Coolier - 新生・東方創想話

クラウンピースは釣りがしたい

2021/10/21 20:52:38
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 針金を丸っこく曲げて作った針に長く細い紐を括り、用途のよく分からない謎の金具も重り代わりに括り付ける。そして、紐の反対側を桃の木の枝にしっかりと結べば、非常に簡素ながら手作り釣り竿の完成だ。
 クラウンピースは、作り立てのそれをぎゅっと握って後ろに振りかぶると、目の前の海に向かって勢いよく投げた。
 本人の脳内では引き締まったフォームで格好よくビシっと、実際には勢いに負けてやや崩れた体勢と緩やかな軌道を描いて餌の付いていない針は飛び、海面に触れると小さな波紋を作って静かにゆっくりと沈んでいく。
 やがて、竿の先端で撓んでいた糸がぴんと張り詰めたのを見届けると、クラウンピースはどしんと岸辺の岩場に腰を下ろす。小さな背中でぱたぱたとはためく薄い羽と、ふっふっふと不敵な笑みを浮かべた横顔は、『大物が釣れるまで止めないぞ』と微笑ましい大口を叩いていた。
 しかし、待てど暮らせどじーっと睨もうと竿はぴくりとも動かない。輝く星々を移す海は穏やかな波で天体を揺らめかせるのみで、獲物の気配すら覗かせてはくれなかった。
 長期戦に備えて予め用意していた二つの桃は既に胃の中であり、もはや弛緩し切った気概にクラウンピースが大きく欠伸をしていると、後方から声を掛ける者がいた。
「釣れますか?」
 敬愛するご主人様とは違う、落ち着いた淑やかな声。クラウンピースはその質問に対し、竿を脇にぱたんと倒して自分もばたんと後ろに倒れ込む。
「駄目ですー……。一匹も釣れませんー……」
 降参と大の字を描いて見上げた先には、煌めく糠星を背負いながらもそれ以上に眩く艶やかな長い金糸と柔和な笑みを携えた女性、クラウンピースのご主人様の友人である、純狐の姿があった。
「そうでしょうね。だって、この海には生命は存在しないから」
「んー……、それ、あたいや他のみんながあんなに居るのに駄目なんですか? 友人様、あたい達のことを生命力が凄いって言ってたじゃないですか」
「残念だけれど、生命力だけでは駄目なのよ。元となるもの自体が存在しないと。どれほどいい土や水、肥料があっても、種を蒔かないと花は咲かないでしょう? それと同じ」
「なーんだ……、そうだったんですかー……」
 クラウンピースは仰向けに倒れ込んだまま海に向かって親指を下に下げると、頬を膨らませてそれはそれは不満気にブーイングをする。
 すっかり不貞腐れてしまった彼女の隣に純狐はそっと腰を下ろすと、緩く頭を撫でて慰めつつ、もう片方の手では口元を袖で隠してふふっと嫋やかに笑う。
「ごめんなさいね。そうと知っているのに、あんな聞き方をして。意地悪だったわね」
「そうですよ。友人様、意地悪ですー」
 口ではそう言っても、顔では笑ってクラウンピースが返すと、純狐は相変わらず楽しそうに目を細める。
 見上げる瞳に映る純狐の、優雅で儚げな佇まい。自分を撫でる手の、穏やかな手つきと暖かさ。クラウンピースはそれらがどちらも大好きで、友人様はご主人様とはまた別の方向で憧れでもあった。
 それからしばしの間、方や寝そべり空を巡る綺羅星を、方や腰を下ろして水面に映る天体を眺めながら同じ細波に耳を傾けていたが、不意に純狐が口を開く。
「釣り、出来るようにしましょうか。せっかく海が目の前なのに、勿体ないものね」
「えっ? 出来るんですか?」
「少し手順を踏まないといけないし、それが終わってもすぐにではないけれど……。クラウンピース、手伝ってくれる?」
 軽く首を傾げてのその言葉にクラウンピースはがばりと勢いよく身体を起こすと、服に付いた砂埃も払わずに「はい!」と大きく返事をした。



 妖精の都と呼ばれている都市がある。その名の通り、数多の妖精が朝も昼も夜もなく気ままに好き勝手に自由に遊んでいる、いつも騒がしい街だ。クラウンピースが拵えた釣り竿の材料や、おやつの桃を調達した場所でもある。
