Coolier - 新生・東方創想話

春歌蒐集

2021/09/18 20:34:24
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 夢をみた。夕暮れが秒読みになった町のなか、得体のしれない高揚感を抱えて佇んでいるわたしと、私じゃない誰か。その正体を知ることなんて、きっと永遠にできないことなんだろうなと思った。でも、そのひとはたしかに笑っていた。厚い雲間に嘘っぽく橙が差し込んで、町はやがて赤く染まる。それはたぶん、どんなひとだって逃れられずに、赤色に焼かれるほかなくなってしまうような、神聖で、残酷で、すこしだけ優しい景色に違いない。しかしわたしはそんな景色をみられないまま、冷たい布団のなかで目を覚ました。
 
   春歌蒐集
   
 朝、風は無い。けれど、太陽は不甲斐なくも雲のなかにある。わたしは起き抜けの足のまま廊下の板を踏んで、キッチンへと、居間へと歩く。床板の大きな鳴き声にどうしようもない申し訳なさを感じつつも、なんとはなしにあの人の姿を探した。だけど、キッチンにも、居間にもあの人は居ない。お風呂だろうか。再度、床板をいじめながらお風呂場へと向かう。
「おはようございます。今朝は早いんですね」
 浴室にわたしの声だけむなしく響いた。窓から外の薄明るさだけが差し込むから、わたしの声はよっぽどむなしかったと思う。居間を再確認するために動く足のついでで、お手洗いの戸を二度たたく。反応はないし、やっぱり居間にあの人は居ない。縁側の戸からまた朝の薄い光がテーブルを照らして、その光の中で埃だけが舞っていた。おかしいな。あの人がこんなに早く出かけるなんてこと、いままであっただろうか。朝食を終えたら探しにゆこうと。考えるよりもはやく、まな板の上に、ネギが乗る。
 
 すこし寒い朝にも朝食は温かい。でも、材料を使いすぎるとあの人に怒られるから、ごくごく質素な朝食だ。お米と魚、ネギと豆腐のお味噌汁。それから漬物の少量。納豆は無しにした。納豆きらい……。朝食の最中、なんだか懐かしい匂いがした。それはたぶん花の匂いだったけど、境内に花なんてあっただろうかと不思議な気持ちになる。そもそも、今は何月だろう。肌寒いけど、それほどというわけでもない。けれど、雲が厚くて、世界は全体としては薄暗い。まるで冬の朝みたいな光量で、だけど、花の香りは春らしかった。こうなるとお手上げだ。カレンダーはあの人のせいで、いつも当てにならないから。
 さて今日はあの人を探しにゆこう。朝食の器を重ねてシンクで水浸しにする。水は冷たいけれど、鼻歌に少々真剣になっているとすぐに終わる。
「んーんー、んー、んーん、んー」
 あれ、その歌ってなんだっけ……。メロディよりも思い出すことに没頭し始めた頃に、お皿洗いが終わった。すこし、悠長にしすぎたかもしれない。お出かけの支度をしているうちに、空は清々と晴れ渡っていた。日差しにあたるとほんのりと暖かい。この季節は春かもしれないし、秋かもしれない。花の匂いが消えていて、すこしさみしい軒先だ。戸締りをして左足から踏み出す。これを今日のはじめの一歩とする。さあ何処へゆこう。あの人はお友達が多いから、案外遠出になるかもしれない。
「やだなぁ。狛犬の……」
 懐かしい台詞が口からこぼれる。なんだかわからないけど、やる気のあるときに自然とこぼれでてしまう台詞だった。でも、やはり独り言は恥ずかしいので、自覚するが早いか、続きはいつも誤魔化した。
「……よし!」

 晴れやかな里の朝は一種の混沌で、開店の支度を始める八百屋もいれば、もう開いている店もあるし、私の知らないところで、頑張っている人だって、きっとたくさんいるのだ。だから、通りはどうしたって賑やかで……そんな、どうしたって賑やかな通りのなかを、学童たちが歩いていく。男の子に交じって枝やなんかで突っつきあう女の子もいて、難しそうな顔をして逆さまの教科書を睨んでいる子だっている。颯爽と、みんなのあいだを滑るように駆けていく子たちもいた。甲高い笑い声もが幾重にも重なって、相乗して……だから、里の朝はいっそう賑やかなのだ。すこし、耳が痛いくらいに。

 数分歩くとおおきな屋敷の前に着く。あの人と、いちおう、縁のあるお屋敷だけど、訪ねるのはやめにして、素通りする。お屋敷があの人の行く先を知ってそうとは思えなかったし、なにより、そんなことを尋ねればきっと大事になってしまうから。だめだめ、あそこに行くと、大事になるから……。あの人はいつもそう言って、このお屋敷を邪険にする。立派な門構えに問題があるのか、それとも、屋敷の主に問題があるのか。なんにせよ不憫なお屋敷に、一度振り返って礼をした。空はまだまだ晴れやかだ。
 
