Coolier - 新生・東方創想話

ウィルのために

2021/12/31 00:16:46
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天使が降ってきた。
わたしの住んでいる丘の上の小さな家に。
町から戻る夕暮れの帰り道、それを見た。
赤い空の向こうに、きらきら光るものがあった。
一番星?
そんなふうに思ったときには、それはもうずいぶん近いところまでやってきていて、銀色だった。
ぎらぎらと照りつく夏の太陽みたいな大きな丸い銀色だった。
とても大きいなあ、星にしては小さいなあ、そんなことをぼーっと思っていると、気がつけばその銀色の物体はわたしの家の屋根を突き破り、建物を粉々にした。
急いで丘を登れば、すべてが散り散りだった。
家の柱はすべてぼきりと折れて、壁や屋根といったものは原型を留めていなかった。わたしのお気に入りのパジャマの断片が風に乗ってひらひらと飛んだ。
空から降ってきた銀色の塊のほうもぐにゃりとひしゃげていた。ちょうどわたしの家くらいの大きな金属製の塊だ。よく見ると金属の板のようなものを何枚か繋ぎ合わせてできているようだった。その証拠にそのうちの数枚が剥がれて、そこから中身が見えた。中には知らない機械、ひび割れたモニター。血管のようなコードを踏み分けて、その中心を覗いてみると、天使があった。
天使の死骸が落ちていた。
銀色の鉄板の破片が天使の身体を突き刺して、開かれたその部分から綿毛のようなものが舞っていた。なんとなくそれに触れてみると、手にクリーム色の液体がついた。
ご利益とかあるのかな、とか馬鹿なことを思って、無意識にそれを舐めると、別に甘かったりはしなかった。味がなかった。
すこしあとで、どこか、わたしに近い場所で、ぱちん、と鳴った。
待ってみてもそれ以上は何もなかった。
すべてがそれきりだった。
草むらの上で寝るのはやだなあ、と、わたしは思った。





舞台が跳ねると、寂しい。
川の流れのように、ひとびとが消えていった。
気がつけば、わたしはひとりで広場に座っていた。
天使だった。
こころちゃんは
その舞台の中で。
そういう舞だったのだ。会話劇によって物語が演じられる舞台に、能楽の要素が加わった新しい舞台。そんな触れ込みだった。その舞台の中で、何度か天使に扮したこころちゃんが現れて、能楽を踊るシーンがある。見に来てとこころちゃんが言ったから、わたしは行ったのだ。
おもしろい舞台だったのかな、舞台のことはわたしにはわからないけど、天使に扮したこころちゃんはおもしろかった。うけた。小さな羽を生やして輪っかを頭に乗せたこころちゃんは赤ちゃん用品のパッケージにぴったりの天使だった。だいたいピンク色の髪をした天使って。あとで会ったときに馬鹿してやろうと思って、わたしはこころちゃんの格好を頭の中で何度も思い返した。
そしたら、いつのまにか、誰もいなくなってた。
ずいぶんと長い間ここにひとりで座ってたようだった。
そろそろ帰ろうかなと思って、ふと人のいない舞台に目をやると、無意識にこんな言葉が口をついて出た。

「ほんとだ、天使……。わたし、あの子が好きかも」

そんなことを言うのは、もちろん、わたしじゃない。
実のところ、こころちゃんの舞台を見てからというもの、わたしの心の中に変なやつが住み着いていた。
わたしはそいつにフィリッピーウィルって名前をつけた。
昔、一緒に住んでた猫の名前。





明くる日、わたしは、竹林の先生に会うために道を歩いていた。
月に一度、会う約束があったのだ。
今日が二回目で、この前はべつにおもしろくもなかったから、行かなくてもいいかなと思っていたんだけれど、気が変わった。ある日わたしの中に現れたわたしじゃないわたし――フィリッピーウィルについて、先生ならなにかわかるんじゃないかと思ったのだ。

「つまり、ウィルは侵略しにきた宇宙人なんだよ」
「地球を侵略しに来た宇宙人? わたしはほんとにそんなことを信じてるのかなー?」
「でも、つじつまはあうんだよ。空からお家に降ってきたあの天使。あれが現れてからだ。こんなんになっちゃったのって」
「でも、こころちゃんのせい、って考えることもできる。わたしはこころちゃんのことが好きになっちゃって、それを認められないから、自分の中の別の誰かのせいにしてるんだ」
「わたしはこころちゃんのことが好きなの?」
「そうなのかも」
「まさか」
「とにかくわたしはウィルのことをどうするつもりなのかなあ?」
「それはこれから考よう……」

病院につくと診察室でわたしは頭の中に電飾を繋いで先生の質問に答える。
先生は絵を見せてくれる。あまり上手とは言えない抽象画のような絵。
それが何に見えるか、それについてどう思ったのか、わたしは答えるのだ。

「首を吊ってる人に見えます。嬉しそう」
「ソーセージのおばけ」
「手を繋いだ、女の子と……二足歩行の鹿?」
「大きく空いた口です。歯が黒いから虫歯で歯医者はいやだなあと思う」
「天使! まるでこころちゃんだね。…いや、そうでもないよ、こころちゃんに見えるっていうのは嘘です」
「誰も住んでいない家」
「彗星の尻尾に住んでる猫たちのまつげ」

わたしはだんだんと飽きてくる。
それらの絵は見ようと思えば何にだって見える気がするし、単にじっと座ってばかりで退屈だった。

「ねえ、せんせー、こーゆー絵ってどっから集めてくるの? え、もしかして、先生が描いてるのかな? だったら、やばいなあ、とか。だって、なんかグロいやつ多くないですか? やっぱ激務で溜まってるんです? ふらすとれーしょん……。あれ、あの、手術のとき、患者のお腹開いたら急にその中身をぐちゃぐちゃにしたくなったりするのかな……うぇえええ。怖くなっちゃったな……」

もう終わりにしましょう、と先生は言った。
先生は残りの絵をしまって、わたしの頭に張り付いた電飾をぷちぷちと剥がした。
絵がどんなふうに見えるか、というのは、あんまり意味のないことなのよ、と先生は言う。重要なのはその絵を見て考えるときに脳のどんな部分が働いているか、ってことね。それをわたしの頭についていたあのぴりぴりと痺れる電飾で見ているということらしい。
わたしの脳みその”地図”を先生は光る白い板の上に貼り付けて見せてくれた。

「ここが前頭葉。簡単に言えば思考を司る脳みその部分ね。貴方の場合…ほら、見て、ぜんぜん線がないでしょ、ほとんど動いてないの」
「わたしって死んでるの?」
「でも一方でこの無意識を司る部分は人よりも活発に動いてる。それに…不思議なことに、この線の走り方のパターンは一般に前頭葉に見られるパターンね。興味深いわ」
「つまり、どういうことなんですか?」
「つまり、また次の月もここに来ること。もっとデータを取りたいから」
「うへえ」

あら、バイト代なら出してもいいわよ、と先生は笑った。
こっちから文句言わなきゃバイト代もらえないってブラックですね、とわたしが言うと、先生は今度は笑わずに、そうねと言った。

「バイト代はいらないから、知りたいことがあるんです」
「あら、なにかしら?」
「宇宙人について教えてほしいんです。たとえば、人の頭に入りこんでしまうような小さな宇宙人っていますか?」
「それはわたしの専門外だけど、月から持ってきた本があったと思うわ。ちょっと待ってて」

そう言って先生は兎の助手を呼んで、本を持ってこさせた。
『小さな隣人』というタイトルの分厚い本だった

「ここには月のウイルスや微生物についてがまとめてあるの。最後の方には外の宇宙で発見された生命体についても書いてあるわ。生命体って言ってもそれだってウイルスみたいなものよ。宇宙人、なんてものにはわたしもお目にかかったことはないからね」

貴方たち地球の生き物は除いて、という意味だけど、と先生は言った。

「でも、どうしてそんなものに興味を持ったのかしら?」
「最近、本を書こうと思ってるんです。宇宙人についてのお話です。なんか参考になればって思って」

わたしは嘘をついた。
あらどんなお話なのかしら、と先生が興味もなさそうに聞くから、興味もないなら聞かなきゃいいのに、と思いながらわたしは嘘をでっちあげた。

「小さな女の子が誕生日に宇宙船をもらって宇宙を旅するんです。で、旅の途中に小さな宇宙人が頭の中に取り憑いて、仲良くなる。でもその宇宙人は人間に寄生して広がって人間を滅ぼしてしまう宇宙人だった、ということがわかるんです。ふたりは仲良くなったのに、地球に戻ったら、彼は広がって地球を滅ぼしてしまう。なによりこのままだと友だちの彼女を殺してしまう、ふたりはどうするか考えるんです」
「それで最後はどうなるの?」
「地球に戻る前にふたりで一緒に死ぬんだよ」

