ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
幻想郷に核ミサイルが着弾しようとしていることが判明したのは、つい先程の出来事であった。
遡る事、半刻。眠るような春の夜である。八雲紫は、何者かが結界を抜ける感触を捉えたのであった。
妖怪の身において図々しくも、面妖な等と感じた紫が様子を見に行くと、そこには幼き吸血鬼がいた。
「貴方、何をしている? メイドは?」
ぺち……と、浅はかな音だけが響く。満月にも関わらず、やけに静かだ。
普段は跋扈する妖怪も、吸血鬼に怯えて去ってしまったか。
木々は全身を強張らせ、草花は死んだふりを続けている。
「流石、早かったね」
レミリア・スカーレットはそう言いながら、おもむろに腕を下から振って軽やかに投げる動作をする。
遅れて、ぺち、と。
「あんまり来るのが早いから、まだ五匹も残っているわ、貴方もやる?」
「遂に狂ってしまったのかしら? 何をしている、と聞いているの」
レミリアは鰯を投げていた。
……結界の外に。
結界を抜けていたのはこいつか──
確かに、魚の類は結界に阻まれない。
「何って、見りゃ分かるでしょ、イワシを逃がしているのよ」
「海に逃がしてあげたら?」
「それ、自虐ネタ?」
苦笑い。
「貴方も存外に物分かりが悪いのね。これから滅びる幻想郷から、逃がしてやっているのよ」
---
その後、紫はレミリアからの証言を基にして、原因の捜索を開始した。
藍と共に結界のシステムを再度チェックし、外の世界で発生する事象を調べ尽くした。
情報を隅々まで洗うような作業の果て。日が昇る頃、示唆された滅びの原因は明らかとなった。
「核ミサイル……!」
現在に至る。
幻想郷は結界により隔絶されている。が、それでも環境を保つ為の複雑なシステムの上、幾つかの”入口”がある。
その内の一つが試験的に発射される核ミサイルの軌道と重なっていた。
勿論、それだけでは幻想郷には侵入することは出来ない。
だが、レミリアは運命に爆発と滅びを視ていた。
爆発は間違いなく起こる。偶然に偶然を重ね、条件が整って、幻想郷で起こってしまうのだ。
導き出される答え。
「核爆発という”事象”だけが来る──」
本来、外の世界で起こるはずだった、”核爆発”だけが幻想入りしてくる。
真に奇怪だが、それしか考えられない。ミサイルは幻想郷には入ってこれない。
即ち。
そのミサイルに積まれた核爆弾は、不発弾だったのだ。
「紫様、いかがなされますか」
「……考えさせて」
八雲紫は三つの方法を考えていた。
一つ目は、外世界の核ミサイルに干渉して爆発させる。そうすれば爆発が幻想入りすることはない。
しかし、これは余りにも運命を狂わせすぎる。
過度な干渉が良い結果を齎さないのは目に見えている。
二つ目は結界のシステムを変更し、爆発の侵入を防ぐ。
……無理だ、内部に与える影響が強すぎて何が起こるか分かったものではない。下手したら幻想郷が崩壊する。
何も起こらない可能性に賭けるには危険すぎる。
では三つ目、核爆発以上のエネルギーで対抗する。
可能ならば最善策だろう、幻想郷の中で完結することの出来る方法だ。
だが、難易度の高さは容易に想像がつく。
核爆発以上のエネルギーを集めることは出来るか? 現代兵器の極み、圧倒的破壊、叡智の到達点に、対抗しうる者はいるのか?
瞬間的に起こる超速の爆発に、タイミングを合わせることが出来るか? 一瞬の狂いもなく、撃鉄を鳴らすことが出来る者はいるのか?
放射能汚染を防げるか? 全てを枯らす沈黙の灰から、降り注ぐ死の雨から、幻想郷を守ることが可能な者はいるのか?
「止められる……」
紫の中でプランが固まった。
それは、余りにも最悪な面子。
それでも、やれる。
「止めてみせる」
拳を握り締め、決意を抱いた大妖怪であった。
「紫様、ハンカチ要りますか」
「…………ありがとう」
紫は口元だけで作り笑顔をしながら、額の汗を拭った。
着弾まで後三十時間!!!
