Coolier - 新生・東方創想話

旧今雨夜~永夜緋月~

2021/10/18 12:36:52
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Prologue

 幻想郷の夜空を二つの人影が並んで飛んでいく。
 うち一人は、短く切りそろえられた水色がかった銀髪の上から紅いリボンの付いたナイトキャップを被り、淡いピンク色を基調とした半袖の洋服にロングスカートを穿き、背中には紅いリボンの幼女。
 またその背中からは、背丈よりも大きな蝙蝠羽が生えている。
 彼女の名は、レミリア=スカーレット。
 妖怪の山の麓にある霧の湖の畔に建つ、紅魔館という洋館の当主を務める吸血鬼である。
「ねえ、咲夜。さっきの半獣、妹の家庭教師に良いんじゃない? 郷土歴史学の先生って感じで」
 もう一人に話しかける。
「お嬢様。知識人は、ムダ知識が豊富で役に立ちますが、家にはもう要りませんわ……」
 答えたのは、ボブにカットした銀髪の両側を三つ編みに結って緑のリボンで留め、その上にホワイトブリム。胸元にも緑色のリボンの付いた青い洋服の上に、肩や襟にレースのついた白いエプロンをつけた、青と白のメイドルックの少女。
 彼女の名は十六夜咲夜。紅魔館のメイド長であり、当主付きの従者でもある。
「家の知識人は本ばっかり読んでて、あんまり役に立っていない気が……」
 幻想郷では今、満月の晩であるにもかかわらず、ほんの少し欠けた歪な月が昇りしかもそのまま夜が明けないという異変―のちに〝永夜異変〟と呼ばれる異変が発生している。
 ほとんどの妖怪は満月の晩に最も力を増す。その中でも、吸血鬼はその影響を最も顕著に受ける種族の一つである。
 その異変解決のために彼女らは出かけ、人間の里の場所で待ち構えていた半獣―上白沢慧音から異変の犯人の潜むであろう場所を聞き出し、そちらに向かっていた。
「その、うちの知識人―パチェはどうしてるんだい?」
「パチュリー様は、今回の異変も夏に異変を起こした小鬼の仕業に違いないと言って、炒った豆を抱えて全く違う方角へ出かけていきましたわ……」
 レミリアは額を押さえた。
 紅魔館の知識人―パチュリー=ノーレッジは夏に起きた異変〝三日置きの百鬼夜行〟が起きてから、その主犯である鬼―伊吹萃香を敵視しており、つい先日も紅魔館全体を巻き込んで鬼払いの儀式である節分大会を開いたばかりだった。
「本当に役に立たない……。パチェは、月がすげ替わっているのは犯人の仕業で、夜を止めてるのは異変を解決しようとしている誰かだと言ってたけど、それもどこまで当たってるのやら」
 なお、翌年の紅魔館節分大会の直後に伊吹萃香が満月を爆破して見せたり、また異変が起きたらパチュリーは伊吹萃香が犯人に違いないと決めつけてかかったりと、二人の敵対関係は続いていくのだがそれは別のお話である。
 二人が慧音から聞いた方角にさらに飛び続けると、その目の前に背の高い竹が立ち並ぶ鬱蒼とした竹林が立ちはだかる。
「ここね。あの半獣が言っていた竹林は」
 レミリアの声と共に改めてその前に降り立つ二人。
「ええ。おそらく間違いないかと」
 咲夜はその竹林を見上げた。
 中には深い霧が立ちこめ、奥を覗くことができない。
―迷いの竹林
 幻想郷で人間の里から見て妖怪の山の正反対に位置する竹林。
 その中は深い霧が立ち込め、竹の早い成長により日々景観が変化して目印がなく、緩やかな傾斜によって方向感覚も狂うため、妖精ですら迷うと言われている。
 かつては高草郡と呼ばれていた場所で、伝承では大津波によってその土地が幻想郷に流れ着いたとされていた。
「ここまで来て間違いだったら、わたしたちもパチェを笑えないねえ」
 二人の住む紅魔館は妖怪の山の麓にあるので、人間の里を中心に考えた場合、幻想郷の正反対の場所までやってきたということになる。
「ほかに手がかりがないのでしたら、進むしかありませんわ」
「そうね。ここに犯人がいるのなら、霊夢も先にこの中にいるかもしれないし」
 そう言って先に入ったレミリアに対して、咲夜も一瞬顔を顰めてから続く。
 レミリアを慕う咲夜にとって主人が異変解決の専門家―博麗霊夢にご執心なのは面白くなかった。
 しばらく飛び続けるが、なんの目印もなくまっすぐ飛んでいるのかも定かではない。
 深い霧によって視界が制限されたまま、ただひたすらに続いていく竹林の景色。
「おや……」
 レミリアが何かに気づいたように特定の方向を見る。
 咲夜も続いてそちらの方向を向き、レミリアを守るようにその前に立ちはだかった。

Powerful ~ 魔力を含む土の下

「十六夜咲夜ぁぁぁっ」
 その声と共に二人の方向の一つの人影が突っ込んでくる。
 咲夜は声の方向に向かって両手にナイフを持って身構えた。
―キィン
 高い金属音と共に咲夜の二本のナイフが一本の日本刀を受け止める。
 日本刀を振り下ろしたのは咲夜より小柄な少女だった。 
 ボブにカットした銀髪を黒いリボンで留め、白いシャツの上から魂魄を模した柄が描かれた緑色のベストとスカート、胸元には黒い蝶ネクタイ。手に持った長刀の他に、短刀を一本腰に佩き、脇には大きな白い霊魂が浮かんでいた。
 彼女の名は魂魄妖夢。冥界にある白玉楼に住む剣術指南役兼庭師であり、人間と幽霊のハーフである。
 二人の少女は、睨み合いながらしばらく互いの刃物に力を込めていたが、互いの刃を離し一度距離をとって改めて対峙する。
「サーヴァントフライヤー!」
 咲夜の背後にいたレミリアが周囲に魔方陣を召喚、そこから使い魔の蝙蝠を発して妖夢にけしかける。
「死符『ギャストリドリーム』」
 その声と共に、妖夢の背後から桜色の蝶の群れが押し寄せ、レミリアが発した蝙蝠を相殺していく。
「手出し無用。そういうことね? 妖夢」 
 その声と共に妖夢の背後に浮かび上がる一つの人影。
 整えられた桜色のミディアムヘアーにナイトキャップを被り、キャップの前面には魂魄模様が描かれた天冠。身に纏った水色を基調として白いフリルのあしらわれた和風仕立ての洋服を、腰の青いリボンで留めていた。
 彼女の名は西行寺幽々子。冥界にある白玉楼に住む西行寺家のお嬢様であり、〝死霊を操る程度の能力〟を持つことから冥界の幽霊の管理を任されている亡霊である。
「はい。それでお願いします、幽々子様」
 妖夢は振り返ることなくそう言った。
 レミリアは視線を妖夢からその主人である幽々子に移す。
「それで? それに応じることでこちらは何のメリットがある」
 幽々子はその視線をこともなげに受け止める。
 この春、幽々子が〝春雪異変〟を起こし、幻想郷中から春を奪ったときには咲夜は異変解決の専門家である霊夢や魔理沙と共に白玉楼に攻め入って、咲夜が妖夢を足止めしている間に霊夢と魔理沙が幽々子を倒して異変解決した。
 夏に〝三日置きの百鬼夜行〟が起きたときは、この二組の主従は命名決闘法のルールの下に一番目・二番目に異変を起こした勢力として再犯容疑をかけられ、お互いを疑い合ったあげくレミリアと咲夜が白玉楼に攻め込み、夜が明けるまで争った経緯があった。
 そして、秋に起こった今回の異変。疑われる前に自ら異変解決してやろうとどちらも動いたのだった。
「では、うちの妖夢が敗れたら、異変解決の主導権をそちらに譲るというのはいかがかしら? 協力しろというのならそうしますし、そちらが帰れというのでしたら、こちらはおとなしくうちに帰らせていただきますわ」
 幽々子が手にしていた扇子を広げて笑顔で言い放つ。
「いいだろう。その自信がどこからくるのか知らないが、うちの咲夜が負けるはずないし―乗ってやろうじゃないか。咲夜、負けるんじゃないよ」
「はい。お嬢様」
 咲夜は振り返ることなく答える。
「幽々子様……」
 妖夢が言いよどむ。
「いいのよ、妖夢。気合いが入ったでしょう。負けなければ済む話よ」
 妖夢が意を決して咲夜を強く睨み付ける。
「はいっ」
 その声と共に妖夢は長刀―楼観剣を構えて咲夜に突撃する。
「人符『現世斬』っ」
 瞬く間に咲夜の懐に飛び込んで刀を振るうもそこに咲夜はいなかった。
咲夜の持つ能力〝時間を操る程度の能力〟。咲夜はその能力で、咲夜は 短い時間だけ時を止め、その中を自分だけが動くことが出来た。
 しかし、妖夢の振った刀から斬撃が飛び出す。
 〝時間を操る程度の能力〟で時間停止して緊急回避した咲夜だったが、その身には妖夢の斬撃が追いすがる。
「奇術『エターナルミーク』」
 咲夜が周囲に召喚した無数のナイフが妖夢めがけて飛んでいく。
 ナイフの何本かは妖夢の斬撃を相殺し、妖夢に直接襲いかかる。
 それを時に躱し、時にたたき落とし、咲夜との距離を再び詰めていく妖夢。
「幻符『殺人ドール』」
 咲夜がスペルカード宣言した次の瞬間、何もなかったはずの空間に妖夢を取り囲むように無数のナイフが突如として出現した。
 咲夜が時間停止している間に配置したそのナイフは、次の瞬間に加速して妖夢に襲いかかろうとする。
「魂符『幽明の苦輪』っ」
 妖夢の横を漂っていた半霊が妖夢と同じ形をなして、妖夢が腰に佩いていた短剣―白楼剣を抜き放つ。
 そして、二人がかりで咲夜の放ったナイフ撃ち落としながら進んでいく妖夢。
 一定の距離まで咲夜に近づいた妖夢本体が楼観剣を構えて力を込めると、剣が緑色のオーラをまといそのオーラが巨大化していく。
「断命剣『冥想斬』っ」
 そのオーラを纏った剣で、飛んでくるナイフごと咲夜を薙ぎ払う。
―手応えが……ないっ
 妖夢の手には、ナイフを薙ぎ払った感触のみで咲夜本体を斬った感覚はなかった。
 巨大化した剣を薙ぎ払ったことで上がった土煙の中、半霊と共に周囲を警戒する妖夢。
 しばらく襲ってこない様子に、妖夢は息を吐いた。
「傷符『インスクライブレッドソウル』」
 その声と共に、土煙の中から咲夜が突進してくる。
 その瞳は、さきほどまでの青と違い、赤く輝いていた。
 先に反応した半霊が白楼剣で応戦するも、一撃目で剣を跳ね上げられ次の一撃で深く傷つけられる。
 半霊の受けたダメージがそのまま本体に反映され、妖夢本体もダメージを受けたところに咲夜が襲いかかる。
 妖夢が楼観剣で斬りかかるも、咲夜はそれを片手のナイフ一本で受け止める。
 妖夢に先ほどのダメージがあるにせよ、咲夜は片手のナイフ一本で妖夢の両手持ちの長剣を押し返していた。
 咲夜の真紅の瞳が妖夢を睨み付ける。
 妖夢がひるんだ一瞬、咲夜はもう一本のナイフで妖夢の楼観剣を払いのける。
 次の瞬間、妖夢の目の前には咲夜のナイフが突きつけられていた。
「勝負あり……ね」
 妖夢が見上げると、咲夜の瞳はもとの青色に戻っていた。
「なぜ、瞳を使わないの妖夢。初めてあなたと戦ったとき、あなたは〝狂気の瞳〟を使っていたはずよ」
 春に初めて咲夜が妖夢と戦ったとき、妖夢は真紅の瞳でその前に立ち塞がり、咲夜と互角に戦ってその勝負は痛み分けに終わっていた。
 しかし、夏に二度目の勝負をしたときはその瞳は終始青いまま。主人である幽々子に何度もかばわれ二対二の戦いでなければ今日と同じ決着になっていただろう。
「あのときは、幽々子様を護るのに夢中で……」
 妖夢が俯いて呟く。
 夏の雪辱を果たすと同時に、また咲夜と一対一で戦えば何かが掴めると思った。
 しかし、結果はこの有様。悔しさから目に涙を浮かべる妖夢。
「お嬢様。よろしければ、こいつらをこのまま連れて行ってもよろしいでしょうか。おそらく捨て石ぐらいには使えると思いますので」
 咲夜がレミリアに向かって提案する。
「勝ったあなたがそう言うのならそれで構わないわ。最終的に異変を解決するのはわたしたちで、おまえたちは露払い。それでいいならついておいで」
 妖夢がレミリアを睨み付ける。
「残念だったわね、妖夢」
 幽々子が妖夢の頭に手を置く。
「まあ帰るのはいつでもできるし、紫もこの先にいるでしょうし、ひとまずついて行きましょうか」
「幽々子様ぁぁ」
 幽々子が抱き寄せると、妖夢はより深く顔を埋める。
「ほらほら、泣かないの」
 幽々子のふくよかな胸の中に顔を埋める妖夢を見たレミリアは、面白くなさそうに顔を背けた。
「まったく……半人前の従者を持つと苦労するのね」
「お嬢様も、抱っこしてほしければいつでも言ってくださっていいんですよ」
 笑顔でレミリアに向かって両手を広げる咲夜。
「バカ言ってないで、行くわよ。ほら、あんたたちもモタモタしてると置いていくよ」
 そう言って、レミリアは先頭に立って飛び始めた。