それは冴えたやり方ね、と先生は興味もなさそうに言った。





コーティーはコーティーを見つけて、コーティーと名付けた。
コーティーは十六歳。
月の天才少女だった。
コーティーの仕事は宇宙生命体を調べること。飛ばした無人衛星が持ち帰った遠い惑星のかけらにひっついた小さな小さなウイルスを見つけて、それに自分の名前をつけた。その小さなウイルス――つまりコーティは、意識も感情も持たない単なるウイルスに過ぎなかったけれど、たったひとつの機能があった。彼らは知的生命体の脳みそに寄生してそれを繋ぎ直し、そうすることで、宿主の思考を自分たちの繁殖に都合のよいものに変えることができたのだ。つまりは、生物を脳みそごと乗っ取るっていうわけ。彼らに寄生されるとその生物は人恋しくなる。誰彼構わず一緒に寝たくなるのだ。彼らは粘膜接触によって人から人へと拡大していく。
ウィルはコーティーにぴったりだった。

「つまり、ウィルはわたしを乗っ取ってしまってわたしになってしまおうとしてるわけだね」
「まったくひどい話だよ」
「でも、考えようによってはそれも悪くないかもしれないよ。”わたし”なんかいなくなっちゃったってそんなの」
「どうしてわたしはそんなふうに思うんだろう」
「まあ、それはそもそもほんとにウィルがコーティーだったらの話だけど……」
「でも、そうだったら、大変だ」
「……ほんとに大変かな? よくわかんないや」
「古明地こいしちゃんはどうするんだろう?」
「あーあ。わたし、わたしのことさえなんもわかんないね」
「ま、いいや。こころちゃんの舞台を見に行こう」

それでわたしはこころちゃんの舞台を見に行った。
舞台で、こころちゃんが踊ってる。
まるで天使。
それはそうだね。だって天使の格好してるんだもん。
でも、こころちゃんは、あらゆる意味で、天使だった。
こころちゃんをじっと見ていたら、目があったから、小さく手を振ってみた。
こころちゃんは無視をした。
舞台が終わって、また、ひとりでいつまでもそこに座っていると、舞台の上からこころちゃんが現れた。天使の格好のまま、ぴょん、と舞台を飛び立つ。わたしの前で、嬉しい、のお面がくるくると回っていた。

「こいし、見に来てくれたのか!」
「まあね。すっごく暇だったから」
「そおかそおか。どうだった?」
「よかった! こころちゃんは天使なんだもん。ずっと見てたな」
「そうだろう。たくさん練習したんだ」
「でも、ずっと見てたのは、おもしろかったからだよ。うけたの。似合わない天使のコスプレしちゃってさあ、それ、ウケ狙いでしょ?」
「お前、お前! 人の衣装をなぁ!」
「ちがうよ、ほんとに天使だったんだ。すっごく見とれちゃうなそれ。わたし、ずっとこころちゃんに会いたかったんだ」
「え、え、そう? てか、どっちだよお前」
「そりゃ会いたいよ、こんなおもしろいこころちゃん。見逃せないもん」
「お前、やっぱりな! さいてー!」
「わたし、こころちゃんのことをずっと探してたんだと思う。なんだか暗い宇宙を彷徨ってたような気分なんだ、ひとりで寂しくて……でももうこころちゃんがいるから寂しくないよ」
「どうしたのお前! 冗談? ツンデレみたいなやつ? わたし、感情追いつかないんだけど!」
「わたし、こころちゃんを見てると安心する。こころちゃんのそばにずっといたいよ」
「お、お前、またそんなこと言って! わたしをからかってるんだろう! ぜんぶお見通しなんだからな!」
「ほんとだよ。わたし、こころちゃんに会うために生まれたんだと思う」
「そ、そう?」
「いや、ちがうな。わたし、こころちゃんから生まれたんだ。だからこころちゃんを見ると安心する。ねえ、ママ…」
「ま、ママ…?」
「そうだよ。こころちゃんはわたしのお母さんなんだよ? わたしはこころちゃんとずっと一緒にいたんだ。胎盤の中でさぁ……。ふたりで暮らしてたの。ねえ、ママ、わたしママの中にもういっかい還りたいな……?」
「き、き、きもちわるい! お、お前、冗談だとしたってありえないからな! 出禁だ出禁! 古明地こいしお前は出禁だ! もう二度とわたしの前に現れるな!」

こころちゃんが騒いだので、警備員のような人たちが集まってきて、わたしは追い出されてしまいました。

おしまいおしまい













「あーあ、かわいいこいしちゃんはどうしてあんなことを言っちゃったのかなー。わたし、あんなことちっとも言いたくなかったのに」

夕暮れ、帰り道。
一人分の影がどこまでも長く伸びていた。

「ちがうもん。わたしが言ったんじゃない。ウィルが言ったんだ」
「それってわたしが言ったってことだよね?」
「……だからほんとはわたしが言った」
「ごめんね」
「謝る必要さえないよね。だってわたしがひとりでやってただけだし」
「こころちゃんは古明地こいしのことを嫌いになっちゃっただろうか?」
「そうだよね、もう二度と会えないの」
「でも、そうじゃないかも」
「人の心が見えたらよかったのに。むかしのわたしだったらなあ」
「どうしてそんなふうに思うんだろう? わたし昔のわたしのことなんか覚えてないのに」

家に着いた。
家だったものの残骸と、ロケットの破片。
いつのまにかやってきた夜に、月の光は銀色だった。
わたしは草原の上に横たわって空を眺める。
遠い星星はかすかな輝き、まるで針先で踊る小さな天使のようだった。
なぜだろう、少しだけ懐かしかった。
そういえば天使の死体はいつのまにか風に運ばれて消えてしまっていた。
すべてのあれのせいだ。天使がわたしの家の上に降ってきて、家はなくなるし、こころちゃんに嫌われるし、ずっとわたしの頭の中に誰かがいるような気がしている。たぶん、そいつはわたしの脳みそを乗っ取ろうとしてる宇宙のウイルスで、きっとそいつがわたしの頭を狂わせてしまってるんだ。狂ってたのは昔からだった気もするけれど。でも、自分のこと狂ってるって思ったことなんか今まではなかったから、やっぱそいつのせいだ。
こんなわたしの頭なんか乗っ取ってどうするつもりなんだろうか。
わたしのはこんなに使い物にならないのに。
こころちゃんにだって簡単に嫌われちゃうのに。

「ねー、どこにいるのか知らないけど、そんなにほしいなら、あげるよ」
「わたしの脳みそを」
「こんなに空っぽだけど、それでもいいなら」
「いや、考え直そう、それはだめだって気がするよ」
「どうしてかな? わたしはわたしがこんなにいらないのに」
「でも、それはただの気分かも。こころちゃんに振られたからやけになってるんだよ」
「いや、振られてはないけどさ」
「振られてるかも。こころちゃんはわたしのこと嫌いかも」
「あーあ」
「嘘かも」
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう?」
「ごめんね。わたしのわたしのためだって思ってすることは、どうしてだろう、わたしをいつも傷つけちゃうなあ」
「誰かのせいじゃないよ。いつもわたしのさあ……」
「ごめんね」
「謝ることなんかなにもないのにね。わたしはひとりなんだから」
「……いろいろ考えなきゃいけないことがある」
「でも、わたし、考えられない」

そのとき、ぱちん、という音が聞こえた。
頭の中で。
何かが繋がった音をわたしは聞いた。

「じゃあ、わたしが考えるよ! わたしが、こいしちゃんのために考える!」
「わたしが?」
「いや、わたしじゃない。こいしちゃんじゃない。わたしが……ウィルが、考える」
「ねえ、ウィルはどこにいるの?」
「ずっとここにいたよ。こいしちゃんの頭の中に。いつもこいしちゃんと話してた」
「そうだったっけ?」
「わたしも今わかったの。今、ひとつ繋げてみて、それをはじめて考えて、やっとわかった。わたしはできると思うんだ。アイディアは本の中、コーティーから……わたしには力があるんだ。人の脳みそに入って、それを好き勝手に繋げ直すことができるの。わたしはこいしちゃんのために全部つなぎ直してあげる。こいしちゃんに、考える、を教えてあげる。いまはわたしも知らないけど……」
「ウィルはどうしてそんなことをするの?」
「こいしちゃんが脳みそをくれるって言ったから。わたし、嬉しいは今わかった! でも、なんだかそれは、こいしちゃんがわたしに脳みそをくれちゃうのは、なんだか、違う気がして。だから、貴方がわたしに脳みその全部をくれるなら、わたしはこいしちゃんに思考をあげるね! そして、こいしちゃんが考えて決めてよ。そのとき、こいしちゃんが考えて、それでもいいと思うなら、こいしちゃんの脳みそを全部わたしにちょうだい?」
「うん……。わたしも……、ウィルのために、考えることを考えてみるね」