 ちょっと歩いて、今度は妙な通りに出る。縁日でもあるのかな。道の両側に布に覆われた出店が連なっている。いくつかの店はもう仕込みやなにやらを始めていて、そこをさっきみたいな子供たちが通るから、なんだかとても忙しない。額に汗して準備を進める人たちに合わせるように、子供たちも歩調をやおら速めている、気がする。ああ。寺子屋の始業に遅れそうなのかも。思えばこれまで、私はきっと、自分の思うよりもずっと、ゆっくり歩いてきたから。
 寺子屋に向かっているであろう子たちは、列と呼ぶにはまばらすぎるけどおおむね一直線で歩んでいる。でも、ときたまそんな列から外れて、出店と出店のあいだへするりと入っていく子がちらほらとある。入っていったかと思えば、数秒の間をおいて、焦ったように出店と出店のあいだから飛び出して、寺子屋行きの列へと戻る。なんだろう。ちょうど飛び出してきた子と入れ違いになる形で、わたしは出店の間を潜った。なるほど貸本屋があった!
 
 いらっしゃーい。と、その声は、小鈴さんの、この時間だけに聞ける、この時間用の声に違いなかった。あとから入ってきた子が私のことを追い越して、忙しなく本を返しては、また飛び出してゆく。小鈴さんは笑顔で手を振って、今度はそんな子とは逆に、落ち着き払って本を借りてゆく子の応対をする。でも、見送るときはおんなじ笑顔だ。どうしようかな。少し迷って、私も、そんな貸本屋の朝の一部になろうと決めた。そう思ったのなら、思った通りにするのが一番!……。だから私は、みんなが借りてるような児童文学って書いてあるコーナーに近づいて、その中で、自分だけの特別なものを探し始めてみた。棚にはたくさんの本があって、たくさんの背表紙があって、だから、ここにはおすすめの本はこちら! みたいなやさしさのない、無骨な感じがしたんだけど……でも、歯抜けになっているところをみると、みんなのおすすめが一目瞭然だったから、やっぱり全然やさしくて、私はちょっとはにかんだ。みんなやっぱり、ちょっとこわかったり、わかりやすく泣けちゃったりするのが好きみたい。私はどうしようかな。眺めていると、一冊、背表紙のなかにちいさく桜の花びらが舞っている本をみつけた。タイトルは、斯く某日、なんてつまらないものだったけど、背表紙のなかで、古びて、いまにも消えてしまいそうな桜の花びらは、やっぱりちいさくて、どうしたって特別だった。

 河川敷は閑散として、木枯らし、みたいな冷たい風が吹いていた。けれど冷たい空の奥にはたしかな眩しい太陽があって、だからそれほど寒くはない。私はベンチに座って、貸本屋から借りた、斯く某日、というつまらない本を読んでいた。半分くらい読んだけれど、それはやっぱりつまらなくて、でも、予想通りのつまらなさだから不満はない。いま現在、しいて不満を述べるのならば、河川敷の、ベンチの座り心地くらいだろうか。それにしたって、木製の、このちょっとだけくさりかけたようなベンチに、落ち度なんてひとつもないんだけどね。斯く某日の作者に言わせれば、今の私は、慳貪、といったところだろうか。やっぱりつまらなくて、ちょっと笑える。
 私が本を借りるにあたって、小鈴さんはいろいろ――利用手続きとか、返却期限とか……そういうの。――教えてくれた。でも、肝心の、あのひとのことについては、聞けなかったな、私……。だって、小鈴さん、私のこと覚えてるんだか覚えてないんだか、みんなにするみたいにして話すんだもん。あんなふうに話されちゃうと、私だって、みんなと一緒、みたいな気持ちになっちゃう。そのときに、そんなもんよ。って声が聞こえて、だから私は河川敷で、ぼーっと本を読むことにしたのだ。
 そしたら実際、そんなもんよって、感じがしてる。木枯らし、みたいな冷たい風が吹いてるけど、空は朝よりちょっと雨が降りそうで、曇ってるけど、みんながみんなと一緒なら、私は家に帰ろうかなって思えた。
「やだなぁ、狛犬の……」
 つまり。がぜん、私はやる気なのだ!
「……よし!」

