畜生界、鬼傑組縄張り内の料亭。畜生達の住まうこの世界でおよそ一番文明的な施設であった。厨房では騒がしくカワウソ達が働いていた。以前は手先の器用な人間霊をこき使って運営していたのだが、今はその役割をカワウソ達が代わって行っていた。吉弔八千慧は忙しそうにしているカワウソ達に一瞥も送らず、供応用の広間に向かう。
「よう。主催のくせに遅いじゃないか」
部屋に入るなり吉弔は声を掛けられる。声の方を見ると、饕餮尤魔が鯛の頭を丸ごとかじっている最中だった。卓に用意してあった他の料理も既に大半が喰われた後である。部屋の隅で仲居のカワウソがおどおどとしている。
「集合時間に遅れたつもりはないのですけれど」
「魚介に限らんが、生き物は死に立てが一番旨い。魂魄が乖離する際、生命の持つ旨味を昇華させてしまうからな。お前は集合時間をこいつを締める時間に合わせるべきだったって話だよ。もしくは活き締めるべきだったな」
饕餮は自分が咥えている鯛を指し偉そうに講釈する。ガツガツとそのまま骨ごと喰らう。吉弔は卓上の喰い荒らされた料理達を見て嘆息つき、仲居のカワウソに次の料理を用意するように指示を出した。
「お。気が利くじゃないか」
「あなたは驚くほど気が利きませんね。遠慮というものを知らないのですか」
「抜かせ。遠慮なんて間柄かよ。敵対組織の頭同士だろう?」
饕餮はそう言い放つが、害意も敵意も生じさせない。ただの軽口だった。吉弔はそれを受けて「そうでしたね」と淡白に同調する。造形神の召喚を機に起こったクーデター後、畜生界のパワーバランスを担う三組織の長はそれぞれ抗争を一時中断させていた。それは未だ畜生界の混乱が収まっていない現在も続いていた。
「前に飼ってた人間霊程じゃないが、なかなかどうして、カワウソにも旨い料理が作れるもんなんだな。不味いものを出そうもんなら、代わりに喰ってやろうと思っていたがその必要はなさそうだ」
「当然です。他の畜生と違い人間と同じく、五指が器用に動きますからね」
「なるほど。じゃあ人間霊の労働力が不足してる今、そいつらが代わりになりそうだな」
饕餮は凶悪な視線でカワウソを見やる。カワウソはその威圧感に耐えられず震え始める。
「うちの組員を脅すのはやめなさい。それに、今回の集会の議題はその不足している労働力――人間霊の処遇をどうするかという話だったでしょう」
吉弔の機転により造形神は撃破出来たものの彼女が囲っていた人間霊の扱いについては浮いて手付かずの状態だった。今までのような奴隷染みた扱いも出来ず、霊長園で彼らは野放しである。
「そうだったな。まあバカが来ないうちにさっさと話をまとめちまうか」
「誰がバカだって」
天から怒声が響き渡る。空を切る音。
料亭外の庭にまるで流星のように黒い影が落下した。衝撃で庭園の整えられた草木は無惨に吹き飛ぶ。
「私が来たぞ。さあ、そろそろ抗争再開という話だったか?」
勁牙組組長驪駒早鬼。突如飛来した彼女は威圧するように翼を広げた。続いて大勢のオオカミ霊が彼女に続き空から飛来する。各々唸り声を上げ、互いを鼓舞しながら。本当に抗争を再開しかねない勢いだった。
「おおう、相変わらず勁牙組は元気がいいねぇ」
饕餮は庭に飛来した軍勢に構わず卓の料理を喰らい続ける。対して吉弔は深い深いため息をつく。頭を抱えていた。
「そういう話ではありませんよ驪駒。まったく、あなたという人は……」
吉弔は庭の軍勢に応対する。オオカミ達の昂ぶりは強く、今にも吉弔に噛み付きかねなかった。突然の出来事であるため料亭の従業員であるカワウソ達は及び腰になっている。
「いい子だから、皆さん。この建物の敷地の外へ行ってください」
怯むことなく吉弔はそうオオカミ達に言い聞かせる。落ち着いた鈴の音のような声だった。決して大声ではなく、しかしよく通る声。