---
「あっーはぁーーっはっはぁあーーー! ひぃはぁーー……はっふっはひぃっはーーーぁはっはっ!」
無遠慮な笑い声が彼方へと飛んで行った。
「ひっひ……それで、私に手を貸して欲しいって?」
ぎぃっと、車椅子を軋ませながら身体を乗り出したのは、後戸の秘神。
指をぱきぱきと鳴らしながら、依然くつくつと笑っている。
「念には念を、よ、貴方の力は借りておいて損はない。貴方、私に幾つも貸しがあるでしょう?」
「あぁれ? くれたのかと思っていたよ」
相も変わらず、いやらしい女だと紫は思った。こいつには他人の不幸をギリギリまで楽しもうとする悪癖がある。
この女のこういった部分が嫌いで、故に付き合いが長い。
「あいや、まぁ、確かに危機ね、核兵器が幻想郷に向けられるとは、すっかり大国にでもなったような気がしてしまうな」
「期日まで後二十九時間、急を要するわ」
「結構あるじゃない」
余裕ぶった声色の摩多羅隠岐奈は、暗い笑みを浮かべたまま手を組んだ。
「ふうん、最も、私は幻想郷がどうなろうと別に知った事ではないけどね」
「嘘つき」
「ふふ」
ふふふふ。
「仕方ない、お前の頼みだぁ仕方ないな。手をくれてやるよ、くれてやるとも」
「感謝するわ」
「気に入らないねぇ、初めから助けてもらえると思っていたようで。ちょっとやそっと苦しむくらいだけなら放っておいたのに」
悪態をつきながら、はぁ、と、ため息をついた。
「私はね、やるからには徹底的にやるのさ」
後戸の国にある扉という扉が開き、妖力が、魔力が、霊力が、世界に流れ込む。
「役者を集めろ! どうせ最初に私のところに来たんでしょ? 忙しいのはこれからよ!」
---
遥か上空、地平線は何処までもが白く、遠く感じられる。
いつもは遠目から見る白い雲の、普段は見えない、水分の粒ひとつひとつが、うねり、波打っているように見える。
幻想郷にも、空には海があるのだ。
「それで、私に?」
「そうよ、貴方の手を貸して欲しい」
次に紫が訪れていたのは、不良天人の下であった。
天人は目を大きく見開いて、ぱちくりとさせている。
「驚きね、貴方が私に頼み事なんて」
「それ程の事態」
「ふーん」
比那名居天子は、髪の毛先をくるくると弄りながら話を聞いている。
浮遊する要石を椅子代わりにしてダルそうに座っているが、足先はそわそわと揺れている。
「確かに私なら出来るわ、その爆弾? ってのから、出てきた雲や雨を消し飛ばす事が」
「流石天人さま」
「うぇっ、貴方が言うと気味が悪いわよ」
苦い物を食らったような顔をして、しっしっと手を払う。
「貴方に頼られたりしたら、優越感でちょっとは気持ち良くなれそうな気もしたけど……存外にそうでもないものなのね。なんだか気分が萎えたわ」
「あら、そう?」
「他を頼れるなら他を当たったら?」
なんて哀しく、暗く、幼い顔をするのだろうか。
天人のくせに謙虚なのだから、一周回って傲慢だ。
お前に、私は理解できないと言われているように感じて腹が立った。
故に、紫の行動は反射的だった。
「お願いします、手を貸してください。貴方しかいません。」
八雲紫は深々と頭を下げた。
……。
「あーーーー!!! わかったわよ! 顔を上げなさい!」
天子は緋想の剣を意味もなくぶんぶんと振り回した。
「少しは気持ちよくなれたかしら?」
「全っ然! 私は貴方と対──」
紫は、頭を軽く下げたまま天子を見つめる。
「でも……そこまで言うならやってやる!」
天子が上目遣いに落ちた!!!
