「『方舟』に乗ってみない?」
蓮子にそう提案された。
最初は何か怪しい宗教、そうでなくともある種のグループなのだと思った。グループ、という言葉を使ったのはなぜだか私にとってそれが比較的小規模な集団を想起させたからだ。
ノアの娘にでもなったつもり? と笑いながらはぐらかそうとしたが私の中の一点を見つめる蓮子の表情は真剣だった。私の方も笑いを緩めて蓮子に告げる。
「世界はまだ終わらないわよ」
「世界が終わるからじゃない」
「宗教団体に入る気はないわ」
「そういうものじゃない」
「神様に選ばれた人間にでもなったの?」
「神様なんて信じてない」
「大体『方舟』なんてどこにあるのよ」
「私は知っているわ」
はあ……これはちょっと駄目だ。私は蓮子のことを心配しているからこそ、心療内科への受診をやんわりと提案した。蓮子はメリーがそう言うのならばと受け入れてくれた。
後日。
「心療内科の先生はなんて言ってた?」
「ちゃんと寝れているかとか、最近変わったことがないかとか、疲れてないかとか、そういう他愛もないことを聞かれておしまい」
「その、『方舟』については説明しなかったの?」
「別にその人と乗りたいわけじゃないから」
はあ……これは私も同伴したほうが良いのかもしれない。まったく、こういうときに病院は役に立たない。本当に困ったものだ。
とはいうものの、妙なことを言い出し始めた以外に蓮子に変わったところは見受けられない。
いつも通り私と喋り、いつも通り私と笑い、いつも通り私と帰り、いつも通り……そう、一つを除いていつも通り。
「方舟」の話をするとき、蓮子はいつも私の中の一点を見つめている。その一点がどこなのか、自分でもよく分からない。ただ分かるのはそこに悪意とかそういうものは一切ないということ。おそらく蓮子は今までもそうだったように、そしてこれからもそうであるように、私に対する期待と好意の入り混じった感情からああいうことを言っているのだ。私はその期待と好意にきちんと応えてこれたのだろうか? 蓮子に尋ねる気にはどうしてもなれなかった。
方舟。私がその単語を聞くとき思い浮かぶのは3つ。1つ目はもちろん旧約聖書に出てくる大洪水についての話。2つ目はとある詩人の詩とそれを元にした合唱曲。3つ目はノーベル文学賞も噂された高名な作家による長編小説。いずれにしても関係があるとは思えなかった。
私が蓮子にあまり突っ込んだ質問をしないのは理由がある。
それが一種のカウンセリングとなってしまうことを危惧するからだ。相対性精神学ではカウンセリングの理論も一応学んだりはする。そこでしつこく言われるのは素人カウンセリングは極めて危険であること。その理由の一つとして挙げられるのが逆転移。つまり、治療者が被治療者に対して無意識に自分の感情を向けてしまうこと。だから私は二つの理由から蓮子のカウンセリングもどきを決して行わない。一つ、私が素人であること。一つ、私と蓮子との距離は極めて微妙なものであること。といっても私はその微妙な距離をどこか快適に感じている。もしかしたら私はその距離を伸ばしたり縮めたりすることを恐れているのかもしれない。いずれにせよ、私ができることは蓮子の、ある意味で執拗な勧誘に適当な受け答えをすることぐらいなのだ。蓮子は私の返答の意味するところに気づいているのかもしれない。なにせ随分と、曖昧な返しを続けているからだ。もはや儀礼行為と化したかもしれないその半一方的な受け答えが私達二人の間の距離を変容させることは決してなかった。