そして、その夜に、わたしは、はじめて考えた。
ウィルのこと、こころちゃんのこと、わたしの頭の中のたくさんの線のこと。
わたしは深夜遅くまでウィルとたくさんのお話をしながら、いろんなことを考えようとした。
わたしは、はじめて考えた。
ウィルと話していることについて、考えた。
ウィルがわたしの中にいて、わたしが今こうして”ウィルと話していること”について、はじめて、考えた。





なにはともあれ、お家が必要だった。
ウィルにとってのお家はわたしの脳みそということにはなるけれど、そのわたしにはいわゆるお家が必要だったから、どっちにしたってウィルにもわたしにもお家が必要だ。
お家をつくろう、と言ったのは、ウィルの方だった。

「つくるって言っても、どうやって?」
「それは考える。こいしちゃんが」

ぱちん、とわたしの頭の中でまた何か繋がった。
でも女の子ひとり分の身体ではお家はつくれない。
これは考えなくてもわかることだった。
なんとなくロケットの残骸、その鉄のような板切れを撫でていると、不意にそれがぐにゃりと曲がった。

「うわあ」
「ねえ、こいしちゃん、真面目に考えて」
「で、でも、これ、いきなり曲がったの」
「あたりまえだよ? これはフィラメント合金だもん。考えなくてもそんなのわかる」
「フィラメント合金?」

ぱちん。
わたしは思い出した?
この金属は特定の模様を描くような刺激によって軟化する金属だった。ウィルの故郷にはありふれている。でもそんな金属に関する記憶はわたしのどこを探してももちろん見つからない。これはウィルの記憶なんだろうか。ウイルスが記憶を保持することができるのかどうかわたしには知見がない。

「これさ、家つくるのに使えないかな?」
「どういうこと?」
「柔らかくして好きな形にできるなら、お家に使えるでしょ」
「でも足りないよ?」
「だから、他の部分はふつーに家に使う木とか使って、これは”つなぎ”に使うんだよ。そうすれば建築技術がなくても簡単に家がつくれる」
「それわたしも今考えた!」

そんなこと言われるとアイディアを剽窃されたようで癪だったけど、ウィルとわたしは同じ脳みそを使ってるので、どうしたってわたしの考えたことはウィルの考えたことになる。わたしたちのアイディアはいつでも共同特許だし、わたしがむっとすればウィルもむっとしてしまう。お互いがむっとしていたら喧嘩になるだけなので、わたしは黙々と作業に取り掛かることにした。冷静な判断ってやつだね。これはウィルがわたしにくれたもののひとつでもある。
粉砕した元の家の木片を集めて、残った木柱を合金をつなぎにしてくっつけて縄で結んで引っ張ってなんとか地面に立ててみる。地面に接する部分にフィラメント合金をくっつけてウィルの記憶にある模様を描いてそれに触れると下のところが急に尖って地面にちゃんと突き刺さる。
四本支柱を立てたら、もう夜だった。
支柱に囲まれるように、その真ん中に座ってすっかりだるくなった腕をさすっているとわたしが言った。正確に言えば、わたしの口を使ってウィルが言ったのだ。

「疲れたね」
「ウィルは何もしてないくせに」
「こいしちゃんの疲れはわたしの疲れだよ。ぜんぶわかるんだもん。なんだか甘い物が飲みたいよね。むかし、こいしちゃんのお姉ちゃんがよくこいしちゃんに入れてくれたらとっても甘いミルクティーとか」
「そんなことまでわかるんだ?」
「こいしちゃんのことならなんでも知ってるかも。こいしちゃんの頭を借りて思い出してたの。こいしちゃんが支柱を立ててる間ずっとね」
「やっぱサボってたんじゃん! どうりでこんな苦労までして家つくるくらいだったら実家に帰りたいなあってずっと感じてたわけだよ」
「帰ればいいのにね」
「帰れないよ、今さら」

さらさらと風が吹いていた。
いまが暖かい季節でよかったな、とわたしは思う。ロケットの破片を薄く四方に広げてとりあえずの壁にしてた。だから見上げると、星空はきれいな長方形だった。まるで本の中の挿絵みたいにね。最近、星を見ると懐かしく感じるのは、ウィルのせいなんだろう。たぶん。

「ウィルはさ、わたしのことをなんでも知ってるのに、わたしはウィルのことを何も知らないや」
「ウィルもウィルのことはわからない。さっきの金属みたいにきっとこいしちゃんが繋いでくれないとだめなんだ。こいしちゃんの脳みそを借りてそれを思い出すの」

フィラメントの金属に関する記憶は、わたしの記憶。
ウィルというウイルスに刻まれた故郷の記憶は、わたしの脳みその線を借りて繋いでやっと思い出せる程度の記憶。ウィルにとっての記憶というのは、思い出という地図を描くための地図のようなものなのだろうとわたしは考える。そのことをウィルはどんなふうに感じるんだろう。寂しい? もどかしい? つらい?
ぱちん、と頭の中でまたひとつ線が繋がる音がした。
目を閉じると、星が見える。
ここから見る遠い星じゃなくて、近い星。すぐ目の前に大きな星があって、毛玉のようなふわふわな白色をしている。それが、少しずつ遠くなり、わたしの知っている星のスケールまで縮小し、たくさんの小さな星々のひとつになり、やがてすべてが見えなくなって、真空。真っ暗闇だけが残る。

「ねえ、ウィルが生まれたってどんな場所なの?」
「天使たちの星だよ。雲の上に暮らしてたの。たくさんの兄弟たちと一緒に」

ぱちん。
またひとつ繋がった。
思い出の中で、雲の上をたくさんの天使たちが歩いている。白い肌、大きな翼。口がとても大きくて開くと牙が見える。ふたつに割れた舌。太陽が三つ雲の上に照射して、影がどこにもない。夜が永遠にやってこない。雲の際から天使がひとり飛び降りて、真っ白に濁った地面に激突し、ぺしゃんこに潰れて、体液でさらに地を白く染めた。ぱくっと開いた傷口のところから綿毛のような白い胞子が上昇気流に乗って、雲の上に渡り、別の天使たちへと着床する。自分のものじゃない思い出の中でわたしは、ひとときの間綿毛にしがみついて空を漂っていた。不安も喜びも思い出せない。ただ、揺れる綿毛の先の震動だけを憶えている。きっとこの星の天使たちはすでにみんなウィルのようなウイルスたちに罹患して、脳みそを乗っ取られてしまっているんだろう。
それをひどい話だとは感じない。それはわたしが他の人のことどうだっていいと思っているからだろうか。それともウィルがすでにわたしの脳みそをいじってそう思わせているからなんだろうか。
もう一度、目を閉じると、次に思い出すのはコールドスリープ明けのだるい気分、ロケットの震動、死に急ぐような早鐘のアラート音。知らない赤色の文字で、ニュースは小惑星との接触事故についてやってた。モニター越しにロケットの外を視座すると、銀色の翼が吸い込まれるみたいに真空に消えていく。そのあとは暗闇。わたしのじゃない、ウィルのじゃない、ひどい不安感と寂しさを思い出しながら、涙は流さなかった。あの頃のわたしたちにはそれに類いする器官がなかったから。そういえば、思い出したこと、あるいは勝手に思い出されてしまったこと一つ、この丘の上に小さな空き家を見つけて勝手に移り住んだとき、あまりに床はきしきしと鳴るし、建付けが悪くて風が吹くとがたがた揺れるから、黴の匂いのする布団にぎゅっと包まりながらわたしは不安を覚えたんだと思う。それともそれは今はじめてそういうふうに繋ぎ直してしまっただけなのかもしれないね。それって共感? あの頃のわたしは不安なんか知らなかったはずなのに、間違った線を繋いで、それをまるでほんとのことみたいに思い出してしまった。
ウィルがわたしの口を使って、こんなことを言った。

「帰れるなら、帰りなよ。光年を渡るわけじゃないんだし」
「うん……」

目を開いて、見た、長方形に切り取られた星空は絵本の中の星空みたいで、なんだか偽物みたいだなあとわたしはそんなことを考えていた。





竹林のお医者の先生のところで、わたしは頭に電飾を貼り付ける。
まるでクリスマス・ツリーみたいにぴかぴか光る。
先生の見せてくれる絵を見て、何かを思って、それを言う。
考えるとぴりぴりと頭に小さな電撃が走るような気がする。
考えることは、短絡することだよ。
通常、頭の中を穏やかに走っている電気が何かを思うたびに、ぱちんと弾けて、ショートする。漏電したものが言葉になって、口から溢れる。これは宇宙蟹に見えます、とか、言う。その意味で、”思う”ことは異常事態なんだってこと最近までわたしは考えたこともなかった。考えずにいられるならそれがいちばん平和なことだ。ランプなら緑の色。わたしは正常に通電中。でも最近は赤色だった。
非常に驚くべき結果が出ているわ、と先生はもったいつけて、わたしの頭の地図を光るボードの上に貼り付けた。ここ、とその一部分を指差した。

