その日、私は些か不機嫌だった。理由は簡単で、上司の龍様から、ある任務を受けていたからだ。
その内容は人間に変装して里の調査をしてこいというもの。そして調査内容は甘味処の偵察。ようは里の甘味処をかたっぱしから食べてそのレビューをしろというのだ。しかも記者としてではなく、あくまで一般人のとして。つまり、ただ食べてその感想を報告しろということだ。
その任務自体に対して私は何も疑問に思わなかった。というのも龍様は、ああ見えて大の甘党として知られているからだ。それこそ三度の飯よりスイーツが好きなくらい。噂ではご飯に生クリームをかけて食べているとか。あくまで噂ではあるが、実際そうしていても私は何も驚かない。むしろ、ご飯以外にも生クリームをかけて食べていそうなくらいだ。言ってしまえばマヨラーならぬ生クリラー。ちょっと語呂が悪いか。
話を戻そう。調査すること自体に私は不満はない。では何が不満なのかというと、何を隠そう、私は甘味が得意ではないのだ。食べられないことはないのだが、そんなに多くは食べられない。なのでこの調査は本来、私に不向きなのだ。
他に適任者はいる。例えばはたて。彼女は龍様ほどじゃないが甘党だ。しかし、彼女は自他とも認める出不精としても知られている。そんな彼女がこの仕事を引き受けるわけがない。そんなんだからお通じの方も出不精になってしまうのだ。おっと、また話が脱線してしまった。どうも不機嫌なときは話が脱線しがちだ。いや、いつものことだった。全部龍様が悪い。
龍様は、私が甘いのが苦手であることは勿論承知している。承知の上でこの仕事を私に振ってきたのだ。もはや嫌がらせ以外の何物でも無い。まったく理不尽な事この上ない。しかし、上司の命令は絶対だ。天狗の社会は縦の関係が厳しい。
このままぼやいてても仕方ないので、任務を遂行するとしよう。既に変装をして里には侵入済みだ。今、私は里の雑踏の中を歩いている。我ながら手際の良いことだ。思わず自画自賛してしまう。そうでもしないとやってられない。
そうこうしているうちに最初の店が見えてきた。質素な作りの茶屋だ。事前に哨戒天狗に集めさせた情報によると『里一番の老舗で老婆が一人で、きりもみしている』とのこと……ってこれは恐らく切り盛りの間違いだ。老婆が一人できりもみしているお店があったら是非見てみたいが、残念ながら普通に誤字だろう。ジョナサンじゃあるまいし。
まったく、上司にあげる書類くらいちゃんと見直しをして欲しいところだ。あるいは間違いと気づかずに覚えてしまっているのだろうか。それはそれで問題大だが。おっと、また愚痴になってしまった。別に愚痴りたくて愚痴っているわけではないのだ。全部龍様が悪い。
気を取り直して団子購入し頂く。甘い。非常に甘い。それ以外の感想が浮かばない。とにかく甘い。砂糖の塊かというくらいに甘い。この甘さがいいという人もいるのだろうが、どうやら私の口には残念ながら合わないようだ。強いて言うなら、口当たりはとてもなめらかで、食感もほど良い弾力があって悪くはない。値段も良心的だ。老舗の意地とでも言うべきか。老婆は人当たりが良く、その人柄の良さも人気の秘訣なのかもしれない。それでは次の店に向かうとしよう。
と、まあこんな調子でその後、五店舗ほど調査をした。おかげで口の中が甘ったるくて甘ったるくて仕方がない。まるで砂糖が口の中にこびりついているようだ。これは口直しせざるを得ない。
陽は既にとっぷりと暮れている。向かう先は行きつけの夜雀の屋台。この屋台は神出鬼没で、その日営業するかしないかは、それこそ女将の気分次第。空振りになることもしばしばある。しかし、今日は店を出しているはずだ。
根拠はある。私の勘だ。常連である自分の勘がそう教えてくれている。だが、もし万が一にでも屋台が出ていなかったらどうしようか。その時は仕方ないから適当につまみを拵えて家で静かに飲もうか。なんか今日はやっていない気がする。急に自信がなくなってきた。龍様が悪い。
そんな私の心配は杞憂に終わった。ちゃんと居酒屋は営業していた。やはり私の勘は正しかった。流石は私だ。と、自画自賛はこれくらいにしてさっそくまず一杯。あぁ、この瑞々しく少しぴりっと来る喉越しがたまらない。口の中の甘ったるさと一緒に全身の疲れを洗い流してくれるようだ。生き返る。これだから仕事の後の一杯は止められない。心なしかいつもより美味く感じるのはきっと気のせいじゃない。
突き出しは小松菜のおひたしだろうか。濃い目のだしの味付けがお酒に合う。元々空腹だったが、この突き出しを食べたら余計に腹の虫が鳴り出した。まったく体は正直だ。