轟々と気質が燃え上がる。
「輔けてやろう! 偉大なる天人の力を貸してやるわ!」
---
「いいですよ」
それは、あっさりとした許諾の言葉だった。
八雲紫は地の底の底に建つ屋敷で、心を読む悟り妖怪と対峙していた。
「助かるわ」
「しかし、まさか貴方が直接ここを訪れるとは思わなかった……嫌々ですか、そうでしょうね」
「一番、手っ取り早いので」
目的は地底の太陽、霊烏路空の力を借りることだった。
核爆発の莫大な威力に対抗することが出来るのは、また、核の力だという結論に至ったのだ。
「まぁ、直接でなければ協力はしませんでした。地上が多少苦労しても、さほど気になりませんしね……そこらへんは理解しているようですが。あぁ、わかっているとは思いますが、お空に何かあったら私は許しませんよ、その感じだと大丈夫そうですが。まぁ地上に怨霊が流れてしまったことは一応、悪く思っているのですよ。あの時の分ということでどうでしょう? 良さそうですね。ところで私に知られたくないことはありますか? あ、今うっかり考えましたね。ふふ、やっぱり来ない方が良かったかもしれないですか?」
こいつは紫の素早い思考を読み取って勝手に喋る。
この妖怪を前にして、うざったい等と思ってはいけない……おっと。
紫は誤魔化すように、差し出された紅茶をずずずと啜る。
「案外に面白い頭の中ですね、いえ他意はありませんが」
そう言って古明地さとりはペンを置いた。
「私は貴方のことを少し、誤解していたのかもしれませんね」
「はぁ」
「安心しなさい、直接、私に会いに来た誠意には応えましょう……」
---
「どうか、姫君の御力を貸していただきたい」
八雲紫は土下座していた。
相手は永遠の月人。
「そこまでしなくても」
「頭が痛いわ……」
輝夜も永琳も困惑していた。
いきなり現れて、一方的に喋り倒して、これであった。
「大体そんなキャラじゃないでしょ」
「月人はこういうのが好きかなと」
「私、貴方になんかしたっけ?」
「さぁ?」
紫がおもむろに頭を上げる。
額に畳の跡が薄く残っているのを見て、輝夜は少し面白いと思ったが口には出さなかった。
姫だから。
「誠意は本物よ、幻想郷が危険なの」
「永琳、行っても良い?」
「本来は止めるけれど」
「行って欲しくなさそうだけれど」
「お願いします」
「行っていい?」
「……怪我しないようにね」
---
幻想郷の一角には何とも珍しい面子が集まっていた。
妖怪、神、鴉、天人、月人。
大掛かりな舞台装置があるわけでもなく、平原に只、佇んでいる。
全員が全員、今から核兵器を止めますだなんて、言ったら笑われるだろう。
紫本人も、客観的に見ておかしいと思った。
核ミサイルの着弾地点は、人里にそこそこ近いが、幻術で一帯を隠しているので見られることはない。
隠岐奈はギャラリーがいないのが残念だと思った、二度とない最高のショー(宣伝機会)なのに。
「幻想郷の危機だなんて言うのだから、もっと大人数かと思ったのに」
輝夜が不意に口を開く。
「他のメンバーは失敗した時の保険に充てているの」
「臆病ねぇ」「冷静なのよ」
つられて空も。
「ねぇ、私は本当に立っているだけでいいの?」
「そうよ」
「……後五分」
これは紫からしても驚きだったのだが、意外と皆が緊張している。あの元気な地獄鴉でさえも、雰囲気に呑まれて結構に大人しくなってしまっている程だ。
幻想郷が愛されていることの裏付けか、と、紫は少し嬉しくなったが、一番緊張しているのは紫だった。
「あと一分、いくわよ」
紫は空に札を貼り付けた。
借りるのは、空の力。
「同期完了……」
古明地さとりから示されたのは三分間。
三分間だけ、霊烏路空を八雲紫の式神にする!
