あか、みどり、あか、みどり、あか、みどり。
電飾の色じゃない色は、すべてが赤と緑。
電飾の色は、蜂蜜みたいな半透明なイエロウ。
あるいは紫、青色、オレンジ。
電飾のアーチの下で、チルノちゃんは少しだけモノクロみたいだった。
「サンタがいないってことを知ったのは三年前の昨日だった……。それ以来あたいのクリスマスは前よりつまんなくなった」
「少し泣いてたっけ?」
「少しどころじゃない! あたい、わんわんと泣いたの。けーね先生のせいだわ」
「べつに慧音先生がサンタクロースを消しちゃったわけじゃないでしょ? それはずっと存在してなかったんだよ。チルノちゃんが知らなかっただけで」
「そう、あたいは知らなかったんだ。信じてた。幸せだったのよ。プレゼントなんかいちども、もらったことなかったけど、でも毎年楽しみにして、いい子にしてたの」
「数日前からだよね? 信心足りなかったんだよ、チルノちゃんがわるい」
「クリスマスなんて、さいてーね」
電飾の色は、いま瞬間に、青。
人たちが通り過ぎる。
退屈しのぎに足を出したら、ひとり転んだ。
頭を叩かれた。
『ケーキ売り場 こちら ↑』
わたしたちは看板を持って立ってた。
「思い返すと、クリスマスにたのしかった思い出がないわね」
「わたしは毎年たのしいよ」
「なんで?」
「チルノちゃんが惨めな思いをしてるのを見るのがたのしい」
「なんだとー」
頭を叩かれた。
看板で。
空に星。視神経の奥できらきらが飛び散る。
「たのしいたのしいクリスマスにこんな看板もって突っ立ってんのって惨めね」
「痛いしね」
「なんか楽しいことないかな」
「いいアイデアがあるよ」
「なに、なに?」
「町を歩く楽しそうな人たちをふたりで氷づけにして回るんだよ」
「ふたりで、って大ちゃんは何をするのさ?」
「わたしはわたしのきらいだった人をぜんぶ思いだしてチルノちゃんに告げ口するの」
「さいてー」
ぴゅうと風が吹いた。
わたしは着ているコートの端を寄せた。
マフラーいる? あたいは寒いのへーきだからさ。
つぎはぎだらけのマフラーにマフラーを、コートにコートを重ねて、わたしは全部がつぎはぎだった。
「まるでわたしはフランケンシュタインみたいだ」
「フランケンシュタイン、どこにもいないわ。サンタとおんなじ」
「というか、いやならやめちゃえばいいじゃん。看板持つのだって」
「でも、お金がなきゃ、ケーキも買えないわ」
★
はじめてチルノちゃんに会ったときもおんなじこと、言ってた。
夏だった。
縁日。
神社の裏手の小さな森で、チルノちゃんは泣きそうだった。
泣くほんの間際、ぎりぎりの。
「ねえ、泣いてるの?」
「あたいは泣かないよ」
「ふうん。貴方のこと知ってるよ。噂だね。とっても強い妖精がいるってさ」
「そう、あたいってさいきょーなんだ」
「だから泣かないんだ?」
チルノちゃんは膝を抱えてうずくまっていた。
縁日の遠い光。
ぼんやりと広がって、夕炎のようだった。
チルノちゃんのまぶたの下で、それが光る。
小さな声でチルノちゃんが言った。
「ほんとはさ、あたい、泣けないんだ。泣こうと思ってもすぐに涙が凍っちゃうの。だから、あたい、泣き方なんて一生知れないの!」
わたしは触れた。
チルノちゃんのまぶたの下の小さな氷塊に。
どうしてそんなふうにしたんだろう。
光性?
