あー。前に私が伸びをして千年くらい経っただろうか。この宇宙空間では時間間隔がどうしてもいい加減になる。ちょっと居眠りするつもりで目を閉じただけで、百年経ってることなんてざらだ。私は宙で身体をよじる。無重力状態であるため、身体の凝り方も不均一であり、心地のいい体勢を取ろうとするとどうしても妙な格好になってしまう。まあ誰も居ないからどういう格好になろうと関係ないだろうが。
「妹紅おはよう。なにそれ、深海魚の真似?」
「うるさい。私を正気に戻すな」
突き放すように私は輝夜に言う。目を開けると、何百年か前と同じ体勢で輝夜が目の前に居た。かれこれ何億年になるだろうか。私たちはこうして顔を向かい合わせてずっと宇宙空間を漂っていた。
「なんでもいいけど死なないようにだけ気を付けなさいよ。年寄りにありがちなんだけど、急に身体を動かしたせいで血圧が上がって、脳出血や心筋梗塞でお陀仏なんてなったら洒落にならないわ」
「さすがにその程度じゃ死なないから安心しろ」
私は再び目を閉じる。私たち蓬莱人は不死者なので、死んでもすぐに蘇生できるがしかしこの宇宙空間で死ぬのはとてもマズイ。私たちは自分たちの故郷の太陽系で起こった超新星爆発の勢いで等速している。こう見えてかのボイジャーより速い時速十万キロでぶっ飛んでいるのだ。まかり間違って死のうものなら、蘇生時に身体を生成する際に超新星爆発で得た勢いがなくなりたった一人で宇宙に取り残される。魂には慣性が働かないから、永遠に追いつけない。
私と輝夜はまったく同じ速度で飛んでいる。奇跡的な確率だった。わずか1/1000000000000000000ミリでも速度に違いがあれば私たちは離ればなれになっていたところだ。
爆心地で一緒に居たのが功を奏した。――ほんとのことを言うと太陽系最後の日に大喧嘩をして直前まで殺し合っていただけなのだが。
「もう。久しぶりに起きたんだからもうちょっとおしゃべりしましょうよ」
「お前との会話なんてそれこそ死ぬほどしただろうがよ」
お互い、知らないことなんてないってくらい話尽くした。こいつとは滅茶苦茶仲が悪かったはずなのだが、今ではなんであんなに嫌い合っていたのか思い出せない。というかそもそも地球に居たときのことも既におぼろげだが。
「暇で死にそうよ」
「死なないんだよなぁ」
私は目を開ける。輝夜は私の方に手を伸ばしている。
「ぎりぎり届かないのよね」
輝夜の手は宙を掻いている。
「やめとけ。近づこうするのはまずいって前に話し合っただろ」
例えば私は炎を出せば簡単に推進力を生んで宇宙空間でも自由に動けるが、そんなことしてしまったらこの奇跡のような等速が崩れてしまう。これから先何百億年も宇宙を漂うのだ。わずかな差でもお互いが離ればなれになる要因になってしまう。
「いっそ抱き合ってればいいんじゃない?」
くすくすと輝夜がいたずらっぽく笑う。
「ふざけんな」
私は目を閉じる。次目を開けるのはまた数百年後くらいかな。
しかし私は離ればなれになって互いが孤独になるのを恐れているのに、なんだって今更抱き合う程度のことで忌避感を覚えるのだろう。
「妹紅おはよう。ねえねえ、さっきすごく大きな隕石が横を通ったわよ」
「うるさい。私を正気に戻すな」
私は目を開ける。右手側にある星のきらめきを確認する。私が時計座と勝手に呼んでいる星たち。あれの明るさの具合で私はおおよその時間間隔を把握していた。わずかに暗く見えるから、目測でおよそ前に輝夜と喋ってから千年くらい経っていることがわかった。
「宇宙に空気がなくて良かったわ。あったらきっと、隕石が通った衝撃波で私たち散り散りになってたわ」
「だろうな。つーか、隕石なんて珍しいな」
太陽系から飛び出して何億年経つのか忘れたが、私たちは未だに隣の銀河にすらたどり着けていなかった。
「私もびっくりした。永琳によると宇宙は膨張してるから、もしかしたら永遠に他所に行けないかもって話だったのに。何かしら物質のある空間まで来ていたのは進歩よね」
「もしくは単純にビッグクランチが始まってるのかもな」