uncanny ~ 伝説の夢の国

 合流してから、竹林の中をさらに飛び続ける四人。
「お嬢様、お聞きしづらいのですが何かあてがあって飛んでます?」
 先頭を飛ぶレミリアに咲夜が尋ねる。
「あんたたちが戦っている間に、わたしもこのデビルイヤーで周囲の様子を探っていたのよ。あんたたち以外にも、派手に戦っている気配がこの先であったの」
「そ、それは霊夢や魔理沙がすでに異変の犯人と戦っているということですか? なら、わたしたちも急がないと……」
 慌てる咲夜を見てレミリアが微笑む。
「まだその必要はないわ、咲夜」
 進んでいくと、咲夜の耳にも弾幕の鳴り響く音が聞こえてきた。
 そして、竹藪が途切れてやや広けた場所に出る。
「あの二人が戦っているのよ」
 その先では、二人の少女が弾幕を打ち合い、争っていた。
「光撃『シュート・ザ・ムーン』っ」
 少女の一人がそう宣言し、何本かの魔法瓶を投げつけると同時に、手に構えたミニ八卦路から星形の弾幕を放ち始める。
 癖のある金髪を片側だけお下げに垂らして赤いリボンで留め、同じく白いリボンのついた黒い三角帽、白のブラウスの上に黒いサロペットスカート、その上に白いエプロンという、白と黒で構成された出で立ちをした少女。
 彼女の名は霧雨魔理沙。異変解決の専門家であり、職業魔法使いの人間である。
 弾幕を向けられた少女は、こともなげに星形弾幕を躱していく。
 魔理沙が最初に投げた魔法瓶が地面に着弾し、そこからレーザーが照射され星弾とで挟み撃ちにするも、それすらも素早い動きで時に消えるように躱していった。
 艶やかな黒髪を左右耳の下に赤い髪飾りで留め、後頭部には赤く大きなリボン、肩や腋を露出させた特徴的な赤い巫女装束に白い袖と白い襟、胸元には黄色いリボンという、紅と白で構成された出で立ちをした少女。
 彼女の名は博麗霊夢。幻想郷と外の世界を隔てる博麗大結界を代々管理する博麗の巫女―その当代が彼女である。魔理沙と同じく、異変解決の専門家でもあった。
「霊夢ぅ……」
 レミリアがうっとりとした表情で見上げるのを、咲夜は面白くなさそうに横目で見ていた。
「戦符『リトルレギオン』っ」
 その声と共に、魔理沙の背後からもう一人の少女が現れて、六体の剣を構えた人形を繰り出した。
 整えられた金髪を赤いヘアバンドで留め、青の洋服の肩に白いケープを羽織って、首と腰に赤いリボンを巻いたロングスカートの少女。
 彼女の名は、アリス=マーガトロイド。霧雨魔理沙と違い、種族としての魔法使いで今回の異変では魔理沙のパートナーを務めていた。
 魔理沙の弾幕を躱し続けていた霊夢に、アリスのけしかけた人形達が剣を振り回し回転しながら襲いかかる。
「境符『二次元と三次元の境界』」
 その声と共に、霊夢の背後に一人の女性が現れ、壁状に不可視の衝撃波を放って人形達の剣をはじき返した。
 癖のある金髪の毛先をいくつか束にして赤いリボンで結んだ上から、同じく赤いリボンのついたナイトキャップを被り、瞳は澱んだ紫色。八卦の萃と太極図を描いた紫色の中華風の服に身を包み、手には大きな日傘。
 中空に現れた、いくつもの目玉が覗いた空間の裂け目のようなものから這い出したと思えば、今度はその裂け目に腰をかけて宙に浮いている。
 彼女の名は八雲紫。幻想郷の創設に携わった〝妖怪の賢者〟の一人とされる大妖怪で、今回の異変では霊夢のパートナーを務めていた。
「あら、やっぱり紫も来ていたのね」
 幽々子が目を細めてその様子を見上げる。
「なぜかしら、ここに来るのは初めてのはずなのに、何か懐かしい感じがするわね……」
 その様子を妖夢は心配そうに見つめていた。
 上空では魔理沙やアリスの弾幕を紫が防いでいる間に、霊夢が祝詞を唱えていた。
「霊符『夢想封印 散』っ」
 霊夢の手から無数の御札が発せられ魔理沙やアリスの弾幕を押しつぶしていく。
「魔理沙っ」
 アリスが魔理沙の背後にまわり、魔理沙の持つミニ八卦路にその手を重ねる。
「ファイナルマスター―」
 魔理沙とアリスがそろって霊夢を見据える。
「「スパークっ」」
 二人の魔法使いの魔力が込められた極太の魔砲。
 目映い光を放ちながら、霊夢の御札を薙ぎ払い霊夢と紫を追い詰めていく。
「境符『四重結界』」
 追い詰められた紫は四重の結界を張って防御するも、魔砲の集中砲火を受け外の結界から順に小さな亀裂が入り始める。
 八雲紫の頬に一筋の汗が流れ落ちる。
「霊符『夢想封印 集』っ」
 霊夢がそう宣言すると、霊夢がさきほど撒いた御札が逆再生するかのように、全方位から魔理沙とアリスに向けて収束していく。
 さきにアリスが周囲に盾を構えた人形を召喚して防御し、魔理沙も魔砲を解除して星弾で相殺しようとする。
 しかし、改めて人形や星弾を発しようとする二人に対して、すでに発せられていた御札を収束させる霊夢のスペルカードの方が早かった。
 何枚もの御札が相殺しきれず、防御をすり抜けて二人を傷つけていく。
「ぐっ」
 そのうち一枚が魔理沙の左肩を強く撃ち抜いた。
 星弾を発せられなくなった魔理沙の体を、何枚もの御札が追撃していく。
「魔理沙っ」
 ダメージにより半ば意識を失い、墜落し始めた魔理沙の体をアリスは庇うように胸に抱き留め、ゆっくりと地上に降り立つ。
 霊夢もスペルカードを解除して、そのそばに降り立った。
 傷だらけになった魔理沙を抱き寄せながら、アリスは何も言わずに霊夢をじっと見ていた。
「何よ……何か言いたいことでもあるの、アリス」
 アリスは冷笑している。
「いいえ、言いたいことなんて何もないわ」
 アリスはその場に座り、自分の膝を枕にして魔理沙を寝かせた。
 ほどなく魔理沙は体を起こして周囲を見渡す。
「わたしは……また、負けたのか」
「ごめんね魔理沙。わたしの力不足だわ」
 アリスは改めて形のよいその胸に魔理沙を抱き寄せた。
「アリスぅ……」
 より深く顔を埋める魔理沙。
―えっ……なにこれ
 霊夢はその様子を見て呆然と立ち尽くしていた。
 アリスは魔理沙を抱きしめながら、先ほどと同じく冷ややかに微笑みながら霊夢を見ている。
―わたしは本当に勝ったの? もしかして、戦う前に勝負はついていたんじゃないの。
 レミリアも霊夢のそばに駆け寄り、その様子を見ていた。
―なんなのよ、どいつもこいつも。そんなに大きなおっぱいが好きなわけ?
「咲夜、パチェはあの白黒にご執心なんだろ?」
「確か、そのはずですわ……」
 咲夜もレミリアのそばに侍っている。
「リアル鬼ごっこをしてる間に、何か大事なレースに出遅れてるんじゃないの?」
 パチュリーはこの場におらず、夏に異変を起こした伊吹萃香がまた犯人と決めつけてその行方を追って別行動している。
「そればかりは、わたしの口からはなんとも……」
 魔理沙とアリスの様子を見つめる霊夢の背中を改めて見たレミリアは、改めて自分の大事なレースのことに思い至る。
「大丈夫よ、霊夢。霊夢にはわたしが……」
 そう言って霊夢の手を取ろうとしたレミリアの手を、霊夢は強く払いのけた。
 改めて霊夢の形相を傍で見たレミリアは、怯んで背後にいた咲夜の胸に顔を埋める。
「うぅ……しゃくやぁぁ」
「はいはい、咲夜はお側におりますよ」
 咲夜はそう言ってレミリアを抱き寄せる。
 咲夜もアリスと同じく、ほどよい大きさで形の整った胸の持ち主だった。
―なんなのよ、どいつもこいつも。そんなに大きなおっぱいが好きなわけ?
 霊夢が視線を戻すと、魔理沙は相変わらずアリスの胸に顔を埋めたまま。
 その胸をフニフニと揉み始める。
「ちょっと、魔理沙。どさくさにまぎれて揉まないでよ」
「あ、あなたたちパートナーを組んだとは聞いてたけど、ずいぶん仲良くなったのね」
 霊夢が声をうわずらせながら話しかける。
「そうなの、仲良しなのわたしたち。お互いの親や師匠も公認の仲だし、許嫁と言っても過言じゃないんじゃないかしら~」
「いや、過言だぜっ」
 そう言いかけた魔理沙を、アリスは自分の胸により強く抱き寄せて黙らせる。
「魔理沙ってば、昨晩一緒に寝たときも毎朝わたしのために味噌汁を作ってほしいとか―魔理沙ったら、さっきも『月が綺麗だな』なんて……」
「魔理沙魔理沙うるさいぜ! 味噌汁は、アリスが魅魔様のメイドやってたおかげでその味を再現できるから、たまに作って欲しいと頼んだだけで―」
「昨晩、一緒に、寝た~?」
 霊夢が鬼の形相で魔理沙に歩み寄る。
「あ、あれはウサギの幻術の影響で眠れなくなったわたしに、アリスがよく眠れる魔法があるって言うから……」
「ふふ……でも、こうして寝たらよく眠れたでしょ?」
 弁解のために顔を離した魔理沙を、アリスがさらに強く抱き寄せる。
「うん……」
 そして、魔理沙は気持ちよさそうにその胸に顔を埋めた。
「もう、魔理沙ってば照れ屋なんだから……」
 アリスは、自分の胸に顔を埋める魔理沙の前髪をかき上げると、その額にそっとキスをした。
「なっ……」
 魔理沙は額の感触に驚いて慌てて顔を離す。
 顔を真っ赤にして口をパクパクさせた後、霊夢からの視線に魔理沙は気づいた。
「離れろよアリス!」
 そう言って体を突き放そうとするも、その掌はアリスの乳房を掴んだままだったので、より強くアリスの胸を揉む形になってしまう。
「あんっ……唇の方にして欲しいなら、そう言ってくれればいいのよ?」
 艶っぽい声で誘うアリス。
―唇の方にって。昨晩わたしがベッドで寝ている隙に、その……勝手にしたくせに。
 霊夢の視線を気にしながらアリスだけに聞こえるように囁く魔理沙。
―あら、そういう魔理沙は昨晩わたしがベッドで寝ている隙に、どこにキスをしたのかしら?
 アリスはそう言いながら、自分の服越しに自分の胸の先端を突いてみせる。
「魔理沙ってば、赤ちゃんみたいで可愛かったわ」
―こ、声が大きいぜ!
 魔理沙は顔を真っ赤にしてアリスの口を押さえる。
―魔理沙が望むのなら、わたしはオッケーよ。なんなら、今夜にでも……。
 魔理沙の耳元で、アリスは甘い声色で囁く。
 アリスは慈愛に満ちた表情で魔理沙を見つめていた。
「うぅ……」
 魔理沙は、再び恥ずかしそうに、その表情を隠すようにアリスの胸に顔を埋める。
 霊夢は、以前に較べて急成長したアリスの胸を強く睨み付けた。
「霊夢もおっぱいが恋しいのなら、わたしのを使ってくれていいのよ?」
 紫が霊夢を強引にその胸に抱き寄せる。
「い、いらないわよ!」
 紫の胸を掴んだまま引き剥がそうとする霊夢。
「照れてないで、ウチももっと仲良くしましょうよ~」
 霊夢の掌からは紫の吸い付くような柔らかな感触が伝わってくる。
―悔しいけど、この脂肪の塊が秘めた癒やし効果は認めざるを得ないわね。
 紫も幽々子と変わらない大きな胸の持ち主だった。
「そもそもアリス、あなた前に会ったときに較べてずいぶんと成長したみたいだけど、なにがあったのかしら」
 霊夢が紫ともみ合い続けながら問いかけると、アリスは相変わらず魔理沙を抱き寄せながら勝ち誇った表情。
「それは、あなたのパートナーに訊いてはどうかしら」
 霊夢は紫の方を振り返る。
「ゆ~か~り~?」
 霊夢は凄まじい形相のまま自らのパートナー―八雲紫の方を振り返る。
「あ、あのね霊夢。アリスには、幻想郷で暮らしやすいよう便宜をはかるように魔界神から頼まれてるのよ。それで、アリスの体を成長した姿に変化させてね……」
「じゃあ、わたしにもそれやんなさいよ、今すぐ」
 霊夢は紫の乳房を強く鷲掴む。
「わたしは、慎ましやかな霊夢が好きよ?」
「あんたの好みとかどうでもいいのよ! つべこべ言わずにやんなさい」
 霊夢が紫の胸を揉み拉き始める。
「い……言いにくいんだけど、あなたの体を成長した姿に変化させても、これ以上は膨らまな―」
「言うなぁぁぁっ」
 霊夢は涙目になりながら紫の乳房をさらに激しく攻め立てる。
「んっ、ちょ……霊夢、激しすぎ―」
「こうなったら、これをもぎ取ってわたしの胸に付け替えてやるわ」
 霊夢は真剣な目で紫の乳房を掴む指に力を込める。
「落ち着きなさいな、霊夢」
 後ろから、霊夢の肩に手を置く幽々子。
 どうやら、親友の乳房がもぎ取られるのを見ていられなくなったようだ。
「そうよ、嫉妬はみっともないわよ、霊夢」
 相変わらずアリスはその胸に魔理沙を抱き寄せたまま。
「魔理沙、もう大丈夫?」
「まだ痛むぜ……」
 霊夢は再びそれを強く睨み付ける。
「それで、ここに集ったみなさまの目的は、月に起こった異変を解決する―ということでよいのかしら」
 幽々子は、霊夢を諭して紫の乳房から手を離させると、周囲の人や妖に向けて言い放った。
 幽々子の横では、他の三組に感化された妖夢がもの欲しそうな目で幽々子の胸をチラチラと気にしているが、幽々子は気づかないフリで進めている。
 ようやく咲夜の胸から顔を離すレミリア。
「わたしの目的は永遠の満月の復元よ」
「え、永遠はつかせませんわ!」
 咲夜が驚いて反射的に答える。
「珍しく気が合うな、レミリア」
 魔理沙もアリスの胸から顔を離す。
「あら、あなたの目的も同じ?」
「魅魔様が遺した永遠の満月を取り戻すのが、わたしの役目だぜ」
「魔理沙がどうしてもそうしたいって言うならわたしは―」
 アリスは両頬に手を当ててもじもじしている。
 紫が額に手を当てる。
「最終的な目的はともかく―この異変の主犯を倒すってことでは一致してるみたいね……」
「そうは言うけどね、紫。この竹林の中で、敵の根城の場所はわかってるの?」
 霊夢が改めて訊ねる。
「あら、わかっててこちらへ飛んできたんじゃないの?」
「わたしは勘でこっちへ来ただけ」
 呆れた様子で霊夢を見つめる紫。
「相変わらずね、霊夢。アリス、あなたはわかっているのではなくて?」
 淀んだ紫色だった紫の瞳が金色に輝き始める。
「まあ、わたしと魔理沙は先に一度ここに来ているからね」
 アリスの碧眼も金色に輝き始める。
「まったく……魔界育ちのわたしでも〝魔眼〟を制御できるようになったのは幻想郷に来てからだって言うのに、あなたは当然のように使えるのね」
「まあ、伊達に長生きはしていませんわ」
 八雲紫とアリス=マーガトロイドは、竹林の中の同じ方向を見つめている。
「なかなかの幻視力の持ち主がいるようだねえ」
 その方向から、幼い声が響き渡った。