一分間を事前練習に充て、残りは二分。
リモート操作によって確実に爆発を相殺する。
「じゃ、私も」
隠岐奈が手を開くと、空と天子の背中に扉が発現し、後戸から力が流れ込む。
この力は、一時的に生命力、精神力を上乗せする。
「……っ! これ凄いわね、力が湧き上がってくる。これで失敗したら天人の恥ね」
「しっかり決めろよ」
「わかってる!」
「あと十秒!」
時間が緩くなる。
輝夜の力だ。この力で、タイミングを合わせやすくする。
秒速四百四十メートルの爆風を、この力で見切る。
「あと五秒」
周りを見渡す。
皆が真剣な顔付きをしている。
呼吸を止める。
「あと一秒」
驚くほど緩やかだ。
「あと、零点、零、零、いち──」
紫が、丁寧に、慎重に、発射ボタンをぶん殴ると、異様に明るい、赤い柱が立った。
じりじりと空気が焼ける幻聴。
束の間、空で花が咲いた。
音はしない、鼓膜が破れたか、いや、無音、まだ音が届いていないのだ。
爆発は、どうだ。
スキマから横からの視点で見る。
打ち勝っている、地上から伸びた赤い柱が、打ち勝って、いる。爆発は上にしか向いていない。
「天子!」
天子をスキマで爆発の傍まで送るのだ、爆発の下限ギリギリまで。
「紫」
「頼ってくれて、ありがとう」
この馬鹿天人、集中しろよ。
緋想の剣が、かつてない程に巨大く、情熱く、獰猛っている。
空中にいる天子へ、雲が、煙が、天が、集まっていく。
朱く、煌き。
全 人 類
の
緋 想 天
────────────────────────
────
──
────────────
────────────
────────────
────
──
──
──────────
────
──
──
────
──
────────
────
──
ぺち。
「イワシは正常よ」
「何よりですわ」
あれから数週間、紫は放射能によって異常をきたした動植物が無いかを血眼になって捜索した。
作戦は完璧な成功を迎えた様に見えたが、念には念を入れる、紫の臆病な性格が故だ。
「酷いじゃない、私は事前に伝えてあげたのに。そっちからは事後報告がないなんて」
「後片付けをしていたの」
「ふうん」
ぺち。
「天人が会いたがっていたわよ」
「知ってるわ」
「なんで会わないの」
「事後処理で忙しかったので」
「本当……に、面倒ね、あんた」
ぺち。
「あのイワシ、勿体ないし、取ってくれない?」
「面倒」
「面倒ね……」
ぺち。
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
ㅤ
幻想郷に核ミサイルが着弾しようとしていることが判明したのは、つい先程の出来事であった。
遡る事、半刻。眠るような春の夜である。八雲紫は、何者かが結界を抜ける感触を捉えたのであった。
妖怪の身において図々しくも、面妖な等と感じた紫が様子を見に行くと、そこには幼き吸血鬼がいた。
「貴方、何をしている? メイドは?」
ぺち……と、浅はかな音だけが響く。満月にも関わらず、やけに静かだ。
普段は跋扈する妖怪も、吸血鬼に怯えて去ってしまったか。
木々は全身を強張らせ、草花は死んだふりを続けている。
「流石、早かったね」
レミリア・スカーレットはそう言いながら、おもむろに腕を下から振って軽やかに投げる動作をする。
遅れて、ぺち、と。
「あんまり来るのが早いから、まだ五匹も残っているわ、貴方もやる?」
「遂に狂ってしまったのかしら? 何をしている、と聞いているの」
レミリアは鰯を投げていた。
……結界の外に。
結界を抜けていたのはこいつか──
確かに、魚の類は結界に阻まれない。
「何って、見りゃ分かるでしょ、イワシを逃がしているのよ」
「海に逃がしてあげたら?」
「それ、自虐ネタ?」
苦笑い。
「貴方も存外に物分かりが悪いのね。これから滅びる幻想郷から、逃がしてやっているのよ」
---
その後、紫はレミリアからの証言を基にして、原因の捜索を開始した。
藍と共に結界のシステムを再度チェックし、外の世界で発生する事象を調べ尽くした。