ビッグクランチとは宇宙が膨張をやめ、収縮をしてしまうことだ。前に輝夜と離ればなれになったらどうしよう、という話をしたときに私たちはビッグクランチに希望を見出していた。私たち蓬莱人は宇宙の終わりまで生きているから、宇宙の終わりが特異点への収縮で終わるならきっといつか会えるはずだと。
とてつもなく気の長い話だが、しかし私たちは不死者だから現実的な話でもあった。
「まだまだそんなに経ってないでしょ。私たちが太陽系を出て、まだ百億年も経ってないわよ。九十六億八千九百二十一年と十三日五十九秒。地球基準の単位で恐縮だけど」
「マジかよ。てかお前、ちゃんと数えてたのか」
「当然。脈拍数えるだけでいいから楽なもんよ」
「脈拍って……。星の光の加減とかじゃないのか」
「妹紅は馬鹿ねぇ。光の加減なんて、ぜんぜん数学的じゃないわ。そんなんじゃ正確な数字は出ないわ」
「お前の脈は正確なのかよ」
「一拍で一秒よ。あんたが私をもうちょっとドキドキさせてくれるんなら話は変わってくるんだけど」
輝夜は首をかしげて蠱惑的に笑う。誘うように。かつて数多の男を虜にした魔性。瞳は真っすぐと私を見ている。
「あら。ちょっと赤くなった?」
「バカ。赤方偏移だよ」
こいつがいくら美人だからと言って、もう何十億年も一緒に居るのだ。美人は三日で飽きる、どころの騒ぎではない。私たちはこれからも一生等速して生きていくのだ。
「妹紅おはよう。たまには地球のことについて話しましょうよ」
「うるさい。私を正気に戻すな」
輝夜の気まぐれで私は起こされる。目を開けて時計座を見る。一億年経っていた。
「地球のことなんて、覚えてねーよ」
「だからこそこうやってたまに回想するのがいいんじゃない」
前に故郷について語ったのは十億年以上前だからたまにってレベルじゃないんだぞ。
「たしか青かったはずなんだけど、青色って久しく見てないからどんな感じだったのか曖昧なのよね」
「うーん。青か……」
私は周囲を見やる。闇。うんざりするほどの闇しかない。そんなのはわかっているくせに。
「なんか寂しい感じだった気がする」
「そう? 私は温かい印象があるけど。母性、というか。母なる海って言ってたでしょ」
「永琳が言ってただろ。海が母だってのは人間の勘違いで、本当の生命の起源は酸素にあったって」
「あら珍しい。あんたが永琳の言葉を引き合いにだすなんて」
確かにそうだった。なんかマズイ兆候のように感じる。輝夜と長く居すぎて、こいつの思考と同調しているように思う。
「あるいは、いつか私たち、完全にいつでもお互いが考えてることがわかるくらい理解し合って、ホントに一つの存在になっちゃうかもね」
輝夜が笑えない話を言う。
「そうなったら、いよいよ会話の必要がなくなるな」
「寂しいこと言わないでよ」
「一つになるのに寂しいのか?」
「孤独は辛いわ。この宇宙でたった一人なんて、それこそ正気でいられない」
輝夜は私を見ている。
「そうでしょ?」
見ている。
「妹紅おはよう」
うるさい。
「妹紅おはよう」
幻聴だ。
「妹紅おはよう」
宇宙には空気がない。
だから、音の振動である言葉なんて届かないはずなんだ。
「妹紅おはよう」
宇宙には光がない。
だから輝夜の姿が見えるなんてことはあり得ないんだ。
「妹紅――」
「やめろ!」
私は絶叫する。音にならない振動が、私の体内でこだまする。
「私を、私を正気に戻さないでくれ」
私は震える。目を開けると、そこにはどうしようもない闇が広がっていた。
真に自分が一人であることを自覚する。
「大丈夫」
妄想の輝夜が言う。
「私たちは等速よ。ずっと一緒に飛翔し続けている。目を閉じて。あなたが思えば、私はいつでもあなたのそばに現れる」
輝夜が言った。蠱惑的な笑みで。
私は手を伸ばし、宙を掻いた。――途中思い直して、手を引っ込める。
触れてはいけない。触ってしまうと、等速が崩れて私たちは離ればなれになってしまう。
私たちは奇跡的な確率で同じ速度で居るのだ。一緒に居続けるには速度のバランスを崩すわけにはいかない。