穢き世の美しき檻

 その方向には何もなかったはずだった。
 少なくとも、霊夢たち人間にとってはそう見えていた。
 しかし、その幼い声が聞こえると同時に、その方向にその建物は現れた。
 竹林の奥に佇む伝統ある昔ながらの日本屋敷。それは何故か少しも古びた様子がなく、瑕一つなくそのまま残されており、永遠に変わらないように思えた。
―永遠亭
 そう呼ばれる建物だった。
 その前に立つのは二人の妖獣。
「またもや、あんたの幻術が破られたよ。アンタの術も大したことないねえ」
 そう言った小さい方の妖獣はさきほどと同じ幼い声の持ち主。
 癖のある短い黒髪の上から垂れた白いウサ耳を生やし、ピンク色のワンピースを着た少女。
 彼女の名は因幡てゐ。
 この竹林の持ち主を自称する地上に住む兎で、幻想郷でも最古参の妖怪の一人だった。
 永遠亭の主人達が月から逃亡してくるずっと前からこの竹林に住んでおり、この永遠亭の主人達とは同盟関係にあった。
「破られたも何も、片割れは前にもこの術を見破った魔法使いじゃない。そりゃ同じヤツには通じないわよ」
 隣でそう答えたのは背の高い方の妖獣。
 薄紫色の長髪の上からピンと伸びた兎耳を生やしており、瞳の色は紅。白いブラウスに赤いネクタイを締め、紺色のブレザーを着て胸元には三日月型のブローチ、薄桃色のミニスカートを穿いた少女。
 彼女の名は鈴仙・優曇華院・イナバ。
 月に住む兎―玉兎と呼ばれる種族で、諸事情により月から逃亡して幻想郷に至り、同じく月の逃亡者であるこの永遠亭の主人達の許に身を寄せて暮らしていた。
「でも、確かにもう一人わたしの幻術を見破ったヤツがいるみたいね」
 鈴仙が紫の方に視線を向け、紫が微笑みを返す。
「オマエは、ややや……ヤクモ―」
 鈴仙がそう言うと、ガタガタと震え始め歯をカタカタと鳴らし始めた。
「あら、てゐじゃない方のウサギさんも見覚えがある顔ね~」
「あらら、もしかしてとは思ってたけど、初陣の鈴仙にトラウマを植え付けた地上の妖怪ってのは八雲紫だったのかい」
 てゐは隣でうずくまる相棒をやれやれといった様子で見下ろし、八雲紫は二人の妖獣を見比べている。
「どちらも、顔を見るのは一〇〇〇年ぶりぐらいかしら」
「アンタも長生きしてるだけあって方々で悪名を振りまいてるのねえ、紫」
 紫の隣では霊夢が呆れた様子で視ている。
「悪名とは失礼な物言いね……」
「それで、アンタたちなんでしょ、月をおかしくしてるの。そこを通すんじゃなければ押し通るわよ」
「まあ、アンタ達がやり合ってる時は、手負い二組なら足止めぐらいはなんとかなると思ってたんだが、四組相手はちと厳しいねえ」
 てゐは未だに隣で震えながらうずくまっている相棒を見下ろした。
「お~い、鈴仙。やれるかい」
―あの時、依姫様が割って入ってくれなければわたしは確実にアイツに斬り殺されていた。
 鈴仙は立ち上がり、チラリと紫を見ると再び顔を伏せる。
 一〇〇〇年前の幻想月面戦争騒動で、幻想郷の妖怪達が月の都に攻め込んできたとき、多くの妖怪達が月の兵器の前に圧倒される中、ただ一人獅子奮迅の戦いぶりを見せた八雲紫。
 そして、初陣の鈴仙は戦場で八雲紫と遭遇し、あわや斬り殺されそうになったところを上司である綿月依姫に庇われたのだった。
 そして、数十年前に再び地上の妖怪との戦いが起こると聞いて、戦いが起こる前に鈴仙は逃亡し地上に逃れこの永遠亭に保護されて今に至る。
―でも、ここで再び逃げ出せば、わたしにはもう行き場所はない。
「鈴仙?」
 鈴仙はブツブツと呟いたあと、大きく息を吸い込んだ。
―わたしが能力を全開にすれば、たとえ八人相手でも通用するハズ。
「散符『真実の月(インビジブルフルムーン)』!」
 鈴仙が顔を上げると、その瞳が赤く輝く。
 その背後には、幻術で赤い月が浮かび上がり、それと同時に彼女を中心に砲弾型の弾幕が発せられる。
「魔理沙、危な~いっ」
 笑顔でそう言うとアリスは魔理沙を再びその胸に抱きしめ、人形達を使って防壁を展開する。
 それを横目に、霊夢と紫は涼しい顔で砲弾型の弾幕を躱していた。
「この満月は……。咲夜が危ない!」
 レミリアが咲夜の方を振り向く。
「いや別に何にも有りませんが?」
 咲夜は、瞳を赤くしたものの何事もなく弾幕を躱している。
「……咲夜は危なくなかったわね。鍛えてあるし」
「ええ、わたしは大丈夫です。ですが……」
 咲夜はもう一組の方に視線をやる。
 妖夢は、鈴仙が幻術を発動した直後から何も言わずにただ俯いていた。
「ええと……妖夢?」
 幽々子が隣から心配そうにその様子をのぞき込む。
 大きく息を吸い込むと妖夢は顔を上げた。
「はぁぁぁっ」
 その瞳は赤く輝いている。
「人鬼『未来永劫斬』!」
 鈴仙に向かってまっすぐに突っ込むと、斬撃を乱れ打ち始める。
「狂気の瞳の暴走……本当にコントロールできないのね」
 咲夜が妖夢の様子を見て呟く。
「わわわ……」
 鈴仙は自分の幻術の影響とはいえ、豹変して斬りかかってきた妖夢に驚き、あたふたとその斬撃を避けていた。
「エンシェントデューパーっ」
 てゐは二本の壁状のレーザーで鈴仙と妖夢を隔て、妖夢の注意を自分に向けさせる。
「鈴仙、とりあえず落ち着きな」
 てゐが全方位に青い弾幕をまき散らすのに対して、妖夢はそれを斬撃で相殺し切り裂きながらてゐに迫る。
 妖夢の死角からはてゐの放った別の赤い弾幕が弧を描きながら迫っていく。
「死蝶『華胥の永眠』」
 幽々子が発した桜色の蝶の群れがそれを相殺して防いだ。 
「幻惑『花冠視線(クラウンヴィジョン)』!」
 撃ち損じた妖夢を、鈴仙がリング状のレーザーで撃つも、妖夢はそれを避けたあと、鈴仙を強く睨み付ける。
 図らずも、再び鈴仙と妖夢の目が合った。妖夢が再び俯いて大きく息を吸い込む。
「しまっ―」
「待宵反射衛星斬!」
 妖夢はさらに赤く瞳を光らせながら、全方位に鱗形の弾幕を放ち、渾身の力を込めて鈴仙に斬りかかる。
 鈴仙が何度避けても繰り返し斬りかかっていった。
「魔理沙、大丈夫?」
 アリスは人形に張らせた防壁に護られつつ、胸に抱きしめた魔理沙を心配している。
「だ、大丈夫じゃないぜ。また、あのウサギの瞳にやられたぜ。だから、またこうやって癒やして欲しいんだぜ……」
「もう、しょうがないんだから。じゃあ今夜も一緒に寝る?」
 その様子を霊夢が再び阿修羅の形相で睨み付ける。
―わたしは、このアリス=マーガトロイドという少女を侮っていたのではないか。この少女は、後出しジャンケンのように魅魔とわたしのいいところだけを取り入れて魔理沙に近づき、誰もがいなくなった後もただ一人、魔理沙に寄り添っているのではないか。
「咲夜、あなた達と妖夢達も戦ったのでしょう? どちらが勝ったの」
「もちろんわたしたちよ」
 アリスの問いに、レミリアが胸を張って答える。
「なら、ちょうどいいわ。ここはわたしたち〝負け組〟が引き受ける。〝勝ち組〟はこの先に進んで異変の主犯を退治する。それが勝者の特権でしょ?」
「わきまえてるじゃないアリス」
 紫が感心した様子でアリスを見る。アリスにとっての勝ち負けはこの先にない―紫にもそれはわかっていた。
「そうしてもらえるとこちらも助かるねぇ。半分足止めしておけば、ここの主人にも言い分が立つし、なにより八雲紫―アンタがいたらウチの相棒は使い物にならないからね」
 降りてきて話に加わるてゐ。
 上空では、未だに鈴仙が妖夢に斬りかかられ、追いかけ回され続けていた。
「そういうことなら仕方ないわねえ。妖夢を放っていくわけにも行かないし、あとは頼んだわよ、紫」
 続いて幽々子も降りてくる。
「邪魔されずに、先に進ませてくれるみたいだし、行きましょう霊夢」
 レミリアが袖を引くも、霊夢は動こうとしない。
 相変わらず勝ち誇った表情で見下し笑いをするアリスを、霊夢は睨み返していた。
 魔理沙は相変わらずアリスの柔らかな胸の中に顔を埋めたまま、その乳房をフニフニと揉み拉いたりその先端をクリクリと弄んだり。
―んっ
 アリスは頬を染めて、小さく声を発するがその表情を崩さない。
 霊夢は視線を下ろして魔理沙を見つめる。
 魔理沙の表情は、アリスのケープの内側に隠れて確認することができない。
 魔理沙は、あのウサギの幻術にそこまで深くかかったわけではない。おそらく、その晩に寝付きが悪くなる程度で、直ちに戦闘に支障が出るような影響は受けていないはずだ。
 自分の与えたダメージだって、そこまでのものではないはずで、その気になればこのまま自分と共闘することだってできたはずなのだ。
 風見幽香が事件を起こしたときだって、途中で異変解決の主導権を巡って相争ったけど、最後は力を合わせて風見幽香を倒したじゃないか。
 どうして、今日は一緒に来てくれないんだ……。
 霊夢の瞳から力が失われていく。
「霊夢、行きましょう。しっぽりしたいならわたしと……」
 レミリアが袖を引くのと反対側の肩の上に手を置く紫。
「わかったわよ。博麗の巫女として仕事はするわよ!」
 霊夢は、二人の手を振り払って先頭に立って屋敷の中に入っていく。
 続いて紫とレミリア、そして咲夜の順に日本屋敷に入っていった。

