が無い程度の能力削除
悶着だらけの寿司屋会合、面白かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。ギャグ調で始まったかと思えば心理戦になって最後にオチがついて、笑わせていただきました。
4.100サク_ウマ削除
イマジナリー饕餮にオオカワにスシパンクに、相変わらずのネタ満載で大満足の仕上がりでした(激ウマギャグ)
オチも「品切れです」のタイミングでほぼ予想できたものの、期待通りのものがお出しされて大変笑顔になりました。おっきーなお前は一回痛い目見て♡
最高でした。良かったです。
5.100名前が無い程度の能力削除
素晴らしい作品だと思いました
6.100植物図鑑削除
笑いました。ほんと、笑いました。傍から見れば随分と間の抜けた空間なのですが、バチバチと火花が散っていて、当人たちの真剣さが伝わってきました。この絶妙な空気感、そしてオチも含めて最高でした。
7.100名前が無い程度の能力削除
色々な要素が盛り沢山だったのに文章が凄く読みやすく、楽しいお話でした!
8.100名前が無い程度の能力削除
これこれ。こういうのでいいんだよ!100点!
10.100名前が無い程度の能力削除
ぶはは
11.100南条削除
面白かったです
キャラにそれぞれの個性と思惑があって読んでいて楽しかったです
NO SUSHI NO LIFE
12.100夏後冬前削除
バラムツで決壊する隠岐奈さまクッソ無様で素敵です。焼いても絶品らしいですよ。もっと食べて???