途端、オオカミ達のボルテージは目に見えて下がっていった。何か不自然なことが起こっていた。
「待っている間は大人しくしていてくださいね。あなた達の大将と大事なお話をするので」
オオカミ達は声に従い、皆フラフラと料亭の外へ出る。一匹残らず、何か抗い難い摂理に従うように。こうして庭に残ったのは驪駒一人となった。
「……ふん。相変わらず白ける奴だよお前は」
「誉め言葉として受け取りましょう。さあ、座って」
「クックック。いい見世物をありがとう。通夜が始まったみてーな静まりっぷりだったな」
驪駒は促されるまま卓に付く。こうしてようやく三組織の長が揃った。
卓を囲った三人にそれぞれカワウソが酌をして回る。
「そういえば喰うのに夢中で酒がないことには気が付かなかった」
酌をしているカワウソの瓶を取り上げながら饕餮は言う。取り上げたそばからラッパ飲み。
「おっ。なかなかいい酒だな。地上から取り寄せた?」
注がれてすぐに口を付けて驪駒は感想を述べる。
乾杯の音頭を取ろうとしていた吉弔は勝手な二人の様子を見てそれをやめ、はあと聞こえるようにため息を付いて杯を傾けた。
「では、今回の議題。人間霊の処遇について始めましょう」
「ああ。話そうか」
「おい、そこのカワウソ。刺身とからあげが食いたいから頼むよ。そこの食い意地張ったバカのせいでほとんど残ってないよ」
饕餮は吉弔に進行を促す。驪駒は吉弔の話が右から左に抜けているようで、反応を示さず飲み食いを始めている。いつものことなので二人は驪駒を無視して話を進め始める。
吉弔は先ず、畜生界の現状について述べた。造形神が現れてからというもの、今までのように人間霊の労働力に頼ることができず以前のような社会を畜生界は成形できていなかった。わかりやすいところで言えば飲食。娯楽。
被差別階級が担っていた産業が突然宙ぶらりんになり、畜生達があくせく働くことになっていた。当然うまくいかない。今まで奴隷にやらせていたことなのだから畜生達はノウハウを全く持っていなかったのだ。
唯一高い水準で仕事を行えているのが鬼傑組のカワウソ達だがそれで良しというわけでもない。このままでは被差別階級がカワウソ達に移ろうであろうし、それを吉弔が許すはずもないのだから。先ほど饕餮が言った代わりにカワウソ達を使おう、というのは軽口であったが同時に起こり得る未来の話でもあった。
「今まで通り人間使えばいいでしょ」
そう口を挟んだのは驪駒だった。食いながらなのでいい加減な口ぶりである。
「ですから、そういかないから困っているのです。また以前のように人間霊を虐げれば、かの邪神のようにとんでもないものが召喚されるかもしれません」
「私はお前らが返り討ちにされた時点で相手にしてられんと思って雲隠れしたわけだが、正解だったってことか」
「ホント最悪な奴だよお前は。お前が尻尾を巻いて逃げたって聞いたときは一発殴りたい気分だったよ」
「殴って気が済むなら、どうぞご自由に。なんならその自慢の足で踏み抜いてくれてもいいぜ」
饕餮が挑発する。驪駒はそれに応じず飲み食いを続ける。饕餮に蹴る殴るといった物理的な攻撃が効果的でないことを知っているからだ。
「ともかく、人間霊の信仰心。これが厄介です。追い詰めれば追い詰めるほど、救いを求める。そこに居もしない超常に。願いの大きさに呼応し、呼び出された存在も強化される。そして何が召喚されるか予測も出来ない。災害ですよ、こんなの」
「何とかする方法、なくもないぞ」
声。それはここに居る三人以外の声だった。
驪駒は声の方を睨め付ける。吉弔は不審そうな半眼で声の方を見る。饕餮は口角を上げながら声の方を見やる。
声の先――饕餮の背後にはいつの間にか不審な神が居た。椅子に座り、宙に浮いている。
秘神。
「ああ――。こいつは私が呼んだ。今回の議題について参考になるかと思ってな」