情報を隅々まで洗うような作業の果て。日が昇る頃、示唆された滅びの原因は明らかとなった。
「核ミサイル……!」
現在に至る。
幻想郷は結界により隔絶されている。が、それでも環境を保つ為の複雑なシステムの上、幾つかの”入口”がある。
その内の一つが試験的に発射される核ミサイルの軌道と重なっていた。
勿論、それだけでは幻想郷には侵入することは出来ない。
だが、レミリアは運命に爆発と滅びを視ていた。
爆発は間違いなく起こる。偶然に偶然を重ね、条件が整って、幻想郷で起こってしまうのだ。
導き出される答え。
「核爆発という”事象”だけが来る──」
本来、外の世界で起こるはずだった、”核爆発”だけが幻想入りしてくる。
真に奇怪だが、それしか考えられない。ミサイルは幻想郷には入ってこれない。
即ち。
そのミサイルに積まれた核爆弾は、不発弾だったのだ。
「紫様、いかがなされますか」
「……考えさせて」
八雲紫は三つの方法を考えていた。
一つ目は、外世界の核ミサイルに干渉して爆発させる。そうすれば爆発が幻想入りすることはない。
しかし、これは余りにも運命を狂わせすぎる。
過度な干渉が良い結果を齎さないのは目に見えている。
二つ目は結界のシステムを変更し、爆発の侵入を防ぐ。
……無理だ、内部に与える影響が強すぎて何が起こるか分かったものではない。下手したら幻想郷が崩壊する。
何も起こらない可能性に賭けるには危険すぎる。
では三つ目、核爆発以上のエネルギーで対抗する。
可能ならば最善策だろう、幻想郷の中で完結することの出来る方法だ。
だが、難易度の高さは容易に想像がつく。
核爆発以上のエネルギーを集めることは出来るか? 現代兵器の極み、圧倒的破壊、叡智の到達点に、対抗しうる者はいるのか?
瞬間的に起こる超速の爆発に、タイミングを合わせることが出来るか? 一瞬の狂いもなく、撃鉄を鳴らすことが出来る者はいるのか?
放射能汚染を防げるか? 全てを枯らす沈黙の灰から、降り注ぐ死の雨から、幻想郷を守ることが可能な者はいるのか?
「止められる……」
紫の中でプランが固まった。
それは、余りにも最悪な面子。
それでも、やれる。
「止めてみせる」
拳を握り締め、決意を抱いた大妖怪であった。
「紫様、ハンカチ要りますか」
「…………ありがとう」
紫は口元だけで作り笑顔をしながら、額の汗を拭った。
着弾まで後三十時間!!!
---
「あっーはぁーーっはっはぁあーーー! ひぃはぁーー……はっふっはひぃっはーーーぁはっはっ!」
無遠慮な笑い声が彼方へと飛んで行った。
「ひっひ……それで、私に手を貸して欲しいって?」
ぎぃっと、車椅子を軋ませながら身体を乗り出したのは、後戸の秘神。
指をぱきぱきと鳴らしながら、依然くつくつと笑っている。
「念には念を、よ、貴方の力は借りておいて損はない。貴方、私に幾つも貸しがあるでしょう?」
「あぁれ? くれたのかと思っていたよ」
相も変わらず、いやらしい女だと紫は思った。こいつには他人の不幸をギリギリまで楽しもうとする悪癖がある。
この女のこういった部分が嫌いで、故に付き合いが長い。
「あいや、まぁ、確かに危機ね、核兵器が幻想郷に向けられるとは、すっかり大国にでもなったような気がしてしまうな」
「期日まで後二十九時間、急を要するわ」
「結構あるじゃない」
余裕ぶった声色の摩多羅隠岐奈は、暗い笑みを浮かべたまま手を組んだ。
「ふうん、最も、私は幻想郷がどうなろうと別に知った事ではないけどね」
「嘘つき」
「ふふ」
ふふふふ。
「仕方ない、お前の頼みだぁ仕方ないな。手をくれてやるよ、くれてやるとも」
「感謝するわ」
「気に入らないねぇ、初めから助けてもらえると思っていたようで。ちょっとやそっと苦しむくらいだけなら放っておいたのに」
悪態をつきながら、はぁ、と、ため息をついた。
「私はね、やるからには徹底的にやるのさ」
後戸の国にある扉という扉が開き、妖力が、魔力が、霊力が、世界に流れ込む。
「役者を集めろ! どうせ最初に私のところに来たんでしょ? 忙しいのはこれからよ!」