わたしがまだ未分化な自然の一部だったときの記憶できらきらしたものには触れてみたくなるというだけのことだったかもしれないね。
わたしの手のひらの熱がチルノちゃんの涙を溶かして、わたしの指の下でチルノちゃんは泣いてた。やがて溶け出した涙がわたしの手を汚し、地面にぽたぽたと落ちた。
氷をさあ、って、チルノちゃんは言った。
「氷をさぁ、売ってたのよ。屋台には氷があると便利でしょ? だから必要なとこに売って、お金をもらおうと思って、そしたら殴られた。縁日でものを売るには地代っていうやつが必要なんだって、お前、地代ってわかる?」
「お金なんかいらないじゃん。わたしたちには」
光は水溶性。
縁日の遠い灯りが夜に溶けている。
チルノちゃんが、言った。
「でも、お金がなきゃ、ホットドッグも買えないわ」
そんなふうにしてわたしはチルノちゃんとともだちになった。
★
クリスマスの夜にはホットドッグは売ってないけど、チキンが売ってる。
わたしはチキンを食べてた。
それを見て、チルノちゃんが喚きはじめた。
「ず、ずるい! いつチキンなんて手に入れたのさ!」
「さっき」
「どうやって?」
「愛嬌で」
「あいきょー?」
「ちきんたべたーい、です、って。かわいくね」
あたいもチキンもらってくる、って、チルノちゃんはわたしに看板を渡してチキンを売ってる出店のほうへと歩いていった。それから店主となにやら話していた。
そして、殴られた。
怒りながら戻ってきた。
「どうだった?」
「な、なんで…! なんで、大ちゃんがチキンもらえてあたいがもらえないのよ! あたいのほうが大ちゃんよりかわいいのに!」
「思うにチルノちゃんはかわいすぎるんだよ。かわいすぎるから反感を買うんだね」
「それ、あたいにもわけて」
「やだ」
「一口でいいから!」
「もぐもぐ」
「おねがい」
「もぐもぐ」
「もう大ちゃんとは一生話さない!」
「もぐもぐ」
チルノちゃんを中心にあたりがどんどん寒くなってくる。
通りを過ぎる人々が震えながら早足に駆けていく。カップルが互いの身体を抱き寄せる。ケーキを買う列に並ぶ人たちがマフラーを巻き直す。
わたしはまたコートの端、寄せた。
「いい気味だわ」
「もぐもぐ」
「あたいにチキンをくれないからさむくなるんだ」
「もぐもぐ」
「このままみんなこおりついてさいてーのクリスマスになればいいのよ」
「もぐもぐ」
「てか、大ちゃんなんで、さっきからずっとあたいのこと見てるの? 熱狂してんの? あたいにさぁ」
「そうだよ?」
「ふふっ。あたいって大罪ね」
もう帰ろう、とチルノちゃんが言った。
看板はいいの、って、わたしが聞いたら、その場に、それ捨てた。
わたしたちは歩いて家に帰った。
★
わたしたちの家には色がない。
電飾がないから。
家に着いた途端、寝る、って言ってチルノちゃんは布団をすっぽり被ってしまう。
「サンタがきたら呼んでね」
「サンタさんはいないよ。存在しないの。チルノちゃんもご存知の通り」
「うるさいわ。ほけんよ。ほけん、意味わかる?」
「もしサンタさんが来たとしてどうするわけ」
「氷づけにしてやる! お前のせいで、この夜はあたいにさいてーだって」
「じゃあわたしは新しいコートをお願いしようかな」
「きっととってもきらきらのコートをくれるわ。ちいさくて着れないやつを」
「なんでサンタさんはそんなことするの?」
「しょーねが終わってるから!おやすみ!」
「おやすみ」
10秒経ったあとで、わたしはチルノちゃんをコールする。
同じ布団に潜り込んで、チルノちゃんに触れる。
まるでチルノちゃんが電話機で、チルノちゃんの身体の部分のひとつひとつが番号のボタンだっていうみたいに、それにひとつずつ触れる。
たとえば、耳たぶに触れて、りんと鳴る。
鎖骨のくぼみに触れて、りん。
ほっぺたに、りん。脇腹に、りん。やわらかいところに、りん。
りん、りん、りん、りん。
「んぅ……ねえ、大ちゃん」
「なぁに?」
「触れないで……」