「ぜんとーよう?」
「そう、前頭葉。この前はほとんど活動してないような状態だったけれど、ほら、見て」
「足を引きずる老人が人目を気にしている絵に見えます。万引きでもしてるのかな?」
「それはもういいのよ。ここで線が激しく走っているでしょ。正常な前頭葉のパターンに比べて非常に混乱しているけれど、でも不思議なことだわ。貴方の前頭葉は活動を開始しはじめてる。貴方はたしかな意識の形を手に入れつつあるわ。最近、変わったことはあるかしら?」
「お家がなくなっちゃったんです。ちょっとした災害で。だからいまは草むらの上に寝てるんですけど。腰は痛いし眠れないから、常時、不眠症の感じで、あ、ほら、キリンっているじゃないですか、動物の、あれってほとんど寝ないらしいんです。きっと草原で暮らしてるからだね。寝ないんじゃなくて眠れないんだよ。会ったら聞いてみたいな。パキシル飲んだ? あれって効くの?ってさ」

パキシルは不眠に効く薬じゃないわ、と先生は興味もなさそうに言った。
眠れないならそれに適した薬を処方してもいいけれど。

「バイト代? でも、それはいいんだ。それよりまた聞きたいことあって」
「なにかしら?」
「この前本を借りたじゃないですか。ウイルスの」
「貴方も本を描くつもりなんだっけ?」
「うん。まあ……そう! コーティーってウイルスがわたしの本の題材とそっくりだったから参考にしようと思ったんですけど、それでちょっと考えたことがあって、ああいうウイルスがその宿主?っていうのか、仲良くすることってできると思います?」
「難しいんじゃないかしら。そもそも仲良くっていう概念がきっとウイルスにはないもの。彼らはシンプルに拡大するためだけにあるの」

拡大……、とウィルがわたしの口を使って言った。

「でも、わたし……っていうかウイルスは今のままでも十分って思うかも」
「それはありえないんじゃないかしら。種の繁栄、それはとてもシンプルなぶん強固な力で、たとえ知的生命体の思考を奪ってもそれは変わらないのよ」
「でもコーティーも考えるよ。わたしがこれ以上広がったら一緒にいる人が消えちゃうかも、とか」
「そんなふうに考えるのは貴方がまだ一般的な妖怪の思考をしてるからだわ。そのウイルスは広がるためにあるんだもの、ウイルスが思考を冒したあとでは、もうそんなことは思えなくなるのよ」
「絶対に?」
「そうね、絶対に」
「わたしは思いました。先生は冷たい人かも」

そうね、と先生は冷たい口調で言った。

「でも、特殊なケースを想定することもできるわ」
「特殊なケース?」
「病気とかね。たとえば大腸菌のようなある種の菌は普段人間の身体で繁殖しているけれど、健康を失った人間の身体では広がることができなくなってしまう。たとえば貴方は病気ではないけれど、特殊な妖怪だから脳みその機能が不思議な発達をしているでしょう? そのウイルスについてわたしが研究しているわけじゃないからあくまで仮定の話になるけれど、そもそも繋ぎ直すための脳みその線が混乱していれば、そのウイルスが手に入れる思考というのも混乱してしまう。とても幼くなるといってもいいかもね。幼い子供はいろんなことを覚えるわ。その環境にあわせてね。だから普通とはちがった成長をするかもしれない、ということよ」
「わたしもとても幼いのかな?」
「そうね、前頭葉の発達は子供から大人に変わる途中で起こることが多いわ。少なくともその意味じゃだ貴方も子供なのよ」

それからはじめて先生はくすくすとおもしろそうに笑った。

「どうかしら? お話の参考になりそうかしら?」
「あ、いや、はい…、とってもためになりました」

本ができたらぜひ読ませてね、と先生はまたいつもの興味もなさそうな感じで言った。





そんなふうにしてわたしとウィルの不思議な共同生活がはじまった。はじまった、と言っても日々はこれまでとなにひとつ変わりがない。だらだら日々を少し、ふらふらと出歩いて、誰かに出会えばちょっとしたちょっかいをかけた。変わったことといえば、日々の中に家造りが加わったこととこころちゃんに会うことがなくなったということ。家を建てるのは疲れるし、こころちゃんに会えないと物足りないような気がしたけどそれも慣れる。
わたしは何をするのにもウィルと相談するようになった。これは不思議なことだ。わたしたちはおんなじひとつの思考にいるはずなのに、考えることは思うことはときどき別々だった。お昼にウィルは近所の中華屋さんの炒飯が食べたいと思い、わたしは出かけるのがめんどくさいから家にある食べかけのパンケーキでも食べればいいと思っていた。ひとつの頭にふたつの欲求が存在することができるのか、それはできる、とわたしは考えてみる。だって、外でご飯食べたいけど外に出るのはめんどくさいなあってときは以前にもあり、それがわたしとウィルという形で分割されて現れるというだけのことなのだ。そんなときには議論になるか、たいていは喧嘩になった。喧嘩ならウィルのほうがいつも強い。わたしとウィルは同じ頭、同じ身体、だから、もし殴り合えるのなら引き分けなんだろうけど、口論になると話は別だった。ウィルはわたし自身だからわたしのことならなんでも知ってる。わたしの言われたら嫌なことも全部知ってる。わたしだってウィルについてはウィルがウィルを知っているくらいに知ってはいるけれど、ウィルの記憶はウイルスに刻まれたかすかな記憶、それにウィルはわたしを借りてる立場だからわたしに関する嫌なことを言っても、それほどまでには傷つかないですむ。でもいつかウィルはわたしの脳みそを支配してわたしになってしまう。そしたらわたしの嫌な部分は全部ウィルの嫌な部分になって、もうわたしじゃないわたしはそれについていっぱい言ってやるつもり。だからわたしはウィルがわたしを乗っ取ってわたしになってしまうのが楽しみだ。
そういえば、この前は屋根の形態に関するちょっとした議論があった。
当然わたしは日本家屋風の三角の屋根にしようと思っていたのに、ウィルは卵のような丸い屋根がいいと主張した。そっちのほうが落ち着くのだと言うのだった。思い出ひとつ。たしかにウィルの故郷、天使たちの国じゃ、屋根はそういうふうになっているらしかった。
しかたないから折衷案をとった。
つまり、半分ずつにしたのだ。
瓦敷きの斜めの屋根が半分、銀色の丸い屋根が半分。
屋根だけじゃなくて、つくりかけの壁も外惑星風の金属製の壁面と木の板がつぎはぎで、とても変な感じだった。
ここには材料の問題もあった。宇宙船の残骸だけでは家をつくるのには足りないし、壊れたわたしの家の部品はばらばらに粉砕して使い物にならない部分もたくさんあった。
朝から夕方まで仕事をしたので、疲れてしまい、つくりかけの壁面に背中を預けて丘の上から町までの小さな小道を眺めていた。

「疲れたね」
「ウィルは疲れてないでしょ」
「わたしも疲れたよ。いつのまにか疲れるを覚えたなあ」

ウィルが手を回してわたしの肩を手のひらの硬い部分で押し込む。

「ああ気持ちいいなあ。これってさ、便利だよね。痒いとことか凝った部分とか自分で触るのと人に触ってもらうんじゃだいぶ感じちがうけど、わたしはひとりでそれができる」
「次はこいしちゃんが肩揉んでよ」
「わたし、さっきのでよくなっちゃったから、いいや」
「はー?」