続けて川魚の煮付けが出される。ぶつ切りだが、食べやすい大きさに切られているため、とても食べやすい。味付けも醤油を下地にした素朴な味わいなのだが、これがまた酒と良く合う。この時期はやはり熱燗が格別だ。ちなみに女将曰く、魚の種類は分からないらしい。まあ、この女将が出すものなら多分大丈夫だろう。
お次は本命、八目鰻の蒲焼きだ。ここの名物が何かと尋ねられたら私は迷わずこれを教える。それくらい完成度が高い逸品だ。更にこの寒い今の時期が八目鰻の旬である。不味いわけがない。まず調理中からして美味しそうだ。
秘伝のタレをたっぷりつけた八目鰻を竹炭でこんがり焼くと、辺りになんとも形容しがたい香ばしい香りが漂う。もうこの匂いだけでも酒が何杯も進んでしまう。いざ鎌倉ならぬ、いざ蒲焼きを口に入れると、少し弾力のある歯ごたえをした八目鰻の身に、例の秘伝のタレが合わさってこの上なく美味しい。生きてて良かったと思える。世界よ。今日も一日ありがとう。脂の乗った蒲焼きは噛めば噛むほどタレの味と肉汁が口の中に広がり、仕事で疲れた体にじわじわと沁み渡っていく。やはり疲れた時は味の濃い料理に限る。酒も進む進む。
気がつけばもう結構な時間過ぎてしまった。ついつい長居してしまったようだ。酒もいい具合に回り、大分気持ちよくなってきたので女将と一言二言たわいもない話をして勘定を済ませ店を出る。
我ながら恥ずかしいくらい酔っているのが分かる。
千鳥足ならぬ千鳥飛びだ。飛ぶ速度もいつもより大分遅い。
自分でも分かるくらい酔っているのが分かる。でもそれは自分でも分かっている。
それにしてもここまで酔ったのは本当に久々だったかもしれないと思う。
それもこれもひとえに昼間あんな酷い目に遭ったからかもしれないと思う。
それもこれもぜんぶめぐむさまのせいだ。
めぐむさまのせいであまいものを食べさせられて居酒屋で酒を沢山飲んでこんなに酔ってしまったのだ。
月がこんなに綺麗な夜に
めぐむさまはなんてひどいかたなんでしょうか
ああ、きょうもいいひだったなぁ
あしたもいいさけがのめますように
その内容は人間に変装して里の調査をしてこいというもの。そして調査内容は甘味処の偵察。ようは里の甘味処をかたっぱしから食べてそのレビューをしろというのだ。しかも記者としてではなく、あくまで一般人のとして。つまり、ただ食べてその感想を報告しろということだ。
その任務自体に対して私は何も疑問に思わなかった。というのも龍様は、ああ見えて大の甘党として知られているからだ。それこそ三度の飯よりスイーツが好きなくらい。噂ではご飯に生クリームをかけて食べているとか。あくまで噂ではあるが、実際そうしていても私は何も驚かない。むしろ、ご飯以外にも生クリームをかけて食べていそうなくらいだ。言ってしまえばマヨラーならぬ生クリラー。ちょっと語呂が悪いか。
話を戻そう。調査すること自体に私は不満はない。では何が不満なのかというと、何を隠そう、私は甘味が得意ではないのだ。食べられないことはないのだが、そんなに多くは食べられない。なのでこの調査は本来、私に不向きなのだ。
他に適任者はいる。例えばはたて。彼女は龍様ほどじゃないが甘党だ。しかし、彼女は自他とも認める出不精としても知られている。そんな彼女がこの仕事を引き受けるわけがない。そんなんだからお通じの方も出不精になってしまうのだ。おっと、また話が脱線してしまった。どうも不機嫌なときは話が脱線しがちだ。いや、いつものことだった。全部龍様が悪い。
龍様は、私が甘いのが苦手であることは勿論承知している。承知の上でこの仕事を私に振ってきたのだ。もはや嫌がらせ以外の何物でも無い。まったく理不尽な事この上ない。しかし、上司の命令は絶対だ。天狗の社会は縦の関係が厳しい。
このままぼやいてても仕方ないので、任務を遂行するとしよう。既に変装をして里には侵入済みだ。今、私は里の雑踏の中を歩いている。我ながら手際の良いことだ。思わず自画自賛してしまう。そうでもしないとやってられない。
そうこうしているうちに最初の店が見えてきた。質素な作りの茶屋だ。事前に哨戒天狗に集めさせた情報によると『里一番の老舗で老婆が一人で、きりもみしている』とのこと……ってこれは恐らく切り盛りの間違いだ。老婆が一人できりもみしているお店があったら是非見てみたいが、残念ながら普通に誤字だろう。ジョナサンじゃあるまいし。