 クラウンピースと純狐の二人はその妖精の都にあるモノを取りに来ていた。それは、先の目的のために必要な、重要な物だ。
 とはいえ、それはそこまで珍しい物ではなく、辺りを見回しながら大通りを歩いているとすぐに、そこそこ大きいモノと、それより一回り小さいモノが寄り掛かり合うようにして落ちているのが見つかった。
「これが必要なのよ」
「二つともですか?」
「ええ。……どう、持てる?」
 純狐は落ちていた二つの内、大きい方を両手で持ち上げると胸の前で抱える。一方、クラウンピースは体勢を低くして小さい方を肩で担ぐと、勢いをつけてぐっと背負う。
「っ、と、っと……」
 純狐よりも二回り近く小柄なクラウンピースは立った時こそ少しよろめいたが、すぐに持ち直すと手の位置と体勢を整える。
「これくらいなら大丈夫そうです」
「また海まで戻るけれど、平気?」
「はい! 任せて下さい!」
 クラウンピースは心配無用と元気よく返事をすると早速飛び立ち、純狐もそれに並ぶと再び海へと向かう。幸い、都から海までは距離こそ多少あるが障害物の類は一切ない開けた道なので、荷物があってもさほど苦労せずに二人は帰還した。
「帰って来たー! ……それで、これをどうするんですか?」
「投げ入れるのよ。ほら、こんな風に」
 純狐は先程クラウンピースが釣りをしていた岩場から、抱えていたモノを少しだけ勢いをつけて、ぽいと海に向かって放り投げる。モノはぼちゃんと無抵抗に着水し、いつぞやの針よりもずっと大きな波紋を描いて沈んでいく。
「さ、クラウンピースも」
「はーい」
 純狐に促されてクラウンピースは背負っていたモノを一旦下ろしてから、下から両手を通して持ち上げて下手投げでえいっと投げ入れる。モノが落ちた場所は純狐が投げ入れた箇所から少し手前だったが、浮かぶ星を波打って明滅させる海面の奥に、海底を目指して沈んでいくモノがしっかりと見えた。
 クラウンピースはしゃがんで覗き込み、それが海中の闇に見えなくなるのを見届けると純狐に尋ねる。
「この二つだけでいいんですか? あたいが知ってるだけでも、向こうにはもっとあったはずですが」
「実は、都にある全てが必要なのよ」
「えっ、全部ですか?」
「数はそこまで多くないと思うから、頑張りましょうね」
「でも、探す手間も考えるとあたい達だけじゃ大変ですね。なら、他のみんなにも協力してもらいましょうかー」
 それから二人はまた都に出向いて物を回収しつつ、人手を増やすべく、物集めをする二人に何をしているのかと近付いてきた妖精や、暇そうにしている妖精を見かけては声を掛けていった。当初は集まらなければ自分達だけで、と考えていた二人だったが、『海で釣りをするため』という誘い文句は元来好奇心の強い妖精には効果覿面であり、皆二つ返事で協力を引き受けてくれた。
 最終的には純狐とクラウンピースと都の妖精ほぼ全員という人海戦術で、モノを探して持ってきては投げ入れ、都に戻り、また探して持ってくるというサイクルを繰り返した。言ってしまえばつまらない単純作業ながら、何をするにもどこか遊びの延長気分の妖精ならではと言うべきか、いつしか持ってきたモノの数や大きさで競い合うようになり、皆でモノの投げ入れに夢中になった。
 それから、程なくして。『数はそう多くない』の言葉通り、モノを投げ入れる妖精の溢れるほどだった行列も次第にまばらになり、数人になり、最後はクラウンピースたった一人となった。そして、最初に投げ入れたモノよりも少し小さいモノを慣れた手つきで投げ入れると、海をじっと見つめていた純狐に報告をする。
「友人様、今ので全部みたいです。他のみんなも、もう見当たらないって言ってました」
 それを聞いた純狐は改めて海に目を向けると、まるで海底まで見透かすように十秒は黙って眺めた後、こくりと頷いた。
「……そうみたいね、これで大丈夫そうだわ。お疲れ様」
「いえ、お安い御用です!」