蓮子との付き合いは長い方だ。二人でお互いの能力らしきものを酷評し合う程度の仲ではある。共に旅行へと何度も出た。だけれども私は蓮子が私のことを本当はどう思っているのか、どこか掴みきれない部分がある。そしてその透き通った中にある淀んだ部分に手を突っ込む気にどうしてもなれないのだ。それはさながら長く付き合っている友人を「親友」と呼ぶのが憚られるようなものだ。「親友」と思った瞬間、私達はその「親友」との縁が多少なりとも薄まることを恐れる。そしてその縁が修復不可能となったとき、ひどく私達は傷つけられてしまう。もしかしたらもう立ち上がることは出来なくなるのかもしれない。本来は強靭であるべきなのだ。でも人はそこまで強くない。強くあろうとするとき、得てして相手にも自分と同じような強さを求めてしまう。それはおそらく一種の暴力だ。私はむしろ弱く卑怯でありたかった。誰も傷つけることなく、そして誰も悲しませることなく。そうすればこの豊かな平穏がいつまでも続いていくように思われたから。
数ヶ月が経った。相変わらず、頻度は低くなったものの「方舟」への誘いは続いていた。あの、一点を見つめる瞳も揺らぐことがない。はあ……もうそろそろ少し突っ込んだ質問をしてもいいのかもしれない。
「そこまで言うのなら『方舟』のある場所を教えてよ」
「乗る気になったら教えてあげる」
蓮子らしくもない。私はそう思った。私の知る蓮子は私をもっとぐいぐいと引っ張っていって、解けそうにない謎にも自分なりの解答を、たとえそれが正しかろうが誤りであろうが、自信満々で提出する、そんな人間だと思っていた。だからこそ、私に謎を投げかけることがむしろ彼女らしくないように感じられたのだ。
「なぜ私を乗せたがるの?」
「特別だからよ」
事も無げなその言葉にほんの少し驚いた。特別。私は蓮子の口から初めてその言葉を聞かされた。特別。自分が蓮子にとって特別な存在と受け取っても良いのだろうか? 特別な人間だと誰かに言われるとき、その発言者は決まって自らの利益を最優先とする。そんなことはわかりきっている。でも――たとえそうなのだとしても、私は蓮子の瞳から発せられた鈍い光がずぶりと差し込まれた、私の中のどこかにある一点に感ずる、鋭く快い痛みに目を背けるわけにはいかなかった。私が今まで信じていた蓮子との微妙な距離はこのときから、静かに、少しずつ、確実に、壊れていった。
嬉しかった。心地よかった。私は蓮子にとって特別な存在。私は今に至るまで、血の繋がりのない他人からダイレクトにそんな感情を向けられなかった。そして私も強いて向けようとはしなかったと思う。そのような感情の刺し合いはさながら薄氷の上を歩くようなもの。私はその第一歩目を踏み出すことすら避けていた。氷の下に広がる光景は確かにあまりに美しい。でも一歩踏み間違えれば身を蝕む冷温に命を奪われる。その死に顔が綺麗なものならばまだ救いはあるのかもしれない。それは大抵ひどく醜くて苦悶に満ちている。別に死相がどうなろうとも、私はもうどうでもよかった。そんなに醜悪な死体の顔を見たいのなら拷問を受けて殺された者のデスマスクでも鑑賞すれば良いのだ。
次の日から、私は蓮子から「方舟」についての情報を聞き出す努力を始めた。
「『方舟』に乗る気になったの?」
「もう少し情報が欲しくて。面白そうだったら前向きに検討するわ」
「変な宗教団体などではないの。乗るのは私達二人。旧約聖書のように動物を乗せることもないわ」
「ふうん」
正直なところ、私はもう「方舟」についてはあまり関心がなかった。いや、前々から関心などなかったのかもしれない。ただ蓮子とこうやって突っ込んだ話ができる、それがなににも代え難かった。そしておそらく蓮子もそう思ってくれているのだろう。一通り話し終えたと思しき蓮子に今度は私から話を振ってみる。
「蓮子ってさ、実家、東京だよね?」
「うん。前、一緒に来てもらったよね」
「なんで京都の方に来たの? 東京にだって良い大学いっぱいあるじゃない」
「…………」
黙っていた。
「なんで?」
「それは……この大学に私のやりたい分野に強い教授がいるって聞いたから……」
「そうなの。ありがとう、教えてくれて」
私は至極納得する返答が返ってきてくれたことでひどく安心した。