姫を隠す夜空の珠

 霊夢・紫・レミリア・咲夜の四人が屋敷の内部を進んでいく。
 内部は必要最低限しか光を取り込まない構造になっているため薄暗く、笹が風で揺れる音だけが聞こえていた。
 屋敷の外観より明らかに長い、永遠に続くかのように長い板張りの廊下が続く中、ときどき障子や襖で区切られた部屋があるものの、霊夢は一心不乱にただまっすぐ進んでいく。
「建築の趣味はまったく違うけど。外観より広い屋敷内というと、なんだかウチを思い出すわねえ。もっとも、ウチと違ってさっきのアイツが使ったような幻術なんでしょうけど」
 レミリアが咲夜に話しかける。
「いいえ、おそらくこの屋敷を広く見せている術式もウチと同じですわ」
 咲夜が神妙な面持ちで答える。
「え、それって……」
 レミリアが絶句する。
 彼女たちの住む館―紅魔館は咲夜の能力〝時間を操る程度の能力〟の応用で空間を操って内部を広げている。
 それと同じことができると言うことは、この屋敷にも咲夜と同じような能力の持ち主がいることになるのではないか。
 改めてレミリアが咲夜を見ると、その頬には一筋の汗が流れていた。
 咲夜自身が身をもって感じていた。
 自分の能力を自分以外の者が使っているという初めて感じる違和感。
 咲夜自身も、レミリアもその能力が反則級のものだということは知っている。
 それを、この異変を起こした主犯も持っているというのか。
 八雲紫も、耳ざとく二人の話を聞いていた。
「霊夢、ちょっと待って―」
「ようこそ、永遠亭へ。まったく、こっち来させちゃダメだって言ってるのに、ウドンゲは何をしているのかしら」
 その声と共に、一人の女性が行く手に立ちはだかる
 青と赤のツートンカラーの看護服に身を包んだ、銀髪三つ編みの妙齢の女性。
 彼女の名は八意永琳。
 幻想郷より遙かに進んだ文明を持つ、月の都に創建から携わった月の頭脳と言われる人物で、鈴仙がお師匠様と慕う人物だった。
「霊夢、こいつが犯人よ。犯人の匂いがする」
 紫の言葉に霊夢は小首を傾げる。
「そう? わたしの勘ではなんだか……」
 レミリアが紫と霊夢の間に割って入って永琳を指さす。
「咲夜、コイツがそうなの?」
「いいえ、違うようですわ」
 咲夜が永琳を見つめながら答える。
 確かに、この術の発動元はこの女性ではない。
 しかし、目の前の女性からはこれまでのどの敵からも感じたこともない、途轍もないほどの圧を感じていた。
「ほら、霊夢もウチの咲夜も違うって言ってるじゃない。さっさと倒して本当の主犯のところへと行って満月を取り戻すわよ」
「もうすぐわたしの術が完成する。それまで何人たりとも、姫を連れ出させはしないわ」
 永琳が表情を一変させる。
「……天丸『壺中の天地』」
 四人を魔方陣が取り囲み、そこを彼女の服装と同じ、青赤ツートンカラーの弾幕が壁のように周囲を覆い尽くし、そのうち幾つかが壁の内側に入ってきて四人を脅かす。
 相手を撃とうとするより、むしろ封じて外に出さないための弾幕だった。
 周囲が弾幕の壁で埋め尽される前に霊夢が永琳に向かって飛び出すと、同時にスペルカード宣言をする。
「霊符『夢想妙珠』っ」
 霊夢の周囲に現れた虹色の光弾が、弾幕を相殺しながら永琳に襲いかかった。
「……薬符『壺中の大銀河』」
 霊夢が飛び出した外側に、さらに大量の魔方陣が現れ、もっと多くの弾幕を放ち始める。
「なっ……」
 為す術もなく瞬く間に霊夢の目の前が弾幕で埋め尽くされ、霊夢が弾幕の海に飲み込まれようとしていた。
「時符『プライベートスクウェア』っ」
 咲夜のその声が聞こえたと思った次の瞬間、霊夢は咲夜に抱えられてレミリアの傍にいた。
 咲夜が霊夢の回収と入れ替わりに配置したナイフが、一時的に永琳の弾幕を相殺する間に紫は祝詞の詠唱を終えている。
「結界『客観結界』っ」
 紫が不可視の衝撃波を放って、永琳の弾幕をはじき返す。
「夜符『デーモンキングクレイドル』!」
 レミリアが紫のこじ開けた弾幕の隙間を縫って、永琳に回転しながら突進する。
 危なげなくレミリアの突進技を回避してから、四人と改めて距離をとる永琳。
「その力、まさか姫と同じ……そんなことって―」
 永琳は、咲夜の方を見て驚いて言葉を失った。
 咲夜は黙って永琳の方を睨み返し警戒を続ける。
「なに遊んでるのよ永琳!」
 果てない廊下に大きく響き渡る声。
「申し訳ありません、姫様。それが……」
 永琳は四人への警戒を解かないまま、ブツブツと何かを話している。
「しかし、それでは……かしこまりました」
 話し終えた永琳は四人の方を一瞥すると、廊下の奥へと飛び始める。
「霊夢」
 紫が霊夢の両頬を押さえる。
「あなたらしくないわよ。しっかりなさい」
 紫が言っても、霊夢の瞳は精彩を欠いたままだった。
 レミリアが霊夢から目を背ける。
―霊夢の中で、魔理沙の存在がここまで大きかったというの?
「ごめんなさい、ちゃんと気をつけるから急ぎましょう。主犯の元へ案内してくれるみたいよ」
 霊夢が再び先頭に立って前へ進むが、その声には明らかに張りがなかった。
「さっきのはどこに行ったのかしら。扉が多すぎてわからないわ」
 紫が霊夢の後についていきながら周囲を見回す。
 再び果てない廊下を進み続ける中、脇には少し開きかけた障子があった。
 これまで脇目も振らず、ただひたすらまっすぐ進んでいた霊夢だったが、めざとくその扉に気づく。
「あそこの扉、わたしの勘があそこだって言ってるわ」
 霊夢がその障子を開くと、その向こうには見渡す限りの星空と、途方もないほどに大きく円く輝く月があった。
「これは……満月?」
「久々の満月ねえ」
 続いて紫が顔を出す。
「そう、これが真実の満月よ。今は、月本来の力が甦っているの。穢れのない月は、穢れのない地上を妖しく照らす。この光は貴き月の民ですら忘れた太古の記憶なのよ」
 その満月の中には二つのシルエットが四人を待ち構えている。
 一人はさきほども遭遇した永琳。
 もう一人は、艶やかな長い黒髪に白いフリルをあしらったピンクの長袖と赤いスカートの少女だった。彼女の身を包む服は洋装ながらも、この屋敷に合わせたような和風仕立て。
 彼女の名は蓬莱山輝夜。月の技術の粋を集めて生み出された最も美しい姫君。
 かつて、地上で帝を含めた時の権力者達がその美貌に惹かれ奪い合いを繰り広げた『竹取物語』の主人公、なよ竹のかぐや姫その人であり、この屋敷―永遠亭の主人だった。
「いつ頃だったかしら、この満月が地上から消えたのは。満月から人を狂わす力が失われたのは」
 語り続ける輝夜。
「これじゃぁ、普通の人間は五分と持たず発狂するわ。魔理沙と妖夢を置いてきたのは正解だったかもね」
「妖夢はともかく、魔理沙は平気だったと思うけどね」
 紫の言葉に霊夢が反論する。
「咲夜、アイツね?」
「ええ、間違いありませんわ」
 レミリアと咲夜が輝夜を見て息を呑む。
「それにしても人間と妖怪……。今日は珍しい客が来ているわね」
 四人を見下ろす輝夜。
「姫様にも困ったものですわ。せっかく、わたしの術で偽の満月へと誘い込む罠を張ったというのに、気まぐれでこちらへ誘いこめだなんて」
 永琳がその傍に寄り添う。
「だって、こんな面白いオモチャが迷い込んで来たなんて聞いたら、見てみたくなるでしょう?」
 輝夜が永琳に語りかけながら、咲夜を見下ろす。
「わたしは幻想郷の賢者の一人、八雲紫」
 紫が一歩前に出る。
「この竹林の主―因幡てゐから、あなたたちがこの竹林の奥でおとなしく隠れ潜むと聞いていたから、これまではあなたたちの存在を黙認してきた。しかし、今回の騒動をあなたたちが起こしたというならば、その存在を看過するわけにはいかない」
「こちらにもやむにやまれぬ事情がありましてね。この術を解除するわけには参りません。心配しなくても、朝には満月はお返ししますわ」
 永琳の答えに対して霊夢が前へ出る。
「そんな悠長に待ってられない。朝が来るまでに満月を取り戻させてもらうわ」
「そう、夜を止めていたのはあなた達だったのね」
 霊夢に対して、今度は輝夜が前に出る。
「あなた達が作った半端な永遠の夜なんて……わたしの永遠を操る術ですべて破ってみせる」
 輝夜が満月のもと、両手を掲げる。
「永夜返し―待宵―!」
 輝夜を中心に放射状に米粒弾が発射され、その合間を縫うように大粒弾も発射される。
 それと共に周囲の星空が、急激に動き始め満月も徐々に移動を始める。
「これは?!」
 弾幕を躱しながら紫が周囲を星空を観察する。
「これまで止まっていた夜が急速に進み始めましたわ」
 咲夜がナイフを構えながら輝夜を睨み付ける。
「どう? これで永夜の術は破れて、夜は明ける! 夜明けはすぐそこにあるはずよ」
 霊夢も御札を構えて臨戦態勢をとった。
「これは……一気に時間がなくなったわね。急いで倒さないと」
 輝夜の放った弾幕を躱すうちに、霊夢&紫とレミリア&咲夜の距離が離されていく。
「永琳、月の都の賢者として、そちらの賢者様のお相手をしてあげなさい。あなた達、わたしの力で作られた薬と永琳の本当の力、一生忘れないものになるよ!」
 輝夜が紫と霊夢を交互に見る。
 永琳と輝夜が、弾幕回避で距離をとったレミリア達と霊夢達の間に割って入るように背中合わせで陣取る。
「……禁薬『蓬莱の薬』」
 永琳が輝夜の意を汲んで、霊夢と紫を囲むように魔方陣を展開。その魔方陣から∞の軌道を描くようにレーザーが明滅しつつ走り、それと同時に永琳本体からは密度の濃い米粒弾が発射される。
「霊夢っ」
 紫が霊夢の手を取る。
「夢境『二重大結界』!」
 霊夢が周囲に二重の結界を張り紅白の御札を発し始める。一つ目の結界の内側に達した紅白の御札が二つ目の結界から内側に発せられ、一つ目の結界に達した御札が今度は二つ目の結界の外側に発せられる。
「結界『魅力的な四重結界』」
 紫がさらにその外側に、もう二重の結界を加えて張り、紫色の御札を発し始める。
 霊夢と紫の合体スペルにより、永琳の弾幕は相殺され、むしろ徐々に押し返し始めていた
「霊夢。あなたの勘のとおり、異変の主犯はもうひとりの〝姫様〟の方で間違いないでしょう」
 紫が霊夢に語りかける。
「でも、あの二人の圧を見較べた限りだと、こちらの賢者様の方が実力はずっと上だわ……」
 自分の弾幕が押し返されはじめ、霊夢と紫が何かを話し始めたのを察して永琳がさらに別のスペルカードを放つ。
「……天網蜘網捕蝶の法!」
 周囲を覆い尽くすように魔方陣が展開。その魔方陣同士を繋ぐように蜘蛛の巣状に明滅するレーザーが駆け巡る中を、青白い弾幕が上下に向かって発せられる。
 永琳の弾幕が霊夢と紫の弾幕を押し返し始めたのに対してすぐに二人も応戦する。
「境界『二重弾幕結界』!」
 霊夢が再び周囲に二重の結界を張り今度は紅白のクナイ弾を発し始める。紅色は時計回り白色は反時計回りに発せられる紅白のクナイ弾が、一つ目の結界の内側に達したら二つ目の結界から内側に発せられ、一つ目の結界に達したら今度は二つ目の結界の外側に発せられる。
「境界『永夜四重結界』」
 紫も先ほどと同じくさらにその外側に、もう二重の結界を加えて張り、紫色のクナイ弾を発し始める。
 霊夢と紫の弾幕が再び永琳の弾幕を押し返し、両者の弾幕は拮抗する。
「つまり、こちらも向こうを助けに行く余裕はなさそうってこと。専門家としては心外だろうけど、異変の主犯退治はあいつらに任せるしかないかも知れないわね……」
 紫の言葉に、霊夢は歯を食いしばり、黙って弾幕を発し続けた。
―向こうで戦っているのが魔理沙なら、霊夢もだいぶ違ったのでしょうね……。
 その様子を見て、紫も目の前の敵に集中するのだった。

五つの難題

「そっちは任せたわよ、永琳。わたしは……」
 輝夜が咲夜の方に改めて視線を送る。
「こっちの実験体に興味があるのよ」
「実験体?!」
 咲夜が輝夜の言葉に動揺する。
「わたしには生まれ持った二つの能力がある。その一つは先ほどお見せした〝永遠を操る程度の能力〟よ。そして、もう一つの能力を人為的に別の個体にコピーする実験が、かつて月の都で行われたわ」
「なにを……言っているの?」
 震えながら輝夜に問い返す咲夜。
「実験は失敗。もう一つの能力〝須臾を操る程度の能力〟をコピーされた実験体は、その能力を制御できず、暴走させてどこかの別時空か平行世界へと消失。実験は凍結されたと聞いたけれど―」
「だから、さっきからなにを言っているのよっ」
 堪えきれず叫ぶ咲夜。咲夜には出自に関する記憶がなく、自らの出自を知らない。
 彼女には、紅魔館でメイドをする前の記憶がなかった。
 その言葉の前に、呆然と立ち尽くす咲夜。
「その個体とこんなところで出会えるとは……これだから永遠に生きるってたまらないわ。どんなに起きる可能性が低い事象でも、いつか必ず起こるんだもの」
「咲夜っ。あんなヤツの与太話に呑まれてはダメよ!」
 レミリアが咲夜を庇うようにその前に立ちはだかる。
「へえ……咲夜というの。その名前は―」
「わたしが付けた名前よ! 何か文句でも?」
 輝夜が感慨深そうにレミリアを見つめる。
「どういう経緯でその名を付けたのかは知らないけど、あなたにも何かを視る能力があるようねぇ」
 輝夜を忌々しげに睨み返すレミリア。
 十六夜咲夜―その名はレミリアが自分の持つ〝運命を操る程度の能力〟で視て付けた名前だった。
 その名の持つ運命の意味まではレミリアには視えなかったが、それをこの女は知っているというのか。
「難題『龍の頸の玉―五色の弾丸―』!」
 輝夜の両手を掲げると、その上には、五色に輝く宝玉が召喚される。
「今まで、何人もの人間が敗れ去っていった五つの問題。あなた達に幾つ解けるかしら?」
 宝玉はその輝きと同じ五色の弾幕と五色のレーザーを発しながら輝夜を護るようにその周囲を回り続ける。
「さあ、わたしの能力の半分のコピーで、オリジナルにどれだけ抗えるか見せてみなさい」
「黙れ貴様ぁぁぁ!」
 激昂したレミリアはその小さな体に紅色のオーラを纏わせる。
「夜符『バッドレディスクランブル』!」
 紅色のオーラを体に纏ったまま、幾つものレーザーや弾幕が体を掠めるのも構わずに輝夜に突進する。
 宝玉と共に、その突進を輝夜が躱す。
 突進を躱されたレミリアがその向こう側で停止すると、その掌中には強烈な輝きを放つ穂先の付いた紅色の槍。
「必殺『ハートブレイク』!」
 レミリアはその槍を投げずに持ったまま輝夜に背後から再び突進する。
 輝夜は今度は避けることなく、背後から紅色の槍で深々と心臓を貫かれ、その胸からは穂先を伝って大量の血がしたたり落ちた。
「ぐふっ」
 それを確認してから、レミリアは再び咲夜の傍に戻る。
「もう大丈夫よ、咲夜。あんな与太話をするヤツはもういないから―」
―怒りにまかせて殺ってしまったけど、弾幕ごっこではこういう事故も起こりうるわけだし、問題ないはず―
「まったく……乱暴な人ね―」
 レミリアの背後から、たった今殺したはずの相手―蓬莱山輝夜の声がした。
「なっ……」
 恐る恐る振り返るレミリア。
 レミリアの刺した槍を輝夜が引き抜くと、まるで逆再生するように傷口が塞がり治っていく。
 吸血鬼であるレミリアですら、心臓を貫かれればただでは済まない。
「さっきの話の続きだけど、わたしの能力を別の個体にコピーする実験が凍結されたあと、わたしの能力を活用した道具を作る技術が開発されてね―」
 輝夜がレミリアの槍を投げ捨てると、零れた血も吸われるように輝夜の傷口に戻っていき、服の裂け目からは輝夜の美しい肌が覗いていた。
「そうして作られたのが、〝永遠を操る程度の能力〟を活用して不老不死の肉体を作る、この『蓬莱の薬』よ……リザレクション!」
 輝夜のその言葉と共に、その体は服も含めて元通りに治っていた。
「くっ……」
 レミリアは苦々しげにその様子を見たあと、咲夜の方に向き直る。
「咲夜……あなたの出自がどうあれ、今のあなたは紅魔館のメイド長―十六夜咲夜なのよ。そして、わたしの大事な家族。わたしたちお互いにとって、それ以上に必要なものなんてないはず―」
 そして、咲夜の耳元にそっと唇を寄せるレミリア。
―愛してるわ、咲夜。
 咲夜の瞳が色彩を取り戻していく。
「お嬢様……」
 レミリアの吐息の温もりが残る耳たぶを押さえ、頬を染める咲夜。
 そうだ、十六夜咲夜。
 自分にはお嬢様の名付けてくれたこの名前がある。それ以上なにが必要だというのか。
 改めて潤んだ瞳でその姿を追うと、レミリアは改めて輝夜への突撃を敢行していた。
「不老不死だというのなら、復活できないほどにバラバラに引き裂いてやるわよ!」
「難題『蓬莱の弾の枝―虹色の弾幕―』!」
 輝夜は手元に七色の実の成る枝を召喚し、その七色の実から同じく七色の弾幕が発せられる。
「今度はまた別の難題―宝物って訳ね……夜王『ドラキュラクレイドル』!」
 レミリアはこれまでで最も激しいオーラをその身に纏い一度上昇し、重力も上乗せして輝夜めがけて急降下する。
「これは贋作ではない、本物の宝物。前の偽物の宝物と一緒にしない方がいいわよ」
 幾つもの弾幕がその身を掠めるのも構わずに突進しようとするレミリアを不敵に笑う輝夜。
 宝物から発する弾幕がさらに激しさを増し、しかも一度避けたはずの弾幕が壁に当たったかのようにレミリアめがけて跳ね返ってきていた。
「幻世『ザ・ワールド』っ!」
 咲夜が〝時間を操る程度の能力〟を発動―時間を停止させて、輝夜の弾幕を相殺できるようにナイフを配置してから、危うく被弾しそうになっていたレミリアの身柄を回収する。
「ねえ、あなた自身が一番わかってるはずでしょう? わたしの話が与太話なんかじゃないってことを―」
 恐る恐る振り返る咲夜。
 そこでは、不敵に笑い続けながらすぐそばに近付き、話しかける輝夜の姿があった。
 咲夜はまだ能力を解除していない。
 時間停止したはずの世界の中に介入してこれるということは、輝夜が咲夜と同じ能力を持つという何よりの証拠ではないのか―。
 咲夜は咄嗟に自分と輝夜との間にナイフを配置し、距離をとってから能力を解除する。
「これでわかったかしら。あなたの〝時間を操る程度の能力〟が、わたしの〝須臾を操る程度の能力〟のコピーに過ぎないってことが」
「逆に考えるのよ咲夜!」
 能力が解除され、もとにもどった世界の中でレミリアが咲夜の腕の中で身を起こす。
「あなたが能力を使えないのと同様、アイツも能力の半分を封じられているってことよ」
 レミリアがニヤリと笑うのを、輝夜は忌々しげに睨み返す。
「頼りにしてるわ、咲夜」
 咲夜がレミリアを背後からそっと抱きすくめ、耳元で囁きかける。
―お嬢様、肉弾戦はダメです。弾幕で圧倒しましょう。
「あなたがそう言うなら……『スカーレットディスティニー』!」
 レミリアはそう言うと咲夜から離れ、紅いナイフを全方位にばらまきつつ、紅い大玉弾を混ぜ込んで放ち始める。
「蓬莱の樹海!」
 輝夜はそう言うと、五つの宝物を召喚。五つそれぞれが色とりどりの弾幕を放ちながら回転し、輝夜自身も七色の弾幕を全方位に放ち始める。
「五つの難題の全部載せって訳……大盤振る舞いね」
 これまでにない輝夜の圧倒的な弾幕にレミリアの弾幕が押し負け始める。
「ふふふ……弾幕勝負ならば、わたしに勝てるとでも?」
「空虚『インフレーションスクウェア』!」
 咲夜が輝夜を囲むように赤い結界を張り、自分もその外側から大量のナイフを放ち始める。
「なに? 二人がかりでもこんなものなの」
 レミリアと咲夜、二人がかりの弾幕でも輝夜の弾幕に押し負け始める。
 しかし、咲夜の張った赤い結界を境に、輝夜の弾幕は押し切れず、押し戻されを繰り返して膠着状態が続いていた。
 咲夜は、レミリアが見とれていた霊夢の弾幕を思い出していた。
 魔理沙を倒した「夢想封印 散」「夢想封印 集」。
 自分の能力を使えば、もっと圧倒的に同じような弾幕を放てるはず。
 そうすれば、お嬢様が最も愛するに相応しいのが自分だと証明できる。
「このままだと、もうじき夜が明ける! 時間切れでわたし達の勝ちよ」
 そう言いつつも、輝夜は違和感を感じていた。
 咲夜の張った赤い結界を境に明らかに相手の弾幕密度が落ちている。
 だから、あの赤い結界を境に弾幕が膠着して、結果として輝夜の弾幕が結界の内側に閉じ込められるような形になっていた。
 では、赤い結界を境に弾幕はどこへ消えているというの―
「デフレーションワールド!」
 咲夜の宣言と同時に、赤い結界の内側にビッシリと隙間なくナイフの弾幕が現れる。
 ナイフ弾幕の中に閉じ込められ、脱出もままならず呆然とする輝夜。
「これは、短期間の過去と未来を同時再生……こんな能力の使い方が―」
 瞬く間に輝夜の弾幕は大量のナイフに磨り潰され、その身には次々とナイフが襲いかかる。
「いや~っ」
 輝夜の身に次々とナイフが突き刺さり、修復する間もなくその体を引き裂いていく。
「いたっ……再生が追いつかな―」
「運命『ミゼラブルフェイト』!」
 レミリアが放ったオーラで出来た鎖が、ナイフでズタズタに引き裂かれた輝夜の四肢を捕らえる。
「え~り~ん~っ!」
 輝夜が助けを呼ぶも、そこに突っ込んできたのは〝狂気の瞳〟を発動させ、瞳を赤く輝かせる咲夜だった。
「傷魂『ソウルスカルプチュア』!」
 レミリアの鎖で縛り上げられたズダズダの輝夜を、さらに手に持ったナイフで切り裂いていく咲夜。
「いたっ、痛いってば」
 咲夜は最後に深く横一閃したあと、足下に落ちてきたものを大きく蹴り上げる。
 レミリアは、その蹴り上げられたものを上空でキャッチする。
「まったく……本当に乱暴な人ね―」
 レミリアがその手に持ったもの―血のこびりついた黒髪を掴み、ぶら下げた輝夜の生首が声を発する。
「姫様っ」
 霊夢達との撃ち合いを無理矢理中断した永琳が駆けつける。
「もう、遅いわよ永琳」
「も、申し訳……ありません」
 弾幕の打ち合いを無理矢理中断し、霊夢達の弾幕をかいくぐって駆けつけたため、永琳は体のあちこちに弾幕の掠めた跡が残り、息も絶え絶えだった。
「こちら側の勝ち……ということでよろしいかしら」
 永琳の後ろから追いついてきた紫が声をかける。
「どうやら、そのようね」
 永琳が輝夜の方を一瞥する。
「師匠、それに姫様……なんてお姿に」
 駆けつけてきた鈴仙が、状況を見て絶句する。
 その後ろからは、てゐ、妖夢・幽々子・魔理沙・アリスも続いて姿を現す。
「とりあえず、あの月は元に戻して頂けるかしら」
 永琳は鈴仙の顔を見たあと、改めて輝夜の顔を見る。
 日本最古の物語のヒロイン、かぐや姫。物語の結末とは違い、彼女は永琳に願って月からの迎えを拒んで地上に残った。
 しかし、今度は匿っていた鈴仙に同じく月からの迎えが来ることになり、輝夜は鈴仙を月に帰したくないと永琳に願い、今回の異変を起こしたのだ。
「……永琳」
 輝夜は生首のまま頷いた。
「察するに―あなた達の目的は、月の都と幻想郷の行き来を遮断することかしら?」
 八雲紫の問いに、永琳はしばらく間を置いてから答える。
「ええ……その通りよ」
「では、問題ありません。この幻想郷は結界により、もとより月の都との行き来が遮断されているのですから」
 その言葉を聞いて永琳が固まる。
「く、詳しいお話を聞かせて頂けるかしら」
 こうして、月がすげ替えられ夜が終わらないという、のちに〝永夜異変〟と呼ばれる異変は幕を閉じた。
 後日、異変解決にやって来た〝妖怪側の者達〟と永琳・輝夜との間で改めて話し合いの場が設けられることになる。
 その場で、博麗大結界の仕組みと月との往来が遮断されている説明が、改めて紫から永琳になされた。
 そこで、永遠亭の者達は幻想郷の中でなら自由に歩き回れることがわかり、永遠亭の者達は薬屋として活動を始め、人間の里にもその名が知られるようになっていく。
 なお、話し合いの場で紅魔館からはレミリアに替わって、異変解決の場にいなかったはずの〝紅魔館の頭脳〟パチュリー=ノーレッジが出席したが、その場にいない霧雨魔理沙の件でアリス=マーガトロイドと言い争いになり、途中で八雲紫にスキマを介して摘まみ出されているのだが、それはまた別のお話である。