まったく、上司にあげる書類くらいちゃんと見直しをして欲しいところだ。あるいは間違いと気づかずに覚えてしまっているのだろうか。それはそれで問題大だが。おっと、また愚痴になってしまった。別に愚痴りたくて愚痴っているわけではないのだ。全部龍様が悪い。
気を取り直して団子購入し頂く。甘い。非常に甘い。それ以外の感想が浮かばない。とにかく甘い。砂糖の塊かというくらいに甘い。この甘さがいいという人もいるのだろうが、どうやら私の口には残念ながら合わないようだ。強いて言うなら、口当たりはとてもなめらかで、食感もほど良い弾力があって悪くはない。値段も良心的だ。老舗の意地とでも言うべきか。老婆は人当たりが良く、その人柄の良さも人気の秘訣なのかもしれない。それでは次の店に向かうとしよう。
と、まあこんな調子でその後、五店舗ほど調査をした。おかげで口の中が甘ったるくて甘ったるくて仕方がない。まるで砂糖が口の中にこびりついているようだ。これは口直しせざるを得ない。
陽は既にとっぷりと暮れている。向かう先は行きつけの夜雀の屋台。この屋台は神出鬼没で、その日営業するかしないかは、それこそ女将の気分次第。空振りになることもしばしばある。しかし、今日は店を出しているはずだ。
根拠はある。私の勘だ。常連である自分の勘がそう教えてくれている。だが、もし万が一にでも屋台が出ていなかったらどうしようか。その時は仕方ないから適当につまみを拵えて家で静かに飲もうか。なんか今日はやっていない気がする。急に自信がなくなってきた。龍様が悪い。
そんな私の心配は杞憂に終わった。ちゃんと居酒屋は営業していた。やはり私の勘は正しかった。流石は私だ。と、自画自賛はこれくらいにしてさっそくまず一杯。あぁ、この瑞々しく少しぴりっと来る喉越しがたまらない。口の中の甘ったるさと一緒に全身の疲れを洗い流してくれるようだ。生き返る。これだから仕事の後の一杯は止められない。心なしかいつもより美味く感じるのはきっと気のせいじゃない。
突き出しは小松菜のおひたしだろうか。濃い目のだしの味付けがお酒に合う。元々空腹だったが、この突き出しを食べたら余計に腹の虫が鳴り出した。まったく体は正直だ。
続けて川魚の煮付けが出される。ぶつ切りだが、食べやすい大きさに切られているため、とても食べやすい。味付けも醤油を下地にした素朴な味わいなのだが、これがまた酒と良く合う。この時期はやはり熱燗が格別だ。ちなみに女将曰く、魚の種類は分からないらしい。まあ、この女将が出すものなら多分大丈夫だろう。
お次は本命、八目鰻の蒲焼きだ。ここの名物が何かと尋ねられたら私は迷わずこれを教える。それくらい完成度が高い逸品だ。更にこの寒い今の時期が八目鰻の旬である。不味いわけがない。まず調理中からして美味しそうだ。
秘伝のタレをたっぷりつけた八目鰻を竹炭でこんがり焼くと、辺りになんとも形容しがたい香ばしい香りが漂う。もうこの匂いだけでも酒が何杯も進んでしまう。いざ鎌倉ならぬ、いざ蒲焼きを口に入れると、少し弾力のある歯ごたえをした八目鰻の身に、例の秘伝のタレが合わさってこの上なく美味しい。生きてて良かったと思える。世界よ。今日も一日ありがとう。脂の乗った蒲焼きは噛めば噛むほどタレの味と肉汁が口の中に広がり、仕事で疲れた体にじわじわと沁み渡っていく。やはり疲れた時は味の濃い料理に限る。酒も進む進む。
気がつけばもう結構な時間過ぎてしまった。ついつい長居してしまったようだ。酒もいい具合に回り、大分気持ちよくなってきたので女将と一言二言たわいもない話をして勘定を済ませ店を出る。
我ながら恥ずかしいくらい酔っているのが分かる。
千鳥足ならぬ千鳥飛びだ。飛ぶ速度もいつもより大分遅い。
自分でも分かるくらい酔っているのが分かる。でもそれは自分でも分かっている。
それにしてもここまで酔ったのは本当に久々だったかもしれないと思う。
それもこれもひとえに昼間あんな酷い目に遭ったからかもしれないと思う。
それもこれもぜんぶめぐむさまのせいだ。
めぐむさまのせいであまいものを食べさせられて居酒屋で酒を沢山飲んでこんなに酔ってしまったのだ。
月がこんなに綺麗な夜に
めぐむさまはなんてひどいかたなんでしょうか
ああ、きょうもいいひだったなぁ
あしたもいいさけがのめますように
面倒な仕事をした後でもうまい酒さえ飲めれば完璧な一日なのだと思いました
イヤイヤ仕事してる文がよかったです
そんなに多くは食べられないといいつつ五店舗を回ったのは偉いな!?
報告書の出来やいかに。続きを楽しみにしています!