「どうして?」
「あつくなるから…。頭ん中にあついのがのぼってくる……」
「そしたら、だめなの?」
「だ、だめだって! これいじょうしたら……」
「これ以上したら?」
「とけちゃう……」
そしてチルノちゃんは溶けてしまった。
正確に言えば、チルノちゃんの頭の中、その思い出が。
それらが溶解してしまったあとで、チルノちゃんは少しだけ大人びて見えた。
「去年は町に一緒に大きな氷のクリスマスツリーをつくった、一昨年はこの幻想郷でいちばん高い鉄塔の上でふたりで星を見た、三年前はサンタクロースごっこをやったよね、その前は……」
チルノちゃんがわたしの耳たぶを軽く噛んだ。
そのまま言った。
「……ねえ、大ちゃん、また、あたいをコールしたでしょ?」
チルノちゃんはクリスマスの思い出を凍結する。
頭の中のその部分を凍らしておいて、保存するのだ。
「言ったじゃない。溶かすと、劣化、しちゃうのよ」
「でも今夜じゃなきゃ、チルノちゃんの全部に会えないじゃん」
凍結した記憶はいつまでも新鮮なまま残るんだってチルノちゃんは言ってた。
ただ思い出すことができないだけで。
それでもチルノちゃんは凍結してしまう。
思い出を。
ほんとはクリスマスだけじゃない、大切な日はみんな。わたしとはじめて会った日も誕生日も記念日も、全部。
そのせいでチルノちゃんの脳みそは少しずつ小さくなってしまう。
思い出重ねるたび、チルノちゃんはほんのちょっぴりだけ馬鹿になってしまう。
実際、出会ったばかりのチルノちゃんはわたしよりもちょっぴりだけ賢かったのだ。
「わすれたくないのよ。わすれっぽいのはむかしからだから、大切な思い出は失くさないようにとっておきたいの」
「べつに忘れちゃってもいいじゃない。クリスマスなんかそんな特別な日でもないし、いつもとおんなじだよ」
「あたい、記念日とかは大事にしたいタイプ」
「チルノちゃんって脳みそぜんぶ使ってるときのほうが、なんだか馬鹿の感じだね」
「なんだとー」
チルノちゃんが掴みかかってくるので、わたしはベッドを飛び出した。
追ってくるから、外に飛び出す。
冷たい風。
ぴゅうと吹いて、わたしはちょっと震えた。
チルノちゃんがコートとマフラーを持ってきてわたしにかけてくれた。
「風邪をひくよ?」
「ありがとう」
「でかけるの? あたいは帰って寝るけど」
「寝て、今夜のことも忘れるんでしょ?」
「忘れるわけじゃないもん。ほぞんするのよ」
「夢には見る?」
「そうね。ときどき出てくることもある」
「ふーん。楽しそうだね。こっちでは忘れちゃうのに、夢の中ではわたしと思い出話とかするんだ?」
「大ちゃん、嫉妬、してんの? 夢の中の自分に?」
「そうだよ?」
「あたいってば大罪ね」
「ほんとにさぁ」
少し歩こうよ、と先に進むとチルノちゃんは素直に着いてきてくれる。
冷たい夜だった。
風に、マフラーが揺れてた。
「これ、思い出した? 記念日にチルノちゃんが買ってくれたんだよ」
「うん」
「すごいよね。稼ごう、なんてこと、わたしたちの誰も考えなかったのに」
「あたいは天才だからね」
「そうだよ。ぼろぼろになっちゃったけど、使ってるの。壊れるんだとしても使わなきゃ意味ないもん」
「それって思い出の話?」
「大事に取っておいてどうするの?」
「ある、ってことが大切なんだって、あたいは思うんだ」
「ないよ。楽しいことなんか何もなかったよ」
「ほんとに?」
「大切に思ってるのはチルノちゃんだけでわたしはぜんぜんそうじゃないとしたらどうする?」
「かなしい…。泣くかも」
「ひとりじゃ涙も流せないくせにね」
森の中で立ち止まると、空に星。
星の色は、透明。
それは黒い夜空にあいた小さな穴だった。
「大ちゃんは怒ってる?」
「べつにいいんだよ。チルノちゃんが自分の思い出をどうしようが、わたしは」
「そお?」
「でも、それをさ、いいアイデアだとチルノちゃんが思ってることが、むかつくの。それってぜんぜんいい考えじゃないと思うな。馬鹿みたい」