登山日和

―妖怪の山
 幻想郷にあって、山と言えばこの妖怪の山のことを指す。
 多くの古参妖怪や神々が住み、人間や他の妖怪たちとは異なった独自の文化や社会を築いている。
 幻想郷にまだ鬼が居た頃、天狗を従えた鬼神が築いた社会が基盤となっており、妖怪には珍しく組織的な社会となっている。
 かつて、富士山と八ヶ岳が高さ比べをしたときに、八ヶ岳の方が高いと知った富士山の女神―木花咲耶姫が怒って八ヶ岳の山頂を砕いて低くしたことがあった。
 妖怪の山はその砕かれる前の八ヶ岳であり、一〇〇年程前に外の世界の八ヶ岳から石長姫が移り住み、不尽の煙が上がるようになった。
 しかし人間の里ではこの煙は河童の工場の煙と考えられている。
 鬼が幻想郷を去ってからは天魔を頂点とする天狗が妖怪の山を支配している。
 守屋神社が幻想郷にやって来て、天狗の支配する妖怪の山に神社を建てて、住民の信仰を集めようとしたときは一悶着あったものの、現在は共存しており山の妖怪達も守屋神社を信仰するようになっていた。
 山の妖怪達は仲間意識が強い反面、排他的で山に入り込む余所者は追い返そうとする。
 その妖怪の山の中腹を一人の少女が飛んでいく。
 ボブにカットした銀髪の両側を三つ編みに結って緑のリボンで留め、その上にホワイトブリム。胸元にも緑色のリボンの付いた青い洋服の上に、肩や襟にレースのついた白いエプロンをつけた、青と白のメイドルックの少女。
 彼女の名は十六夜咲夜。紅魔館のメイド長であり、当主付きの従者でもある。
 〝永夜異変〟から四年の月日が流れており、いま幻想郷では博麗神社の傍から間欠泉が吹き出し、そこから地霊まで湧き出すという異変が起きていた。
 夏には、とある天人が局所的な異常気象を起こし博麗神社を倒壊させるという異変を起こしたばかりであり、十六夜咲夜は今回もその天人が犯人に違いないと思っていた。
 異変解決の方針について、紅魔館の知識人―パチュリー=ノーレッジが八雲紫と話し合っていると言うが、それもどれだけ有意義な話をしているのかも疑わしい。
 川に添って山を登っていくと森が途切れ眼下の景色が一変する。
 森林限界点を越え、目の前には一面の草原が広がっていた。
 妖怪の山の中腹にあって、大蝦蟇の池を中心として広がる草原。
―幻草原
 そう呼ばれている場所である。
 これ以上進み、渓谷を越えると山の妖怪達の縄張りに入ってしまう。
 草原では一人の少女が咲夜を待っていた。
 ボブにカットした銀髪を黒いリボンで留め、白いシャツの上から魂魄を模した柄が描かれた緑色のベストとスカート、胸元には黒い蝶ネクタイ。長刀を一本背中に、短刀を一本腰に佩き、脇には大きな白い霊魂が浮かんでいた。
 彼女の名は魂魄妖夢。冥界にある白玉楼に住む剣術指南役兼庭師であり、人間と幽霊のハーフである。
「来ましたね、咲夜さん」
 咲夜が妖夢の傍に降り立つ。
 〝永夜異変〟以降も、異変が起こって霧が出れば紅魔館が犯人と疑われ、霊が湧けば白玉楼が犯人と疑われ。
 そのつど、それぞれの勢力で外回りをするこの従者二人は刃を交えていた。
 そうやって、自分たちが疑われるたびに自ら真犯人捜しに乗り出すうちに、咲夜と妖夢は博麗霊夢・霧雨魔理沙に次ぐ異変解決の専門家であると自認するようになっていく。
 そして、異変が起こらずとも二人はこの草原で、定期的に果たし合いをするようになっていた。
「ええ、今日は決闘ではなく―」
 咲夜の視線を追って、妖夢も視線を妖怪の山の山頂の方に向ける。
 妖夢も咲夜と同じく今回の異変も天人の仕業と考えており、二人で共に異変解決に行こうと約束していた。
「新参者に異変解決の専門家としての、わたし達の存在を知らしめておかないといけませんからね」
 妖夢の言葉に咲夜が無言で頷く。
 一年前に、異変解決の専門家としての二人の立場を脅かす存在が現れた。
 守矢神社の東風谷早苗。
 昨年に幻想郷にやってきた守矢神社の風祝。
 これまで、幻想郷唯一の神社だった博麗神社に続いて現れた二つ目の神社の巫女。
 彼女も、妖怪退治に意欲を見せているというのだ。
 ならば、妖怪退治をする人間として、パチュリーと紫が悠長に相談などしている間に、自分たちで異変を解決することで、異変解決の専門家としての地位を、確固たるものにしておかねばならない。
 夏に異常気象を起こした天人―比那名居天子は異変の最後に彼女に挑んだ殆どの幻想郷の住人にお礼参りを敢行しており、その中に霊夢・魔理沙に加えて咲夜や妖夢も含まれていた。
 まるで、異変の中で行われた戦闘が本気ではないお遊びだったと言わんばかりに、ほとんどの者達が彼女の強さに圧倒された。
 何よりその仕返しもしておかねばならない。
「待ってくださいよ、咲夜さん」
 誰もいなかったはずの咲夜の傍の空間にもう一人の少女が現れる。
 薄紫色の長髪の上からピンと伸びた兎耳を生やしており、瞳の色は紅。白いブラウスに赤いネクタイを締め、紺色のブレザーを着て胸元には三日月型のブローチ、薄桃色のミニスカートを穿いた少女。
 彼女の名は鈴仙・優曇華院・イナバ。
 月に住む兎―玉兎と呼ばれる種族で、諸事情により月から逃亡して幻想郷に至り、同じ月の逃亡者であるこの永遠亭の主人達の許に身を寄せて暮らしていた。
「なっ……幻術で姿を隠してつけてきたのね」
 俯いて額を押さえる咲夜。
「性懲りもなく異変を起こしている天人を懲らしめに行くなら、一緒に行きましょうと言っていたじゃないですか~」
 鈴仙も咲夜と同じく今回の異変も天人の仕業と考えており、咲夜と共に異変解決に行こうと声をかけていた。
「妖夢の方が先約なのよ」
「だったら、妖夢さんも含めて一緒に行けばいいじゃないですか~」
 鈴仙が妖夢に微笑みかける。
 咲夜にとって鈴仙の思惑の見当はついていた。
 今回の異変の犯人も天人だというのは鈴仙自身の考えだろう。
 しかし、そのパートナーとして咲夜に声をかけてきたのは、おそらく彼女の師匠―八意永琳の差し金に違いない。
「ごめんなさい、妖夢。二人で異変解決に行く約束だったのに、どうしても撒ききれなくて……」
 申し訳なさそうに話す咲夜。
「いえ、こちらも一人ではないので……」
 そう聞いた瞬間、咲夜は妙な違和感を覚えた。
 気がつくと、妖夢の背後には大柄な女性。  
 ツインテールにした癖のある赤髪に、赤い瞳。半袖で裾の長いの着物を着て腰巻をしておいり、手には大きな鎌を持っていた。
 彼女の名は小野塚小町。三途の川の船頭を務める死神である。
 彼女の能力は〝距離を操る程度の能力〟。
 本来は、三途の川の川幅を操るのに使っている能力だが、咲夜が使う〝時間を操る程度の能力〟もその延長で空間の広さを操るので、相互に干渉することが可能な能力だった。
「こんな、面白そうなことに誘ってくれないなんて、つれないね~」
 小町が笑いながら咲夜と妖夢に話しかける。
 妖夢と小町は、同じ死後の魂を扱う仕事をするもの同士、知己であった。
「そうですよ。同じ異変解決をするもの同士、ここは協力しましょうよ」
 鈴仙もその話に加わる。
 〝永夜異変〟の一年後に起きた〝六十年周期の大結界異変〟。
 そこで、鈴仙は咲夜や妖夢と同じく異変解決に参加しており、それ以降は彼女も異変解決の専門家を自認していた。
 咲夜や鈴仙はそこで小町と知り合い、この場にいる四人は夏に天人の起こした異変解決にも参加している。
 しかし、鈴仙や小町は夏に異常気象を起こした天人―比那名居天子に対してやや違う感情を抱いていた。
 咲夜や妖夢は天子のお礼参りを受け、その強さに圧倒された。だが、鈴仙や小町は天子のお礼参りのリストにすら入っていなかったのだ。
 同じく入っていなかった八雲紫は単純に天子が八雲紫を怖れた故だろう。
 現に、異変の間も天子は八雲紫から逃げ回っていた節すらあった。
 まさに幻想郷の黒幕の面目躍如と言ったところだろう。
 しかし、鈴仙の場合は違う。
 異変のさなか、鈴仙は天子に弾幕ごっこで勝利した。
 しかし、天子は八雲紫に叩きのめされた直後ですでにボロボロだったし、とても実力で勝ったとは言えない。
 現に天子は鈴仙に報復すら行わなかったことから、天子の方も鈴仙に敗れたとは思っていないのだろうことがわかった。
 小町にしても同様で、天人として死神のお迎えを何度も撃退している実績から、天子は死神という種族そのものを侮っており小町に対する態度にもそれは表れていた。
「仕方ないわね……」
 咲夜が頭を掻きつつ、再び妖怪の山を見上げる。
「〝永夜異変〟の時と違って、主従でもない変則的な組み合わせだけど、この二組の人と妖で今回の異変の解決に向かうとしましょうか」

