Coolier - 新生・東方創想話

東方随想集

2021/12/28 21:56:35
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 『肩透かし』

 ふと離れた場所から誰かに声をかけられたような、少し遠くからぽんと肩を叩かれたような、そんなことがたまにあります。私は後ろを振り向いてみました。そして呼びかけに返答しようとしたときにはもうそこには誰もいない。山彦がいることを期待して山に向かって叫んでみて肩透かしを食らう人の気持ちってそんなものなのかもしれません。
 寺の参拝者がいないとき、きれいに掃除したはずなのに何も言われないとき、どこか寂しいような、それでいてほっとしたような気持ちになります。それは本来の意味での「肩透かし」ではないのでしょう。「肩透かし」という言葉はもともと相撲の決まり手から来ているらしいのですが、私にとってそんな荒々しいものではなく、文字通り肩がすっと透明になってくれるような、そんな感じです。
 肩透かしを食らうためには気づかぬうちに肩を叩かれるという所作が必要になるのでしょう。追っ手から逃れていた者が安心したところで後ろから肩を叩かれる。観念する。これもやっぱり肩透かし。その人はもう逃れる必要はないのですから。観念した先でひどい目に遭わされる場合ですらきっとそう。
 思えば山彦なんて両方の意味で肩透かしを食らわせる存在なのかもしれません。友人の隣で、恋人の隣で、子供の隣で、山に向かってヤッホーと叫んでみて何も返ってこなかったらきっと本来の意味での肩透かし。でももしヤッホーと返ってきたらその返答がウルセーとかホッヤーとかそんな言葉じゃないことで肩透かしを食らわされるのでしょう。
 誰かがいない。誰もいない。そんなときにも耐えられるのは私達が時折肩透かしを食らうからなのかもしれない。牢屋で、南極で、宇宙空間で、私達はそこにいない誰かから肩をぽんと叩かれます。それは幻覚とかそんな大仰なものなどではなくおそらくはただの気のせいです。でもその存在しないはずの掌から大げさですけど私達は励ましのようなものを受け取るのです。
 すぐ後ろだと気になりすぎてずっと遠くだと気づかない。肩透かしを食らうとき後ろとの距離はどこか絶妙な遠さなのです。それこそ手を肩から後ろに回せばそっと届きそうな。そんなとき、私は後ろに誰もいないことを知りつつもどこか手を伸ばしてみたくなる衝動に駆られます。でももしそこに本当に誰もいなかったら。そのときは本当に肩透かしを食らってしまう。きっとそのとき私はすごく寂しい気持ちになる。誰もいないのは分かっている。一人なのは分かっている。でも誰もいないという事実を知りたくない。そうやってぼやぼやとしているうちにさっと離れていってしまうのです。本当に、肩透かし。
 時折思うのです。私は肩透かしを食らわされているばかりじゃなくて、誰かに食らわせてやる存在になりたい。山彦なんだからそんなことを思うのは当たり前です。でも、科学のおかげで山彦がただの「自然現象」となるとき。そして私が私でなくなるとき。そんな消え去ったはずの未来のことを時折思うのです。
 思い出します。山の中、一人ぽつんといるときに、本当の意味での肩透かしを食らわされたのを。私は泣きながら、バカヤローとかなにかそういうことを滅茶苦茶に叫んでいた記憶があります。そしてその声は山の向こう側に吸い込まれていきました。そのときほど心細くなったことはありません。まるで私が私でないような。そんなとき、少し離れた場所から誰かに声をかけられたような、少し遠くからぽんと肩を叩かれたような、そんな感覚がありました。
 誰もいない、誰かがいない。その誰かが誰なのかはもう忘れてしまいました。ただ一つこびりついているのはそのときの肩透かしの感覚だけ。私は呼び声にヤッホーと返しながら、今なおその肩透かしを探し続けているのかもしれません。



