この廃校舎の中で蓮子と会うようになって一年が経った。まさか私達の通う高校の敷地の隅にこんな場所があったなんて最初は思いもしなかったけれど、あの日以来こうして蓮子と過ごすのが日常になっていた。相変わらず蓮子は、隣の部屋に残されていた前時代の白い棒状の筆記具を使って、コッコッと音を立てながら壁一面に張られた専用の板にたくさん文字を書き連ねている。
数式、とやらは不思議な文字ばかりだ。今でも読めない文字がほとんどだけれど、蓮子がどんな気持ちでいるのかはなんとなく分かるようになった気がする。細かく神経を張っているかのような文字。力強くうねって自信満々でいるかのような文字。びっしりと緻密に詰まって思考に深く潜っているかのような文字。急に太く大きくなって興奮しているかのような文字。蓮子は一体その文字の先に何を見ているのかしら。蓮子の目にはこの宇宙の姿が見えているのかしら。
「ねぇ、ねぇ、メリーぃっ。」
私が頬杖をついて眺めていたところに蓮子がぴょこぴょこと駆け寄って来る。どうやら書いていた数式にひと段落が付いたらしい。もう秋が深まって、日が出ていても少し寒さを感じるというのに、この子は相変わらずとても元気で、小動物のように愛らしい動きをする。
「ほら、お昼に言ってた話、詳しく教えてよ。この建物の近くで、また不思議な動物を見たって話っ。ただの見間違いとか錯覚だって可能性も無い訳ではないけど、メリーは似たようなものを何度も見ているみたいだし、そうも言ってられない気がするのよね。」
この廃校舎に頻繁に来るようになって、私は動物らしき不思議なものを何度か見かけるようになった。見かけたと言っても、蓮子を待って一人でうとうとしている時に、一瞬前を何かが横切ったように見えたというのが正しいのだけれど。このあたりは都会とは到底呼べない地域なので、確かに何か貴重な動物がいてもおかしくないかもしれない。蓮子はその動物らしきものを自分でも見たいと常々こぼしていた。何で見れないのだろうと蓮子が言うので、「そうやってよく動くから警戒されてるんじゃない?」と答えると、きまってもどかしそうな顔をした。
「ねえ、ほら、描いてみてよ。メリー絵を描くのうまいでしょ?」
蓮子は目をくりくりさせて、前時代の筆記具を白っぽくなった指で渡してくる。はるか昔に使われていたというアナログな媒体より、電子端末の方が圧倒的に便利だし、本人も普段は当然のように電子端末を使うが、ものを考えるときだけは何故かアナログな媒体を重宝するらしい。特にこの筆記具は歴史的な価値があるものだからというので、かなり興味が唆られるらしい。
渡された筆記具を受け取ろうと手をのばす。蓮子の端正でしなやかな指が触れそうになる。私はその筆記具を受け取って立ち上がり、専用の板の前に歩いていくと、蓮子はとことこと後をついて来る。
「だから今回私が見たのはね、こう、尻尾のようなものがあってね・・・」
蓮子は私の横に来てうんうんと首を縦に振る。蓮子は興味深々に私の絵を見つめている。その澄んだ瞳はとても大きくて、この絵も文字も、私さえも吸い込んでしまいそうだ。
「でね、こういう風に長くうねっててね・・・」
蓮子は徐々に前のめりになってくる。肩と肩が少しだけ触れる。とても柔らかで優しい肩。寒さの中に感じられる蓮子の温もり。蓮子はこうしていつも、世界のあらゆる不思議に引き寄せられて日々を過ごしているのかしら。
おおかた私の見た動物らしきものの説明をして、その正体や、この辺りで稀にしか見ない理由を一緒に考えていたら、もう日は傾き部屋に夕日が差し込んでいた。もうそろそろ帰る頃合いかしらね。
ああ、また指が白くなっちゃったわ。毎度のように、私はこの前時代の筆記具を不便だと感じた。それでもちょっぴりだけ、私にはこの汚れが嬉しくも思えた。現代の学校生活では絶対に付かないであろうこの汚れが、なんだか蓮子と出会って話し続けたこの一年の証のような気がするのだ。さあて次の一年は何を話すことになるのかしら。蓮子のことだから、きっとはちゃめちゃなことを言い出すに違いないわね。