龍宮の警告

 四人は、山の妖怪の縄張りとの境界とされる未踏の渓谷を越え、妖怪の山の内部へと入っていく。
「ねえ、妖夢。思ったのだけれど、冥界から天界へ向かうわけにはいかなかったの?」
 咲夜が妖夢に話しかける。
 天人の住む異界の桃源郷―天界。
 天人となってその世界に至るには、死後に成仏して天人になっていく方法と、仙人として修行を積んで生きたままそこに至る二通りの方法がある。
 それに合わせて、天界に行くのも冥界から至る方法と妖怪の山を経て至る二通りの方法があった。
 彼女らは、妖夢も含めて夏の異変では妖怪の山を登って天界に至っている。
「冥界を通るのは、三途の川と同じで死者の通るルートなので……それに、天界も広くて幾つもの世界に分かれているので、前回と同じ場所―有頂天に行くなら同じルートを通った方がよいでしょう」
 横では小町が頷きながら話を聞いていた。
 冥界の住人である妖夢がいるならば、冥界を経由してもう少し楽なルートで天界に至れるのではないかと、咲夜は考えていたのだ。
「そういうことならしょうがないわね……」
 四人が飛び続けるうちに、河童の縄張りと天狗の縄張りの境界とされる九天の滝が見えてくる。
「そうなると、夏の時と同じように、山の妖怪を突破して天界に行くことになるけど―」
 滝の裏側からは、山伏の衣装に身を包み、太刀を手にした天狗達がワラワラと出てきて彼女たちの前に立ちはだかる。
 妖怪の山において、哨戒任務を務める白狼天狗と呼ばれる種族の者達だった。
「この四人ならばどうとでもなるでしょう」
 咲夜・妖夢・鈴仙・小町の四人がそれぞれ構えて戦闘態勢をとる。
「待ってくださいっ」
 白狼天狗の群れの中から大きな声がした。
 白狼天狗の群れをかき分けて、中から一人の少女が姿を現す。
 白い短髪の上から山伏風の帽子を被り、上半身は白色の明るい服装で下半身は裾に赤白の飾りのついた黒い袴を穿いて、頭には白い犬耳、袴の下からは白い尻尾を生やした少女。
 彼女の名は犬走椛。
 千里眼というレアスキルの持ち主で、白狼天狗の中でも中核的存在の少女だった。
「十六夜咲夜様と魂魄妖夢様ですね? 射名丸より話は伺っております。どうぞお通りください」
 椛はそう言って他の白狼天狗に指示して滝に戻らせ、彼女たちに道を空けようとしている。
「射名丸文が?」
 咲夜が振り返るも、他の三人は首を振る。
 鴉天狗の射名丸文。
 鴉天狗は天狗の中でも白狼天狗より上位の種族であり、新聞記者を務めていて排他的な妖怪の山にあって外界との接点が多い種族だった。
 特に射名丸文は、常になにかを企み何でも新聞のネタに仕立て上げようとする、彼女らにとっては油断ならない存在である。
 彼女が自分たちを素通りできるように手配してくれたのが、親切心からとはとても思えなかった。
「射名丸文はどうしてわたしたちを通せと?」
 咲夜の問いに、椛は面白くなさそうに目を反らした。
「今起きている異変の解決に関することで、この先に向かう必要があると聞いています。今回の異変の解決には、山の妖怪も協力することになっておりますので、遠慮なくお通りください」
 それだけ言うと、椛は四人を案内するでもなく、他の白狼天狗に混ざって九点の滝の裏に戻っていった。
「素通りさせてくれると言うんですから、遠慮なく通ればいいんじゃないでしょうか」
 怪訝な顔で考え込む咲夜に妖夢が話しかける。
「それもそうね……」
 確かに、考えていてもしょうがない。
 今回の異変も、天人が起こしているに違いないのだから、自分たちはこのまま進んで天人を倒して異変解決するだけでよいのだ。
 四人が再び妖怪の山を登っていくと、その一角に黒い雲に覆われた場所があった。
 その雲は風にも流されることなくどっしりと停滞し、ときおり雷を纏いその上を覗かせることはなかった。
―玄雲海
 そう呼ばれる天界との境界にある雲海。天界は雲の上に存在すると伝わるが、どこから天界を目指すにせよ、この雲を抜けて天界に至ることになる。
 四年半前に〝春雪異変〟が起きたとき、咲夜が幽明結界を越えて冥界に到り妖夢と戦ったように、天界に到るにはこの場所を通る必要があった。
 四人が雲海の中に入り込み、雲の中を進んでさらに上を目指し飛んでいく。
「これより上は山ではなくなり、天界が存在します。本来普通の人間が立ち入ってはならない場所です。天女も気付いていない今のうちに戻った方が良いですよ」
 その声と共に、一人の女性が姿を現す。
 紫がかったセミロングの青髪に深紅の瞳。頭には赤いリボンの巻かれた黒い帽子を被り、赤いリボンの端が触覚のように伸びている。胸元に赤いリボン、赤いフリルの付いた薄桃色のシャツに黒いロングスカート。周りにはシャツと同じく赤いフリルの付いた薄桃色の羽衣を纏った女性。
 彼女の名は永江衣玖。龍の世界と人間の世界の間に棲む竜宮の使いと呼ばれる妖怪。龍神の言ったことから重要な情報を抜き取って人々に伝える種族で、人生の大半を雲の中で泳いで暮らし、生きたままの姿を現す事は滅多にないとされていた。
「あら、あなた方は……またいらしたのですか」
 夏の異変の折り、咲夜と妖夢はこのルートで天界に向かっており、衣玖とはその時に戦ったことがあった。
「そちらのお嬢様が、性懲りもなく異変を起こしているので、また懲らしめに来たのよ」
 咲夜の言葉にやれやれといった様子で衣玖は額に手を当てる。
「あの方にも困ったものです。こちらでお灸を据えておきますので、今日はお引き取り願えませんでしょうか。わたくしも職責上、ここを通すわけにはいきませんので」
「通してくれないというのなら、こちらは斬って進むだけですっ」
 楼観剣を抜き放つ妖夢。
 続いて他の三人も臨戦態勢をとり、衣玖も羽衣を身に纏って戦闘態勢をとった。
「あら……お客様かしら、衣玖」
 その声と共に、衣玖の背後からもう一人少女が現れる。
 腰まで届く青髪のロングヘアに真紅の瞳。頭には桃の実と葉が付いた黒く丸い帽子をかぶり、白い半袖シャツと虹色の飾りがついた前掛けに青いロングスカート、胸元には赤・腰には青い大きなリボンを結んだ少女。
 彼女の名は比那名居天子。雲の上にある天界に住む天人で、比那名居一族の娘。ただし、比那名居一族は仕えていた名居一族が神霊として祀られたことで、部下としての功績を認められて天界に住むことを許されて天人となった一族で、修行を積んで天人になったわけではないので他の天人からは不良天人と呼ばれていた。
「あんたたちの方から遊びに来るなんて、いい心がけじゃない。こっちはちょうど退屈していたところよ」
 緋想の剣を抜き放ち、衣玖の前に出て嬉しそうに話す天子。
「よくもヌケヌケと……」
 鈴仙が怒りをあらわにする。
「総領娘様、彼女たちとはわたしがお話ししますので、ここはどうかお下がりください」
 衣玖が天子を庇うように四人に立ち塞がる。
「ええ? せっかく面白そうな客人が来てるのに―」
「雲界『玄雲海の雷庭』!」
 衣玖が天子を下がらせ、片手を腰に当ててもう片方の手を上に向かって指を立てると、玄雲海の中を走っていた雷が防壁のように衣玖の背後に降り注いだ。
「お下がりください! それと、あとでお話がありますから」
 衣玖の剣幕に、天子が面白くなさそうに玄雲海の奥に引っ込んでいく。
「幻符『インディスクリミネイト』っ」
 咲夜が衣玖に向かって大量のナイフを放つ。
「雷符『エレキテルの龍宮』!」
 衣玖が指を振り下ろすと、防壁状に降り注いでいた雷の一部が誘導され、咲夜のナイフを防いだ。
「くっ」
 咲夜が次のナイフを取り出して構えようとしたところに、衣玖が突っ込んでくる。
「魚符『龍魚ドリル』!」
 羽衣を腕に螺旋状に巻き付け、帯電させた状態で衣玖が咲夜を突こうとするも、そこに咲夜はいなかった。
「時符『パーフェクトスクウェア』っ」
 かわりに咲夜が時間停止している間に配置したナイフに囲まれる衣玖。
 それも衣玖は纏った羽衣ではじき返していく。
「妖夢、今回はあなたに譲ってあげる」
 時間停止している間に、咲夜は妖夢の傍まで下がっていた。
「天人の肌にわたしのナイフでは傷を付けることすらできなかった。でも、あなたが〝狂気の瞳〟を発動させればあるいは―」
「ええ?! でも……」
 あれから四年の時が流れ、実戦・修行問わず咲夜とは何度も刃を交えた。
 しかし、妖夢は狂気の瞳を完全にコントロールしたとはいえない状態だった。
「そういうことでしたら、わたしが……幻爆『近眼花火(マインドスターマイン)』っ」
 鈴仙が砲弾型の弾幕を放ち、着弾した弾幕から大量の爆炎が吹き上がる。
「妖夢さん、わたしの目を見てください」
 鈴仙が妖夢の両肩を掴んでその目を見つめる。
 至近距離から見つめられ、戸惑う妖夢。
 鈴仙の狂気が宿った赤い瞳。その奥を恐る恐る妖夢はのぞき込む。
「そう、もっと深く―」
「龍魚『龍宮の使い遊泳弾』!」
 その衣玖の宣言と共に、爆炎の向こうから飛び出してくる無数の雷球。
 咲夜・小町は咄嗟に回避するが、鈴仙と妖夢は見つめ合ったままだった。
「危ないっ」
 雷球から回避させるために、小町が鈴仙の背中を突き飛ばす。
「んむっ」
 鈴仙も妖夢も、咄嗟に何が起こったのかわからなかった。
 さっきまで見つめ合っていたお互いの瞳が驚くほど近くにあり、唇には柔らかな感触。
「あんたたち、何かするなら早く済ませなっ」
 小町の声にようやく我に返って、重ねあった唇を離す鈴仙と妖夢。
「これで大丈夫です、妖夢さん。わたしは咲夜さんとここに残りますので、小町さんといってください」
 頬を染めながら、天子の行った方向を指さす鈴仙。
 すでに、鈴仙のスペルカードで起こった爆炎は衣玖のスペルカードによりかき消されようとしていた。
「いきなさい妖夢。あとは頼んだわよ」
 咲夜の声に、妖夢は小町に促されつつ玄雲海の向こうへと消えていく。
「待て―」
 晴れようとした爆炎の隙間から、飛び去る二人を見て追いすがろうとする衣玖。
「喪心『喪心創痍(ディスカーダー)』っ」
 鈴仙が高速の砲弾型弾幕で衣玖を狙撃する。
「光星『光龍の吐息』!」
 衣玖は頭上に雷の塊を発生させて、その砲弾を相殺した。
 天子を追って飛び去ってしまった二人を見た後、鈴仙と咲夜を交互に睨み付ける衣玖。
 鈴仙と咲夜も衣玖から一定の距離をとって、どう動いても対応できるように臨戦態勢を崩さない。
「棘符『雷雲棘魚』!」
 衣玖は全身に強烈な雷撃を纏い、咲夜に突進を仕掛ける。
「くっ」
 衣玖の全身をくまなく覆う雷撃に対して、咲夜は手に持ったナイフを構えるも投げるに投げられず、回避に徹するしかなかった。
 鈴仙が砲弾型弾幕を撃つも、それもやはり雷撃で弾かれる。
 標的を鈴仙に変更し、今度はそちらに突進していく衣玖。
 鈴仙が視線を合わせて幻術をかけようとするが、衣玖は突進しつつ視界が制限される中で、意識的に視線を逸らしてなかなか視線が合わない。
 回避し続ける鈴仙に対して、執拗に突進を仕掛ける衣玖。
「鈴仙っ、わたしの後ろに―」
 そう言いつつ、咲夜が横合いからナイフを衣玖に投擲するも、やはり雷撃で弾かれた。
 鈴仙が咲夜の背後に隠れ、衣玖が一ヶ所に固まってくれた標的に対して加速し突っ込んでいく。
「咲夜の世界っ」
 咲夜の宣言と同時に、咲夜と衣玖の間に出現する大量のナイフ。
 それを雷撃で弾き飛ばしながら、衣玖は猛然と突進していく。
 ナイフを弾き飛ばし、視界が開けた先にいたのは、前にいたはずの咲夜ではなく鈴仙―。
 視線を逸らす暇もなく、赤く輝く鈴仙の瞳と衣玖の視線が合う。
「月眼『月兎遠隔催眠術(テレメスメリズム)』っ」
 鈴仙の宣言と同時に今度は無数の砲弾型の弾幕が発射されるも、それをも弾き飛ばして衣玖は二人めがけて突進。
「うわっ」
「ぐっ」
 衣玖の雷撃が鈴仙・咲夜の体をまとめて弾き飛ばした。
 吹き飛ばされ、折り重なって横たわる二人を横目に、衣玖が雷撃を解除して雲海に降り立つ。
「幻術は不発でしたか……確かに手応えがありました。ずいぶんと手こずらせてくれましたね」
 玄雲海の先を見据える衣玖。
「今からでも追いかけて、総領娘様をお助けしないと―」
「よい夢は見れましたか?」
 耳元で聞こえる鈴仙の声。
 それと同時に、衣玖の視界にある玄雲海の景色がひび割れ崩れていく。
「なっ……」
 その向こう側に現れたのは、大量のナイフだった。
「幻葬『夜霧の幻影殺人鬼』っ」
 咲夜の宣言と同時に、大量にナイフが迎え撃つ暇もなく衣玖の体を傷つけていく。
「あ、ああ―」
 玄雲海に横たわる衣玖の体を、今度は咲夜・鈴仙が見下ろす。
「なんとか勝てましたね……」
 鈴仙の言葉に咲夜が頷く。
 二人とも、衣服がところどころ破けその向こうには傷が覗く、満身創痍の有様だった。
「今からでも妖夢たちを追いましょう」
 咲夜が玄雲海の向こうを見据えた。