饕餮は自身の背後に浮かんだ神を指す。彼女は三人に会釈した。もちろん座ったまま。
「私は摩多羅隠岐奈。今回は畜生界運営のアドバイザーとして馳せ参じました」
「あなたは、一体」
「こいつは幻想郷の賢者。ちょっと前に知り合ってね」
得意気に饕餮は紹介を始める。
「呼んだのは神様のことは神様に訊くのが一番だと思ったからさ。それにこいつはさっき言ったように幻想郷の賢者だ。あそこの運営に一枚噛んでる。つまりそういった一界の経営に一日の長があるというわけさ」
饕餮はニヤニヤと笑っている。その笑みに何らかの含みがあることに吉弔は気づく。しかしそれが何なのかまだ検討も付かない。何故この畜生界の問題に全くの部外者を噛ませる? 吉弔は思案する。
「お前は神なのか?」
驪駒が訊く。
「如何にも。なんの神かと問われれば、少々答えに窮してしまうがね。まあ今はアドバイスの神様だと思ってくれて構わない」
「アドバイスの神。そんな都合のいい神様が居るものなんですね。――で、何とかする方法。訊いてもいいですか?」
吉弔は饕餮の考えがわからない。なのでとりあえず現れた謎の神、隠岐奈の出方を見ることにした。取っ掛かりがなければ何も推察できない。
「ええ。君達は人間霊を虐げてきた。そして虐げられた人間の祈りが君達の言うところの邪神を呼んだ。今後、それをどうやって防げばいいか」
ぴんと隠岐奈は指を立てる。勿体ぶる。吉弔は一発でこの神のことが気に入らなくなった。同時に自分と同じような臭いも感じていた。この神は絡め手を好むだろう。
「簡単だ。偶像を仕立てればいい」
「偶像?」
吉弔は復唱する。何故ならその単語は不吉そのものだったからだ。かの邪神、埴安神袿姫は偶像信仰により人間霊から力を集めていた。それを真似るということなのだろうか。
「違う。真似なくていい。全く架空の神を君達で創作し、人間霊にそれを拝ませればいいんだ。それだけで、人間の信仰心は空回りする」
「架空の神でも想いは力になる。架空の神への信仰――そんなことをすれば思いがけない神を拾うことになりそうですが」
「おや。どうやらある程度神霊に対する知識はあるようだ。素晴らしい」
隠岐奈は吉弔を褒める。しかしそれは暗に畜生の知恵の程度を見下しているからのように感じられた。
「安心したまえ。用意する偶像に力を霧散させる仕掛けを施せばいい。そうすれば神に意思は生じない」
「ふむ……」
隠岐奈の策。それは吉弔が事前に案として用意していたものとそっくりだった。吉弔の策では偶像ではなく、適当な動物霊を人間霊の信仰対象に仕立てるといったものである。現人神、という人間を神に仕立てる方法の流用だった。
この策の問題は信仰による強化で動物霊が力を持ちすぎることである。それについては力を物理的に削ぐかもしくは役者を替えることで力の奔流を制御しようと考えていた。
この案は神霊の性質を学んだとき吉弔が突貫で考えたいわば机上の空論だった。この会でいよいよ案が何も浮かばないとなったときに提案しようとしていた策。
信用度の低い策だったが、隠岐奈の策ならその問題点を解消できる。
「その力を霧散する仕掛け、というのはどう作れば?」
「それは当然私がレクチャーしよう。特に難しいことはない」
あり、だ。吉弔はそう考えていた。
吉弔は乗り気だった。
瞬間、秘神は吹っ飛んだ。
「!?」
遅れて風圧。衝撃波。砕けた建造物の木片とともに、吹き飛んだ隠岐奈は庭の小池に叩きこまれずぶ濡れになった。
「ふむ。変な感触だな。服の下に何か仕込んでるのか?」
驪駒は自身の脚と庭に叩きだされた隠岐奈を見比べながら言う。吉弔はわなわなと震える。怒っていた。何が起こったのか未だ状況を把握していなかったが、このバカがまた勝手をやらかしたということだけは理解していた。
「く、驪駒! なんてことを、なんで急にこんな。あ、あなた。あの人が今回の問題を解決する方法を教えてくれるかもしれなかったのに――」
