「手を離しなさい」
「やだ」
「缶から手を離しなさい」
「いやだ!!!!!」
メリーがその缶を手放さなくなってから一週間が経った。
両手で包めるくらいの大きさの銀色の缶。磨かれた表面の金属光沢が目に煩い。
「これが私を幸せにしてくれるの!」
はぁ、とため息が漏れる。
「何度言ったら分かるの? これは只の缶なの」
「違う!」
「貴方は騙されたのよ」
「そんなこと言わないで、私にとって一番大切なものなの!」
メリーはぎゅうと缶を懐に抱きしめた。
「ずっと一緒に居るの。絶対……」
もう何度目だろう、このやり取り。私もそろそろ限界だ。メリーを説得することへの疲れもそうだが、それ以上に、この缶を彼女に売りつけた野郎共に対する怒りが溜まりに溜まっていた。
……何て商売をしてやがる。多少利口に育っただけで、その頭を人を騙すことに使いやがって。似非科学は全ての学問に対する冒涜だ。少ない研究費で基礎研究をしていた頃の自分がバカらしく思えてくる。科学者が積み上げてきた科学への信頼を下らないことに消費する奴らのことは絶対に許さない。
「ここから特別な電波が出ててね、それで私の心の健康を、身体の健康を守ってくれるの、周りにある悪い空気を吸い取ってね、綺麗な空間を保ってくれるの。それでね、それでね……」
売りつけられた時に教え込まれたのであろう、缶の売り文句を延々と述べるメリー。
「で、いくらしたの?」
「……三千万円……」
こんなこと言いたくなかったけど。
「貴方がそこまで馬鹿だと思わなかった」
熱弁していたメリーの表情から必死さがスッと消えた。
「どうしてそんなこと言うの?」
「私は失望しているのよ」
「どうして……」
「人に言われたことをそのまま信じて疑わない人間に秘封倶楽部の資格はない」
言ってはいけないことを言ったと思う。でも言わなくちゃいけないことだった。
見上げれば、メリーの青い目に涙が浮かんでいる。ぱたり、ぱたりと涙が零れてくる。嗚咽を抑えながら、メリーは懇願するような声で語りかけて来た。
「でもね蓮子、これだけは分かって……?」
瞼に涙を湛えながら。
「話しかけてる間は安心してられるの。それは本当だよ……」
返す言葉は無かった。それだけはセールスマンからの受け売りではない、メリーの心の底から出てきた本当の言葉だった。私にはただ言葉を受け取ることしかできなかった。言葉が出なかった私は……行動に出ることにした。
これが最期の手段だ。
――こんな缶は、私が壊してしまおう。
「自壊プログラムの実行を要求」
「え?」
戸惑うメリーを余所に、缶が機械音声を発し始める。
〝パスワードを入力してください〟
「バルス」
〝自壊プログラム作動、カウントダウン、30秒前〟
「何をしたの? 蓮子」
メリーが抱きしめる缶から、ぼこぼこと音が鳴り始めた。
〝20、19、18……〟
缶が湯気を発し始める。
「ねぇ蓮子やめて!」
〝12、11、10、9……〟
赤熱する缶。肉が焼けたような臭いが立ち込める。
「これ止めてよ! ……ッ!?」
熱さのあまりメリーが缶から手を離す。
〝5、4、3、2、1……〟
――これで終わりにしましょう、メリー
バコッ。缶が膨らんで、蓋の隙間から赤い液体が噴き出した。
「嫌ぁ!!! 零れちゃう!!!」
メリーは隙間を塞ごうとした。だが熱さで手が引っ込んでしまう。そのまま中身が溢れ出す様子を、彼女は何もできずに眺めていた。手をわなわなと震わせて、咽びながら。
やがて噴出が収まると、部屋に静寂が訪れた。目の前で起きた事実を受け入れられず、メリーは両手で顔を覆った。そして、口を抑え込むようにして声を上げた。
「うわぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!!!」
部屋に響き渡る叫び。
しかしその叫びを聞く者は居ない。
彼女を宥める者も居ない。
「どうして、蓮子?」
染み渡る静寂。
「……蓮子?」
依然として静寂。
「ねぇ蓮子!」
「返事してよ蓮子!!」
「どこに居るの? 蓮子!!?」
内側から弾けてめくれ上がった缶の蓋。その裏側には一行の文字列が印字されていた。
〝私はここには居ない 前を向いて歩きなさい〟
「やだ」
「缶から手を離しなさい」
「いやだ!!!!!」