――私は再び目を閉じて輝夜の姿を瞼の裏に浮かべた。
「妹紅おはよう。なにそれ、深海魚の真似?」
「うるさい。私を正気に戻すな」
突き放すように私は輝夜に言う。目を開けると、何百年か前と同じ体勢で輝夜が目の前に居た。かれこれ何億年になるだろうか。私たちはこうして顔を向かい合わせてずっと宇宙空間を漂っていた。
「なんでもいいけど死なないようにだけ気を付けなさいよ。年寄りにありがちなんだけど、急に身体を動かしたせいで血圧が上がって、脳出血や心筋梗塞でお陀仏なんてなったら洒落にならないわ」
「さすがにその程度じゃ死なないから安心しろ」
私は再び目を閉じる。私たち蓬莱人は不死者なので、死んでもすぐに蘇生できるがしかしこの宇宙空間で死ぬのはとてもマズイ。私たちは自分たちの故郷の太陽系で起こった超新星爆発の勢いで等速している。こう見えてかのボイジャーより速い時速十万キロでぶっ飛んでいるのだ。まかり間違って死のうものなら、蘇生時に身体を生成する際に超新星爆発で得た勢いがなくなりたった一人で宇宙に取り残される。魂には慣性が働かないから、永遠に追いつけない。
私と輝夜はまったく同じ速度で飛んでいる。奇跡的な確率だった。わずか1/1000000000000000000ミリでも速度に違いがあれば私たちは離ればなれになっていたところだ。
爆心地で一緒に居たのが功を奏した。――ほんとのことを言うと太陽系最後の日に大喧嘩をして直前まで殺し合っていただけなのだが。
「もう。久しぶりに起きたんだからもうちょっとおしゃべりしましょうよ」
「お前との会話なんてそれこそ死ぬほどしただろうがよ」
お互い、知らないことなんてないってくらい話尽くした。こいつとは滅茶苦茶仲が悪かったはずなのだが、今ではなんであんなに嫌い合っていたのか思い出せない。というかそもそも地球に居たときのことも既におぼろげだが。
「暇で死にそうよ」
「死なないんだよなぁ」
私は目を開ける。輝夜は私の方に手を伸ばしている。
「ぎりぎり届かないのよね」
輝夜の手は宙を掻いている。
「やめとけ。近づこうするのはまずいって前に話し合っただろ」
例えば私は炎を出せば簡単に推進力を生んで宇宙空間でも自由に動けるが、そんなことしてしまったらこの奇跡のような等速が崩れてしまう。これから先何百億年も宇宙を漂うのだ。わずかな差でもお互いが離ればなれになる要因になってしまう。
「いっそ抱き合ってればいいんじゃない?」
くすくすと輝夜がいたずらっぽく笑う。
「ふざけんな」
私は目を閉じる。次目を開けるのはまた数百年後くらいかな。
しかし私は離ればなれになって互いが孤独になるのを恐れているのに、なんだって今更抱き合う程度のことで忌避感を覚えるのだろう。
「妹紅おはよう。ねえねえ、さっきすごく大きな隕石が横を通ったわよ」
「うるさい。私を正気に戻すな」
私は目を開ける。右手側にある星のきらめきを確認する。私が時計座と勝手に呼んでいる星たち。あれの明るさの具合で私はおおよその時間間隔を把握していた。わずかに暗く見えるから、目測でおよそ前に輝夜と喋ってから千年くらい経っていることがわかった。
「宇宙に空気がなくて良かったわ。あったらきっと、隕石が通った衝撃波で私たち散り散りになってたわ」
「だろうな。つーか、隕石なんて珍しいな」
太陽系から飛び出して何億年経つのか忘れたが、私たちは未だに隣の銀河にすらたどり着けていなかった。
「私もびっくりした。永琳によると宇宙は膨張してるから、もしかしたら永遠に他所に行けないかもって話だったのに。何かしら物質のある空間まで来ていたのは進歩よね」
「もしくは単純にビッグクランチが始まってるのかもな」
ビッグクランチとは宇宙が膨張をやめ、収縮をしてしまうことだ。前に輝夜と離ればなれになったらどうしよう、という話をしたときに私たちはビッグクランチに希望を見出していた。私たち蓬莱人は宇宙の終わりまで生きているから、宇宙の終わりが特異点への収縮で終わるならきっといつか会えるはずだと。
とてつもなく気の長い話だが、しかし私たちは不死者だから現実的な話でもあった。