「いや。だってあいつなんか急に現れたくせに偉そうでムカついたから」
なんでもないように驪駒は言う。饕餮は腹を抱えて笑っていた。
対して吉弔はそんな子ども染みた言い訳に、頭痛がして、眩暈もしていた。
バカ。なんて阿呆なんだ。
畜生じゃないか。
「フフフ。なるほど、足癖の悪いお馬さんだ」
隠岐奈にダメージはない。吹っ飛ばされながらも、椅子に座ったままだった。驪駒を睨んでいる。
「おっ。元気そう。やっぱ只者じゃないな。いいじゃん。喧嘩売った甲斐があるってもんだね」
「畜生はやはり畜生。少し鞭を打って調教する必要があるようだな」
中空に無数の扉が現れる。明確に隠岐奈は驪駒と敵対した。
それに応じて敷地の外に居たオオカミ達がなだれ込んできた。自分達の組長が戦闘を開始したのを察知したようだ。「驪駒最強!」「やれ殺せ!」「蹴り砕け!」等々好き勝手囃し立てる。
縮図だった。これが畜生界の縮図。野生の、知も何もないその光景に吉弔はいよいよ我慢ならずに叫ぶ。
「やめなさい驪駒! こんなことをしても人間霊の信仰問題は解決しません」
「最初から言いたかったんだけど、そんなの今まで通りで良くない?」
驪駒は隠岐奈に相対したまま前提を覆すようなことを言った。
「今まで通り人間こき使えばいいじゃん。弱い奴が悪い」
「それでは、またあの邪神みたいなのが現れて――」
「弱肉強食」
驪駒は切り捨てるように言い放つ。
「それが畜生界の理だろう? 私たちが敵わないようなのが現れれば、取って食われる。それだけだ」
驪駒早鬼の意見はシンプルだった。知能すら感じられないほどに。
「だいたい今回の会議、お前が上手いことやって造形神を倒させたことを自慢しまくる会だと思ってたのにまったく訳のわからん議題で右往左往しだすから困惑したんだぞ。それを――」
瞬間、驪駒は吹っ飛んだ。先ほどの隠岐奈のように小池に叩きこまれた。
一体何が起こったのか、原因のわからない謎の力学。驪駒は自身を襲った攻撃の正体を掴めぬまま隠岐奈に向き直る。
「やりやがったな」
「仕返しだよ。びっくりしたかね? 実は私もさっきの君の蹴りでびっくりしていたからこれでおあいこだね」
「ふざけるな。その椅子から降りろ。やり返してやる」
「結構。私を椅子から降ろしたかったら、力づくでやってみるがいい」
その言葉が合図だった。驪駒と隠岐奈は空中でぶつかり合う。余波で吹き飛ぶオオカミ霊達。崩れる料亭。庭の草木は面影もないくらいに吹き飛ぶ。
「おおー。いいぞやれやれ」
ケタケタと嗤い饕餮は酒を飲みながら二人の決闘を眺めている。その横で吉弔は腰を下ろす。周囲は戦闘の余波で殆ど瓦礫になっていた。
「……あなた。これが目的だったんですね」
吉弔が言う。饕餮はとぼけるように首を傾げた。
「はて。なんのことだ」
「この状況のことです。こんな、無茶苦茶な。急に部外者を呼び出して何を始めるかと思いましたが」
そうだ。あの秘神を呼び出したのは饕餮だった。
「あなたは驪駒があの神に突っかかると見越していたのでしょ。あの神になんの恨みがあるのか知りませんが」
「正解。ただ恨みなんてないぞ」
あっさりと吉弔の推理を肯定して饕餮は笑う。
「驪駒の奴と同じだよ。なんかムカついた。ちょっと前に知り合ったんだけどさ、いけ好かない奴だろ? けど敵に回すと面倒な奴だってのは見ればわかる。だから驪駒にやってもらってる」
とんでもない三段活用だった。畜生である。
「……ホント、最悪な奴ですねあなた」
「そう言うなよ。驪駒の奴が突っかかるかどうかは運だったんだぜ?」
「運なものですか。あの子が喧嘩っ早いのは周知のことでしょうに」
諦めたかのように吉弔は盃に酒を注ぎ、空中の激戦を眺める。
「でもさ、酒の肴には最高だろ?」
「……否定はしません」