---
遥か上空、地平線は何処までもが白く、遠く感じられる。
いつもは遠目から見る白い雲の、普段は見えない、水分の粒ひとつひとつが、うねり、波打っているように見える。
幻想郷にも、空には海があるのだ。
「それで、私に?」
「そうよ、貴方の手を貸して欲しい」
次に紫が訪れていたのは、不良天人の下であった。
天人は目を大きく見開いて、ぱちくりとさせている。
「驚きね、貴方が私に頼み事なんて」
「それ程の事態」
「ふーん」
比那名居天子は、髪の毛先をくるくると弄りながら話を聞いている。
浮遊する要石を椅子代わりにしてダルそうに座っているが、足先はそわそわと揺れている。
「確かに私なら出来るわ、その爆弾? ってのから、出てきた雲や雨を消し飛ばす事が」
「流石天人さま」
「うぇっ、貴方が言うと気味が悪いわよ」
苦い物を食らったような顔をして、しっしっと手を払う。
「貴方に頼られたりしたら、優越感でちょっとは気持ち良くなれそうな気もしたけど……存外にそうでもないものなのね。なんだか気分が萎えたわ」
「あら、そう?」
「他を頼れるなら他を当たったら?」
なんて哀しく、暗く、幼い顔をするのだろうか。
天人のくせに謙虚なのだから、一周回って傲慢だ。
お前に、私は理解できないと言われているように感じて腹が立った。
故に、紫の行動は反射的だった。
「お願いします、手を貸してください。貴方しかいません。」
八雲紫は深々と頭を下げた。
……。
「あーーーー!!! わかったわよ! 顔を上げなさい!」
天子は緋想の剣を意味もなくぶんぶんと振り回した。
「少しは気持ちよくなれたかしら?」
「全っ然! 私は貴方と対──」
紫は、頭を軽く下げたまま天子を見つめる。
「でも……そこまで言うならやってやる!」
天子が上目遣いに落ちた!!!
轟々と気質が燃え上がる。
「輔けてやろう! 偉大なる天人の力を貸してやるわ!」
---
「いいですよ」
それは、あっさりとした許諾の言葉だった。
八雲紫は地の底の底に建つ屋敷で、心を読む悟り妖怪と対峙していた。
「助かるわ」
「しかし、まさか貴方が直接ここを訪れるとは思わなかった……嫌々ですか、そうでしょうね」
「一番、手っ取り早いので」
目的は地底の太陽、霊烏路空の力を借りることだった。
核爆発の莫大な威力に対抗することが出来るのは、また、核の力だという結論に至ったのだ。
「まぁ、直接でなければ協力はしませんでした。地上が多少苦労しても、さほど気になりませんしね……そこらへんは理解しているようですが。あぁ、わかっているとは思いますが、お空に何かあったら私は許しませんよ、その感じだと大丈夫そうですが。まぁ地上に怨霊が流れてしまったことは一応、悪く思っているのですよ。あの時の分ということでどうでしょう? 良さそうですね。ところで私に知られたくないことはありますか? あ、今うっかり考えましたね。ふふ、やっぱり来ない方が良かったかもしれないですか?」
こいつは紫の素早い思考を読み取って勝手に喋る。
この妖怪を前にして、うざったい等と思ってはいけない……おっと。
紫は誤魔化すように、差し出された紅茶をずずずと啜る。
「案外に面白い頭の中ですね、いえ他意はありませんが」
そう言って古明地さとりはペンを置いた。
「私は貴方のことを少し、誤解していたのかもしれませんね」
「はぁ」
「安心しなさい、直接、私に会いに来た誠意には応えましょう……」
---
「どうか、姫君の御力を貸していただきたい」
八雲紫は土下座していた。
相手は永遠の月人。
「そこまでしなくても」
「頭が痛いわ……」
輝夜も永琳も困惑していた。
いきなり現れて、一方的に喋り倒して、これであった。
「大体そんなキャラじゃないでしょ」
「月人はこういうのが好きかなと」
「私、貴方になんかしたっけ?」
「さぁ?」
紫がおもむろに頭を上げる。
額に畳の跡が薄く残っているのを見て、輝夜は少し面白いと思ったが口には出さなかった。
姫だから。
「誠意は本物よ、幻想郷が危険なの」
「永琳、行っても良い?」