「そうかな」
「もっといいアイデアがあるよ」
「それって、なぁに?」
ピンク色のマフラーがひらひらと夜の上を飛んでいた。
それをわたしが投げたから。
それは、風に乗って星に混じって、遠いところへ見えなくなってしまう。
「あ、行っちゃう……!」
「ねえ、いいんだよ。マフラーならまた新しいの買ってよ。それよりアイデアひとつ、教えてあげる。ぜんぶ捨てちゃうんだよ」
「捨てる?」
「楽しい思い出が大切すぎて凍らしてまで取っておきたくなるなら、ぜんぶ楽しくない思い出に変えちゃえばいいんだよ」
「どうやって?」
「今夜さ、今夜、このクリスマスの夜を、わたしがさいてーに変えてあげよう!」
首元に冷たい風。
ちょっと、震える。
でもわたしたちがここで凍りついてしまうその前に、わたしたちは最低のクリスマスを過ごさなければいけないのです。
たとえば、こうやって。
★
わたしたちは通りに立ってた。
『ケーキ売り場 こちら ↑』
ふたりで。
看板を持って。
人々は通り過ぎる。風も強く吹き抜ける。真冬の風は肌にとても冷たいし、通りを行く人たちはみんなクリスマスの夜に浮足立ってるように見えた。
「大ちゃん、あたいは天才だけど、ときどき自分がとてもばかに思えるときがあるわ」
「どうして?」
「だってこんなのぜんぜんいいアイデアに思えないもん」
なんとなく足を出したら、ひとり転んだ。
殴られた。
「痛ったぁ……」
「ねえ、ねえ、大ちゃん、痛い目みるってわかってて、なんで足だすわけ?」
「あーあ、わたしも帰りたくなってきたなあ。なんでみんなであんな笑ってるんだろう……。なにがおもしろいのかな……。どうしてわたしたちはみんながこんなに幸せそうなこの夜に、寒い中、わざわざ看板を持って立ってなきゃいけないんだろう」
「大ちゃんが言いだしたんだよ?」
「でも、そもそも看板の仕事をやろうって言い出したのはチルノちゃんだよ?」
「あたいはただふたりでケーキが食べたかっただけなのよ」
「ケーキなんていつでも食べられるのに?」
「でもクリスマスにはケーキだもん」
「あーあ」
看板をチルノちゃんに預けて、手のひらを擦り合わせる。
暖かい吐息が、外気にとっても白色だった。
チルノちゃんのは透明。
逆に夏には白く染まる。
わたしはチルノちゃんの肩に首を預けた。
「だいじょーぶ? つめたくない?」
「冷たい。でも冬はいいんだ」
「冬? みんなは夏にあたいがいると助かるって言うけど」
「わたし、季節を感じるのが好きなんだ。自然の一部として生まれたからかな。夏は暑いのが夏だから暑いのがいいの。冬は寒いのが冬だから、チルノちゃんがそばにいると嬉しい。ああやってカップルが手を握って温めうのはだめだね。季節を味わってないもん。でもわたしがチルノちゃんの手、握るのはいいんだよ。チルノちゃんは冬に特別だから」
「ふふ。へんなの」
電飾のきらきら。
それ以外のものは、赤と緑。あるいは白。
サンタさんのコスプレをした人を見つけては指差して、チルノちゃんに、ほら、サンタさんいるじゃん、こんなちっぽけな町にこんなにたくさん降り立ってさあ、って。
チルノちゃんは透明なため息。
大気が少し凍りついて、小さな雪が降る。
「ねえ、チルノちゃん、やっぱさ、ふたりで町中の人を氷づけにして回ろうよ。楽しそうな人も寂しそうな人も、ぜーんぶ」
「ふたりで、って大ちゃんは何をするのさ?」
「わたしは今夜を覚えておくの」
「あははっ、それはいいアイデアね」
そんなふうにして、わたしたちはいつまでもそこに立ち続けていたのだ。クリスマスの町が静かになってしまうまで、ずっと。
結局、ケーキは全部売り切れたみたいで、買えなかった。
歩いて家まで帰った。
ねえ、ってチルノちゃんが言った。
「ねえ、大ちゃん、家帰ったらさ、あたいをまたコールしてよ」
「いいけど、電話番号って何桁だっけ? 10、11桁? 12だっけ?……まあでも十何回触れたらおしまいだね」