 家に帰るということは、ただ家に帰るということではなく、家に帰るためにいろいろな準備をしたのち、それを実行して帰宅したときに、初めて家に帰るといえるのだ。だから私は、再度、未ださんざめく通りの中に、大根を求め、歩いている……。
 なんて。斯く某日の文体は、そんな感じの、なんだか変な文体だった。思い出しても、ちょっとわらえる。運ばれてきた紅茶のいい匂いがして、それに口をつけると、本当にちょっとだけ笑ってしまった。この席で、手提げから斯く某日を取り出そうかなと思ったけれど、やめた。あれはやっぱりどうせつまんないし、今は感じのいい給仕さんが働いているのを眺めたり、窓の外、降りしきる雨から逃げるようにうごく人たちをみてる方がずっと楽しい。そう。私はいま、買い出しを途中にして、ちょっと疲れちゃったから、甘味処の二階で休んでいる。二階があって、紅茶を出す甘味処なんてもう甘味処と呼ぶにはあまりにも進化しすぎているのではないかと思うけれど、私は甘味処以外のピンとくる名前を知らないし、ネオ・甘味処なんて、絶対に違う気がする。とにかく私がこんなことで悩んでしまうのも、予想の三倍難航した買い出しも、今は大根とつまらない本が入った、この、テーブルのうえ、紅茶の隣に投げ出された薄白色の手提げ袋が、すべて悪いのだ。
 というのも、私は今日手ぶらで家を出たから、こんな手提げはそもそも持っていなかったのだ。手提げもなしに、大根と人参と豆腐と水菜にきのことかそれと、つまらない本を持って家に買えるなんて不可能だった。私だって、腕は二本しかないもの……。だから、私は手提げを入手すべくこの狭い世界の狭い通りを、這いまわるはめになり……。とにかくいろいろあったけど、せっかく手提げ袋も手に入れて、雨が降ってくれたおかげで、一休みしてる最中なんだし、思い出すのはここまでにする。今はただ、運ばれてくるお菓子を待ちながら、紅茶を飲んでいられれば、それだけでいいのだ。窓の外でしとしと鳴ってる雨だって、きっと、そのためにそうしているのだから。
「お待たせしました」
 と、声がして、給仕さんは私にお菓子をくれた。

 雨が止んだらぬかるむからと、給仕さんは私を結構引き留めた。給仕さん、給仕さん、って呼んでるけど、ほんとはあのお店もあのひとも、なんかちょっと違うものなのかもしれない。とにかく私は長靴を借りて(貸し付けられて)、ようやく家路を辿っている。手提げにはおいしい鍋の具材がパンパンに詰まっていて、ちょっといやってくらいに重たい。でも、ちょっといやってくらいに重たいのは、たくさんの具材のせいなんかじゃなくて、鍋には余計な一冊の、あの本のせいなんじゃないかなって思う。なんて、なんて……さすがにそろそろ、失礼すぎるかも。
 あと数十歩で通りを抜ける、あと数十歩で、誰もいない、いつもの家路にたどり着く。ふいに振り向くと、曇り空、雲の切れ間から鋭い朱が差していて、さっきまで私のいた、あと数十歩で私がいなくなる町に、夕暮れが降り注いでいた。ああ、きっとあと数十歩で、曇り雲はすべて夕日に振り払われて、世界はあの朱に、橙に、赤色に……包まれてしまうのだ。それはたぶん、どんなひとだって逃れられずに、赤色に焼かれるほかなくなってしまうような、神聖で、残酷で、すこしだけ優しい景色に違いない。私はなぜかそう思えて、なぜかそう思えたその瞬間に、私は、なんだかとても満たされたような気持ちになって、町にようやく背を向けて、一歩目を踏み出した。

「やだなぁ。狛犬の……」
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
面白かったです
3.100名前が無い程度の能力削除
何だか不思議な寂しさと温かさがあって良かったです
4.100名前が無い程度の能力削除
つまらないけど特別な本や夕日がなんとも言えない哀愁を漂わせていて、時間が穏やかに流れていく感じが素敵でした。
5.100サク_ウマ削除
ぼんやりとした喪失感があって、でもそれは今朝見た夢のように捉えどころがなくて、ふとした途端に消えてしまいそうな曖昧さでそこにありました。そんな感じです。
不思議な気分になりました。良かったです。
6.100めそふ削除
本当に、理想の文体と理想の雰囲気でした。優しさと寂しさ、そういうのが全部混ざっていて、とても良かったです。
7.100名前が無い程度の能力削除
淡い感じが良かった
8.90夏後冬前削除
読みながら居住まいを正してしまうような、そんな感じがありました。文章表現が素敵で良かったです。
10.100Actadust削除
物寂しくも何でもない日常をここまで臨場豊かに描かれていると、読んでいるだけで溜め息が出てきますね。素敵でした。
15.100名前が無い程度の能力削除
あうんの純粋さに不安を覚える作品でした。ご馳走様でした。面白かったです。