天の娘 地の神 人の心

 比那名居天子を追って、玄雲海をひたすら突き進む妖夢と小町。
 ようやく雲海を抜けると、その上には見渡す限り一面の青空。
 周囲には幾つもの岩山が切り立ち、足下には強い風にそよぐ草原。
 成仏した幽霊や修行して欲を捨てた人間が行くとされる、天人や天女が住むとされる異界の桃源郷―天界。
 巨大な大地が雲上に浮かんでおり、かつては地上に挿されていた巨大な要石が浮上したものであるという。
 冥界の遙か上空にあるとされ、さらにいくつもの世界にわかれており、その一つがこの有頂天―別名・非想非非想天である。
「あら、あなたたち二人? 衣玖が止めたのは二人か……まあ、衣玖にしては頑張った方じゃないかしら」
 せり出した岩に腰掛け、そこでは比那名居天子が待ち受ける。
「比那名居天子……性懲りもなく異変を起こしたあなたを退治しに来ました」
 妖夢が楼観剣の切っ先を天子に向けて言い放つ。
「異変……ね。地上は相変わらず楽しそうで羨ましいわ。覚えはないけど、退屈しのぎに相手してあげる」
「すっとぼけても無駄―」
「どうせこの間のお礼参りも兼ねてってところでしょう?」
 妖夢の言葉が止まったのを見て、天子は口の端をつり上げる。
「大歓迎よ。それでこそ異変を起こした甲斐があったというものだわ」
 天子がせり出した岩の上に立ち上がる。
「そちらの死神も同じかしら?」
「死神を舐めない方が身の為だ。天人は死神を恐れているんだろう?」
 小町も大鎌を天子に向ける。
「天人が恐れるのは五衰を与えられる事。死神はそのうちの一つ頭上華萎―すなわち頭上の花を萎れさせてくる」
 同調するように緋想の剣を抜き放つ天子。
「でも五衰の一つ、不楽本座は死神のお陰でわたしには効きそうもない!」
 天子が抜き放った緋想の剣を大地に突き刺す。
「地震『先憂後楽の剣』!」
 せり出した岩ごと天子が宙に浮かび上がると、周囲の岩が鳴動する。
「要石……!」
 妖夢が天子を睨み付けながら呟く。
 比那名居一族が操るとされる〝要石〟は、大地に挿すことで地震を鎮めるとされており、逆にそれを抜くと地震が起こるとされている。
空に浮かぶ巨大な大地―天界ももとは巨大な要石だったらしく、月人が〝地上の浄化〟と称してそれを抜き取ったときの大地震で地上の生物は悉く死に絶え、月人に選ばれて生き残ることを許された、要石の上に乗って共に浮上し生き残った者達の末裔が、最初の天人達であるとされていた。
 足場が定まらなくなった妖夢と小町がやむなく宙に浮かび上がる。
「天符『天道是非の剣』!」
 上空高く浮き上がった小町に対して、緋想の剣を構えた天子が突撃を仕掛ける。
 大鎌の柄で受け止めるも、天子の剛力に押し切られ強引に地面へと落とされる小町。
「きゃんっ」
 小町は鳴動する岩肌へと叩きつけられた。
「小町さんっ」
 天子に斬りかかろうとする妖夢。
「気符『天啓気象の剣』!」
 地に墜ちた小町を見たまま、振り向くことなく天子が緋想の剣を薙ぎ払うと、妖夢に向けて周囲の気質を集めた斬撃が襲いかかる。
「くっ……」
 虚を突かれた妖夢は、斬撃を回避しきることができず、幾つかの斬撃に体を切り裂かれ、少なからずダメージを負った。
「要石『天地開闢プレス』!」
 天子の乗った要石が巨大化し、地に叩き伏せたままの小町に襲いかかる。
 要石が地に墜ち、轟音が鳴り響くと共に土煙が周囲を覆い尽くす。
「こっ、小町さ~んっ」
 土煙の中、小町の方へ向かって飛ぶ妖夢。
 ようやく見つけた小町は、岩の上に横たわり気を失ったのかピクリとも動かない。
 体には幾つもの傷があり、深刻なダメージが見受けられた。
「しっかりしてください、小町さん」
 妖夢が肩を持って強く揺するも、豊満な乳房が揺れるだけで小町の意識は一向に戻らなかった。
「これは、心臓マッサージが必要だろうか―」
 小町の胸に手を伸ばす妖夢。
「まったく、死神の分際でいいものもってるわよね……ムカついたから必要以上にやり過ぎちゃったわ」
 妖夢が恐る恐る振り向くと、天子は相変わらず要石に乗ったまま、中空からこちらを見下ろしている。
「これで残るはあなた一人。あなたは、もう少しじっくり遊んであげるわね」
 妖夢が天子を睨み付けつつ再び楼観剣を構えると、天子もそれに合わせるように緋想の剣を構えた。
 天人のみに扱える緋想の剣と、比那名居一族が操る要石。双方を操っての戦い方は比那名居天子ならではのものだろう。
―果たして、今のわたしに敵う相手か―。
「餓王剣『餓鬼十王の報い』っ」
 妖夢が横一文字に斬撃を繰り出すと、そこからその斬撃が無数のクナイ弾に分かれて天子に襲いかかる。
 こともなげにそれを躱す天子。
「獄神剣『業風神閃斬』っ」
 半霊が吐き出した青い大玉を妖夢が斬ると、それが無数の赤い小玉の弾幕に分かれて天子に襲いかかる。
 しかし、それも天子はともなげに躱していく。
「畜趣剣『無為無策の冥罰』っ」
 妖夢が今度は縦の斬撃を繰り出すと、その剣閃からはハの字型に無数の米粒弾が放射されていく。
 やはり、それもこともなげに躱していく天子。
「修羅剣『現世妄執』っ」
 妖夢が高く立ち上る光の柱を召喚すると、そこにまとわりつくような青・赤の弾幕が現れ、天子に向かっていく。
 天子はそれを時には躱し、時には緋想の剣でたたき落としていく。
「なあに、こんなものなの?」
 呆れたように妖夢を見下ろす天子。
「人界剣『悟入幻想』っ」
 妖夢が足下に白いフィールドを張ると、そこからは白い米粒弾が立ち上ってくる。
 妖夢自身は上空に移動して赤い弾幕で天子を狙い撃ち、挟み撃ちにする弾幕。
 しかし、やはり動じることなく時には躱し、時には緋想の剣でたたき落としていく天子。
「なんだか避けるのも面倒になってきたわね……」
「天上剣『天人の五衰』っ」
 妖夢が黄・茶・赤・紫・青の五色の大量の弾幕を放ち、それらが一斉に天子に襲いかかる。
「気符『無念無想の境地』!」
 天子の体から緋色のオーラが立ち上り、そのオーラが鎧のように天子を覆う。
 剣を持ったまま両手を掲げ、妖夢の弾幕を一切避けることなく受け止める天子。
 五衰を模した五色の弾幕すべてが天子の体に着弾し、爆炎が上がる。
 しかし、晴れた爆煙の先に見えた天子の姿―体はおろか服にすら疵一つなかった。
「確かに天人は五衰を恐れるとは言ったけど、これを五衰とは片腹痛いわね……」
「そんな……」
 咲夜をも苦しめた妖夢のとっておき―この世界の構成する六道輪廻を模した六種の弾幕。
 その全てを繰り出しても、この天人には何のダメージも与えられなかった。
「これで終わりなら、そろそろ幕としようかしら」
 呆然とする妖夢に、改めて緋想の剣の切っ先を向ける天子。
「死符『死者選別の鎌』っ」
 天子に上空から光の矢が降り注ぐ。
「一度下がりな、妖夢っ」
 妖夢の背後で小町が立ち上がり、大鎌を振っていた。
「ふふふっ、復活してまた二人になったって訳ね。これで少しは楽しませてくれるかしら」
 天子は楽しそうに小町の矢を躱していく。
 その様子を見て、苦悶の表情を浮かべる妖夢。
―天子の体にダメージを与える術がなければ、このままでは何をしても徒労に終わる。どうすれば……。
「―赤眼開花」
 妖夢の耳元で、鈴仙の囁く声が聞こえた。
 周囲を見渡すも、戦っている小町と天子以外誰もいない。
 それと同時に、妖夢は体に力が溢れてくるのを感じていた。
 妖夢は楼観剣の刀身を鏡にして、自分の顔を覗き見る。
 そこに見えた妖夢の瞳は、赤く光り輝いていた。
「魂魄『幽明求聞持聡明の法』っ」
 妖夢の横を漂っていた半霊が妖夢と同じ形をなして、妖夢が腰に佩いていた短剣―白楼剣を抜き放つ。
「小町さん、下がってくださいっ」
「六道剣『一念無量劫』っ」
 二人の妖夢がそれぞれ四角の斬撃を描き、重ね合わせた八芒星の斬撃から無数のクナイ弾が発せられる。
 妖夢の〝速度〟を最大限発動し、六道輪廻を模した弾幕六種全てを同時発動させる大技。
 その弾幕が天子に一斉に襲いかかる。
 緋色のオーラを纏い緋想の剣を構えて、その弾幕を迎え撃つ天子。
 無数の弾幕と斬撃が降り注ぎ、立ち昇る爆炎と土煙。
 それらが晴れたあとも、剣を構え比那名居天子は健在だった。
 しかし、その服は所々が破けその向こうの体には傷つき、血が滲んでいる。
「このわたしの体に……傷を―」
 妖夢を睨み付ける天子。
「要石『天空の霊石』!」
 要石を召喚して妖夢に飛ばす天子。
 その要石を楼観剣で容易く切り裂き、半霊から白楼剣を受け取って二刀を構え、眼を赤く輝かせて妖夢が天子に迫る。
「奥義『西行春風斬』っ」
「剣技『気炎万丈の剣』!」
 妖夢がすさまじい速度で何度も天子に斬りつけ、天子も妖夢に斬りつけ返す。
 剣と剣が幾度となくぶつかり合い、天子の体に次々と新たな傷が刻まれていく。
「ちぃっ」
 天子を乗せた要石が高速で移動し、妖夢と距離をとる。
「地獄『無間の狭間』っ」
 別角度から小町の大鎌が放った斬撃が天子の足下に着弾する。
「なっ」
 その場に縫い付けられたように移動できなくなる天子と要石。
「〝距離を操る程度の能力〟の応用さ。気分はどうだい?」
 小町と妖夢を睨み付けた天子は、手に持つ緋想の剣に周囲の気質を一気に凝縮させていく。
「―全人類の緋想天!」
 大上段に構えた緋想の剣を振り下ろすと同時に、凝縮させた気質を一気に放出する天子。
 夏の異変の時に、多くの人や妖を退けた比那名居天子の最後の大技だった。
 放出する気質が妖夢へと照準を合わせて移動してくる。
「小町さんっ、合わせてください!」
 妖夢が白楼剣を鞘に収めて楼観剣の一刀を構えて力を込めると、剣が青いオーラをまといそのオーラが巨大化していく。
「断迷剣『迷津慈航斬』っ」
 そのオーラを纏った剣で、天子の放出する気質を受け止め、滝の流れを受け止める岩のようにその気質の流れを両断していく。
「なっ」
 汗を流しながらも得意げな表情で見上げる妖夢と、苦々しい表情を浮かべつつ見下ろす天子。
「死歌『八重霧の渡し』っ」
 その声と共に、天子は上空に何かが現れ、自分が陰になっていることに気付く。
 上空には、無数の幽霊によって支えられた舟と、それに乗った小野塚小町。
 小町が仕事で使う自分の渡し舟を召喚し、妖夢が開いた気質の間を抜けて体当たりを仕掛けてきたのだ。
 それを見た瞬間に天子は思い出す。
 〝迷津慈航〟とは、迷いの世界から彼岸へと渡す舟を意味するのだ。
「ちょっと待っ―」
 何も言う暇もなく、渡し船によって岩肌の上に押しつぶされる天子。
「よくやった、妖夢。あとで、おっぱい揉んでいいよ」
 舟の上でニヤニヤしながら振り返る小町。
「小町さん、起きて―ていうかサボってたんですね! 約束ですよっ。しっかり揉ませてもらいますからね」
 小町が気を失っていると思って、心臓マッサージにかこつけて小町の胸を揉もうとしたことがバレたと知り、頬を染めながら妖夢が小町に対していきり立つ。
「おお、怖い。主人のおっぱいだけじゃ満足できないのかね―」
「いたたた……ムチャクチャするわね。職権乱用じゃないの?」
 舟の下から這い出そうとする天子の首に小町が鎌をあてる。
「さあ、楽しい寿命の時間だよ~」
 天子の頬に一筋の汗が流れ落ちる。
「そこまでよ!」
 その言葉に手を止め、一同が声の方向を振り向くと、そこには新たに現れた一人の少女。
 その少女は長い紫髪の先をリボンでまとめ、その上から三日月の飾りのついたナイトキャップを被っていた。
 紫と薄紫の縦じまが入った寝間着の上から薄紫の上着を羽織り、服のいたるところに青と赤のリボンが施されている。
 彼女は本のそばにいるものこそ自分と考えており、その出で立ちは寝て体を休める時間以外は全ての時間を読書に費やしたい、着替える時間すら惜しいという彼女の生活を物語っていた。
 彼女の名はパチュリー=ノーレッジ。
 紅魔館で地下図書館の管理人をしている魔女だった。
「主犯である地底の妖怪を退治することで、今回の異変は解決されたわ。ここでのこれ以上の戦いは無意味よ」
 今回の異変では、八雲紫と相談して異変解決の方法を探っていた自称〝紅魔館の頭脳〟である。
「わたしたちが地底で戦っている間に、こんなことをしていたとはね~」
 そう言いつつ、新たに一人の女性が目玉の覗いた空間の裂け目に乗って現れる。
 癖のある金髪の毛先をいくつか束にして赤いリボンで結んだ上から、同じく赤いリボンのついたナイトキャップを被り、瞳は澱んだ紫色。八卦の萃と太極図を描いた紫色の中華風の服に身を包み、手には大きな日傘。
 彼女の名は八雲紫。幻想郷の賢者の一人である。
 紫に先導されて、咲夜と鈴仙も有頂天へ登ってきてその顛末を目撃する。
 自分たちが、異変の犯人と全く違う人物に疑いをかけ、ここまでしてしまったという事実に愕然とする四人。
「やってくれましたね、みなさん。これで裏一面は確定ですね~」
 さらに一人の少女が現れて、嬉しそうにカメラを構えて四人の姿を写真に収めていく。
 セミロングの黒髪に、赤い山伏風の帽子をかぶり、白いフォーマルな半袖シャツに、黒いフリルの付いたミニスカート。シャツの左側とスカートの右足側に派手なもみじ柄の線が入っており、背中には黒い鴉の羽を生やした少女。
 彼女の名は射命丸文。鴉天狗の新聞記者で、妖怪の山を代表して今回の異変解決にも協力していた。
 パチュリーがやれやれといった表情でため息をつく。
「真犯人は地底にいるってのに、天界に攻め込むなんて本当に何やってるんだか―」
「「「「「「「アンタが言うな!」」」」」」」
 天子を含めたその場にいた全員が声をそろえて突っ込む。
「むきゅ……」
 なお、翌年に起きた宝船事件では咲夜と妖夢が危惧した通り、東風谷早苗が異変解決に本格的に参戦。
 妖夢が異変解決に復帰するのはこの三年後、咲夜は五年後、鈴仙に到っては七年後となるのだが、今回の事件が原因かは定かではない。