いつのまにかわたしたちはふたりでひとつの身体を扱うことに慣れ始めている。
そういえば、とウィルが言った。

「そういえば、この前、先生のとこ行ったとき、こいしちゃん、わたしのことを隠してたでしょ? 教えて相談すればよかったのに。先生は冷たいけど、頭のいい人に見える」
「だめだよー」
「なんで?」
「だって、ウィルは地球を征服にしに来た宇宙人でしょー? そんなのばれたら退治されちゃうよ?」
「征服とかじゃないもん」
「べつにいいんだよ。ねえ、エイリアン2、見た? わたしの頭の中のさ。かっこいいよねー。わたしはいつも宇宙人贔屓だよ。映画の中じゃいつも負けちゃうから、ウィルには期待してるね! はやく地球を滅ぼしてね」
「わたし、そういうわるいエイリアンじゃないもん」
「ウィルはわたしのことももうじき乗っ取って、どんどん他の人たちの脳みそを食べちゃって、地球を地獄絵図にしちゃうんだよねー?」
「なんなの。あ、そうだよね、こいしちゃんは人間が嫌いなんだもんね。こいしちゃんが目を閉じちゃったのって、仲良くしてた友達たちが心の読めるこいしちゃんのことを気持ち悪いって思ってることを悟っちゃってそれでつらくて目を閉じたんだっけ?」
「ちがうじゃん。わたしの思い出見れるんだからウィルにはわかるはずだよ」
「そうだね。ほんとは好きだった男の子が、こいしちゃんのこと気持ち悪い妖怪って思ってたけど周りに押しつけられてしかたなく一緒にいてくれたって知ったから悲しくて第三の目閉じちゃったんだもんね? かわいいね」
「人の思い出を勝手に捏造しないで!」
「わたしならほんとにそうだったっていうふうにこいしちゃんの脳みそ繋げ直しちゃえるかも」
「がちで悪いエイリアンじゃん……。じゃあわたしは音楽でもやろうかな。大きな声で歌をうたうの。そしたらウィルは死んじゃうの」
「マーズ・アタック? いつか見たいな、こいしちゃんの見た映画、全部。わたしも」

わたし、一度見た映画や本はもう二度と見ない。つまんないから。でも、ウィルと一緒に見るならそれも悪くないかなあ、って少しだけ思った。
ねえ、って、ウィルが言った。

「ねえ、もう一度、見に行こうよ」
「映画?」
「こころちゃんの舞台!」
「無理だって。もう出禁だもん」
「許してもらえるかも」
「どうやって?」
「それはちょっと考えればわかることだよ」

そう言うとウィルは勝手に丘を降りて勝手にひとりでどんどん進んでいってしまう。
そうなったら、わたしはどうしたって着いていくことしかできないのだ。





こころちゃんに会ってる間こいしちゃんは何があっても黙っていて、とウィルは言う。
約束はわたしにとって破るためのものだけど、ウィルが言うならわたしはそうするしかない。
ウィルはわたしのことならなんでも知ってる。
弱みだってたくさん握っている。
それにこころちゃんと仲直りできるならそれに越したことはないとも思っていた。
わたしが着いたときには、舞台はだいたい中盤くらいだった。わたしは遠巻きに眺めながら、それが終わるのを待って、こころちゃんの楽屋の前で出待ちをした。しばらくあとでこころちゃんが楽屋から出てきて、わたしを見つけて、きっ、とわたしを睨んだんだと思う。実際のところ、こころちゃんは表情筋が死んでるので、それはいつもとほとんど変わらない無風の顔だった。

「おい、古明地こいし、お前は出禁だって言っただろう」
「だから待ってたの。いま出てきたのはこころちゃんのほうだよ?」
「そういうの、へりくつ…」
「ねえ、こころちゃん、この前はごめんね」
「お前、こいし、今さら謝ったってなあ」
「わかってるよ。でも言わなきゃ気がすまなくて。悪気はなかったの。でもこころちゃんを傷つけたのはわかった。あとでひとりで考えてみたの。そしたらあんなこと言われたら嫌だよね、って気がついた」
「考えなくても気づけよ!」
「そうだよねえ。ねえ、こころちゃん、よかったら、ちょっと外歩かない?」

こころちゃんは怒ってるんだからそんなの受け入れるわけないとわたしは思ってたのに、こころちゃんは小さく肯いた。こころちゃんとわたしは夜の下を並んで歩き、少し行くと川べりにぶつかるので、今度は川に沿って歩いた。さらさらと川の流れる音がする。ぺたぺたとこころちゃんとわたしの靴が柔らかい土を押す音がする。わたしはそれを、ウィルがこころちゃんと歩いているところを、まるでわたしがそこにいてそうしているみたいに、眺めていた。

「あれはちょっとした冗談のつもりだったの。あんまりうまくいかなかったけど」
「最低だった」
「わたしさあ、最近、ユーモアのセンスが突き抜けすぎてて誰にも理解してもらえないの」
「それずれてるって一般には言うんだぞ」
「あはは。そうだよねえ」

やがて開けた河川敷に出る。
あたりにゴミが散乱している。焼けた枝、焼けた花火のかけら、焼けた紙……四角形に焼けた石が積まれて、その中に黒い木炭が押し込まれている。

「BBQだな。最近はゴミを片付けないやつが多い」
「バーベキュー?」
「知らないの? 外でみんなでお肉とか野菜を焼いたりするんだ。わたしもこの前太子様たちと行ったよ」
「それなんの意味があるの? 外で焼くとお肉がおいしくなるの? お家でやればいいじゃん」
「でもたくさんの人たちで集まると楽しいんだ」
「よくわかんないかも。わたしはそれついていま考えてみたけど、ひとりと変わらない気がした」
「ためしに友だちとか誘ってやってみればいい」
「古明地こいしちゃんはバーベキューやる友だちいないの」
「かわいそうに」
「そうだよ。古明地こいしちゃんはかわいそうなんだよ。友だちに気持ち悪いと思われてるの知っちゃって、心の眼も閉ざしちゃうし」
「お前も苦労してるんだな」
「ちがう!わたしそんなんじゃない!」
「うるさいなあ。こいしちゃんは黙っておいてって言ったでしょ」
「なに?」
「ううん。ちょっとね。わたしの中にうざいやつがいてさあ……」
「なにそれ?」
「わたしの中にさ、もうひとりいて、物事がいい調子なときとか、幸せな気分なときとか、必ず出てきて茶化してくるんだ。そいつが変なこと言っちゃうの。たとえばわたしはほんとはみんなと仲良くしたいのに、友だちになれそう!ってときに、そいつが現れて必ず変なことを言う」
「ふうん。難儀だな」

わたしはせめてもの抵抗で積まれた石を蹴った。
足の先が痛かった。でも、ウィルだって痛いはずなのだ。
こころちゃんに見えないところで、ウィルがわたしの二の腕を強くつまんだ。
わたしたちは痛かった。

「この前だってそうだよ。ほんとはこころちゃんに、言いたかったことがあったのに、そいつがあんなこと言っちゃってさ。でも、もちろんそれはわたしのせいだよ。ごめんね?」
「うん」

わたしは石をつまんで、川に投げ入れる。
ぽつん、と暗闇の中で音だけが響く。
真似して、こころちゃんも投げた。
ぽつん、ぽつん、ぽつん、ぽつん、ぽつん。
まるで遠くでかすかに雨が降っているような。

「……なあ、こいし」
「んー?」
「じゃあさ、お前、あのときほんとはなんて言おうとしたの?」
「舞台の上でこころちゃんはとってもかわいかったよ、って。わたし、好きなんだ、こころちゃんのこと。ずっと一緒にいたいなってあのときそう思ったの」

ぽつん。
わたしも……って、こころちゃんは言った?

「わたしも、お前のこといいなって思うときがある。一緒にいて楽しいし。でもずっと一緒にはいれないだろう。だってこいしはどうせ消えてしまうもんなあ。お前は気まぐれで、ふらふらしてて、何考えてんのかよくわかんなくて、それがこいしの楽しいところだと思うときもあるけど、でも信頼できないもん。いまはそんなことお前は言うけど、明日にはぜんぶが嘘だったみたいに、いなくなっちゃうんだ、こいしは」

こころちゃんがそんなふうにわたしのことを考えていたなんて、わたしは知らなかった。いったいウィルはどうするつもりなんだろうか。知らないことがわからないことが増えていく。ウィルと出会ってから、考えるを考えはじめてから、わからないがはじまって、いつのまにかウィル考えていることまでわからなくなってしまう。わたしとウィルは同じ脳みそで、同じ線を使って考えるのに、いまはなんだか遠くてウィルがどこにいるのか、わたしはまたわからなくなりはじめている。
ねえ、って、ウィルが言う。
わたしに、じゃない、こころちゃんに。

「じゃあさ、こころちゃん、信頼させてあげる」

わたしはこころちゃんの肩を抱いている。しんしんと遠くで夜が鳴いている。さらさらと近くで川が流れている。すぐそばでこころちゃんの前髪が揺れてる。わたしはそっとこころちゃんに顔を近づけて、こころちゃんのその唇に……。

「あ、だめ! やっぱだめだよ!」

わたしはこころちゃんを突き飛ばしていた。
こころちゃんはもともと大きな目を変わらないくらい大きく見開いてわたしのことを見た。

「お、お前……! やっぱり、最低!」

こいしは一生出禁だからな、出待ちも禁止。二度とわたしの前に顔を見せるなよ、と言って、こころちゃんは背中を見せてひとりでどんどん離れていってしまう。
あーあ。
ウィルが黙ってと言ってたから、わたしは何もしていないのに。
去りゆくこころちゃんの背中を見つめて、わたしは呟いた。