「まだまだそんなに経ってないでしょ。私たちが太陽系を出て、まだ百億年も経ってないわよ。九十六億八千九百二十一年と十三日五十九秒。地球基準の単位で恐縮だけど」
「マジかよ。てかお前、ちゃんと数えてたのか」
「当然。脈拍数えるだけでいいから楽なもんよ」
「脈拍って……。星の光の加減とかじゃないのか」
「妹紅は馬鹿ねぇ。光の加減なんて、ぜんぜん数学的じゃないわ。そんなんじゃ正確な数字は出ないわ」
「お前の脈は正確なのかよ」
「一拍で一秒よ。あんたが私をもうちょっとドキドキさせてくれるんなら話は変わってくるんだけど」
輝夜は首をかしげて蠱惑的に笑う。誘うように。かつて数多の男を虜にした魔性。瞳は真っすぐと私を見ている。
「あら。ちょっと赤くなった?」
「バカ。赤方偏移だよ」
こいつがいくら美人だからと言って、もう何十億年も一緒に居るのだ。美人は三日で飽きる、どころの騒ぎではない。私たちはこれからも一生等速して生きていくのだ。
「妹紅おはよう。たまには地球のことについて話しましょうよ」
「うるさい。私を正気に戻すな」
輝夜の気まぐれで私は起こされる。目を開けて時計座を見る。一億年経っていた。
「地球のことなんて、覚えてねーよ」
「だからこそこうやってたまに回想するのがいいんじゃない」
前に故郷について語ったのは十億年以上前だからたまにってレベルじゃないんだぞ。
「たしか青かったはずなんだけど、青色って久しく見てないからどんな感じだったのか曖昧なのよね」
「うーん。青か……」
私は周囲を見やる。闇。うんざりするほどの闇しかない。そんなのはわかっているくせに。
「なんか寂しい感じだった気がする」
「そう? 私は温かい印象があるけど。母性、というか。母なる海って言ってたでしょ」
「永琳が言ってただろ。海が母だってのは人間の勘違いで、本当の生命の起源は酸素にあったって」
「あら珍しい。あんたが永琳の言葉を引き合いにだすなんて」
確かにそうだった。なんかマズイ兆候のように感じる。輝夜と長く居すぎて、こいつの思考と同調しているように思う。
「あるいは、いつか私たち、完全にいつでもお互いが考えてることがわかるくらい理解し合って、ホントに一つの存在になっちゃうかもね」
輝夜が笑えない話を言う。
「そうなったら、いよいよ会話の必要がなくなるな」
「寂しいこと言わないでよ」
「一つになるのに寂しいのか?」
「孤独は辛いわ。この宇宙でたった一人なんて、それこそ正気でいられない」
輝夜は私を見ている。
「そうでしょ?」
見ている。
「妹紅おはよう」
うるさい。
「妹紅おはよう」
幻聴だ。
「妹紅おはよう」
宇宙には空気がない。
だから、音の振動である言葉なんて届かないはずなんだ。
「妹紅おはよう」
宇宙には光がない。
だから輝夜の姿が見えるなんてことはあり得ないんだ。
「妹紅――」
「やめろ!」
私は絶叫する。音にならない振動が、私の体内でこだまする。
「私を、私を正気に戻さないでくれ」
私は震える。目を開けると、そこにはどうしようもない闇が広がっていた。
真に自分が一人であることを自覚する。
「大丈夫」
妄想の輝夜が言う。
「私たちは等速よ。ずっと一緒に飛翔し続けている。目を閉じて。あなたが思えば、私はいつでもあなたのそばに現れる」
輝夜が言った。蠱惑的な笑みで。
私は手を伸ばし、宙を掻いた。――途中思い直して、手を引っ込める。
触れてはいけない。触ってしまうと、等速が崩れて私たちは離ればなれになってしまう。
私たちは奇跡的な確率で同じ速度で居るのだ。一緒に居続けるには速度のバランスを崩すわけにはいかない。
――私は再び目を閉じて輝夜の姿を瞼の裏に浮かべた。
極限状態の妹紅がイメージするのはやはり輝夜なのかと思いました。
ご都合的な会話やお互いの姿が見える状況かと思いきや、綺麗な落ちが付いていてよかったです。
序盤の近づいてはいけないという話が後半で上手いこと回収されていて、短編として綺麗な構成でした。
有難う御座いました。
せめて夢の中だけでもすべてを忘れてほしいです。