「あたいんちのは千桁よ」
「それはしんどいなあ」
途中、居酒屋の屋台を見つけた。
そこで12本の焼き鳥串と赤ワインを買った。
それで、お金はぜんぶなくなってしまった。
帰りながら、焼き鳥を食べた。
買った時点ですでにちょっと冷えていたけれど、疲れてるからなんでもおいしい。
家に着いたら、チルノちゃんは赤ワインを器用なやりかたで凍らせて、玄関にひとつだけ吊るしてある電球にかぶせた。
電飾の色は、赤色。
明日には溶けてなくなってしまう今日のためだけの赤色の光。
わたしがチルノちゃんに涙を与えることができるように、ときどきチルノちゃんはわたしに笑い方をプレゼントしてくれる。
おしまい
電飾の色じゃない色は、すべてが赤と緑。
電飾の色は、蜂蜜みたいな半透明なイエロウ。
あるいは紫、青色、オレンジ。
電飾のアーチの下で、チルノちゃんは少しだけモノクロみたいだった。
「サンタがいないってことを知ったのは三年前の昨日だった……。それ以来あたいのクリスマスは前よりつまんなくなった」
「少し泣いてたっけ?」
「少しどころじゃない! あたい、わんわんと泣いたの。けーね先生のせいだわ」
「べつに慧音先生がサンタクロースを消しちゃったわけじゃないでしょ? それはずっと存在してなかったんだよ。チルノちゃんが知らなかっただけで」
「そう、あたいは知らなかったんだ。信じてた。幸せだったのよ。プレゼントなんかいちども、もらったことなかったけど、でも毎年楽しみにして、いい子にしてたの」
「数日前からだよね? 信心足りなかったんだよ、チルノちゃんがわるい」
「クリスマスなんて、さいてーね」
電飾の色は、いま瞬間に、青。
人たちが通り過ぎる。
退屈しのぎに足を出したら、ひとり転んだ。
頭を叩かれた。
『ケーキ売り場 こちら ↑』
わたしたちは看板を持って立ってた。
「思い返すと、クリスマスにたのしかった思い出がないわね」
「わたしは毎年たのしいよ」
「なんで?」
「チルノちゃんが惨めな思いをしてるのを見るのがたのしい」
「なんだとー」
頭を叩かれた。
看板で。
空に星。視神経の奥できらきらが飛び散る。
「たのしいたのしいクリスマスにこんな看板もって突っ立ってんのって惨めね」
「痛いしね」
「なんか楽しいことないかな」
「いいアイデアがあるよ」
「なに、なに?」
「町を歩く楽しそうな人たちをふたりで氷づけにして回るんだよ」
「ふたりで、って大ちゃんは何をするのさ?」
「わたしはわたしのきらいだった人をぜんぶ思いだしてチルノちゃんに告げ口するの」
「さいてー」
ぴゅうと風が吹いた。
わたしは着ているコートの端を寄せた。
マフラーいる? あたいは寒いのへーきだからさ。
つぎはぎだらけのマフラーにマフラーを、コートにコートを重ねて、わたしは全部がつぎはぎだった。
「まるでわたしはフランケンシュタインみたいだ」
「フランケンシュタイン、どこにもいないわ。サンタとおんなじ」
「というか、いやならやめちゃえばいいじゃん。看板持つのだって」
「でも、お金がなきゃ、ケーキも買えないわ」
★
はじめてチルノちゃんに会ったときもおんなじこと、言ってた。
夏だった。
縁日。
神社の裏手の小さな森で、チルノちゃんは泣きそうだった。
泣くほんの間際、ぎりぎりの。
「ねえ、泣いてるの?」
「あたいは泣かないよ」
「ふうん。貴方のこと知ってるよ。噂だね。とっても強い妖精がいるってさ」
「そう、あたいってさいきょーなんだ」
「だから泣かないんだ?」
チルノちゃんは膝を抱えてうずくまっていた。
縁日の遠い光。
ぼんやりと広がって、夕炎のようだった。
チルノちゃんのまぶたの下で、それが光る。
小さな声でチルノちゃんが言った。
「ほんとはさ、あたい、泣けないんだ。泣こうと思ってもすぐに涙が凍っちゃうの。だから、あたい、泣き方なんて一生知れないの!」
わたしは触れた。
チルノちゃんのまぶたの下の小さな氷塊に。
どうしてそんなふうにしたんだろう。
光性?