メリーがその缶を手放さなくなってから一週間が経った。
両手で包めるくらいの大きさの銀色の缶。磨かれた表面の金属光沢が目に煩い。
「これが私を幸せにしてくれるの!」
はぁ、とため息が漏れる。
「何度言ったら分かるの? これは只の缶なの」
「違う!」
「貴方は騙されたのよ」
「そんなこと言わないで、私にとって一番大切なものなの!」
メリーはぎゅうと缶を懐に抱きしめた。
「ずっと一緒に居るの。絶対……」
もう何度目だろう、このやり取り。私もそろそろ限界だ。メリーを説得することへの疲れもそうだが、それ以上に、この缶を彼女に売りつけた野郎共に対する怒りが溜まりに溜まっていた。
……何て商売をしてやがる。多少利口に育っただけで、その頭を人を騙すことに使いやがって。似非科学は全ての学問に対する冒涜だ。少ない研究費で基礎研究をしていた頃の自分がバカらしく思えてくる。科学者が積み上げてきた科学への信頼を下らないことに消費する奴らのことは絶対に許さない。
「ここから特別な電波が出ててね、それで私の心の健康を、身体の健康を守ってくれるの、周りにある悪い空気を吸い取ってね、綺麗な空間を保ってくれるの。それでね、それでね……」
売りつけられた時に教え込まれたのであろう、缶の売り文句を延々と述べるメリー。
「で、いくらしたの?」
「……三千万円……」
こんなこと言いたくなかったけど。
「貴方がそこまで馬鹿だと思わなかった」
熱弁していたメリーの表情から必死さがスッと消えた。
「どうしてそんなこと言うの?」
「私は失望しているのよ」
「どうして……」
「人に言われたことをそのまま信じて疑わない人間に秘封倶楽部の資格はない」
言ってはいけないことを言ったと思う。でも言わなくちゃいけないことだった。
見上げれば、メリーの青い目に涙が浮かんでいる。ぱたり、ぱたりと涙が零れてくる。嗚咽を抑えながら、メリーは懇願するような声で語りかけて来た。
「でもね蓮子、これだけは分かって……?」
瞼に涙を湛えながら。
「話しかけてる間は安心してられるの。それは本当だよ……」
返す言葉は無かった。それだけはセールスマンからの受け売りではない、メリーの心の底から出てきた本当の言葉だった。私にはただ言葉を受け取ることしかできなかった。言葉が出なかった私は……行動に出ることにした。
これが最期の手段だ。
――こんな缶は、私が壊してしまおう。
「自壊プログラムの実行を要求」
「え?」
戸惑うメリーを余所に、缶が機械音声を発し始める。
〝パスワードを入力してください〟
「バルス」
〝自壊プログラム作動、カウントダウン、30秒前〟
「何をしたの? 蓮子」
メリーが抱きしめる缶から、ぼこぼこと音が鳴り始めた。
〝20、19、18……〟
缶が湯気を発し始める。
「ねぇ蓮子やめて!」
〝12、11、10、9……〟
赤熱する缶。肉が焼けたような臭いが立ち込める。
「これ止めてよ! ……ッ!?」
熱さのあまりメリーが缶から手を離す。
〝5、4、3、2、1……〟
――これで終わりにしましょう、メリー
バコッ。缶が膨らんで、蓋の隙間から赤い液体が噴き出した。
「嫌ぁ!!! 零れちゃう!!!」
メリーは隙間を塞ごうとした。だが熱さで手が引っ込んでしまう。そのまま中身が溢れ出す様子を、彼女は何もできずに眺めていた。手をわなわなと震わせて、咽びながら。
やがて噴出が収まると、部屋に静寂が訪れた。目の前で起きた事実を受け入れられず、メリーは両手で顔を覆った。そして、口を抑え込むようにして声を上げた。
「うわぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!!!」
部屋に響き渡る叫び。
しかしその叫びを聞く者は居ない。
彼女を宥める者も居ない。
「どうして、蓮子?」
染み渡る静寂。
「……蓮子?」
依然として静寂。
「ねぇ蓮子!」
「返事してよ蓮子!!」
「どこに居るの? 蓮子!!?」
内側から弾けてめくれ上がった缶の蓋。その裏側には一行の文字列が印字されていた。
〝私はここには居ない 前を向いて歩きなさい〟
あらかじめ失われた繋がりを求めてしまう心理も、それをあえて断ち切ろうとする決断も、この二人らしく感じます。
してやられました
ズルいぞ
ご馳走様でした。面白かったです。