「私もこの国に来たのはね……」
「う、うん……」
そこで私は自分のことばかり話していたのに気づき慌てて蓮子に話題を振った。
「ごめんね、私ばかり話して。それで『方舟』についてもっと教えてくれない?」
「えっと、どこまで話したっけ? それでね……」
蓮子の言葉から伺うにおそらく「方舟」とは人々の精神の中にあるものなのだろう。それを知った私は正直がっかりせざるを得なかった。相対性精神学ではその類のことは随分と聞かされている。でもそんなことはどうでも良い。「方舟」だろうが「箱舟」だろうがどちらでも良い。私と蓮子は二人きりでこの世を終わらせる大洪水をきっと生き延びるのだから。
それから数ヶ月の間、私は蓮子との禅問答を続けていた。私はもはや蓮子の専属カウンセラーだ。蓮子が私を必要としているように、私も蓮子を必要としている。お互いがお互いの「特別」な存在。それを自覚すると私はついついこのくだらない世界が終わる空想に耽ってしまう。あるときは大洪水であり、あるときは巨大隕石の衝突であり、あるときは氷河期の到来であり。いずれにせよ変わらないのは、私と蓮子が二人きりでシェルターのようなものに身を寄せるということだけ。私達二人が生き残ることが人類にとってどのような意味を持つのかなんてどうでも良い。二人は何ものにも束縛されることがないのだから。天の上の大いなる意思などというものが存在するのだとしてもそんなものは絶対に認めない。そんな意思に引き裂かれるぐらいならば、私はその傲慢な知的物体に罵詈雑言を浴びせてから舌を噛んで死んでやる。でも――それでもどうか私の蓮子にだけは生き延びてほしいのだ。
ある日のこと。私は少し痩せたようにも見える蓮子にこう尋ねてみた。
「ねえ蓮子、私のこと、どう思っているの?」
「え? どう思ってるって?」
「いや、別に他意はないんだけど」
「え、え、えっとね……」
言葉を詰まらせながら、それでもしっかりとした、蓮子らしいはっきりとした意思をもって彼女は言葉を継いだ。
「『友達』だと思ってるわ。大切な『友達』」
頭を殴られた。何も言えない。なぜだかわからないけどその瞬間、私は泣きじゃくっていた。もっとずっしりとした重力を感じる言葉が私にはふさわしいはず。だけれども蓮子の口から告げられたものはどこまでも代替可能で、どこまでも、まるで夕暮れ時の影のように、ふわりとしていた。私は蓮子にとって「特別」ではなかったのだろうか? 私の独り相撲だったのだろうか? 私はあの単語が出てくるものだと信じていたのに。もう何も分からない。もう何も分かるまい。もう何も――
涙が出なくなったのは外が暗くなった頃だった。私は誰かに背中を撫でられていることに気づいた。分かっている。それが誰なのか。でも認めたくなかった。恥ずかしかったというのもある。それ以上に私は自分こそがハッピーエンドで終わる悲劇の主人公だと勝手に思っていたことにようやく気づいたのだ。
「落ち着いた?」
私はとりあえず黙って首を縦に振った。
「大変だったのよ、いきなり泣き出して。ずっと背中をさすっていたというのに一向に泣き止まなくて……」
「ごめん……私ったら……」
「いいのよ、大丈夫。大体最初に私が色々言い出したのが悪かったんだから。気にしないで……」
もう「特別」である必要などない。ただそこにいて同じ空気を吸い込むだけで十分なのだ。
「ねえ、メリー」
眼窩に宿した眩しい光を私は見た。
深く抉られてずきずきとする私の中の一点を光がすうと覆ってくれた。
「『方舟』に乗ろう?」
頷いた。もう言葉はいらない。
そうだ。天の上から見下ろしたりなどするはずがない。
構わないよ。
きっと、幸せ、だから。
あくまでメリー視点のお話で
蓮子視点ではどのような考えや思いや過程があったのか気になるところですが、
読みたい反面これは明かされないほうがきれいなのかもしれないとも思う難しいところ