わたしがまだ未分化な自然の一部だったときの記憶できらきらしたものには触れてみたくなるというだけのことだったかもしれないね。
わたしの手のひらの熱がチルノちゃんの涙を溶かして、わたしの指の下でチルノちゃんは泣いてた。やがて溶け出した涙がわたしの手を汚し、地面にぽたぽたと落ちた。
氷をさあ、って、チルノちゃんは言った。
「氷をさぁ、売ってたのよ。屋台には氷があると便利でしょ? だから必要なとこに売って、お金をもらおうと思って、そしたら殴られた。縁日でものを売るには地代っていうやつが必要なんだって、お前、地代ってわかる?」
「お金なんかいらないじゃん。わたしたちには」
光は水溶性。
縁日の遠い灯りが夜に溶けている。
チルノちゃんが、言った。
「でも、お金がなきゃ、ホットドッグも買えないわ」
そんなふうにしてわたしはチルノちゃんとともだちになった。
★
クリスマスの夜にはホットドッグは売ってないけど、チキンが売ってる。
わたしはチキンを食べてた。
それを見て、チルノちゃんが喚きはじめた。
「ず、ずるい! いつチキンなんて手に入れたのさ!」
「さっき」
「どうやって?」
「愛嬌で」
「あいきょー?」
「ちきんたべたーい、です、って。かわいくね」
あたいもチキンもらってくる、って、チルノちゃんはわたしに看板を渡してチキンを売ってる出店のほうへと歩いていった。それから店主となにやら話していた。
そして、殴られた。
怒りながら戻ってきた。
「どうだった?」
「な、なんで…! なんで、大ちゃんがチキンもらえてあたいがもらえないのよ! あたいのほうが大ちゃんよりかわいいのに!」
「思うにチルノちゃんはかわいすぎるんだよ。かわいすぎるから反感を買うんだね」
「それ、あたいにもわけて」
「やだ」
「一口でいいから!」
「もぐもぐ」
「おねがい」
「もぐもぐ」
「もう大ちゃんとは一生話さない!」
「もぐもぐ」
チルノちゃんを中心にあたりがどんどん寒くなってくる。
通りを過ぎる人々が震えながら早足に駆けていく。カップルが互いの身体を抱き寄せる。ケーキを買う列に並ぶ人たちがマフラーを巻き直す。
わたしはまたコートの端、寄せた。
「いい気味だわ」
「もぐもぐ」
「あたいにチキンをくれないからさむくなるんだ」
「もぐもぐ」
「このままみんなこおりついてさいてーのクリスマスになればいいのよ」
「もぐもぐ」
「てか、大ちゃんなんで、さっきからずっとあたいのこと見てるの? 熱狂してんの? あたいにさぁ」
「そうだよ?」
「ふふっ。あたいって大罪ね」
もう帰ろう、とチルノちゃんが言った。
看板はいいの、って、わたしが聞いたら、その場に、それ捨てた。
わたしたちは歩いて家に帰った。
★
わたしたちの家には色がない。
電飾がないから。
家に着いた途端、寝る、って言ってチルノちゃんは布団をすっぽり被ってしまう。
「サンタがきたら呼んでね」
「サンタさんはいないよ。存在しないの。チルノちゃんもご存知の通り」
「うるさいわ。ほけんよ。ほけん、意味わかる?」
「もしサンタさんが来たとしてどうするわけ」
「氷づけにしてやる! お前のせいで、この夜はあたいにさいてーだって」
「じゃあわたしは新しいコートをお願いしようかな」
「きっととってもきらきらのコートをくれるわ。ちいさくて着れないやつを」
「なんでサンタさんはそんなことするの?」
「しょーねが終わってるから!おやすみ!」
「おやすみ」
10秒経ったあとで、わたしはチルノちゃんをコールする。
同じ布団に潜り込んで、チルノちゃんに触れる。
まるでチルノちゃんが電話機で、チルノちゃんの身体の部分のひとつひとつが番号のボタンだっていうみたいに、それにひとつずつ触れる。
たとえば、耳たぶに触れて、りんと鳴る。
鎖骨のくぼみに触れて、りん。
ほっぺたに、りん。脇腹に、りん。やわらかいところに、りん。
りん、りん、りん、りん。
「んぅ……ねえ、大ちゃん」
「なぁに?」
「触れないで……」
「どうして?」
「あつくなるから…。頭ん中にあついのがのぼってくる……」
「そしたら、だめなの?」
「だ、だめだって! これいじょうしたら……」
「これ以上したら?」
「とけちゃう……」
そしてチルノちゃんは溶けてしまった。
正確に言えば、チルノちゃんの頭の中、その思い出が。