『シェラ・デ・コブレの幽霊』

 私は昔から夢を見る。子供の頃、テレビで怖い映画を見た夢。悪夢と言っても良いのだろうけどどこかひりひりと心地よい。映画の内容はよく覚えていない。ただ、足のない幽霊が登場する映画だということは覚えている。
 『シェラ・デ・コブレの幽霊』についての話を聞いたのは最近のこと。もう既にほとんどのフィルムが散逸してしまっており、現存するのは僅か二本だという。白黒の映画で、もしかしたらテレビの名作劇場か何かで放映されたのを見たのかもしれない。でもおそらく私はその頃には生まれてすらいない。だから私が見たことのあるはずなどない。しかし私はその単語を聞いたとき、どこかあの心地よさを感じざるを得なかった。奇妙な感覚だ。
 夢の中で幻想郷に入れるようになったのは最近のこと。夢の私と現の私が同じ存在なのかは知らない。あまり興味もない。問題が起こったらそのときはそのときだ。
 夢の中の幻想郷は楽しい。別に現実世界がつまらないというわけではないけど。
 夢の中の友達は起きたらさよならだ。再び会えるのは次のまどろみに陥ってから。
 夢の中で怪我をしたら痛い。夢の中の私が死んだら現の私はどうなるのだろうか。
 最近、現の景色がまるで白黒のように感じられる。それと反比例するかのように夢の中の映画はまるでカラー映画のように色づき始めている。その着色が始まったのは幻想郷に入れるようになった辺りからだ。決して現実が私を拒絶しているのではない。成績は優良。友達だって作った。だけれども私は授業中であっても、休み時間であっても、通学中であっても、眠りの中に立ち入ることを止められない。
 二つに一つ。映画の夢か、幻想郷の夢か。
 前者であるとき私はひりひりとした心地よさを、後者であるとき私はふわふわとした安楽さを味わう。どちらが良いとかは言うことが出来ない。それこそ遊園地でジェットコースターに乗るのかメリーゴーランドに乗るのかという違いぐらいだ。
 映画の夢を見るとき、子供の頃の私はテレビ画面の前でひとりぽつんと立ち尽くしている。小さい頃なのだからテレビは親と一緒に見ていたはずだというのに。一時間半ほど画面の前に立っている。でも起きたときにはその映画の内容は、足のない幽霊以外は覚えていない。
 幻想郷の夢を見るとき、私は多くの友人に囲まれている。確かに幻想郷はこの現実世界の延長上にあるのかもしれない。でも現の私がそこに行くことはない。それなりに長い間幻想郷の中にいたはずなのに私はいつもほんの一瞬のように感じられる。でも起きたときには幻想郷の友人と喋った内容まで鮮明に覚えている。
 きっと後者が夢の私にとっての現実なんだろう。でもどうしても、夢の幻想郷には欠けてしまっているピースがあるように思えてならない。もしかしたらもう既に私はそれがなにか分かっているのかもしれない。分かっているということと受け入れるということとは全く別。受け入れるには私はまだきっと色々と準備が足りていない。
 ある日の夢の中。香霖堂に立ち寄った。目に入ったのは映写機だ。霖之助は一人立ったままでスクリーンを見ていた。その白黒映画では足のない幽霊が登場していた。
「なにを見てるの?」
「この映画は現実世界で全てのフィルムが喪失してしまったらしくて。もう外の世界では人の記憶の中にしか存在しないらしいんだ」
「……何というタイトル?」
 聞かなければ良かった。だってきっと私はその映画のことを知っているのだから。そう思ってももう遅い。
「うーん、なんていったかな……悪いね、なんかカタカナのタイトルだとは思うんだけど……」
 私は答えなかった。きっと答えた瞬間、二つは一つに統合される。そのとき、お互いに欠けた世界はお互いに欠落を埋め合うのだ。そのぴったりと接着した隙間に私が入る余地はない。
「あ、思い出した。『ジ・アブソリュート・エンド』だ」
 ほっとした。私の世界は守られたのだ。
「どうしたんだい? 変な顔して?」
「な、なんでもない」
 そこで目が覚めた。授業中だった。呆れたように私を見下ろす教師の顔が斜め上にあった。安心した。
 この世界と地続きにあるはずの楽園の中ではまだ『ジ・アブソリュート・エンド』が上映されているのだろうか? この世界のどこかに確かに存在する二本のフィルムが失われてしまったとき。そのとき私は夢と現実は違うのだと認めなくてはならなくなるのだろうか? 
 いずれにせよ、今日見る夢はどちらなのか、私の関心事はそれだけ、ただそれだけだ。