「あともう少しだから、頑張りましょうね」
「はい!」
 まだまだ元気いっぱいなクラウンピースの返事に純狐は微笑むと、無造作に転がったままだった釣り竿を拾い上げる。クラウンピース謹製の、何もいないと知らずにこの海に相対し、勝負すら出来なかったあの釣り竿だ。
「それで、次の行程のためにこれを頂いてもいいかしら? 釣り竿としては使えなくなってしまうけれど……」
「構いませんよ。どうせ、今みたいに何もいないままじゃ使い道ありませんし、どーんと使っちゃって下さい!」
「ふふっ、ありがとう。せっかくのお手製だけれど、妖精の貴方が作ったものだからこそ、より適しているだろうから」
 純狐は言いながら、汚れているうえによれた、しかし上質な布を釣り竿に巻き付けると、釣り竿の紐と針を巻き付けてしっかりと固定し、そっと手をかざす。
「わっ!」
 その瞬間、布にぼっと炎が灯って辺りを俄に明るくし、クラウンピースは突然現れた炎に驚きの声を上げた。
「わぁー……」
 だが、その声はすぐにうっとりとした声色に変わり、瞳は目の前で揺らめく赤い光彩に釘付けになってしまう。
「友人様の炎、いつ見ても凄く綺麗です……」
 元来の紅玉を更に爛々と輝かせての恍惚とした呟きに純狐は苦笑しつつ、すっかり炎に夢中なクラウンピースの手をそっと取ると、簡易の松明をぎゅっと握らせた。
「私は少し都に行ってくるから、その間、ここで待っていてくれる? それと、これを離さないようにね」
 そう伝えるなり、純狐はクラウンピースの返事も聞かずに背を向けると都の方へと向かって行く。クラウンピースはその後ろ姿にほんの少しだけ違和感を覚えたが、引き止めたりはしなかった。
「はーい! 合点了解でーす!」
 松明を持った手をぶんぶんと振って、元気な声で見送りの言葉を掛けるクラウンピース。純狐は一度も振り返ってはくれなかったが、クラウンピースは友人様の後姿が見えなくなるまで、ずっと手を振っていた。

「お待たせしたわね」
「あっ、友人様っ。お、お帰りなさいですっ」
 純狐が都へ向かってからずっと、座り込んで炎をじーっと眺めていたクラウンピースは、友人様の声にはっと意識を戻すと慌てて立ち上がる。
 その様がまるで、ずっと欲しかった念願の玩具を貰ったばかりの童のようで、純狐は小さく笑う。そして、松明に灯る、見かけ自体は全く変わっていない炎を一瞥すると「うん」と頷いて、クラウンピースの頭を優しく撫でた。
「ちゃんと言った通り離さずに居てくれたのね。偉いわ」
 クラウンピースはただ松明を持って炎を見ていただけだったが、褒められればやはり嬉しくて、えへへと頬を緩める。もう、今の友人様からはあの時の違和感は消え失せていた。
「じゃあ、それもさっきみたいに投げてしまって」
「え、これも、ですか……?」
 しかし、続く指示にその笑顔は戸惑いに早変わりし、クラウンピースは松明をじっと見つめた後、海に視線を移す。難しいことは分からずとも、この炎は特別な炎だとクラウンピースだって分かっているが、だからと言って海に放り込んでしまえばどうなるかなんて、それこそ火を見るよりも明らかだ。
 都にある大きな建物なんかに飾られている豪華な調度品や宝石も叶わないくらい美しい、混じりっけの一切ない、友人様の生み出した炎。これを、自ら消すだなんて。クラウンピースは唇を曲げてむーっと眉を顰めるが、友人様がそう言うからには必要なんだと決心し、逡巡と呼ぶには少し長い間を挟んでから、松明を振りかぶった。
「えいっ!」
 勢いよく手から飛び出した、めらめらと燃える炎が海面に触れる。刹那、じゅっと音が鳴って見る見るうちに炎が小さく――なったりはせず、棒きれが落ちた軽めの音だけを辺りに響かせて、炎はまるで氷が溶けるように少しずつ小さくなっていく。
 水に突っ込んだ後とは思えないくらい時間を掛けて炎が消え失せると、次の瞬間には枝が布ごと真っ黒に染まって炭のようになり、やがて海の黒と混ざり合うと溶けて消えてしまった。
「何だか、不思議な消え方でした……」