畜生界全体を揺らすような戦闘の余波を浴びながら吉弔は饕餮に倣い酒をあおった。
「よう。主催のくせに遅いじゃないか」
部屋に入るなり吉弔は声を掛けられる。声の方を見ると、饕餮尤魔が鯛の頭を丸ごとかじっている最中だった。卓に用意してあった他の料理も既に大半が喰われた後である。部屋の隅で仲居のカワウソがおどおどとしている。
「集合時間に遅れたつもりはないのですけれど」
「魚介に限らんが、生き物は死に立てが一番旨い。魂魄が乖離する際、生命の持つ旨味を昇華させてしまうからな。お前は集合時間をこいつを締める時間に合わせるべきだったって話だよ。もしくは活き締めるべきだったな」
饕餮は自分が咥えている鯛を指し偉そうに講釈する。ガツガツとそのまま骨ごと喰らう。吉弔は卓上の喰い荒らされた料理達を見て嘆息つき、仲居のカワウソに次の料理を用意するように指示を出した。
「お。気が利くじゃないか」
「あなたは驚くほど気が利きませんね。遠慮というものを知らないのですか」
「抜かせ。遠慮なんて間柄かよ。敵対組織の頭同士だろう?」
饕餮はそう言い放つが、害意も敵意も生じさせない。ただの軽口だった。吉弔はそれを受けて「そうでしたね」と淡白に同調する。造形神の召喚を機に起こったクーデター後、畜生界のパワーバランスを担う三組織の長はそれぞれ抗争を一時中断させていた。それは未だ畜生界の混乱が収まっていない現在も続いていた。
「前に飼ってた人間霊程じゃないが、なかなかどうして、カワウソにも旨い料理が作れるもんなんだな。不味いものを出そうもんなら、代わりに喰ってやろうと思っていたがその必要はなさそうだ」
「当然です。他の畜生と違い人間と同じく、五指が器用に動きますからね」
「なるほど。じゃあ人間霊の労働力が不足してる今、そいつらが代わりになりそうだな」
饕餮は凶悪な視線でカワウソを見やる。カワウソはその威圧感に耐えられず震え始める。
「うちの組員を脅すのはやめなさい。それに、今回の集会の議題はその不足している労働力――人間霊の処遇をどうするかという話だったでしょう」
吉弔の機転により造形神は撃破出来たものの彼女が囲っていた人間霊の扱いについては浮いて手付かずの状態だった。今までのような奴隷染みた扱いも出来ず、霊長園で彼らは野放しである。
「そうだったな。まあバカが来ないうちにさっさと話をまとめちまうか」
「誰がバカだって」
天から怒声が響き渡る。空を切る音。
料亭外の庭にまるで流星のように黒い影が落下した。衝撃で庭園の整えられた草木は無惨に吹き飛ぶ。
「私が来たぞ。さあ、そろそろ抗争再開という話だったか?」
勁牙組組長驪駒早鬼。突如飛来した彼女は威圧するように翼を広げた。続いて大勢のオオカミ霊が彼女に続き空から飛来する。各々唸り声を上げ、互いを鼓舞しながら。本当に抗争を再開しかねない勢いだった。
「おおう、相変わらず勁牙組は元気がいいねぇ」
饕餮は庭に飛来した軍勢に構わず卓の料理を喰らい続ける。対して吉弔は深い深いため息をつく。頭を抱えていた。
「そういう話ではありませんよ驪駒。まったく、あなたという人は……」
吉弔は庭の軍勢に応対する。オオカミ達の昂ぶりは強く、今にも吉弔に噛み付きかねなかった。突然の出来事であるため料亭の従業員であるカワウソ達は及び腰になっている。
「いい子だから、皆さん。この建物の敷地の外へ行ってください」
怯むことなく吉弔はそうオオカミ達に言い聞かせる。落ち着いた鈴の音のような声だった。決して大声ではなく、しかしよく通る声。
途端、オオカミ達のボルテージは目に見えて下がっていった。何か不自然なことが起こっていた。
「待っている間は大人しくしていてくださいね。あなた達の大将と大事なお話をするので」
オオカミ達は声に従い、皆フラフラと料亭の外へ出る。一匹残らず、何か抗い難い摂理に従うように。こうして庭に残ったのは驪駒一人となった。