おしまいおしまい










「あーあ、かわいいウィルはどうしてあんなことを言っちゃったのかなー。わたしはこころちゃんにあんなひどいことちっともしたくなかったのに」

わたしは河川敷にひとりで座ってた。
夜の冷たい風が肌をするすると通り抜けて心地が良かった。

「だ、だって…!」
「わたし、言い訳は聞きたくないなーーー。ウィルには責任取ってもらわないと」
「せ、責任って?」
「このわたしを全部あげるよ。字義通り、わたしの責任はぜんぶウィルの責任だよ」
「いらないよ、こんなの! 未来がないじゃん」
「人の身体を……」

今起こった結果と裏腹にわたしはなんだかとっても楽しい気分だった。
ぽん、ぽん、ぽん、ぽん。
投げた石だって、今はちゃんと水を切れる。

「それにわたしのこと、うざいやつがいるとか、かわいそうな人とか、散々言ってくれたよね。ウィルがわたしのことそういうふうに思ってたなんて、わたし、ショックだなー」
「それは、そうやって言ったほうがうまくいくとわたしは考えて……」
「うまくいったっけ?」
「いきそうだった……。でも思い出したの。わたしって、粘膜接触で広がるでしょ? だからこころちゃんに感染っちゃうと思ったの」
「ま、いいけどね。これからはずっとウィルが友だちいなくてかわいそうなわたしをやるんだもんね? それにこころちゃんにあんなことしたから、強姦罪とかもつくかもしれないね」
「未遂かも」
「未遂でもだめだよー。法廷の作法のお勉強がんばろうね、わたしが消えたあとで」
「ごめんね、こいしちゃんは怒ってるよね?」
「ウィルはわたしと同じ思考なんだからわかるよね?」
「最近、ときどきこころちゃんが何を考えてるのかわたしに見えないときがあるの」
「知ってる。わたしもそうだから」
「でもこいしちゃんのためにやったことなんだよ。こいしちゃんがこころちゃんともっと仲良くなれればいいなって思って。うまくはいかなかったけれど」
「それも知ってる。わたしたちまだ繋がってるんだね、それはちゃんとわかるんだ」

わたしは木の枝で積まれた石の中の石炭をかき混ぜる。
触ったところから、ぱらぱらと崩れて、雪のような黒い粉が夜に待っていた。

「ねー、ウィル、今度の週末、BBQやろうよ」
「わたしひとりで?」
「ちがうよ。わたしとウィルのふたりでさ」

だから、やがて週末がやってきて、ウィルとわたしは、そうした。
やり方は本を読んで調べた。
石を丸く積んで、石炭を敷いて新聞紙に火を焚べてうちわで仰いで火を起こした。うまいこといかなくてちゃんと火が石炭に移って燃え広がるまでに結局三時間もかかってしまった。夕暮れの付近にぱちぱちと木炭が欠けていく音がしてた。網かけて、脂の溶ける音が混じる。お肉も野菜も買いすぎてしまったなあ。一人で食べるのに、まるで二人分みたいにたくさん買ってきてしまったのだ。

「ねえ、ウィル、野菜も食べなきゃだめだよー。バランスが大事なんだ」
「わたしはいらないかも。こいしちゃんにあげる」
「ほら、玉ねぎ。これはウィルのために。ほら、人参。これはウィルのために。ピーマン、ウィルのためだよ」

それを、わたしはひとつずつ口の中に運んでいく。

「それ、結局、こいしちゃんが食べてるじゃん」
「ウィルのためにやってる感が大事なんだよ。やってる感がなきゃわたし、ひとりぼっちだもん」

夕暮れのやってくるスピードは赤色。
星の降る夜はとても遠いところにあって、時間は少しずつ赤い方に偏位する。
ちょっと煙った。

「ここにこころちゃんがいればよかったよね?」
「なんで、こころちゃん」
「だってさぁ……。ねえ、こいしちゃんはほんとにこころちゃんのことがほんとに好きだよね」
「それほどじゃないよ」
「わたしがこいしちゃんの思考だからこいしちゃんの気持ちが全部わかるんです」
「嘘だってつける!」
「自分に嘘はつけないよ?」
「つけるもん」

お腹がくちくなると、お肉がどんどん黒くなる。
コップに水を汲んで網の上からかけたら、火が消えた。
大きな石の上に腰掛けて、最後のオレンジジュースに手をかける。
空には一番星。
少し離れた木立に小さな畑とテントがあって、古い洗濯物がかけてあった。そばには小さな看板が立っている。
看板には、こう。
『告 ここは、一級河川の河川敷(国有地)であり、畑の耕作、農機具等の設置はできません。農作物の栽培を中止し、農機具等を撤去してください。』
わたしは禁じられた暮らしのそのあとのことを少しだけ考えてみた。ウィルは遠い星を見ていた。あ。新しい星をひとつ見つけた、とウィルは思う。

「寂しいって思う?」
「なんの話?」
「こんな知らない星にひとりぼっちだって。むかし住んでた星のこととか考えてウィルは寂しいって思う?」
「とっても寂しい……けど、この寂しいというのはこいしちゃんの中の寂しいだから、わたしは寂しくない」
「なに?」
「ウイルスに寂しいとかないかも。わたし、感情なんかないんだよ」
「わたしも同じだよ?」
「こいしちゃんには感情あるよ。わたしが繋げてつくったんだもん。わたしはウイルスだから感情とかないけど、こいしちゃんは戻れない故郷とか会えない家族とか思って寂しくなったり、好きな人のことを考えて、かわいいね」
「でも、それだってもうじき全部ウィルのものになるんだよ?」
「やっぱ、いらない。もう、一人称とかぜんぜん、いらない。こいしちゃんの中の巨大感情が重すぎてわたしには手に負えないなー。わたしね、感情も思考もいらないよ」

でも、きっといずれはそうなってしまんだろう。
ウィルはわたしの思考をつくりかえて、わたしはウィルになる。
こころちゃんは言ってた。わたしはいつか消えてしまうんだって。
そうだね。
でもわたしがいなくなっちゃうんだとしても、わたしはそのことが寂しくはない。
ほんとは寂しいとは思うけれど、わたしが消えるときわたしが寂しいと思うなら、それはウィルが寂しいって思うってことで、わたしが消えるときウィルが寂しいと思ってくれるなら、それは嬉しい。

「せっかく脳みそをあげるんだ、絶対地球征服してね」
「だから、征服とかじゃないもん!」

ウィルは笑った。
でも、その声はわたしの口から出てきたから、笑ったのはわたしだけだったのかもしれず、それならあのときウィルは何を考えたんだろうか。それが、いつのまにかわからなくなって、ウィルはいまわたしのどこにいるんだろう。わたしの頭の中。わたしの考える言葉の中。わたし自身。
それなら、わたしはいったい誰とお話していたんだろう?





また、診察室。
わたしは頭にたくさんの電飾を貼り付けて、まるで接続された女、古いSF雑誌の表紙みたいだった。

「首を吊るシリウス人。表情はわかんないなあ、シリウス人には顔がないから」
「空を背泳ぎする鳥の群れ」
「最低な恋愛映画のお別れのシーン」
「スポンジ・ボブ。かわいいね」
「両方が持ち手になってる傘? 使い道がないなあ、と思います」
「エイリアン2のエイリアン!」

完璧ね、と先生は言った。
お馴染みの脳地図を二枚、白色ボードの上に貼り付けた。

「ほら、比べてみれば、すぐにわかるでしょう。こっちが普通の人間の脳地図ね。貴方の前頭葉の活動は一般の人間とほとんど同じパターンを描いているわ。これはとても興味深い結果よ。無意識を扱う妖怪の貴方が同じ妖怪のまま、脳パターンを成長させるなんてね。ほんとに、何をしたのかしら」
「考え方ならぜんぶ教わったんだ。友だちに」

つまらない冗談だって思ったんだろう、いい友だちがいるのね、って先生は興味もなさそうに言った。

「もうこれで検診は終了ね。こうやって前頭葉が完成したらならデータをとる必要もないものね。ご協力ありがとうございました。おかげで興味深いものが見れたわ」
「え、終わりなんですか? わたし、これからどうなっちゃうのかなあ。被験体として捕まって学会とかに提出されちゃうのかな。うぇええ、こわーい」
「そんなことしないわよ。これは単なるわたしの個人的な興味でしたことだもの」
「ふーん、つまんなーい」