「そうね。だけど、大丈夫よ。入れるということが大事だから」
 結果的には予想通り炎は消えてしまったが、その過程の奇妙さに呆気に取られるクラウンピース。一方、純狐は冷静に「さて」と呟くと視線を落として海を見やり、目蓋を閉じて静かに息を吐いて、ゆっくりと開けると、戻ってきてからずっと後ろに回していた右手を前に持ってきた。
「あっ、もしかして、それを取りに行っていたんですか? それぐらいなら、言って下されば私が代わりに……」
「いえ、これは、私自らが行かなければいけなかったから」
 席を外していた純狐が右手に握っていたもの。それは、一匹のヒキガエルだった。
「でも、それって持ってきてよかったんですか? 都の門に串刺しにしてたやつですよね。ご主人様が、あれは触っちゃダメって言ってましたけど」
「構わないわ。そもそも、ヘカーティアにそう言うように頼んだのは私だから」
 純狐は柔らかな声色で答える。クラウンピースの言う通り、このヒキガエルは都の入り口にある門の柱に突き刺されていたものだ。標本のように四肢を針で留めるのではなく、腹に深々と鋭い短刀を突き刺して。
「生きてるのか死んでるのかよく分からなかったけど、一応生きてたんですねー」
 短刀の根本近くまで深々と刺されているにもかかわらず、傷口からだらだらと滴る血が絶えないものだから、クラウンピースや他の妖精達からは生死不明の謎の蛙として扱われていた。もっとも、それがどちらにせよ『あれ生臭くて嫌ー』くらいの、評判の悪いオブジェ以上の価値は持たれていなかったが。
 今、ここにいるヒキガエルの腹は血こそ付いているが傷は欠片も無く、時折僅かにだが身動ぎしており、息があるようだった。
 純狐は懐から一本の長い紐を取り出すと、手のひらの上で殆ど動かないそれを縛っていく。横に縦に斜めに手足も、きつく、何重にも。その間、ヒキガエルは抜け出そうとする意志すら無いのか抵抗はせず、あっという間に雁字搦めになってしまった。
 手の平に乗った、精々蠢くだけしか出来ない、ちっぽけなヒキガエル。それを見る純狐の瞳は、限りなく感情が薄い。
 純狐は一度海に視線を向けた後、赤い瞳を伏せて長い瞬きをした後、ぽい、と手の平だけを跳ねさせてヒキガエルを海に放り捨てた。縛られて碌に身動きの取れない――もしも、縛られていなくても変わらなかっただろうが――ヒキガエルは泳ぐこともせずにゆっくり、ゆっくりと沈んでいく。
「大丈夫なんですか? あれ」
「大丈夫よ。しぶといから。……後は、ヘカーティアが来るまで待ちましょうか。次は、彼女の力が必要だから」
 そう言うと純狐は傍らに立つクラウンピースの頭を何度か撫でた後、そっと肩に手を回した。
 自身の肩を抱く手に引き寄せるような力や意志は無く、ただ添えられているだけ。でも、クラウンピースは自ら純狐の方に身を寄せる。何故かは分からなかったが、そうしてあげた方が良い気がしたから。
「友人様、一緒にご主人様、待ちましょうね」
「……ええ。そうしましょうか」
 純狐は穏やかな声で返事をすると、ほんの少しだけ、クラウンピースを抱き寄せた。

「お二人とも、なーにやってんの?」
 淡く寄り添う二人に掛けられる、明るい気さくな声。
 とても聞き覚えのある大好きな声にクラウンピースはすぐに振り返り、純狐もゆったりとした所作で振り返る。二人とも、誰の声かなんて分かり切っていた。
「ご主人様、お帰りなさい!」
「お帰り、ヘカーティア」
 方や元気いっぱいの、方や落ち着いた出迎えにヘカーティアは「ただいま」と破顔し、改めて二人に何をしていたのかを尋ねると、興奮を隠さずにクラウンピースが口を開く。
「今ですね、海で釣りが出来るようにしてたんです!」
「釣り? この海で?」
「ええ。そこで、貴方の力も借りたくて、待っていたのよ」
 後の詳しい説明は純狐が引き取り、事の発端と何を行ったかの経緯を話す。相槌を打ちながら興味深そうに聞いていたヘカーティアは、最後まで聞き終わると「なるほど」と何度か小刻みに頷いた。