それらが溶解してしまったあとで、チルノちゃんは少しだけ大人びて見えた。
「去年は町に一緒に大きな氷のクリスマスツリーをつくった、一昨年はこの幻想郷でいちばん高い鉄塔の上でふたりで星を見た、三年前はサンタクロースごっこをやったよね、その前は……」
チルノちゃんがわたしの耳たぶを軽く噛んだ。
そのまま言った。
「……ねえ、大ちゃん、また、あたいをコールしたでしょ?」
チルノちゃんはクリスマスの思い出を凍結する。
頭の中のその部分を凍らしておいて、保存するのだ。
「言ったじゃない。溶かすと、劣化、しちゃうのよ」
「でも今夜じゃなきゃ、チルノちゃんの全部に会えないじゃん」
凍結した記憶はいつまでも新鮮なまま残るんだってチルノちゃんは言ってた。
ただ思い出すことができないだけで。
それでもチルノちゃんは凍結してしまう。
思い出を。
ほんとはクリスマスだけじゃない、大切な日はみんな。わたしとはじめて会った日も誕生日も記念日も、全部。
そのせいでチルノちゃんの脳みそは少しずつ小さくなってしまう。
思い出重ねるたび、チルノちゃんはほんのちょっぴりだけ馬鹿になってしまう。
実際、出会ったばかりのチルノちゃんはわたしよりもちょっぴりだけ賢かったのだ。
「わすれたくないのよ。わすれっぽいのはむかしからだから、大切な思い出は失くさないようにとっておきたいの」
「べつに忘れちゃってもいいじゃない。クリスマスなんかそんな特別な日でもないし、いつもとおんなじだよ」
「あたい、記念日とかは大事にしたいタイプ」
「チルノちゃんって脳みそぜんぶ使ってるときのほうが、なんだか馬鹿の感じだね」
「なんだとー」
チルノちゃんが掴みかかってくるので、わたしはベッドを飛び出した。
追ってくるから、外に飛び出す。
冷たい風。
ぴゅうと吹いて、わたしはちょっと震えた。
チルノちゃんがコートとマフラーを持ってきてわたしにかけてくれた。
「風邪をひくよ?」
「ありがとう」
「でかけるの? あたいは帰って寝るけど」
「寝て、今夜のことも忘れるんでしょ?」
「忘れるわけじゃないもん。ほぞんするのよ」
「夢には見る?」
「そうね。ときどき出てくることもある」
「ふーん。楽しそうだね。こっちでは忘れちゃうのに、夢の中ではわたしと思い出話とかするんだ?」
「大ちゃん、嫉妬、してんの? 夢の中の自分に?」
「そうだよ?」
「あたいってば大罪ね」
「ほんとにさぁ」
少し歩こうよ、と先に進むとチルノちゃんは素直に着いてきてくれる。
冷たい夜だった。
風に、マフラーが揺れてた。
「これ、思い出した? 記念日にチルノちゃんが買ってくれたんだよ」
「うん」
「すごいよね。稼ごう、なんてこと、わたしたちの誰も考えなかったのに」
「あたいは天才だからね」
「そうだよ。ぼろぼろになっちゃったけど、使ってるの。壊れるんだとしても使わなきゃ意味ないもん」
「それって思い出の話?」
「大事に取っておいてどうするの?」
「ある、ってことが大切なんだって、あたいは思うんだ」
「ないよ。楽しいことなんか何もなかったよ」
「ほんとに?」
「大切に思ってるのはチルノちゃんだけでわたしはぜんぜんそうじゃないとしたらどうする?」
「かなしい…。泣くかも」
「ひとりじゃ涙も流せないくせにね」
森の中で立ち止まると、空に星。
星の色は、透明。
それは黒い夜空にあいた小さな穴だった。
「大ちゃんは怒ってる?」
「べつにいいんだよ。チルノちゃんが自分の思い出をどうしようが、わたしは」
「そお?」
「でも、それをさ、いいアイデアだとチルノちゃんが思ってることが、むかつくの。それってぜんぜんいい考えじゃないと思うな。馬鹿みたい」
「そうかな」
「もっといいアイデアがあるよ」
「それって、なぁに?」
ピンク色のマフラーがひらひらと夜の上を飛んでいた。
それをわたしが投げたから。
それは、風に乗って星に混じって、遠いところへ見えなくなってしまう。
「あ、行っちゃう……!」
「ねえ、いいんだよ。マフラーならまた新しいの買ってよ。それよりアイデアひとつ、教えてあげる。ぜんぶ捨てちゃうんだよ」
「捨てる?」
「楽しい思い出が大切すぎて凍らしてまで取っておきたくなるなら、ぜんぶ楽しくない思い出に変えちゃえばいいんだよ」