それで、終わった。
帰り際、病室を出るときに、ふと思い出したってみたいに、と先生は言った。

「お話はどうなったの?」
「お話?」
「本を書くって言ってたでしょう。ロケットに乗った少女と彼女に取りついたウイルスの話。最後には地球が滅びるんだっけ?」
「あー、それ。実を言うとまだ書けてないんです。それに滅びるんじゃないですよ、地球に降り立たないようにふたりで死ぬんだ。でも結末を変えようと思ったんです」
「どういうふうに?」
「誰もいない惑星に降り立ってね、それから、ふたりで生活をやるんだよ」

それはあんまり冴えた結末ではないわね、となぜか先生はくすくすと笑っていた。





わたしは家を完成させた。
最後の数日は町で家具を買って車輪つきの板に乗せてそいつを引っ張って家まで何度も運んだ。家具はやっぱり北欧製。ウィルとわたしの意見は久しぶりに一致した。最後のベッドを運び入れてしまうと、あとは壁を閉じるだけだった。家具を運び入れる用の穴に町で買ってきた扉をあわせて、足りない部分をフィラメント合金で埋めて、同じ金属で蝶番をはめた。
これは途方もなく繊細で重労働だった。
まず扉の採寸を穴にあわせるのがとても大変で、家の他の部分は完成しているので、そっちを広げるわけにもいかず、生まれてはじめてのこぎりで木材を切った。のこぎりで下の方をばすんと落とされた扉はなんだか少し不格好だ。それを立てるのも一苦労だったし、それを抑えながら予め差し口の方に開けた穴にフィラメント金属を流し込むのもなかなか骨が折れた。
だから、朝から作業をはじめたのに、それが完成する頃には空は紫に染まり始めていた。わたしはだるくなった身体を動かし、家の前に立ってみた。とてもへんな家だった。屋根は半分が斜めで残りが丸くなっているし、壁は木材が金属によってつぎはぎされ、足りない部分はトタン板が当てられている。なんだか失敗したパッチワークのようだった。だから風が吹くと、かちかちかちと壊れたブリキのおもちゃみたいな音を立てた。
でも、立派な家だよ。
わたしの、わたしたちの。
そういえば窓をつけるのを忘れたなあ、となんとなく壁にぺたぺたと触れて回りながら、意味もなく玄関の建付けの悪い扉を何度も開けたり締めたりしてみながら、新しい家具が並んだ空っぽの家の中に向けて、わたしが言ったこと。

「ねえ、見て、出ておいでよ! できたよ!」

空っぽの家に言葉が響いて、返事はなかった。
今日はわたし、ひとりで考え込んでいた。扉を家に取り付けている間、ずっと。
だからあの子のことは気にしないでいた。わたしの頭の中のあの子。わたしとあの子は同じ脳みそで、同じ線を繋いで考えるから、わたしがひとりで考えている間、きっとあの子も何かをずっと考えていたんだろう。
あの子は考え込んで、いつのまにかわたしの深いところに降りて、今は見えなくなってしまっている。
ねえ、貴方は、いまどこにいて、何を考えてるのかな?
そういえば、貴方って、誰だっけ?
だって、ひとつの思考にいるのはひとりだけ。ひとつの脳みそにあるのはひとつの意識。
この、わたし。
でも、このわたしはウィルという名前のエイリアンだったのか、それとも古明地こいしって呼ばれる妖怪だったのか、それがわたしにはもうわからないんだよ。
あの子はわたしに思考をくれた。
あの子はこう言った。
わたしは貴方のために考えてみるね。
だからわたしはこうして考えることができる。これは、このわたしは、あの子がくれた”わたし”だ。
だから、わたしのすべきことは決まっている。あの子と会ったそのはじめから、たぶん、ずっと。

「あのさ、今日はわたし、それを、ずっと考えてたんだ。至極当たり前のこと。気がつかないふりをしてたな、貴方がわたしを結線したときから、ずっと……。ねえ、ねー、わたしたちは完璧なやつを作ったよね。この家じゃない、わたしの頭の中にさ……。立派なやつだよ、他の誰よりもちゃんとしてる、思考、自意識、これって自慢の”わたし”だよ、貴方がくれた。……ああ、貴方にも見せてあげられたらなあ。誰よりも貴方に見せてあげたかったのになあ。貴方はもう完成したわたしの一部になってしまったからきっとそれが見えないよね? でも、まだ完璧じゃないんだ、まだ……。だって、完成した自意識に二人のわたしはいらないもんね。大丈夫、心配しなくてもいいよ、わたしが消えるから。ねえ、そんなふうに震えないでよ、前頭葉。約束したじゃん。貴方にわたしの脳みその全部をあげる。わたしは貴方のために思考をつくってあげる。わたしは貴方のために考える。わたしにわたしはもう、いらない……ねえ、さあ、こんなのってぜんぜん冴えてないよねえ、わたし幼くてこんなことしか考えつかない、思いつかない、がんばったけど……わたしってとっても幼くて、少しずつ大人になっていく貴方のことをここで眺めながら、立派になったなあって嬉しく思いながら、いつまでもわたしは幼いままなんだって寂しくなったりして、考えたこと、わたし、わたしのことが好きだよ。わたし、わたしのことが宇宙でいちばん好き! いつまでもわたしと一緒にいられたらなあ。でもそれももう終わりです。わたしにわたしはいらない。わたしの”わたし”は貴方のために、――のために」

でも、最期に、わたしがわたしじゃなくなっちゃう前に、たったひとつだけ――。

「ねえ、ひとつだけわががま言っていい? 最期にひとつだけ、したいことがあるんだ」

そうだ、わたしたちはもう一度だけ、こころちゃんに、会いたかった。





舞台が跳ねると、少しうるさい。
拍手の響きがここまで聞こえてくる。
今日は最終公演。
舞台挨拶とかあるからこころちゃんがやってくるのはもう少しだけ後になるんだろう。
わたしたたは舞台の周りの人々意識の影に入り込んでこころちゃんの楽屋に忍び込んでいた。
ケータリングのクッキーを食べる。
一枚食べて、二枚食べて、三枚食べて、四枚目をかじったら、こころちゃんがそこにいた。
扉の前に立って、わたしたちを見た。

「はろう、こころちゃん」
「お前、こいし、金輪際わたしの前に現れるなって言っただろう!」
「でも、やってきたわけじゃないし、出待ちしてたわけじゃないよ。わたしはただここにいたんだ。現れたのはこころちゃんの方だよ」
「へりくつ…。はやく出ていけよ。十秒たったら警備員呼ぶからな」
「ねえ、こころちゃんお願いがあるんだ」
「いまさら何を言ったって無駄だからな。わたし、こいしとは二度と会わない」
「わたしじゃないんだ。そりゃあわたしだってこころちゃんに謝りたいよ。でも、こころちゃんがそう思うならしょうがない。だから、わたしはいいんだ。大丈夫、こころちゃんの言うとおり。わたしはもうじき消えるよ。でも、わたしの友だちは……。わたしの大切な友だちは宇宙でひとりでぼっちだから……」
「友だち?」
「そうだよ。これはわたしの友だちのためなんだ。だから、お願い。わたしと一緒に来てくれない?」

こころちゃんは肯かなかった。
でも、楽屋を後にするわたしたちの後ろを着いてきてくれる。
丘に向かって、夜を上った。
ひとつ歩くとほんの少しだけ星に近づく。
わたしたちが前を歩き、こころちゃんが少し離れて着いてくる。
道中、言葉は交わさなかった。
たった一度だけ、こころちゃんが後ろから、声をかけてきた。

「なあ、こいし、わたしは意外に思ったから着いてきたんだ。お前が誰かのためにお願いをするなんて」

うん、とわたしたちは振り向かずに言った。
足音。
しんしん鳴る夜の音。それは大気の震える音だとわたしたちは思う。町が静かに鳴ると大気のかすかな震えが音になって聞こえてくる。
やがて、丘の上のわたしたちの家に着いた。それからわたしたちは振り向いた。こころちゃんにわかるように、それを、指差して言った。

「これはお家。わたしの家」
「お前の家ってこんなんだっけ?」
「この前、壊れちゃったんだ。ちょっと運が悪くてね。だからいちからつくりなおした」
「ひとりで?」
「ううん。わたしたちは二人でこれをつくったの」

へんな家、こころちゃんは呟いてそれからまじまじと家を眺めた。
それから壁をキックした。がらがらと揺れる。

「でもふたりでつくったにしては立派だ」
「そうでしょー。自慢のお家なんだ。今日はこれを見せたかったんだ。これは友だちがわたしにつくってくれたものだから、どうしても誰かに見せたくて」
「ふうん。いい口実だな。わたしに会うのに」
「そうだね。でも、それだって友だちがわたしに教えてくれたんだ。こころちゃんと仲直りできるように」
「そいつはずる賢いやつだな」