「そこまで終わっているなら、後は私にお任せよん。愛する部下と、親愛なる友人のために喜んで力を貸すわ。私にかかれば、海のこともお手の物ってね」
 ヘカーティアは二人に笑い掛けると、二人の前に一歩進み出て右手を海に向かってかざす。そして、真剣な眼差しを見せると、さっと一振りして海を撫でた。
 瞬間、海面を彩る星辰が煌めいて、揺らぐさざ波はほんの少し粟立って波音を僅かに増す。それは一秒も続かなかったが、確かに海は鼓動を打った。
 ヘカーティアは口角を上げてにやりと笑い、純狐は口元を袖で隠して目を細める。唯一、クラウンピースだけがその鼓動を感じることが出来なかった。その代わり、格好いいご主人様の姿をしっかりと目に焼き付いていたが。
「よし。上手くいくようにおまじないしてあげたから、後はゆっくり待つだけね。ピース、私達は少し席を外すわ。いい子で待ってるのよー」
「はーい!」
 しかし、何も分からずともクラウンピースは疑わない。そもそも、そんな発想が無い。友人様だけでなくご主人様も手伝ってくれたのなら、絶対に上手くいくと確信があった。
 軽く手を振ってこの場を去る二人に、自分も手をぶんぶん振って見送った後、クラウンピースはしゃがみ込んで海を覗き込む。
 しばしの間そうやって、水をやったばかりの花の種がいつ芽吹くのかと待ち侘びる子供みたいに胸を躍らせていたが、ある気付きに「あっ!」と一際大きく声を上げると、こうしている場合じゃないと立ち上がる。
「新しい釣り竿、作っておかないと!」

「どうだったかしら? 向こうの様子は」
「やっぱり、私一人で正解だったわ。あの調子だと、貴方まで連れて行ったら脅迫にしかならなかったもの。それはこっちも本意ではないし」
「そうね。それで、交渉の方は?」
「ふふーん、成立よん。ま、こうなると思ってたわ。少しでも可能性があるのなら大逆転を夢見たかも知れないけど、もはやどうしようもないし」
「聡い子だったし、あの子なりの最善は尽くした。だから、誰もそれを責めないわ。もう何もかも捨てて、あの狭間の世界で生きることを選んだとしても」
「いいところまでいってたのにねー。……で、あいつ、海に入れちゃったの? 良かったの?」
「ええ。大丈夫よ、ちゃんと処置はしたから、海の邪魔はしないわ」
「そうじゃなくて……」
「……もう、あの中にあったのは純粋な生存本能だけ。もはや、何も感じず、何も思わず、何も起こさない。ただ、生きるだけ。なら、せめてもの手向けに、永遠に一緒に居させてあげるべきだと思って、ね」
「自らの行いが招いた光景に、喪うだけの心がまだあったのねえ。まあ、純狐がいいなら私は構わないわ。……よーし、今日は呑みましょう! 蔵から良いお酒を拝借してきてるから」



 クラウンピースと純狐にヘカーティア、それに他の妖精の力も借りて、何もいない海にあれこれと手を加えてから、時が経ち。
 相変わらず大量の星が浮かぶ件の海の上を、数多くの妖精がふわふわと飛び回っていた。皆、いつぞやのクラウンピースのようにお手製の釣り竿を手にしており、海中に潜む黒い影を探しては、影の進行方向に釣り糸を投げ入れている。
 釣り竿にはそれぞれ思い思いの装飾が施されており、お古のリボンや髪飾り、中には価値を知ってか知らずか宝石を使ったものまで有り、それら個性的な釣り竿を携えた妖精があっちこっちと賑やかに飛び交う光景はなかなかに微笑ましい。
 一方、そんな妖精達を遠巻きに、クラウンピースは岸辺の岩場にどかりと腰を下ろして、静かに釣り糸を垂らしていた。海上をあんな風に飛び回って獲物を追いかけるなんてのは何も分かっていない、こうして大きく構えるのが通なんだとでも言いたげなしたり顔をして。
 とはいえ、それは単なる自負に留まらず、実際手にしている釣り竿も他の妖精のものよりも立派だった。都に落ちていた杵の持ち手を使った丈夫な竿、古臭い倉庫で見つけた細いのにとても硬い紐、剣を模したと思われる紋章を曲げて作った格好いい針と、ご主人様と友人様にも手伝って貰って作ったこの釣り竿は自慢の一品だ。