「……ふん。相変わらず白ける奴だよお前は」
「誉め言葉として受け取りましょう。さあ、座って」
「クックック。いい見世物をありがとう。通夜が始まったみてーな静まりっぷりだったな」
驪駒は促されるまま卓に付く。こうしてようやく三組織の長が揃った。
卓を囲った三人にそれぞれカワウソが酌をして回る。
「そういえば喰うのに夢中で酒がないことには気が付かなかった」
酌をしているカワウソの瓶を取り上げながら饕餮は言う。取り上げたそばからラッパ飲み。
「おっ。なかなかいい酒だな。地上から取り寄せた?」
注がれてすぐに口を付けて驪駒は感想を述べる。
乾杯の音頭を取ろうとしていた吉弔は勝手な二人の様子を見てそれをやめ、はあと聞こえるようにため息を付いて杯を傾けた。
「では、今回の議題。人間霊の処遇について始めましょう」
「ああ。話そうか」
「おい、そこのカワウソ。刺身とからあげが食いたいから頼むよ。そこの食い意地張ったバカのせいでほとんど残ってないよ」
饕餮は吉弔に進行を促す。驪駒は吉弔の話が右から左に抜けているようで、反応を示さず飲み食いを始めている。いつものことなので二人は驪駒を無視して話を進め始める。
吉弔は先ず、畜生界の現状について述べた。造形神が現れてからというもの、今までのように人間霊の労働力に頼ることができず以前のような社会を畜生界は成形できていなかった。わかりやすいところで言えば飲食。娯楽。
被差別階級が担っていた産業が突然宙ぶらりんになり、畜生達があくせく働くことになっていた。当然うまくいかない。今まで奴隷にやらせていたことなのだから畜生達はノウハウを全く持っていなかったのだ。
唯一高い水準で仕事を行えているのが鬼傑組のカワウソ達だがそれで良しというわけでもない。このままでは被差別階級がカワウソ達に移ろうであろうし、それを吉弔が許すはずもないのだから。先ほど饕餮が言った代わりにカワウソ達を使おう、というのは軽口であったが同時に起こり得る未来の話でもあった。
「今まで通り人間使えばいいでしょ」
そう口を挟んだのは驪駒だった。食いながらなのでいい加減な口ぶりである。
「ですから、そういかないから困っているのです。また以前のように人間霊を虐げれば、かの邪神のようにとんでもないものが召喚されるかもしれません」
「私はお前らが返り討ちにされた時点で相手にしてられんと思って雲隠れしたわけだが、正解だったってことか」
「ホント最悪な奴だよお前は。お前が尻尾を巻いて逃げたって聞いたときは一発殴りたい気分だったよ」
「殴って気が済むなら、どうぞご自由に。なんならその自慢の足で踏み抜いてくれてもいいぜ」
饕餮が挑発する。驪駒はそれに応じず飲み食いを続ける。饕餮に蹴る殴るといった物理的な攻撃が効果的でないことを知っているからだ。
「ともかく、人間霊の信仰心。これが厄介です。追い詰めれば追い詰めるほど、救いを求める。そこに居もしない超常に。願いの大きさに呼応し、呼び出された存在も強化される。そして何が召喚されるか予測も出来ない。災害ですよ、こんなの」
「何とかする方法、なくもないぞ」
声。それはここに居る三人以外の声だった。
驪駒は声の方を睨め付ける。吉弔は不審そうな半眼で声の方を見る。饕餮は口角を上げながら声の方を見やる。
声の先――饕餮の背後にはいつの間にか不審な神が居た。椅子に座り、宙に浮いている。
秘神。
「ああ――。こいつは私が呼んだ。今回の議題について参考になるかと思ってな」
饕餮は自身の背後に浮かんだ神を指す。彼女は三人に会釈した。もちろん座ったまま。
「私は摩多羅隠岐奈。今回は畜生界運営のアドバイザーとして馳せ参じました」
「あなたは、一体」
「こいつは幻想郷の賢者。ちょっと前に知り合ってね」
得意気に饕餮は紹介を始める。