「どうやって?」
「今夜さ、今夜、このクリスマスの夜を、わたしがさいてーに変えてあげよう!」
首元に冷たい風。
ちょっと、震える。
でもわたしたちがここで凍りついてしまうその前に、わたしたちは最低のクリスマスを過ごさなければいけないのです。
たとえば、こうやって。
★
わたしたちは通りに立ってた。
『ケーキ売り場 こちら ↑』
ふたりで。
看板を持って。
人々は通り過ぎる。風も強く吹き抜ける。真冬の風は肌にとても冷たいし、通りを行く人たちはみんなクリスマスの夜に浮足立ってるように見えた。
「大ちゃん、あたいは天才だけど、ときどき自分がとてもばかに思えるときがあるわ」
「どうして?」
「だってこんなのぜんぜんいいアイデアに思えないもん」
なんとなく足を出したら、ひとり転んだ。
殴られた。
「痛ったぁ……」
「ねえ、ねえ、大ちゃん、痛い目みるってわかってて、なんで足だすわけ?」
「あーあ、わたしも帰りたくなってきたなあ。なんでみんなであんな笑ってるんだろう……。なにがおもしろいのかな……。どうしてわたしたちはみんながこんなに幸せそうなこの夜に、寒い中、わざわざ看板を持って立ってなきゃいけないんだろう」
「大ちゃんが言いだしたんだよ?」
「でも、そもそも看板の仕事をやろうって言い出したのはチルノちゃんだよ?」
「あたいはただふたりでケーキが食べたかっただけなのよ」
「ケーキなんていつでも食べられるのに?」
「でもクリスマスにはケーキだもん」
「あーあ」
看板をチルノちゃんに預けて、手のひらを擦り合わせる。
暖かい吐息が、外気にとっても白色だった。
チルノちゃんのは透明。
逆に夏には白く染まる。
わたしはチルノちゃんの肩に首を預けた。
「だいじょーぶ? つめたくない?」
「冷たい。でも冬はいいんだ」
「冬? みんなは夏にあたいがいると助かるって言うけど」
「わたし、季節を感じるのが好きなんだ。自然の一部として生まれたからかな。夏は暑いのが夏だから暑いのがいいの。冬は寒いのが冬だから、チルノちゃんがそばにいると嬉しい。ああやってカップルが手を握って温めうのはだめだね。季節を味わってないもん。でもわたしがチルノちゃんの手、握るのはいいんだよ。チルノちゃんは冬に特別だから」
「ふふ。へんなの」
電飾のきらきら。
それ以外のものは、赤と緑。あるいは白。
サンタさんのコスプレをした人を見つけては指差して、チルノちゃんに、ほら、サンタさんいるじゃん、こんなちっぽけな町にこんなにたくさん降り立ってさあ、って。
チルノちゃんは透明なため息。
大気が少し凍りついて、小さな雪が降る。
「ねえ、チルノちゃん、やっぱさ、ふたりで町中の人を氷づけにして回ろうよ。楽しそうな人も寂しそうな人も、ぜーんぶ」
「ふたりで、って大ちゃんは何をするのさ?」
「わたしは今夜を覚えておくの」
「あははっ、それはいいアイデアね」
そんなふうにして、わたしたちはいつまでもそこに立ち続けていたのだ。クリスマスの町が静かになってしまうまで、ずっと。
結局、ケーキは全部売り切れたみたいで、買えなかった。
歩いて家まで帰った。
ねえ、ってチルノちゃんが言った。
「ねえ、大ちゃん、家帰ったらさ、あたいをまたコールしてよ」
「いいけど、電話番号って何桁だっけ? 10、11桁? 12だっけ?……まあでも十何回触れたらおしまいだね」
「あたいんちのは千桁よ」
「それはしんどいなあ」
途中、居酒屋の屋台を見つけた。
そこで12本の焼き鳥串と赤ワインを買った。
それで、お金はぜんぶなくなってしまった。
帰りながら、焼き鳥を食べた。
買った時点ですでにちょっと冷えていたけれど、疲れてるからなんでもおいしい。
家に着いたら、チルノちゃんは赤ワインを器用なやりかたで凍らせて、玄関にひとつだけ吊るしてある電球にかぶせた。
電飾の色は、赤色。
明日には溶けてなくなってしまう今日のためだけの赤色の光。
わたしがチルノちゃんに涙を与えることができるように、ときどきチルノちゃんはわたしに笑い方をプレゼントしてくれる。
おしまい
大ちゃんが微妙に狂っててとてもよかったです
自然の顕現である妖精だからこそ、きっと私たちが擦りきれて思い出にしてしまったものを残したくなるのでしょうか。
ご馳走様でした。面白かったです。