「釣れますか?」
「釣れてるー?」
 すっかりベテラン気取りなクラウンピースに、背後から声を掛ける二つの人影。クラウンピースは、その声に振り返るやいなや、脇に置いていた装飾の凝った大きなお椀型の漆器を見せつける。
「はいっ! 見て下さい、これ! 今まで釣った中で一番大きいやつですよ!」
 どこかの家屋でインテリアとして飾られていたものを拝借した、豪華な黒い水槽をちゃぷちゃぷと泳いでいたのは、ヒレが特徴的な大きな魚。体長はなんと、クラウンピースの顔の二倍弱はありそうなほどだ。
 それを見て、ヘカーティアと純狐は感心の声をあげる。
「あら、凄いわ」
「へえー、やるじゃない」
 二人の暖かな笑顔と称賛にクラウンピースは口角をたっぷりと持ち上げて、どんなもんだと胸を張る。
 実を言えば、純狐とヘカーティアは大物が入った漆器に声を掛ける前から気付いていた。だが、あえて本人に塩梅を尋ねた方が気分が乗るだろうと、気遣いと愛らしい妖精見たさの企みを二人は思い付き、素知らぬフリをして尋ねた。その目論見が功を奏したかは、身振り手振りを目一杯に使って自慢げに語るクラウンピースを見れば、誰だって分かるだろう。
 今やこの海では魚が自由に泳ぎ、妖精達からは釣り堀として遊ばれる場所となった。ここに棲む魚達はどうやら“釣られる”という警戒が殆ど無いらしく、間に合わせ程度の釣り竿と餌すら無い針で十分なのも、人気の秘訣だ。
 その時、向こうの海上で釣りをする妖精が、紐に縛られたヒキガエルを釣り上げた。
 すると、周りにいた妖精達が集まり、紐の隙間から枝や針、尖った石、硬い鉄片を躊躇なくヒキガエルに押し付けて皮膚を裂き、体を貫き、内臓が飛び出すまで押し潰し始める。
 それでもヒキガエルは――紐で縛られているとはいえ――全く抵抗しない。裂けた体からは血がぼたぼたと溢れ、海に赤い雫を落としては波紋を作り溶けていく。そして、ヒキガエルを持っていた妖精が手を離すと、それはぼちゃんとまた海へと沈んでいき、辺りからは血に寄せられた数多の魚が妖精達のもとに集まっていく。
 当初はハズレ扱いだった、海をゆらゆらと漂い、時折針に引っ掛かるヒキガエル。しかし、今や大漁を呼ぶものとして扱われており、妖精達は集まった魚相手にきゃあきゃあと騒がしくまた釣りに興じ始める。
 もっとも、岸辺にいるクラウンピースはそんな大量の魚影には目もくれない。今は、二人にこの大物をどうやって釣ったのかを話すのに夢中だった。
 それに、何よりクラウンピースは知っている。焦る必要なんかない。敬愛する二人のお陰で、これからずっとこの海で釣りが出来るのだから。時間だってたっぷりとある。凄くいっぱい、それこそ、永遠と言っていいくらいに。
「――って感じだったんですよ! ご主人様、友人様、釣りって、とっても楽しいですね!」
 数多の生命と星々を宿し背負う海と、手が届きそうなほどに近い星空のもと、優しく微笑む二人に見守られながら、クラウンピースは満面の笑顔を浮かべていた。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
奈伎良柳
https://twitter.com/nagira_yanagi
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白く良かったです
2.100南条削除
面白かったです
静かで不思議なお話でした
4.80名前が無い程度の能力削除
良い雰囲気で面白かったです。
なんとなく背景はわかったのですが、もう少しだけ具体的に何が起こった後の話か描写されていると嬉しかったです。
寂しい世界ではしゃいでいる、という雰囲気が好みで良かったです。
5.100めそふ削除
面白かったです。もう既に大きな何かが終わってしまった様な世界で妖精達がはしゃいでいるのが、とてもいい雰囲気でした。釣りの描写も素晴らしかったと思います。