「呼んだのは神様のことは神様に訊くのが一番だと思ったからさ。それにこいつはさっき言ったように幻想郷の賢者だ。あそこの運営に一枚噛んでる。つまりそういった一界の経営に一日の長があるというわけさ」
饕餮はニヤニヤと笑っている。その笑みに何らかの含みがあることに吉弔は気づく。しかしそれが何なのかまだ検討も付かない。何故この畜生界の問題に全くの部外者を噛ませる? 吉弔は思案する。
「お前は神なのか?」
驪駒が訊く。
「如何にも。なんの神かと問われれば、少々答えに窮してしまうがね。まあ今はアドバイスの神様だと思ってくれて構わない」
「アドバイスの神。そんな都合のいい神様が居るものなんですね。――で、何とかする方法。訊いてもいいですか?」
吉弔は饕餮の考えがわからない。なのでとりあえず現れた謎の神、隠岐奈の出方を見ることにした。取っ掛かりがなければ何も推察できない。
「ええ。君達は人間霊を虐げてきた。そして虐げられた人間の祈りが君達の言うところの邪神を呼んだ。今後、それをどうやって防げばいいか」
ぴんと隠岐奈は指を立てる。勿体ぶる。吉弔は一発でこの神のことが気に入らなくなった。同時に自分と同じような臭いも感じていた。この神は絡め手を好むだろう。
「簡単だ。偶像を仕立てればいい」
「偶像?」
吉弔は復唱する。何故ならその単語は不吉そのものだったからだ。かの邪神、埴安神袿姫は偶像信仰により人間霊から力を集めていた。それを真似るということなのだろうか。
「違う。真似なくていい。全く架空の神を君達で創作し、人間霊にそれを拝ませればいいんだ。それだけで、人間の信仰心は空回りする」
「架空の神でも想いは力になる。架空の神への信仰――そんなことをすれば思いがけない神を拾うことになりそうですが」
「おや。どうやらある程度神霊に対する知識はあるようだ。素晴らしい」
隠岐奈は吉弔を褒める。しかしそれは暗に畜生の知恵の程度を見下しているからのように感じられた。
「安心したまえ。用意する偶像に力を霧散させる仕掛けを施せばいい。そうすれば神に意思は生じない」
「ふむ……」
隠岐奈の策。それは吉弔が事前に案として用意していたものとそっくりだった。吉弔の策では偶像ではなく、適当な動物霊を人間霊の信仰対象に仕立てるといったものである。現人神、という人間を神に仕立てる方法の流用だった。
この策の問題は信仰による強化で動物霊が力を持ちすぎることである。それについては力を物理的に削ぐかもしくは役者を替えることで力の奔流を制御しようと考えていた。
この案は神霊の性質を学んだとき吉弔が突貫で考えたいわば机上の空論だった。この会でいよいよ案が何も浮かばないとなったときに提案しようとしていた策。
信用度の低い策だったが、隠岐奈の策ならその問題点を解消できる。
「その力を霧散する仕掛け、というのはどう作れば?」
「それは当然私がレクチャーしよう。特に難しいことはない」
あり、だ。吉弔はそう考えていた。
吉弔は乗り気だった。
瞬間、秘神は吹っ飛んだ。
「!?」
遅れて風圧。衝撃波。砕けた建造物の木片とともに、吹き飛んだ隠岐奈は庭の小池に叩きこまれずぶ濡れになった。
「ふむ。変な感触だな。服の下に何か仕込んでるのか?」
驪駒は自身の脚と庭に叩きだされた隠岐奈を見比べながら言う。吉弔はわなわなと震える。怒っていた。何が起こったのか未だ状況を把握していなかったが、このバカがまた勝手をやらかしたということだけは理解していた。
「く、驪駒! なんてことを、なんで急にこんな。あ、あなた。あの人が今回の問題を解決する方法を教えてくれるかもしれなかったのに――」
「いや。だってあいつなんか急に現れたくせに偉そうでムカついたから」
なんでもないように驪駒は言う。饕餮は腹を抱えて笑っていた。
対して吉弔はそんな子ども染みた言い訳に、頭痛がして、眩暈もしていた。