 『迷い猫』

 猫を探すことになった。
 紫様たってのご依頼だ。その紫様はさる知人から猫探しを依頼されたらしい。正直言ってこんなことは橙にでも任せておけばいいのかもしれない。だけれども久々にこういうくだらないように見える雑務をこなすのもいい運動になるだろう。
 とりあえず人里を回ることにした。しかし猫のいそうなところとはどこなのだろうか? 喫茶店にでも行けば良いのだろうか? 
 喫茶店では三毛の飼い猫がごろごろと仰向けに寝転びながらごろにゃんと鳴いていた。頼まれたのは黒に白斑のメス猫だ。なんでも外の世界からここに迷い込んできたらしい。人によく懐くので、もともとは捨て猫だったんじゃないかと紫様は仰っていた。
 だけれどもこうやって人に飼われるようになったのならもはや捨て猫ではない。だからといって今は飼い猫の状態でもない。迷い猫、という言葉がしっくりと来る。迷い猫、という言葉が辞書に載っているのか私はよく知らない。だけれども人の言葉の中でその語が使われるとき、私は雑然とした都市の裏路地を堂々と闊歩するネコ科の動物の姿を想像する。そのときまで人の手中にあったはずの愛玩動物は偽りの自然の中を悠然と歩く肉食動物へと姿を変える。
 ふと橙のことを考える。橙も確かに猫のはずなのだが、私の中では先のイメージと微妙に合致しない。橙を飼い猫などと呼ぶのはあまりに失礼だと思うし、だからといって脳裏に浮かんだ迷い猫の光景ともどこかズレる。橙はきっと、夜郎自大な迷い猫を遠くから眺めながら、傷ついたときにそっと無言で撫でてやる、そんな奴なのだ。さて、人里を一通り回ったがお目当ての猫は見つからない。別のところを探すとしよう。
 こういうときは新聞記者に聞くのが手っ取り早い。私は人里に取材に来ていた射命丸文を捕まえて、探している猫について尋ねてみた。
「うーん、猫ですか……あっ、そういえば心当たり、あるかもしれません」
「それは?」
「えっと、以前取材したんですけど、ここから離れた山奥の廃村に猫が集まっているらしくて。……まあ随分と混沌としていたんですけど」
「それはどこにあるんですか?」
「そういえば貴方、橙さんのご主人でしたよね? 集めてるの、橙さんじゃなかったかな」
 まったく、自分の式神のこともよく知らないなんて紫様に叱られてしまう。その猫の楽園の場所を教えてもらい、お礼を言った後、私は人里を出ることにした。
 教えられた場所は確かに人の足ではかなりかかるであろう山奥で、誰かが迷い込むことなどあまりないように思われた。かつて人がこんなところで暮らしていたのだろうか。なるほど、幻想郷という場所は私が考えているよりもずっと面白い場所なのだろう。
 草の香りの合間から何匹もの猫の鳴き声が聞こえる。その音の鳴る方へと歩みを進める。
「まったく……せっかくここにいるんだからちょっとは私に懐いてくれればいいのに……」
 聞き慣れた、どこか安心させる声が聞こえてきた。
「こんなところでなにをやっているのかな?」
「げっ……ら、藍様……なんでここが……」
「別に怒ろうだなんて思っちゃいないよ。私はただ紫様の頼みで猫を探しに来たんだ」
 私は橙に探している猫の特徴を伝えた。橙は心当たりがあったようで、奥に引っ込むと一匹の猫を捕まえてきた。
「えっと、この子とかどうでしょうか?」
 黒に白斑のメス。おそらくこの猫だろう。
「ありがとう、助かったよ」
「以前鴉天狗が取材にやって来たけど本当はあんまり教えたくないんです……」
 少しだけ橙の気持ちが分かるような気がした。迷い猫はとても傷つきやすいからだ。
「でも……こうやって久しぶりにお役に立てたのは……」
「なんだ、お前らしくもない。そんなことを言うんだったらいつも私の言うことを聞いてくれればいいのに」
 私がそうからかうと橙はぷいとあっちの方を向いてしまった。まったく、素直じゃないやつだ。そうだ、今度、マタタビを多めにやってやろう。橙だって迷い猫のようなときがあるだろうから。そしてそのとき、きっと恥ずかしがるだろうけど私はそっと橙の頭を撫でてやりたいものだ。
どれも短いのですが……一応違った感じの作品ではあります。
#東方随想 で似たような作品を投稿しているのでもしよろしければ。
植物図鑑
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コメント



0.140簡易評価
1.100サク_ウマ削除
しみじみとした読後感で、心地良く読めました。良かったです。
2.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100時計太郎丸削除
特に迷い猫が好みです。
らんちぇんの関係性がピシッと心に来ました。
5.100名前が無い程度の能力削除
キャラクターの心情に寄り添った文章が染み入りました。
山彦の話が特に好きです。喪失や諦念のもの悲しさが際立っていて、感情がするりと入ってきました。
7.100水十九石削除
肩透かし、とりわけ良かったです。
9.100南条削除
面白かったです
『迷い猫』が一番よかったです
10.100KoCyan64削除
『肩透かし』が好きです
11.90夏後冬前削除
肩透かしの空気感と山彦の関係性がすこでした
12.100モブ削除
凄い素敵な発想のお話でした。
面白かったです。ご馳走様でした。
13.100柏屋削除
迷い猫が一番好きです。
情景描写と時系列があると読みやすい感がありますね。
作品とは関係無いのですが、どのような経緯を経て
紫が猫を探すに至ったのか、ドラマがありそうで面白そうです。
(もしかしてこの猫、幻想入りしてきた?)
14.100めそふ削除
肩透かし、すごく良かったですね。淡々と、しかしそれでも感情を込めながら書かれるこのお話がとても印象に残りました。菫子の幽霊の話も好きでしたね。特に二つは一つに統合されるって場所、あそこがとても好きでした。