Epilogue

「鈴仙さん。おかげで狂気の瞳を制御して比那名居天子を倒すことができました」
 射命丸文が取材を終えて去ったあと、妖夢が改めて鈴仙の傍に寄ってその手を取る。
「お役に立てて何よりです。あれは、狂気の瞳の力を一時的に貸与して制御しただけで―」
 照れながらも、玄雲海で事故とはいえキスしてしまったことを思い出し、意識して妖夢の顔をまともに見れずにいる鈴仙。
「わかりました。では、本格的にお借りしますね」
「えっ―」
 妖夢は背伸びをすると、鈴仙の唇に自分の唇を強引に重ねる。
「ちょ、待って―」
 逃れようとする鈴仙を押し倒し、より深く唇を重ねて舌を差し入れ、その胸を揉みしだく妖夢。
「んっ」
 涙目になりながらも抵抗を試みるも、次第にウットリとした表情になり鈴仙の手からは力が抜けていく。
 それを見て咲夜は目を手で覆い隠しながらも、指の隙間からしっかり見て頬を染めていた。
―戦闘は未熟なのに、なんでそっちはそんなに達者なのよ……。
 鈴仙から唇を離すと、勝ち誇ったように拳を掲げる妖夢。
「やりましたっ。これで狂気の瞳を制御できるように―」
「ち、違いますよ……狂気の瞳の制御を身につけたいなら、咲夜さんのようにしっかり制御できる人に習わないと―」
 息も絶え絶えの鈴仙の言葉を聞いて、咲夜の方を見る妖夢。
「えっ―」
 時間を止める暇もなく、高速で咲夜に寄り添いその手を取る妖夢。
「わかりました。では、よろしくお願いします」
「うそ―」
 妖夢は背伸びをすると今度は咲夜の唇に自分の唇を強引に重ねる。
「ちょ、待って―」
 逃れようとする咲夜を押し倒し、より深く唇を重ねて舌を差し入れ、その胸を揉みしだく妖夢。
「んっ」
 涙目になりながらも抵抗を試みるも、次第にウットリとした表情になり咲夜の手からは力が抜けていく。
 それを見ていた小町は、やれやれといった様子で妖夢を咲夜から引き剥がした。
「ほらほら、約束通りあたいのおっぱいは揉ませてやるから、それぐらいにしておいてやりな~」
「美鈴以外としたことなかったのに……」
「初めてならず二度目までも……」
 唇を押さえて打ちひしがれる咲夜と鈴仙。
「制御できてないじゃないですか! じゃあ、わたしは誰とキスすれば狂気の瞳を制御できるようになるんですかっ」
 小町に羽交い締めされたままその中で暴れようとする妖夢。
「妖夢~」
「えっ―」
 小町に羽交い締めされた妖夢に、唐突に現れた一人の女性が強引に唇を重ねる。
 整えられた桜色のミディアムヘアーにナイトキャップを被り、キャップの前面には魂魄模様が描かれた天冠。身に纏った水色を基調として白いフリルのあしらわれた和風仕立ての洋服を、腰の青いリボンで留めていた。
 彼女の名は西行寺幽々子。冥界にある白玉楼に住む西行寺家のお嬢様であり、〝死霊を操る程度の能力〟を持つことから冥界の幽霊の管理を任されている亡霊である。
 涙目になりながらも、自分からも舌を絡めたり幽々子の胸を揉み拉いたりと抵抗を試みるも、次第にウットリとした表情になり妖夢の手からは力が抜けていく。
「きゅう……」
 妖夢は幽々子の胸の中で恍惚の表情で気絶してしまった。
「いつもこの娘と遊んでくれてありがとう。よければ、これからも遊んでやってちょうだいね」
 幽々子が咲夜・鈴仙・小町を見て微笑みかける。
―この主従は、普段なにをしているんだろう……。
 一同の頭にそんな疑問がよぎる。
「紫~。屋敷まで送ってもらえるかしら」
「いいけど、お茶ぐらい出してよね」
 幽々子に言われて、スキマを白玉楼へと繋ぐ紫。
「妖夢が起きたらやらせるわ」
「それぐらい自分でやりなさいよ……」
 スキマの中へと、紫に続いて妖夢を担いだ幽々子が入っていく。
「アンタたち、立てるかい? まったく、キスぐらいでウブだねえ」
 渡し舟を片付け終えたあと、未だに唇を押さえて打ちひしがれる鈴仙と咲夜を見てカラカラと笑う小町。
 しばらく、唇を押さえていた蹲っていた鈴仙だったが、リアルに脱兎の如く飛び去っていった。
「咲夜、わたし八雲紫につれて来られただけで、こんなところまであまり来たことがないから帰り道がわからなくてね、悪いんだけど館まで一緒に連れて帰って欲しいんだけど―」
 そう言いかけたパチュリーを尻目に、咲夜も時間を止めてその場から消え去った。
 残されたパチュリーと小町の視線が合う。
「わたしも疲れたし、茨華仙の屋敷で一休みしていくかねえ~」
 目を逸らし、口笛を吹きつつ距離を操って姿を消す小町。
「用が済んだのなら、さっさと帰りなさいよ」
 パチュリーの背後からジト目で話しかける天子。
「むきゅ……」
 パチュリーは召喚した魔導書をパラパラとめくり始めた。
「紅魔館の方角は……」
「アンタ、夏にもここに来てたわよね?」]


―迷いの竹林にある永遠亭
「つまり、今回の異変の犯人は地底の妖怪で、天人は無関係だったという事ね」
 鈴仙の報告を受ける、青と赤のツートンカラーの看護服に身を包んだ、銀髪三つ編みの妙齢の女性。
 彼女の名は八意永琳。
 幻想郷より遙かに進んだ文明を持つ、月の都に創建から携わった月の頭脳と言われる人物である。
「はい、報告は以上です」
 永琳は書き物を続けており、鈴仙の方を一瞥もしない。
「今日は疲れたでしょう、もう休んでいいわ……あら」
 ようやく、視線を鈴仙に向けた永琳が何かに気づいたらしく、鈴仙に近づいてくる。
「その唇、どうしたの? ちょっと診せてごらんなさい」
 永琳は鈴仙の頬に手をやり、その顔を鈴仙に近づける。
「ちょ……お師匠様、大丈夫ですから、放っておけば治りますから」
 知性を湛えた蒼い瞳と目が合う。
 歳を重ねた女性特有の艶っぽい雰囲気があるものの、その肌は皺など見当たらず、全く年齢を感じさせない。
「あの、本当に大丈夫ですから……」
 その言葉の最後は消えるように窄んでいた。
 見つめ合うのが恥ずかしくて、視線を下げるとそこには艶っぽい唇。
「少し黙りなさい」
 その唇が動いただけで、息のかかる距離まで永琳の顔が来て、鈴仙は恥ずかしくて目を開けていられず瞼を閉じた。
「どうやら、深い疵を負ったみたいね」
 優しく微笑みかける永琳。
「いえ、こう見えても妖獣なんで殆どの傷はもう塞がって―」
「ゆっくりと休むといいわ。くれぐれも、永遠亭の一員の自覚を持ってこんな疵を負わないようにね」
 いつもはない優しさと、至近距離での永琳の微笑みに異様な圧力を感じる鈴仙。
「で……では、少し休ませて頂きます」
 その言葉と共に、鈴仙は障子を開けて部屋から出てきた。
「ふぅ……」
 自分の胸に手を当てる鈴仙。
―お師匠様は戦いを終えて診察するときに、すぐ傍まで顔を近づけてくるけど、ドキドキするからやめて欲しいなあ……。
 妖夢にキスされてから、体が火照ってしょうがない。
 そのせいか今日はいつも以上にドキドキしてしまった。
「お師匠様への報告は終わったのかい?」
 鈴仙の前に現れたもう一人の妖獣。
 癖のある短い黒髪の上から白いウサ耳を生やし、ピンク色のワンピースを着た少女。
 彼女の名は因幡てゐ。
 この竹林の持ち主を自称する地上に住む兎で、幻想郷でも最古参の妖怪の一人だった。
 鈴仙や永遠亭の主人達が月から逃亡してくるずっと前からこの竹林に住んでおり、この永遠亭の主人達とは同盟関係にあった。
「ええ……終わったわよ」
 鈴仙がそう言う間、てゐはスンスンと鼻を鳴らしながら鈴仙の匂いを嗅いでいる。
「アンタさては、よその人間に唇を奪われて帰ってきたね」
 至近距離まで顔を近づけられた末、てゐの指摘にギョッとなる鈴仙。
「匂いでそこまでわかるの?!」
「図星かい。おそらくお師匠様もお見通しだと思うよ」
 鈴仙に顔を近づけたまま、頬を染め涙目になるてゐ。
「酷いよ鈴仙。わたしの気持ちを知りながら、他のヤツとキスするなんて」
 てゐはそう言いつつ、鈴仙にそっと唇を近づけていく。
 普段の鈴仙なら、恥ずかしがって早々に目を閉じてしまう場面だった。
 てゐの表情を見て、鈴仙の火照った体がさらに熱を増し、胸の鼓動が早まっていく。
「てゐ……」
「んむっ」
 てゐは目を見開き、起きている事実に動揺を隠せなかった。
 普段は恥ずかしがって、目を閉じてなされるがままになっている鈴仙が、自分から唇を重ねてきたのだ。
「ちょっ、鈴仙?!」
 一度唇を離すも、寄り深く唇を重ねて舌を差し入れてくる鈴仙。
 鈴仙はてゐの小さな体を強く抱きしめ、離そうとしない。
 てゐはイタズラ用に後ろ手に持っていた小兎を取り落とし、小兎は庭へと逃げていった。
「ん、んん~」
―何万年も生きた大妖であるわたしが、こんな千年そこそこしか生きていない小娘に……。
 涙目になりながらも抵抗を試みるも、次第にウットリとした表情になりてゐの手からは力が抜けていく。
「今まで、てゐの気持ちに応えてあげられなくてごめんね」
 鈴仙の腕の中でグッタリとしているてゐ。
「今からでも、てゐの気持ちに応えたいんだけどダメ……かな?」
 鈴仙は頬を染めながら微笑みかけると、てゐの掌をブラウス越しに自分の胸に押し当てた。
 てゐの掌からは、熱を帯びてしっとりとして柔らかい鈴仙の胸の感触と、早鐘のように高鳴る鼓動が伝わってくる。
「かっ、かまわないよ。そのかわり、その……優しくしておくれよ」
 鈴仙はニッコリと微笑み、その表情を見たてゐの胸もドクンと高鳴る。
「ありがとう……てゐ」
 鈴仙はてゐの額に口づけると、その小さな体を抱えて自室へと運び、入口の障子をしっかりと閉めたのだった。
 これを機に、鈴仙とてゐの関係に変化が生じていくのだが、それはまた別のお話である。


―霧の湖の畔にある紅魔館
 その正門では、今日も一人の女性がうたた寝をしていた。
 腰まで届く紅い髪を部分的に側頭部からお下げに垂らしたリボンで留め、髪の上には〝龍〟と書かれた星形のエンブレムのついた緑の帽子を被り、スリットの付いた淡い緑色の大陸風の衣装に身を包みこんだ背の高い女性。
 彼女の名は紅美鈴。紅魔館の門番である。
「う?」
 美鈴が目を覚まし、門から体を起こす。
 美鈴は凄まじい速度で近づいてくる少女の気を感じ取っていた。
「咲夜さん、お帰りなさ―」
 両手を広げて迎え入れる美鈴の胸の中にまっすぐに飛び込む咲夜。
「ごめんね、ごめんね美鈴……」
 美鈴の胸の中で謝罪の言葉を繰り返す咲夜。
「どうしたんですか咲夜さん……んむっ」
 人目もはばからず美鈴の唇に自分の唇を重ねる咲夜。
 その唇から感じるいつもと違う味で美鈴は全てを察した。
「大丈夫ですよ、咲夜さん。わたしがちゃんと、消毒・上書きしてあげますから」
 周囲では門番として立つ妖精メイド達が、頬を染めてその様子を盗み見ているが、構わず唇を重ね合う二人。
「ねえ、美鈴。今夜、美鈴の部屋でわたしの存在を美鈴の体に刻みつけて欲しいの……」
 美鈴の首筋にキスをしながらその乳房を揉みしだく咲夜。
「それはダメですよ咲夜さん……ふぁっ」
 改めてより深く美鈴に口づけ、舌を差し入れていく咲夜。
―咲夜さん、どこでこんなテクニックを……。
 密着した咲夜の体から、熱を帯びてしっとりとして柔らかい感触と、早鐘のように高鳴る鼓動が伝わってくる。
 涙目になりながらも抵抗を試みるも、次第にウットリとした表情になり美鈴の手からは力が抜けていく。
 唇を離すと咲夜は美鈴の耳元に唇を寄せる。
「わたしがいなくなっても、美鈴お姉ちゃんがわたしを忘れないように、生きた証をその躰に刻みつけて欲しいの」
 そそり立った美鈴の乳房の先端を弄びながら、甘い声色で囁く咲夜。
「ねえ、お・ね・が・い」
 そう言い終わると咲夜は美鈴の耳たぶに小さく口づけた。
―咲夜~、帰ってきたのなら早く報告に上がって来なさい~。
 上階から響いてくるレミリアの声。
「咲夜ちゃんっ」
 美鈴が抱きしめ返そうとするも、咲夜の姿はそこにはなくその腕は空をきった。
「どぅへへへ……咲夜ちゃん~」
 恍惚の表情で美鈴はその場に横たわった。
「報告が遅れて申し訳ありません。十六夜咲夜、ただいま戻りました」
 紅魔館の当主の間では、一人の幼女がいまや遅しと咲夜を待ち受けていた。
 短く切りそろえられた水色がかった銀髪の上から紅いリボンの付いたナイトキャップを被り、淡いピンク色を基調とした半袖の洋服にロングスカートを穿き、背中には紅いリボンの幼女。
 またその背中からは、背丈よりも大きな蝙蝠羽が生えている。
 彼女の名はレミリア=スカーレット。紅魔館の当主である。
「よく帰ったね咲夜。パチェから聞いているよ。今回の異変を起こしたのは、天人ではなく地底の妖怪だったようだね」
 レミリアに対して、気まずそうに跪く咲夜。
「その点については面目次第もなく―」
 咲夜がそう言う間、レミリアはスンスンと鼻を鳴らしながら咲夜の匂いを嗅いでいる。
「お嬢様?」
「どうやら、よその人間にいらぬ疵をつけられて帰ってきたね咲夜」
 至近距離まで顔を近づけられ、咲夜は恥ずかしそうに目を逸らす。
「そ、それはご覧の通りですが……」
 時間を止めている間に自ら手当を施して新しい服に着替えたものの、人間である咲夜は妖怪や妖獣と違って傷が急速に回復するわけではない。
「こういう傷の話をしているんじゃないよ」
 レミリアが咲夜の顎に手をやり、その頬に付いた小さな傷をペロリとなめ上げる。
「んっ」
「ここの話さ」
 咲夜の唇に指をあてるレミリア。
「いつもの美鈴の匂いに混ざっているのは……冥界の庭師の匂いか? あの庭師、咲夜に勝てない腹いせにこんなイタズラをしてきたのか」
 息のかかる距離で咲夜の瞳を覗き込むレミリア。
「この咲夜が見せた隙が最大の原因ですわ……」
 咲夜が目を逸らそうとするも、レミリアはその顎を持って自分の方を向かせ、それを許さない。
「どうやら、お前の飼い主が誰かをその躰に改めて教えてやる必要があるようだねえ」
 なめ回すように咲夜の顔を見るレミリア。
「お嬢……様?」
「わたしの寝所においで。閨を共にすることを許可する」
 レミリアに耳元で囁かれ、顔を真っ赤にする咲夜。
 咲夜がレミリアと共に寝かせてもらうのは、滅多にないご褒美で今まで数えるほどしかない。
「よろしいの……ですか?」
 別の場所から出血しそうになるのを必死で堪える咲夜。
「ああ、今夜は寝かさないよ」
「ではお嬢様、お供させて頂きますわ」
 レミリアが顎から手を離すと、咲夜は瞼を閉じてその体にそっと寄り添う。
 その晩、美鈴の寝室に咲夜が現れることはなかった。
 なお、同じ晩に〝永夜異変〟の時と同じくいつまでも経っても帰らないパチュリーを、小悪魔が当て所もなく探し回ることになるのだが、それはまた別のお話である。

咲夜・妖夢・鈴仙といった従者組を中心に、『永夜抄』や『緋想天』での彼女らの関係を自分なり解釈で描いてみました。
感想お待ちしております。
胡玉
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