数式、とやらは不思議な文字ばかりだ。今でも読めない文字がほとんどだけれど、蓮子がどんな気持ちでいるのかはなんとなく分かるようになった気がする。細かく神経を張っているかのような文字。力強くうねって自信満々でいるかのような文字。びっしりと緻密に詰まって思考に深く潜っているかのような文字。急に太く大きくなって興奮しているかのような文字。蓮子は一体その文字の先に何を見ているのかしら。蓮子の目にはこの宇宙の姿が見えているのかしら。
「ねぇ、ねぇ、メリーぃっ。」
私が頬杖をついて眺めていたところに蓮子がぴょこぴょこと駆け寄って来る。どうやら書いていた数式にひと段落が付いたらしい。もう秋が深まって、日が出ていても少し寒さを感じるというのに、この子は相変わらずとても元気で、小動物のように愛らしい動きをする。
「ほら、お昼に言ってた話、詳しく教えてよ。この建物の近くで、また不思議な動物を見たって話っ。ただの見間違いとか錯覚だって可能性も無い訳ではないけど、メリーは似たようなものを何度も見ているみたいだし、そうも言ってられない気がするのよね。」
この廃校舎に頻繁に来るようになって、私は動物らしき不思議なものを何度か見かけるようになった。見かけたと言っても、蓮子を待って一人でうとうとしている時に、一瞬前を何かが横切ったように見えたというのが正しいのだけれど。このあたりは都会とは到底呼べない地域なので、確かに何か貴重な動物がいてもおかしくないかもしれない。蓮子はその動物らしきものを自分でも見たいと常々こぼしていた。何で見れないのだろうと蓮子が言うので、「そうやってよく動くから警戒されてるんじゃない?」と答えると、きまってもどかしそうな顔をした。
「ねえ、ほら、描いてみてよ。メリー絵を描くのうまいでしょ?」
蓮子は目をくりくりさせて、前時代の筆記具を白っぽくなった指で渡してくる。はるか昔に使われていたというアナログな媒体より、電子端末の方が圧倒的に便利だし、本人も普段は当然のように電子端末を使うが、ものを考えるときだけは何故かアナログな媒体を重宝するらしい。特にこの筆記具は歴史的な価値があるものだからというので、かなり興味が唆られるらしい。
渡された筆記具を受け取ろうと手をのばす。蓮子の端正でしなやかな指が触れそうになる。私はその筆記具を受け取って立ち上がり、専用の板の前に歩いていくと、蓮子はとことこと後をついて来る。
「だから今回私が見たのはね、こう、尻尾のようなものがあってね・・・」
蓮子は私の横に来てうんうんと首を縦に振る。蓮子は興味深々に私の絵を見つめている。その澄んだ瞳はとても大きくて、この絵も文字も、私さえも吸い込んでしまいそうだ。
「でね、こういう風に長くうねっててね・・・」
蓮子は徐々に前のめりになってくる。肩と肩が少しだけ触れる。とても柔らかで優しい肩。寒さの中に感じられる蓮子の温もり。蓮子はこうしていつも、世界のあらゆる不思議に引き寄せられて日々を過ごしているのかしら。
おおかた私の見た動物らしきものの説明をして、その正体や、この辺りで稀にしか見ない理由を一緒に考えていたら、もう日は傾き部屋に夕日が差し込んでいた。もうそろそろ帰る頃合いかしらね。
ああ、また指が白くなっちゃったわ。毎度のように、私はこの前時代の筆記具を不便だと感じた。それでもちょっぴりだけ、私にはこの汚れが嬉しくも思えた。現代の学校生活では絶対に付かないであろうこの汚れが、なんだか蓮子と出会って話し続けたこの一年の証のような気がするのだ。さあて次の一年は何を話すことになるのかしら。蓮子のことだから、きっとはちゃめちゃなことを言い出すに違いないわね。
短い文章ながら話がきっちりと収まっており、綺麗な作品だと思いました。
この短さのお話だとオチなしで肩透かしになりがちなのですが、このお話はコンパクトに起承転結がまとまっており、蓮子とメリーが過ごす日常の一コマの切り取りとして心地よく楽しめました。
ありがとうございました。
高校時代の秘封倶楽部って言われてみればあまり見たことがない気がして新鮮でした
続きが気になります
ご馳走様でした。