「本来は止めるけれど」
「行って欲しくなさそうだけれど」
「お願いします」
「行っていい?」
「……怪我しないようにね」
---
幻想郷の一角には何とも珍しい面子が集まっていた。
妖怪、神、鴉、天人、月人。
大掛かりな舞台装置があるわけでもなく、平原に只、佇んでいる。
全員が全員、今から核兵器を止めますだなんて、言ったら笑われるだろう。
紫本人も、客観的に見ておかしいと思った。
核ミサイルの着弾地点は、人里にそこそこ近いが、幻術で一帯を隠しているので見られることはない。
隠岐奈はギャラリーがいないのが残念だと思った、二度とない最高のショー(宣伝機会)なのに。
「幻想郷の危機だなんて言うのだから、もっと大人数かと思ったのに」
輝夜が不意に口を開く。
「他のメンバーは失敗した時の保険に充てているの」
「臆病ねぇ」「冷静なのよ」
つられて空も。
「ねぇ、私は本当に立っているだけでいいの?」
「そうよ」
「……後五分」
これは紫からしても驚きだったのだが、意外と皆が緊張している。あの元気な地獄鴉でさえも、雰囲気に呑まれて結構に大人しくなってしまっている程だ。
幻想郷が愛されていることの裏付けか、と、紫は少し嬉しくなったが、一番緊張しているのは紫だった。
「あと一分、いくわよ」
紫は空に札を貼り付けた。
借りるのは、空の力。
「同期完了……」
古明地さとりから示されたのは三分間。
三分間だけ、霊烏路空を八雲紫の式神にする!
一分間を事前練習に充て、残りは二分。
リモート操作によって確実に爆発を相殺する。
「じゃ、私も」
隠岐奈が手を開くと、空と天子の背中に扉が発現し、後戸から力が流れ込む。
この力は、一時的に生命力、精神力を上乗せする。
「……っ! これ凄いわね、力が湧き上がってくる。これで失敗したら天人の恥ね」
「しっかり決めろよ」
「わかってる!」
「あと十秒!」
時間が緩くなる。
輝夜の力だ。この力で、タイミングを合わせやすくする。
秒速四百四十メートルの爆風を、この力で見切る。
「あと五秒」
周りを見渡す。
皆が真剣な顔付きをしている。
呼吸を止める。
「あと一秒」
驚くほど緩やかだ。
「あと、零点、零、零、いち──」
紫が、丁寧に、慎重に、発射ボタンをぶん殴ると、異様に明るい、赤い柱が立った。
じりじりと空気が焼ける幻聴。
束の間、空で花が咲いた。
音はしない、鼓膜が破れたか、いや、無音、まだ音が届いていないのだ。
爆発は、どうだ。
スキマから横からの視点で見る。
打ち勝っている、地上から伸びた赤い柱が、打ち勝って、いる。爆発は上にしか向いていない。
「天子!」
天子をスキマで爆発の傍まで送るのだ、爆発の下限ギリギリまで。
「紫」
「頼ってくれて、ありがとう」
この馬鹿天人、集中しろよ。
緋想の剣が、かつてない程に巨大く、情熱く、獰猛っている。
空中にいる天子へ、雲が、煙が、天が、集まっていく。
朱く、煌き。
全 人 類
の
緋 想 天
────────────────────────
────
──
────────────
────────────
────────────
────
──
──
──────────
────
──
──
────
──
────────
────
──
ぺち。
「イワシは正常よ」
「何よりですわ」
あれから数週間、紫は放射能によって異常をきたした動植物が無いかを血眼になって捜索した。
作戦は完璧な成功を迎えた様に見えたが、念には念を入れる、紫の臆病な性格が故だ。
「酷いじゃない、私は事前に伝えてあげたのに。そっちからは事後報告がないなんて」
「後片付けをしていたの」
「ふうん」
ぺち。
「天人が会いたがっていたわよ」
「知ってるわ」
「なんで会わないの」
「事後処理で忙しかったので」
「本当……に、面倒ね、あんた」
ぺち。
「あのイワシ、勿体ないし、取ってくれない?」
「面倒」
「面倒ね……」
ぺち。
しぶしぶ言いながらも協力してくれるところに幻想郷が愛されていることを感じました
紫がんばった