静寂。
わたしたちは家の壁に背中を預けて地面に座った。こころちゃんは帰ってもよかった。もうわたしたちも引き止めるつもりもなかったし、権利もなかった。でも、こころちゃんは私達の横に腰掛けて、同じように家の壁に背を凭れた。

「なー、こいし」
「なぁに?」
「お前の友だちってどんなやつなの?」
「いやなやつだよ。いつもひとのことからかってくるし、馬鹿にしてる」
「こいしみたいなやつだ」
「うん。わたしたちってよく似てたんだ。まるで双子みたいにさ。わたしのことならなんでも知ってた。きっと……わたしもあの子のことなんでも知ってた」
「そいつは今どこにいるの?」
「それがわかんなくてさー、とつぜん消えちゃったんだ。最初からいなかったみたいに」

こころちゃんはもういちど同じことを言った。

「こいしみたいなやつだな」
「そうだよ。だからさ、わたし決めたんだ。もう勝手にいなくなったりしないって。あの子がいなくなってわたしはとても寂しかった。誰かがいなくなると寂しいんだって知ったの。だからわたしはもう消えたりしないよ」
「どうだろうな。こいしは……」
「やっぱさ、もう遅いかなぁ?」

こころちゃんは何も言わない。
わたしたちは星を見ていた。
まるで床の上に零してしまった砂糖のように、白色で夜を汚している。
なんだか、手を伸ばせば、触れられる気がした。
わたしたちのもののような、そうじゃないような、思い出。
でも、あのうちのどれかひとつをわたしたちはたしかに知っている。

「なに見てるの?」
「星」
「こいしってそんな風情なやつだっけ?」
「最近、わたし、星が好きだよ。星を見るといろんなことを考えるんだ。宇宙はどれくらい広いんだろう、とか、きっとわたしの想像できないような生き物があのうちのどれかにいるんだろうなあ、とかさ」
「はあ、こいしがねえ」
「星の見えないところで長い間過ごしたせいかもね。暗くて狭くて壁に囲まれてて、でもそこにはたくさんの仲間がいて、みんなのことが好きだった、きっとちょっとした事故があって、そこから飛び出してそれからはひとりで……でもいろんなことを知ったよ。星だってそうだね」

どこかで、ぱちん、と鳴った。
それはなんだかまるで星が弾けるときの音のようで、どれかひとつが消えてしまったんだろうか、と思って、空の星を数えてみたけれど、それはあまりにも数が多くて、そもそもさっきまでどのくらいあったのか思い出せないし、その音はきっとわたしの頭の中で鳴ったのだとそういうことにして、数えるのをやめた。

「ときどき思うの。これだけたくさんの星があるんだから、どこかひとつには地球みたいに人間とまったく同じ生き物が生きてるような星だってあるんじゃないかって」
「そういう話って聞くな」
「それよりも星の数は多くて、無限に近いように思えるからさ、だから、わたしとまったく同じわたしがいるような星だってあるんじゃないかな」
「ドッペルゲンガーみたいなこと?」
「そうそう。でも、それはわたしだけど、もっとすごいわたしで、なんでもうまくやっちゃうし、誰かのことを傷つけたりもしないの」
「こいしはそういう自分を想像して、自分はそうじゃないって思って悲しくなったりするの?」
「ううん。嬉しいんだ。どこかにそういうわたしがいるって考えることが」

それから、わたしはこころちゃんの手をとった。
こころちゃんが振り返って、わたしを見た。

「ねえ、こころちゃん、このわたしが宇宙の別の星からやってきたそのすごいわたしだって言ったら、こころちゃんは信じてくれる?」

こころちゃんは言った。

「信じさせてみせてよ」

わたしはこころちゃんに触れた。
右腕に、右の肩に、さらさら鳴る髪の毛に、耳に、ほっぺたに。
そして、最後にわたしの口がこころちゃんの口に触れようとするとき……わたしはこころちゃんをぎゅっと抱きしめる。

「やっぱ無理だなぁ。ごめんね? わたし、だめなんだ。キスするとか、好きじゃないからとかじゃなくて、生まれつき……そういうのだめで、同じコップで飲み物飲むのもできないし、きっとセックスだってできないけど……でも、それでもこころちゃんがそばにいてくれたら、嬉しい」

こころちゃんがわたしの頭に触れた。

「お前、ずっとそんなこと気にしてたの……。そういうことしたいっていつわたしが言ったんだ? ま、別にいいさ。それがこの世界すべてってわけじゃあるまいし」

今度はこころちゃんがわたしのことを抱きしめた。
わたしたちは拡大するために存在する。
今日ここで広がるものは体温だった。
ここに天使がもういちど降ってきて、わたしたちのことを祝福してくれればいいのになあとわたしは思う。
わたしのことをよろしくね、って、あの子が、こころちゃんに言った。





それから数週間が経って、わたしたちのお家もだいぶ様変わりしてしまった。
伝統から生まれて伝統を愛するこころちゃんは北欧製を憎んで、家の中の家具を全部売り払って和風なものに変えてしまった。塗装業者に頼んで家の壁も赤色に塗り替えた。リノベーション業者がやってきて内側の壁とかお風呂とかをなんだか改造し、窓を取り付けた。建付けの悪い不格好な扉も新しい横開きの”戸”に変わった。
このところ新しい舞台の公演が近づいてきてこころちゃんは稽古に台本合わせに忙しい。この前の変な天使のやつが好評だったようで、新しい能楽のスタイルだとか、こころちゃんはすっかり有名人だった。芸事のことはわたしには何もわからない。わたしといえば何もしてない。昼はそこらをふらふらとして、知り合いを見つけてちょっかいをかけたり、病気もないのに先生のところに行って完成させるつもりもない本のお話を思いつくままに話したり、夜には丘に寝転んで星を見ている。
今日は久しぶりにこころちゃんがお家にいたけれど、こころちゃんは炬燵に向き合ってなにやら書き物をやっていた。サインを書いてるのだと言う。

「サイン?」
「今度の舞台の初公演のときに配るんだ」
「こころちゃんのサインなんて誰が欲しがるの?」
「お前以外のみんなだよ」

こころちゃんが冷たいので、嫌がらせでこころちゃんのことを後ろから抱きしめてみた。

「わ、重い重い、離れろよ、こいし」
「こころちゃん最近疲れてるから癒やしてあげよーって思って」
「やめろ、癒えない癒えない! こいしがいると疲れるだけだから、どっかに消えてくれ!」

消え方を忘れちゃったとわたしが言うと、思い出せよぽんこつ!とこころちゃんはわたしの頭を殴った。
仕方ないので、わたしはこころちゃんが『秦こころ』と無限に書き続けるのを隣で眺めていた。

「ねーねー、こころちゃん」
「なんだよ?」
「わたしの友だちにもこころちゃんのファンがいるから一枚書いてよ」
「別にいいけど…。宛名は?」
「わたしの名前はなんだっけ?」
「お前は古明地こいしだろ! え、もしかして、そのファンって、お前のこと?」
「ちがうよー。じゃあ、それなら、それはウィルのためにだ」
「ウィル?」
「フィリッピー・ウィル。わたしの大切な友だちだよ」
「ふうん」
「そうだ、よかったら、メッセージも書いてくれない? 一言だけでいいから」
「一言でいいのか?」
「うん。たった一言、”そばにいる”って」

それからわたしはこころちゃんをまた抱きしめた。
今度は急に愛おしくなって、気がついたら、そうしていたのだ。
だから、それはウィルのために。
遠い宇宙の無数の星々のたったひとつのように、こころちゃんは暖かくて、そして懐かしい匂いがした。


おしまい
あるいは、シロベーンのために
(読んでくれてありがとうございます! 来年も書けたらいいなと思うので気が向いたら見てください)
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1.100植物図鑑削除
大げさですがすごく、すごく良い。どこか悲しいような、それでも前を向けるような、そんな不思議なお話です。ウィルはイマジナリーフレンドの亜種みたいな感じで読んでいたのですけど、そう単純なものでもないところにこのお話の妙があると思っています。いわゆる「論理的」なお話ではきっとない。でもこのお話はそうでなくてはならないと感じました。
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
4.100サク_ウマ削除
自己同一性とか思考の浸食とか、結構重い題材なのですが、全体的にどこか優しい空気感をしているなと思いました。
良かったです。美しいなと思いました。
5.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです。病気?的なウィルと、もともと少し狂ったようなところがあるこいしのつながりが愛おしく、治療とかそういったふうな捉え方ではなくて、同棲生活ともとれるような依存的な態度をとっているのが不思議と自然体で表現されていると感じました。