バカ。なんて阿呆なんだ。
畜生じゃないか。
「フフフ。なるほど、足癖の悪いお馬さんだ」
隠岐奈にダメージはない。吹っ飛ばされながらも、椅子に座ったままだった。驪駒を睨んでいる。
「おっ。元気そう。やっぱ只者じゃないな。いいじゃん。喧嘩売った甲斐があるってもんだね」
「畜生はやはり畜生。少し鞭を打って調教する必要があるようだな」
中空に無数の扉が現れる。明確に隠岐奈は驪駒と敵対した。
それに応じて敷地の外に居たオオカミ達がなだれ込んできた。自分達の組長が戦闘を開始したのを察知したようだ。「驪駒最強!」「やれ殺せ!」「蹴り砕け!」等々好き勝手囃し立てる。
縮図だった。これが畜生界の縮図。野生の、知も何もないその光景に吉弔はいよいよ我慢ならずに叫ぶ。
「やめなさい驪駒! こんなことをしても人間霊の信仰問題は解決しません」
「最初から言いたかったんだけど、そんなの今まで通りで良くない?」
驪駒は隠岐奈に相対したまま前提を覆すようなことを言った。
「今まで通り人間こき使えばいいじゃん。弱い奴が悪い」
「それでは、またあの邪神みたいなのが現れて――」
「弱肉強食」
驪駒は切り捨てるように言い放つ。
「それが畜生界の理だろう? 私たちが敵わないようなのが現れれば、取って食われる。それだけだ」
驪駒早鬼の意見はシンプルだった。知能すら感じられないほどに。
「だいたい今回の会議、お前が上手いことやって造形神を倒させたことを自慢しまくる会だと思ってたのにまったく訳のわからん議題で右往左往しだすから困惑したんだぞ。それを――」
瞬間、驪駒は吹っ飛んだ。先ほどの隠岐奈のように小池に叩きこまれた。
一体何が起こったのか、原因のわからない謎の力学。驪駒は自身を襲った攻撃の正体を掴めぬまま隠岐奈に向き直る。
「やりやがったな」
「仕返しだよ。びっくりしたかね? 実は私もさっきの君の蹴りでびっくりしていたからこれでおあいこだね」
「ふざけるな。その椅子から降りろ。やり返してやる」
「結構。私を椅子から降ろしたかったら、力づくでやってみるがいい」
その言葉が合図だった。驪駒と隠岐奈は空中でぶつかり合う。余波で吹き飛ぶオオカミ霊達。崩れる料亭。庭の草木は面影もないくらいに吹き飛ぶ。
「おおー。いいぞやれやれ」
ケタケタと嗤い饕餮は酒を飲みながら二人の決闘を眺めている。その横で吉弔は腰を下ろす。周囲は戦闘の余波で殆ど瓦礫になっていた。
「……あなた。これが目的だったんですね」
吉弔が言う。饕餮はとぼけるように首を傾げた。
「はて。なんのことだ」
「この状況のことです。こんな、無茶苦茶な。急に部外者を呼び出して何を始めるかと思いましたが」
そうだ。あの秘神を呼び出したのは饕餮だった。
「あなたは驪駒があの神に突っかかると見越していたのでしょ。あの神になんの恨みがあるのか知りませんが」
「正解。ただ恨みなんてないぞ」
あっさりと吉弔の推理を肯定して饕餮は笑う。
「驪駒の奴と同じだよ。なんかムカついた。ちょっと前に知り合ったんだけどさ、いけ好かない奴だろ? けど敵に回すと面倒な奴だってのは見ればわかる。だから驪駒にやってもらってる」
とんでもない三段活用だった。畜生である。
「……ホント、最悪な奴ですねあなた」
「そう言うなよ。驪駒の奴が突っかかるかどうかは運だったんだぜ?」
「運なものですか。あの子が喧嘩っ早いのは周知のことでしょうに」
諦めたかのように吉弔は盃に酒を注ぎ、空中の激戦を眺める。
「でもさ、酒の肴には最高だろ?」
「……否定はしません」
畜生界全体を揺らすような戦闘の余波を浴びながら吉弔は饕餮に倣い酒をあおった。
八千慧が苦労人なのは既定路線ですよね
4人とも素敵でした
このノリ、この関係性でもう少し長く読みたいと思いました。
面白かったです。
早鬼ちゃんの頭の悪さがモロに出ていましたねww